[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
つまらない、だからなんなの、のようです
1
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:49:51 ID:yC2H1IBw0
そよかぜは秋をのせて窓から訪れた。鈴虫は控えめな奏。
しかし、奥深い虫すだきの鳴らす壮大な韻律だった。
錯雑とした自然の起こす奇跡の一面だ。
閑静な夜、澄んだ天候、乏しい灯りが、
協奏楽団のチューニングのように季節の密度を高めている。
うごめきが初秋の夜を燻らしていた。
ひとつ、香りが舞う。
生活で鈍った鼻を優しく拭う愛撫のような。
荒んだ精神の苛つきをまたたく間に鎮めてしまえるような。
楓はものすごい勢いで起き上がる。
隣で寝ていた知らない男が鬱陶しげに寝返りを打った。
彼女の寝起きとは思えぬほど見開かれたまなじりから涙が伝い落ち、
忙しない手元は煙草とジッポを探してベッドをまさぐる。
ごついジッポだからすぐ見つかるはずだったのに、
しかし、そういえばずいぶん前にやめたんだと気づき、
慌てた感情を宥めるべく、
彼女は窓をあけてベランダの手すりに腕をのせると夜更けの街をみるともなく瞰下す。
それからひとつ深呼吸をする。
夜空の星が輝点を打つように、遠いビルの窓はぼんやりと明るい。
愛想のない光は都会の象徴が鈴虫の演奏のように、
それが静まりかえった街の暗さを際立たせているかのようだ。
ふあああ。
大きなあくびが自然と楓の口からこぼれた。
夜長のように間の抜けた声が空に溶けてゆく。
まったくやんなっちゃう。
腹の底から出たため息が鈴虫の鳴き声のなかに消えていった。
喉はカラカラに乾いていた。
.
2
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:50:39 ID:yC2H1IBw0
( ・∀・)「なんとなくだるいから仕事休んだって?
きみ、いくつよ」
lw´‐ _‐ノv「うっさいばか」
ホットコーヒーの香りがふたつのカップから沸き立ち、
陽を透かして白く漂っている。
楓は個包装のマーガリンの蓋を剥がして裏を舐める。
ティースプーンで中身をごっそり削りクロワッサンにつけ頬張ると、
ミルクの芳醇な甘みと仄かなしょっぱさが口いっぱいに広がった。
木漏れ日のような味わいが尖った神経を和ませる。
意識的に呼吸して苛立ちを鎮めると、
lw´‐ _‐ノv「かぜぎみなんよ、しょうがないじゃない。
だって急に寒くなるんだもん」
口を窄めて――その仕草がギョッとするほど魅力的だ――拗ねた子どものように呟いた。
( ・∀・)「夜、裸でベランダに出てたろ。そのせいじゃないか。
大人なんだからしっかりしなさい」
向かいに座る男は喉を鳴らして熱々のコーヒーを飲み込んだ。
それから大仰にため息をつき、父親みたいに神妙な顔をする。
根が真面目で苦労してそうだった。
楓が本当に体調を崩しているかを気にしているのではなく、
適当な理由で急に仕事を休んだという態度に問題があるのだ
とでも言いたげな口ぶりだ。
.
3
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:51:26 ID:yC2H1IBw0
( ・∀・)「休んでどうするんだい」
そんなのはあたしの勝手じゃない、
なんで名前も知らないあんたにいちいち言わなきゃなんないの?
lw´‐ _‐ノv「帰って寝る。具合悪いのはほんとだから」
( ・∀・)「へえ」
lw´‐ _‐ノv「なに?」
( ・∀・)「病院行け」
lw´‐ _‐ノv「やだ」
( ・∀・)「そうやってこじらせてると
いつまでも良くならないぜ。
早めに受診して、効く薬をもらい、あったかい布団と美味しいご飯でさっさと治すべきだ。
僕はいつもそうしてる。きみも子どもの頃はそうして元気になったはずだ」
男は口角を上げて楓に語っていた。
作り笑いだと一目で分かるほど下手くそな顔だった。
笑窪で頬が窪んでおり、
ただでさえ細面な顔の輪郭がさらに小さくなっている。
楓はこの表情で乳首を吸われたくすぐったさを思い出す。
場馴れした手つきと大雑把な舌使いが心地良かったことを。
その割に、男の背丈にしては控えめなものが生えていたことも。
あたしはこの男と寝たんだ。
だから、こんなに気怠いんだ。
.
