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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

65 美髯公 ◆zkpDymnu/M :2015/10/25(日) 21:05:09

      【身延入山】

  この時に大聖人は政都・鎌倉を去る決意を固めた。大聖人自身も、幕府がこうした態度に出る事は、かねてから覚悟していた事であって、古の賢人の例に習い、
 三度まで諌暁し、その上で鎌倉を去ろうと心に期していたのである。「下山御消息」には「上下共に先の如く用いさりげに有る上本より存知せり国恩を報ぜんが
 ために三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠すさんとおもひしなり、又上古の本分にも三度のいさめ用いずば去れといふ本分にまかせて且く山中に罷り
 入りぬ」(P.358 ③)とある。これと同義の文が「光日房御書」(P.928)、「報恩抄」(P.323)等にある。「上古の文」とは、例えば「礼記」の「三たび諫めて
 聴かれずんば則ち之を逃げる」(曲礼下第二)、「孝経」の「君に過ちあれば、則ち諫む。三たび諫めて聴かざれば、則ち去る」等の文を指すのであろう。

 また「秋元御書」には「南岳大師の云く『法華経の讎を見て呵責せざる者は謗法の者なり無間地獄の上に堕ちん』と、見て申さぬ大智者は無間の底に堕ちて彼の
 地獄の有るらん限りは出ずべからず、日蓮此の禁めを恐るる故に国中を責めて候程に一度ならず流罪・死罪に及びぬ、今は罪も消え過も脱れなんと思いて鎌倉を
 去りて此の山に入つて七年なり」(P.1077 ⑫)と述べている。これは大聖人が示同凡夫の立場で述べたものである。「佐渡御書」(P.960)にも、自分が大難を
 蒙るのは、過去に法華経を誹謗した罪であると述懐しているが、その罪過は竜口の法難、佐渡流罪によって消滅し尽くす事が出来たと考え、鎌倉を去ったと
 言う事である。

 鎌倉を去り身延へ入ったのは、まさに末法の御本仏として、未来永劫の全民衆を救済する法体の確立と、大聖人の意志を伝持すべき弟子の育成の為に他なら
 ない。従って大聖人の身延入山を、単に隠棲、人生の放棄と言った消極的な面で見るのは当たらない。確かに御書の中には、そうした表現もないではないが、
 真意は前述した点にあったのである。例えば「四条金吾殿御返事」に「然るに今山林に世を遁れ、道を進まんと思いしに、人人の語様様なりしかども、
 旁存ずる旨ありしに依りて、当国当山に入りて已に七年の春秋を送る」(P.1194 ①)とあるように、大聖人の身を案じて身延から下って、自分の所で暮らして
 貰いたいと、信徒達が言ってきているけれども、思う所があって身延で、生活を送っているのだと述べている。


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