■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■

【プロ野球】歴代通算1000試合出場達成者を振り返る【毎日更新】

1 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:00:28 lkLqo1E6
2020年のプロ野球も開幕まで残り50日ほどとなりました
今年も何かまとめスレをやりたいなと思い、昨年の平成30年間小松式ドネーションが投手に対する記録スレだったので、今回は野手に焦点を置きました
そこで今回は昨年、500人に到達した通算1000試合出場の達成者を1人目から振り返っていこうと思います

流石にいきなり500人分投下するのは無理だったので今回は開幕までの期間、毎日10人ずつ更新していく形になります
基本的に選手の解説は各人のwikipediaなどを参考にまとめただけなので所々稚拙な文章になってると思いますがご了承下さい

【例】

・杉谷拳士 1991年2月4日生 外野手・二塁手 右投両打
経歴:帝京高→08年ドラフト6位→日本ハム(09-)
達成日:20xx年xx月xx日(x番・ポジション・xx歳xヶ月)

成績:584試合 .222 (1054-234) 12本 81打点 209三振 82四球 44盗塁 出塁率.292 OPS.600
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:554位】

※「野球の上手い芸人」。帝京高では1年目から遊撃手として活躍し、3度の甲子園に出場。社会人野球に進む予定だったがプロを諦めきれずに入団テストを受けたところ合格し、6位指名を受けて日本ハムに入団。2年目の10年にはイースタン歴代最多のシーズン133安打を放つと、11年に1軍デビュー。その後は内外野守れ、さらにスイッチヒッターであることを活かし、貴重な便利屋として活躍。昨年5月には史上19人目の両打席本塁打も達成した。またムードメーカーとしても知られ、毎年正月の「リアル野球BAN」ではシーズン以上に活躍している姿が見られる。(50日連続更新?)やってやろうじゃねえかよこの野郎!

その他注意点はこちらです
・試合数や安打数などのランキングは安打数のみ500安打以上の選手、それ以外は上位600名までの順位を載せています
・通算1000安打などの安打記録も一緒にまとめていますが、古い時代の選手の場合安打の詳細がわからないものもあります
・今回は日米通算での達成者は除き、NPBのみの記録を準拠にまとめます(ただし日米通算成績は載せます)
・実はまだ500人全ての文章が出来ていません(現在230人目ぐらい)。一応同時進行で間に合う予定ではあると思いますが、場合によっては開幕に間に合わない可能性もあるかもしれません
・50日あるので、このスレが途中でホモビ送りされる可能性もあり、AILEくんの手を煩わせるのもアレなのでスレが落ちた場合は立て直さずに、その後の分を「野球総合スレ」にて書き込む予定です

これまで野球界を支えてきた様々な選手を知ってもらったり、こんな選手もいたなぁと思い出していただいたりそういった機会になってくれると幸いです
長丁場のスレとなりますがよろしくお願いします
それでは1人目からどうぞ

平成30年間小松式ドネーションランキング
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/internet/20196/1550833411/l50
2019年の公式戦全ホームランを振り返る
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/20196/1573807651/l50


2 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:00:55 lkLqo1E6

【1人目】

・坪内道典(坪内道則) 1914年4月7日生 外野手 右投右打
経歴:松山商→天王寺商→立教大(中退)→大東京軍・ライオン軍朝日軍(36-44)→ゴールドスター・金星(46-48)→中日・名古屋(49-51)
達成日:1948年9月12日南海戦(1番・中堅手・34歳5ヶ月)

成績:1417試合 .262 (5614-1472) 34本 462打点 299三振 546四球 344盗塁 出塁率.336 OPS.679
【試合:225位 安打:129位 本塁打:-位 打点:270位 盗塁:20位】

※史上初、かつ1リーグ時代では唯一の達成者。立教大を中退し、大東京軍の創設に参加。俊足の外野手として活躍し、41・42年に2年連続で盗塁王を獲得。弟の代わりに住職を務めたことと、かつて試合中に鎖骨を骨折していたことから予備要員となったため戦争中に徴兵されることはなく、44年には朝日軍に兼任監督として復帰。46年には金星に兼任監督として移籍。47年には若林忠志とともに日本国憲法公布記念の特別表彰を受けている。51年に引退後は名古屋軍の監督を53年まで務めた。92年に殿堂入り。

通算1000安打:1948年9月28日東映戦(1回裏・赤根谷飛雄太郎から中前打・34歳5ヶ月・1013試合目) ※史上初


3 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:01:20 lkLqo1E6

【2人目】

・呉昌征(呉波) 1916年6月28日生 外野手・投手 左投左打
経歴:嘉義農林学校→巨人(37-43)→阪神・大阪(44,46-49)→毎日(50-57)
達成日:1950年5月1日大映戦(1番・中堅手・33歳10ヶ月)

成績:1700試合 .272 (4867-1326) 21本 389打点 465三振 818四球 381盗塁 出塁率.379 OPS.731
投手:31登板 15勝7敗 199.0投球回 66奪三振 70与四球 196被安打 防3.48 WHIP1.34
【試合:114位 安打:175位 本塁打:-位 打点:358位 盗塁:9位】

※2リーグ制以降、初の達成者。嘉義農林学校では甲子園に4度出場。スパイクが合わなかったこともあり裸足でプレーしていた。37年に巨人に入団すると俊足・強肩の外野手として頭角を現し、「人間機関車」の愛称で呼ばれるようになる。42,43年には2年連続で首位打者(42年は史上唯一の2割台での獲得)、44年には盗塁王。大阪時代には投手でもプレーし、46年には戦後初のノーノーも達成するなど二刀流としても活躍。2リーグ制となった50年からは毎日に移籍し、チャンスメーカーとして活躍するなど通算381盗塁をマークした。また41歳までプレーし、史上初の実働20年選手となった。95年に殿堂入り。

通算1000安打:1951年6月3日東急戦(34歳11ヶ月・1116試合目) ※史上7人目
通算1500試合:1955年5月12日大映戦(1番・中堅手・38歳10ヶ月) ※史上3人目


4 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:01:45 lkLqo1E6

【3人目】

・白石勝巳 1918年4月15日生 遊撃手 右投右打
経歴:広陵中学→巨人(36-43)→パシフィック(46)→植良組→巨人(48-49)→広島(50-56)
達成日:1950年5月6日巨人戦(1番・遊撃手・32歳0ヶ月)

成績:1651試合 .256 (6151-1574) 84本 571打点 688三振 936四球 210盗塁 出塁率.358 OPS.713
【試合:128位 安打:110位 本塁打:360位 打点:180位 盗塁:70位】

※広陵中学では35年春の選抜で準優勝を経験し、創設間もない巨人軍の誘いを受けて中退してプロ入り。逆シングルのパイオニアとして知られ、巨人時代は千葉茂とともに鉄壁の二遊間を形成して第1時黄金時代を支えた。50年には地元球団である広島の創設メンバーとして参加し、球団初の本塁打も記録。53年からは2代目監督として選手兼任でチームを牽引。選手としては56年に引退するも以降も監督を続け、64年にはいわゆる「王シフト」を考案した。68年からは巨人のヘッドコーチや2軍監督も務め、V9にも貢献。85年に殿堂入り。なお初の1500試合出場達成者でもある。

通算1000安打:1950年7月18日中日戦(32歳3ヶ月・1037試合目) ※史上3人目
通算1500試合:1954年7月7日国鉄戦(5番・遊撃手・36歳2ヶ月) ※史上初
通算1500安打:1954年10月14日中日戦(36歳5ヶ月・1562試合目) ※史上4人目


5 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:02:06 lkLqo1E6

【4人目】

・川上哲治 1920年3月23日生 一塁手・投手 左投左打
経歴:熊本県立工業高→巨人(38-42,46-58)
達成日:1950年10月19日国鉄戦(4番・一塁手・30歳6ヶ月)

成績:1979試合 .313 (7500-2351) 181本 1319打点 422三振 823四球 220盗塁 出塁率.383 OPS.850
投手:39登板 11勝9敗 200.0投球回 97奪三振 121与四球 168被安打 防2.61 WHIP1.45
【試合:54位 安打:13位 本塁打:123位 打点:14位 盗塁:62位】

※言わずと知れた「打撃の神様」。高校時代には甲子園で2度出場し、いずれも準優勝。なお初めて甲子園の土を持ち帰ったともされる。投手として入団するも、38年秋頃から野手に転向。その後は卓越したミート技術とトレードマークの赤バットで巨人の第一次黄金時代の主軸を担い、5度の首位打者、3度のMVPなど数多くのタイトルを獲得。56年にはNPB史上初かつ史上最速(1646試合目)となる通算2000安打も達成した。引退後は巨人軍の監督となり、ONコンビを率いて再びチームの黄金時代を築き、9年連続日本一ことV9にチームを導いた。65年に殿堂入り。

通算1000安打:1949年11月10日南海戦(29歳7ヶ月・869試合目) ※史上2人目
通算1500安打:1953年4月26日国鉄戦(33歳1ヶ月・1241試合目) ※史上初
通算1500試合:1955年5月1日阪神戦(4番・一塁手・35歳1ヶ月) ※史上2人目
通算2000安打:1956年5月31日中日戦(8回表・中山俊丈から左前打・36歳2ヶ月・1646試合目) ※史上初


6 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:02:26 lkLqo1E6

【5人目】

・大沢清(大沢伸夫・大沢薫史) 1916年12月1日生 一塁手・投手 右投右打
経歴:神奈川県立商工実習学校→國學院大→名古屋軍・中部日本・中日(37-41,46-48)→東急(49)→大洋(50-51)→広島(52-54)
達成日:1951年4月18日広島戦(4番・一塁手・34歳4ヶ月)

成績:1461試合 .271 (5316-1439) 46本 669打点 328三振 713四球 111盗塁 出塁率.359 OPS.710
投手:33登板 5勝11敗 168.0投球回 43奪三振 98与四球 157被安打 防3.80 WHIP1.52
【試合:209位 安打:136位 本塁打:598位 打点:135位 盗塁:210位】

※「親分」こと大沢啓二の兄であり、タレントの大沢あかねは従孫。國學院大から名古屋軍にプロ入り。流し打ちを得意とした打者であり、50年から新たに創設された大洋の主軸選手として活躍し、同年には当時の日本記録であるシーズン45二塁打も達成。現役晩年には広島でもクリーンナップを担った。また54年に広島を退団した後も東京ガスでプレーし、補強選手として都市対抗にも出場した。60年には母校である國學院大學の監督も務め、文学部教授にもなっている。

通算1000安打:1951年5月10日国鉄戦(34歳5ヶ月・1013試合目) ※史上6人目


7 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:02:46 lkLqo1E6

【6人目】

・千葉茂 1919年5月10日生 二塁手 右投右打
経歴:松山商業学校→巨人(38-41,46-56)
達成日:1951年7月28日大洋戦(2番・二塁手・32歳2ヶ月)

成績:1512試合 .284 (5643-1605) 96本 691打点 515三振 913四球 155盗塁 出塁率.385 OPS.773
【試合:184位 安打:103位 本塁打:308位 打点:125位 盗塁:118位】

※松山商業から巨人に入団。華麗な守備で戦前、戦後の巨人の黄金時代を築き上げ、二塁手としては高木守道に並んで最多タイとなる7度のベストナインを受賞。打撃でも選球眼にも優れたチャンスメーカーとして50年には当時の日本記録であるシーズン105四球をマーク。第2次黄金時代においては与那嶺要との1,2番コンビは球界屈指と評された。引退後は59年から3年間、近鉄の監督を務め、球団名が同年から「バファローズ」となったのも彼のニックネームである「猛牛」がきっかけである。61年には史上ワーストのシーズン103敗を喫するも、弱小だった球団の体質改善に努めた。80年に殿堂入り。

通算1000安打:1950年11月5日中日戦(杉下茂から・31歳5ヶ月・923試合目) ※史上5人目
通算1500安打:1954年8月28日松竹戦(権藤正利から・35歳3ヶ月・1372試合目) ※史上3人目
通算1500試合:1956年4月4日大洋戦(代打・柏枝文治に代わって三塁手として途中出場・36歳10ヶ月) ※史上4人目


8 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:03:07 lkLqo1E6

【7人目】

・野口明 1917年8月6日生 捕手・投手・内野手 右投右打
経歴:中京商業学校→明治大(中退)→東京セネタース(36-37)→大洋軍・西鉄軍(42-43)→阪急(44,46-48)→中日・名古屋(49-56)
達成日:1951年8月18日巨人戦(5番・捕手・34歳0ヶ月)

成績:1326試合 .251 (4666-1169) 61本 572打点 373三振 393四球 29盗塁 出塁率.351 OPS.661
投手:113登板 49勝40敗 0S 0H 751.0投球回 328奪三振 301与四球 662被安打 防2.54 WHIP1.28
【試合:273位 安打:232位 本塁打:468位 打点:178位 盗塁:-位】

※4人全員がプロ選手となった野口兄弟の長男。中京商業学校では正捕手として夏の甲子園3連覇を達成。その後明治大に進むも中退し、東京セネタースに入団。プロでは投手と捕手の二刀流で活躍し、37年春に19勝、同年秋には15勝で最多勝を獲得。兵役を経て球界に復帰して以降は主に一塁手でプレーし、43年には42打点で青田昇とともに打点王となった。49年に移籍した中日では捕手に戻り、51,52年にはベストナインとなり、54年には球団初の日本一に貢献。翌55年からは2年間監督も務めた。その後はナゴヤ球場近くで喫茶店を経営した。

通算1000安打:1952年8月20日松竹戦(井筒研一から・35歳0ヶ月・1112試合目) ※史上14人目


9 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:03:28 lkLqo1E6

【8人目】

・野口二郎 1920年1月6日生 投手・外野手・一塁手 右投右打
経歴:中京商業学校→法政大(中退)→東京セネタース・翼軍(39-40)→大洋軍・西鉄軍(41-43)→阪急(46-53)
達成日:1951年9月1日近鉄戦(柴田英治の代打で出場・31歳7ヶ月)

成績:1098試合 .248 (3348-830) 9本 368打点 101三振 226四球 94盗塁 出塁率.296 OPS.594
投手:517登板 237勝139敗 0S 0H 3447.1投球回 1395奪三振 647与四球 2677被安打 防1.96 WHIP0.96

【試合:409位 安打:402位 本塁打:-位 打点:389位 盗塁:259位】

※上記の野口明の弟であり、四兄弟の次男。中京商業学校では37年夏には決勝で川上哲治に投げ勝ち、38年春には4試合連続完封(ノーノー1回含む)を達成し、いずれも優勝を経験。法政大を中退して東京セネタースに入団。1年目から33勝を記録し、42年5月24日朝日戦では当時世界最長記録である延長28回を344球で完投するなど鉄腕として称され、同年は自身最多の40勝、プロ野球最多タイの19完封も記録。また打者としても活躍し、阪急時代の46年には当時の日本記録である31試合連続安打も達成。投球回と打席の双方を規定に6度到達させるなど数多くの記録を残した。89年に殿堂入り。


10 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:03:49 lkLqo1E6

【9人目】

・藤村富美男 1916年8月14日生 三塁手・一塁手・二塁手・外野手・投手 右投右打
経歴:旧制呉港中学→大阪・阪神軍(36-38,43-56,58)
達成日:1951年9月30日国鉄戦(4番・三塁手・35歳1ヶ月)

成績:1558試合 .300 (5648-1694) 224本 1126打点 424三振 631四球 103盗塁 出塁率.374 OPS.876
投手:76登板 34勝11敗 0S 0H 345.1投球回 183奪三振 148与四球 293被安打 防2.35 WHIP1.28
【試合:161位 安打:91位 本塁打:83位 打点:31位 盗塁:232位】

※初代ミスタータイガース。呉港中学では甲子園に通算6度出場し、34年夏には優勝を経験し、35年夏には当時の最多記録となる1試合19奪三振をマーク。その後大阪タイガースの創設に参加。36年春には初代本塁打王となると、戦後からは「物干し竿」と呼ばれる長いバットを武器に、ダイナマイト打線の不動の4番打者として49年には46本塁打・142打点と二冠王も獲得。55年からは監督も兼任し、同年には自ら代打をコールし、逆転サヨナラ満塁本塁打を放つなど数多くの逸話も残した。引退後は国鉄や東映でコーチを務め、また俳優としても活動。背番号10は阪神の永久欠番となり、74年に殿堂入り。

通算1000安打:1950年9月30日国鉄戦(34歳1ヶ月・864試合目) ※史上4人目
通算1500安打:1954年6月5日巨人戦(別所毅彦から・38歳9ヶ月・1301試合目) ※史上2人目
通算1500試合:1956年4月29日中日戦(山本哲也の代打として出場・39歳8ヶ月) ※史上5人目


11 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:04:11 lkLqo1E6

【10人目】

・藤井勇(藤井秀郎) 1916年10月20日生 左翼手・一塁手 左投左打
経歴:旧制鳥取第一中学→大阪・阪神(36-38,42)→パシフィック・太陽・大陽(46-49)→大洋・洋松(50-58)
達成日:1952年6月24日中日戦(3番・一塁手・35歳8ヶ月)

成績:1487試合 .275 (5387-1482) 146本 764打点 466三振 478四球 70盗塁 出塁率.337 OPS.760
【試合:199位 安打:128位 本塁打:181位 打点:106位 盗塁:365位】

※鳥取第一中では甲子園に3度出場。36年に大阪タイガースの創設メンバーとして入団し、5月4日東京セネタース戦でNPB公式戦第1号となるランニング本塁打を記録。不動の2番打者として活躍し、37年秋、38年春のリーグ優勝に貢献。戦後は太陽ロビンスを経て50年には大洋ホエールズの創設メンバーにもなり、初代4番打者として34本塁打・122打点をマークするなど黎明期のチームを支えた。55年には1年だけ監督も兼任。その後は大洋や阪神のコーチや2軍監督を務め、桑田武や近藤昭仁、田淵幸一らを育成した。

通算1000安打:1952年4月8日巨人戦(別所毅彦から・35歳5ヶ月・949試合目) ※史上9人目


12 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 15:04:42 uPraqbao
楽しみ
頑張ってください


13 : 35.6cm連装砲(ダズル迷彩) :2020/01/29(水) 15:17:56 ???
頑張れ>>1ァ ふんばれェ


14 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 17:07:07 lNwR7G4g
藤村富美男すこすこすこ
頑張れ>>1


15 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 19:35:45 50KxoJuQ
応援してます!


16 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 21:47:31 SsAcUQr2
野口二郎さんって野手でもこんなに出てたんす


17 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/29(水) 22:06:04 Xs1KHaGA
巨人阪神の両チームで主力というなかなかのレアケースだったため、OB戦のたびに両チームメンバーから「お前のチームはこっちだろう?」とからかわれた呉昌征


18 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:10:43 Ww5m9Jtw

【11人目】

・本堂保次(本堂保弥) 1918年3月18日生 二塁手 右投右打
経歴:旧制日新商業学校→大阪・阪神(37-47)→大陽(48)→大阪(49)→毎日(50-58)
達成日:1952年7月20日南海戦(5番・二塁手・34歳4ヶ月)

成績:1374試合 .261 (4754-1242) 58本 588打点 289三振 413四球 145盗塁 出塁率.323 OPS.685
【試合:247位 安打:209位 本塁打:487位 打点:169位 盗塁:136位】

※少年時代に親から盗んだ金でグローブを買ったものの、それが親にバレて木に吊るされてグローブを焼き捨てられる。37年にタイガースに入団すると堅実な二塁守備に加えて、相手選手のプレーや癖をメモにとり、独自の分析をする頭脳的な戦略を武器に「サイン盗みの名人」として名を馳せ、第1次ダイナマイト打線の一員として活躍。その後50年に若林忠志兼任監督らとともに毎日に移籍。50年には全試合に出場して打率3割をマークするなどパリーグ初年度初優勝に貢献した。58年に引退後は2軍監督を経て63年から監督に昇格し、65年途中まで指揮。その後も近鉄のコーチや2軍監督も務めた。

通算1000安打:1952年8月15日大映戦(34歳4ヶ月・1016試合目) ※史上13人目


19 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:11:09 Ww5m9Jtw

【12人目】

・西沢道夫 1921年9月1日生 投手・一塁手 右投右打
経歴:旧制鹿児島総合中学→日本大→名古屋軍・中部日本軍(37-43,46)→ゴールドスター・金星(46-48)→中日・名古屋(49-58)
達成日:1952年7月31日大阪戦(4番・一塁手・30歳10ヶ月)

成績:1704試合 .286 (5999-1717) 212本 940打点 478三振 501四球 56盗塁 出塁率.343 OPS.788
投手:231登板 60勝65敗 0S 0H 1297.0投球回 404奪三振 742与四球 1011被安打 防2.23 WHIP1.35
【試合:112位 安打:86位 本塁打:92位 打点:57位 盗塁:458位】

※15歳で名古屋軍の入団テストに合格し、37年に現在でも史上最年少となる16歳4日で投手としてプロ初登板を果たすと、40年には20勝を記録し、42年には野口二郎と延長28回をともに完投し、ノーノーも達成。戦後は打者に転向し、1950年にはシーズン5本の満塁弾含む46本塁打・135打点、52年には打率.353・98打点でで首位打者・打点王を獲得し、54年の日本一にも貢献するなど投打で一流の成績を残した。引退後は中日のコーチを経て64年から監督に就任し、67年まで指揮。初代ミスタードラゴンズとして知られ、背番号15は中日の永久欠番となっている。77年に殿堂入り。

通算1000安打:1953年3月28日洋松戦(江田貢一から・31歳6ヶ月・1038試合目) ※史上16人目
通算1500安打:1956年8月23日大洋戦(小林経旺から・34歳11ヶ月・1589試合目) ※史上8人目
通算1500試合:1956年9月14日大洋戦(3番・一塁手・35歳0ヶ月) ※史上6人目


20 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:11:35 Ww5m9Jtw

【13人目】

・金田正泰 1920年7月21日生 外野手 左投左打
経歴:旧制平安中学→阪神・大阪(42-44,46-57)
達成日:1952年9月11日国鉄戦(3番・左翼手・32歳1ヶ月)

成績:1476試合 .285 (5354-1527) 55本 568打点 457三振 764四球 187盗塁 出塁率.378 OPS.777
【試合:205位 安打:116位 本塁打:513位 打点:184位 盗塁:89位】

※旧制平安中学では通算5度の甲子園出場を経験し、争奪戦の末に阪神軍に入団。タイガースが誇る「ダイナマイト打線」の2番打者として活躍し、46年には打率.347・152安打で首位打者と最多安打を獲得。多くの主力選手が毎日に引き抜かれた50年以降も残留し、51年には1番打者に定着し、シーズン18三塁打の日本記録を樹立した。また55年には球団初となる開幕戦初回先頭打者本塁打を記録した。引退後は阪神の監督を務めるも、権藤正利へ暴言を放って殴られるなど、彼を筆頭に多くの選手と確執を起こした。退任後は球界から一線を引き、大阪市内で麻雀店とステーキ店を経営した。

通算1000安打:1952年6月19日大洋戦(31歳10ヶ月・958試合目) ※史上10人目
通算1500安打:1956年5月9日大洋戦(35歳9ヶ月・1413試合目) ※史上6人目


21 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:11:56 Ww5m9Jtw

【14人目】

・日比野武 1920年4月22日生 捕手 右投右打
経歴:中京商業学校(中退)→東邦商業学校→阪急(39-42,46-49)→西日本(50)→西鉄(51-59)
達成日:1953年4月2日大映戦(7番・捕手・33歳11ヶ月)

成績:1530試合 .237 (4419-1048) 56本 506打点 336三振 398四球 19盗塁 出塁率.303 OPS.613
【試合:177位 安打:286位 本塁打:505位 打点:220位 盗塁:-位】

※捕手としては初の達成者。東邦商業高から阪急に入団。戦前、そして戦後の1リーグ時代では阪急の正捕手として活躍。勝負強い打撃でチームを支えた。50年には新設された西日本パイレーツに創設メンバーとして移籍。翌51年には球団合併により西鉄の正捕手となり、58年の日本シリーズでは第4戦途中から稲尾和久とバッテリーを組み、3連敗からの4連勝の逆転日本一に貢献するなど黄金時代を築いた。引退後は西鉄のコーチやスカウトとして活動。なお野村克也が得意としたささやき戦術は彼を参考にして編み出されたものとされる。

通算1000安打:1956年7月14日近鉄戦(関根潤三から・36歳2ヶ月・1369試合目) ※史上25人目
通算1500試合:1958年6月4日大毎戦(和田博実に代わって捕手として途中出場・38歳1ヶ月) ※史上11人目


22 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:12:17 Ww5m9Jtw

【15人目】

・平山菊二 1918年9月23日生 左翼手 右投右打
経歴:旧制下関商業学校→広島鉄道局→巨人(37-42,47-49)→大洋(50-53)
達成日:1953年4月23日巨人戦(藤井秀郎に代わって左翼手として途中出場・34歳7ヶ月)

成績:1073試合 .256 (3565-912) 40本 431打点 255三振 316四球 161盗塁 出塁率.318 OPS.673
【試合:424位 安打:352位 本塁打:-位 打点:304位 盗塁:114位】

※広島鉄道局時代に強肩を活かすべく外野手に転向。戦前の巨人軍では川上哲治や千葉茂とともに第一次黄金時代の中心選手として活躍。外野守備には定評があり、48年の東西対抗戦(球宴の全身)では柵越えかと思われた打球をフェンスをよじ登って捕球したことから「塀際の魔術師」の異名をとった。50年からは新設された大洋に移籍し、初代キャプテンとして黎明期を支えた。引退後は大洋のコーチやスカウトとして活動。なお二・二六事件において逮捕され死刑判決を受けた軍人の田中勝は義理の兄であり、当時プロ入りが決まっていた中での最後の面会の日に激励を受けたとされる。


23 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:12:47 Ww5m9Jtw

【16人目】

・青田昇 1924年11月22日生 外野手 右投右打
経歴:旧制滝川中学(中退)→巨人(42-43)→阪急(46-47)→巨人(48-52)→大洋・洋松(53-58)→阪急(59)
達成日:1953年4月25日洋松戦(3番・中堅手・28歳5ヶ月)

成績:1709試合 .278 (6566-1827) 265本 1034打点 593三振 443四球 155盗塁 出塁率.326 OPS.781
【試合:111位 安打:69位 本塁打:59位 打点:41位 盗塁:118位】

※手榴弾投げ81m50cmの強肩を武器に巨人に入団。、43年には若干18歳ながら打点王を獲得。戦後の巨人では川上哲治とともに主軸打者として活躍し、48年には首位打者と本塁打王、51年には本塁打王と打点王の二冠を獲得。50年には.332 33本 134打点 29盗塁とトリプルスリー寸前の好成績も残した。その後は大洋でも3度の本塁打王のタイトルを獲得。「じゃじゃ馬」の愛称で親しまれ、戦後プロ野球の強打者として活躍した。59年に阪急で引退し、その後は阪神や阪急などのコーチを歴任し、双方の球団で優勝に貢献。また解説者としてもご意見番として活動した。09年に野球殿堂入り。

通算1000安打:1951年9月27日松竹戦(小林恒夫から・26歳10ヶ月・860試合目) ※史上8人目
通算1500安打:1956年5月22日国鉄戦(31歳6ヶ月・1356試合目) ※史上7人目
通算1500試合:1957年7月6日巨人戦(3番・右翼手・32歳7ヶ月) ※史上9人目


24 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:13:05 Ww5m9Jtw

【17人目】

・小鶴誠 1922年12月17日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:飯塚商業専修学校→八幡製鉄所→名古屋・中部日本(42-43,46-47)→急映(48)→大映(49)→松竹(50-52)→広島(53-58)
達成日:1953年4月28日洋松戦(4番・中堅手・30歳4ヶ月)

成績:1655試合 .280 (6141-1717) 230本 923打点 741三振 761四球 240盗塁 出塁率.359 OPS.815
【試合:127位 安打:86位 本塁打:78位 打点:60位 盗塁:52位】

※当時、軍需工場だった八幡製作所で転職が認められなかったことから飯塚誠という偽名を使って名古屋軍に入団。戦後、48年に在籍した急映で習得した「ゴルフスイング打法」を武器に、松竹ロビンスの「水爆打線」の3番打者として猛打を振るい、50年には史上初の50本塁打、そして現在でも歴代最多を誇るシーズン161打点を記録するなど「和製ディマジオ」として称された。53年からは石本監督とファンの熱意により広島に移籍し、チームの黎明期を支えた。58年に引退後は国鉄や阪神のコーチやスカウトを務め、球界から離れた後も還暦までバッティングセンターに通い続けたとされる。80年に野球殿堂入り。

通算1000安打:1952年7月27日巨人戦(29歳7ヶ月・935試合目) ※史上11人目
通算1500安打:1956年5月9日中日戦(33歳4ヶ月・1399試合目) ※史上5人目
通算1500試合:1957年4月21日中日戦(4番・中堅手・34歳4ヶ月) ※史上7人目


25 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:13:42 Ww5m9Jtw

【18人目】

・土井垣武 1921年7月21日生 捕手・一塁手・三塁手・外野手 右投右打
経歴:旧制米子中学→大阪・阪神(40-42,46-49)→毎日(50-53)→東映(54-55)→阪急(56-58)
達成日:1953年4月29日近鉄戦(6番・捕手・31歳9ヶ月)

成績:1413試合 .282 (4783-1351) 79本 654打点 298三振 482四球 87盗塁 出塁率.350 OPS.750
【試合:230位 安打:169位 本塁打:380位 打点:141位 盗塁:281位】

※旧制米子中学から40年に阪神に入団。熱血的な性格の捕手として「和製ヨギ・ベラ」と称され、戦後の阪神では3番・別当薫、4番・藤村富美男とともにダイナマイト打線の5番打者として主軸を担い、また守備の要としても若林忠志らエース級投手をリードした。10年選手制度により、50年に移籍した毎日では打率.322をマークするなど初代日本一に貢献。チームを跨いで47年から52年まで6年連続でベストナインを受賞した。その後は東映や阪急でもプレーし、58年に引退。その後は阪神のコーチなどを経て、球界から離れた後は西陣織を扱う会社の社長となった。

通算1000安打:1952年8月2日阪急戦(31歳0ヶ月・939試合目) ※史上12人目


26 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:14:07 Ww5m9Jtw

【19人目】

・古川清蔵 1922年3月4日生 中堅手・捕手 右投右打
経歴:旧制鹿児島商業学校→八幡製鐵→名古屋軍・中部日本(41-43,46-47)→阪急(48-59)
達成日:1953年5月16日南海戦(6番・中堅手・31歳2ヶ月)

成績:1698試合 .248 (5715-1419) 97本 617打点 652三振 582四球 370盗塁 出塁率.321 OPS.684
【試合:115位 安打:144位 本塁打:302位 打点:156位 盗塁:12位】

※名古屋軍には外野手として入団するも、2年目の42年には捕手としてプレーし、7月18日阪急戦では西沢道夫をリードして史上9人目のノーヒットノーランに貢献し、打撃でも翌43年にかけて2年連続本塁打王に。戦後48年に移籍した阪急でも中心打者となり、50年にはリーグ2位の56盗塁をマーク。53年には延長戦の参考記録ながら1試合7安打も記録するなど俊足巧打の中堅手として活躍した。引退後は妻の父が名調教師の伊藤勝吉だったことから競馬評論家に転身し、サンケイスポーツで21年間コラムを執筆するなど長らく活動した。

通算1000安打:1954年3月28日高橋戦(スタルヒンから・32歳0ヶ月・1088試合目) ※史上18人目
通算1500試合:1957年6月18日大映戦(5番・中堅手・35歳3ヶ月) ※史上8人目


27 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 15:14:30 Ww5m9Jtw

【20人目】

・堀井数男 1923年12月12日生 外野手 右投右打
経歴:旧制日新商業学校→南海・近畿日本・グレートリング(43-44,46-59)
達成日:1953年6月13日大映戦(5番・左翼手・29歳6ヶ月)

成績:1557試合 .272 (5569-1513) 80本 785打点 431三振 430四球 177盗塁 出塁率.326 OPS.698
【試合:162位 安打:122位 本塁打:376位 打点:99位 盗塁:94位】

※日新商業学校から43年に南海に入団。プロ入りから引退までの16年間、南海一筋で活躍し続け、主に戦後のチームにおいて俊足巧打の選手として、51年から55年まで5年連続で全試合に出場し、10年連続100安打も記録するなど第1次黄金時代を支えた。また強肩としても知られ、毎年のように2桁の捕殺を記録していた。引退後も南海の打撃コーチを経て、スカウトとしても柚木進とともに藤田学や高柳秀樹らの獲得に貢献。後に息子の和人も南海に入団し、親子ながら選手とスタッフという関係でチームに在籍した。

通算1000安打:1952年10月9日大映戦(28歳9ヶ月・951試合目) ※史上15人目
通算1500試合:1957年7月24日阪急戦(代打・大沢昌芳に代わって一塁手として途中出場) ※史上10人目
通算1500安打:1957年9月1日阪急戦(種田弘から・34歳8ヶ月・1518試合目) ※史上11人目


28 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/30(木) 16:10:27 WdfR580g
このスレで杉谷と同じ誕生日だと気づいた


29 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 12:01:40 QeIow66I
いつも乙シャス!


30 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:39:53 W5sAHD6w

【21人目】

・伊勢川真澄 1921年6月30日生 捕手 右投右打
経歴:旧制粉河中学→ライオン軍・朝日軍・パシフィック・太陽(40-42,46-47)→金星・大映(48-52)→阪急(53-58)
達成日:1953年8月5日近鉄戦(8番・捕手・32歳1ヶ月)

成績:1229試合 .231 (4297-919) 37本 445打点 353三振 226四球 44盗塁 出塁率.275 OPS.577
【試合:332位 安打:348位 本塁打:-位 打点:287位 盗塁:554位】

※旧制粉河中学から40年に朝日軍に入団。2年目の41年に20歳ながら全85試合に出場するなどチームの正捕手として活躍。最初は苦手としていた打撃も徐々に成長し、大映に移籍して迎えた1950年には打率.296 13本をマーク。53年には阪急に移籍し、オールスターにも出場するなど1リーグ時代から2リーグ制以降の黎明期のプロ野球を支えた。引退後は阪急のコーチを務めた。


31 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:40:18 W5sAHD6w

【22人目】

・山田潔 1921年1月16日生 遊撃手 右投右打
経歴:旧制松山商業学校→イーグルス・黒鷲軍・大和軍(38-42)→巨人(46)→金星・大映(48-57)
達成日:1953年8月12日阪急戦(7番・遊撃手・32歳6ヶ月)

成績:1334試合 .198 (3980-789) 8本 251打点 365三振 739四球 110盗塁 出塁率.326 OPS.572
【試合:268位 安打:431位 本塁打:-位 打点:585位 盗塁:212位】

※松山商業では通算4度甲子園に出場し、35年夏には優勝も経験。38年にイーグルスに入団すると、優れた守備力で1年目から遊撃手のレギュラーを獲得した一方で、打撃に苦しみ、同年春には現在でも規定打席到達選手では歴代最低となる打率.107の数字を残してしまう。しかし一方で選球眼には優れており、42年には打率.162に対して出塁率.359という並外れた記録を残し、通算IsoD.128は4000打数以上の選手では王貞治に次ぐ歴代2位。戦争を挟んで20年間プロでプレーし、57年に引退。その後は大毎や大洋、広島でコーチや2軍監督として活躍した。


32 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:40:37 W5sAHD6w

【23人目】

・酒沢成治 1918年5月1日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:育英商業学校→田村駒商店→ライオン軍・朝日軍(38,42-44)→ゴールドスター・金星・大映(46-52)→阪急(53-54)
達成日:1953年10月7日大映戦(中谷演男に代わって二塁手として途中出場)

成績:1019試合 .224 (3470-777) 15本 255打点 168三振 279四球 109盗塁 出塁率.283 OPS.558
【試合:484位 安打:443位 本塁打:-位 打点:575位 盗塁:213位】

※育英商業学校から田村駒商店を経てライオン軍に入団し、1年目から二塁・遊撃の守備の要として活躍。また打撃でも打率こそ高くはないもののミート力に秀でており、1951年には当時の日本記録である153打席連続無三振、また現在でも川上哲治に並んで歴代最少タイとなるシーズン6三振を記録している。1000試合出場を達成した翌年に引退し、その後は阪急の2軍や日本楽器で監督を務めた。


33 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:40:55 W5sAHD6w

【24人目】

・安居玉一 1922年10月10日 一塁手・三塁手・外野手 右投右打
経歴:旧制浜松第一中学→旧制東邦商業学校→阪神・大阪(41-43,46-50)→大洋(51-52)→国鉄(53-54)→近鉄(55)→大映(56-57)
達成日:1954年6月13日広島戦(4番・左翼手・31歳8ヶ月)

成績:1392試合 .267 (4854-1298) 70本 569打点 273三振 241四球 116盗塁 出塁率.304 OPS.679
投手:10登板 1勝3敗 47.1投球回 13奪三振 28与四球 31被安打 防2.06 WHIP1.25
【試合:237位 安打:187位 本塁打:419位 打点:183位 盗塁:194位】

※東邦商業学校(現東邦高)時代にはエース投手として活躍するも、41年夏の甲子園が戦争の影響で中止となったことから暴力事件を起こし、学校を中退したところを若林忠志に誘われてプロ入り。投手としては制球難に苦しみ、2年目からは野手に転向。すると才能が開花し、47〜50年には7番・一塁手として第1次ダイナマイト打線を支えた。その後は51年に大洋に移籍すると、同年にはリーグ4位で自己最高の打率.321もマーク。以降も国鉄・近鉄・大映でもプレーし、計5球団を渡り歩き、57年に現役引退。

通算1000安打:1954年8月7日大阪戦(31歳9ヶ月・1022試合目) ※史上20人目


34 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:41:16 W5sAHD6w

【25人目】

・金山次郎 1922年7月19日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:旧制豊国商業→名古屋軍・産業軍・中部日本(43-44,46-47)→急映(48)→大映(49)→松竹(50-52)→広島(53-57)
達成日:1954年6月24日大阪戦(2番・二塁手・31歳11ヶ月)

成績:1366試合 .243 (5265-1281) 45本 338打点 525三振 371四球 456盗塁 出塁率.296 OPS.614
【試合:254位 安打:196位 本塁打:-位 打点:438位 盗塁:6位】

※豊国商業から名古屋軍に入団。2年目の44年には本塁打王のタイトルを獲得すると、戦後派その持ち前の俊足を活かすリードオフマンとして活躍。2リーグ制となり、松竹に移籍した50年には水爆打線の1番打者として当時のセリーグ記録となる74盗塁をマークし、チームのリーグ初代チャンピオンに貢献。その後52年、広島に移籍した53年にも盗塁王のタイトルを獲得し、55年には史上初の400盗塁を達成するなど歴代6位となる通算456盗塁を記録した。引退後は広島のコーチや解説者として活躍し、75年の広島のリーグ初優勝の際にも地元・中国放送で解説をしていた。

通算1000安打:1954年8月28日大阪戦(32歳1ヶ月・1037試合目) ※史上21人目


35 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:41:36 W5sAHD6w

【26人目】

・宮崎剛 1918年12月17日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:旧制台北第一中学→旧制同志社高等商業学校→大阪・阪神(40-41,46)→阪急(48-49)→大洋(50-55)
達成日:1954年8月1日大阪戦(9番・三塁手・35歳7ヶ月)

成績:1049試合 .234 (4051-949) 28本 287打点 300三振 281四球 221盗塁 出塁率.285 OPS.593
【試合:449位 安打:333位 本塁打:-位 打点:517位 盗塁:61位】

※台北第一中学時代はラグビー選手であり、同志社高入学後に野球を始めた異色の経歴の持ち主。俊足を武器とし、1950年にはリーグ2位の61盗塁をマークし、同年含む48〜53年には6年連続20盗塁を記録するなど1リーグ時代の阪神・阪急、そして大洋の黎明期をチャンスメーカーとして支えた。引退後はコーチを経て、1972,74年には監督も務めた。なお74年には秋山登コーチの発案もあり、日本プロ野球初となるツートンカラー式のホームユニを採用したことでも知られる。


36 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:41:58 W5sAHD6w

【27人目】

・大下弘 1922年12月15日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:高雄商業学校→明治大→セネタース・東急・急映(46-51)→西鉄(52-59)
達成日:1954年9月3日南海戦(4番・右翼手・32歳8ヶ月)

成績:1547試合 .303 (5500-1667) 201本 861打点 608三振 535四球 146盗塁 出塁率.368 OPS.858
【試合:170位 安打:94位 本塁打:105位 打点:76位 盗塁:133位】

※戦後からプロ入りした選手としては初の達成者。入団1年目から20本塁打(同年のリーグ総本塁打数の1割弱)を放って本塁打王を獲得したことにより、プロ野球に空前絶後の本塁打ブームを巻き起こし、赤バットの川上哲治と並んで青バットの代名詞で活躍。51年には当時の最高記録となる打率.383をマークし、首位打者と本塁打王の二冠を獲得。西鉄移籍後も4番打者として活躍し、54年には打率.321でMVPを獲得するなどチームの黄金時代を築き上げた。59年に引退後は阪急のコーチや東映の監督など指導者として活動するも、78年に脳血栓の影響で手足が麻痺。そして翌年には自殺によりこの世を去った。翌80年に殿堂入り。

通算1000安打:1953年8月30日大映戦(30歳8ヶ月・866試合目) ※史上17人目
通算1500安打:1957年8月11日東映戦(34歳7ヶ月・1352試合目) ※史上10人目
通算1500試合:1959年6月14日東映戦(3番・右翼手・36歳5ヶ月) ※史上12人目


37 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:42:28 W5sAHD6w

【28人目】

・門前眞佐人 1917年5月15日生 捕手 右投右打
経歴:旧制広陵中学→大阪・阪神(36-39,42-44)→金星(48)→大阪(49)→大洋(50-51)→広島(52-56)
達成日:1954年9月16日巨人戦(5番・捕手・37歳4ヶ月)

成績:1203試合 .237 (3761-892) 80本 543打点 446三振 475四球 50盗塁 出塁率.324 OPS.686
【試合:353位 安打:364位 本塁打:376位 打点:197位 盗塁:501位】

※広陵中学から大阪タイガースに契約第1号選手として入団。「地震・雷・火事・門前」と恐れられるほどに怒りっぽい性格で知られ、戦前の大阪では田中義雄とともに2枚看板の捕手として活躍。戦後は国民リーグや金星、古巣・大阪を経て50年に大洋に移籍。同年には史上3人目のサイクル安打を達成するなど25本塁打・110打点をマーク。現役晩年は地元の広島でプレーし、チームの黎明期を支えた。引退後も広島に残り、61,62年には監督も務めた。以降は解説者としても活動した。


38 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:42:49 W5sAHD6w

【29人目】

・山川武範 1922年8月25日生 三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:旧制鎮西学院→名古屋金鯱軍(40)→大洋(41-42)→巨人(46-51)→広島(51-54)
達成日:1954年10月22日巨人戦(2番・三塁手・32歳1ヶ月)

成績:1001試合 .252 (3351-844) 26本 316打点 400三振 370四球 105盗塁 出塁率.329 OPS.660
【試合:502位 安打:398位 本塁打:-位 打点:473位 盗塁:227位】

※40年に金鯱軍の監督を務めていた石本秀一に誘われてプロ入り。その後大洋を経て、戦後は巨人でプレーし、主に2番・6番打者として活躍。51年に前年広島の4番打者を務めていた樋笠一夫が巨人に引き抜かれたことによりファンの反発を恐れ、トレードで石本が監督を務めていた広島に移籍。その後は52年に球団初のサイクル安打を達成している。54年のシーズン残り2試合で1000試合出場も達成し、同年限りで現役を引退した。余談だが、2019年現在で通算1000試合ちょうどで引退した選手はいない。


39 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 13:43:07 W5sAHD6w

【30人目】

・中谷準志 1918年4月19日生 三塁手・二塁手・一塁手 右投右打
経歴:和歌山商業学校→田村駒商店→ライオン軍・朝日軍・パシフィック・太陽(38,42-43,46-48)→阪急(49-54)→西鉄(55-57)
達成日:1955年4月7日大映戦(6番・一塁手・36歳11ヶ月)

成績:1224試合 .262 (4131-1083) 94本 584打点 351三振 432四球 144盗塁 出塁率.334 OPS.733
【試合:337位 安打:267位 本塁打:318位 打点:172位 盗塁:137位】

※38年に田村駒商店の親会社であったライオン軍に入団しプロ入り。1リーグ時代からチームの中軸打者として活躍し、49年に阪急に移籍すると同年には打率.320 15本 83打点の好成績を残して三塁手のベストナインも獲得した。現役晩年の55年には西鉄に移籍し、準レギュラーとして2度の日本一に貢献。引退後は西鉄や阪急でコーチを歴任するも、阪急在籍中の70年2月に肝不全で51歳の若さでこの世を去った。

通算1000安打:1955年6月21日大映戦(37歳2ヶ月・1046試合目) ※史上22人目・歴代4位の年長記録


40 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 22:29:13 53f6QfUg
乙シャス!


41 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/01/31(金) 22:50:21 dHq0lVrU
1000試合出場って全体の1%くらいなのかな


42 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 01:50:34 g4f0PiQU
石川雄洋選手って実はすごい…?


43 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 02:01:33 OrFNX5dA
すごい情報量だあ…(恍惚)


44 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 08:48:40 7cU9HgWc
500人全部やるんですか…?(畏怖)


45 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:07:42 qI3.akV2

【31人目】

・飯田徳治 1924年4月6日生 一塁手・外野手 右投右打
経歴:旧制浅野綜合中学→東京鉄道局→グレートリング・南海(47-56)→国鉄(57-63)
達成日:1955年5月11日阪急戦(3番・中堅手・31歳1ヶ月)

成績:1965試合 .284 (6970-1978) 183本 969打点 691三振 733四球 390盗塁 出塁率.354 OPS.784
【試合:58位 安打:53位 本塁打:120位 打点:51位 盗塁:8位】

※東京鉄道局では42年の都市対抗で打撃賞も獲得。47年に南海に入団すると、51,52年には2年連続打点王、1000試合出場を達成した55年には打率.310 14本 42盗塁の活躍でMVPに輝くなど戦後の南海の黄金時代を築いた「百万ドルの内野陣」の一塁手として活躍。卓越したグラブ捌きと6年連続40盗塁の俊足、さらに当時の日本記録である1246試合連続出場を達成するタフさを武器とし、国鉄に移籍した57年には4番打者ながら40盗塁で盗塁王を獲得した。引退後はサンケイや南海の監督も務め、その後は解説者を経て喫茶店を開業した。81年に殿堂入り。

通算1000安打:1954年5月20日大映戦(林義一から・30歳1ヶ月・866試合目) ※史上19人目
通算1500安打:1957年8月1日広島戦(33歳3ヶ月・1344試合目) ※史上9人目
通算1500試合:1959年7月22日大阪戦(1番・一塁手・35歳3ヶ月) ※史上13人目


46 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:08:17 qI3.akV2

【32人目】

・長持栄吉 1918年1月1日生 外野手 右投右打
経歴:島田商業学校→東海製紙→東洋紡冨田→セネタース・東急・急映(46-49)→大洋(50)→広島(51-57)
達成日:1955年7月28日大阪戦(大田垣善夫の代打として出場・37歳6ヶ月)

成績:1196試合 .253 (3719-942) 43本 446打点 198三振 228四球 72盗塁 出塁率.232 OPS.482
【試合:355位 安打:335位 本塁打:-位 打点:284位 盗塁:358位】

※戦時中は空母・翔鶴に乗艦しており、真珠湾攻撃にも参加。その翔鶴が撃沈された際に海を漂流し、海面に漂った熱せられた油で顔面を火傷する過酷な経験を経て戦後46年にセネタースに入団してプロ入り。「モッチャン」の愛称で親しまれ、豪快な守備でファンを湧かせた。50年に移籍した大洋では球団第1号の本塁打を放った。翌51年からは広島に移籍し、チームの黎明期を支えた。引退後は大宮工業高校・浦和学院高校の監督を務め、68年選抜の優勝を含め両校で計8回の甲子園出場を経験している。


47 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:08:39 qI3.akV2

【33人目】

・森下重好 1920年4月12日生 外野手 右投右打
経歴:甲陽中学→法政大→パシフィック・太陽・大陽(46-49)→近鉄(50-55)
達成日:1955年10月1日毎日戦(戸口天従の代打として出場・35歳5ヶ月)

成績:1006試合 .256 (3237-828) 99本 432打点 384三振 281四球 45盗塁 出塁率.319 OPS.737
【試合:494位 安打:403位 本塁打:297位 打点:301位 盗塁:541位】

※法政大から46年にパシフィックに入団。1年目から2年連続で全試合に出場し、47,48年には2年連続2桁本塁打をマークするなど長打力を武器とし、50年には法政大学の恩師である藤田省三が監督を務めることとなった近鉄球団の設立に参加。球団初の4番打者として同年はリーグ2位の30本塁打をマーク。さらに51年にはプロ野球史上初となる開幕戦3打席連続本塁打も達成している。1000試合出場を達成した56年オフに現役を引退。


48 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:08:59 qI3.akV2

【34人目】

・原田督三(原田徳光) 1919年8月28日生 外野手 左投左打
経歴:中京商業学校→明治大→東洋産業→中日(48-58)
達成日:1956年3月21日大洋戦(5番・右翼手・36歳6ヶ月)

成績:1234試合 .269 (4508-1212) 64本 485打点 311三振 473四球 203盗塁 出塁率.341 OPS.718
【試合:326位 安打:219位 本塁打:457位 打点:244位 盗塁:71位】

※中京商業学校、明治大、東洋産業を経て地元球団の中日に入団。プロ入りは28歳と遅かったものの、1年目から主力選手として活躍。特に強肩を武器としており、50年には球団記録のシーズン21補殺をマーク。その守備力は「彼さえいなければ生涯打率3割だった」と千葉茂が豪語するほどとされる。また53年には球団初のサイクル安打も達成し、54年には2番打者として日本一に貢献した。引退後は中日のコーチを経て、東海ラジオの解説者や同局のスポーツ課長として活動した。

通算1000安打:1955年7月20日大洋戦(35歳10ヶ月・944試合目) ※史上23人目


49 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:09:28 qI3.akV2

【35人目】

・武智修 1925年8月29日生 投手・遊撃手・二塁手・一塁手 右投右打
経歴:旧制松山商業学校→阪神・大阪(43-47)→金星(48)→阪急(49)→広島(50-52)→近鉄(53-57)
達成日:1956年4月21日大映戦(3番・一塁手・30歳7ヶ月)

成績:1142試合 .255 (3868-987) 26本 432打点 240三振 281四球 138盗塁 出塁率.307 OPS.631
投手:59登板 18勝16敗 321.1投球回 44奪三振 67与四球 315被安打 防3.47 WHIP1.19
【試合:384位 安打:311位 本塁打:-位 打点:301位 盗塁:153位】

※松山商業学校から43年に阪神に入団。当初内野手としてプロ入りするも、戦時中、戦後の人材不足もあって阪神や阪急では二刀流として活躍し、通算18勝をマーク。広島に移籍して以降は野手に専念し、遊撃・二塁・一塁とポジションが変わりながらも51年、そして近鉄時代の55年には打率3割をマーク。また56年にはシーズン0本塁打の選手としては歴代最多の56打点も記録している。酒豪としても有名であり、監督の目を盗んでは酒を飲み、見つかって頻繁にボコボコにされていたという。引退後は母校の松山商業高校の監督を務め、61年夏にはチームを甲子園出場に導いた。


50 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:09:48 qI3.akV2

【36人目】

・木村勉 1921年1月12日生 外野手 右投右打
経歴:旧制粉河中学→南海・グレートリング(39-41,46)→大陽・松竹(48-51)→大洋(52)→広島(53)→近鉄(54-58)
達成日:1956年5月9日阪急戦(1番・中堅手・35歳3ヶ月)

成績:1219試合 .264 (4233-1118) 9本 332打点 202三振 342四球 171盗塁 出塁率.320 OPS.638
投手:5登板 0勝1敗 11.0投球回 7奪三振 18与四球 12被安打 防6.55 WHIP2.73
【試合:339位 安打:252位 本塁打:-位 打点:447位 盗塁:97位】

※粉川中学では上述の伊勢川真澄とバッテリーを組んでおり、39年に南海に入団。プロ入り当時は投手であったものの2年目から野手に転向。松竹時代の50年には6番打者としてセリーグ初代王者にチームを導き、54年に移籍した近鉄では「ピストル打線」のリードオフマンとして活躍し、56年には史上初の初回先頭打者ランニング本塁打も記録。一方で長打とは無縁の選手であり、プロ入りから1421打席連続無本塁打、通算9本塁打(4000打数以上)はいずれも後に更新されるまでは日本記録だった。

通算1000安打:1956年9月2日東映戦(35歳7ヶ月・1069試合目) ※史上26人目


51 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:10:08 qI3.akV2

【37人目】

・杉山悟 1926年1月1日生 外野手 右投右打
経歴:岡崎中学→ユタカ産業→中日・名古屋(48-58)→国鉄(59)→近鉄(60)
達成日:1956年7月15日広島戦(6番・左翼手・30歳6ヶ月)

成績:1391試合 .249 (4762-1184) 209本 698打点 789三振 377四球 105盗塁 出塁率.307 OPS.750
【試合:238位 安打:226位 本塁打:93位 打点:123位 盗塁:227位】

※身長180cmと当時としては大柄な体から「デカちゃん」の愛称で呼ばれ、その体躯を活かした長打力を武器にプロ入り2年目の49年には31本塁打をマーク。さらに52年には27本塁打で本塁打王のタイトルを獲得し、54年には5番打者として91打点をあげ、打点王のタイトルも獲得して日本一に貢献した。その後は死球の影響で徐々に成績を落とすも57年には球団初の通算200本塁打も達成。60年に移籍した近鉄では18連勝中だった大毎を相手に逆転打を放ってプロ野球記録の連勝を止める活躍を見せた。引退後は中日や日本ハムのコーチとして活動。

通算1000安打:1957年8月13日国鉄戦(31歳7ヶ月・1116試合目) ※史上27人目


52 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:10:32 qI3.akV2

【38人目】

・木塚忠助 1924年4月23日生 遊撃手 右投右打
経歴:唐津中学→門司鉄道局→南海(48-56)→近鉄(57-59)
達成日:1956年7月18日西鉄戦(1番・遊撃手・32歳2ヶ月)

成績:1288試合 .262 (4647-1216) 42本 360打点 382三振 213四球 479盗塁 出塁率.299 OPS.640
【試合:296位 安打:216位 本塁打:-位 打点:400位 盗塁:4位】

※門司鉄道局ではバットを赤く染めており、またラフプレーも多かったことから「門司の赤鬼」の異名を持ち、争奪戦の末に48年に南海に入団。「バカ肩」と呼ばれるなど数多くの好守の逸話を残した華麗な守備力に加え、50年には当時の最多記録である78盗塁をあげるなど4年連続で盗塁王を獲得し、歴代4位の通算479盗塁をマークした足を武器とし、チームの黄金時代を支えた「百万ドルの内野陣」の遊撃手として活躍。金銭トレードで移籍した近鉄で59年に引退して以降は、その近鉄や東京のコーチも歴任。その後は大阪でレストランを経営した。

通算1000安打:1956年6月17日東映戦(32歳1ヶ月・977試合目) ※史上24人目


53 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:11:02 qI3.akV2

【39人目】

・筒井敬三 1925年6月24日生 捕手 右投右打
経歴:海南中学→横浜専門学校→グレートリング・南海(46-55)→高橋(56)→大映(57)→東映(58)
達成日:1957年6月5日阪急戦(8番・捕手・31歳11ヶ月)

成績:1052試合 .236 (2903-685) 28本 276打点 288三振 234四球 60盗塁 出塁率.298 OPS.617
【試合:447位 安打:517位 本塁打:-位 打点:531位 盗塁:432位】

※横浜専門学校から戦後46年にグレートリングに入団。1年目から正捕手として活躍し、3年目の48年には全140試合に出場。49年には当時、「別所引き抜き事件」で遺恨のあった巨人戦において自身のプレーをきっかけに三原脩監督に頭を殴られている(三原ポカリ事件)。その後は松井淳の台頭やトレードや合併で球団を転々とし、引退後も最後に在籍した東映のコーチを務めていたが、59年に球団の寮で発生したガス漏れ事故により34歳の若さでこの世を去った。


54 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 13:11:22 qI3.akV2

【40人目】

・佐竹一雄 1925年1月28日生 捕手・一塁手 右投右打
経歴:市立京阪商学校→パシフィック・太陽・大陽(46-50)→国鉄(51-57)
達成日:1957年7月15日中日戦(8番・捕手・32歳5ヶ月)

成績:1032試合 .237 (3039-720) 19本 206打点 268三振 214四球 36盗塁 出塁率.290 OPS.598
【試合:470位 安打:489位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※戦時中はゼロ戦の整備に従事しており、戦後新聞で見かけた球団の選手募集広告をきっかけにパシフィックに入団。2年目に一塁手の定位置を掴み取ると、3年目からは捕手を務め、球団初の移籍入団選手として51年からは約6年間にわたって国鉄でも正捕手として活躍。大陽では真田重男、国鉄では金田正一(2度)、大脇照夫とともに捕手としては史上最多タイの4度のノーノー(うち1回は完全試合)を経験している。1000試合出場を達成した57年に引退。その後は国鉄のコーチを経て球団職員となり、球団がヤクルトとなり、78年のチーム初優勝を果たした時には広報を務めていた。


55 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 16:06:11 wnXYjS6s
昨シーズン開幕時に一軍でプレー経験があるのが約6,800人らしいので、大体7%くらいですかね


56 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 18:49:27 lLXyGLu2
これ古い順なんすね
かなり大変そうだけどがんばえー


57 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/01(土) 23:45:23 AHaorKsg
乙シャス!


58 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:12:18 4ZkH.RVs

【41人目】

・平井三郎(平井正明) 1923年9月4日生 遊撃手 右投右打
経歴:徳島商業学校→明治大→全徳島→阪急(48-49)→西日本(50)→巨人(51-57)
達成日:1957年8月10日国鉄戦(義原武敏の代打として出場・33歳11ヶ月)

成績:1009試合 .277 (3566-988) 51本 408打点 232三振 310四球 168盗塁 出塁率.337 OPS.727
【試合:489位 安打:310位 本塁打:548位 打点:338位 盗塁:103位】

※阪急では入団1年目から遊撃手のレギュラーを掴み取り、新設された西日本に移籍した50年には打率.309をマークするなどリードオフマンとして活躍。その後球団合併に伴い、引き抜かれて移籍した巨人では千葉茂とともに相性抜群の二遊間を形成。巨人が3年連続日本一となった51〜53年には自身もベストナインを獲得している。しかし心臓弁膜症を患って57年に引退。その後もコーチやスカウトを務めたが、69年に45歳の若さでこの世を去った。


59 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:13:10 4ZkH.RVs

【42人目】

・浜田義雄 1926年11月25日生 二塁手 右投右打
経歴:荏原中学→東京急行品川→急映・東急・急映(48-58)
達成日:1957年8月18日阪急戦(1番・二塁手・30歳8ヶ月)

成績:1027試合 .245 (3635-892) 20本 217打点 201三振 337四球 142盗塁 出塁率.313 OPS.623
【試合:475位 安打:364位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:142位】

※48年に在籍していた東急電鉄からそのまま急映でプロ入りを果たすと、2年目の49年から二塁手のレギュラーを掴み取ることに成功。56年まで8年連続で100試合以上に出場し、7年連続2桁盗塁をマークするなど主に1,2番打者として活躍。また55,56年には当時の日本記録である196打席連続無三振も達成している。引退後は東映のコーチを69年まで務めた。なお孫の浜田洋平は現在声優として活躍中。ガンダム鉄血のオルフェンズやブレンドSなど数々のアニメに出演している。


60 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:13:15 lGGAJ6wk
まだ戦前過ぎて草


61 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:14:02 4ZkH.RVs

【43人目】

・白坂長栄 1922年7月23日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:旧制福岡中学→仙台鉄道局→華中鉄道→仙台鉄道局盛岡→大阪(48-59)
達成日:1957年10月7日大洋戦(2番・二塁手・35歳2ヶ月)

成績:1020試合 .238 (3313-789) 59本 360打点 312三振 415四球 102盗塁 出塁率.324 OPS.661
【試合:481位 安打:431位 本塁打:481位 打点:400位 盗塁:238位】

※当時の監督を務めており、盛岡に遠征に来ていた若林忠志からの勧誘をきっかけに48年に大阪に入団。入団後数年は遊撃手としてプレーするも、53年に吉田義男が入団したことにより、二塁手に転向。その吉田との二遊間は当時鉄壁と称され、また打撃では繋ぎ役として2番打者や下位打線を支えるなどいぶし銀の選手として活躍した。引退後は阪神のスコアラーや2軍監督を務めるなどタイガース一筋の人生を送った。


62 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:14:26 4ZkH.RVs

【44人目】

・関口清治 1925年10月9日生 外野手 右投右打
経歴:台北工業学校→全武生→信州化学→巨人(48)→星野組→西日本(50)→西鉄(51-61)→阪急(62-63)
達成日:1958年4月14日大毎戦(5番・左翼手・32歳6ヶ月)

成績:1532試合 .264 (4916-1298) 166本 731打点 800三振 383四球 73盗塁 出塁率.320 OPS.753
【試合:173位 安打:187位 本塁打:145位 打点:112位 盗塁:351位】

※台北に生まれ、戦後社会人野球を経て巨人に入団。巨人では肩の故障もあって思うように活躍できずも、50年に西日本パイレーツ結成に参加してプロに復帰すると、合併して西鉄となった51年以降は5番打者として黄金時代を支えた。大舞台に強く、日シリでは56年に史上初のシリーズ4本塁打、58年には1勝3敗で迎えた第5戦で1点ビハインドの9回裏に起死回生の同点適時打を放ってその後の逆転日本一に繋げるなどの活躍を見せた。引退後は阪急や西鉄のコーチ、近鉄の監督などを歴任。

通算1000安打:1958年7月5日大毎戦(小野正一から・32歳8ヶ月・1057試合目) ※史上29人目
通算1500試合:1963年4月27日東映戦(永井進の代打として途中出場・37歳6ヶ月) ※史上14人目


63 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:14:51 4ZkH.RVs

【45人目】

・川合幸三 1927年4月29日生 一塁手 左投左打
経歴:一宮中学→東洋産業→阪急(47-59)
達成日:1958年4月20日東映戦(3番・一塁手・30歳11ヶ月)

成績:1160試合 .265 (3875-1027) 17本 359打点 207三振 275四球 284盗塁 出塁率.316 OPS.658
【試合:374位 安打:291位 本塁打:-位 打点:408位 盗塁:34位】

※昭和生まれの選手では初の達成者。1年目の48年には史上3人目の1試合3三塁打を記録して鮮烈なデビューを飾ると、その後は一塁手の定位置を奪い、通算6度の30盗塁、球団史上2位の通算58三塁打をマークするなど俊足巧打の2番打者として活躍し、54年にはリーグ3位の打率.315を記録して球団初となる一塁手のベストナインのタイトルも獲得するなど50年代の阪急を支えた。

通算1000安打:1958年9月21日南海戦(31歳4ヶ月・1091試合目) ※史上30人目


64 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:15:09 4ZkH.RVs

【46人目】

・小林章良 1923年9月22日生 一塁手 右投右打
経歴:滝川中学→鐘紡高砂→朝日軍・パシフィック・松竹(43,46,50-52)→大洋・洋松(53-58)
達成日:1958年9月29日広島戦(鈴木隆の代打として途中出場・35歳0ヶ月)

成績:1009試合 .241 (3074-742) 28本 240打点 304三振 210四球 33盗塁 出塁率.293 OPS.594
【試合:489位 安打:469位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※戦前にプロ入りした選手では最後の達成者。滝川中学時代には別所毅彦とバッテリーを組んでおり、プロ入り時も捕手だったものの戦後に一塁手に転向。その定位置を手に入れたのは最初のプロ入りから8年が経った51年であり、52年には松竹の4番打者を務めた。球団が合併した53年以降は主に2番打者として活躍。堅実な繋ぎ役としてその役目を全うした。通算1000試合出場を達成した59年限りで現役を引退。


65 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:15:34 4ZkH.RVs

【47人目】

・蔭山和夫 1927年1月16日生 三塁手 右投右打
経歴:旧制市岡中学→早稲田大→南海(50-59)
達成日:1959年4月19日大毎戦(2番・三塁手・32歳3ヶ月)

成績:1044試合 .264 (3334-881) 53本 302打点 500三振 535四球 214盗塁 出塁率.367 OPS.759
【試合:452位 安打:377位 本塁打:532位 打点:498位 盗塁:68位】

※2リーグ制となった50年以降にデビューした選手では初の達成者。2年目の51年にはリーグ2位の打率.315、42盗塁をマークして新人王のタイトルを獲得すると、通算4度のリーグ最多三塁打、通算214盗塁の俊足、さらに卓越した選球眼を武器に出塁率も高くリードオフマンとしてチームに大きく貢献。「百万ドルの内野陣」の三塁手として名を馳せた。引退後は南海のヘッドコーチを務め、65年には勇退した鶴岡一人の後任として監督となるも、就任から4日後に急性副腎不全により38歳の若さで急死した。


66 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:15:51 4ZkH.RVs

【48人目】

・滝田政治 1926年10月26日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:旧制秋田中学→旧制秋田鉱山専門学校→中央工業→急映(48)→大映(49-56)→阪急(57-61)→阪神(62)
達成日:1959年5月2日南海戦(3番・右翼手・32歳6ヶ月)

成績:1314試合 .257 (3863-991) 42本 404打点 422三振 433四球 74盗塁 出塁率.336 OPS.689
【試合:279位 安打:308位 本塁打:-位 打点:341位 盗塁:347位】

※現在の秋田大学である秋田鉱山専門学校から中央工業を経て48年にプロ入り。3年目の50年に外野手のレギュラーを掴み取ると、52年には史上6人目のサイクル安打も達成。翌53年からは一塁手に転向し、シュアな打撃で3番打者に定着。その後球団合併の影響で阪急に移籍すると外野と一塁で併用されながらも主力打者、そして60年からはチームの主将として活躍した。62年に阪神で引退。


67 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:16:13 4ZkH.RVs

【49人目】

・岡本伊三美 1931年2月26日生 二塁手 右投右打
経歴:第一工業高校→南海(49-63)
達成日:1959年7月5日大毎戦(1番・二塁手・28歳4ヶ月)

成績:1289試合 .257 (3961-1018) 125本 313打点 496三振 356四球 182盗塁 出塁率.321 OPS.731
【試合:295位 安打:294位 本塁打:220位 打点:211位 盗塁:92位】

※中学時代はバスケ選手であり、高校時代に野球へ転向。卒業後の49年に南海にテスト生として入団すると、2年目には1軍デビュー。そして4年目の52年に二塁手の定位置を掴み、53年には打率.318で球団初の首位打者、そしてMVPを獲得。その後も二塁手のベストナインを計5度獲得するなど、「百万ドルの内野陣」の1人としてチームの黄金期を支えた。引退後は南海やサンケイ、阪神のコーチ、また近鉄では監督も務めた。なお次女の岡本久美子は元プロテニスプレイヤー。

通算1000安打:1962年8月7日阪急戦(31歳5ヶ月・1211試合目) ※史上42人目


68 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/02(日) 13:16:35 4ZkH.RVs

【50人目】

・渡辺博之 1921年1月1日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:旧制桃山中学→旧制同志社大→全大阪→大阪(50-57)→近鉄(58-59)
達成日:1959年8月27日近鉄戦(ボトラに代わって一塁手として途中出場・38歳7ヶ月) ※歴代2番目の年長記録

成績:1019試合 .273 (3278-896) 54本 453打点 245三振 306四球 76盗塁 出塁率.337 OPS.708
【試合:484位 安打:359位 本塁打:520位 盗塁:336位 打点:275位】

※同志社大ではエースを務め、戦後は社会人野球でプレーするも49年末に旧友であった森田忠勇が新設された2軍の監督に就任したことをきっかけに28歳でプロ入り。投手として入団するも結果を残せず外野手に転向すると藤村富美男の後を打つ5番打者として定着。特に54年にはリーグ2位の打率.353に加えて、91打点をあげて打点王のタイトルを獲得した(史上唯一の1桁本塁打での受賞)。引退後は母校・同志社大の監督に就任し田尾安志らを輩出。しかし90年に妻とともに心中を図り、この世を去っている。


69 : 禁中並公家諸法度 :2020/02/02(日) 20:51:52 ???
オツシャス!


70 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/03(月) 00:47:27 ???
結構晩年が悲惨な方もいらっしゃいますね…


71 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 08:19:23 4ozLcXYg
50人目の方が無理心中しててやべぇよ・・・やべぇよ・・・


72 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 10:06:49 05ZxqJPs
ここら辺は色々な転機の選手が多いですね


73 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:45:27 KzIk3EC.

【51人目】

・坂本文次郎 1926年3月15日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:旧制海草中学→日本発送電→海南日東紡→大映(51-57)→大毎(58-61)
達成日:1959年9月9日近鉄戦(1番・遊撃手・33歳5ヶ月)

成績:1233試合 .254 (4313-1097) 66本 375打点 472三振 152四球 154盗塁 出塁率.283 OPS.650
【試合:327位 安打:260位 本塁打:439位 打点:376位 盗塁:120位】

※社会人を経て大映でプロ入りを果たすと、1年目から三塁手のレギュラーを獲得。53年には全120試合に出場し、現在でもプロ野球記録となる三塁手のシーズン522補殺をマーク。また54年には史上初の10打席連続安打、57年には2試合連続満塁本塁打を記録。58年以降は葛城隆雄の台頭もあり、二塁・遊撃も守り60年には初のリーグ優勝に貢献した。早打ちの傾向が多かったために四球の数は少なく、通算IsoD.029は4000打数以上の選手で史上2番目の低さでもある。引退後はロッテや近鉄のコーチを歴任。

通算1000安打:1960年6月9日阪急戦(34歳2ヶ月・1061試合目) ※史上32人目


74 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:45:52 KzIk3EC.

【52人目】

・与那嶺要 1925年6月24日生 外野手 左投左打
経歴:ラハイラルナ高→フェリントン高→ハワイ朝日→巨人(51-60)→中日(61-62)
達成日:1959年10月20日中日戦(3番・左翼手・34歳3ヶ月)

成績:1219試合 .311 (4298-1337) 82本 482打点 553三振 552四球 163盗塁 出塁率.387 OPS.831
【試合:339位 安打:173位 本塁打:366位 打点:248位 盗塁:111位】

※父は沖縄、母は広島出身のハワイ移民日系2世であり、高校時代はアメフト選手だったものの怪我により野球に転向。その翌年に巨人からスカウトを受けて戦後初の外国人選手としてプロ入りを果たす。卓越したミート力と、アメリカ仕込みの走塁技術で日本プロ野球に新風を吹き込ませ、54年のMVP、3度の首位打者、7年連続ベストナインを獲得。千葉茂とともに強力な1,2番コンビを形成し、巨人の第2時黄金時代を支えた。引退後は中日の監督として74年にはチーム20年ぶりのリーグ優勝を果たして巨人のV10を阻止。以降も計4球団でコーチなどを歴任し、94年に殿堂入り。

通算1000安打:1958年5月25日広島戦(長谷川良平から・33歳2ヶ月・793試合目) ※史上28人目


75 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:46:12 KzIk3EC.

【53人目】

・田宮謙次郎 1928年2月11日生 外野手・投手 左投左打 
経歴:旧制下館商業学校→日本大学(中退)→大阪(49-58)→大毎(59-63)
達成日:1960年5月29日阪急戦(2番・中堅手・32歳3ヶ月)

成績:1488試合 .297 (4807-1427) 106本 597打点 467三振 416四球 190盗塁 出塁率.365 OPS.810
【試合:198位 安打:142位 本塁打:270位 打点:165位 盗塁:87位】

※日本大学では二刀流であり、47年秋に打率.427で首位打者となり、スカウトを受けて大学を中退して大阪に入団。1年目は投手としてプレーし11勝をマーク。しかし肩の故障により、4年目の途中から外野手に転向。55年からは藤村富美男に代わって4番打者として活躍し、58年には打率.320で首位打者のタイトルも獲得。その後10年選手制度で大毎に移籍し、榎本喜八や山内一弘とともに「ミサイル打線」を形成し、60年のリーグ優勝に貢献した。引退後は中日や東映、阪神のコーチ、また市議会議員も務め、02年に殿堂入り。

通算1000安打:1960年9月29日阪急戦(32歳7ヶ月・1086試合目) ※史上36人目


76 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:46:30 KzIk3EC.

【54人目】

・豊田泰光 1935年2月12日生 遊撃手 右投右打
経歴:水戸商業高→西鉄(53-62)→国鉄・サンケイ・アトムズ(63-69)
達成日:1960年8月7日東映戦(4番・遊撃手・25歳6ヶ月) ※歴代最年少

成績:1814試合 .277 (6137-1699) 263本 888打点 1024三振 934四球 215盗塁 出塁率.372 OPS.837
【試合:85位 安打:89位 本塁打:60位 打点:67位 盗塁:67位】

※水戸商業高では高校No.1遊撃手の評価を受け立教大や早稲田大、複数のプロ球団の誘いを受け、中でも熱烈なスカウトだった西鉄にプロ入り。高卒1年目ながら遊撃手の定位置を掴み取ると、いきなり27本塁打・25盗塁をマークし、新人王を獲得。プロ1年目から13年連続で2桁本塁打を記録するなどその後も「流線型打線」の主力打者として活躍し、56年には打率.325で首位打者となり、日シリMVPも獲得。62年オフにはトレードで国鉄に移籍。65年からは故障も抱えながらも勝負強い打撃で支えた。引退後は解説者や評論家として長らく活躍し、06年に殿堂入り。なお25歳6ヶ月での1000試合出場は史上最年少記録である。

通算1000安打:1960年7月29日南海戦(25歳5ヶ月・991試合目) ※史上34人目・歴代3番目の年少記録
通算1500試合:1964年7月1日中日戦(4番・遊撃手・29歳4ヶ月) ※史上15人目・歴代2番目の年少記録
通算1500安打:1964年7月29日大洋戦(29歳5ヶ月・1516試合目) ※史上14人目・歴代5番目の年少記録


77 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:46:54 KzIk3EC.

【55人目】

・山下健 1931年8月6日生 捕手 右投右打
経歴:高松第一高→阪急(50-65)
達成日:1960年10月9日西鉄戦(代打・呉山義雄に代わって捕手として途中出場・29歳2ヶ月)

成績:1232試合 .189 (2808-530) 33本 220打点 765三振 312四球 23盗塁 出塁率.273 OPS.543
【試合:328位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※高松第一高では49年春夏の甲子園に出場。強肩強打の捕手として注目が集まり、50年に阪急にプロ入り。当時チームの主力選手はセ球団に大量に引き抜かれており、その中でも捕手の補強は急務とされていたために1年目から正捕手にとなり、51年には全試合に出場。53年にはベテランの伊勢川真澄が移籍するもポジション争いを制し、後に入団した梶本隆夫・米田哲也のWエースとバッテリーを組み、低迷期だったチームを支え続けた。60年代に入ると同じく香川出身の岡村浩二が台頭し、入れ替わる形で65年に引退。その後はバッテリーコーチを務めた。


78 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:47:18 KzIk3EC.

【56人目】

・吉田義男 1933年7月26日生 遊撃手 右投右打
経歴:山城高→立命館大→大阪・阪神(53-69)
達成日:1961年4月12日広島戦(1番・遊撃手・27歳8ヶ月)

成績:2007試合 .267 (6980-1864) 66本 434打点 325三振 498四球 350盗塁 出塁率.321 OPS.676
【試合:51位 安打:65位 本塁打:439位 打点:298位 盗塁:18位】

※立命館大から青木一三の勧誘を受けてタイガースに入団。「今牛若丸」と称される華麗で俊敏な遊撃守備に加え、粘り強く三振の少ないアベレージヒッターとして1年目から定位置を掴むと、2年目の54年には51盗塁、56年にも50盗塁をマークして2度の盗塁王を獲得。62、64年のリーグ優勝にも貢献するなど9度のベストナインに選ばれた。69年に藤田平の台頭を見届ける形で引退し、以降は阪神の監督を3期、計8年務め、中でも85年にはニューダイナマイト打線を率いて21年ぶりのリーグ優勝、球団初の日本一に導いた。92年に殿堂入りを果たし、背番号「23」も阪神の永久欠番となっている。

通算1000安打:1960年8月31日広島戦(27歳1ヶ月・972試合目) ※史上35人目
通算1500安打:1965年5月2日巨人戦(31歳9ヶ月・1494試合目) ※史上16人目
通算1500試合:1965年5月9日国鉄戦(1番・遊撃手・31歳9ヶ月) ※史上17人目
通算2000試合:1969年9月17日アトムズ戦(9番・二塁手・36歳1ヶ月) ※史上2人目


79 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:47:41 Bq4Fo3oE
百万ドルの内野陣、4人とも千試合出場してるんすね


80 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:47:42 KzIk3EC.

【57人目】

・山内一弘(山内和弘) 1932年5月1日生 外野手 右投右打
経歴:起工業高→川島紡績→毎日・大毎(52-63)→阪神(64-67)→広島(68-70)
達成日:1961年4月23日東映戦(4番・左翼手・28歳11ヶ月)

成績:2235試合 .295 (7702-2271) 396本 1286打点 820三振 1061四球 118盗塁 出塁率.378 OPS.899
【試合:24位 安打:17位 本塁打:21位 打点:18位 盗塁:190位】

※テスト生として毎日に入団すると3年目には4番打者に抜擢され、97打点をあげて打点王のタイトルを獲得するとそこから数多くのタイトルを獲得し、60年には32本 103打点で二冠王となるなど、チームを優勝に導いてMVPとなった。その後63年オフに小山正明との「世紀の大トレード」で阪神に移籍。移籍1年目から31本塁打を放って阪神でもリーグ優勝に貢献し、また67年には川上哲治に次いで史上2人目の通算2000安打も達成。その後は広島に移籍し、史上初の2000試合出場も達成。引退後は監督を務めたロッテ・中日をはじめとした各球団で指導者として活躍し、02年に殿堂入り。

通算1000安打:1960年7月16日南海戦(森中千香良から三安・28歳2ヶ月・930試合目) ※史上33人目
通算1500安打:1963年9月21日阪急戦(梶本隆夫から・31歳4ヶ月・1382試合目) ※史上12人目
通算1500試合:1964年8月9日中日戦(3番・左翼手・32歳3ヶ月) ※史上16人目
通算2000安打:1967年10月14日サンケイ戦(吉江喜一から中安・35歳5ヶ月・1922試合目) ※史上2人目
通算2000試合:1968年8月2日阪神戦(3番・左翼手・36歳3ヶ月) ※史上初


81 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:48:04 KzIk3EC.

【58人目】

・中西太 1933年4月11日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:高松第一高→西鉄(52-69)
達成日:1961年5月7日南海戦(城戸則文の代打として出場・28歳0ヶ月)

成績:1388試合 .307 (4116-1262) 244本 785打点 624三振 481四球 81盗塁 出塁率.379 OPS.933
【試合:241位 安打:204位 本塁打:67位 打点:99位 盗塁:142位】

※高校時代から本塁打を量産して「怪童」と呼ばれ、52年に西鉄に入団。1年目から打率.281 12本で新人王を獲得すると、2年目の53年には.314 36本 36盗塁をマークし、史上3人目・歴代最年少でトリプルスリーを達成。その53年から4年連続で本塁打王のタイトルを獲得するなど「流線型打線」の中軸打者としてチームの黄金期を支えた。62年からは選手兼任監督となり、63年には最大14.5ゲーム差をひっくり返してチームを優勝に導いた。引退後も日本ハムや阪神の監督を務めるなど数多くの球団で指導者を務め、数多くの名選手を育て上げた。99年に殿堂入り。

通算1000安打:1959年5月20日東映戦(26歳1ヶ月・904試合目) ※史上31人目


82 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:48:21 KzIk3EC.

【59人目】

・佐藤孝夫 1931年8月10日生 外野手 右投右打
経歴:白石高→仙台鉄道管理局→国鉄(52-63)
達成日:1961年5月9日中日戦(1番・中堅手・29歳8ヶ月)

成績:1275試合 .238 (4078-970) 150本 432打点 679三振 482四球 219盗塁 出塁率.319 OPS.720
【試合:303位 安打:321位 本塁打:174位 打点:301位 盗塁:64位】

※1年目から当時セリーグ記録の14試合連続得点、新人では当時最多の45盗塁をマークして新人王を獲得すると、6年目の57年には22本塁打で本塁打王のタイトルを獲得(なおスワローズの日本人打者の本塁打王は山田哲人が15年に獲得するまで58年間唯一だった)。躍動感溢れるプレーで「バンビ」の愛称で人気を集め、50年代〜60年代前半の国鉄を支えた。引退後はヤクルトや西鉄でコーチを務め、双方の球団でリーグ優勝・日本一に貢献した。


83 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:48:42 KzIk3EC.

【60人目】

・箱田淳 1932年2月1日生 二塁手・三塁手・投手 右投右打
経歴:盈進商業高→国鉄(51-60)→大洋(61-64)
達成日:1961年6月10日広島戦(6番・二塁手・29歳4ヶ月)

成績:1279試合 .261 (3807-993) 80本 364打点 330三振 188四球 95盗塁 出塁率.296 OPS.676
投手:61登板 4勝10敗 187.2投球回 61奪三振 87与四球 181被安打 防3.84 WHIP1.43
【試合:301位 安打:306位 本塁打:376位 打点:396位 盗塁:256位】

※創設2年目の国鉄に51年に投手として入団するも、当時は人手不足が深刻であり内野手や代打としても出場。4年目の54年に自ら監督に申し出て野手に転向すると、同年には打率.323をマークし、宇野光雄とともに球団初のベストナインに選出。層の薄かった黎明期の国鉄の中で野手のリーダー格として支えた。60年オフには10年選手制度の権利を行使し、大洋に移籍。当時若手だった近藤昭仁の活躍を見届ける形で、64年に引退。その後は解説者として活動し、02年にはスワローズOB会を発足させた。


84 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 12:59:10 bEci5LYM
そういえば豊田のお爺ちゃんが亡くなった時にここの野球総合スレに謎のリークがあったんだよな
何故かwebの記事が出る前だったから記憶に残ってる


85 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 13:01:43 O2gjgU6U
面々が豪華ですね…

>>84
ありましたね
記事が出回る数時間前に「仕事関連の人から聞いた」なんてリークがあってびっくりした思い出


86 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/03(月) 18:34:54 ???
このあたりから解説やら監督やらで知ってる面々が増えてきましたね


87 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 18:35:24 9u2zXgMI
ミサイル打線大好きだから嬉しい


88 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/03(月) 19:42:08 eoc2u1jw
怪童の通算OPSがエグい


89 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:04:53 lRzPU1D.

【61人目】

・森下整鎮(森下正夫) 1933年9月4日生 二塁手・三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:八幡高(中退)→南海土建→南海(52-66)
達成日:1961年6月11日西鉄戦(1番・二塁手・27歳9ヶ月)

成績:1573試合 .256 (4642-1188) 50本 453打点 410三振 309四球 315盗塁 出塁率.311 OPS.652
【試合:153位 安打:225位 本塁打:563位 打点:275位 盗塁:27位】

※実質的に球団の2軍チームだった南海土建に高校を中退して入部し、そこからプロ入り。最初は内野のユーティリティとして重宝されるも、3年目の54年には二塁手の定位置を獲得してベストナインにも選出。55年には遊撃と三塁で併用されながらも59盗塁をマークして盗塁王のタイトルも獲得した。アキレス腱断裂を3度経験しながらもそこから毎回復帰を果たし、まさに不死鳥の如く活躍した選手だった。引退後は南海・中日・大洋のコーチを歴任し、台湾・兄弟では92年に日本人監督として初のリーグ優勝にも導いている。

通算1000安打:1963年8月20日近鉄戦(29歳11ヶ月・1189試合目) ※史上45人目
通算1500試合:1966年5月10日西鉄戦(国貞泰汎に代わって三塁手として途中出場・32歳8ヶ月) ※史上20人目


90 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:05:12 lRzPU1D.

【62人目】

・町田行彦 1934年3月8日生 外野手 右投右打
経歴:長野北高→国鉄(52-64)→巨人(65)
達成日:1961年7月26日大洋戦(7番・右翼手・27歳4ヶ月)

成績:1415試合 .233 (3922-913) 129本 459打点 848三振 408四球 133盗塁 出塁率.307 OPS.695
【試合:227位 安打:351位 本塁打:207位 打点:271位 盗塁:168位】

※長野北高校では三塁手だったものの強肩を見込まれて右翼手にコンバート。3年目の54年には20本塁打を放つと、翌55年には31本塁打を放って球団初の本塁打王のタイトルを獲得し、西の中西太と並んで東のホームランキングと称された。以降も主に5番打者としてチームを支え、長嶋茂雄がデビューした58年の開幕戦では決勝本塁打を放ったことでも知られる。しかし現役晩年は腰の故障に悩まされ、自由契約となりテスト生として巨人に移籍した65年限りで引退。その後は巨人やヤクルト、また台湾・統一でコーチを務めた。


91 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:05:40 lRzPU1D.

【63人目】

・小玉明利 1935年6月10日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:神埼工業高(中退)→近鉄(53-67)→阪神(68-69)
達成日:1961年8月24日東映戦(3番・三塁手・26歳2ヶ月)

成績:1946試合 .286 (6875-1963) 130本 788打点 570三振 489四球 135盗塁 出塁率.336 OPS.743
【試合:62位 安打:55位 本塁打:204位 打点:98位 盗塁:160位】

※高校2年の53年に近鉄の入団テストを受け、高校を中退してプロ入り。2年目には三塁手のレギュラーを掴み取り、58年にはチーム打率.215、勝率.238という中で自身は打率.301をマーク。当時弱小だったチームにおいては数少ない全国区のスター選手となり、62〜65年には4年連続で打率3割をマークし、球宴にも57年から65年まで9年連続で出場。67年にはチーム再建の切り札として選手兼任監督も務めた。しかしチームは4年連続最下位となり、三原脩が監督に招聘された同年オフにはトレードで阪神へ移籍。心労の多い監督業の影響もあって思うように成績が残せず、69年に2000安打まで残り37本としながら現役を引退した。

通算1000安打:1961年7月5日阪急戦(26歳0ヶ月・958試合目) ※史上37人目
通算1500安打:1964年7月19日東映戦(29歳1ヶ月・1391試合目) ※史上13人目・歴代3番目の年少記録
通算1500試合:1965年7月2日東映戦(4番・三塁手・30歳0ヶ月) ※史上18人目・歴代5番目の年少記録


92 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:06:00 lRzPU1D.

【64人目】

・本多逸郎 1931年5月3日生 外野手・投手 左投左打
経歴:犬山高→中日(50-61,64-65)
達成日:1961年9月17日大洋戦(江藤慎一に代わって左翼手として途中出場・30歳4ヶ月)

成績:1053試合 .241 (3178-766) 15本 201打点 257三振 184四球 170盗塁 出塁率.284 OPS.592
投手:22登板 0勝0敗 55.0投球回 22奪三振 27与四球 64被安打 防5.89 WHIP1.65
【試合:445位 安打:452位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:99位】

※50年に投手として入団するも伸び悩み、3年目に外野手に転向。すると1番・中堅手として定着し、一気に出場機会を増やすと、6番を主に務めた55年には42盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得した。その後は中利夫の台頭もあって徐々に出場機会を減らし、コーチ専任となった62年にはいったん中日を退団。しかし64年にコーチ兼任で現役復帰し、2年間プレーした。球界の長谷川一夫と呼ばれるほどの美男選手であり、チームの練習をサボって故郷・犬山市で開催されたイベント「犬山パラダイス」に遊びに行ってたことから「パラさん」の愛称を付けられていた。引退後は中日のコーチやスカウトを務めた。


93 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:06:20 lRzPU1D.

【65人目】

・岩本尭 1930年4月20日生 外野手 右投右打
経歴:旧制田辺中学→早稲田大→巨人(53-58)→大洋(59-61)
達成日:1961年9月26日巨人戦(宮本和佳に代わって左翼手として途中出場・31歳5ヶ月)

成績:1006試合 .236 (2882-679) 49本 295打点 409三振 221四球 78盗塁 出塁率.295 OPS.642
【試合:494位 安打:519位 本塁打:576位 打点:505位 盗塁:323位】

※早稲田大では在学中に5度の優勝を経験するなど黄金期の中軸打者として活躍し、争奪戦の末に巨人に入団。1年目から左翼手の定位置を掴み、7番打者としてリーグ3連覇に貢献。その後も巨人の主力打者として活躍し、55年の日本シリーズでは1試合3盗塁、56年には最終第6戦で稲尾和久から本塁打を放つなど大舞台にも強かった。しかし頭部死球により57,58年は不振に陥り、59年にトレードで大洋に移籍。新天地でも左翼手のレギュラーとなり、60年には2番打者として球団初の日本一に貢献した。引退後はコーチとして松原誠らを育成し、「メガトン打線」を築き上げ、また近鉄では3年間、監督も務めた。


94 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:06:38 lRzPU1D.