4
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:52:04 ID:yC2H1IBw0
lw´‐ _‐ノv「わかった、行くよ」
行くわけがない。
この手の押し付けがましさはなびいている態度でお茶を濁すのが得策だ。
名も知らない男は気まずそうに口元を曲げて笑う。
今度の笑顔は嘘か本当か曖昧で、
笑っているとも寂しがっているとも見える。
諦めている、という言葉がもっともふさわしいような顔だ。
でも、いったいなにを?
それとも彼が諦めているように見えるのはあたしの自己投影だろうか。
だとしたらあたしは、なにをどう諦めているのだろう。
むしろ、諦めきれてないものなんてあっただろうか。
( ・∀・)「きみ、このあと予定ある?」
lw´‐ _‐ノv「病院に行け、でしょ。変なこといわないでよ」
( ・∀・)「そっか。
そうやって毎日を過ごしているんだったか」
lw´‐ _‐ノv「あれ、そんなこと言ったっけ」
( ・∀・)「寝るまえにね」
それだけ言うと、男は唐突に金を置いて去っていった。
座っているときに広く映った肩幅は、
後ろからだとえらく狭苦しそうだった。
綺麗な背広や潔癖症のように神経質な目つきも、
貧相な体格や枯れた精神を糊塗している風にしか見えなくなった。
貧民窟の痩せた老幼さながらに憐愍を誘う姿。
テーブルにほったらかされた金額も一人前だ。
けちくそめ。
.
5
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:52:38 ID:yC2H1IBw0
去りぎわが印象的な人だった。
なんせ突然だ。
やっぱり彼も人恋しいから、あたしなんかと寝たんだろう。
あたしもそうだから一緒だと思い込めるぶん少しだけ気が楽になるけれど、
本当のところは分からない。
自身の感情すら確と分からないのに、
他人の気持ちなんて、どうして分かるのか。
仕事、とえらそうに語れるような仕事ではない。
楓はバイトを休んだのだ。
誰でもできるスーパーのバイトだ。
替えはいくらでも効くから適当な理由で休める。
そんな最低な環境。
働き始めて半年にも満たないのに、もう辞めたい気持ちでいっぱいだった。
筋肉痛で痺れる股関節を気遣いながら会計を済ませると、
楓はびっこをひきながらホテルをあとにする。
突き抜けるような晴天は柔らかな朝日が満ち溢れていた。
白い朝靄が漂っているわりに寒くはないなと思っていると、
それは寝ぼけた瞳の涙を透かした太陽のハレーションだった。
街路樹が銀粉を噴いたように霞んでいる。
点滅する信号も、
かまびすしい雑沓も、
背の低い賃貸の群れも、
恐ろしいほどに澄み渡り、
まるで時間が止まっているかのようだ。
男のことを考えてみる。
彼はあたしと違って容姿も並以上だし、
会話の澱みのなさから明晰な頭脳の持ち合わせもあり、
服装の傾向的に恥ずかしくない社会的身分の人間である。
.
