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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

42 美髯公 :2015/09/21(月) 22:59:41

 第一の「機を知らずして麤議を立て難に値う」という事は、如何なる仏教によって成仏得道するかという衆生の機根を弁別しないで、一様に南無妙法蓮
 華経の一法でしか、成仏の道はないと立てるのは粗雑な教義である。だから、難を蒙るのだという批判である。
 第二の勧持品と安楽行品の相違とはこういう事である。勧持品には「仏の滅度の後の恐怖悪世の中に於いて、我等当に広く説くべし。諸の無智の人の悪口
 罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん、我等皆当に忍ぶべし」と。恐怖悪世という末法に妙法を弘通するならば、必ず三類の強敵の迫害を受けると
 説かれている。

 ところが安楽行品には「如来の滅後に、末法の中に於いて、この経を説かんと欲せば、当に安楽行に住すべし。若しは口に宣説し、若しは経を読まん時、
 楽って人及び経典の過を説かざれ。亦、諸余の法師を軽慢せざれ」と浅学初心の行者のための修行法が説かれている。つまり、勧持品に説かれている
 三類の強敵を耐え忍んで弘教する方軌は深位の菩薩の修行法であって、安楽行品の教えに違背していると批判しているのである。
 第三の「此の義」とは明らかでないが、多分大聖人の立てている教説は自分も承知しているという増上慢を指していると思われる。
 第四の「教門計り」との批判は、大聖人は観心の法門を明らかにしていないという事である。
 「開目抄」はこれらの批判の内、第一と第二に対する回答であり、「観心本尊抄」は、第一と第四に対する完璧な回答であった、と見る事が出来る。


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