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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

23 美髯公 :2015/06/29(月) 21:26:56
  浄土信仰が広まった二番目の理由は、末法思想を基調とした厭世思想が民衆の間に定着していた事である。打ち続く災難や戦乱の為に、どんなに努力しても
 苦悩の泥沼から、抜け出す事の出来ないこの世は“憂き世”と映った。人々は絶望の果てに、今世に於ける幸せを諦め、来世を渇仰したのである。しかも永承七年
 (一〇五二年)は末法に入る年とされ、当時の人々の不安を一層かき立てた。慈円の「愚管抄」にも当時の世相を憂え「さてこの後のやうを見るに、世のなりまからん
 ずるさま、この二十年よりこのかた、ことし承久までの世の政、人の心ばへのむくいゆかんずる程の事のあやうさ、申かぎりなし」と記述されている。こうした幾つかの
 条件が複雑に絡み合う中に、来世を渇仰して極楽浄土への往生を説く浄土信仰が自然発生的に広まっていった。

 平安時代末期に法然が出て、全ての余行を捨てて、阿弥陀如来の名号を唱えさえすれば、極楽に往生できると説いた。文治五年(一一八九年)には、九条兼実が
 法然に帰依するに至り、浄土宗は教団として形を整えていったのである。建久九年(一一九八年)に書いた「選摘集」は九条兼実の求めに応じたものといわれている。
 しかし、念仏の教えは民衆の中に、深く根を下ろすと共に諦観思想を、社会に瀰漫させていったのである。以上の事から、日蓮大聖人が「立正安国論」で法然の
 浄土宗を、厳しく破折した所以が、明瞭に理解されよう。ただし、日蓮大聖人の真意は単に浄土宗だけでなく、広く諸宗の誤りを正すことにあったことはいうまでもない。


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