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ζ(゚ー゚*ζ猟奇的な女神様のようです

1 : ◆gqSQ3ovgzU :2021/10/20(水) 19:13:59 qz/9.chw0
 
(中略)

彼の作業を見守りながら、私は初めて出会った声をかけた日のことを思い出していた。

不躾な私に対し、怒るでも拒絶を示すでもなく、困惑しながらも怯えていたあの姿。
自分の生きざまを何度も何度も振り返り、その度に自分を否定して、
誰に肯定されても自分自身で不出来の判を捺さざるを得なかった人間のそれ。

私は悲しかった。
今まで声をかけた人達の多くも発露の仕方こそ違えど、根幹にあるモノは同じだった。

ひと昔前ならばいざしらず、今は多様性の時代だ。
無意味に無遠慮に生き方を否定されるなどあってはならない。
人間は受け入れ合うことのできる生き物だ。

ひと段落ついたらしい彼が私を見る。
様々な人と出会い、話を聞き、時には同行させてもらうこともあったが、
彼はその中でもいっとう警戒心が強く、ここを見学させてもらうのにも苦労した。

今も嫌々なのはわかっている。
最期のフィナーレに異物がいるのを疎みつつも、生き証人として私を認めてくれた。
だから私は余計な口を挟まずただ無言で頷きを返す。

赤い火が燃えていく。
彼を送り出すために輝くその炎は命を存分に吸い込んだきらめきなのだ。
一体一体、丹精込めて死蝋を作り上げた過程を私は見てきた。
彼ら彼女らの命が男を飲み込んでいく。


――――『異常とは何ぞや』 2021年10月 著:ダイバーシティ より引用


2 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:14:35 qz/9.chw0
  
その本は出版されてわずか一週間足らずのうちに自主回収が行われ、全国の書店から姿を消した。
一部は既に購入されていたが、無名の著者の本、宣伝も特にされていないそれを手に取る者は少ない。
おかげでその本は今や高額で取引される希少本扱いだ。

せめてニュースなどで大々的に取り上げられさえしなければ、人々がその本に関心を抱くこともなかったのだろう。
しかし、店頭に並んで数日のうちに自主回収などメディアが飛びつかぬはずもなく、
また、そうでもしなければこの異様な本を全国の書店から強制的に取り上げきるのは難しかった。

『異常とは何ぞや』
一夜にして全国民が知るところとなったそれは、
本をよく読む人間でもあまり名前を聞かないような小さな出版社に匿名で送られた原稿を製本化したものらしい。

ノパ⊿゚)「身元不明の人物から送られてきた原稿を何故出版したのですか」

(;'A`)「元々、我が社では自費出版の支援もしており、こうした原稿が送られてくることは珍しくありませんでした。
    匿名ではあるものの、著作権を全て我が社に譲渡する旨、
    是非ともこの本を全国に送り出してほしい、という内容が丁寧に書かれて手紙も付属していました。
    内容を社員でチェックした際も、些か猟奇的な内容ではあるものの、
    文章の質自体は高く、読ませるものであったのも確か、ということで出版に至りました」

どこぞの記者が小さな出版社の社長へあれやこれやと質問を飛ばす。
その一つ一つに彼は汗を拭いながら対応していく。

ある意味ではこの社長も被害者の一人だろう。
出版にあたって彼は本の内容が猟奇的であることが誰の目にもわかるようなデザインを表紙に施し、
帯も直々に筆を執って本編の凄惨さを端的に伝えることができるよう工夫している。

本来であれば変わった本が出版された。それだけで終わるはずだったのだ。
ちょっとした話題にでもなれば儲けもの、と思っての行動が平穏を崩すなど、誰に予想できようか。


3 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:15:11 qz/9.chw0
  
(,,゚Д゚)「内容には本当に関与していないのですか」

(;'A`)「勿論です。警察の方々にもお話しております」

(,,゚Д゚)「原稿が御社に送られてきたことについてはどのようにお考えなのでしょうか」

(;'A`)「大手出版社の場合、出所のわからない原稿を使うことはまずありません。
    うちのような小さな会社であれば、と思われたのでしょう。
    実際、私の認識の甘さによってこのようなことになってしまったことはお詫び申し上げます」

(,,゚Д゚)「数ある出版社の中から御社が選ばれたのは作者が従業員であるからではないか、と言われていますが」

(;'A`)「事実無根の話です」

件の小説は一人称視点で類似の流れがいくつも紡がれる連作形式のものだった。
一人の少女が殺人鬼と出会い、過去から今に至るまでの話を聞き、人が死に逝く様を見守る。

十話分、すなわち、十人の殺人鬼の在り方が全五百頁に渡って描かれているのだが、
起承転結を語れば流れ自体は殆ど同一のものだ。
それでも、読者は飽きることなく次の頁をめくってしまう。。
十人十色、個性豊かな殺人鬼達はそれだけで大きなドラマとなり、似た流れだからこそ個々の色が光り輝く。

ある殺人鬼は子どもを殺すことに執着しており、主人公をも手にかけようとし、
また殺人鬼は遺体を美しく切り分けた後につなぎ合わせることで最高の人間を作り上げようとしていた。


4 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:15:34 qz/9.chw0
 
妄執から漂う異様な悪臭や歪な信念が煌めく様。
卓越したとは言い難い、むしろ稚拙な様子さえ見える文章であったが、
作者は異様なリアリティを持って殺人鬼達の存在を書き連ねた。

まともに発行されていたとしてもすぐに絶版、有害図書いきとなっていたであろう内容の数々は、
社長や校正をおこなった人間にとって不可思議な程の魅力を見せつける。
人間が潜在的に持つ猟奇性が刺激されていたのか、吐き気をもよおすような非日常の世界が心を掴んだのか。
いずれにせよ、彼らはこの作品が世に出ることを是とした。

一部、実際の事件をもとにしているのではないか、と思われる描写もあったが、
確定的とは言い難く、またミステリーやホラー小説ではよく使われる手法でもある。
注意書きを付け加えておけば解決する問題だ。

解決、するはずだった。

『異常とは何ぞや』は一人称視点のフィクション小説だ。
そのことを疑う者などいなかったし、確認をとる必要性も感じられなかった。
当然だろう。現実世界に異世界転生はないし、願いを叶えてくれる七つの玉もない。
投獄された人間が自責の念を込めて書き上げたものであるならばしかるべき場所からしかるべき手段で送られる。

