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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

20 美髯公 :2015/06/15(月) 22:50:33

      【得宗・時頼への提出】

  日蓮大聖人は一切経を閲読した結果、天変地夭のよって来たる原因、また諸宗に祈祷を行わせるも一分の効験も顕われず、返って災いが増長するのは何故かと
 いう道理、文証を得る事が出来たのである。その結論に基づき、為政者を覚醒せしめんと決意し、警世の書「立正安国論」を著わした。文応元年(一二六〇年)
 七月十六日、日蓮大聖人は宿屋左衛門光則を通じ、この「立正安国論」を時の実権者・北条時頼に提出したのである。その大意は、仁王経、薬師経、大集経、
 金光明経の四教の明文を引いて、一切の三災七難の根源は、正法を信ぜず、仏説に背いた教えを信ずる所にある。とりわけ、社会を覆い人々の生命を蝕んでいる
 一凶は、法然の念仏に他ならない。この一凶を断ち、正法たる妙法を信仰するならば、幸福と平和の楽土が現出する。しかし、もしも為政者がこの迷妄に
 目覚めなかったならば、これまで起こっていない二つの大きな災難 ― 自界叛逆難と他国侵逼難が競い起こり、民衆はよるべき国土を失い、塗炭の苦しみに喘ぐで
 あろうと警告したものである。

  自界叛逆難とは、内乱・内戦の事であり、また他国侵逼難とは、他国からの侵略の事である。つまり、この二つは戦争を意味している。「立正安国論」で
 日蓮大聖人が主張している事は、単に他国の侵略を防ぐという消極的な面ではなく、内乱にせよ他国からの侵略にせよ、残酷で悲惨な戦争そのものを否定し、
 全世界に平和を確立しなければ一人一人の真実の幸福はないという点にある。これは「立正安国論」の最終結論が平和論で結ばれている事からも明らかである。
 およそ、為政者であるならば、当然この諫言に耳を傾けるべきであるのに、時頼はこの大聖人の叫びを黙殺した。禅に深く傾倒していた時頼にしてみれば、
 日蓮大聖人が世を乱す不遜の僧と映ったのかも知れない。また時頼が「立正安国論」を側近の者に、回覧した事も十分に考えられる事である。
 なぜなら「立正安国論」を提出して一ヶ月余り経た八月二十七日になって、突如念仏僧を交えた集団が松葉ケ谷の草庵を襲撃して来ているからである。

 つまり、連署で執権・長時の父に当たる北条重時は法然門下の証空の弟子・修観に帰依していた熱烈な念仏者であった。また、後の大聖人迫害の急先鋒となった
 極楽寺良観も、この重時に取り入っていた。念仏を一凶と断じられている「立正安国論」を見た彼等が激しい動揺を受けた半面、怒りを爆発させたであろう事は
 疑いない。草庵を追われた日蓮大聖人は弟子達と裏山に逃れ、一時下総の富木氏の許へ身を寄せた。しかし翌年には鎌倉に戻り、再び以前に勝る布教活動を
 展開している。その姿を見た念仏者達は、今度は悪口したという罪名で告訴しその結果、幕府は大聖人を伊豆へ流した。この処罰の背景に、北条重時の策動が
 あった事はいうまでもない。


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