【66人目】

・杉山光平 1927年8月7日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:静岡商業→静岡師範→専修大→近鉄(52-54)→南海(55-61)→阪急(62-63)→南海(64-66)
達成日:1961年9月27日東映戦(3番・右翼手・34歳1ヶ月)

成績:1485試合 .279 (4680-1305) 88本 675打点 387三振 321四球 67盗塁 出塁率.330 OPS.723
【試合:200位 安打:184位 本塁打:340位 打点:131位 盗塁:384位】

※大学に入るまではテニスをプレーしており、専修大卒業後の52年に近鉄に入団。しかしキャンプ中に芥田武夫監督と打撃理論で口論となるなど確執を作ってしまい不遇な扱いを受けることになる。しかしその才能に惚れ込んだ山本一人監督の希望により、三角トレードという形で南海に移籍。「円月打法」と呼ばれる独特なフォームに加えてチャンスに強い職人的気質で人気を集め、移籍1年目からベストナインとなると、59年には打率.323で首位打者のタイトルを獲得するなど通算4度のベストナイン選出を経験し、主力打者として活躍。その後は阪急に移籍したあと再度南海に復帰し、15年間の現役生活を送った。

通算1000安打:1962年4月8日阪急戦(34歳8ヶ月・1010試合目) ※史上40人目


95 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:06:59 lRzPU1D.

【67人目】

・井上登 1934年5月26日生 二塁手・外野手・一塁手 右投右打
経歴:岡崎高→名古屋・中日(53-61)→南海(62-66)→中日(67)
達成日:1961年10月1日大洋戦(2番・一塁手・27歳4ヶ月)

成績:1506試合 .265 (4980-1322) 111本 570打点 511三振 348四球 151盗塁 出塁率.315 OPS.707
【試合:189位 安打:176位 本塁打:255位 打点:181位 盗塁:128位】

※俊足巧打の二塁手として2年目の54年には定位置を掴むと、2番打者として活躍しチームのリーグ初優勝、そして日本シリーズ第7戦では西鉄・河村英文から得意のシュートを打ち、決勝の適時三塁打として日本一にも貢献した。翌55年からは4年連続でベストナインを獲得するなど50年代の中日を支え、高木守道の台頭もあって61年オフに1対3のトレードで南海に移籍。南海では主に左翼手としてプレーし、64〜66年にはリーグ3連覇も経験。最後は67年に古巣・中日に復帰し現役を引退した。引退後は中日でコーチを務め、こちらも74年にリーグ優勝に大きく貢献した。

通算1000安打:1962年5月20日西鉄戦(27歳11ヶ月・1037試合目) ※史上41人目
通算1500試合:1967年5月23日阪神戦(広野功の代打として途中出場・32歳11ヶ月) ※史上25人目


96 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:07:20 lRzPU1D.

【68人目】

・毒島章一 1936年1月14日生 外野手 右投左打
経歴:桐生高→東映(54-71)
達成日:1962年4月19日阪急戦(6番・右翼手・26歳3ヶ月)

成績:2056試合 .277 (7148-1977) 122本 688打点 683三振 635四球 191盗塁 出塁率.338 OPS.736
【試合:46位 安打:54位 本塁打:227位 打点:126位 盗塁:86位】

※桐生高から東映に入団し、2年目の55年から定位置を獲得し、主に3番打者として活躍。62年にはリーグ優勝・日本一に貢献するなど長きに渡り東映の主将としてチームの顔となり、またリーグ最多三塁打を4度記録するなど三塁打が多く、通算106三塁打は福本豊に次いで歴代2位。東映一筋18年の現役生活を全うし、「ミスターフライヤーズ」と呼ばれ、通算2000安打までは残り23本としながらも71年に引退。その後は東映・日拓だけでなく西武でもコーチを歴任。また西武ではスカウトとしても「球界の寝技師」と呼ばれた根本陸夫の腹心として手腕を発揮し、後の黄金時代を築き上げた。

通算1000安打:1961年10月17日大毎戦(25歳9ヶ月・989試合目) ※史上39人目
通算1500安打:1966年5月8日東京戦(30歳3ヶ月・1491試合目) ※史上17人目
通算1500試合:1966年5月21日東京戦(6番・中堅手・30歳4ヶ月) ※史上21人目
通算2000試合:1970年7月10日近鉄戦(萩原千秋の代打として途中出場・34歳5ヶ月) ※史上4人目・歴代5番目の年少記録


97 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:07:42 lRzPU1D.

【69人目】

・三宅秀史 1934年4月5日生 三塁手 右投右打
経歴:南海高校→大阪・阪神(53-67)
達成日:1962年4月22日中日戦(1番・三塁手・28歳0ヶ月)

成績:1219試合 .252 (3894-983) 100本 376打点 614三振 337四球 198盗塁 出塁率.315 OPS.713
【試合:339位 安打:314位 本塁打:292位 打点:375位 盗塁:79位】

※青木一三スカウトの目に留まり、南海高校からタイガースに入団すると、3年目からは三塁手のレギュラーを獲得。派手さはないものの堅実に捕球し、さらに強肩から繰り出される正確な送球と当時ではトップクラスの守備力を誇り、吉田義男とともに鉄壁の三遊間を形成。また57年からは毎年全試合に出場し、62年途中まで当時の日本記録である700試合連続フルイニング出場を果たすも、記録継続中の試合前のキャッチボールで左眼が虹彩分離する重傷を負い、視力が大幅に低下したことで以降は成績が急降下し、67年に引退。その後は阪神のコーチや2軍監督を務めた。


98 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/04(火) 15:08:02 lRzPU1D.

【70人目】

・榎本喜八 1936年12月5日生 一塁手 左投左打
経歴:早稲田実業高→毎日・大毎・東京・ロッテ(55-71)→西鉄(72)
達成日:1962年6月20日東映戦(3番・一塁手・25歳6ヶ月) ※歴代2番目の年少記録

成績:2222試合 .298 (7763-2314) 246本 979打点 645三振 1062四球 153盗塁 出塁率.386 OPS.844
【試合:27位 安打:15位 本塁打:65位 打点:50位 盗塁:123位】

※入団テストを経て毎日にプロ入りすると、高卒1年目からクリーンナップを務め、打率.298 16本 67打点と圧巻の成績で新人王を獲得。その後も60,66年には首位打者、61年には史上最年少となる24歳9ヶ月で通算1000安打を達成するなど「ミサイル打線」の主軸として活躍し、68年にはこちらも史上最年少となる31歳7ヶ月で史上3人目の通算2000安打も達成した。「神の域」と称された打撃技術と卓越した選球眼を武器に「安打製造機」の代名詞をものにし、また引退後も球界にはほとんど関わっていないなど自身の性格も変わり種であり、数多くの逸話の残る選手でもある。この世を去った4年後の16年に殿堂入り。

通算1000安打:1961年9月27日阪急戦(米田哲也から二塁打・24歳9ヶ月・937試合目) ※史上38人目・最年少
通算1500安打:1964年9月25日南海戦(合田栄蔵から二塁打・27歳9ヶ月・1363試合目) ※史上15人目・最年少
通算1500試合:1965年10月11日西鉄戦(5番・一塁手・28歳10ヶ月) ※史上19人目・最年少
通算2000安打:1968年7月21日近鉄戦(鈴木啓示から二塁打・31歳7ヶ月・1830試合目) ※史上3人目・最年少
通算2000試合:1969年10月12日南海戦(5番・一塁手・32歳10ヶ月) ※史上3人目・最年少


99 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:12:58 QECHBnf.

【71人目】

・高倉照幸 1934年12月8日生 外野手 右投右打
経歴:熊本商業高→西鉄(53-66)→巨人(67-68)→アトムズ(69-70)
達成日:1962年6月30日東映戦(1番・中堅手・27歳6ヶ月)

成績:1793試合 .276 (5831-1611) 168本 641打点 808三振 383四球 178盗塁 出塁率.324 OPS.746
【試合:91位 安打:102位 本塁打:143位 打点:145位 盗塁:93位】

※熊本商業では51年春の選抜で大会唯一の本塁打を放ち、53年に地元・西鉄に入団。強肩と俊足を生かして2年目には中堅手のレギュラーを掴み取り、57年からは「流線型打線の切り込み隊長」として1番打者に定着し、チームの3年連続日本一に貢献。63年には当時のタイ記録であるシーズン6本の初回先頭打者弾を記録し、ベストナインにも3度選ばれた。67年にはトレードで巨人に移籍。「西部からの用心棒」として親しまれ同年の優勝にも貢献。また晩年は豊田泰光がコーチを務めていたアトムズに移籍。70年には控えながら打率.312をマークするもこの年限りで引退した。その後は解説者などを務めた。

通算1000安打:1963年5月2日近鉄戦(28歳4ヶ月・1099試合目) ※史上44人目
通算1500試合:1966年8月24日東京戦(6番・左翼手・31歳8ヶ月) ※史上22人目
通算1500安打:1967年10月10日広島戦(西本明和から本塁打・32歳10ヶ月・1599試合目) ※史上21人目


100 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:13:20 QECHBnf.

【72人目】

・関根潤三 1927年3月15日生 外野手・投手 左投左打
経歴:旧制日大三中学→法政大→近鉄(50-64)→巨人(65)
達成日:1962年7月14日西鉄戦(2番・右翼手・35歳3ヶ月)

成績:1417試合 .279 (4078-1137) 59本 424打点 283三振 320四球 30盗塁 出塁率.336 OPS.708
投手:244登板 65勝94敗 1345.1投球回 645奪三振 360与四球 1293被安打 防3.43 WHIP1.23
【試合:225位 安打:242位 本塁打:481位 打点:316位 盗塁:-位】

※法政大では通算658イニングを投げ、41勝30敗の成績を残し、恩師である藤田省三が監督に就任した近鉄に50年にプロ入り。当時は弱小だった近鉄球団においてエースとして活躍し、54年には16勝をあげるなど通算65勝をマーク。一方で野手顔負けの打撃力もあったことから57年以降は野手に転向。ピストル打線の中軸打者となり、通算1137安打をマークした。史上初めて投手・野手両方でオールスターに出場し、2リーグ制以降では唯一となる防御率・打率双方の10傑入り、また50勝・1000安打も達成している。引退後は広島・巨人でコーチ、大洋・ヤクルトでは監督も務め、数々の選手を育て上げた。03年に野球殿堂入り。

通算1000安打:1963年10月5日東映戦(土橋正幸から・36歳6ヶ月) ※史上48人目


101 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:13:43 QECHBnf.

【73人目】

・鈴木武 1932年2月28日生 遊撃手 右投右打
経歴:鳴尾高→東洋レーヨン→近鉄(53-60)→大洋(60-63)
達成日:1962年7月19日国鉄戦(近藤昭仁に代わって遊撃手として途中出場・30歳4ヶ月)

成績:1131試合 .243 (3607-875) 9本 214打点 338三振 157四球 246盗塁 出塁率.276 OPS.566
【試合:392位 安打:379位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:46位】

※鳴尾高では51年春の選抜で準優勝を経験し、東洋レーヨンを経て53年に近鉄に入団。高校の先輩である日下隆とともに1,2番コンビを形成し、2年目の54年には71盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得するなど盗塁の名人であったが、翌55年の開幕戦で右足首を骨折し、その年のシーズンを棒に振るだけでなくかつての走力も失ってしまう。さらに59年に就任した千葉茂監督とその千葉が連れてきたコーチ陣とも確執を起こし、出場機会も徐々に奪われる中で60年途中に大洋にトレードで移籍。突出した成績を残さずとも要所で活躍を見せる「超二流選手」として三原監督に重宝され、60年の日本一に貢献。63年に引退。


102 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:14:11 QECHBnf.

【74人目】

・島原輝夫 1927年2月2日生 外野手 左投左打
経歴:台中商業学校→国鉄志免鉱業所→南海(50-63)
達成日:1962年7月29日西鉄戦(河津憲一の代打として途中出場・35歳5ヶ月)

成績:1096試合 .274 (2021-554) 3本 206打点 133三振 113四球 45盗塁 出塁率.314 OPS.649
【試合:411位 安打:627位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:45位】

※台湾に生まれ、台中商業学校を卒業後は来日し、国鉄志免鉱業所の野球部で名を挙げ、テストを経て50年に南海でプロ入り。2年目の51年に実質2軍チームだった南海土建への出向を経て、4年目の53年には打率.297をマークするなど外野手の一員としてチームのリーグ優勝に貢献した。その後は岡本伊三美の外野コンバート、さらに蓑原宏の加入もあってレギュラーの座から陥落。それでも引退する63年まで11年間にわたってチームの頼れる控え選手としてチームを支えた。引退後は解説者を経て西鉄のコーチやスカウトとして活動。特にスカウトでは伊東勤らの獲得に貢献している。


103 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:14:33 QECHBnf.

【75人目】

・仰木彬 1935年4月29日生 二塁手 右投右打
経歴:東筑高→西鉄(54-67)
達成日:1962年8月12日東映戦(2番・二塁手・27歳3ヶ月)

成績:1328試合 .229 (3501-800) 70本 326打点 670三振 290四球 116盗塁 出塁率.294 OPS.636
【試合:271位 安打:424位 本塁打:419位 打点:454位 盗塁:194位】

※プロ入り当時は投手だったが三原脩監督の命令で二塁手に転向。1年目から二塁手のレギュラーに定着すると、堅実な守備、打撃ではチャンスメーカーや小技を活かした繋ぎ役としての役割を果たし、中西太・豊田泰光らとともに西鉄黄金時代の内野陣を支えた。引退後は西鉄・近鉄のコーチを務め、88年からは近鉄の監督に就任。恩師の三原脩に倣った「仰木マジック」と呼ばれる様々な奇策から編み出される采配で1年目こそ「10.19」を経験するも、2年目の89年にリーグ優勝。さらに94年からはオリックスの監督も務め、イチローや田口壮らを起用し、95,96年の連覇にチームを導いた。04年に殿堂入り。


104 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:15:04 QECHBnf.

【76人目】

・ロベルト・バルボン 1933年3月13日生 二塁手 右投右打
経歴:阪急(55-64)→近鉄(65)
達成日:1962年9月5日南海戦(1番・二塁手・29歳5ヶ月)

成績:1353試合 .241 (4666-1123) 33本 260打点 608三振 369四球 308盗塁 出塁率.299 OPS.619
【試合:261位 安打:247位 本塁打:-位 打点:567位 盗塁:28位】

※外国人枠導入後の外国人選手としては初の達成者。「チコ」の愛称で親しまれ、1年目から打率.280 49盗塁をマークするなど俊足のリードオフマンに定着すると、58〜60年には3年連続盗塁王に輝き、いずれも外国人史上初となる通算1000安打、通算300盗塁を達成。通算1353試合出場も07年にタフィ・ローズに抜かされるまで外国人最多を誇る。引退後はコーチを経て外国人選手の通訳として阪急・オリックスで活躍。半世紀以上にわたって日本に在住しているため流暢な関西弁を喋り、86歳となった現在でも京セラドームなどで観戦するなど元気な姿を見せている。

通算1000安打:1964年8月4日南海戦(スタンカから中安打・31歳4ヶ月・1189試合目) ※史上52人目


105 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:15:25 QECHBnf.

【77人目】

・河野旭輝 1935年1月1日生 遊撃手・二塁手・外野手 右投右打
経歴:和歌山工業高→松下電器→阪急(54-60)→中日(61-63)→阪急(64-66)→西鉄(67)
達成日:1962年9月6日広島戦(中山義朗の代打として途中出場・27歳8ヶ月)

成績:1491試合 .254 (4783-1213) 93本 480打点 818三振 385四球 293盗塁 出塁率.314 OPS.683
【試合:197位 安打:217位 本塁打:320位 打点:249位 盗塁:33位】

※1年目から正二塁手として118試合に出場すると、2年目には帰国したレインズに代わって遊撃手に転向。そして3年目の翌56年には当時歴代最多の85盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得(なお同年の29盗塁死は現在でもNPB記録)。翌57年にも56盗塁で2年連続のタイトルを獲得し、本屋敷錦吾の加入後は害や主として活躍。61年にトレードで中日に移籍すると、同年には遊撃手として自身初のベストナインも獲得し、翌62年には26盗塁で自身3度目の盗塁王に(セパ両リーグでの盗塁王は現在においても彼が唯一)。その後64年には阪急に復帰し、67年に西鉄で引退。その後は約25年以上にわたって各球団でコーチを歴任した。

通算1000安打:1964年5月20日東京戦(29歳4ヶ月・1177試合目) ※史上49人目


106 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:15:44 QECHBnf.

【78人目】

・広岡達朗 1932年2月9日生 遊撃手 右投右打
経歴:呉三津田高→早稲田大→巨人(54-66)
達成日:1963年4月21日大洋戦(6番・遊撃手・31歳2ヶ月)

成績:1327試合 .240 (4513-1081) 117本 465打点 780三振 410四球 115盗塁 出塁率.307 OPS.678
【試合:272位 安打:269位 本塁打:237位 打点:264位 盗塁:196位】

※早稲田大から巨人に入団すると、1年目から堅実な守備を武器に遊撃手の定位置を掴み、また打撃でも打率.314の好成績をあげ新人王のタイトルを獲得。以降も阪神・吉田義男とともにセリーグを代表する遊撃手として活躍。一方で現役時代の同僚、そして監督に就任した川上哲治とは野球観の違いなど度々ぶつかり合い、65年に喧嘩別れのような形で現役を引退。その後は広島のコーチを経てヤクルト・西鉄の監督を務め、ディフェンス重視の采配と徹底した管理野球で双方の球団を日本一に導いた。また95年にはロッテで日本球界初のGMにも就任し、バレンタイン監督を招聘。現在は球界のご意見番。92年に殿堂入り。

通算1000安打:1964年7月29日中日戦(32歳5ヶ月・1186試合目) ※史上51人目


107 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:16:02 QECHBnf.

【79人目】

・玉造陽二 1936年8月17日生 外野手 左投左打
経歴:水戸第一高→西鉄(55-67)
達成日:1963年5月14日東映戦(7番・左翼手・26歳8ヶ月)

成績:1645試合 .263 (4873-1282) 39本 367打点 664三振 442四球 158盗塁 出塁率.327 OPS.672
【試合:131位 安打:195位 本塁打:-位 打点:391位 盗塁:117位】

※西鉄では高卒2年目の56年に1番・右翼手として定着して打率.297をマークすると、翌57年からは高倉照幸に1番の座を譲るも流し打ちに定評のある俊足巧打の外野手として下位打線を支え、突出した成績ではないものの、チームの黄金時代を支えた。56年から12年連続で100試合以上に出場するなど安定した成績を残し続けた一方で、平和台球場の観客動員の低迷から西鉄球団が経費削減に動き、高額年俸選手の放出が相次ぎ、自身もレギュラーの身でありながら31歳という若さで現役を引退。その後は実業家として活動。

通算1000安打:1964年9月22日近鉄戦(28歳1ヶ月・1262試合目) ※史上53人目
通算1500試合:1966年8月28日近鉄戦(2番・左翼手・30歳0ヶ月) ※史上23人目


108 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/05(水) 15:16:25 QECHBnf.

【80人目】

・岡嶋博治 1935年5月5日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:伏見高→立命館大(中退)→中日(54-60)→阪急(61-65)→国鉄・サンケイ(65-66)→東映(67)
達成日:1963年6月22日大毎戦(2番・三塁手・28歳1ヶ月)

成績:1450試合 .239 (4358-1042) 89本 365打点 690三振 608四球 220盗塁 出塁率.339 OPS.699
【試合:212位 安打:287位 本塁打:336位 打点:395位 盗塁:62位】

※立命館大を中退して中日に入団すると3年目の56年には遊撃手の定位置を獲得し、翌57年には三塁手に転向。打率こそは高くないものの3年連続でリーグ最多の四球を選ぶなど卓越した選球眼を持ち、さらに57,58年にはいずれも47盗塁、41盗塁をマークして2年連続盗塁王に輝くなどチャンスメーカーとして活躍。61年に上記の河野旭輝とのトレードで阪急に移籍すると2番打者として重宝され、さらに65年途中に移籍した国鉄では二塁手として起用された。引退後はアトムズのコーチを経て、社会人や旧チームの監督を歴任。スリーボンドやヤオハンでは都市対抗出場にチームを導き、大西崇之や岡本真也らを輩出した。

通算1000安打:1966年9月10日巨人戦(31歳4ヶ月・1357試合目) ※史上61人目


109 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:08:14 VNtcLZic

【81人目】

・葛城隆雄 1936年12月21日生 三塁手・遊撃手・外野手 右投右打
経歴:大分上野丘高→毎日・大毎(55-63)→中日(64-69)→阪神(70)
達成日:1963年6月23日阪急戦(4番・三塁手・26歳6ヶ月)

成績:1787試合 .278 (6268-1745) 174本 860打点 511三振 262四球 108盗塁 出塁率.310 OPS.734
【試合:94位 安打:80位 本塁打:130位 打点:78位 盗塁:215位】

※プロ入り2年目から遊撃手と三塁手で併用されながらもレギュラーに定着。守備面では56〜58年に3年連続失策王となるなど粗があったものの、打撃では58年には85打点をあげて1打点差で中西太の三冠王を阻む形で打点王となり、翌59年にも95打点で2年連続で同タイトルを獲得。勝負強いバッティングで「ミサイル打線」の5番打者として活躍した。64年にはトレードで中日に移籍すると右翼手として起用され、こちらでも中軸打者として起用。その後は江島巧らが台頭したため70年に阪神に移籍するも「黒い霧事件」においてオートレースの八百長容疑で逮捕。出場停止3ヶ月の処分を受け、シーズン終了後に現役を引退した。

通算1000安打:1962年9月18日南海戦(25歳8ヶ月・933試合目) ※史上43人目
通算1500安打:1967年6月18日広島戦(30歳5ヶ月・1499試合目) ※史上19人目
通算1500試合:1967年6月20日大洋戦(6番・右翼手・30歳5ヶ月) ※史上26人目


110 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:08:35 VNtcLZic

【82人目】

・野村克也 1935年6月29日生 捕手 右投右打
経歴:峰山高→南海(54-77)→ロッテ(78)→西武(79-80)
達成日:1963年7月31日阪急戦(4番・捕手・28歳1ヶ月)

成績:3017試合 .277 (10472-2901) 657本 1988打点 1478三振 1252四球 117盗塁 出塁率.357 OPS.865
【試合:2位 安打:2位 本塁打:2位 打点:2位 盗塁:190位】

※ご存知ノムさん。南海にテスト生として入団すると3年目の56年から正捕手に抜擢され、翌57年には本塁打王のタイトルを獲得。60年代に入ると8年連続本塁打王、6年連続打点王、65年には捕手として史上初の三冠王を達成するなど圧倒的な成績を残し続けた。69年からは兼任監督となり、73年にはリーグ優勝も達成。その後はロッテ、西武でもプレーし、80年には前人未到の3000試合出場も達成。引退後はヤクルトの監督を務め、「ID野球」と「野村再生工場」を代名詞に3度の日本一にチームを導き、以降も阪神・楽天の監督を歴任し、監督としても通算3000試合以上で指揮を取った。89年に殿堂入り。

通算1000安打:1963年8月29日阪急戦(足立光宏から中安打・28歳2ヶ月・1021試合目) ※史上46人目
通算1500安打:1966年10月4日東映戦(尾崎行雄から遊安打・31歳3ヶ月・1480試合目) ※史上18人目
通算1500試合:1967年5月4日東映戦(4番・捕手・31歳10ヶ月) ※史上24人目
通算2000安打:1970年10月18日西鉄戦(東尾治から左安打・35歳3ヶ月・1983試合目) ※史上4人目
通算2000試合:1971年5月1日近鉄戦(4番・捕手・35歳10ヶ月) ※史上5人目
通算2500安打:1975年5月13日ロッテ戦(成田文男から左安打・39歳10ヶ月・2478試合目) ※史上初
通算2500試合:1975年6月5日ロッテ戦(4番・捕手・39歳11ヶ月) ※史上初
通算3000試合:1980年8月1日南海戦(8番・捕手・45歳1ヶ月) ※史上初


111 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:08:56 VNtcLZic

【83人目】

・戸口天従 1931年10月29日生 一塁手・二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:奈良商工高→法政大→近鉄(53-59)→阪急(60-66)
達成日:1963年9月22日大毎戦(3番・一塁手・31歳10ヶ月)

成績:1225試合 .258 (2825-729) 32本 321打点 338三振 175四球 65盗塁 出塁率.306 OPS.660
【試合:336位 安打:481位 本塁打:-位 打点:465位 盗塁:400位】

※当時としては珍しい右投左打の内野手であり、近鉄では3年目に故障した鈴木武に代わって遊撃手のレギュラーを獲得し、翌56年以降は二塁手に回り、ピストル打線の一角として活躍。しかし千葉茂が監督に就任した59年に出場機会が減少し、60年に阪急へ移籍。阪急では一塁手のレギュラー争いを勝ち抜き、61,62,64年にはいずれも規定打席不足ながら打率3割をマークするなど抜群のミート力を武器に活躍した。晩年は主に代打としても起用され、66年に引退。


112 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:09:53 VNtcLZic

【84人目】

・土屋正孝 1935年10月6日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:松本深志高→巨人(54-60)→国鉄(61-64)→阪神(65)
達成日:1964年4月26日巨人戦(5番・二塁手・28歳6ヶ月)

成績:1097試合 .239 (3452-826) 54本 299打点 527三振 287四球 154盗塁 出塁率.300 OPS.638
【試合:410位 安打:405位 本塁打:520位 打点:502位 盗塁:120位】

※巨人には投手として入団するも2軍監督の内堀保が打力に惚れ込み野手に転向。当初は三塁手だったが長嶋茂雄の入団により二塁に転向。川上哲治や王貞治、広岡達朗らとともに強力な内野陣を形成し、59年にはリーグ2位の35盗塁をマークしてベストナインにも選出。その後61年にトレードで国鉄へ移籍。国鉄では中軸打者として活躍し、攻守の要として61年には球団史上初のAクラス入りに貢献して2度目のベストナインも獲得した。長身で試合中は常にポーカーフェイスであり、目が細く気だるそうな表情だったことから「眠狂四郎」のニックネームで親しまれ、引退後も「狂四郎」というクラブを六本木で開いていた。


113 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:10:51 VNtcLZic

【85人目】

・広瀬叔功 1936年8月27日生 外野手・遊撃手 右投右打
経歴:大竹高→南海(55-77)
達成日:1964年6月17日東映戦(3番・中堅手・27歳9ヶ月)

成績:2190試合 .282 (7637-2157) 131本 705打点 564三振 482四球 596盗塁 出塁率.326 OPS.737
【試合:31位 安打:24位 本塁打:199位 打点:120位 盗塁:2位】

※テストを経て投手として南海に入団するも肘を故障し、持ち前の俊足と強肩を活かすために野手に転向。3年目の57年には遊撃手の定位置を掴むも、61年に小池兼司が入団したため中堅手にコンバート。すると63年には当時のパリーグ記録である187安打を記録し、また64年には7月頭まで打率4割をキープするなど打率.366で首位打者、31連続盗塁成功含む72盗塁で首位打者・盗塁王のタイトルを獲得し、65年には5年連続盗塁王も達成。72年には史上6人目の2000安打も記録し、歴代2位の通算596盗塁をマークするなど数々の記録を打ち立てた。引退後は南海の監督やダイエーのコーチを務めた。99年に殿堂入り。

通算1000安打:1963年9月18日大毎戦(27歳0ヶ月・897試合目) ※史上47人目
通算1500安打:1968年5月5日西鉄戦(32歳8ヶ月・1390試合目) ※史上22人目
通算1500試合:1969年4月26日西鉄戦(1番・中堅手・32歳7ヶ月) ※史上27人目
通算2000安打:1972年7月1日西鉄戦(東尾修から・35歳10ヶ月・1896試合目) ※史上6人目
通算2000試合:1974年4月13日阪急戦(佐藤道郎の代打として途中出場・37歳7ヶ月) ※史上7人目


114 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:11:25 VNtcLZic

【86人目】

・寺田陽介 1934年11月19日生 一塁手 右投右打
経歴:博多工業高→日鉄二瀬→南海(56-61)→中日(62-63)→東映(64)
達成日:1964年7月5日近鉄戦(ラドラに代わって一塁手として途中出場・29歳7ヶ月)

成績:1027試合 .239 (2677-640) 68本 319打点 465三振 175四球 14盗塁 出塁率.290 OPS.648
【試合:477位 安打:545位 本塁打:432位 打点:467位 盗塁:-位】

※55年の都市対抗で注目を集め、西鉄との争奪戦の末に南海に入団。1年目から一塁手のレギュラーに抜擢され、59年には7番打者としてチームの日本一に貢献した。その後61年には5番打者となり、打線の中軸を担って2度目のリーグ優勝を経験するも、同年の日本シリーズの第4戦、9回裏2死の場面でフライを落球し、そこからチームはサヨナラ負けを喫し、結果的に日本一を逃すなどまさに致命的な失策を犯す。それがトラウマとなり、鶴岡監督の気遣いもあって翌年に中日にトレードで移籍、さらに東映でもプレーしたが成績が落ち込み64年に引退。その後は球界から離れ石材加工業を経営。


115 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:11:45 VNtcLZic

【87人目】

・中利夫(中三夫・中暁生) 1936年4月28日生 外野手 左投左打
経歴:前橋高→中日(55-72)
達成日:1964年8月3日国鉄戦(1番・中堅手・28歳3ヶ月)

成績:1877試合 .277 (6581-1820) 139本 541打点 473三振 525四球 347盗塁 出塁率.330 OPS.733
【試合:78位 安打:74位 本塁打:189位 打点:199位 盗塁:19位】

※前橋高から中日に入団すると、2年目には1番・中堅手の定位置を掴み取り、60年には50盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得。以降は高木守道との強力な1,2番コンビを組み、67年には王貞治・近藤和彦らとの熾烈なタイトル争いを制し、打率.343で首位打者に。68年には眼疾を患うも翌69年には無事にカムバックするなど18年間中日一筋でプレーし続けた。引退後は中日のコーチを経て、78年から80年までは監督も務め、後の主力選手となる小松辰雄や牛島和彦、宇野勝らを育て上げた。登録名を頻繁に変えており、コーチ時代も含め利夫・三夫・暁生・登志雄の4種類を使い分けていた。

通算1000安打:1965年5月9日広島戦(29歳0ヶ月・1068試合目) ※史上54人目
通算1500安打:1969年5月10日大洋戦(高橋重行から・33歳0ヶ月・1485試合目) ※史上24人目
通算1500試合:1969年5月31日広島戦(3番・中堅手・33歳1ヶ月) ※史上28人目


116 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:12:06 VNtcLZic

【88人目】

・矢頭高雄 1934年6月25日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:都留高→立教大→大映(57)→大毎(58-67)
達成日:1964年8月8日近鉄戦(1番・右翼手・30歳1ヶ月)

成績:1240試合 .248 (3441-852) 61本 313打点 524三振 191四球 73盗塁 出塁率.288 OPS.643
【試合:323位 安打:391位 本塁打:468位 打点:480位 盗塁:351位】

※立教大では4年時に主将も務め、57年に大映に入団すると1年目から中堅手のレギュラーを獲得。球団が吸収合併され大毎となった58年には5番打者として活躍。その後は田宮謙次郎の入団もあって右翼手に回り、打順は下位ながら「ミサイル打線」の一角を担った。62年のみ宇野光雄監督の意向で強権を活かすべく三塁手を務めたこともあった。その後は森徹や池辺巌の入団もあって出場機会を減らし、67年に引退。引退後はロッテや日本ハムのコーチを務め、日本ハムでは81年に1軍打撃兼外野守備コーチとして81年のリーグ優勝に貢献した。


117 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:13:05 VNtcLZic

【89人目】

・中田昌宏 1935年2月22日生 外野手 右投右打
経歴:鳴尾高→慶應義塾大→阪急(57-68)
達成日:1964年8月12日近鉄戦(6番・中堅手・29歳5ヶ月)

成績:1430試合 .235 (4200-985) 154本 526打点 890三振 363四球 45盗塁 出塁率.297 OPS.694
【試合:219位 安打:312位 本塁打:166位 打点:206位 盗塁:541位】

※慶應義塾大では56年秋に長嶋茂雄らを抑えて首位打者を獲得。「ゴジラ」の愛称で呼ばれ、鳴り物入りで阪急に入団。当時の阪急では長距離砲が不在だったが、その中で三振かホームランという豪快なスイングを武器に主軸打者として活躍し、61年には29本塁打を放って野村克也とともに本塁打王のタイトルを獲得。67,68年には主将としてリーグ連覇を経験し、見届ける形で引退。その後はコーチを20年間務め、福本豊や加藤秀司らを育成し、阪急の黄金時代を支えた。チームがオリックスとなった89年からは編成部長も務め、イチローや田口壮、長谷川滋利らを獲得するなど手腕を発揮し、後の連覇に大きく貢献した。


118 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 15:13:49 VNtcLZic

【90人目】

・藤井弘 1935年9月29日生 一塁手 右投右打
経歴:盈進商業高→倉敷レイヨン→広島(55-69)
達成日:1964年8月18日大洋戦(森永勝也の代打として途中出場・28歳10ヶ月)

成績:1504試合 .238 (4343-1035) 177本 603打点 747三振 590四球 34盗塁 出塁率.336 OPS.750
【試合:191位 安打:290位 本塁打:127位 打点:163位 盗塁:-位】

※広島に入団するも2年目まではプロの変化球に苦しみ、あまりの辛さに海に飛び込もうとするまで精神的に追い詰められていたが野崎泰一の説得もあり、翌57年には持ち前の長打力が開花。58年には64イニング連続無失点中の金田正一から本塁打を放つなど、60年代にかけて広島のクリーンナップを務め、「ゴジラ」の愛称で親しまれた。また無類の勝負強さを誇り、通算12本のサヨナラ安打も現在においても球団記録となっている。引退後もコーチや2軍監督として広島一筋の人生を送り、30年以上にわたってユニフォームに袖を通し続けた。

通算1000安打:1967年8月23日巨人戦(31歳10ヶ月・1338試合目) ※史上67人目
通算1500試合:1969年10月5日中日戦(5番・一塁手・34歳0ヶ月) ※史上31人目


119 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/06(木) 16:49:06 qLzvZqoQ
知ってる選手が増えてきましたね


120 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/06(木) 20:43:30 ???
やはりノムさんはヤバい


121 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:15:16 xzTIaSOU

【91人目】

・宮本敏雄 1933年4月26日生 外野手 右投右打
経歴:ボールドウィン高→巨人(55-62)→国鉄(63-64)
達成日:1964年9月6日広島戦(篠田勇の代打として途中出場・31歳4ヶ月)

成績:1007試合 .249 (2917-726) 90本 359打点 524三振 246四球 49盗塁 出塁率.314 OPS.703
【試合:493位 安打:484位 本塁打:331位 打点:408位 盗塁:510位】

※ハワイ・マウイ島に産まれ、陸軍選抜チームでMLBのチームと対戦して本塁打を放ったことが注目され、55年に巨人に入団。2年目の56年には右翼手の定位置を掴み、クリーンナップとして69打点をあげて同年の打点王となると、翌57年にも78打点で2年連続で同タイトルを獲得した。また大舞台に強く、球宴では57,58年に2年連続で、日本シリーズでも61年にMVPを獲得。63年にはトレードで国鉄に移籍し、こちらでも主軸打者として活躍した。爽やかな笑顔で女性ファンからアイドル的な人気を誇った選手であり、後にケインコスギや大谷翔平が務めることになる「リポビタンD」の初代CMキャラクターにも抜擢された。


122 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:15:37 xzTIaSOU

【92人目】

・吉沢岳男 1933年7月15日生 捕手 右投右打
経歴:松商学園高→名古屋・中日(53-61)→近鉄(62-68)→中日(69)
達成日:1965年4月17日東映戦(8番・捕手・31歳9ヶ月)

成績:1355試合 .200 (3544-710) 41本 279打点 533三振 197四球 19盗塁 出塁率.250 OPS.520
【試合:259位 安打:498位 本塁打:-位 打点:527位 盗塁:462位】

※松商学園高では甲子園に4度出場し、53年に名古屋に入団。57年には河合保彦から正捕手の座を奪い、強気なリードを武器に4年連続で100試合以上に出場。しかし61年に就任した濃人渉監督と対立し、オフに近鉄へ移籍。近鉄でも4年連続で100試合以上に出場するなど正捕手として活躍。双方の球団で計4度の球宴出場も果たした。69年にトレードで中日に復帰し、同年限りで引退。その後はトラック運転手に転身するも、71年の自身の誕生日である7月15日に脳出血のために自宅アパートで38歳という若さでこの世を去った。


123 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:15:57 xzTIaSOU

【93人目】

・坂崎一彦 1938年1月5日生 外野手 左投左打
経歴:浪華商業高→巨人(56-64)→東映(65-67)
達成日:1965年5月15日東映戦(西園寺昭夫の代打として途中出場・27歳4ヶ月)

成績:1207試合 .249 (3037-755) 74本 387打点 584三振 293四球 34盗塁 出塁率.320 OPS.701
【試合:349位 安打:462位 本塁打:403位 打点:362位 盗塁:-位】

※浪華商業では55年春の選抜で打率6割、2本塁打を記録するなど「坂崎大明神」と評される大活躍で優勝を経験し、56年に巨人に入団。プロ入り後は低打率に苦しむも、コンパクトな打法に切り替えたことにより成績が向上。外野手の一角として活躍し、59年の天覧試合では長嶋茂雄に続いて2者連続本塁打を記録するなど、長嶋・王の後を打つ5番打者に定着。61年の日本シリーズでは第6戦でスタンカから日本一を決める決勝適時打も放った。65年からは3対3のトレードで東映に移籍すると勝負強い代打の切り札としても活躍した。引退後は球界を離れ、家業の電気工事店を継いだ。


124 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:16:17 xzTIaSOU

【94人目】

・吉田勝豊 1935年3月21日生 外野手 右投右打
経歴:武雄高→日鉄二瀬→東映(57-64)→巨人(65-67)→西鉄(68-69)
達成日:1965年5月19日サンケイ戦(伊藤芳明の代打として途中出場・30歳1ヶ月)

成績:1303試合 .259 (4047-1049) 105本 502打点 716三振 352四球 94盗塁 出塁率.319 OPS.714
【試合:290位 安打:284位 本塁打:272位 打点:222位 盗塁:259位】

※日鉄二瀬では古葉武識や江藤慎一らとともに都市対抗に出場し、自身は4番打者として活躍。57年に東映に入団すると1年目から外野手として出場し、62年には5番打者として打率.306 18本をマークして球団初のリーグ優勝に貢献してベストナインにも選出。同年の阪神との日本シリーズでも第1戦で小山正明から、第3戦で村山実から本塁打を放ち、日本一にも大きく貢献した。65年には上記の坂崎一彦らとの3対3のトレードで巨人に移籍すると、こちらも主軸打者として同年のリーグ優勝に貢献した。69年に西鉄で引退後はロッテのコーチを務め、指導者としても74年にリーグ優勝・日本一を経験している。

通算1000安打:1967年7月5日阪神戦(32歳3ヶ月・1197試合目) ※史上64人目


125 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:16:38 xzTIaSOU

【95人目】

・山本八郎 1937年9月17日生 外野手・捕手・一塁手 右投右打
経歴:浪華商業高→東映(56-62)→近鉄(63-66)→サンケイ(67)
達成日:1965年6月13日東映戦(6番・中堅手・27歳8ヶ月)

成績:1204試合 .267 (4120-1100) 113本 474打点 567三振 170四球 163盗塁 出塁率.298 OPS.710
【試合:352位 安打:258位 本塁打:249位 打点:257位 盗塁:111位】

※浪華商業高では上記の坂崎一彦らとともに55年春の選抜に捕手として出場して優勝を経験し、56年に東映に入団。強打の捕手として2年目の57年には4番も務め、故障により規定打席には届かずも打率.318をマーク。その後も外野手や一塁手としてもプレーし、63年に移籍した近鉄でも主軸打者として活躍した。闘志溢れるプレーで「ケンカ八郎」の愛称で多くのファンを生み、57,59年にはいずれも試合中の暴力行為で2度も無期限出場停止処分も受けている。また引退後も解説者を務めていたが、こちらも暴力事件で逮捕されて短期間で退職し、その後は鴨川シーワールドで働くなど球界からは一線を引いた生活を送った。

通算1000安打:1965年8月31日東京戦(27歳11ヶ月・1055試合目) ※史上56人目


126 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:17:03 xzTIaSOU

【96人目】

・谷本稔 1937年2月1日生 捕手 右投右打
経歴:八幡浜高→大映(55-57)→大毎・東京(58-64)→阪神(65-68)
達成日:1965年6月17日サンケイ戦(8番・捕手・28歳4ヶ月)

成績:1099試合 .257 (2759-708) 46本 360打点 236三振 145四球 16盗塁 出塁率.299 OPS.651
【試合:408位 安打:499位 本塁打:598位 打点:400位 盗塁:-位】

※大映ではプロ野球史上初となる高卒1年目での開幕スタメンマスクを経験するなど、主力捕手として活躍し、球団合併を経て醍醐猛夫とのポジション争いを制して60年にはリーグ優勝に貢献。しかし日本シリーズでは第2戦でスクイズを失敗。これが西本幸雄監督とオーナーの対立を招き、西本監督の解任に発展している。その後は醍醐にレギュラーの座を譲る形となり、65年にトレードで阪神に移籍。辻佳紀に次ぐ2番手捕手として活躍した。引退後は阪神に残り、コーチや2軍監督、スカウトを歴任。特にスカウト時代には嶋田兄弟や藤川球児らの獲得に貢献している。


127 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:17:26 xzTIaSOU

【97人目】

・八田正 1936年10月5日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:鳴門高→大映(55-57)→大毎・東京(58-68)→阪急(69-71)
達成日:1965年7月8日東映戦(石黒和弘に代わって二塁手として途中出場・28歳9ヶ月)

成績:1549試合 .263 (4373-1148) 56本 360打点 363三振 283四球 117盗塁 出塁率.310 OPS.668
【試合:168位 安打:236位 本塁打:505位 打点:400位 盗塁:190位】

※当時としては珍しい右投左打の選手であり、2年目から遊撃手のレギュラーを掴み、脇役ながらミサイル打線の一角を担い、60年にはリーグ優勝にも貢献。翌61年からは二塁手に転向し、繋ぎ役として60年代のオリオンズを支え続けた。しかし68年オフにA級10年選手の権利を再取得した際に、ボーナスの支払いを嫌がる球団に自由契約とされ、阪急に移籍。その確執もあったのか阪急では移籍1年目から古巣の東京相手に打ちまくり、準レギュラーとしてチームの優勝にも貢献した。引退後は阪急のスカウトやコーチを務めた。

通算1000安打:1967年8月4日南海戦(30歳9ヶ月・1243試合目) ※史上66人目
通算1500試合:1970年9月20日西鉄戦(岡田幸喜の代打として途中出場・33歳11ヶ月) ※史上34人目


128 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:17:45 xzTIaSOU

【98人目】

・大和田明(大和田明良) 1934年3月21日生 外野手 右投右打
経歴:茨城高→高崎理研→西鉄(55-57)→広島(58-67)→南海(68)
達成日:1965年7月29日サンケイ戦(5番・中堅手・31歳4ヶ月)

成績:1349試合 .255 (4441-1133) 147本 486打点 597三振 235四球 69盗塁 出塁率.296 OPS.713
【試合:263位 安打:243位 本塁打:179位 打点:239位 盗塁:374位】

※プロ入り後から気性の荒さが目立ち、西鉄では三原脩監督から敬遠され出場機会に恵まれず、たまたまスナックで居合わせた白石勝巳との話し合いの結果、彼が監督を務める広島に金銭トレードで移籍。三原監督を必ず見返してやると入団会見でも発言し、その思いが実ったのか新天地で素質が開花。外野手の定位置を掴み、小鶴誠・藤井弘らとともにチームの主軸打者へと成長し、59年にはサイクル安打や当時の球団記録である23本塁打を放ってベストナインも獲得した。その活躍っぷりからチームメイトからも「ボス」と呼ばれて親しまれた。引退後はゴルフプレイヤーとして活動した。

通算1000安打:1966年6月29日中日戦(山中巽から・32歳3ヶ月・1117試合目) ※史上59人目


129 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:18:05 xzTIaSOU

【99人目】

・穴吹義雄(穴吹隆洋) 1933年5月6日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:高松高→中央大→南海(56-68)
達成日:1965年7月31日阪急戦(ハドリの代打として途中出場・32歳2ヶ月)

成績:1166試合 .264 (3079-814) 89本 404打点 570三振 198四球 25盗塁 出塁率.309 OPS.725
【試合:373位 安打:413位 本塁打:336位 打点:341位 盗塁:-位】

※後に小野稔の小説「あなた買います」の題材にもなる壮絶な争奪戦の末に中央大から南海に入団。すると1年目の開幕戦で6番・三塁手として出場すると、9回裏に劇的なサヨナラ本塁打を放つなど鮮烈なデビューを果たす。その後は外野手に転向し、チームの主軸打者として59,61年のリーグ優勝に貢献。樋口省蔵や堀込基明の台頭もありながらも南海一筋でプレーし続けた。引退後も南海に残り、2軍監督として3度のウエスタン優勝も経験。また83年からは3年間、1軍の監督も務めた。その後もダイエーの編成部長や解説者、少年野球チームの会長など様々な役職で野球界を支えた。


130 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 16:18:28 xzTIaSOU

【100人目】

・小森光生 1931年11月2日生 三塁手・外野手・二塁手 右投右打
経歴:松本市立高→早稲田大→毎日・大毎(54-61)→近鉄(62-66)
達成日:1965年8月5日阪急戦(5番・右翼手・33歳9ヶ月)

成績:1060試合 .231 (2994-691) 49本 240打点 442三振 216四球 76盗塁 出塁率.285 OPS.625
【試合:439位 安打:510位 本塁打:576位 打点:-位 盗塁:336位】

※記念すべき100人目。早稲田大では広岡達朗とともに三遊間を組み、華麗な守備を武器に在学中に4度の六大学優勝を経験。プロ入り後も1年目から三塁手の定位置を掴み、葛城隆雄にポジションを譲った2年目以降は二塁や外野もこなすユーティリティプレイヤーとして活躍。62年に移籍した近鉄でも、内外野問わず起用され、65年には右翼手をメインに自己最多の132試合に出場した。引退後は近鉄や広島、ヤクルト・大洋でコーチや2軍監督を歴任。広島では若手選手を多く育成し、球団初のAクラス入り、ヤクルトでは80年に2軍をイースタン優勝に導いている。その後は球界から離れ、伊豆でペンションのオーナーを務めた。


131 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/07(金) 17:51:28 1npGbqEo
今回もやたらメンツ濃いなあ


132 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/07(金) 23:28:10 ???
吉沢さんて、扇風機つけたまま寝てたから死んだって言われてた人ですね


133 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:07:22 yGL9gf8o

【101人目】

・和田博実(和田博美) 1937年3月26日生 捕手・外野手 右投右打
経歴:臼杵高→西鉄(55-72)
達成日:1965年8月12日近鉄戦(7番・捕手・28歳4ヶ月)

成績:1565試合 .257 (4295-1104) 100本 486打点 693三振 248四球 121盗塁 出塁率.299 OPS.677
【試合:157位 安打:256位 本塁打:292位 打点:239位 盗塁:184位】

※西鉄では3年目の57年に正捕手に抜擢され、稲尾和久との黄金バッテリーでチームの3年連続リーグ優勝・日本一に貢献。その後も西鉄の協力投手陣をリードし、2度の完全試合と2度のノーノーも経験。その後67年には宮寺勝利が巨人から移籍したため、捕手から外野手に転向。元々俊足も武器としていたこともあり、2年連続で2桁盗塁を記録し、68年にはサイクル安打も達成した。引退後は西武のコーチや2軍監督を務め、若手選手を引率してアメリカのマイナーリーグに野球留学するなど後の黄金時代を築き上げる選手らを育成。また95年以降は阪神に招聘され、編成や2軍監督、コーチを歴任した。

通算1000安打:1968年5月31日東映戦(田中調から2ラン・31歳2ヶ月・1312試合目) ※史上68人目
通算1500試合:1971年7月6日阪急戦(三輪悟の代打として途中出場・34歳3ヶ月) ※史上39人目


134 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:07:48 yGL9gf8o

【102人目】

・長嶋茂雄 1936年2月20日生 三塁手 右投右打
経歴:佐倉第一高→立教大→巨人(58-74)
達成日:1965年8月18日中日戦(3番・三塁手・29歳5ヶ月)

成績:2186試合 .305 (8094-2471) 444本 1522打点 729三振 969四球 190盗塁 出塁率.379 OPS.919
【試合:35位 安打:9位 本塁打:14位 打点:7位 盗塁:87位】

※言わずと知れた「ミスター」。「立教三羽烏」の1人として六大学リーグでは2度の首位打者を獲得し、巨人に入団。開幕戦で金田正一を相手に4打席連続三振でデビューとなるも、1年目から4番打者となり本塁打王・打点王・新人王のタイトルを獲得。その後は王貞治との「ON砲」コンビでV9時代の巨人を支え、数々のタイトルを獲得し、そのカリスマ性も相まって日本の野球界の発展に大きく貢献した。74年に引退後は巨人の監督も務め、「10.8」決戦や「メークドラマ」といった数々の名場面を作り、5度のリーグ優勝、2度の日本一にチームを導いた。88年に殿堂入りを果たし、13年には松井秀喜とともに国民栄誉賞も受賞。

通算1000安打:1964年6月20日国鉄戦(佐藤進から右安打・28歳4ヶ月・849試合目) ※史上50人目
通算1500安打:1967年9月17日サンケイ戦(石戸四六から右三塁打・31歳6ヶ月・1273試合目) ※史上20人目
通算1500試合:1969年8月17日大洋戦(4番・三塁手・33歳5ヶ月) ※史上29人目
通算2000安打:1971年5月25日ヤクルト戦(浅野啓司から左安打・35歳3ヶ月・1708試合目)
通算2000試合:1973年7月16日中日戦(4番・三塁手・37歳4ヶ月) ※史上6人目


135 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:08:10 yGL9gf8o

【103人目】

・西園寺昭夫 1937年10月31日生 三塁手・遊撃手・外野手 右投右打
経歴:熊本工業高→東洋レーヨン→東映(57-66)→阪神(67-68)→アトムズ・ヤクルト(69-70)
達成日:1965年9月7日近鉄戦(1番・三塁手・27歳10ヶ月)

成績:1413試合 .253 (4518-1144) 117本 445打点 767三振 586四球 153盗塁 出塁率.343 OPS.741
【試合:230位 安打:239位 本塁打:237位 打点:287位 盗塁:123位】

※熊本工業では54年春の甲子園で準優勝を経験し、東洋レーヨンを経て57年に東映に入団。3年目の59年に前年引退した前川忠男の後継として遊撃手のレギュラーを掴み、同年は打率.300をマークすると、翌60年には三塁手に転向し、62年にはリードオフマンとして活躍し、チームの初優勝に貢献。日本シリーズでも第7戦の延長12回に村山実から決勝本塁打を放っている。その後66年オフに阪神、68年オフにはアトムズにトレードで移籍。主に外野手の準レギュラーとして活躍した。なお「三百六十五歩のマーチ」を代表する歌手である水前寺清子は義理の妹。

通算1000安打:1966年10月9日西鉄戦(田中勉から中安打・28歳11ヶ月・1170試合目) ※史上62人目


136 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:08:33 yGL9gf8o

【104人目】

・近藤和彦 1936年3月2日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:平安高→明治大→大洋(58-72)→近鉄(73)
達成日:1965年9月11日中日戦(1番・一塁手・29歳6ヶ月)

成績:1789試合 .285 (6081-1736) 109本 483打点 630三振 683四球 159盗塁 出塁率.359 OPS.741
【試合:92位 安打:83位 本塁打:259位 打点:246位 盗塁:116位】

※明治大では秋山登とともに55年春に優勝を経験し、58年に大洋に入団。1年目のキャンプで試行錯誤の末に剣道の構えからヒントを得た独特の構えである「天秤打法」を開発すると、1年目から中軸打者として活躍。2年目の60年にはリーグ2位の打率.316をマークするなど球団初の日本一に貢献。61年には35盗塁で盗塁王のタイトルも獲得。その後も首位打者のタイトルは惜しくも取れずも、シーズン打率3割を6度記録、ベストナインも7度の受賞を経験するなど60年代のセリーグを代表する巧打者として活躍した。73年に引退後は大洋や日本ハム、また韓国・ハンファのコーチを歴任した。

通算1000安打:1965年6月17日広島戦(森川卓郎から・29歳3ヶ月・941試合目) ※史上55人目
通算1500安打:1968年4月6日巨人戦(32歳1ヶ月・1376試合目) ※史上23人目
通算1500試合:1969年9月3日巨人戦(2番・右翼手・33歳6ヶ月) ※史上30人目


137 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:08:53 yGL9gf8o

【105人目】

・並木輝男 1938年11月15日生 外野手 左投左打
経歴:日大三高→大阪・阪神(57-66)→東京(67-68)
達成日:1965年10月3日広島戦(2番・中堅手・26歳10ヶ月)

成績:1116試合 .255 (3454-882) 81本 380打点 468三振 304四球 101盗塁 出塁率.323 OPS.713
【試合:398位 安打:374位 本塁打:372位 打点:368位 盗塁:241位】

※日大三高では4番・エースとして甲子園に2度出場し、57年に大阪に入団。同年はセ高卒新人初の開幕スタメン出場を果たすと、松井秀喜が更新するまで同じくセ高卒新人史上では最多となる8本塁打をマーク。その後は主に3番・中堅手として定着し、チームの主軸打者として62年、64年のリーグ優勝に貢献した。66年オフにチームの若返りの方針により自由契約とされて東京に移籍するも、翌67年のキャンプで右足のアキレス腱を断裂したことにより、思うように活躍できず69年に引退。その後はスナックやクラブを経営する一方で、85年に阪神の1軍打撃コーチとなり日本一に貢献した。


138 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:09:16 yGL9gf8o

【106人目】

・土井淳 1933年6月10日生 捕手 右投右打
経歴:岡山東高→明治大→大洋(56-68)
達成日:1966年5月18日巨人戦(8番・捕手・32歳11ヶ月)

成績:1138試合 .215 (2364-508) 23本 176打点 367三振 211四球 27盗塁 出塁率.285 OPS.566
【試合:385位 安打:670位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※後に大洋のエースとなる秋山登とは高校・大学を通じてバッテリーを組み続け、明治大では3度のリーグ優勝を経験。その秋山とともに56年に大洋に入団すると、強肩とインサイドワークを駆使した高い守備力を評価され、三原脩監督からは「グラウンドの指揮官」と評され、選手兼任コーチとなった60年には球団初のリーグ優勝・日本一に大きく貢献し、ベストナインのタイトルも獲得した。引退後も大洋のコーチを務め、80年には監督に就任。また85年には阪神の1軍ヘッド兼バッテリーコーチとなり、木戸克彦を正捕手に育て上げて、球団初の日本一にも貢献している。


139 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:09:36 yGL9gf8o

【107人目】

・森徹 1935年11月3日生 外野手 右投右打
経歴:早大学院→早稲田大→中日(58-61)→大洋(62-65)→東京(66-68)
達成日:1966年5月29日西鉄戦(5番・右翼手・30歳6ヶ月)

成績:1177試合 .251 (3868-971) 189本 585打点 568三振 228四球 56盗塁 出塁率.298 OPS.748
【試合:369位 安打:320位 本塁打:114位 打点:171位 盗塁:458位】

※早大学院出身としては唯一のプロ選手であり、早大では4度のベストナインに選出。鳴り物入りで58年に中日に入団すると、1年目から4番打者を務め、新人王のタイトルこそ長嶋茂雄に譲るも23本塁打・73打点の好成績を残し、翌59年には31本塁打・87打点でタイトル2冠も達成。このまま中日のスターとなると思われたが、新たに就任した濃人渉と関係が悪化し、61年オフにトレードで大洋に放出。大洋でも主軸打者として活躍するも、故障や乱視の影響で徐々に成績が低下し、後に移籍した東京で引退した。なお息子は「ヴァンドレッド」や「ストラトス・フォー」などを手がけたアニメ監督のもりたけし。


140 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:09:56 yGL9gf8o

【108人目】

・森永勝也(森永勝治) 1934年4月5日生 外野手 左投左打
経歴:柳井商工高→専修大→熊谷組→広島(58-66)→巨人(67-70)
達成日:1966年6月8日中日戦(5番・右翼手・32歳2ヶ月)

成績:1306試合 .270 (3569-963) 81本 421打点 369三振 328四球 45盗塁 出塁率.332 OPS.722
【試合:288位 安打:324位 本塁打:372位 打点:318位 盗塁:541位】

※熊谷組では4番打者としてチーム初の都市対抗優勝に貢献し、58年に広島に入団。1年目から中軸打者として起用されると、61年にはベストナインを獲得。翌62年にも2年連続で同タイトルを獲得すると同時に、史上稀に見る投高打低だった同年においてセリーグ唯一の打率3割をマークし、.307で首位打者にも輝いた(なお2リーグ制以降では最低の数字である)。その後はトレードで巨人に移籍し、主に代打の切り札として活躍。長嶋茂雄がプロ入り後初めて代打が送られた際の選手だったりもする。引退後は広島に復帰し、コーチとして活躍。その後も解説者として活動した。


141 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:10:22 yGL9gf8o

【109人目】

・森祇晶(森昌彦) 1937年1月9日生 捕手 右投左打
経歴:岐阜高→巨人(55-74)
達成日:1966年6月30日阪神戦(8番・捕手・29歳5ヶ月)

成績:1884試合 .236 (5686-1341) 81本 582打点 469三振 363四球 29盗塁 出塁率.285 OPS.603
【試合:77位 安打:172位 本塁打:372位 打点:175位 盗塁:-位】

※岐阜高から巨人に入団すると、4年目の59年に正捕手となり、卓越した洞察力やキャッチング、綿密な配球と高い盗塁阻止能力を兼ね備え、藤田元司や堀内恒夫といった強力な投手陣をリードし、自身も8年連続でベストナインとなるなど、「V9の頭脳」として巨人の黄金時代を支えた。引退後は広岡達朗のもとでヤクルトや西武のコーチを務め、その広岡の後継として86年に西武の監督に就任。基礎を積み重ねた綿密な野球で90〜94年の5連覇、9年間で8度のリーグ優勝・6年連続日本一にチームを導いて黄金時代を築き上げた。その後01年からは横浜の監督も2年間務めた。05年に殿堂入り。

通算1000安打:1968年10月6日中日戦(31歳8ヶ月・1301試合目) ※史上69人目
通算1500試合:1970年9月18日大洋戦(吉田孝司に代わって捕手として途中出場・33歳8ヶ月) ※史上33人目


142 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:10:43 yGL9gf8o

【110人目】

・城戸則文 1939年3月5日生 三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:常盤高→西鉄(57-66)→サンケイ・アトムズ・ヤクルト(67-74)
達成日:1966年7月13日南海戦(7番・三塁手・27歳4ヶ月)

成績:1766試合 .238 (4482-1065) 66本 393打点 856三振 284四球 65盗塁 出塁率.284 OPS.617
【試合:101位 安打:277位 本塁打:439位 打点:353位 盗塁:400位】

※西鉄では2年目の58年にウエスタンリーグの本塁打王となると、翌59年には中西太の故障もあって三塁手の定位置を獲得。打順は下位ながら60年代前半の西鉄打線を支え、63年にはリーグ優勝にも貢献。日本シリーズでは24打数9安打をマークするなど首位打者賞も獲得している。その後はトニー・ロイが三塁手に回ったために67年にトレードでサンケイへ移籍。内野のユーティリティとして重宝された。59年に受けた死球の影響で極端なクローズドスタンスのフォームとなり、通算で4000打数以上に立っていながら受けた死球はわずか4つである。引退後は西武のコーチなどを歴任した。

通算1500試合:1971年6月18日阪神戦(荒川尭に代わって三塁手として途中出場・32歳3ヶ月) ※史上38人目
通算1000安打:1972年4月27日広島戦(木原義隆からソロ・33歳1ヶ月・1575試合目) ※史上79人目


143 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/08(土) 13:16:48 sBrpSOww
さすがミスタージャイアンツ
脳梗塞になってもリハビリして復活されてまだまだお元気ですね


144 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/08(土) 18:13:20 ???
ミスターが100人目になる可能性もあったんですね
ミスターのリハビリトレーニングがガチ過ぎてビビった


145 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:07:15 Bjqzhh8k

【111人目】

・古葉竹識 1936年4月22日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:済々黌高→専修大→日鉄二瀬→広島(58-69)→南海(70-71)
達成日:1966年7月23日サンケイ戦(2番・二塁手・30歳3ヶ月)

成績:1501試合 .252 (5427-1369) 44本 334打点 447三振 372四球 263盗塁 出塁率.303 OPS.621
【試合:194位 安打:165位 本塁打:-位 打点:444位 盗塁:41位】

※日鉄二瀬から広島に入団すると、1年目から遊撃手のレギュラーを掴み、63年にはシーズン終盤に死球で下顎の骨が真っ二つになりながらも長嶋茂雄との熾烈な首位打者争いを演じ、わずか2厘差で敗れるもリーグ2位の打率.339をマークしてベストナインも受賞。しかし前述の死球の影響は大きく打撃成績は低下するも、機動力を前面に押し出すスタイルに変更し、翌64年には57盗塁、68年にも39盗塁で2度の盗塁王のタイトルを獲得した。引退後は75年に広島の監督に就任し、同年には球団を初のリーグ優勝に導くなど4度のリーグ優勝・3度の日本一を達成。また87年からは大洋の監督も務めた。99年に殿堂入り。

通算1000安打:1966年8月2日サンケイ戦(30歳3ヶ月・1008試合目) ※史上60人目
通算1500試合:1971年10月9日近鉄戦(高橋里志の代打で途中出場・35歳5ヶ月) ※史上42人目


146 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:07:41 Bjqzhh8k

【112人目】

・河合保彦 1933年10月3日生 捕手 右投右打
経歴:岐阜高→名古屋・中日(52-58)→西鉄(59-67)
達成日:1966年7月23日近鉄戦(8番・捕手・32歳9ヶ月)

成績:1071試合 .212 (2396-507) 58本 241打点 642三振 215四球 28盗塁 出塁率.283 OPS.620
【試合:427位 安打:671位 本塁打:487位 打点:-位 盗塁:-位】

※岐阜高では1年生ながら左翼手として49年夏の甲子園で準優勝を経験し、52年に名古屋に入団。プロでは捕手となり、ドラゴンズでは昨年、石橋康太が記録するまで捕手では史上唯一だった高卒新人での1軍出場も果たす。その後は54年のリーグ優勝も経て野口明に代わって55年には正捕手として自己最多の113試合に出場。吉沢岳男の台頭もあって59年に西鉄に移籍すると、主に和田博実に次ぐ2番手捕手として活躍し、63年の西鉄最後の優勝にも貢献した。引退後は西鉄のコーチを経て解説者の傍らで福岡市内の旅館を経営するも、84年に50歳の若さでこの世を去った。上記の古葉竹識とは同日に1000試合出場を達成。


147 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:08:00 Bjqzhh8k

【113人目】

・根来広光 1936年9月24日生 捕手・投手 右投右打
経歴:府中高→東京鉄道管理局→国鉄・サンケイ(57-66)→阪急(67-68)
達成日:1966年7月24日広島戦(島野雅正に代わって捕手として途中出場・29歳10ヶ月)

成績:1083試合 .213 (2705-575) 50本 234打点 359三振 140四球 12盗塁 出塁率.259 OPS.561
投手:3登板 0勝0敗 10.0投球回 1奪三振 1与四球 10被安打 防4.50 WHIP1.10
【試合:419位 安打:607位 本塁打:563位 打点:-位 盗塁:-位】

※45年8月6日の原爆投下直前まで広島市内に住んでいたがすんでのところで府中市に疎開したために難を逃れ、東京鉄道管理局から国鉄に投手として入団。しかし2軍で巨人・馬場正平(後のジャイアント馬場)から本塁打を打ったことをきっかけに捕手に転向。2年目の58年に正捕手として抜擢されると、エースである金田正一の投球を必死に研究し、ノーサインで捕れるまでに成長するなど金田の女房役として活躍した。68年に阪急で引退すると、その後は阪急・オリックス、ロッテ、ヤクルトでコーチや2軍監督を歴任。特にロッテでは監督に就任した金田が招聘するなど信頼をおかれていた。


148 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:08:22 Bjqzhh8k

【114人目】

・江藤慎一 1937年10月6日生 外野手・一塁手・捕手 右投右打
経歴:熊本商業高→日鉄二瀬→中日(59-69)→ロッテ(70-71)→大洋(72-74)→太平洋(75)→ロッテ(76)
達成日:1966年8月4日巨人戦(4番・左翼手・28歳9ヶ月)

成績:2084試合 .287 (7156-2057) 367本 1189打点 752三振 761四球 78盗塁 出塁率.358 OPS.841
【試合:39位 安打:40位 本塁打:26位 打点:25位 盗塁:323位】

※日鉄二瀬から強肩強打の捕手として中日に入団。プロ入り後すぐに一塁手にコンバートされると1年目から打率.281 15本 84打点と好成績を残し、3年目からは外野手に転向。64,65年には2年連続で首位打者のタイトルを獲得するなどリーグを代表する強打者へと成長した。しかし水原茂監督との確執もあって69年オフに中日を退団し、ロッテへ移籍。71年には打率.337で自身3度目で史上初の両リーグでの首位打者となった。その後大洋を経て75年には太平洋で史上初の全球団本塁打・また通算2000安打も達成した。76年にロッテで引退すると、以降は解説者を経て社会人チームの設立などに奔走した。10年に殿堂入り。

通算1000安打:1966年6月26日大洋戦(平岡一郎から中安打・28歳8ヶ月・973試合目) ※史上58人目
通算1500安打:1970年8月16日西鉄戦(後藤清から三安打・32歳10ヶ月・1451試合目) ※史上26人目
通算1500試合:1971年4月29日南海戦(4番・一塁手・33歳6ヶ月) ※史上37人目
通算2000試合:1975年8月27日日本ハム戦(5番・指名打者・37歳10ヶ月) ※史上10人目
通算2000安打:1975年9月6日近鉄戦(柳田豊から右二塁打・37歳11ヶ月・2006試合目) ※史上9人目


149 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:08:40 Bjqzhh8k

【115人目】

・島田光二 1936年4月12日生 一塁手・二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:四日市高→近鉄(55-67)
達成日:1966年8月18日東京戦(佐々木宏一郎の代打として出場・30歳4ヶ月)

成績:1029試合 .243 (2443-593) 32本 244打点 386三振 221四球 37盗塁 出塁率.308 OPS.637
【試合:473位 安打:591位 本塁打:-位 打点:598位 盗塁:-位】

※四日市高校ではエース・巽一と同期であり、55年に近鉄に入団。当時の近鉄は小玉明利や鈴木武といった選手らが内野の定位置を掴んでおり、入団後は準レギュラーの日々が長く続いた。それでも8年目の62年にようやく一塁手の座を掴むと、同年は自己最多の118試合に出場し、以降も内野のユーティリティとして活躍し、近鉄一筋13年間の現役生活を送った。引退後も近鉄に残り、打撃コーチや2軍監督を歴任。特に73年にはシーズン途中から休養した岩本尭の代理監督も務めた。88年を最後に近鉄を退団し、その後は解説者としても活動した。


150 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:09:02 Bjqzhh8k

【116人目】

・王貞治 1940年5月20日生 一塁手 左投左打
経歴:早稲田実業高→巨人(59-80)
達成日:1966年8月24日広島戦(3番・一塁手・26歳3ヶ月)

成績:2831試合 .301 (9250-2786) 868本 2170打点 1319三振 2390四球 84盗塁 出塁率.446 OPS1.080
【試合:3位 安打:3位 本塁打:1位 打点:1位 盗塁:292位】

※早稲田実業のエースとして巨人に入団し、直後に一塁手に転向。入団後数年は伸び悩むも、荒川博コーチの指導の下で「一本足打法」を編み出すと才能が開花し、64年には当時のNPB最多となるシーズン55本塁打をマークし、73年には史上3人目の三冠王となるなど13年連続で本塁打王のタイトルを獲得し、77年にはハンク・アーロンを抜くなど通算22年間で868本塁打という世界一の記録を打ち立てるなど黄金時代を支えた。引退後は巨人・ダイエー・ソフトバンクで監督を歴任し、計4度のリーグ優勝・2度の日本一を経験。また06年には日本代表監督として初代WBC王者に導いた。77年に国民栄誉賞(第1号)、94年に殿堂入り。

通算1000安打:1967年7月10日大洋戦(森中千香良からソロ・27歳1ヶ月・1088試合目) ※史上65人目
通算1500試合:1970年8月11日ヤクルト戦(3番・一塁手・30歳2ヶ月) ※史上32人目
通算1500安打:1970年10月6日広島戦(外木場義郎からソロ・30歳4ヶ月・1538試合目) ※史上27人目
通算2000試合:1974年6月29日ヤクルト戦(4番・一塁手・34歳1ヶ月) ※史上8人目・歴代3番目の年少記録
通算2000安打:1974年8月4日阪神戦(古沢憲司から右安打・34歳2ヶ月・2019試合目) ※史上8人目
通算2500試合:1978年6月3日広島戦(3番・一塁手・38歳0ヶ月) ※史上2人目・歴代最年少
通算2500安打:1978年6月27日中日戦(戸田善紀から右安打・38歳1ヶ月・2518試合目) ※史上3人目


151 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:09:25 Bjqzhh8k

【117人目】

・張本勲 1940年6月19日生 外野手 左投左打
経歴:松本商業高→浪華商業高→東映・日拓・日本ハム(59-75)→巨人(76-79)→ロッテ(80-81)
達成日:1966年8月26日南海戦(4番・左翼手・26歳2ヶ月)

成績:2752試合 .319 (9666-3085) 504本 1676打点 815三振 1274四球 319盗塁 出塁率.399 OPS.933
【試合:4位 安打:1位 本塁打:7位 打点:4位 盗塁:26位】

※ご存知「ハリー」。高卒1年目の59年に13本塁打を放って新人王となると、62年にはチームの初優勝に貢献し、MVPも獲得。その後も「安打製造機」として67〜70年には4年連続で首位打者となり、72年には通算2000安打も達成するなどパリーグを代表する選手に。その後75年オフにはトレードで憧れだった巨人に移籍し、王貞治との「OH砲」で2度の優勝に貢献。その後80年にはロッテに移籍し、史上初の通算3000安打、史上3人目の500本塁打を達成するなど22年間でNPB歴代最多の通算3085安打を積み上げた。引退後は主に解説者や評論家として活動し、「サンモニ」のご意見番として毎週世間を賑わせている。90年に殿堂入り。

通算1000安打:1966年5月10日近鉄戦(佐々木宏一郎から・25歳10ヶ月・927試合目) ※史上57人目
通算1500安打:1969年8月31日ロッテ戦(金田留広から三安打・29歳2ヶ月・1359試合目) ※史上25人目・歴代4番目の年少記録
通算1500試合:1970年9月24日阪急戦(3番・左翼手・30歳3ヶ月) ※史上35人目
通算2000安打:1972年8月19日西鉄戦(東尾修から左安打・32歳2ヶ月・1733試合目) ※史上7人目・歴代2番目の年少記録
通算2000試合:1974年8月29日太平洋戦(4番・左翼手・34歳2ヶ月) ※史上12人目・歴代4番目の年少記録
通算2500安打:1976年6月10日阪神戦(上田卓三から中安打・36歳9ヶ月・2185試合目) ※史上2人目・最年少
通算2500試合:1978年9月28日広島戦(5番・左翼手・38歳3ヶ月) ※史上3人目・歴代2番目の年少記録
通算3000安打:1980年5月28日阪急戦(山口高志から2ラン・39歳11ヶ月・2618試合目) ※史上初


152 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:09:48 Bjqzhh8k

【118人目】

・田中尊 1936年4月11日生 捕手 右投右打
経歴:高松商業学校→南海(55-56)→広島(57-72)
達成日:1966年8月28日大洋戦(8番・捕手・30歳4ヶ月)

成績:1429試合 .196 (3166-619) 8本 173打点 434三振 191四球 20盗塁 出塁率.242 OPS.472
【試合:221位 安打:562位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※高松商業高から55年に南海に入団するも、1年先輩である野村克也が台頭したために出番がなく、3年目の57年に広島に移籍。通算打率も1割台、本塁打も通算8本と打撃面で弱点を抱えていたものの、それを余り補うほどのキャッチング術とインサイドワークで主に60年代の広島で正捕手として活躍。捕手としての1423試合出場は球団では石原慶幸に抜かされるまで歴代最多だった。72年に引退後も広島に残り、バッテリーコーチやヘッドコーチを歴任し、5度のリーグ優勝に貢献するなど黄金時代を支え、96年からはドミニカのカープアカデミーの育成部も担当した。


153 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:10:06 Bjqzhh8k

【119人目】

・桑田武 1937年1月5日生 三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:荏原高→中央大→大洋(59-68)→巨人(69)→ヤクルト(70)
達成日:1966年9月21日サンケイ戦(4番・三塁手・29歳8ヶ月)

成績:1194試合 .264 (4214-1112) 223本 674打点 787三振 401四球 89盗塁 出塁率.331 OPS.806
【試合:357位 安打:255位 本塁打:85位 打点:132位 盗塁:276位】

※中央大では58年春にチームの5年ぶりの優勝に貢献し、59年に大洋に入団。1年目から4番を任され、新人としては現在においても清原和博に並んで最多タイとなる31本塁打を放ち、本塁打王・新人王のタイトルを獲得。翌60年には打率3割をマークしてリーグ優勝に貢献し、61年にも94打点で打点王のタイトルを獲得するなど、60年代の大洋における和製大砲として活躍した。その後68年オフに自身の起用法を巡って別当薫監督と揉め、トレードで巨人に移籍。しかし結果を残せず1年でヤクルトに移籍するも、「黒い霧事件」においてオートレース八百長の疑いで逮捕、出場停止処分を受けそのまま現役を引退した。

通算1000安打:1967年4月25日巨人戦(城之内邦雄から中安打・30歳3ヶ月・1019試合目) ※史上63人目


154 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/09(日) 13:10:24 Bjqzhh8k

【120人目】

・本屋敷錦吾 1935年10月31日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:芦屋高→立教大→阪急(58-63)→阪神(64-69)
達成日:1966年10月8日巨人戦(8番・二塁手・30歳11ヶ月)

成績:1195試合 .227 (3453-785) 13本 179打点 384三振 192四球 154盗塁 出塁率.269 OPS.565
【試合:356位 安打:433位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:120位】

※芦屋高では甲子園に4度出場し、52年夏には優勝も経験。また立教大では長嶋茂雄・杉浦忠とともに「立教三羽烏」と呼ばれて人気を博し、その2人とともに58年にプロ入り。阪急では1年目から2番・遊撃手に定着して33盗塁をマークするなど、俊足を活かした繋ぎ役として活躍。しかし62年ごろから打撃成績が低迷し、64年に阪神に移籍。すると同年には二塁手の定位置を掴み、チームのリーグ優勝にも貢献した。その後も鎌田実とともに阪神の内野を支え、69年に引退。その後は阪神や阪急のコーチ、解説者を経て実業家に転身。「モト&アイコー」という商社を設立し社長となった。


155 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:00:22 HmQEfu/.

【121人目】

・醍醐猛夫 1938年11月15日生 捕手 右投右打
経歴:早稲田実業→毎日・大毎・東京・ロッテ(57-75)
達成日:1967年4月8日南海戦(7番・捕手・29歳4ヶ月)

成績:1775試合 .234 (4843-1132) 81本 472打点 758三振 261四球 50盗塁 出塁率.277 OPS.601
【試合:99位 安打:244位 本塁打:372位 打点:260位 盗塁:501位】

※早稲田実業では王貞治とバッテリーを組んで56年夏の甲子園に出場。毎日では1年目から113試合に出場するも、2年目以降は打撃不振もあってしばらくは谷本稔にポジションを譲ることとなる。しかし、65年に谷本が阪神に移籍したことで再び正捕手の座を奪い、70年にはチーム10年ぶりのリーグ優勝に貢献し、71年にはプロ野球タイ記録の4打席連続本塁打もマーク。その後もオリオンズ一筋で活躍し、74年にもコーチ兼任となって24年ぶりの日本一に貢献した。引退後もロッテに残り、2軍監督やコーチ、スカウトとして選手時代から通じて約半世紀にわたってオリオンズ・マリーンズを支えた。昨年12月に81歳で逝去。

通算1500試合:1970年10月19日近鉄戦(得津高宏の代打として途中出場・31歳11ヶ月) ※史上36人目
通算1000安打:1971年6月15日南海戦(ティロットから中安打・32歳7ヶ月・1549試合目) ※史上77人目


156 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:00:47 HmQEfu/.

【122人目】

・阿南準郎(阿南潤一) 1937年9月2日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:佐伯鶴城高→広島(56-67)→近鉄(68-70)
達成日:1967年4月26日中日戦(漆畑勝久の代打として途中出場・29歳7ヶ月)

成績:1415試合 .218 (3426-746) 34本 254打点 360三振 221四球 43盗塁 出塁率.267 OPS.550
【試合:227位 安打:466位 本塁打:-位 打点:577位 盗塁:563位】

※当時内野が手薄だった広島において入団1年目から遊撃手として出場機会を得て、5年目の60年に一塁手に回った興津立雄の後を継ぐ形で自身も三塁手に転向。ガッツあふれる守備で古葉竹識とともに鉄壁の三遊間を形成した。その後も内野のユーティリティプレイヤーとして活躍し、60年代の広島を支えた。68年に近鉄に移籍するとこちらでは主に三塁手として活躍した。引退後は近鉄のコーチを経て74年に広島に復帰。翌75年には監督となった古葉竹識のもとで1軍コーチとして球団初優勝にも貢献した。さらに86年にはその古葉の後を継いで自身も監督に就任し、同年にはチームをリーグ優勝に導いた。


157 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:01:09 HmQEfu/.

【123人目】

・前田益徳 1939年5月24日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:熊本工業高→中日(58-63)→東京・ロッテ(64-75)
達成日:1967年5月14日東映戦(2番・三塁手・27歳11ヶ月)

成績:1799試合 .249 (4835-1205) 117本 492打点 584三振 406四球 106盗塁 出塁率.310 OPS.682
【試合:89位 安打:221位 本塁打:237位 打点:229位 盗塁:222位】

※中日には投手として入団するも、直後に内野手に転向。2年目の59年から遊撃手・三塁手のレギュラーとして定着し、62年にはサイクル安打も達成するなど主軸選手に成長する。翌63年オフに葛城隆雄とのトレードで東京へ移籍すると主に三塁手として活躍し、64年には全150試合に出場。池辺巌が三塁手に回った68年以降は二塁も守るようになり、以降は内野のユーティリティとして活躍。70年には規定打席不足ながら3割超の打率もマークし、同年のリーグ優勝に貢献。コーチ兼任となった74年にも日本シリーズで代打3ランを放っている。引退後はロッテ・中日をはじめ、大洋や日本ハムでもコーチを歴任した。

通算1000安打:1969年9月6日近鉄戦(鈴木啓示から右安打・30歳3ヶ月・1288試合目) ※史上71人目
通算1500試合:1971年9月1日南海戦(1番・二塁手・32歳3ヶ月) ※史上40人目


158 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:01:31 HmQEfu/.

【124人目】

・藤本勝巳 1937年8月8日生 一塁手・外野手 右投右打
経歴:南部高→大阪・阪神(56-67)
達成日:1967年6月13日中日戦(バッキーの代打として途中出場・29歳10ヶ月)

成績:1033試合 .254 (2979-756) 113本 420打点 535三振 322四球 22盗塁 出塁率.327 OPS.741
【試合:468位 安打:461位 本塁打:249位 打点:320位 盗塁:-位】

※青木一三スカウトの交渉を経て投手として大阪に入団するも、直後に野手に転向。3年目の58年には6番・一塁手の定位置を掴むと翌59年には4番打者となり、自己最多の24本塁打をマークし、同年の展覧試合でも藤田元司から2ランを放った。さらに60年には22本・76打点で本塁打・打点の二冠王となり、62年にもリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも2本塁打を放った。その後は遠井五郎の台頭もあって、併用される機会も増えて出場機会も減少し、67年に現役引退。その後は球界を離れてスナック「ジャガー」を経営した。なお現役時代の63年に島倉千代子と結婚しているが、引退後の69年に離婚している。


159 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:01:52 HmQEfu/.

【125人目】

・国松彰 1934年9月14日生 外野手・投手 左投左打
経歴:西京高→同志社大(中退)→巨人(55-70)
達成日:1967年6月18日大洋戦(6番・右翼手・32歳9ヶ月)

成績:1378試合 .243 (4025-979) 93本 427打点 414三振 370四球 125盗塁 出塁率.310 OPS.670
投手:10登板 0勝1敗 9.2投球回 2奪三振 9与四球 13被安打 防5.40 WHIP2.28
【試合:245位 安打:316位 本塁打:320位 打点:311位 盗塁:179位】

※同志社大を中退し、青木稔とともに巨人に入団。当初は投手だったが思うように結果が出ず、3年目の57年から外野手に転向。すると強肩俊足を活かして徐々に出場機会を増やし、63年には自己最多の36盗塁をマーク。ON砲の脇を固める巧打者としてV9時代の前半を支え、67年の日本シリーズでは第5戦で2打席連続本塁打もマークした。その後は末次民夫の台頭もあり、70年限りで引退。その後も巨人に残り、長らくコーチや2軍監督を務めた。なお「ナボナ」などを販売する東京の和菓子店、亀屋万年堂の創業者の娘と結婚したこともあり、02年には同社の代表取締役となり、現在は会長を務めている。


160 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:02:14 HmQEfu/.

【126人目】

・鎌田実 1939年3月8日生 二塁手 右投右打
経歴:洲本高→大阪・阪神(57-66)→近鉄(67-69)→阪神(70-72)
達成日:1967年6月20日阪急戦(2番・二塁手・28歳3ヶ月)

成績:1482試合 .234 (4451-1041) 24本 264打点 360三振 153四球 84盗塁 出塁率.261 OPS.555
【試合:203位 安打:288位 本塁打:-位 打点:558位 盗塁:292位】

※大阪には遊撃手として入団するも、当時絶頂期だった吉田義男が定位置にいたため2年目から二塁手に転向。白坂長栄の後を継ぐ形で定位置を掴むと、その吉田義男と三塁手の三宅秀史らとともに鉄壁の内野陣を形成し、62年のリーグ優勝に貢献。その後は本屋敷錦吾の移籍もありながらも準レギュラーとして活躍し、67年からは近鉄に移籍し、ここでも二塁手として活躍。70年からは阪神に復帰し72年に引退。63年の米キャンプをきっかけに「バックトス」を日本で初めて導入した選手とされている。また悪球打ちの名手でもあったが、一方で選球眼に難があり、IsoD.028は4000打席以上の選手としては最も低い数字である。

通算1000安打:1970年10月6日大洋戦(平松政次から左安打・31歳6ヶ月・1399試合目) ※史上75人目


161 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:02:39 HmQEfu/.

【127人目】

・田中久寿男 1935年4月24日生 外野手・一塁手・投手 右投右打
経歴:佐賀工業高→東洋高圧大牟田→西鉄(55-65)→巨人(66-68)→西鉄(69)
達成日:1967年8月6日サンケイ戦(森永勝也に代わって右翼主として途中出場・32歳3ヶ月)

成績:1108試合 .257 (3138-805) 76本 331打点 509三振 152四球 77盗塁 出塁率.300 OPS.676
投手:1登板 0勝0敗 0.0投球回 0奪三振 1与四球 1被安打 防-.-- WHIP-.--
【試合:402位 安打:419位 本塁打:397位 打点:450位 盗塁:333位】

※西鉄には投手として入団するも1軍の登板は1試合のみに終わり、2年目のシーズン途中に野手に転向。一塁手を中心に三塁、外野でも起用され60年には15本塁打、61年には打率.306をマークするなど将来の中心打者として期待されるも、故障に悩まされたり、球団の経費節減、加えて外国人野手の獲得もあって66年にトレードで巨人に移籍。巨人では主に外野手として起用され、67年には坂東英二からサヨナラ満塁本塁打を放つなど存在感を見せた。69年にトレードで復帰した西鉄で引退すると、その後は西鉄のコーチやロッテのコーチ、スカウトを歴任。ロッテのスカウトとしては大塚明やサブローの獲得に貢献している。


162 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:03:01 HmQEfu/.

【128人目】

・近藤昭仁 1938年4月1日生(実際は4月10日生) 二塁手 右投右打
経歴:高松第一高→早稲田大→大洋(60-73)
達成日:1967年10月5日中日戦(1番・二塁手・29歳6ヶ月)

成績:1619試合 .243 (4862-1183) 65本 360打点 649三振 327四球 148盗塁 出塁率.292 OPS.627
【試合:141位 安打:228位 本塁打:449位 打点:400位 盗塁:131位】

※60年代に入団した選手では初の達成者。大洋では1年目から1番・二塁手として起用されチームの初優勝に貢献し、日本シリーズでも第3戦に決勝本塁打、第4戦に先制適時打を放つなどの大活躍でシリーズMVPにも選ばれた。以降も大洋の1,2番を担う二塁手として活躍し、またバントの名手として65年には当時日本記録の41犠打をマークした。73年に引退後は大洋をはじめとした各球団でコーチを歴任し、93年には大洋の後身である横浜の監督に就任し、後の優勝に貢献する若手選手らを台頭させた。さらに97年にはロッテの監督を務めるも、こちらは2年目にはプロ野球記録の18連敗を喫するなど2年連続最下位と苦しんだ。

通算1000安打:1970年6月30日阪神戦(上田二郎から中安打・32歳2ヶ月・1308試合目) ※史上73人目
通算1500試合:1971年9月22日巨人戦(6番・二塁手・33歳5ヶ月) ※史上41人目


163 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:03:22 HmQEfu/.

【129人目】

・石川進 1932年4月28日生 外野手 左投左打
経歴:富士高→大昭和製紙→高橋・トンボ(54-56)→東映(57)→大昭和製紙→大毎(59-63)→阪急(64-69)
達成日:1968年5月15日西鉄戦(水谷孝の代打として途中出場・36歳0ヶ月)

成績:1082試合 .263 (1933-509) 15本 172打点 261三振 84四球 85盗塁 出塁率.302 OPS.655
【試合:420位 安打:666位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:288位】

※大昭和製紙では53年の都市対抗で優勝を経験し、54年に高橋に入団。3年目の56年に中堅主の定位置を掴むも、球団合併の影響もあって東映に移籍となった翌57年には肩を故障しわずか8試合の出場に終わり、いったんは同年限りでプロを引退し大昭和製紙に復帰。しかし1年で大毎に入団してプロに復帰すると、60年には外野の準レギュラーとしてリーグ優勝にも貢献。64年に移籍した阪急では65年に自己最多の121試合に出場。長池徳二の台頭もあったものの、代打の切り札として67,68年の連覇にも貢献した。最後の高橋ユニオンズ戦士として69年に再び現役を引退した。


164 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:03:45 HmQEfu/.