考えるまでもない話だ。
だからこそ。

ミ,,゚Д゚彡「こちらの書籍について尋ねたいことがあるのですが」

出版から数日。
幾人もの警察官が出版社に踏み込んでくるまで、社長は何も知らなかったのだ。


5 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:16:13 qz/9.chw0
 
(;'A`)「とにかく! 我々は確かにあの本を出版しました。
    ですが、内容や作者との関わりは一切ありません!」

フラッシュが焚かれる中、社長が擦り切れきったテープが最期の悲鳴を上げているかのような声で記者達へ告げる。
事実、何十回と繰り返されてきた言葉だ。

『異常とは何ぞや』がノンフィクション小説である疑いが判明したあの日から。
社長、および従業員一同は気が休まる暇もない。

(;'A`)「知っていることは全て警察に話しました!
   それ以上のことは、本当に、何も知らないんです!」

ノパ⊿゚)「知らないで済まされないこともありますよ」

(;'A`)「……被害者遺族様、また、関係者様方には大変なご迷惑、
    そして、事件を蒸し返すようなことをしてしまい、申し訳ないと思っております」

小説に書かれた十人の殺人鬼による数多の事件。
事件がニュースなどで報道されており、人々の知るところとなっていたものが二件。
犯人は逮捕されたものの、あまりの凄惨さに緘口令がしかれたものが四件。
未解決、かつ報道もされていないものが四件。

警察が公表した情報から秘匿している情報、さらには犯人しか知りえないようなものまで。
言い逃れができないほど明確に記されていた。


6 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:16:53 qz/9.chw0
  
偶然、とある未公開事件に関わっていた刑事が書店で『異常とは何ぞや』を手に取ったことで、
それがよくある猟奇的なフィクション小説ではなく、
何らかの形で事件に関わった人間が筆を執ったノンフィクション小説である疑いが浮上する。

すぐさま上層部に報告がいき、件の小説は即時回収が命じられた。

秘密裏に動くには全国という範囲は広すぎる。
隠しだてすることもできず行われた回収作業はマスコミの関心を引き、そのまま民衆の注目の的となった。

発覚当初は偶然の可能性や、内部情報の流出も疑われたのだが、
作中に書かれている殺人事件を手掛かりに未解決事件の再調査を行ったところ見事犯人を逮捕することに成功してしまった。
これにより、作者が事件の共犯者に近しい立ち位置にいることが確定。

人々の熱は上がっていく。
陰謀論、黒幕論、作者探しをする若者、今に至るまで事件を隠していた警察を叩くマスコミ。

事の当事者こと作者が見つからないのであれば、と人々は手短な出版社に目と手を向けた。
連日の報道、週刊誌への掲載。騒げど喚けどバッシングは止まらず、どれだけの物を提供しても作者は見つからない。

丁寧に並べられた肉の塊。
なめされた皮。
儀式のように並ぶ人。
セックスをしながらナイフを三十か所刺される被害者。
腐敗の写真集。

これらをノンフィクションで書けるような人間が今もどこかに潜んでいる。

(;'A`)「皆様、お願いいたします。もし、あの本を購入された方がおられましたら、
    代金は返金いたしますので、どうかお返しください。
    被害者、そして遺族の皆様の尊厳のためにも。何卒、何卒よろしくお願いします」

今もこみあげてくる吐き気を押し殺し、社長は再度頭を下げた。


7 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:17:36 qz/9.chw0
  
(゚、゚トソン「…………」

髪をひとまとめにした女性は黙したままテレビの電源を落とす。

どのニュース番組を見てもこの話題一色で変わり映えがない。
使われる映像こそ多少の差異はあるものの、内容自体には変化がなく、
対応する社長が日に日にやつれていく様を眺めるだけのものだ。

彼女が知りたいのは被害者の一人であり、迂闊な愚か者であった社長の様子などではなく、
作者探しの進捗や、本の内容に対する意見のまとめ、警察が鋭意調査中である未解決事件についての情報だった。

しかし、残念なことにテレビの視聴者層はそういったことに興味関心がないのか報道で取り上げられることはあまりなく、
インターネット上では頭のおかしい輩のノイズとデマ、対立と煽りの応酬が繰り広げられるばかりで、
まともな情報を掬い上げるのは困難極まる。

女性はそのまま何も映さないテレビ画面をぼんやりつ見つめ続けた。
世の無常を嘆いているのか、心を病んでいるのか。
光のない瞳は無機質に周囲の光景を網膜へ送り続けている。

隙間なく閉じられたカーテンと明かりを灯せと命じられない照明器具は部屋全体を薄暗いままにし、
黒一色に染まった画面は周囲の様子を反射することさえできない。

(゚、゚トソン「もう、時間ですね」

数十分ほど座り込んだまま微動だにしなかった彼女は時計を一瞥して立ち上がる。
ついでに使われなくなって久しいメイク道具やノート、いつ食べたか忘れた空のコンビニ弁当が散らばっているテーブルから
一冊の本を持ち上げ乱暴にショルダーバックへ突っ込んだ。

足元に散らばる衣類とゴミ袋の隙間を通り抜け、
散らばっている何種類もの靴の中からスニーカーを選んで履く。

(゚、゚トソン「誰もあてになんてできない。
     そうだよね。お兄ちゃん」


8 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:18:26 qz/9.chw0
  
光ばかりがきつく、温かさのかけらもない太陽を無視して歩き続け、一駅向こうの喫茶店へと向かう。
電車やバスを使えばあっという間の距離だが、彼女は節約しなければならない身の上であったし、
何十もの防護壁を作り上げて機能を停止させていた脳を動かすためにも歩きたい気分だった。

実家から出てきて数十年。
この辺りの地理はよく把握している。

目的地である喫茶店は大通りから少し外れた場所に在り、
地元の人間でも知らぬ人間がいる程度には隠れたスポットだ。
おかげでいつも人が少なく、落ち着いて話をするには丁度良い。

ζ(゚ー゚*ζ

喫茶店の軽やかなベルの音を聞き、店内を見渡せば窓際のテーブル席に女が一人座っている。
金色の髪は太陽の光を受けてふわふわと輝いており、
深い青色をした二つの瞳は職人の手によってカットされた宝石のように輝いていた。
小さな微笑みを浮かべる可愛らしい唇は優しいピンク色をしている。

