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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

48 美髯公 :2015/09/27(日) 21:37:02

      【塚原から一ノ谷へ】

  日蓮大聖人が塚原の三昧堂から、石田郷・一ノ谷へ移されたのは文永九年(一二七二年)の夏の頃であった。御書には月日まで明らかにされていないが、
 一説には四月であろうと言われている。大聖人はこの一ノ谷で二年近く過ごし、「観心本尊抄」もここで著わされた。大聖人が一ノ谷に落ち着くと、鎌倉の
 信徒の中には、自ら佐渡の訪れる者、また使いを遣わして品物、金銭等を供養したりというように、佐渡と鎌倉の間の交流が活発になって行った。
 牢に捕らえられていた日郎等も、二月騒動を契機として赦免になり、殆ど壊滅状態になっていた鎌倉の信徒達も漸く立ち直りつつあったのであろう。

 いち早く一ノ谷の大聖人の許を訪れたのは、四条金吾頼基であったらしい。鎌倉は、まだ二月騒動の余塵がくすぶっており、頼基が仕えていた江間家も、
 緊迫した空気に包まれていた。この様な騒然としている時に、しかも遠流の地・佐渡まで行くという事は、かなりの抵抗があったはずである。晩年の弘安三年
 (一二八〇年)、大聖人はその時の状況を回顧して、頼基の行動を次のように称賛している。「佐渡の島に放たれ北海の雪の下に埋もれ北山の嶺の山颪に命助かる
 べしともをぼへず、年来の同朋にも捨てられ故郷へ帰らん事は大海の底のちびきの石の思ひしてさすがに凡夫なれば古郷の人人恋しきに在俗の宮仕隙なき身に
 此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経て遙かに尋ね来たり給い志・香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき」(P.1193 ⑫)と。

 更に「同生同名御書」には次のように、夫・頼基を佐渡に送り出した日眼女に対して、賛嘆と激励の言葉を認めている。「はかばかしき下人もなきに・かかる
 乱れたる世に此とのを・つかはされたる心ざし大地よりも・あつし地神定めてしりぬらん・虚空よりも・たかし梵天帝釈もしらせ給いぬらん」(P.1115 ⑧)と。


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