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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

31 美髯公 :2015/07/16(木) 22:15:45

      【文永八年の法難】 

  日蓮大聖人が幕府評定所に召喚され、尋問を受けたのは文永八年(一二七一年)九月十日の事である。いよいよ権力による二度目の弾圧が始まったのである。
 この間の経緯は「種種御振舞御書」に詳しいが、それによるとこの召還の直接のきっかけとなったのは、極楽寺良観、道阿道教、念阿良忠等の念仏者による不当な
 讒奏であった事が明らかである。良観等はこの数ヶ月前に、念阿良忠の弟子・行敏の名をもって、大聖人とその門下を問注所に訴え出たが、大聖人の鋭い論駁に
 あい、かなり狼狽し焦慮していたようである。まともに当たったのでは、歯が立たないと見た彼等は、幕府上層部の夫人を煽動した。

 「種種御振舞御書」に云く「さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す、
 故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無間地獄に堕ちたりと申し建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏寺等をやきはらへと申し道隆上人・良観上人等を頸をはねよと申す、
 御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬかれがたし、但し上件の事・一定申すかと召し出しててたづねらるべしとて召し出されぬ」(P.911 ③)と。この尼御前や
 上﨟の中には、当然、最明寺入道(北条時頼)、極楽寺入道(北条重時)の未亡人もいたであろうから、この讒言を聞き大聖人に対して怨恨を抱き、その筋に
 圧力をかけた事も当然予想される。良観側にとっては、筋書き通り事態が展開していったのである。

  当時、幕府も蒙古対策に命運を賭けており、内部を固める為に所謂悪党鎮圧に乗り出していた。この悪党というのは山賊、盗賊の類というより、むしろ幕府や
 守護に反抗する地頭、名主等を指している。幕府は全国的に悪党鎮圧を行ったが、特に膝元の鎌倉に於いて厳しく取り締まった事はいうまでもない。
 しかも、日蓮大聖人に対しては「立正安国論」による諌暁以来、権力に楯をつく不逞の僧侶という見方が強く支配しており、一度は伊豆へ流罪にしている。
 幕府側から見れば悪党的存在であった訳で、折が有れば一挙に抑圧してしまおうという企図はあったのであろう。


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