6
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:53:13 ID:yC2H1IBw0
きっといつでも抱ける相方や愛人を備蓄しているし貯金もある。
両親も安泰で、人生に於ける失敗談なんて、
酒の席で肴にできるくらいの程度だろう。
それで淋しがるなんて、ずいぶんと贅沢な人ではないか。
むしろ憐れまれるのはあたしの方ではないか。
自信を持てる要素なんて当たり前のようになにもなく、
ふしだらで適当で自堕落で快楽に奔放で、
なによりも手軽な性格だという自覚はある。
憐れまれる理由しかないのにプライドが享受を邪魔している、
そんな面倒くさいやつ。
誰からも愛されないから誰のことも本気で愛せず、
熱を上げて楽しめる趣味や娯楽やたずきもない。
漠然とした飢えと欠乏感が胸の内を占めており、
癖で欲しくもないお菓子や本やゲームを消費しきれないほど買ってしまう。
アパートの自室に戻れば一度も繙いたことのない小説や漫画や学習参考書、
自己啓発本が所狭しとひしめいている。
だから楓は帰宅することに対してさえ憂鬱だった。
街は生温い空気を孕んでいた。
道ゆく人々が懶い表情のまま、
安っぽい生地と素人あつらえの縫製で作られたつぎはぎの服に身を包んでいる。
化粧もどこか全体的に青白く、アイシャドウも寒色系の人ばかりだ。
それに蜘蛛や傷跡をなぞらえたタトゥーを刺れている若者をよく見る。
ああそうか、そういえば今日はハロウィンだった。
派手な服装はイベントの衣装で、刺青は水で落ちるシールだ。
.
7
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:53:49 ID:yC2H1IBw0
なんて嫌らしい日。
最低な一日に最低な理由がひとつ追加された。
どうしてこんなに生きづらいんだろう。
いったいどんな悪さをしたら、
こんなに微妙な苦しみを被る羽目になるというんだろう。
いや、なにもしてこなかったからこんなふうになっているのかも知れない。
でも、あたしはあたしにできる精一杯を発揮して生きてきたように思う。
同時に、もっと頑張れたんじゃないかという悔いもある。
努力した覚えも怠けた覚えもある。
誰しもがそうであろう。感情の二律排反は同居可能だ。
愛憎混じりあう男女関係が、
傍目にはおしどり夫婦と称されるように。
このどうしようもない自覚が神経を衰弱させている。
どちら側に偏ったとしても、
決して気持ちは楽にはならないのだから。
人々はいろめきだっていた。
みなぎるほどの自負と活力が人の仮装をしているような
不気味な行列がいくつも軒を連ねている。
不健康なメイクが当人の元気があふれていることを逆から強調している。
老若男女入り乱れた馬鹿騒ぎは意識すればするほど顕著に増強されてゆく。
外部を遮断するだけの気力を備えていない楓は、
ただ漫然と乱痴気騒ぎの人並みに揉まれている。
どこにも行きたくない気持ちは宙ぶらりんのまま、
どこともしれない方へと流される。
気持ちが悪い。
汗と香水と唾液の臭いが混じりあって、
汚い空気をさらに汚している。
このままでは本当に風邪をひく。
.
8
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:54:24 ID:yC2H1IBw0
ホテルを出てから駅までの道のりは
モーテルと喫茶店とファストフードのフランチャイズ店ばかりだった。
人を避けて歩道の端に寄ると、
吐き出されたガムや仮装の梱包袋やお菓子の食べ残しやビールの空き缶やらが散らばっていた。
虻のように大きな蝿がわんさかと集っている。
ときおり酔い潰れた人も落ちており、
生きているのか死んでいるのかすら怪しく寝込んでいる。
なんだ、外だって自室と大差ないじゃないか。
どこを見渡しても不必要な物で満ち満ちている。
外と内との違いは所有者があたしじゃないところだけだ。
それらを自由にいじる権能がないってだけ。
世の中には要らないものしかない。
人なんて大嫌いだから、
可能であれば一時だって意識に入れたくない。
常に目を瞑っていたいし耳を塞いで知らん顔をしていたいのに、
五官が遮られた世の中は尚更に生き辛い。
ここで瞼を閉じたところで、邪魔な他人にぶつかって苛立つばかりだ。
どうしてこんなに腹が立って仕方がないのだろう。
不快な他人に接近されれば苛々が募り、
他人を遠ざけようとすると
社会に適合できずに成長した自分を意識して憂鬱になる。
または、力強い他人を近くに感じると矮小で陋劣な自己がいやましに強調されて鬱屈に陥り、
人を遠ざけて内に籠ると、誰からも相手にされない淋しさが忿懣に転ずる。
.