【130人目】

・遠井吾郎 1939年12月4日生 一塁手 左投左打
経歴:柳井高→大阪・阪神(58-77)
達成日:1968年6月19日サンケイ戦(4番・一塁手・28歳6ヶ月)

成績:1919試合 .272 (5281-1436) 137本 688打点 832三振 471四球 22盗塁 出塁率.332 OPS.740
【試合:65位 安打:138位 本塁打:192位 打点:126位 盗塁:-位】

※柳井高では超高校級の打力と評価され、「ポスト藤村」と期待されてプロ入り。藤本勝巳とともに併用されつつ中軸打者として徐々に成長し、66年にはリーグ2位の打率.326をマークし、70年代前半にかけて阪神の4番打者として活躍。75年にロッテからアルトマンが移籍したため、一塁手の定位置を譲ることとなるも、晩年は代打としても活躍し、球団歴代3位となる代打通算96打点もマークし、実働20年間を阪神一筋で貫いた。引退後は後藤次男監督の下で阪神のコーチとなるも球団初の最下位を喫したことで1年で退団し、その後はスナックを経営。飄々とした風貌と穏やかな人柄で「仏のゴローちゃん」の愛称で親しまれた。

通算1000安打:1970年8月6日ヤクルト戦(松岡弘からソロ・30歳8ヶ月・1240試合目) ※史上74人目
通算1500試合:1972年9月27日中日戦(5番・一塁手・32歳9ヶ月) ※史上43人目


165 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/10(月) 17:18:48 2l6V189M
今回もまたメンツが濃いなあ


166 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 13:38:19 wHMqNsv2
>>110
やっぱノムさんってすごいわ


167 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:13:30 BVsV6O1I
>>110
野村克也さんのご冥福をお祈りいたします

【131人目】

・金田正一 1933年8月1日生 投手 左投左打
経歴:名古屋電気学校→享栄商業高(中退)→国鉄(50-64)→巨人(65-69)
達成日:1968年7月9日広島戦(末次民夫の代打として途中出場・34歳11ヶ月)

成績:1053試合 .198 (2054-406) 38本 177打点 367三振 99四球 7盗塁 出塁率.238 OPS.524
投手:944登板 400勝298敗 5526.2投球回 4490奪三振 1808与四球 4120被安打 防2.34 WHIP1.07
【試合:445位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】
【登板:3位 勝利数:1位 投球回:1位 奪三振:1位 与四球:1位】

※ご存知「カネやん」。当時16歳ながら国鉄に入団してプロ入りを果たすと、2年目には史上最年少となる18歳35日でのノーノーを達成。剛速球と縦に割れるカーブを武器に以降は国鉄のみならず日本を代表する投手となり、51年から64年まで14年連続20勝、10度の奪三振王のタイトルを獲得。65年に巨人に移籍し、69年には前人未到の通算400勝も達成。勝利数だけでなく敗戦数・奪三振・与四球・完投など様々な成績で日本記録を残した。引退後はロッテの監督を務め、74年には日本一も達成。その後は歯に衣着せぬキャラでタレントとしても数々のメディアに出演していたが、昨年10月に86歳で逝去。88年に殿堂入り。


168 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:13:58 BVsV6O1I

【132人目】

・伊藤光四郎 1937年7月28日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:大社高→大阪・阪神(56-61)→西鉄(62-70)
達成日:1968年7月10日南海戦(4番・右翼手・30歳11ヶ月)

成績:1186試合 .239 (2458-587) 48本 252打点 353三振 323四球 44盗塁 出塁率.333 OPS.683
【試合:366位 安打:596位 本塁打:585位 打点:581位 盗塁:554位】

※大社高から56年に大阪に入団。3年目の58年から徐々に出場機会こそは増やすも打撃が伸び悩み、レギュラーを獲得することが出来ないまま、62年に金銭トレードで西鉄に移籍。すると同年には116試合に出場し、翌63年には日本シリーズ第7戦で代打本塁打を放つなど存在感を示し、65年には右翼主の定位置を獲得。当時の西鉄は打線が低迷しており、67年のチームの日本人選手では彼が唯一規定打席到達者だった。69年以降にようやく若手選手らの台頭もあり、70年に現役を引退し以降は西鉄やロッテのコーチとして活動。西鉄では大田卓司や真弓明信らの育成に貢献した。


169 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:14:20 BVsV6O1I

【133人目】

・安藤順三 1935年6月28日生 捕手 右投右打
経歴:多治見工業高→東映(54-70)
達成日:1968年7月17日東京戦(種茂雅之に代わって捕手として途中出場・33歳0ヶ月)

成績:1078試合 .210 (2389-502) 18本 196打点 342三振 102四球 11盗塁 出塁率.245 OPS.514
【試合:422位 安打:678位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:458位】

※多治見工業高では後に阪急のエース投手となる梶本隆夫とバッテリーを組んでおり、その梶本とともに54年にプロ入り。入団後しばらくは控え捕手だったものの、59年に山本八郎が三塁手に転向したことで正捕手の座を掴み、土橋正幸らをリードして62年にはチームのリーグ優勝に貢献した。その後は白仁天や種茂雅之の台頭もあり、徐々に出場機会を減らすも、17年間東映一筋で現役を全うし、70年に引退。その後も東映、そして後身の日本ハムでバッテリーコーチや2軍監督、スコアラーを歴任し続けた。なお自身がライバルとしていた野村克也とは誕生日が1日違い(野村は29日生まれ)である。


170 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:14:48 BVsV6O1I

【134人目】

・小池兼司 1939年2月5日生 遊撃手 右投右打
経歴:浜松商業高→専修大→南海(61-74)
達成日:1968年7月18日阪急戦(7番・遊撃手・29歳5ヶ月)

成績:1536試合 .226 (4431-1003) 104本 473打点 665三振 479四球 113盗塁 出塁率.305 OPS.643
【試合:172位 安打:300位 本塁打:277位 打点:259位 盗塁:205位】

※専修大では東都リーグで4度の優勝を経験し、61年に南海に入団。広瀬叔功が中堅手に回ったことで遊撃手の定位置を掴み、堅実な守備を武器に活躍。63年には現在でもプロ野球記録となる遊撃手としての113併殺、68年には遊撃手では当時のプロ野球記録となる218回連続守備機会無失策も達成。また63年には22本塁打をマークするなど長打力も武器とするなど攻守で活躍し、通算4度のベストナイン受賞を経験した。その後72年に移籍した佐野善幸にレギュラーを譲り、74年限りで引退。その後は南海のコーチなどを経て、90年代には台湾プロ野球のコーチ、そして現在も社会人野球・大阪ホークスドリームの監督を務めている。

通算1500試合:1974年4月17日太平洋戦(7番・遊撃手・35歳2ヶ月) ※史上46人目
通算1000安打:1974年5月5日ロッテ戦(池田重喜から中安打・35歳3ヶ月・1509試合目) ※史上86人目


171 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:15:08 BVsV6O1I

【135人目】

・徳武定祐(徳武定之) 1938年6月9日生 三塁手 右投右打
経歴:早稲田実業高→早稲田大→国鉄・サンケイ(61-67)→中日(68-70)
達成日:1968年9月11日サンケイ戦(6番・三塁手・30歳3ヶ月)

成績:1063試合 .259 (3491-903) 91本 396打点 392三振 381四球 35盗塁 出塁率.331 OPS.713
【試合:433位 安打:356位 本塁打:329位 打点:350位 盗塁:-位】

※早大では4年次に主将も務めるなどベストナインを計5度受賞。11球団の争奪戦の末に国鉄に入団し、当時としては破格の600万円で契約を結ぶ(それだけ出せるなら国鉄の運賃の値上げを止めろと抗議が殺到するほどの待遇だった)。1年目から4番打者を務めるなど、新人史上3人目となる全イニング出場を達成し、球団初のAクラス入りに貢献。その後も7年目の開幕3戦目まで入団から821試合連続で出場した。その後は城戸則文の移籍もあって68年に中日に移籍し、70年に引退。その後は中日やロッテのコーチを歴任。現在は母校・早大のコーチを務める。なお次女の利奈は2012年に郷ひろみと結婚している。


172 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:15:31 BVsV6O1I

【136人目】

・興津立雄 1936年5月19日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:静岡商業高→専修大→広島(59-71)
達成日:1968年9月26日巨人戦(6番・三塁手・32歳4ヶ月)

成績:1227試合 .258 (3871-998) 145本 495打点 853三振 335四球 29盗塁 出塁率.320 OPS.739
【試合:334位 安打:305位 本塁打:185位 打点:225位 盗塁:-位】

※静岡商業では4番打者として活躍し、54年夏には準優勝を経験。また専修大では1年目から主砲として活躍し、「東都の長嶋」と呼ばれるなど東都リーグでは3度の優勝に貢献。鳴り物入りで入団した広島では1年目から三塁手のレギュラーを掴むと、2年目の翌61年にはチーム最多の21本塁打を放つ。その後は第五腰椎分離症となって慢性的な腰痛に悩まされるも、チームの中軸打者として活躍し、60年代の広島を支えた。通算1000安打まで残り2本としながらも、71年に引退。その後は球団の打撃コーチの要請を断って球界から離れ、杉並区高円寺で水道工事業の会社である「興立設備」を経営している。


173 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:15:53 BVsV6O1I

【137人目】

・横溝桂 1935年10月1日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:岡山東高→広島(55-69)
達成日:1969年5月5日中日戦(久保祥次の代打として途中出場・33歳7ヶ月)

成績:1054試合 .243 (2560-623) 37本 221打点 277三振 204四球 53盗塁 出塁率.306 OPS.638
【試合:444位 安打:560位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:475位】

※岡山東高では54年春の選抜に出場し、バッテリーを組んだ野上浩郷とともに広島に入団。貴重な左投手として期待されるも以前から抱えていた肩の故障が悪化したために投手として登板することのないまま外野手に転向。山本一義らの台頭もあり、レギュラー争いが激しくなる中で自身は勝負強さを武器に名わき役として活躍し、60年代の広島を支えた。引退後は広島・南海・阪神の3球団でコーチを歴任。南海では片平晋作らを育成し、また阪神では中西太とともに後の猛虎打線を育て上げ、85年の日本一に貢献した。なお広島の名スカウトである木庭教が正式にカープに採用されたのは彼を推薦したのがきっかけである。


174 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:16:18 BVsV6O1I

【138人目】

・小淵泰輔 1935年1月9日生 一塁手・外野手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:三池工業→東洋高圧大牟田→西鉄(57-60)→中日(61-63)→国鉄・サンケイ・アトムズ(64-69)
達成日:1969年5月11日広島戦(緒方勝の代打として途中出場・34歳4ヶ月)

成績:1063試合 .248 (2436-605) 82本 302打点 545三振 207四球 80盗塁 出塁率.315 OPS.722
【試合:433位 安打:577位 本塁打:366位 打点:498位 盗塁:313位】

※東洋高圧大牟田では古葉竹識・江藤慎一らとともに55年の都市対抗に出場し、首位打者賞も獲得。プロ入りした西鉄では控え内野手でありながらも、準レギュラーとして58年のリーグ優勝に貢献。同年の日本シリーズ第7戦ではチームの劇的サヨナラによる逆転日本一に繋がる三塁線の二塁打を放っている。また60年にはサイクル安打も達成。その後翌61年には中日にトレードで移籍するもあまり活躍できず、64年に国鉄に移籍。国鉄ではついにレギュラーの座を掴み、8年目にして初の規定打席に到達し、打率.306もマークした。現役生活通じて内外野問わず守れる便利屋として活躍した。引退後はヤクルトのコーチを務めた。


175 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:16:34 BVsV6O1I

【139人目】

・土井正博 1943年12月8日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:大鉄高→近鉄(61-74)→太平洋・クラウン・西武(75-81)
達成日:1969年7月6日阪急戦(4番・左翼手・25歳6ヶ月) ※歴代2番目タイの年少記録

成績:2449試合 .282 (8694-2452) 465本 1400打点 777三振 972四球 78盗塁 出塁率.358 OPS.838
【試合:10位 安打:10位 本塁打:12位 打点:12位 盗塁:323位】

※根本陸夫のスカウトを受けて大鉄高から近鉄に入団。当時弱小だったチームにおいて高卒1年目から4番打者として辛抱強く起用され、4年目の64年から6年連続で20本塁打をマークするなど順調に成長。タイトルこそは張本勲や野村克也に阻まれることが多かったものの、リーグを代表するスラッガーとして活躍。74年オフにトレードで太平洋に移籍すると、翌75年には34本塁打で念願の初タイトルとなる本塁打王を獲得した。その後もチームの精神的支柱も務め、77年には通算2000安打を達成するなど、歴代10位の2452安打をマークした。引退後は西武や韓国・サムスンでコーチを歴任し、近年は中日のコーチも務めた。

通算1000安打:1969年5月1日阪急戦(足立光宏から・25歳4ヶ月・960試合目) ※史上70人目・歴代2番目の年少記録
通算1500安打:1973年5月23日ロッテ戦(村田兆治から中安打・29歳5ヶ月・1423試合目) ※史上28人目・歴代5番目タイの年少記録
通算1500試合:1973年9月29日南海戦(4番・左翼手・29歳7ヶ月) ※史上45人目・歴代4番目の年少記録
通算2000安打:1977年7月5日ロッテ戦(村田兆治から中安打・34歳6ヶ月・1956試合目) ※史上10人目・歴代3番目の年少記録
通算2000試合:1977年8月31日日本ハム戦(4番・左翼手・33歳8ヶ月) ※史上11人目・歴代2番目の年少記録


176 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:16:54 BVsV6O1I

【140人目】

・石井晶 1939年12月21日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:足立高→東京鉄道管理局→阪急(60-71)
達成日:1969年7月13日西鉄戦(アグリーに変わって一塁手として出場・29歳6ヶ月)

成績:1262試合 .250 (3117-780) 51本 316打点 479三振 190四球 29盗塁 出塁率.297 OPS.652
【試合:309位 安打:439位 本塁打:548位 打点:473位 盗塁:-位】

※東京鉄道管理局では全国鉄道大会において首位打者となり、60年に阪急に入団。63年にはウエスタンリーグ史上最高となる打率.393をマークしてこちらも首位打者を受賞し、翌64年には戸口天従から一塁手の定位置を奪い、スペンサーを押しのけて4番打者の座も掴んだ。その後も助っ人打者との併用が続く中で勝負強い打撃を発揮し、67-69年のリーグ3連覇にも貢献。69年の日本シリーズでは3本塁打を放つ活躍も見せた。71年に引退した後も阪急に残り、コーチとしても75-78年の4連覇に貢献。また82年からはヤクルト、85年からは阪神のコーチも歴任。98年に阪神を退団後はアマチュア野球の監督としても活動した。


177 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 15:43:10 adelZoic
カネやんが入るの草
やはり異次元すぎる


178 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 16:09:28 FRnAZIks
カネヤンは何で代打で出てるんですかね…


179 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/11(火) 17:13:45 ???
カネやん達成意外と遅いなあ…
→投手専任は他にいない
やっぱりカネやんてバケモンだわ


180 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 17:16:53 ujjApHsk
たぶん最後のほうに竜の死神でてくるよ


181 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/11(火) 17:33:08 t067iWlU
やっぱ金やんってレジェンドだわ
あの高笑い聞けないのは悲しいなあ…

。・゜・(ノД`)・゜・。


182 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 03:09:35 C4pv0DNs
投手で達成してるのはカネやんと死神だけですかね?


183 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:12:30 6KymTMsY

【141人目】

・高木守道 1941年7月17日生 二塁手 右投右打
経歴:岐阜商業高→中日(60-80)
達成日:1969年7月30日アトムズ戦(2番・二塁手・28歳0ヶ月)

成績:2282試合 .272 (8367-2274) 236本 813打点 819三振 434四球 369盗塁 出塁率.312 OPS.723
【試合:17位 安打:16位 本塁打:72位 打点:87位 盗塁:13位】

※岐阜商業高から中日に入団すると、4年目の63年から二塁手のレギュラーを獲得し、同年は50盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得。その後も球界屈指の守備力、通算236本塁打を放ったパンチ力、3度の盗塁王を獲得する俊足を武器に、長らく中日の1,2番打者として活躍し、75年には球団生え抜き選手では初となる2000安打も達成するなど「2代目ミスタードラゴンズ」と呼ばれ親しまれた。引退後はコーチを経て92年には監督に就任。94年には巨人と同率首位となるも、10.8決戦に敗れて惜しくも優勝には届かず。その後12年から再び2年間指揮を取った。06年に殿堂入り。先月、急性心不全のため78歳で逝去。

通算1000安打:1969年9月28日阪神戦(江夏豊から左安打・28歳2ヶ月・1041試合目) ※史上72人目
通算1500試合:1973年8月28日阪神戦(1番・二塁手・32歳1ヶ月) ※史上44人目
通算1500安打:1974年4月22日巨人戦(小川邦和から右安打・32歳9ヶ月・1547試合目) ※史上29人目
通算2000安打:1978年4月5日広島戦(高橋里志から中安打・36歳8ヶ月・1998試合目) ※史上11人目
通算2000試合:1978年4月7日巨人戦(1番・二塁手・36歳8ヶ月) ※史上12人目


184 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:12:51 6KymTMsY

【142人目】

・藤井栄治 1940年2月1日生 外野手 右投左打
経歴:登美丘高→関西大→阪神(62-73)→太平洋(74-76)→阪急(77-78)
達成日:1969年9月17日アトムズ戦(5番・中堅手・29歳7ヶ月)

成績:1650試合 .260 (5173-1344) 73本 545打点 446三振 467四球 38盗塁 出塁率.320 OPS.678
【試合:130位 安打:171位 本塁打:409位 打点:195位 盗塁:-位】

※関西大では六大学リーグで61年春に首位打者となり、阪神に入団すると1年目から右翼主の定位置を掴み、球団史上初のリーグ優勝に貢献し、2年後の64年にもリーグ優勝を経験。外野守備に定評があり、67年から阪神に在籍した73年までの7年間で現在でもセリーグ記録である外野手としての817守備機会連続無失策も達成した。しかし73年に新たに就任した金田正泰監督との確執もあり、トレードで太平洋に移籍。その後77年には阪急でプレーし、右の高井保弘とともに代打の切り札として活躍した。引退後は西武・近鉄・阪神でコーチなどを歴任。表情をほとんど変えないことから「鉄仮面」の愛称で呼ばれていた。

通算1000安打:1971年6月22日広島戦(西川克弘から右安打・31歳4ヶ月・1117試合目) ※史上78人目
通算1500試合:1976年4月22日日本ハム戦(楠城徹の代打として途中出場・36歳2ヶ月) ※史上50人目


185 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:13:10 RdMW0Fu2
>>183
ジョイナス!!


186 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:13:14 6KymTMsY

【143人目】

・山本一義 1938年7月22日生 外野手 左投左打
経歴:広島商業高→法政大→広島(61-75)
達成日:1969年10月2日アトムズ戦(4番・右翼手・31歳2ヶ月)

成績:1594試合 .270 (4846-1308) 171本 655打点 519三振 629四球 22盗塁 出塁率.360 OPS.792
【試合:147位 安打:183位 本塁打:134位 打点:139位 盗塁:-位】

※法政大では六大学リーグ史上初の4年8季全試合フル出場を達成し、全12球団からの誘いを受けた中で広島に入団。1年目から中軸打者として起用されると、徐々に成績を伸ばして66年には打率3割をマークして外野手のベストナインを獲得。その後も低迷期だった60年代の広島の中心選手として活躍し、主将とコーチを兼任しつつ迎えた75年に控え選手ながら初優勝を経験し、日本シリーズでも第2戦で本塁打を放った。同年限りで引退し、その後は広島や近鉄、南海のコーチやロッテの監督を務め、計4球団において高橋慶彦や長嶋清幸、高沢秀昭や山本和範、金本知憲といった数々の名打者たちを育て上げた。

通算1000安打:1971年5月20日中日戦(田辺修から右安打・32歳9ヶ月・1152試合目) ※史上76人目
通算1500試合:1974年8月13日阪神戦(1番・左翼手・36歳0ヶ月) ※史上47人目


187 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:13:41 6KymTMsY

【144人目】

・今津光男 1938年7月8日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:尼崎高→中日(57-64)→広島(65-73)→阪急(74-75)→日本ハム(76)
達成日:1969年10月12日巨人戦(9番・遊撃手・31歳3ヶ月)

成績:1389試合 .196 (2776-544) 18本 157打点 361三振 131四球 114盗塁 出塁率.236 OPS.491
【試合:239位 安打:633位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:200位】

※尼崎高では投手として甲子園に3度出場し、中日に入団すると1年目にウエスタンリーグで最優秀防御率を獲得する。その後自らの希望で遊撃手に転向すると、2年目の58年には牧野茂に代わって1度はレギュラーを掴むも、翌年以降は前田益穂に譲り準レギュラーとなる。その後広島に移籍し、古葉竹識と二遊間を組み、68年には12年目にして初めて規定打席に到達して球団初のAクラス入りに貢献。以降は三村敏之の台頭もあり、74年に阪急、76年にはコーチ兼任で日本ハムに移籍し20年間のプロ生活を送った。引退後は日本ハムやオリックス、近鉄でコーチを歴任した。


188 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:14:05 6KymTMsY

【145人目】

・岡村浩二 1940年11月10日生 捕手 右投右打
経歴:高松商業高→立教大(中退)→阪急(61-71)→東映・日拓・日本ハム(72-74)
達成日:1970年5月22日西鉄戦(7番・捕手・29歳7ヶ月)

成績:1370試合 .224 (3793-848) 85本 395打点 628三振 279四球 14盗塁 出塁率.284 OPS.608
【試合:251位 安打:394位 本塁打:352位 打点:352位 盗塁:-位】

※立教大を中退して61年に阪急に入団。3年目の63年には山下健から正捕手の座を奪うと、以降は71年まで9年間にわたって100試合以上に出場するなど野村克也の影に隠れながらもパリーグを代表する捕手へと成長。67年からのチームの3連覇にも貢献し、69年にはベストナインも獲得。なお同年の日本シリーズ第4戦ではホームベースでのクロスプレーの判定を巡り、シリーズ史上初の退場処分を受けたことでも有名である。その後71年オフに同じく立教大出身の種茂雅之らとの正捕手同士のトレードで東映へ移籍。73年には高橋直樹をリードしてノーノーも達成している。引退後は高松市で飲食店やスナックを経営した。


189 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:14:26 6KymTMsY

【146人目】

・柳田利夫 1936年8月18日生 外野手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:内郷高→常磐炭鉱→大毎(58-62)→巨人(63-67)→南海(67-70)
達成日:1970年5月31日阪急戦(7番・左翼手・33歳9ヶ月)

成績:1031試合 .234 (2696-630) 68本 287打点 478三振 230四球 83盗塁 出塁率.300 OPS.661
【試合:472位 安打:555位 本塁打:432位 打点:517位 盗塁:298位】

※大毎では3年目の60年に1番・遊撃手としてミサイル打線のリードオフマンに定着。同年のシーズン途中に榎本喜八の素振りしたバットが顎を直撃し、流血しながら倒れ込む事故があったもののすぐに復活し、チームの10年ぶりのリーグ優勝に貢献。その後62年オフにトレードで巨人に移籍し、こちらでは主に外野手として起用され、翌63年には日本シリーズ第7戦で稲尾和久から初回先頭打者弾を放つなど日本一に貢献した。67年シーズン途中には南海に移籍し、68年には5番打者として自己最多の15本塁打・68打点をマークした。1000試合出場を達成した70年限りで現役を引退。


190 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:14:47 6KymTMsY

【147人目】

・伊藤竜彦 1940年10月19日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:中京商業高→中日(59-70)→近鉄(71)
達成日:1970年9月6日大洋戦(高木時夫に代わって右翼手として途中出場・29歳10ヶ月)

成績:1063試合 .230 (2373-546) 33本 183打点 323三振 114四球 20盗塁 出塁率.265 OPS.577
【試合:433位 安打:631位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※中京商業ではエース投手として58年春夏の甲子園に出場。中日にプロ入り後は野手に転向し、1年目からファームで打点王のタイトルを獲得。その後4年目の62年に左翼手の定位置を掴んで出場機会が急増し、64年には移籍した前田益徳に代わって三塁手に転向し、初の規定打席到達。その後は野手に転向した権藤博らと併用され、また自身も内外野問わず守るユーティリティとして重宝されて60年代の中日を支えた。トレードで移籍した近鉄で71年に引退し、その後は近鉄のスカウトとして活動した。


191 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:15:15 6KymTMsY

【148人目】

・丸山完二 1940年1月5日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:西脇高→立教大→国鉄・サンケイ・アトムズ・ヤクルト(62-71)
達成日:1970年10月8日中日戦(高倉照幸の代走として途中出場・30歳9ヶ月)

成績:1032試合 .234 (3134-733) 34本 187打点 402三振 227四球 61盗塁 出塁率.290 OPS.607
【試合:470位 安打:477位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:428位】

※立教大では60年秋に六大学リーグの首位打者となり、国鉄では1年目から1番・中堅手として起用されて126試合に出場。その後もスワローズのリードオフマンとして活躍するも、徐々に若手が台頭したこともあって68年には三塁手に転向し、城戸則文の後継として定位置を獲得。チームは振るわぬ成績が続いたが、それでも一筋で活躍し、71年に引退。その後もヤクルトに残ってコーチを20年以上にわたって歴任し、95年にはフロント入りし、定年退職する05年までスワローズを支え続けた。現在は少年野球チームの「東京神宮ジュニア」の監督を務めている。


192 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:15:37 6KymTMsY

【149人目】

・長田幸雄 1939年2月24日生 外野手 左投左打
経歴:吉田高→リッカーミシン→大洋(61-76)
達成日:1971年5月12日中日戦(山下律夫の代打として途中出場・32歳2ヶ月)

成績:1323試合 .266 (3016-802) 78本 355打点 431三振 232四球 20盗塁 出塁率.323 OPS.722
【試合:274位 安打:421位 本塁打:387位 打点:414位 盗塁:-位】

※中学まではスピードスケートをやっていたが、高校に入って野球をはじめ、リッカーミシンでは59,60年の都市対抗に連続出場。61年に大洋に入団すると2年目の62年には金光秀憲から左翼手のレギュラーを奪い、主軸打者として活躍。晩年は代打の切り札として活躍し、現在でも球団記録の122代打安打もマークしている。水虫の悪化により76年に引退し、その後は居酒屋を経営。腕っ節が強くて愛嬌のある顔から「ポパイ」の愛称で親しまれる一方で、64年の巨人戦において川崎球場の外野スタンドから瓶を投げつけられたことに激昂し、フェンスをよじ登って乱入して退場処分になったエピソードも残る。


193 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/12(水) 15:15:57 6KymTMsY

【150人目】

・柴田勲 1944年2月8日生 外野手・投手 右投両打
経歴:法政大第二高→巨人(62-81)
達成日:1971年5月23日大洋戦(1番・中堅手・27歳3ヶ月)

成績:2208試合 .267 (7570-2018) 194本 708打点 1087三振 906四球 579盗塁 出塁率.347 OPS.747
投手:6登板 0勝2敗 11.0投球回 9奪三振 4与四球 16被安打 防9.82 WHIP1.82
【試合:30位 安打:48位 本塁打:111位 打点:118位 盗塁:3位】

※法政二高では60年夏、61年春の選抜で優勝投手となり、巨人にも投手として入団。しかし「投手失格」の烙印を押されたために俊足強肩を活かすべく野手に転向し、また日本初のスイッチヒッターとなり、2年目の63年には巨人のリードオフマンに定着。「赤い手袋」をトレードマークとし、67年には70盗塁をマークするなど6度の盗塁王のタイトルを獲得し、現在でもセリーグ記録で歴代3位の通算579盗塁をあげ、巨人のV9時代を支えた。80年にはスイッチヒッター初の通算2000安打も達成し、翌81年に引退。その後は巨人のコーチを経て、その後は巨人のOB会で活動。昨年12月には会長を退任し、顧問となっている。

通算1000安打:1972年6月8日広島戦(28歳4ヶ月・1130試合目) ※史上80人目
通算1500試合:1975年5月20日ヤクルト戦(1番・中堅手・31歳3ヶ月) ※史上48人目
通算1500安打:1976年5月22日大洋戦(32歳3ヶ月・1626試合目) ※史上30人目
通算2000試合:1979年5月23日阪神戦(1番・中堅手・35歳3ヶ月) ※史上13人目
通算2000安打:1980年8月7日ヤクルト戦(酒井圭一から・36歳5ヶ月・2143試合目) ※史上13人目


194 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 00:12:27 q0/GgSXQ
いつも乙シャス!


195 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:10:10 SQijwYps

【151人目】

・樋口正蔵 1939年9月26日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:浪華商業高→法政大→南海(62-71)
達成日:1971年7月3日西鉄戦(三浦清弘の代打として途中出場・31歳9ヶ月)

成績:1036試合 .281 (2847-800) 15本 212打点 174三振 168四球 41盗塁 出塁率.313 OPS.655
【試合:458位 安打:424位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:580位】

※法政大では六大学リーグで4度の優勝を経験し、60年には全日本でも優勝。南海に入団すると2年目には穴吹義雄に代わって右翼手の定位置を奪い、「400フィート打線」の1番打者としてリーグ3位の打率.313をマーク。翌64年にはカールトン半田コーチから伝授されたドラッグバントを武器に現在でも歴代最多となるシーズン55本の内野安打を達成し、リーグ優勝・日本一に貢献。その後も主に2番打者として活躍し、60年代の南海を支えた。1000試合出場を達成した71年限りで引退し、その後は大阪でネジの製造や卸売りを行う会社の社長となっている。


196 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:10:35 SQijwYps

【152人目】

・山口富士雄 1942年7月16日生 二塁手・遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:高松商業高→立教大(中退)→阪急(63-73)→大洋(73)
達成日:1971年7月7日西鉄戦(阪本敏三に代わって遊撃手として途中出場・28歳11ヶ月)

成績:1230試合 .226 (3201-724) 30本 224打点 317三振 142四球 104盗塁 出塁率.264 OPS.571
【試合:331位 安打:486位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:231位】

※高松商業高では60年春の選抜で主将として臨み、米子東との決勝では同点で迎えた9回に史上初の決勝戦サヨナラ本塁打を放って全国制覇を経験。その後立教大に進むも中退し、63年に阪急に入団。1年目から内野のユーティリティとして重宝され、66年には遊撃手の定位置を確保。翌67年からは二塁手に回り、住友平とともにポジションを争いながらも、同年からのリーグ3連覇に貢献。68年の日本シリーズでは第6戦で堀内恒夫から代打本塁打も放った。その後73年にトレードで大洋に移籍するも打撃不振に苦しみ、同年限りで引退。その後は古巣・阪急に戻ってコーチを務めた。


197 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:10:57 SQijwYps

【153人目】

・重松省三 1940年1月5日生 外野手 右投右打
経歴:今治西高→松山商科大→西濃運輸→大洋(62-75)
達成日:1971年7月12日阪神戦(1番・中堅手・31歳6ヶ月)

成績:1398試合 .251 (3519-882) 95本 317打点 393三振 186四球 67盗塁 出塁率.293 OPS.675
【試合:235位 安打:374位 本塁打:313位 打点:472位 盗塁:384位】

※西濃運輸から大洋に入団すると、3年目の64年に1番・中堅手の定位置を獲得し、リーグ7位の打率.296 15本塁打をマークして球宴出場、そしてベストナインのタイトルを獲得。その後もチャンスメーカーとして活躍し、60年代の大洋を支えた。なお67年にはダブルヘッダー第1戦で代打サヨナラ本塁打、続く第2戦では1番打者として先発し、初回先頭打者本塁打を放つ離れ業を見せている。その後は江藤慎一の移籍や中塚正幸の台頭もあり、75年に現役引退。その後も大洋に残り、コーチやスカウトを歴任し、特にスカウトとしては名助っ人であるポンセの獲得に尽力した。


198 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:11:25 SQijwYps

【154人目】

・松原誠 1944年1月13日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:飯能高→大洋(62-80)→巨人(81)
達成日:1971年8月29日巨人戦(5番・三塁手・27歳7ヶ月)

成績:2190試合 .276 (7579-2095) 331本 1180打点 739三振 587四球 82盗塁 出塁率.330 OPS.794
【試合:31位 安打:34位 本塁打:37位 打点:26位 盗塁:304位】

※大洋では捕手として入団するも、能力に限界を感じて一塁手に転向。近藤和彦が中堅手に回ったために定位置を掴み、さらにスチュアートの入団もあって67年からは三塁手としてもプレー。徐々に打撃成績も向上し、70年には30本塁打を放ち、そこから8年連続で20本塁打をマークするなど低迷していたチームの中で4番打者として奮闘。ONの影に隠れ、打撃タイトルやベストナインにまったく縁がなかったが、それでも毎年高いレベルの成績を残し、80年には通算2000安打も達成。81年にトレードで巨人に移籍し、プロ入り20年目にして初の優勝を経験した。引退後は大洋や巨人、広島でコーチを歴任。

通算1000安打:1973年4月22日巨人戦(小川邦和からソロ・29歳3ヶ月・1158試合目) ※史上82人目
通算1500試合:1975年8月21日ヤクルト戦(3番・一塁手・31歳7ヶ月) ※史上49人目
通算1500安打:1976年7月11日広島戦(佐伯和司から左安打・32歳5ヶ月・1603試合目) ※史上31人目
通算2000試合:1979年8月12日巨人戦(基満男に代わって一塁手として途中出場・35歳6ヶ月) ※史上14人目
通算2000安打:1980年4月23日阪神戦(長谷川勉から3ラン・36歳3ヶ月・2055試合目) ※史上12人目


199 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:11:50 SQijwYps

【155人目】

・安井智規 1943年1月25日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:大阪高→近鉄(61-76)
達成日:1971年10月9日南海戦(佐野勝稔の代打として途中出場・28歳8ヶ月)

成績:1288試合 .230 (3394-782) 20本 199打点 325三振 146四球 200盗塁 出塁率.266 OPS.557
【試合:296位 安打:436位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:75位】

※大阪高から61年に近鉄に入団。当時弱小だったチームにおいて打撃に苦しみながらも辛抱強く1軍で起用され続け、6年目の66年には矢ノ浦国満がサンケイに移籍したために遊撃手の定位置を獲得。俊足を活かして1番打者に抜擢され、68年には自己最多の54盗塁をマークして、球団では鈴木武以来14年ぶり2人目の盗塁王となる。その後も小技も得意なチャンスメーカーとして活躍し、一枝修平に遊撃手の座を譲った後も二塁や三塁でも起用されるなどユーティリティとして重宝された。引退後も近鉄に残ってコーチや2軍監督を歴任した。


200 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:12:11 SQijwYps

【156人目】

・西田孝之 1940年8月2日生 外野手 右投右打
経歴:南宇和高→伊予銀行→大毎・東京・ロッテ(62-72)
達成日:1972年5月4日南海戦(得津高宏に代わって右翼手として途中出場・31歳9ヶ月)

成績:1035試合 .235 (1788-421) 25本 123打点 277三振 108四球 138盗塁 出塁率.294 OPS.639
【試合:462位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:153位】

※大毎では2年目の63年に1軍に定着すると、4年目の65年には中堅手の定位置を獲得…したかと思えば、翌66年には池辺巌の台頭により、以降も激しいレギュラー争いを演じることとなり、その中の67年には先発出場は62試合に止まり、規定打席にも100打席以上下回った中で、32盗塁をマークして同年の盗塁王のタイトルを獲得する。その後はさらにアルトマン、ロペスといった助っ人外野手も増えたことでほぼ控え選手になりながらもオリオンズ一筋で活躍し、70年のリーグ優勝にも貢献した。引退後はサラリーマン生活を挟んで82年からは日本ハムのコーチ、92年からは選手寮の寮長も務めた。


201 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:12:35 SQijwYps

【157人目】

・国貞泰汎 1944年1月1日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:呉港高→南海(62-69)→広島(70-74)→太平洋(75)
達成日:1972年6月15日中日戦(3番・二塁手・28歳5ヶ月)

成績:1252試合 .261 (3743-977) 57本 347打点 382三振 315四球 52盗塁 出塁率.321 OPS.675
【試合:317位 安打:317位 本塁打:496位 打点:425位 盗塁:485位】

※呉港高では練習中にあまりにホームランを出すために彼のためだけにフェンスを作るほどの逸話を持ち、62年に南海に入団。3年目の64年に二塁手のレギュラーを掴むと、同年のリーグ優勝・日本一に貢献。66年には三塁手としても兼用されベストナイン投票では二塁・三塁の双方で得票数1位(票数の多い二塁で受賞し、三塁は2位のロイが繰り上がり受賞)になった。70年に古葉竹識とのトレードで広島に移籍し、こちらでも粘り強い打撃を武器に71年に二塁手のベストナインを受賞した。75年に移籍した太平洋で引退し、その後は長らく広島で解説者として活動。向こう気の強い選手で知られ、「ゴリ」の愛称で親しまれた。


202 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:12:56 SQijwYps

【158人目】

・伊藤勲 1942年5月14日生 捕手 右投右打
経歴:東北高→大洋(61-78)→南海(79-81)
達成日:1972年6月24日阪神戦(7番・捕手・30歳1ヶ月)

成績:1771試合 .231 (4572-1054) 152本 495打点 850三振 355四球 16盗塁 出塁率.292 OPS.663
【試合:100位 安打:282位 本塁打:172位 打点:225位 盗塁:-位】

※61年に大洋に入団し、4年目の64年に土井淳から正捕手の座を奪うと、69年には現在でも球団捕手最多となる23本塁打を放ち、73年には全試合に出場するなど60年代後半から70年代前半の大洋における大黒柱として活躍。その後は福嶋久晃の台頭や阪神から移籍してきた辻恭彦との併用となり、79年に佐藤道郎とのトレードで田村政雄とともに南海に移籍。同年には史上最遅となる1695試合目での通算1000安打も達成した。プロ入り21年目の81年に引退後は大洋やNTT東日本のコーチとして活動。かつて「ドサ回り」と呼ばれた本拠地以外の主催試合で活躍することが多く、「ドサキング」と呼ばれていた。

通算1500試合:1976年8月29日広島戦(6番・捕手・32歳3ヶ月) ※史上51人目
通算1000安打:1979年8月11日阪急戦(白石静生からソロ・37歳2ヶ月・1695試合目) ※史上114人目・史上最遅


203 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:13:17 SQijwYps

【159人目】

・白仁天 1943年11月27日生 外野手・捕手 右投右打
経歴:京東高→韓国農業銀行→東映・日拓・日本ハム(62-74)→太平洋(75-76)→ロッテ(77-80)→近鉄(81)
達成日:1972年6月30日ロッテ戦(1番・中堅手・28歳7ヶ月)

成績:1969試合 .278 (6579-1831) 209本 776打点 471三振 322四球 212盗塁 出塁率.316 OPS.746
【試合:56位 安打:68位 本塁打:93位 打点:103位 盗塁:69位】

※東映には捕手として入団し、一時は正捕手となるもその後65年に外野手に転向。シュアで確実性のある打撃を武器にチームのクリーンアップとして活躍した。その後75年に東田正義とのトレードで太平洋に移籍すると、同年には打率.319をマークし、史上初となる規定打席ちょうどでの首位打者となり、ベストナインにも選出。以降はロッテや近鉄でもプレーし、82年に発足した韓国プロ野球でMBC青龍の選手兼任監督となり、打率.412をマークして現在でも韓国史上唯一の4割打者となった。韓国野球界ではプロ選手の草分け的存在であり、現役引退後も韓国プロ野球の指導者として長らく活動するなど重鎮として知られる。

通算1000安打:1972年10月10日阪急戦(石井茂雄から中安打・28歳10ヶ月・1068試合目) ※史上81人目
通算1500試合:1976年10月6日南海戦(5番・中堅手・32歳10ヶ月) ※史上52人目
通算1500安打:1977年7月13日日本ハム戦(野村収から左安打・33歳7ヶ月・1568試合目) ※史上32人目


204 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/13(木) 15:13:45 SQijwYps

【160人目】

・種茂茂之 1938年2月13日生 捕手 右投右打
経歴:静岡高→立教大→丸善石油→東映(61-71)→阪急(72-74)
達成日:1972年7月5日西鉄戦(7番・捕手・34歳4ヶ月)

成績:1190試合 .243 (3024-736) 29本 247打点 255三振 136四球 21盗塁 出塁率.285 OPS.605
【試合:359位 安打:475位 本塁打:-位 打点:591位 盗塁:-位】

※立教大では長嶋茂雄ら「立教三羽烏」の2年後輩であり、自身も4年次に正捕手として活躍。その後丸善石油を経て61年の都市対抗終了後に東映に入団。2年目の62年には安藤順三との併用されながらも球団初のリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは5安打6打点の活躍で胴上げ投手となった土橋正幸とともに史上唯一のダブルMVPに選ばれた。その後66年にはリーグ5位の打率.291をマークするなど長らく東映の正捕手として活躍したが、72年に岡村浩二らとの正捕手同士のトレードで阪急に移籍。同年にはチームの2連覇に貢献し、ダイヤモンドグラブ賞の初代受賞者となった。引退後は阪急や日本ハムでコーチや2軍監督を務めた。


205 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:26:09 Bvf7QMoM

【161人目】

・池辺巌 1944年1月18日生 外野手・三塁手・投手 右投右打
経歴:海星高→大毎・東京・ロッテ(62-74)→阪神(75-78)→近鉄(79)
達成日:1972年8月30日東映戦(5番・中堅手・28歳7ヶ月)

成績:1732試合 .264 (5208-1377) 156本 564打点 674三振 250四球 108盗塁 出塁率.308 OPS.704
投手:1登板 0勝0敗 3.0投球回 1奪三振 2与四球 2被安打 防0.00 WHIP1.33
【試合:104位 安打:163位 本塁打:160位 打点:188位 盗塁:215位】

※海星高ではエースとして61年春夏の甲子園に連続出場を果たし、卒業後に大毎に入団。しかし投手としては芽が出ず入団直後に打者に転向。3年目の64年に1軍定着を果たすと、66年には中堅手の定位置を獲得し、69年にはリーグ3位の打率.322をマークして翌70年にも2番打者としてリーグ優勝に貢献した。72年には第1回ダイヤモンドグラブ賞も受賞。その後75年に3対3のトレードで阪神に移籍し、翌76年には自身2度目のダイヤモンドグラブ賞を受賞した。79年に移籍した近鉄で引退し、その後は解説者を経て近鉄、南海・ダイエー、大洋、ロッテでコーチや2軍監督、スカウトを歴任した。

通算1000安打:1975年5月5日広島戦(池谷公二郎から左安打・31歳3ヶ月・1240試合目) ※史上89人目
通算1500試合;1977年5月24日大洋戦(7番・中堅手・33歳4ヶ月) ※史上54人目


206 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:26:36 Bvf7QMoM

【162人目】

・高木喬 1940年6月17日生 一塁手 左投左打
経歴:三国丘高→法政大→近鉄(63-67)→西鉄・太平洋(68-73)
達成日:1972年9月2日阪急戦(泉沢彰の代打として途中出場・32歳2ヶ月)

成績:1074試合 .266 (2767-736) 41本 271打点 243三振 308四球 15盗塁 出塁率.343 OPS.697
【試合:423位 安打:475位 本塁打:-位 打点:544位 盗塁:-位】

※法政大では六大学リーグで3度の優勝を経験し、63年に近鉄に入団。大型選手として期待されるも長打力ではなく、確実な打撃を武器にチームの中心打者となり、65年にはリーグ3位の打率.304をマークし、一塁手のベストナインを受賞した。その後2対2のトレードで西鉄へ移籍すると、広野功と併用されながらも70年代前半にかけて一塁手として活躍した。73年に現役を引退すると、その後は大阪工業大学に入学。一級建築士の資格を取得し、建築設計の事務所を開設して第2の人生を送った。


207 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:26:58 Bvf7QMoM

【163人目】

・木俣達彦 1944年7月7日生 捕手 右投右打
経歴:中京商業高→中京大→中日(64-82)
達成日:1972年9月7日広島戦(5番・捕手・28歳2ヶ月)

成績:2142試合 .277 (6762-1876) 285本 872打点 915三振 547四球 20盗塁 出塁率.336 OPS.783
【試合:38位 安打:62位 本塁打:47位 打点:74位 盗塁:-位】

※中京商業では甲子園に4度出場し、京大から中日に入団。小柄でありながら強打の捕手として活躍し、69年にはセリーグの捕手としては史上初の30本塁打を達成。その後粗の多い打撃を改善するべく開発した「マサカリ打法」でアベレージヒッターとなり、74年にはリーグ2位の打率.322をマークして同年のリーグ優勝に大きく貢献するなど約15年間にわたり、中日の正捕手として活躍し、80年には同じくリーグの捕手としては史上初の2000試合出場も達成した。82年に引退後は解説者を経て中日のコーチを務め、89年のリーグ優勝にも貢献。その後は中日スポーツの評論家や中日OB会の会長も務めた。

通算1000安打:1974年7月9日ヤクルト戦(渡辺孝博から2ラン・30歳0ヶ月・1189試合目) ※史上87人目
通算1500試合:1977年4月10日巨人戦(7番・捕手・32歳9ヶ月) ※史上53人目
通算1500安打:1978年8月15日大洋戦(高橋重行から左安打・34歳1ヶ月・1702試合目) ※史上35人目
通算2000試合:1981年4月30日広島戦(7番・捕手・36歳9ヶ月) ※史上15人目


208 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:27:19 Bvf7QMoM

【164人目】

・青野修三 1939年10月13日生 二塁手 右投右打
経歴:西条高→立教大→東映(62-69)→南海(70-73)→ロッテ(74)
達成日:1973年5月30日ロッテ戦(阪田隆の代打として途中出場・33歳7ヶ月)

成績:1055試合 .260 (3014-785) 45本 262打点 353三振 240四球 31盗塁 出塁率.319 OPS.673
【試合:443位 安打:433位 本塁打:-位 打点:563位 盗塁:-位】

※立教大では六大学リーグで3度の優勝を経験し、62年に東映に入団。同じく新人だった岩下光一とともに二遊間コンビを組み、同年には球団初のリーグ優勝・日本一に貢献した。小技を得意としており、1年目から5年連続でリーグ最多犠打も記録していたが、その後は大下剛史や大橋穣の入団もあってポジションを失い、70年に南海に移籍。南海では主に代打として起用され、70,71年には2年連続で代打満塁本塁打を放っている。また73年のリーグ優勝にも貢献し、日本シリーズでも代打として2打数2安打をマークした。74年に移籍したロッテで引退し、その後は大阪・千里で美術工芸品店を営んだ。


209 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:28:03 Bvf7QMoM

【165人目】

・土井正三 1942年6月28日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:育英高→立教大→巨人(65-78)
達成日:1973年6月17日広島戦(島野修の代打として途中出場・30歳11ヶ月)

成績:1586試合 .263 (4853-1275) 65本 425打点 393三振 340四球 135盗塁 出塁率.314 OPS.663
【試合:150位 安打:200位 本塁打:449位 打点:314位 盗塁:160位】

※立教大から65年に巨人に入団すると、1年目から二塁手として105試合に出場してリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでは第5戦でサヨナラ打も放って日本一も経験。その後はV9時代の主力選手となり、主に2番打者としてONコンビへの繋ぎ役として活躍。また堅実な守備に加えて走塁技術も高く、69年の日本シリーズにおける阪急捕手・岡村浩二のシリーズ史上初の退場処分に繋がる本塁突入の走塁でも名声を挙げた。自身初のダイヤモンドグラブ賞を受賞した78年限りで引退し、その後は巨人のコーチを経て、91〜93年にはオリックスの監督も務めた。監督退任後は再び巨人に戻り、仁志敏久を正二塁手に育てあげた。

通算1000安打:1975年9月4日大洋戦(山下律夫から三安打・33歳2ヶ月・1243試合目) ※史上93人目
通算1500試合:1978年5月12日中日戦(2番・二塁手・35歳10ヶ月) ※史上56人目


210 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:28:30 Bvf7QMoM

【166人目】

・大杉勝男 1945年3月5日生 一塁手 右投右打
経歴:関西高→丸井→東映・日拓・日本ハム(65-74)→ヤクルト(75-83)
達成日:1973年6月23日阪急戦(5番・一塁手・28歳3ヶ月)

成績:2235試合 .287 (7763-2228) 486本 1507打点 1116三振 713四球 32盗塁 出塁率.350 OPS.869
【試合:24位 安打:18位 本塁打:9位 打点:9位 盗塁:-位】

※65年に入団テストを経て東映に入団すると、3年目の67年に飯島滋弥コーチの「月に向かって打て」という助言で打撃が覚醒し、70〜72年には3年連続で40本塁打をマークし、その3年間で本塁打王・打点王のタイトルを2度ずつ獲得。その後74年オフにトレードでヤクルトに移籍すると78年の球団初優勝に貢献し、日本シリーズではシリーズ最多となる10打点をマークしてシリーズMVPも獲得した。81年には通算2000安打、そして83年には史上初の両リーグ1000試合出場・1000安打も達成し、同年限りで引退。その後は解説者を経て90年に大洋のコーチに就任するも、92年に肝臓癌により47歳という若さで逝去。97年に殿堂入り。

通算1000安打:1973年8月2日阪急戦(米田哲也から2ラン・28歳4ヶ月・1018試合目) ※史上83人目
通算1500試合:1977年6月22日中日戦(5番・一塁手・32歳3ヶ月) ※史上55人目
通算1500安打:1977年8月25日阪神戦(益山性旭から2ラン・32歳5ヶ月・1532試合目) ※史上33人目
通算2000安打:1981年7月21日中日戦(小松辰雄から左二塁打・36歳4ヶ月・1997試合目) ※史上14人目
通算2000試合:1981年7月31日大洋戦(4番・一塁手・36歳4ヶ月) ※史上16人目


211 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:28:51 Bvf7QMoM

【167人目】

・黒江透修 1938年12月12日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:鹿児島高→杵島炭鉱→日炭高松→立正佼成会→巨人(64-74)
達成日:1973年7月8日中日戦(6番・二塁手・34歳6ヶ月)

成績:1135試合 .265 (3478-923) 57本 371打点 337三振 253四球 127盗塁 出塁率.322 OPS.690
【試合:386位 安打:345位 本塁打:496位 打点:382位 盗塁:177位】

※立正佼成会時代には都市対抗に4度出場し、熊谷組の補強選手として出場した64年には8打席連続安打もマーク。165cmと小柄であり、少し太っていたことから「豆タンク」と呼ばれ、巨人では堅実な守備を武器に土井正三とともにV9時代の内野の要となり、68年には遊撃手のベストナインを獲得。翌69年にはリーグ6位の打率.293をマーク。その後は二塁手も兼ねながらもレギュラー選手として活躍し、74年に長嶋茂雄とともに引退。その後は巨人をはじめ、中日・西武・ロッテ・ダイエー・横浜の計6球団でコーチや2軍監督を歴任。そのうち4球団でリーグ優勝を経験した。


212 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:29:16 Bvf7QMoM

【168人目】

・福富邦夫 1943年4月23日生 外野手 左投左打
経歴:広陵高→神奈川大(中退)→国鉄・サンケイ・アトムズ・ヤクルト(65-72)→太平洋(73-74)→ヤクルト(75-80)
達成日:1973年9月2日近鉄戦(6番・中堅手・30歳4ヶ月)

成績:1616試合 .255 (4217-1076) 89本 425打点 713三振 357四球 70盗塁 出塁率.316 OPS.699
【試合:144位 安打:270位 本塁打:336位 打点:314位 盗塁:365位】

※神奈川大を中退して国鉄に入団すると、1年目から外野手の定位置をつかむと、武上四郎の入団後は1,2番コンビを形成。頭上でバットをくるっと回してからスイングする「円月打法」と呼ばれる独特なフォームを武器に、堅実で勝負強い打撃で時にはチームの中軸を担った。73年にトレードで太平洋に移籍し、こちらでもレギュラー外野手として2年間プレーした後、再度トレードで75年にヤクルトへ復帰。その後は主に代打の切り札として活躍し、78年の球団初優勝・初日本一に貢献した。引退後はヤクルトのコーチだけでなく、台湾・韓国、そして近鉄のコーチも歴任し、近年では四国学院大の監督も務めた。

通算1000安打:1978年4月8日広島戦(北別府学からソロ・34歳11ヶ月・1428試合目) ※史上107人目
通算1500試合:1979年5月13日阪神戦(杉村繁の代打として途中出場・36歳0ヶ月) ※史上61人目


213 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:29:36 Bvf7QMoM

【169人目】

・船田和英 1942年5月5日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:浜松商業高→北洋水産→巨人(62-65)→西鉄(66-71)→ヤクルト(72-80)
達成日:1973年9月8日阪神戦(2番・二塁手・31歳4ヶ月)

成績:1730試合 .251 (5094-1281) 105本 446打点 706三振 350四球 175盗塁 出塁率.304 OPS.661
【試合:106位 安打:196位 本塁打:272位 打点:284位 盗塁:96位】

※浜松商業高ではサッカー部に入る予定だったが、家に貰い物で新品のスパイクがあったという理由で野球部に入部。その後北洋水産を経て系列会社である大洋…ではなく巨人に入団。2年目の63年にはレギュラー争いを制して正二塁手となるも、翌年以降は打撃面で伸び悩み、66年にトレードで西鉄へ移籍すると遊撃手となって2番打者に定着。しかし70年の黒い霧事件に関わったことも響き、72年にヤクルトへ移籍。内外野問わず守れるユーティリティとして重宝され、76年には三塁手として打率3割もマークし、カムバック賞も受賞した。78年の球団初優勝にも貢献し、80年に引退後もヤクルトに残ってコーチを務めた。

通算1000安打:1976年10月12日広島戦(北別府学から中二塁打・34歳5ヶ月・1373試合目) ※史上99人目
通算1500試合:1978年6月1日中日戦(小林国男の代打として途中出場・36歳0ヶ月) ※史上58人目


214 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/14(金) 15:29:57 Bvf7QMoM

【170人目】

・山崎裕之 1946年12月22日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:上尾高→東京・ロッテ(65-78)→西武(79-84)
達成日:1974年5月21日太平洋戦(5番・二塁手・27歳4ヶ月)

成績:2251試合 .265 (7845-2081) 270本 985打点 1267三振 842四球 137盗塁 出塁率.339 OPS.768
【試合:20位 安打:37位 本塁打:56位 打点:48位 盗塁:156位】

※戦後生まれの選手としては初の達成者。上尾高では63年春の選抜にリリーフ登板。また64年には東京五輪の聖火ランナーも務めていた。「長嶋2世」と期待され、各球団の競合の末にオリオンズに入団。1年目から1軍で起用され、3年目の67年には遊撃手の定位置を掴む。その後69年以降は二塁手に転向し、同年に打率3割をマークしたことでブレイク。70,74年にはチームの中軸打者として2度のリーグ優勝に貢献した。その後78年にトレードで西武に移籍。西武では主に1,2番打者として起用され、83年には通算2000安打も達成し、打撃タイトルとは縁がなかったものの名球会入りを果たした。引退後は解説者として活動。

通算1000安打:1975年7月13日太平洋戦(東尾修から中安打・28歳6ヶ月・1154試合目) ※史上91人目
通算1500試合:1978年5月27日日本ハム戦(4番・二塁手・31歳5ヶ月) ※史上57人目
通算1500安打:1979年10月10日日本ハム戦(宇田東植から中安打・32歳9ヶ月・1652試合目) ※史上36人目
通算2000試合:1982年8月17日南海戦(2番・二塁手・35歳7ヶ月) ※史上17人目
通算2000安打:1983年9月18日ロッテ戦(仁科時成から右三塁打・36歳8ヶ月・2140試合目) ※史上18人目


215 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:09:31 W7p0VjH6

【171人目】

・藤田平 1947年10月19日生 右投左打 遊撃手・一塁手・三塁手
経歴:和歌山商業高→65年ドラフト2位→阪神(66-84)
達成日:1974年5月30日巨人戦(1番・遊撃手・26歳7ヶ月)

成績:2010試合 .286 (7217-2064) 207本 802打点 679三振 526四球 85盗塁 出塁率.336 OPS.771
【試合:49位 安打:38位 本塁打:96位 打点:94位 盗塁:288位】

※ドラフト入団選手では初の達成者。和歌山商では65年春の選抜で当時新記録の大会20塁打も達成するなど準優勝を経験し、同年の第1回ドラフトで阪神に2位指名を受けて入団。2年目の67年には吉田義男を二塁に追いやる形で遊撃手の定位置を掴み、毎年のようにベストナインを獲得するなどリーグを代表するショートに成長。78年には208打席連続無三振の記録も達成。その後は故障に苦しみながらも、81年には打率.358で首位打者となり、カムバック賞も受賞。そして83年には球団生え抜きとしては初の2000安打も達成した。引退後は96年に阪神の監督を務め、以降もBCリーグ福井の初代監督などとして活動した。

通算1000安打:1973年10月10日巨人戦(倉田誠から中安打・25歳11ヶ月・956試合目) ※史上84人目
通算1500安打:1978年4月25日広島戦(江夏豊から左二塁打・30歳6ヶ月・1401試合目) ※史上34人目
通算1500試合:1978年9月9日ヤクルト戦(3番・一塁手・30歳10ヶ月) ※史上59人目
通算2000安打:1983年5月3日巨人戦(角三男から左安打・35歳6ヶ月・1875試合目) ※史上15人目
通算2000試合:1984年8月25日大洋戦(岡田彰布に代わって一塁手として途中出場・36歳10ヶ月) ※史上20人目


216 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:09:54 W7p0VjH6

【172人目】

・長池徳二(長池徳士) 1944年2月21日生 外野手 右投右打
経歴:撫養高→法政大→65年ドラフト1位→阪急(66-79)
達成日:1974年6月8日南海戦(4番・右翼手・30歳3ヶ月)

成績:1449試合 .285 (4872-1390) 338本 969打点 516三振 546四球 98盗塁 出塁率.361 OPS.895
【試合:214位 安打:155位 本塁打:34位 打点:51位 盗塁:247位】

※ドラ1選手としては初の達成者。法政大では在学中に3度の優勝を経験して第1回ドラフトで1位指名を受けて阪急に入団。青田昇コーチの指導の下で左肩に顎を乗せる独特なフォームを編み出し、2年目の67年には4打席連続本塁打を放ってリーグ優勝に貢献し、この年から阪急黄金時代の4番打者として活躍。69年には41本・101打点で本塁打王・打点王の二冠となりMVPも受賞。以降も71年に2度目のMVP、73年にも再び二冠王となるなど数多くのタイトルを獲得。75年にはこの年から導入されたDHのベストナインにも選出された。引退後は阪急をはじめ、西武・南海・横浜・ロッテのコーチを歴任し、数多くの打者を育て上げた。

通算1000安打:1974年4月10日日本ハム戦(三浦政基から中安打・30歳1ヶ月・953試合目) ※史上85人目


217 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:10:31 W7p0VjH6

【173人目】

・江尻亮 1943年1月10日生 外野手・投手 左投左打
経歴:日立第一高→早稲田大→大洋(65-79)
達成日:1974年6月9日阪神戦(2番・右翼手・31歳4ヶ月)

成績:1485試合 .271 (4603-1249) 116本 436打点 449三振 267四球 82盗塁 出塁率.317 OPS.719
投手:10登板 0勝1敗 17.2投球回 7奪三振 4与四球 19被安打 防3.50 WHIP1.30
【試合:200位 安打:206位 本塁打:242位 打点:295位 盗塁:304位】

※早稲田大では当時六大学リーグ新記録となる46.2投球回連続無失点を達成。打者としても評価も高く大洋では1年目から二刀流として起用されるも、投手としては思うように結果を残せず、3年目の67年からは打者に専念。69年には5番・中堅手として自己最多の18本塁打を放ち、70年には4番となり、ベストナインも獲得。その後は1,2番打者を務めることが多く73年にも2度目のベストナインを獲得。しかし77年に頭部死球を受けた影響もあってそれ以降は出場機械を減らし、79年に引退。引退後は大洋のコーチやスカウトを歴任し、92年には大洋最後の監督に就任。さらにその後はロッテに移籍し、96年には監督を務めた。

通算1000安打:1975年5月21日中日戦(星野仙一から・32歳4ヶ月・1111試合目) ※史上90人目


218 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:10:57 W7p0VjH6

【174人目】

・一枝修平 1940年7月24日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:上宮高→明治大→河合楽器→中日(64-71)→近鉄(72-73)→阪神(74)
達成日:1974年6月22日巨人戦(2番・二塁手・33歳10ヶ月)

成績:1033試合 .244 (3136-766) 52本 255打点 457三振 198四球 30盗塁 出塁率.293 OPS.637
【試合:468位 安打:452位 本塁打:539位 打点:575位 盗塁:-位】

※河合楽器では63年の都市対抗でチームのベスト4入りに貢献し、中日に入団すると3年目の66年に遊撃手の定位置を獲得。119試合に出場して同年のベストナインを獲得する。なお同年に江夏豊が401奪三振の日本記録を達成しているがその401個目を奪われている。その後も中日の正遊撃手として高木守道と二遊間を組み続けるも、72年にトレードで近鉄に移籍。近鉄でも1年目こそ遊撃手として活躍するも2年目は出場機会を減らし、74年に移籍した阪神で同年限りで引退。その後は阪神や中日のコーチを歴任し、85年には吉田義男監督の参謀格として手腕を発揮し、球団のリーグ優勝・日本一に貢献した。


219 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:11:21 W7p0VjH6

【175人目】

・島野育夫 1944年3月30日生 外野手 右投右打
経歴:作新学院高→明電舎→中日(63-68)→南海(68-75)→阪神(76-80)
達成日:1974年7月13日阪急戦(門田博光に代わって中堅手として途中出場・30歳3ヶ月)

成績:1466試合 .242 (3029-733) 24本 211打点 419三振 175四球 251盗塁 出塁率.285 OPS.598
【試合:207位 安打:477位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:42位】

※作新学院・明電舎を経て63年に中日に入団。俊足巧打の外野手として期待されるも、当時の中日は江藤慎一、中暁生、葛城隆雄と外野の層が厚く、準レギュラーの位置に留まる。そんな中で68年のシーズン途中にトレードで南海に移籍。すると外野手の定位置を獲得し、73年にはリードオフマンとして61盗塁をマークするなど才能が開花し、同年から3年連続でダイヤモンドグラブ賞も獲得。その後76年にトレードで阪神に移籍し、主に代打の切り札として活躍した。その後は阪神や中日のコーチを歴任。82年には判定を巡って審判に暴行を働くこともあったが、以降は星野監督のもとで双方の球団で優勝に貢献している。


220 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:11:41 W7p0VjH6

【176人目】

・森本潔 1942年4月13日生 三塁手・二塁手 右投右打
経歴:西条高→立教大(中退)→三協精機→阪急(63-76)→中日(77-79)
達成日:1974年7月16日ロッテ戦(5番・三塁手・32歳3ヶ月)

成績:1450試合 .248 (4516-1122) 146本 572打点 523三振 510四球 63盗塁 出塁率.328 OPS.716
【試合:212位 安打:249位 本塁打:181位 打点:178位 盗塁:414位】

※西条高では59年夏の甲子園で優勝を経験し、立教大・三協精機を経て阪急に入団。5年目の67年に三塁手の定位置を獲得すると、同年にはベストナインを獲得。その後は主に加藤秀司・長池徳二の両主砲の後を打つ5番打者として起用され、勝負強い打撃で7度のリーグ優勝・2度の日本一に貢献するなど黄金時代を支えた。76年オフに4対3の大型トレードで中日に移籍。しかし中日では大島康徳の台頭もあってあまり出番がなく、79年に引退。その後は名古屋市内でスナックを経営する傍らで解説者として活動。パーマのかかった長髪とサングラス・ヒゲをトレードマークとしたことから「森ヒゲ」の愛称で親しまれた。

通算1000安打:1976年6月1日近鉄戦(鈴木啓示から遊安打・34歳1ヶ月・1182試合目) ※史上96人目


221 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:12:02 W7p0VjH6

【177人目】

・佐野嘉幸 1944年4月1日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:甲府工業高→東映(62-71)→南海(72-75)→広島(75-79)
達成日:1974年9月26日日本ハム戦(定岡智秋の代打として途中出場・30歳5ヶ月)

成績:1189試合 .237 (3149-747) 56本 285打点 441三振 169四球 65盗塁 出塁率.280 OPS.620
【試合:360位 安打:465位 本塁打:505位 打点:519位 盗塁:400位】

※甲府工業高では4番・ショートとして62年夏の甲子園に出場。東映では4年目の65年に頭角を現し、66年には正遊撃手の座を掴む。翌年に大下剛史が入団したために三塁手に転向すると、69年には自身初の規定打席にも到達。その後72年にトレードで南海に移籍すると、小池兼司に代わって再び遊撃手の定位置を掴み、73年のリーグ優勝にも貢献した。75年のシーズン途中には広島に移籍し、同年のリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは1点を追う延長13回に試合を引き分けに持ち込む同点適時打も放った。引退後は広島や大洋、日本ハム、ロッテでコーチや2軍監督を歴任。また10〜12年にはBCリーグ・信濃の監督も務めた。


222 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:12:21 W7p0VjH6

【178人目】

・衣笠祥雄 1947年1月18日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:平安高→広島(65-87)
達成日:1975年4月24日大洋戦(5番・三塁手・28歳3ヶ月)

成績:2677試合 .270 (9404-2543) 504本 1448打点 1587三振 931四球 266盗塁 出塁率.345 OPS.820
【試合:5位 安打:5位 本塁打:7位 打点:11位 盗塁:40位】

※広島には捕手として入団するもまもなく内野手に転向。4年目の68年から一塁手として頭角を現すと、75年には三塁手となり、山本浩二とともにクリーンアップの一角を担って球団初の優勝に貢献するなど広島の黄金時代を支え、86年にはルー・ゲーリッグの持つ当時の世界記録を更新するなど引退年の最終試合まで出続け、歴代2位の2215試合連続出場を達成。プロ野球2人目の国民栄誉賞を受賞し、彼の付けた背番号「3」も球団の永久欠番となるなどまさに「鉄人」として活躍した。引退後は長らく解説者として活動。優しい解説で人気があり、18年4月の逝去も世間に大きな衝撃を与えた。96年に殿堂入り。

通算1000安打:1976年5月22日中日戦(三沢淳から中安打・29歳4ヶ月・1149試合目) ※史上95人目
通算1500試合:1978年9月25日ヤクルト戦(7番・三塁手・31歳8ヶ月) ※史上60人目
通算1500安打:1980年4月9日大洋戦(野村収から中安打・33歳2ヶ月・1766試合目) ※史上37人目
通算2000試合:1982年8月29日阪神戦(6番・三塁手・35歳7ヶ月) ※史上18人目
通算2000安打:1983年8月9日阪神戦(小林繁から左安打・36歳6ヶ月・2106試合目) ※史上16人目
通算2500試合:1986年8月10日中日戦(3番・一塁手・39歳6ヶ月) ※史上4人目
通算2500安打:1987年6月14日中日戦(江本晃一からソロ・40歳4ヶ月・2594試合目) ※史上4人目


223 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:12:45 W7p0VjH6

【179人目】

・阪本敏三 1943年7月13日生 遊撃手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:平安高→立命館大→河合楽器→66年ドラフト5位→阪急(67-71)→東映・日拓・日本ハム(72-75)→近鉄(76-78)→南海(79-80)
達成日:1975年4月29日南海戦(1番・二塁手・31歳9ヶ月)

成績:1447試合 .272 (4796-1303) 97本 449打点 355三振 406四球 243盗塁 出塁率.331 OPS.716
【試合:215位 安打:185位 本塁打:302位 打点:281位 盗塁:48位】

※立命館大では関西六大学リーグで7季連続の盗塁王となり、河合楽器を経て阪急にプロ入り。入団1年目から2番・遊撃手の定位置を獲得するとそこから阪急第1次黄金時代を支え続け、69年には47盗塁で盗塁王となり68〜71年まで4年連続ベストナインを獲得。その後72年にトレードで東映に移籍し、チャンスメーカーとして活躍した。その後は近鉄や南海でもプレーし、14年間でパリーグ4球団を渡り歩いた。引退後は解説者を経て近鉄のコーチや編成として活動。現在は京都府の少年野球連盟常任理事となっている。なお75年にパリーグにDH制が導入され、その中でオープン戦で日本で初めて指名打者として打席に立っている。

通算1000安打:1975年4月26日阪急戦(米田哲也から右二塁打・31歳9ヶ月・997試合目) ※史上88人目


224 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/15(土) 13:13:08 W7p0VjH6

【180人目】

・末次利光(末次民夫) 1942年3月2日生 外野手 右投右打
経歴:鎮西高→中央大→巨人(65-77)
達成日:1975年5月6日ヤクルト戦(5番・右翼手・33歳2ヶ月)

成績:1214試合 .269 (3324-895) 107本 456打点 373三振 228四球 42盗塁 出塁率.320 OPS.737
【試合:347位 安打:360位 本塁打:265位 打点:273位 盗塁:571位】

※中央大では東都大リーグで2度の優勝を経験。巨人では当時、外野手の層が厚く準レギュラーの時期も長かったが、5年目の69年に右翼手の定位置を獲得。71年には日本シリーズ第4戦で足立光宏から満塁本塁打を放つなど7安打7打点の活躍でシリーズMVPを獲得。その後もON砲の後を打つ5番打者として活躍。74年にはベストナインを獲得し、76年には逆転サヨナラ満塁本塁打を放つなど勝負強い打撃でチームを支えた。しかし77年に練習中に打球が左目を直撃し、その後遺症の影響で視界が狭まったことが響いて引退。その後は巨人のコーチを経てスカウトとしても活動。阿部慎之助や亀井義行らの獲得に貢献した。


225 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 00:59:31 0BIm6TWE
>>198
タイトル、ベストナインに縁がなさすぎて逆に覚えられている松原さんすき

>>222
江夏曰く歯が白かった衣笠さんすき


226 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:12:24 mtB/K0Hk

【181人目】

・基満男 1946年11月10日生 二塁手・遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:報徳学園高→駒沢大(中退)→篠崎倉庫→西鉄・太平洋・クラウン(67-78)→大洋(79-84)
達成日:1975年5月17日南海戦(梅田邦三の代走として途中出場・28歳6ヶ月)

成績:1914試合 .273 (6349-1734) 189本 672打点 925三振 731四球 217盗塁 出塁率.352 OPS.764
【試合:67位 安打:85位 本塁打:114位 打点:133位 盗塁:65位】

※学費を払えなくなったため駒沢大を中退し、篠崎倉庫で勤務していた66年秋にテストを経てドラフト外で西鉄に入団。1年目から1軍で積極的に起用され、72年には打率.301,20本,25盗塁の好成績でベストナインとなるなど、リーグを代表する二塁手に成長。その後チームが所沢に移転することとなった78年オフにトレードで大洋に移籍。新天地で振り子打法を習得し、80年には自己最高の打率.314をマークし、セリーグでもベストナインを獲得した。引退後は大洋や日本ハムのコーチ、解説者として活動。グラブに入ったボールを右手の拳で叩いて遊撃手にトスする独自の技術「ウッドペッカー」の持ち主だった。

通算1000安打:1975年9月18日阪急戦(竹村一義から中安打・28歳10ヶ月・1079試合目) ※史上94人目
通算1500試合:1980年4月15日ヤクルト戦(3番・二塁手・33歳5ヶ月) ※史上62人目
通算1500安打:1981年4月11日ヤクルト戦(島村公二から左安打・34歳5ヶ月・1616試合目) ※史上41人目


227 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:12:51 mtB/K0Hk

【182人目】

・大下剛史 1944年11月29日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:広島商業高→駒澤大→66年第2次ドラフト2位→東映・日拓・日本ハム(67-74)→広島(75-78)
達成日:1975年6月12日ヤクルト戦(1番・二塁手・30歳6ヶ月)

成績:1310試合 .260 (4742-1233) 50本 322打点 352三振 303四球 295盗塁 出塁率.310 OPS.645
【試合:286位 安打:211位 本塁打:563位 打点:462位 盗塁:31位】

※駒澤大から東映に入団すると、1年目から遊撃手の定位置を獲得し、133試合に出場して28盗塁をマークしてベストナインも獲得。3年目の69年からは二塁手に転向するも、後継の遊撃である大橋穣とともに鉄壁の二遊間として活躍した。その後75年にトレードで地元・広島に移籍。広島では1番打者として抜擢され、赤ヘル打線の切り込み隊長として同年の球団初優勝に貢献。自身も44盗塁をマークしてベストナインに選ばれた。78年に引退後は広島のコーチを務め、厳しい猛練習を課したことから「鬼軍曹」として恐れられたが、後の広島を支える名選手らを育て上げた。また解説者としても毒舌として知られている。

通算1000安打:1975年7月17日中日戦(松本幸行から・30歳7ヶ月・1024試合目) ※史上92人目


228 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:13:09 mtB/K0Hk

【183人目】

・大熊忠義 1943年9月8日生 外野手 右投右打
経歴:浪商高→近畿大(中退)→阪急(64-81)
達成日:1975年8月17日近鉄戦(7番・左翼手・31歳11ヶ月)

成績:1423試合 .260 (4124-1073) 101本 412打点 411三振 350四球 63盗塁 出塁率.326 OPS.716
【試合:223位 安打:273位 本塁打:289位 打点:333位 盗塁:414位】

※浪商高では後輩エース・尾崎行雄とともに三塁手として61年夏の甲子園で優勝を経験。近畿大では2年次に先輩が阪神の入団テストを受ける際にかばん持ちとして付き添うも、コーチの誘いで打席に立ったところその写真が新聞に載ったことが災いし、プロアマ規定違反で退学処分となってしまう。その後阪急に入団すると、5年目の68年に左翼手の定位置を掴み、主に繋ぎ役の2番打者として活躍。阪急の黄金時代を支え、9度のリーグ優勝、3度の日本一を経験した。引退後は阪急や阪神のコーチを歴任し、10年には女子プロ野球・京都の監督も務めた。現在は解説者として活動。

通算1000安打:1977年10月7日近鉄戦(米田哲也から・34歳0ヶ月・1277試合目) ※史上106人目


229 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:13:29 mtB/K0Hk

【184人目】

・池田純一(池田祥浩) 1946年5月15日生 外野手 右投左打
経歴:八代東高→阪神(65-78)
達成日:1975年9月3日ヤクルト戦(8番・左翼手・29歳3ヶ月)

成績:1092試合 .241 (2842-686) 80本 295打点 514三振 189四球 23盗塁 出塁率.291 OPS.671
【試合:414位 安打:514位 本塁打:376位 打点:505位 盗塁:-位】

※中学時代に右肩を脱臼したことで左打者に転向し、八代高校から巨人とのスカウト合戦の末に阪神に入団。3年目の67年には中堅手の定位置を獲得。強肩を持ち味とした外野手として活躍し、また勝負強い打撃も武器とし、70年には史上3人目の代打サヨナラ満塁本塁打を放つなど通算5度のサヨナラ弾を記録した。一方で73年、優勝争いを繰り広げていた巨人戦において整備の悪いグラウンドの芝に足を取られ、逆転負けに繋がる痛恨の転倒を犯し、チームも0.5ゲーム差で巨人のV9を許すこととなったために「世紀の落球」として後生まで語られる存在となってしまった。引退後は球界を離れ洋品店を経営した。


230 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:13:49 mtB/K0Hk

【185人目】

・高田繁 1945年7月24日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:浪商高→明治大→67年ドラフト1位→巨人(68-80)
達成日:1976年4月16日広島戦(6番・三塁手・30歳8ヶ月)

成績:1512試合 .273 (5064-1384) 139本 499打点 494三振 441四球 200盗塁 出塁率.339 OPS.753
【試合:184位 安打:157位 本塁打:189位 打点:223位 盗塁:75位】

※明治大では当時の最多記録となる通算127安打を放ち、現在でも最多の7度のベストナインに輝くなど大学球界のスター選手であり、ドラ1で巨人に入団。1年目から規定打席不足ながら打率.308 23盗塁をマークして新人王となり、71年には38盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。フェンス直撃の打球を正確に処理することから「壁際の魔術師」と称され攻守にわたってV9時代の巨人を支えた。張本勲の移籍もあって現役後半は三塁手としてもプレーした。引退後は日本ハムやヤクルトの監督を務めるだけでなく、日本ハムではGMとしても活動。また12年からはDeNAの初代GMとして手腕を発揮した。

通算1000安打:1976年9月2日大洋戦(根本隆から中安打・31歳1ヶ月・1080試合目) ※史上97人目
通算1500試合:1980年9月2日阪神戦(定岡正二の代打として途中出場・35歳1ヶ月) ※史上63人目


231 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:14:07 mtB/K0Hk

【186人目】

・小川亨 1945年8月1日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:宮崎商業高→立教大→67年ドラフト3位→近鉄(68-84)
達成日:1976年5月26日ロッテ戦(6番・指名打者・30歳9ヶ月)

成績:1908試合 .284 (5762-1634) 162本 633打点 383三振 713四球 141盗塁 出塁率.369 OPS.788
【試合:70位 安打:98位 本塁打:152位 打点:148位 盗塁:146位】

※指名打者で先発して達成した初の選手。立教大では66年春に7年ぶりの優勝に貢献。5年連続2桁本塁打とパンチのある長打力と、7年連続2桁盗塁の俊足を武器に1年目から主に2番打者として活躍。体をくの字に曲げてバットを極端に短く持つ独特の構えにより、非常に三振の少ない選手でもあり、75年には歴代3位の180打席連続無三振をマークし、打率.289ながら.394で最高出塁率のタイトルも獲得。79,80年のリーグ連覇にも貢献し、近鉄球団では歴代最多の1908試合に出場した。引退後は近鉄やオリックスのコーチを務め、また中学硬式野球チームの大阪挟山リトルシニアの監督としても藤江均をプロに送り出している。

通算1000安打:1977年8月22日クラウン戦(山下律夫から右安打・32歳0ヶ月・1139試合目) ※史上104人目
通算1500試合:1980年9月2日西武戦(2番・一塁手・35歳1ヶ月) ※史上65人目
通算1500安打:1982年8月6日西武戦(高橋直樹から右安打・37歳0ヶ月・1683試合目) ※史上46人目


232 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:14:27 mtB/K0Hk

【187人目】

・山本浩二(山本浩司) 1946年10月25日生 外野手 右投右打
経歴:廿日市高→法政大→68年ドラフト1位→広島(69-86)
達成日:1976年10月5日阪神戦(4番・中堅手・29歳11ヶ月)

成績:2284試合 .290 (8052-2339) 536本 1475打点 1123三振 1168四球 231盗塁 出塁率.381 OPS.923
【試合:16位 安打:14位 本塁打:4位 打点:10位 盗塁:56位】

※法政大では田淵幸一・富田勝とともに「法政三羽烏」と称され、地元球団であった広島に1位指名を受けて入団。1年目から中軸打者として起用されると、75年には4番打者としてリーグ優勝に貢献してMVPを獲得。その後は広角打法を武器に78年には44本塁打で球団初の本塁打王となり、80年にも44本・112打点で二冠となって2度目のMVPを獲得。衣笠祥雄とともに「YK砲」としてチームの黄金時代を支え、85年には通算2000安打、85年には大卒選手では現在も唯一の通算500本塁打も達成した。引退後は広島の監督を2度務め、91年にはリーグ優勝も経験。また13年には侍ジャパンの監督として第3回WBCに出場。08年に殿堂入り。

通算1000安打:1977年5月22日巨人戦(定岡正二から右安打・30歳6ヶ月・1047試合目) ※史上101人目
通算1500安打:1980年9月7日阪神戦(山本和行から中安打・33歳10ヶ月・1496試合目) ※史上40人目
通算1500試合:1980年9月11日中日戦(4番・中堅手・33歳10ヶ月) ※史上64人目
通算2000安打:1984年5月5日巨人戦(槙原寛己から左安打・37歳6ヶ月・1944試合目) ※史上19人目
通算2000試合:1984年8月1日大洋戦(4番・左翼手・37歳9ヶ月) ※史上18人目


233 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:14:44 mtB/K0Hk

【188人目】

・三村敏之 1948年9月19日生 遊撃手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:広島商業高→66年第1次ドラフト2位→広島(67-83)
達成日:1976年10月22日大洋戦(5番・遊撃手・28歳1ヶ月)

成績:1567試合 .255 (4890-1245) 149本 490打点 738三振 442四球 49盗塁 出塁率.326 OPS.716
【試合:155位 安打:208位 本塁打:175位 打点:232位 盗塁:510位】

※広島商業から地元球団・広島に入団すると、4年目の70年に遊撃手のレギュラーを獲得し、72年にはリーグ2位の打率.308をマークしてベストナインに選出。その後75年には子供の頃からの幼馴染である大下剛史と1,2番コンビを形成し、バントやエンドランなどの小技を武器にチームの初優勝に貢献した。その後は不振に陥ることも多かったが、79年に再び調子を取り戻して2度目の優勝に貢献してカムバック賞も受賞した。引退後はコーチを経て、94年には監督に就任。96年には夏頃まで首位を独走していたが、秋にかけて失速し、巨人の「メークドラマ」を許す形となった。その後08年には楽天の編成部長として活動。

通算1000安打:1978年5月30日阪神戦(谷村智啓から・29歳8ヶ月・1151試合目) ※史上110人目
通算1500試合:1981年10月12日ヤクルト戦(6番・三塁手・33歳0ヶ月) ※史上70人目


234 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:15:08 mtB/K0Hk

【189人目】

・島谷金二 1945年1月23日生 三塁手 右投右打
経歴:高松商業高→四国電力→68年ドラフト9位→中日(69-76)→阪急(77-82)
達成日:1977年4月18日クラウン戦(7番・三塁手・32歳2ヶ月)

成績:1682試合 .269 (5630-1514) 229本 781打点 832三振 545四球 72盗塁 出塁率.338 OPS.781
【試合:120位 安打:121位 本塁打:79位 打点:102位 盗塁:358位】

※65年にサンケイの9位指名、66年に東映の2位指名、67年に東京の3位指名を受けるもこれらを全て断り、4度目の指名となった68年に中日に入団。入団時は二塁手だったものの、水原茂監督の意向により三塁手に転向し、1年目から積極的に起用。最初は粗のあった打撃も年々向上し、翌74年のリーグ優勝にも貢献。76年オフに3対4の大型トレードで阪急に移籍すると、打撃成績は更に向上し、中軸打者として活躍。79年にはキャリアハイとなる打率.312 27本 102打点をマークするなどチームに大きく貢献した。松永浩美が台頭した後の82年に引退。その後は阪急や中日のコーチを務め、現在は明徳義塾高でコーチを務めている。

通算1000安打:1978年5月21日南海戦(村上之宏から中安打・33歳3ヶ月・1153試合目) ※史上108人目
通算1500試合:1981年5月5日日本ハム戦(6番・三塁手・36歳3ヶ月) ※史上66人目
通算1500安打:1982年6月21日近鉄戦(井本隆から左安打・37歳4ヶ月・1648試合目) ※史上44人目


235 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:15:28 mtB/K0Hk

【190人目】

・中塚政幸 1945年6月29日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:PL学園高→中央大→67年ドラフト2位→大洋(68-82)
達成日:1977年4月30日阪神戦(杉山知隆の代打として途中出場・31歳10ヶ月)

成績:1643試合 .278 (5189-1440) 61本 387打点 534三振 449四球 164盗塁 出塁率.337 OPS.706
【試合:132位 安打:135位 本塁打:468位 打点:362位 盗塁:110位】

※中央大では67年春に東都大リーグで優勝に貢献してMVPとなり、全日本選手権でもチームを初優勝に導いた。大洋では一塁手として1軍に定着し、3年目からは強肩と俊足を活かすべく中堅手に転向。主に1番打者として活躍し、74年には28盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得するなどチャンスメーカーとして活躍。78,79年には2年連続で打率3割もマークしたが、その後は屋鋪要の台頭もあり、82年に引退。その後も大洋・横浜一筋でコーチや2軍監督、スカウトを歴任。07年に若返りと同年入団拒否となった木村雄太の指名責任という球団の方針で退団。その後12年にはBC群馬のコーチも務めた。

通算1000安打:1977年9月17日中日戦(青山久人から・32歳2ヶ月・1079試合目) ※史上105人目
通算1500試合:1981年7月8日阪神戦(田中由郎の代打として途中出場・36歳0ヶ月) ※史上68人目


236 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:25:42 mw780nB2
カープ黄金期の選手いっぱい出てきましたね

そういえば山本浩二さんは膀胱がんとステージ3の肺がんで20キロお痩せになったそうですが、無事に解説業に戻られたとのことで…


237 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/16(日) 13:30:58 OnT./O7o
ミスター赤ヘルまで亡くなったら目も当てられないっすね


238 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:31:12 .gLQamaU

【191人目】

・有藤通世(有藤道世) 1946年12月17日生 三塁手・外野手 右投右打
経歴:高知高→近畿大→68年ドラフト1位→ロッテ(69-86)
達成日:1977年5月10日日本ハム戦(井上洋一に代わって三塁手として途中出場・30歳4ヶ月)

成績:2063試合 .282 (7303-2057) 348本 1061打点 1204三振 691四球 282盗塁 出塁率.348 OPS.830
【試合:42位 安打:40位 本塁打:32位 打点:36位 盗塁:35位】

※近畿大からドラフト1位指名を受けてオリオンズに入団。1年目から三塁手のレギュラーに抜擢され、打率.285 21本塁打をマークして新人王となると、翌70年には5番打者としてチームのリーグ優勝に貢献。その後は走攻守の三拍子揃った外野手として活躍し、74年の日本一にも貢献し、77年には打率.329をマークして首位打者のタイトルも獲得。さらに85年にはパリーグの大卒選手では史上初となる通算2000安打も達成した。翌86年に引退すると翌年には監督に就任し3年間指揮するなどロッテ一筋を貫き、「ミスター・ロッテ」とも呼ばれている。現在は解説者や評論家の傍らで、海浜幕張駅近くでお好み焼き屋を経営。

通算1000安打:1976年9月29日日本ハム戦(野村収から右二塁打・29歳9ヶ月・970試合目) ※史上98人目
通算1500安打:1980年8月9日南海戦(村上之宏から中安打・33歳7ヶ月・1415試合目) ※史上39人目
通算1500試合:1981年6月18日南海戦(5番・三塁手・34歳6ヶ月) ※史上67人目
通算2000安打:1985年7月11日阪急戦(星野伸之から左二塁打・38歳6ヶ月・1944試合目) ※史上20人目
通算2000試合:1985年10月17日近鉄戦(5番・指名打者・38歳10ヶ月) ※史上22人目


239 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:31:34 .gLQamaU

【192人目】

・永淵祥三 1942年5月4日生 外野手・投手 左投左打
経歴:佐賀高→東芝→67年ドラフト2位→近鉄(68-75)→日本ハム(76-79)
達成日:1977年7月17日阪急戦(5番・指名打者・35歳2ヶ月)

成績:1150試合 .278 (3461-962) 109本 409打点 327三振 272四球 134盗塁 出塁率.333 OPS.756
投手:12登板 0勝1敗 19.1投球回 9奪三振 5与四球 19被安打 防2.84 WHIP1.24
【試合:379位 安打:325位 本塁打:259位 打点:337位 盗塁:166位】

※東芝時代に西鉄の入団テストを受け、不合格となるもその2年後に近鉄のテストに受かりドラフト2位でプロ入り。1年目から投手・外野手・代打の3役を任され、打者の才能を伸ばすべく2年目からは野手に専念。すると同年には3番打者として好調を維持し、打率.333で張本勲とともに首位打者のタイトルを獲得。その後も主力として活躍するも、75年オフにトレードで日本ハムに移籍。日本ハムでは主に5番・指名打者として4番・ミッチェルとともにクリーンアップを担った。引退後は故郷・佐賀で焼き鳥店を経営。桁外れの酒豪選手で知られ、数々の逸話から「あぶさん」こと景浦安武のモデルの1人としても知られる。


240 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:31:53 .gLQamaU

【193人目】

・福本豊 1947年11月7日生 外野手 左投左打
経歴:大鉄高→松下電器→68年ドラフト7位→阪急(69-88)
達成日:1977年8月5日近鉄戦(1番・中堅手・29歳8ヶ月)

成績:2401試合 .291 (8745-2543) 208本 884打点 1054三振 1234四球 1065盗塁 出塁率.379 OPS.819
【試合:12位 安打:5位 本塁打:95位 打点:69位 盗塁:1位】

※ご存知「世界の盗塁王」。7位指名で入団し、当初は期待値が低かったものの2年目の70年に中堅手のレギュラーを奪うと、同年には75盗塁をマーク。そこから尋常ではないペースで記録を重ねていき、74年には前人未到の106盗塁を達成し、MVPを獲得。不動の1番打者として阪急の黄金時代を支え、82年まで13年連続で盗塁王のタイトルを独占し、最終的に通算1065盗塁まで数字を伸ばした。また打撃でも確実性と長打力を兼ね備え、83年には2000安打を達成。2500安打を達成した88年に上田利治監督のスピーチがきっかけとなり引退。その後はオリックスや阪神のコーチや解説者として活動。02年に殿堂入り。

通算1000安打:1977年5月15日南海戦(森口益光から左安打・29歳6ヶ月・951試合目) ※史上100人目
通算1500安打:1980年6月6日日本ハム戦(高橋直樹から・32歳6ヶ月・1351試合目) ※史上38人目
通算1500試合:1981年7月11日西武戦(1番・中堅手・33歳8ヶ月) ※史上69人目
通算2000安打:1983年9月1日ロッテ戦(田村勲から中安打・35歳9ヶ月・1790試合目) ※史上17人目
通算2000試合:1985年6月12日日本ハム戦(1番・中堅手・37歳7ヶ月) ※史上21人目
通算2500安打:1988年4月8日近鉄戦(阿波野秀幸から右三塁打・40歳5ヶ月・2310試合目) ※史上5人目


241 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:32:14 .gLQamaU

【194人目】

・大橋穣 1946年5月29日生 遊撃手 右投右打
経歴:日大第三高→亜細亜大→68年ドラフト1位→東映(69-71)→阪急(72-82)
達成日:1977年8月5日近鉄戦(9番・遊撃手・31歳2ヶ月)

成績:1372試合 .210 (3512-739) 96本 311打点 839三振 293四球 87盗塁 出塁率.280 OPS.605
【試合:248位 安打:472位 本塁打:308位 打点:485位 盗塁:281位】

※上記の福本と同日達成。亜細亜大では東都大リーグで当時新記録の20本塁打をマークし、1位指名を受けて東映に入団。期待されていた長打力こそプロでは鳴りを潜めたが、代わりに強肩と守備力を武器に遊撃手の定位置を獲得。二塁手に転向した大下剛史と鉄壁の二遊間を形成した。その後71年オフに阪本敏三との正遊撃手同士のトレードで阪急に移籍。ここでもマルカーノとともに堅守の二遊間を作り、阪急の黄金時代を支え、7年連続でダイヤモンドグラブ賞も獲得した。引退後は阪急・オリックスだけでなく中日やヤクルトでコーチを歴任。また05年からは台湾・統一で監督も務めた。


242 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:32:34 .gLQamaU

【195人目】

・田淵幸一 1946年9月24日生 捕手・一塁手 右投右打
経歴:法政第一高→法政大→68年ドラフト1位→阪神(69-78)→西武(79-84)
達成日:1977年8月31日ヤクルト戦(4番・一塁手・30歳11ヶ月)

成績:1739試合 .260 (5881-1532) 474本 1135打点 972三振 823四球 18盗塁 出塁率.361 OPS.896
【試合:103位 安打:115位 本塁打:11位 打点:30位 盗塁:-位】

※法政大では当時の六大学リーグ新記録となる22本塁打を放ち、ドラフト1位で阪神に入団すると、1年目から22本塁打をマークして捕手としては史上初の新人王を獲得。その後は大きく美しい放物線を描く「ホームラン・アーチスト」として活躍。75年には45本塁打を放って本塁打王となり、王貞治の14年連続受賞を阻止した。78年には2対4のトレードで西武に移籍。こちらでも4番打者として活躍し、最終的に歴代11位の通算474本塁打をマークした。その後は90〜92年にダイエーの監督も務め、また親友の星野仙一監督のもとで阪神や楽天、北京五輪代表のコーチを歴任した。今年1月にエキスパート部門で殿堂入りを果たした。

