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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

38 美髯公 :2015/09/09(水) 23:21:49

  日蓮大聖人が本地自受用報身であり、久遠名字已来の本因本果の主であると言う事は、この文底独一本門の南無妙法蓮華経を所持された、人法体一の
 最も根本の仏である事を意味する。そして「自受用報身」の再誕としての振舞いとは、本来その所持されている南無妙法蓮華経の大仏法を説き顕し、その実体を
 確立し全民衆救済の道を開く、末法の御本仏としての活動に他ならない。なお、内証の悟りの上で、仏界を覚知されたのは、清澄寺に於ける修業時代であった事は、
 既に述べた通りである。日蓮大聖人は「三沢抄(佐前佐後抄)」に「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」
 (P.1489 ⑦)と、佐前つまり竜口より以前の振舞いや教示は、垂迹上行菩薩の再誕としてのそれであると明言されている。「発迹顕本」の瞬間は竜口の頸の座で
 あったが、実際に本地自受用報身の立場から人本尊、法本尊を開顕されていったのは、佐渡へ流されてからであったので「さどの国へながされ候いし已前の法門は」
 と述べたものと思われる。

 また「報恩抄」に「去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模の国たつのくちにて切らるべかりしが、いかにしてやありけん其の夜は・のびて依智というところへ
 つきぬ、又十三日の夜はゆりたりと・どどめきしが又いかにやありけん・さどの国までゆく、今日切るあす切るといひしほどに四箇年」(P.322 ⑰)とあるように、
 竜口の法難とそれに続く佐渡流罪を一箇の大難とみなされている事にもよる。それでは上行菩薩としての振舞いとは一体如何なる事であろうか。菩薩とは菩提薩埵の
 略で、覚有情と訳されている。菩提薩埵の菩提とは道・智・覚の意で、薩埵とは衆生・有情、更に勇猛の義がある。つまり菩薩とは、自らの得道の為に法を求める
 求道者の立場と共に、仏弟子としてこの現実社会に勇気を持って仏法を弘め、人々を救済していく使命を担った存在である。

 とりわけ上行菩薩は仏滅後、末法に於いて妙法を弘め、一切の民衆を本源から蘇生させていく事を、誓った地涌の菩薩群の指導的立場に当たる。
 大聖人の本地は久遠元初の自受用報身であるが、垂迹として振舞う上行菩薩の立場は、あくまで「如来の使い」である。事実、大聖人の竜口以前に於ける
 言説は、仏教界が阿弥陀や大日如来等幻影のような権仏に執着し、爾前権教に迷っているのに対し、釈尊に還りその真実の教法である法華経に戻るべき事を
 叫ばれたのであった。そして大聖人自らも、絶望と苦悩の深淵に沈む民衆を救う為に、泥沼の様な社会の中に入り、妙法弘通の実践を展開されたのである。
 「立正安国論」を認め、時の権力者・北条時頼に向かって覚醒を促した第一回の国家諌暁も、十一通御書に見られる公場に於ける法論対決を迫られたのも、
 地涌の菩薩としての活動に外ならない。


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