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錬金術師は遂せるようです

1 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:49:46 ID:YLCyI6VU0
ラノブンピック参加作品です
ややグロ注意

2 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:50:37 ID:YLCyI6VU0



これは真実にして嘘偽りなく、確実にして最も真正である。
下にあるものは上にあるもののごとく、
上にあるものは下にあるもののごとくであり、
それは唯一のものの奇蹟を果たすためである。
万象は一者の観照によって一者に由って起こり来たれるのであるから、
万象は一つのものから適応によって生じたのである。
太陽はその父、月はその母、
風はそれを胎内に運び入れ、地はその乳母である。
全世界におけるあらゆる完成の父はここにある。


   ――『エメラルド・タブレット』 ヘルメス・トリスメギストス


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3 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:51:45 ID:YLCyI6VU0


前章 錬金術師は導くようです


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4 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:52:43 ID:YLCyI6VU0
日本全国津々浦々、数ある駅の中でも五本の指に入る乗降者数を誇るターミナル、
美府駅の地下道を行き交う人混みは、揃いも揃って黒々しい。
何故なら親子連れから年若いカップルに至るまで、
魔法使いの格好をしていたからだ。
クリスマスにバレンタイン、ハロウィンにイースター。
数ある宗教イベントを食い潰してきた資本主義が
お次に目を付けたのは、ドイツの祝祭――ワルプルギスの夜だった。
春の到来を喜ぶその祭りは、厄除けを兼ねて
魔女の仮装をし、篝火を焚くのが本来の習わしである。
だが妥協と利率の折半により、和製ワルプルギスの夜は、
春季ハロウィンパレードと化していた。
中にはアメコミのヴィランやゾンビまで混じっているのだから、
明らかにハロウィンの衣装を使い回していることが伺えた。
帰宅ラッシュを大幅に超える人の波は、
これより地上を練り歩き、騒ぎ狂うのだろう。
だがどんな場所にも、例外は存在する。

( ^ν^)チッ...

舌打ちする男――入間の内心は、

( ^ν^)(どいつもこいつも、魔女宅の
       焼き増しみてぇな格好しやがって)

このように穏やかではなかった。
しかし彼が見つめる喧騒とやらは、
些細な怒りに目を向けることはなかった。
入間の纏うグレイのスーツは萎びており、
かろうじて見える襟元は皺にまみれていた。
スラックスは細身の彼にはやや大きいらしく、
行き場のないプリーツが突き出すように山を張っている。
だというのにソックスは真っ白で、
まるで中学生が履くブリーフのようだった。
唯一目を向けられるのは、革靴くらいだろうか。
黒曜の輝きを放つそれは、行き交う人々の姿を映す鏡そのものだった。
俯きながら壁に寄りかかり、エナジードリンクの空き缶を
握り潰す入間は、ブラック企業の社畜以外の何者でもなかった。
ゆえに人々は機嫌の悪そうな彼を、
無意識のうちにシャットダウンしていた。
楽しいワルプルギスの夜に参加することで、
彼らの頭はいっぱいいっぱいだったからだ。

5 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:53:18 ID:YLCyI6VU0
しかし入間にとって、それはかえって都合が良かった。
懐からスマホを取り出し、入間は時刻を確認する。
背後のボックス――レンタルコワーキングオフィスに
『彼女』が入室して、五分が経とうとしていた。

( ^ν^)(遅くねぇか?)

女性と同伴した経験の少ない彼は、少々苛立っていた。
だが何も起きていない以上、乱暴に急かす理由もない。
スマホを仕舞う入間は、ジッパー付きの小袋を取り出した。
白い結晶が収まったそれは怪しく見えるが、中身は岩塩である。
飴でも舐めるかのように、入間はそれを口に放り込んだ。
バキ、ガリ、ゴキ、
顎に伝わる硬さが、入間の心を癒していく。
彼は、歯応えのある食べ物が好きだった。
顎を伝って頭蓋が揺れる感触が、己が歯の健常さを確かめる瞬間が、
舌に尖る塩味の濃さが、ささくれた心を安寧に導いてくれるのだ。
くわえて食べ終わるのに時間がかかる為、丁度いい暇つぶしになった。
やがて寄りかかっていたボックスより、
振動が彼の背中へと訴えかける。
いよいよ扉が開いたのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「お待たせしました」

鈴を鳴らすような声で、少女――高出 都子(たかいで みやこ)は呟いた。
微かに上気した頬は、緊張によるものだ。

( ^ν^)「別に。
       着替えるには、ちょっと狭かっただろう」

カモフラージュ用の空き缶をゴミ箱に捨て、入間は穏やかな口調で言う。
微かに頷く都子は、入間の嘘に気付いていないらしい。
ホッとした様子を見せる彼女は、魔女の仮装をしている。
大手量販店の通販サイトで買ったものだが、値段の割に生地はしっかりしている。
ナイロン製の黒レースは雪色の肌に美しく隷従し、
ふんわりとしたパニエがスカートを膨らませていた。
女心に興味のない入間が見繕ったものだが、その出来栄えに彼は咳払いする。
無論それは、彼の耐性のなさによるものだった。

( ^ν^)「ちょいと、こちらに」

気を取り直し、入間は諸手を広げた。
不慣れな都子はそろそろと近付くが、些か距離がありすぎた。

6 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:53:47 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「失礼」

ζ( 、 *ζ「!」

入間に抱かれ、小柄な都子はすっかり人の目から隠れてしまう。

ζ( 、 *ζ(花火、みたいな匂いがする)

スーツから漂う微かな香りを、彼女がそう形容した。
そうとは知らず、入間は呼吸を深くする。
――戦意と殺意によって研ぎ澄まされていた入間の交感神経が、
優位になった副交感神経によって、穏やかに宥められていく。
その一方で、入間の肉体は未だ熱が冷めやらぬ状態であった。
高血圧によって柔軟性を欠いた彼の血管は、
心の脈動を強烈に受け止めて、滾る血を全身に集中させている。
ナトリウムイオンを多く含んだ血は、脳に介在する
チャネルを刺激し、人智を超えた動きを齎した。
入間の呼気が、靄のように出でたのだ。
目を凝らさねば捉えることの出来ないそれを、入間は慎重に操作する。
靄はまず、二人を取り囲み、薄い膜のような壁を形成した。
その次に靄は、そろそろと人混みに領域を伸ばしていった。
未だ列の絶えない地下道を、靄はひた走る。
蟻の巣じみた地下道を抜け、ビルとビルの隙間を埋める
人の波を超え、狂乱に耽る心さえも、靄は手中に収めた。
もはや目の届かぬ場所でさえも、入間は想定し続けていた。
そして靄が限界まで伸びたことを確信し、彼は短く息を吸った。
靄は収縮し、主人である入間の元へ呼び寄せられる。
実体なき白の持つ手土産は、『喧騒』と『大衆』であった――。

7 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:54:31 ID:YLCyI6VU0
世の中には、二つの法が存在する。
大いなる宇宙が決めた法と、人が決めた法だ。
油が燃えることも、水が摂氏約百度で沸騰することも、
全ては大いなる宇宙が成した法である。
そのお零れによってご相伴預かる智性を賜る存在が、人間であった。
智性ある人間は、その肉体に宿す小さな宇宙を視認することが出来た。
小宇宙にはごく限定的ながらも、大宇宙が成す法則を再現する力があった。
また人間には、難解な大宇宙の真理を読み、解釈する力を備えていた。
内在する宇宙の領域を拡張し、現実迄侵食する秘術。
それこそが、錬金術である。
――入間は、数少ない錬金術師の一人だ。
先ほどの呼吸も、術の一つであった。
塩化ナトリウム――塩が持つ強力な防腐作用は、
優れた社会規範や追魔といった意味へと置き換えられていった。
彼は見えざる塩を撒くことで、『こちら側』と『その他』を
強く【区分】することが出来た。
入間はこれを利用し、『自身と都子』を、
『仮装行列の参加者』の中に【区分】した。
『都子を狙う追っ手』は、無論『その他』側。
つまり追っ手は、入間たちを騒々しい集団を構成する
要素のひとつとして認識し、個人として特定することが難しくなったのだ。

8 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:54:56 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「さあ、医者のところへ行きやしょう」

身を固くしていた都子の肩をそっと剥がし、入間は優しく言った。
心なしか顔の赤さが増した彼女は、黙って頷いた。
都子の肩に回していた腕を解き、改めて入間は彼女の手を引く。

(;’e’)「いたか?」

(; ∵)「いや、いないようだ……」

仮装行列に混じる二人の目の前を、
参倍郷(さんばいごう)の構成員が通り過ぎていく。
彼らの胸元には、複雑な幾何学模様を主としたバッジが光り輝いている。
血の気が引いたように、都子は一瞬足を止めた。

( ^ν^)「怖がらなくたって、大丈夫さね」

歩みを止めず、入間は手を引き続ける。
その言葉通り、構成員達は遥か遠くの人波に揉まれて消えていった。
都子は、入間の機嫌を窺うように肯首する。
緊張に満ち満ちている彼女だが、その手は鉄のように冷えていた。
なにせ、今の彼女は生きているとは言い難い状態であった。
彼女の胸には、宝石が埋め込まれているのだから。

9 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:55:55 ID:YLCyI6VU0



断章 一
戯(あざ)るお方は言うようです


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10 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:56:33 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「……それで?」

回想内の入間は、乱雑に資料を卓に置いた。
資料曰く参倍郷という秘密結社の母体は、指定暴力団の参合会らしい。
戦後の復興に乗じ、長いこと美府市周辺を牛耳っていた参合会だが、
暴対法の取り締まりによって、ほぼ壊滅状態にまで追い込まれた。
追い込まれた会長は妙な顧問役を外部から招き入れた。
それこそが錬金術師であり、彼の甘言によって、
会長はたちまち取り込まれてしまったのだという。
そして錬金術師に言われるがまま、会長はなけなしの大金をはたいた。
有象無象が入り乱れる闇オークションで、彼らはひとつの宝石を競り落とした。
その名も、【傷みの王(ペインロード)】。

( ^ν^)(悪趣味な響きをしてやがる)

カリオストロ伯爵が錬金術によって成したとされる、人造の宝石であった。

川 ゚ 々゚)「いい獲物でしょ〜」

診察用の椅子に座る來狂(くるくる)は、
名前の響きと同じように、くるくると椅子を回していた。

川 ゚ 々゚)「肉体と適合すれば、なんだって
     欲しいものが手に入っちゃうんだよ?」

來狂の言う通り、【傷みの王】は観賞用のお飾りではない。
心臓を摘出し、【傷みの王】を移植することで、
対象は万物を生み出す名器と化すのだ。

( ^ν^)「あくまでも【王】と肉体が適合すれば、だろう」

投げられた資料に、入間はチラと目を落とす。
そこには、惨たらしく四散した人らしき何かの写真が添えられていた。

川 ゚ 々゚)「気難しい【王】だからねー。
     末端の構成員じゃ、お気に召さなかったみたい」

写真に書き込まれた文字曰く、この移植手術によって、
相当数の構成員が死んだらしい。
結成して早々に、参倍郷は壊滅の危機に晒された。

11 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:57:06 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(そのまま滅んじまえばよかったのに)

その方がいっそ親切だったのではないかと彼は邪智した。
さて大金をはたいて買った救済装置は、まったく用を成さなかった。
当然幹部は怒り、会長と錬金術師に責任を求めた。
通常ならありえない事態だが、流石に会長も何か思うところがあったらしい。
彼は落とし前として、自分の娘を【王】に捧げてしまったのだ。

( ^ν^)(ところがどっこい、上手く事が運んじまった)

そして会長の娘は、貪婪(たんらん)を慰める器に成り果てた。

川 ゚ 々゚)「でも適合すれば、メリットもあるんだよ?」

無邪気な物言いで、來狂はそう言った。

( ^ν^)「知ってる」

うんざりとした口調の入間は、思春期を迎えた少年の反抗そのもの――
少なくとも、來狂にはそのように感じられた。
そうとは知らず、入間は叩き込んだ知識を手繰り寄せた。
【傷みの王】と適合した人間は、不老不死を得るらしい。
どんな深手を負おうとも、【王】は臣下の死を認めることはない。

( ^ν^)(まるで賢者の石だ)

不老不死を求めた過去の偉人にとって、これ程魅力的なものはないだろう。
しかし、【王】の真価はこれだけではない。

川 ゚ 々゚)「万が一適合したとて、そこでハイおしま〜い
     ……って訳じゃないのが、カリオストロみあるよね!」

( ^ν^)「……まあな」

來狂には滅多に同意を示さない入間だが、
今回ばかりは認めざるをえなかった。
その理由を語るには、カリオストロ伯爵の生涯を語る必要があるだろう。

12 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:57:51 ID:YLCyI6VU0
――アレッサンドロ・ディ・カリオストロ。
十八世紀に活躍したとされるペテン師だ。
ヨーロッパを股にかけ、数々の偽名によって社交界へと潜り込んだ。
胡散臭い商売によって貴族の興味関心を引き、
金品を巻き上げては、貧民に分け与えたとも言われている。
しかし後にマリー・アントワネットを巻き込んだ首飾り事件によって、彼は失脚。
後ろ盾をなくした彼はローマへ逃れるも、
胡乱な術を行なっていたことを理由に裁判にかけられ、獄死した。
胡乱な術とは、降霊術や錬金術だったとされるが、全ては彼の仕掛けた
催眠術や人心掌握術によるペテンだったとされている。
――しかし現代を生きる錬金術師たちは、これらが逆に偽りの歴史だと知る。
何故なら錬金術師同士の社交場では、時々そのような単語を聞けるのだ。
「なにがしの誰が、伯爵のナントカという名物を見つけた」だとか、
「どこそこの結社が、カリオストロのナンタラという名物を再現した」だとか。
無論それが箔付けのエピソードだったという例は、入間も來狂も目にしてきた。
――が眉唾の中にも、砂金の一粒が紛れ込んでいることがある。
故に二人は、妙な嗅覚を身に付けるようになった。
『これは伯爵の成した偉業であり、抹殺された歴史の断片なのだ』という勘を。

( ^ν^)「それで、【乳母のフラスコ】っていうのは?」

目が回ったらしい來狂は、椅子の回転を止めてしばらくしてから答えた。

川 ゚ 々゚)「【王】を移植された、会長の娘のことだよ」

( ^ν^)「ほう?」

怜悧な來狂にも、彼に散々振り回され続けた入間にも、
その単語に思い当たる節はない。
幸いなことに、目を回した來狂はちょっかいを出す気配がない。
何かが引っかかる入間は、勘案する。

( ^ν^)(フラスコ、ねえ)

現代ではフラスコは大手量販店でも購入できる程、身近な存在だ。
だが錬金術が隆盛を極めた過去において、フラスコとは重要な道具の一つだった。
なにせ大いなる業には、フラスコが無くては何も出来ない。
富める術師は水晶製のフラスコを使い、貧しい術師は土製の坩堝を
用いたという話は、入間にとってあまりにも有名な智識だった。

13 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:58:20 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(わざわざ名称付けしたのは、理由があるのだろう……)

資料によれば参倍郷を結成した当初、多くの部下を失ったと書いてあった。
無理もないことだと、入間は共感を示す。
どこの馬の骨とも分からず、聞き覚えのない肩書きを背負った人間を、
会長が崇め奉り、一財を投じて宝石を手に入れたのだ。
誰も彼もが、頭目の正気を疑っていたのだろう。

( ^ν^)(だが【王】の価値は、本物であった)

よって一時期参倍郷には、離反した人間が大挙したらしい。
組織の再建と大金を夢見て、あれこれすり寄ったらしいが、結果は無駄に終わった。
今頃になって頭目をおだてたところで、彼らの不義理は清算出来なかったのだろう。

( ^ν^)(しかし腐っても、反社集団だな)

あぶれた彼らは腹いせとして、参倍郷と敵対することを選んだ。
その名も新参会というのだから、かつての栄光と未練がまざまざと滲んでいる。
いつの時代も人間の行動には、一定の不変性が存在しているらしい。
人間の負性にうんざりしながらも、入間は書類を読み進める。
大仰な会員証に、彼の目が止まった。
曰く來須・クローウェル――数ある來狂の名義――は、
公明で正大なる審査と厳格にして栄えある試験を合格し、
莫大かつぼったくりともいえる年会費を支払ったらしい。
腐っても参倍郷は、錬金術に関する結社である。
入会に関わる試験には錬金術への造詣を問うものもあったに違いない。
が、どう考えても最大の関門は、年会費である。
ゼロの数が十桁を超えたあたりで、入間は年会費の計算をやめた。

( ^ν^)(大方、実利と新参会の連中を
       突っぱねる口実を、兼ねているってところか)

煮え切らないものを感じながらも、入間は忙しなく文字を追う。
次に彼が目にしたのは、長大な規約書だった。
外部の人間には参倍郷の会員であることは他言無用であるとか、
逆に入会できる資格を持つ友人には積極的に紹介をお願いするだとか、
守秘義務と営利目的が入り乱れたような文がつらつらと並んでいる。
他方この項目は、【乳母のフラスコ】を利用する際の注意点や、
予約の入れ方についても触れていた。

14 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:58:59 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(第三条 【乳母】に逃走を持ちかけないこと――)

妙な書き方だな、と入間は感じた。
所謂引き抜きの防止を求める内容だが、
別の意図が含まれているようにも思えた。
とはいえ入間の勘も、万能ではない。
分からない点をいつまでも考えるより、その先を読み進めて
ヒントを得る方が、効率ははるかに良いのだ。

川 ゚ 々゚)「……まあ、【乳母のフラスコ】っていうのは、
     参倍郷が勝手に作り出した造語だと思うよ」

よろよろと椅子を卓に寄せて、來狂は口を開く。
どうやら彼の酔いは、解決したらしい。

( ^ν^)「ふぅん……」

参倍郷、と入間は再び唱える。

( ^ν^)(おそらく会名の由来は、
       ヘルメス・トリスメギストスだろう)

ヘルメス・トリスメギストスは、
錬金術の祖とも呼ばれている人物である。
名前を訳すとすれば『三倍』偉大なるヘルメスという意味になる。
また、彼の著物にエメラルド・タブレットというものがある。
入間はその一文を思い出していた。

( ^ν^)(『太陽はその父、月はその母、風はそれを
       胎内に運び入れ、地はその乳母である』、か)