9
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:54:56 ID:yC2H1IBw0
根本的に人間ができていないのだろうか。
うまく世間に適合できるだけの度量や余裕が乏しいのか。
あの男についていって、
今日は遊び呆けて憂いを忘れるべきだったのか。
どうにもならない。
この世のすべてが間違っているようにさえ思う。
世間が狂っているのであればどんなによかっただろう。
あたしは、あたしが人より劣っていることに気づいてしまっている。
自分で自分を定義する恥ずかしさや馬鹿らしさを度外視してさえ、
自分が人より変わっていることを知っている。
スタートラインに立つためには絶対に並々ならぬ努力を要し、
他人が最初からできていることをなすためにさえ
工夫や経験則がなければできない。
人と変わっているという自覚は、
巨大な劣等感の塊を柔らかく換言した表現に過ぎない。
楓はそれらの劣等を理解してさえ、
短所を個性と開き直れるだけの、心のゆとりがない。
堪え性もなく感情が乱高下を繰り返し、
人生につきまとう悩みは解決しえないという絶望を常として暮らしている。
自分が分からないから他人も分からず、
自分を信じられないから他人も信じられず、
なにかを実力で勝ち取ったという自覚がないから常に気が鬱いでいる。
そんなだから本音で語り合える友人や恋人の一人すらおらずにひたすら孤独で、
負担や苦労の理由に対して自問自答をし続け、
解決しないストレスが雪だるま式に嵩んでいるのだ。
.
10
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:55:34 ID:yC2H1IBw0
そうした懊悩が常態として人格の基底を席巻しているので、
解消するために他人の力が必要だと分かっているのにそれができない。
余力がないことも理由のひとつだが、
あまりにも現在の状態が彼女になじんでしまっているが故に、
暗鬱な気分を手放せなくなっているのだ。
いや、むしろそれ自体が彼女の本質に食いこんでいるぶん、
余計にたちが悪い。
それを失くしてしまうということは、
彼女本来の人格を喪失することに他ならないから。
人を殺したい。
とりたてて個人に恨みがあるわけではなく、
全体的な人間が猛烈に嫌いだからだ。
他人はあたしにストレスか劣等感しか与えてくれない。
ピロートークでは不幸自慢のような悩みや泣き言ばかりを聴かされる。
人は皆が自惚れている。
自分が大好きで大好きで仕方がないのだ。
己の能力に向けた信頼が実力への疑いに優っているから
のうのうと会話ができるのだろう。
だからあたしが傷ついていても苦しんでいても
楽しそうに笑っていられるのだろう。
世界は個人主義とニヒリズムだらけだ。
人の頭の中はスノビズムでいっぱいだ。
誰も彼もが他人を蹴落として見下して馬鹿にすることを愉楽に生活している。
だから、どいつもこいつも手当たり次第に八つ裂きにしてやりたいんだ。
このはらわたが煮え繰り返りそうになるほどの怒りをぶつけて苦しませてやりたいんだ。
.
