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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

46 美髯公 :2015/09/24(木) 21:24:42

      【阿仏房等の助力】

  その間、島の住人で大聖人に帰信し、その世話をする者が出てきた。まず、挙げられるのは阿仏房夫妻である。彼等は、厳重な監視と念仏者の監視の中を、
 密かに大聖人の許に食料を運んだ。この真心と勇気ある行動は終生忘れられないと「いつの世にか・わすらむ、只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか」
 (P.1313 ⑮)とまで述べられている。また、国府入道夫妻も阿仏房夫妻と同じように、大聖人を陰になり日向となって外護した人達である。日蓮大聖人の
 佐渡流罪に供奉したのは、日興上人と伊予房日頂等数人の弟子達であったらしい。日興上人の伝記である「日興上人御伝草案」に「九月十二日大聖人
 御カンキノトキ、サドノシマヘ御トモアリ」とあるように、日興上人は竜口法難以来、影の身に添うように随行していた事が分かる。伊予房日頂は
 富木常忍の養子で、文永十年七月、富木氏に宛てた消息の中に「伊予房は器量者にて候ぞ今年留め候い畢んぬ」(P.963 ④)とある。

 これら大聖人に随ってきた弟子の内、幾人かは一月足らずで本土へ還されている。多分、食料が欠乏していたからであろう。しかし「是へ流されしには
 一人も訪う人もあらじとこそ・おぼせしかども同行七八人よりは少からず、上下のくわても各の御計ひなくばいかがせん」(P.1132 ⑦)とあるように、
 大聖人の元には常に七、八人の弟子達が随っていたようである。

  翌文永九年(一二七二年)正月、塚原問答が行われた。佐渡の念仏者は勿論の事、北陸、奥州方面の諸宗の僧も応援に駆けつけ、印性房を始めとする
 数百人が大聖人に法論を挑んだのである。「佐渡御書」に云く「今年正月十六日十七日に佐渡の国の念仏者等数百人印性房と申す念仏者の棟梁なり日蓮が
 許に来て云く法然上人は法華経を抛よとかかせ給には非ず一切衆生に念仏を申させ給いて候此の大功徳に御往生疑いなしと書付て候を山僧等の流されたる
 並に寺法師等・善哉善哉とほめ候をいかがこれを破し給と申しき鎌倉の念仏者よりもはるかにはかなく候ぞ無慚とも申す計りなし」(P.959 ⑪)と。


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