始まりを表す『太陽』は、参倍郷の会長を指している。
『月』とはその威光によって権力を得たもの。
つまりは参倍郷に雇われた錬金術師である。
『風』とは噂を聞きつけてやって来た会員を、『それ』とは彼らの持つ欲望。
胎に欲を押し込められた『地』、
つまりは【乳母のフラスコ】は見事その願いを叶えることが出来る。
またその後に続く言葉を考慮すれば
『完成の父』とは、【傷みの王】そのものを指している。
そう考えた入間は、案外参倍郷の錬金術師はやり手のように思えた。

15 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:59:31 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(少なくとも、バカなペテン師ではなさそうだ)

その腹を探りたい入間だったが、

川 ゚ 々゚)「入会すると、ステキな鶴嘴が貰えるんだよね」

思索に割り込むような形で、來狂は指を差した。
色のない目で、入間は仕方なくそれを辿る。
すると雑然としたコレクションの山に、鶴嘴が寂しく佇んでいた。

川 ゚ 々゚)「欲しい物を念じながら、あれで【乳母】を引き裂くと、」

( ^ν^)「ご注文の品は以上でお揃いでしょうか、ってところか」

川 ゚ 々゚)「そうそう。流血と肉片に塗れた
     理想の品物が、我が手中にアリ、ってね」

( ^ν^)(それは、文字通りの意味だろうな)

彼の脳裏には、年端もいかない少女に、
嬉々として鶴嘴を立てる來狂の姿があった。
來狂は錬金術と生涯を共にし、心中する気さえある人物だった。
覚悟は確かな力として、術師に還元されるのが、宇宙の習わしだ。
よって彼の行使する錬金術は常軌を逸した強力なものだった。
そんな人物に、人並みの倫理観を求める方が愚かである。
入間は、そう分かりきっていた。

( ^ν^)「検証の結果は?」

それでも入間は、遣る瀬無い気持ちで話の続きを促してしまった。

川 ゚ 々゚)「そりゃもう、バッチリよ」

機嫌よく言う來狂は、恋する乙女のような表情を浮かべた。

( ^ν^)(どんな願い事をしたのか、聞いて欲しいんだろう)

そんな來狂を無視して、入間は核心をつく。

16 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 00:59:58 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「実物を見て、【傷みの王】が欲しくなったのか?」

川 ゚ 々゚)「眞逆(まさか)!」

賢ぶった言い方には、善意の募金を呼びかける
チャリティ番組の司会者が入り込んでいた。

川∩ ゚ 々゚)∩「だって、【乳母】が可哀想じゃないか」

頬杖をつき、上目でこちらを見る白衣の悪魔は、
学術的興味を隠しきれていない。
冷めた目付きの入間を射抜き返しながら、來狂は続ける。

川 ゚ 々゚)「【乳母】をグチャグチャにすればするほど、
     希望した物が早く出てくるんだぜ?」

獰猛な笑みを浮かべる一方、
來狂の眼には、【乳母】が映っているらしい。
おそらくその姿は原型を留めない、肉塊と化しているのだろう。
下卑たものを拒む物言いで、入間は呟く。

( ^ν^)「よくある話じゃないか」

残念ながら錬金術師には、問題のある人間しか集わない。

( ^ν^)(俺も含めて)

自虐する入間など知らぬ様子で、來狂は散らばった資料を纏めた。

川 ゚ 々゚)「ま、たしかに私が欲しいってのはあるけども」

トン、と資料が入間の胸を突く。

川 ゚ 々゚)「これは【乳母】からの正式な依頼さ」

その先には、やはり善人とは程遠い位置にいる人物が微笑んでいた。

川 ゚ 々゚)「報酬は【傷みの王】」

爛々と光る來狂の目が、

川 ゚ 々゚)「【乳母のフラスコ】――高出 都子を誘拐しろ」

死んだような目付きの入間に、光を与えた。

17 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:00:34 ID:YLCyI6VU0



一章 付き人は厭うようです


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18 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:01:03 ID:YLCyI6VU0
ζ(゚、゚*ζ「あの、」

黙々と歩く入間の背後から、幽けき女の声がした。
かれこれ十分程度、彼らは地下道を歩き続けていた。
地上を出たかと思えば路地を通り、美府駅とキメラ的関係性を結ぶ
商業ビルに入ったかと思えば、一般人お断りと書かれた通用口を
難なく通り抜け、また階段を降り、駅に戻るのかと思えば、
今度はチェーン展開している喫茶店の真横から伸びた階段を上る。
そんな道中に、彼女が不安がるのも無理はなかった。

( ^ν^)「大丈夫だよ」

投げやりな返事をする一方で、入間はパズルを解くように道を行く。
來狂は、時空を超越する錬金術を行使する。
手を拱いて入間たちの帰還を待つ彼の住居は、
並みのやり方ではアクセスすることが出来ない。
それゆえ入間は、來狂の決めたルートを進まなくてはならないのだ。

( ^ν^)(まったくいつにも増して、
       面倒臭ぇルートにしやがったな)

端々に設けられた入間にしか分からない記号は、
まだまだルートが続くことを示している。

( ^ν^)(そりゃ不信にも思うよな)

登った階段を今度は下りながら、入間はそう思った。
とはいえ己が手を握る都子の力は、薄れつつある。

( ^ν^)「――訳は話せねえけども、
       あの胡散臭い医者には近付いていってるよ」

やや振り返り、目線を合わせ、入間は少女に告げた。
そこでようやく都子は、まともに入間と視線を合わせることが出来た。
ふぅ、と魂が抜けるような溜息を彼女は漏らす。
参倍郷の追っ手も暫く目にしていないことから、ようやく一安心したのだろう。

19 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:01:30 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(可哀想に、な)

彼女の不信を思えば、無理もないことだった。
長らく日の目を見る事も、学校に行く事も出来なかった。
その上毎日毎日、下衆な連中が強欲を片手に、都子をバラバラに引き裂くのだ。
來狂の見立てでは、どれ程惨く解体しようと、彼女は生き続けているらしい。
つまり【傷みの王】は倒懸(とうけん)という膨れ上がる負債を、
ひと時も数え間違えることなく都子に強要し続けたのだ。

( ^ν^)(本当に、碌でもない代物だ)

参倍郷に潜入し、都子を見つけた時の光景を彼は思い出していた。
鍵のかかっていない扉を開くと、彼女は仰向けで倒れていた。
その目は固く閉じられており、自由な四肢を無気力に投げ出していた。
枯れ木のような手足には縄や鎖といった付属品は一切ない。
暴力によって萎縮した都子は一人で脱走することを諦めていた。
何より拘束の類が設置されていなかったのは、
会員が『利用』する際、邪魔に思ったのだろう。

( ^ν^)(絶対に、許さねえ)

激昂に駆られる入間は、すたすたと路地裏を歩く。
鼻腔を、諸外国から取り寄せた香辛料の香りが擽っていく。
近年、エスニック料理に使われる香辛料は
税関での目を潜り抜ける為に密輸が行われているらしい。

( ^ν^)(何処にでも悪どい輩はいるもんだな)

遥か彼方の記憶が、税関職員の映像を想起させている。
壊れかけている換気扇がキィカラカラと、頭上で悲鳴をあげていた。
――都子を來狂に引き渡した後も、入間には仕事が残っている。
しかし彼女の痛みに較べれば、そんなものは些細な残業と労力であった。

20 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:01:57 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(だから、だから)

入間は、ピタリと足を止めた。
遅れて、都子も足を止める。

ζ(゚、゚*ζ「いる、まさん?」

(; ν )(……何故だ)

入間は、激しく動揺していた。
硬いものが何もないというのに、飴を噛み殺すかのように。
奥歯がギリギリと音を立てる。
入間は、來狂の元へ向かっていた。
与えられたヒントを元に、空間そのものに訴えかけるよう努めていたはずだった。
だというのに、

(; ν )(俺は、いつからカレー屋に行こうとしていた……!?)

カラカラカラ……という換気扇の音が、畝るように入間の混乱を深めていく。
今までにも入間は來狂の頼みによって、危険な仕事をこなしてきたが、一度たりとも『帰り道』を間違えたことなどない。

(; ν )(何が起きていやがる……!)

入間の頭脳は時を遡り、様々な案件を連想していた。
しかし、何度思案せども彼の頭脳はこう言った。

(; ν )(こんな妨害、喰らったのは初めてだ)

……――ザッ、という砂を擦るような音がした。
瞬間、彼は臨戦態勢へと切り替わる。

( ^ν^)「離れるなよ」

ζ(゚、゚*ζ「いっ、入間さん……っ?」

聞き間違いではない、と入間は確信していた。

( ^ν^)(追っ手だ)

それもとびきり、という言葉を伏せ、

( ^ν^)「厄介な奴が来る」

入間は都子に告げた。

21 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:02:32 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(奴さん、一人だな)

神経を尖らせる入間は、妙な確信を得ていた。
彼は戦闘において、先入観を持つことを嫌っていた。
錬金術にも芥から天上の業があり、
相手の持つ術を見極めることは、それこそ至難の業である。
妙な確信に慢心すると、叡智の深淵から怪物が攫いに来る。
そうして実力を測り間違えた相手は、入間の手によって抹殺されていった。
そんな現実を知っているからこそ、『自分はそうならない』という
可能性を入間は、切り捨てている。
故にこの確信は、実に自分らしくない発想だと入間は訝しんでいた。

( ^ν^)(何処から来る?)

舞台は一本道の路地裏。
表は飲食店が連なっているらしく、言語の入り乱れたラジオが
競うように歌声を張り上げている。
微かに日本人の声も混じるが、彼らは客のようだった。
色欲を滲ませた声で必死になにかをへつらい、異文化に馴染もうと努力している。
不釣り合いな喧騒は、向かいのビル群が沈黙によって制していた。
入間達二人の緊張は、連なる壁面の方が理解者に相応しいようだった。
とはいえビルは相当な年季が入っているらしく、タイルが崩れつつあった。
旱魃に遭ったような壁と、入間の背に挟まれて、都子は息を殺していた。
都子は入間から何の説明も受けていなかったが、
線の細い彼女の感受性は、良からぬ気配を受け取っていた。

ζ( 、 ;*ζ(どうか、『あの人』に見つかりませんように……)

都子には、恐怖の対象が多すぎた。
参合会の会長として名を馳せていた父。
都子の苦痛に目を背け、自らも会員と化した母。
政治家、マフィア、軍――さまざまな肩書きと残虐な鶴嘴を持つ会員たち。
決して助けようとはしない、参合会の構成員たち。
しかし彼女が一番恐れていたのは――。

ζ( 、 ;*ζ「模原(もばら)、さん」

悲鳴を押し込む代わりに絞り出した言葉は、入間の気を引いた。

22 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:03:30 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「誰だ、そいつ」

ζ( 、 ;*ζ「わたしの付き人です……」

といっても、食事しか運んでくれなかったけど、と続く都子の言葉は掠れている。
その声音は、しとしとと降る霧雨に紛れて路地へと拡散した。

ζ( 、 ;*ζ「ただ、あの人といるとおかしくなってしまうから――」

どういう意味なのか、入間が問い質そうとした時だった。
ぬらめく闇の向こうで、僅かに濃淡が狂ったのは。

( ^ν^)(ああ、正面から来やがるのか)

妙に紳士ぶった振る舞いをしやがる、と入間は舌打ちをした。
それも散歩をするような歩調だ。
雨混じりの風が、腐った血のような臭いを運ぶ。
薄暗い路地に、彼は閑かに佇んだ。

( ・∀・)「今晩は、都子さん」

上質な白いシャツに、サテンのネクタイが僅かに光を放つ。
闇に溶け込むようなスラックスは、スタイルの良さを際立たせている。
美貌の付き人――模原は、不敵な笑みを浮かべていた。

( ^ν^)「アンタか、妙な小細工をしてくれたのは」

( ・∀・)「男連れだなんて、関心しませんね。
        付き合う相手を間違えていますよ」

入間がいないかのように振る舞う模原は、悠然と一歩を踏み出した。
と同時に都子は、入間の衣服に縋った。
入間の眉間に皺が生じたが、彼女をそっと押し戻すことで、それは解決した。

( ^ν^)「シカトたぁ、関心しないぜ。模原さんよ」

( ・∀・)「これは失礼。
        新参会の人間とは、口を利き慣れていないもので」

白々しい様子で、模原は会釈した。
どうやら彼は、入間の策に騙されているらしい。
その点に関していえば入間はやや安堵したが、
今起きている事態そのものは、歓迎出来なかった。

23 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:04:03 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「よく言うぜ、お嬢さんをこんな目に遭わせやがって」

参倍郷への妬み嫉みを隠すことなく、チンピラは模原に喰いつく。
――という役柄を、入間はすっかり演じてみせた。

( ・∀・)「義賊気取りですか?」

鼻しらんだように、模原は侮蔑を口にする。

( ・∀・)「我らが会長を棄てたのは、そちらが先でしょうに」

スカした調子の模原は、刃物をひけらかした。
刃渡りおよそ十五センチ。
サバイバルナイフだ。

( ^ν^)「銃刀法違反だな」

戯けたような口調の入間に、模原の目は坐ったままだ。

( ・∀・)「今なら尻尾を巻いて逃げても構いませんよ」

慇懃な口ぶりに、入間の手は懐を探る。

( ^ν^)「こちとら捲るようなケツもねぇよ」

ζ( 、 ;*ζ「ッ……!」

背後から覗き見む都子は、息を呑んだ。
入間の手には、小銃が握られていたからだ。

( ・∀・)「おやおや、銃刀法違反じゃないですか」

入間に倣った言い方で、模原もそう言った。

https://res.cloudinary.com/boonnovel2020/image/upload/v1588208778/53_eshipp.jpg

24 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:06:00 ID:YLCyI6VU0
獲物を突きつける二人は、動くことなく互いの動向を探る。
特に入間は、先程の妙な先入観を敵視していた。
模原のみが敵だと判じてしまえば、
手薄となった瞬間に都子を攫われる可能性がある。
日常を演じる表の喧騒と、墓標のように佇むビルの壁、降り出した霧雨の一粒から、
湿り気を帯び始めたアスファルトに至るまで、彼は警戒を怠らなかった。
冗談を口にせども、入間は一流の仕事人であった。
――どれ程の時間が流れたのだろうか。
入間には短い時間のように思えたが、どうやら模原はそうでなかったらしい。

( ・∀・)「はぁ……」

嘆息によって僅かに四肢が弛緩し、刃先がぶれた。
それは模原が次の動作へと移る予兆でもあった。
模原は俊敏な身のこなしによって、入間へ肉薄しようとしていた。
逸早く動向を見抜いた入間は、敢えて模原へと歩みを進める。
ゆらりと陽炎めいた速さで、入間は相手の間合いを狂わせた。

( ・∀・)「!」

模原は目敏く反応し、踏み止まった。
その勢いを利用して、彼は入間に鋭い蹴りを放った。
しかし入間はそれさえも見越していた。
入間は常人離れした跳躍によって、模原の蹴り足に乗ってみせた。
タァン――、と小銃が火を噴いた。
入間の計算は、完璧であった。
模原がどの方向にバランスを崩すのかを予見し、発砲から着弾に
至るまでのラグを考慮した上で、きっちり命中してみせたのだ。
怨めしそうな模原は、顔の左半分を吹っ飛ばすことになる。
本来小銃にそのような威力はないが、予め弾丸には錬金記号を刻んでいた。
その文字が意味する物質は、入間が専門とするナトリウムだ。
水と著しく反応し、時には燃え盛る性質を、彼の弾丸は付与されていた。
よって血肉を糧とし、弾丸は猛烈な勢いで炸裂した。
翻るように飛び越して、入間は着地する。
背中の向こうでは、スプリンクラーのように肉が振り撒かれる音がした。

( ^ν^)チッ...

しかし入間は、弾をリロードした。
模原が落としたはずのナイフがないことに気付いたからだ。
振り返れば入間の予想通り、模原は死んでいなかった。
骨肉を露わにしながらも、彼の手にはしっかりとナイフが握られている。

25 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:06:26 ID:YLCyI6VU0
( :#;;∀・)「(やるじゃないか)」

ゴボゴボと血混じりの吐息は、恐らくそのような言葉を吐いたのであろう。

もっとも入間はそのような言動に気圧される程、柔な人間ではなかった。
フラフラと近寄る模原に、入間は路地の壁を駆け上がった。
見下ろすような形で、入間は模原の頭に発砲する。
迫る弾を見つめる模原は、何故か笑った。
模原の眉間を割る鉄の弾は、またしても大規模な爆破を引き起こした。
後ろ目に確認しつつ、入間は一度都子の元へと駆け寄った。

( ^ν^)「大丈夫か?」

"ζ( 、 ;*ζ:;;

もはや言葉すら出ない都子は、首を振るのに精一杯だった。
それを見た入間は、多少申し訳のない気持ちになる。

( ^ν^)(しかし、まだ動くか……)

立ちすくむ都子を背で庇いながら、入間は模原を睨みつける。
模原は三度、立ち上がろうとしていた。
一度目の爆破で抉れていた顔面は、元の美丈夫を取り戻しつつある。

( ^ν^)「相当ヤンチャしてやがるな」

誰にごちたわけでもない言葉に、模原は微かに笑ってみせた。

( ・∀・)「昔から体だけは丈夫だったもので」

妹と違って、と模原は小声で付け足した。

( ^ν^)「っ?」

脈絡もなく浮かんだ何かに、入間は一瞬目を見開いた。
しかしそれは夢よりも朧な存在であり、
脳裏に浮かんだという実感さえも、直ちに鮮度を喪ってしまった。

( ^ν^)(何だっていうんだ、気味が悪ぃ)

脳を撫でるような感触を忘れようと、入間は舌打ちした。
弾をリロードした入間は、再度模原に迫る。
模原の足を踏み、入間の腕は模原のナイフへと絡みつく。
身動きを封じられた模原は、横腹に苛烈な蹴りを受けた。
二度三度と喰らううちに彼の体幹は、バランスを失する。

26 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:06:55 ID:YLCyI6VU0
倒れる模原の足から、枝を折るような音が響く。
その勢いに乗じて、入間は模原の鳩尾に左肘鉄を見舞った。
肋の折れた模原は、初めて呻いた。
しかし模原は、諦めていなかった。
彼はナイフを取り落とし、左手で掴んだ。
殺意に満ちたそれは、入間の顔を切り裂こうとしていた。

(;^ν^)(クソが……ッ!)