通算1000安打:1978年8月17日広島戦(松原明夫から中安打・31歳10ヶ月・1121試合目) ※史上112人目
通算1500試合:1982年6月1日日本ハム戦(5番・指名打者・35歳8ヶ月) ※史上71人目
通算1500安打:1984年5月11日近鉄戦(鈴木啓示から投安打・37歳7ヶ月・1686試合目) ※史上48人目


243 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:33:01 .gLQamaU

【196人目】

・谷沢健一 1947年9月22日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:習志野高→早稲田大→69年ドラフト1位→中日(70-86)
達成日:1977年9月23日阪神戦(6番・一塁手・30歳0ヶ月)

成績:1931試合 .302 (6818-2062) 273本 969打点 807三振 682四球 42盗塁 出塁率.368 OPS.848
【試合:63位 安打:39位 本塁打:55位 打点:51位 盗塁:571位】 

※70年代にデビューした選手では初の達成者。早大では六大学屈指の左打者と評され、1位指名を受けて中日に入団。1年目から左翼手として126試合に出場して新人王のタイトルを獲得すると、4年目の73年からは一塁手に転向。中軸打者として74年にはリーグ優勝に貢献し、76年には打率.355で張本勲との激戦の末に6糸差で首位打者のタイトルを獲得。その後はアキレス腱痛で選手生命の危機となるも酒マッサージでそれを克服し、80年には打率.369で2度目の首位打者となり完全復活を果たした。85年には通算2000安打も達成し、翌86年に引退。その後は西武のコーチを経て、現在はアマチュアの指導者や解説者として活動中。

通算1000安打:1977年6月29日ヤクルト戦(会田照夫から左安打・29歳9ヶ月・940試合目) ※史上102人目
通算1500安打:1982年6月27日ヤクルト戦(鈴木正幸から右二塁打・34歳9ヶ月・1401試合目) ※史上45人目
通算1500試合:1983年5月17日広島戦(4番・一塁手・35歳7ヶ月) ※史上74人目
通算2000安打:1985年10月23日広島戦(高木宣宏から右安打・38歳1ヶ月・1835試合目) ※史上22人目


244 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:33:24 .gLQamaU

【197人目】

・竹之内雅史 1945年3月15日生 外野手・一塁手・三塁手 右投右打
経歴:鎌倉学園高→日本通運浦和→67年ドラフト3位→西鉄・太平洋・クラウン(68-78)→阪神(79-82)
達成日:1977年9月26日阪急戦(5番・左翼手・32歳6ヶ月)

成績:1371試合 .249 (4357-1085) 216本 606打点 599三振 310四球 63盗塁 出塁率.323 OPS.761
【試合:249位 安打:266位 本塁打:90位 打点:160位 盗塁:414位】

※日本通運浦和では64年の都市対抗でチームを初優勝に導き、三塁手のベストナインも獲得。西鉄に入団すると、一塁・三塁・外野・指名打者と様々なポジションを守りながら、中心打者として活躍。77年には同年のパリーグの日本人では最多の26本塁打を放った。79年に真弓明信らとともにトレードで阪神に移籍。阪神では右翼手として活躍するも、故障が尾を引いて82年で引退。その後は阪神やダイエー、大洋・横浜でコーチや2軍監督を歴任。毎試合のようにフォームを変え、最終的に「竹之内打法」と呼ばれる独自のフォームを編み出す一方で非常に死球が多く、通算166死球は清原和博に次いで歴代2位の数字である。

通算1000安打:1979年10月6日広島戦(池谷公二郎から左二塁打・34歳6ヶ月・1224試合目) ※史上115人目


245 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:33:46 .gLQamaU

【198人目】

・井上弘昭 1944年5月21日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:北陽高→電電近畿→67年ドラフト1位→広島(68-72)→中日(73-80)→日本ハム(81-84)→西武(85)
達成日:1978年4月15日阪神戦(定岡真二の代打として途中出場・33歳10ヶ月)

成績:1531試合 .259 (4081-1058) 155本 517打点 580三振 401四球 74盗塁 出塁率.343 OPS.758
【試合:175位 安打:279位 本塁打:163位 打点:209位 盗塁:347位】

※電電近畿から1位指名を受けて広島に入団。広島では3年目に三塁手の定位置を掴むも打撃が伸び悩み、73年にトレードで中日に移籍。すると課題の打撃が開花し、翌74年には3番打者としてリーグ優勝に貢献。75年には山本浩二との首位打者争いを演じ、史上初の満塁敬遠を受けるなど最終的にタイトルは譲るもリーグ2位の打率.318をマークし、ベストナインも獲得した。その後は81年にトレードで日本ハムに移籍し、準レギュラーながらチームの優勝に貢献。84年に一時は引退するも、コーチとして入団した西武で右の代打が不足してたために1年だけ現役復帰を果たしている。その後は92年から古巣・中日のコーチも務めた。

通算1000安打:1981年9月14日阪急戦(宮本四郎から中安打・37歳3ヶ月・1351試合目) ※史上122人目・歴代2番目の年長記録
通算1500試合:1984年5月8日阪急戦(5番・指名打者・39歳11ヶ月) ※史上78人目・歴代2番目の年長記録


246 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:34:09 .gLQamaU

【199人目】

・得津高宏 1947年4月12日生 外野手 左投左打
経歴:PL学園高→クラレ岡山→66年第1次ドラフト6位→東京・ロッテ(67-82)
達成日:1978年5月9日近鉄戦(2番・右翼手・31歳0ヶ月)

成績:1305試合 .288 (3222-927) 41本 368打点 188三振 189四球 24盗塁 出塁率.329 OPS.716
【試合:289位 安打:342位 本塁打:-位 打点:389位 盗塁:-位】

※PL学園高時代に近鉄から8位指名を受けるもこれを断り、クラレ岡山を経て6位指名で東京に入団。当時の外野陣はアルトマン・ロペス・池辺巌で固定されており、準レギュラーの時期も長かったが8年目の74年に右翼手の定位置を獲得し、チームのリーグ優勝・日本一に貢献。以降もオリオンズ打線の繋ぎ役として活躍し、76年にはサイクル安打も達成。非常に三振の少ない選手でもあり、78年には歴代5位の176打席連続無三振もマーク。そのバットコントロールは後にロッテに入団した落合博満が参考にしたほどだった。引退後もロッテに残り、コーチを歴任。現在は解説者・評論家として活動している。


247 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:34:29 .gLQamaU

【200人目】

・門田博光 1948年2月26日生 外野手 左投左打
経歴:天理高→クラレ岡山→69年ドラフト2位→南海(70-88)→オリックス(89-90)→ダイエー(91-92)
達成日:1978年5月11日クラウン戦(4番・右翼手・30歳2ヶ月)

成績:2571試合 .289 (8868-2566) 567本 1678打点 1520三振 1273四球 51盗塁 出塁率.379 OPS.907
【試合:9位 安打:4位 本塁打:3位 打点:3位 盗塁:496位】

※クラレ岡山から南海に入団すると、2年目には右翼手の定位置を掴み、打率.300 31本 120打点の好成績で打点王・ベストナインを獲得。その後79年にアキレス腱を断裂するも、長打狙いの一本足打法にシフトして復活を遂げ、81年には44本塁打で本塁打王のタイトルを獲得し、83年には2000安打も達成。88年には40歳にして44本塁打・125打点とキャリアハイの成績を残し、二冠とMVPを獲得するなど「不惑の大砲」として一世を風靡した。オリックスへのトレード、そしてダイエーへの復帰を経て44歳で現役を引退。その後は解説者として活動している。通算567本塁打・1678打点はともに歴代3位。06年に殿堂入り。

通算1000安打:1977年8月13日阪急戦(佐藤義則から遊安打・29歳5ヶ月・930試合目) ※史上103人目
通算1500安打:1983年5月17日近鉄戦(鈴木啓示からソロ・35歳2ヶ月・1458試合目) ※史上47人目
通算1500試合:1983年7月12日ロッテ戦(4番・指名打者・35歳4ヶ月) ※史上75人目
通算2000安打:1987年8月26日西武戦(工藤公康から左二塁打・39歳6ヶ月・1989試合目) ※史上24人目
通算2000試合:1987年9月8日西武戦(4番・指名打者・39歳6ヶ月) ※史上24人目
通算2500安打:1991年8月7日日本ハム戦(角盈男から中安打・43歳5ヶ月・2466試合目) ※史上6人目
通算2500試合:1991年9月23日オリックス戦(4番・指名打者・43歳6ヶ月) ※史上5人目


248 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:40:04 a6dS0E3A
今回はまたえらいメンツが濃すぎますね…


249 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 14:40:38 DEhNyv62
これからは大体見知った人が多そう
もっさん相変わらず通算がエグい


250 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/17(月) 16:15:43 jGWtD5O6
ついに田淵さんまで来ましたね


251 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/17(月) 18:33:05 ???
ふくもっさんに田淵幸一に門田に、すごい面子だ
田淵の本塁打率おかしい


252 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:12:40 SIhv8xAU

【201人目】

・加藤俊夫 1948年1月20日生 捕手 右投右打
経歴:仙台育英高→日本軽金属→66年第2次ドラフト2位→サンケイ・ヤクルト(67-70)→東映・日拓・日本ハム(72-81)→大洋(82-85)
達成日:1978年7月30日阪急戦(7番・捕手・30歳6ヶ月)

成績:1507試合 .247 (3895-962) 116本 431打点 565三振 389四球 73盗塁 出塁率.331 OPS.707
【試合:188位 安打:325位 本塁打:242位 打点:304位 盗塁:351位】

※仙台育英時代から大物捕手として期待され、65年のドラフトで大洋の2位指名を受けるもそれを断り、日本軽金属を経てサンケイに入団。2年目には正捕手に定着し、順風満帆かと思われたが70年のシーズン途中に無免許運転で逮捕され解雇されてしまう。その後1年のブランクを置いて72年に東映で現役復帰を果たすと、ポジション争いを制してこちらでも正捕手となり、77年にはベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を受賞するなど70年代後半のチームを支えた。その後大洋にトレードで移籍すると控え捕手として活躍するも、アキレス腱を断裂し85年限りで引退。その後は解説者の傍ら、地元・仙台でスナックを経営した。

通算1500試合:1985年8月5日広島戦(加藤博一の代打として途中出場・37歳6ヶ月) ※史上81人目


253 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:13:11 SIhv8xAU

【202人目】

・大矢明彦 1947年12月20日生 捕手 右投右打
経歴:早稲田実業高→駒澤大→69年ドラフト7位→ヤクルト(70-85)
達成日:1978年8月6日広島戦(7番・捕手・30歳7ヶ月)

成績:1552試合 .245 (4665-1144) 93本 479打点 466三振 328四球 41盗塁 出塁率.295 OPS.648
【試合:163位 安打:239位 本塁打:320位 打点:250位 盗塁:580位】

※駒澤大では1年先輩の野村収とともに68年春の東都リーグ優勝を経験し、ドラフト7位でヤクルトに入団。上記の加藤俊夫が出場停止処分を受けたために自身が正捕手に抜擢され、「鉄砲型の殺し屋」と称された強肩を武器に活躍し、74,75年には全試合に出場。そして78年には球団初のリーグ優勝・日本一に貢献するなど長らくヤクルトを支えた。しかし晩年は膝の故障に悩まされ、八重樫幸雄にポジションを譲り85年に引退。その後は93年に横浜のコーチを務め、96年には監督に昇格し、97年にはチームを2位に引き上げた。その後07年からは再度監督も務めたが投手陣の崩壊もあり、09年途中で休養。現在は解説者。

通算1000安打:1981年7月15日中日戦(小松辰雄から右安打・33歳6ヶ月・1311試合目) ※史上120人目
通算1500試合:1984年7月27日大洋戦(8番・捕手・36歳7ヶ月) ※史上79人目


254 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:13:42 SIhv8xAU

【203人目】

・水谷実雄 1947年11月19日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:宮崎商業高→65年ドラフト4位→広島(66-82)→阪急(83-85)
達成日:1978年8月12日ヤクルト戦(5番・一塁手・30歳8ヶ月)

成績:1729試合 .285 (5349-1522) 244本 809打点 761三振 492四球 44盗塁 出塁率.346 OPS.814
【試合:107位 安打:118位 本塁打:67位 打点:91位 盗塁:554位】

※広島には投手として入団するも、直後に腎臓病を患って入院し、以降はジンちゃんと呼ばれるようになる。その後外野手に転向し、6年目の71年に1番打者に抜擢され、ベストナインも獲得。75年にはリーグ優勝に貢献すると、78年には打率.348をマークして首位打者を獲得。山本浩二・衣笠祥雄とともに赤ヘル打線の中軸打者として活躍した。その後83年に加藤秀司とのトレードで阪急に移籍。同年は4番打者として114打点をマークして打点王のタイトルも獲得した。しかし翌84年の開幕戦で受けた頭部死球が後の選手生命に大きく響き、85年に引退。その後は阪急や広島をはじめ様々な球団でコーチとして活躍した。

通算1000安打:1980年4月18日ヤクルト戦(安田猛から・32歳4ヶ月・1170試合目) ※史上116人目
通算1500試合:1982年9月2日中日戦(5番・一塁手・34歳9ヶ月) ※史上72人目
通算1500安打:1984年6月21日西武戦(石井毅から右安打・36歳7ヶ月・1675試合目) ※史上49人目


255 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:14:04 SIhv8xAU

【204人目】

・加藤秀司(加藤英司) 1948年5月24日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:PL学園高→松下電器→68年ドラフト2位→阪急(69-82)→広島(83)→近鉄(84-85)→巨人(86)→南海(87)
達成日:1978年9月8日日本ハム戦(7番・一塁手・30歳3ヶ月)

成績:2028試合 .297 (6914-2055) 347本 1268打点 1067三振 807四球 136盗塁 出塁率.372 OPS.883
【試合:48位 安打:42位 本塁打:33位 打点:22位 盗塁:157位】

※日本ハムの4位指名、南海の10位指名を断り、3度目のドラフト指名となった68年に2位指名を受けて阪急に入団。3年目の71年に一塁手の定位置を掴むと、73年には首位打者、75年には打点王、79年には打率.364・104打点とキャリアハイの成績を残して二冠を獲得するなど、阪急黄金時代の強打者として活躍。その後上記の水谷実雄とのトレードで広島に移籍したが、肝炎を患って思ったように成績を残せず。その後トレードで近鉄、巨人にも移籍し、巨人では史上3人目の全球団本塁打も達成。87年には所属5球団目となる南海で通算2000安打を達成した。引退後は解説者や日本ハムやオリックス、中日のコーチとして活動。

通算1000安打:1978年5月23日日本ハム戦(高橋直樹から中安打・29歳11ヶ月・925試合目) ※史上109人目
通算1500安打:1981年8月29日南海戦(平沢隆好から投安打・33歳3ヶ月・1360試合目) ※史上42人目
通算1500試合:1982年9月14日ロッテ戦(5番・一塁手・34歳3ヶ月) ※史上73人目
通算2000安打:1987年5月7日阪急戦(山田久志からソロ・38歳11ヶ月・1939試合目) ※史上23人目
通算2000試合:1987年8月30日近鉄戦(3番・一塁手・39歳3ヶ月) ※史上23人目


256 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:14:20 SIhv8xAU

【205人目】

・伊勢孝夫 1944年12月18日生 一塁手 右投右打
経歴:三田高→近鉄(63-76)→ヤクルト(77-80)
達成日:1978年10月3日中日戦(梶間健一の代打として途中出場・33歳9ヶ月)

成績:1042試合 .245 (2325-570) 90本 313打点 357三振 151四球 38盗塁 出塁率.295 OPS.698
【試合:453位 安打:612位 本塁打:331位 打点:480位 盗塁:-位】

※近鉄には投手として入団するも芽が出ず、4年目の66年に野手に転向。7年目の69年に退団したロイの後継として一塁手の定位置を獲得し、5番打者として16本塁打を放って頭角を現すと、71年には自己最多の28本塁打を放ち、勝負強い打撃から「伊勢大明神」の愛称で呼ばれた。その後はジョーンズの入団もあって準レギュラーとなり、77年にトレードでヤクルトに移籍。代打の切り札として活躍し、78年には球団初のリーグ優勝に貢献した。引退後はヤクルトや広島、近鉄や巨人でコーチを歴任。ヤクルトでは野村克也監督の下で3度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献した。現在は大阪観光大野球部のアドバイザー。


257 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:14:39 SIhv8xAU

【206人目】

・富田勝 1946年10月11日生 三塁手・外野手・二塁手 右投右打
経歴:興國高→法政大→68年ドラフト1位→南海(69-72)→巨人(73-75)→日本ハム(76-80)→中日(81-82)
達成日:1979年4月16日西武戦(1番・左翼手・32歳6ヶ月)

成績:1303試合 .270 (4028-1087) 107本 451打点 566三振 429四球 126盗塁 出塁率.340 OPS.755
【試合:290位 安打:265位 本塁打:265位 打点:279位 盗塁:178位】

※法政大では田淵幸一・山本浩二とともに「法政三羽烏」の1人として名を馳せ、1位指名を受けて南海に入団。2年目には三塁手として1軍に定着して23本塁打を放つもその後は伸び悩み、長嶋茂雄の後継者候補を狙っていた巨人にトレードで移籍。74年には二塁手として活躍するも翌75年は不振に終わり、張本勲とのトレードで高橋一三とともに日本ハムに移籍。すると日本ハムでは1番打者として復活を果たし、島田誠とともに1,2番コンビを形成した。81年には自身3度目のトレードで中日に移籍。宇野ヘディング事件が起きた試合において史上2人目の全球団本塁打を達成した。引退後は大阪で警備会社を経営した。

通算1000安打:1980年6月26日阪急戦(関口朋幸から左安打・33歳8ヶ月・1167試合目) ※史上117人目


258 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:14:57 SIhv8xAU

【207人目】

・若松勉 1947年4月17日生 外野手 右投左打
経歴:北海高→電電北海道→70年ドラフト3位→ヤクルト(71-89)
達成日:1979年5月12日阪神戦(3番・左翼手・32歳0ヶ月)

成績:2062試合 .319 (6808-2173) 220本 884打点 463三振 574四球 151盗塁 出塁率.375 OPS.856
【試合:44位 安打:21位 本塁打:87位 打点:69位 盗塁:128位】

※電電北海道では補強選手として4年連続で都市対抗に出場。身長168cmと小柄ながら2年目の72年には打率.329で首位打者のタイトルを獲得し、一躍リーグを代表する外野手へと成長。その後は毎年のように3割を超える高打率をマークし、78年には不動の3番打者としてチームの初優勝・日本一に貢献してMVPも獲得した。85年には通算2000安打も達成し、晩年は代打の切り札としても活躍してヤクルト一筋を貫き、通算打率(4000打数以上)はNPB歴代3位の.319をマークし、「小さな大打者」として称えられた。その後コーチを経て99年から05年まで監督も務め、01年には監督としてもチームを日本一に導いた。09年に殿堂入り。

通算1000安打:1978年6月21日広島戦(北別府学から右安打・31歳2ヶ月・901試合目) ※史上111人目
通算1500安打:1982年5月4日巨人戦(西本聖から中安打・35歳0ヶ月・1329試合目) ※史上43人目
通算1500試合:1983年8月14日阪神戦(3番・左翼手・36歳4ヶ月) ※史上76人目
通算2000安打:1985年10月9日阪神戦(ゲイルから右安打・38歳5ヶ月・1757試合目) ※史上21人目
通算2000試合:1988年9月14日阪神戦(平田薫の代打として途中出場・41歳4ヶ月) ※史上26人目・歴代5番目の年長記録


259 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:15:28 SIhv8xAU

【208人目】

・高橋博士(高橋博) 1946年3月10日生 捕手・三塁手・一塁手 右投右打
経歴:宮崎商業高→南海(64-71)→東映・日拓・日本ハム(72-76)→ロッテ(77-82)
達成日:1979年6月2日西武戦(8番・捕手・33歳2ヶ月)

成績:1288試合 .254 (3109-790) 60本 314打点 324三振 217四球 37盗塁 出塁率.310 OPS.667
投手:1登板 0勝0敗 0S 0.1投球回 0奪三振 0与四球 0被安打 防0.00 WHIP0.00
【試合:296位 安打:429位 本塁打:477位 打点:477位 盗塁:-位】

※宮崎商業高から南海に捕手として入団。村上雅則らとのアメリカへの野球留学を経て、8年目の71年に遊撃手のレギュラーを獲得し、球宴にも出場した。翌72年に江本孟紀らとのトレードで東映に移籍すると、内野のユーティリティプレイヤーとして重宝され、中でも彼を代表するエピソードとして74年9月29日南海戦、消化試合だったダブルヘッダー第2戦において1試合で9つ全てのポジションを守ったことがある。その後75年からは捕手となり、後に移籍したロッテで引退するまでレギュラー捕手として活躍し続けた。82年に引退後は相模原市で焼肉店とスナックを経営している。


260 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:15:48 MFnATZ2w
>>256
ホームランの代走おじさんほんとすき


261 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:15:51 SIhv8xAU

【209人目】

・江島巧 1949年11月24日生 外野手 右投右打
経歴:平安高→67年ドラフト2位→中日(68-72)→ロッテ(73-83)
達成日:1979年7月1日南海戦(6番・中堅手・29歳7ヶ月)

成績:1187試合 .223 (2117-473) 56本 211打点 366三振 79四球 24盗塁 出塁率.264 OPS.618
【試合:363位 安打:-位 本塁打:505位 打点:-位 盗塁:-位】

※平安高では超高校級のスラッガーとして甲子園に3度出場。2位指名を受けて中日に入団。プロ第1号から3試合連続で本塁打を放ち、2年目には13本塁打を放ち、守備でも強肩を武器に右翼手のレギュラーを獲得するも、プロの変化球に苦しんで低迷する期間が続いた。その後72年オフにロッテにトレードで移籍すると、以降は長らく外野の準レギュラーとして活躍。ロッテでは100試合以上出場した年がなかったものの、勝負強い打撃でチームを支えた。83年に引退後はロッテの2軍打撃コーチや解説者、韓国プロ野球の青宝のコーチを務めた。


262 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/18(火) 15:16:18 SIhv8xAU

【210人目】

・水沼四郎 1947年2月27日生 捕手 右投右打
経歴:報徳学園高→中央大→68年ドラフト2位→広島(69-82)→中日(83)
達成日:1979年7月13日阪神戦(8番・捕手・32歳4ヶ月)

成績:1333試合 .230 (3064-706) 41本 273打点 484三振 297四球 64盗塁 出塁率.301 OPS.616
【試合:270位 安打:500位 本塁打:-位 打点:538位 盗塁:408位】

※中央大では67年に全日本選手権で優勝を経験し、2位指名を受けて広島に入団。田中尊・久保祥次とのレギュラー争いを制して3年目の71年に正捕手に抜擢されると、同年8月には藤本和宏とバッテリーを組んでノーノーを達成。冷静かつ大胆なリードと、卓越したキャッチング技術を武器にチームの要となり、75年のリーグ初優勝や79,80年の連続日本一に大きく貢献。特に79年の日本シリーズ第7戦では6回に決勝2ランを放ち、9回裏には「江夏の21球」をリードした。その後は達川光男の対等もあって83年に移籍した中日で引退。その後は中日のコーチや大洋のスカウトを務め、現在は広島市内でスナックを経営。


263 : 豆狸 :2020/02/18(火) 15:17:06 ???
>>253
鉄砲肩の殺し屋とかいう物騒な呼び名すき


264 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/18(火) 19:06:54 ???
このへん引退後スナック経営多いですね


265 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:11:00 n.URxpu.

【211人目】

・広瀬宰 1947年2月20日生 遊撃手 右投右打
経歴:佐伯豊南高→東京農業大→68年ドラフト2位→ロッテ(69-72)→中日(73-75)→太平洋・クラウン・西武(76-81)
達成日:1979年8月27日日本ハム戦(7番・二塁手・32歳6ヶ月)

成績:1090試合 .224 (2519-564) 35本 194打点 300三振 132四球 31盗塁 出塁率.265 OPS.570
【試合:416位 安打:617位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※東京農業大から2位指名を受けてロッテに入団。山崎裕之が二塁手に回ったことで1年目から遊撃手の定位置を奪うも、打撃が伸び悩み千田啓介とのポジション争いとなり、その最中の72年オフに江島巧とのトレードで中日に移籍。中日でも打率は低かったものの、正遊撃手として74年のリーグ優勝にも貢献。古巣・ロッテとの日本シリーズでも第2戦で本塁打を放った。その後75年オフに再度トレードで太平洋に移籍。ライオンズでも77年まで遊撃手として活躍し、真弓明信が台頭して以降も内野の準レギュラーとしてチームを支えた。81年に引退後は西武の2軍コーチを長らく務め、黄金時代を陰ながら支えた。


266 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:12:30 n.URxpu.

【212人目】

・井上修 1946年7月20日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:福岡電波高→広島(65-69)→阪急(70-80)
達成日:1979年10月4日ロッテ戦(大橋穣に代わって遊撃手として途中出場・33歳2ヶ月)

成績:1035試合 .223 (1097-249) 22本 89打点 217三振 114四球 132盗塁 出塁率.304 OPS.641
【試合:462位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:170位】

※福岡電波高から広島に入団。3年目の67年には遊撃手として開幕スタメンを果たすも、広島ではあまり出場機会に恵まれず、70年に阪急へ移籍。阪急でも定位置を掴むことはなかったものの、貴重な内野のユーティリティプレイヤーとして活躍。74年には20盗塁、75年には23盗塁をマークするなど主に代走、守備固めとして起用され、70年代の阪急の黄金時代における名脇役としてチームを支え続けた。引退後は阪急・オリックスだけでなく、台湾の統一、和信・中信のコーチとして活動。なお1000試合出場達成者では通算249安打は野手としては最も少ない数字である。


267 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:12:52 n.URxpu.

【213人目】

・飯塚佳寛 1945年1月26日生 遊撃手・二塁手 右投左打
経歴:宇都宮学園高→鷺宮製作所→68年ドラフト14位→ロッテ(69-70)→大洋(72)→広島(73)→ロッテ(73-80)
達成日:1979年10月12日西武戦(8番・二塁手・34歳8ヶ月)

成績:1065試合 .256 (2315-593) 12本 142打点 221三振 187四球 171盗塁 出塁率.317 OPS.639
【試合:432位 安打:591位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:97位】

※鷺宮製作所から14位指名を受けてロッテにプロ入り。1年目から控え遊撃手として1軍で起用されるも、3年目の71年にトレードで大洋に移籍。72年には2軍で25盗塁をマークして盗塁王となったが、出場機会に恵まれず同年オフに広島に無償トレードで移籍。しかし73年開幕直前に再度トレードでロッテに電撃復帰を果たす。すると遊撃手のポジション争いを制し、74年にはリーグ優勝にも貢献。その後も俊足を活かして4年連続で20盗塁をマークした。80年に引退後もロッテに残り、コーチやスカウトとして活動。スカウトとしては里崎智也、成瀬善久、内竜也らの獲得に貢献している。


268 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:13:12 n.URxpu.

【214人目】

・大島康徳 1950年10月16日生 外野手・一塁手・三塁手 右投右打
経歴:中津工業高→68年ドラフト3位→中日(69-87)→日本ハム(88-94)
達成日:1980年4月12日ヤクルト戦(4番・一塁手・29歳5ヶ月)

成績:2638試合 .272 (8105-2204) 382本 1234打点 1462三振 964四球 88盗塁 出塁率.350 OPS.809
【試合:6位 安打:19位 本塁打:22位 打点:23位 盗塁:278位】

※50年代生まれ、並びに80年代では初の達成者。中日には投手として入団するも、コーチから1球で失格を言い渡され水原茂監督の意向で打者に転向。中日では主に外野・一塁・三塁の3ポジションを転々としながらも、74,82年にリーグ優勝に貢献し、83年には36本塁打を放って山本浩二とともに本塁打王となるなど主軸として活躍した。その後87年にトレードで日本ハムに移籍。主に一塁手として起用され、年を重ねながらも衰えを見せず、90年には39歳10ヶ月で通算2000安打も達成。26年間の現役生活を送り、94年に引退した。その後00〜02年には日本ハムの監督を務めた。現在は大腸がんを患い闘病生活を続けている。

通算1000安打:1981年9月11日広島戦(北別府学から・30歳10ヶ月・1215試合目) ※史上121人目
通算1500試合:1984年4月22日巨人戦(4番・左翼手・33歳6ヶ月) ※史上77人目
通算1500安打:1986年4月16日巨人戦(加藤初から・35歳6ヶ月・1726試合目) ※史上50人目
通算2000試合:1988年6月28日近鉄戦(5番・一塁手・37歳8ヶ月) ※史上25人目
通算2000安打:1990年8月21日オリックス戦(佐藤義則から中安打・39歳10ヶ月・2290試合目) ※史上25人目
通算2500試合:1992年8月20日西武戦(7番・一塁手・41歳10ヶ月) ※史上6人目


269 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:13:32 n.URxpu.

【215人目】

・藤原満 1946年9月18日生 三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:松山商業高→近畿大→68年ドラフト4位→南海(69-82)
達成日:1980年4月28日阪急戦(1番・三塁手・33歳7ヶ月)

成績:1354試合 .278 (4797-1334) 65本 413打点 344三振 291四球 195盗塁 出塁率.324 OPS.692
【試合:260位 安打:174位 本塁打:449位 打点:332位 盗塁:83位】

※近畿大では有藤通世と三遊間を組み、在学中に3度のリーグ優勝を経験。4位指名で入団した南海では、3年目の71年に頭角を現し、73年に巨人へ移籍した富田勝の後継として三塁手の定位置を獲得。以降は不動の1番打者として定着し、76年にはいずれもリーグ2位の打率.302,50盗塁をマークしてベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を受賞。俊足を活かすべく野村克也監督の指示のもとで使用した「つちのこバット」は彼を始点として、現代に至るまで様々な選手が使用することとなった。82年に引退後も南海に残り、球団がダイエーとなってからもコーチや2軍監督を歴任。現在は解説者として活動。

通算1000安打:1980年8月13日近鉄戦(谷宏明から右安打・33歳10ヶ月・1063試合目) ※史上118人目


270 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:13:51 n.URxpu.

【216人目】

・桜井輝秀 1948年4月12日生 二塁手 右投右打
経歴:洲本実業高→66年第1次ドラフト5位→南海(67-82)
達成日:1980年5月22日日本ハム戦(2番・二塁手・32歳1ヶ月)

成績:1041試合 .255 (3331-849) 29本 232打点 298三振 229四球 89盗塁 出塁率.310 OPS.636
【試合:455位 安打:393位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:276位】

※洲本実業高から5位指名を受けて南海に入団。プロ入り5年目の71年に古葉竹識の後継として二塁手の定位置を掴むと、以降は主に2番打者としてチームの繋ぎ役として活躍。73,74年には2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞する堅守といぶし銀の打撃でチームを支えた。河埜敬幸が台頭した78年以降は三塁手や指名打者としてもプレーし、82年に上記の藤原満とともに引退し、以降はコーチとして活躍。晩年の南海から黎明期のダイエーに至るチームの低迷期を支え続けた。97年でチームを退団してからは福岡市内でお好み焼き店を経営。またその傍らでホークスジュニアアカデミーのコーチも務めている。


271 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:14:14 n.URxpu.

【217人目】

・ジョン・シピン 1946年8月29日生 二塁手・外野手 右投右打
経歴:パドレス(69)→大洋(72-77)→巨人(78-80)
達成日:1980年6月11日広島戦(6番・二塁手・33歳9ヶ月)

成績:1036試合 .297 (3779-1124) 218本 625打点 594三振 345四球 29盗塁 出塁率.356 OPS.874
【試合:458位 安打:246位 本塁打:88位 打点:152位 盗塁:-位】

※パドレスでは初打席から2打席連続で三塁打を放つ鮮烈なデビューを飾るも、その後は思うように結果を残せず。その後72年に来日して大洋に入団すると、1年目からチームの主軸打者として活躍。また二塁守備でも結果を残し、2年連続でダイヤモンドグラブ賞も受賞。大洋では打率3割、30本塁打をそれぞれ3度ずつマークするなど名助っ人として名を残した。また長髪といかつい髭から当時の特撮番組から「ライオン丸」の愛称でも親しまれた。78年に金銭トレードで巨人に移籍すると、ここでも2年連続打率3割をマークしたが篠塚俊夫が台頭した80年に引退。現在は地元カリフォルニアでバッティングセンターを経営。

通算1000安打:1979年6月20日大洋戦(大川浩から遊安打・32歳9ヶ月・890試合目) ※史上113人目


272 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:14:46 n.URxpu.

【218人目】

・服部敏和 1948年2月13日生 外野手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:静岡高→立教大(中退)→日本楽器→68年ドラフト10位→近鉄(69-75)→日本ハム(76-82)
達成日:1980年8月6日ロッテ戦(富田勝に代わって左翼手として途中出場・32歳5ヶ月)

成績:1241試合 .243 (2065-501) 27本 160打点 302三振 124四球 80盗塁 出塁率.292 OPS.623
【試合:322位 安打:679位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:313位】

※立教大を中退して日本楽器(現在のヤマハ)に入社し、ドラフト10位指名を受けて近鉄に入団。2年目の70年には三塁と外野を両方こなしながらもチャンスメーカーとして活躍し、73年には規定打席不足ながら打率.321の好成績をマーク。その後75年オフに3対2のトレードで日本ハムに移籍すると、外野手の準レギュラーとして長く活躍し、80年には代打の切り札として打率3割をマークし、81年には103試合に出場してリーグ優勝に貢献。日本シリーズ第1戦では同点の9回裏に安打を放ち、サヨナラ勝ちのホームを踏んだ。翌82年に引退。


273 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:15:04 n.URxpu.

【219人目】

・高井保弘 1945年2月1日生 指名打者・一塁手 右投右打
経歴:今治西高→名古屋日産モーター→阪急(64-82)
達成日:1980年8月14日日本ハム戦(八木茂の代打として途中出場・35歳6ヶ月)

成績:1135試合 .269 (2476-665) 130本 446打点 400三振 277四球 11盗塁 出塁率.346 OPS.811
【試合:386位 安打:530位 本塁打:204位 打点:284位 盗塁:-位】

※名古屋日産モーター(現在の愛知日産自動車)から阪急に入団。プロ入り後しばらくは2軍生活が続くも、67年に首位打者、67年には本塁打・打点の二冠となるも、守備に難があってなかなか1軍で起用されない日々が続いた。しかし相手の癖を見抜く技術を磨き続けた結果、代打として才能が開花。74年には球宴で史上初の代打サヨナラ逆転本塁打を放つと、75年には代打本塁打の世界記録を更新。指名打者が導入されてからは77年にレギュラーを獲得し、ベストナインに選出されるなど阪急の黄金時代を支えた。通算27本の代打本塁打は現在も世界記録であり、「世界の代打男」として名を残した。昨年12月に74歳で逝去。


274 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 15:15:21 n.URxpu.

【220人目】

・弘田澄男 1949年5月13日生 外野手 右投右打
経歴:高知高→四国銀行→71年ドラフト3位→ロッテ(72-83)→阪神(84-88)
達成日:1980年9月30日日本ハム戦(2番・中堅手・31歳4ヶ月)

成績:1592試合 .276 (5466-1506) 76本 487打点 378三振 328四球 294盗塁 出塁率.320 OPS.690
【試合:148位 安打:123位 本塁打:397位 打点:236位 盗塁:32位】

※高知高では67年春の選抜で、四国銀行では71年の都市対抗(丸善石油の補強選手)でともに準優勝を経験。163cmと非常に小柄だったものの、プロ入り後は1年目から1軍で起用され、2年目の73年から中堅手に定着。74年にはチームの日本一に貢献し、日本シリーズでは10安打7打点の活躍でMVPも獲得した。以降もリードオフマンとして活躍し、80年には自己最多の41盗塁をマークした。その後84年にトレードで阪神に移籍すると、準レギュラーとして85年の日本一にも貢献。引退後は阪神や大洋・横浜、巨人でコーチを歴任し、第1回WBCでも日本代表のコーチを務めた。また14,15年には四国IL・高知の監督として指揮した。

通算1000安打:1980年10月4日西武戦(森繁和から中安打・31歳4ヶ月・1003試合目) ※史上119人目
通算1500試合:1985年8月30日大洋戦(嶋田宗彦の代打として途中出場・36歳3ヶ月) ※史上82人目
通算1500安打:1986年9月27日ヤクルト戦(黒田真二から右安打・37歳4ヶ月・1582試合目) ※史上52人目


275 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/19(水) 16:08:48 .RT5Syag
おお・・・ガンと闘病中の大島康徳さんも出てきた
この人の癖のある解説が結構好きなんだよなあ・・・


276 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:17:54 JQftumOw

【221人目】

・羽田耕一 1953年6月19日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:三田学園高→71年ドラフト4位→近鉄(72-89)
達成日:1981年5月2日西武戦(7番・三塁手・27歳10ヶ月)

成績:1874試合 .253 (5939-1504) 225本 812打点 876三振 512四球 98盗塁 出塁率.313 OPS.721
【試合:79位 安打:125位 本塁打:82位 打点:88位 盗塁:247位】

※三田学園高では淡口憲治らとともに70年春の選抜でベスト8となり、4位指名を受けて近鉄に入団。2年目の73年には12本塁打を放って三塁手の定位置を掴むとチームの中心打者として成長し、80年にはキャリアハイの30本塁打・80打点をあげるなどチームの連覇に貢献。88年には「10.19」の最後の打者として併殺に倒れるも、翌89年のリーグ優勝を見届ける形で現役を引退。その後は近鉄のコーチや編成を球団消滅まで務め、オリックスと合併してからも14年末まで継続。また翌15年には学生野球指導資格研修を経て母校の三田学園高の監督に就任した。

通算1000安打:1982年9月4日南海戦(山内和宏から中安打・29歳2ヶ月・1187試合目) ※史上126人目
通算1500試合:1985年7月17日西武戦(3番・三塁手・32歳0ヶ月) ※史上80人目
通算1500安打:1989年8月5日西武戦(山根和夫から中安打・36歳1ヶ月・1850試合目) ※史上57人目


277 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:18:16 JQftumOw

【222人目】

・柳田真宏(柳田俊郎) 1948年5月21日生 外野手 左投左打
経歴:九州学院高→66年第1次ドラフト2位→西鉄(67-68)→巨人(69-79)→阪急(80)→巨人(81-82)
達成日:1981年6月8日阪神戦(二宮至の代打として途中出場・33歳0ヶ月)

成績:1079試合 .282 (2302-649) 99本 344打点 313三振 273四球 48盗塁 出塁率.358 OPS.838
【試合:421位 安打:535位 本塁打:297位 打点:430位 盗塁:520位】

※九州学院高から2位指名を受けて西鉄に入団するも、わずか2年でトレードに出されて巨人に移籍。すると新天地で才能が開花し、V9時代後半の巨人で代打の切り札として活躍。その後はスタメン出場する機会も増え、77年には打率.340(リーグ3位)、21本塁打をマークするなど「巨人史上最強の5番打者」と称された。その後79年オフにトレードで阪急に移籍するも1年で巨人に復帰し、82年に引退。その翌年にはなんと演歌歌手としてデビューを果たし、90年代には俳優として「ミナミの帝王」シリーズにも出演した。また熱狂的な巨人ファンで知られる毒蝮三太夫に顔が似ていたことから「マムシ」の愛称で親しまれた。


278 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:18:37 JQftumOw

【223人目】

・佐々木恭介 1949年12月28日生 外野手 右投右打
経歴:柏原高→新日鉄広畑→71年ドラフト1位→近鉄(72-82)
達成日:1981年7月12日日本ハム戦(栗橋茂に代わって左翼手として途中出場・31歳6ヶ月)

成績:1036試合 .283 (3119-883) 105本 412打点 349三振 298四球 94盗塁 出塁率.350 OPS.782
【試合:458位 安打:372位 本塁打:272位 打点:333位 盗塁:259位】

※新日鉄広畑では71年の都市対抗でチームの優勝に貢献し、橋戸賞と一塁のベストナインを獲得。近鉄では2年目に外野手に転向。西本幸雄監督の指導のもとで徐々に打撃も成長し、78年には打率.354で首位打者のタイトルを獲得。79,80年にも3割超えの打率を残してチームの連覇に貢献。しかしその後肝炎を患い、32歳の若さで現役を引退。その後96年に近鉄の監督に就任。直後のドラフトで7球団競合となった福留孝介の指名権を獲得した際に「ヨッシャー!」と叫び、これが愛称となるも福留は入団拒否。しかし後に中日のコーチを務めた際に福留を指導し、強打者へと成長させた。現在は社会人・大和高田クラブの監督。


279 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:19:12 JQftumOw

【224人目】

・中沢伸二 1946年6月18日生 捕手 右投右打
経歴:甲府工業高→阪急(65-85)
達成日:1981年8月11日近鉄戦(8番・捕手・35歳1ヶ月)

成績:1359試合 .225 (2885-648) 61本 296打点 564三振 339四球 11盗塁 出塁率.307 OPS.631
【試合:257位 安打:536位 本塁打:468位 打点:504位 盗塁:-位】

※ドラフト導入前にプロ入りした選手では最後の達成者。甲府工業高から阪急に入団するも、2軍暮らしや偵察要員としての期間が長く続いた。しかしリード力やディフェンスを次第に評価されるようになり、プロ入り10年目の74年に種茂雅之の後継として正捕手の定位置を掴み、上田利治監督率いる阪急の第2次黄金時代における守備の要として活躍。78年にはベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を受賞し、82年にはプロ18年目にして初の規定打席到達を果たし、リーグ6位の打率.302をマークした。85年に引退後は阪急・オリックス・日本ハムでコーチや2軍監督を歴任。現在は解説者として活動している。


280 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:19:33 JQftumOw

【225人目】

・福嶋久晃(福島久) 1947年4月10日生 捕手 右投右打
経歴:PL学園高→大昭和製紙→66年ドラフト外→大洋(67-84)→広島(85)
達成日:1981年8月26日広島戦(6番・捕手・34歳4ヶ月)

成績:1254試合 .239 (2932-702) 107本 370打点 484三振 184四球 4盗塁 出塁率.288 OPS.681
【試合:315位 安打:501位 本塁打:265位 打点:384位 盗塁:-位】

※PL学園高では65年に広島の8位指名を受けるもそれを断り、大昭和製紙に入団。ドラフト外で大洋に入団すると、3年目の69年には2軍の首位打者となり、翌70年には伊藤勲・大橋勲に次ぐ3番手捕手として1軍に定着。パンチ力のある打撃で徐々に頭角を現し、11年目の77年にはついに正捕手に抜擢。78年には横浜スタジアムでチーム初の本塁打を放つなど長らく大洋の守備の要としてチームを支えた。その後若菜嘉晴の加入もあって85年に広島に移籍し、同年限りで引退。現在は関西高のコーチを務めている。。なお2人の女子プロゴルファーを娘にもち、長女の晃子は日米通算26勝をあげ、2度の賞金王となっている。


281 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:19:50 JQftumOw

【226人目】

・正岡真二 1949年8月15日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:今治南高→67年ドラフト4位→中日(68-84)
達成日:1981年8月30日大洋戦(8番・三塁手・32歳0ヶ月)

成績:1188試合 .219 (1314-288) 2本 59打点 200三振 59四球 35盗塁 出塁率.259 OPS.519
【試合:362位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※今治南高では高校No.1遊撃手と評価され、4位指名を受けて中日に入団。しかしプロに入って打撃で伸び悩み、73年に高い守備力を評価されて1軍で出場機会を得るも、広瀬宰とのレギュラー争いが長らく続いた。その広瀬が移籍した76年以降にようやく正遊撃手となったが、79年に宇野勝が台頭したため長くは続かず。それでもその宇野の守備固めを主に二塁や三塁も守れる内野のスーパーサブとして重宝された。引退後は中日のコーチや2軍監督を歴任し、荒木雅博や酒井忠晴らを育成。その後はスカウトとしても活動し、森岡良介や又吉克樹らの獲得にも貢献している。


282 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:20:09 JQftumOw

【227人目】

・河埜和正 1951年11月7日生 遊撃手 右投右打
経歴:八幡浜工業高→69年ドラフト6位→巨人(70-86)
達成日:1981年10月5日ヤクルト戦(2番・遊撃手・29歳10ヶ月)

成績:1430試合 .251 (4195-1051) 115本 416打点 687三振 371四球 153盗塁 出塁率.320 OPS.713
【試合:219位 安打:283位 本塁打:247位 打点:328位 盗塁:123位】

※八幡浜工業高から6位指名を受けて巨人に入団。2軍で着実に力を付け、5年目の74年に黒江透修に代わって遊撃手のレギュラーを獲得。77年には初めて規定打席にも到達し、同年の日本シリーズでは第3戦でサヨナラ3ランも放った。81年には1番打者として日本一に貢献するなど70年代後半〜80年代前半の巨人のショートとして名を馳せるも、85年の阪神戦に逆転負けにつながる落球を犯したことがトラウマとなり、一時期イップスとなってしまう。結局最後までそれが尾を引く形となり、翌86年に引退。その後はスカウトやコーチを歴任した。弟の敬幸も南海・ダイエーでプレーしているが詳しくは後述。

通算1000安打:1984年9月5日中日戦(鈴木孝政からソロ・32歳9ヶ月・1322試合目) ※史上137人目


283 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:20:51 JQftumOw

【228人目】

・長崎慶一(長崎啓二) 1950年5月13日生 外野手 左投左打
経歴:北陽高→法政大→72年ドラフト1位→大洋(73-84)→阪神(85-87)
達成日:1982年5月26日阪神戦(3番・左翼手・32歳0ヶ月)

成績:1474試合 .279 (4182-1168) 146本 508打点 682三振 507四球 122盗塁 出塁率.363 OPS.812
【試合:206位 安打:233位 本塁打:181位 打点:218位 盗塁:184位】

※北陽高時代に阪神から8位指名を受けるもこれを断り、法政大に進学。史上初の2季連続首位打者となるなど屈指の巧打者として注目され、1位指名で大洋に入団。2年目の74年には規定打席不足ながら打率.356をマークし、その後は「和製ミッキー・マントル」と称されてチームの主軸打者として成長し、82年には田尾安志との熾烈な争いを制して打率.351で首位打者のタイトルを獲得した。その後85年にトレードで阪神に移籍。準レギュラーながらも勝負強い打撃で同年の優勝に貢献し、日本シリーズ第6戦では満塁本塁打も放った。87年に引退後は解説者を経て阪神やシドニー五輪の日本代表のコーチを務めた。

通算1000安打:1983年7月17日巨人戦(槙原寛己から右安打・33歳2ヶ月・1144試合目) ※史上128人目


284 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:21:17 JQftumOw

【229人目】

・柏原純一 1952年6月15日生 一塁手・三塁手・外野手 右投右打
経歴:八代東高→70年ドラフト8位→南海(71-77)→日本ハム(78-85)→阪神(86-88)
達成日:1982年6月16日阪急戦(4番・一塁手・30歳0ヶ月)

成績:1642試合 .268 (5353-1437) 232本 818打点 618三振 629四球 140盗塁 出塁率.346 OPS.796
【試合:133位 安打:137位 本塁打:75位 打点:85位 盗塁:149位】

※八代東高から8位指名を受けて南海に入団。南海では三塁手として起用されるも、コーチを務めていたブレイザーに失格の烙印を押されて一塁手に転向。76年からは2年連続で2桁本塁打を放ち徐々に力をつけていた中で野村克也監督の解任に際して球団に反旗を翻し、日本ハムへトレードで移籍。日本ハムでは移籍1年目から4番打者となり、81年には敬遠球をホームランにする離れ業を披露するなど打率3割超の好成績でリーグ優勝に貢献した。晩年は阪神でプレーし、88年に引退。その後は阪神や中日、日本ハムのコーチを歴任し、新庄剛志らを育成した。現在は解説者として活動。

通算1000安打:1982年8月1日阪急戦(今井雄太郎からソロ・30歳1ヶ月・1027試合目) ※史上124人目
通算1500試合:1986年8月15日中日戦(吉竹春樹の代打として途中出場・34歳2ヶ月) ※史上83人目


285 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:21:38 JQftumOw

【230人目】

・山下大輔 1952年3月5日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:清水東高→慶應義塾大→73年ドラフト1位→大洋(74-88)
達成日:1982年7月22日ヤクルト戦(1番・遊撃手・30歳4ヶ月)

成績:1609試合 .262 (5259-1378) 129本 455打点 642三振 534四球 95盗塁 出塁率.332 OPS.725
【試合:146位 安打:162位 本塁打:207位 打点:274位 盗塁:256位】

※プロ入り前から「慶應のプリンス」と呼ばれアイドル的人気を博し、1位指名を受けて大洋に入団。プロ入り後も人気はさらに増し、控え選手ながら1年目からオールスターのファン投票で選出。背番号1に変更した翌75年に遊撃手の定位置を掴むと、堅実な守備で76年には当時のセリーグ記録となる守備率.988を残し、そこから8年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞するなど輝かしい実績を残した。88年に引退後は横浜のコーチを務め、98年の日本一にも(スキン)ヘッドコーチとして貢献。そして03年には監督にも就任。05年には新設された楽天の(スキン)ヘッドコーチなどを務めた。今年からBCリーグの新球団・神奈川のGM。

通算1000安打:1983年6月24日ヤクルト戦(梶間健一から右安打・31歳3ヶ月・1107試合目) ※史上127人目
通算1500試合:1986年9月24日ヤクルト戦(7番・三塁手・34歳6ヶ月) ※史上84人目


286 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:23:47 i835ryfs
スキンヘッドコーチは草


287 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 15:28:32 nygpfhb6

      \     /
       \  /        ヽヽ  .,__、 //
         ×            ゛(m)"
       /  \/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  |ミ|
      /   /\         \`´
         /              ヽ
   / ̄\ l      \,, ,,/      | ひらめいた!
  ,┤    ト |    (●)     (●)   | ピッチャー、デニー!
 |  \_/  ヽ     \___/     |
 |   __( ̄ |    \/     ノ
 |    __)_ノ
 ヽ___) ノ


288 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 16:28:42 2RzY.yos
大ちゃんすき


289 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/20(木) 20:08:34 VlEZ3CIc
清水東高卒の貴重な野球選手
高校の後輩の岩崎くんにも頑張ってもらいたい


290 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:21:18 U7PfUoHk

【231人目】

・大田卓司 1951年3月1日生 外野手 右投右打
経歴:津久見高→68年ドラフト9位→西鉄・太平洋・クラウン・西武(69-86)
達成日:1982年8月15日阪急戦(4番・指名打者・31歳5ヶ月)

成績:1314試合 .267 (3459-923) 171本 564打点 430三振 213四球 25盗塁 出塁率.312 OPS.771
【試合:279位 安打:345位 本塁打:134位 打点:188位 盗塁:-位】

※津久見高では67年春の選抜で優勝を経験。ドラフト9位指名で西鉄に入団すると、4年目の72年に頭角を現して12本塁打をマーク。その後は準レギュラーの時期が長く続くが、8年目の76年に指名打者として定着し、23本塁打を放ってベストナインを獲得。その後は田淵幸一にポジションを譲り、外野手として活躍。勝負強い打撃で西武の黄金時代前半を支え、83年には日本シリーズMVPを獲得。その勝負強い打撃から「必殺仕事人」と呼ばれ、チームを支えた。引退後は90年にダイエーのコーチを務め、96年からはスカウトとしても松中信彦・井口資仁らの獲得に貢献。また台湾・韓国、近年ではヤクルトのコーチも務めた。


291 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:21:42 U7PfUoHk

【232人目】

・石渡茂 1948年8月12日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:早稲田実業高→中央大→70年ドラフト2位→近鉄(71-82)→巨人(83-85)
達成日:1982年10月7日ロッテ戦(9番・遊撃手・34歳1ヶ月)

成績:1176試合 .249 (3209-800) 53本 280打点 373三振 291四球 84盗塁 出塁率.314 OPS.657
【試合:370位 安打:424位 本塁打:532位 打点:523位 盗塁:292位】

※中央大では在学中全試合に出場。2位指名を受けて近鉄に入団すると、5年目の75年に遊撃手の定位置を掴み、77年には主に1番打者として全試合に出場し、ベストナインも獲得。79年にはチームのリーグ優勝に貢献。しかし日本シリーズでは第7戦の9回裏、1死満塁の場面でスクイズを外され、自身も三振に倒れて「
江夏の21球」に屈する。その後は吹石徳一や森脇浩司の台頭もあって83年に巨人にトレードで移籍。主に代打や守備固めで起用された。引退後は近鉄のスカウトや2軍監督を務め、球団合併後はソフトバンクに移籍。2軍監督として2度のウエスタンリーグ優勝を経験した。昨年からBC・滋賀のGMを務めている。


292 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:22:03 U7PfUoHk

【233人目】

・掛布雅之 1955年5月9日生 三塁手 右投左打
経歴:習志野高→73年ドラフト6位→阪神(74-88)
達成日:1983年4月16日巨人戦(4番・三塁手・27歳11ヶ月)

成績:1625試合 .292 (5673-1656) 349本 1019打点 897三振 819四球 49盗塁 出塁率.381 OPS.913
【試合:140位 安打:95位 本塁打:31位 打点:44位 盗塁:510位】

※習志野高から6位指名を受けて阪神に入団。1年目から佐野仙好とともに三塁の定位置を争うと、2年目にはポジションを勝ち取り、3年目の76年にはベストナインを獲得。その後は阪神の不動の4番打者となり、79年には球団日本人最多の48本塁打を放って本塁打王を獲得。82年には本塁打と打点の二冠、84年には3度目の本塁打王を獲得。85年にはバース・岡田とともに強力クリーンアップを形成し、チームの日本一に貢献するなど、球団最多の349本塁打を放った。引退後は長らく解説者として活動し、13に年に25年ぶりに阪神に復帰。その後2軍監督やSEAを経て今年から「ハンシン・レジェンド・テラー」を務める。

通算1000安打:1982年8月24日ヤクルト戦(立野政治からソロ・27歳3ヶ月・962試合目) ※史上125人目
通算1500安打:1986年8月19日大洋戦(遠藤一彦から左二塁打・31歳3ヶ月・1444試合目) ※史上51人目
通算1500試合:1987年7月18日中日戦(4番・三塁手・32歳2ヶ月) ※史上85人目


293 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:22:22 U7PfUoHk

【234人目】

・ボビー・マルカーノ 1951年6月7日生 二塁手 右投右打
経歴:阪急(75-82)→ヤクルト(83-85)
達成日:1983年5月27日中日戦(5番・二塁手・31歳11ヶ月)

成績:1313試合 .287 (4938-1418) 232本 817打点 548三振 224四球 60盗塁 出塁率.322 OPS.810
【試合:281位 安打:146位 本塁打:75位 打点:86位 盗塁:432位】

※ベネズエラのプロ球団からマイナーリーグでプレーしている最中に、上田利治監督の依頼を受け、当時エンゼルスのスカウトを務めていた平山智の斡旋によって来日し、阪急に入団。1年目の75年から加藤秀司、長池徳二とともに打線の中核を担い、5番打者として球団初の日本一に貢献。その後も阪急の黄金時代を支え、78年には自己最高の打率.322 94打点をあげて打点王のタイトルも獲得。82年オフにブーマーと入れ替わる形で退団し、ヤクルトに移籍し3年間プレーして85年に引退。その後は巨人のスカウトとなり、自身が獲得したサンチェの通訳も務めた。巨人退団後の90年に肺癌のため39歳という若さでこの世を去った。

通算1000安打:1982年7月2日西武戦(東尾修から左二塁打・31歳0ヶ月・915試合目) ※史上123人目


294 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:22:42 U7PfUoHk

【235人目】

・淡口憲治 1952年4月5日生 外野手 右投左打
経歴:三田学園高→70年ドラフト3位→巨人(71-85)→近鉄(86-89)
達成日:1983年6月11日ヤクルト戦(5番・左翼手・31歳2ヶ月)

成績:1639試合 .275 (3915-1076) 118本 474打点 544三振 331四球 58盗塁 出塁率.334 OPS.758
【試合:135位 安打:270位 本塁打:234位 打点:257位 盗塁:449位】

※三田学園高では春の選抜に2年連続出場。巨人では5年目の75年には外野手のレギュラーとして頭角を現すも、張本勲が移籍してきたために翌年からは代打起用が主となる。その張本がロッテに移籍した80年以降は再び外野手の定位置を掴み、83年には13年目にして初の規定打席到達を果たし、打率.302の好成績を残した。しかし今度は駒田徳広や吉村禎章の台頭もあり、85年オフに近鉄にトレードで移籍。89年には5番打者としてチームの優勝に貢献。古巣・巨人との日本シリーズを花道として同年限りで引退した。その後は巨人や日本ハム、ヤクルトでコーチを歴任し、松井秀喜や清水隆行、稲葉篤紀らを育成した。

通算1000安打:1988年5月31日ロッテ戦(牛島和彦から右安打・36歳1ヶ月・1494試合目) ※史上151人目
通算1500試合:1988年6月15日阪急戦(5番・一塁手・36歳2ヶ月) ※史上88人目


295 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:23:00 U7PfUoHk

【236人目】

・平野光泰 1949年4月23日生 外野手 右投右打
経歴:明星高→クラレ岡山→71年ドラフト6位→近鉄(72-85)
達成日:1983年8月9日ロッテ戦(5番・中堅手・34歳3ヶ月)

成績:1183試合 .264 (4000-1055) 107本 423打点 482三振 326四球 106盗塁 出塁率.320 OPS.711
【試合:367位 安打:281位 本塁打:265位 打点:317位 盗塁:222位】

※明星高では67年にエースとして春夏の甲子園に連続出場。また高校時代の江夏豊からただ一人本塁打(ランニング本塁打)を打ったことでも知られる。クラレ岡山を経て6位指名を受けて近鉄に入団。プロ入り後はしばらく伸び悩むも、77年に頭角を現し、78年からは不動の1番・中堅手として定着。闘志を全面に押し出すスタイルから「ガッツマン」と呼ばれ、79年の前期優勝がかかった試合ではチームの危機を救う「執念のバックホーム」の逸話を生み、80年にもロッテとのプレーオフ第3戦において決勝3ランを放つなどチームの連覇に大きく貢献した。85年に現役を引退後は解説者としての活動の傍らで飲食店を経営した。

通算1000安打:1984年7月29日日本ハム戦(間柴茂有からソロ・35歳3ヶ月・1115試合目) ※史上132人目


296 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:23:22 U7PfUoHk

【237人目】

・井上洋一 1949年2月5日生 二塁手・外野手・三塁手 右投右打
経歴:拓大一高→66年ドラフト外→サンケイ・アトムズ・ヤクルト(67-76)→ロッテ(77-86)
達成日:1983年8月24日日本ハム戦(8番・二塁手・34歳6ヶ月)

成績:1130試合 .227 (1795-407) 37本 177打点 333三振 158四球 25盗塁 出塁率.292 OPS.613
【試合:393位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※拓大一高からドラフト外でサンケイに入団。2年目の68年にはジュニアオールスターに選出、翌69年にはイースタンリーグで打点王を獲得。70年からは内外野問わず守れるユーティリティとして1軍に定着するも、レギュラーを得ることはなく出場機会も限られていた。そんな中の76年にトレードでロッテに移籍。79年には二塁手の定位置を掴み、81年には自己最多の122試合に出場。しかし、それも長くは続かず82年には落合博満が台頭。その落合が一塁に転向した直後には西村徳文も頭角を現すなど出場機会が減少。それでも86年まで20年間プレーし続けた。引退後はヤクルトのコーチを務め、現在はスコアラーとなっている。


297 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:23:46 U7PfUoHk

【238人目】

・定岡智秋 1953年6月17日生 遊撃手 右投右打
経歴:鹿児島実業高→71年ドラフト3位→南海(72-87)
達成日:1983年9月11日ロッテ戦(8番・遊撃手・30歳2ヶ月)

成績:1216試合 .232 (3386-785) 88本 370打点 689三振 206四球 27盗塁 出塁率.279 OPS.630
【試合:344位 安打:433位 本塁打:340位 打点:384位 盗塁:-位】

※いずれもプロ入りを果たした定岡3兄弟の長男。鹿児島実業高から3位指名を受けて南海に入団すると、4年目の75年に広島に移籍した佐野嘉幸に代わって遊撃手の定位置を掴む。強肩強打の遊撃手として同じく兄弟でプロになっている河埜敬幸とともに二遊間を形成。83年には全試合に出場するも、翌84年にアキレス腱を断裂。結局これが尾を引き、87年に引退。その後は南海・ダイエーでコーチや2軍監督、スカウトを歴任し、08年には四国IL・高知の監督に就任し、09年には独立リーグ日本一にチームを導いた。その後柳ヶ浦高校の監督も務めた。今年からはヘッドコーチとして7年ぶりに高知へ復帰する。


298 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:24:06 U7PfUoHk

【239人目】

・佐野仙好 1951年8月27日生 外野手・一塁手・三塁手 右投右打
経歴:前橋工業高→中央大→73年ドラフト1位→阪神(74-89)
達成日:1983年9月17日広島戦(3番・左翼手・32歳0ヶ月)

成績:1549試合 .273 (4826-1316) 144本 564打点 452三振 366四球 45盗塁 出塁率.323 OPS.726
【試合:168位 安打:179位 本塁打:187位 打点:188位 盗塁:541位】

※中央大では1年生ながら東都大リーグで首位打者となり、73年には全日本選手権優勝も経験。1位指名を受けて阪神に入団。掛布雅之とは現役生活を通じてライバル関係であり、三塁の定位置を争うも掛布が勝ち取ったため外野手に転向。77年にはコンクリート剥き出しの川崎球場のフェンスに頭部を強打し頭蓋骨陥没骨折の大怪我を負うも復帰を果たし、79年には初の規定打席に到達して打率3割をマークし、81年には初代最多勝利打点王となる。85年には6番打者としてチームの日本一に貢献した。89年に引退後も阪神に残り、コーチやスカウトとして活動。スカウトとしては吉野誠や狩野恵輔らの獲得に貢献した。

通算1000安打:1984年8月22日中日戦(都裕次郎から・32歳11ヶ月・1126試合目) ※史上136人目
通算1500試合:1988年6月13日巨人戦(金森永時の代打として途中出場・36歳9ヶ月) ※史上87人目


299 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:24:26 U7PfUoHk

【240人目】

・杉浦享 1952年6月8日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:愛知高→70年ドラフト10位→ヤクルト(71-93)
達成日:1983年10月1日大洋戦(5番・右翼手・31歳3ヶ月)

成績:1782試合 .284 (5056-1434) 224本 753打点 669三振 682四球 109盗塁 出塁率.370 OPS.849
【試合:96位 安打:140位本塁打:83位 打点:108位 盗塁:213位】

※10位指名を受けてヤクルトに入団。入団当初は投手だったが野手に転向し、一塁手としてレギュラー獲得を目指すも、後年に入団した小田義人、さらに移籍してきた大杉勝男の壁に阻まれ、外野手にコンバート。すると78年に左翼手の定位置を掴み、チームの日本一に貢献。大杉が引退した84年からは4番打者となり、85年には自己最多の34本塁打もマークした。現役晩年は代打の切り札として活躍し、92年には西武との日本シリーズで史上初の代打サヨナラ満塁本塁打を放つ。現役23年をヤクルト一筋で全うし、93年に引退。その後はヤクルトのコーチを経て、現在はヤクルト本社で営業部次長を務めている。

通算1000安打:1985年6月15日中日戦(鈴木孝政から右安打・33歳0ヶ月・1169試合目) ※史上142人目
通算1500試合:1988年9月8日巨人戦(5番・一塁手・36歳3ヶ月) ※史上90人目


300 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 14:26:20 s80LwwMQ
こりゃまたすごいメンツすぎる…


301 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 20:22:23 pHdvU97M
「ハンシン・レジェンド・テラー」
なんすかそれ


302 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/21(金) 20:25:26 aThMiNnI
>>301
阪神の歴史限定のシェヘラザードでしょ


303 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:08:44 hY14V8ZY

【241人目】

・栗橋茂 1951年8月10日生 外野手 左投左打
経歴:帝京商工高→駒澤大→73年ドラフト1位→近鉄(74-89)
達成日:1983年10月2日日本ハム戦(4番・左翼手・32歳1ヶ月)

成績:1550試合 .278 (4674-1301) 215本 701打点 766三振 511四球 105盗塁 出塁率.358 OPS.837
【試合:166位 安打:186位 本塁打:91位 打点:121位 盗塁:227位】

※駒澤大では73年の明治神宮大会で優勝を経験し、1位指名を受けて近鉄に入団。「和製ヘラクレス」と称されるほどの筋骨隆々な体を武器に、和製大砲として1軍に定着し、78年ごろから4番打者となって翌79年には自己最多の32本塁打を放ってチームの初優勝に貢献。80年にも最高出塁率のタイトルを獲得して連覇の原動力となった。その後も80年代にかけて近鉄の主軸で活躍し、89年のリーグ優勝を見届ける形で近鉄一筋の現役生活に別れを告げた。現役時代からユーモア溢れ、また破天荒な性格もあって数々の逸話を残しており、引退後も解説者としてだけでなく、数々のバラエティ番組にも出演している。

通算1000安打:1985年4月16日ロッテ戦(荘勝雄から左安打・33歳8ヶ月・1133試合目) ※史上140人目
通算1500試合:1989年4月13日ダイエー戦(5番・指名打者・37歳9ヶ月) ※史上91人目


304 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:09:05 hY14V8ZY

【242人目】

・片平晋作 1949年8月5日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:上宮高→東京農業大→71年ドラフト4位→南海(72-81)→西武(82-86)→大洋(87-89)
達成日:1983年10月20日日本ハム戦(6番・指名打者・34歳2ヶ月)

成績:1503試合 .274 (4309-1181) 176本 601打点 394三振 326四球 10盗塁 出塁率.332 OPS.773
【試合:192位 安打:229位 本塁打:128位 打点:164位 盗塁:-位】

※高校時代に王貞治に憧れて一本足打法を習得し、4位指名を受けて南海に入団。2年目の73年から頭角を現し、76年からは指名打者や一塁手としてレギュラーに定着。翌77年にバセドウ病を患い、一時期は出場機会が大幅に減るも、79年に復活し自己最高の打率.329をマークするなど低迷期の南海を支えた。その後トレードで西武に移籍すると、田淵幸一を指名打者に追いやる形で一塁手に定着し、勝負強い打撃で2年連続日本一に貢献。その後87年には再度トレードで大洋に移籍。晩年は代打の切り札として活躍した。引退後は西武のコーチや2軍監督、編成として活動し、13年には女子プロ・アストライアの監督も務めた。

通算1000安打:1986年6月26日日本ハム戦(田中富生から右安打・36歳10ヶ月・1240試合目) ※史上144人目
通算1500試合:1989年8月31日中日戦(河野誉彦に代わって一塁手として途中出場・40歳0ヶ月) ※史上95人目・史上最年長


305 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:10:53 hY14V8ZY

【243人目】

・木下富雄 1951年5月7日生 二塁手・三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:春日部高→駒澤大→73年ドラフト1位→広島(74-87)
達成日:1983年10月23日大洋戦(7番・遊撃手・32歳5ヶ月)

成績:1364試合 .240 (2430-583) 48本 221打点 321三振 191四球 106盗塁 出塁率.299 OPS.642
【試合:255位 安打:600位 本塁打:585位 打点:-位 盗塁:222位】

※駒澤大では上記の栗橋茂とともに73年の明治神宮大会優勝を経験し、その栗橋と同じく1位指名を受けて広島に入団。入団当初は打撃に苦しみ、2軍暮らしも長く続いたが徐々に粘り強い打撃と俊足を身につけ、5年目の78年から二塁手として定着し、三村敏之や高橋慶彦らとともに二遊間コンビを形成してチームの黄金時代を支え、また内外野守れるユーティリティとしてスタメンだけでなく守備固めや代走としても起用されるなどいぶし銀の選手として活躍した。87年に引退後も広島のコーチや2軍監督を務め、現在は解説者の傍らで広島市内に焼き鳥店を経営している。


306 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:12:29 hY14V8ZY

【244人目】

・新井宏昌 1952年4月26日生 外野手 右投左打
経歴:PL学園高→法政大→74年ドラフト2位→南海(75-85)→近鉄(86-92)
達成日:1984年4月7日阪急戦(2番・左翼手・31歳11ヶ月)

成績:2076試合 .291 (7011-2038) 88本 680打点 422三振 544四球 165盗塁 出塁率.342 OPS.737
【試合:40位 安打:46位 本塁打:340位 打点:129位 盗塁:109位】

※PL高では70年夏の甲子園で当時の大会記録である1大会12安打をマークして準優勝を経験。その後法政大に進み、野村克也選手兼任監督に打撃センスを見込まれて2位指名を受けて南海に入団。2年目の75年から外野手の一角となり、主に2番打者としてチームの繋ぎ役として活躍。79年にはリーグ2位の打率.358をマークする。85年にトレードで近鉄に移籍すると、87年には当時の日本記録であるシーズン184安打を放って打率.366で首位打者のタイトルも獲得。92年には史上26人目の通算2000安打も達成し、同年限りで引退。その後はオリックスや広島、ホークスでコーチを歴任し、現在はソフトバンクの2軍打撃コーチを務める。

通算1000安打:1984年5月24日近鉄戦(柳田豊から右安打・32歳0ヶ月・1037試合目) ※史上130人目
通算1500安打:1988年4月10日阪急戦(星野伸之から中安打・35歳11ヶ月・1499試合目) ※史上54人目
通算1500試合:1988年4月13日西武戦(2番・中堅手・35歳11ヶ月) ※史上86人目
通算2000試合:1992年5月17日ダイエー戦(2番・右翼手・40歳0ヶ月) ※史上27人目
通算2000安打:1992年7月8日オリックス戦(伊藤敦規から右三塁打・40歳2ヶ月・2027試合目) ※史上26人目


307 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:13:09 hY14V8ZY

【244人目】

・新井宏昌 1952年4月26日生 外野手 右投左打
経歴:PL学園高→法政大→74年ドラフト2位→南海(75-85)→近鉄(86-92)
達成日:1984年4月7日阪急戦(2番・左翼手・31歳11ヶ月)

成績:2076試合 .291 (7011-2038) 88本 680打点 422三振 544四球 165盗塁 出塁率.342 OPS.737
【試合:40位 安打:46位 本塁打:340位 打点:129位 盗塁:109位】

※PL高では70年夏の甲子園で当時の大会記録である1大会12安打をマークして準優勝を経験。その後法政大に進み、野村克也選手兼任監督に打撃センスを見込まれて2位指名を受けて南海に入団。2年目の75年から外野手の一角となり、主に2番打者としてチームの繋ぎ役として活躍。79年にはリーグ2位の打率.358をマークする。85年にトレードで近鉄に移籍すると、87年には当時の日本記録であるシーズン184安打を放って打率.366で首位打者のタイトルも獲得。92年には史上26人目の通算2000安打も達成し、同年限りで引退。その後はオリックスや広島、ホークスでコーチを歴任し、現在はソフトバンクの2軍打撃コーチを務める。

通算1000安打:1984年5月24日近鉄戦(柳田豊から右安打・32歳0ヶ月・1037試合目) ※史上130人目
通算1500安打:1988年4月10日阪急戦(星野伸之から中安打・35歳11ヶ月・1499試合目) ※史上54人目
通算1500試合:1988年4月13日西武戦(2番・中堅手・35歳11ヶ月) ※史上86人目
通算2000試合:1992年5月17日ダイエー戦(2番・右翼手・40歳0ヶ月) ※史上27人目
通算2000安打:1992年7月8日オリックス戦(伊藤敦規から右三塁打・40歳2ヶ月・2027試合目) ※史上26人目


308 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:13:44 hY14V8ZY

【245人目】

・田代富雄 1954年7月9日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:藤沢商業高→72年ドラフト3位→大洋(73-91)
達成日:1984年5月9日広島戦(5番・三塁手・29歳10ヶ月)

成績:1526試合 .266 (4961-1321) 278本 867打点 1081三振 459四球 29盗塁 出塁率.328 OPS.816
【試合:178位 安打:177位 本塁打:51位 打点:75位 盗塁:-位】

※大洋では2年目に2軍で首位打者・打点王の二冠となり、5年目の77年に三塁手のレギュラーを獲得。三振も多く「人間扇風機」と揶揄されることもあったが、松原誠とともにチームの和製大砲として活躍し、79年には80年には自己最多の36本塁打をマークするなど同年から85年まで6年連続20本塁打を放った。しかし翌86年に守備で走者と交錯し、左手首を骨折。以降は成績が低迷し、91年に引退を決意。最終試合では第2打席に満塁本塁打を放った。その後はラーメン店の経営を経て97年から横浜のコーチに就任。その後も楽天や巨人でコーチを務め、昨年から再度DeNAのコーチを務めている。ニックネームは「オバQ」。

通算1000安打:1984年7月6日ヤクルト戦(高野光から左三塁打・29歳11ヶ月・1042試合目) ※史上131人目
通算1500試合:1990年8月4日中日戦(新浦壽夫の代打として途中出場・36歳0ヶ月) ※史上97人目


309 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:14:32 hY14V8ZY

【246人目】

・梨田昌孝 1953年8月4日生 捕手 右投右打
経歴:浜田高→71年ドラフト2位→近鉄(72-88)
達成日:1984年6月14日ロッテ戦(8番・捕手・30歳10ヶ月)

成績:1323試合 .254 (3444-874) 113本 439打点 492三振 274四球 41盗塁 出塁率.312 OPS.711
【試合:276位 安打:380位 本塁打:249位 打点:291位 盗塁:580位】

※浜田高から2位指名を受けて近鉄に入団。両腕をクネクネと動かす「コンニャク打法」を武器に有田修三との「ありなしコンビ」を組んで主力捕手として近鉄のリーグ連覇に貢献。当時福本豊が猛威を振るっていたパリーグの中で5年連続で盗塁阻止率4割をマークするなど、79〜81年にベストナインとダイヤモンドグラブ賞を3年連続受賞した。88年に「10.19」を最後に現役を引退し、その後は93年から近鉄のコーチや2軍監督を務め、00年に球団最後の監督に就任。翌01年には4度目のリーグ優勝にチームを導いた。その後も日本ハムでも09年にリーグ優勝、楽天でも17年にAクラス入りを果たしている。現在は解説者。


310 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:15:42 hY14V8ZY

【247人目】

・真弓明信 1953年7月12日生 外野手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:柳川高→電電九州→72年ドラフト3位→太平洋・クラウン(73-78)→阪神(79-95)
達成日:1984年6月28日ヤクルト戦(吉竹春樹の代打として途中出場・30歳11ヶ月)

成績:2051試合 .285 (6624-1888) 292本 886打点 953三振 534四球 200盗塁 出塁率.338 OPS.805
【試合:47位 安打:60位 本塁打:44位 打点:68位 盗塁:75位】

※電電九州から太平洋に入団すると、プロ5年目の78年に遊撃手の定位置を掴んでベストナインも受賞。翌79年に田淵幸一らとのトレードで阪神に移籍。阪神では歴代2位の41本の初回先頭打者本塁打を放つなど恐怖の1番打者として定着し、二塁手に転向した83年には打率.353で首位打者のタイトルを獲得。85年には外野手となり、自己最多の34本塁打を放つなどチームの日本一に大きく貢献。現役晩年は若手の台頭により代打の切り札として活躍し、94年には歴代最多の代打シーズン30打点をあげた。95年に引退後は00年に近鉄のコーチとなり、翌01年には優勝に貢献。その後09年からは阪神の監督も務めた。

通算1000安打:1984年8月19日広島戦(川口和久から右安打・31歳1ヶ月・1035試合目) ※史上135人目
通算1500安打:1988年4月27日大洋戦(欠端光則から左安打・34歳9ヶ月・1440試合目) ※史上56人目
通算1500試合:1988年7月31日大洋戦(5番・右翼手・35歳0ヶ月) ※史上89人目
通算2000試合:1994年7月31日横浜戦(藪恵市の代打として途中出場・41歳0ヶ月) ※史上28人目


311 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:16:49 hY14V8ZY

【248人目】

・有田修三 1951年9月27日生 捕手 右投右打
経歴:宇部商業高→新日本製鐵八幡→72年ドラフト2位→近鉄(73-85)→巨人(86-89)→ダイエー(90-91)
達成日:1984年7月5日日本ハム戦(7番・捕手・32歳9ヶ月)

成績:1313試合 .247 (3091-763) 128本 430打点 582三振 405四球 16盗塁 出塁率.336 OPS.744
【試合:281位 安打:455位 本塁打:211位 打点:307位 盗塁:-位】

※新日本製鐵では3年連続で都市対抗に出場し、2位指名を受けて近鉄に入団。上記の梨田昌孝とともに捕手の2枚看板の1人として活躍し、内角主体の強気なリードでエース・鈴木啓示とバッテリーを組み、79,80年のチームの連覇に大きく貢献した。85年にトレードで巨人に移籍すると、山倉和博に次ぐ2番手捕手として活躍し、88年には故障した山倉の代わりに正捕手となってカムバック賞も受賞した。91年に前年移籍したダイエーで引退。その後は阪神や近鉄のコーチを務め、山田勝彦や的山哲也らを育成。その後解説者を経て12年には新たに就任した和田豊監督のもとでヘッドコーチも務めた。


312 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:18:09 hY14V8ZY

【249人目】

・河埜敬幸 1955年4月18日生 二塁手・外野手・三塁手 右投右打
経歴:八幡浜工業高→73年ドラフト3位→ダイエー・南海(74-89)
達成日:1984年8月5日近鉄戦(1番・中堅手・29歳3ヶ月)

成績:1552試合 .268 (5160-1384) 85本 463打点 469三振 423四球 141盗塁 出塁率.325 OPS.693
【試合:163位 安打:157位 本塁打:352位 打点:266位 盗塁:146位】

※八幡浜工業高から南海に入団すると、堅実な守備と勝負強い打撃を武器に4年目の77年から二塁手として活躍。同じく兄弟選手だった定岡智秋とともに二遊間を形成した。また84年からは中堅手としても活躍するなど晩年は様々なポジションで活躍した。兄である和正とともに兄弟でプロの舞台で活躍し、揃って1000試合、1000安打を記録したのは日本人兄弟では唯一である。引退後はダイエー・ソフトバンクのコーチを務め、その後は四国九州ILの長崎の監督をはじめ、関西や韓国の独立リーグでコーチを務めた。現在は社会人野球・カナフレックスの監督を務めており、15年、18年には社会人日本選手権に出場している。

通算1000安打:1985年4月9日近鉄戦(久保康生から・29歳11ヶ月・1040試合目) ※史上139人目
通算1500試合:1989年5月3日日本ハム戦(藤本博史の代打として途中出場・34歳0ヶ月) ※史上92人目


313 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 13:18:33 hY14V8ZY

【250人目】

・田尾安志 1954年1月8日生 外野手 左投左打
経歴:泉尾高→同志社大→75年ドラフト1位→中日(76-84)→西武(85-86)→阪神(87-91)
達成日:1984年8月29日広島戦(1番・右翼手・30歳7ヶ月)

成績:1683試合 .288 (5414-1560) 149本 574打点 644三振 467四球 58盗塁 出塁率.344 OPS.773
【試合:118位 安打:111位 本塁打:175位 打点:177位 盗塁:449位】

※同志社大では二刀流として活躍し、1位指名を受けて中日に入団。1年目に外野手のレギュラーを掴んで新人王のタイトルを獲得すると、以降は主に1番打者として起用され、82年には熾烈なタイトル争いの末に5打席連続敬遠を受け、首位打者とはなれずも自己最高の打率.350をマークするなど「安打製造機」と称された。その後85年に西武にトレードで移籍。西武でも主軸打者として連覇を経験した。87年に再度トレードで阪神に移籍し、勝負強い打撃でチームを支えた。その後は解説者を経て05年に新設された楽天の初代監督に就任。そして今年からは新たに誕生した琉球ブルーオーシャンズのSD兼コーチとして活動する。

通算1000安打:1984年8月7日大洋戦(久保文雄から二安打・30歳6ヶ月・982試合目) ※史上134人目
通算1500試合:1989年7月12日中日戦(6番・左翼手・35歳6ヶ月) ※史上93人目
通算1500安打:1990年7月5日巨人戦(宮本和知から右安打・36歳5ヶ月・1586試合目) ※史上58人目


314 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/22(土) 17:46:24 ???
梨田と真弓が連続とは
やっぱ仲いいんすね〜


315 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/22(土) 18:23:01 wDgNZbq6
NSDさんとMYMさんでだいじっこ!
と思ったら田尾さんもいて草


316 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:13:59 lrL3hOaI

【251人目】

・水谷新太郎 1953年12月7日生 遊撃手・二塁手 右投左打
経歴:三重高→71年ドラフト9位→ヤクルト(72-90)
達成日:1984年10月8日大洋戦(1番・遊撃手・30歳10ヶ月)

成績:1297試合 .250 (3419-854) 23本 240打点 510三振 248四球 146盗塁 出塁率.303 OPS.628
【試合:293位 安打:389位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:133位】

※三重高から9位指名を受けてヤクルトに入団。当初は右打だったがプロ入り後に左打に転向し、5年目の76年に遊撃手の定位置を掴み、高い守備力を活かして78年の日本一にも貢献。ダイヤモンドグラブ賞の受賞経験こそないものの、84年には当時の最高記録となる遊撃手としての守備率.991をマークした。現役晩年は二塁手に回り、90年に引退。その後は06年まで長らくヤクルトのコーチを務め、90年代の黄金期を陰ながら支え、08年からは横浜・DeNAでもコーチを務めた。現在は東京神宮シニアのコーチ。なお彼が1000試合出場を達成した試合では当時ルーキーの栗山英樹が途中から遊撃手の位置を交代している。


317 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:15:12 lrL3hOaI

【252人目】

・藤波行雄 1951年4月26日生 外野手 左投左打
経歴:静岡商業高→中央大→73年ドラフト1位→中日(74-87)
達成日:1985年4月21日阪神戦(大島康徳に代わって左翼手として途中出場・33歳11ヶ月)

成績:1146試合 .273 (1976-539) 24本 186打点 147三振 124四球 37盗塁 出塁率.319 OPS.671
【試合:383位 安打:640位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※中央大では73年の全日本選手権で優勝を経験し、東都大リーグでは1年春から全試合全イニング出場を果たし、現在でもリーグ最多の通算133安打をマーク。1位指名を受けて中日に入団すると、1年目から90試合に出場してチーム20年ぶりの優勝に貢献して新人王を獲得。その後は谷木恭平やジョーンズらとともに外野手の一員として併用され、長打力こそはないものの確実性のあるバッティングでチームを支え、82年の優勝にも貢献した。87年に引退後は解説者としての活動を経て09年から独立リーグ・三重のコーチ監督代行を歴任。その後は母校の静岡商業のコーチや常磐大野球部の総監督などアマチュア球界で活動中。


318 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:15:47 lrL3hOaI

【253人目】

・蓑田浩二 1952年3月11日生 外野手 右投右打
経歴:大竹高→三菱重工三原→75年ドラフト2位→阪急(76-87)→巨人(88-90)
達成日:1985年6月2日西武戦(3番・右翼手・30歳2ヶ月)

成績:1420試合 .279 (4604-1286) 204本 678打点 588三振 560四球 250盗塁 出塁率.362 OPS.834
【試合:224位 安打:192位 本塁打:101位 打点:130位 盗塁:44位】

※三菱重工三原では都市対抗に4度出場し、75年に2位指名を受けて阪急に入団。当時は黄金期だったこともあって選手層は厚く、付け入る隙がなかなかなかったものの、77年の日本シリーズにおいて代走として盗塁と好走塁を見せて注目を集める。翌78年には2番打者に定着し、リーグ2位の61盗塁をマーク。また打撃でも頭角を現し、80年には史上唯一の30本塁打・30盗塁・30犠打、そして82年には30年ぶり4人目のトリプルスリーも達成した。また守備でも8年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞。その後は故障に苦しむも88年に移籍した巨人でもいぶし銀の活躍を見せた。引退後は巨人のコーチも務め、現在はプロゴルファー。

通算1000安打:1985年8月24日近鉄戦(鈴木康二朗から左二塁打・33歳5ヶ月・1051試合目) ※史上143人目


319 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:16:42 lrL3hOaI

【254人目】

・高木由一 1949年3月13日生 外野手 左投左打
経歴:麻布獣医学園渕野辺高→相模原市役所→71年ドラフト外→大洋(72-87)
達成日:1985年6月4日広島戦(欠端光則の代打として途中出場・36歳2ヶ月)

成績:1147試合 .295 (3247-957) 102本 463打点 550三振 355四球 24盗塁 出塁率.366 OPS.820
【試合:382位 安打:329位 本塁打:284位 打点:266位 盗塁:-位】

※プロ野球では非常に珍しい地方公務員出身の選手。冷やかしで参加した入団テストで合格してしまい、青田昇コーチの説得もあってドラフト外でプロ入り。当初は代打要員であり、2年目の73年に戦力外となりかけるもコーチを兼任していたボイヤーの要請で残留。そのボイヤーの背番号を譲り受けたあとの77年に外野手の定位置を掴み、松原誠の退団後は一時期4番打者としても活躍。「とっつぁん」の愛称で勝負強い打撃を武器に80年代の大洋を支えた。引退後も大洋・横浜のコーチを務め、繋ぐ野球を提言したことから「マシンガン打線」の生みの親ともされる。現在はJR東日本の臨時コーチなどアマチュアで活動中。


320 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:21:10 lrL3hOaI

【255人目】

・レロン・リー 1948年3月4日生 指名打者・外野手 右投左打
経歴:カージナルス(69-71)→パドレス(71-73)→インディアンス(74-75)→ドジャース(75-76)→ロッテ(77-87)
達成日:1985年6月15日阪急戦(3番・指名打者・37歳3ヶ月)

成績:1315試合 .320 (4934-1579) 283本 912打点 690三振 473四球 33盗塁 出塁率.382 OPS.924
【試合:278位 安打:109位 本塁打:48位 打点:62位 

※MLBでは69年にデビューし、8年間・4球団で613試合に出場。活躍の場を求めて来日し、前年まで在籍していたラフィーバーの仲介でロッテに入団。キャンプでの前評判こそは酷評だったもののいざシーズンが始まると34本・109打点をマークして1年目から本塁打王・打点王の二冠に。翌78年からは弟であるレオンも誘い、有藤道世や落合博満らとともに強力なクリーンアップを形成。80年には打率.358で首位打者となるなど毎年のように3割超の打率を残し、通算打率.320は4000打数以上の選手ではNPB歴代2位、通算1579安打も外国人歴代3位となっている。現在はブレーブスのスカウトとして活動している。

通算1000安打:1983年9月17日西武戦(東尾修から中安打・35歳6ヶ月・821試合目) ※史上129人目
通算1500安打:1987年5月15日日本ハム戦(田中富生から右安打・39歳2ヶ月・1237試合目) ※史上53人目・歴代3番目の年長記録


321 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:22:52 lrL3hOaI

【256人目】

・島田誠 1954年9月3日生 外野手 左投左打
経歴:直方学園高→九州産業大(中退)→丹羽鉦電機→あけぼの通商→76年ドラフト外→日本ハム(77-90)→ダイエー(91)
達成日:1985年6月26日近鉄戦(1番・中堅手・30歳9ヶ月)

成績:1576試合 .279 (5387-1504) 76本 439打点 531三振 565四球 352盗塁 出塁率.352 OPS.737
【試合:152位 安打:125位 本塁打:397位 打点:291位 盗塁:17位】

※あけぼの通商時代に日本ハムの入団テストを受験し、外野守備の際に捕球直前にバック転をするという謎のアピールで合格。1年目からチャンスメーカーとして活躍し、3年目の79年には二盗・三盗・本盗を1イニングで成功させるなどリーグ2位の55盗塁をマーク。81年にはリーグ2位の打率.319をマークしてリーグ優勝に貢献。その後も日本ハムの切り込み隊長、ムードメーカーとしてチームを引っ張り、トレードで移籍したダイエーで91年に引退。その後は解説者を経てダイエーのコーチとして井口資仁や川崎宗則らを育成。10年には横浜のコーチを務め、石川雄洋らを育て上げた。現在は再び解説者として活動。

通算1000安打:1985年5月22日阪急戦(今井雄太郎から中安打・30歳8ヶ月・980試合目) ※史上141人目
通算1500試合:1989年9月17日ロッテ戦(1番・中堅手・35歳0ヶ月) ※史上96人目
通算1500安打:1990年9月22日西武戦(渡辺久信から中安打・36歳0ヶ月・1558試合目) ※史上60人目


322 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:25:02 lrL3hOaI

【257人目】

・高橋慶彦 1957年3月13日生 遊撃手 右投両打
経歴:城西大付西高→74年ドラフト3位→広島(75-89)→ロッテ(90)→阪神(91-92)
達成日:1985年8月20日ヤクルト戦(2番・遊撃手・28歳5ヶ月)

成績:1722試合 .280 (6510-1826) 163本 604打点 849三振 465四球 477盗塁 出塁率.333 OPS.749
【試合:108位 安打:71位 本塁打:149位 打点:161位 盗塁:5位】

※広島には投手として入団するも、直後に打者に転向。古葉竹識監督の指令の下でスイッチヒッターとなるべく猛特訓を重ね、4年目の78年から1軍に定着。広島の黄金時代における不動の1番打者として活躍し、79年には現在でも日本記録となる33試合連続安打を達成。同年と80年には盗塁王のタイトルを獲得し、チームの連覇に貢献した。また85年には自己最多の73盗塁をマークして3度目の盗塁王となった。その後は野村謙二郎の入団もあって90年にトレードでロッテに移籍。その翌年には阪神にも移籍し、92年に引退。その後はダイエーやロッテのコーチを務め、村松有人や浜名千広、西岡剛らを育成した。