どこからどう見ても絶世の美少女だ。

(゚、゚トソン「……デレさんですか?」

彼女の傍らに立ち、不愛想に問いかける。
すると、窓際の美少女は朝露を受けて花開くように幻想的で麗しい笑みを顔いっぱいに浮かべた。

ζ(^ワ^*ζ「はい! 本日はお誘いいただきありがとうございます。
        ここ、とっても素敵なお店ですね。
        先にケーキいただいちゃったんですけど、甘さ控えめで美味しかったです」


9 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:18:54 qz/9.chw0
  
鈴がころころと鳴るような声。
どうしてこんな子が、と彼女を見下ろしながら女は嘆息し、そのまま向かいの席に腰を下ろす。

ζ(゚ー゚*ζ「きっと長いお話になりますし、何か頼まれたらどうですか?」

(゚、゚トソン「……マスター、アイスコーヒー一つ」

ζ(゚ワ゚*ζ「私はオレンジジュースお願いしまーす」

注文した飲み物が届くまでの間、彼女達の間で交わされた会話といえば、簡素極まる自己紹介だけ。

(゚、゚トソン「一応、改めまして……。
     私は戸村トソンです」

ζ(゚ー゚*ζ「津出デレです」

これ以上の何かが生まれることはなく、無言で互いを見つめ合うばかり。
窓の外に見える小まめに手入れが成されているのであろう花壇や道を行く猫のことなど気にも留めていない。

気の利くマスターが静かに彼女らの飲み物をテーブルに置き、
そのままカウンターの奥、店内は見えるが彼女らの声は極力聞こえない位置まで下がっていく。
迷惑そうな雰囲気は感じられない。

客商売をする者の心得、というよりは、こんなところで喫茶店を経営している男らしく、
ほんのわずかな好奇心を満たす非日常の演出を楽しんでいるように思える。


10 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:20:04 qz/9.chw0
  
(゚、゚トソン「まさか本当に来てくれるとは思いませんでした」

ζ(゚ー゚*ζ「わざわざ私の家に直接来てポストにお手紙くれたのに?」

ふふ、とデレは笑い、小さなポシェットから白一色の封筒を取り出す。
テーブルの上に乗せられ、滑るようにトソンの方へと差し出される。

ζ(゚ー゚*ζ「私の名前、通ってる大学、実家の住所、私のペンネーム。
       それとこのお店の住所と今日の日付と時間」

新鮮なオレンジジュースを吸い上げ、軽やかに笑う。

ζ(^ー^*ζ「来ないなんて選択肢ありませんでしたよ」

(゚、゚トソン「そうですか。それは良かったです」

ζ(゚ワ゚*ζ「あ、勘違いしないでくださいね。脅しと思ったわけじゃないんです。
       たくさん私のこと調べてくれて、そのうえで場所まで指定してくれたんだから、
       これはお話するっきゃない! ってなったんです」

(゚、゚トソン「どちらでも構いません。
     こうしてあなたと会えたなら」

笑みを絶やさないデレとは対照的に、トソンの表情はピクリとも動かない。
まるで人形のように淡々と受け答えする彼女へデレは冷たーい、と唇を尖らせた。


11 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:20:28 qz/9.chw0
  
計算ではなく自然な動作としてそれらを行え、
嫌味やぶりっ子のように見えないのは一つの才能だろう。

彼女を無視し、トソンはカバンから一冊の本を取り出して手紙の上に置く。

全体的な色は黒。
血のような赤がまき散らされたようなデザインをしており、
一瞥しただけでほのぼのスローライフとは真逆を行く内容であることがわかる。

禍々しい表紙には、万が一にも見逃すことのない大きなフォントでタイトルが印字されていた。


『異常とは何ぞや』


ニュースを見れば回収が叫ばれ、インターネットを覗けば高額転売が跋扈している問題の小説。
トソンが家を出る前にバッグへ放り込んできた本だ。

彼女は目の前にいる可憐な少女を見据える。
暗い瞳にはかすかな光が浮かんでいた。

(゚、゚トソン「来てくださったということは、
     この本についてのお話をしていただける、ということですよね。
     ダイバーシティさん」


12 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:21:35 qz/9.chw0
  
ζ(゚ー゚*ζ「うん。トソンさんが聞きたいこと、何でも聞いてくれていいですよ」

突き付けられてなお彼女は可憐な花のように笑う。

ζ(^ワ^*ζ「一等賞特典!
        何を話したらいいかわからないけど、
        聞かれたことなら何でも答えます」

警察が血眼になって探しているあの本の作者が、まさかこんな愛くるしい女子大生だと誰が思うだろう。
きっと彼女の友人知人、家族も予想だにしていないはずだ。

ζ(゚ー゚*ζ「言いたいこと、聞きたいこと、たくさんあるんですよね?」

小首を傾げるその仕草に、今までどれだけの男が心を奪われてきたのか。
否、これほどの美しさ、愛らしさであれば女の心を掴むのも容易い。
異性愛者を同性愛者に変えてしまう可能性だって見えてくる。

(゚、゚トソン「これはノンフィクションですね?」

ζ(゚ー゚*ζ「勿論。ちゃんとその場でたくさんメモを取ったし、録音データだって残ってますよ。
       個人的に、カメラ越しの映像はその場の臨場感を忘れさせる、って思ってるから、
       映像データはないんですけどね」

デレは愛おしそうに本の背を指で撫でていく。
彼女の脳裏に浮かんでいるのは、書き上げるにあたって立ち向かわねばならなかった苦労の数々だろう。


13 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:21:59 qz/9.chw0
  
取材だけではない。
頭にあるものを実際の形に落とし込む、というのは相当の労力を必要とする。
本、という確かな形を持ってこの世に生まれてきた自分の作品は我が子のようなものだ。