苦肉の策として、入間は掌底を放った。
ナトリウムの反応を模したそれは、【超加速】した状態で相手の腕に到達。
模原の手から、ナイフが落ちた。
靭帯が伸びたせいで、模原の腕は力が入らないのだろう。
ジク、とした痛みが入間の右腕を襲う。
骨そのものを叩かれたような痛みは、大きすぎる代償とも取れた。
入間は敵の胸部に、銃口を充てた。
引鉄に指を込め、撃鉄が雷管を叩いた刹那だった。
模原の右手が、銃口へと迫ったのだ。

(;^ν^)(おいおい!)

このままでは入間も、至近距離の爆発に巻き込まれてしまう。
掌底と同じ要領で、入間は両の脚に【超加速】を施した。
弾速よりも素速い動きで、入間は一難を除けた。

( ・∀・)「結構な、お点前で」

嘲りのような模原の言葉には、少なからず賞賛も含まれているようだった。
新参会にも腕の立つ男がいることに、彼は驚いているのだろう。
しかし入間には、何の慰めにもならない。
彼はただ参倍郷と敵対する組織の名を借りた、部外者であるからだ。
おまけに模原の傷は、早くも再生し終えるところだった。

27 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:07:59 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(割に合わねえな……)

痛みを押し殺しながら、入間はリボルバーに弾を込めた。

( ^ν^)(だが、いくつか分かったことがある)

形振りを見るに、模原は再生能力以外に取り柄のない男であった。

( ^ν^)(太刀筋も素人そのものだ)

さらに模原は、嘘を吐くことさえ下手であった。
急所とも言える頭部には頓着しない一方で、
胸部への攻撃は是が非でも避けたいところがあるらしい。
とはいえ不透明な部分は数多く存在する。
そもそも入間の施した【区分】を突破して、居所を突き止めた男なのだ。

( ^ν^)(どういう絡繰をしていやがるんだ?)

勝機を掴む算段を入間が考える一方で、模原は困ったように襟を正している。
衣類の汚れを気にする模原は、不死者特有の余裕に満ち満ちていた。

( ^ν^)「なぁ、お前って本当に錬金術師なのか?」

( ・∀・)「……そうですよ?」

思案がそのまま口に出た入間に、
相手は虚を突かれたような表情を浮かべている。

( ^ν^)「ふーん……」

未だ思考の渦に囚われている入間は、模原を疑い深く見つめた。
相手は待ち飽きたらしく、ナイフを掴み直した。
無造作に飛び込んでくる模原を、やはり入間は踏み込んで対処する。
背中に都子がいる以上、彼女を巻き込むわけにはいかないのだ。

( ^ν^)(クッッッソムカつくな)

守りに徹しながらの攻防は神経を使う。

28 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:08:20 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(割に合わねえな……)

痛みを押し殺しながら、入間はリボルバーに弾を込めた。

( ^ν^)(だが、いくつか分かったことがある)

形振りを見るに、模原は再生能力以外に取り柄のない男であった。

( ^ν^)(太刀筋も素人そのものだ)

さらに模原は、嘘を吐くことさえ下手であった。
急所とも言える頭部には頓着しない一方で、
胸部への攻撃は是が非でも避けたいところがあるらしい。
とはいえ不透明な部分は数多く存在する。
そもそも入間の施した【区分】を突破して、居所を突き止めた男なのだ。

( ^ν^)(どういう絡繰をしていやがるんだ?)

勝機を掴む算段を入間が考える一方で、模原は困ったように襟を正している。
衣類の汚れを気にする模原は、不死者特有の余裕に満ち満ちていた。

( ^ν^)「なぁ、お前って本当に錬金術師なのか?」

( ・∀・)「……そうですよ?」

思案がそのまま口に出た入間に、
相手は虚を突かれたような表情を浮かべている。

( ^ν^)「ふーん……」

未だ思考の渦に囚われている入間は、模原を疑い深く見つめた。
相手は待ち飽きたらしく、ナイフを掴み直した。
無造作に飛び込んでくる模原を、やはり入間は踏み込んで対処する。
背中に都子がいる以上、彼女を巻き込むわけにはいかないのだ。

( ^ν^)(クッッッソムカつくな)

守りに徹しながらの攻防は神経を使う。

29 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:09:15 ID:YLCyI6VU0
>>28
重複投稿です
失礼しました
以下続きをどうぞ

30 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:09:56 ID:YLCyI6VU0
万が一都子に傷が付いたとしても、
【傷みの王】がたちどころに癒すことを模原は分かっている。
その性質を入間も十全に理解しているが、
都子に傷を付けることなど、彼の道理に反していた。

( ^ν^)(あいつは、人間なんだ)

ズブの素人である模原が、弱味を握って一丁前に刃を奮う状況に、
入間は苛ついて仕方がなかった。
ヘロヘロと振り回されるナイフを、入間は銃のグリップで去なす。

( ^ν^)(腹が立つ)

彼の怒りを駆り立てているものは、もう一つあった。
それは、模原が到底錬金術師には見えないことだった。
下衆であれ、外道であれ、鬼畜であろうと、
技術ある錬金術師は、行動の端々に美学を漂わせている。
それはいくら隠そうとしても滲み出でる、影のように付き纏う性癖のようなものだ。
だがしかし、模原はご覧の有様である。
彼には徹底した狂気もなければ、理屈もなく、
ただ自らの不死性さえも玩具のように振り翳す。
要するに、向上心のない馬鹿者であった。

( ^ν^)(こちとら遊びで、錬金術齧ってるわけじゃねぇんだ!)

苛立ちが最高潮に達した入間は、模原の関節を捻る。
ナイフを持つ手首がゴキゴキと嫌な音を立て、ぶらんと使い物にならなくなった。
銃を突きつける入間に、模原は頭突きを迫った。

( ^ν^)「遅ェ!」

叫ぶ入間は指に力を込めて――しかし、狼狽した。

( ^ν^)(ハ、?)

目前に迫った頭突きに、入間は慌てて飛び下がった。

31 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:10:19 ID:YLCyI6VU0
( ・∀・)「ああ、残念」

同情じみたアルカイックスマイルは、
果たしてどちらの勝機が逃げたことを指しているのだろうか。

(;^ν^)(まただ)

体が膠着したような違和感を、彼は覚えていた。

(; ν )(『帰り道』を間違えた時と同じだ)

ハッと気付けば、模原の凶刃は入間を嘗めようとしている。
後退する入間は、ボンヤリと思う。

(; ν )(迎撃する術は、他にもあったはずなのに)

ぼす、と入間の背中に柔らかいものを感じた。

(; ν )「悪ぃ、ちょっと下がってくんねえか……」

歯切れの良くない指示に、都子の息が詰まった。
模原は伸びをしながら、牛歩のごとく近付いてくる。

(; ν )(何かがおかしい)

混乱しながらも、入間は一つ確信していた。

(; ν )(――不利だ)

彼にはもう、何の手札も残されていないように感じられた。

32 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:11:24 ID:YLCyI6VU0
あり得ないことだ。
入間の脳は置かれた立場を、そう拒絶している。
何故なら本来の入間は、豊富な戦闘経験によって、
相手の行動を読み取ることができた。
それは使い慣れた辞書を索引なしに、
好きな項目を参照するような、熟練した動作である。
しかし今の彼は、どういうわけかそれが
『出来ない』ということに、気が付いてしまった。
狼狽える入間は動揺を表に出さなかった。
だが隙だらけの模原を前にしても、彼は行動を起こすことが、やはり出来ない。

( ・∀・)「どうかしましたか?」

ここからはさも自分の見せ場だと言わんばかりに、
模原はナイフを取り回してみせた。
気障ったらしい格好に、入間は歯噛みする。

(;^ν^)(相手は素人だというのに、勝つ算段が思いつかない!)

おまけに入間は、余計なことを思い出した。

(; ν )(模原の妹は、病弱であった)

そんな妄言、果たして何の救いになるのだろうか。
はく、はく、と浅い息をする入間は、縋るように小銃を握った。
混乱に満ち満ちた入間は、選択を迫られていた。
まず第一に今すぐここで自殺してみせるか。
あるいは弾を、全弾無駄撃ちしてみせるか。

(; ν )(ダメだ……)

どちらを選んでも、それでは都子を救えないではないか!
打ち拉がれる入間の目は、歩みを止めた模原を映していない。

(; ν )(どっちも出来ない!)

蛇に睨まれた蛙のようになった入間を、模原は悠然と見下している。

( ・∀・)「選べないでしょう?」

僕が選んで差し上げてもよろしいんですよ、と慈善家の模原は言った。

33 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:11:57 ID:YLCyI6VU0
その瞬間、入間の背後から声がした

ζ( Д ;*ζ「にっ、逃げましょう!」

まごうことなき、都子の声だった
はっと我に返った入間は、模原の足元へ発砲した。
一発、二発、三発。
それでもなお、入間の脳裏からは強迫的な選択肢がこびり付く。

(; ν )(畜生が!)

予備の弾を投げつけ、入間は都子を背負った。
湿った路地裏に、それらが広まった瞬間。
模原は、炎に包まれた。
ナトリウムの錬金記号が刻まれた弾薬は、
水と著しく反応し、水素ガスを発生させた。
おそらく表の飲食店で使われていた火が、
このような惨劇を生み出したのだろう。

(  ∀ )「…………」

メラメラと燃える模原の脳裏には、
店から飛び出す人々の騒乱が反響し続けている。
けれども残念ながら、その中に彼の標的は含まれていないようだった。

(  ∀ )(あーあ、台無しだ)

折角彼が誂えた衣服も、今では黒く焦げた皮膚と見分けがつかない。
フラフラと歩く彼は、熱が冷めやらぬナイフを掴むと、
とうに焼けている肉は、何の痛みも感じることなく、無に近い悪臭を放った。
焼けた気道が新鮮な空気を求め、細い路地を彷徨う。
一歩一歩と踏み出すうちに、彼は衣服を含め、元の模原へと戻る。

34 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:12:21 ID:YLCyI6VU0
その時、模原の目の前に扉が突き出た。

(゜д゜;@「ワァアッ!」

カタコト混じりの女性は、現場を見るよりも先に模原を見た。

(゜д゜;@「アンタ、ダイジョブだった?」

その口調は、まるで模原の無事を喜ぶような驚きに満ちている。

(  ∀ )「…………」

(゜д゜;@「ドコか、イタ、」

冷えた目付きの模原の手は

( д ;@「……ぃっ?」

女性の腹に添えられていた。
ナイフは臓物を引き裂き、模原の命ずるままに中を突く。
困惑に満ちた女性は、喉から競り上がる血に言葉が奪われた。
彼は興味を失ったように腹から鳩尾にかけて深々と肉を裂く。
ビチビチと漏れる血が、彼のシャツを汚す。
けれども白い布は、汚れを弾くように、路地へと血を押し戻していった。

( д ;@「カ、ハッ……」

ピッと振るわれた刃から、細かな赤が散る。
やや遅れて女性は、鈍い音を立てて崩れ落ちた。
そしてようやく模原は、入間と都子を捜し始めるのだった。

35 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 01:12:49 ID:YLCyI6VU0
今日は眠いのでこの辺で
続きは明日以降投下します

36名無しさん:2020/05/03(日) 08:02:16 ID:lLLHlqTM0
otsu

37 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 20:58:50 ID:YLCyI6VU0
投下を再開します

38 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 20:59:16 ID:YLCyI6VU0



断章 二
続 戯るお方は言うようです


.

39 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:01:28 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「……一般人をヤるのか?」

回想内の入間は、憮然とした調子で言った。
その手には、相棒である小銃が握られていた。

川; ゚ 々゚)「待て待て待て」

喧嘩には滅法弱い來狂は、資料を取り落とした。

( ^ν^)「都子を殺して【傷みの王】を
       奪うつもりなら、 手は貸さない」

川; ゚ 々゚)「そんなド畜生みたいな真似はしないさ」

やれやれ、と來狂は溜息をつく。
小銃を下げることで、入間は話の続きを促した。

川 ゚ 々゚)「心配しなくても、ちゃんと考えてある」

自信満々に來狂は、計画について説明した。
まず來狂の工房まで、入間は都子を誘導する。
次に都子を鶴嘴によって、ズタズタに引き裂く。

川 ゚ 々゚)「ここで願うものは、彼女の心臓さ」

産出された心臓を直ちに保護し、医者である來狂がそのまま手術を開始する。

( ^ν^)「なるほど。それなら都子も人間に戻れるわけだ」

しかしそれだけでは、彼女の失われた青春を取り戻すことが出来ない。
そう考える入間は、一つの案を思いつき、獰悪な笑みを浮かべた。

( ^ν^)「参倍郷と新参会同士、潰し合いをさせる」

その言葉に、來狂は落ちていた資料を纏め上げた。

川 ゚ 々゚)「いいねぇ、楽しいねぇ」

彼の仕事ぶりを知る來狂は、愉悦に耽溺する。

40 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:01:55 ID:YLCyI6VU0
それには目もくれず、入間は改めて資料を脳に叩き込む。
曰く都子は、【鉱床】と呼ばれる地下室に閉じ込められているらしい。
【鉱床】を蓄えたビルは地上十階・地下三階建てであり、
テナントは全て風俗店で固められていた。
かつての参合会が何をシノギにしてきたのか、察しながらも入間は苦笑する。

( ^ν^)(【鉱床】は最下層か)

新参会の情報へと目を移しながら、入間は正面突破を決意する。
金ヅルという名の会員数を厳格に絞り、管理している以上、
参倍郷は会員を信頼しているはずだと彼は考えた。
それでなくとも腕の立つ輩は、新参会へと流れてしまったのだ。

( ^ν^)(ま、所詮は脱サラして三周年の半グレ集団だ)

彼らは決してサラリーマンではないが、と入間は鼻を鳴らした。

( ^ν^)(新参会もどっこいどっこいだのクズけどな)

設立から一年が経つ新参会だが、早くも不穏な噂がそこには並んでいた。

( ^ν^)(錬金術師殺し、ねぇ)

参倍郷に迫るべく、彼らも錬金術師と接触したが、
所詮はチンピラの集まりである。
結局仲違いをして、抗争を引き起こしたのだ。

( ^ν^)(たかが暴力団にやられるようじゃ、
        大した腕じゃないんだろうけど)

とはいえ新参会が錬金術師と関係性があることに、入間は微笑んだ。
タダの一般人――鉄砲玉を装い、銃のみで地下を突破する必要がなくなったからだ。

( ^ν^)(最近は腑抜けた戦いばかりだったし、たまには暴れるか)

生き血のように滾る闘志は、錬金術師としての矜持と業が入り乱れていた。

41 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:02:28 ID:YLCyI6VU0
川 ゚ 々゚)「やっぱり君と居ると、飽きないねぇ」

囁くようにごちた來狂に、入間は気付かない。
それさえも上機嫌の材料とし、來狂は自慢のコレクション――奇形児を収めたレントゲン写真や、
体性感覚の地図、オークションの招待状や稀覯本など――へと近付いた。
無造作に立て掛けられた鶴嘴を手にすると、瞬く間にその山は雪崩れた。

( ^ν^)「自分で片付けろよな」

集中力を欠いた入間はそう言うものの、半ば諦めていた。
もう何十年も、來狂は私物を顧みないのである。

川 ゚ 々゚)「はいはい」

案の定、彼は上の空で返した。
呆れる入間の視界に、鶴嘴が差し出された。
都子を嬲る、例の得物である。

( ^ν^)(登山用のそれと、あまり大きさが変わらないな)

資料を読破した彼は、気晴らしとばかりにそれを受け取った。
持ち運びを考慮したのだろうか、柄は竹で出来ており、重さが殆どない。
一方先端に取り付けられた鉄は、凶悪な形をしていた。
嘴状に鋭く尖った左の刃には、細かな返しが付いている。
都子から鶴嘴を抜く時に、それらがズタズタに肉を引き裂くのだ。
対となる右の刃も、負けず劣らず悪趣味な造りをしていた。
持ち手へ媚びるように、細身の鍬は角度を付けられていた。
骨身にこの刃を忍ばせれば、梃子の要領で無理矢理肉を剥がすことが出来るのだろう。
そこまで考えて入間は、錬金術師の悪どさに舌打ちをした。

42 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:03:11 ID:YLCyI6VU0
川 ゚ 々゚)「もっとよぉ〜〜く、観察してごらんよ」

拾い上げた本を読みながら、來狂は呟いた。
來狂の言動は人を喰ったような調子で進むが、真理に近い人物でもある。
この揺るぎない事実に、入間は世の無常さを呪うのだが、
彼の言うことに間違いはない。
感情的になる部分を宥めながら、再び入間は鶴嘴に向き合った。

( ^ν^)(これは……?)

持ち手と凶刃を繋ぐ箇所に、入間は何かを見つけた。
それは幾何学的な模様であり、見ようによっては魔法陣のようでもある。
既視感を覚え、入間は資料を手に取った。
それは、参倍郷の掲げるトレードマークだった。

( ^ν^)「漫画の読みすぎかよ」

少々背筋に寒いものを覚え、思わず入間はそういった。

川 ゚ 々゚)「ダメだなぁ、くるみ割り人形ちゃん」

甘ったるい罵倒に、入間の口は反射的に開いた。
それを見越したように、來狂は青い岩塩――ハライトの原石を放り込んだ。
もちろんそれは、観賞を目的とする鉱物であったが、
そうとは知らない入間は慌てて咀嚼している。

        メギギギガ
(;^ν^)" ガギギゴギ

無情にも反論する間は与えられず、來狂は言葉を継ぐ。

川 ゚ 々゚)「さて問題。
     カリオストロ伯爵はどうして失脚したのでしょうか」

塩気とは程遠い味がする石を胃に追い込むが、結局入間は即答出来なかった。

43 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:04:07 ID:YLCyI6VU0



二章 二者は語るようです


.

