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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

52 美髯公 ◆zkpDymnu/M :2015/09/30(水) 22:35:18

      【赦免運動を制止】

  鎌倉の弟子、檀那の人々は相互の結束を固めながら、師の日蓮大聖人赦免運動を企図していた。言うまでもなく、この事は大聖人の許にも報告された。
 だが、大聖人はこの赦免運動を喜びとはせず、富木常忍に与えた「真言諸宗違目」には「土木殿等の人人御中」と前書きし、「日蓮が御免を蒙らんと欲するの事を
 色に出す弟子は不孝の者なり、敢て後生を扶く可からず、各各此の旨を知れ」(P.139 ⑦)と厳しくそうした動きを戒めている。また、赦免にならない事を決して
 嘆いてはならない、これはきっと諸天が抑えているのであって、策を弄した所でどうなるものでもない、とも指導している。

 師子王の如く仏法の道理のままに、生きる大聖人の御本仏としての境地からすれば、社会的、政治的運動によって赦免を願うという事は、それが弟子達の
 誠意から出たものにせよ、許し難い事であったろう。この「真言諸宗違目」の終わりの部分には「日月は四天の明鏡なり諸天定めて日蓮を知りたまうか
 日月は十方世界の明鏡なり諸仏も定めて日蓮を知りたまうか、一分も之を疑う可からず、但し先業未だ尽きざるなり日蓮流罪に当たれば教主釈尊衣を以て
 之を覆いたまわんか、去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか『必ず心の固きによりて神の守り即ち強し』等とは是なり、汝等努努疑うこと勿れ
 決定して疑い有る可からざる者なり」(P.141 ⑯)と述べている。「数数見擯出」の経文を身読した大聖人は、二度目の流難を終えて、時が来れば
 赦免される事を確信されていたのである。

  竜口法難以前においては、大聖人の破折の矛先は専ら念仏、禅宗に向けられていたが、この佐渡流罪以後は主として真言宗並びに天台密教を鋭く論破して
 いっている。「開目抄」でも其の萌芽が見られるが、華厳、法相等の諸宗と共に、その誤りを指摘されている程度であった。ところが、文永九年七月に
 著わされた「真言見聞」は、真言宗にのみ的を絞って、その謬義を論釈している。こうした社会的、思想的背景の中で、文永十年四月、法本尊開顕の書
 「観心本尊抄」が世に出されたのである。


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