11
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:56:12 ID:yC2H1IBw0
いや、苦しまなくても痛がらなくてもいいから、
とにかく消えてほしい。
跡形もなくどっかいってほしい。
それが無理なら自殺をしたい。
なにも感じずに済む方法があるのならそれでもいい。
でも、それならばこうして漫然と退転している日々は
緩慢な自殺に他ならないのではないか。
時間の無駄遣いは死を早めることとなにが違うのか。
そんな益体のない内容ばかり考えているから具合も悪くなる。
体調も崩れやすくなるし頻々頭痛に襲われるし
目を瞑っていると幻聴が絶え間なく鳴り響くようになる。
そうして、わざわざ悩まなくてもいいような事柄に頭を捻っているうちに時間は過ぎ去り、
毎日無意味な思索で疲弊して眠ってしまう。
眠ったところで実際は肉体的に疲れていないため、
浅くしか眠れず悪夢を見るようになる。
たびたび真夜中に目が覚めて不眠気味になっても、
悪夢でも寝なければ体力は回復しない。
体力が無ければ仕事にならないから寝なければならない。
目が覚めたら覚めたで、どこもかしこも絶望だらけだ。
あらゆるところに人はおり、どこにも逃げることなどできない。
憤怒と憂愁が外見と精神を黒く染め上げて気鬱に昇華し、
醜悪な疑問、稚拙な偏見、遊惰を願う人格と為す。
すべてが作用して悪い方向へと進んでゆく。
誰にも助けを請うことなどできずに自助すら不可能だ。
こうして負のサイクルの中を回り続けて今に至る。
.
12
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:56:45 ID:yC2H1IBw0
底無し沼に脚を取られた虫が羽ばたいているようなもので、
もがけばもがくほど深みにはまり、
動かないことが最も賢明と気づいた頃には既に手遅れになっている。
ここからは絶対に抜け出せないと理解しながら自殺する勇気もなく、
ただじっとしている。
もはや傍目には、生きていても死んでいても同じようにしか見えない。
いや、そもそもそんなどうでもいいことを気にしているのは当人だけなのだ。
駅もやはり人だらけだった。
ここまでのわずか数分が異様に長く感じられた。
楓はすでに青息吐息だ。
もともと無い体力はとっくの前に底をついている。
彼女の今いるここは繁華街からふたつ駅を隔てたホテル街ともいえる街だった。
若者の数は少なくないものの、平素はさほど賑わっていない。
今日がイベントのある日にちのために活気があふれ混雑している。
適当に呑んで適当に出会って適当に寝たという疲れた時に限ってこういうことに巻き込まれた、
という不運への嘆きはあまり抱かず、彼女はどんなときでも、
どんな場所やシチュエーションであろうとも最低な気分で生きていた。
意欲は初めから衰退しているし未来に向けた希望などありはしない。
現状はどん底のまま一向に改善しない、するはずがない。
.
13
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:57:19 ID:yC2H1IBw0
しかし駅につけば街中よりは人を避けられるし、
電車がくれば空いている席に座って心を休められるだろうと予想もしていた。
あるいはそうなってほしいと期待していた。
当然、思いはことごとく裏切られる。
ホームは人が線路に落ちそうなくらいに混雑していた。
汗くさく湿った空気が黴のように腐っている。
腕や足や背中や腹が圧迫されて苦しい。
力を込めて反発しようにも非力な楓では歯が立たない。
壊れてしまいそうなほど辛い。
理不尽に対する怒りや不満で頭が割れそうだ。
身体はもみくちゃにされて軋んだ音をたてている。
水気の多い舌打ちや大声のため息、唐突に巻き起こる怒号、
痰の絡んだ咳払い、荒い呼吸、無為に過ぎ去る時間、
無為に消費される体力、つまさきが先ほどからずっと踏みつけられている。
男のふしくれだった腕に尻を撫でられている。
長い頭髪のなかに豚のような鼻息を感じる。
少しでも楽なほうに進もうと歩きだすと生暖かく柔らかいものを踏みつけた。
足ともには黄色い吐瀉物が散乱していた。
麺と野菜と肉がどろりと溶けて半透明な粘膜に覆われている。
靴下に汚水が滲み、動くたびに不快な酸い臭いと粘っこい感触に襲われる。
尻に添えられている手を肘で押し返そうとみじろぎしてもまったく改善せず、
男の手は今は腿と腿のあいだを上下にまさぐっている。
ハロウィンでは悪霊が彷徨うという。
死霊が煉獄である現世をうろつき家族のもとを訪れる。
仮装は子供が悪魔や幽霊に気づかれないようにするためのカモフラージュで、
お菓子は連中のご機嫌を取るための方策だった。
.