44 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:04:37 ID:YLCyI6VU0
からくも模原より逃れた入間たちは、
來狂の助けによって、とあるビルに辿り着いた。
といっても、この場に來狂の姿はない。
彼の援助はいつでもさりげなく――グラフィックステッカーや自販機の音声案内、
打ち棄てられた使い捨ての傘や自転車の番号などを通じて、入間の意識へ働き掛けるのだ。

(;^ν^)「ここならしばらく、安全なはずだ……」

息の上がった入間を、來狂は楽しげに観察していることだろう。
何とも歯痒い気持ちに襲われるが、助けられたのは事実である。
幾ばくか呼吸の落ち着いた入間は、辺りを見渡した。
ビルの内部は、濡れた埃の臭いで充満している。
生活痕が見受けられるものの、二人を邪魔する者はいない。
近々取り壊される予定がある為、先住民は立ち退きを迫られたのだ。

ζ(゚、゚;*ζ「大丈夫ですか……」

入間の背中に、心配そうな声が投げかけられる。

( ^ν^)「ああ」

短く返す入間の視線は、物資を探していた。
暗号曰く、來狂は入間の助けになる道具をビルに配置したのだという。
都子を気にかけながらも、入間は瓦礫を超えて探索する。
ところが入間は、些細な破片につまずいた。

ζ(゚、゚;*ζ「入間さんっ……!」

駆け寄る都子は、四肢に力の入らない入間を抱き起こした。

(; ν )(なんてザマだ)

あちこちの筋が攣りかけていることに、入間は舌打ちした。
それもそのはずだった。
先の逃走で入間は、背負っていた都子にも【超加速】を施したのだ。
もっともそれが無ければ、都子は
【超加速】によるダメージを、一方的に受けることになる。
入間の性格上、それは許されないことだった。
とはいえ彼の体からは、あまりにもナトリウムが失われすぎていた。

45 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:05:48 ID:YLCyI6VU0
(; ν )(どうしたもんかな)

ぼんやりとしか危機感を覚えない自分に、僅かに残った理性が警鐘を鳴らす。

(; ν )(ポケット……)

スラックスを弄るが、思うように手が動かない。
すると入間の手に、暖かな手が重ねられた。

ζ(゚、゚;*ζ「これ、ですか?」

薄暗がりの中、都子はジッパー袋を探し当てた。
頷く入間は、岩塩を取り出し、口へと放った。

(; ν )(これが、最後の手持ち……)

文字通り噛み締める入間の口からは、粉砕機さながらの音が響く。
その光景に初めて遭遇した都子は
信じられないような目つきで、成り行きを見守った。

( ^ν^)「さっきは、すまなかった」

ようやくひと心地ついた入間は、まず最初にそう言った。
都子の膝に寝そべる彼は、羞恥で頬が染まっている。
入間の言葉に、都子はかぶりを振る。

ζ(゚ー゚*ζ「わたしの方こそ、ごめんなさい。ご迷惑をかけて……」

( ^ν^)「謝るな」

つっけんどんな物言いに、都子は微かに身を固くした。
が、入間はこう続けた。

( ^ν^)「この程度、迷惑のうちに入らない」

もっとも彼の頭に浮かんでいたのは、トラブルメーカーの権化こと來狂の姿だ。
しかし事情を知らない都子は、入間に硬派な印象を抱いたらしい。
羨望にも似た憧れを含みながら、都子は笑んだ。

46 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:06:34 ID:YLCyI6VU0
ζ(゚ー゚*ζ「入間さんは、ちゃんとした大人なんですね」

その言葉が含む重さに、入間は何と返せばいいか、分からなかった。
それが幸いしてか、彼女はぽつぽつと話し始めた。

ζ(゚ー゚*ζ「宝石を埋め込まれてから、みんな物のように扱ってきて。
     死なないから、食事を忘れられる時もあって。
     それでも時々、模原さんだけが話を聞かせてくれたんです」

( ^ν^)「……仲、よかったのか?」

慎重に返した言葉に、都子は首を振る。

ζ(゚ー゚*ζ「妹さんの話をよく聞かせてくれました。
     唯一の家族で、とても仲がよくて。
     生きていれば、わたしと同い年らしいです」

( ^ν^)(模原の妹とやらは、故人なのか)

そういえば先程の戦いで、模原の妹は病弱だとも聞いていた。
話に矛盾はない、と納得しかけたところで、入間の脳が震えた。

( ^ν^)(いや、あれは雑念で――)

否定しかけるが、入間の脳は断固としてそれが真実だと認めて離さない。
得体の知れない確信に、いよいよ入間は薄気味の悪さを隠しきれなくなった。
それにも気付かず都子は、短く息を吐いた。
湿りを帯びたそれは、模原への罪悪感が入り混じっているようだった。

ζ(゚ー゚*ζ「……妹さんの代わりとして、面倒を見てたのかな」

( ^ν^)「いや、それはねえだろ」

間髪入れずに放った自分の言葉に、入間は呆気に取られていた。
そんなことを言うつもりはなかったのに、どうしてかそう断言してしまったのだ。
もちろん都子は、彼以上に驚いていた。

( ^ν^)「……かわいい妹だって思ってるんだったら、
        あそこで見逃してやるのが筋ってもんじゃないのか?」

入間の言葉に、都子は俯く。
まずいことを言ってしまったか、と入間は気を揉んだ。

47 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:07:17 ID:YLCyI6VU0
しかし、

ζ(゚ー゚*ζ「でも模原さんは、わたしの父に恩を感じているらしくて……」

紡がれる言葉は、模原の真意を代弁しているようだった。
まるで彼女の皮を被った模原が、入間に語りかけているような違和感――。

(;^ν^)「お前――模原の何なんだ?」

思わず出た言葉に、都子はハッと目を開いた。
パチクリと瞬きを繰り返すその目には、恐怖の色が浮かんでいる。

ζ(゚ー゚;*ζ「や、やだ……ごめんなさい……」

はぁふぅと息をする様は、必死に逃げた時のそれと似ていた。

( ^ν^)「いや、大丈夫だ……」

気遣う一方、入間の脳は、猛烈な速度で今の出来事を整理する。
饒舌に模原を弁護する都子は、文字通り取り憑かれているような様だった。
一方彼女の話には、ある単語が随所に散りばめられていた。

( ^ν^)(もしも文字通りに、その単語を解釈するのなら)

入間は、あの感覚を疑っていた。
脳に直接刷り込まれるような、断片的な模原の情報だ。
疑り深い性分によって、入間は無理やり真実ではないと分類をしてしまったが――。

( ^ν^)(耐性のない都子に同じことが起きたとしたら)

常人にとってそれは、『話を聞かされた』という認識になる可能性がある。

( ^ν^)(本当に底が知れねぇ奴だ)

嘆息する入間は、ゆっくりと身を起こした。

ζ(゚ー゚*ζ「もう、大丈夫なんですか?」

( ^ν^)「ああ」

頷く入間は、改めて頭を下げた。

48 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:08:00 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「すまない。優柔不断に陥り、判断を誤った。
       依頼人に助けられるなんて、仕事人失格だ」

ζ(゚ー゚*ζ「そんな……」

困った様子の都子は、おどおどとした口調で続ける。

ζ(゚ー゚*ζ「お礼を言うなら、來須さんに言ってください」

來須とは、來狂のことである。
入間は一瞬ポカンとして、それから頬を掻いた。

( ^ν^)「何だって、アイツの名前が出てくる?」

入間の問いに、都子は困ったような表情を浮かべた。
しかし彼女は、熟慮しているようでもあった。

( ^ν^)「ゆっくりでいい」

思いのほか柔らかく、言葉が放たれたことに、入間は驚いていた。
彼は初めて、都子と対話しようとしていた。

ζ(゚ー゚*ζ「閉じ込められていた時のわたしは、
      逃げようとしなかったんです」

ポツと言葉を零し、都子は小さく呟く。

ζ(゚、゚*ζ「違う……」

彼女の言葉を守るように、入間は起き上がった。
都子は、静かに言葉を繋いだ。

ζ(゚ー゚*ζ「正確に言うと、逃げたいとは思っていたんです。
     それなのに、逃げると言う選択肢が浮かばなかった」

( ^ν^)「ほう――?」

話を促す入間に、都子は勇気付けられた。
彼女は今、底の見えない暗闇に架かる
吊り橋を渡るような恐怖と緊張に襲われていた。
しかし今目の前には、都子の命を預かる入間という人間がいた。

49 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:09:17 ID:YLCyI6VU0
ζ( ー *ζ(死なないわたしを、
       この人は傷一つ付けずに守ろうとしてくれた)

伝播した入間の優しさは、たしかに都子の心へと伝わっていた。
同時にその優しさは、彼女につけられた傷を
俯瞰する勇気として、姿を変えた。
なればこそ都子は、入間に伝える。

ζ(゚ー゚*ζ「あんな目に遭わされて、逃げたいと思い続けていました。
     だけど、自分から逃げようと計画したことがないんです」

( ^ν^)(あんな目に遭ったら、無理もないんじゃないか?)

入間はそう言いたくなったが、グッと堪えた。
錬金術に触れたことのない彼女が、自分の身に起きた
あり得ない事物を、ありのままに語ろうとしている。
彼は静かに、都子を見守ることにした。

ζ(゚ー゚*ζ「でもある日、來須さんから『逃げないか』って言われて。
     そこで初めて頭が働いたんです。
     自分で作った心臓と、宝石を挿げ替えちゃえばいいんだって」

( ^ν^)「ちょっと待ってくれ」

思わず話の腰を折った入間に、都子は不安そうな顔をした。

( ^ν^)「挿げ替えの件は、君が提案したのか?」

頷く都子は、こうも話した。

ζ(゚ー゚*ζ「一番最初に、父から殺された時、
     心臓を作り上げたことがあって」

( ^ν^)(來狂が計画した訳じゃないのか)

些細な情報に、入間の記憶は何かを掴みかけていた。
考えこむ彼を尻目に、都子は口を開く。

50 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:09:51 ID:YLCyI6VU0
ζ(゚ー゚*ζ「わたしがおかしいと思ったのは、そこなんです」

入間は一度思考を止め、都子を見つめた。
彼女は、彼女なりに真実を掴んだらしい。

ζ(゚ー゚*ζ「そこまで明確に自分で解決する手段を考えられたのに、
     來須さんに言われるまで気がつかなかったんです」

( ^ν^)「――さっきの俺と同じだ」

入間の言葉に、都子は頷いた。
幸いなことに塩分を補給した彼の脳は、元の有能さを取り戻しつつあった。

( ^ν^)(何かがおかしい)

『鉱床』に潜入した時のことを、彼は思い返していた。
地下三階。
薄暗く、甘ったるい香が噎せるような濃度で焚かれている回廊を、彼は進む。
都子を囲う部屋までの道のりは一本のみという単調さであった。
構成員は片手で数えられる程度にしかおらず、警備は拍子抜けするほど手薄だった。
その中に模原や、錬金術師らしい人物はいなかった。
会員数が増える一方で、参倍郷は人手を確保出来ていないのだろう。
その時の入間は、そう考えていた。

( ^ν^)(いや、違う)

都子のいた部屋は、鍵すら掛かっていなかった。
その気にさえなれば、彼女は部屋を出ることだって可能だった。

( ^ν^)(まるで都子が、『部屋から出られない』ことを知っていたかのように)

51 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:11:06 ID:YLCyI6VU0
入間は気付く。
模原に追い詰められた時、入間は逃げられなかった。
何故なら彼の脳裏には、自死と自滅という
両極端な選択肢が、執拗に浮かんでいたからだ。
けれども都子が咄嗟に出した助け舟のお陰で、入間は逃走できた。

( ^ν^)「選択肢の【狭窄】か……!」

そうであれば模原の余裕綽々とした態度にも合点がいく。
刷り込まれた選択肢によって、入間の身動きが
取れなくなることを、模原は知っていたのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「錬金術って、そんなことも出来るんですね……」

慄えたように都子は言うが、入間はまだ納得していない。
というのも脳機能は、研究の手が及んでいない箇所があまりにも多い。

( ^ν^)(人体実験でもして、独自に研究しているならあり得るが……)

果たしてそんな余力が、参倍郷にあるのだろうか?
なにせ人を雇うことすら渋っているような連中である。
思わず唸る入間だが、はたと思い出したように立ち上がった。

ζ(゚ー゚*ζ「もう、大丈夫なんですか?」

頷く彼は、残された時間が少ないことを都子に説明した。
いずれ模原はここを嗅ぎつけるだろう。
それまでに來狂の物資を探し、入間は迎え撃つ準備をしなくてはならなかった。

ζ(゚ー゚*ζ「わたしも手伝います」

( ^ν^)「有難いけど、あまり離れてくれるなよ」

ζ(゚ー゚*ζ「入間さんこそ、無理しないでください」

( ^ν^)(……参ったな)

入間を看病したせいか、都子は快活さを取り戻しつつあった。
それだけ見れば微笑ましいが、無理に背伸びをさせていないか、彼は心配していた。
しかし見る限り、都子は自分で歩くことが楽しくてたまらないらしい。

52 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:11:37 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(ああ、そうか)

ただ黙って手を引くだけでは、彼女は救われなかったのだ。
しがらみもなく、安全な場所で、自分の行動を自由に選択する。
それこそが都子の傷ついた心を癒す、一番の方法なのだ。

( ^ν^)(まだまだだなぁ、俺は)

入間はそう気付き、自分を恥じた。
一方都子は、年頃の少女特有の爛漫さを携えていた。
足取りの軽い彼女は、ビルの奥へと吸い込まれていく。
それを見失わないよう留意しながら、入間は改めて模原について考え始めた。
一時はこのまま來狂の元へ行くことを考えたが、入間は諦めていた。
都子に【区分】を施したところで、奴は突破できることを証明してみせた。
みすみす彼女一人で社会に帰せば、絶好のチャンスを模原に与えることになる。

( ^ν^)(やっぱり殺すしかねえな)

幸い模原の性格と動向から、追っ手は彼一人と見ていいだろう。
恐ろしいことだが、模原は入間を気に入ってるフシさえあった。
追っ手を呼べば入間と触れ合う時間も無くなってしまう。
模原もそれは避けたいだろう。

( ^ν^)(悍ましいことだ)

二度も妙な干渉を受ける羽目になると思えば、入間の気は進まない。

( ^ν^)(他人に脳みそを捏ねくり回されてるようで、)

捏ねる。
もっちりとした生地を、パン屋の手が捏ねる。
慣れた手つきで工芸家が、粘土を捏ねる。
和菓子屋が、つきたての餅を捏ねる。
色が入り乱れるパレットに、乗せた絵の具を捏ねる画家。
清廉な水を加えた小麦粉を、うどん屋が捏ねる。
土木作業員がセメントと砂、水が入った練り船を捏ねる。
熟練した手付きで、従事者たちは物質を捏ねる。こねる。つくねる。

53 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:12:25 ID:YLCyI6VU0
入間の脳に、見えざる手が近付く。
親しみと、慈悲を携えて、恣意的な選択を、柔らかく、浸透するように。
入間の脳を、その手は捏ねる。
捏ねる手から、一献の雫が垂れる。
親しみ、情報、個人的な話、記憶。
知らずとも知らされる、彼のこと。

(; ν )(そんな、バカな)

焦げのようにこびり付いた入間の倫理観が、理解を拒もうとする。
不可解な現象に対する解の一部――鮮やかな毒を持つ
真実の尾は、入間の手に委ねられていた。

(; ν )(あり得ない)

道徳的に考えて、と言い訳する彼は、溜飲の下がるような思いがした。
一方彼の手の内からは、真実の尾がすべり落ちようとしていた。

川 ゚ 々゚)[本当にあり得ないことかなぁ?]

現か夢かも分からぬ精度で、來狂はそう言った。
今ここに出現した彼の実在性など、この際入間には関係なかった。
それは入間にとって、非常識を象徴する存在が、
身近な人間の形を借りているに過ぎなかったからだ。

川 ゚ 々゚)[ここで飛び抜けなきゃ、生きては帰れないぜ?]

乱雑な物言いは、調子のいい入間そっくりだった。

(; ν )(――認めなくては、ならない)

悍ましい業は、人間が持つ無限の可能性の一つであった。
それを否定することは、智へと近付く階段を引き返すことに、他ならなかった。

( ^ν^)「俺は、認める」

落ちかけていた毒の尾を掴み、入間は宣言する。
バラバラに散じ、宙へと撒きかけたピースが、一つの理論として結びつく。
それは、思考の黎明ともいえる瞬間だった。
夢幻めいた空想が、黴くさい空気と混ざり合う。
朧となる白い夢の向こうで、來狂は微笑んだ。
彼はやはり、狂っていた。

54 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:14:20 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(そして、真実を認めたくないと感じたことも受け入れる)

白くなる程握り締められていた手の内には、己が爪の跡しか残っていない。
白日夢から抜けた入間は、度し難い疲れに襲われていた。

( ^ν^)(ああ全く、なんて世界なんだ)

乱れた呼吸に対し、肩もつられていることに気が付いた時だった。

ζ(゚、゚;*ζ「入間、さん……」

戸惑いながらも阿るように、都子が声を掛けてきた。

( ^ν^)「すまない、考え事を――」

していたんだ、と言うはずだった声は失われていた。
青褪めた顔の都子は、とうに覚悟を決めたような顔をしている。

(  ν )(狂ってやがる)

舌打ちすら忘れた彼は、この場にはいない來狂と
都子の手中に握られた鶴嘴を、睥睨した。

55 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:18:10 ID:YLCyI6VU0



断章 三
続々 戯るお方は言うようです


.

