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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

27 美髯公 :2015/07/02(木) 22:51:40

  小松原の法難から三日後の十一月十四日、大聖人は道善房と再会した。所は蓮華寺であった。東条景信の襲撃の事を聞き、驚いて見舞いに来たのであろう。
 旧師道善房の許を去って以来十余年、その間一度も会う機会もなく、直接には音信も交わされなかったようである。この時、道善房は自ら不本意ながらも念仏を
 称え、阿弥陀仏を作ってしまったが、この罪によって地獄に堕ちるのだろうかと質問した。大聖人はこうした旧師に対し、昔を懐かしみ、いたわり、包容してあげたく
 思った事であろう。しかし、思い返せば生死の習いとして、老少不定でまた将来再び見参する事は、困難な事であろう。しかも、この道善房の兄・道義房義尚の
 臨終は思うようではなかった様である。旧師も同じく、無間の淵に沈ませてはならない、こう意を決して強い語調で答えた。

 「阿弥陀仏を五体作り給へるは五度無間地獄に堕ち給ふべし其の故は正直捨方便の法華経に釈迦如来は我等が親父・阿弥陀仏は伯父と説かせ給ふ、
 我が伯父をば五体まで作り供養せさせ給いて親父をば一体も造り給うはざりけるは豈不幸の人に非ずや・・・当世の道心者が後世を願うとも法華経・釈迦仏をば
 打ち捨て阿弥陀仏念仏なんどを念念に捨て申さざるはいかがあるべかるらん、打ち見る処は善人とは見えたけれども親を捨てて他人につく失免るべしとは
 見えず・・・・されば壯林最期の涅槃経に十悪、五逆よりも過ぎて恐ろしき者を出させ給ふに謗法闡提と申して二百五十戒を持ち三衣一鉢を身に纏える
 智者共の中にこそ有るべしと身え侍れ」(「善無畏三蔵抄」P.889 ⑧)と、細々とその謂われを述べたが、当座は道善房には理解できなかったようである。
 その後、文永七年(一二七〇年)の頃、大聖人のこの時の厳しい言説が楔となったのであろうか、道善房は法華経を持ち少々信仰に目覚めたが、
 弱々しいものであったようである。


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