14
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:57:53 ID:yC2H1IBw0
人も幽霊もおもねられれば機嫌が良くなるようだ。
お菓子は腹の中にいっぱいある。
いまにも溢れてきそうだ。
これをあげればすべてが丸く収まるのだろうか。
悲鳴を上げる精神もひび割れそうな肉体も不快な痴漢行為も、
この生まれつき腐っている仇花のような人間性も、
死人からすれば可愛い悪戯程度の些事なのだろうか。
病院に行くべきなのだろうか。
アパートに帰るべきなのだろうか。
それとも実家に帰るべきなのだろうか。
まったくやんなっちゃう。
腹が立ちすぎて頭が痛くなってきた。
喉が乾いて呼吸すらままならない。
両目が小刻みに痙攣し続けている。
人熱のせいで真夏のように暑く、額や腋から汗が流れ出す。
花粉症みたいに鼻水が止まらない。
人に潰されて苦しくて辛くて死んでしまいそうだ。
狂ってしまいそうだ。
狂ってしまえればどんなに楽だろう。
平静で達観した気持ちでいられればどんなに楽だろう。
どうしてあたしの感情は外界に対して逐一反応してしまうのだろう。
もっと無頓着で無神経でありたかった。
怒ったり悲しんだりせずにいたかった。
または賢くなりたかった。
行動の原理を論理的に解釈して結論を導けるくらい怜悧でありたかった。
人より優れているという自負を持って超然としていたかった。
.
15
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:58:24 ID:yC2H1IBw0
あたしがあたしである以上、なりたい性格には絶対になれない。
願望はことごとく叶わず、祈りはどこにも届かず、
夢も希望も潰えてしまっている。
心はひび割れたまま壊れず治らず継続だけしてゆく。
心を壊して病んでしまえるのは身勝手で自分勝手で自信満々な人々だけだ。
自身にも他人にも期待ができる自惚れ屋だけだ。
そういう人は頑張り過ぎれるから破綻をする。
無駄な努力を続けられるくらい自分の能力を過大評価しているから
些少な挫折で患ってしまえる。
あたしには誇れるものなど何も無いし、これからもきっとそうだろう。
人は他人からの援助を実力だと勘違いしてこそ成長できる。
社交辞令の褒め言葉を真実だと思えてこそ前に進める。
深読みして傷つく馬鹿は一生精神的に幼いまま、
外見だけが老けてゆく。
皮肉を言われても察せず、
悪罵を称賛に置き換えて喜べる人だけが進歩する。
なんだかもうほんとうにやんなっちゃうよ。
だって成長できるタイプの性格の人、
あたしはくそみそに大っ嫌いなんだから。
そしてあたしは、
そんな人たちとは真逆の性格をしているあたしのこともくそみそに大っ嫌いなんだから。
好きなもの、良い意味で興味を惹かれるものが全く無い。
嫌いなあたしがそれを好きだという時点で好きではなくなる。
あたしが何かに関係しているという点で、
何かを嫌いになってしまう。
.
16
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:58:58 ID:yC2H1IBw0
あたしは生まれてこのかた、
あたしのことを好きになったことがない。
嫌いでいたことしかない。
自己嫌悪で気分が塞いでいる。
実力による成功体験はいっさいが存在せず、
たとえなにかが上手くいったとしてもそれは他人のおかげであって、
他人の脚を引っ張っているのはあたしで、
つまりあたしが無能である証明にほかならず、
失敗はそれを裏づける証拠だ。
息が詰まる。
過呼吸になる。
大袈裟に口を開閉しないと窒息してしまいそうなくらい苦しい。
体型が大幅に変わったわけでも服がきついわけでも
他人からの圧迫に我慢できなくなったわけでもなく、
不意に酸素が吸えなくなる。
いままで当たり前のように行っていたことが不自然な行為のように思えてしまって、
息の仕方を忘れてしまいそうになる。
まばたきの回数は何回だろう。
身体はどうやって動かすのだろう。
この騒音は幻聴ではないか。
この悪臭は思い込みではないか。
この目に写る景色は幻覚ではないか。
あたしはなにを考えているのだろうか。
無意味なことばかりが頭のなかに浮かんでは消えて、
大切なことはなにも残らず、
どうでもいいことばかりで思考は埋め尽くされる。
これらの無駄な発想も、
やはり結局無益なまま発展せずに終息する。
疑問を深く考えこまず適当に弄んではほったらかし、
また次の疑問に手をつける。
.