56 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:18:33 ID:YLCyI6VU0
何故カリオストロ伯爵は、失脚したのか。
吹っかけられた問いに対し、回想内の入間は
ようやく岩塩を飲みくだした。

(;^ν^)「王妃の首飾り事件だろ……」

しかし単なる答えでは、來狂の興味を引くことが出来ない。
現に彼は、折り紙に興じていた。
手折られる紙の隙間からは、不気味な小人が微笑んでいる。
それが絵だと気付くまで、入間はほんの少し時間がかかった。
ヒョロヒョロとした体つきの小人は、
巨大すぎる手を重石がわりにして立ち塞がっていた。
長躯に負けず劣らず、顔もまた細長いが、唇はなおのこと目立っている。
肥大し、突出した口からは、雄蕊のように舌が突き出ている。
一言で言えば、異形、畸形、戦慄、涜神を連想させる風貌だった。
とはいえ妙な珍物を見慣れている入間は、すぐに落ち着きを取り戻した。
そうて來狂から玩ばれる前に、考え事を済ませてしまおうとも思った。
少なくとも折り紙が終わるまで、入間には平穏が訪れるに違いない。
その隙に乗じ、入間は王妃の首飾り事件に思いを馳せた。

57 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:19:27 ID:YLCyI6VU0
何故カリオストロ伯爵は、失脚したのか。
吹っかけられた問いに対し、回想内の入間は
ようやく岩塩を飲みくだした。

(;^ν^)「王妃の首飾り事件だろ……」

しかし単なる答えでは、來狂の興味を引くことが出来ない。
現に彼は、折り紙に興じていた。
手折られる紙の隙間からは、不気味な小人が微笑んでいる。
それが絵だと気付くまで、入間はほんの少し時間がかかった。
ヒョロヒョロとした体つきの小人は、
巨大すぎる手を重石がわりにして立ち塞がっていた。
長躯に負けず劣らず、顔もまた細長いが、唇はなおのこと目立っている。
肥大し、突出した口からは、雄蕊のように舌が突き出ている。
一言で言えば、異形、畸形、戦慄、涜神を連想させる風貌だった。
とはいえ妙な珍物を見慣れている入間は、すぐに落ち着きを取り戻した。
そうて來狂から玩ばれる前に、考え事を済ませてしまおうとも思った。
少なくとも折り紙が終わるまで、入間には平穏が訪れるに違いない。
その隙に乗じ、入間は王妃の首飾り事件に思いを馳せた。

58 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:20:30 ID:YLCyI6VU0
――それはフランス革命の礎の一つにも数えられる、詐欺事件であった。
先王ルイ十五世より――自身の愛人、デュ・バリーへの贈り物にする
という注文を叶えるべく、宝石商のベーマーが首飾りを作った。
最高級のダイアモンドをふんだんに使ったそれは、
金塊一トンにも匹敵する価値を秘めていた。
ところがルイ十五世は急逝し、首飾りは売り手を失くしてしまった。
高額な首飾りを抱えるベーマーは、マリー・アントワネット王妃に売り込もうとした。
しかし王妃は、首飾りを購入しなかった。
一つ目に、やはり値段が高額であったこと。
二つ目に、王妃とデュ・バリーは敵対関係にあり、
確執を新たに生むことを懸念したこと。
困り果てるベーマーだが、幸か不幸か救いの手が差し伸べられた。
王妃と親しい仲だと自称する、ラ・モット伯爵夫人が彼の前に現れたからだ。
彼女は王妃を説得し、首飾りを買うよう仲介役を買って出ると、ベーマーに申し出た。
喜ぶベーマーは、伯爵夫人に首飾りを託した。
首飾りを手にした伯爵夫人は、ロアン枢機卿に近付いた。
立派な野心を抱える彼は、王妃から目をかけてもらいたいと
常々考えていたが、しかしロアンは王妃から大変に嫌われていた。
名家出身の聖職者というやんごとなき立場でありながら、
筆舌しがたい放蕩家だったのだ。
それでも彼は出世を諦めきれず、何とかして王妃に取り入りたいと願っていた。
そこで伯爵夫人は、王妃へ首飾りを捧げるようロアンに進言する。
金に糸目をつけないロアンは、即座に首飾りを購入し、
伯爵夫人に代金を支払った。
そして彼女に、首飾りを王妃に渡す際、
よくよく自分のことを褒めるよう託けておいた。

59 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:20:59 ID:YLCyI6VU0
しかし首飾りは、行方知らずとなった。
事が発覚したのは、宝石商ベーマーの告発であった。
ラ・モット伯爵夫人に託した首飾りの代金が、待てど暮らせど支払われなかったのだ。
調査の結果、伯爵夫人は首飾りを解体し、諸外国へと売りはたいたのだという。
無論ロアン枢機卿が託した代金も、彼女が持ち逃げしたままである。
激怒したマリー・アントワネットは、関係者を片っ端から逮捕した。
この時カリオストロ伯爵も、首謀者の一人に数えられて逮捕されてしまった。
日頃より神秘の業によって、貴族から金品を巻き上げていた彼は、
やはり疑わしく思われたのだろう。
その後の判決でカリオストロは、無罪放免とされたが、
代償は大きかった。
元より民衆から貴族への不満が高まった時期でもある。
名声を失った彼は、徐々にパリの社交界から、姿を消したとも言われている。

60 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:22:05 ID:YLCyI6VU0
――凝り固まった眉間の皺を伸ばすように、入間の目が開かれる。
その瞳には、軽蔑するような色が浮かんでいた。

( ^ν^)(誰も彼もが欲に塗れ、
       それが呼び水となっているような事件だ)

より強大な欲に呑まれた人間は、目先の欲に囚われる弱者を捕食する。
弱肉強食とはよく言うが、人間同士で行われるとどうにも気持ちが悪い。
潔癖な入間は、そう思わざるを得なかった。

川 ゚ 々゚)「じゃーん!」

折り紙の完成を喜ぶ声が、突如として響く。
何の変哲もない、それはブックカバーだった。
まるで小人の皮を剥いで装丁にしたような、
猟奇的な趣きしか、入間は感じなかった。
本の裏表紙にあたる部分には、脳の断面図も描かれているらしい。
それがなおのこと、カバーの不気味さに拍車を掛けていた。
來狂はコレクションの山へと近付くと、乱雑に本を放った。
決して軽くはない音が響き、衝撃で山はまた雪崩を起こした。

川 ゚ 々゚)「今日の片付けは、おーわり」

( ^ν^)「冗談だろ」

パラパラと未だ崩れる山に、入間は呆然と言葉を放った。
しかし來狂は、清々とした顔付きだ。

川 ゚ 々゚)「だってあの紙も、あの本も、別々に置かれていたものなんだよ?」

それを一つに纏めたのだから、これは整理したうちに入る。
來狂の言い分は、そのようなものだった。

( ^ν^)(片付けの概念にズレがある……)

頭を抱えそうになるが、ふと気付く。

61 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:23:58 ID:YLCyI6VU0
鶴嘴には、参倍郷のシンボルが刻まれていた。
しかしそのシンボルマークには、隠された意味があるらしい。
そして來狂は、王妃の首飾り事件にヒントがあると言った。
無数のダイアモンドを使った、首飾り。

( ^ν^)(巨額の富と、名声、野心。
       それらを叶えるはずだった、宝飾品)

錬金術師としての勘が歴史を希釈し、人格によって寓意が濾過される。
いっそ気持ちの良さを感じるほどに、かつて生きた人々の思惑と感情
――獣性とも表現できる、生々しい心の動きが、入間に迫る。

( ^ν^)(鶴嘴によって地を拓き、
       地を潰すことによって、磨きを掛ける)

シンボルとされるマークは、ブリリアントカットの図。
ダイアモンドの持つ輝きを最大限に活かし、
物質としての価値を最上級に高めるものだ。

( ^ν^)(彼女――『乳母』の肉体は、
       ダイアモンドの鉱山そのもの……?)

少女を拓き、少女を潰し、生ずる骨肉と血から産まれるダイアモンド。
――それこそが、会員の欲望を叶えた産物。

( ^ν^)「つまり人々が欲望を向けることで
       ダイアモンドは一層の価値を背負い、
       全ての事物に干渉する富に換算されるため、
      どんなものでも手に入るという仕組みか――!」

縺れそうになる舌をいなしながら、入間は答えを叫んだ。

川* ゚ 々゚)「んふ」

智を手にする残酷さに、來狂の笑いは止まらない。
微かに漏れた声には、何千といる錬金術師たちの総意が隠れているようにも思えた。
彼は、いや彼らは、ほんの少し、
人間を辞める道へと歩む入間を祝福しているのだろう。
悪辣な祝言に気付かず、入間はなおも考えることが止められない。

( ^ν^)(だが宇宙には、等価交換の原則がある)

それは錬金術の大原則でもあり、長きに亘る人々の営みにも付随する掟だ。

( ^ν^)(いくらダイアモンドが万物の価値と欲を
       集約していると解釈出来ても、その実現には先行投資が――)

ヒュ、と彼の喉が鳴った。

62 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:25:30 ID:YLCyI6VU0
参倍郷には、金がある。

( ^ν^)(会員費か――!)

全身の毛穴をこじ開けて、戦慄が彼の身を蝕もうとしているようだった。
奥歯を噛む入間の顎から、ギリギリと終末じみた音が聞こえる。
それがかえって、彼の立つ瀬を指し示しているように思えた。
何故なら錬金術師は隙間産業であり、絶滅寸前の儚き職業でありながらも、
絶対に滅ぶことのない、罪深い浪漫であった。
飄々と生きている來狂も、必死になって隷従する入間も、危うい学業の渕を歩いている。
そういう意味では、錬金術師であるというだけで、彼は単なる孤独ではなかった。
ゆえに彼は、自分という人間の矮小さと宇宙の広大さ、それが恵ばかりでなく、
濃淡鮮やかな深淵さえをも含めて、自身に宿る小宇宙でも同様のことが起こる奇跡だと――。
ようやく、受け入れることが出来るのだ。

63 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:27:20 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「分かったぜ……」

息も絶え絶えといった様子で、入間は言い聞かせるように呟いた。
カリオストロが後世に残した、無限の富の正体。

それは、『その人物が生涯獲得する資産を先出しする』ことで産まれるのだ。

( ^ν^)「最初から裕福な生まれの者でなければ、富は得られない」

カリオストロの定めた裕福が、どれ程の額を指し示しているのかは分からない。
しかしどう考えても、答えはそうなってしまう。
末端の構成員を【王】は殺し、会長の娘である都子を【王】は見初めた。
それは揺るぎない事実なのだ。

( ^ν^)(とんでもねえ自転車操業だな)

懐に入る会員費を願望の巨大さが勝った瞬間、参倍郷も都子もタダでは済まないだろう。
高い買い物の割に、大損としか言えない結末であった。

川∩ ゚ 々゚)「お勉強の時間はもう終わり?」

片肘をつく來狂に、入間は首を振る。

( ^ν^)「カリオストロ伯爵は、たしかに無実だった」

恐れを振り切るように、入間は真実を口にする。
見守る來狂は、破顔を深めた。
――あくまでも入間の推測だが、カリオストロは首飾り事件の
首謀者に数えられて、相当腹が立ったのだろう。
首飾りを彩った五四〇粒のダイアモンド。
その輝きゆえに人は金に目が眩み、あるいは野心を叶える至宝として夢を見た。
それでいて傷みを添加したのは、彼なりの嫌味なのだろう。
腕によりをかけた傑作【傷みの王】を通じて彼は主張する。
あの事件をもし錬金術師である自分が計画したら、
それに関わった相手はどうなってしまうのか。
徹底した破滅を敷くことで、彼は身の潔白を訴えているのだ。

( ^ν^)(きっと、おそらく、そうだと思う)

煮え切らない言い方は、そうであって欲しくないという願いでもある。
けれどもその可能性は、ゼロに近い。
わかっていながらも、入間は願うことを止められない。
それこそが彼の小宇宙を支配する、
正義であり、善性であり、未成熟を示す獣性なのだ。

64 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:28:04 ID:YLCyI6VU0



三章 乳母は仰せるようです


.

65 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:28:55 ID:YLCyI6VU0
都子の元付き人――模原 臨(もばら のぞむ)は、
美府駅より遠く離れた地を歩いていた。
もし彼の周りに、構成員が従属していたら、
駅周辺を探したいと願っていたことだろう。
されど幸いなことに、模原は邪魔な人間を一人も連れてはこなかった。

( ・∀・)(元々取るに足らない無能な集団だ)

彼の中での構成員たちは、そのような位置付けだった。
都子のスケジュールを確認し、詰まりに詰まった予約に嘆息し、
何とか相手に延期を申し出、歓心を買うように謝る。
――そんな仕事を、模原は請け負ったことがない。
電話を切った後の彼らが罵詈雑言を吐き、
部下に当たる様を、模原はよく目にしていた。

( ・∀・)(そんなつまらない人間と、自分は違う)

自負する模原は、己が技術を磨きあげた。
結果彼の人身掌握術――【選択肢の狭窄】は、完璧だった。
ただ一つの弱点を除いては。

( ・∀・)(規約を破るバカがいただなんて)

都子を連れ戻したら、真犯人を探らなくてはならない。
新参会と繋がっている以上、いくら金払いのいい
会員といえど、容赦は出来ない。

( ・∀・)(どうせ無能のバカ共には、
       誰の手引きによるものかなんて分かるはずもない)

肥大した模原の自尊心は、徹底的に彼らを切り刻む。
とはいえ今回の件は、不愉快なことばかりではない。
入間という錬金術師に、お目にかかれたのだ。
参倍郷の抱える一人を除き、模原が
錬金術師と出会ったのは、これが初めてであった。
無論参倍郷の会員も多かれ少なかれ、
錬金術師ではあるが、いかんせん彼は都子のお目付役に専念していた。
よって彼は、入間に強く興味を惹かれていた。
参倍郷の錬金術師よりも、ずっと青臭く、愚直な業を彼は使うのだ。

66 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:32:41 ID:YLCyI6VU0
幸い模原の肉体は、驚異の再生能力を誇る。
その上一度会った人物の足跡は、手に取るように辿ることが出来た。
現在彼の脳は、特定の周波数を受信するラジオのように、入間の脳波を捉えている。
優れた動きと燃えるような闘志。
そして真理を掴む為には何の犠牲も厭わない貪欲な脳波は、非常に追いやすかった。
とはいえ、やや気がかりなことがあった。
模原は最初、都子の脳波も同時に追っていたのだが、途中で接続が途切れてしまったのだ。

( ・∀・)(目眩しの術も使えるようだし、
       新手の術によって誤魔化しているのだろうか)

もしそうだとしたら、と考える模原の胸はときめきに満ちていた。
謎の錬金術師、入間。

( ・∀・)(仕事とはいえ、殺すには惜しいなぁ)

区画整理の対象地区に足を踏み入れた模原は、ぼんやりとそう思った。
グンと強まる入間の気配に、釣り上げられた魚のように模原は導かれる。

( ・∀・)(けれども、ご勘弁を)

こちらにも負けられない理由がある、と模原はひとりの少女を思い浮かべた。

67 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:37:52 ID:YLCyI6VU0
――模原が能力を使う際、一つの制約が存在した。
それは、今は亡き妹を想起することだった。
強く強く念じ、降霊術のように、朧な妹をこちらへと寄せる。
模原の妹は、非常に病弱であった。
産まれてから一度たりとも病院の敷地を越えたことはなく、
星明かりの瞬きによって細胞が崩れてしまうほど、体が脆かった。
ベッドから起き上がることの出来ない彼女の楽しみは、
兄と行く十五分程度の散歩だった。
新月、曇天の空という条件が揃うことで、
一切の光を拒む妹はようやく外に連れ出すことが出来た。
妹の肌は青白く、骨が浮き出ていた。
車椅子には酸素ボンベと三種の点滴袋が搭載されていた。
妹は模原のことを「のぞむ」と呼んでいた。
その名を呼ぶ声は、薬品を吸い込むべく、
ピペットを押した際にガラスを吹き抜けるか細い風のようなものだった。
妹はそれ以外に言葉を知らず、立つこともなく、
自発的に呼吸をせず、兄の手を握ることも出来なかった。
そんな妹を見捨てた両親の顔を、模原はまったく覚えていない。
むしろ両親という概念が存在したかさえ、彼には怪しい。
彼の世界は自身と、妹と、それ以外のものしかなかった。

( ・∀・)(ああ、妹よ)

嘆息のような模原の吐息が、湿気たビルの内部をかすかに揺らす。
どこにも人の気配はなく、模原は歩みを進める。
一歩一歩と前進するたびに、模原と入間は文字通り近付いた。
無間にも続く階段を踏みしめて、一層模原は妹への懸想を強めた。
彼には悔やんでも悔やみきれない過去が存在していた。
いよいよ虫の息と化す妹を前に、模原は【傷みの王】を捧げたいと考えた。
ゆえに彼は、妹を【王】の移植先として推薦していた。
幸い移植先に困っていた参倍郷は、その提案を受け入れた。

68 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:38:27 ID:YLCyI6VU0
けれども参倍郷の会長は、模原の妹に移植する直前で、判断を翻した。
そして会長は、自分の娘に移植を試みた。
どうせ彼女も死んでしまうだろう。
そう思って妹を励ましていた模原の予想は、裏切られた。
高出 都子に【王】が適合したと知った晩、妹は死んだ。
模原が都子の付き人に任命されたからだ。
模原の能力は、対一人のみに作用する。
ありとあらゆる可能性を奪い、妹に「生きる」という選択肢のみを提示し
続けた模原は、以降都子から「逃げる」という選択肢を奪わなくてはならなかった。
模原は、慟哭した。
それと同時に、模原の能力には妹の翳が差し込むようになった。
都子の選択肢を奪い続ける日日是日日、一度たりとして妹の死を忘れたことがない。
献身と愛情が一転し、憎悪と徒労へと姿を変えて、彼の能力は強化した。

(  ∀ )(それもこれも、都子。総ては君のせいだ)

真空じみた咆哮を携えて、模原は屋上への扉を開けた。
もう、すぐそこに、入間という錬金術師は立っている。
模原の練り上げた歪な選択肢を、押し付けられるとは知らずに――。

69 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:39:48 ID:YLCyI6VU0
じっとりとした空気から解放されると同時に、模原は開けた場所に出た。
空は未だ雲に覆われ、もう一雨降りそうな気配があった。

( ・∀・)「!」

ぼたぼたっと滴る液体に、模原は一瞬怯んだ。
ややとろみのあるそれは、なんてことはない。
ただの血液であった。
踏み出す模原が振り返りしな、頭上を見上げる。
黒く大ぶりな影は、貯水槽だったに違いない。
中途半端に残った梯子をつたい、血が滴っている。
バリ、バリ、と岩を齧るような音が聞こえた。
視線を正面に戻すと、欄干にもたれかかる入間がいた。
岩塩を頬張る彼の口は赤く染まり、鬼神のようだった。

( ・∀・)「都子さんを『利用』されたんですね」

一歩入間へと近付いた模原は、笑んでいた。
もっともその表情には、隠しきれない悪意が滲み出ていた。

( ^ν^)「だったら、どうした」

シャツで口元を拭う入間に、模原は間抜けな道化師を連想した。
都子謹製のルージュは、いささか量が多すぎた。

( ・∀・)「あんなにも、我々を非難し、
       あんなにも、人並みの扱いをして、
       あんなにも、紳士を気取っていたというのに!!」

滑稽と嘲笑の的となった入間を、模原はいよいよ哄笑する。

( ・∀・)「たかが一口の為に、彼女を殺すだなんて!」

けたたましい笑い声は、凪いだ水面に落ちる一滴の墨汁のようだった。
波紋を描き、跳ねた雫が揺れる波間に沈みゆき、
透明な泉は夜色の液体を拡散する。
注意深く動向を伺っていた入間の眉が、微かに動く。

70 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:40:52 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(来た――!)

