したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

64 美髯公 ◆zkpDymnu/M :2015/10/25(日) 00:32:46

  日蓮大聖人が何故この様に、蒙古来襲の時期を察知し得たのか、誰しも疑問を抱く事であろう。それに対して大聖人は、「予不肖の身なれども法華経を弘通する
 行者を王臣人民之を怨む間法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神いかりをなして身をふるひ天神身より光を出して此の国をおどす、いかに諫むれども用い
 ざれば結局は人の身に入つて自界叛逆せしめ他国より責むべし(中略)夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡に
 うかべたれば之を諍うべからず」 (P.1053 ⑩)と述べている。

 これは「撰時抄」述作の数ヶ月前、曽谷教信に与えた「法蓮抄」の一節であるが、根本的には仏法の因果の法則の上から大聖人は自然現象、また社会の動き等
 現実に起きている事相を鋭敏に洞察し、蒙古来襲を予見されたのである。また佐渡流罪中の御書と推定される「大果報御書」ぬは「かうらいむこの事うけ給わり
 候ぬ、なにとなくとも釈迦如来・法華経を失い候いつる上は・大果報ならば三年はよもとをもひ候いつるに・いくさ・けかち・つづき候いぬ」(P.1298 ⑩)と
 あり、当時の高麗、蒙古の情勢が、富木常忍、四条金吾等の門下から、大商人へ報告されていた事が分かる。

 その他にもこれらの人々から、鎌倉の情勢、幕府の施策、世情等の情報がもたらされていたであろう。「聖人知三世事」に「近きを以て遠きを推し現を以て当を
 知る如是相乃至本末究竟等是なり」(P.974 ⑥)とある様に、大聖人は現象を重視し、そこから常に時代の動向を膚で感じられていたのである。幕府はこの時、
 大聖人に対して土地や堂舎を寄進し、真言宗や念仏宗、禅宗と同じように蒙古調伏の祈祷を行うよう勧めた。大聖人はこの申し出を拒絶し、逆に真言師による
 蒙古調伏を禁止するよう鋭く迫ったのである。「王地に生れたれば身をば随えられてまつるようなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(P.287 ⑮)の
 一句は、権力に阿ることなく権威の衣を着せず、何処までも民衆の側に立って酒興革命に生ききった、大聖人の信念を示したもので不朽の光を放っている。

  幕府は結果的には、大聖人の諫言を用いなかった。と言うのは、折からの日照りの為、その対策として幕府は、東寺の加賀法印定清に雨乞いの真言祈祷を
 命じた。祈雨は十日に始まり翌日に雨が降ったので、鎌倉中の人々が真言密教を、批判した大聖人を罵詈したという。ところが十二日になって俄に大風が吹き
 荒れ、大小の舎宅・堂塔・古木・御所等が倒壊してしまったのである。この事は「北条九代記」にも記録されている。幕府が雨乞いの修法に加賀法院を起用
 した事は、明らかに大聖人の諌暁を無視し拒絶した事を表わしたものであった。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

■ したらば のおすすめアイテム ■

小林さんちのメイドラゴン : 1 (アクションコミックス) - クール教信者


この欄のアイテムは掲示板管理メニューから自由に変更可能です。


掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板