17
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 19:59:33 ID:yC2H1IBw0
結論までに至らず、
そもそも着想や論旨が狭い個人的な偏見から生じているため、
また、思考の裏付けに関しても独断を第一の根拠として呈示しているため、
すべてにおいて価値がない。
話題も単純な自分語りに過ぎない。
自分がいかに駄目な人間であるかをひけらかしている、
さみしい独白だからだ。
先に述べたとおり、聴いてくれる友人も恋人もいないから
脳内会話として一人語りの戯言が常に再生と巻き戻しをループしている。
たとえ彼女に本音を打ち解けて語り合える誰かがいたとしても
羞恥心が勝りなにも話せないだろう。
彼女自身が自らの思考過程に全く自信や意味や価値を見出しておらず、
劣悪で醜い考えかたを伝染させる行為に限らず、
いっさいに消極的で無気力だからだ。
思い出せる過去に栄光は死滅しており、
未来に向けた希望は枯燥し尽くされている。
現在はただひとり黙念と荒野に立ち尽くしている。
乾いた砂地のような心はやはりひび割れており、
雨は絶対に降らない。
諦めた先に絶望が大口を拓いて待っており、
前にも後ろにも絶望が詰まっていると分かっていながらも、
とどのつまりどうしようもないのでその隧道を延々と歩んでいる。
頭のなかに不安が鬱蒼と茂っている。
暗く湿った狂気の瀬戸際を行きつ戻りつしている。
なにかをしなくちゃいけないという焦燥、早まる動悸、
脂汗でべたつく背筋、耐えられないほどの腹痛、
眼球にまつ毛が張りついたような違和感、
誹謗中傷の声が警笛のようにわんわん鳴り響く。
.
18
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 20:00:07 ID:yC2H1IBw0
不可視の醜い腕に体を玩弄されて歪んでゆく。
膿が傷口からごぽりと垂れて、肉体が精神の形に腐敗してゆくようだ。
疲労困憊しているのだろうか。
なにが気に食わないのだろう、忌々しい歯軋りが背後で発せられている。
劈くような絶叫は幻聴ではないのか。
目の奥が痒くて痒くてたまらない。
晴天の下、駅のホームでは悪臭が噴き出している。
魚醤を蒸発させたときの小便や汚穢みたいな臭い、
興奮した男の腋や肛門や脚の裏のような臭い、
体を洗っていない者の舌の臭い、
老婆の入れ歯や唾液の臭い、
そして汗の乾いた臭い。
熱い。
停車した電車の窓に反射して、後ろで尻や腿を舐めていた人影が映る。
小汚い年寄りだ。
その背の低い老人は皺と垢で皮膚が黒ずみ、
弛んだ脂肪が雪崩のように流れ落ちている。
皮脂で固まった疎らな髪の毛や腕毛や髭が恥毛のように絡まって、
歯の欠けた口が下卑た笑顔になる。
手に旧式の携帯電話を持っており、画面をこちらに見えるようかざしている。
あたしのスカートの下の汚い下着がアップで撮影されていた。
人が多すぎる。
殺さなければいけないと思ったのに殺せない。
殺さなくては!
あの男の死体を晒して、あの男の家族もすべて殺さなくては!
.