その刹那、入間は、脳だけが一人の人間として人格を持つ心地がした。
入間の肉体という器から、体積を増やした脳が溢れ出しそうになる。
それでも入間の魂は、不本意な逃走を企てる脳を、しっかりと見張っていた。
入間の脳は戸惑い、ありもしない幻想を映す。

「のぞむ」

文字として認識したはずの言葉が聴覚野を刺激し、海馬では目まぐるしく血が巡った。

(  ν )(ああ、これが、お前の妹なのか――)

脳の反乱は、小康状態へと堕ちた。
物事の決断を司るニューロン――。
とはいえ入間は、具体的な場所を把握出来なかった。
何故ならそれは、最新鋭の科学でさえも明かすことが出来ない、深夜の道であったから。
そこが熱を帯びたように、姿を変えていく。

71 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:41:23 ID:YLCyI6VU0
それは、盤上であった。
入間と模原、それぞれの領地を示す色のついた石が転がっている。
入間が一つ、自分のために事を成せば、領地がまた一つ増える。
入間が一つ、模原のために事を成せば、
入間の領地を奪って、模原の領地が一つ増える。
しかし入間が、あまりにも入間のために領地を増やしてはならない。
拡大した領地を、狡猾な模原は奪い返す。
その瞬間が来たら、入間は選択の余地がなくなる。
そして、模原のために、模原の領地を増やすしかなくなるのだ。

(  ν )(勝手に、人の脳みそでゲームをやりやがって……)

ぞっぷと胸に迫り上がる吐き気を飲んで、入間は模原を睨む。

( ^ν^)「ボケが、喧しいんじゃ」

入間が腕を振ると、ナイフが握られていた。
模原と同型の、サバイバルナイフだった。
んっふ、と笑みを殺し、模原もナイフを見せつけた。

( ・∀・)「同好の士として、先手は譲って差し上げます」

( ^ν^)「同じ穴の貉だって言えよ」

自虐的な入間に、模原は慈しく嗤笑した。

72 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:43:00 ID:YLCyI6VU0
それを皮切りに、入間は屋上を駆けた。
模原へ肉薄し、まずはその右肩に刺突を仕掛ける。
模原は肩を引き、入間のナイフを躱す。
空振る入間の左手首を切り落とすべく、今度は模原がナイフを走らせた。
後退する入間だが、名残惜しいのか、蹴りを放つ。
模原の顎を狙ったが、間一髪、左肘によって払い落とされてしまった。

( ^ν^)チッ...

なおも後退する入間を、模原は跳躍して追い詰める。
狙うは入間の脳天、ないしは首であった。
落下の勢いを利用し、模原の凶刃が入間へと迫る。
一瞬焦ったような表情で、入間は前転して避けた。
しかしその背中に、薄ら寒いものが走った。

(;^ν^)(ヤバ――)

大仰で隙の多い攻撃は、模原のブラフだった。
悟る入間の背後に、投擲されたナイフがなぞろうとした時だった。
超加速した入間は、右腕でナイフを薙ぎ払った。

ギャリッ――…………

鉄で鉄を殴ったような音が、虚空に響く。
弾かれて明後日の方向へと向かうナイフは、欄干を越えようとしていた。

( ・∀・)「おぉっと」

肉が抉れるのも構わず、模原の素手はそれを握り締めた。
ボタボタと血が垂れるが、屋上を濡らす前にそれは掻き消えた。

( ^ν^)(まるで液体窒素が蒸発するようだ)

改めて人外の能力を目の当たりにし、入間は苛立った。

( ・∀・)「うわ、痛くないんですか?」

( ^ν^)「クソ痛ェわ、ダボ」

食い気味に入間は答えた。
その証拠に、右腕は柳のように揺れている。
度重なる酷使によって、筋は弛緩しきっていた。

73 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:43:48 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(いよいよピンチだな)

ピンボケした危機感が身を襲うが、入間にとっては計算の内だ。
不遜な笑みを漏らし、模原はナイフを逆手持ちした。
入間がそれを視認するよりも早く、模原は彼の間近へと駆け出した。
入間へと振られるナイフは、相変わらず大味な攻撃である。
――さて入間の脳裏には、こんな選択肢が浮かんでいた。

一、模原の首をへし折る
二、模原を撲りつける
三、鍔迫り合いをして、攻撃を防ぐ
四、自殺する
五、自分の目玉を抉り出す
六、土下座して、模原に首を差し出す

この中にどれだけ、入間の自由意志が与えられているのか。
答えはたった二つ――三番以降の選択肢は、模原の干渉によって与えられた選択肢であった。
この勝負、入間の分は相当悪かった。
なにせ彼の脳裏では身勝手な陣取りゲームが行われているし、
選択肢を注視するには、余計な集中力を割かなくてはならなかった。
おまけに入間の肉体は、長年の勘によって反射的に動くきらいがあった。
うっかり陣地を増やし、それを一斉に奪い返されてしまったら、
一戦目に起きた選択肢の詰みに陥ってしまう。
平時であれば有難い反射神経も、今回ばかりは足手まといと化していた。

( ^ν^)(まったくもって、クソみてぇな選択肢ばかりだな!)

バチギレしながら、入間はマシな選択肢を採った。
入間の持つナイフと、模原のナイフが交差。
そして一厘の火花を散らし、聞くに耐えない音を生み出した。

(;^ν^)(あっっっぶね)

飛び退く入間は、手中のナイフを見やった。
幸いナイフには小さな傷が残るばかりで、折れることはなかった。

74 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:44:26 ID:YLCyI6VU0
( ・∀・)「もっと僕の近くにおいでったら」

甘ったるく、妙な色艶を滲ませて、模原は入間の懐へ詰め寄った。
放たれる斬撃を、入間はなんとか躱す。

(  ν )(まだなのか、都子――)

奪われる選択肢を垣間見て、入間は動きを鈍らせた。
好機とばかりに、模原の左手がフックを放つ。

(; ν )「ぐぅ――ッ!」

クラリとする意識を保ちながら、入間は模原を睨む。
まともにパンチが入り、模原は調子に乗ったらしい。
もう一回殴ろうとする相手を、入間は切りつけた。
微かに表情を歪ませた彼は、左腕が切り裂かれていた。
入間の頬に、生暖かい血が飛んでくる。
されど模原は、構わず突っ込んできた。
姿勢低く、入間は模原の脇をすり抜けた。

( ^ν^)(あっ)

そう思うも、時すでに遅し。
去り際に入間は、模原の横腹を裂いていた。
反射的に下した選択肢を、入間は止められなかった。
蓄積した疲労は、並行して行われるゲームにも影響していた。
ちょうど今、脳内の入間は模原の駒を蹴散らかすところだった。

( ^ν^)「あぁ……」

徒労に終わった声が、入間から漏れ出した。
飛び出したモツが逆再生するように、つるんと模原の腹へ戻ったからだ。

( ・∀・)「本当に、惨いことばかり施すんだから」

痛くもない腹をさすり、模原は少々苛つきを見せた。

75 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:44:58 ID:YLCyI6VU0
模原は入間に追い、回し蹴りを放った。
綺麗に吹っ飛ぶ入間は、ひび割れた屋上の床へ叩きつけられた。
すると模原は回転の勢いを活かし、夜空へと躍動して見せた。
両手でしっかと握られた刃が、模原の頭上で宵闇と同化しかけている。
入間を縫い付けんとして、それは振り下ろされた。
間一髪転がった入間は、頬に熱い感触を覚える。
ナイフは彼の頬を掠め、薄く傷を生じさせたのだ。
床にナイフが食い込み、模原は微かに戸惑った。
しかしなおも逃げようとする入間の腹を、
模原は踏み潰すようにして、引き止めた。
轢殺された蛙のような声が、入間の喉から迫り上がる。
チカと明滅する思考には、盤上がチラついた。
そちらの戦況は、盤がグロテスクに染まっている。
先程見せた入間の反撃に、模原の手駒は喜び勇んで食い物にしたらしい。
劣勢に追い込まれた入間の手駒は、憎きその陣地を塗り替える隙を伺っていた。

(; ∀・)「イ、ッ――!?」

手にしていたナイフで、入間は模原のアキレス腱を切断した。
あまつさえその刃は、足首の関節へと潜り込む。
ヵッ――と、枯れ木が倒れるような音がした。
それは模原の足を結ぶ関節が、軽妙に外れる音だった。
筆舌しがたい悲鳴を上げ、模原は地に伏せた。
彼に囚われていた入間は、ヤモリのようにするりと流れた。
体制を立て直し、しっかと握った刃が模原の背腹を貫いた。
ただし入間はこの攻撃に、【超加速】を施していた。
柄まで血濡れた刃から衝撃が走り、細かな波として模原の肉を吹き飛ばす。
それでも模原は、ナイフを手放していなかった。
肩が外れることも厭わず、瀕死の怪力によって、
模原は並外れた動きでナイフを振るった。
狙うは彼――入間の首、ナイフは迫りゆく。

76 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:45:41 ID:YLCyI6VU0
その時だった。

ζ( Д *ζ「模原 臨!」

模原の腕は、ピタリと動きを止めた。
刃を刺したまま、入間は顔だけを給水塔に向けた。
そこには元の気丈さを得た黒衣の魔女――都子が立っていた。

ζ(゚ー゚*ζ「あなたに、妹なんかいない」

それは、謐けさに投じられた一石そのものであった。
地に伏せる模原は、ガツンと頭を殴られたような心地だった。

(  ∀ )「いない、だって?」

力無く呟かれた言葉に、入間はそっと懐に手を這わせた。
――都子の傷が癒えた時、合図と挑発を兼ね、
先の言葉を叫ぶよう入間は依頼していた。
模原の能力は対一人にしか効かないという仮説を、入間は立てていた。
何故なら路地裏の戦いで、模原は都子から逃亡という選択肢を奪わなかった。
己が能力の穴を塞ぐことなく、模原が二人を甚振るのは、
単なる偶然には思えなかったのだ。
よって入間は都子の傷が癒えるまで時間を稼ぎ、
彼女の恢復と同時に模原を挑発。
彼の注意を都子に惹きつけることが出来れば、入間は【狭窄】から解放されるのだ。

( ^ν^)(乱闘やりながら
       オセロの真似なんて、もう二度とゴメンだ)

ゴチる入間の口調には、余裕と勝機が滲んでいた刹那。

(  ∀ )「――オマエは」

どう、と入間の体が宙に弾き飛んだ。

77 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:46:20 ID:YLCyI6VU0
(; ν )「っ――!?」

(#o∀o)「あの娘の何を知っているというんだァァアァアアァァアアッッッ!!!!!!!!!!」

咆哮。
それ以外に形容しがたい音が、模原の口から発せられていた。
ビリビリと揺れる空気を吐く腹は、
杭として機能していたナイフを微塵に変える。

(;^ν^)「バケモノじゃん――!!」

白い水蒸気を放つ口内は、マグマのように滾った殺意の表れだろうか。
いずれにせよ、このままでは都子がタダでは済まない。
作戦を変更し、入間は銃を構える。
高速で落下しながらも、その銃口は模原の頭を狙っていた。

(#o∀o)「邪魔だ」

ところが入間は、明後日の方向へ投げ飛ばされていた。
いや、頭蓋を誰かに挽かれ――まるで脳がそちらへ行きたいと転移し、
彼の肉体と魂が追いついてしまったかのような挙動を、入間は引き起こした。

(lil ν )「ぅヴォエッ――」

超加速を越えた重力と斥力が同時に働き、
入間は内臓を直接打撲したような有様だった。
辛うじて銃を握りしめたまま、吐瀉物を撒いて彼は落下していった――――。

78 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:47:16 ID:YLCyI6VU0
激昂する模原は、今や人としての形を保っていなかった。
自身を人間として定義する動機――妹について、都子が否定を口にしたからである。
しかし模原は、そんな自分の有様に気付くことはなく、
未だ自らを人間の一種として認識をしていた。
すべては盲目的に、黄金を産み出す業――錬金術の成せる奇蹟と信じたままに。
彼は、進みゆく。
立ち竦み、こちらを見下ろす、高出 都子の元へ。
息を呑む都子が一つ瞬きをする度に、模原はその距離を縮めていた。
もはや彼の手は梯子を捉えている。
あと一つ、息をすれば彼女の首は捻られていたことだろう。

ζ( ー *;ζ(だけど、怖がってなんかいられない――!)

数巡前に入間と交わした言葉を思い出し、都子は勇気を口にする。

ζ(゚ー゚*ζ「そもそもあなたは、生きた人間ではない」

恐怖が膠のように張り付いていた筈の口が、
雄弁に言葉を紡いだ瞬間、模原は動きを止めていた。
彼自身理由は分かっていなかったが、
都子にはそれが、呆気に取られていたようにも思えた。

ζ(゚ー゚*ζ「あなたは、ホムンクルスなの」

(#o∀o)「何を、言っている――」

嘲笑するように、模原は呟いた。
彼の脳裏では、参倍郷に従事する錬金術師の口が動いている。
蒸留機に人間の精液を封じ、一定の温度を保ち続けることで、産まれる小人。
姿を生じた時点で、それはあらゆる知識を備えているが、フラスコの外へは出られない。
取るに足らない知識を持つ人間の手なしでは、
存在することすら叶わぬ知恵の小人。
――それこそが、ホムンクルス。

79 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:50:57 ID:YLCyI6VU0
(#o∀o)「そんなはずはない」

嘲りを含んで、模原は言い返す。
模原はまだ、何も知らないと自負している。
世の中のことも、宇宙のことも、錬金術についても、知らないことばかり。
黄金の智恵を持つ小人とは、程遠い姿だ。
そもそも単一で発生する小人に、妹という概念は存在しない。
模原には、妹がいる。
それだけで、模原は人間であると主張出来た。
されど都子の唇は、熱く真実を語る。

ζ(゚ー゚*ζ「わたしが一番初めに作り出した心臓は、
     ガラスの壁を越えることができない、あなたに与えられた」

模原の頬に当たる部分――黒雲めいた晦冥に、煮えた油のような血が巡る。

(#o∀o)「默れ、【フラスコ】如きが――」

発したのち、模原は絶句した。
あんなにも忌むべき単語を、智ある小人を封ずる
フラスコという言葉を、都子は抱えている!
開闢にも似た霹靂が、模原の体躯を戒めた。

ζ(゚ー゚*ζ「移植手術とあなたの発生、どちらが先かは分からない」

だけど、と続く言葉を模原は静かに受け入れる。

ζ(゚ー゚*ζ「わたしに【乳母のフラスコ】と
     名が付けられたのは、紛れもない事実でしょう?」

積み重ねられる信憑性に、しかし模原は頭を振った。
都子にはそれが、駄々を捏ねている小さい子供のように見えた。

(#o∀o)「妹が、いる」

繰り返された言葉に、都子は首を振る。

80 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:52:20 ID:YLCyI6VU0
ζ(゚ー゚*ζ「小さなフラスコから解放され、あなたは父に恩を感じた。
     だから全智を棄て、後釜を失うことで忠義を示そうとした」

(#o∀o)「煩瑣(うるさ)い……」

ζ(゚ー゚*ζ「そして始終見張らなくてはならない
     わたしに執着する理由立てとして、哀れな妹を――」

(#o∀o)「煩瑣いと言っているんだ!!」

瞬間、模原は見えざる脳波を手繰り、都子の脳を犯した。
己が手足の如く、都子の脳は容易く手中へと堕ちる。
幽けき姿の手弱女――妹を追憶し、恥知らずな侮辱を
紡ぐ口を封じようと、模原は選択肢を刷り込んだ。
都子に与えられた選択肢は四つ。
謝罪。
あるいは沈黙。
はたまた自害。
それとも舌を噛み千切るのか。

(#o∀o)(さあ、選べ――)

どうせ彼女は、どれも選べないだろう。
模原はほくそ笑み、そう決めつけた。
微動だにしない彼女に、模原がいよいよ迫ろうとした時だった。

ピチャ…………

天雫が垂れるような音が、模原の頬より響いた。
遅れて都子の口から、小塊が溢れた。

(;o∀o)「ッ――!?」

それは、舌だった。

ζ( ー *ζ「何度だって、否定するわ――」

些か幼さを含んだ斑声(むらごえ)が、
模原の鼓膜、三半規管、蝸牛――それらを超えて、脳へと響く。

ζ(゚ー゚*ζ「だってあなたの妹には、名前も貌も無いでしょう?」

81 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:52:54 ID:YLCyI6VU0
(;o∀o)「――――」

声なき模原は、もはや何を言おうとしたのかさえ、纏めることが出来なかった。
妹を幽閉せし胸の奥――黒けき洞に、火のついたマッチが落とされたような心地。
虚ろで、同時に盲いた過信を照らすに足る、暗澹とした光であった。
それを感ずると同時に、模原は思い出す。

――叡智とは、あらゆる物質が傅く神秘。
この世を統べる巨大なる法。
如何なる暴力によって破壊されようと、いつかは回復するものだ。
されど智が秘めたる不変性は、それもまた猛き暴力にも数えられる。
ゆえに智力はフラスコや骨の中に飼われ、一生を過ごすこととなる。
だからホムンクルスは、フラスコの外から出られない。

(; ∀ )「そんな……」

模原の呟きは、連想される言葉に対する命乞いだった。
それ以上智を得ることは、取り返しのつかない展開を迎える。
彼の直感は、警鐘を鳴らす。
しかし真理は、智は、決して彼を容赦しない。

――例外によって産まれ出でた心臓は、
小人を閉じ込めるフラスコを象徴していた。
それを胸裡に抱えることで自らに宿った智力を心臓に封じ、
ホムンクルスとしての性を、彼は捨て去った。
されど封じられてもなお、智は力強かった。
かの不変性を以って、智は模原の肉体に干渉した。
不変性は、彼に無限の再生能力を与えた。
そしてホムンクルスの性を忘れることのないよう、
他人の脳に干渉する力も与えた。
拒絶してもなおこちらに手を伸ばす智を、模原はひどく恐れた。
同時に智の持つ強大な力に、彼は魅入られてもいた。
ゆえに模原は、都合に悪いことを忘れることにした。
その姿勢こそが、まさに選択肢の【狭窄】そのものあった。
その力に甘んじて彼は鍛錬を重ねることもなく、
何の疑問も抱かず、盲いたままに自らの能力に溺れ続けた。
常軌を逸する覚悟も、強固に執着する美学も持ち合わせていない模原。
彼は、錬金術師ではなかった。

(; ∀ )(そんなことが、常識として、赦されるのか)

