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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

56 美髯公 ◆zkpDymnu/M :2015/10/06(火) 22:28:47

      【時応機法の意義】

  「観心本尊抄」とするのは略称であって、正式な題号は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」となっている。従来、この題号の読み方に諸説がある。
 ある人は「五五百歳に始めて心を観る本尊抄」と読み、ある人は「五五百歳の始め」と読み、ある人は「五五百歳に始めたる心の本尊を観る抄」と読み、
 ある人は「五五百歳に始まる観心本尊抄」と言う様にまちまちである。この様に、題号をどう読むかによって、文意も全く事なってくる。
 では、日蓮大聖人の真意を正しく表わす読み方は如何なるものであろうか。日蓮正宗第二十六世日寛上人は「観心本尊抄文段」に次の様に記している。

 すなわち「滅後後五百歳とは、これ上行出世の時に明かす。始の字はこれ上行始めて弘むる義を明かす。観心はこれ文底所被の機縁の観心を明かす。本尊は
 これ人即法の本尊を明かす。故に如来滅後後五百歳は時に約し、始の字は応に約し、観心は機に約し、本尊は法に約するなり」と、時・応・機・法の四義具足の
 上から読むべき事を指摘している。仏の説法を文字として記録した経典には必ず、何時(時)、如何なる人々に(機)、如何なる法(法)、を仏は説いた(応)かが
 記されている。している。応とは、仏の所作、振る舞いであるが、これを“応”と言うのは、衆生の仏を待望する心(機)に応ずる所に仏の説法、行動の本義が
 あるからである。そしてこの衆生の“機”と仏の“応”が一致した所に“時”の到来がある。

  ともあれ、いま簡単に時・応・機・法の原理が、経文ではどのような形で表われているか見てみたい。
 法華経方便品の冒頭に「爾の時に世尊 三昧より安詳として起ちて 舎利弗に告げたまわく 諸仏の智慧は甚深無量なり」とあるが、この「爾の時」という
 のが“時”に当たる。「世尊・・・・告げたまわく」が“応”である。「舎利弗に」が“機”である。そして教えた“法”は何かと言えば、「諸仏の智慧は甚深
 無量なり」がそれである。また寿量品には「爾の時に仏 諸の菩薩 及び一切の大衆に告げたまわく・・・・」に始まっているが、「爾の時」が“時”に当たり、
 「仏・・・・告げたまわく」が“応”に当たる事は方便品と変わらないが、寿量品では“機”が「諸の菩薩 及び一切の大衆」であり、“法”は「如来の秘密
 神通の力」となっている。特に「諸の菩薩及び一切の大衆」は九界の一切衆生を意味しており、迹門方便品の“機”が舎利弗一人であるのと大きく異なっており、
 寿量品があらゆる衆生の為に説かれたものである事を示している。


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