トソンも学生時代、論文や趣味の小説を書いたことがあるのでその気持ち自体はわからないでもない。
だが、二人は決定的に違っている。

(゚、゚トソン「何も思わなかったのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「え?」

(゚、゚トソン「あなたは、実際にこれらの現場を見て、何も思わなかったんですか」

表紙を指で叩き、語気を強めて問う。

ζ(゚△゚*ζ「……ちゃんとこれ、読んでくれました?」

(゚、゚トソン「読んだからこそ聞いています」

ζ(゚ー゚*ζ「ならわかりますよね?
       私があの場で何を感じていたのか」

『異常とは何ぞや』は一人称視点で描かれている。
であれば、語り部の言葉とデレの言葉はイコールで結ばれるべきものだ。

(゚、゚トソン「生きたまま血抜きを行われている人を前に、
     あなたは手際が良い、職人技だ、としか思わなかったのですか」


14 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:22:42 qz/9.chw0
  
ζ(゚ー゚*ζ「ショッキングだとは思いましたよ?
       実際、そういう言葉も入れた、と思う」

(゚、゚トソン「止めよう、とは、思わなかったのですか」

人が目の前で殺されている。
それも残酷な方法で。

一般的な感覚でいえば、犯行の阻止を考えるか、警察を呼ぶか。
恐ろしい光景を前に逃げ出す、というのも正常な反応だろう。

けれど、作中の主人公はそうしない。
大変そうだ、凄い、血が臭い、呻き声が徐々に消えていく。
そうした描写をこと細かにしながらもその場でただ黙って見守るばかり。

(゚、゚トソン「まして、こんな、文字にして世に送り出そうだなんて」

ζ(゚ー゚*ζ「だって、そうしないと理解してもらえない」

表紙に爪を立てたトソンの手に、デレがそっと手を重ね合わせる。
血で汚れてなどいない、真っ白な手だ。
手入れもきちんとされているのだろう。
さかむけや噛み癖の跡が残るトソンの手とは全く違っている。

ζ(゚ー゚*ζ「何も考えずにあの原稿を出版社に送ったわけじゃないの」

外の光をめいっぱい吸い込んでキラキラ輝く瞳がトソンを見つめ、飲み込む。
殺人鬼達はこの瞳を見て過去を、想いを吐き出したのだ。


15 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:23:11 qz/9.chw0
  
ζ(゚ワ゚*ζ「読んでくれたならわかりますよね?
       あの人達だって、何も考えずあんなことをしたんじゃない

デレが書いた殺人鬼達は衝動的に人を殺したわけでも、
自分の快楽のみを追求して無差別に殺戮をして回ったわけでもない。

主人公はいつだって彼らに問いかけるのだ。

「あなたは何故、人を殺したの?」

初めは言い訳をする。
事故だった。そんなつもりはなかった。人を殺してなどいない。
言葉を重ね、真実を埋めようとして、最後は全てを吐露する。

罪を背負った殺人鬼を責めることなく真っ直ぐな瞳と好奇心で尋ね、待つ主人公に彼らが折れてしまうのだ。
静かに深く語られる内容は人それぞれに違っている。

平凡に生きている間の自分は死んでいるとしか思えない苦悩であったり、
自分の死と向き合った結果、最良の死に方を見つけたのに世間的には非難されるジレンマ。
時間に殺される幼子を見るのがどうしても耐えられない者もいれば、
年老いた者を害だと信じ大勢の人々を救うために決起したという者もいる。

作中ではこうした思いが切々と書かれており、
ともすれば彼らに同情してしまいそうになるほどだった。

しかし、それは一時の迷いでしかない。
人を殺すという悪を前に、彼らの言葉は妄言にしか聞こえない。


16 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:24:38 qz/9.chw0
  
(゚、゚トソン「理由があったとしても人を殺すことは認められていません。
     第一、彼らの発言は理由にすらなっていない」

ζ(゚ー゚*ζ「理由は理由ですよ。どんな形であったとしても」

デレはトソンから手を放し、そっと本を取り上げる。
我が子を抱くように優しく胸に寄せ、甘い息を漏らす。

ζ(- -*ζ「そのことを私は知ってほしかった。
       彼らのことをみんなが何も知らないまま逮捕されてしまえば、もう何も残らなくなってしまうから」

(゚、゚トソン「あれだけのことを仕出かしてるんです。
     胸糞悪くも残るでしょう。事件の記録が、心の傷が」

ζ(゚ー゚*ζ「違う違う。そんなのは、結局何も無いのと同じですよ」

抱いていた本をパラパラとめくり、とある頁を開いてトソンに差し出す。

ζ(゚ー゚*ζ「この事件、覚えてますか?
       三年くらい前に犯人の人が逮捕されたんですけど」

『悪意とは何ぞや』は殺人鬼が十人も登場するのだ。
それも、一人につき一つの事件を見守っているのではなく、複数の事件に関与していることも多い。
一人に対して数ヶ月以上の時間をかけていることが作中で明記されている以上、
十話分の作品を作るために要した取材の時間が年単位であることは至極当然のことだろう。

ともすれば、デレが中高校生の時分から危険を伴う取材を続けている、ということにもなるのだが、
よくもまあ今の今まで誰にもバレずにこれたことだ、とトソンは思わずにいられない。


17 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:25:02 qz/9.chw0
  
(゚、゚トソン「えぇ、ニュースでもよく取り上げられていましたしね」

ζ(゚ー゚*ζ「この事件のこと、今でも思い出したりします?
       特に何もない日常の中で」

彼女の細い指が示すのは凄惨な事件を見守る主人公のシーンだ。



先端に向けて細く長く伸びる美しい手は日々のお手入れの賜物らしい。
私も、彼女と話す機会があったならどんなことをしているのか是非聞いてみたかった。
またんきさんは手そのものにしか興味がないらしく、手入れについては覚えていない、って言っていたけど、
綺麗なものを残すためにもそこはちゃんと知っておいたほうが良かったんじゃないだろうか。

猿轡越しに悲鳴が聞こえてくる。
美しいまま部位を取り出すには生きている必要がある。
麻酔なんかが使えればそれが一番よかったんだろうけど、
あの人はお医者さんではないのでそう簡単に薬を手に入れることはできない。

何度も何度もああして人を切り離しているからか、
手つきだけみるとお医者さんも顔負けなんじゃないだろうか、って思うんだけど、
本当の手術を見たことがない私には比較しようのないことだった。



最高の芸術作品を作り上げようとした殺人鬼がそこには書かれていた。


18 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:25:36 qz/9.chw0
  
男はミロのヴィーナスが嫌いであった。
欠けたものが美しいなど納得がいかない。
しかし、教科書も評論家もあれを褒め称える。

口さがなく批判するのは簡単だ。
けれども彼はそれを良しとせず、真に美しいものを人々の前に出してやろうと考えた。

世間や警察の目線では関わりのない個々の行方不明事件となっていたそれであったが、
犯人である男にとってはれっきとした繋がりのある連続殺人事件。

最高の芸術とやらが完成する前に彼が逮捕されてしまった際、
マスコミはこぞって警察の無能っぷりと男の異常性、家族の悲しみを報道し、
次の被害者が出なかったことを幸いと締めくくっていた。

