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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

18 美髯公 :2015/06/13(土) 21:49:09

      【相ついだ天変地】

  さて、当時の歴史年表を見てみると、日蓮大聖人が鎌倉に来てから年号が、屡々改元されている事に気がつく。三年後の建長八年には康元、翌年には正嘉、
 二年で正元、更に文応、弘長と僅か六年の間に五度も改元している。改元は天皇が交代したときに行われる場合と、天変地夭等の不祥事が重なるときに
 行われる場合とがあるが、当時は後者である。平安末期頃より天変地夭の現象が顕著になりつつあったが、特に建長八年(一二五六年)の頃から連年、
 大地震・暴風雨・流行病・旱魃・火災・寒波等が続いている。「吾妻鏡」 「続本朝通鑑」等には当時の悲惨な状況が、つぶさに記録されている。

 例えば、建長八年八月六日には、鎌倉に暴風雨が襲って、河川洪水、山岳大いに崩れて多数の死者が出、田畠の作毛悉く損亡したと記されている。
 同年九月には疫病が流行し、将軍・宗尊親王や執権・時頼等も感染している。

 正嘉元年(一二五七年)四月十六日に月食、続いて五月一日に日食があって祈祷を行っている。共に不吉な事として当時の人々が恐れた現象である。
 また、十八日の夜半には大地震があった。更に六月から七月にかけて旱魃が続き、雨乞いの修法祈祷を行っている。
 特に八月二十三日の夜戌の刻(午後八時)には、前代未聞の大地震が起こった。山岳は崩れ、人家は倒れ、築地は悉く破損し、所々に大地が裂け、
 火災は多発し、夥しい死者が出たと記されている。日蓮大聖人が「立正安国論」を執筆する直接の機縁となったのはこの大地震である。


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