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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

34 美髯公 :2015/07/21(火) 22:55:19

 これに対し、大聖人は毅然として彼等の気違いじみた行動を見つめ、返って厳しい一喝を加えられている。そして、この為に鳴りを静めた一座の中で、悠々と
 平左衛門尉を諌暁されたのである。すなわち「平の左衛門並びに数百人に向かって云く『日蓮は日本国のはしらなり。日蓮を失うほどならば日本国のはしらをたをすに
 なりぬ』等云云」(P.312 ⑩)「日蓮は日本国の棟梁なり予を失うは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界叛逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人・
 他国に打ち殺さるるのみならず、多くいけどりにせらるべし」(P.287 ⑪)と。これは、文応元年(一二六〇年)の「立正安国論」上堤による国諫以来、二度目の
 国家諌暁とされる。

  大聖人は捕らわれ、幕府に引き立てられたが、その時の扱い方はまるで逆賊の様であったという。「神国王御書」に「両度の流罪に当てて日中に鎌倉の小路を
 わたす事・朝敵のごとし」(P.1525 ⑩)と。この時、日蓮大聖人は五十歳であった。「十二日酉の時・御勘気・武蔵守殿御あづかりにて」(P.951 ②)とある様に、
 夕方六時前後に、大聖人は武蔵の守宣時の預かりとして、その領国である佐渡流罪という裁決が下された。しかし、これはあくまでも表面上の事で、平左衛門尉の
 独断のもと密かに竜口の刑場で斬首、という段取りになっていた様である。

 夜中になって大聖人の身柄は、宣時の配下で佐渡の守護代・本間六郎左衛門の邸へ送られる事になった。途中、若宮小路の八幡宮の社前に差し掛かった時、
 大聖人は馬から降り、八幡大菩薩に向かって大音声をもって、今かかる大難に際し法華経の行者を、守護すると誓った願を果たそうとしないのは、どうしたわけか、と
 叱咤した。そこに居合わせた警固役の兵士達も肝を冷やした事であろう。更に大聖人護送の一行が由比ヶ浜に出て御霊の前に差し掛かった時、大聖人は童子の
 熊王丸をやって、近くの長谷に住む四条金吾の許に急を知らせた。それを聞いた四条金吾は馳せ参じて、大聖人の馬の轡に取りすがり大聖人と何処までも、生死を
 共にしようと決意した事は有名である。


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