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自由とは何か、自由意志について

9緑茶:2014/05/11(日) 02:07:30 ID:n32KHnXU
自由と責任は表裏一体です。自由の無いところに責任はないし、逆も同じ。
「個人の価値観に基づいてこう選択したが、別も十分選択できたであろうこと」からその選択者の責任が問われます。

私は、たとえば「人間は自由などではなく、その選択性は因果性によって全く規定されている」といわれるふうに、因果帰属の次元から「自由」を解するべきではないと考えます。
そのような考え方は、「有責性をその人個人から引き剥がし、その人を巻き込む因果性に責任を転嫁させる」ことを容易に許容します。
しかし、そういった「因果性について責任の外部転嫁」を許す考え方は、人間の主体意識を埋没させ、いってしまえば人間の自律性をも腐敗させる危険な思想性を孕んでいると思います。

自由は因果帰属ではなく、選択帰属の問題です。実用面において、因果帰属に基づく解釈を採るべきではありません。
刑事裁判でも、社会性や因果性のせいにして被告を免責にするようなことはないですし、不作為の過失から被告の責任が追求されます。

そうして、「先んじて責任を負う者」と「負われる者」の間の「ラグ」から倫理というものが生じ、人間を人間足らしめる主体性・自律性が生まれるのではないでしょうか。

カントは、単に情動反応から行動に短絡するのではなく
道徳法則に従うことで自己を律する「人間」として、自律性を獲得すべきことを説いていたのだと思います。

10緑茶 ◆iUBJpbbplM:2014/05/11(日) 02:16:39 ID:n32KHnXU
すいません#付け忘れました。

11名無しさん:2014/05/11(日) 04:03:46 ID:oglGvMWE
こういうことを考えた末に辿り着くところって?
自由について考えて仮に自分の中で結論がでた場合
何がどうなるの?その先には何があるの?

12緑茶 ◆iUBJpbbplM:2014/05/11(日) 04:21:08 ID:n32KHnXU
>>11

結論を出してその先に何があるのか〜とか、それが何の役に立つのか〜とかいう奴っているけど、
仮にその先に「何か」あったらそれがどうしたのかって感じだなwオレ個人の場合は

大方は当の「考えること自体」が目的であって、それ自体に愉悦を見出すから続けてるだけだよ

そもそもwそうやって「外部」に目的やら利益やらを求めるようとする人間に「当のそのこと自体」の面白味が理解できるはずないんじゃないの?

13名無しさん:2014/05/11(日) 04:43:24 ID:3uNXEPJ2
別に煽ってるわけじゃないから落ち着いてほしい
愉悦を見出だすか なるほどね
俺らが喧嘩するようなもんだね

14:2014/05/11(日) 18:42:35 ID:8HjudWWU
「個人の価値観に基づいてこう選択したが、別も十分選択できたであろうこと」(>>9

その「個人の価値観」に基づいて「選択すること」がすでに「自由ではない」と言っている。
それは>>4で言ったのと同様に「個人の価値観」に規定されている行為にすぎない。
まったく自由ではない。

もし「自由」があると言うのなら、自然因果性に支配されない行為、
つまり、カントの言う「道徳法則に従う」というアプリオリな行為ができるということを証明しなければならない。
しかしそれは「意志」の存在がある以上人間には不可能だ。
ともなればスレタイにある「自由意志」という言葉自体が自己矛盾を孕んでいることになる。
そして「自由」とは、個人の意志が介入しない「道徳的でありえた」という世界、
事後的に生じる罪悪感にのみその断片を見出すことができる。


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