詭弁を口にしたい模原だったが、それは出来なかった。

82 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:53:38 ID:YLCyI6VU0
三発の銃声が、真夜中の虚空に響く。
一発目。模原の胸部を貫通し、苛烈なまでに破裂する。
それは、心臓を宙へと引き摺り上げた。
二発目。胸部に着弾した瞬間、それは水酸化ナトリウムの液を、四方に散らした。
強塩基性のそれは貪欲な肉体が枝葉を伸ばし、
心臓を受け取ることがないよう、傷を酷く灼いた。
三発目。宙を舞う心臓――玻璃を主材としたそれは、
どう見ても人の持つ臓器ではなかった。
ナトリウムの錬金記号が刻まれた凶弾は、
空気に含まれる僅かな水を糧に、一瞬の命を燃やす。
ピシ――、と内から外にかけて、心臓に罅が入る。
なおも暴れ狂う弾は、さながら卵を破る雛のようだった。

(  ∀ )「あぁ……」

成すすべもなく、模原の手から梯子が離れていく。
それと同時に、破滅という名の雛が孵る。
フラスコより生まれ、フラスコと同じ位置を持つ玻璃の心臓が、細かな粉塵と化す。
次いで起きた水素の爆発に巻き込まれ、それは跡形もなく消え去った。
――落下する模原は、その顛末を閑かに見守っていた。
揺らめく彼は、自分の腕を見やり、ようやく気付く。
そこには寒暖のどちらにも対応できる、
上質な素材で出来たシャツを纏った腕は存在しなかった。
ただの虚無であり、辛うじて残った人間性によって、
黒だと認識する脳だけが残されていた。

(  ∀ )(そんな……)

都子の言葉に信憑性が増し、模原は言葉を失う。
自分が何者であるのか、いよいよ受け入れ難い事実が忍び寄る。
かつて背中であった部分が、床に叩きつけられようとした時だった。

(  ν )「クッッッソ疲れたわ」

聞き覚えのある声が、彼を抱き止めていた。

(きみは、死んだはずでは)

もはや彼に口は残されていなかったが、入間は首を振った。
かろうじて他人の脳へと干渉する力が、彼には残されていた。
もっともこの状態では、彼の思考も相手に筒抜けとなる。
その事実について、彼は少々気恥ずかしく思った。

83 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:54:37 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「必死こいて這い蹲って、ビルの壁をよじ登っただけだ」

タネを明かす入間の手は、皮がベロベロに剥けている。
さながら蝋引きした和紙のように、赤い血が滲出していた。

(その手をナトリウムに見立て、
 壁面に残った雨垂れで【超加速】を施したのか)

納得する彼に、入間は眉間を寄せた。

( ^ν^)「お陰様で久々に、銃の精度が狂うところだった」

(それでも当ててみせたじゃないか)

どうしてそこまで入間が必死になれるのか、彼には分からなかった。
彼にとってフラスコは退屈そのものであった。
出られた時には随分と喜んだような気がするのだけど、と彼は思った。

( ^ν^)(そりゃ、男同士の秘密だけども)

内裡でも小さな声で語る入間に、彼は惹きこまれていく。

84 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:55:10 ID:YLCyI6VU0
***


鶴嘴を持つ都子に、入間は首を振った。
どうしたって彼女の傷を付けることなど、彼には無理だった。

ζ(゚ー゚*ζ「入間さん」

しかし都子は、自ら歩み寄った。

ζ(゚ー゚*ζ「わたしを、『使って』ください」

( ^ν^)「だけど都子」

ζ(゚ー゚*ζ「わたし、今まで自分一人じゃ何にも決められなかったんです」

( ^ν^)「それは、模原や参倍郷のせいで――」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ。機会そのものが奪われたってことは、理解していますよ」

首肯する都子は、後ろめたく思う入間の目を射抜いた。

ζ(゚ー゚*ζ「だからこそ、わたしも戦いたいんです。
     ほかでもない、わたしの自由の為に」

だから、と都子は入間に鶴嘴を託した。

ζ(゚ー゚*ζ「新しい依頼です。あなたと一緒に戦いたい
     わたしの為に、作戦を考えてくれませんか」

( ^ν^)「…………」

ζ(゚ー゚*ζ「【乳母のフラスコ】で産出出来るもの全て。それが報酬です」

そして回想内の都子は、入間に微笑んだ。
待ち侘びた春を植物が受け取り、花開くように。
それは間違いなく、彼女にとって、新しい一歩であった。

85 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:56:02 ID:YLCyI6VU0
***


(……――はは、)

入間の回想を見た彼は、蝕まれたように笑った。

( 色香も、空気も、音色も、所作も、何もかもが違うじゃないか)

まるで目の前で起きた出来事のような鮮やかさに、彼は惨めに認めた。

(これが、本物の記憶なんだ)

亡霊のような――もはやそれの名称すらも思い出せない、
虚構の思い出に固執していた彼は、力無く笑って、諦めようとする。

( ^ν^)(それでも、模原)

絶望にうな垂れる彼を、入間は包むように言葉を編む。

( ^ν^)(大宇宙に妹という概念が存在するかぎり、
       模原 臨という小宇宙の中で、それが生を
       享けることは、何ら不思議ではないんだよ)

(――――…………)

黙する彼は、近付く終焉と引き換えに、授かった智恵を取り戻しつつあった。
そして入間の真意を理解した上で、彼は応えなかった。
今更そう言われたところで、矮小なる智の小人へと
彼を引き戻したのは、その言葉が原因であるのだから。
だからこそ、彼は礼も言わなかった。
自分自身を騙す偽りがどんなものであったのか。
刻一刻とそれを忘れ行く彼が、一度でも思い出すことが出来た喜びについて。
彼は、敢えて触れなかった。

86 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:56:54 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(広大なる法の許よ)

軽くなった手の内を眺め、入間は祈る。

( ^ν^)(下にあるものは上にあるもののごとく、
       上にあるものは下にあるもののごとく)

内に宿る小宇宙を気に掛けて、彼は弔いの意を示す。

( ^ν^)(勤勉にして偉大なる、小さな智慧者に、安寧と休息が在りますように)

模原 臨という人間を、決して忘れることのないように。
影も形もなく失せてしまった彼が、大宇宙の片隅に遺されていくように。
強く、強く、入間は祈った。

「い、入間さ〜ん……」

困ったような声に、入間は顔を上げる。
そこには錆びた梯子に、必死でしがみつく都子がいた。
降りたはいいものの、途中で梯子の長さが足りないことに気付いたらしい。

( ^ν^)「行くから待ってろ」

気丈に返す入間の口調には、寂寥が過ぎ去っていた。
もうじきに、長い夜が明けようとしていた。

87 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:57:46 ID:YLCyI6VU0
***


昇る朝日から逃れるように、入間は進み行く。
その背には、都子が身を預けていた。

( ^ν^)「寝てもいいぞ」

群れるビルの隙間を縫いながら、入間は都子に呼びかけた。
すると都子は、うなじに顔を擦り付けるように、首を振った。

( ^ν^)「そうか」

意を組む入間は、取り囲む空間を見遣った。
ビルの壁々は、色とりどりのタイルによって、その高さを支えられていた。
さんざめくような色彩たちは、現世を塞き止める砦のようだった。
逃れる二人を捕らえようとするような陽光は、入間の遥か背後で手を伸ばしている。
暖かな祝福に似たその光は、名残惜しくも未練なく、二人の行き路を見送った。

( ^ν^)(ああ、ようやくだ)

およそ百メートル先に現れたものを見て、入間は安堵を覚えた。
そこには空間を切り取るように、長方形の枠が存在していた。
薄く光を放つそれは、來狂の住居への入り口である。

( ^ν^)「しっかり掴まれよ」

都子に呼びかけ、十秒後。
二人を飲み込んだ枠は、急速に縮まりゆき、やがては小さな色の粒子へと変わった。
飛翔する微細な色は、パレットのようなタイルに飛び込んでいく。
授粉したタイルはゆらめき、錯覚じみた動きで姿を消すと、
そこは何の変哲のない路地裏へと変わった。

88 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:58:38 ID:YLCyI6VU0
***


ようやく來狂の住居へと辿り着いた入間は、都子を背から下ろした。

ζ(´ー`*ζ「ここは……?」

都子はしょぼついた目で、薄暗い回廊を眺める。

( ^ν^)「部屋同士を結ぶ、間の道だよ」

とっさに説明はしたものの、都子はすっかり目を閉じている。
どうやら彼女は、立ったまま寝そうになっているようだ。

( ^ν^)(子供の体温だな)

都子の手を握りながら、入間はそう思った。
幸いにもその手を引くことで、都子は着いてきた。
もっとも風に揺れるススキさながらの動きである。

( ^ν^)「もう少しだ、頑張れ」

ζ(´ー`*ζ「うん……」

幼子のするような返事に、入間は不覚にも頬を緩めた。
説明通り、行く道の先には光の点が存在していた。
その点を目指して行けば、たちまち二人は新しい空間へと移動した。

カポーン…………

と、妙な音が入間の耳に入る。
思わず入間は温泉を連想するが、答えは近かった。

川 ゚ 々゚)「おかえり」

二人を出迎える來狂は、番台に座っていた。
右の暖簾には女子歓迎、左の暖簾には野郎専用と書かれている。

89 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 21:59:24 ID:YLCyI6VU0
川 ゚ 々゚)「長旅、ご苦労様」

バスタオルとハンドタオルを差し出して言う來狂に、
都子は薄目ながらも面食らっている。
そんな都子に入間は、受け取ったタオルを分け与えた。
礼を言う都子を背中で受け止め、入間は來狂と対峙する。

( ^ν^)「これ」

無骨に鶴嘴を差し出すと、來狂はニコリと笑った。

川 ゚ 々゚)「役に立ったでしょう?」

( ^ν^)(予備の弾を、じかにくれてもよかったんだぜ)

体力があれば、入間はそう言っていたに違いない。
しかし隣には都子もいるし、嫌味を言うのはなお憚れられた。
そうとは知らず、都子は暖簾を少しめくった。

ζ(゚、゚*ζ「すごい、ホントに銭湯みたい」

光景に驚く都子だが、欠伸は止まる気配がない。

川 ゚ 々゚)「まずは疲れを癒しましょー」

相変わらずニコニコ笑いを絶やさず、來狂はそう言った。

( ^ν^)「じゃ、そういうことだから」

ひらひらと手を振る入間は、するりと暖簾の向こうへ吸い込まれた。

ζ(゚ー゚*ζ「は、はいっ」

いじましく、都子はそれを見守ってから、暖簾をくぐった。

90 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:00:03 ID:YLCyI6VU0
***


脱衣所と洗い場はコンパクトで、それが都子には有り難かった。
正直一歩でもいいから、進む距離を節約したかったのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「ふわー……」

タオル片手に恐る恐るといった様子で、
浴室を開けた都子は、吸い寄せられるように中へと入った。
ハート形のボトルが三本あり、
それぞれシャンプー、リンス、ボディーソープが詰められていた。
風呂に入ることすら約二年ぶりの彼女は、きしんだ髪を柔らかな泡で包み込む。

ζ(´ー`*ζ(いい匂いする……)

疲れによって穴が空いたような心に、満足感が
注がれるような気がして、都子は入念に体を洗った。

ζ(゚ー゚*ζ(すごい。すごい、楽しい)

ハンドタオルで髪を纏め上げ、少女は浴槽へと近付く。
真珠色のお湯を湛えたそこは、少し変わった作りをしていた。
寝転がるのにちょうどいい大きさのスロープが設けられていたのだ。
都子がためしに身を横たえると、胸までは暖かなお湯に覆われた。
それでいて頭は溺れることがないよう、専用の窪みが設えてある。

ζ(´ー`*ζ(ね、寝ちゃう……)

うつらうつらと夢心地のまま、都子はお湯に揉まれる。
緩やかな勢いのジェットバスが、体を優しく揉みほぐしていく。
極め付けに、花と焼菓子を混ぜたような匂いが彼女の脳へと染み渡った。

ζ(´ー`*ζ(ん〜〜〜〜……)

ムリ、と呟いたのを最後に、都子は意識を手放した。

91 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:00:45 ID:YLCyI6VU0
***


一方入間は、手短に風呂を済ませていた。
元々彼はのぼせやすく、浴槽には一分浸かれば十分なのだ。
脱衣所に戻った入間は、真新しいジャージが支給されていることに気がついた。
しかしそれを用意したであろう人物は、番台から姿を消している。

( ^ν^)「來狂」

名を呼ぶと、微かに彼の気配がした。
その場所は女風呂――都子のいる部屋である。

( ^ν^)(取り込み中か)

付き合いの長い入間は、來狂の動向を察する。
そもそも來狂の住居には、今まで浴室は一つしか存在しなかった。
それをわざわざ新しく作ったということは、來狂は何か企んでいるに違いない。

( ^ν^)(どうせ都子を寝落ちさせ、麻酔を掛けた後、
       鶴嘴で彼女の為に心臓を拵えるのだろう)

そしてそのまま手術に持ち込めば、來狂は欲してやまない【傷みの王】が手に入る。
動向から察するに、來狂は一秒さえも口惜しいのだろう。
しかしどうにも入間は、人道的な方法を装い、
偽善的な行動をする來狂を好いてはいなかった。
もっとも今までの状況を考えれば、
痛みがないだけ、彼女はマシに思うのかもしれない。

92 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:01:34 ID:YLCyI6VU0
もし彼女が來狂の行いに納得し、無礼を許すのであれば、
外野である入間が來狂を責める必要はない。
自身を納得させるようにそう結論付けて、入間は暖簾をくぐる。
すると先程まで漂っていた石鹸の香りや、暖かな湿気が幻のように消え失せた。
――このように來狂の住居は、彼の性格と同じくらい空間の作りが狂っていた。
されどその強大さこそ、來狂の覚悟の強さと蓄えた智識の豊かさを示していた。
それは入間が望んでやまない境地の一つでもあった。

( ^ν^)(本当に、すげぇよ、あんた)

ふらつく入間は、それでも智を諦めていない。
幾度か空間を飛び、入間は歩む。
辿り着いたのは、小さな自室であった。
來狂より貸し与えられたその空間は、唯一邪魔の入らない場所でもあった。
壁に据え付けられたベッドに身を横たえて、入間は柔らかな綿に沈んでいった。

( ^ν^)(本当に、疲れた……)

本当は小銃のメンテナンスや、傷の手当てをしなければならなかった。
だがそれ以上に気に掛かることが、彼にはあった。
よって入間は、目を閉じた。
四肢の力を抜き、規則正しく呼吸をする。
弛緩する意識は、深い眠りの淵へと誘われていた。
しかし入間は、完全には眠らなかった。
長年の特訓により、彼の脳は半ば眠りながら思考することが可能だった。
題して來狂はイルカ人間と揶揄ってやまないが、
そんな言葉を無視できる程度に役立つ技能であった。
体を癒し、智を深掘りする彼は、模原と來狂の関係性について考察を始めた――。

93 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:03:05 ID:YLCyI6VU0
***


次に入間が目を覚ましたのは、己が名前を呼ぶ声が聞こえたからだ。
言わずもがなそれは、來狂のものだった。

川 ゚ 々゚)「おはよぉ」

ニコリと微笑む來狂を確認し、入間は溜息を吐いた。
というのも今二人がいるのは、居心地のいい私室ではなかったからだ。

( ^ν^)「また俺の部屋を、塗り潰したな……?」

入間に分け与えられた空間も、元を正せば來狂のものである。
空間を構成する要素を分解し、再構成することなど、來狂にとっては朝飯前だった。

川 ゚ 々゚)「心配しなくとも、あとで部屋は戻してあげるよ」

削がれた気を接着剤でくっつけるように、來狂は入間を慰めた。

( ^ν^)「それで、用件は?」

手元に用意されていたコーヒーを飲み、入間はそう言った。
黒々とした液体は、甘じょっぱい味がした。
角砂糖三個に塩を小さじ半分、それが入間の好むコーヒーであった。

川 ゚ 々゚)「やっとこ手術が終わったよ」

くぁー、と彼はあくびを洩らす。
曰く都子の手術は、丸一日かかったらしい。
もっともその数字は、心臓の算出を含めた時間だろうと入間は考えた。

( ^ν^)「都子は?」

川 ゚ 々゚)「まだスヤスヤ眠っているよ」

來狂もまた、コーヒーを口にした。
挽いた豆ごとお湯を被せたそれを、造作もなく彼は飲み込んでいく。

94 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:04:00 ID:YLCyI6VU0
川 ゚ 々゚)「いやはや、なかなかの難敵よ」

やおらテーブルの下からそれを取り出して、彼はそう言った。
差し出された瓶の中には、白いダイアモンド――【傷みの王】が鎮座している。
成人男性の握り拳ほどの大きさをしたそれは、
室内の僅かな光さえも糧にし、輝きを放っていた。
一見すると神々しく見える光景だが、入間は石の影に注視する。
【王】が落とす影は赤黒く、微かに脈動していた。
臣下を失い、硝子の檻に閉じ込められてもなお、【王】は己が価値を主張している。
しかし入間は、少々違った感想が浮かんでいた。
それは時を超えてなお身の潔白を主張する、
カリオストロ伯爵の叫び声のように思えたのだ。
……いずれにせよ、不気味で異様な代物には違いなかった。

川 ゚ 々゚)「んふふ」

入間が鑑賞する様を愉しむように、彼は笑った。
そして來狂は、【王】から入間を取り上げるかのように、瓶を持ち上げた。
入間はさして気にも止めず、瓶の行方を見守る。
來狂の手に収まった【傷みの王】は、ゆらりと揺らめく。
それが動揺している様子に思えて、入間は仕方がなかった。
來狂の歩む先は、コレクションの山。
さも抗議するかのように、【王】は七色の光を放ったが、來狂はそれに構う様子はない。
そして彼は、

川 ゚ 々゚)「よいしょっと」

無造作に【王】をしまい込む。
積年のコレクションは、智で智を撲り合う格闘技場のようだった。
ぞぶぞぶと沈む【傷みの王】を、入間は絶句しながら見守る。
さしもの光も、漏れ出でることはなかった。

95 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:06:36 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(……あれ、結局はいつか
       俺が片付けることになるんだろうか)

