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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

47 美髯公 :2015/09/27(日) 13:23:23

 また、「種種御振舞御書」にも塚原問答の模様が、ドラマティックに述べられているが、大聖人の切れ味の鋭い、明晰極まりない論折にあって、ある者は沈黙し、
 ある者は顔色を失い、ある者は念珠を捨てて念仏申すまじと誓ったという。問答による理論闘争は、日蓮大聖人の完全な勝利に終わり、数百人の念仏者達は悄然と
 立ち去った。「種種御振舞御書」によれば、この塚原問答の直後に、前年の十一月頃から思索し、構想を練っていた「開目抄」の作成に取りかかり、二月に完成
 したとある。ちょうどこの頃、鎌倉では北条一門同士で骨肉相食む悲惨な争いが生じた。「立正安国論」で警告し、更に前年の九月、平左衛門尉を諌暁した自界
 叛逆難、他国侵逼難の一つが現実化したのである。

 これは、北条時宗の異母兄に当たる六波羅南探題・北条時輔が、執権職にある時宗に不満を抱き、その実権を奪おうと計った事件である。時輔謀叛の動きは、
 事前に時宗の察知する所となり、逆に誅殺されてしまった。この事件は二月騒動と呼ばれている。当時、蒙古来襲に備えなければならない時に、この様な
 自界叛逆難が生じた事は、幕府内部にも深刻な動揺を与えずにはおかなかった。牢に捕らえられていた大聖人の弟子達が、急遽赦された事も、この二月騒動が
 原因であったようだ。二月騒動のことは、佐渡の大聖人の許にも本間六郎左右衛門によって知らされた。三月に書かれた「佐渡御書」にも二月騒動の事が
 記されており、更に「京鎌倉に軍に死せる人人を書付てたび候へ」(P.956 ⑨)と、富木氏、四条氏等の門下に、詳しい情勢を知らせてくれるよう依頼している。


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