ζ(゚ー゚*ζ「みんな、もう忘れてしまってる。
       捕まってしまえばそれで終わり。
       記録には残っても、歴史や人の心に残ることはない」

(゚、゚トソン「私にその気はありませんが、世の中には凶悪犯罪や猟奇的な事件を好み、
     定期的に話題にあげる人物もいます。
     これだけのことをしでかした人間が完全に忘れられるなんてこと、ありえない」

ζ(゚ー゚*ζ「そうですね。でも、それじゃ少なすぎるし、
       その人が語り継いでくれたとしても、それはもうエンタメとして消費されるだけ。
       そんなのはダメ」

首を振れば金色に反射した太陽の光がパラパラと周囲に拡散する。


19 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:26:01 qz/9.chw0
  
ζ(゚ー゚*ζ「逮捕されてしばらくの間は世間が騒いで、
       彼の両親は非難の渦中に放り投げられる」

確かにそうだった。
トソンの脳は片隅で当時のニュースを再生する。

一人っ子として大切に育てられてきた息子の凶行に何故気づくことができなかったのか。
そもそも家庭環境に問題があったのではないか。
被害者の子達への謝罪をどう行っていくつもりなのだ。

作者探しなど比ではないほどの熱は連日連夜続き、いつの間にか全てを燃やし尽くしていた。

ζ(゚ー゚*ζ「数ヶ月もすればよほどの暇人と被害者遺族だけが恨みつらみを持ち続け、
       一年も経てば加害者家族も一家心中を計る。
       犯人のことを覚えているのは被害者遺族だけ」

遺族ら以外の人間など、どれほどの義憤にかられたとしても所詮は他人事。
何年も同じ事件に対し同じだけの熱量を持ち続けることはできやしないのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「ねえ、トソンさんはこの人の家族が今、どうしてるか知ってますか?」

(゚、゚トソン「それは……」

知らない。
デレが示す男の家族のことなど、ニュースでちらりと見ただけに過ぎず、
今となっては容姿すら定かではない。


20 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:27:15 qz/9.chw0
  
ζ(^ー^*ζ「いいのいいの。そういうものですもん」

ちなみに、と彼女は携帯電話を取り出して一分ほど操作を行い、画面をトソンへと向ける。
よくある無料ブログサイトのようで、爽やかな青を基調とした画面構成の中には家庭菜園の出来を喜ぶ記事が掲載されていた。

ζ(゚ー゚*ζ「これがご家族の今」

匿名のブログであるが、ブログ開設の時期や写真の映り込み、
余暇の使い方等々から特定に至ったのだ、とデレは自慢げに語る。

ζ(゚ワ゚*ζ「あの人と知り合った頃からご家族さんのブログとかFacebookとか見てたから、
       探し出すのは結構簡単だったんです。
       まさか加害者家族がのんきにこんなブログしてるなんて誰も思わないですしね!」

早めに仕事を辞めて田舎で家庭菜園を楽しむ老年一歩手前の夫婦は、
息子の行いを感じさせぬほどに楽しげで、幸せそうに見えた。
デレのように、前々から彼らのことを知り、調査していなければこのブログと加害者家族を結びつけることはできないだろう。

ζ(゚ー゚*ζ「これは家族も忘れちゃったパターン。
       正確にはなかったことにされた、かな」

何度か画面をスクロールし、彼らの生活が如何に充実しているのかを見せた後、
彼女は携帯電話を下げて眉を八の字にする。

ζ(゚ー゚*ζ「大勢いた被害者遺族も一部の人は過去を忘れようと努力してる。
       これからを生きるにあたって、それは必要なことだし、一つの強さの在り方だと私は思いますよ」

でもね、と彼女は言うのだ。
その可愛らしい唇で。


21 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:27:59 qz/9.chw0
  
ζ(゚ー゚*ζ「それじゃダメなんです。
       忘れちゃったら、無かったことにされちゃったら、何も変わらない」

(゚、゚トソン「何を変えようというのですか。
     残酷な事件に対する意識ですか?
     忘れぬことで事件を防ぐことができるならそれもいいでしょうけど、
     こういった場合、いくら被害者が防犯意識を持ったとしても然程意味を為さないでしょうに」

ζ(^ー^*ζ「そっちじゃないですよ〜」

デレは開いていた頁を戻していき、目次を開く。
犯人、およびそう思われる人物達の名前が十人分。
今のところ、これらは紛うことなく本名であるらしい、とマスコミが言っていた。
同姓同名の人間からすれば迷惑極まりないことだろう。
                          サガ
ζ(゚ー゚*ζ「みんなの在り方を、考え方を、性を、世間全体が考えるようになってほしいんです」

指でとん、と一人一人の名前を差しては優しく読み上げていく。

人類の歴史の中に発生した殺人鬼の一人として見るのではなく、
個人として彼らを知り、考えや感性、生き方を知ることが必要なのだ、と諭すように。

例えばそこ書かれた人間の犯行動機が復讐や正当防衛の類であったならば、
誰もが同情や憐憫の心を持ち、同じような不幸が起こらぬよう願うだろう。
彼らの心を知る意味も理解できるし、その必要性にも納得がいく。

(゚、゚トソン「……彼らはどうしようもない悪人でしょう」


22 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:28:48 qz/9.chw0
  
美のために人を殺すなどあってはならない。
命を感じるために人を刺してはならない。

法律に定められているから、という理屈だけではなく、
人が人として社会性を持って生きていくうえで必要な倫理観というものがある。
『異常とは何ぞや』に登場する者達は皆、その感性を持ち合わせていない。

理解など、納得など、誰も殺さずに生きる真っ当な人々に求める方がおかしいのだ。

なのに、彼女はきょとんと目を丸くする。

ζ(゚、゚*ζ「今は多様性の時代ですよ?」

自らの行いを正当化するためではなく、
屁理屈をこねて相手を屈服させようとしているわけでもない。

陰りのない透き通った純粋な気持ちで彼女は話している。

ζ(゚ー゚*ζ「お野菜だけを食べる人がいて、お肉を食べる人を非難する。
       人の美醜を何らかの判断基準にするのはいけないことだ、って言う人がいて、
       美人の広告を引きはがして燃やしてしまう」

人と繋がり合うのが簡単になったこの時代。
かつては細々としたコミュニティの中で生きるだけだった人達が一致団結して声を上げることが可能となった。
母数が増えれば過激な人間の人数も必然的に増加するため、
近年はデレが言ったような過激な思想にとり憑かれ行動する人間も確かに悪目立ちしながら存在している。