通算1000安打:1984年8月7日巨人戦(西本聖から右安打・27歳4ヶ月・874試合目) ※史上133人目
通算1500安打:1988年4月23日阪神戦(中田良弘から中安打・31歳1ヶ月・1304試合目) ※史上55人目
通算1500試合:1989年8月8日巨人戦(大野豊の代打として途中出場・32歳4ヶ月) ※史上94人目


323 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:25:41 lrL3hOaI

【258人目】

・菅野光夫 1952年8月28日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:武相高→三菱自動車川崎→74年ドラフト1位→日本ハム(75-85)
達成日:1985年8月23日南海戦(クルーズの代走として途中出場・32歳11ヶ月)

成績:1009試合 .222 (1752-389) 21本 168打点 234三振 134四球 67盗塁 出塁率.285 OPS.586
【試合:489位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:384位】

※三菱自動車川崎では74年の都市対抗で東芝の補強選手に選ばれ、ベスト4を経験。高い守備力を評価されて1位指名を受けて日本ハムに入団。プロ入り後は行沢久雄とともに遊撃手の定位置を争い、5年目の79年からは二塁手に定着。81年には上位打線への繋ぎ役としてリーグ優勝に貢献した。その後も二塁を主に内野のユーティリティとして活躍し、1000試合出場を達成した85年に引退。その後は日本ハムのコーチを19年間務め、05年からは鎌ヶ谷の選手寮の寮長となり、ダルビッシュ有らの面倒を見た。しかしその最中の07年に直腸癌による心不全のために54歳の若さでこの世を去った。


324 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:26:16 lrL3hOaI

【259人目】

・永尾泰憲 1950年5月2日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:佐賀西高→いすゞ自動車→72年ドラフト1位→ヤクルト(73-78)→近鉄(79-81)→阪神(82-87)
達成日:1985年10月1日広島戦(佐藤秀明の代打として途中出場・35歳4ヶ月)

成績:1114試合 .258 (2360-610) 23本 208打点 197三振 144四球 54盗塁 出塁率.306 OPS.642
【試合:399位 安打:575位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:467位】

※いすゞ自動車から1位指名を受けてヤクルトに入団。東条文博や益川満育らとの遊撃手の定位置を争う中で、77年から二塁手の定位置を掴む。翌78年はヒルトンが入団したことにより控えに回るも、84試合に出場してリーグ優勝・日本一に貢献。その後トレードでマニエルとともに近鉄に移籍。新天地では内野のユーティリティとして活躍し、79,80年のチームの連覇に貢献した。その後82年にトレードで阪神に移籍すると、同年には代打の切り札として打率.358をマーク。85年には日本一を経験するなど、3球団で優勝請負人として活躍。その後は阪神のコーチやスカウトを務め、現在は地元・佐賀の太良高の監督を務める。


325 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/23(日) 13:26:43 lrL3hOaI

【260人目】

・レオン・リー 1952年12月4日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:ロッテ(78-82)→大洋(83-85)→ヤクルト(86-87)
達成日:1985年10月18日中日戦(4番・三塁手・32歳10ヶ月)

成績:1255試合 .308 (4667-1436) 268本 884打点 638三振 479四球 28盗塁 出塁率.372 OPS.902
【試合:314位 安打:138位 本塁打:58位 打点:69位 盗塁:-位】

※MLBではメジャー昇格を果たせなかったが、兄であるレロンの誘いを受けて来日して78年にロッテに入団。兄に負けず劣らずの打棒を発揮し、80年にはいずれも自己最高の打率.340 41本 116打点をマーク。その後82年にトレードで大洋に移籍。85年にはリーグ3位の110打点をマークするも、チャンスに弱いという理由で同年自由契約となる。その後ヤクルトでもプレーし、タイトルこそ縁がなかったものの通算打率.308をマークした。その後03年にオリックスのコーチとして再度NPBに復帰し、4月には監督に就任するも歴史的な投壊に苦しんだ。現在は実業家。なお息子のデレクはMLBで活躍し、05年には首位打者となっている。

通算1000安打:1984年10月5日広島戦(新美敏から・31歳10ヶ月・872試合目) ※史上138人目


326 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 13:58:30 2em.3P1Q
>>319
すごい経歴してんな…


327 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:33:38 az1hVnPk
とりあえず?したらば復活おめでとうございます

昨日全く書き込むことができなかったこともあり、1日分の遅れを取り戻すために今日から5日間は12人ずつ更新していきます

それでは引き続きお楽しみください


328 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:34:31 az1hVnPk

【261人目】

・山本功児 1951年12月25日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:三田学園高→法政大→本田技研鈴鹿→75年ドラフト5位→巨人(76-83)→ロッテ(84-88)
達成日:1986年4月17日近鉄戦(5番・左翼手・34歳3ヶ月)

経歴:1217試合 .277 (2523-699) 64本 369打点 306三振 184四球 13盗塁 出塁率.328 OPS.735
【試合:343位 安打:505位 本塁打:457位 打点:388位 盗塁:-位】

※本田技研鈴鹿時代に補強選手として2度の都市対抗を経験し、5位指名を受けて巨人に入団。巨人には王貞治がいたため一塁だけでなく外野も兼任して出場機会を増やし、王の引退後は中畑清と一塁の定位置を争うもレギュラーは奪えず。その後トレードでロッテに移籍すると、5番打者に定着。勝負強い打撃と高い守備力で2年連続ダイヤモンドグラブ賞を受賞。88年に引退後はロッテのコーチを経て99年に監督に就任。指導者としては福浦和也を打者転向させるなど後の日本一に繋がるチームの地盤を作り上げた。息子の武白志は15年に育成ドラフトでDeNAにプロ入り。しかしその直後の翌16年4月に肝臓癌でこの世を去った。


329 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:34:52 az1hVnPk

【262人目】

・渡辺進 1952年8月25日生 内野手 右投右打
経歴:銚子商業高→70年ドラフト4位→ヤクルト(71-87)
達成日:1986年6月3日中日戦(水谷新太郎の代打として途中出場・33歳9ヶ月)

成績:1058試合 .245 (2761-677) 93本 328打点 535三振 253四球 24盗塁 出塁率.317 OPS.710
【試合:440位 安打:521位 本塁打:320位 打点:453位 盗塁:-位】

※銚子商業では70年夏の甲子園に出場し、4位指名でヤクルトに入団。プロ入り6年目の76年に1軍に定着し、水谷新太郎・永尾泰憲らとともに遊撃手の定位置を争い、80年からは退団したヒルトンに代わって二塁手に定着。プロ11年目の81年には初の規定打席到達を果たし、三塁手に転向した83年には2本のサヨナラ弾を含む19本塁打を放った。翌84年には一塁手となるなどプロ17年間で内野4ポジションを転々としながら、ヤクルト一筋でチームを支えた。引退後もコーチとして05年まで18年間コーチを務め、5度のリーグ優勝・4度の日本一を経験。その後フロントを経て13年にヤクルトを退団。現在は日立製作所のコーチを務める。


330 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:35:13 az1hVnPk

【263人目】

・古屋英夫 1955年8月1日生 三塁手 右投右打
経歴:木更津中央高→亜細亜大→77年ドラフト2位→日本ハム(78-90)→阪神(91-92)
達成日:1986年6月14日阪急戦(7番・三塁手・30歳10ヶ月)

成績:1521試合 .273 (5143-1406) 180本 686打点 604三振 346四球 122盗塁 出塁率.326 OPS.756
【試合:180位 安打:149位 本塁打:125位 打点:128位 盗塁:184位】

※亜細亜大では77年の日米大学野球選手権で日本の4番を務め、2位指名を受けて日本ハムに入団。1年目から三塁手として積極的に起用され、2年目の79年には打率.312をマーク。81年には勝負強い6番打者としてチームの優勝に貢献し、同年から84年まで4年連続で全試合に出場。85年には4番打者を務めるなどチームにおいては様々な打順で起用され、89年には史上初となる全打順本塁打も達成。その後91年に阪神に移籍し、主に代打で活躍。92年に引退後は日本ハムのコーチやオリックスのスカウト・2軍監督、楽天や阪神のコーチ・2軍監督を歴任。昨年まではオリックスの編成部に在籍していた。

通算1000安打:1986年7月3日近鉄戦(佐々木修から左安打・30歳11ヶ月・1011試合目) ※史上145人目
通算1500試合:1991年9月22日大洋戦(オマリーに代わって一塁手として途中出場・36歳1ヶ月) ※史上100人目


331 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:35:33 az1hVnPk

【264人目】

・水上善雄 1957年8月9日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:桐蔭学園高→75年ドラフト3位→ロッテ(76-89)→広島(90)→ダイエー(91-92)
達成日:1986年6月14日南海戦(佐藤健一に代わって遊撃手として途中出場・28歳10ヶ月)

成績:1546試合 .244 (4145-1011) 105本 450打点 771三振 326四球 115盗塁 出塁率.301 OPS.671
【試合:171位 安打:297位 本塁打:272位 打点:280位 盗塁:196位】

※桐蔭学園から3位指名を受けてロッテに入団。4年目の79年に遊撃手の定位置を掴むと、80年には当時のリーグ最多記録となる33犠打をマークし、ダイヤモンドグラブ賞も受賞。その後も80年代のロッテを代表する選手として活躍し、87年にはベストナインも受賞。88年の「10.19」では近鉄の勝ち越しを阻止する好守も見せた。その後トレードで90年に広島、91年にはダイエーに移籍し、92年に引退。その後はいったんプロから離れるも、07年に日本ハムのコーチとして現場復帰。14年からはソフトバンクのコーチや2軍監督も務めた。昨年からは橘学苑中学・高校の監督を務めている。

通算1500試合:1991年8月2日西武戦(8番・遊撃手・33歳11ヶ月) ※史上99人目
通算1000安打:1991年8月16日近鉄戦(佐藤秀明から左安打・34歳0ヶ月・1512試合目) ※史上163人目


332 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:35:54 az1hVnPk

【265人目】

・若菜嘉晴 1953年12月5日生 捕手 右投右打
経歴:柳川商業高→71年ドラフト4位→西鉄(72)→太平洋・クラウン(74-78)→阪神(79-82)→大洋(83-88)→日本ハム(89-91)
達成日:1986年6月15日巨人戦(8番・捕手・32歳6ヶ月)

成績:1387試合 .267 (3878-1037) 54本 340打点 399三振 225四球 27盗塁 出塁率.309 OPS.657
【試合:242位 安打:289位 本塁打:520位 打点:435位 盗塁:-位】

※柳川商業から72年に西鉄に入団すると、2年目の73年には当時のオーナーが所有していた1Aチームに野球留学し、6年目の77年に1軍定着を果たし、頭角を現す。その後田淵幸一らとの大型トレードで阪神に移籍。阪神でも正捕手として活躍するも、82年に自身のスキャンダルもあって自由契約となる。その後再び渡米し、マイナーリーグの特命コーチを経て83年に大洋に復帰し、85年には全試合に出場を果たす。その後日本ハムに移籍し、91年に西鉄最後の選手となって引退。その後は解説者を経て97年からはダイエーのコーチを務め、城島健司を育成した。現在は解説者・評論家として活動。愛称は「ナッパ」。

通算1000安打:1990年7月22日西武戦(石井丈裕から左安打・36歳7ヶ月・1316試合目) ※史上161人目


333 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:36:12 az1hVnPk

【266人目】

・岡持和彦 1951年9月9日生 外野手・投手 左投左打
経歴:立教高→69年ドラフト6位→東映・日拓・日本ハム(70-88)
達成日:1986年8月9日南海戦(白井一幸の代打として途中出場・34歳11ヶ月)

成績:1218試合 .260 (2688-698) 78本 332打点 413三振 241四球 21盗塁 出塁率.325 OPS.720
投手:2登板 0勝0敗 3.0投球回 0奪三振 4与四球 1被安打 防3.00 WHIP1.67
【試合:342位 安打:508位 本塁打:387位 打点:447位 盗塁:-位】

※立教高から6位指名を受けて東映に入団。投手として入団し、1年目に1軍で2試合の登板を果たすもその後は伸び悩み、野手に転向。5年目の74年ごろから1軍に定着し始める。張本勲や島田誠、さらに助っ人といった面々がいたため、プロ生活通じて控えでの起用が多かったものの、77年には2番打者として108試合に出場し打率.282と活躍。リーグ優勝を達成した81年には第1戦で加藤初から本塁打も放つなど勝負強い打撃でチームを支え、東映最後の選手となった88年に引退。その後は日本ハムのコーチを務めた。永年独身を貫いており、当時はその独身ネタの標的とされたが引退直前に13歳年下の女性と結婚し話題を呼んだ。


334 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:36:32 az1hVnPk

【267人目】

・山村善則 1955年4月11日生 三塁手・外野手 右投右打
経歴:大鉄高→73年ドラフト1位→太平洋・クラウン・西武(74-81)→南海・ダイエー(82-89)
達成日:1986年10月8日日本ハム戦(7番・三塁手・31歳5ヶ月)

成績:1153試合 .256 (2886-739) 70本 318打点 398三振 161四球 20盗塁 出塁率.303 OPS.674
【試合:377位 安打:472位 本塁打:419位 打点:469位 盗塁:-位】

※大鉄高では「有藤通世2世」の評価を受けており、1位指名で太平洋に入団。1年目の75年には試合をまたいでプロ初本塁打から2打席連続で本塁打を放ち、翌76年からは退団したビュフォードに代わって三塁手に定着。82年のキャンプ直前にトレードで南海に移籍。南海では主に外野手として起用され、成績こそ目立たないものだったが80年代の南海を支え続けた。球団がダイエーとなった89年に引退し、その後もホークスに残ってコーチとして長らく活躍。現在は球団職員となり、スカウトとして活動している。なお弟の勝彦も77年にクラウンに入団。1軍出場はなかったものの、3年間兄弟でライオンズに在籍していた。


335 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:36:52 az1hVnPk

【268人目】

・宇野勝 1958年5月30日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:銚子商業高→76年ドラフト3位→中日(77-92)→ロッテ(93-94)
達成日:1987年4月14日広島戦(6番・遊撃手・28歳10ヶ月)

成績:1802試合 .262 (6188-1620) 338本 936打点 1306三振 605四球 78盗塁 出塁率.329 OPS.799
【試合:87位 安打:101位 本塁打:34位 打点:58位 盗塁:323位】

※銚子商業高から3位指名を受けて中日に入団。3年目の79年に遊撃手の定位置を掴むと、持ち前の強打を活かして活躍。81年にはヘディング事件で一躍時の人となり、翌82年にはリーグ優勝にも貢献。84年には37本塁打を放って遊撃手としては歴代唯一の本塁打王のタイトルを獲得。また85年には昨年坂本勇人が到達するまで遊撃手では唯一となったシーズン40本塁打にも到達するなど球団最多の334本塁打を放った。その後立浪和義の入団もあり、93年にロッテに移籍し翌94年に引退。その後は解説者を経て04年から中日のコーチとして落合政権を支えた。現在は再度解説者や評論家として活動している。

通算1000安打:1987年10月8日阪神戦(伊藤文隆から中安打・29歳4ヶ月・1121試合目) ※史上149人目
通算1500試合:1991年4月14日大洋戦(7番・三塁手・32歳10ヶ月) ※史上98人目
通算1500安打:1991年10月15日広島戦(川島堅から・33歳4ヶ月・1618試合目) ※史上62人目


336 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:37:10 az1hVnPk

【269人目】

・山倉和博 1955年9月2日生 捕手 右投右打
経歴:東邦高→早稲田大→77年ドラフト1位→巨人(78-90)
達成日:1987年4月25日阪神戦(8番・捕手・31歳7ヶ月)

成績:1262試合 .231 (3608-832) 113本 426打点 620三振 356四球 27盗塁 出塁率.301 OPS.670
【試合:309位 安打:401位 本塁打:249位 打点:313位 盗塁:-位】

※早稲田大から1位指名を受けて巨人に入団。プロ3年目の80年から正捕手に定着。確実性には欠けたもののパンチ力のある打撃から「意外性の男」と呼ばれ、80年代の巨人の女房役として活躍。87年には自己最高の打率.273 22本の好成績に加え、桑田・江川・槙原・水野と2桁勝利を達成した4投手をリードした守備面の評価もあって球団捕手では初のMVPを獲得した。その後は村田真一らの台頭もあり、90年に引退。その後は解説者を経て93年からは長嶋茂雄監督のもとでバッテリーコーチを務めた。11年には1年だけソフトバンクのバッテリーコーチも務めた。


337 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:37:28 az1hVnPk

【270人目】

・中畑清 1954年1月6日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:安積商業高→駒澤大→75年ドラフト3位→巨人(76-89)
達成日:1987年5月26日大洋戦(5番・三塁手・33歳4ヶ月)

成績:1248試合 .290 (4458-1294) 171本 621打点 523三振 290四球 70盗塁 出塁率.334 OPS.808
【試合:319位 安打:190位 本塁打:134位 打点:154位 盗塁:365位】

※駒澤大では平田薫・二宮至とともに「駒澤大三羽烏」として一躍注目を浴びる。巨人では4年目の79年に三塁手の定位置を獲得。その後原辰徳に三塁の位置を譲り、一塁手に転向。以降はその原やクロマティらとともにチームの主軸打者として活躍。守備でも7年連続ゴールデングラブ賞を受賞した。89年に引退を表明し、最後の試合となった日本シリーズ第7戦では代打で本塁打を放ち、有終の美を飾った。その後は長嶋監督のもとで巨人のコーチを務め、04年にはその長嶋に代わってアテネ五輪代表の監督も務めた。そして12年からはDeNA初代監督に就任。明るいキャラで人気を博し、現在も活躍する選手らを育て上げた。

通算1000安打:1986年9月2日広島戦(小林誠二から左安打・32歳7ヶ月・943試合目) ※史上146人目


338 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:37:56 az1hVnPk

【271人目】

・八重樫幸雄 1951年6月15日生 捕手 右投右打
経歴:仙台商業高→69年ドラフト1位→ヤクルト(70-93)
達成日:1987年6月5日中日戦(8番・捕手・35歳11ヶ月)

成績:1348試合 .241 (3207-773) 103本 401打点 704三振 284四球 6盗塁 出塁率.309 OPS.692
【試合:265位 安打:444位 本塁打:283位 打点:344位 盗塁:-位】

※仙台商業では東北球界きっての大型捕手と注目され、1位指名を受けてヤクルトに入団。同年7位指名で入団した大矢明彦を即戦力で起用する方針もあって、すぐに外野手にコンバートされるも75年に再度捕手に復帰。控え捕手として徐々に出場機会を増やし、中西太がコーチに就任した83年に極端なオープンスタンスの「八重樫打法」を習得し、大矢に代わって正捕手となって85年には打率3割もマークしてベストナインとなった。晩年は代打として活躍し、90年には21年目にして通算100本塁打も達成。実働23年をヤクルト一筋を貫き、93年に42歳で引退。その後はコーチやスカウトとしても長らく活動した。現在は解説者。


339 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 14:38:19 az1hVnPk

【272人目】

・篠塚和典(篠塚利夫) 1957年7月16日生 二塁手 右投左打
経歴:銚子商業高→75年ドラフト1位→巨人(76-94)
達成日:1987年7月4日阪神戦(6番・二塁手・29歳11ヶ月)

成績:1651試合 .304 (5572-1696) 92本 628打点 580三振 394四球 55盗塁 出塁率.351 OPS.766
【試合:128位 安打:90位 本塁打:327位 打点:150位 盗塁:462位】

※銚子商業高では4番・三塁手として74年夏の甲子園で千葉県勢初の優勝に貢献。1位指名を受けて入団した巨人では79年オフの地獄の伊東キャンプを経て80年に二塁手の定位置を奪い、リーグ2位の打率.357をマーク。以降は広角打法を武器に安打を量産。84,87年には首位打者のタイトルを獲得するなど80年代の巨人を代表する選手となり、通算打率3割をマークするなど数々の記録を残した。晩年は腰痛に悩まされて代打起用も多くなり、94年に引退。その後は巨人のコーチを務め、09年には原辰徳監督のもとで第2回WBCの打撃コーチも務めた。現在は主に解説者として活動。

通算1000安打:1987年4月29日中日戦(川本智徳から中安打・29歳9ヶ月・959試合目) ※史上147人目
通算1500安打:1991年7月10日広島戦(長冨浩志から右安打・33歳11ヶ月・1423試合目) ※史上61人目
通算1500試合:1992年8月20日大洋戦(1番・二塁手・35歳1ヶ月) ※史上103人目


340 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/25(火) 16:39:25 DgtFdoX.
ウーやんも達成してたんですねえ


341 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 14:02:20 eCLjRcsw
80年代のG戦士がいっぱいだあ!


342 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:13:55 hdfDaB8.

【273人目】

・松本匡史 1954年8月8日生 外野手 右投両打
経歴:報徳学園高→早稲田大→76年ドラフト5位→巨人(77-87)
達成日:1987年8月30日広島戦(槙原寛己の代打として途中出場・33歳0ヶ月)

成績:1016試合 .278 (3250-902) 29本 195打点 549三振 294四球 342盗塁 出塁率.340 OPS.695
【試合:486位 安打:357位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:21位】

※早稲田大では六大学リーグ通算57盗塁をマークし、5位指名を受けて巨人に入団。プロ入り直後は肩の脱臼が頻発し伸び悩んでいたが、肩の手術や地獄の伊東キャンプでスイッチヒッターに転向したことにより素質が開花。81年ごろから1番打者に定着し、82年には61盗塁、翌83年にはセリーグ記録の76盗塁をマークして2年連続盗塁王となり、青い手袋を着用していたことから「青い稲妻」と呼ばれるようになる。しかしその後はクロマティの入団や駒田徳広、吉村禎章の台頭もあって出場機会を減らし、1000試合出場を達成した87年に引退。その後は巨人や楽天のコーチを務め、17年にはBC・滋賀の監督も務めた。


343 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:14:18 hdfDaB8.

【274人目】

・角富士夫 1956年5月31日生 三塁手・二塁手 右投右打
経歴:福岡第一高→74年ドラフト2位→ヤクルト(75-94)
達成日:1987年9月11日巨人戦(ホーナーに代わって三塁手として途中出場・31歳3ヶ月)

成績:1521試合 .262 (4565-1196) 128本 489打点 614三振 376四球 19盗塁 出塁率.319 OPS.711
【試合:180位 安打:223位 本塁打:211位 打点:233位 盗塁:-位】

※福岡第一高から3位指名を受けてヤクルトに入団。4年目の78年には船田和英、水谷新太郎とともに併用されながら三塁手として出場機会を増やし、チームの初リーグ優勝に貢献。日本シリーズでも第2戦で本塁打を放った。その後は80年代のヤクルトの正三塁手となり、パンチ力のある打撃と小技を得意とした繋ぎ役として活躍。ホーナーやハウエルといった助っ人三塁手が入団して以降も存在感を発揮し、91年にはゴールデングラブ賞も受賞した。94年に引退後もコーチやフロントとしてヤクルト一筋で活動。18年に退団し、昨年2月からは古田敦也が特命教授を務めている東京国際大学の監督に就任した。

通算1000安打:1989年8月30日広島戦(金石昭人から右安打・33歳2ヶ月・1205試合目) ※史上158人目
通算1500試合:1992年9月16日大洋戦(伊東昭光の代打として途中出場・36歳3ヶ月) ※史上104人目


344 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:14:38 hdfDaB8.

【275人目】

・屋鋪要 1959年6月11日生 外野手 右投両打
経歴:三田学園高→77年ドラフト6位→大洋・横浜(78-93)→巨人(94-95)
達成日:1987年9月22日阪神戦(3番・中堅手・28歳3ヶ月)

成績:1628試合 .269 (4263-1146) 58本 375打点 804三振 343四球 106盗塁 出塁率.323 OPS.686
【試合:138位 安打:238位 本塁打:487位 打点:376位 盗塁:23位】

※三田学園高から6位指名を受けて大洋に入団。3年目の80年ごろから頭角を現し、82年から中堅手の定位置を掴むと、85年には高木豊・加藤博一とともに「スーパーカートリオ」を結成。自身は3番打者となり、同年には自己最多の58盗塁、86〜88年には3年連続で盗塁王のタイトルを獲得。また守備でも忍者のような守備範囲を武器に華麗なプレーを見せ、84〜88年に5年連続でGG賞を獲得した。93年オフに自由契約となって巨人に移籍。長嶋監督の許しも経て球団日本人選手では初めてトレードマークのヒゲをつけてプレーした。引退後は解説者や巨人のコーチを務め、また鉄道文化人としても活動している。

通算1000安打:1992年4月29日広島戦(佐々岡真司から右安打・32歳10ヶ月・1314試合目) ※史上164人目
通算1500試合:1994年5月18日広島戦(西岡良洋に変わって中堅手として途中出場・34歳11ヶ月) ※史上112人目


345 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:15:51 hdfDaB8.

【276人目】

・落合博満 1953年12月9日生 一塁手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:秋田工業高→東洋大(中退)→東芝府中→78年ドラフト3位→ロッテ(79-86)→中日(87-93)→巨人(94-96)→日本ハム(97-98)
達成日:1988年5月14日巨人戦(4番・三塁手・34歳5ヶ月)

成績:2236試合 .311 (7627-2371) 510本 1564打点 1135三振 1475四球 65盗塁 出塁率.422 OPS.987
【試合:23位 安打:12位 本塁打:6位 打点:5位 盗塁:400位】

※東芝府中から3位指名を受けて25歳でロッテに入団。プロ入り後に編み出した神主打法を武器にロッテ時代には82,85,86年に史上唯一の3度の三冠王となるなど突出した成績を残す。その後1対4の大型トレードで中日に移籍。中日でもともに史上初となる両リーグでの本塁打王・打点王を獲得するなど打棒を発揮する。93年に導入されたばかりのFA権を行使して巨人に移籍。40代となってからも主軸打者として活躍し、通算2000安打、500本塁打も達成した。98年に日本ハムで引退後、解説者を経て04年に中日の監督に就任。「オレ流」の采配で4度のリーグ優勝に導くなど黄金時代を築き上げた。その後はGMも務めた。11年に殿堂入り。

通算1000安打:1987年6月2日大洋戦(高橋一彦からソロ・33歳5ヶ月・888試合目) ※史上148人目
通算1500安打:1990年9月5日巨人戦(桑田真澄から3ラン・36歳8ヶ月・1349試合目) ※史上59人目
通算1500試合:1992年5月4日広島戦(4番・一塁手・38歳4ヶ月) ※史上101人目
通算2000安打:1995年4月15日阪神戦(久保康生からソロ・41歳4ヶ月・1849試合目) ※史上27人目
通算2000試合:1996年5月29日ヤクルト戦(4番・一塁手・42歳5ヶ月) ※史上29人目・最年長


346 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:16:20 TTdQPs3I
>>345
やっぱり落合さんはすごい(ヒヒーン


347 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:16:23 hdfDaB8.

【277人目】

・岡田彰布 1957年11月25日生 二塁手・三塁手・一塁手 右投右打
経歴:北陽高→早稲田大(中退)→79年ドラフト1位→阪神(80-93)→オリックス(94-95)
達成日:1988年6月22日ヤクルト戦(4番・二塁手・30歳6ヶ月)

成績:1639試合 .277 (5496-1520) 247本 836打点 767三振 624四球 76盗塁 出塁率.351 OPS.813
【試合:135位 安打:120位 本塁打:64位 打点:82位 盗塁:336位】

※そら (早稲田大では3年秋に三冠王となるなど圧倒的な成績を残し、78年ドラフトでは6球団の競合となり、阪神に入団。1年目から三塁手として起用され、18本塁打を放って新人王となると、その後二塁手となって迎えた85年にはバース・掛布雅之とともに強力なクリーンアップを形成。打率.342 35本 101打点の好成績で日本一に貢献するなど80年代の阪神を支えた。その後は若手の台頭もあって94年にオリックスで移籍。95年に引退後は04年から阪神の監督に就任。05年には「JFK」や強力打線を擁し、リーグ優勝にチームを導いた。さらに10年からはオリックスの監督も務めた。現在は解説者として活動しているのは)オレよ。

通算1000安打:1988年5月26日ヤクルト戦(伊東昭光から左安打・30歳6ヶ月・983試合目) ※史上150人目
通算1500試合:1992年8月9日広島戦(弓長起浩の代打として途中出場・34歳8ヶ月) ※史上102人目
通算1500安打:1994年6月29日近鉄戦(江坂政明から中安打・36歳7ヶ月・1578試合目) ※史上68人目


348 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:16:47 hdfDaB8.

【278人目】

・吹石徳一 1953年4月2日生 遊撃手・三塁手・一塁手 右投右打
経歴:南部高→日本新薬→74年ドラフト4位→近鉄(75-88)
達成日:1988年9月18日日本ハム戦(7番・三塁手・35歳5ヶ月)

成績:1020試合 .229 (1854-424) 52本 200打点 203三振 84四球 57盗塁 出塁率.267 OPS.614
【試合:481位 安打:-位 本塁打:539位 打点:-位 盗塁:452位】

※日本新薬から4位指名を受けて近鉄に入団。プロ入り後しばらくは当時の正遊撃手だった石渡茂の控え要員だったものの、6年目の80年に三塁手としても出場機会を稼いで同年のリーグ優勝に貢献。日本シリーズでも第2戦で逆転3ランを放った。翌81年には石渡から遊撃手のポジションを奪い、初の規定打席到達を果たした。その後も内野のユーティリティとして活躍し、80年代の近鉄を支え続けた。「10.19」を最後に引退し、その後は近鉄のコーチやスカウトを歴任。球団の合併後は楽天に移籍。13年から古巣の日本新薬に戻り、17年からは監督を務めた。娘は女優の吹石一恵であり、その夫である福山雅治の義父でもある。


349 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:17:06 hdfDaB8.

【279人目】

・石毛宏典 1956年9月22日生 三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:銚子高→駒澤大→プリンスホテル→80年ドラフト1位→西武(81-94)→ダイエー(95-96)
達成日:1988年9月23日南海戦(1番・三塁手・32歳0ヶ月)

成績:1796試合 .283 (6472-1833) 236本 847打点 1127三振 787四球 243盗塁 出塁率.362 OPS.812
【試合:91位 安打:67位 本塁打:72位 打点:80位 盗塁:48位】

※駒澤大では東都大リーグ歴代3位の通算114安打を放ち、プリンスホテルを経て80年ドラフトで阪急との競合の末に西武が獲得。1年目から遊撃手の定位置を掴み、打率.311 21本 25盗塁の好成績で新人王となると、以降は走攻守三拍子揃った西武黄金時代の1番打者として活躍し、86年には自己最高の打率.329をマークしてMVPを獲得。88年にも日本シリーズMVPを獲得し、パリーグ野手では初の1億円プレイヤーとなった。94年オフにFAでダイエーに移籍し、翌95年に引退。その後は02年にオリックスの監督も務め、またその後は四国IL、関西独立リーグを設立。現在は千葉商科大付高の臨時コーチや解説者として活動。

通算1000安打:1988年6月7日南海戦(加藤伸一から中安打・31歳8ヶ月・932試合目) ※史上152人目
通算1500安打:1992年6月24日ダイエー戦(若田部健一から・35歳9ヶ月・1421試合目) ※史上63人目
通算1500試合:1993年4月17日ロッテ戦(1番・三塁手・36歳6ヶ月) ※史上105人目


350 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:17:22 t6zj0S36
>>347
どんでんのコラムすき


351 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:17:25 hdfDaB8.

【280人目】

・原辰徳 1958年7月22日生 三塁手・外野手・一塁手 右投右打
経歴:東海大相模高→東海大→80年ドラフト1位→巨人(81-95)
達成日:1988年10月2日ヤクルト戦(4番・三塁手・30歳2ヶ月)

成績:1697試合 .279 (6012-1675) 382本 1093打点 894三振 705四球 82盗塁 出塁率.355 OPS.878
【試合:116位 安打:93位 本塁打:22位 打点:34位 盗塁:304位】

※読売ジャイアンツ現監督。80年のドラフトで4球団の競合の末に巨人に入団。1年目から三塁手の定位置を掴んで22本塁打を放って新人王となると、83年には103打点をあげて打点王・MVPを獲得。以降も巨人の不動の4番打者として活躍し、93年まで入団から12年連続で20本塁打、14年連続2桁本塁打をマークし「若大将」の愛称で親しまれた。その後コーチを経て02年に監督に就任し、同年に1年目にして日本一となる。06〜15年の第2次政権時には2度のリーグ3連覇を達成し、その間の09年には侍ジャパン監督としてWBC連覇も達成。そして昨年からの第3次政権では、チームを5年ぶりの優勝に導いた。18年に殿堂入り。

通算1000安打:1988年7月13日ヤクルト戦(尾花高夫から左安打・29歳11ヶ月・948試合目) ※史上153人目
通算1500安打:1992年9月12日広島戦(望月秀通から中安打・34歳1ヶ月・1446試合目) ※史上66人目
通算1500試合:1993年6月1日横浜戦(4番・三塁手・34歳10ヶ月) ※史上106人目


352 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:17:55 hdfDaB8.

【281人目】

・行沢久隆 1953年7月11日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:PL学園高→中央大→75年ドラフト2位→日本ハム(76-79)→西武(79-88)
達成日:1988年10月11日南海戦(石毛宏典に代わって三塁手として途中出場・35歳3ヶ月)

成績:1004試合 .230 (1673-385) 35本 154打点 231三振 73四球 33盗塁 出塁率.267 OPS.616
【試合:498位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※昭和最後の達成者。中央大では73年の全日本選手権、74年の神宮大会で優勝を経験し、75年ドラフトで2位指名を受けて日本ハムに入団。1年目にはプロ3打席目にして満塁本塁打を放つも、興奮のあまり一塁走者を追い越してしまいアウトとなる。その後菅野光夫と遊撃手のレギュラーを争うも、4年目の79年のシーズン途中にトレードで西武に移籍。西武では80年代の黄金時代における内野のユーティリティとして活躍し、1000試合出場を達成した88年に引退。その後は西武のコーチを務め、松井稼頭央や中島裕之らを育て上げた。現在は日本経済大学の監督。現役時代から独身を貫くもコーチ時代の06年に53歳で初婚。


353 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:18:13 hdfDaB8.

【282人目】

・立花義家 1958年10月27日生 外野手 左投左打
経歴:柳川商業高→76年ドラフト1位→クラウン・西武(77-91)→阪神(92)
達成日:1989年4月25日日本ハム戦(藤野正剛の代打として途中出場・30歳5ヶ月)

成績:1149試合 .262 (3053-801) 51本 318打点 475三振 185四球 33盗塁 出塁率.309 OPS.669
【試合:380位 安打:422位 本塁打:548位 打点:469位 盗塁:-位】

※平成初の達成者。柳川商業高では「左の原辰徳」と称され、76年ドラフトで1位指名を受けてクラウンに入団。2年目の79年開幕戦で3番打者に座るなど期待の若手として抜擢され、西武球場公式戦初本塁打も放ち、翌80年には17本塁打を放って「恐怖の7番打者」に。その後も西武の黄金時代を支え、田尾安志の移籍や秋山幸二・金森永時の台頭後は代打の切り札として活躍。92年には金銭トレードで阪神に移籍し、翌93年には台湾・俊国でもプレーした。引退後は指導者に転身し、ダイエー・ソフトバンク、オリックス、西武、ロッテとパリーグ4球団を転々とし、20年現在はソフトバンクの1軍打撃コーチを務める。


354 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:18:29 hdfDaB8.

【283人目】

・弓岡敬二郎 1958年6月28日生 遊撃手 右投右打
経歴:東洋大姫路高→新日本製鐵広畑→80年ドラフト3位→阪急・オリックス(81-91)
達成日:1989年6月3日ロッテ戦(藤井康雄の代走として途中出場・30歳11ヶ月)

成績:1152試合 .257 (3144-807) 37本 273打点 206三振 218四球 132盗塁 出塁率.306 OPS.646
【試合:378位 安打:416位 本塁打:-位 打点:538位 盗塁:170位】

※オリックスとなってからは初の達成者。新日鐵広畑から80年のドラフト3位で阪急に入団。それまで不動の遊撃手だった大橋穣がキャンプで骨折したことから1年目からポジションを奪い取り、ルーキーながら全試合に出場。83年には自己最多の35盗塁をマークし、84年には打率3割をマークしてベストナインも獲得した。その後は小川博文の台頭もあり、91年に引退。その後はオリックスのコーチやフロントとして13年までチームに在籍。翌14年からは四国IL・愛媛の監督を務め、15,16年には2年連続で年間総合優勝を達成し、監督としての背番号77は愛媛の永久欠番となった。翌17年から再度オリックスに復帰している。


355 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 15:18:51 hdfDaB8.

【284人目】

・松永浩美 1960年9月27日生 三塁手 右投両打
経歴:小倉工業高(中退)→78年ドラフト外→阪急・オリックス(79-92)→阪神(93)→ダイエー(94-97)
達成日:1989年6月17日ロッテ戦(1番・三塁手・28歳8ヶ月)

成績:1816試合 .293 (6490-1904) 203本 855打点 1046三振 886四球 239盗塁 出塁率.380 OPS.837
【試合:84位 安打:58位 本塁打:102位 打点:79位 盗塁:53位】

※60年代生まれでは初の達成者。78年に小倉工業高を中退してドラフト外で阪急に入団するも、協約に抵触したため練習生を経て79年に支配下登録。当初は右打だったが俊足を活かすべく両打に転向し、85年には38盗塁で盗塁王となると、88年には11打席連続四球と勝負を避けられ、91年にも平井光親にわずか4厘差でともに首位打者のタイトルを逃すも、日本人最多の6度の両打席本塁打を記録し、史上屈指のスイッチヒッターとして名を残した。92年オフにトレードで阪神に移籍。翌年には日本初のFA選手としてダイエーに移籍し97年に引退。その後は少年野球やBCリーグ群馬で指導者となり、現在はYouTuberとしても活動。

通算1000安打:1989年5月23日日本ハム戦(津野浩から・28歳7ヶ月・982試合目) ※史上154人目
通算1500安打:1992年7月31日西武戦(潮崎哲也から・31歳10ヶ月・1413試合目) ※史上64人目
通算1500試合:1993年9月8日ヤクルト戦(3番・三塁手・32歳11ヶ月) ※史上110人目


356 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 16:17:52 UF4nfk4c
>>347
そらもうアレ(レジェンド)よ


357 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 16:27:19 uUwoTVRs
うちの地元のレジェンドもようやく出たぜ


358 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/02/26(水) 18:28:19 ???
すごい面子揃いだぁ…


359 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 19:37:54 a1uVEkqU
>>355
2000本惜しいっすね


360 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/26(水) 20:24:01 .ylw7J6.
この辺のメンツツヨスギ
今でも見かける顔が増えてきて楽しいですね


361 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:10:43 T5mb1ouw

【285人目】

・平野謙 1955年6月20日生 外野手 右投両打
経歴:犬山高→名古屋商科大→77年ドラフト外→中日(78-87)→西武(88-93)→ロッテ(94-96)
達成日:1989年6月25日日本ハム戦(2番・右翼手・34歳0ヶ月)

成績:1683試合 .273 (5676-1551) 53本 479打点 759三振 350四球 230盗塁 出塁率.316 OPS.674
【試合:118位 安打:113位 本塁打:532位 打点:250位 盗塁:58位】

※名古屋商科大からドラフト外で中日に投手として入団。しかし右肘の古傷もあったために2年目に外野手に転向。さらに俊足を活かすべく右打から両打へとなり、82年には2番・中堅手の座を掴み、当時のシーズン記録である51犠打をマークし、86年には48盗塁で盗塁王となった。その後トレードで88年に西武に移籍。球界屈指の強肩・好守の外野手として黄金時代を支え、6年連続でGG賞を獲得。その後94年にロッテに移籍し、41歳まで現役を続け、歴代2位の通算451犠打を記録。引退後はロッテ・日本ハム・中日でコーチを務め、また16年から昨年までBC群馬の監督を務め、2度の独立リーグ日本一に導き、今年からSDを務める。

通算1000安打:1989年9月24日ロッテ戦(村田兆治から左安打・34歳3ヶ月・1033試合目) ※史上160人目
通算1500試合:1993年9月12日日本ハム戦(7番・右翼手・38歳2ヶ月) ※史上111人目
通算1500安打:1994年7月7日ダイエー戦(足利豊から右安打・39歳0ヶ月・1568試合目) ※史上69人目


362 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:11:07 T5mb1ouw

【286人目】

・山崎隆造 1958年4月15日生 外野手・三塁手・二塁手 右投両打
経歴:崇徳高→76年ドラフト1位→広島(77-93)
達成日:1989年6月30日阪神戦(7番・右翼手・31歳2ヶ月)

成績:1531試合 .284 (4946-1404) 88本 477打点 722三振 527四球 228盗塁 出塁率.355 OPS.747
【試合:175位 安打:153位 本塁打:340位 打点:253位 盗塁:59位】

※崇徳高校では76年春の選抜で優勝を経験し、超高校級の遊撃手と評されて1位指名を受けて地元・広島に入団。古葉監督の勧めにより、高橋慶彦に次いでスイッチヒッターに転向。二塁や外野で出場機会を稼いでいた中の5年目の81年にオープン戦でフェンスに激突。右膝の皿の骨が粉々になる重傷を負うも、翌82年に復活。83年には左翼手に移った山本浩二に代わって中堅手として定着。84年からは6年連続で全試合に出場するなど鉄人として活躍し、ベストナインを3度、GG賞を4度受賞した。93年に引退後も広島に残り、コーチや2軍監督を11年まで歴任。現在は解説者や広島のジュニアチームの監督として活動している。

通算1000安打:1989年9月17日中日戦(今中慎二から・31歳5ヶ月・1052試合目) ※史上159人目
通算1500試合:1993年8月6日ヤクルト戦(7番・右翼手・35歳3ヶ月) ※史上109人目


363 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:11:25 T5mb1ouw

【287人目】

・大石大二郎(大石第二朗) 1958年10月20日生 二塁手 右投右打
経歴:静岡商業高→亜細亜大→80年ドラフト2位→近鉄(81-97)
達成日:1989年7月16日オリックス戦(1番・二塁手・30歳8ヶ月)

成績:1892試合 .274 (6664-1824) 148本 654打点 798三振 725四球 415盗塁 出塁率.347 OPS.749
【試合:74位 安打:73位 本塁打:178位 打点:141位 盗塁:7位】

※亜細亜大では3年春に当時の東都大リーグ新記録となる17盗塁をマーク。近鉄では2年目から二塁手の定位置を掴むと、打率.274 12本 47盗塁で新人王となると、さらに3年目の83年には60盗塁をマークし、福本豊の14年連続受賞を阻止して盗塁王に。その後は故障に苦しみながらも「いてまえ打線」のリードオフマンとして活躍し、93年には31盗塁で最年長タイとなる35歳で4度目の盗塁王となった。97年に引退後は近鉄やオリックスのコーチ、2軍監督を務め、08年途中から1軍監督に昇格し、チームを2位に躍進させた。その後はソフトバンクやBC・新潟のコーチを経て、現在は社会人球団・ジェイプロジェクトの監督を務める。

通算1000安打:1989年6月7日ダイエー戦(村田勝喜から・30歳7ヶ月・979試合目) ※史上155人目
通算1500安打:1993年6月4日ダイエー戦(木村恵二から左安打・34歳7ヶ月・1467試合目) ※史上67人目
通算1500試合:1993年8月1日ロッテ戦(1番・二塁手・34歳9ヶ月) ※史上108人目


364 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:11:43 T5mb1ouw

【288人目】

・高木豊 1958年10月22日生 二塁手・遊撃手・外野手 右投左打
経歴:多々良学園高→中央大→80年ドラフト3位→大洋・横浜(81-93)→日本ハム(94)
達成日:1989年8月1日阪神戦(1番・二塁手・30歳9ヶ月)

成績:1628試合 .297 (5782-1716) 88本 321打点 816三振 747四球 321盗塁 出塁率.378 OPS.789
【試合:138位 安打:88位 本塁打:340位 打点:195位 盗塁:24位】

※中央大では東都大リーグ歴代2位の通算115安打をマークし、3位指名を受けて大洋に入団。3年目の83年から二塁手の定位置を掴むと、翌84年には56盗塁をマークして盗塁王を獲得。85年には加藤博一・屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」を形成し、また同年には遊撃手に転向してベストナインを獲得。その後、再度二塁手に戻り、90年代にかけて大洋のリードオフマンとして活躍した。94年に移籍した日本ハムで引退。その後は横浜やアテネ五輪代表、DeNAのコーチを務める傍らでタレントとしても活動。18年には元プロ野球選手初のYouTuberとなり、昨年にはパワプロ「eBASEBALLプロリーグ」の予選にも参加した。

通算1000安打:1989年6月13日中日戦(今中慎二から右安打・30歳7ヶ月・971試合目) ※史上156人目
通算1500安打:1992年8月27日ヤクルト戦(伊東昭光から中安打・33歳10ヶ月・1406試合目) ※史上65人目
通算1500試合:1993年7月8日巨人戦(3番・一塁手・34歳8ヶ月) ※史上107人目


365 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:12:02 T5mb1ouw

【289人目】

・達川光男 1955年7月13日生 捕手 右投右打
経歴:広島商業高→東洋大→77年ドラフト4位→広島(78-92)
達成日:1989年9月24日大洋戦(8番・捕手・34歳2ヶ月)

成績:1334試合 .246 (3636-895) 51本 358打点 402三振 331四球 17盗塁 出塁率.317 OPS.642
【試合:268位 安打:360位 本塁打:548位 打点:410位 盗塁:-位】

※広島商業では73年夏に優勝、東洋大でも東都大リーグで加盟36年目で初の優勝に導き、4位指名を受けて広島に入団。プロ入り直後は非力な打撃が課題となり、控えの時期が続いたものの次第にインサイドワークが評価され、6年目の83年には正捕手に抜擢。打撃も成長し、また独特のささやき戦術も武器に広島の黄金時代を支えた。また体にかすってもいないのに死球を執拗にアピールするなど「グラウンドの詐欺師」としての側面でも珍プレーの常連として人気を博した。引退後はダイエーのコーチを経て99年からは広島の監督を2年間務めた。近年では中日やソフトバンクのコーチも務め、現在は解説者として活動。


366 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:12:18 T5mb1ouw

【290人目】

・長嶋清幸 1961年11月12日生 外野手 左投左打
経歴:自動車工業高→79年ドラフト外→広島(80-90)→中日(91-92)→ロッテ(93)→阪神(94-97)
達成日:1989年9月30日阪神戦(7番・中堅手・27歳10ヶ月)

成績:1477試合 .271 (4031-1091) 107本 448打点 762三振 366四球 94盗塁 出塁率.332 OPS.746
【試合:204位 安打:262位 本塁打:265位 打点:283位 盗塁:259位】

※自動車工業高から阪神・南海との争奪戦の末にドラフト外で広島が獲得。プロ4年目の83年にNPBの支配下選手では史上初の背番号「0」を背負い、同年から中堅手の定位置を掴み、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。非常に大舞台に強く、84年の日シリでは3本塁打10打点の大活躍でMVPとなり、86年のリーグ優勝決定試合では満塁本塁打含む4安打7打点、同年の日シリでも2本塁打を放った。その後は前田智徳らの台頭もあって90年代は中日・ロッテ・阪神の3球団で主に代打として活躍し、97年に引退。その後は阪神や中日、ロッテでコーチを歴任。昨年は中日のスカウトを務めたが、森繁和SDらとともに10月に退団している。

通算1000安打:1992年6月10日阪神戦(御子柴進から・30歳6ヶ月・1292試合目) ※史上167人目


367 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:12:40 T5mb1ouw

【291人目】

・加藤博一 1951年10月9日生 外野手 右投左打
経歴:多久工業高→69年ドラフト外→西鉄・太平洋(70-75)→阪神(76-82)→大洋(83-90)
達成日:1989年10月18日広島戦(遠藤一彦の代打として途中出場・38歳0ヶ月) ※歴代3番目の年長記録

成績:1063試合 .271 (2321-628) 23本 176打点 361三振 179四球 169盗塁 出塁率.326 OPS.686
【試合:433位 安打:557位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:102位】

※80年代最後の達成者。多久工業高では隣接する警察署に打球が飛びまくったために通称「加藤ネット」が増設。ドラフト外で西鉄に入団し、4年目の74年には2軍の首位打者となるも、1軍ではわずか3試合しか出場できず、76年にトレードで阪神に移籍。2軍で2年連続盗塁王となったことから頭角を現し、79年ごろから「江川卓キラー」として注目を集め、1軍にようやく定着。そして83年に移籍した大洋では高木豊・屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」を形成。2番打者として85年には自己最多の48盗塁をマークした。90年に引退後は解説者として活動するも、08年に肺癌のために56歳の若さでこの世を去った。


368 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:12:57 T5mb1ouw

【292人目】

・北村照文 1957年1月7日生 外野手 右投右打
経歴:武相高→キャタピラー三菱→三菱名古屋→79年ドラフト3位→阪神(80-88)→西武(88-90)→中日(90-92)
達成日:1990年9月15日広島戦(7番・中堅手・33歳8ヶ月)

成績:1052試合 .246 (2056-505) 41本 158打点 335三振 156四球 114盗塁 出塁率.303 OPS.655
【試合:447位 安打:674位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:200位】

※90年代初の達成者。三菱名古屋では78年の都市対抗で大会史上初のサイクル安打を達成。3位指名を受けて入団した阪神では3年目の82年に中堅手の定位置を獲得。俊足と強肩を武器に華麗な守備を見せたことから「鳥人」と称され、83年にかけて2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞し、85年の日本一にも貢献。その後は88年途中に西武へ、90年途中で中日へトレードで移籍。双方の球団では主に守備固めや代打として起用された。92年に引退し、その後は中日のコーチを経て阪神のスカウトとしても活動し、久保田智之や岩貞祐太らの獲得に貢献。また17年にはBC・福井の監督も1年だけ務めた。


369 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:13:17 4YDbLOAg
(*^◯^*)スーパーカートリオが3人揃ったんだ!


370 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:13:19 T5mb1ouw

【293人目】

・上川誠二 1960年3月27日生 二塁手 右投左打
経歴:箕島高→三協精機→大昭和製紙→81年ドラフト外→中日(82-86)→ロッテ(87-93)
達成日:1990年10月2日ダイエー戦(福澤洋一の代打として途中出場・30歳6ヶ月)

成績:1170試合 .271 (3214-872) 51本 282打点 186三振 178四球 59盗塁 出塁率.312 OPS.693
【試合:371位 安打:381位 本塁打:548位 打点:521位 盗塁:440位】

※箕島高では77年春の選抜で優勝を経験。その後三協精機に進むも、入社1年目で不況により休部。移った大昭和製紙でも81年冬に休部となり、ドラフト外で入団した中日でもキャンプで守備練習中に顎を亀裂骨折、歯がほぼ折れる大怪我を負うなど不幸が続くも、2年目の83年には二塁手の定位置を掴み、84年には打率3割もマーク。嫌らしく当てていくバッティングから「ピラニア」と称された。その後、落合博満とのトレードでロッテに移籍。ロッテでも主力打者として活躍するも、90年代に入ると堀幸一の台頭もあり、93年に引退。その後はロッテ・中日・楽天のコーチを歴任し、現在はビル管理会社で勤務している。


371 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:13:44 T5mb1ouw

【294人目】

・伊東勤 1962年8月29日生 捕手 右投右打
経歴:熊本工業高→所沢高→81年ドラフト1位→西武(82-03)
達成日:1991年6月26日日本ハム戦(7番・捕手・28歳9ヶ月)

成績:2379試合 .247 (7050-1738) 156本 811打点 1044三振 691四球 134盗塁 出塁率.319 OPS.682
【試合:14位 安打:82位 本塁打:160位 打点:89位 盗塁:166位】

※根本陸夫に才能を見出され、81年に熊本工高から所沢高へ転校し、同時に西武の球団職員として採用され、同年のドラフトで1位指名を受けて正式に入団。1年目から徐々に1軍で出場機会を増やし、4年目の84年に正捕手に。以降は約20年にわたる西武黄金時代の要として活躍し、実働22年間で14度のリーグ優勝、8度の日本一を経験。通算305犠打はパ歴代1位であり、また俊足でもあり捕手としては歴代最多の134盗塁をマークした。03年に引退直後には監督に就任し、1年目からチーム12年ぶりの日本一にチームを導いた。その後13〜17年にはロッテの監督を務め、現在は中日のヘッドコーチを務める。17年に殿堂入り。

通算1000安打:1994年4月9日近鉄戦(赤堀元之から逆転サヨナラ満塁本塁打・31歳7ヶ月・1321試合目) ※史上173人目
通算1500試合:1995年7月9日近鉄戦(辻発彦の代打として途中出場・32歳10ヶ月) ※史上114人目
通算1500安打:1999年9月3日近鉄戦(小池秀郎から左安打・37歳0ヶ月・1971試合目) ※史上78人目
通算2000試合:2000年4月23日日本ハム戦(8番・捕手・37歳7ヶ月) ※史上30人目


372 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:14:04 T5mb1ouw

【295人目】

・石嶺和彦 1961年1月10日生 指名打者・外野手 右投右打
経歴:豊見城高→78年ドラフト2位→阪急・オリックス(79-93)→阪神(94-96)
達成日:1991年7月18日ダイエー戦(4番・指名打者・30歳6ヶ月)

成績:1566試合 .273 (5189-1419) 269本 875打点 776三振 456四球 13盗塁 出塁率.335 OPS.811
【試合:156位 安打:144位 本塁打:57位 打点:73位 盗塁:-位】

※78年ドラフトでは広島との競合の末に2位指名で阪急に入団。高校時代から半月板の故障に苦しむも、徐々に打撃で結果を残し、85年にはパ最多タイ記録の6本の代打本塁打を記録。翌86年には指名打者に定着し、当時の日本記録となる56試合連続出塁をマークするなど、33本・96打点の活躍を見せてベストナインを獲得。同年オフには肝炎を患い、翌87年には点滴を打ちながら試合に出場。球団がオリックスとなった90年には106打点をマークして打点王を獲得。93年オフにFA権を行使して阪神に移籍し、95年7月まで894試合連続出場をマークした。引退後は中日やDeNA、オリックスのコーチを務め、現在はエナジックの監督。

通算1000安打:1992年6月3日近鉄戦(山崎慎太郎から二塁打・31歳4ヶ月・1097試合目) ※史上166人目
通算1500試合:1995年6月25日中日戦(5番・左翼手・34歳5ヶ月) ※史上113人目


373 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 15:14:23 T5mb1ouw

【296人目】

・西村徳文 1960年1月9日生 外野手・二塁手・三塁手 右投両打
経歴:福島高→鹿児島鉄道管理局→81年ドラフト5位→ロッテ(82-97)
達成日:1991年8月18日日本ハム戦(1番・中堅手・31歳7ヶ月)

成績:1433試合 .272 (4777-1298) 33本 326打点 471三振 403四球 363盗塁 出塁率.333 OPS.676
【試合:217位 安打:187位 本塁打:-位 打点:454位 盗塁:14位】

※81年のドラフトでヤクルト・南海とともに計3球団から5位指名を受けて抽選の末にロッテに入団。当初は右打だったが持ち前の俊足を活かすべくスイッチヒッターとなると、2年目途中から二塁手に定着。その後はロッテの不動の1番打者となり、86〜89年には4年連続で盗塁王のタイトルを獲得するなど、「走る将軍」と称された。また90年代に入ると中堅手となり、90年にはパリーグでは初となるスイッチヒッターでの首位打者となった。諸積兼司が台頭した後の97年に引退し、その後はコーチを経て10年には監督に就任。同年には「史上最大の下克上」で1年目にして日本一となった。昨年からはオリックスの監督を務める。

通算1000安打:1991年7月20日ダイエー戦(村田勝喜から左安打・31歳6ヶ月・982試合目) ※史上162人目


374 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 17:12:47 jcXTl1XQ
加藤博一さんの現役時代はあまり知らなかったけどタレントになってよくテレビに出てたので好きでした


375 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 20:21:11 ZKrHto/k
巨根内在証明よ!


376 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/27(木) 20:51:24 esHHmLk2
>>363
大石大二郎の太ももで抜いたココリコ遠藤の話すき


377 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:26:58 Gr1cb.sc

【297人目】

・大宮龍男 1954年6月19日生 捕手 右投右打
経歴:享栄高→駒澤大→76年ドラフト4位→日本ハム(77-87)→中日(88-89)→西武(90-92)
達成日:1991年8月27日ダイエー戦(伊東勤に代わって捕手として途中出場・37歳2ヶ月)

成績:1034試合 .243 (2360-573) 63本 284打点 317三振 194四球 70盗塁 出塁率.303 OPS.680
【試合:464位 安打:609位 本塁打:462位 打点:520位 盗塁:365位】

※駒澤大では東都大リーグで5度の優勝を経験し、4位指名を受けて日本ハムに入団。4年目の80年にはサイクル安打も達成するも、当時の正捕手である加藤俊夫の壁をなかなか超えられない時期が続いていたが翌81年に移籍してきた江夏豊の指導もあり、同年には正捕手の座を奪い、リーグ優勝に貢献する。その後田村藤夫とのレギュラー争いとなるも、88年にトレードで中日に移籍。中村武志に次ぐ2番手捕手として同年のリーグ優勝にも陰ながら貢献。さらに90年からは再度トレードで西武に移籍し、92年に引退。現役16年間で3球団全てで優勝を経験した。引退後は西武や日本ハムのコーチを歴任。


378 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:27:15 Gr1cb.sc

【298人目】

・ブーマー・ウェルズ 1954年4月25日生 一塁手 右投右打
経歴:ブルージェイズ(81)→ツインズ(82)→阪急・オリックス(83-91)→ダイエー(92)
達成日:1991年9月6日ダイエー戦(5番・一塁手・37歳4ヶ月)

成績:1148試合 .317 (4451-1413) 277本 901打点 333三振 389四球 18盗塁 出塁率.372 OPS.927
【試合:381位 安打:147位 本塁打:52位 打点:63位 盗塁:-位】

※来日1年目のキャンプから「飛ばし屋」として話題を呼び、日本野球に適応した2年目には打率.355 37本 130打点で外国人選手では初となる三冠王となり、リーグ優勝に貢献してMVPも獲得。以降もパリーグを代表する強力助っ人として活躍し、89年にも首位打者と打点王の二冠となり、同年には西宮球場で162mの超特大場外弾を放つなど、名前の通りまさにブームを巻き起こした。92年にはダイエーに移籍し、38歳にして通算4度目の打点王となるも、同年限りで引退。通算打率.317は右打者としては歴代最高の数値(4000打数以上)である。その後は野球代理人として活躍しており、97年にはウィルソンを日本ハムに送り込んだ。

通算1000安打:1989年7月5日西武戦(渡辺久信から右安打・35歳2ヶ月・781試合目) ※史上157人目


379 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:27:35 Gr1cb.sc

【299人目】

・田村藤夫 1959年10月24日生 捕手 右投右打
経歴:関東第一高→77年ドラフト6位→日本ハム(78-95)→ロッテ(96)→ダイエー(97-98)
達成日:1992年4月11日ロッテ戦(8番・捕手・32歳5ヶ月)

成績:1552試合 .252 (4452-1123) 110本 486打点 819三振 453四球 35盗塁 出塁率.324 OPS.697
【試合:163位 安打:247位 本塁打:256位 打点:239位 盗塁:-位】

※関東第一高から6位指名を受けて日本ハムに入団。3年目の80年にはヤンキースA級への野球留学を経て、翌81年にプロ初出場で福本豊の盗塁を刺す鮮烈なデビューを飾る。その後大宮龍男とのレギュラー争いの末に86年には正捕手として全試合に出場し、自己最多の19本塁打をマーク。その後も90年代にかけて正捕手の座を守り、93年にはベストナイン・GG賞も獲得。その後96年に金銭トレードでロッテに移籍し、さらに同年オフにFAでダイエーに移籍。ダイエーでは出番は少なかったものの城島健司の指導役として貢献した。引退後はダイエーや日本ハム、中日・阪神と様々な球団でコーチを歴任。今年からは解説者となる。

通算1000安打:1994年4月30日ダイエー戦(吉田豊彦から・34歳6ヶ月・1258試合目) ※史上176人目
通算1500試合:1996年8月9日近鉄戦(9番・捕手・36歳9ヶ月) ※史上117人目


380 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:27:58 Gr1cb.sc

【300人目】

・山本和範(カズ山本) 1957年10月18日生 外野手 左投左打
経歴:戸畑商業高→76年ドラフト5位→近鉄(77-82)→南海・ダイエー(83-95)→近鉄(96-99)
達成日:1992年5月8日オリックス戦(5番・左翼手・34歳6ヶ月)

成績:1618試合 .283 (4949-1400) 175本 669打点 707三振 654四球 102盗塁 出塁率.373 OPS.821
【試合:143位 安打:154位 本塁打:129位 打点:135位 盗塁:238位】

※ダイエーとなってからは初の達成者。近鉄でプロ入りするも1軍ではほぼ出番がなく6年目の82年に戦力外通告を受ける。一時は引退を決意するも、当時監督だった穴吹義雄の勧誘で南海に移籍。山本一義コーチの指導で才能が開花し、84年には右翼手の定位置を掴み、以降は南海・ダイエーの主力選手として活躍。登録名を「カズ山本」に変更した94年には「バントをしない2番打者」としてリーグ2位の打率.317をマークした。翌95年に自身2度目の戦力外を受けるも、入団テストを経て近鉄に移籍し、42歳まで現役を続けた。引退後は主にタレントとして活動する傍らで社会人・福岡オーシャンズ9の監督も務める。

通算1000安打:1993年6月11日ロッテ戦(牛島和彦から二塁打・35歳7ヶ月・1149試合目) ※史上169人目
通算1500試合:1997年5月27日ロッテ戦(5番・指名打者・39歳7ヶ月) ※史上118人目


381 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:28:26 Gr1cb.sc

【301人目】

・秋山幸二 1962年4月6日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:八代高→80年ドラフト外→西武(81-93)→ダイエー(94-02)
達成日:1992年6月10日オリックス戦(4番・中堅手・30歳2ヶ月)

成績:2189試合 .270 (7997-2157) 437本 1312打点 1712三振 910四球 303盗塁 出塁率.347 OPS.839
【試合:33位 安打:24位 本塁打:15位 打点:15位 盗塁:29位】

※八代高から各球団の争奪戦の末にドラフト外で西武に入団。84年から三塁手として1軍に定着し、翌85年には23歳にして40本塁打をマーク。86年の日本シリーズ第8戦では伝説のバク宙ホームインも披露すると、外野手に転向した87年には本塁打王、89年には史上5人目のトリプルスリー、90年には盗塁王となるなど西武黄金時代のスター選手として活躍。94年に大型トレードでダイエーに移籍すると、99年には主将となり、ダイエー初のリーグ優勝・日本一に貢献し、翌00年には通算2000安打も達成した。引退後は09年にソフトバンクの監督に就任し、3度のリーグ優勝・2度の日本一にチームを導いた。14年に殿堂入り。

通算1000安打:1992年5月14日ロッテ戦(小宮山悟から・30歳1ヶ月・982試合目) ※史上165人目
通算1500安打:1996年5月3日オリックス戦(鈴木平から一安打・34歳0ヶ月・1487試合目) ※史上70人目
通算1500試合:1996年5月22日西武戦(3番・中堅手・34歳1ヶ月) ※史上115人目
通算2000試合:2000年8月18日ロッテ戦(5番・右翼手・38歳4ヶ月) ※史上21人目
通算2000安打:2000年8月18日ロッテ戦(黒木知宏から左安打・38歳4ヶ月・2000試合目) ※史上28人目


382 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:28:59 Gr1cb.sc

【302人目】

・駒田徳広 1962年9月14日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:桜井商業高→80年ドラフト2位→巨人(81-93)→横浜(94-00)
達成日:1992年7月1日阪神戦(5番・右翼手・29歳9ヶ月)

成績:2063試合 .289 (6941-2006) 195本 953打点 1113三振 563四球 35盗塁 出塁率.342 OPS.774
【試合:42位 安打:51位 本塁打:108位 打点:55位 盗塁:-位】

※巨人には投手として入団するも、直後に野手に転向。槙原寛己・吉村禎章とともに「50番トリオ」と期待の若手と注目を浴び、その後は89年から一塁手の定位置を掴み、同年の日シリでは打率.522をマークしてMVPを獲得。その後94年にFA権を行使して横浜に移籍。98年にはマシンガン打線の5番打者としてチームの日本一に貢献し、00年には通算2000安打も達成し、同年限りで引退。プロ初本塁打を含む通算13本(歴代5位)の満塁本塁打を放つなど「満塁男」と呼ばれ、また守備でも一塁手としては歴代最多の10度のGG賞を獲得。引退後は楽天や横浜のコーチを経て、16年から昨年まで四国IL・高知の監督を務めた。

通算1000安打:1993年8月29日広島戦(望月秀通から左安打・30歳11ヶ月・1160試合目) ※史上170人目
通算1500試合:1996年6月8日阪神戦(6番・一塁手・33歳8ヶ月) ※史上116人目
通算1500安打:1997年5月6日広島戦(加藤伸一から中安打・34歳7ヶ月・1605試合目) ※史上71人目
通算2000試合:2000年4月30日広島戦(5番・一塁手・37歳7ヶ月) ※史上31人目
通算2000安打:2000年9月6日中日戦(野口茂樹から左二塁打・37歳11ヶ月・2055試合目) ※史上29人目


383 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:29:19 Gr1cb.sc

【303人目】

・佐藤兼伊知(佐藤健一) 1959年9月13日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:北海高→77年ドラフト5位→ロッテ(78-92)
達成日:1992年7月1日西武戦(9番・二塁手・32歳9ヶ月)

成績:1041試合 .254 (2433-619) 65本 280打点 402三振 185四球 36盗塁 出塁率.314 OPS.709
【試合:455位 安打:562位 本塁打:449位 打点:523位 盗塁:-位】

※上記の駒田徳広と同日達成。北海高から投手としてロッテに入団するも、2年目の79年に内野手に転向。プロ入り後はしばらく控えの時期が続いたが、9年目の86年に水上善雄の故障もあり、遊撃・三塁・二塁の3ポジションを兼ねて自己最多の126試合に出場し、規定打席にも到達。以降も内野のユーティリティとしてロッテを支え、90年には遊撃手として2度目の規定打席到達を果たした。球団が千葉に移転した92年に引退後もロッテに残り、17年まで20年以上にわたってコーチを歴任。その間の08年に球団の提携先である中国・江蘇の監督も務めた。現在は解説者として活動。


384 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:29:35 Gr1cb.sc

【304人目】

・川又米利 1960年8月4日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:早稲田実業高→78年ドラフト外→中日(79-97)
達成日:1992年7月1日大洋戦(落合博満の代走として途中出場・31歳10ヶ月)

成績:1415試合 .266 (2897-771) 74本 364打点 433三振 394四球 23盗塁 出塁率.352 OPS.761
【試合:227位 安打:448位 本塁打:403位 打点:396位 盗塁:-位】

※早稲田実業高では76年の神宮大会で優勝を経験し、甲子園にも4度出場。同校のOBである王貞治の二世と称され、ドラフト外で中日に入団。プロ入り後はしばらく2軍暮らしが続いたが、7年目の85年に右翼手の定位置を獲得して台頭。87年には自己最多の16本塁打を放ち、88年にはリーグ優勝にも貢献するなど星野仙一監督時代の中日で活躍。その後落合博満が移籍すると、主に代打の切り札として活躍し、歴代5位の通算16本の代打本塁打を放った。97年に引退後は山田久志監督、高木守道監督(第2次)時代にコーチを歴任。現在は主に解説者として活動している。


385 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:29:53 Gr1cb.sc

【305人目】

・山森雅文 1960年11月26日生 外野手 右投右打
経歴:熊本工業高→78年ドラフト4位→阪急・オリックス(79-94)
達成日:1992年9月1日日本ハム戦(柴原実に代わって右翼手として途中出場・31歳9ヶ月)

成績:1072試合 .239 (1209-289) 33本 134打点 194三振 75四球 25盗塁 出塁率.290 OPS.665
【試合:426位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※熊本工業高では投手だったが、監督にフォームを変えた方がいいという指摘が気に障り、外野手に転向。プロでは打撃こそ秀でた成績を残せずも、3年目の81年にはホームラン性の打球を西宮球場のラッキーゾーンの金網に飛び乗って見事にキャッチし、アウトにしたサーカスプレーが彼の代名詞となり、アメリカ野球殿堂博物館に日本人として初めてその映像が展示されるほどの話題となる。また86年にはわずか126打席しか立っていないものの、ゴールデングラブ賞を受賞するなど守備の名手として活躍した。94年に引退後は日本ハムやオリックス、ロッテでコーチを歴任し、現在はJFE東日本のコーチを務める。


386 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:30:11 Gr1cb.sc

【306人目】

・長内孝 1957年8月30日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:桐蔭学園高→75年ドラフト3位→広島(76-91)→大洋・横浜(92-93)
達成日:1992年9月2日広島戦(6番・一塁手・35歳0ヶ月)

成績:1020試合 .250 (2531-632) 104本 360打点 515三振 273四球 28盗塁 出塁率.324 OPS.746
【試合:481位 安打:553位 本塁打:277位 打点:400位 盗塁:-位】

※桐蔭学園では水上善雄と同期であり、3位指名を受けて広島に入団。長い2軍暮らしを経て7年目の82年に1軍に定着すると、翌83年には移籍してきた加藤英司を押しのけて一塁手の定位置を掴み、小早川毅彦の入団以降は外野手も兼ねてチームの中軸を似ない、86年には自己最多の19本塁打を放ってリーグ優勝に貢献した。91年に自身5度目のリーグ優勝を達成した当日の夜にトレードを通告され、翌92年から地元球団である大洋でプレー。球団がベイスターズとなった93年に引退し、その後はコーチとして広島に復帰。また12〜13年には四国IL・徳島、14年にはオリックスのコーチも務め、現在は解説者を務める。


387 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:30:31 Gr1cb.sc

【307人目】

・高沢秀昭 1958年9月10日生 外野手 右投右打
経歴:苫小牧工高→王子製紙苫小牧→79年ドラフト2位→ロッテ(80-89)→広島(90-91)→ロッテ(91-92)
達成日:1992年9月19日近鉄戦(7番・左翼手・34歳0ヶ月)

成績:1005試合 .284 (3278-932) 95本 399打点 391三振 225四球 107盗塁 出塁率.342 OPS.775
【試合:497位 安打:339位 本塁打:313位 打点:347位 盗塁:220位】

※王子製紙苫小牧から三宅宅三のスカウトもあって2位指名でロッテに入団。当初は遊撃手だったが、4年目の83年から外野手に転向。翌84年には故障もありながら打率.317をマークしてベストナイン・GG賞を獲得。88年には松永浩美との熾烈なタイトル争いを演じ、最終的には首脳陣の松永への敬遠攻めもあったが打率.327で首位打者のタイトルを獲得。その後90年に大型トレードで広島に移籍するも故障に苦しみ、翌91年途中にロッテへ復帰。チームが千葉に移転した92年に引退し、その後はロッテのコーチを09年まで17年間務め、現在はロッテの少年野球教室「マリーンズ・アカデミー」のコーチを務める。


388 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:30:51 Gr1cb.sc

【308人目】

・広澤克実(広沢克己) 1962年4月10日生 一塁手・外野手 右投右打
経歴:小山高→明治大→84年ドラフト1位→ヤクルト(85-94)→巨人(95-99)→阪神(00-03)
達成日:1992年9月27日阪神戦(4番・一塁手・30歳5ヶ月)

成績:1893試合 .275 (6311-1736) 306本 985打点 1529三振 660四球 78盗塁 出塁率.345 OPS.812
【試合:73位 安打:83位 本塁打:41位 打点:48位 盗塁:323位】

※明治大時代の84年にロサンゼルス五輪の代表に選ばれ、決勝戦で本塁打を放ち金メダル獲得に大きく貢献。同年のドラフトでは3球団の競合の末にヤクルトに入団すると、88年からは池山隆寛とともに「イケトラコンビ」を形成。90年代に入ると不動の4番打者となり、91,93年には打点王を獲得。その後FA権を行使し、95年に巨人に移籍。その後99年オフに阪神に移籍し、03年にはリーグ優勝に貢献。日本シリーズ第7戦では歴代最年長の本塁打を放ち、これを最後に引退。巨人と阪神の双方で4番打者を務めた唯一の選手でもある。引退後は阪神のコーチを経て、11年からはカンボジア代表のコーチを務める。

通算1000安打:1992年9月22日広島戦(長冨浩志から・30歳5ヶ月・995試合目) ※史上168人目
通算1500試合:1997年6月28日中日戦(5番・右翼手・35歳2ヶ月) ※史上119人目
通算1500安打:1997年8月10日中日戦(山本昌から中安打・35歳4ヶ月・1526試合目) ※史上72人目


389 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:35:41 LpL26vNM
>>388
どこOBなのかもはや宙ぶらりんで本人が仕事によって使い分けてる広澤すき
あと「インハイに…インハイに…」の名場面も好き


390 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 16:40:56 Yn.LaIMw
>>387
10.19で決めたのがこの方でしたっけ?


391 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 17:28:51 CUrQ4oD.
>>382
駒田くーん


392 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 18:02:40 fkFY3kds
>>389
外だ…(絶望)


393 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 20:26:32 wH2xb4JI
秋山幸二さんはオールスターで顔面自打球で骨折してたのを思い出した


394 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 22:00:44 mKXhSMJk
秋山まで来たら明日辺りMattのお父さんの同級生の人も出てきそう


395 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 22:18:37 jzPyoLWY
■■さん?


396 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/28(金) 22:41:07 5Srk6Iwo
>>390
そうですね。88年の首位打者を決めたのが、あの同点ホームラン。


397 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:09:59 RNqTsukM

【309人目】

・愛甲猛 1962年8月15日生 一塁手・外野手・投手 左投左打
経歴:横浜高→80年ドラフト1位→ロッテ(81-95)→中日(96-00)
達成日:1993年5月19日オリックス戦(7番・一塁手・30歳9ヶ月)

成績:1532試合 .269 (4244-1142) 108本 513打点 774三振 380四球 52盗塁 出塁率.330 OPS.740
投手:61登板 0勝2敗 0S 47.0投球回 23奪三振 42与四球 53被安打 防6.70 WHIP2.02
【試合:173位 安打:241位 本塁打:262位 打点:211位 盗塁:485位】

※横浜高ではエースとして80年夏の甲子園で早稲田実業の荒木大輔に投げ勝って優勝。同年のドラフトでは1位指名を受けてロッテに入団。投手としては3年目の83年に中継ぎとして48試合に登板するも、翌84年に野手に転向。落合博満の指導もあり、80年代後半にかけて外野手の定位置を掴み、88年6月から92年7月まで当時のパ最長となる535試合連続フルイニング出場も達成した。その後95年オフに無償トレードで中日に移籍。中日では主に代打の切り札として活躍し、99年にはリーグ優勝に貢献した。00年に引退後は失踪騒動もありながら評論家などとして活動し、現在は息子が在籍するTOKYO METSのコーチを務める。

通算1000安打:1994年6月18日ダイエー戦(加藤伸一から右安打・31歳10ヶ月・1142試合目) ※史上177人目
通算1500試合:1999年8月20日広島戦(中村武志の代打として途中出場・37歳0ヶ月) ※史上127人目


398 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:10:24 RNqTsukM

【310人目】

・辻発彦 1958年10月24日生 二塁手 右投右打
経歴:佐賀東高→日本通運浦和→83年ドラフト2位→西武(84-95)→ヤクルト(96-99)
達成日:1993年6月2日ダイエー戦(1番・二塁手・34歳7ヶ月)

成績:1562試合 .282 (5187-1462) 56本 510打点 556三振 498四球 242盗塁 出塁率.352 OPS.721
【試合:159位 安打:131位 本塁打:505位 打点:214位 盗塁:50位】

※西武では広岡達朗監督の厳しい指導の末に鍛えられた守備力を武器に、2年目の85年に二塁手に定着。87年の日本シリーズ第6戦では相手の守備の隙を突いて一塁から一気に本塁に生還する現在でも語り草になる好走塁を見せる。その後も球界屈指の二塁守備を武器に黄金時代を支え、88年からは7年連続でGG賞を獲得。打者としても1番打者として活躍し、93年には首位打者となった。しかし若返りを求めるチームから95年に戦力外となり、ヤクルトに移籍して99年に引退。その後はヤクルトや第1回WBC代表のコーチ、中日の2軍監督などを歴任し、17年から西武の監督に就任。山賊打線を率いて18年、昨年とチームを連覇に導いた。

通算1000安打:1993年10月5日近鉄戦(江坂政明から投安打・34歳11ヶ月・1078試合目) ※史上171人目
通算1500試合:1998年6月6日広島戦(2番・二塁手・39歳7ヶ月) ※史上122人目


399 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:10:43 RNqTsukM

【311人目】

・小早川毅彦 1961年11月15日生 一塁手 右投左打
経歴:PL学園高→法政大→83年ドラフト2位→広島(84-96)→ヤクルト(97-99)
達成日:1993年6月26日巨人戦(7番・一塁手・31歳7ヶ月)

成績:1431試合 .273 (3997-1093) 171本 626打点 810三振 502四球 34盗塁 出塁率.359 OPS.810
【試合:218位 安打:261位 本塁打:134位 打点:151位 盗塁:-位】

※法政大では2年秋に六大学リーグ三冠王となり、83年ドラフト2位指名で広島に入団。1年目から16本塁打を放って新人王を獲得し、「赤ヘルの若大将」として衣笠祥雄・山本浩二の後継者として期待され、87年には自己最多の24本塁打もマーク。だが90年代に入り徐々に他の若手選手が台頭し、ついには控えにまで追いやられ96年オフに戦力外となる。しかしヤクルトに移籍した翌97年に開幕戦で5番スタメンを果たすと、巨人・斎藤雅樹から3打席連続本塁打を放ち、「野村再生工場」のもとで復活を果たし、同年の優勝に貢献した。99年に引退後は解説者を経て06〜09年にはブラウン監督のもと、広島のコーチを務めた。

通算1000安打:1996年10月1日中日戦(門倉健から遊安打・34歳10ヶ月・1228試合目) ※史上185人目


400 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:11:01 RNqTsukM

【312人目】

・吉村禎章 1963年4月27日生 外野手 左投左打
経歴:PL学園高→81年ドラフト3位→巨人(82-98)
達成日:1993年8月10日ヤクルト戦(3番・左翼手・30歳3ヶ月)

成績:1349試合 .296 (3253-964) 149本 535打点 418三振 334四球 40盗塁 出塁率.364 OPS.858
【試合:263位 安打:323位 本塁打:175位 打点:203位 盗塁:596位】

※PL学園高では81年春の選抜で優勝を経験し、3位指名を受けて巨人に入団。2年目の83年には規定打席不足ながら打率.326の好成績を残し、駒田徳広・槙原寛己とともに「50番トリオ」の1人として期待され、84年からは外野手の定位置を掴み、チームの主軸打者として87年には自己最多の30本塁打をマークした。しかし、88年7月に守備中に栄村忠広と激突し、左膝の靭帯を3本断裂する大怪我を負い一時は選手生命の危機となるも、1年にわたる苦しいリハビリの末に復帰。90年には自身のサヨナラ本塁打でリーグ優勝を決め、晩年は代打の切り札として活躍した。引退後も巨人で指導者となり、今年は1軍作戦コーチを務める。


401 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:11:27 RNqTsukM

【313人目】

・清原和博 1967年8月18日生 一塁手 右投右打
経歴:PL学園高→85年ドラフト1位→西武(86-96)→巨人(97-05)→オリックス(06-08)
達成日:1993年9月9日オリックス戦(4番・一塁手・26歳0ヶ月) ※歴代5番目の年少記録

成績:2338試合 .272 (7814-2122) 525本 1530打点 1955三振 1346四球 59盗塁 出塁率.389 OPS.909
【試合:15位 安打:28位 本塁打:5位 打点:6位 盗塁:440位】

※PL学園高では桑田真澄とともに「KKコンビ」を形成し、甲子園に通算5度の出場を果たして歴代最多の通算13本塁打をマーク。ドラフトでは6球団の競合の末に西武に入団。1年目から新人最多タイの31本塁打を放って新人王となると、以降は不動の4番打者として秋山幸二やバークレオ、デストラーデらとともに西武の黄金時代を支えた。96年オフにFA宣言し、憧れだった巨人に移籍。度重なる故障に苦しみながらも04年には通算2000安打、05年には通算500本塁打を達成した。08年にオリックスで引退し、その後はタレントとして活動するも16年に覚せい剤所持で逮捕。現在は徐々に公の場で野球に関する活動を増やしつつある。

通算1000安打:1993年10月13日ロッテ戦(伊良部秀輝から左安打・26歳1ヶ月・1023試合目) ※史上172人目
通算1500試合:1997年8月22日横浜戦(4番・一塁手・30歳0ヶ月) ※史上120人目
通算1500安打:1998年5月23日広島戦(紀藤真琴から3ラン・30歳9ヶ月・1567試合目) ※史上75人目
通算2000試合:2003年4月11日阪神戦(4番・一塁手・35歳7ヶ月) ※史上33人目
通算2000安打:2004年6月4日ヤクルト戦(ベバリンから中安打・36歳9ヶ月・2141試合目) ※史上31人目


402 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:11:52 RNqTsukM

【314人目】

・池山隆寛 1965年12月17日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:尼崎高→83年ドラフト2位→ヤクルト(84-02)
達成日:1993年9月12日広島戦(6番・遊撃手・27歳8ヶ月)

成績:1784試合 .262 (5811-1521) 304本 898打点 1440三振 580四球 108盗塁 出塁率.331 OPS.805
【試合:95位 安打:119位 本塁打:42位 打点:64位 盗塁:215位】

※83年ドラフトで近鉄・巨人との競合の末に2位指名でヤクルトに入団。4年目の87年には桜井伸一とのポジション争いの末に遊撃手の定位置を掴む。豪快なフルスイングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれ、広澤克実との「イケトラコンビ」を形成してチームの主軸を担い、88年からは5年連続で30本塁打をマークし、90年には遊撃手として初の打率3割、30本を達成する。その後は度重なる故障や頭部死球の影響もあり、徐々に成績を落とすもヤクルト一筋で19年間プレーし、02年に引退。その後は野村克也監督のもとで楽天のコーチを務め、古巣・ヤクルトでも指導者として活動。今年からはヤクルトの2軍監督を務める。

通算1000安打:1994年8月11日中日戦(野中徹博から・28歳7ヶ月・1105試合目) ※史上179人目
通算1500試合:1998年7月27日広島戦(5番・三塁手・32歳7ヶ月) ※史上124人目
通算1500安打:2001年4月4日巨人戦(南真一郎から左二塁打・35歳3ヶ月・1679試合目) ※史上81人目


403 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:12:19 RNqTsukM

【315人目】

・白井一幸 1961年6月7日生 二塁手 右投両打
経歴:志度商高→駒澤大→83年ドラフト1位→日本ハム(84-95)→オリックス(96)
達成日:1993年9月18日近鉄戦(2番・二塁手・32歳3ヶ月)

成績:1187試合 .246 (3615-889) 49本 334打点 541三振 455四球 168盗塁 出塁率.332 OPS.668
【試合:363位 安打:369位 本塁打:576位 打点:444位 盗塁:103位】

※駒澤大では83年に東都大リーグ春秋連覇、全日本選手権優勝に貢献し、同年のドラフトで1位指名を受けて日本ハムに入団。2年目の85年から俊足を活かすべくスイッチヒッターに転向し、さらに当時タブー視されていたウエイトトレーニングをいち早く取り入れた結果、4年目の87年には両打席本塁打を含む、15本塁打・21盗塁をマーク。その後は故障に苦しむことも多かったが、91年には打率.311をマークし、最高出塁率・カムバック賞を獲得した。96年に移籍したオリックスで引退し、その後はヒルマン監督のもと日本ハムやロイヤルズのコーチを歴任し、11,12年には横浜・DeNA、13〜17年にも再び日本ハムで指導した。


404 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:12:41 RNqTsukM

【316人目】

・吉竹春樹 1961年1月5日生 外野手 左投左打
経歴:九州産業高→78年ドラフト外→阪神(79-86)→西武(87-96)
達成日:1994年4月13日ダイエー戦(2番・右翼手・33歳3ヶ月)

成績:1128試合 .261 (2116-553) 34本 189打点 379三振 173四球 68盗塁 出塁率.319 OPS.681
【試合:395位 安打:628位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:378位】

※九州産業高では77年夏の甲子園に出場し、九州産業大の特待生進学が決まっていたものの高校卒業後にドラフト外で阪神に入団。阪神には投手として入団するも、2年目に野手に転向。83年からは主に外野の準レギュラーとして活躍し、85年の日本一にも貢献。その後87年にトレードで西武に移籍。88年に右足の骨折で長期離脱を喫するも、90年代にかけて外野の準レギュラーとしてチームの黄金時代を支えた。96年に引退後は阪神のコーチや2軍監督を歴任し、15,16年にはBC・福井の監督として活躍。その後は学生野球指導資格を取得し、現在は母校の九州産業高の監督を務めている。


405 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:13:09 RNqTsukM

【317人目】

・佐々木誠 1965年10月3日生 外野手 左投左打
経歴:水島工業高→83年ドラフト6位→南海・ダイエー(84-93)→西武(94-98)→阪神(99-00)
達成日:1994年5月4日日本ハム戦(3番・中堅手・28歳7ヶ月)

成績:1581試合 .277 (5775-1599) 170本 638打点 933三振 414四球 242盗塁 出塁率.327 OPS.749
【試合:151位 安打:104位 本塁打:140位 打点:146位 盗塁:50位】

※高校時代は投手だったが打者としての才能を見込まれて南海には外野手として入団。走攻守三拍子揃った外野手であり、日米野球でも活躍したことから「メジャーに一番近い男」と称され、92年には史上2人目となる首位打者と盗塁王の同時受賞を達成。93年オフに秋山幸二らとのトレードで西武に移籍すると、94年には3番打者として活躍し、2度目の盗塁王となる。しかしその後は故障にも苦しみ、99年に金銭トレードで阪神に移籍するも2年で退団。01年には米独立リーグでプレーした。引退後はダイエーやオリックス、また社会人ではセガサミーやNTT西日本で指導し、現在は鹿児島城西高の監督を務める。

通算1000安打:1994年4月14日ダイエー戦(渡辺智男から・28歳6ヶ月・983試合目) ※史上175人目
通算1500安打:1997年9月14日オリックス戦(野田浩司から・31歳11ヶ月・1445試合目) ※史上73人目
通算1500試合:1998年5月31日オリックス戦(7番・左翼手・32歳7ヶ月) ※史上121人目


406 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:13:32 RNqTsukM

【318人目】

・正田耕三 1962年1月2日生 二塁手 右投両打
経歴:和歌山商業高→新日本製鐵広畑→84年ドラフト2位→広島(85-98)
達成日:1994年5月22日横浜戦(1番・二塁手・32歳4ヶ月)

成績:1565試合 .287 (5392-1546) 44本 391打点 528三振 451四球 146盗塁 出塁率.345 OPS.702
【試合:357位 安打:114位 本塁打:-位 打点:355位 盗塁:133位】

※社会人時代に84年のロサンゼルス五輪で1番・二塁手として活躍し金メダル獲得に貢献し、2位指名を受けて広島に入団。1年目の途中に古葉竹識監督の勧めでスイッチヒッターに転向。3年目の87年には二塁手に定着し、2リーグ制度以降初の本塁打0、また両打ちでは史上初となる首位打者となる。翌88年にも2年連続で首位打者となり、89年には最終戦で史上最多タイの1試合6盗塁をマークして盗塁王も獲得。その後も90年代にかけて不動の二塁手として活躍し、98年に引退。その後は広島や近鉄、阪神やオリックスのコーチを歴任し、近年では韓国プロ野球で指導者として活動している。

通算1000安打:1994年4月10日巨人戦(槙原寛己から・32歳3ヶ月・970試合目) ※史上174人目
通算1500試合:1998年6月17日ヤクルト戦(瀬戸輝信の代打として途中出場・36歳5ヶ月) ※史上123人目
通算1500安打:1998年7月10日ヤクルト戦(渡辺久信から・36歳6ヶ月・1516試合目) ※史上76人目


407 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:13:55 RNqTsukM

【319人目】

・金村義明 1963年8月27日生 三塁手 右投右打
経歴:報徳学園高→81年ドラフト1位→近鉄(82-94)→中日(95-97)→西武(97-99)
達成日:1994年6月11日日本ハム戦(7番・三塁手・30歳9ヶ月)

成績:1262試合 .258 (3643-939) 127本 487打点 752三振 430四球 34盗塁 出塁率.337 OPS.753
【試合:309位 安打:337位 本塁打:214位 打点:236位 盗塁:-位】

※報徳学園では4番・エースとして81年夏の甲子園で全試合完投して優勝を経験し、阪急との競合の末に近鉄に入団。プロ入り後内野手に転向すると、1年目のジュニアオールスターでサイクル安打を達成。その後4年目の86年に自己最多の23本塁打を放って三塁手に定着すると、ブライアントや石井浩郎らとともに「いてまえ打線」の中軸打者として活躍。中村紀洋が台頭してきた94年オフに球団初のFA宣言で中日で移籍。しかし中日ではゴメスの入団もあって出番を稼げず、97年途中にトレードで西武に移籍し、99年に引退。その後は解説者や評論家を務めており、18年からはYouTuberとしても活動している。


408 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 13:14:17 RNqTsukM

【320人目】

・岡崎郁 1961年6月7日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投左打
経歴:大分商業高→79年ドラフト3位→巨人(80-96)
達成日:1994年6月21日広島戦(5番・二塁手・33歳0ヶ月)

成績:1156試合 .260 (3490-906) 63本 384打点 504三振 352四球 23盗塁 出塁率.327 OPS.698
【試合:376位 安打:353位 本塁打:462位 打点:365位 盗塁:-位】

※大分商業高では79年夏の甲子園に出場し、ドラフトでは3位指名を受けて巨人に入団。当初は内野手のレギュラーの層が厚く、さらに自身も肋膜炎を患い2軍生活が長く続いたが、6年目の85年に河埜和正から遊撃手の定位置を奪って1軍に定着。87年には当時最高のシーズン守備率.994をマーク。その後は三塁手に転向し、勝負強い打撃で6番・駒田徳広とともに「第2のクリーンナップ」と呼ばれ、7番打者として活躍する。その後は元木大介や仁志敏久の台頭もあって96年に引退。引退後は解説者やヤンキースへのコーチ留学を経て、06年から巨人に復帰してヘッドコーチや2軍監督を歴任。現在はスカウト部長を務める。


409 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 15:16:41 74HC9876
現役時代のブンブン丸さんの豪快なスイングが好きでしたねえ


410 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 17:49:16 9F9WtxSE
>>401
逆方向で一番強い打球打ってた日本人だと思う■■さんは。
東京ドームの逆方向看板直撃弾ってほんとなんですかね?(驚愕)


411 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 17:54:27 3RU43.ww
愛甲いまじゃプロ野球事情通()おじさんだけど思ってた以上にすごい選手だった


412 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/02/29(土) 22:29:14 m6nM3o9o
>>410
わかりにくいけど直撃弾はたぶんこれ
https://i.imgur.com/UCI73QW.gif


413 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 00:09:22 SMKG140U
はえー、すっごい打球…


414 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 00:11:33 9I2A8Xu2
>>412
観戦客の反応も含めて「こんなホームランを打ってみたい」を地で行くホームランだ…


415 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 10:07:23 vlbRgJfY
すげェ!■■ァ!


