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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人の生涯 】

13 美髯公 :2015/05/31(日) 21:00:47

      【 立宗宣言と地頭の反発 】

  建長五年(一二五三年)四月二十八日、大聖人は師道善房の住坊となっている諸仏坊の持仏堂の南面に於いて、自身の所説を表明した。
 いわゆる立宗宣言である。時に午の刻。持仏堂の南面の広場には、道善房をはじめ、浄円房、少々の大衆が参集していた。伝える所によれば、これに先立って、
 大聖人は、四月二十二日から七日の間、禅定に入り満願の日 ― 二十八日の朝、蒿が森(今は旭日森)の頂上に立って、太陽に向かって「南無妙法蓮華経」と
 唱えたという。「報恩抄」及び「開目抄」には、末法出世の極理を説き始めるに当たって起こるであろう大難を予測し、胸中に葛藤が生じた事を述懐している。

 「此の事・日本国の中に但日蓮一人計りしれり、いゐいだすならば、殷の紂王の比干が胸を・さきしがごとく・・・・法道三蔵のかなやきをやかれがごとく・ならんずらん
 とはかねて知りしかども、法華経には『我身命を愛せず、但無上道を惜しむ』ととかれ涅槃経には『寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ』といさめ給えり、今度命をおしむ
 ならば・いつの世にか仏になるべき、又何なる世にか父母師匠をも・すくい奉るべき」(P.321 ⑭)と。
 なぜ大難の起こる事を予測したのであろうか。それには「此の事・日本国の中に但日蓮一人計りしれり」とある、「此の事」とは何かを知らなければならない。大聖人は
 胸中に一人悟った法を説き顕すに当たって、当時現存する全ての宗派が三悪道流転の基であって、成仏得道の教えでない事を明瞭にしなければならなかった。
 故に四箇の格言として有名な、念仏は無限の業、禅宗は天魔の法、真言は亡国の法であるという痛烈な批判を行ったのである。

  諸宗は無徳道、妙法の一法のみが成仏得道の法である ― これを言うべきか、言わざるべきか。言えば三障四魔の障碍が競い起こり、三類の強敵の難を被る事は
 必定である。だが、もし言わなければ後生は無間の淵に沈み、父母・師匠を救えない事になってしまう。― 迷い抜いた末、法華経宝塔品に説かれる六難九易の文を
 目の当たりにした大聖人は、強盛な菩提心を起こし、「二辺の中にはいうべし」と断固決意し説き始めたのである。末法法華経の行者の道を選んだ大聖人は、
 その時既に法華経勧持品等に説かれる、あらゆる迫害を受ける事は覚悟の上であった。

 天台密教の寺、清澄寺の住持であり、自身は念仏を行じ、阿弥陀仏も自ら造った道善房の驚きは、並大抵のものではなかったに違いない。道善房は、偉大な成長を
 遂げた大聖人に、目映いばかりのものを覚えたであろうが、同時に大聖人の言説が地頭、東条景信の耳に達し、清澄寺そのものが迫害される事を、ひたすら恐れる
人でもあった。また、年老いていた為でもあろうか、念仏を捨てて大聖人と共に、新しい道を進む気概はさらに無かった。これに対して法兄の浄顕房、義浄房は
 一時は、愕然とした事であったろうが、大聖人の所説に共鳴し尊敬する側に立ったようである。「報恩抄」によれば、清澄寺の衆僧の中で特に、円智房や
 実成房等が大聖人に強く反発している。


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