23 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:29:26 qz/9.chw0
  
しかし、彼ら彼女らを肯定する人間はそう多くない。
声の大きさや、同派閥で徒党を組むために大多数のような錯覚を受けることがあるが、
実際は批判の声や止めようとする者達も大勢存在している。

(゚、゚トソン「悪人が許される社会になったわけじゃありませんよ。
     その人達だって然るべき罰を受けることがあるのを知らないのですか」

ζ(-、-*ζ「……そうですね」

目を伏せ、悲しげに肩を落とす姿は大多数の庇護欲を掻き立てるだろう。
世の中を知らぬ少女が一人の大人として足を踏み出すために必要な通過点だったとしても、
辛い思いを少しでも避けて通れるのであれば、そうして欲しいと願う母の気持ちでもある。
           サガ
ζ(゚ー゚*ζ「新たな性を否定する人達がいるのはわかってます」

(゚、゚トソン「否定?」

ζ(゚ー゚*ζ「全部あるから多様性でしょう。
       お野菜だけを食べる人。否定する人。
       お肉だけを食べる人。否定する人」

対話だけで分かり合える程、人間は単純な作りをしていない。
現代にまで続く戦争とその傷跡が痛いほどに教えてくれることだ。

絵画の中の天使が笑う。

ζ(^ワ^*ζ「みんな平等に認めて、みんな好きにしなきゃ!」


24 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:30:04 qz/9.chw0
  
その輝きにトソンは思わず目を細める。
               サガ
ζ(^ワ^*ζ「この人達の性もそう!
       今は認められていない。
       今はマイノリティーだけど。
       多様を認める社会を目指すなら、これだって認められるべきマイノリティー!」

両手を広げ、トソンの全てを受け入れたいのだ、とでも言いたげに彼女は言葉を続ける。

ζ(゚ー゚*ζ「人を害するのはダメ?
       うんうん。それは今のマジョリティーだよね」

トソンが何も言わずとも彼女は対話をしているかのように一人で頷き、次を紡ぐ。
何が聞こえ、何を見ているのか。
少なくとも、今のデレの中にトソンはいない。

ζ(゚ワ゚*ζ「私はマジョリティーを否定したいわけじゃないの」

ここが喫茶店ではなく舞台上であったなら、
彼女はその細い足を軸にくるくると回り、人の目と心を虜にするダンスを踊っていたことだろう。
現実味のない恍惚とした色がデレの周囲を漂い、しかしてこれは現実なのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「誰かを傷つけるなんて、まして殺してしまうなんて、とんでもない。
       悲しいし、苦しいし、酷いことだって思う」


25 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:30:54 qz/9.chw0
   
広げていた手で彼女は本を掬い上げる。

ζ(゚ー゚*ζ「でも、だからといって、マイノリティーの彼らを否定することもできない」

( 、 トソン「あれがマイノリティー? 少数派?
     違う。そんなのおかしい」

デレの瞳に映る世界はどのような色をしているのだろうか。
気が狂っているとしか思えない殺人鬼を少数派でひとくくりにしてしまうなど、
トソンの凡庸で塗り固められた頭では到底理解しえぬことだ。

唇を噛むトソンにデレはやはり微笑みかける。

ζ(゚ー゚*ζ「だからこそ、私は一石を投じたんです。
       彼らというマイノリティーを世間に知らしめ、その結果を知るために」

(゚、゚トソン「結果……」

ζ(゚ー゚*ζ「この本をきっかけにして、他のマイノリティーな人達と同じような運動が起きるのか。
       それともひっそりと消えていくのか、弾圧されるのか」

主義主張を掲げて戦う人達を思い浮かべるのは簡単だ。
今日もどこかで主義主張がぶつかり合い、過激派や否定派が争っていることだろう。

本を乗せていた手が左右に大きく開く。
支えを無くしたそれは、重力に従い、テーブルへ落ちる。

ζ( ー *ζ「それとも彼らはただの異常者なのか」


26 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:31:39 qz/9.chw0
  
ζ(゚ー゚*ζ「答えを出すのは私じゃない。
       勿論、あなたでもない」

(゚、゚トソン「では……」

ζ(^ー^*ζ「世間ですよ」

社会は集団でできている。
認めるか、排斥するか、無かったことにしてしまうのか。

ζ(゚ー゚*ζ「私達個人が決めれることなんて、実はそう多くない。
       好きになる人も、性癖も、生き方も、悪だって指を差されたら終わっちゃう」

デレは明るい窓の外へ視線をやる。
人っ子一人見当たらないが、少し進めば大通りがあり、家の中でのんびり過ごしている人もいるだろう。

ζ(゚ー゚*ζ「多様性が認められる。多様性を認めよう。ってみんな言う。
       その中でも否定されてしまうモノがあるのは何故?」

(゚、゚トソン「私達は法に守られて生きています。
     法に反する人は否定されるべきでしょう」

既存の倫理観に基づき、唸るように反論を述べる彼女は自身の言葉に説得力がないことを理解している。
一般的な感覚での理屈は彼女に通らない。

ζ(゚ー゚*ζ「法律なんて時代で変わるものじゃないですか。
       今も新しい価値観に合わせて変えようとする動きが活発化してきてる」


27 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:32:22 qz/9.chw0
  
(゚、゚トソン「でもそれは皆を幸せにするためのもので」

ζ(゚ー゚*ζ「ならない人がいるから反対派がいるんですよね」

(゚、゚;トソン「誰かを殺すような法は肯定されない」

ζ(゚ー゚*ζ「条件付きだけど許される国だってありますよ」

ねえ、トソンさん。と、デレは瞳を揺らす彼女を正面から見つめる。

ζ(^ー^*ζ「私はあなたを否定したいわけじゃないんです。ただ、知りたいだけ。
       何かきっかけがあれば押し殺している人達が立ち上がるのか。
       そんな人は初めからいなかったのか」