416 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:14:29 YG9n2GEU

【321人目】

・福良淳一 1960年6月28日生 二塁手 右投右打
経歴:延岡工業高→大分鉄道管理局→84年ドラフト6位→阪急・オリックス(85-97)
達成日:1994年8月20日西武戦(2番・二塁手・34歳1ヶ月)

成績:1240試合 .279 (3999-1116) 50本 372打点 402三振 491四球 106盗塁 出塁率.366 OPS.732
【試合:323位 安打:254位 本塁打:563位 打点:380位 盗塁:222位】

※阪急では首脳陣との猛練習の末に2年目の86年に二塁手の定位置を掴み、打率も3割をマーク。その後88年にはリーグ3位の打率.320をマークしてベストナインとなると、89年にはオリックス第1号本塁打も記録。その後は持ち前の守備を武器に93〜94年には二塁手の日本記録となる836守備機会連続無失策も達成。故障に悩まされることも多かったがオリックスの連覇も支えた。97年に引退後はオリックスや日本ハムでコーチを経て13年に再びオリックスに復帰し、15年途中に森脇浩司の代行として監督を務め翌16年から正式に昇格し、阪急生え抜き選手初のオリックス監督となった。昨年6月からはGM兼編成部長を務めている。

通算1000安打:1995年7月2日西武戦(新谷博から右安打・35歳0ヶ月・1074試合目) ※史上180人目


417 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:14:47 YG9n2GEU

【322人目】

・五十嵐信一 1959年8月29日生 外野手・二塁手 右投右打
経歴:日大二高→77年ドラフト外→日本ハム(78-96)
達成日:1994年9月29日ロッテ戦(5番・左翼手・35歳1ヶ月)

成績:1069試合 .256 (2218-568) 37本 235打点 302三振 148四球 31盗塁 出塁率.305 OPS.669
【試合:429位 安打:614位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※日大二高からドラフト外で日本ハムに入団。2年目には2軍初登板となった江川卓から本塁打を放つも、入団から2軍暮らしが続き、その中の4年目の81年に二塁手の定位置を菅野光夫・鍵谷康司と争う形で1軍に定着。その後も内外野問わず守れるユーティリティとして頭角を現し、88年からは本格的に外野手に転向。突出した成績を残すことができず、規定打席にも1度も届かなかったがプロ17年間を日本ハム一筋で過ごし、96年に引退。その後も日本ハムに残り、コーチやスコアラーを経て10年からは2軍監督に就任し、2年目の11年にはチームを7年ぶりのイースタン優勝に導いた。現在は査定担当を務める。


418 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:15:06 YG9n2GEU

【323人目】

・和田豊 1962年9月2日生 二塁手・遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:我孫子高→日本大→84年ドラフト3位→阪神(85-01)
達成日:1994年10月4日横浜戦(3番・二塁手・32歳1ヶ月)

成績:1713試合 .291 (5972-1739) 29本 403打点 554三振 576四球 93盗塁 出塁率.355 OPS.711
【試合:110位 安打:81位 本塁打:-位 打点:363位 盗塁:264位】

※日本大ではロサンゼルス五輪代表に選出され金メダルを獲得。阪神では1年目から控え野手としてチームの日本一を経験すると、大野久・中野佐資とともに「少年隊」と呼ばれる若手トリオを形成し、自身は遊撃手の定位置を掴み、88年には当時の日本記録となる56犠打をマーク。その後は虎の安打製造機として活躍し、90年代の暗黒時代を支えた。01年に引退後もコーチとして阪神に残り、03,05年のリーグ優勝に貢献。そして12年からは監督となり、現有戦力にスパイスを加え、14年にはシーズン2位ながらもCSを勝ち抜いて9年ぶりの日シリ進出にチームを導いた。現在はテクニカルアドバイザーを務める。チュッ(笑)。

通算1000安打:1994年7月26日巨人戦(宮本和知から右安打・31歳10ヶ月・953試合目) ※史上178人目
通算1500安打:1998年5月23日横浜戦(マホームズから投安打・35歳8ヶ月・1394試合目) ※史上74人目
通算1500試合:1999年4月18日ヤクルト戦(2番・三塁手・36歳7ヶ月) ※史上125人目


419 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:15:26 YG9n2GEU

【324人目】

・村上隆行(村上嵩幸) 1965年8月26日生 外野手・遊撃手・一塁手 右投右打
経歴:大牟田高→83年ドラフト3位→近鉄(84-00)→西武(01)
達成日:1995年6月17日ダイエー戦(7番・中堅手・29歳9ヶ月)

成績:1380試合 .258 (3552-916) 147本 464打点 847三振 250四球 68盗塁 出塁率.308 OPS.758
【試合:244位 安打:350位 本塁打:179位 打点:265位 盗塁:378位】

※大牟田高から3位指名を受けて近鉄に入団。中西太コーチの指導もあって2年目の85年に打撃の才能が開花し、16本塁打を放って遊撃手の定位置を掴む。その後は外野手に転向し、毎年のように故障に悩まされながらもチームの主軸として活躍。晩年は眼鏡をかけてプレーし、01年に金銭トレードで移籍した西武で引退。その後は解説者を経て09年に関西独立リーグ・大阪の監督に就任。翌10年途中にはチームの選手8人が野球賭博で解雇され、人員不足のため監督兼任で現役復帰した。その後チームは解散し、11年に06BULLSを設立。初代監督としてチームを率いた。昨年からは与田剛監督の下、中日の1軍打撃コーチを務める。


420 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:15:48 YG9n2GEU

【325人目】

・鈴木貴久 1963年11月20日生 外野手 右投右打
経歴:旭川大高→電電北海道→84年ドラフト5位→近鉄(85-00)
達成日:1995年7月2日ダイエー戦(4番・右翼手・31歳7ヶ月)

成績:1501試合 .257 (4777-1226) 192本 657打点 812三振 449四球 33盗塁 出塁率.324 OPS.746
【試合:194位 安打:212位 本塁打:113位 打点:137位 盗塁:-位】

※電電北海道から5位指名を受けて近鉄に入団。2年目の87年から4年連続で20本塁打を放ち、怪我を恐れぬ豪快な外野守備もあって自身の出身地から「北海の荒熊」の愛称で親しまれ、ブライアントや石井浩郎、中村紀洋らとともに「いてまえ打線」の中軸打者として活躍。97年には大阪ドームの公式戦初本塁打を放っている。また86年(9回1死から安打)、99年(8回2死から本塁打)の2度にわたり、工藤公康のノーノーを阻止している。00年に引退後もコーチとして近鉄に残って大西宏明らを育て上げるも、04年5月の2軍戦開始前に体調不良を訴えて帰宅、その2日後に急性気管支炎のために40歳という若さでこの世を去った。

通算1000安打:1996年9月17日ロッテ戦(成本年秀から左安打・32歳9ヶ月・1169試合目) ※史上184人目
通算1500試合:2000年4月16日西武戦(5番・左翼手・36歳4ヶ月) ※史上128人目


421 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:16:12 YG9n2GEU

【326人目】

・田中幸雄 1967年12月14日生 遊撃手・外野手・一塁手 右投右打
経歴:都城高→85年ドラフト3位→日本ハム(86-07)
達成日:1995年8月13日オリックス戦(4番・遊撃手・27歳7ヶ月)

成績:2238試合 .262 (7673-2012) 287本 1026打点 1416三振 631四球 40盗塁 出塁率.321 OPS.755
【試合:22位 安打:50位 本塁打:46位 打点:42位 盗塁:596位】

※都城高から3位指名を受けて日本ハムに入団。当時、同姓同名の投手が在籍していたために自身は小柄だったことから「コユキ」と呼ばれるようになる。2年目の87年に遊撃手の定位置を掴むと88年から4年連続で全試合に出場。その後はチームの中軸を担うようになり、95年には80打点をあげて打点王のタイトルを獲得。その後も日本ハム一筋で活躍し、主将を務めた06年には21年目にして初の優勝・日本一を経験。そして翌07年には通算2000安打も達成。22年間の長き活躍から「ミスターファイターズ」と称された。引退後は日本ハムのコーチ、2軍監督を歴任し、現在は解説者として活動している。

通算1000安打:1996年5月14日西武戦(小野和義から・28歳5ヶ月・1068試合目) ※史上182人目
通算1500試合:1999年8月15日西武戦(5番・遊撃手・31歳8ヶ月) ※史上126人目
通算1500安打:2000年4月5日オリックス戦(水尾嘉孝から二塁打・32歳3ヶ月・1540試合目) ※史上79人目
通算2000試合:2004年6月30日ロッテ戦(6番・指名打者・36歳6ヶ月) ※史上35人目
通算2000安打:2007年5月17日楽天戦(山村宏樹から右安打・39歳5ヶ月・2205試合目) ※史上35人目


422 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:16:36 YG9n2GEU

【327人目】

・小川史 1960年6月6日生 遊撃手 右投右打
経歴:浦安高→78年ドラフト外→西武(79-82)→南海・ダイエー(83-96)
達成日:1995年9月9日オリックス戦(吉永幸一郎の代打として途中出場・35歳3ヶ月)

成績:1006試合 .237 (1981-469) 11本 155打点 279三振 136四球 59盗塁 出塁率.286 OPS.581
【試合:494位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:440位】

※浦安高からドラフト外で西武に入団するも、当時は行沢久隆や石毛宏典の台頭もあって目立った活躍は出来ず、82年オフに金銭トレードで南海に移籍。すると84年ごろから1軍に定着し、86年には遊撃手の定位置を掴み、8年目にして初の規定打席到達を果たす。その後は内野のユーティリティとしても活躍し、富士本博史・湯上谷竑志・森脇浩司とともに「ひろし」カルテットで内野を守ることもあった。その後は若手選手の台頭もあり、96年に引退。その後はダイエーやオリックスのコーチ、楽天のスカウトを経て11年からはソフトバンクに復帰し、3軍監督やヘッドコーチを歴任。現在はスカウトとして活動している。


423 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:16:53 YG9n2GEU

【328人目】

・金森栄治(金森永時) 1957年1月24日生 外野手 右投左打
経歴:PL学園高→早稲田大→プリンスホテル→81年ドラフト2位→西武(82-88)→阪神(88-92)→ヤクルト(93-96)
達成日:1995年9月29日巨人戦(加藤博人の代打として途中出場・38歳8ヶ月)

成績:1048試合 .270 (2159-583) 27本 239打点 222三振 226四球 11盗塁 出塁率.351 OPS.724
【試合:450位 安打:600位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※西武では入団2年目に捕手から外野手に転向。85年には2番打者に定着し、打率.312をマークし、ベストナインを獲得して日本一にも貢献。また死球の多さや体に近い球が来ると叫んだことから「爆笑生傷男」と呼ばれ人気を博す。その後88年途中にトレードで阪神に移籍。その後93年にはヤクルトに移籍すると野村克也監督のもとで代打の切り札として復活し、95年には.324の高打率をマークして日本一に貢献した。その後はヤクルトや西武、阪神・ソフトバンクでコーチを歴任し、07年からはBC・石川の監督を3年間務め、10年にはロッテのコーチとしても日本一に貢献した。昨年からは楽天の1軍打撃コーチを務める。


424 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:17:10 YG9n2GEU

【329人目】

・川相昌弘 1964年9月27日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:岡山南高→82年ドラフト4位→巨人(83-03)→中日(04-06)
達成日:1996年4月7日阪神戦(2番・遊撃手・31歳6ヶ月)

成績:1909試合 .266 (4512-1199) 43本 322打点 570三振 418四球 47盗塁 出塁率.333 OPS.678
【試合:69位 安打:222位 本塁打:-位 打点:462位 盗塁:528位】

※巨人には投手として入団するも直後に内野手に転向。守備要員として次第に1軍で頭角を現し、球団初の背番号「0」を背負った89年には遊撃手の定位置を掴み、同年から3年連続でGG賞を獲得。94年には初の打率3割も達成し、ベストナインを受賞した。そして何といってもバントの名手として知られ、90年には当時新記録の58犠打、そして91年には自己最多の66犠打をマーク。98年には日本記録、そして03年にはMLB記録を抜き、世界最多の通算533犠打をマークした。同年に一時は引退を表明するも、撤回して翌年からは中日に移籍し、3年間プレーした。引退後は中日や巨人のコーチや2軍監督を歴任し、現在は解説者を務める。

通算1000安打:1997年10月8日ヤクルト戦(石井一久から左安打・33歳0ヶ月・1247試合目) ※史上187人目
通算1500試合:2001年5月23日ヤクルト戦(柏田貴史の代打として途中出場・36歳7ヶ月) ※史上132人目


425 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:17:27 YG9n2GEU

【330人目】

・藤井康雄 1962年7月7日生 外野手・一塁手 右投左打
経歴:泉州高→プリンスホテル→86年ドラフト4位→阪急・オリックス(87-02)
達成日:1996年7月10日ダイエー戦(小川博文の代打として途中出場・34歳0ヶ月)

成績:1641試合 .252 (4787-1207) 282本 861打点 1152三振 742四球 20盗塁 出塁率.353 OPS.840
【試合:134位 安打:220位 本塁打:49位 打点:76位 盗塁:-位】

※プリンスホテルから4位指名を受けて阪急に入団。1年目から積極的に1軍で起用され、チームがオリックスとなった89年には右翼手の定位置を獲得して30本塁打をマークしてベストナインを獲得。さらに翌90年には自己最多の37本塁打を放つなど、ブルーサンダー打線の一角として活躍。その後は故障に苦しみながらも、95,96年の連覇にも貢献。満塁に強く、01年には当時最多の通算14本目の満塁本塁打を釣りなしの代打サヨナラ逆転弾で決めるなど、シーズン歴代最多の3本の代打満塁弾を放った。02年に引退後はオリックスやソフトバンクのコーチを歴任し、昨年11月から神戸中央リトルシニアのコーチとなった。

通算1000安打:1998年9月20日近鉄戦(小池秀郎から右二塁打・36歳2ヶ月・1262試合目) ※史上191人目
通算1500試合:2000年10月16日ロッテ戦(7番・指名打者・38歳3ヶ月) ※史上131人目


426 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 13:47:32 toi57TXQ
>>418
愛しい奈々!おはよー!チュッ(笑)


427 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/01(日) 18:22:25 vlbRgJfY
なんと川相さんも1000試合・・・と思ったらジャイアンツに20年以上も在籍してたんですね


428 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:12:22 KVsFu49Y

【331人目】

・中村武志 1967年3月17日生 捕手 右投右打
経歴:花園高→84年ドラフト1位→中日(85-01)→横浜(02-04)→楽天(05)
達成日:1996年7月17日巨人戦(8番・捕手・29歳4ヶ月)

成績:1955試合 .242 (5705-1380) 137本 604打点 1072三振 544四球 29盗塁 出塁率.309 OPS.664
【試合:60位 安打:160位 本塁打:192位 打点:161位 盗塁:-位】

※84年ドラフトで竹田光訓のハズレ1位指名を受けて入団。星野監督が就任した87年ごろから頭角を現し、89年にはリーグ最高の盗塁阻止率.516をマーク。91年には打撃でも自己最多の20本塁打を放つなど、以降90年代の中日の絶対的正捕手として活躍。その後01年オフに谷繁元信が移籍したため自身から志願してトレードでその谷繁のいた横浜へ移籍。相川亮二や中嶋聡とのレギュラー争いを続け、05年に新設された楽天に無償トレードで移籍。藤井彰人に次ぐ2番手捕手として黎明期を支えた。引退後は横浜や中日・ロッテ、さらに韓国・起亜でコーチを歴任し、昨年から与田剛監督のもとで再び中日に復帰している。

通算1000安打:1999年7月18日横浜戦(矢野英司から左安打・32歳4ヶ月・1346試合目) ※史上197人目
通算1500試合:2000年9月2日巨人戦(8番・捕手・33歳5ヶ月) ※史上130人目


429 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:12:39 KVsFu49Y

【332人目】

・田辺徳雄(田邊徳雄) 1966年5月11日生 遊撃手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:吉田高→84年ドラフト2位→西武(85-99)→巨人(00)
達成日:1996年7月26日ロッテ戦(3番・三塁手・30歳2ヶ月)

成績:1229試合 .268 (3461-926) 87本 442打点 469三振 181四球 60盗塁 出塁率.307 OPS.706
【試合:332位 安打:343位 本塁打:346位 打点:290位 盗塁:432位】

※西武では2軍やアメリカの1Aへの野球留学といった猛練習を重ね、また故障に苦しみながらも遊撃手の定位置を掴み、5年目の89年にはリーグ2位の打率.316をマークしてベストナイン・GG賞を獲得。その後は90年からのチームの5連覇に貢献するなど90年代の西武を遊撃手として支え、その後は若手選手の台頭もあり二塁や三塁でもプレー。00年にトレードで移籍した巨人で引退し、その後は西武のコーチとして中村剛也や栗山巧らを育成し、14年途中から伊原春樹の代行として監督を務め、16年まで指揮。その後韓国・ハンファのコーチを経て、今年から再び西武に復帰し、新設された3軍の統括コーチを務める。


430 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:13:01 KVsFu49Y

【333人目】

・藤本博史 1963年11月8日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:天理高→81年ドラフト4位→南海・ダイエー(82-98)→オリックス(98)
達成日:1996年7月26日オリックス戦(若井基安に代わって一塁手として途中出場・31歳8ヶ月)

成績:1103試合 .235 (3039-715) 105本 419打点 697三振 464四球 10盗塁 出塁率.337 OPS.726
【試合:405位 安打:492位 本塁打:272位 打点:321位 盗塁:-位】

※天理高では2年夏の甲子園でベスト4を経験するも、翌年チームの不祥事で丸1年を棒に振ることとなる。しかし素質を見込まれ、4位指名を受けて南海に入団。徐々に頭角を現し、7年目の88年に1軍に定着すると三塁手に定着し、ヒゲをトレードマークとし、92年には自己最多の20本塁打を放って11年目にして初の規定打席到達を果たす。その後松永浩美や石毛宏典らの加入もあって一塁や二塁を転々とするも、勝負強い打撃で90年代のダイエーを支えた。オリックスにトレードで移籍した98年に引退し、その後は解説者を経て11年に13年ぶりにホークスへ復帰。打撃コーチを経て昨年からは3軍の監督を務めている。


431 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:13:18 KVsFu49Y

【334人目】

・湯上谷竑志(湯上谷宏) 1966年5月3日生 二塁手・遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:星稜高→84年ドラフト2位→南海・ダイエー(85-00)
達成日:1996年8月4日ロッテ戦(9番・三塁手・30歳3ヶ月)

成績:1242試合 .258 (3317-855) 42本 269打点 532三振 254四球 141盗塁 出塁率.312 OPS.661
【試合:321位 安打:388位 本塁打:-位 打点:548位 盗塁:146位】

※星稜高では甲子園に4度出場し、2位指名を受けて南海に入団。1年目から徐々に出場機会を増やすも、88年の秋季キャンプで右脛を骨折し、翌89年は丸々1年を棒に振ることとなる。しかし、翌90年からは二塁手として3年連続で全試合に出場。その後は小久保裕紀の台頭もあり、以降は三塁を中心に内外野問わず守れるユーティリティとして活躍。現役晩年は出場機会も減少したが、99,00年のチームの連覇を経験した。引退後もホークスに残り、フロントとコーチを行き来し、12年からは西戸崎合宿所の寮長も務めた。13年限りで退団後はアメリカに語学留学。現在はセラピストとなっている。なお阪神は一切関係ない。


432 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:13:36 KVsFu49Y

【335人目】

・本西厚博 1962年5月15日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:瓊浦高→三菱重工長崎→85年ドラフト4位→阪急・オリックス(87-97)→阪神(97-98)→日本ハム(99)→ロッテ(00-01)
達成日:1996年8月7日西武戦(9番・三塁手・34歳2ヶ月)

成績:1389試合 .258 (2715-700) 22本 240打点 465三振 226四球 75盗塁 出塁率.319 OPS.659
【試合:239位 安打:502位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:345位】

※三菱重工長崎では都市対抗に3度出場し、85年のドラフトで4位指名を受け、翌86年のオフに阪急に入団。派手さはないものの堅実なプレーを見せる外野守備の名手として活躍し、3年目の89年にはGG賞を獲得。また松永浩美の故障の際には三塁手としてもプレーした。その後はイチロー・田口壮とともに球界屈指の守備力を誇る外野を形成し、95,96年の連覇にも貢献した。その後97年途中にトレードで阪神に移籍。その後も戦力外とテスト入団を繰り返し、日本ハム・ロッテでもプレーし、01年に引退。その後はロッテや楽天でコーチを務め、14〜15年には韓国・ロッテのコーチ、16〜18年にはBC・信濃の監督も務めた。


433 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:13:58 KVsFu49Y

【336人目】

・秦真司 1962年7月29日生 外野手・捕手 右投左打
経歴:鳴門高→法政大→84年ドラフト2位→ヤクルト(85-98)→日本ハム(99)→ロッテ(00)
達成日:1996年8月16日巨人戦(宮本慎也の代打として途中出場・34歳0ヶ月)

成績:1182試合 .262 (2790-732) 97本 341打点 513三振 227四球 31盗塁 出塁率.324 OPS.752
【試合:368位 安打:479位 本塁打:302位 打点:433位 盗塁:-位】

※法政大時代にロサンゼルス五輪代表に選出され、金メダルを獲得。2位指名を受けてヤクルトに入団すると、大学の大先輩である関根潤三が監督となった後の88年に八重樫幸雄を押しのけて正捕手となる。しかしその後野村克也監督が就任すると、古田敦也にポジションを譲ることとなり強肩と脚力を活かすべく外野手に転向。以降は勝負強い打撃でチームの黄金時代を支え、晩年は日本ハムやロッテでもプレーした。引退後はロッテや中日のコーチの傍らで「マネーの虎」に出演し、井手らっきょとともに野球塾を開校。また08〜11年にはBC・群馬の初代監督を務め、12年からは昨年まで巨人でも指導した。


434 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:14:16 KVsFu49Y

【337人目】

・高橋雅裕(高橋眞裕) 1964年7月10日生 遊撃手・外野手・二塁手 右投右打
経歴:名古屋電気高→82年ドラフト4位→大洋・横浜(83-96)→ロッテ(97-99)
達成日:1996年9月1日広島戦(宮川一彦に代わって三塁手として途中出場・32歳1ヶ月)

成績:1101試合 .243 (2642-642) 14本 168打点 564三振 258四球 100盗塁 出塁率.311 OPS.623
【試合:406位 安打:544位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:245位】

※横浜ベイスターズ初の達成者。名古屋電気高では1年上の工藤公康とともに81年夏の甲子園に出場。4位指名を受けて翌82年ドラフトで大洋に入団。4年目の87年から古葉竹識監督に遊撃手のレギュラーに抜擢され、主に1番打者として活躍。88〜89年にかけては球団の先輩である山下大輔を超え、390守備機会連続無失策の当時日本記録を達成。しかし左肘を骨折し、さらに進藤達哉・石井琢朗といった若手の台頭もあって徐々に出場機会は減少し、97年にロッテに移籍して99年に引退。その後はロッテや楽天、横浜のコーチを歴任し、15年から昨年まではBC・群馬のコーチを務めた。


435 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:14:35 KVsFu49Y

【338人目】

・立浪和義 1969年8月19日生 二塁手・三塁手・遊撃手 右投左打
経歴:PL学園高→87年ドラフト1位→中日(88-09)
達成日:1996年9月21日巨人戦(3番・二塁手・27歳1ヶ月)

成績:2586試合 .285 (8716-2480) 171本 1037打点 1007三振 1086四球 135盗塁 出塁率.366 OPS.773
【試合:7位 安打:8位 本塁打:134位 打点:40位 盗塁:160位】

※PL学園高では主将として87年の甲子園春夏連覇を達成し、南海との競合の末に中日に入団。1年目の88年から遊撃手の定位置を掴み、22盗塁をマークして新人王・GG賞を獲得すると、92年には二塁手に転向し、93〜94年には712守備機会連続無失策の当時の日本記録を達成し、95〜97年には3年連続GG賞を獲得。そして03年には通算2000安打、05年には日本新記録の450二塁打も達成。中日一筋22年間の現役生活を全うし、09年に引退。通算487二塁打は現在も日本記録であり、その素晴らしい実績から3代目ミスタードラゴンズと称される。引退後は解説者を務める傍らで13年に第3回WBCの打撃コーチも務めた。昨年殿堂入り。

通算1000安打:1996年6月2日巨人戦(斎藤雅樹から左安打・26歳9ヶ月・924試合目) ※史上183人目
通算1500安打:2000年4月13日広島戦(高橋建から中安打・30歳7ヶ月・1412試合目) ※史上80人目
通算1500試合:2000年8月29日広島戦(5番・二塁手・31歳0ヶ月) ※史上128人目
通算2000安打:2003年7月5日巨人戦(林昌範から右安打・33歳10ヶ月・1874試合目) ※史上30人目・歴代4番目の年少記録
通算2000試合:2004年6月29日広島戦(3番・三塁手・34歳10ヶ月) ※史上34人目
通算2500試合:2008年9月16日阪神戦(チェンの代打として途中出場・39歳0ヶ月) ※史上7人目


436 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:14:55 KVsFu49Y

【339人目】

・仁村徹 1961年12月26日生 三塁手・二塁手・投手 右投右打
経歴:上尾高→東洋大→83年ドラフト2位→中日(84-95)→ロッテ(96-97)
達成日:1997年4月12日西武戦(大村巌の代打として途中出場・35歳3ヶ月)

成績:1068試合 .273 (3001-820) 67本 344打点 538三振 260四球 25盗塁 出塁率.334 OPS.722
投手:1登板 1勝0敗 0S 1.2投球回 0奪三振 2与四球 0被安打 防0.00 WHIP1.20
【試合:430位 安打:408位 本塁打:435位 打点:430位 盗塁:-位】

※東洋大ではリーグ通算29勝をあげ、2位指名を受けて中日に投手として入団。しかし投手としては1試合のみの登板に終わり、3年目の86年に二塁手に転向し、翌87年には規定打席にも到達する。その後は宇野勝の二塁コンバートもあって三塁をはじめとした様々なポジションを転々としながらも、時には代打の切り札としても勝負強い打撃でチームを支え、90年代半ばには主将も務めた。96年にロッテに移籍し、97年に引退。その後は中日に戻り、2軍監督やコーチ、スカウトを歴任。10〜16年には楽天でも指導し、今年からは再び中日の2軍監督に復帰。弟の薫もNPBでプレーし、選手、指導者双方で同僚となっている。


437 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 18:15:13 KVsFu49Y

【340人目】

・野村謙二郎 1966年9月19日生 遊撃手・三塁手 右投左打
経歴:佐伯鶴城高→駒澤大→88年ドラフト1位→広島(89-05)
達成日:1997年4月16日巨人戦(1番・遊撃手・30歳6ヶ月)

成績:1927試合 .285 (7095-2020) 169本 765打点 938三振 562四球 250盗塁 出塁率.340 OPS.754
【試合:64位 安打:47位 本塁打:142位 打点:105位 盗塁:44位】

※平成以降にデビューした選手では初の達成者。駒澤大では東都大リーグ記録を更新する通算52盗塁をマークし、ソウル五輪代表にも選出され、その後1位指名を受けて広島に入団。当初は外野手だったが、2年目の90年からは遊撃手に転向し、同年と91年に2年連続で盗塁王を獲得。その後はチームの主将となり、94年には3度目の盗塁王、96年には.315 32本 30盗塁で史上6人目のトリプルスリーを達成。晩年は三塁手としてプレーし、05年には通算2000安打も達成した。同年限りで引退後は解説者を経て10年から広島の監督に就任。13年には球団15年ぶりのAクラス入りにチームを導いた。現在は再び解説者として活動中。

通算1000安打:1995年9月22日横浜戦(デニー友利から2ラン・29歳0ヶ月・857試合目) ※史上181人目
通算1500安打:1999年5月19日阪神戦(井川慶から左安打・32歳8ヶ月・1289試合目) ※史上77人目
通算1500試合:2001年8月26日阪神戦(6番・三塁手・34歳11ヶ月) ※史上133人目
通算2000安打:2005年6月23日ヤクルト戦(川島亮から左安打・38歳9ヶ月) ※史上33人目


438 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 19:33:05 n/q5bEiM
>>435
素晴らしい成績


439 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 19:36:44 OGELmYDg
今回は遊撃手多いですね


440 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 20:37:34 sfv1S8aA
立浪和義とかいう生涯を中日ドラゴンズに捧げたレジェンド


441 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/02(月) 21:07:07 sbutHhoc
>>435
素晴らしい業績


442 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:10:29 OPv2Wm5s

【341人目】

・小川博文 1967年3月6日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:拓大紅陵高→プリンスホテル→88年ドラフト2位→オリックス(89-00)→横浜(01-04)
達成日:1997年6月21日西武戦(塩崎真に代わって遊撃手として途中出場・30歳3ヶ月)

成績:1720試合 .266 (5276-1406) 100本 597打点 973三振 461四球 64盗塁 出塁率.324 OPS.698
【試合:109位 安打:149位 本塁打:292位 打点:165位 盗塁:408位】

※拓大紅陵高では84年春の選抜でチームを甲子園初出場に導き、またプリンスホテルではソウル五輪代表にも選出され、2位指名を受けてオリックスに入団。当初は二塁手だったがプロ入り直後に遊撃手に転向し、1年目からレギュラーを掴み取ると91年には全試合に出場してベストナインを獲得。その後は三塁や二塁も守るようになり、95,96年の連覇にも貢献し、97年には史上5人目の全打順本塁打も達成。その後00年オフに進藤達哉らとのトレードで横浜に移籍。翌01年には5番・三塁手として自己最多の15本塁打を放った。04年に引退後はオリックスやDeNAでコーチを歴任し、現在は解説者として活動している。

通算1000安打:1998年8月27日ダイエー戦(長冨浩志から・31歳5ヶ月・1148試合目) ※史上188人目
通算1500試合:2001年9月18日ヤクルト戦(ズーバーの代打として途中出場・34歳6ヶ月) ※史上134人目


443 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:10:54 OPv2Wm5s

【342人目】

・大豊泰昭 1963年11月15日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:華興高→名古屋商科大→88年ドラフト2位→中日(89-97)→阪神(98-00)→中日(01-02)
達成日:1998年4月22日阪神戦(5番・一塁手・34歳5ヶ月)

成績:1324試合 .266 (4097-1089) 277本 722打点 1057三振 522四球 15盗塁 出塁率.352 OPS.873
【試合:274位 安打:263位 本塁打:52位 打点:115位 盗塁:-位】

※名古屋商科大では愛知大リーグで歴代最多の24本塁打を放ち、卒業後日本人選手扱いでプロ入りするために球団職員を経て88年のドラフトで中日に入団。1年目から14本塁打を放ちそこから徐々に大砲として成績を伸ばし、一本足打法を習得したあとの94年には38本塁打・107打点で本塁打王・打点王の2冠を獲得。しかしナゴヤドームが開場した97年に成績を大きく落とし、トレードで阪神に移籍。99年には代打の切り札として打率.341 18本をマークした。その後01年に中日に復帰し、翌02年に引退。その後は04年に名古屋市内で中華料理店を開業し、その傍ら中日のスカウトも務めるも15年に白血病で、51歳の若さで逝去。

通算1000安打:2000年4月8日広島戦(紀藤真琴からソロ・36歳4ヶ月・1168試合目) ※史上199人目


444 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:11:12 OPv2Wm5s

【343人目】

・古田敦也 1965年8月6日生 捕手 右投右打
経歴:西明峰高→立命館大→トヨタ自動車→89年ドラフト2位→ヤクルト(90-07)
達成日:1998年6月2日中日戦(4番・捕手・32歳9ヶ月)

成績:2008試合 .294 (7141-2097) 217本 1009打点 951三振 748四球 70盗塁 出塁率.367 OPS.808
【試合:50位 安打:33位 本塁打:89位 打点:46位 盗塁:365位】

※トヨタ自動車では88年にソウル五輪代表に選出。2位指名を受けてヤクルトに入団すると野村克也監督のもとで正捕手に抜擢され、2年目の91年には捕手としては史上2人目の首位打者を受賞。強肩強打の捕手としてヤクルトの黄金時代を支え、93年には史上最高の盗塁阻止率.644をマークし、同年と97年と2度のMVPを受賞。その傍ら99年からは選手会会長を務め、04年のプロ野球再編問題において史上初のストライキを決行するなど12球団制の維持に奔走。そして翌05年には通算2000安打を達成し、06年からは選手兼任監督となるなど18年間ヤクルト一筋で活躍した。引退後は解説者など各種メディアで活動。15年に殿堂入り。

通算1000安打:1997年10月3日広島戦(黒田博樹から中安打・32歳1ヶ月・954試合目) ※史上186人目
通算1500安打:2001年7月11日巨人戦(上原浩治からソロ・35歳11ヶ月・1426試合目) ※史上82人目
通算1500試合:2002年5月4日中日戦(5番・捕手・36歳8ヶ月) ※史上135人目
通算2000安打:2005年4月24日広島戦(大竹寛から三二塁打・39歳8ヶ月・1884試合目) ※史上32人目
通算2000試合:2007年4月19日横浜戦(8番・捕手・41歳8ヶ月) ※史上37人目


445 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:11:30 OPv2Wm5s

【344人目】

・初芝清 1967年2月26日生 三塁手 右投右打
経歴:二松学舎高→東芝府中→88年ドラフト4位→ロッテ(89-05)
達成日:1998年6月12日オリックス戦(5番・三塁手・31歳3ヶ月)

成績:1732試合 .265 (5762-1525) 232本 879打点 1082三振 496四球 11盗塁 出塁率.326 OPS.781
【試合:104位 安打:117位 本塁打:75位 打点:72位 盗塁:-位】

※東芝府中では都市対抗に3度出場し、4位指名を受けてロッテに入団。落合博満の背番号「6」を引き継ぎ、2年目の90年には三塁手の定位置を掴み、千葉マリンスタジアム初本塁打含む18本塁打をマーク。95年には5番打者として80打点をあげて打点王・ベストナインを獲得。またこの年と98年に放った25本塁打は現在も千葉移転後の球団日本人最多である。その後もロッテ一筋で活躍し、05年のチーム31年ぶり日本一を見届ける形で引退。通算232本塁打を放ち、「ミスターマリーンズ」としてファンからも愛された。その後は解説者を経てかずさマジックのコーチを務め、13年12月から昨年11月まではセガサミーの監督も務めた。

通算1000安打:1998年9月20日西武戦(横田久則から2ラン・31歳6ヶ月・1072試合目) ※史上190人目
通算1500試合:2002年6月16日西武戦(4番・三塁手・35歳3ヶ月) ※史上136人目
通算1500安打:2004年6月9日オリックス戦(フィリップスから左安打・37歳3ヶ月・1678試合目) ※史上85人目


446 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:11:47 OPv2Wm5s

【345人目】

・堀幸一 1969年4月2日生 二塁手・外野手・遊撃手 右投右打
経歴:海星高→87年ドラフト3位→ロッテ(88-10)
達成日:1998年7月28日ダイエー戦(1番・中堅手・29歳3ヶ月)

成績:2064試合 .269 (6788-1827) 183本 810打点 1295三振 676四球 133盗塁 出塁率.336 OPS.749
【試合:41位 安打:69位 本塁打:120位 打点:90位 盗塁:168位】

※海星高から3位指名を受けてロッテに入団。当初は主力選手らのバッティングに圧倒されて自信を喪失するも、1年目から徐々に出場機会を増やし、4年目の91年には20本塁打を放って頭角を現す。その後は器用な打撃の出来る中距離打者として様々な打順を任され、98年には全打順本塁打を達成。05年には2番打者としてチームの31年ぶりの日本一に貢献し、18年目にして初のベストナインを獲得。08年には球団史上3人目の通算2000試合出場を達成し、プロ22年間をロッテ一筋で貫き、最後のオリオンズ戦士となって10年に引退。その後は解説者を経て13年からはロッテの打撃コーチを務めている。

通算1000安打:1998年9月28日日本ハム戦(芝草宇宙から左二塁打・29歳5ヶ月・1045試合目) ※史上192人目
通算1500試合:2003年5月21日オリックス戦(6番・二塁手・34歳1ヶ月) ※史上138人目
通算1500安打:2004年6月26日西武戦(許銘傑から左安打・35歳2ヶ月・1659試合目) ※史上86人目
通算2000試合:2008年8月20日日本ハム戦(2番・一塁手・39歳4ヶ月) ※史上40人目


447 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:12:07 OPv2Wm5s

【346人目】

・谷繁元信 1970年12月21日生 捕手 右投右打
経歴:江の川高→88年ドラフト1位→大洋・横浜(89-01)→中日(02-15)
達成日:1998年8月25日阪神戦(7番・捕手・27歳8ヶ月) ※70年代生まれでは初

成績:3021試合 .240 (8774-2108) 229本 1040打点 1838三振 1133四球 32盗塁 出塁率.333 OPS.701
【試合:1位 安打:31位 本塁打:79位 打点:39位 盗塁:-位】

※1位指名で入団した大洋では高卒1年目から1軍にフル帯同すると、秋元宏作とのレギュラー争いの末に96年ごろから正捕手となり、98年にはチームの日本一に貢献。強肩強打の捕手として成長し、01年にはFA宣言でメジャー挑戦するも断念し中日に移籍。落合政権における黄金時代の絶対的正捕手となり、06年には第1回WBC代表にも選出。その後13年には25年目にして通算2000安打に到達。翌14年からは選手兼任監督となり、同年にはNPB新記録の26年連続本塁打を達成。そして15年には史上2人目の3000試合出場を達成し、歴代最多の3021試合出場まで数字を伸ばして同年限りで引退。翌16年まで監督も務めた。現在は解説者。

通算1000安打:2001年10月9日中日戦(朝倉健太から中安打・30歳9ヶ月・1416試合目) ※史上208人目
通算1500試合:2002年8月1日巨人戦(8番・捕手・31歳7ヶ月) ※史上137人目
通算2000試合:2006年7月26日阪神戦(7番・捕手・35歳7ヶ月) ※史上36人目
通算1500安打:2006年10月9日ヤクルト戦(石川雅規から右二塁打・35歳9ヶ月・2058試合目) ※史上90人目・史上最遅
通算2500試合:2010年7月28日巨人戦(7番・捕手・39歳7ヶ月) ※史上9人目
通算2000安打:2013年5月6日ヤクルト戦(押本健彦から右安打・42歳4ヶ月・2803試合目) ※史上44人目・史上最遅・歴代2番目の年長記録
通算3000試合:2015年4月30日巨人戦(8番・捕手・44歳4ヶ月) ※史上2人目


448 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:12:24 OPv2Wm5s

【347人目】

・飯田哲也 1968年5月18日生 外野手・二塁手 右投右打
経歴:拓大紅陵高→86年ドラフト4位→ヤクルト(87-04)→楽天(05-06)
達成日:1998年8月25日広島戦(土橋勝征の代走として途中出場・30歳3ヶ月) ※谷繁と同日達成

成績:1505試合 .273 (4564-1248) 48本 363打点 700三振 344四球 234盗塁 出塁率.326 OPS.688
【試合:190位 安打:207位 本塁打:585位 打点:399位 盗塁:54位】

※拓大紅陵高では捕手として86年春夏の甲子園に連続出場を果たし、4位指名を受けてヤクルトに入団。プロ入り後もしばらくは捕手でプレーするも、野村克也監督が就任した90年から外野手にコンバートされる。強肩と俊足を持ち合わせた抜群の身体能力から見せる外野守備を武器に91〜97年には7年連続GG賞を獲得し、またトップバッターとして92年には33盗塁で盗塁王となるなど、ヤクルトの黄金時代を支えた。しかし98年以降は毎年のように故障に悩まされ、05年には楽天に無償トレードで移籍。06年には再び野村克也監督のもとでプレーすることとなり同年引退。その後はヤクルト・ソフトバンクのコーチを務めた。

通算1000安打:1998年10月9日阪神戦(中込伸から右二塁打・30歳4ヶ月・1030試合目) ※史上193人目
通算1500試合:2006年9月22日西武戦(1番・中堅手・38歳4ヶ月) ※史上148人目


449 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:12:44 OPv2Wm5s

【348人目】

・八木裕 1965年6月8日生 三塁手・外野手・一塁手 右投右打
経歴:岡山東商業高→三菱自動車水島→86年ドラフト3位→阪神(87-04)
達成日:1999年4月8日広島戦(高波文一の代打として途中出場・33歳10ヶ月)

成績:1368試合 .247 (3303-817) 126本 479打点 742三振 337四球 33盗塁 出塁率.319 OPS.735
【試合:252位 安打:411位 本塁打:217位 打点:250位 盗塁:-位】

※三菱自動車水島から3位指名で阪神に入団。守備力と走力を期待されてのプロ入りだったが、アメリカへの野球留学の末に長打力を身につけ、90年には自己最多の28本塁打をマークするなど3年連続で20本塁打をマーク。その後亀山努や新庄剛志の台頭、さらに自身の故障もあって出場機会が減少し、96年には1軍出場ゼロに終わり戦力外となりかけるも、吉田義男監督が就任した97年からは代打として復活。ここ一番での場面で結果を残し続け、ついには「代打の神様」と呼ばれ、03年には18年ぶりの優勝に貢献した。翌04年に引退後は09年にコーチとして阪神に復帰し、15年まで在籍。現在は解説者・評論家を務める。


450 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:13:01 OPv2Wm5s

【349人目】

・荒井幸雄 1964年10月13日生 外野手 左投左打
経歴:横浜商業高→日本石油→85年ドラフト2位→ヤクルト(86-95)→近鉄(96-97)→横浜(98-00)
達成日:1999年4月27日広島戦(阿波野秀幸の代打として途中出場・34歳6ヶ月)

成績:1042試合 .270 (2893-782) 55本 276打点 299三振 308四球 34盗塁 出塁率.341 OPS.731
【試合:453位 安打:436位 本塁打:513位 打点:531位 盗塁:-位】

※横浜商業高では高校通算43本塁打を放ち、日本石油時代には84年のロサンゼルス五輪代表の4番打者として活躍し、金メダル獲得に貢献。2位指名を受けてヤクルトに入団すると、2年目の87年には主に1番打者として105試合に出場し、打率.301をマークして新人王となる。その後も2番打者として90年代のヤクルトの黄金時代を支えた。96年にトレードで近鉄に移籍し、2年後の98年には横浜に移籍。横浜では代打として日本一に貢献。00年に引退後はヤクルト・日本ハム・巨人の3球団でいずれも2軍打撃コーチを歴任し、現在はジャイアンツアカデミーのコーチを務める。


451 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:13:21 OPv2Wm5s

【350人目】

・吉永幸一郎 1969年5月1日生 捕手・指名打者 右投左打
経歴:東海大工高→87年ドラフト5位→南海・ダイエー(88-00)→巨人(01-03)
達成日:1999年5月1日西武戦(5番・指名打者・30歳0ヶ月)

成績:1250試合 .278 (3797-1057) 153本 505打点 741三振 540四球 4盗塁 出塁率.367 OPS.827
【試合:318位 安打:280位 本塁打:169位 打点:221位 盗塁:-位】

※東海大工高から3位指名で入団。2年目のアメリカへの野球留学を経て翌90年に1軍で頭角を現し、田淵幸一が監督に就任した91年からは正捕手に抜擢される。その後膝の故障や城島健司の台頭で一塁や指名打者でのスタメンが主となるも強打者として活躍し、97年には福岡ドーム初の1試合3本塁打含む自己最多の29本塁打をマークし、99年には3番打者としてダイエー初のリーグ優勝・日本一に貢献。松中信彦が台頭した翌00年オフにトレードで巨人に移籍するも、当時新人の阿部慎之助の活躍もあって出場機会を稼げず、03年に引退。その後は学生野球資格を取得し、現在は沼津ヤングベースボールクラブのコーチを務める。

通算1000安打:2000年5月9日日本ハム戦(建山義紀から・31歳0ヶ月・1116試合目) ※史上200人目


452 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 15:17:52 R6iJjQvw
>>451
この人のホームランの打ち方は本当におかしい…


453 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/03(火) 19:29:21 x41/5V2o
谷繁や古田と・・・キャッチャーが強い時期がありましたね


454 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:13:08 4zWUF2ZI

【351人目】

・中嶋聡 1969年3月27日生 捕手 右投右打
経歴:鷹巣農林高→86年ドラフト3位→阪急・オリックス(87-97)→西武(98-02)→横浜(03)→日本ハム(04-15)
達成日:1999年6月26日ダイエー戦(8番・捕手・30歳2ヶ月)

成績:1550試合 .232 (3473-804) 55本 349打点 768三振 290四球 27盗塁 出塁率.295 OPS.618
【試合:166位 安打:420位 本塁打:513位 打点:422位 盗塁:-位】

※オリックスでは3年目の89年に正捕手に抜擢。球界随一の強肩に加えて高い打撃センスと俊足を持ち合わせ、一時期は「メジャーに一番近い捕手」とまで称され、95,96年のチームの連覇にも貢献。そして実際に97年オフにFA宣言してメジャー挑戦するも断念し、西武に移籍。絶対的正捕手だった伊東勤の陰で松坂専属捕手として活躍した。その後トレードで横浜、翌年に日本ハムに移籍。06年にはマイケル中村とともに「抑え捕手」の地位を確立し、同年の日本一に貢献。その後はコーチを歴任しながら息の長い現役生活を送り、歴代1位タイの実働29年目となった15年に引退。昨年からはオリックスの2軍監督を務める。

通算1500試合:2007年10月2日楽天戦(鶴岡慎也に代わって捕手として途中出場・38歳6ヶ月) ※史上156人目


455 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:13:28 4zWUF2ZI

【352人目】

・江藤智 1970年4月15日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:関東高→88年ドラフト5位→広島(89-99)→巨人(00-05)→西武(06-09)
達成日:1999年7月17日ヤクルト戦(4番・三塁手・29歳3ヶ月)

成績:1834試合 .268 (5819-1559) 364本 1020打点 1175三振 923四球 82盗塁 出塁率.370 OPS.874
【試合:82位 安打:112位 本塁打:27位 打点:43位 盗塁:304位】

※関東高では高校通算61本塁打を放ち、強打の捕手として広島に入団するもプロ入り後は内野手に転向。徐々に長打力で頭角を現し、三塁の定位置を掴んだ5年目の93年には34本塁打を放って本塁打王を獲得。その後は天性のアーチストとして不動の4番打者となり、95年には自己最多の39本塁打・106打点で本塁打王・打点王の二冠となる。その後99年オフにFAで巨人に移籍。翌00年には3番打者として日本一に貢献するも、02年以降は徐々に成績を落とし、05年に豊田清の人的補償で西武に移籍。貴重なベテランとして代打や指名打者として活躍し、08年の日本一に貢献。09年に引退後は巨人に戻り、コーチや3軍監督を務めた。

通算1000安打:1999年8月29日巨人戦(桑田真澄から中安打・29歳4ヶ月・1027試合目) ※史上198人目
通算1500試合:2003年7月20日横浜戦(6番・三塁手・33歳3ヶ月) ※史上139人目
通算1500安打:2006年7月19日ソフトバンク戦(佐藤誠から左安打・36歳3ヶ月・1716試合目) ※史上88人目


456 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:13:54 4zWUF2ZI

【353人目】

・前田智徳 1971年6月14日生 外野手 右投左打
経歴:熊本工業高→89年ドラフト4位→広島(90-13)
達成日:1999年7月22日阪神戦(3番・右翼手・28歳1ヶ月)

成績:2188試合 .302 (7008-2119) 295本 1112打点 765三振 586四球 68盗塁 出塁率.358 OPS.842
【試合:34位 安打:30位 本塁打:43位 打点:33位 盗塁:378位】

※熊本工業高では3度の甲子園に出場。4位指名で広島に入団すると、2年目の91年には1番・中堅手として開幕スタメンを果たすとプロ初本塁打を先頭打者弾でマークし、同年の優勝にも貢献し、外野手では史上最年少でGG賞を獲得。その後は打撃の天才、孤高の求道者としてチームの主軸を支え、95年には右アキレス腱を断裂し、以降も故障に度々苦しみ、打撃タイトルにも縁がなかったもののシーズン打率3割を通算11度マーク。07年には通算2000安打も達成し、晩年は代打の切り札としても活躍。13年まで24年間カープ一筋を貫いた。現在は広島の球団アドバイザーや解説者、スイーツ大好きおじさんとして活動中。

通算1000安打:1998年8月28日横浜戦(阿波野秀幸から中二塁打・27歳2ヶ月・906試合目) ※史上189人目
通算1500安打:2004年5月8日巨人戦(前田幸長から左二塁打・32歳10ヶ月・1422試合目) ※史上84人目
通算1500試合:2004年9月10日中日戦(5番・左翼手・33歳2ヶ月) ※史上142人目
通算2000安打:2007年9月1日中日戦(久本祐一から右安打・36歳2ヶ月) ※史上36人目
通算2000試合:2008年10月7日横浜戦(倉義和の代打として途中出場・37歳3ヶ月) ※史上41人目


457 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:14:17 4zWUF2ZI

【354人目】

・石井琢朗(石井忠徳) 1970年8月25日生 遊撃手・三塁手・投手 右投左打
経歴:足利工業高→88年ドラフト外→大洋・横浜(89-08)→広島(09-12)
達成日:1999年10月15日ヤクルト戦(1番・遊撃手・29歳1ヶ月) ※90年代最後の達成者

成績:2413試合 .282 (8638-2432) 102本 670打点 1241三振 930四球 358盗塁 出塁率.356 OPS.728
投手:28登板 1勝4敗 0S 49.0投球回 23奪三振 29与四球 63被安打 防5.69 WHIP1.88
【試合:11位 安打:11位 本塁打:284位 打点:134位 盗塁:16位】

※ドラフト外で投手として大洋に入団。4年目の92年に内野手に転向すると、翌93年には三塁の定位置を掴み、24盗塁で盗塁王を獲得。その後は遊撃手となり、不動の1番打者として定着し、波留敏夫ととのマシンガン打線の1,2番コンビを形成。98年には最多安打と盗塁王の2冠となり、チームの日本一に貢献し、00年まで3年連続で盗塁王となる。その後も安打を積み重ね、05年にはドラフト外選手では2人目となる通算2000安打も達成するなど横浜では球団最多の2306安打をマーク。09年に広島に移籍すると、遊撃手の最多出場記録を更新した。12年に引退後は広島・ヤクルトでコーチを歴任し、今年からは巨人で指導する。

通算1000安打:1999年7月15日阪神戦(山崎一玄から・28歳10ヶ月・943試合目) ※史上196人目
通算1500安打:2002年8月22日巨人戦(入来祐作からソロ・31歳11ヶ月・1372試合目) ※史上83人目
通算1500試合:2003年8月27日広島戦(2番・遊撃手・33歳0ヶ月) ※史上140人目
通算2000安打:2006年5月11日楽天戦(愛敬尚史から中安打・35歳8ヶ月・1839試合目) ※史上34人目
通算2000試合:2007年6月13日日本ハム戦(藤田一也に代わって遊撃手として途中出場・36歳9ヶ月) ※史上38人目


458 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:14:33 4zWUF2ZI

【355人目】

・平井光親 1966年11月8日生 外野手 左投左打
経歴:東福岡高→愛知工業大→88年ドラフト6位→ロッテ(89-02)
達成日:2000年4月14日日本ハム戦(7番・右翼手・33歳5ヶ月) ※2000年代初の達成者

成績:1067試合 .272 (3027-822) 39本 294打点 397三振 331四球 20盗塁 出塁率.343 OPS.720
【試合:431位 安打:407位 本塁打:-位 打点:507位 盗塁:-位】

※愛知工業大では愛知大リーグでベストナインを5度受賞し、6位指名を受けてロッテに入団。3年目の91年に外野手の一人として1軍に定着すると、松永浩美との壮絶な首位打者争いを繰り広げ、わずか4厘差を制して首位打者のタイトルを獲得。その後もシュアな打撃と堅実な守備で90年代のロッテを支え、98年にもイチローに次いでリーグ2位の打率.320をマークした。その後はサブローの台頭もあり、02年限りで引退。その後は球団編成を経てロッテのコーチも務め、振興部テクニカルコーチとしても活躍。現在は母校である愛知工業大の監督を務めている。


459 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:14:57 4zWUF2ZI

【356人目】

・進藤達哉 1970年1月14日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:高岡商業高→大洋・横浜(88-00)→オリックス(01-03)
達成日:2000年5月5日中日戦(7番・三塁手・30歳3ヶ月)

成績:1348試合 .239 (3843-917) 104本 412打点 746三振 425四球 42盗塁 出塁率.318 OPS.693
【試合:265位 安打:349位 本塁打:277位 打点:333位 盗塁:571位】

※ドラフト外で大洋に入団すると5年目の92年に高橋雅裕から定位置を奪い、遊撃手に定着。その後大矢明彦監督が就任した96年には三塁手となり、卓越した守備力と勝負強い打撃でマシンガン打線の7番打者として活躍し、97〜99年には3年連続GG賞となり、98年の日本一に貢献した。99年オフにはFA宣言し残留するも、その後は金城龍彦の台頭もありトレードで01年にオリックスに移籍。事実上永久欠番だった福本豊の背番号「7」を着用してプレーした。03年に引退後は横浜に復帰してコーチを務め、10年からは地元のBC・富山のコーチ・監督も歴任。そして14年からは再度DeNAに復帰し、コーチを経て現在は編成部長を務める。


460 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:15:14 4zWUF2ZI

【357人目】

・鈴木健 1970年1月13日生 三塁手・一塁手 右投左打
経歴:浦和学院高→87年ドラフト1位→西武(88-02)→ヤクルト(03-07)
達成日:2000年5月7日日本ハム戦(4番・一塁手・30歳3ヶ月)

成績:1686試合 .278 (5201-1446) 189本 797打点 812三振 664四球 15盗塁 出塁率.362 OPS.808
【試合:117位 安打:133位 本塁打:114位 打点:96位 盗塁:-位】

※浦和学院高では当時最多の高校通算83本塁打をマークし、1位指名を受けて西武に入団。91年には打率4割を記録して2軍の首位打者となり、徐々に1軍でも頭角を現し、石毛宏典の移籍により95年に三塁手に定着。長打力に加えて確実性のある打撃でチームの主軸を支え、清原和博の移籍後は4番打者を担い、97年にはリーグ優勝を自らのサヨナラ本塁打で決め、最高出塁率・ベストナインのタイトルも獲得。その後成績が低迷し戦力外となるも03年にヤクルトに移籍。すると復活を果たし.317 20本 95打点のキャリアハイの成績を残してカムバック賞を受賞した。07年に引退後は解説者として活動している。

通算1000安打:2001年6月16日日本ハム戦(中村隼人から左安打・31歳5ヶ月・1160試合目) ※史上204人目
通算1500試合:2004年8月3日巨人戦(5番・一塁手・34歳6ヶ月) ※史上141人目


461 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:15:35 4zWUF2ZI

【358人目】

・久慈照嘉(テル) 1969年4月19日生 遊撃手 右投左打
経歴:東海大甲府高→日本石油→91年ドラフト2位→阪神(92-97)→中日(98-02)→阪神(03-05)
達成日:2000年5月7日横浜戦(井端弘和の代打として途中出場・31歳0ヶ月)

成績:1199試合 .257 (3155-811) 6本 153打点 472三振 405四球 51盗塁 出塁率.343 OPS.650
【試合:354位 安打:414位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:496位】

※上記の鈴木健と同日達成。東海大甲府高では立浪和義と並んで高い守備力を誇る遊撃手として名を馳せ、日本石油を経て2位指名を受けて阪神に入団。2番遊撃手で開幕スタメンを果たすなど1年目から121試合に出場して新人王を獲得し、その後も和田豊とともに二遊間コンビとして活躍。その後97年オフにトレードで中日に移籍。当初は遊撃手として活躍するも、99年から福留孝介が台頭し守備要員となりさらにアライバコンビの登場もあり、02年に自由契約となって阪神に復帰。持ち前の守備力は衰えず、03年のリーグ優勝に貢献した。引退後は解説者を経て09年から阪神のコーチとなり、現在は1軍内野守備走塁担当。


462 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:15:55 4zWUF2ZI

【359人目】

・村田真一 1963年12月5日生 捕手 右投右打
経歴:滝川高→81年ドラフト5位→巨人(82-01)
達成日:2000年5月10日横浜戦(8番・捕手・36歳5ヶ月)

成績:1134試合 .234 (2881-673) 98本 367打点 737三振 290四球 2盗塁 出塁率.308 OPS.690
【試合:388位 安打:523位 本塁打:300位 打点:391位 盗塁:-位】

※滝川高から5位指名を受けて巨人に入団。入団当時は山倉和博の全盛期であったことに加え、その後有田修三や中尾孝義といったベテラン選手が移籍してきたこともありなかなか出場機会を得られなかったが、9年目の90年についに山倉から正捕手の座を奪い、強打の捕手としてベストナインを獲得。その後も94年には槙原寛己とともに平成唯一の完全試合を達成するなど第2次長嶋政権における巨人で活躍。死球による離脱も多々あったが正捕手の座を守り続け、01年に阿部慎之助の台頭を見届ける形で引退。その後は巨人のヘッドコーチや打撃コーチを原辰徳、高橋由伸監督のもとで務め、現在は解説者・評論家として活動。


463 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 15:16:13 4zWUF2ZI

【360人目】

・片岡篤史 1969年6月27日生 三塁手・一塁手 右投左打
経歴:PL学園高→同志社大→91年ドラフト2位→日本ハム(92-01)→阪神(02-06)
達成日:2000年5月31日ダイエー戦(3番・三塁手・30歳11ヶ月)

成績:1569試合 .270 (5272-1425) 164本 717打点 1099三振 800四球 35盗塁 出塁率.367 OPS.789
【試合:154位 安打:143位 本塁打:148位 打点:116位 盗塁:-位】

※PL学園高では4番打者として87年春夏の甲子園連覇に貢献し、同志社大に進み、91年ドラフトで2位指名を受けて日本ハムに入団。1年目から三塁手の定位置を掴むと以降は日本ハムの3番打者として活躍し、98年には最高出塁率のタイトルを獲得。選手会長も務めチームリーダーとしても存在感を示した。01年オフにFA宣言して阪神に移籍すると、03年には勝負強い打撃でリーグ優勝に貢献。その後は今岡誠や関本健太郎の台頭もありながら代打の切り札として活躍し、06年に引退。その後は解説者を経て阪神のコーチも歴任。現在は解説者となり、昨年10月にはYouTuber活動も開始。実家は檜風呂ではなく檜のサウナ。

通算1000安打:2000年6月13日近鉄戦(ユウキから遊安打・30歳11ヶ月・1011試合目) ※史上201人目
通算1500試合:2005年8月13日巨人戦(杉山直久の代打として途中出場・36歳1ヶ月) ※史上145人目


464 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 22:03:41 Dn7e0A3M
>>463
オープンザドアさんか
懐かしいね


465 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/04(水) 23:17:59 OFQXFcn6
このへん来ると現役時代のプレー知ってる人たちも多いですね


466 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 12:19:48 kH.V4qjM
>>456
現役時代と全然雰囲気違うけどすき


467 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:13:05 KyjXFWqs

【361人目】

・浜名千広 1969年11月11日生 遊撃手・二塁手 右投左打
経歴:国士舘高→東北福祉大→91年ドラフト3位→ダイエー(92-01)→ヤクルト(02-03)→ロッテ(04)
達成日:2000年7月6日ロッテ戦(湯上谷竑志に代わって二塁手として途中出場・30歳7ヶ月)

成績:1160試合 .245 (3314-811) 32本 271打点 602三振 289四球 112盗塁 出塁率.306 OPS.630
【試合:374位 安打:414位 本塁打:-位 打点:544位 盗塁:208位】

※東北福祉大ではアマチュアNo.1遊撃手と評され、中日との競合の末にダイエーに入団。同期入団の若田部健一とともに1年目から1軍に定着し、球宴にも出場。バントの名手として繋ぎ役として活躍し、また俊足も武器に全試合出場を果たした96年にはリーグ3位の33盗塁もマークした。その後井口忠仁の入団もあって二塁手に転向し、99年には選手会長としてダイエー初のリーグ優勝・日本一に貢献。その後はヘルニアに悩まされて出場機会が減少。01年に戦力外となりヤクルト・ロッテと球団を転々とし、04年に引退。その後07年に硬式野球クラブ・鳥取キタロウズの選手兼任コーチとしてプレーし、現在は解説者を務める。


468 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:13:29 KyjXFWqs

【362人目】

・新庄剛志(SHINJO) 1972年1月28日生 外野手 右投右打
経歴:西日本短大付高→89年ドラフト5位→阪神(90-00)→メッツ(01)→ジャイアンツ(02)→メッツ(03)→日本ハム(04-06)
達成日:2000年7月20日巨人戦(4番・中堅手・28歳5ヶ月)

成績:1411試合 .254 (5163-1309) 205本 716打点 990三振 326四球 73盗塁 出塁率.305 OPS.737
【試合:232位 安打:182位 本塁打:98位 打点:117位 盗塁:351位】
MLB:303試合 .245 (876-215) 20本 100打点 128三振 55四球 9盗塁 出塁率.299 OPS.668

※90年に阪神に入団すると、強肩好守の外野手として3年目の92年に亀山努とともに1軍に定着し、亀新フィーバーを巻き起こし、93年には球団最年少の21歳8ヶ月で4番を務め、GG賞も獲得。99年には敬遠球をサヨナラ安打するなど世間を賑わせ、暗黒時代の阪神を支えた。01年にメジャー挑戦し、ジャイアンツ時代の02年には日本人初のワールドシリーズ出場を果たした。その後04年に日本ハムでNPB復帰。球宴での本盗やサヨナラフェンス越え単打など数々の「新庄劇場」を繰り広げ、チームが日本一となった06年に突如引退。その後はタレントとして活動し、昨年11月に現役復帰を宣言し、再びプロ野球選手を目指す。

通算1000安打:2004年5月30日西武戦(張誌家から左安打・32歳4ヶ月・1099試合目) ※史上219人目
通算1500試合:2005年4月23日オリックス戦(1番・中堅手・33歳2ヶ月) ※日米通算
通算1500安打:2006年8月22日楽天戦(渡邊恒樹から遊安打・34歳6ヶ月・1689試合目) ※日米通算


469 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:13:46 KyjXFWqs

【363人目】

・ロバート・ローズ 1967年3月15日生 二塁手 右投右打
経歴:エンゼルス(89-92)→横浜(93-00)→ロッテ(03)
達成日:2000年8月17日広島戦(4番・二塁手・33歳5ヶ月)

成績:1039試合 .325 (3929-1275) 167本 808打点 566三振 488四球 16盗塁 出塁率.402 OPS.933
【試合:457位 安打:200位 本塁打:144位 打点:92位 盗塁:-位】

※MLB時代の92年5月に移動中にバスが交通事故を起こし、足首を捻挫。その後マイナー落ちを喫していたところを横浜と契約を結ぶ。当初は打撃よりも守備を期待されていたが、1年目から94打点をマークして打点王を獲得。その後はマシンガン打線の4番打者を務め、98年の日本一にも貢献。そして99年には史上初となる通算3度目のサイクル安打を達成するなど、例年にないハイペースで打ちまくり、最終的に歴代2位のシーズン153打点、当時右打者最高の打率.369を残し、最多安打含む3冠を獲得した。00年に横浜を退団後、03年にロッテに入団するもキャンプ中に突如退団。現在はオリオールズ傘下のマイナーのコーチ。

通算1000安打:1999年6月19日ヤクルト戦(石井一久から右安打・32歳3ヶ月・828試合目) ※史上195人目


470 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:14:08 KyjXFWqs

【364人目】

・吉田剛 1966年11月28日生 遊撃手 右投右打
経歴:取手第二高→84年ドラフト2位→近鉄(85-00)→阪神(00-01)
達成日:2000年9月16日広島戦(田中秀太に代わって遊撃手として途中出場・33歳9ヶ月) ※20世紀最後の達成者

成績:1012試合 .243 (1966-478) 18本 166打点 418三振 189四球 125盗塁 出塁率.311 OPS.633
【試合:487位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:179位】

※取手第二高では84年夏の甲子園でKKコンビ擁するPL学園と対戦し、桑田真澄から本塁打を放って優勝に貢献。その後明治大に進学予定だったが近鉄の2位指名を受けてプロ入り。内外野問わず守れるユーティリティとして1軍に定着し、91年には遊撃手として自己最多の27盗塁をマーク。その後は水口栄二・武藤孝司とともにレギュラー争いを続け、00年途中にトレードで阪神に移籍。同年の巨人戦でも桑田からサヨナラ安打を放っている。01年に引退後は解説者や飲食店のオーナーとして活動。ムードメーカーでもあり、チームが得点するたびにベンチ前でダンスを披露し、ファンを盛り上げた。


471 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:14:33 KyjXFWqs

【365人目】

・緒方孝市 1968年12月25日生 外野手 右投右打
経歴:鳥栖高→86年ドラフト3位→広島(87-09)
達成日:2001年3月31日中日戦(3番・中堅手・32歳3ヶ月) ※21世紀初の達成者

成績:1808試合 .282 (5342-1506) 241本 725打点 980三振 630四球 268盗塁 出塁率.365 OPS.841
【試合:86位 安打:123位 本塁打:70位 打点:114位 盗塁:38位】

※プロ入り後は故障に苦しむことも多くなかなかレギュラーを奪えなかったが、9年目の95年にアキレス腱断裂で離脱した前田智徳に穴を埋める形で定位置を獲得し、同年には47盗塁をマーク。翌96年には50盗塁、97年にも49盗塁をあげて3年連続で盗塁王を獲得。その後は本塁打も量産し、99年には8本の先頭打者弾含む自己最多の36本塁打をマーク。守備でも同年まで5年連続GG賞とまさに走攻守3拍子揃った外野手として活躍した。晩年も故障に苦しみながらも現役を続け、09年まで23年間カープ一筋を貫いた。その後はコーチを経て15年から監督に就任。翌16年には25年ぶりのリーグ優勝に導くなど球団初の3連覇を達成した。

通算1000安打:2003年5月5日巨人戦(真田裕貴から右二塁打・34歳4ヶ月・1219試合目) ※史上212人目
通算1500試合:2005年6月8日ソフトバンク戦(3番・中堅手・36歳5ヶ月) ※史上144人目
通算1500安打:2009年6月8日オリックス戦(清水章夫から中安打・40歳5ヶ月) ※史上102人目・歴代2番目の年長記録


472 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:15:00 KyjXFWqs

【366人目】

・松井秀喜 1974年6月12日生 外野手 右投左打
経歴:星稜高→92年ドラフト1位→巨人(93-02)→ヤンキース(03-09)→エンゼルス(10)→アスレチックス(11)→レイズ(12)
達成日:2001年4月12日中日戦(4番・中堅手・26歳10ヶ月)

成績:1268試合 .304 (4572-1390) 332本 889打点 934三振 844四球 46盗塁 出塁率.413 OPS.996
【試合:307位 安打:155位 本塁打:36位 打点:66位 盗塁:535位】
MLB:1236試合 .282 (4442-1253) 175本 760打点 689三振 547四球 13盗塁 出塁率.360 OPS.822

※ご存知「ゴジラ」。星稜高校では通算60本塁打を放ち、92年夏の甲子園では5打席連続敬遠を受けて社会問題に発展するほど注目を集め、ドラフトでは4球団の競合の末に巨人に入団。1年目からセ高卒新人最多の11本塁打を放つと、その後は並外れた長打力を武器に巨人の主砲として活躍し、02年には史上8人目のシーズン50本塁打を記録するなど3度の本塁打王・打点王を獲得。03年からは舞台をMLBに移し、ヤンキースでは04年に日本人最多の31本塁打、09年にはアジア人初のワールドシリーズMVPを獲得。11年には日米通算2500安打、500本塁打も達成した。12年に引退後、翌13年に国民栄誉賞、18年には殿堂入りを果たした。

通算1000安打:2000年7月12日広島戦(澤崎俊和から右二塁打・26歳1ヶ月・930試合目) ※史上202人目
通算1500安打:2003年7月7日レッドソックス戦(右安打・29歳0ヶ月・1355試合目) ※以下全て日米通算
通算1500試合:2004年7月15日タイガース戦(7番・左翼手・30歳1ヶ月) 
通算2000安打:2007年5月6日マリナーズ戦(左二塁打・32歳10ヶ月・1822試合目) 
通算2000試合:2008年5月30日ツインズ戦(4番・左翼手・33歳11ヶ月) 
通算2500安打:2011年4月5日マリナーズ戦(左二塁打・36歳9ヶ月・2332試合目)
通算2500試合:2012年7月16日インディアンス戦(ロドリゲスの代打として途中出場・38歳1ヶ月)


473 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:15:18 KyjXFWqs

【367人目】

・田口壮 1969年7月2日生 外野手・二塁手 右投右打
経歴:西宮北高→関西学院大→91年ドラフト1位→オリックス(92-01)→カージナルス(02-07)→フィリーズ(08)→カブス(09)→オリックス(10-11)
達成日:2001年4月28日日本ハム戦(6番・左翼手・31歳9ヶ月)

成績:1222試合 .276 (4411-1219) 70本 429打点 706三振 352四球 87盗塁 出塁率.332 OPS.716
【試合:338位 安打:215位 本塁打:419位 打点:308位 盗塁:281位】
MLB:672試合 .279 (1369-382) 19本 163打点 195三振 102四球 39盗塁 出塁率.332 OPS.717

※関西学院大では関西六大学リーグ歴代最多の通算123安打をマークし、日本ハムとの競合の末にオリックスに入団。遊撃手として入団するも、土井正三監督の厳しい指導からイップスに陥り、強肩を活かすべく外野手に転向。その後はシュアな打撃と堅実な外野守備を武器に95,96年の連覇に貢献。00年にはシドニー五輪代表にも選出された。その後02年からはメジャー挑戦し、カージナルスではスーパーサブとして活躍し、06年にワールドシリーズ制覇に貢献。その後10年からはオリックスに復帰して2年間プレーし、12年夏に引退。その後は16年からオリックスの2軍監督を経て、昨年から1軍野手総合兼打撃コーチを務める。

通算1000安打:2000年10月6日西武戦(西口文也から中安打・31歳3ヶ月・966試合目) ※史上203人目
通算1500試合:2006年7月14日ドジャース戦(ダンカンの代走として途中出場・37歳0ヶ月) ※以下日米通算
通算1500安打:2008年4月22日ロッキーズ戦(コーパスから右安打・38歳9ヶ月・1702試合目)


474 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:15:35 KyjXFWqs

【368人目】

・奈良原浩 1968年5月16日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:帝京高→青山学院大→90年ドラフト2位→西武(91-97)→日本ハム(98-06)→中日(06)
達成日:2001年6月24日ロッテ戦(田中幸雄に代わって遊撃手として途中出場・33歳1ヶ月)

成績:1508試合 .237 (2848-674) 13本 212打点 495三振 300四球 198盗塁 出塁率.311 OPS.613
【試合:186位 安打:522位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:79位】

※青山学院大では東都大リーグで4度のベストナインを獲得し、2位指名を受けて西武に入団。高い守備力と小技を武器に代走や守備要員として1年目から1軍で起用され、松井稼頭央や田辺徳雄とともに二遊間で併用された。98年にトレードで日本ハムに移籍すると、ビッグバン打線の繋ぎ役として定着し、同年にはリーグ2位の30盗塁をマークし、レギュラー遊撃手として活躍した。06年途中に金銭トレードで中日に移籍し、古巣相手の日本シリーズを最後に引退。その後中日のコーチとなり、落合博満監督の退任とともに自身も西武に移籍。その後17年に中日に復帰し、今年からは楽天の2軍監督を務める。

通算1500試合:2006年9月18日横浜戦(小林正人の代打として途中出場・38歳4ヶ月) ※史上147人目


475 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:15:53 KyjXFWqs

【369人目】

・関川浩一 1969年4月1日生 外野手・捕手 右投左打
経歴:桐蔭学園高→駒澤大→90年ドラフト2位→阪神(91-97)→中日(98-04)→楽天(05-07)
達成日:2001年6月29日横浜戦(井端弘和に代わって右翼手として途中出場・32歳2ヶ月)

成績:1408試合 .286 (3953-1129) 24本 324打点 702三振 410四球 91盗塁 出塁率.353 OPS.713
【試合:233位 安打:245位 本塁打:-位 打点:457位 盗塁:269位】

※阪神ではプロ入り当初は山田勝彦が正捕手だったものの、徐々に頭角を現し、94年からはレギュラーの座を奪い、95年には初の規定打席到達を果たした。その後は外野手としても起用され、98年にはトレードで中日に移籍。99年には自己最高の打率.330をマークしてリーグ優勝に貢献。しかしその後は福留孝介の外野転向、また英智の台頭もあり出場機会を減らし、05年に新設された楽天に無償トレードで移籍。楽天では05年の開幕戦で1番スタメンとなり球団初の打者となる。その後07年に引退し、以降は楽天・阪神のコーチを歴任し、現在はソフトバンクに在籍。3軍監督や1軍打撃コーチを経て、今年は3軍コーチを務める。

通算1000安打:2005年4月5日日本ハム戦(鎌倉健から右三塁打・36歳0ヶ月・1217試合目) ※史上228人目


476 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 15:16:10 KyjXFWqs

【370人目】

・土橋勝征 1968年12月5日生 二塁手・外野手 右投右打
経歴:印旛高→86年ドラフト2位→ヤクルト(87-06)
達成日:2001年6月30日阪神戦(8番・二塁手・30歳6ヶ月)

成績:1464試合 .266 (4208-1121) 79本 427打点 534三振 346四球 35盗塁 出塁率.328 OPS.701
【試合:208位 安打:251位 本塁打:380位 打点:311位 盗塁:-位】

※印旛高では高3夏に県大会記録の1大会5本塁打をマークし、2位指名を受けてヤクルトに入団。しかしプロ入り後は打撃面で伸び悩み、さらに内野守備ではイップスを発症して外野手に転向。野村克也監督の指示でバットを短く持ったことにより打撃が開花し、また守備も合わせてイップスを克服し、95年には二塁手の定位置を奪って優勝に貢献。計5度のリーグ優勝・4度の日本一を経験し、その後も粘り強い打撃を武器にヤクルト一筋で活躍してプロ20年目の06年に引退。その後もヤクルト球団に残り、コーチやフロントとして活動を続けており、今年からは2軍の内野守備走塁コーチを務める。

通算1000安打:2004年8月11日広島戦(広池浩司から左安打・35歳8ヶ月・1289試合目) ※史上224人目


477 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 20:18:53 hg1CNhoY
松井ってやっぱゴジラだわ


478 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/05(木) 20:49:30 Equs2q8g
そろそろイチローですかね…?
北の侍も待ちきれないゾ


479 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:19:18 DW84T1IM

【371人目】

・大島公一 1967年6月17日生 二塁手・三塁手 右投両打
経歴:法政二高→法政大→日本生命→92年ドラフト5位→近鉄(93-95)→オリックス(96-04)→楽天(05)
達成日:2001年8月12日ダイエー戦(1番・二塁手・34歳1ヶ月)

成績:1375試合 .261 (4170-1088) 24本 334打点 588三振 602四球 71盗塁 出塁率.362 OPS.692
【試合:246位 安打:264位 本塁打:-位 打点:444位 盗塁:362位】

※法政大時代にスイッチヒッターとなり、日本生命では92年のバルセロナ五輪代表に選出され銅メダルを獲得し、同年の都市対抗でも優勝を経験。近鉄では内野のユーティリティとして1軍に定着しつつあったものの、95年オフにオリックスにトレードで電撃移籍。それでも2番・二塁手の定位置を掴み取り、96年のリーグ優勝に貢献してベストナイン・GG賞を獲得。その後もブルーウェーブ時代末期の正二塁手として活躍し、05年に分配ドラフトで楽天に移籍。同年7月には球団初の逆転サヨナラ打を放った。同年限りで引退後はオリックスのコーチや解説者として活動し、現在は社会人・満マルビリケンズの初代監督を務める。

通算1000安打:2003年9月3日ロッテ戦(戸部浩から遊安打・36歳2ヶ月・1326試合目) ※史上215人目


480 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:19:38 DW84T1IM

【372人目】

・金本知憲 1968年4月3日生 外野手 右投左打
経歴:広陵高→東北福祉大→91年ドラフト4位→広島(92-02)→阪神(03-12)
達成日:2001年8月15日阪神戦(4番・左翼手・33歳4ヶ月)

成績:2578試合 .285 (8915-2539) 476本 1521打点 1703三振 1368四球 167盗塁 出塁率.382 OPS.884
【試合:8位 安打:7位 本塁打:10位 打点:8位 盗塁:107位】

※(ついに)出たわね。広島では3年目の94年ごろから頭角を現すと、その後はリーグを代表する強打者となり、00年には史上7人目のトリプルスリー、01年には日本記録となる1002打席連続無併殺を達成。03年に阪神にFAで移籍すると、04年には打点王を獲得し、03年・05年のリーグ優勝にも貢献。そして鉄人として広島時代の99年から10年まで連続フルイニング出場を続け、最終的に1492試合の世界記録を打ち立て、12年には史上7人目・大卒初の通算2500安打を達成し同年限りで引退。その後は16〜18年に阪神の監督を務めた。18年に殿堂入り。NaNじぇいでは俳優として情熱的なキスシーンで日々住民を湧かせている。落ちろ!

通算1000安打:2001年9月2日巨人戦(岡島秀樹から中安打・33歳4ヶ月・1014試合目) ※史上207人目
通算1500安打:2005年4月2日ヤクルト戦(坂元弥太郎から左三塁打・36歳11ヶ月・1464試合目) ※史上87人目
通算1500試合:2005年5月14日楽天戦(4番・左翼手・37歳1ヶ月) ※史上143人目
通算2000安打:2008年4月12日横浜戦(寺原隼人から右安打・40歳0ヶ月・1911試合目) ※史上37人目
通算2000試合:2008年8月16日横浜戦(4番・左翼手・40歳4ヶ月) ※史上39人目
通算2500試合:2012年6月2日日本ハム戦(4番・指名打者・44歳2ヶ月) ※史上9人目
通算2500安打:2012年6月28日中日戦(岩田慎司から右二塁打・44歳2ヶ月・2517試合目) ※史上7人目


481 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:19:57 DW84T1IM

【373人目】

・西山秀二 1967年7月7日生 捕手 右投右打
経歴:上宮高→85年ドラフト4位→南海(86-87)→広島(87-04)→巨人(05)
達成日:2001年8月19日巨人戦(木村一喜に代わって捕手として途中出場・34歳1ヶ月)

成績:1216試合 .242 (2958-716) 50本 282打点 608三振 275四球 36盗塁 出塁率.308 OPS.644
【試合:344位 安打:491位 本塁打:563位 打点:521位 盗塁:-位】

※85年のドラフトで近鉄との競合の末に南海に入団。しかし南海では出場機会に恵まれず、87年に高卒2年目の途中にしてトレードで広島に放出される。すると広島で徐々に頭角を現し、93年には達川光男の後を継いで正捕手となり、96年には球団捕手では史上唯一となる規定打席以上での打率3割を達成するなど、2度のベストナイン・GG賞を獲得。その後は瀬戸輝信との併用が続く中で石原慶幸の台頭もあり、04年に自由契約となり巨人に移籍し、中学時代の同級生だった桑田真澄と23年ぶりにバッテリーを組むことも。05年限りで引退し、その後は巨人のコーチや解説者として活動している。


482 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:20:16 DW84T1IM

【374人目】

・水口栄二 1969年1月9日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:松山商業高→早稲田大→90年ドラフト2位→近鉄(91-04)→オリックス(05-07)
達成日:2001年8月29日ロッテ戦(2番・二塁手・32歳7ヶ月)

成績:1561試合 .269 (4510-1213) 53本 417打点 569三振 461四球 43盗塁 出塁率.338 OPS.686
【試合:160位 安打:217位 本塁打:532位 打点:325位 盗塁:563位】

※松山商業では86年夏の甲子園で現在でも大会最多タイとなる19安打を放ち、また早稲田大では主将として90年春にチームを15年ぶりのリーグ優勝に導き、同年のドラフトで2位指名を受けて近鉄に入団。1年目から小技を武器とした内野手として1軍で重宝され、94年に吉田剛に代わって遊撃手のレギュラーを獲得。その後大石大二郎の衰えもあって二塁手に転向。猛打を振るういてまえ打線の中で不動の2番打者となり、01年のリーグ優勝に貢献するなど近鉄球団最多の261犠打をマーク。分配ドラフトではオリックスに移籍し、07年に引退。その後はオリックスのコーチを務め、現在は少年野球の指導者として活動している。


483 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:20:36 DW84T1IM

【375人目】

・中村紀洋 1973年7月24日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:渋谷高→91年ドラフト4位→近鉄(92-04)→ドジャース(05)→オリックス(06)→中日(07-08)→楽天(09-10)→横浜・DeNA(11-14)
達成日:2001年9月2日日本ハム戦(4番・三塁手・28歳1ヶ月)

成績:2267試合 .266 (7890-2101) 404本 1348打点 1691三振 1030四球 22盗塁 出塁率.352 OPS.824
【試合:19位 安打:32位 本塁打:19位 打点:13位 盗塁:-位】

※近鉄では4年目の95年に三塁手のレギュラーに定着し、以降はタフィ・ローズとともに「いてまえ打線」の主砲として活躍し、00年には本塁打・打点の2冠、翌01年には自己最多の46本塁打・132打点をマークし、リーグ優勝にも貢献。その後近鉄球団が消滅した05年にドジャースでのメジャー挑戦、オリックスへのNPB復帰を経て07年に中日に育成選手として移籍。支配下に復帰すると、同年の日本シリーズMVPを獲得。その後FAで楽天に移籍するも成績は振るわず、11年に横浜に移籍。13年には通算2000安打も達成した。14年に退団後は実質的に引退状態であるものの「生涯現役」として現在はアマ指導者として活動している。

通算1000安打:2002年5月29日ロッテ戦(ミンチーから3ラン・28歳10ヶ月・1066試合目) ※史上209人目
通算1500試合:2007年5月6日横浜戦(5番・三塁手・33歳9ヶ月) ※史上151人目
通算1500安打:2007年9月26日巨人戦(高橋尚成から左安打・34歳2ヶ月・1591試合目) ※史上95人目
通算2000試合:2011年10月4日巨人戦(筒香嘉智に代わって一塁手として途中出場・38歳2ヶ月) ※史上43人目
通算2000安打:2013年5月5日中日戦(中田賢一から左二塁打・39歳9ヶ月・2162試合目) ※史上43人目


484 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:20:55 DW84T1IM

【376人目】

・山崎武司 1968年11月7日生 一塁手・外野手 右投右打
経歴:愛工大名電高→86年ドラフト2位→中日(87-02)→オリックス(03-04)→楽天(05-11)→中日(12-13)
達成日:2001年10月6日広島戦(大豊泰昭に代わって一塁手として途中出場・32歳10ヶ月)

成績:2249試合 .257 (7148-1834) 403本 1205打点 1715三振 795四球 14盗塁 出塁率.337 OPS.816
【試合:21位 安打:66位 本塁打:20位 打点:24位 盗塁:-位】

※愛工大名電では高校通算56本塁打を放ち、2位指名を受けて中日に入団。入団当初は捕手だったが、外野手として徐々に出場機会を増やし、96年には39本塁打を放って本塁打王のタイトルを獲得。しかしその後は首脳陣との対立もあり中日、トレードで移籍したオリックスでは成績が振るわず、その後新設された楽天に移籍すると復活を果たし、07年には43本塁打・108打点で2冠となり、史上3人目の両リーグ本塁打王となる。以降も楽天の黎明期の不動の4番打者として活躍し、11年には通算400本塁打も達成した。12年に中日に復帰し、13年に引退。その後は解説者として活動する傍ら、モータースポーツ方面でも活動中。

通算1000安打:2005年7月2日日本ハム戦(江尻慎太郎から左安打・36歳7ヶ月・1259試合目) ※史上234人目
通算1500試合:2007年6月14日中日戦(4番・指名打者・38歳7ヶ月) ※史上152人目
通算1500安打:2009年7月8日ロッテ戦(荻野忠寛から2ラン・40歳8ヶ月・1792試合目) ※史上103人目・最年長
通算2000試合:2010年9月22日日本ハム戦(4番・指名打者・41歳10ヶ月) ※史上42人目・歴代2番目の年長記録


485 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:21:13 DW84T1IM

【377人目】

・中根仁 1966年8月28日生 外野手 右投右打
経歴:東北高→法政大→88年ドラフト2位→近鉄(89-97)→横浜(98-03)
達成日:2002年4月7日巨人戦(バワーズの代打として途中出場・35歳7ヶ月)

成績:1092試合 .264 (2714-717) 78本 351打点 651三振 280四球 52盗塁 出塁率.332 OPS.751
【試合:414位 安打:490位 本塁打:387位 打点:417位 盗塁:485位】

※法政大では3年秋に首位打者となり、88年ドラフトで2位指名を受けて近鉄に入団。1年目から控え外野手としてリーグ優勝に貢献し、日本シリーズにも出場すると、その後は村上隆行らとのレギュラーを争い、故障も多い中でいてまえ打線の恐怖の9番打者としても活躍。その後98年に盛田幸希とのトレードで横浜に移籍。横浜では勝負強い打撃で佐伯貴弘とともにマシンガン打線の6番打者として活躍し、同年のリーグ優勝・日本一に貢献した。その後は多村仁の台頭や古木克明の外野転向もあり、03年限りで引退。その後は横浜のスカウトやコーチを歴任し、現在は解説者として活動している。


486 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:21:32 DW84T1IM

【378人目】

・佐伯貴弘 1970年4月18日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:尽誠学園高→大阪商業大→92年ドラフト2位→横浜(93-10)→中日(11)
達成日:2002年6月16日ヤクルト戦(7番・一塁手・32歳1ヶ月)

成績:1895試合 .277 (5772-1597) 156本 795打点 1086三振 521四球 42盗塁 出塁率.339 OPS.755
【試合:72位 安打:105位 本塁打:160位 打点:97位 盗塁:571位】

※大阪商業大では関西六大学リーグで2季連続で三冠王となり、翌年のドラフトで2位指名を受けて横浜に入団。2年目の94年には11本塁打をマークして頭角を現すと、その後は上記の中根仁とともにマシンガン打線の6番打者として活躍し、チームの日本一に貢献。以降もシュアな打撃を持ち味に中距離打者として活躍し、04年にはリーグ3位で自己最高の打率.322をマーク。内川聖一や吉村裕基の台頭もありながらも長らく横浜で活躍し、11年には中日に移籍するも1年で戦力外となり、ロッテの入団テストやトライアウトを受けるも13年2月に引退。その後中日のコーチや2軍監督も務め、現在は解説者として活動している。

通算1000安打:2004年7月16日広島戦(ベイルから遊安打・34歳2ヶ月・1196試合目) ※史上222人目
通算1500試合:2007年4月14日阪神戦(ホセロの代打として途中出場・36歳11ヶ月) ※史上149人目
通算1500安打:2009年6月2日ソフトバンク戦(ホールトンからソロ・39歳1ヶ月・1735試合目) ※史上101人目


487 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:21:50 DW84T1IM

【379人目】

・元木大介 1971年12月30日生 三塁手・二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:上宮高→90年ドラフト1位→巨人(91-05)
達成日:2002年7月23日阪神戦(川中基嗣の代打として途中出場・30歳6ヶ月)

成績:1205試合 .262 (3397-891) 66本 378打点 508三振 312四球 21盗塁 出塁率.328 OPS.697
【試合:351位 安打:366位 本塁打:439位 打点:372位 盗塁:-位】

※上宮高では歴代2位タイの甲子園通算6本塁打をマークし、卒業後ハワイへの野球留学を経て90年のドラフト1位指名を受けて巨人に入団。高校時代のスラッガーのイメージとは裏腹にプロでは隠し球や状況を呼んだ打撃技術、勝負強い打撃で長嶋茂雄監督から「くせ者」と評価され、主に内野のユーティリティとして活躍した。晩年は故障に苦しみ、05年オフに戦力外となり、オリックスや楽天のオファーもあったものの、巨人愛を貫いて同年限りで引退。その後は主にタレントとして活動し、ラーメン店も経営。18年にはU12代表の監督も務め、昨年からは巨人のコーチとして現場復帰し、今年は1軍ヘッドコーチを務める。


488 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:22:14 DW84T1IM

【380人目】

・鈴木尚典 1972年4月10日生 外野手 右投左打
経歴:横浜高→90年ドラフト4位→大洋・横浜(91-08)
達成日:2002年7月28日広島戦(3番・左翼手・30歳3ヶ月)

成績:1517試合 .303 (4798-1456) 146本 700打点 877三振 419四球 62盗塁 出塁率.363 OPS.824
【試合:182位 安打:132位 本塁打:181位 打点:122位 盗塁:422位】

※横浜高では高校通算39本塁打を放ち、4位指名を受けて大洋に入団。3年目の93年から徐々に打撃が開花し、翌94年にはプロ初本塁打を代打満塁弾で記録。その後は高いミート力と勝負強い打撃を武器にマシンガン打線の3番打者として定着し、97,98年には2年連続で首位打者となり、98年の日本シリーズでも打率.480をマークしてMVPを獲得。以降もハマの安打製造機として活躍し、徐々に若手選手の台頭もありながら晩年は代打としても活躍し、チーム一筋18年間の現役を全うして08年に引退。その後は横浜のコーチや球団職員として活動し、今年からはBCリーグに新たに加入する神奈川の初代監督を務める。

通算1000安打:2001年7月31日広島戦(高橋建から左安打・29歳3ヶ月・896試合目) ※史上206人目
通算1500試合:2008年9月13日中日戦(桑原謙太朗の代打として途中出場・36歳5ヶ月) ※史上163人目


489 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:28:32 ucTqDvtY
にぃに…


490 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:30:22 xis.1Izo
出たわね。


491 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 15:56:08 q.bmG4yw
スラッガータイプ多いっすね


492 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/06(金) 16:04:09 yUN1mA5s
>>478ですけどイチローは日本で1000試合出場してなかったゾ…
申し訳ナス!


