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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

21 美髯公 :2015/06/17(水) 21:26:41

      【社会を覆った諦観思想】

  「立正安国論」の中で特に念仏を一凶として、大きく取り上げた理由について述べておきたい。それは平安末期に始まった浄土信仰が、鎌倉時代に入って更に
 盛んとなり、日蓮大聖人の時代には、日本国中に念仏の哀音が覆い、社会全体に無気力の風潮が、漲っていたが故に他なら無い。比叡山でさえ、念仏信仰を
 認めなければ信者の庇護、寄進を受け取れない情勢となっており、奈良や高野山でも念仏修行者の数が夥しかったという。鎌倉で連署・北条重時が浄土宗の為に
 極楽寺を造営したのは「立正安国論」提出の前年である。後鳥羽院も念仏に帰依しており、念仏は庶民の間だけでなく、指導者層にも浸透しつつあったのである。

  浄土宗の教勢伸張を恐れた既成仏教の大寺院は、それを押さえようとした。元久元年(一二〇四年)、比叡山の衆徒は、専修念仏の禁止を天台の座主に
 要求した。弾圧を避けようとした法然は門弟を集め、自戒すべき項目を七箇条にして署名させた。この「七箇条制戒」には、門弟百九十人が数日に渡って署名
 している。この事からも法然の教団が、かなり大きくなっていた事が窺える。更に翌年元久二年、興福寺が念仏禁止を院に訴えた。その奏文の中に「洛辺近国では
 まだ尋常であるが、北陸・東海等の諸国に至っては、専修念仏の僧尼がさかんに破戒を事としている」(趣意)と記されているように、浄土信仰は全国的に広まっては
 いたが、同時に僧侶の堕落も顕著になっていたようである。

 この様に浄土信仰が急速に広まった原因は、一つには既成仏教の堕落が挙げられる。例えば、延暦寺の天台宗は宗教界の中心であったが、慈覚、智証の時に
 真言の邪義を取り入れ、法華経の正義を濁してしまった。更に座主は政治的な力まで持つようになり、院政期にはいると、座主の地位を巡って門閥の争いが激増して
 行った。また、延暦寺を始め興福寺、東大寺等の大寺院は寺領荘園の自衛の為に僧兵という武力集団を保持した。僧兵の横暴は次第に高まっていき、白河上皇の
 代になると強訴という手段で、詔勅、院宣等にも公然と反抗した。白河上皇も「賀茂川の水、双六の賽、山法師は、これ朕が心に随わざる者」と嘆息したほどであった。
 既成仏教が自己保身の為に僧兵を保持した事自体、仏法の自殺行為であり「白法隠没」そのものの姿であったといえよう。結局、僧兵の出現が起因となって
 武士階級が抬頭し、武家政治へと移行するのである。人々は堕落しきった既成仏教から離れ、新しい宗教の到来を求めた。


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