デレの指がトソンの手に触れ、そのまま優しく腕をたどっていく。

ζ(゚ー゚*ζ「一生、永遠に、認められる日なんてこない、ただの異常だったのか」

かさついた頬を撫で、柔く包み込む。
互いの体温が肌越しに行き来し、心地良い温もりを作り出す。

ζ(゚ー゚*ζ「犠牲になった人達は、可哀想だったけど。
       何もしないまま、動かないまま、結論を出すことはできない」


28 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:32:45 qz/9.chw0
  
もしもの未来で、全てが認められたなら。
害したい人が害せるよう。
害を受けたい人が受けられるよう。
拒絶したい人が拒絶できるよう。

寛大な許容に全てが包まれたなら。

無秩序を是とするのではない。
多様性を認め合い、個々の生き方を尊重する。

ζ(^ー^*ζ「多様性こそ進んだ文明というのなら、
       私は彼らのことも受け入れてあげるべきだと思った。
       その選択肢を提示したかった」

罪を描くだけでは足りない。
彼らにも思想があるのだと。

それが無ければ生きていることが辛くて仕方が無くて、
人として生きるためにせねばならないことだったのだ、と知ってもらうためにデレは動いた。
皮を剥がれる人間も、丁寧に加工される人間も、鼓膜を破らんばかりの悲鳴を上げた人間も、
吐き気を飲み込むようにして宝石の目に映してきた。

デレは体を前のめりにし、トソンの耳元へ唇をやる。

ζ(゚ー゚*ζ「トソンさんも、いいんですよ」


29 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:34:00 qz/9.chw0
  
(゚、゚トソン「――え」

ζ(^ー^*ζ「知ってますよ。あなたのこと」

腰を席に落ち着け、半分ほど減ったオレンジジュースに口をつける。
一瞬で喉が枯れたトソンもそれに倣ってアイスコーヒーを流し込む。
臓腑が冷たさに悲鳴を上げた気がしたが、構わずに三分の二程一気に飲み干した。

ζ(゚ー゚*ζ「大変ですよね。
       大好きな人が、お兄ちゃんがいないと生活もままならないなんて」

(゚、゚;トソン「どうして」

トソンの問いに、デレは落ちた本をとん、と叩いて答える。

作中の主人公は超能力的なもので殺人鬼を探り当てていたわけではない。
緻密な聞き込み、詳細は伏せられていたが事件現場での調査、張り込み等を通し、彼らを探し当てている。
その経験用いれば、郵便局を通さず直接ポストに手紙を投函した女一人を特定することも難しくないだろう。

ζ(゚ー゚*ζ「あなたが私のことをマスコミとか、警察とかに言ってしまうとしても私は止めません。
       お手紙をもらう前だったら止めるどころか、バレちゃってることすら気づけなかった」

勿論、これは脅しの類ではない、と彼女は言う。

ζ(゚ー゚*ζ「私がやってることは犯罪だし、罪に問われることも覚悟しています。
       でも、あなたが初めに通報を選ばなかったのは、聞きたかったからですよね?」


30 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:34:33 qz/9.chw0
  
デレが息を吸う。
その胸の膨らみさえ、トソンには神々しく映る。

ζ(^ー^*ζ「異常だと思いませんよ。私は。
        あなたのそれだって、認められるべき多様性」

トソンは、自分がおかしいことを知っていた。

幼い頃、近所のお兄ちゃんが大好きだった。
何処へ行くにもついて回り、全てを知りたがるから少し疎まれがちではあったが、
周囲の大人達は小さい子の面倒を見てあげなさい、とお兄ちゃんに言ってくれていた。

少し大きくなって、近所のお兄ちゃんは遠くの学校に通うようになり、
今までのように遊ぶことができなくなってしまった。
しかし、トソンは当たり前のように彼の行動全てを調べ、彼の気持ちに沿うように自分を磨いた。

それでも周囲はいつか甘苦くなる初恋だ、と笑っていた。

自分の認識と周囲の認識がずれていることに気づいたのは第二次成長期が来た頃のことだっただろうか。

トソンはお兄ちゃんが大好きだった。
性的感情は一切なく、けれど彼に恋人ができるのを酷く厭う。
深すぎる兄弟愛と執着心。

自身のそれが周りと比べて異常で、許されないことだと思ったからトソンは全ての感情を殺し。
あたかも初恋を卒業したかのようにふるまった。


31 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:34:58 qz/9.chw0
  
成人して、一人暮らしをするようになってからは駄目だった。

こちらのことを何一つ知らぬ男性にお兄ちゃんを見た。
お兄ちゃんのことが知りたくて働いた。
お兄ちゃんに好きと言ってほしくて自分を磨いた。
お兄ちゃんに美味しいと言ってほしいから料理もした。
お兄ちゃんに必要だろうから家事をこなした。

自分の生活の中にお兄ちゃんはいない。
心の中に彼を見て、遠くから覗いていられればそれで良かった。

だが、世間ではストーカーを呼ばれるその行為は警察の手によって終わりを迎えさせられる。

彼に害をなすつもりなどない。
恋愛感情がないので襲うつもりもない。

必死な弁明が受け入れられたことは一度としてなかった。

( 、 ;トソン「私は、ただお兄ちゃんがいてほしいだけなんです」

ζ(゚ー゚*ζ「うん」

( 、 ;トソン「この世界にお兄ちゃんがいるって思うから、息ができるんです」

ζ(゚ー゚*ζ「うん」

( 、 ;トソン「でも、ダメだから。
      これは犯罪で、やってはいけないことで」


32 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:35:42 qz/9.chw0
  
ζ(゚ー゚*ζ「決めつけちゃダメ」

( 、 ;トソン「……」

ζ(゚ー゚*ζ「あなたが自分を異常だと思って抑圧したように、
       他の人もそう思ってるだけかもしれない。
       声をあげてみないと何もわからない」

知らぬ間に下げていた視線をトソンはのろりと持ち上げる。

キラキラと輝くデレは紛うことなく光の中に生きる人間だ。
カーテンを閉め切り、電気をつけず、荒れた部屋で生きるのがお似合いの自分とは違う。

違うが、彼女は許容してくれる。
トソンの中にある異常は、個性なのではないか、と言ってくれる。

(゚、゚;トソン「声を」

ζ(゚ー゚*ζ「上げてみましょうよ。
       結論を出すのはそれからでもいいじゃないですか」

想像してしまう。
自分が許容される世界を。
大勢の人々のように、ちゃんと息を吸える人生を。

(゚、゚*トソン


33 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:36:08 qz/9.chw0
   
記念すべき第一作目『異常とは何ぞや』を出版していただき、ありがとうございました。
おかげさまで、私は素敵な人達とさらに多く出会うことが叶いました。

同時に、私自身の力不足も痛感いたしました。

『異常とは何ぞや』には、私の思い、彼らの思い、全てを詰め込んだつもりです。
けれども、私がみな様に問いかけたいと思っていたこと、
内容を通して伝えたかったことの半分も届いていないのではないか。