493 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/07(土) 09:44:46 ???
年代的にキャリアの最後の方に楽天が出てくるケースが増えましたね
そういえば大島公一もだったと思い出した


494 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 12:33:32 ctx2czrQ
内川コピペのメンバーが続々と
あのコピペのメンバーも現役選手が内川本人だけになってしまった


495 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:46:41 Ym4AYoeM

【381人目】

・松井稼頭央 1975年10月23日生 遊撃手・外野手 右投両打
経歴:PL学園高→93年ドラフト3位→西武(94-03)→メッツ(04-06)→ロッキーズ(06-07)→アストロズ(08-10)→楽天(11-17)→西武(18)
達成日:2002年9月15日近鉄戦(1番・遊撃手・26歳10ヶ月)

成績:1913試合 .291 (7190-2090) 201本 837打点 1220三振 572四球 363盗塁 出塁率.344 OPS.793
【試合:68位 安打:35位 本塁打:105位 打点:81位 盗塁:14位】
MLB:630試合 .267 (2302-615) 32本 211打点 403三振 179四球 102盗塁 出塁率.321 OPS.701

※プロ入り後にスイッチヒッターとなり、3年目の94年以降は抜群の身体能力を活かした5ツールプレイヤーとして遊撃手の定位置を掴み、97〜99年には3年連続で盗塁王となり、02年には史上8人目のトリプルスリーも達成し、7年連続でベストナインも獲得。その後舞台をメジャーに移し、メッツでの04年には新人史上初の開幕戦初打席初本塁打を達成。ロッキーズでは07年に二塁手としてリーグ優勝にも貢献。その後11年に楽天に移籍してNPB復帰を果たし、13年には球団初優勝に貢献し、翌14年には日米通算2500安打、15年にはNPB通算2000安打も達成。18年に古巣・西武で引退し、現在はその西武の2軍監督を務める。

通算1000安打:2001年7月8日オリックス戦(田村勤から中安打・25歳8ヶ月・818試合目) ※史上205人目
通算1500安打:2011年7月26日ソフトバンク戦(ホールトンから中安打・35歳9ヶ月・1233試合目) ※史上109人目
通算1500試合:2013年8月30日ソフトバンク戦(7番・遊撃手・37歳10ヶ月) ※史上180人目
通算2000安打:2015年7月28日ソフトバンク戦(中田賢一から中安打・39歳9ヶ月) ※史上46人目

通算2000試合:2012年8月29日ロッテ戦(6番・遊撃手・36歳10ヶ月) ※以下全て日米通算
通算2500安打:2014年8月24日オリックス戦(吉田一将から中安打・38歳10ヶ月・2253試合目)
通算2500試合:2017年7月28日オリックス戦(7番・左翼手・41歳9ヶ月)


496 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:47:00 Ym4AYoeM

【382人目】

・小久保裕紀 1971年10月8日生 三塁手・一塁手・二塁手 右投右打
経歴:星林高→青山学院大→93年ドラフト2位(逆指名)→ダイエー(94-03)→巨人(04-06)→ソフトバンク(07-12)
達成日:2002年9月17日オリックス戦(4番・三塁手・30歳11ヶ月) ※「逆指名」初の達成者

成績:2057試合 .273 (7474-2041) 413本 1304打点 1516三振 723四球 58盗塁 出塁率.342 OPS.840
【試合:45位 安打:45位 本塁打:17位 打点:16位 盗塁:449位】

※青山学院大から逆指名でダイエーに入団すると、2年目の95年には二塁手の定位置を奪い、28本塁打を放って本塁打王を獲得。その後は三塁手となり、01年には自己最多の44本塁打・123打点をマーク。03年に右膝の靭帯を断裂したこともあり、04年には無償トレードで巨人に放出。巨人では04年に右打者では初の40本塁打を達成し、移籍選手としては異例の主将も務め、07年にFAでソフトバンクに復帰。11年には通算400本塁打、12年には通算2000安打も達成して同年限りで引退。学生時代からプロにかけての優れたリーダーシップを評価され、13年秋から侍ジャパン監督となり、17年の第4回WBCではチームをベスト4まで導いた。

通算1000安打:2002年9月27日西武戦(後藤光貴から2ラン・30歳11ヶ月・1008試合目) ※史上211人目
通算1500安打:2007年9月15日日本ハム戦(江尻慎太郎から左安打・35歳11ヶ月・1480試合目) ※史上94人目
通算1500試合:2008年4月13日西武戦(5番・一塁手・36歳6ヶ月) ※史上157人目
通算2000安打:2012年6月24日日本ハム戦(ウルフから中安打・40歳8ヶ月・1997試合目) ※史上41人目
通算2000試合:2012年6月28日オリックス戦(6番・一塁手・40歳8ヶ月) ※史上46人目


497 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:47:18 Ym4AYoeM

【383人目】

・大道典嘉(大道典良) 1969年10月28日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:明野高→87年ドラフト4位→南海・ダイエー・ソフトバンク(88-06)→巨人(07-10)
達成日:2003年4月1日近鉄戦(7番・指名打者・33歳5ヶ月)

成績:1356試合 .284 (3187-906) 60本 415打点 478三振 310四球 9盗塁 出塁率.347 OPS.752
【試合:258位 安打:353位 本塁打:477位 打点:331位 盗塁:-位】

※明野高から4位指名を受けて南海に入団。球団がダイエーとなった89年に1軍デビューを果たす。その後94年ごろからバットを極端に短く持ち、右方向に流し打つ独特の打法を編み出し、90年代後半から00年代前半にかけてのホークスの主力打者として活躍し、99,00,03年のリーグ優勝に貢献する。その後は代打がメインとなり、打撃不振に苦しむこともあって06年に戦力外通告を受け巨人に無償トレードで移籍。すると右の代打として重宝され、翌年からのチームの3連覇にも貢献した。息長く活躍して最後の南海戦士となり、10年限りで引退。その後は巨人のコーチを経て、13年にソフトバンクに復帰。現在は2軍打撃コーチ。


498 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:47:35 Ym4AYoeM

【384人目】

・桧山進次郎 1969年7月1日生 外野手 右投左打
経歴:平安高→東洋大→91年ドラフト4位→阪神(92-13)
達成日:2003年4月10日中日戦(5番・一塁手・33歳9ヶ月)

成績:1959試合 .260 (4863-1263) 159本 707打点 1100三振 466四球 41盗塁 出塁率.331 OPS.750
【試合:59位 安打:203位 本塁打:157位 打点:119位 盗塁:-位】

※「悠久の若虎」。阪神では4年目の95年に亀山努の離脱から1軍に定着し、翌96年には22本塁打を放ってブレイクを果たすと、チームの主力打者として活躍し、03年にはサイクル安打も記録するなど4番打者としてリーグ優勝に貢献。その後は勝負強さを武器に代打で存在感を示し、八木裕の後を継ぐ2代目「代打の神様」として君臨。10年には球団記録を更新し、44歳のシーズンとなった13年には史上3人目の代打通算150安打・100打点をマーク。同年限りで引退を表明し、現役最後の出場となったCS1stステージ広島戦では最終打席で代打本塁打を放ち、ポストシーズン最年長弾で有終の美を飾った。現在は解説者。

通算1000安打:2004年8月25日横浜戦(秦裕二から中安打・35歳1ヶ月・1200試合目) ※史上226人目
通算1500試合:2007年9月5日横浜戦(久保田智之の代打として途中出場・38歳2ヶ月) ※史上154人目


499 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:48:01 Ym4AYoeM

【385人目】

・村松有人 1972年12月12日生 外野手 左投左打
経歴:星稜高→90年ドラフト6位→ダイエー(91-03)→オリックス(04-08)→ソフトバンク(09-10)
達成日:2003年5月3日ロッテ戦(1番・中堅手・30歳4ヶ月)

成績:1673試合 .277 (4981-1380) 18本 393打点 666三振 412四球 270盗塁 出塁率.335 OPS.686
【試合:123位 安打:160位 本塁打:-位 打点:353位 盗塁:37位】

※星稜高では松井秀喜の2年先輩であり、89,90年の甲子園にも出場。プロ入り後はマイナーリーグへの野球留学を経て5年目の95年に1番打者に抜擢されて32盗塁をマーク。その後はホークスの俊足外野手として活躍し、96年には58盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得。03年にはサイクル安打も達成するなど自己最高の打率.324をマークし、ダイハード打線の核弾頭として日本一に貢献した。同年オフにFAでオリックスに移籍。アテネ五輪にも出場し、オリックスでは安打製造機として活躍。その後09年にトレードでホークスに復帰。10年に引退後はスカウトを経て現在はソフトバンクのコーチを務めている。

通算1000安打:2005年5月27日巨人戦(マレンから中安打・32歳5ヶ月・1232試合目) ※史上232人目
通算1500試合:2007年7月7日楽天戦(2番・左翼手・35歳6ヶ月) ※史上153人目


500 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:48:21 Ym4AYoeM

【386人目】

・大村直之 1976年2月13日生 外野手 左投左打
経歴:育英高→93年ドラフト3位→近鉄(94-04)→ソフトバンク(05-08)→オリックス(09-10)
達成日:2003年5月31日西武戦(1番・中堅手・27歳3ヶ月)

成績:1789試合 .284 (6566-1865) 78本 568打点 777三振 365四球 203盗塁 出塁率.328 OPS.707
【試合:92位 安打:63位 本塁打:187位 打点:184位 盗塁:71位】

※育英高では93年夏の甲子園で優勝を経験し、3位指名を受けて近鉄に入団。2年目の95年に1番打者に定着すると、その後はいてまえ打線のリードオフマンとして活躍し、98年には自身初のベストナイン・GG賞を獲得し、01年のリーグ優勝にも貢献。しかし近鉄球団の消滅を受けFA権を行使し、ソフトバンクに移籍。06年には最多安打のタイトルを獲得するなどここでも1番打者として活躍するも、08年には故障に苦しみ、翌09年に上記の村松とのトレードでオリックスに移籍し、翌10年に退団。その後は長らく動向が不明だったが、15年にオーストラリアに在住していることが判明。現在はそこで不動産業を営んでいる。

通算1000安打:2003年7月21日ロッテ戦(清水直行から中安打・27歳5ヶ月・1035試合目) ※史上213人目
通算1500安打:2006年8月20日西武戦(小野寺力から右安打・30歳6ヶ月・1452試合目) ※史上89人目
通算1500試合:2007年4月30日オリックス戦(1番・中堅手・31歳2ヶ月) ※史上150人目


501 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:48:42 Ym4AYoeM

【387人目】

・タフィ・ローズ 1968年8月21日生 外野手 左投左打
経歴:アストロズ(90-93)→カブス(93-95)→レッドソックス(95)→近鉄(96-03)→巨人(04-05)→オリックス(07-09)
達成日:2003年6月10日オリックス戦(3番・左翼手・34歳9ヶ月) ※近鉄最後の達成者

成績:1674試合 .286 (6274-1792) 464本 1269打点 1655三振 958四球 87盗塁 出塁率.381 OPS.940
【試合:122位 安打:75位 本塁打:13位 打点:21位 盗塁:281位】

※近鉄では4年目の99年に長距離砲として覚醒し、40本塁打・101打点で2冠となると、01年には王貞治に並んで当時最多タイとなるシーズン55本塁打を達成するなど中村紀洋とともにいてまえ打線の主砲として活躍。その後04年には巨人に移籍し、同年には45本塁打を放って史上2人目の両リーグ本塁打王となる。その後1年のブランクを経て07年に再来日してオリックスに入団。40代となっても打棒は衰えず、08年には門田博光に並んで歴代最年長タイとなる40歳での打点王となり、最終的に助っ人では歴代2位の通算1792安打、そして歴代最多の464本塁打をあげた。その後一時引退するも、15年にBC富山で現役復帰を果たしている。

通算1000安打:2002年8月13日オリックス戦(ヤーナルから左安打・33歳11ヶ月・899試合目) ※史上210人目
通算1500安打:2007年6月30日日本ハム戦(江尻慎太郎から右安打・38歳10ヶ月・1388試合目) ※史上91人目
通算1500試合:2008年5月26日横浜戦(4番・左翼手・39歳9ヶ月) ※史上158人目・助っ人初


502 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:48:59 Ym4AYoeM

【388人目】

・種田仁 1971年7月18日生 二塁手・遊撃手・外野手 右投右打
経歴:上宮高→89年ドラフト6位→中日(90-01)→横浜(01-07)→西武(08)
達成日:2003年8月19日巨人戦(6番・二塁手・32歳1ヶ月)

成績:1434試合 .264 (4176-1102) 71本 401打点 586三振 341四球 76盗塁 出塁率.323 OPS.693
【試合:216位 安打:257位 本塁打:414位 打点:344位 盗塁:336位】

※中日では2年目の91年に二塁手の定位置を掴むと、、さらに翌92年には立浪和義と交代する形で遊撃手に転向。その後は故障に長らく苦しむも、00年に代名詞となる「ガニマタ打法」を開発。代打で11打席連続出塁をマークするなど規定打席不足ながら打率3割をマークしカムバック賞を受賞した。翌01年途中にトレードで横浜に移籍すると、ユーティリティとして重宝され、05年にはレギュラー二塁手となり自己最高の打率.310をマークした。08年に移籍した西武で引退後は韓国・サムスンや楽天でコーチを務めるも、15年に自己破産。さらに翌16年には無免許運転・スピード違反で逮捕されるなど悪いニュースが続いている。

通算1000安打:2005年8月30日広島戦(大竹寛から右安打・34歳1ヶ月・1261試合目) ※史上237人目


503 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:49:50 Ym4AYoeM

【389人目】

・宮本慎也 1970年11月5日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:PL学園高→同志社大→プリンスホテル→94年ドラフト2位(逆指名)→ヤクルト(95-13)
達成日:2003年9月28日横浜戦(2番・遊撃手・32歳10ヶ月)

成績:2162試合 .282 (7557-2133) 62本 578打点 909三振 398四球 111盗塁 出塁率.325 OPS.675
【試合:37位 安打:26位 本塁打:465位 打点:176位 盗塁:210位】

※PL学園では87年夏の甲子園、同志社大では90年の神宮大会でともに優勝を経験し、プリンスホテルを経てヤクルトに入団。2年目の96年には遊撃手の定位置を掴むと、01年には2番打者に固定され、現在でもシーズン最多の67犠打をマークし、優勝に貢献。また守備でも99〜03年に5年連続でGG賞を獲得する。その後はアテネ五輪、第1回WBC、北京五輪にも出場し、08年には三塁手に転向。11年には三塁手歴代最高の守備率.997をマークし、40歳にして初のベストナインを獲得。そして12年には通算2000安打、400犠打も達成。翌13年に引退後は、18年から昨年までヤクルトのヘッドコーチを務め、今年は解説者として活動する。

通算1000安打:2004年6月23日横浜戦(デニー友利から中安打・33歳7ヶ月・1044試合目) ※史上221人目
通算1500安打:2008年6月15日日本ハム戦(グリンから中安打・37歳7ヶ月・1495試合目) ※史上97人目
通算1500試合:2008年6月28日阪神戦(2番・三塁手・38歳7ヶ月) ※史上159人目
通算2000安打:2012年5月4日広島戦(福井優也から中安打・41歳5ヶ月・1976試合目) ※史上40人目・歴代3番目の年長記録
通算2000試合:2012年6月11日西武戦(6番・三塁手・41歳6ヶ月) ※史上45人目


504 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 16:50:09 Ym4AYoeM

【390人目】

・矢野燿大(矢野輝弘) 1968年12月6日生 捕手 右投右打
経歴:桜宮高→東北福祉大→90年ドラフト2位→中日(91-97)→阪神(98-10)
達成日:2004年4月4日巨人戦(8番・捕手・35歳3ヶ月)

成績:1669試合 .274 (4921-1347) 112本 570打点 1089三振 406四球 16盗塁 出塁率.335 OPS.730
【試合:125位 安打:170位 本塁打:254位 打点:181位 盗塁:-位】

※90年のドラフトで巨人との競合の末に中日に入団。中日では当時、中村武志が正捕手だったため控えが主であり、打撃を活かすべく外野手としても出場することもあった。そんな中97年オフにトレードで阪神に移籍。すると吉田義男監督にリード面を評価されて正捕手に抜擢され、99年には打率3割もマーク。その後もリード力と強打を兼ね備えた捕手として03,05年にはリーグ優勝にも貢献し、3度のベストナインを獲得。10年に引退後は、解説者や侍ジャパンのコーチを経て、16年からは阪神に復帰。コーチや2軍監督を経て、昨年には1軍監督に就任し、平成以降では球団初となる1年目でのAクラス入りを果たした。

通算1000安打:2005年9月15日巨人戦(酒井純也からソロ・36歳9ヶ月・1261試合目) ※史上238人目
通算1500試合:2007年9月16日中日戦(7番・捕手・38歳9ヶ月) ※史上155人目


505 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 17:02:09 iQotVvEs
豪華メンバー過ぎィ!


506 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 17:21:18 zIPHq..M
タフィも喜んどったわ


507 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 18:11:17 dtleHnDM
がに股打法さんも1000試合行ってたんすねえ


508 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/07(土) 21:19:58 g3S3XUHw
江川事件並みに闇の深い小久保無償トレード

今でこそ真実は語られているとはいえ、当時はすごい衝撃だったし、ソフトバンクになって戻ったときの嬉しさは未だに忘れられないなぁ


509 : 豆狸 :2020/03/07(土) 21:26:48 ???
あれって巨人側が移籍金1億支払うって言ったけどその分選手の年俸に足してあげてほしいってホークス側に言われて結果的に無償になったんでしたっけ

当時は一方的に巨人が悪い様に言われてた記憶がありますね


510 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 07:30:27 2XogqDt2
「ケガで出場ゼロのため、どうしてもダウン査定になるから、年俸維持のために無償トレードにした。」って説明は当初からされてましたね。
ただ、優勝バブルで他の選手の年俸が爆上げしてたから「そいつらの年俸少しずつ削って小久保の年俸に充ててやれ」ってダイエーフロントの方がボロクソに言われてた記憶があります。


511 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 09:23:03 O9sVSzKI
>>497
男なら大道


512 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 09:29:08 A8qLkvSE
当時福岡にいましたけど、日本一パレードの翌日に無償トレードだったのでマジで不穏な空気になってましたよ
数年前に工藤を禄でもない理由で放出したし、フロント特に高塚へのヘイトがガチでとんでもないことに

まあそのあと高塚不祥事で追い出されたけど


513 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:25:56 FjsuZ8KU

【391人目】

・金子誠 1975年11月8日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:常総学院高→93年ドラフト3位→日本ハム(94-14)
達成日:2004年4月6日ロッテ戦(9番・遊撃手・28歳4ヶ月) ※北海道移転後初

成績:1996試合 .256 (6344-1627) 84本 620打点 1086三振 433四球 113盗塁 出塁率.307 OPS.658
【試合:52位 安打:99位 本塁打:360位 打点:155位 盗塁:205位】

※常総学院では3年夏の甲子園でベスト4。日本ハムでは3年目の96年に二塁手の定位置を掴み、リーグ最多の38犠打をマークして新人王を獲得。その後98,99年に2年連続GG賞を獲得すると、02年に田中幸雄の三塁転向もあって遊撃手にコンバート。チームが北海道に移転してからは主に9番・遊撃手として定位置を守り続け、06年の日本一にも貢献。主将や選手会長も務め、09年には自身初の打率3割もマークし、同年のリーグ優勝にも貢献した。その後も故障や中島卓也の台頭もありながら頼れるベテランとして活躍し続け、21年目の14年に引退。その後は日本ハムのコーチとなり、今年は1軍野手総合コーチを務める。

通算1000安打:2005年8月23日西武戦(大沼幸二から中安打・29歳9ヶ月・1155試合目) ※史上236人目
通算1500試合:2008年8月18日ソフトバンク戦(9番・遊撃手・32歳9ヶ月) ※史上162人目
通算1500安打:2011年4月20日オリックス戦(小林雅英から左二塁打・35歳5ヶ月・1753試合目) ※史上107人目


514 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:26:17 FjsuZ8KU

【392人目】

・井出竜也 1971年4月19日生 外野手 右投右打
経歴:吉田高→日本通運→93年ドラフト2位(逆指名)→日本ハム(94-03)→巨人(04)→ソフトバンク(05-06)
達成日:2004年4月22日横浜戦(久保裕也の代打として途中出場・33歳0ヶ月)

成績:1108試合 .253 (3279-828) 79本 336打点 709三振 325四球 105盗塁 出塁率.320 OPS.705
【試合:402位 安打:403位 本塁打:380位 打点:440位 盗塁:227位】

※日本通運では社会人No.1野手という評価を受け、逆指名で日本ハムに入団。2年目の95年に俊足と強肩を武器に中堅手の定位置を掴み、97年には全試合に出場し、GG賞を受賞。01年には史上初の初球先頭打者本塁打による1-0勝利、02年には代打でのランニング本塁打も記録している。その後03年オフにトレードで巨人に移籍。しかし極度の打撃不振で守備要員にとどまり、1年で戦力外となってソフトバンクに移籍するも成績は振るわず06年に引退。その後はソフトバンクのコーチを歴任しており、現在は2軍の外野守備走塁コーチ。また16年12月のアジアウィンターリーグでは監督としてウエスタン選抜を優勝に導いている。


515 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:26:37 FjsuZ8KU

【393人目】

・仁志敏久 1971年10月4日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:常総学院高→早稲田大→日本生命→95年ドラフト2位(逆指名)→巨人(96-06)→横浜(07-09)
達成日:2004年6月4日ヤクルト戦(1番・二塁手・32歳8ヶ月)

成績:1587試合 .268 (5933-1591) 154本 541打点 875三振 413四球 135盗塁 出塁率.317 OPS.713
【試合:149位 安打:106位 本塁打:166位 打点:199位 盗塁:160位】

※早大では主将として活躍し、日本生命を経て逆指名で巨人に入団。1年目から三塁手の定位置を掴んで規定打席に到達し、球団野手では原辰徳以来となる新人王を獲得。翌年からは二塁手に転向し、その後は強打の1番打者としてミレニアム打線や史上最強打線の核弾頭として活躍。また守備でも99〜02年に4年連続でGG賞を獲得。その後は小坂誠の移籍もあり、07年にトレードで横浜に移籍。横浜でも1,2番打者として活躍するも09年に不振に陥り退団、翌10年には渡米し、独立リーグでプレーするも同年限りで引退。その後は解説者として活躍する傍らで、侍ジャパンの内野守備走塁コーチやU12代表監督も務めた。

通算1000安打:2004年5月2日広島戦(ベイルから右二塁打・32歳6ヶ月・974試合目) ※史上216人目
通算1500安打:2008年6月4日西武戦(岡本真也から中安打・36歳8ヶ月・1467試合目) ※史上96人目
通算1500試合:2008年7月25日広島戦(2番・二塁手・36歳9ヶ月) ※史上161人目


516 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:26:56 FjsuZ8KU

【394人目】

・清水隆行(清水崇行) 1973年10月23日生 外野手 右投左打
経歴:浦和学院高→東洋大→95年ドラフト3位→巨人(96-08)→西武(09)
達成日:2004年6月5日ヤクルト戦(2番・左翼手・30歳7ヶ月)

成績:1485試合 .289 (4942-1428) 131本 488打点 581三振 289四球 90盗塁 出塁率.332 OPS.754
【試合:200位 安打:141位 本塁打:199位 打点:234位 盗塁:273位】

※巨人では1年目から外野手のレギュラーを掴むと、2年目からは松井秀喜の中堅手コンバートにより左翼手に固定。そこからは1番・仁志の後を打つ2番打者としてミレニアム打線の一員として活躍。02年に原辰徳が監督に就任すると1番打者となり、同年には球団記録となるシーズン191安打をマークして最多安打のタイトルも獲得。その後は矢野謙次や鈴木尚広の台頭、谷佳知の台頭もあって徐々に出場機会が減少。09年に志願して金銭トレードで移籍した西武で引退。その後は解説者を経て11〜15年には巨人のコーチも務め、18年には侍ジャパンU15代表の監督も務めた。

通算1000安打:2004年5月5日横浜戦(三浦大輔から左安打・30歳6ヶ月・977試合目) ※史上218人目


517 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:27:15 FjsuZ8KU

【395人目】

・真中満 1971年1月6日生 外野手 左投左打
経歴:宇都宮学園高→日本大→92年ドラフト3位→ヤクルト(93-08)
達成日:2004年7月16日巨人戦(石井弘寿の代打として途中出場・33歳6ヶ月)

成績:1368試合 .286 (3918-1122) 54本 335打点 394三振 237四球 64盗塁 出塁率.329 OPS.715
【試合:252位 安打:249位 本塁打:520位 打点:441位 盗塁:408位】

※ヤクルトではヘルニアの手術を経て5年目の97年に1軍に定着。その後飯田哲也の故障もあって中堅手のレギュラーを奪い、99年には打率3割をマーク。そして01年には1番打者として自己最高の打率.312をマークしてリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでは第3戦で身体を1回転させながらホームランを放って話題となった。その後は青木宣親が台頭したため代打となるもここでも才能を発揮し、07年には現在でも最多となるシーズン31本の代打安打をマークした。08年に引退後もヤクルトに残り、コーチや2軍監督を経て15年に監督に就任。同年には就任1年目にしてチームを14年ぶりのリーグ優勝に導いた。現在は解説者。

通算1000安打:2005年6月7日西武戦(長田秀一郎から左二塁打・34歳5ヶ月・1088試合目) ※史上233人目


518 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:27:33 FjsuZ8KU

【396人目】

・木村拓也 1972年4月15日生 二塁手・外野手・捕手 右投両打
経歴:宮崎南高→90年ドラフト外→日本ハム(91-94)→広島(95-06)→巨人(06-09)
達成日:2004年7月16日横浜戦(澤崎俊和の代打として途中出場・32歳3ヶ月) ※ドラフト外選手最後の達成者

成績:1523試合 .262 (4000-1049) 53本 280打点 752三振 293四球 103盗塁 出塁率.315 OPS.670
【試合:179位 安打:284位 本塁打:532位 打点:523位 盗塁:232位】

※上記の真中とは同日達成。捕手として日本ハムに入団するも当時は田村藤夫の存在もあって出場機会は少なく、92年に俊足と強肩を活かすべく外野手に転向。その後94年オフに広島にトレードで移籍し、97年からはスイッチヒッター、さらに遊撃手に挑戦。これを機に球界屈指のユーティリティとして重宝されるようになり、04年にはスーパーサブとしてアテネ五輪代表にも選出された。そして06年には巨人に移籍。巨人では主に二塁手として活躍し、09年には実に10年ぶりに捕手として出場するなど3連覇を支えた。同年限りで引退後、巨人のコーチとなるも翌10年4月、くも膜下出血のため37歳という若さでこの世を去った。

通算1000安打:2008年9月24日広島戦(青木高広から左二塁打・36歳5ヶ月・1429試合目) ※史上252人目
通算1500試合:2009年8月19日横浜戦(東野峻の代打として途中出場・37歳4ヶ月) ※史上167人目


519 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:27:51 FjsuZ8KU

【397人目】

・谷佳知 1973年2月9日生 外野手 右投右打
経歴:尽誠学園高→大阪商業大→三菱自動車岡崎→96年ドラフト2位(逆指名)→オリックス(97-06)→巨人(07-13)→オリックス(14-15)
達成日:2004年7月25日日本ハム戦(4番・左翼手・31歳5ヶ月) ※ブルーウェーブ最後の達成者

成績:1888試合 .297 (6492-1928) 133本 741打点 713三振 534四球 167盗塁 出塁率.351 OPS.771
【試合:76位 安打:56位 本塁打:196位 打点:110位 盗塁:107位】

※大阪商業大では3年秋に関西六大学リーグ三冠王となり、三菱自動車岡崎ではアトランタ五輪代表に選出。オリックスでは2年目の98年には中堅手の定位置を獲得。イチローがMLBに移籍した後の01年には歴代最多のシーズン52二塁打、翌02年には41盗塁をマークして盗塁王を獲得。田村亮子と結婚した03年には自己最高の打率.350をマークし、最多安打のタイトルを獲得し、守備でも4年連続のGG賞を獲得するなど三拍子揃った外野手として活躍。その後07年にトレードで巨人に移籍すると、安定した成績で同年からの3連覇にも貢献。その後14年にオリックスに復帰し、翌15年に引退。現在は評論家として活動している。

通算1000安打:2003年8月19日ダイエー戦(渡辺正和から中安打・30歳6ヶ月・875試合目) ※史上214人目
通算1500安打:2007年7月1日広島戦(永川勝浩から中安打・34歳4ヶ月・1309試合目) ※史上92人目
通算1500試合:2009年4月4日広島戦(豊田清の代打として途中出場・36歳1ヶ月) ※史上164人目


520 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:28:10 FjsuZ8KU

【398人目】

・稲葉篤紀 1972年8月3日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:中京高→法政大→94年ドラフト3位→ヤクルト(95-04)→日本ハム(05-14)
達成日:2004年9月9日阪神戦(7番・右翼手・32歳1ヶ月)

成績:2213試合 .286 (7578-2167) 261本 1050打点 1269三振 570四球 74盗塁 出塁率.345 OPS.806
【試合:29位 安打:23位 本塁打:61位 打点:37位 盗塁:347位】

※法政大から3位指名を受けて日本ハムに入団。1年目から1軍に定着し、以降は故障に苦しみながらも外野手のレギュラーとなり、01年には打率.311 25本をマークして優勝に貢献し、ベストナインを獲得。04年オフにFA宣言しメジャー挑戦するも断念し、日本ハムに移籍すると、森本稀哲・SHINJOとともに鉄壁の外野陣を形成し、07年には打率.334で首位打者のタイトルを獲得。その後北京五輪や第2回WBCにも出場し、12年には通算2000安打も達成。翌13年には第3回WBC代表にも選ばれ、翌14年に引退。その後解説者や侍ジャパンの打撃コーチを経て17年には同監督に就任。昨年11月のプレミア12ではチームを初優勝に導いた。

通算1000安打:2005年5月7日阪神戦(吉野誠から右安打・32歳9ヶ月・1057試合目) ※史上230人目
通算1500試合:2008年7月15日楽天戦(鶴岡慎也の代打として途中出場・35歳11ヶ月) ※史上160人目
通算1500安打:2008年7月15日楽天戦(川岸強から中安打・35歳11ヶ月・1500試合目) ※史上98人目
通算2000安打:2012年4月28日楽天戦(ヒメネスから右安打・39歳8ヶ月・1976試合目) ※史上39人目
通算2000試合:2012年5月31日ヤクルト戦(5番・一塁手・39歳9ヶ月) ※史上44人目


521 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:28:31 FjsuZ8KU

【399人目】

・諸積兼司 1969年5月29日生 外野手 右投左打
経歴:学法石川高→法政大→日立製作所→93年ドラフト5位→ロッテ(94-06)
達成日:2004年9月14日近鉄戦(ベニーに代わって中堅手として途中出場・35歳3ヶ月)

成績:1110試合 .263 (2628-691) 7本 153打点 488三振 261四球 103盗塁 出塁率.332 OPS.662
【試合:401位 安打:510位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:232位】

※ロッテでは2年目の95年にバレンタイン監督に抜擢されて1番・中堅手の定位置を獲得し、以降も90年代後半から00年代前半のロッテのレギュラー外野手として活躍。02年にはロペスのもつ球団記録に次ぐ、24試合連続安打もマークし、05年の日本一にも貢献。ド派手なダイビングキャッチやヘッドスライディングを代名詞とし、持ち前の明るさでファンからの人気も集め、現在では定番となった雨天中止のヘッスラパフォーマンスの元祖ともされる。06年に引退を表明し、その引退試合でも最後にヘッスラでダイヤモンドを一周し、彼らしく華やかに現役生活を締めた。現在はロッテの2軍外野守備走塁コーチを務める。


522 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:28:50 FjsuZ8KU

【400人目】

・城島健司 1976年6月8日生 捕手 右投右打
経歴:別府大付高→94年ドラフト1位→ダイエー・ソフトバンク(95-05)→マリナーズ(06-09)→阪神(10-12)
達成日:2004年9月21日日本ハム戦(5番・捕手・28歳3ヶ月) ※ダイエー最後の達成者

成績:1323試合 .296 (4756-1406) 244本 808打点 547三振 344四球 72盗塁 出塁率.355 OPS.863
【試合:276位 安打:149位 本塁打:67位 打点:92位 盗塁:358位】
MLB:462試合 .268 (1609-431) 48本 198打点 148三振 66四球 7盗塁 出塁率.310 OPS.721

※駒澤大への進学を予定していたがダイエーの強行指名によりプロ入り。当初は捕手としての評価は低かったが若菜嘉晴コーチの指導もあり、3年目の97年からは強肩強打好守を併せ持つ不動の正捕手となり、03年には打率.330 34本 119打点、日本シリーズでも4本塁打を放ち、MVPを獲得した。その後06年にメジャー挑戦し、マリナーズでも正捕手となり球団新人最多タイの18本塁打もマーク。09年には第2回WBCに出場し、侍ジャパンの正捕手として連覇に貢献。その後10年に阪神でNPBに復帰し、12年に引退。その後はタレントとして趣味の釣りで冠番組を持っていたが、今年1月からアドバイザーとしてホークスに復帰している。

通算1000安打:2004年6月1日ロッテ戦(小林宏之から中安打・27歳11ヶ月・939試合目) ※史上220人目

通算1500安打:2008年4月15日ロイヤルズ戦(メイヘイから左二塁打・31歳10ヶ月・1408試合目) ※日米通算
通算1500試合:2008年9月17日ロイヤルズ戦(8番・捕手・32歳3ヶ月) ※日米通算


523 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:40:10 B5W3vqMs
>>520
※法政大から3位指名を受けて日本ハムに入団。じゃなくてヤクルト入団ですぜ


524 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 13:55:08 6.WajN8Q
よしくん来た・・・って400人目には伝説の釣り師さんもいるじゃないですか


525 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 14:26:38 MVCe5Z.k
>>376 に出てるような血の滲むような高校生活をしてたココリコ遠藤にプロ野球を諦めさせた一学年下の谷佳知というスーパースター


526 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 14:29:44 h8BFgIvs
スワローズポンタほんとすき


527 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/08(日) 19:45:59 6KXV43Ak
ニシはゴーゴーゴジラとその次回作によく出てたな


528 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/08(日) 22:31:31 ???
古田と城島が同時代にいたせいで打てる捕手のハードルがあがってしまった


529 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:55:58 M7hwMFTU

【401人目】

・小坂誠 1973年7月2日生 遊撃手・二塁手 右投左打
経歴:柴田高→JR東日本東北→96年ドラフト5位→ロッテ(97-05)→巨人(06-08)→楽天(09-10)
達成日:2005年4月22日楽天戦(1番・遊撃手・31歳9ヶ月)

成績:1371試合 .251 (4261-1069) 19本 303打点 599三振 475四球 279盗塁 出塁率.327 OPS.655
【試合:249位 安打:274位 本塁打:-位 打点:497位 盗塁:36位】

※JR東日本東北からロッテに入団すると、1年目から遊撃手の定位置を獲得し、全試合に出場して新人では歴代最多の56盗塁をマークして新人王となる。その後は「平成の牛若丸」「小坂ゾーン」と称される超人的な守備を武器に活躍し、98,00年には盗塁王となり、4度のGG賞も獲得して05年の日本一にも貢献した。06年からは金銭トレードで巨人に移籍すると、主に二塁手としてプレー。その後09年に再度金銭トレードで地元球団である楽天に移籍。翌10年に椎間板ヘルニアを患い、同年限りで引退。その後は楽天、日本ハム、巨人のコーチを経て18年からは13年ぶりにロッテに復帰。現在は2軍内野守備走塁コーチを務める。

通算1000安打:2006年4月15日横浜戦(木塚敦志から左二塁打・32歳9ヶ月・1110試合目) ※史上239人目


530 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:56:16 M7hwMFTU

【402人目】

・福浦和也 1975年12月14日生 一塁手 左投左打
経歴:習志野高→93年ドラフト7位→ロッテ(94-19)
達成日:2005年5月12日阪神戦(3番・一塁手・29歳4ヶ月)

成績:2235試合 .284 (7955-2000) 118本 935打点 1089三振 707四球 10盗塁 出塁率.354 OPS.749
【試合:24位 安打:52位 本塁打:234位 打点:59位 盗塁:-位】

※ロッテには投手として入団するも、肩の故障もあって野手に転向。4年目の97年途中に一塁手のレギュラーを掴み取ると、01年には打率.346で首位打者のタイトルを獲得。同年から6年連続で打率3割をマークするなど安打製造機として活躍し、05年には日本シリーズ第3戦で満塁本塁打を放つなど日本一にも貢献。その後は指名打者や代打の切り札としても重宝され10年にも日本一に貢献し、初のベストナインを獲得。そして18年に25年目にして通算2000安打を達成。昨年はほぼ2軍打撃コーチに専念し、ロッテ一筋26年、通算2000安打ちょうどで現役を引退。今年からはロッテの2軍ヘッド兼打撃コーチとして指導者の道を歩む。

通算1000安打:2004年8月20日ダイエー戦(斉藤和巳から中安打・28歳8ヶ月・943試合目) ※史上225人目
通算1500安打:2009年5月2日ソフトバンク戦(水田章雄から左二塁打・33歳4ヶ月・1428試合目) ※史上99人目
通算1500試合:2009年8月19日オリックス戦(8番・一塁手・33歳8ヶ月) ※史上166人目
通算2000試合:2015年6月15日ヤクルト戦(藤岡貴裕の代打として途中出場・39歳6ヶ月) ※史上48人目
通算2000安打:2018年9月22日西武戦(小川竜也から右二塁打・42歳9ヶ月・2234試合目) ※史上52人目・歴代2番目の年長記録


531 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:56:34 M7hwMFTU

【403人目】

・礒部公一 1974年3月12日生 外野手・捕手 右投左打
経歴:西条農業高→三菱重工広島→96年ドラフト3位→近鉄(97-04)→楽天(05-09)
達成日:2005年7月16日西武戦(1番・右翼手・31歳4ヶ月) ※楽天初の達成者

成績:1311試合 .281 (4353-1225) 97本 517打点 596三振 406四球 55盗塁 出塁率.344 OPS.756
【試合:285位 安打:213位 本塁打:302位 打点:209位 盗塁:462位】

※近鉄には捕手として入団するも、チーム事情から外野手で起用され00年にいったん捕手に戻るも当時ワーストの盗塁阻止率.109をマークしたために01年からは外野手に復帰。中村紀洋・ローズの後を打つ5番打者として勝負強い打撃を発揮し、同年の優勝に貢献した。その後近鉄最後の選手会長も務め、再編問題への奔走の末に、新設球団である楽天に移籍。楽天でも初代選手会長・主将となり、球団第1号の本塁打も記録するなどチームの黎明期を支えた。08年に引退後は楽天のコーチを長らく務め、17年に退団。その後は解説者として活動している。

通算1000安打:2006年4月28日ロッテ戦(清水直行から中安打・32歳1ヶ月・1064試合目) ※史上240人目


532 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:56:50 M7hwMFTU

【404人目】

・酒井忠晴 1970年6月21日生 二塁手・三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:修徳高→88年ドラフト5位→中日(89-95)→ロッテ(96-02)→中日(03-04)→楽天(05-06)
達成日:2005年7月19日ソフトバンク戦(7番・二塁手・35歳0ヶ月)

成績:1034試合 .248 (2087-517) 12本 181打点 372三振 141四球 13盗塁 出塁率.298 OPS.619
【試合:464位 安打:656位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※修得高ではエースとして活躍し、投手として中日に入団するも直後に内野手に転向。打撃に難があったために主に守備要員としての起用が続き、95年オフにロッテにトレードで移籍。ロッテでも長らく控えの位置だったが、99年に初芝清の後を継ぐ形で三塁手に定着。翌00年には堀幸一の不振から二塁手に転向し、当時絶大な守備力を誇っていた小坂誠と鉄壁の三遊間、二遊間を形成した。その後03年に再度中日に復帰するも出番はなく、05年に新設された楽天に移籍。内野のユーティリティとして球団の黎明期を支えた。引退後はBC福井の監督も務め、14年からは楽天のコーチに就任。今年からは2軍内野守備バントコーチ。


533 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:57:09 M7hwMFTU

【405人目】

・浅井樹 1971年12月14日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:富山商業高→89年ドラフト6位→広島(90-06)
達成日:2005年7月27日ヤクルト戦(7番・一塁手・33歳7ヶ月)

成績:1070試合 .285 (1832-523) 52本 259打点 345三振 183四球 41盗塁 出塁率.352 OPS.777
【試合:428位 安打:649位 本塁打:539位 打点:573位 盗塁:580位】

※富山商業から6位指名を受けて広島に入団。当時の広島は前田智徳、金本知憲、緒方孝市と外野のレギュラーの層が非常に厚かったものの代打の切り札として1軍に定着し、右の町田公二郎とともに他球団から恐れられ、歴代3位となる代打通算154安打を記録。その中でロペスが退団した98年には一塁手のレギュラーを争い、00年には緒方孝市の故障もあって外野手として起用されて自己最多の13本塁打をマーク。しかし自身も故障が多く、06年にはメニエール病を発症し、06年に引退を表明して17年間広島一筋の現役生活に別れを告げた。その後は広島のコーチとなり、昨年まで在籍した。


534 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:57:28 M7hwMFTU

【406人目】

・今岡誠(今岡真訪) 1974年9月11日生 二塁手・三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:PL学園高→東洋大→96年ドラフト1位(逆指名)→阪神(97-09)→ロッテ(10-12)
達成日:2005年8月2日横浜戦(5番・三塁手・30歳10ヶ月)

成績:1309試合 .279 (4607-1284) 122本 594打点 650三振 304四球 17盗塁 出塁率.325 OPS.733
【試合:287位 安打:194位 本塁打:227位 打点:167位 盗塁:-位】

※東洋大ではアトランタ五輪代表にも選出され、銀メダル獲得に貢献。阪神では1年目から1軍で出場機会を稼ぎ、02年には二塁手の定位置を奪い、03年には1番打者として打率.340をマークして首位打者となり、さらに三塁手に転向した05年には5番打者として無類の勝負強さを発揮し、自己最多の29本塁打、そして歴代3位となるシーズン147打点をマークしてリーグ優勝に大きく貢献した。しかしその後は不振に陥り、09年に戦力外となり、入団テストを経てロッテに移籍。成績こそ振るわずも、大一番の試合で活躍し、史上最大の下克上に貢献。12年に引退後は解説者や阪神のコーチを経て、現在はロッテの2軍監督を務める。

通算1000安打:2005年5月25日オリックス戦(川越英隆から2ラン・30歳8ヶ月・949試合目) ※史上231人目


535 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:57:44 M7hwMFTU

【407人目】

・鳥越裕介 1971年7月1日生 遊撃手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:臼杵高→明治大→93年ドラフト2位(逆指名)→中日(94-99)→ダイエー・ソフトバンク(99-06)
達成日:2005年8月13日日本ハム戦(8番・二塁手・34歳1ヶ月)

成績:1057試合 .226 (2231-504) 21本 164打点 547三振 173四球 49盗塁 出塁率.285 OPS.579
【試合:441位 安打:676位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:510位】

※大型内野手と評され、明治大から逆指名で中日に入団。3年目の96年に益田大介との1,2番コンビを形成し、翌97年には守備率.997の新記録を樹立。しかし脱税事件や福留孝介・井端弘和の台頭もあり、99年途中にトレードでダイエーに移籍。ダイエーでは高い守備力を評価されて遊撃手として活躍。ダイハード打線の9番打者となり、彼が打点を挙げると負けないという不敗神話まで生まれるなど「パルプンテ」的な活躍も見せた。その後、若手選手の台頭もあって06年に引退。ソフトバンクのコーチを経て、18年にはロッテに移籍し、元チームメイトの井口資仁監督のもとで1軍ヘッド兼内野守備コーチを務める。


536 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:58:03 M7hwMFTU

【408人目】

・小笠原道大 1973年10月25日生 一塁手・三塁手・捕手 右投左打
経歴:暁星国際高→NTT関東→96年ドラフト3位→日本ハム(97-06)→巨人(07-13)→中日(14-15)
達成日:2005年8月24日西武戦(3番・三塁手・31歳9ヶ月)

成績:1992試合 .310 (6828-2120) 378本 1169打点 1247三振 867四球 63盗塁 出塁率.389 OPS.932
【試合:53位 安打:29位 本塁打:25位 打点:27位 盗塁:414位】

※日本ハムには捕手として入団し、99年に一塁手に転向。「バントをしない2番打者」として定着し、その後はビッグバン打線の主砲となり、02,03年には2年連続で首位打者のタイトルを獲得。06年には32本・100打点で2冠を獲得し、チーム44年ぶりの日本一の原動力としてMVPも獲得。翌07年にFAで巨人に移籍し、両リーグでMVPとなるなど、ラミレスらとともに強力な中軸を形成して活躍し、11年には通算2000安打も達成。その後は故障に苦しむも、14年からは中日に移籍して代打の切り札として活躍した。15年に引退後は中日の2軍監督を務め、今年からは14年ぶりに日本ハムに復帰し、1軍ヘッド兼打撃コーチを務める。

通算1000安打:2004年7月24日オリックス戦(具臺晟から中安打・30歳8ヶ月・862試合目) ※史上223人目
通算1500安打:2007年9月15日広島戦(宮崎充登から右二塁打・33歳10ヶ月・1288試合目) ※史上93人目
通算1500試合:2009年6月13日ソフトバンク戦(3番・三塁手・35歳7ヶ月) ※史上165人目
通算2000安打:2011年5月5日阪神戦(小林宏之から中安打・37歳6ヶ月・1736試合目)


537 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:58:47 M7hwMFTU

【409人目】

・柴原洋 1974年5月23日生 外野手 左投左打
経歴:北九州高→九州共立大→96年ドラフト3位→ダイエー・ソフトバンク(97-11)
達成日:2006年4月22日オリックス戦(5番・右翼手・31歳10ヶ月)

成績:1452試合 .282 (4898-1382) 54本 463打点 880三振 418四球 85盗塁 出塁率.341 OPS.721
【試合:211位 安打:159位 本塁打:520位 打点:266位 盗塁:288位】

※九州共立大では福岡六大学リーグで6度の首位打者、3年秋には三冠王となるなど「福六のイチロー」と称され、3位指名でダイエーに入団。2年目の98年から中堅手の定位置を掴み、同年は打率.314 18盗塁の好成績でベストナインを獲得。翌99年の日本一にも貢献し、00年からはダイハード打線のリードオフマンとして活躍。その後、村松有人に1番は譲るも下位打線ながら安定した成績を残し、08年には楽天・ドミン ゴから史上2人目となる開幕戦逆転サヨナラ弾も記録。晩年は長谷川優也や多村仁志の活躍もあって控えとなり、11年に引退。その後は解説者や評論家を経て、現在は自由が丘高校の臨時コーチとして活動中。

通算1000安打:2005年5月1日ロッテ戦(渡辺俊介から右安打・30歳11ヶ月・952試合目) ※史上229人目


538 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 15:59:03 M7hwMFTU

【410人目】

・松中信彦 1973年12月26日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:八代第一高→新日本製鐵君津→96年ドラフト2位(逆指名)→ダイエー・ソフトバンク(97-15)
達成日:2006年4月28日日本ハム戦(4番・指名打者・32歳4ヶ月)

成績:1780試合 .296 (5964-1767) 352本 1168打点 909三振 857四球 28盗塁 出塁率.392 OPS.925
【試合:98位 安打:76位 本塁打:30位 打点:28位 盗塁:-位】

※プロ入り前にアトランタ五輪の決勝で満塁弾を放つなど一躍注目を浴び、逆指名でダイエーに入団。3年目の99年に23本塁打を放って日本一に貢献して台頭すると、その後はダイハード打線の主軸として活躍し、00年にはシーズンMVP、03年には打点王となり、そして04年には打率.358 44本 120打点で史上7人目、そして平成唯一の三冠王となり、06年には第1回WBC代表の主砲として世界一に貢献した。その後は故障に苦しみ徐々に成績が低迷。15年に現役続行を視野に退団し、オファーを待つも16年3月に引退を表明。その後は解説者などで活動し、今年から四国IL・香川のGM兼総監督に就任し、指導者の道を歩む。

通算1000安打:2005年7月30日ロッテ戦(セラフィニから左二塁打・31歳7ヶ月・932試合目) ※史上235人目
通算1500安打:2009年5月6日オリックス戦(山本省吾から中安打・35歳4ヶ月・1401試合目) ※史上100人目
通算1500試合:2010年3月28日オリックス戦(5番・指名打者・36歳3ヶ月) ※史上168人目


539 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/09(月) 17:30:12 ???
>>531
ISOBEすき


540 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 18:47:55 zQiACOpc
去年引退した人が出てきたから一気に時代流れたなと思ってしまった


541 : モリエンテス :2020/03/09(月) 19:50:58 ???
捕手城島・一塁松中・二塁井口・三塁川崎・左翼バルデス・中堅村松・右翼柴原・DHズレータの最恐ダイハード打線のなかに君臨する遊撃鳥越とかいう癒し枠


542 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 22:38:54 i2D9euCc
>>536

あれは…北のサムライ⁉


543 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 23:15:27 3PpMx6Ao
>>538
その一打で
たたみかけろ
それ今叩け力入れ
ボールを飛ばせ

この応援歌くるおしいほどすこ


544 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/09(月) 23:25:04 qt4PUk7A
>>531
いつのまにかyoutuberデビューしてて草


545 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 02:35:36 a70mm34I
鳥越ダイエーのイメージしかなかったなあ


546 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:13:00 /TCOOL3s

【411人目】

・井上一樹 1971年7月25日生 外野手・投手 左投左打
経歴:鹿児島商業高→89年ドラフト2位→中日(90-09)
達成日:2006年8月15日広島戦(7番・右翼手・35歳0ヶ月)

成績:1215試合 .275 (3134-863) 79本 349打点 635三振 252四球 13盗塁 出塁率.330 OPS.751
投手:9登板 0勝1敗 0S 14.2投球回 12奪三振 17与四球 16被安打 防6.75 WHIP2.25
【試合:346位 安打:384位 本塁打:380位 打点:422位 盗塁:-位】

※高校時代は二刀流として活躍し、中日には投手として入団するもチーム事情から4年目途中から打者に転向。長らく控えの時代が続いたが、10年目の99年に7番打者として定着しリーグ優勝に貢献。その後は英智や藤井淳志らとレギュラーを争いながらも落合政権における黄金時代の一員として活躍し、勝負強い打撃でチームを支えた。プロ20年目の09年に引退を表明し、その後は中日のコーチを経て2軍監督も務め、同年にはチームを日本一に導いた。その後は解説者として活動していたが、今年からは矢野燿大監督のもとで阪神の1軍打撃コーチを務める。着用していたリストバンドの色から「ピンキー」の愛称で親しまれた。


547 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:13:18 /TCOOL3s

【412人目】

・高橋由伸 1975年4月3日生 外野手 右投左打
経歴:桐蔭学園高→慶應義塾大→97年ドラフト1位(逆指名)→巨人(98-15)
達成日:2006年8月18日中日戦(3番・右翼手・31歳4ヶ月)

成績:1819試合 .291 (6028-1753) 321本 986打点 1173三振 634四球 29盗塁 出塁率.366 OPS.869
【試合:83位 安打:79位 本塁打:38位 打点:47位 盗塁:-位】

※慶應義塾大では3年春に三冠王となるなど六大学歴代最多の23本塁打を放つなどスター選手となり、逆指名で巨人に入団。1年目から5番打者に定着して打率3割をマークするなど新人離れした成績を残すと、以降も天才的な打撃センスで巨人の強打者として活躍。01〜04年には4年連続で打率3割をマークし、07年には1番打者として開幕戦初球先頭打者弾を含む、史上最多の9本の先頭打者弾を記録。晩年は故障に苦しみながらも代打の切り札としても活躍し、15年に監督就任の要請を受けて引退。翌16年から3年間指揮を取り、優勝は果たせなかったが、若手選手の育成で成果を残した。現在は解説者や評論家として活動中。

通算1000安打:2004年9月29日広島戦(ベイルから右安打・29歳5ヶ月・850試合目) ※史上227人目
通算1500安打:2011年7月10日広島戦(バリントンから左安打・36歳3ヶ月・1404試合目) ※史上108人目
通算1500試合:2012年5月4日阪神戦(5番・右翼手・37歳1ヶ月) ※史上175人目


548 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:13:38 /TCOOL3s

【413人目】

・塩崎真 1973年6月29日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:熊本工業高→東洋大(中退)→新日本製鐵広畑→96年ドラフト3位→オリックス(97-10)
達成日:2006年9月18日ロッテ戦(3番・二塁手・33歳2ヶ月)

成績:1232試合 .258 (3184-820) 35本 261打点 603三振 281四球 47盗塁 出塁率.322 OPS.666
【試合:328位 安打:408位 本塁打:-位 打点:565位 盗塁:528位】

※プロ入り1年目から内野のユーティリティとして1軍で積極的に起用され、4年目の00年には遊撃手の定位置を獲得。翌年には進藤辰哉が移籍してくるもののレギュラーを譲らず、自身は1番打者として活躍。04年にはブルーウェーブ最後の4番打者となった。そのまま分配ドラフトで合併したオリックスに残り、阿部真宏や水口栄二の加入もあって再び内野のユーティリティとして活躍。目立った成績こそは残せずも、勝負強い打撃でチームを支え続けた。10年限りで現役を引退し、その後はオリックスのコーチを16年まで務め、現在は球団職員の傍らで解説者としても活動している。


549 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:14:03 /TCOOL3s

【414人目】

・上田佳範 1973年11月18日生 外野手 右投左打
経歴:松商学園高→91年ドラフト1位→日本ハム(92-05)→中日(06-08)
達成日:2006年10月10日巨人戦(井上一樹に代わって左翼手として途中出場・32歳10ヶ月)

成績:1027試合 .236 (2058-486) 37本 192打点 494三振 208四球 36盗塁 出塁率.312 OPS.657
【試合:475位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※松商学園高ではエースとして、91年春の選抜では3試合連続完封勝利をあげるなど準優勝を経験。1位指名で日本ハムに入団するも投手としては1軍に登板することはなく、肩の故障もあって2年目の93年から外野手に転向。強肩好守の外野手としてスタメンから代打・代走・守備固めと様々な場面で起用され、97年には移籍してきた落合博満の指導もあって打率3割もマーク。しかし01年以降は故障や不振に苦しみ、05年には戦力外となり、テストを経て落合が監督を務める中日に入団し、3年間プレーして08年に引退。その後はコーチとして中日に残り、その後16年からはDeNAに移籍。現在は1軍外野守備走塁コーチを務める。


550 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:14:30 /TCOOL3s

【415人目】

・福留孝介 1977年4月26日生 外野手・遊撃手・三塁手 右投左打
経歴:PL学園高→日本生命→98年ドラフト1位(逆指名)→中日(99-07)→カブス(08-11)→インディアンス(11)→ホワイトソックス(12)→阪神(13-現役)
達成日:2007年4月6日横浜戦(3番・右翼手・29歳11ヶ月)

成績:1866試合 .291 (6527-1897) 280本 1045打点 1396三振 971四球 76盗塁 出塁率.383 OPS.878
【試合:80位 安打:59位 本塁打:50位 打点:38位 盗塁:336位】
MLB:596試合 .258 (1929-498) 42本 195打点 402三振 307四球 29盗塁 出塁率.359 OPS.754

※95年の7球団の1位指名を受け、競合の末に近鉄が交渉権を獲得するも入団を辞退。その後日本生命を経て逆指名で中日に入団。1年目から遊撃手として16本塁打を放ってリーグ優勝に貢献すると、4年目の02年に外野手に転向し、打率.343で首位打者を獲得。以降は中日の中軸打者として活躍し、06年には2度目の首位打者、そしてMVPを獲得。また同年の第1回WBCでは準決勝・決勝の活躍で世界一に貢献。その後はメジャーでプレーし、13年に阪神に移籍してNPBに復帰。1年目こそ不振に陥るもその後徐々に復調し、16年には日米通算2000安打も達成するなど現在も中軸で活躍。現役最年長選手として20年のシーズンにも臨む。

通算1000安打:2006年6月14日西武戦(ギッセルから左二塁打・29歳1ヶ月・922試合目) ※史上241人目
通算1500安打:2016年6月20日オリックス戦(西勇輝から右安打・39歳1ヶ月・1442試合目) ※史上121人目
通算1500試合:2016年9月10日ヤクルト戦(4番・右翼手・39歳4ヶ月) ※史上185人目

通算2000試合:2016年4月27日巨人戦(4番・右翼手・39歳0ヶ月) ※日米通算
通算2000安打:2016年6月25日広島戦(岡田明丈から二安打・39歳1ヶ月・2040試合目) ※日米通算


551 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:14:52 /TCOOL3s

【416人目】

・日高剛 1977年8月15日生 捕手 右投左打
経歴:九州国際大付高→95年ドラフト3位→オリックス(96-12)→阪神(13-14)
達成日:2007年5月17日ソフトバンク戦(的山哲也に代わって捕手として途中出場・29歳9ヶ月)

成績:1517試合 .237 (4031-956) 79本 434打点 702三振 285四球 11盗塁 出塁率.292 OPS.642
【試合:182位 安打:330位 本塁打:380位 打点:298位 盗塁:-位】

※オリックスでは3年目の98年に当時正捕手だった三輪隆が脱税事件で離脱したために1軍に抜擢され、そのまま正捕手に定着。パンチ力のある打撃と強肩を武器にブルーウェーブ末期からバファローズ黎明期にかけて活躍。08年にはクルーンの投げた161km/hの速球を本塁打にするなど、自己最多の13本塁打を放ち、チームの2位躍進にも貢献した。しかしその後は岡田彰布監督の意向で出場機会が減り、伊藤光の台頭もあり、12年にFA権を行使して阪神に移籍し、翌14年限りで引退。その後はフロント入りし、現在は阪神の2軍打撃兼分析担当コーチを務める。

通算1500試合:2013年8月25日中日戦(8番・捕手・36歳0ヶ月) ※史上179人目


552 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:15:14 /TCOOL3s

【417人目】

・二岡智宏 1976年4月29日生 遊撃手 右投右打
経歴:広陵高→近畿大→98年ドラフト2位(逆指名)→巨人(99-08)→日本ハム(09-13)
達成日:2007年5月18日中日戦(5番・遊撃手・31歳0ヶ月)

成績:1457試合 .282 (4666-1314) 173本 622打点 889三振 312四球 48盗塁 出塁率.331 OPS.764
【試合:210位 安打:181位 本塁打:132位 打点:153位 盗塁:520位】

※近畿大では関西学生リーグ歴代最多の13本塁打を放ち、同校の史上初のアマチュア五冠達成に貢献。逆指名で巨人に入団すると、1年目から遊撃手の定位置を奪い、18本塁打をマーク。その後も強打の遊撃手として活躍し、03年には自己最多の29本塁打でベストナインも獲得。しかし選手会長となった08年に坂本勇人の台頭、そして自身のスキャンダルもあり、同年オフにトレードで日本ハムに移籍。日本ハムでは主に指名打者として起用され、勝負強い打撃を発揮するも故障にも悩まされ、13年に引退。その後は巨人のコーチを経て、18年にはBC・富山の監督も務めた。今年からは3軍総合コーチとして巨人に復帰する。

通算1000安打:2007年6月2日西武戦(山崎敏から3ラン・31歳1ヶ月・1010試合目) ※史上245人目


553 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:15:37 /TCOOL3s

【418人目】

・新井貴浩 1977年1月30日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:広島工業高→駒澤大→98年ドラフト6位→広島(99-07)→阪神(08-14)→広島(15-18)
達成日:2007年6月19日日本ハム戦(4番・三塁手・30歳4ヶ月)

成績:2383試合 .278 (7934-2203) 319本 1303打点 1693三振 709四球 43盗塁 出塁率.339 OPS.792
【試合:13位 安打:20位 本塁打:39位 打点:17位 盗塁:563位】

※みんな大好き新井さん。広島に入団後、駒澤大の先輩である大下剛史コーチの厳しい指導の末に、徐々に頭角を現し、金本が阪神に移籍した03年からは4番となり、05年には43本塁打を放って本塁打王のタイトルを獲得。07年オフに辛い思いでFA宣言し、金本のいる阪神に移籍。阪神でも10年に4番打者となり、自己最多の112打点をマークし、翌11年には93打点で打点王となり、弟の良太とともに活躍。その後14年オフに広島に復帰。16年には通算2000安打も達成し、6年ぶりに100打点をマークするなどの大活躍でチーム25年ぶりの優勝に貢献し、MVPとなった。18年に引退し、現在は解説者として活動中。にしし…。

通算1000安打:2008年4月12日横浜戦(寺原隼人から右二塁打・31歳2ヶ月) ※史上249人目・金本知憲の2000安打と同日達成
通算1500試合:2011年5月31日日本ハム戦(4番・三塁手・34歳3ヶ月) ※史上169人目
通算1500安打:2011年7月30日ヤクルト戦(七條祐樹から3ラン・34歳6ヶ月・1539試合目) ※史上110人目
通算2000試合:2015年5月24日ヤクルト戦(4番・一塁手・38歳3ヶ月) ※史上47人目
通算2000安打:2016年4月26日ヤクルト戦(成瀬善久から左二塁打・2112試合目) ※史上47人目


554 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:15:55 /TCOOL3s

【419人目】

・井端弘和 1975年5月12日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:堀越高→亜細亜大→97年ドラフト5位→中日(98-13)→巨人(14-15)
達成日:2007年7月16日ヤクルト戦(3番・遊撃手・32歳2ヶ月)

成績:1896試合 .281 (6803-1912) 56本 510打点 886三振 702四球 149盗塁 出塁率.352 OPS.706
【試合:71位 安打:57位 本塁打:505位 打点:214位 盗塁:130位】

※中日では3年目の00年から控えとして1軍に定着し、翌02年には遊撃手のレギュラーを獲得。翌02年からは二塁手・荒木雅博とコンビを組み、球界屈指の二遊間を形成し、04年からは4年連続のベストナイン、6年連続のGG賞を獲得するなど中日の黄金時代を築いた。その後眼病を患って一時は不振に陥るも復活を果たし、13年には第3回WBCで指名打者として活躍しベストナインも獲得した。同年オフに自由契約となって巨人に移籍。15年に同い年の高橋由伸とともに引退し、翌年からはその高橋監督のもとで巨人のコーチを務め、侍ジャパンでもコーチとして活躍。現在は解説者の傍ら、昨年からYouTuber活動も開始した。

通算1000安打:2007年4月1日ヤクルト戦(藤井秀悟から左二塁打・31歳10ヶ月・923試合目) ※史上243人目
通算1500安打:2010年6月5日ロッテ戦(吉見祐治から右二塁打・35歳0ヶ月・1360試合目) ※史上105人目
通算1500試合:2012年5月3日阪神戦(6番・遊撃手・36歳11ヶ月) ※史上174人目


555 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:16:14 /TCOOL3s

【420人目】

・金城龍彦 1976年7月27日生 外野手・三塁手 右投両打
経歴:近畿大付高→住友金属→98年ドラフト5位→横浜・DeNA(99-14)→巨人(15)
達成日:2007年7月28日阪神戦(3番・中堅手・31歳0ヶ月)

成績:1892試合 .278 (5927-1648) 104本 592打点 737三振 438四球 40盗塁 出塁率.332 OPS.714
【試合:74位 安打:96位 本塁打:277位 打点:168位 盗塁:596位】

※住友金属では投手として活躍し、横浜には打者としてのテストを経てプロ入り。入団直後に打者に転向すると、同時にスイッチヒッターにも挑戦し、2年目の00年には2番・三塁手として定着し、スイッチヒッターでは歴代最高の打率.346をマークして史上初の新人王・首位打者の同時獲得を達成。その後は外野手に転向し、03〜05年には3年連続打率3割をマークするなどアベレージヒッターとして活躍し、第1回WBC代表としても世界一を経験。その後は故障に苦しみながらも代打や守備固めとしても活躍。14年に自由契約となり、移籍した巨人で翌15年に引退。その後は巨人に残り、今年は3軍野手総合コーチを務める。

通算1000安打:2007年6月3日オリックス戦(ユウキから右安打・30歳10ヶ月・966試合目) ※史上246人目
通算1500試合:2011年8月25日広島戦(6番・中堅手・35歳0ヶ月) ※史上172人目
通算1500安打:2012年9月14日ヤクルト戦(村中恭兵から中安打・36歳1ヶ月・1631試合目) ※史上112人目


556 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 15:20:53 OwziC92g
>>555
金城おじさんだいすき
応援歌涙でるほどすき
いつか横浜にもどってきて


557 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 16:13:36 D3n.jleI
新井さん達成試合ヤクルトばっか


558 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 17:07:45 wZtEawhY
遂に現役が登場しましたね
生き返れ福留は名シーンだった


559 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 19:57:27 pUu64..Q
井端はいいバッター


560 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 21:29:26 53q7pLKA
新井さん2200安打超えって普通にレジェンドなんだなぁ


561 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/10(火) 23:36:57 WDzLLr1s
出たわね。


562 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:14:56 pDRPDua.

【421人目】

・サブロー(大村三郎) 1976年6月1日生 外野手 右投右打
経歴:PL学園高→94年ドラフト1位→ロッテ(95-11)→巨人(11)→ロッテ(12-16)
達成日:2007年8月15日西武戦(4番・右翼手・31歳2ヶ月)

成績:1782試合 .265 (5143-1363) 127本 655打点 1190三振 575四球 78盗塁 出塁率.340 OPS.746
【試合:96位 安打:168位 本塁打:214位 打点:139位 盗塁:323位】

※入団時に同じ苗字の大村巌がいたことと当時ブレイクしていたイチローにあやかって登録名をサブローーーーーーーーーー↑↑↑↑↑とすると、5年目の99年に1軍定着を果たし、翌00年からは2番打者として活躍。05年にはマリンガン打線の4番を任され、「繋ぐ4番」としてチームの日本一に貢献。その後も安定した成績を残し、09年には自己最多の22本塁打もマーク。右手を故障した11年には電撃トレードで巨人に移籍するも翌12年にはFAでロッテに復帰。その後も長らくチームで活躍し、16年限りで引退。その後ロッテのスペシャルアシスタントを務め、今年から楽天のファームディレクターとして活動する。

通算1000安打:2010年4月17日オリックス戦(金子千尋から2ラン・33歳10ヶ月・1284試合目) ※史上257人目
通算1500試合:2012年5月31日阪神戦(4番・左翼手・35歳11ヶ月) ※史上176人目


563 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:15:12 pDRPDua.

【422人目】

・吉岡雄二(吉岡佑弐) 1971年7月29日生 一塁手・三塁手・外野手 右投右打
経歴:帝京高→89年ドラフト3位→巨人(90-96)→近鉄(97-04)→楽天(05-08)
達成日:2007年9月11日オリックス戦(鉄平の代打として途中出場・36歳1ヶ月)

成績:1012試合 .273 (3233-883) 131本 463打点 728三振 311四球 28盗塁 出塁率.340 OPS.801
【試合:487位 安打:372位 本塁打:199位 打点:266位 盗塁:-位】

※帝京高では89年夏の甲子園でエースとして優勝を経験し、プロ入り後は高校通算51本塁打の打力を活かすべく3年目の92年に内野手に転向。しかし出場機会に恵まれず、97年にトレードで近鉄に移籍。01年にはいてまえ打線の6番打者として26本塁打・85打点をマークし、チームのリーグ優勝に貢献。近鉄消滅後は分配ドラフトで楽天に移籍し、初年度の05年には3番打者として手薄なチームを支えた。その後は不振に陥り、08年に戦力外となりメキシコでもプレーするが10年に引退。その後は四国IL・愛媛のコーチやBC・富山の監督を歴任し、現在は日本ハムの2軍打撃コーチ。またリアル野球BANのチーム石橋の主砲でもある。


564 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:15:39 pDRPDua.

【423人目】

・荒木雅博 1977年9月13日生 二塁手・遊撃手・外野手 右投右打
経歴:熊本工業高→95年ドラフト1位→中日(96-18)
達成日:2007年9月24日巨人戦(2番・二塁手・30歳0ヶ月)

成績:2220試合 .268 (7639-2045) 34本 468打点 1043三振 431四球 378盗塁 出塁率.309 OPS.633
【試合:28位 安打:44位 本塁打:-位 打点:261位 盗塁:11位】

※外れ外れ1位で中日に入団すると、当時の2軍監督だった仁村徹の厳しい指導の末に6年目の01年に頭角を現し、翌02年からは二塁手の定位置を掴んで遊撃手・井端弘和とともに「アライバコンビ」を結成。高い守備力と走力を武器に、落合博満が監督に就任した04年からは二塁手として3年連続でベストナイン、6年連続のGG賞を獲得し、07年には31盗塁で盗塁王のタイトルも獲得。その後も選手会長を務めるなど中日一筋で活躍し、16年には球団新記録の370盗塁、17年には球団生え抜き4人目の2000安打も達成。23年目となった翌18年に引退し、昨年は2軍内野守備コーチを務め、今年からは1軍に昇格する。

通算1000安打:2008年6月21日ロッテ戦(シコースキーから右三塁打・30歳9ヶ月・1075試合目) ※史上250人目
通算1500試合:2011年8月18日巨人戦(1番・二塁手・33歳11ヶ月) ※史上171人目
通算1500安打:2011年9月11日横浜戦(藤江均から左安打・33歳11ヶ月・1519試合目) ※史上111人目
通算2000試合:2016年4月9日巨人戦(2番・二塁手・38歳6ヶ月) ※史上49人目
通算2000安打:2017年6月3日楽天戦(美馬学から右安打・39歳8ヶ月・2125試合目) ※史上48人目


565 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:15:57 pDRPDua.

【424人目】

・高木浩之 1972年10月14日生 二塁手 右投左打
経歴:享栄高→駒澤大→94年ドラフト4位→西武(95-08)
達成日:2007年10月1日オリックス戦(9番・二塁手・34歳11ヶ月)

成績:1002試合 .256 (2510-643) 10本 186打点 213三振 189四球 27盗塁 出塁率.313 OPS.624
【試合:500位 安打:542位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※享栄高では90年春の選抜で1大会3本塁打を記録。駒澤大では投手・内野手としてプレーし、西武には内野手として入団。西武では3年目の97年から二塁手の定位置を掴み、その後も打順こそ下位だったものの西武の二塁手として長らく活躍し、02年には自己最多の130試合に出場し、恐怖の9番打者としてチームのリーグ優勝に貢献し、ベストナイン・GG賞も獲得した。しかしその後は右眼の視力障害、そして膝の故障もあって徐々に成績を落とし、片岡易之の台頭もあって08年に引退。その後も西武に残り、編成部を経て12年からは2軍打撃コーチとして現場復帰。今年からは2軍内野守備走塁コーチを務める。


566 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:16:15 pDRPDua.

【425人目】

・アレックス・ラミレス 1974年10月3日生 外野手 右投右打
経歴:インディアンス(98-00)→パイレーツ(00)→ヤクルト(01-07)→巨人(08-11)→DeNA(12-13)
達成日:2008年4月18日広島戦(5番・左翼手・33歳6ヶ月) ※21世紀デビューでは初の達成者

成績:1744試合 .301 (6708-2017) 380本 1272打点 1259三振 308四球 20盗塁 出塁率.336 OPS.859
【試合:102位 安打:49位 本塁打:24位 打点:20位 盗塁:-位】

※01年にヤクルトに入団すると、1年目から29本塁打を放って日本一に貢献すると、以降は毎年のようにリーグトップを争う成績を残し、07年には外国人、右打者では史上初のシーズン200安打も達成。翌08年からは巨人に移籍すると、同年にはシーズンMVPを獲得し、10年には自己最多の49本塁打・129打点で2冠となるなど、史上最長の8年連続100打点も達成。その後12年にはDeNAに移籍し、そして13年には外国人選手初の通算2000安打も達成した。その後はBC・群馬でプレーし、14年に引退。その後16年からはDeNAの監督に就任。17年には19年ぶりに日本シリーズに出場させた。5年目の今年は22年ぶりのリーグ優勝を目指す。

通算1000安打:2007年4月21日中日戦(吉見一起から左安打・32歳6ヶ月・854試合目) ※史上244人目
通算1500安打:2009年8月26日中日戦(川井雄太から中安打・34歳10ヶ月・1236試合目) ※史上104人目・外国人史上3人目
通算1500試合:2011年8月14日広島戦(4番・左翼手・36歳10ヶ月) ※史上170人目
通算2000安打:2013年4月6日ヤクルト戦(石川雅規からソロ・38歳6ヶ月・1695試合目) ※史上42人目・外国人初


567 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:16:34 pDRPDua.

【426人目】

・的山哲也 1970年10月1日生 捕手 右投右打
経歴:福崎高→新日本製鐵広畑→93年ドラフト4位→近鉄(94-04)→オリックス(05-07)→ソフトバンク(08)
達成日:2008年5月1日西武戦(9番・捕手・37歳7ヶ月)

成績:1026試合 .206 (2456-423) 40本 201打点 521三振 189四球 27盗塁 出塁率.307 OPS.585
【試合:477位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※近鉄では当時、古久保健二・光山英和が正捕手の座を争っていたが4年目の97年に両者ともに衰えたことから一気に出場機会を増やし、リードと強肩を評価されて正捕手に抜擢。打撃に難があって一度は礒部公一にポジションを譲ることもあったが結局礒部が外野に戻ったため、再度正捕手となって01年のリーグ優勝にも貢献。02年には球宴にも出場し、第2戦でMVPも獲得。その後球団合併によりオリックスに移籍するも、日高剛にポジションを奪われる形となり、08年に金銭トレードで移籍したソフトバンクで引退。その後もホークスに残り、2020年現在も2軍バッテリーコーチとして指導している。


568 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:16:53 pDRPDua.

【427人目】

・和田一浩 1972年6月19日生 外野手・捕手 右投右打
経歴:県立岐阜商業高→東北福祉大→神戸製鋼→96年ドラフト4位→西武(97-07)→中日(08-15)
達成日:2008年5月17日横浜戦(5番・左翼手・35歳10ヶ月)

成績:1968試合 .303 (6766-2050) 319本 1081打点 938三振 862四球 76盗塁 出塁率.381 OPS.895
【試合:57位 安打:43位 本塁打:39位 打点:35位 盗塁:336位】

※神戸製鋼から強打の捕手として西武に入団するも、当時は伊東勤の存在があったため外野手としても起用され、02年からは外野に専念。以降は5年連続でベストナインとなり、05年には打率.322 153安打で首位打者・最多安打の二冠も獲得。07年オフにFAで中日に移籍し、新天地でも強打を発揮。10年には自己最高の打率.337 37本 93打点の大活躍でMVPも獲得。その後も年を重ねてもけがもなく、かつ衰えを感じさせず、14年には通算300本塁打、15年には通算2000安打をいずれも史上最年長で達成し、通算打率も3割以上残すなど輝かしい成績と記録を残した。同年限りで引退後は解説者として活動中。

通算1000安打:2007年9月8日日本ハム戦(吉川光夫から左安打・35歳2ヶ月・939試合目) ※史上247人目
通算1500安打:2010年9月3日巨人戦(内海哲也から2ラン・38歳2ヶ月・1362試合目) ※史上106人目
通算1500試合:2011年10月4日広島戦(6番・左翼手・39歳3ヶ月) ※史上173人目
通算2000安打:2015年6月11日ロッテ戦(植松優友から左安打・42歳11ヶ月・1903試合目) ※史上45人目・最年長


569 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:17:14 pDRPDua.

【428人目】

・赤星憲広 1976年4月10日生 外野手 右投左打
経歴:県立大府高→亜細亜大→JR東日本→00年ドラフト4位→阪神(01-09)
達成日:2008年8月26日中日戦(1番・中堅手・32歳4ヶ月) ※00年代デビューの日本人選手では初

成績:1127試合 .295 (4330-1276) 3本 215打点 664三振 426四球 381盗塁 出塁率.365 OPS.705
【試合:376位 安打:199位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:9位】

※レッドスター。JR東日本時代にシドニー五輪の代表に選出され、4位指名を受けて阪神に入団。野村克也監督からF1セブンの1号車として指名され、1年目から2番・中堅手として定着すると、盗塁を量産。39盗塁をマークして球団57年ぶりの盗塁王となり、新人王・GG賞も獲得。その後もリーグを代表する俊足選手として活躍し、05年までセリーグ初の5年連続盗塁王を獲得するなど03,05年の優勝にも貢献。その後も椎間板ヘルニアに悩まされながら歴代9位の381盗塁をマークするも、09年に守備中に脊髄を損傷。命の危険もある大怪我を負ったことで同年限りで引退。現在は解説者やコメンテーターとして活動中。

通算1000安打:2007年9月14日中日戦(岡本真也から中安打・31歳5ヶ月・880試合目) ※史上248人目


570 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:17:37 pDRPDua.

【429人目】

・東出輝裕 1980年8月21日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:敦賀気比高→98年ドラフト1位→広島(99-15)
達成日:2008年9月20日中日戦(2番・二塁手・28歳0ヶ月) ※80年代生まれ初の達成者

成績:1492試合 .268 (5094-1366) 12本 262打点 659三振 313四球 143盗塁 出塁率.312 OPS.627
【試合:196位 安打:167位 本塁打:-位 打点:563位 盗塁:139位】

※敦賀気比高から1位指名を受けて広島に入団。高卒1年目から1軍で積極的に起用され、3年目の01年には当時球団記録のシーズン49犠打もマークするなど2番打者として活躍。02年までは遊撃手だったが、その後は主に二塁手として起用され、08,09年には2年連続でベストナインも獲得するなど長らくチームのチャンスメーカー、そして堅守の二塁手としてチームを支えた。しかし13年の開幕前に左膝の靭帯を断裂。選手会の理事長やコーチ補佐も兼任しながら1軍復帰を目指したがそれも叶わず、15年に引退。その後は広島の1軍打撃コーチを務め、今年からは2軍に配置転換となる。

通算1000安打:2009年9月9日ヤクルト戦(石川雅規から左安打・29歳0ヶ月・1132試合目) ※史上254人目


571 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 15:17:57 pDRPDua.

