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口舌の輩の部屋

57 美髯公 :2010/04/23(金) 16:49:13
   ンだば続きでおます v(^0^ 

  『「数々見擯出」(勧持品)』(質問者)

  >勧持品は13で、迹門ですね。
  >迹化の菩薩の様に当たれば、迹化の菩薩ですね。

  『日蓮自身が自らを上行菩薩の再誕であると自覚する』(質問者)

  >わたしがこの点について、消極的なのは、以下の真蹟遺文によります。

  >高橋入道殿御返事②-平左衛門尉見参 蒙古襲来予告 念仏者刎頭
  >http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51696231.html

  >↑上記、ご高覧ください。

  『「擯出」の条件』(質問者)

  >上述しましたが、迹化の法師を説く様が本化上行に当たるという教学的な態度は、承伏しかねます。

  >では、不軽ということになりますが、これは過去世の罪に重点がありますね。
  >日蓮自身、過去謗法の自覚があるのでしょう。

  >ここで、考えなければならないことは、五百塵点の段階で、すでに菩薩となり、その後、地下の空中に住してきた地涌菩薩に過去世の謗法罪があるかどうかです。
  >あるわけもありません。

  >そうした意味で地涌菩薩は、迹化の菩薩とも、釈尊の前世とも違っているわけで、償うべき罪もない菩薩が、
  >どうして、諸難に遭うわけがあるのかという疑問が生じます。

  >『高橋入道殿御返事』にも明らかですが、地涌菩薩は行者を守護する存在であり、かつ、仏敵を調伏する存在です。
  >そもそも、末法に生まれる役割はそこにあります。
  >法華経を読めばわかりますが、地涌菩薩が諸難に遭うと言った予言は一言片句たりもありません。実に神々しい仏に匹敵する高位の菩薩です。
  >つまり、諸難に遭うことは地涌菩薩を証明する文章となり得ないということです。

  『迹化の法師を説く様が本化上行に当たるという教学的な態度は、承伏しかねます。』 釈尊滅後に於ける法華行者の受ける難の方程式でっしゃろ?
  「迹門」に書かれているからだから、「迹化」のみに適用と言う考え方の方が少し不思議な気がいたしますがねェ〜 (^^; 大聖人様も、証明のために爾前権経から
  多々引用されてるのとちがいまっかァ〜 v(^^;

  『五百塵点の段階で、すでに菩薩となり』、「五百塵点」・「五百塵点劫の当初」どちらも似たように「無始無終」っを表す言葉としてつかわれます。
  ここで、皆勘違いと言うかゴッチャにしてしまっているのが、「生命」と「悟る」という事。あくまで、「無始無終」は「生命」であって、「悟る」という事とは
  別物という事。「悟る」という事は、始まりが在ると言う事、この一点を忘れてはならないと思う。

  即ち、「悟る」という行為のものは「有始有終」、「悟った内容」が「無始無終の生命」と言う事だと思いまっせェ〜。
  では、なぜ「五百塵点」・「五百塵点劫の当初」が「無始無終」なのか?ンなもん言ってしまえば人智が及ばない程、長遠だから v(^0^ ♪
  だから、正確には「有始無終」って事。「五百塵点」・「五百塵点劫の当初」に始めて、「悟り」があり、それが以降続いて行くと言った意味でね。

  『地涌菩薩は行者を守護する存在であり、かつ、仏敵を調伏する存在です。』そっかなァ〜、末法に於いての法華弘通の付嘱は受けているが、「守護」の任をうけておりますかねェ〜 (^^;
  結局、字面を追いすぎるからではないのかなァ〜思いますけどなァ


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