あまり考えたくない可能性がチラつき、入間は額を抑えた。
とうに飲んだはずのコーヒーが、未だに苦味を感じる気がして、彼は少々憂鬱だった。

川 ゚ 々゚)「素晴らしい仕事ぶりだったよ」

そんな様子にも気付かず、興奮した声音を來狂は惜しげも無く出した。
しかし入間の表情は、未だ険しい。

( ^ν^)「あんた、模原のことを知ってたんだろう」

川 ゚ 々゚)「模原?」

とぼける來狂は、あざとく小首を傾げてみせた。

( ^ν^)「都子の選択肢を【狭窄】していたホムンクルスだ」

模原の補足に、ああ、と來狂は呟いた。

川 ゚ 々゚)「アレってそんな名前だったんだ」

ウンウンと頷いて、來狂は席へと戻るが、白々しい様子に入間は確信を深めた。
彼は模原の正体や能力を把握していながらも、わざと入間に伝えなかったのだ。

96 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:11:01 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(大方、俺を試したんだろう。
       錬金術師として、一枚殻を破らせるために)

舐るような入間の視線に、來狂は腕を組んだ。

川 ゚ 々゚)「ヒントは与えたつもりだけど?」

( ^ν^)「やり方がまどろっこしいんだよ」

入間が憤るのも、無理はなかった。
何故なら彼の指すヒントとは、会議中に勤しんでいた折り紙の素材に隠されていたのだ。
古めかしいその紙は、元々とある医院の壁に貼られていた、人体解剖図の一種である。
脳の輪切りは体性感覚――体から入力された刺激を、
脳内のどの部分に投射されるのかを纏めた地図だ。
これらの区分を、医学ではホムンクルスと呼ぶ。
また体から脳へと受ける刺激の量と感度には、各分野で大きな差がある。
人間は唇や顔、手から刺激を多く受け取るが、背中や尻は逆に乏しいとされる。
これらの差異を視覚的に表現した結果が、異形じみた小人の絵である。

( ^ν^)(模原の正体は、この小人に他ならなかった)

自分自身の脳さえも欺く模原は、他人の脳と同期することも、容易く行なってみせた。
そして自身が人間だと思い込んでいるうちは、
選択肢の【狭窄】という能力のみを使いこなしていた。
ただし屋上で、彼は受け入れがたい事実を都子から突きつけられた。
その際自身に課した【狭窄】が解除され、
「本来の記憶を取り戻す」という選択肢が、突然模原の目の前に出でたのだ。
見知らぬ情報に対する興味関心は、
無視できない程の牽引力で、本人を過酷な状況へと導く。
よって模原は自分の意思とは関係なしに、
無意識のうちに都子の語る真実へと耳を傾けてしまった。
事実思い出した模原が慌てて彼女の口を封じたところで、それはとうに遅すぎたのだ。

97 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:14:05 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(故に奴の真価は、早々に解放されてしまった)

入間を宙に飛ばした時点で、模原の本能は、真実を掴んでいたに等しかった。
脳を司る小人としての本性を表した彼は、他人の脳を自在に操ることが出来た。
入間が強引に空間転移したのも、それが原因である。
空間認知機能を乗っ取り、五指の如く操った模原は、入間の位置情報を修正したのだ。
さも最初から、入間がそこに存在していたかのように。

( ^ν^)「散々だったんだぞ」

その苦労を一言に集約し、入間は言った。
しかし來狂は、さして興味がないように
豆だらけのコーヒーを啜った。

川 ゚ 々゚)「今後の勉強になっただろう?」

それは、來狂の本心であった。
身の丈に合わぬ欲を持ち、叶わざる願いをなぞるべく、
業(ごう)に染まりて業(わざ)を獲得する。
時として実子の肉体を傷付け、犠牲を強いながらも、
手放すことの出来ない価値を得る。
欺きによって牧羊犬と化し、真実を知りて狼獣へと還る。
自然にしろ、人工にしろ、産み出した結果に対する
向き合い方に、問題を抱える者は多い。
そして時にはそれを利用し、何者かの幸せを掴む道を選ばなくてはならない。
――これより参倍郷と新参会は、入間の暗躍によって殺しあうことになる。
両陣営を構成する人々にも人生があり、人格があり、思想がある。
それを皆、破壊するのだ。

( ^ν^)(分かっちゃいるよ)

だからこそ來狂は、入間に都子を傷付けさせたのだ。
だからこそ來狂は、入間に模原の真実を伏せたのだ。
悩み、思案し、誰かを救い、誰かを絶望へ
衝き落とすという決断を、自ら下せるようになるために。

( ^ν^)「本当に、あんたはイかれてる」

礼代わりの言葉に、來狂は微かに微笑んだ。
その背後にある扉より――ノックが四度響いた。

98 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:17:15 ID:YLCyI6VU0
來狂が振り向くよりも早く、扉が開く。

『ちゃーっす』

深淵のように深い山の向こうから、軽快な声が掛けられた。

川 ゚ 々゚)「どうぞ」

遅れて來狂が言うと、声の主は無遠慮な足取りでやってきた。
喪服に身を包むその人は、

川 ゚ 々゚)『どーもどーも』

來狂と変わらぬ姿を持ち、同じ声をし、
均しい所作を振る舞い、同程度の狂気を纏っていた。
彼は、並行世界の來狂である。
時空間を操作する來狂は、数多ある並行世界の自分と同盟を組んでいた。
彼らは錬金術を行使できないものの、幅広い職業や地位を築いている。
錬金術師の來狂は、彼らに報酬を支払う代わりに、彼らと入れ替わる権利を得ていた。

( ^ν^)(たしか参倍郷に入会した來須は、
       有名コンビナートの役員だったっけ)

來狂の錬金術は仕組みを看破されない限り、
常人には來狂が入れ替わったことすら気付かれない。
よって來狂は、入れ替わった自分の持つ経歴や
技能をそのままに、安全かつ巧妙に工作活動が出来た。
とはいえ今やって来た彼は、どうも様子が違っていた。
喪服と馴染む色合いの袋を背負い、額には汗が滴っている。

川 ゚ 々゚)『例のブツになります』

床に置かれた長細い袋は、いかにも重々しい音を鳴らす。
席を立つ錬金術師に釣られ、入間も袋に近付くことにした。
一足早く中身を拝んだ來狂二人は、神妙に手を合わせた。

99 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:19:19 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)「!」

袋の中身は、高出 都子の死体だった。

川 ゚ 々゚)「もう帰っていいよ」

金の延べ棒を握らせ、來狂はそう言った。
そそくさと懐にしまう葬儀屋の体からは、死体特有の甘い香りが染み付いている。
去る彼の後ろ姿を、入間は静かに見送った。

( ^ν^)「これは――」

川 ゚ 々゚)「並行世界で死んでしまった、都子ちゃんだよ」

ことも無げに、來狂はそう言った。
絶句する入間は、ようやく彼女に手を合わせる。
袋の中の都子は、瞼を閉じているが、その目は酷く落ち窪んでいる。
薄く開いた口からは、泥漿じみた血が淀んでいた。
微かに薫る死臭を嗅ぎ、酸っぱいものが入間の喉に迫った。

( ^ν^)「どうして……」

力無く死因を問いただす入間に、來狂は理由を語ってみせた。
曰くこの都子は、生きたまま模原に【傷みの王】を抉られたのだという。
その世界線での模原の中では、存在しない妹が生き続けていた。
そこで彼は、妹のために【王】を調達した。
【王】を携え、愛する妹の元へと奔走する模原だが、
その途中で偽りの記憶に気付いてしまう。
おそらく妹の入院する病院が存在しないことで、疑念を抱いたのだろう。
混乱した彼は事の真偽を探るべく、自らの心臓さえも抉り取った。
そして人ならざる心臓を認め、失意に溺れる彼は、
そのまま息絶えたのだという――。

100 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:19:55 ID:YLCyI6VU0
川 ゚ 々゚)「そんなわけで秘密裏に処理する死体を、そのまま貰い受けたってわけ」

イかれた來狂は、続けて言う。

川 ゚ 々゚)「彼女を使って、上手いこと参倍郷を挑発する」

(  ν )「――――」

様々な思いが、入間の身を駆け巡る。
知っている顔なのに、まったく別の道を進んだ都子。
自ら破綻し、一人で逝ったであろう模原への哀れみ。
新参会が都子を攫い、参倍郷を挑発するというシナリオ、
その最適解とも言える手段。
やれやれ、と入間は袋のチャックを更に下げた。

( ^ν^)「人使いが荒いぜ」

そう言いながらも、錬金術師の入間は行動を開始した。

( ^ν^)(まずは彼女の指を切り落とし、参倍郷の会長に送りつけるか)

後生大事に都子を抱え、入間は小さく謝罪を口にした。

101 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:20:43 ID:YLCyI6VU0



終章 錬金術師は遂せるようです


.

102 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:21:47 ID:YLCyI6VU0
――都子の救出劇より、半年が経とうとしていた。
彼女は現在も、來狂の住居に匿われている。
【傷みの王】を摘出したことで、彼女の肉体は超常的な回復力を失った。
人並みの身体能力を得た都子は、
移植された心臓の経過を見ながら、日々リハビリに励んでいる。
長い努力の末、ようやく都子は軽い運動ができるようになった。
短時間であれば走ることも、泳ぐこともできる。
制約の多い日々は、未だ抜けることができない。
だが何も許されていなかった頃に比べれば、彼女は自由に選び採ることが出来た。
更に空いた時間を活用して、彼女は勉学にも励んでいた。
通信制の高校に入学すべく、都子は自力で問題集をこなしていた。
数学はやや苦手だが、特に気に入っているのは歴史や英語である。
物語めいた教科とそれに追随する文化の枝葉に、
どうやら彼女は惹かれているらしかった。
その興味は止まるところを知らず、じきに同世代の人間を追い越すことが予想できた。
もっとも本人はそれに気付いていないのだが。
――そんな忙しく過ごす彼女も、時折外出することがあった。
來狂の庇護を離れ、散歩をするのだ。
時間にして最大一時間半の、散歩。
それが都子にとって、一番の楽しみであった。
さて今日の都子は、川沿いのサイクリングコースを、歩いていた。
気付けば季節は秋へと変わり、微かに夏を残した風が吹いていた。

ζ(゚ー゚*ζ「気持ちいい天気ですね」

三つ編みを風に攫われながら、都子は言った。
柔らかく笑みを浮かべる視線の先には、お目付役の入間が佇んでいる。

( ^ν^)「ああ」

都子の外出には、毎回入間は携わっていた。
護衛半分、楽しみ半分といった割合で、彼も都子との時間を楽しんでいた。
なんと先日は彼女の自立を見守るべく、アパートの内見にも付き合った。
その際彼女には頼れる身内がいないことに気付き、
不肖ながらも彼女の従兄弟を入間は名乗ることになった。
多少気恥ずかしかったものの、入間は満更でもなかった。

103 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:23:26 ID:YLCyI6VU0
ζ(゚、゚*ζ「そういえば」

と、いつになく真面目な声音で、都子は切り出した。

ζ(゚、゚*ζ「あの時、模原さんと最後に何を話していたんですか?」

それは言わずもがな、屋上での戦闘後の様子を指している。

( ^ν^)「……話していたように見えたか?」

思い返す入間は、当時の模原の容姿が思い出せない。
遠く見下ろしていた都子は、なおのこと二人の様子が分からないことだろう。
それなのに彼女が断定したものだから、入間は戸惑っていた。
それに対し都子は、だって、と切り出した。

ζ(゚ー゚*ζ「入間さんがお話を聞いてくれてる時って、すごく優しい顔してるんですよ」

( ^ν^)「…………」

自覚なき男は、硬直した。
來狂にはそんな顔をした覚えはもちろんのこと、都子や模原にだって、そんな顔をしたことはない、はずだと彼は思っていた。

( ^ν^)「……見間違えじゃないか?」

川面を眺め、入間はお茶を濁した。
その視線に取り入ろうと、都子が欄干に身を乗り出した時だった。

ζ(゚ヮ゚*ζ「あーっ!」

( ^ν^)そ

すわ何事かと身構える入間だが、

ζ(゚ー゚*ζ「入間さん、おっきい亀がいますよ!」

無邪気に彼女はそう言った。

104 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:25:11 ID:YLCyI6VU0
視線を辿れば、猫の額ほどの中洲で、亀がいる。
ミシシッピアカミミガメが首を伸ばし、日差しを享受している。

(;^ν^)「お、おう……そうだな……」

体から力が抜けながらも、入間は精一杯優しく言うよう努めた。

(;^ν^)(なんとか男同士の約束は守ったぜ、模原……)

そんな心も知らず、都子は更なる報せを運ぶ。

ζ(゚ヮ゚*ζ「しかもアイスクリームみたいに、三段重ねしてますよー!」

興奮気味に語る都子は、スマホを取り出した。
先月契約したばかりのそれは、ようやく彼女の手に馴染もうとしている。

( ^ν^)(電源のつけ方さえ分からなかった子が、写真を撮ってる)

故障を疑ってスマホを片手にベソをかいていた都子を思い出し、入間は眉根を寄せた。
無論それは不機嫌を表しているのではなく、微笑ましさを隠したものだった。
それに気付かず、都子は日向ぼっこをする亀タワーを画面に収めた。

( ^ν^)「撮ってどうするんだ」

ζ(゚ヮ゚*ζ「來狂さんに、見せるんです!」

屈託のなく答える都子に、入間はしばし考え込んだ。

( ^ν^)「……そりゃいいな」

意味深に開いた間には気付かず、都子はニコニコと微笑む。
入間の脳裏では、亀を見せられて、反応に困る來狂の姿が浮かんでいた。
都子の無邪気さには、さしもの彼もたじろいでしまうのだ。
その様を密かに観察し、溜飲を下げるのが入間の日課であった。

105 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:25:55 ID:YLCyI6VU0
( ^ν^)(それも、あと少しで見れなくなるがな)

理由は単純明解。
参倍郷の壊滅が、目前に迫っていたからだ。
【乳母のフラスコ】を失った参倍郷は、会員の離脱によって急速に衰退した。
くわえて参倍郷は、新参会と激しい抗争を起こした。
言わずもがなそれは、入間の暗躍が原因である。
もはや両者は共倒れ寸前のチンピラ集団に成り下がり、
近く警察も大規模な逮捕を計画しているらしい。
よって入間と來狂は組織の滅亡を見届けた後、都子を社会へと戻すことにした。
無論都子も経緯を知っており、入間たち二人には頭が上がらないほどの感謝を口にした。

( ^ν^)(お守りも、とうとう卒業か)

遅れて歩く入間に、都子が気付いた。
先行く彼女は道を引き返し、やや寂寥に浸る入間へと声を掛ける。

ζ(゚ー゚*ζ「休憩、しますか?」

その優しさに、入間は首を振った。

( ^ν^)「一人暮らし、楽しみだよな」

入間の言葉に、都子は一瞬虚をつかれたような顔をする。
欄干に身を預けた彼女は、こくりと頷いた。

ζ(゚ー゚*ζ「でも、ちょっと寂しいです」

( ^ν^)「すぐ友達が出来るさ」

ζ(゚ー゚*ζ「多分、そうですね」

106 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:27:07 ID:YLCyI6VU0
でも、と都子は言葉を紡ぐ。

ζ(゚ー゚*ζ「入間さんや來狂さんの代わりに
     なるような人なんて、絶対いませんよ。絶っ対!」

言葉の調子に、入間はぽかんとした。
そして毒気を抜かれたように、ようやく微笑んだ。

( ^ν^)「あんな変人が、この世界に何人もいてたまるかよ」

くすくすと笑う入間に、都子もつられて笑う。
來狂の同盟について流石に隠しているとはいえ、彼の変人エピソードは事欠かない。
どうしたって來狂の狂気は、隠しきれないのである。

ζ(゚ー゚*ζ「でもそれだけじゃなくて、本当に代わりになんてならないですよ」

念を押して言われた言葉に、入間は気付く。
彼女を救ったのは、他でもない自分であり、來狂でもあるのだ。
苛烈な過去を、都子は忘れないだろう。
その身に刻まれた辛苦も、彼女を虐げることだろう。
されどその苦しみから目を背けない限り、都子は命の恩人を忘れることもないのだ。

( ^ν^)「……たまに、散歩に誘えよ」

珍しく出た入間の要望に、今度は都子が驚く番だった。
されど見開いた目は、芽吹くように喜びへと変わる。

107 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:27:55 ID:YLCyI6VU0
ζ(゚ー゚*ζ「しましょう。散歩以外にも」

( ^ν^)「こう見えても、結構忙しいんだぞ」

ζ(゚ー゚*ζ「でも必ず付き添ってくれるじゃないですか。
     洋服屋さんとか、クレープ屋さんとか、プリクラとか」

( ^ν^)「そりゃ迷子にならないよう、見張ってるだけだ」

ζ(゚ー゚*ζ「それじゃあ迷子になったら、入間さんに連絡しますね」

( ^ν^)「マップアプリで調べろよ」

ζ(゚ー゚*ζ「なんですか、それ?」

(;^ν^)「だー、もうっ!教えてやるから、貸せ」

欄干にもたれる二人は、スマホを覗き込む。
あれやこれやと話し込み、入間の動作に都子は目を輝かせる。
その背を眺める川の流れは、傾く秋の陽を浴びて、細かな光を返した。
それはまるで、玻璃の破片が散るように。
日常へと歩みだした都子へ、祝福を捧げるように。
智と情を背負う錬金術師へ、健闘を祈るように。
儚き小人を思わせる煌めきは、波立つ泡と消えて、二人を見送った。

108 ◆vXEvaff8lA:2020/05/03(日) 22:28:47 ID:YLCyI6VU0



錬金術師は遂せるようです 終


.

109名無しさん:2020/05/03(日) 22:33:18 ID:ZwDuAQio0
すごい読み応えあった
おつ

110名無しさん:2020/05/03(日) 22:33:32 ID:lLLHlqTM0
ンン乙!!!!

111名無しさん:2020/05/03(日) 23:17:55 ID:PFL2lZPE0
乙!面白かった!

112名無しさん:2020/05/04(月) 07:54:57 ID:Hnyv6x5U0
乙です!

113 ◆S/V.fhvKrE:2020/05/07(木) 00:14:58 ID:CASE550M0
【投下期間終了のお知らせ】

主催より業務連絡です。
只今をもって、こちらの作品の投下を締め切ります。

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114名無しさん:2020/05/16(土) 13:12:18 ID:/d1NBOzI0
バチクソ良かった乙
作者は語彙が豊富だな

115名無しさん:2020/06/21(日) 20:23:58 ID:J.tzOaTs0

小銃は拳銃じゃなくてアサルトライフルのことだぞ


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