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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

41 美髯公 :2015/09/20(日) 22:17:20

  また妙一尼御前の夫の様に、在家の檀那は御内追放、所領没収の処罰を受けている。四条金吾は、主君・江間氏の庇護もあって、この処罰を免れた一人で
 あった。この門下にまで及んだ大弾圧により、退転者が続出した。「新尼御前御返事」には「かまくらにも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候」(P.907 ⑦)と
 記されている。また、文永十年(一二七三年)に書かれた「弁殿尼御前御書」には「弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり」(P.1224 ⑫)
 とある。更に「日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑いををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等(中略)
 日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」(P.960 ⑰)とある様に、師匠である日蓮大聖人を批判する者まで出てきたのである。

 具体的には少輔房、能都房等であり、彼等は自分だけでなく多くの同心の人まで、引き連れて転向、反逆していった。少輔房については、先にあげた「五人土籠
 御書」に、すでに「せうどのの但一人あるやつを・つけよかしとをもう心・心なしとえおもう人一人もなければしぬまで各各御はぢなり」(P.1212 ⑪)と述べられて
 いる。すなわち、多くの弟子達が捕らわれる中で、但一人助かった少輔房が権力側と気脈を通じていたらしい事を察知されているのである。ここで留意すべき点は、
 法門上の事ではなく事実無根の事ではあるが、放火、殺人と言った世間の事に事寄せて、弾圧が行われたという事である。

  竜口の法難を契機とした弾圧は、大聖人門下の間に疑いと動揺を生じ、拡大していった。この事は大聖人自身もすでに存知のことであったようだ。十月十日に
 依智を発ち二十一日に、越後の寺泊に到着した大聖人は富木常忍に書状(「寺泊御書」)を書き送っているが、その中に大聖人に向けられた批判を四項に渡って
 列挙している。「或る人日蓮を難じて云く機を知らずして麤議を立て難に値うと、或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと、或る人云く我も
 此の義を存すれども言わずと云云、或る人云く唯教門計りなり」(P.953 ⑪)と。ここでは「或る人」と第三者の批判の様に表現されているが、当然門下の中に
 こうした批判、疑いがあった事は否定できない。


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