勿論、これは私の力不足によるものです。
次回作はさらなる研鑽を行い、より多くの人の手元に残るようなものを書き上げたいと思います。

ですが一つだけ。
みな様はあの人達の話を読み、どう思われましたか。
インターネット上に本文がアップロードされておりますので、そこから読まれた方も多いことでしょう。

あの人達は異常でしたか。
それとも、多様性が抱える個性の一つですか。

あなたの性癖は否定されるべきものですか。
あなたの生き方は後ろ指をさされるべきものですか。

それならば、多様性なんて無い方がよくないですか。

人が人らしく。
自分が自分らしく。

私はそんな時代を愛しています。


34 : ◆gqSQ3ovgzU :2021/10/20(水) 19:36:55 qz/9.chw0
  
( ・∀・)「なんだこれ」

通勤途中の電柱に真新しい張り紙を見つける。
いつもならばデリヘルか金融会社か、と気にも留めないのだが、その日は何故かそこへ目が引き寄せられた。

( ・∀・)「……多様性」

筆跡を隠すためか、ゴシック体で書かれたその文章は二ヶ月ほど前の騒動を思い起こさせるものだった。
ニュースやワイドショーで散々騒がれた『異常とは何ぞや』の作者は結局見つからず、
製本して出版までしてしまった小さな会社は倒産したらしい。

張り紙の主は作者本人なのか、成りすましの愉快犯なのか、
件の本を読んだことがない彼には見当もつかない。

ただ、文章を読むと腹の底が蠢くような気がする。

じわりと溢れた唾液を飲み込み、薄っぺらな胃袋を上から擦る。

( ・∀・)「おなか、減ったなぁ」

彼は歩き出す。
今日は金曜日。きっと酒好きの上司が飲み会を開くだろう。
美味くもない飯を噛みつぶし飲み込む瞬間を考えると気が重い。

ああ、一度、ネットで本文を調べてみよう。

舌の上にある肉の美味を夢想しながら彼は今日も息苦しく生きていく。


END


35 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:42:38 b5xzCdTg0

すごく好きだ……


36 : 名無しさん :2021/10/20(水) 19:53:00 HU5DFQk20
乙です


37 : 名無しさん :2021/10/20(水) 20:35:55 Uaag4SxE0
面白かった!もう一作も期待してる


38 : 名無しさん :2021/10/20(水) 20:47:20 MwupDPOA0
読ませる文章だった……乙!


39 : 名無しさん :2021/10/20(水) 22:14:55 YTlVVYL60
このデレ良いなぁ
おもしろかった!
おつおつ


40 : 名無しさん :2021/10/20(水) 22:38:40 VTNNCQEk0
ドクオソス


41 : 名無しさん :2021/10/21(木) 14:54:09 iNGQyqZE0
次なる展開を予感させるオチが素晴らしい


42 : 名無しさん :2021/10/22(金) 02:15:35 AxcnF3s20

多様性という名の皮を被った自然状態


43 : 名無しさん :2021/10/23(土) 13:53:37 I8Ems6VE0
乙、女神なのか悪魔なのか……


44 : 名無しさん :2021/10/24(日) 19:47:28 TrPh4R8Q0
乙乙
好きだ


45 : 名無しさん :2021/10/28(木) 15:19:19 YBu7NASc0
デレ怖すぎる…乙です


46 : ◆p9o64.Qouk :2021/11/14(日) 01:54:23 Wl8y38Q60
結果発表も終わり、はい俺もしたのでちょっとした補足? 語り?


当然だけど当作品は「犯罪行為を肯定するものではありません」


ζ(゚ー゚*ζに関しても本人は犯罪行為自体は酷いことだという認識を持っています

>ζ(゚ー゚*ζ「誰かを傷つけるなんて、まして殺してしまうなんて、とんでもない。
>       悲しいし、苦しいし、酷いことだって思う」



犯罪者の肩だけを持っているわけでもないため
まだ捕まっていない殺人鬼の詳細も本には記載されています
本編中は一人捕まっただけですがおそらく全員逮捕されるでしょう

今回は対話相手がトソンという異常者であったために勧誘めいた終わりでしたが
彼女が一般的な倫理観、思想の持主であれば素直に捕まるなり「そういう価値観もあるかもしれないってことは覚えててほしい」
程度で終わっていたと思います

デレがしたかったのは「多様性」の線引き
その結果として人を殺すのがダメって価値観が不動ならそれはそれでOK
知るためにはまず「皆さん本当にその異常性って異常だと思いますか?」と問いかけなければならなかった

倫理観は時代によって変わります
魔女なら殺した方が良いとされたわかりやすい殺しの時代や
手術前に手を洗うとか意味わからんという無知故に人を殺した時代

皆が好き勝手したら社会が崩壊するとどこかの感想で見かけましたが
いつかの未来で「人殺しをせざるを得ない人のために作られたクローン(ホムンクルス)」が誕生したら殺しは容認されるのか

そういう近未来のIFを考えるのが好きなのでこういう作品ができたんじゃないかな、と思います


47 : 名無しさん :2021/11/14(日) 01:54:52 Wl8y38Q60
あと、某ラジオスレで聞かれていたのでお答えします
「この手の話って自分で書いててデレに対して論破できちゃいそうになるからすごく難しかったと思うんだよね」

そもそもデレを論破するのは不可能だと思っています
価値観が私達とは違うので

見た目、生態ともに虫が嫌いな人に虫の良さをいくら説いても
精々が「そういう考え方もあるね」「それは一理あるね」どまりであり
「虫が大好きになりました!!!」とはならないのと一緒です

どちらかというと価値観が交わらない二人を会話させ続ける方が大変です
普通ならば平行線が続けば議論を投げて終わるか無限ループのどちらかになってしまうので
今回はその辺りを実は異常者だったトソンでまとめた形でした


48 : 名無しさん :2021/11/14(日) 01:55:39 Wl8y38Q60
最後に

いないとは思いますがこのデレの言葉に「確かにそうかも……」となった人はお気を付けください
世の中にはデレに近しい、デレよりもずっと強引な人がいくらでもいますので


49 : 名無しさん :2021/11/14(日) 07:52:20 AW1qE/hE0
なるほどなー補足ありがてぇ


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