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口舌の輩の部屋

16 沖浦克治 :2009/07/03(金) 07:43:39
 命の顕れ方です。

 大聖人様の人としてのお姿は迹ですね。
 少し微妙な問題ですが整理いたしましょう。

 『下種最後直授摩頂の本迹 久遠一念元初の妙法を受け頂く事は最極無上の潅頂なり法は本人は迹なり。』
 (百六箇抄)

 『下種寂照実事体用無上の本迹 生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹仏は本なり云云。』
 (百六箇抄)

 この御文が本物かどうか?
 ひとまずおきます。
 人として生きる姿は、命の永遠性から見ると、迹です。
 命そのものが己心の妙法で本で仏。
 私はこのように思います。
 ですので、私共も、大聖人様も現世は仮の姿で迹。
 命そのものが本です。

 『故聖霊は此の苦をまぬかれ給いすでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり、経に云く「設い大火に入るも火も焼くこと能わず、』
 (上野殿後家尼御返事)

 命そのものは火にも焼けない。
 このように仰せですね。

 方便現涅槃。と言いますが、死ぬ事は方便だと説かれます。
 ですので、生きる事も方便です。
 命が、死んだり生きたりする事自体が命の性質の現われで、本質は更に深いところにある。
 これが仏法です。

 若退若出が命の本性です。

 『生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり』
 (御義口伝巻下)

 ですので、大聖人様も私共もこの世は仮の姿です。
 そして、仏と衆生も仮の姿なんですよ。


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