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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

19 美髯公 :2015/06/14(日) 21:23:08

 文永六年(一二六九年)十二月八日、日蓮大聖人が「立正安国論」を書写した時に加えた「立正安国論奥書」には「去ぬる正嘉元年太歳丁巳、八月二十三日、
 戌亥の尅の大地震を見て之を勘う」(P.33 ⑦)と明確に記されている。その他「安国論御勘由来」や幾多の御書に正嘉の大地震としてあげている。
 その後も、九月下旬まで地震が頻発し、十一月八日にはまた大地震が起きている。

 更に正嘉二年(一二五八年)八月一日には、暴風雨によって諸国の田園が損亡し、正元元年(一二五九年)には、全国的に大飢饉、疫病が流行し大半の
 人々が死んでいる。「続本朝通鑑」には、この頃の情勢について「天下飢饉、疫多く、人民多く死し、骸山野に満つ、時に小尼あり、京都に来往して好んで人の
 骸を食う。時人大いにこれを懼れ怪しむ」とあるが、その悲惨の一端を伺う事が出来る。

  「立正安国論」の冒頭に「旅客来たりて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり
 死を招くの輩既に大半を超え之を悲しまざる族敢て一人も無し」(P.17 ④)とあるが、ここに述べられていることは決して誇張ではなく、ありのままの世相を記している
 ことが理解されよう。日蓮大聖人は、こうした異常なまでの天変地夭、またそれによって苦悩する民衆の姿を見て、その原因と解決の法とを明らかにするために、
 駿河国(静岡県)岩本実相寺の経蔵に入り一切経を閲読した。時に正嘉二年二月と言われている。この折、日興上人が弟子になったという。


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