19
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 20:00:43 ID:yC2H1IBw0
楓は老爺に両手で抱き抱えるように胸を鷲掴みに揉まれて突き飛ばされた。
意図せずぶつかってしまった男たちが彼女を睨んでいる。
鬱然とした瞳の群れがどろりと濁り、怒り、理不尽、
殺意、苛立ち、哀れみ、退廃、凋落といった絶望が押し寄せる。
どうして、という疑問が言葉にならず胸の内を満たして虚無に消えてゆく。
楓は人に押されて電車に乗り、
扉の窓にへばりつけられ、
そうして夕べ寝るまえの男との情景をフラッシュバックのように思い出した。
ああ、そっか。やんなっちゃうね。
死にたいね。殺したいね。
でもどうせなにもできないね。だめね。
蒸し風呂みたいに熱いのに、凍えそうなくらい寒いよ。
くさいのはあたしだったんだよ。
汚れてるのも馬鹿なのも苛々の原因もあたしなんだよ。
目がかゆい。頭とお腹が痛い。
ねえ、そんな大きな声で叱らないでよ。
怒鳴らないでよ。おねがいだよ。
許さなくてもいいから無視してよ。
辛いね。苦しいね。寂しいね。風邪かな。
ここはとっても寒いよ。鳥肌と鼻水が止まらないよ。
寒いよ。
気持ち悪くてごめんなさい。
どうしようもなくてごめんなさい。
誰も愛せなくてごめんなさい。
みんなが嫌いでごめんなさい。
あたしで、ごめんなさい。
落魄した不安と化して、彼女は帰宅した。
くしゅん。
.
20
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 20:01:22 ID:yC2H1IBw0
楓はなにかをしたかった。
なにかをしなければいけないという焦りが募り、
しなければいけない家事や洗濯は全くできなかった。
小説が読みたいな。
でも途中で飽きて最後まで読めない。
映画が観たいな。
でも途中で眠くなって内容が分からなくなる。
カラオケ行こうかな。
でも思うように歌えなくて気が沈むだけだしな。
絵でも描こうかな。
でも上手くない絵なんて見たくも描きたくもないしな。
勉強しようかな。
でもどうせ覚えられないし、お金ないから学校に通ったりもできないし無駄だな。
料理作ろうかな。
でも頑張って調べても美味しくならないし、コンビニ弁当とかのほうが美味しいしな。
仕事探そうかな。
でもあたしなんかにできる仕事なんて、結局今のとこと大して変わらないしな。
ゲームでもしようかな。
でも思い通りにできないし勝てないから楽しくないしな。
なにかしたいはずだったのに、なにもしたくない。
なにも考えられない。
お風呂に入りたいのに入りたくない。
お腹が空いているのにご飯を食べたくない。
喉が乾いているのに水も飲みたくない。
.
21
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 20:02:06 ID:yC2H1IBw0
誰かと一緒に寝たいのに誰とも会いたくない。
話したいのに話したくない。
眠い。休みたい。安心したい。不安を捨てたい。
窓は閉まっており秋風など入り込む余地もなく、
遮光カーテンが光を断つ。
黴臭い敷布団と黴臭い毛布と黴臭い枕を用意する。
思考をすべて捨てたかった。どうしようもなかった。
だから、彼女は昨夜のようにさめざめと泣いた。
声を押し殺して、静かに泣き続けた。
楓は眠る。
終
22
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 20:29:38 ID:oZP2Ij8c0
乙
23
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 21:18:37 ID:jJAtyWCU0
乙
マシンガンのようなすごい文章量なのにするする読めて感情が雪崩れ込んできた
すごく好き
24
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 21:27:09 ID:JshDkFac0
文章が綺麗で心を揺さぶられる。好きです
おつ
25
:
名無しさん
:2022/11/06(日) 22:44:36 ID:idJag.rI0
乙
26
:
名無しさん
:2022/11/11(金) 16:20:55 ID:SmncBkjQ0
メンタルにストンピングの上フルボッコにするようなえっぐい文章でハロウィンが嫌いになりそうなぐらいメンタルやられた
素晴らしい乙
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板