【430人目】

・阿部慎之助 1979年3月20日生 捕手・一塁手 右投左打
経歴:安田学園高→中央大→00年ドラフト1位(逆指名)→巨人(01-19)
達成日:2009年5月4日阪神戦(8番・捕手・30歳1ヶ月)

成績:2282試合 .284 (7514-2132) 406本 1285打点 1306三振 885四球 13盗塁 出塁率.368 OPS.863
【試合:17位 安打:27位 本塁打:18位 打点:19位 盗塁:-位】

※中央大から逆指名で巨人に入団。1年目の開幕戦でいきなり先発マスクを被り、13本塁打をマークすると、2年目の02年以降は絶対的正捕手として定着。18年連続2桁本塁打を記録するなど強肩強打の捕手として21世紀の巨人を象徴する選手となり、10年には捕手では史上3人目のシーズン40本塁打、12年には捕手史上最高の打率.340をマークするなど首位打者・打点王の2冠を獲得し、翌13年の第3回WBCでは主将としても活躍。その後は首の故障もあって一塁手としてもプレーし、17年には通算2000安打、そして昨年には通算400本塁打を達成した。昨年限りで現役を引退し、今年からは巨人の2軍監督として第2の人生を歩む。

通算1000安打:2009年6月8日楽天戦(井坂亮平から左安打・30歳2ヶ月・1026試合目) ※史上253人目
通算1500試合:2013年4月4日DeNA戦(4番・捕手・34歳0ヶ月) ※史上177人目
通算1500安打:2013年4月7日中日戦(小林正人から右安打・34歳0ヶ月・1503試合目) ※史上113人目
通算2000試合:2017年5月20日DeNA戦(4番・一塁手・38歳2ヶ月) ※史上50人目
通算2000安打:2017年8月13日広島戦(今村猛から右安打・38歳4ヶ月・2056試合目) ※史上49人目


572 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/11(水) 16:32:20 fvILnTsQ
レッドスターさんも1000試合達成してたんですね
車椅子生活にならずに本当によかった・・・


573 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 00:00:30 KYUQyB6s
>>568
稲葉のコンパクトなスイングと対照的なWADAさんのフルスイングだいすき
藤川からの変態ライナーバックスクリーン弾金玉が躍り狂うほどすき


574 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 00:04:45 MK5xBfHQ
サブローの脳内再生が余裕すぎる


575 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 00:24:42 UHqtWjM.
あれは和田曲線…


576 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 08:21:38 dFl556qc
阿部はまだやれたと思うけどやめろって言われる所は見たくないからよかったかもしれない


577 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:12:55 xfQys3VA

【431人目】

・アレックス・カブレラ 1971年12月24日生 一塁手 右投右打
経歴:ダイヤモンドバックス(00)→西武(01-07)→オリックス(08-10)→ソフトバンク(11-12)
達成日:2009年7月31日西武戦(4番・一塁手・37歳7ヶ月)

成績:1239試合 .303 (4510-1368) 357本 949打点 1143三振 667四球 14盗塁 出塁率.398 OPS.990
【試合:325位 安打:166位 本塁打:29位 打点:56位 盗塁:-位】

※01年に来日して西武にマクレーンとともに入団し、ツインバズーカ砲としてNPB1年目では史上最多の49本塁打を放って鮮烈なデビューを飾ると、翌02年には当時最多タイの55本塁打を放ち、リーグMVPも獲得。その後も西武の不動の4番打者として本塁打を量産し、06年には100打点で打点王を獲得。08年にはオリックスに移籍し、08年には歴代最速の934試合目にして通算300本塁打を達成。その後は故障に苦しみ、11年からはソフトバンクに移籍するも統一球の影響もあって成績は低迷。12年を最後に日本を離れ、以降はメキシコやベネズエラでプレーし、17年まで現役を続けた。20年現在の消息は不明。

通算1000安打:2008年7月10日楽天戦(ドミン ゴから中安打・36歳6ヶ月・904試合目) ※史上251人目


578 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:13:14 xfQys3VA

【432人目】

・北川博敏 1972年5月27日生 一塁手・捕手・三塁手 右投右打
経歴:大宮東高→日本大→94年ドラフト2位(逆指名)→阪神(95-00)→近鉄(01-04)→オリックス(05-12)
達成日:2009年8月6日楽天戦(5番・三塁手・37歳2ヶ月)

成績:1264試合 .276 (3902-1076) 102本 536打点 563三振 337四球 29盗塁 出塁率.337 OPS.756
【試合:308位 安打:270位 本塁打:284位 打点:201位 盗塁:-位】

※日本大から逆指名で阪神に入団。打力を売りにした捕手として期待されるも、当時の阪神は関川浩一や矢野輝弘が活躍していたことから出番に恵まれず、00年オフに近鉄にトレードで移籍。すると翌01年には1軍で台頭し、そして何といっても9月26日のオリックス戦において伝説の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」を放ち、一躍時の人となった。その後は内野手に転向し、04年には自己最多の20本塁打を放ち、分配ドラフトで移籍したオリックスでも故障に苦しみながらも中軸打者として活躍した。12年限りで現役を引退し、その後はオリックスやヤクルトのコーチを歴任。今年からは阪神の2軍打撃コーチを務める。

通算1000安打:2010年9月21日日本ハム戦(武田久から中安打・38歳3ヶ月・1149試合目) ※史上261人目・歴代2番目の年長記録


579 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:13:37 xfQys3VA

【433人目】

・井口資仁(井口忠仁) 1974年12月4日生 二塁手・遊撃手・一塁手 右投右打
経歴:國學院久我山高→青山学院大→96年ドラフト1位(逆指名)→ダイエー(97-04)→ホワイトソックス(05-07)→フィリーズ(07)→パドレス(08)→フィリーズ(08)→ロッテ(09-17)
達成日:2009年8月26日ソフトバンク戦(5番・二塁手・34歳8ヶ月)

成績:1915試合 .270 (6512-1760) 251本 1017打点 1409三振 778四球 176盗塁 出塁率.358 OPS.808
【試合:66位 安打:78位 本塁打:63位 打点:45位 盗塁:95位】
MLB:493試合 .268 (1841-494) 44本 205打点 387三振 189四球 48盗塁 出塁率.338 OPS.739

※青山学院大では東都大リーグ歴代最多の24本塁打を放ち、アトランタ五輪にも出場。逆指名でダイエーに入団すると、2年目には遊撃手として全試合に出場。二塁手に転向した01年には30本塁打・44盗塁をマークして盗塁王を獲得すると、以降はダイハード打線の中軸を担い、球界屈指の二塁手として活躍。その後05年からはメジャーに挑戦し、同年にはホワイトソックスのワールドシリーズ制覇に貢献。09年にロッテでNPB復帰を果たすと、頼れるベテランとして13年には23本塁打を放ち、日米通算2000安打も達成。17年限りで引退すると、翌18年からはMLB経験者としてはプロ野球史上初の監督としてロッテを指揮している。

通算1000安打:2010年4月4日オリックス戦(木佐貫洋から遊安打・35歳4ヶ月・1029試合目) ※史上256人目
通算1500試合:2013年6月22日日本ハム戦(3番・一塁手・38歳6ヶ月) ※史上178人目
通算1500安打:2013年7月24日西武戦(十亀剣から中安打・38歳7ヶ月・1521試合目) ※史上114人目

通算2000試合:2013年6月29日ソフトバンク戦(3番・指名打者・38歳6ヶ月) ※日米通算
通算2000安打:2013年7月26日楽天戦(田中将大からソロ・38歳7ヶ月・2016試合目) ※日米通算


580 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:13:58 xfQys3VA

【434人目】

・坪井智哉 1974年2月19日生 外野手 左投左打
経歴:PL学園高→青山学院大→東芝→97年ドラフト4位→阪神(98-02)→日本ハム(03-10)→オリックス(11)
達成日:2010年3月22日ソフトバンク戦(二岡智宏の代打として途中出場・36歳1ヶ月) ※10年代初の達成者

成績:1036試合 .292 (3348-976) 32本 265打点 613三振 263四球 50盗塁 出塁率.352 OPS.731
【試合:458位 安打:319位 本塁打:-位 打点:553位 盗塁:501位】

※青山学院大時代に振り子打法を習得し、東芝を経て4位指名で阪神に入団。プロ初本塁打を初回先頭打者ランニング本塁打で達成するなど1年目から1番打者として活躍し、セリーグ新人歴代最高の打率.327をマーク。2年目も打率3割をマークするも以降は故障と赤星憲広と濱中治の台頭もあり、03年に日本ハムにトレードで移籍。移籍1年目から自己最高の打率.330をマークし、他選手の台頭後も代打の切り札としても09年の優勝にも貢献。しかし故障にも苦しみ、11年にオリックスに移籍するも1年で退団。その後は渡米して独立リーグでプレーし、14年に引退。翌15年からはDeNAの打撃コーチとして活動している。


581 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:14:17 xfQys3VA

【435人目】

・相川亮二 1976年7月11日生 捕手 右投右打
経歴:東京学館高→94年ドラフト5位→横浜(95-08)→ヤクルト(09-14)→巨人(15-17)
達成日:2010年6月2日ソフトバンク戦(7番・捕手・33歳10ヶ月)

成績:1508試合 .260 (4429-1150) 69本 475打点 803三振 305四球 12盗塁 出塁率.309 OPS.660
【試合:186位 安打:235位 本塁打:69位 打点:256位 盗塁:-位】

※横浜では5年目の99年に1軍デビューを果たし、谷繁元信や中村武志の陰に隠れながらも徐々に頭角を現し、10年目の04年についに正捕手の座を掴み、打撃力のある捕手として同年のアテネ五輪や06年の第1回WBCにも出場。翌07年には球団捕手最高の打率.302をマークした。その後08年にヤクルト初のFA獲得選手として移籍。ヤクルトでも正捕手として活躍し、13年には第3回WBC代表にも選出され、全球団本塁打も達成。その後は中村悠平の台頭もあり、15年に巨人でFAで移籍。小林誠司の存在もあり出番は限られていたがバットで勝負強さを見せた。17年限りで引退し、昨年からは巨人の1軍バッテリーコーチを務めている。

通算1000安打:2013年5月28日オリックス戦(平野佳寿から右安打・36歳10ヶ月・1286試合目) ※史上272人目
通算1500試合:2017年8月4日中日戦(小林誠司に代わって捕手として途中出場・41歳0ヶ月) ※史上190人目


582 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:14:38 xfQys3VA

【436人目】

・森野将彦 1978年7月28日生 三塁手・一塁手・外野手・二塁手 右投左打
経歴:東海大相模高→96年ドラフト2位→中日(97-17)
達成日:2010年6月5日ロッテ戦(3番・三塁手・31歳10ヶ月)

成績:1801試合 .277 (5707-1581) 165本 782打点 939三振 638四球 18盗塁 出塁率.351 OPS.778
【試合:88位 安打:108位 本塁打:147位 打点:101位 盗塁:-位】

※東海大相模高から中日に入団すると、1年目から徐々に出場機会を増やし、9年目の05年ごろから立浪和義から三塁手の定位置を奪い、「ミスター3ラン」と呼ばれるなど勝負強い打撃から3番打者に定着。三塁以外にも二塁や外野も任され、背番号もコロコロ代わりながらも打撃でチームを引っ張り、09年には自己最多の23本塁打、109打点をマーク。翌10年には選手会長も務め、打率.327もマークしてベストナインも獲得。晩年は一塁手としてもプレーし、14年には18年目にしてGG賞も獲得した。17年に引退し、その後は中日の2軍打撃コーチを昨年まで務め、今年からは解説者として活動する。7→8→16→8→31→30→7。

通算1000安打:2011年4月16日阪神戦(榎田大樹から左安打・32歳8ヶ月・1093試合目) ※史上263人目
通算1500試合:2014年4月11日広島戦(5番・一塁手・35歳8ヶ月) ※史上181人目
通算1500安打:2015年6月27日広島戦(前田健太から右安打・36歳10ヶ月・1651試合目) ※史上118人目


583 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:15:00 xfQys3VA

【437人目】

・村田修一 1980年12月28日生 三塁手 右投右打
経歴:東福岡高→日本大→02年ドラフト自由枠→横浜(03-11)→巨人(12-17)
達成日:2010年9月19日広島戦(4番・三塁手・29歳8ヶ月) ※自由獲得枠初の達成者・TBS時代の横浜最後の達成者

成績:1953試合 .269 (6925-1865) 360本 1123打点 1462三振 594四球 14盗塁 出塁率.337 OPS.816
【試合:61位 安打:63位 本塁打:28位 打点:32位 盗塁:-位】

※日本大では東都大リーグで歴代2位タイの20本塁打を放ち、自由獲得枠で横浜に入団。1年目から三塁手として25本塁打を放ち、06年からは不動の4番打者となり、08年には球団最多の46本塁打を放つなど2年連続本塁打王を獲得。09年には故障で途中離脱となるも第2回WBCに出場。11年に主将を務めるも、翌12年に巨人にFAで移籍。13年にはリーグ新記録の月間46安打を記録するなど巨人でも主力打者として活躍し、16年には通算1000打点、17年には350本塁打を達成。しかし若返りを求める球団の意向もあって17年限りで戦力外となり、BC栃木に入団して18年に引退。昨年からは巨人のコーチを務め、今年は2軍野手総合コーチ。

通算1000安打:2011年5月18日西武戦(石井一久から左二塁打・30歳4ヶ月・1045試合目) ※史上264人目
通算1500試合:2014年6月3日ソフトバンク戦(6番・三塁手・33歳5ヶ月) ※史上182人目
通算1500安打:2014年8月27日阪神戦(岩田稔から3ラン・33歳7ヶ月・1556試合目) ※史上117人目


584 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:15:09 E/qObR16
>>582
森野の背番号の変遷おかしい


585 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:15:38 xfQys3VA

【438人目】

・川崎宗則 1981年6月3日生 遊撃手 右投左打
経歴:鹿児島工業高→99年ドラフト4位→ダイエー・ソフトバンク(00-11)→マリナーズ(12)→ブルージェイズ(13-15)→カブス(16)→ソフトバンク(17)
達成日:2010年9月25日日本ハム戦(1番・遊撃手・29歳3ヶ月)

成績:1187試合 .292 (4710-1376) 27本 373打点 647三振 334四球 267盗塁 出塁率.344 OPS.720
【試合:363位 安打:164位 本塁打:-位 打点:379位 盗塁:39位】
MLB:276試合 .237 (633-150) 1本 51打点 119三振 70四球 12盗塁 出塁率.320 OPS.609

※あ、ホモだ。鹿児島工業高では「薩摩のイチロー」と称され、ダイエーでは4年目の03年に1軍に定着。04年からは遊撃手のレギュラーを掴み、同年には最多安打・盗塁王のタイトルを獲得するなど不動の1,2番として活躍。また06年の第1回WBCでは決勝戦において「神の右手」と呼ばれる本塁生還を果たし、09年の第2回WBCでも活躍して連覇に貢献。その後イチローを追ってメジャーに挑戦。ムードメーカーとして多くのMLBファンから愛された。その後17年にソフトバンクに復帰。しかし翌年に故障と自律神経の病を抱えたことから退団。昨年7月には台湾・味全で兼任コーチとなるも今年は契約せず。今後の動向が注目される。

通算1000安打:2010年3月27日オリックス戦(金子千尋から右二塁打・28歳9ヶ月・862試合目) ※史上255人目

通算1500安打:2017年5月11日オリックス戦(ディクソンから中安打・35歳11ヶ月・1429試合目) ※日米通算


586 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:15:55 xfQys3VA

【439人目】

・森本稀哲 1981年1月31日生 外野手 右投右打
経歴:帝京高→98年ドラフト4位→日本ハム(99-10)→横浜・DeNA(11-13)→西武(14-15)
達成日:2010年9月26日西武戦(2番・左翼手・29歳7ヶ月)

成績:1272試合 .259 (3497-904) 33本 267打点 760三振 328四球 106盗塁 出塁率.327 OPS.669
【試合:304位 安打:355位 本塁打:-位 打点:550位 盗塁:222位】

※帝京高では高校通算34本塁打を記録し、4位指名を受けて日本ハムに入団。俊足堅守の外野手として2年目の00年から代走・守備要員として1軍に定着。04年からは移籍加入したSHINJOの弟子となり、06年には1番打者に定着。SHINJO、稲葉篤紀と鉄壁の外野陣を形成して日本一に貢献し、GG賞も獲得した。SHINJOの背番号「1」を引き継いだ翌07年以降も糸井嘉男らとともに活躍し、2番打者として2年連続リーグ最多犠打を記録。11年にFAで横浜に移籍すると、スーパーサブとして活躍。14年からは西武に移籍し、3球団でムードメーカーとして活躍し、15年に引退。現在は解説者の傍らで昨年9月にはYouTuber活動も行っている。


587 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:16:12 xfQys3VA

【440人目】

・多村仁志(多村仁) 1977年3月28日生 外野手 右投右打
経歴:横浜高→94年ドラフト4位→横浜(95-06)→ソフトバンク(07-12)→DeNA(13-15)→中日(16)
達成日:2011年4月23日ロッテ戦(6番・右翼手・34歳0ヶ月)

成績:1342試合 .281 (4140-1162) 195本 643打点 962三振 333四球 43盗塁 出塁率.340 OPS.819
【試合:267位 安打:234位 本塁打:108位 打点:143位 盗塁:563位】

※横浜高から地元・横浜に入団。長らく2軍や控え選手の時代が続いたが、徐々に打撃で頭角を現し、10年目の04年にはウッズとともに球団初のシーズン40本塁打を達成。06年には第1回WBC代表に選出され、チーム最多の3本塁打・9打点をマークして世界一に貢献。その後07年にトレードでソフトバンクに移籍するとここでも主軸として活躍し、10年には自己最高の打率.324をマークしてベストナインも獲得。その後12年に再度トレードでDeNAに復帰。15年には戦力外となるも、翌16年には育成選手として中日に移籍し同年限りで引退。現役時代通じて非常に故障や離脱が多く球界の「スペランカー」とも。現在は解説者。

通算1000安打:2011年10月2日西武戦(石井一久から右安打・34歳6ヶ月・1081試合目) ※史上267人目


588 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 15:17:08 /oHIlkYA
>>587
2013年5月10日を忘れない


589 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 17:57:14 KYUQyB6s
>>588
その日サヨナラもすごかったけど、代打での一発もえぐかった。


590 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 18:54:29 kXmk3Ea6
多村さんすき


591 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/12(木) 18:55:42 ???
松坂世代とその下も出てきましたね


592 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 19:27:37 b9FN7JnI
知ってる選手の名前が連なってくると嬉しいっすね
北川博敏さんのホームランはつべで何度観ても興奮する


593 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 22:28:51 dBTqBrSk
あのホームランの動画、しっかり踏めよ!となんども念押ししてくる実況に毎回笑う


594 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/12(木) 22:38:21 IHBaPygM
ひちょりのハムで浮いてたTDNをイジって、チームに馴染みやすくしてくれたエピソードすき


595 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:14:19 k5RGKhbM

【441人目】

・岩村明憲 1979年2月9日生 三塁手・二塁手 右投左打
経歴:宇和島東高→96年ドラフト2位→ヤクルト(97-06)→デビルレイズ・レイズ(07-09)→パイレーツ(10)→アスレチックス(10)→楽天(11-12)→ヤクルト(13-14)
達成日:2011年5月10日日本ハム戦(7番・三塁手・32歳3ヶ月)

成績:1194試合 .290 (4038-1172) 193本 615打点 998三振 419四球 67盗塁 出塁率.358 OPS.851
【試合:357位 安打:231位 本塁打:112位 打点:158位 盗塁:384位】
MLB:408試合 .267 (1545-413) 16本 117打点 330三振 183四球 32盗塁 出塁率.345 OPS.720

※ヤクルトでは4年目の00年に三塁手の定位置を獲得し、翌01年には日本一にも貢献。その後も長打を量産し、04年には当時日本人最多の173三振を記録する一方で、球団日本人最多の44本塁打もマークするなど06年まで3年連続で3割30本塁打を達成。その後07年からはメジャーに挑戦。MLBでは二塁手となり、08年には1番打者としてレイズのワールドシリーズ進出に貢献。また日本代表としても第1回,2回のWBCの連覇に貢献。その後11年に楽天でNPBに復帰。しかし往年の力を取り戻せず、13年にヤクルトに復帰するも14年に戦力外。その後はBC・福島の選手兼任監督となり、選手としては17年限りで引退。現在は球団代表も兼任。

通算1000安打:2006年7月17日広島戦(佐竹健太から右安打・27歳5ヶ月・915試合目) ※史上242人目

通算1500安打:2011年6月29日ソフトバンク戦(和田毅から中安打・32歳4ヶ月・1411試合目) ※日米通算
通算1500試合:2013年4月17日中日戦(石山泰稚の代打として途中出場・34歳2ヶ月) ※日米通算


596 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:14:45 k5RGKhbM

【442人目】

・鳥谷敬 1981年6月26日生 遊撃手・三塁手 右投左打
経歴:聖望学園高→早稲田大→03年ドラフト自由枠→阪神(04-19)→ロッテ(20-現役)
達成日:2011年5月22日西武戦(メッセンジャーの代打として途中出場・29歳10ヶ月)

成績:2169試合 .280 (7448-2085) 138本 822打点 1239三振 1046四球 131盗塁 出塁率.370 OPS.765
【試合:36位 安打:36位 本塁打:191位 打点:84位 盗塁:172位】

※早稲田大では2年春に三冠王となるなど大学歴代2位の115安打を放ち、自由獲得枠で阪神に入団。2年目の05年からは不動の遊撃手となり、同年にはリーグ優勝に貢献。卓越した選球眼とシュアな打撃、また堅守の遊撃として安定して好成績を残し、10年には遊撃手史上初のシーズン100打点も達成し、11年には最高出塁率のタイトルを獲得。17年には球団2人目の通算2000安打も達成。故障を経験しながらも試合に出続けるタフさも武器に05〜17年に13年連続全試合出場を果たすなど、歴代2位の1939試合連続出場を記録した。しかし昨年は打撃不振に陥り、現役続行を求めて退団。そしてつい先日ロッテへの移籍が発表された。

通算1000安打:2010年10月5日ヤクルト戦(橋本義隆から中二塁打・29歳3ヶ月・967試合目) ※史上262人目
通算1500安打:2014年5月29日西武戦(菊池雄星から左安打・32歳11ヶ月・1453試合目) ※史上115人目
通算1500試合:2014年8月9日広島戦(3番・遊撃手・33歳1ヶ月) ※史上183人目
通算2000安打:2017年9月8日DeNA戦(井納翔一から右二塁打・36歳2ヶ月・1956試合目) ※史上50人目
通算2000試合:2018年5月4日中日戦(モレノの代打として途中出場・36歳10ヶ月) ※史上51人目


597 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:15:03 k5RGKhbM

【443人目】

・ホセ・フェルナンデス 1974年11月2日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:エクスポズ(99-00)→エンゼルス(01)→ロッテ(03)→西武(04-05)→楽天(06-08)→オリックス(09)→西武(10-11)→楽天(12)→オリックス(13)
達成日:2011年6月11日阪神戦(秋山翔吾の代打として途中出場・36歳7ヶ月)

成績:1253試合 .282 (4566-1286) 206本 772打点 822三振 443四球 39盗塁 出塁率.348 OPS.820
【試合:316位 安打:192位 本塁打:97位 打点:104位 盗塁:-位】

※02年に韓国・SKで当時外国人最多タイの45本塁打を放ち、03年にロッテに入団してNPBデビュー。1年目から日本野球に適応して3割30本100打点を達成するも、李承ヨプの獲得もあって1年で退団して西武に移籍。04年には33本塁打を放ちチームの日本一に貢献した。その後06年には楽天に移籍し、06年には球団初のベストナインを獲得するなど黎明期を支え、09年には4球団目となるオリックスでもプレー。その後もメキシコと日本を行き来しながら西武・楽天・オリックスでも再びプレーするなどパリーグを代表する助っ人として活躍を続けた。13年限りで引退し、現在は西武の駐米スカウトを務めている。

通算1000安打:2010年9月7日日本ハム戦(ケッペルから中安打・35歳10ヶ月・942試合目) ※史上260人目


598 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:15:27 k5RGKhbM

【444人目】

・中島宏之(中島裕之) 1982年7月31日生 遊撃手・一塁手・三塁手 右投右打
経歴:伊丹北高→00年ドラフト5位→西武(01-12)→オリックス(15-18)→巨人(19-現役)
達成日:2011年6月30日オリックス戦(3番・遊撃手・28歳10ヶ月)

成績:1682試合 .294 (6003-1767) 195本 919打点 1173三振 570四球 144盗塁 出塁率.365 OPS.817
【試合:120位 安打:76位 本塁打:108位 打点:61位 盗塁:137位】

※高校時代は無名の投手だったが、プロ入り後遊撃手に転向。2軍での経験を積み、それまで絶対的な遊撃手だった松井稼頭央のMLB移籍もあって04年にはレギュラー遊撃手としてフルイニング出場を果たして27本塁打をマークして見事に松井の穴を埋めた。以降も強打の3番・ショートとして08,09年には2年連続最高出塁率を獲得し、06〜10年には5年連続打率3割も達成。その後MLBに挑戦すべく渡米するもメジャー昇格は果たせず、15年にオリックスに移籍。全盛期ほどではないものの、勝負強い打撃でチームを支えた。昨年からは巨人でプレー。約87%の大幅減俸で迎えた今年は復活をかけ、背水の陣でシーズンに臨む。

通算1000安打:2010年7月20日ソフトバンク戦(杉内俊哉から右安打・27歳11ヶ月・896試合目) ※史上259人目
通算1500安打:2016年5月28日西武戦(武隈祥太から中安打・33歳9ヶ月・1370試合目) ※史上119人目
通算1500試合:2017年6月17日DeNA戦(5番・三塁手・34歳10ヶ月) ※史上188人目


599 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:15:42 k5RGKhbM

【445人目】

・高須洋介 1976年2月9日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:金沢高→青山学院大→97年ドラフト2位(逆指名)→近鉄(98-04)→楽天(05-13)
達成日:2011年7月29日ロッテ戦(5番・三塁手・35歳5ヶ月)

成績:1134試合 .268 (3452-925) 19本 331打点 419三振 272四球 67盗塁 出塁率.327 OPS.664
【試合:388位 安打:344位 本塁打:-位 打点:450位 盗塁:384位】

※やんごとなき殿下。青山学院大から逆指名で近鉄に入団し、2年目の99年には二塁手の定位置を掴むも、右肘靭帯の手術の影響で以降は2軍暮らしが続き、近鉄消滅を受けて05年に分配ドラフトで楽天に移籍。開幕戦で球団初安打を放ち、以降は球団黎明期の2番・二塁手として定着し、堅実な守備と勝負強くシュアな打撃でいぶし銀的な活躍を見せ、「必殺仕事人」とも呼ばれた。その後内村賢介や藤田一也の台頭もあり、晩年は三塁手としてもプレー。球団が初優勝・初日本一を果たした13年に戦力外となり、翌14年はBC新潟でプレーし、引退。その後はDeNAのコーチを経て、18年から昨年まで楽天のコーチも務めた。


600 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:16:03 k5RGKhbM

【446人目】

・内川聖一 1982年8月4日生 外野手・一塁手・二塁手 右投右打
経歴:大分工業高→00年ドラフト1位→横浜(01-10)→ソフトバンク(11-現役)
達成日:2011年9月25日楽天戦(3番・左翼手・29歳1ヶ月)

成績:1977試合 .303 (7161-2171) 196本 957打点 755三振 492四球 41盗塁 出塁率.350 OPS.791
【試合:55位 安打:22位 本塁打:107位 打点:54位 盗塁:580位】

※大分工業高から1位指名を受けて横浜に入団すると、二塁手としてプレーするも送球難もあって07年からは外野手としてもプレーし、08年からは一塁手に定着。同年には右打者としては史上最高の打率.378をマークして首位打者を獲得。翌09年の第2回WBCでは決勝での好守備を代表に攻守で連覇に貢献した。その後11年にFAでソフトバンクに移籍すると、同年には打率.338をマークして史上2人目の両リーグ首位打者となり、14年まで7年連続で打率3割をマークし、18年には通算2000安打も達成した。また短期決戦の鬼としても知られ、移籍後6度の日本一に大きく貢献。プロ20年目の今年もさらなる記録達成に期待したいところ。

通算1000安打:2011年6月9日巨人戦(東野峻から右安打・28歳10ヶ月・944試合目) ※史上265人目
通算1500安打:2014年7月11日日本ハム戦(浦野博司から遊安打・31歳11ヶ月・1355試合目) ※史上116人目
通算1500試合:2015年7月15日日本ハム戦(4番・左翼手・32歳11ヶ月) ※史上184人目
通算2000安打:2018年5月9日西武戦(武隈祥太から中安打・35歳9ヶ月・1800試合目) ※史上51人目


601 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:16:20 k5RGKhbM

【447人目】

・関本賢太郎(関本健太郎) 1978年8月26日生 二塁手・三塁手・一塁手 右投右打
経歴:天理高→96年ドラフト2位→阪神(97-15)
達成日:2011年10月9日横浜戦(7番・二塁手・33歳1ヶ月)

成績:1272試合 .278 (2905-807) 48本 312打点 572三振 340四球 16盗塁 出塁率.362 OPS.746
【試合:304位 安打:416位 本塁打:585位 打点:483位 盗塁:-位】

※天理高から2位指名を受けて阪神に入団。大型内野手として期待されるも長らく2軍暮らしが続いたが02年ごろから頭角を現し、03年には日本シリーズ第7戦で本塁打も記録。その後も徐々に出場機会を増やし、06年には2番・三塁手として規定打席不足ながら打率3割をマーク。翌07年には二塁手としてプレーし、804守備機会連続無失策のリーグ新記録も達成し、その後もポジションを転々としながら主に2番打者として活躍。その後は選手会長となるなど阪神一筋を貫き、晩年には桧山進次郎の後を継いで代打の神様となり、14年には代打逆転満塁本塁打を記録した。15年限りで引退し、現在は解説者や評論家として活動中。


602 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:16:38 k5RGKhbM

【448人目】

・嶋重宣 1976年6月16日生 外野手 左投左打
経歴:東北高→94年ドラフト2位→広島(95-11)→西武(12-13)
達成日:2012年3月31日日本ハム戦(5番・指名打者・35歳9ヶ月)

成績:1034試合 .279 (3116-868) 126本 421打点 579三振 262四球 22盗塁 出塁率.337 OPS.790
投手:2登板 0勝1敗 0S 2.1投球回 1奪三振 5与四球 5被安打 防7.71 WHIP4.29
【試合:464位 安打:383位 本塁打:216位 打点:318位 盗塁:-位】

※東北高では3度の甲子園出場を経験し、広島には投手として入団。しかし4年目のオープン戦で初球で頭部死球を与えて退場となるなど投手としては振るわず、5年目の99年から野手に転向。02年には2軍の首位打者となり金本知憲が阪神に移籍した04年に10年目にして1軍のレギュラーを獲得すると一気に頭角を現し、打率.337 189安打を放って首位打者・最多安打の二冠となり、32本塁打もマークして「赤ゴジラ」として一世を風靡した。その後も調子の波が大きかったものの広島の主軸打者として活躍し、12年に西武にトレードで移籍し13年に引退。そのまま西武にコーチとして残留し、今年は2軍打撃コーチを務める。


603 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:16:56 k5RGKhbM

【449人目】

・栗原健太 1982年1月8日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:日大山形高→99年ドラフト3位→広島(00-15)→楽天(16)
達成日:2012年4月21日中日戦(4番・一塁手・30歳3ヶ月)

成績:1026試合 .293 (3695-1082) 153本 586打点 660三振 290四球 17盗塁 出塁率.349 OPS.818
【試合:477位 安打:268位 本塁打:169位 打点:170位 盗塁:-位】

※広島では巨人に移籍した江藤智の後継者として期待され、5年目の04年から徐々に頭角を現し、07年には自己最多の25本塁打、さらに新井貴浩も阪神に移籍した08年には4番打者となり、自己最高の打率.332、最多の103打点をマーク。翌09年には村田修一の故障もあって第2回WBCで緊急招集も受けた。11年には自身初のベストナインも獲得したが、翌12年からは右肘の故障に悩まされ、一気に出場機会が減少。14,15年には2年連続で1軍出場なしに終わり、16年に入団テストを経て楽天に移籍するも1軍復帰は叶わず、同年限りで引退。その後は楽天の打撃コーチを務め、今年からは与田剛監督のもとで中日の1軍打撃コーチを務める。

通算1000安打:2011年8月26日巨人戦(澤村拓一から左安打・29歳7ヶ月・936試合目) ※史上266人目


604 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/13(金) 15:17:33 k5RGKhbM

【450人目】

・田中賢介 1981年5月20日生 二塁手 右投左打
経歴:東福岡高→99年ドラフト2位→日本ハム(00-12)→ジャイアンツ(13)→日本ハム(15-19)
達成日:2012年5月9日ロッテ戦(3番・二塁手・30歳11ヶ月)

成績:1619試合 .282 (5319-1499) 48本 486打点 769三振 565四球 203盗塁 出塁率.354 OPS.720
【試合:141位 安打:127位 本塁打:585位 打点:239位 盗塁:71位】
MLB:15試合 .267 (30-8) 0本 2打点 3三振 4四球 2盗塁 出塁率.353 OPS.620

※東福岡高では中日・西武との3球団の競合の末に日本ハムに入団。6年目の05年までは準レギュラーの時期が続いたが、06年に2番・二塁手のレギュラーに定着し、打率3割をマークして日本一に貢献してベストナイン・GG賞も獲得。翌07年には当時リーグ最多の58犠打もマークし、09年からは自己最多の31盗塁、翌10年には自己最高の打率.335を記録するなどリードオフマンとして躍動。その後13年にメジャーに挑戦し、ジャイアンツでは外野手としてプレー。15年に日本ハムに復帰して以降も勝負強い打撃でチームを支え、日米通算1500安打を達成した昨年に引退。今年からは日本ハムのスペシャルアドバイザーを務める。

通算1000安打:2012年6月27日楽天戦(美馬学から右安打・31歳1ヶ月・1031試合目) ※史上268人目
通算1500試合:2018年7月24日楽天戦(渡邉諒の代打として途中出場・37歳2ヶ月) ※史上192人目

通算1500安打:2019年9月1日楽天戦(森原康平から右安打・38歳3ヶ月・1619試合目) ※日米通算


605 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 00:56:30 Z2/U1THo
フェルナンデスの日本での経歴ちゃんと言える人いない説


606 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 09:43:22 wKA6fs/w
殿下も1000試合出場達成なされていたのですね


607 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:14:18 imvF4CFw

【451人目】

・石原慶幸 1979年9月7日生 捕手 右投右打
経歴:岐阜商業高→東北福祉大→01年ドラフト4位→広島(02-現役)
達成日:2012年6月14日ロッテ戦(9番・捕手・32歳9ヶ月)

成績:1616試合 .236 (4330-1022) 66本 378打点 898三振 343四球 25盗塁 出塁率.299 OPS.623
【試合:144位 安打:292位 本塁打:439位 打点:372位 盗塁:-位】

※東北福祉大から4位指名を受けて広島に入団。堅実な守備と「インチキ」と何故か称される意外性のある打撃で当時の正捕手だった西山秀二からレギュラーの座を奪い、04年には自己最多の135試合に出場し、09年には第2回WBC代表にも選出され、10年には球団捕手では33年ぶりとなる2桁本塁打も記録。16年にはリーグ優勝に貢献し、37歳にして初のベストナイン・GG賞も獲得し、18年には史上最年長・かつ球団捕手では初の通算1000安打も達成した。現在ではほぼジョンソン専属の捕手となっているものの、頼れるベテランとして41歳のシーズンに臨む。やたらとスクイズやサヨナラに関するネタの多い選手でもある。

通算1500試合:2017年7月12日DeNA戦(8番・捕手・37歳10ヶ月) ※史上189人目
通算1000安打:2018年5月11日阪神戦(能見篤史から左安打・38歳8ヶ月・1546試合目) ※史上292人目・歴代最年長


608 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:14:36 imvF4CFw

【452人目】

・後藤光尊 1978年7月27日生 二塁手・遊撃手・三塁手 右投左打
経歴:秋田高→法政大(中退)→川崎製鉄千葉→01年ドラフト10位→オリックス(02-13)→楽天(14-16)
達成日:2012年6月17日中日戦(3番・二塁手・33歳11ヶ月)

成績:1361試合 .269 (4703-1265) 95本 476打点 742三振 169四球 83盗塁 出塁率.301 OPS.691
【試合:256位 安打:202位 本塁打:313位 打点:254位 盗塁:298位】

※川崎製鉄千葉では98年の都市対抗で若獅子賞を獲得し、10位指名を受けてオリックスに入団。2年目の03年には遊撃手の定位置を掴み、分配ドラフトではオリックスに残留。その後はチーム事情により二塁に転向し、さらに様々な打順も経験しながらも徐々に成績を伸ばし、08年にはチームの2位躍進に貢献。その後は3番打者に定着。10年には球団二塁手としては最多の174安打もマークし、11年には全打順本塁打も達成した。その後13年オフに鉄平とのトレードで楽天に移籍。15年には二遊間を守り故障者の続出したチームを支えた。翌16年限りで引退し、その後は楽天の球団職員を経て昨年からオリックスのコーチを務める。

通算1000安打:2012年7月31日西武戦(石井一久から右二塁打・34歳0ヶ月・1024試合目) ※史上269人目


609 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:14:53 imvF4CFw

【453人目】

・平野恵一 1979年4月7日生 二塁手・外野手 右投左打
経歴:桐蔭学園高→東海大→01年ドラフト自由枠→オリックス(02-07)→阪神(08-12)→オリックス(13-15)
達成日:2012年7月14日ヤクルト戦(7番・二塁手・33歳3ヶ月)

成績:1260試合 .279 (4239-1184) 18本 263打点 622三振 324四球 60盗塁 出塁率.337 OPS.679
【試合:312位 安打:226位 本塁打:-位 打点:562位 盗塁:432位】

※東海大から自由獲得枠でオリックスに入団。3年目の04年にオーティズに代わって二塁手の定位置を掴み、球団合併後は水口栄二の加入もあって外野も兼任。06年にはフェンスに頭から直撃したことから選手生命を脅かすレベルの大怪我を負いながらも復帰を果たし、08年からはトレードで阪神に移籍。阪神では主に2番打者として繋ぎ役となり、また10年には自己最高の打率.350、球団最多の59犠打をマークし、ベストナイン・GG賞も獲得。その後は西岡剛の加入や上本博紀の台頭もあり、13年にFAでオリックスに復帰。14年にはチームのAクラス入りに貢献した。翌15年に引退し、その後は阪神のコーチを務めている。

通算1000安打:2013年8月28日楽天戦(美馬学から右安打・34歳4ヶ月・1085試合目) ※史上274人目


610 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:15:15 imvF4CFw

【454人目】

・今江敏晃(今江年晶) 1983年8月26日生 三塁手 右投右打
経歴:PL学園高→01年ドラフト3位→ロッテ(02-15)→楽天(16-19)
達成日:2012年7月14日ソフトバンク戦(6番・三塁手・28歳10ヶ月) ※平野恵一と同日達成

成績:1704試合 .283 (5948-1682) 108本 726打点 751三振 280四球 32盗塁 出塁率.321 OPS.723
【試合:112位 安打:92位 本塁打:262位 打点:113位 盗塁:-位】

※入団当時は遊撃手だったが3年目の04年に三塁手に転向すると、翌05年には打率.310をマークして一気に頭角を現すと、同年の日本シリーズでは8打席連続安打を記録し、MVPも獲得した。その後第1回WBCでも世界一を経験し、以降もロッテの不動の三塁手として活躍。10年は自己最高の打率.331を記録し、同年の日本シリーズでも2度目のMVPとなり、史上最大の下克上に大きく貢献。その後15年オフにFAで楽天に移籍。故障に苦しむことも多かったが18年には自身5年ぶりの2桁本塁打も記録し、ベテランとしてチームを支えるも右目の網膜症を患い、昨年限りで引退。今年からは楽天の育成コーチとして第2の人生を歩む。

通算1000安打:2012年8月3日オリックス戦(寺原隼人から二安打・28歳11ヶ月・1013試合目) ※史上270人目
通算1500安打:2016年8月26日オリックス戦(金子千尋から右安打・33歳0ヶ月・1479試合目) ※史上122人目
通算1500試合:2016年10月5日ロッテ戦(6番・三塁手・33歳1ヶ月) ※史上186人目


611 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:15:34 imvF4CFw

【455人目】

・細川亨 1980年1月4日生 捕手 右投右打
経歴:青森北高→青森大→01年ドラフト自由枠→西武(02-10)→ソフトバンク(11-16)→楽天(17-18)→ロッテ(19-現役)
達成日:2012年7月16日オリックス戦(9番・捕手・32歳6ヶ月)

成績:1427試合 .203 (3353-680) 84本 367打点 1004三振 190四球 8盗塁 出塁率.254 OPS.581
【試合:222位 安打:518位 本塁打:360位 打点:391位 盗塁:-位】

※青森大から自由獲得枠で西武に入団。3年目の04年には伊東勤の後を継いで強肩を武器に正捕手となり、同年にはサイクル安打も達成するなどチームの日本一に貢献。08年にはロッテ・ベニーに首投げされることもあったが自己最多の16本塁打を放ち、ベストナイン・GG賞を獲得した。その後10年オフにFAでソフトバンクに移籍するとここでも正捕手として活躍し、11年には自身2度目のベストナイン・GG賞を獲得。鶴岡慎也の加入もあって16年に退団し、その後は地元・楽天でもプレー。そして昨年からはパリーグ4球団目となるロッテでプレーしており、パリーグ現役最年長選手として19年目・40歳のシーズンを迎える。


612 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:15:50 imvF4CFw

【456人目】

・里崎智也 1976年5月20日生 捕手 右投右打
経歴:鳴門工業高→帝京大→98年ドラフト2位(逆指名)→ロッテ(99-14)
達成日:2012年9月8日西武戦(7番・捕手・36歳3ヶ月)

成績:1089試合 .256 (3476-890) 108本 458打点 897三振 368四球 6盗塁 出塁率.333 OPS.737
【試合:417位 安打:368位 本塁打:262位 打点:272位 盗塁:-位】

※大天使。帝京大から逆指名でロッテに入団すると、5年目の03年ごろから橋本将とともに正捕手の座を争う形で1軍に定着し、05年にはチームの日本一に貢献。翌06年には第1回WBC代表に選出され、日本の正捕手として世界一に貢献。その後はロッテでも正捕手となり、同年には球団捕手21年ぶりの規定打席到達を果たし、翌07年まで2年連続でベストナイン・GG賞を獲得。10年には「史上最大の下克上」を有言実行で果たし、12年には球団生え抜き捕手では史上初の通算100本塁打も達成した。14年に現役を引退し、その後は主に解説者やタレント、YouTuberとして活動中。はやとおおおおおおおおおおおお!!!!!!!


613 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:16:07 imvF4CFw

【457人目】

・福地寿樹 1975年12月17日生 外野手 右投両打
経歴:杵島商業高→93年ドラフト4位→広島(94-05)→西武(06-07)→ヤクルト(08-12)
達成日:2012年9月26日阪神戦(2番・左翼手・36歳9か月)

成績:1009試合 .272 (2389-650) 20本 184打点 443三振 129四球 251盗塁 出塁率.320 OPS.679
【試合:489位 安打:533位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:42位】

※杵島商業高から広島に入団すると、2軍では4年連続盗塁王を獲得するなど俊足で鳴らし、00年ごろから代走要員として1軍に定着。しかし木村拓也の存在、そして04年の右足首靱帯断裂もあってポジションを獲得することはできず、06年にトレードで西武に移籍。するとコーチの指導もあって打撃が向上し、1番打者として定着。07年オフに石井一久のFA移籍による人的補償でヤクルトへと移籍するとさらに成績を伸ばし、翌08,09年にはいずれも42盗塁をマークして2年連続で盗塁王を獲得。その後も足のスペシャリストとして活躍し、通算250盗塁を達成した12年に引退。その後はヤクルトに残り、現在もコーチとして活動中。


614 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:16:24 imvF4CFw

【458人目】

・栗山巧 1983年9月3日生 外野手 右投左打
経歴:育英高→01年ドラフト4位→西武(02-現役)
達成日:2013年7月2日オリックス戦(3番・左翼手・29歳9か月)

成績:1847試合 .283 (6450-1825) 101本 744打点 1146三振 869四球 83盗塁 出塁率.371 OPS.764
【試合:81位 安打:72位 本塁打:289位 打点:109位 盗塁:298位】

※育英高では高校通算47本塁打を記録し、4位指名を受けて西武に入団。4年目の05年ごろから頭角を現し、和田一浩が中日に移籍した08年からは左翼手の定位置を掴んで2番打者として定着し、自己最高の打率.317をマークして最多安打・ベストナインを獲得してブレイクを果たす。その後も卓越した選球眼と堅実な打撃で不動の2番打者として活躍し、10年には球団外野手初の全試合フルイニング出場を達成。現在に至るまで西武一筋でプレーしており、18年には二塁打、昨年には安打の球団記録を更新。19年目を迎える今年は残り175本としている球団生え抜き史上初の通算2000安打達成を目指したいところ。

通算1000安打:2013年4月16日オリックス戦(東野峻から左安打・29歳7か月・945試合目) ※史上271人目
通算1500安打:2016年6月19日ヤクルト戦(秋吉亮から左安打・32歳9か月・1425試合目) ※史上120人目
通算1500試合:2017年4月7日ソフトバンク戦(5番・指名打者・33歳7か月) ※史上187人目


615 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:16:49 imvF4CFw

【459人目】

・藤本敦士 1977年10月4日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:育英高→亜細亜大(中退)→甲賀総合科学専門学校→デュプロ→00年ドラフト7位→阪神(01-09)→ヤクルト(10-13)
達成日:2013年9月21日阪神戦(バーネットの代打として途中出場・35歳11ヶ月)

成績:1001試合 .251 (2463-619) 14本 208打点 344三振 180四球 27盗塁 出塁率.303 OPS.623
【試合:502位 安打:562位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※亜細亜大時代に椎間板ヘルニアを患ったものの懸命なリハビリの末に復帰し、社会人を経て7位指名を受けて阪神に入団。F1セブンの2号車として野村克也監督に期待され、1年目から1軍の試合に積極的に起用。03年にはダイナマイト打線の恐怖の8番打者として打率3割をマークしてチームのリーグ優勝に貢献した。その後は鳥谷敬の台頭や平野恵一の加入もあり、10年にFAでヤクルトに移籍。ヤクルトでは腰の故障により出場機会は大きく減ったものの準レギュラーとしてチームを支え、1000試合出場達成を節目に13年に引退。その後は解説者を経て15年からコーチとして6年ぶりに阪神に復帰。現在は1軍内野守備走塁コーチ。


616 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:17:07 imvF4CFw

【460人目】

・小谷野栄一 1980年10月10日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:創価高→創価大→02年ドラフト5位→日本ハム(03-14)→オリックス(15-18)
達成日:2013年9月29日オリックス戦(5番・三塁手・32歳11ヶ月)

成績:1394試合 .264 (4765-1260) 71本 566打点 796三振 287四球 31盗塁 出塁率.309 OPS.670
【試合:236位 安打:205位 本塁打:414位 打点:187位 盗塁:-位】

※創価大から5位指名を受けて日本ハムに入団。4年目の06年にパニック障害となり、プレーすらままならない状態に陥るも首脳陣らとこれを克服し、翌07年から1軍で台頭し三塁手の定位置を獲得。その後は得点圏での無類の強さを武器に活躍し、4番打者を務めた10年には自己最多の109打点をマークして打点王のタイトルを獲得。また守備でも09,10,12年とGG賞を3度獲得した。以降は故障に苦しむことも多く、15年にFAでオリックスに移籍後も度々離脱していたが17年には正三塁手として130試合に出場。翌18年に現役を引退し、昨年は楽天のコーチを務めた。今年からは再びオリックスに復帰し、2軍打撃コーチを務める。

通算1000安打:2015年4月26日日本ハム戦(大谷翔平から三安打・34歳6か月・1111試合目) ※史上278人目


617 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/14(土) 13:18:06 ???
>>616
うーん先生のご指導だ


618 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:21:35 Pe977kS.
こんなところまで出張ってくるなホクロ豚


619 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 13:37:27 wKA6fs/w
秋田の誇りのゴッツええぞ!ええぞ!


620 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 14:12:03 f8.oH.iE
栗山巧という成績は一流選手なのに、とことんオールスターと縁のない選手

でも(今のところ)唯一の出場となった2016年で狙いすましたようにホームラン打って、パリーグベンチ総立ちで
迎えられるシーンは感動した


621 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/14(土) 14:35:50 r1NKjdww
橋本将がいますね…

>>620
「栗山やりました!オールスターが似合います!」は名実況ですね

https://twitter.com/nekosuke5_4/status/1237768243634302976?s=21


622 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:19:34 8YWjI3Go

【461人目】

・田中浩康 1982年5月24日生 二塁手 右投右打
経歴:尽誠学園高→早稲田大→04年ドラフト自由枠→ヤクルト(05-16)→DeNA(17-18)
達成日:2013年9月29日DeNA戦(小川泰弘の代打として途中出場・31歳4ヶ月)

成績:1292試合 .266 (3823-1018) 31本 351打点 492三振 345四球 33盗塁 出塁率.332 OPS.670
【試合:299位 安打:294位 本塁打:-位 打点:417位 盗塁:-位】

※早稲田大では青木宣親・鳥谷敬らとともに強力打線を担い、1番打者として主に活躍。自由獲得枠でヤクルトに入団すると、3年目の07年には2番・二塁手として定着してベストナインを獲得。プロでも青木と1,2番コンビを形成し、10年には初の打率3割、12年にはベストナイン・GG賞を獲得。しかしその後は山田哲人の台頭もあって徐々に出場機会を減らし、16年に戦力外となるもDeNAに移籍。頼れるベテラン的存在として存在感を示し、17年には通算1000安打、そして史上6人目の通算300犠打も達成した。18年限りで引退し、その後は解説者や母校・早大のコーチを経て、今年からはDeNAの2軍内野守備走塁コーチを務める。

通算1000安打:2017年7月8日中日戦(小笠原慎之介から中安打・35歳1ヶ月・1231試合目) ※史上287人目


623 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:19:50 8YWjI3Go

【462人目】

・本多雄一 1984年11月19日生 二塁手 右投左打
経歴:鹿児島実業高→三菱重工名古屋→05年大社ドラフト5位→ソフトバンク(06-18)
達成日:2014年5月26日中日戦(9番・二塁手・29歳6ヶ月)

成績:1313試合 .276 (4673-1289) 15本 347打点 767三振 363四球 342盗塁 出塁率.329 OPS.674
【試合:281位 安打:191位 本塁打:-位 打点:425位 盗塁:21位】

※三菱重工名古屋からソフトバンクに入団。1年目から二塁手として1軍で積極的に起用されると、2年目の07年には完全に定位置を奪い、川崎宗則とともに1,2番の二遊間コンビを形成してチャンスメーカーとして活躍。俊足と器用な小技を武器に、盗塁と犠打を量産し、10年には史上初の50盗塁・50犠打を達成し、翌11年には自己最多の60盗塁をマークして2年連続盗塁王となった。その後は自身の故障や他の二塁手の台頭もありながらも14年には300盗塁・200犠打を達成するなど長らくホークスで活躍し、18年限りで引退。昨年からはソフトバンクの1軍内野守備コーチを務めている。

通算1000安打:2013年9月28日西武戦(岡本洋介から右安打・28歳10ヶ月・947試合目) ※史上275人目


624 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:20:07 8YWjI3Go

【463人目】

・中村剛也 1983年8月15日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:大阪桐蔭高→01年ドラフト2位→西武(02-現役)
達成日:2014年6月27日ソフトバンク戦(大崎雄太朗の代打として途中出場・30歳10ヶ月)

成績:1664試合 .256 (5729-1467) 415本 1166打点 1725三振 706四球 26盗塁 出塁率.344 OPS.874
【試合:126位 安打:130位 本塁打:16位 打点:29位 盗塁:-位】

※おかわり君。大阪桐蔭では当時史上3位の高校通算83本塁打を放ち、2位指名を受けて西武に入団。4年目の05年に22本塁打を放って頭角を現すと、08年にはさらに長打力が開花し、球団日本人記録を更新する46本塁打を放ち、翌09年にも48本塁打・122打点で2年連続本塁打王、そして打点王を獲得。その後11年には多くの選手が統一球に苦しむ中でパリーグの1割以上にあたる48本塁打を放ち、15年には王貞治のもつ日本記録を更新する通算16本目の満塁本塁打を放つなど6度の本塁打王を獲得。昨年には4度目の打点王となるなど、年齢を重ねても打棒は衰えておらず、今年以降もさらなる記録達成が期待される。

通算1000安打:2015年7月24日日本ハム戦(大谷翔平からソロ・31歳11ヶ月・1158試合目) ※史上281人目
通算1500試合:2018年8月25日ソフトバンク戦(6番・指名打者・35歳0ヶ月) ※史上193人目


625 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:20:28 8YWjI3Go

【464人目】

・片岡治大(片岡易之) 1983年2月17日生 二塁手 右投右打
経歴:宇都宮学園高→東京ガス→04年ドラフト3位→西武(05-13)→巨人(14-17)
達成日:2014年6月28日ヤクルト戦(2番・二塁手・31歳4ヶ月)

成績:1208試合 .266 (4413-1174) 66本 389打点 526三振 278四球 320盗塁 出塁率.314 OPS.680
【試合:348位 安打:230位 本塁打:439位 打点:358位 盗塁:25位】

※東京ガスでは内海哲也とともにプレーし、西武では1年目から積極的に1軍で起用され、2年目の06年からは俊足の二塁手として定着。2番・栗山巧、3番・中島裕之、4番・中村剛也とともに1番打者として「片栗中中」と呼ばれる強力な上位打線を形成し、10年には自己最多の59盗塁をマークするなど同年まで4年連続盗塁王を獲得。その後は故障に苦しんで徐々に出場機会が減少し、14年にはFAで巨人に移籍して内海と再び同僚に。巨人でも14,15年に二塁手のレギュラーとして活躍し、15年には通算300盗塁も達成した。しかし相次ぐ故障に体も限界となり、17年に引退。翌18年からは巨人の2軍内野守備走塁コーチを務める。

通算1000安打:2014年5月15日ヤクルト戦(木谷良平から中安打・31歳2ヶ月・973試合目) ※史上276人目


626 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:20:45 8YWjI3Go

【465人目】

・鈴木尚広 1978年4月27日生 外野手・二塁手 右投両打
経歴:相馬高→96年ドラフト4位→巨人(97-16)
達成日:2014年8月22日中日戦(坂本勇人の代走として途中出場・36歳3ヶ月)

成績:1130試合 .265 (1339-355) 10本 75打点 244三振 73四球 228盗塁 出塁率.307 OPS.642
【試合:393位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:59位】

※相馬高から4位指名を受けて巨人に入団。当初は右打ちだったが俊足を活かすべく左打ちに挑戦し、長い2軍暮らしの末に6年目の02年に代走として1軍に定着。その後は外野手のレギュラー争いに参戦し、08年には後半戦から1番打者として活躍し、自己最多で球団選手では18年ぶりの30盗塁をマーク。その後は松本哲也や長野久義の台頭もあって、再び代走の切り札として存在感を示し、代走として歴代最多の132盗塁をマーク。足のスペシャリストとして15年には19年目にして初の球宴出場を果たした。翌16年に引退し、その後は解説者を経て昨年から巨人のコーチを務めたが、「一身上の都合」により日シリ前に退団となった。


627 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:21:02 8YWjI3Go

【466人目】

・坂本勇人 1988年12月14日生 遊撃手 右投右打
経歴:光星学院高→06年高校ドラフト1位→巨人(07-現役)
達成日:2014年9月24日中日戦(3番・遊撃手・25歳9ヶ月) ※歴代4位の年少記録

成績:1670試合 .293 (6440-1884) 223本 800打点 1075三振 657四球 152盗塁 出塁率.359 OPS.816
【試合:124位 安打:61位 本塁打:85位 打点:95位 盗塁:126位】

※しゃかもと。06年高校ドラフトで堂上直倫のハズレ1位として指名されて巨人に入団。2年目の08年には10代にして開幕スタメン、そして全試合に出場するなど遊撃手の定位置を掴み取り、09年には打率3割、4年目には30本塁打を記録。その後は日本球界を代表する遊撃手として成長し、国際大会でも活躍。15年からはチームの主将となり、翌16年には遊撃手としてはセリーグ初の首位打者を獲得。そして昨年には遊撃手としては史上2人目のシーズン40本塁打を達成し、シーズンMVPも獲得した。選手としては全盛の状態で臨む今季は残り122本としている通算2000安打の最年少達成が期待されており、今後も目が離せない。

通算1000安打:2014年5月20日西武戦(牧田和久から左安打・25歳5ヶ月・909試合目) ※史上277人目・歴代4位の年少記録
通算1500安打:2017年7月9日阪神戦(ドリスから左安打・28歳6ヶ月・1354試合目) ※史上123人目・歴代2位の年少記録
通算1500試合:2018年7月16日阪神戦(1番・遊撃手・29歳7ヶ月) ※史上191人目・歴代3位の年少記録


628 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:21:18 8YWjI3Go

【467人目】

・藤井彰人 1976年6月18日生 捕手 右投右打
経歴:近畿大附高→近畿大→98年ドラフト2位→近鉄(99-04)→楽天(05-10)→阪神(11-15)
達成日:2014年9月29日DeNA戦(鶴岡一成に代わって捕手として途中出場・38歳3ヶ月)

成績:1073試合 .236 (2395-565) 10本 173打点 385三振 177四球 18盗塁 出塁率.290 OPS.578
【試合:424位 安打:616位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※近畿大では97年に二岡智宏らとともに史上初のアマチュア5冠を達成。2位指名を受けて99年に近鉄に入団すると、的山哲也とともに正捕手の座を争い、球団消滅後は分配ドラフトで楽天に移籍。楽天では黎明期の正捕手として活躍。嶋基宏の入団後も近鉄時代からの同僚である岩隈久志や外国人投手とよくバッテリーを組んだ。10年オフにFAで阪神に移籍すると、日高剛や鶴岡一成、梅野隆太郎らとポジションを争いながらもベテラン捕手として活躍。男前キャラとしてファンからも愛された。15年限りで引退後は球団職員やBC福井への派遣を経て17年からは阪神のコーチに就任。昨年からは1軍バッテリーコーチを務める。


629 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:21:34 8YWjI3Go

【468人目】

・梵英心 1980年10月11日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:三次高→駒澤大→日産自動車→05年大社ドラフト3位→広島(06-17)
達成日:2015年4月5日中日戦(福井優也の代打として途中出場・34歳5ヶ月)

成績:1096試合 .264 (3754-990) 74本 357打点 592三振 361四球 135盗塁 出塁率.331 OPS.717
【試合:411位 安打:309位 本塁打:403位 打点:411位 盗塁:160位】

※日産自動車では05年の都市対抗で首位打者・久慈賞を獲得し、社会人ベストナインにも選出され、3位指名を受けて広島に入団。山本浩司以来、37年ぶりの新人開幕スタメンを果たすと1年目から即戦力遊撃手として活躍し、球団新人最多の130安打を放って新人王を獲得。5年目の10年には1番打者として43盗塁をマークして盗塁王・GG賞を獲得した。14年の田中広輔の入団後は三塁手としても起用されたが、徐々に出場機会が減少し、17年オフに退団。翌18年からは社会人野球・エイジェックの選手兼任コーチとして活動し、昨年10月に選手としての引退を表明。今年からはエイジェックとともにJFE西日本のコーチも務める。


630 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:21:52 8YWjI3Go

【469人目】

・西岡剛(TSUYOSHI) 1984年7月27日生 遊撃手・二塁手 右投両打
経歴:大阪桐蔭高→02年ドラフト1位→ロッテ(03-10)→ツインズ(11-12)→阪神(13-18)
達成日:2015年5月14日ヤクルト戦(1番・三塁手・30歳9ヶ月)

成績:1125試合 .288 (4140-1191) 61本 383打点 607三振 425四球 196盗塁 出塁率.357 OPS.764
【試合:397位 安打:224位 本塁打:468位 打点:367位 盗塁:82位】
MLB:71試合 .215 (233-50) 0本 20打点 44三振 16四球 2盗塁 出塁率.267 OPS.503

※ロッテでは2年目の04年に高橋慶彦コーチの指導の下で両打ちに転向すると才能が開花し、3年目の05年には二塁と遊撃を兼任しながら41盗塁をマークして盗塁王を獲得し、日本一に貢献。その後は不動の1番・ショートとして活躍し、キャプテンを務めた10年にはスイッチヒッター初のシーズン200安打を達成し、首位打者も獲得した。その後2年間のMLBでのプレーを経て、13年からは阪神でNPB復帰を果たし、同年には二塁手のベストナインを獲得。しかしアキレス腱断裂など故障に悩まされ、18年限りで阪神を退団。昨年からはBC・栃木で現役を続けており、今年2月には古巣・ロッテのキャンプに練習補助員として参加した。

通算1000安打:2013年7月16日巨人戦(菅野智之から中安打・28歳11ヶ月・895試合目) ※史上273人目


631 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 13:22:09 8YWjI3Go

【470人目】

・鉄平(土谷鉄平) 1982年12月27日生 外野手 右投左打
経歴:津久見高→00年ドラフト5位→中日(01-05)→楽天(06-13)→オリックス(14-15)
達成日:2015年7月10日オリックス戦(T-岡田に代わって右翼手として途中出場・32歳6ヶ月)

成績:1002試合 .278 (3159-878) 42本 340打点 466三振 255四球 68盗塁 出塁率.339 OPS.733
【試合:500位 安打:378位 本塁打:-位 打点:435位 盗塁:378位】

※高校時代は「九州のイチロー」と称され、プロ入り当初までは遊撃手だったが、04年からは外野手に転向。しかし当時の中日は外野の層が厚く、出場機会に恵まれず、05年オフに金銭トレードで楽天に移籍。すると打撃の才能が開花し、09年には不動の3番打者として打率.327をマークし、首位打者となってチームの2位躍進に貢献。その後13年に選手会長を務め、同年の日本一を見届けるも同年オフに後藤光尊とのトレードでオリックスに移籍。15年限りで引退後は古巣・楽天の球団職員を経て昨年からコーチとして現場復帰。今年からは1軍打撃コーチを務める。小物キャラや誤植ネタが豊富で現在においても愛されている。


632 : おさらい決闘者 :2020/03/15(日) 13:33:51 ???
>>631
 試合は5時間20分を超えて午後11時半近くになって終了。バックスクリーンには「祝 鉄平選手 通算100試合出場」のメッセージが映し出され、一塁側ベンチ前で花束が渡された。

鉄平は100試合しか出場してないんだよなあ(すっとぼけ)


633 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 14:08:29 9lkfsYw.
TEPPIさんはなぜこうも誤植に縁があるのか


634 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/15(日) 15:50:02 klKvr7rM
マジ小物だけだど主打者取った年の馬原から打った満塁弾で惚れた


635 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 00:07:04 Vmb4D1b2
伊坂幸太郎氏の顔写真間違えられたやつは本当に謎すぎる

https://i.imgur.com/5TniAam.jpg
https://i.imgur.com/M6bhALQ.jpg


636 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 09:34:23 1g6ZBiOo
伊坂鉄平マジ小物wwwwwww


637 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:23:05 48EvzDL2

【471人目】

・松田宣浩 1983年5月17日生 三塁手 右投右打
経歴:中京高→亜細亜大→05年ドラフト希望枠→ソフトバンク(06-)
達成日:2015年7月12日ロッテ戦(6番・三塁手・32歳1ヶ月)

成績:1636試合 .270 (6056-1638) 274本 891打点 1352三振 436四球 128盗塁 出塁率.323 OPS.799
【試合:137位 安打:97位 本塁打:54位 打点:65位 盗塁:173位】

※熱男。中京高では兄とともに00年夏の甲子園に出場し、高校通算61本塁打を記録。その後亜細亜大を経て希望入団枠でソフトバンクに入団。1年目の開幕戦から三塁手として先発すると、3年目の08年にはその定位置を獲得。徐々に打撃成績を向上させ、11年には25本塁打・27盗塁を記録。その後は選手会長も務め、10年代のホークスにおける絶対的三塁手として活躍を続けており、14年にはリーグ優勝を決めるサヨナラ打、15年には自己最多の35本塁打をマーク。36歳となった昨年も5年連続で全試合に出場し、3度目の30本塁打、7年連続のGG賞獲得と彼らしい活躍を見せ、プレミア12でも代表として初優勝に貢献した。

通算1000安打:2015年6月9日阪神戦(岩田稔から2ラン・32歳0ヶ月・979試合目) ※史上280人目
通算1500安打:2019年3月29日西武戦(多和田真三郎からソロ・35歳10ヶ月・1494試合目) ※史上125人目
通算1500試合:2019年4月5日ロッテ戦(7番・三塁手・35歳10ヶ月) ※史上194人目


638 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:23:28 48EvzDL2

【472人目】

・嶋基宏 1984年12月13日生 捕手 右投右打
経歴:中京大中京高→國學院大→06年大社ドラフト3位→楽天(07-19)→ヤクルト(20-現役)
達成日:2015年8月9日日本ハム戦(7番・捕手・30歳7ヶ月) ※楽天生え抜き初の達成者

成績:1402試合 .242 (3846-930) 26本 311打点 854三振 470四球 50盗塁 出塁率.326 OPS.627
【試合:234位 安打:340位 本塁打:-位 打点:485位 盗塁:501位】

※幼少期から成績優秀・運動神経抜群の優等生であり、國學院大から楽天に入団。同じく捕手である野村克也監督の指導のもとで1年目から積極的に1軍で起用され、4年目の10年には自己最高の打率.315をマークし、全ポジションを通じて球団初のGG賞を受賞。オフに選手会長となり、東北を襲った大震災を受け、「野球の底力」を見せるべく奮闘。そして13年にはエース・田中将大の無敗記録をアシストし、球団史上初のリーグ優勝・日本一に貢献した。その後は故障に苦しみながら球団の顔として活躍するも、昨オフに出場機会を求めてヤクルトに移籍。かつて恩師・野村克也が指揮したその新たな舞台で新たな1年を迎える。


639 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:23:46 48EvzDL2

【473人目】

・糸井嘉男 1981年7月31日生 外野手 右投左打
経歴:宮津高→近畿大→03年ドラフト自由獲得枠→日本ハム(04-12)→オリックス(13-16)→阪神(17-)
達成日:2015年9月2日楽天戦(3番・右翼手・34歳1ヶ月)

成績:1502試合 .302 (5381-1624) 163本 697打点 934三振 732四球 297盗塁 出塁率.394 OPS.851
【試合:193位 安打:100位 本塁打:149位 打点:124位 盗塁:30位】

※近畿大ではエースとして活躍し、自由獲得枠で日本ハムに入団。投手として2年間プレーするも抜群の身体能力を活かすべく、3年目の06年に外野手に転向。そして09年には中堅手の定位置を掴み、打率3割をマークしてベストナイン・GG賞を獲得し、11,12年には最高出塁率を2年連続で獲得。すると13年には3対2のトレードでオリックスに電撃移籍。14年には自身初の首位打者となるなど6年連続で打率3割をマークし、16年には53盗塁をマークし、史上最年長の35歳2ヶ月での盗塁王となった。同年オフにFAで阪神に移籍。故障離脱も多いものの昨年も打率3割をマークしており、あらゆる意味で超人的な活躍を今後も期待したい。

通算1000安打:2015年5月20日ソフトバンク戦(中田賢一から左安打・33歳9ヶ月・934試合目) ※史上279人目
通算1500安打:2018年9月21日広島戦(野村祐輔から右安打・37歳1ヶ月・1395試合目) ※史上124人目
通算1500試合:2019年8月7日ヤクルト戦(3番・右翼手・38歳0ヶ月) ※史上195人目


640 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:24:03 48EvzDL2

【474人目】

・大引啓次 1984年6月29日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:浪速高→法政大→06年大社ドラフト3位→オリックス(07-12)→日本ハム(13-14)→ヤクルト(15-19)
達成日:2016年4月27日広島戦(6番・遊撃手・31歳9ヶ月)

成績:1288試合 .251 (3999-1004) 48本 356打点 839三振 417四球 67盗塁 出塁率.325 OPS.667
【試合:296位 安打:299位 本塁打:585位 打点:413位 盗塁:384位】

※法政大ではチーム歴代最多の通算121安打を記録。オリックスでは即戦力として1年目の開幕戦からスタメンを果たすなど遊撃手のレギュラーを獲得し、繋ぎ役として11年には自己最多の42犠打もマーク。その後13年に糸井嘉男らとの大型トレードで日本ハムに移籍。14年には移籍2年目にして主将となるなどこちらでも主力として活躍し、さらに15年にFAでヤクルトに移籍。同年には歴代最少となる32本塁打での全球団本塁打も達成し、チームの優勝に貢献した。昨年は通算1000安打も達成するなどいぶし銀の活躍を見せるも、戦力外通告を受けオファーを待つも昨年末に引退。今年からは日本ハムの特別研修コーチを務める。

通算1000安打:2019年8月23日阪神戦(高橋遥人から左安打・35歳1ヶ月・1281試合目) ※史上302人目


641 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:24:24 48EvzDL2

【475人目】

・藤田一也 1982年7月3日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:鳴門第一高→近畿大→04年ドラフト4位→横浜・DeNA(05-12)→楽天(12-現役)
達成日:2016年5月17日オリックス戦(2番・二塁手・33歳10ヶ月)

成績:1352試合 .269 (3769-1012) 24本 318打点 368三振 169四球 37盗塁 出塁率.306 OPS.639
【試合:262位 安打:296位 本塁打:-位 打点:469位 盗塁:-位】

※近畿大から横浜に入団。2年目の06年から二塁手や遊撃手として頭角を現すも仁志敏久・カスティーヨの加入や石川雄洋の台頭もあって、10,11年には規定打席不足ながら2年連続で打率3割をマークしてもなかなか準レギュラーの位置を脱することが出来ず、12年途中に楽天にトレードで移籍。すると二塁手の定位置を掴み取り、13年には松井稼頭央との二遊間を形成してチームの日本一に貢献。翌14年まで2年連続でベストナイン・GG賞を獲得した。その後も堅実な守備と安定した打撃でチームを支え続けており、昨年には通算1000安打も達成。38歳となる今年も渡辺直人らとともにチームの頼れるベテランとして存在感を示す。

通算1000安打:2019年5月14日日本ハム戦(有原航平から右安打・36歳10ヶ月・1315試合目) ※史上298人目


642 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:24:40 48EvzDL2

【476人目】

・畠山和洋 1982年9月13日生 一塁手・外野手 右投右打
経歴:専修大北上高→00年ドラフト5位→ヤクルト(01-19)
達成日:2016年5月25日阪神戦(6番・一塁手・33歳8ヶ月)

成績:1106試合 .266 (3529-937) 128本 567打点 614三振 425四球 7盗塁 出塁率.346 OPS.774
【試合:404位 安打:338位 本塁打:211位 打点:186位 盗塁:-位】

※ヤクルトでは2年目の02年に2軍で本塁打・打点の二冠となるなど長らく2軍暮らしが続いたが、8年目の08年に主力選手の故障もあって1軍に昇格すると、4番打者として抜擢され定着を果たし、その後はデントナの加入もあって代打起用が主になるも、11年には再び4番打者に復帰し、リーグ2位の23本塁打をマーク。その後も勝負強い打撃で「火ヤク庫」と呼ばれたヤクルト打線の一角を支え、15年には自己最多の26本塁打・105打点をマークして打点王となり、リーグ優勝に貢献した。しかし晩年は自身も故障にも苦しみ、1軍復帰を果たせなかった昨年に引退を表明。今年からはチームの2軍打撃コーチとして第2の人生を歩む。


643 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:24:57 48EvzDL2

【477人目】

・坂口智隆 1984年7月7日生 外野手・一塁手 右投左打
経歴:神戸国際大附高→02年ドラフト1位→近鉄(03-04)→オリックス(05-15)→ヤクルト(16-)
達成日:2016年6月2日日本ハム戦(2番・左翼手・31歳10ヶ月)

成績:1382試合 .282 (4992-1408) 29本 380打点 681三振 506四球 81盗塁 出塁率.351 OPS.707
【試合:243位 安打:148位 本塁打:-位 打点:368位 盗塁:308位】

※神戸国際大附高では02年夏の甲子園で準優勝を経験し、近鉄最後の1位指名を受けてプロ入り。球団消滅を受けて分配ドラフトではオリックスに移籍すると、6年目の08年には中堅手として定位置を獲得し、GG賞を受賞。その後はチームのトップバッターとして安打を量産し、11年には175安打を放って最多安打のタイトルを獲得。しかし翌12年の守備中に大怪我を負ったことを変わり目に不振に陥り、15年限りで退団してヤクルトに移籍。するとこれまでの不振が嘘だったかのように復活を果たし、主に1番打者として活躍し、18年には8年ぶりに打率3割をマーク。近鉄戦士では最後の野手として20年のシーズンを迎える。

通算1000安打:2016年6月8日楽天戦(リズから右安打・31歳11ヶ月・1005試合目) ※史上283人目


644 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:25:14 48EvzDL2

【478人目】

・鶴岡慎也 1981年4月11日生 捕手 右投右打
経歴:樟南高→三菱重工横浜→02年ドラフト8位→日本ハム(03-13)→ソフトバンク(14-17)→日本ハム(18-現役)
達成日:2016年8月9日オリックス戦(8番・捕手・35歳3ヶ月)

成績:1189試合 .238 (2677-636) 20本 265打点 428三振 120四球 12盗塁 出塁率.272 OPS.581
【試合:360位 安打:547位 本塁打:-位 打点:553位 盗塁:-位】

※三菱重工横浜時代に入団テストを受けて合格し、日本ハムでプロ入り。4年目の06年に高橋信二とともにレギュラーを争う形で1軍に定着すると、07年からはダルビッシュ有の専属捕手としても活躍したことから徐々に出場機会を増やし、09年からは大野奨太との併用もありながらもほぼ正捕手に近い活躍を果たし、12年には自身初のベストナインを受賞した。その後14年にFAでソフトバンクに移籍すると細川亨とともにチームの黄金期を支えた。甲斐拓也の台頭もあり、18年には再度FAで日本ハムに復帰。昨年からは1軍バッテリーコーチを兼任。東京時代の日本ハムに在籍した最後の選手として18年目のシーズンに臨む。


645 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:25:32 48EvzDL2

【479人目】

・長谷川勇也 1984年12月22日生 外野手 右投左打
経歴:酒田南高→専修大→06年大社ドラフト5位→ソフトバンク(07-現役)
達成日:2016年8月10日オリックス戦(5番・指名打者・31歳8ヶ月)

成績:1133試合 .290 (3674-1065) 72本 408打点 772三振 399四球 78盗塁 出塁率.365 OPS.776
【試合:388位 安打:277位 本塁打:411位 打点:338位 盗塁:323位】

※専修大では06年に9季ぶりの1部昇格の立役者となり、大社ドラフト5位指名を受けてソフトバンクに入団。1,2年目は故障に苦しむも3年目の09年にシュアな打撃を持ち味としたアベレージヒッターとして台頭。13年には球団新記録となるシーズン198安打を放って、首位打者・最多安打のタイトルを獲得し、同年まで5年連続2桁盗塁を記録するなど俊足巧打の外野手として活躍した。選手層の厚いチーム事情や、自身の故障の多さもありここ数年は出場機会にあまり恵まれていないものの、高いミート力は健在であり、昨年も54打席ながら打率3割をマーク。今年こそレギュラーを再奪取して6年ぶりの規定打席到達を目指したい。

通算1000安打:2016年8月27日ロッテ戦(関谷亮太から中安打・31歳8ヶ月・1011試合目) ※史上285人目


646 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:26:07 48EvzDL2

【480人目】

・石川雄洋 1986年7月10日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:横浜高→04年ドラフト6位→横浜・DeNA(05-現役)
達成日:2016年8月13日広島戦(2番・二塁手・30歳1ヶ月) ※DeNA初の達成者

成績:1169試合 .256 (3922-1003) 23本 224打点 818三振 241四球 118盗塁 出塁率.305 OPS.623
【試合:372位 安打:300位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:189位】

※横浜高では涌井秀章と同級生であり、6位指名を受けて地元・横浜でプロ入り。2年目に両打ちに転向するも、再度左打ちに戻った08年に1軍で台頭を果たすと、翌09年には二塁手の定位置を獲得。主に1番打者として起用され、10年にはリーグ2位で自己最多の36盗塁をマーク。球団がDeNAとなった12年から14年までの3年間キャプテンも務め、その後はグリエルやエリアンといった助っ人や、倉本寿彦や柴田竜拓といった若手の台頭もあって出場機会は減りつつあるも、昨年は通算1000安打にも到達。暗黒期を乗り越え、新時代を迎えたチームの中で、今年は憧れの坂口智隆と同じ背番号「42」を着用してシーズンに臨む。

通算1000安打:2019年8月4日巨人戦(桜井俊貴から右三塁打・33歳0ヶ月・1158試合目) ※史上301人目


647 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:31:28 1g6ZBiOo
ハタケも1000試合以上出てたんだなあ
引退は惜しいけどふくらはぎの怪我は完治に2年位かかることで決断したらしい


648 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 16:44:26 LIJm1fjk
藤田さんと雄洋が同じ年に達成したと言うのはやはり運命ですね


649 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/16(月) 17:36:17 2Wh5x6So
>>648
よく見たら1,000本安打も同じ年ですね…


650 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:14:56 lU4LDR7g

【481人目】

・炭谷銀仁朗(銀仁朗) 1987年7月19日生 捕手 右投右打
経歴:平安高→05年高校ドラフト1位→西武(06-18)→巨人(19-現役)
達成日:2016年8月16日ソフトバンク戦(9番・捕手・29歳0ヶ月)

成績:1227試合 .214 (3208-686) 37本 297打点 684三振 142四球 8盗塁 出塁率.251 OPS.541
【試合:334位 安打:514位 本塁打:-位 打点:503位 盗塁:-位】

※西武では1年目のオープン戦から結果を残し、06年の開幕戦では高卒新人捕手では51年ぶりとなる開幕スタメンを果たし、その4日後にはプロ初本塁打を満塁本塁打で達成。その後は細川亨の離脱から強肩好守の正捕手として定着し、12年にはGG賞、15年にはベストナインとGG賞を獲得。国際大会でも第3回、第4回のWBC、第1回プレミア12と3大会に出場するなど西武だけでなくNPBを代表する捕手として活躍した。その後は森友哉の台頭もあり、FA移籍で昨年は巨人でプレー。小林誠司や大城卓三とともに併用されながらも、攻守で存在感を示してチームの5年ぶりの優勝に貢献。今年はレギュラー争いを制して正捕手の座を狙う。


651 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:15:18 lU4LDR7g

【482人目】

・渡辺直人 1980年10月15日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:牛久高→城西大→三菱ふそう川崎→06年大社ドラフト5位→楽天(07-10)→横浜・DeNA(11-13)→西武(13-17)→楽天(18-現役)
達成日:2016年8月18日ソフトバンク戦(7番・三塁手・35歳10ヶ月)

成績:1134試合 .259 (3297-853) 7本 229打点 477三振 325四球 115盗塁 出塁率.342 OPS.655
【試合:388位 安打:390位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:196位】

※三菱ふそう川崎から楽天に入団すると、1年目から遊撃手のレギュラーを獲得し、25盗塁をマーク。翌08年には自己最多の34盗塁をマークするなど黎明期の貴重な生え抜き野手として活躍するも、10年オフに突如として金銭トレードで横浜に移籍。横浜では主に二塁手として活躍するも他選手の台頭もあり、13年途中に長田秀一郎とのトレードで西武に移籍。西武でも14年には遊撃手として活躍するも、次第に三塁での起用が増え、さらに源田壮亮の加入もあり17年オフに戦力外となる。そして18年には8年ぶりに楽天に復帰。松坂世代最後の野手となった今年からは1軍打撃コーチも兼任し、若手選手らの見本として期待される。


652 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:15:34 lU4LDR7g

【483人目】

・長野久義 1984年12月6日生 外野手 右投右打
経歴:筑陽学園高→日本大→Honda→09年ドラフト1位→巨人(10-18)→広島(19-現役)
達成日:2017年5月28日広島戦(7番・右翼手・32歳5ヶ月) ※10年代プロ入り選手では初の達成者

成績:1281試合 .285 (4621-1316) 142本 520打点 799三振 407四球 93盗塁 出塁率.346 OPS.779
【試合:300位 安打:179位 本塁打:188位 打点:208位 盗塁:264位】

※06年に日本ハムの4位指名、08年にはロッテの2位指名を受けるもいずれも入団を拒否し、09年ドラフト1位で巨人に入団。即戦力外野手として1年目からレギュラーとして活躍し、打率.288 19本塁打の活躍で新人王を獲得すると、翌11年にはマートンとのタイトル争いを制し、シーズン最終戦で代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放って首位打者を獲得。その後も巨人の主力打者として活躍し、18年まで9年連続で100安打・2桁本塁打をマーク。18年オフに丸佳浩のFA移籍による人的補償で広島に移籍するも、1年目の昨季はやや成績が振るわず。11年目の今季は定位置を掴んで、かつての打撃も取り戻したいところ。

通算1000安打:2016年8月14日ヤクルト戦(近藤一樹から右安打・31歳8ヶ月・922試合目) ※史上284人目


653 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:15:50 lU4LDR7g

【484人目】

・陽岱鋼 1987年1月17日生 外野手 右投右打
経歴:福岡第一高→05年高校ドラフト1位→日本ハム(06-16)→巨人(17-現役)
達成日:2017年6月13日ソフトバンク戦(1番・中堅手・30歳4ヶ月)

成績:1277試合 .271 (4237-1148) 104本 476打点 1073三振 337四球 140盗塁 出塁率.332 OPS.733
【試合:302位 安打:236位 本塁打:277位 打点:254位 盗塁:149位】

※05年高校ドラフトでソフトバンクとの競合の末に日本ハムに入団。当初は遊撃手だったものの強肩を活かすべく4年目の09年に外野手に転向。翌10年に1軍定着を果たすと徐々に成績を向上させ、13年に47盗塁をマークして球団史上初の盗塁王となり、14年には自己最多の25本塁打をマークし、16年の日本一に貢献。同年オフにFAで巨人に移籍。巨人では目立った活躍は出来てないものの、昨年には代打の切り札として勝負強さを発揮し、球団5年ぶりの優勝に貢献。今季は出場機会を増やすべく一塁手にも挑戦する。母国・台湾ではスター選手として人気を博しており、国際大会では代表選手としても活躍している。

通算1000安打:2017年8月16日ヤクルト戦(原樹理から左安打・30歳6ヶ月・1043試合目) ※史上288人目


654 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:16:07 lU4LDR7g

【485人目】

・大島洋平 1985年11月9日生 外野手 左投左打
経歴:享栄高→駒澤大→日本生命→09年ドラフト5位→中日(10-現役)
達成日:2017年7月25日ヤクルト戦(3番・中堅手・31歳8ヶ月)

成績:1313試合 .286 (5039-1442) 31本 288打点 665三振 403四球 217盗塁 出塁率.345 OPS.702
【試合:281位 安打:134位 本塁打:-位 打点:515位 盗塁:65位】

※駒澤大では「東都のイチロー」と称され、日本生命でも日本選手権で首位打者となり、5位指名を受けて中日に入団。1年目から落合博満監督から守備力を評価されて1軍で積極的に起用され、2年目の11年には中堅手の定位置を掴んでGG賞も獲得。その後は現在に至るまで不動の中堅手・リードオフマンとして活躍しており、12年には32盗塁をマークして盗塁王を獲得し、14年には福留孝介に並んで球団最多タイのシーズン186安打もマーク。昨年も安定した活躍で最多安打のタイトルと7年ぶりの30盗塁をマーク。順当に行けば球団5人目の通算2000安打も狙える位置におり、今年も走攻守あらゆる場面でチームを引っ張る。

通算1000安打:2017年4月30日阪神戦(能見篤史から左安打・31歳5ヶ月・936試合目) ※史上286人目


655 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:16:24 lU4LDR7g

【486人目】

・中田翔 1989年4月22日生 一塁手・外野手 右投右打
経歴:大阪桐蔭高→07年高校ドラフト1位→日本ハム(08-現役)
達成日:2017年8月13日ソフトバンク戦(4番・一塁手・28歳3ヶ月) ※平成生まれ初の達成者

成績:1303試合 .253 (4828-1220) 226本 829打点 989三振 470四球 13盗塁 出塁率.321 OPS.763
【試合:290位 安打:214位 本塁打:81位 打点:83位 盗塁:-位】

※大阪桐蔭高では当時歴代最多の高校通算87本塁打を記録し、甲子園でも活躍。佐藤由規・唐川侑己とともに「高校ビッグ3」と称され、4球団の競合の末に日本ハムに入団。当初は三塁手だったが2年目に一塁手に転向し、さらに外野手としても出場機会を増やし、3年目の10年に1軍に定着すると11年にはリーグ3位の18本塁打をマーク。その後栗山英樹が監督に就任すると4番に固定され、次第に主砲として活躍し、14,16年の打点王となるなど、ここまで球団5位の226本塁打、3位の829打点をマーク。豪快な見た目とは裏腹に後輩思いの選手としても知られ、13年目の今年もチームの頼れる中心選手として活躍に期待したい。

通算1000安打:2018年5月9日オリックス戦(小林慶祐から左安打・29歳0ヶ月・1071試合目) ※史上291人目


656 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:16:39 lU4LDR7g

【487人目】

・亀井善行(亀井義行) 1982年7月28日生 外野手・一塁手 右投左打
経歴:上宮太子高→中央大→04年ドラフト4位→巨人(05-現役)
達成日:2017年9月2日DeNA戦(石川慎吾の代打として途中出場・35歳1ヶ月)

成績:1270試合 .259 (3830-993) 96本 428打点 630三振 290四球 60盗塁 出塁率.313 OPS.715
【試合:306位 安打:306位 本塁打:308位 打点:309位 盗塁:432位】

※中央大では主将としてチーム25年ぶりの1部優勝に貢献し、4位指名を受けて巨人に入団。4年目の08年に外野手の一員として1軍に定着し、翌09年には侍ジャパンに抜擢され第2回WBCの連覇に貢献し、一躍注目を浴びる。同年には一塁も兼任し、自己最多の25本塁打を放って外野手のGG賞も獲得。その後は内外野問わず守れるユーティリティ的活躍を続け、スタメン・代打問わず勝負強い打撃を披露。そしてベテランとなりつつある近年は逆に1番打者として定着を果たしており、昨年のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも先頭打者弾含む2打席連続アーチを放った。今年も頼れるベテランとして38歳のシーズンを迎える。


657 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:16:55 lU4LDR7g

【488人目】

・聖澤諒 1985年11月3日生 外野手 右投左打
経歴:松代高→國學院大→07年大社ドラフト4位→楽天(08-18)
達成日:2017年9月24日ソフトバンク戦(オコエ瑠偉の代打として途中出場・31歳10ヶ月)

成績:1034試合 .274 (3004-823) 19本 249打点 660三振 234四球 197盗塁 出塁率.333 OPS.677
【試合:464位 安打:406位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:81位】

※國學院大では後にチームメイトとなる嶋基宏の後を継いで主将として活躍。楽天では俊足と堅実な守備を武器に2年目の09年にはチーム2位の15盗塁をマークして1軍に定着。その後はチームのリードオフマンとして起用され、11年には52盗塁、そして12年には球団記録の54盗塁をマークして、現時点で球団唯一の盗塁王のタイトルを獲得。さらにその後は守備でも、10〜15年の6シーズンをかけて、外野手としてはプロ野球新記録となる927守備機会連続無失策を達成した。その後は島内宏明や田中和基の入団もあって出場機会が減少。18年限りで戦力外となり、同年限りで引退。現在は球団職員としてジュニアコーチを務める。


658 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:17:14 lU4LDR7g

【489人目】

・青木宣親 1982年1月5日生 外野手 右投左打
経歴:日向高→早稲田大→03年ドラフト4位→ヤクルト(04-11)→ブルワーズ(12-13)→ロイヤルズ(14)→ジャイアンツ(15)→マリナーズ(16)→アストロズ(17)→ブルージェイズ(17)→メッツ(17)→ヤクルト(18-現役)
達成日:2018年4月17日広島戦(4番・中堅手・36歳3ヶ月)

成績:1246試合 .326 (4884-1591) 110本 510打点 611三振 529四球 168盗塁 出塁率.401 OPS.856
【試合:320位 安打:106位 本塁打:256位 打点:214位 盗塁:103位】
MLB:759試合 .285 (2716-774) 33本 219打点 258三振 234四球 98盗塁 出塁率.350 OPS.738

※早稲田大ではチーム初のリーグ4連覇に貢献し、4位指名を受けてヤクルトに入団。2年目の05年に外野手の定位置を掴むと、同年には史上2人目のシーズン200安打を達成し、打率.344で首位打者・新人王を獲得。その後もハイペースで安打を積み重ね、10年には史上初の2度目のシーズン200安打を達成するなど、3度の首位打者のタイトルを獲得。12年からは舞台をメジャーに移し、14年にはロイヤルズのリーグ優勝に貢献し、17年には日米通算2000安打に到達。18年からはヤクルトに復帰し、現在もその打力は衰えておらず、昨年も3割近い打率をマーク。通算打率.326は暫定で4000打数以上の選手では歴代最高を維持している。

通算1000安打:2010年7月4日中日戦(平井正史から左二塁打・28歳5ヶ月・770試合目) ※史上258人目・セ最速記録
通算1500安打:2019年5月22日阪神戦(藤川球児から左安打・37歳4ヶ月・1156試合目) ※史上126人目・史上最速

通算1500試合:2015年8月7日カブス戦(マックスウェルに代わって左翼手として途中出場・33歳7ヶ月) ※以下日米通算
通算2000安打:2017年6月11日エンゼルス戦(アルバレスから左安打・35歳5ヶ月・1678試合目) ※歴代3位のスピード記録
通算2000試合:2019年9月14日DeNA戦(2番・中堅手・37歳8ヶ月)


659 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:17:33 lU4LDR7g

【490人目】

・T-岡田(岡田貴弘) 1988年2月9日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:履正社高→05年高校ドラフト1位→オリックス(06-現役)
達成日:2018年5月6日ソフトバンク戦(5番・一塁手・30歳2ヶ月)

成績:1088試合 .261 (3832-1002) 170本 583打点 971三振 359四球 25盗塁 出塁率.333 OPS.781
【試合:418位 安打:302位 本塁打:140位 打点:173位 盗塁:-位】

※履正社高では高校通算55本塁打を放ち、「浪速のゴジラ」と称され、辻内崇伸のハズレ1位でオリックスに入団。3年目の09年には2軍で本塁打・打点の二冠となるなど徐々に成長し、登録名を「T-岡田」に変更した10年には33本塁打を放ってブレイクを果たし、22歳にして本塁打王のタイトルを獲得。その後は年によって好不調の波が激しく、不振に陥る年もあれば、14年には25本塁打を放ってチームの2位躍進に貢献し、17年には自身2度目の30本塁打をマーク。昨年も通算1000安打を達成したものの、わずか20試合の出場にとどまり、オフにはプエルトリコで武者修行。新たに3年契約を結んだ今季は復調となるか。

通算1000安打:2019年5月8日日本ハム戦(金子弌大から右安打・31歳2ヶ月・1082試合目) ※史上296人目


660 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 15:17:54 lU4LDR7g
次回、最終回です


661 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 17:46:10 TfxVoB/2
ついにきたか…


662 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 17:55:45 5FemtD6U
青木こんなにOPS高かったのか


663 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 17:56:07 1RrR4wtE
昨日のT-岡田のホームランほんとすき


664 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 18:01:06 2wzyBy.g
青木の安打試合数回りがなんかおかしくなってるな


665 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 18:44:39 H9Tf1jbk
>>663
こいついつも昨日ホームラン打ってんな


666 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/17(火) 19:15:53 NOuY7Tko
ひじりーも1000試合達成してた・・・よかった


667 : IW26一生ボンバーヘッドダイビングタバコの火を消すブルースリー :2020/03/17(火) 21:11:18 ???
まさかのあの人が入ってるのか。


668 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 07:38:51 ysJ/zYrY
もしかして石川雄洋さんって凄い?


669 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/18(水) 12:10:43 ???
ひじりーが達成してた現地で試合見てた
なんでオコエに代走?って思ったら1000試合出場だった
スタメンで見たかった


670 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:13:24 kJvVvEX.

【491人目】

・浅村栄斗 1990年11月12日生 二塁手・一塁手 右投右打
経歴:大阪桐蔭高→08年ドラフト3位→西武(09-18)→楽天(19-現役)
達成日:2018年5月6日楽天戦(3番・二塁手・27歳5ヶ月) ※90年代生まれ初の達成者

成績:1256試合 .285 (4628-1317) 180本 737打点 918三振 499四球 69盗塁 出塁率.357 OPS.820
【試合:313位 安打:178位 本塁打:125位 打点:111位 盗塁:374位】

※大阪桐蔭高では08年夏の甲子園の優勝に貢献し、3位指名を受けて西武に入団。3年目の11年に内外野問わず守れるユーティリティとして1軍に定着し、13年には4番打者となって平成生まれでは史上初の打点王を獲得。その後は二塁手に転向し、西武打線の中軸を支えて17年には平成生まれ初の通算1000安打を達成し、18年には球団歴代最多の127打点をあげて2度目の打点王となった。昨年からはFA移籍により楽天でプレーしており、昨年は自己最多の33本塁打を放ち、またプレミア12でも大活躍を果たして侍ジャパンの初優勝に貢献。オフには結婚も発表し、30歳のシーズンとなる今季以降もさらなる活躍に期待したい。

通算1000安打:2017年9月28日ソフトバンク戦(寺原隼人から左安打・26歳10ヶ月・965試合目) ※史上290人目・平成生まれ初


671 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:13:45 kJvVvEX.

【492人目】

・丸佳浩 1989年4月11日生 外野手 右投左打
経歴:千葉経済大附高→07年高校ドラフト3位→広島(08-18)→巨人(19-現役)
達成日:2018年6月8日楽天戦(3番・中堅手・29歳1ヶ月)

成績:1232試合 .281 (4389-1235) 174本 629打点 987三振 754四球 152盗塁 出塁率.388 OPS.853
【試合:328位 安打:210位 本塁打:130位 打点:149位 盗塁:126位】

※広島では3年目の11年に外野手の一員として頭角を現すと、徐々に成績を向上させて13年には29盗塁をマークして盗塁王・GG賞を獲得。その後も走攻守の三拍子揃った不動の中堅手として赤ヘル打線を支え、16年には田中広輔・菊池涼介とともに強力な上位打線を形成し、自身は20本塁打を放ってチーム25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、さらに18年には自己最多の39本塁打、歴代4位タイのシーズン130四球を記録するなど2年連続でリーグMVPを獲得。FA移籍で昨年に巨人に移籍し、こちらでも3番打者としてリーグ優勝に貢献し、プレミア12でも大会途中に追加招集され優勝を経験した。アナルがきつきつかどうかは不明。

通算1000安打:2018年6月30日DeNA戦(東克樹から中安打・29歳2ヶ月・1017試合目) ※史上293人目


672 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:14:05 kJvVvEX.

【493人目】

・秋山翔吾 1988年4月16日生 外野手 右投左打
経歴:横浜創学館高→八戸大→10年ドラフト3位→西武(11-19)→レッズ(20-現役)
達成日:2018年7月17日ソフトバンク戦(1番・中堅手・30歳3ヶ月)

成績:1207試合 .301 (4674-1405) 116本 513打点 802三振 526四球 112盗塁 出塁率.376 OPS.829
【試合:349位 安打:152位 本塁打:242位 打点:211位 盗塁:208位】

※八戸大から3位指名を受けて西武に入団すると、1年目から即戦力として球団新人外野手では30年ぶりの開幕スタメンに連ねるなど1軍で経験を積み、3年目の13年からは不動の中堅手として定着。5年目の15年には歴代3位タイの31試合連続安打を記録するなどハイペースで安打を積み重ね、最終的にNPB歴代最多のシーズン216安打を達成。その後は長打力も兼ね備えた5ツールプレイヤーとなり、17年には首位打者となり、昨年には3年連続の最多安打・ベストナイン、5年連続フルイニング出場・GG賞となった。今年からはMLBに挑戦し、レッズ初の日本人選手として新天地でも安打を量産し、躍動を見せられるか期待。

通算1000安打:2017年8月31日楽天戦(安樂智大から右二塁打・29歳4ヶ月・896試合目) ※史上289人目


673 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:14:22 kJvVvEX.

【494人目】

・藤井淳志 1981年5月20日生 外野手 右投両打
経歴:豊橋東高→筑波大→NTT西日本→05年大社ドラフト3位→中日(06-現役)
達成日:2018年7月29日巨人戦(6番・左翼手・36歳2ヶ月)

成績:1093試合 .262 (2419-634) 45本 273打点 565三振 159四球 46盗塁 出塁率.308 OPS.685
【試合:413位 安打:550位 本塁打:-位 打点:538位 盗塁:535位】

※筑波大の3年次にスイッチヒッターに転向し、NTT西日本を経て中日に入団。1年目からオープン戦で結果を残して1年目の開幕戦で2番・中堅手としてスタメン出場を果たすと、その後は控え外野手として徐々に出場機会を増やし、09年には規定打席不足ながら3割近い打率と2桁本塁打をマーク。その後も大島洋平や平田良介の台頭もありながらチームを支え、スタメンから代打・代走、守備固めまで幅広い活躍を見せており、チームの最年長野手として20年のシーズンにも臨む。地元である豊橋球場で無類の強さを誇り、14年には自身初のサヨナラ本塁打、15年には逆転3ランも放つなどの活躍を見せている。


674 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:14:40 kJvVvEX.

【495人目】

・平田良介 1988年3月23日生 外野手 右投右打
経歴:大阪桐蔭高→05年高校ドラフト1位→中日(06-現役)
達成日:2018年9月24日ヤクルト戦(1番・右翼手・30歳6ヶ月)

成績:1100試合 .273 (3601-983) 101本 453打点 660三振 445四球 40盗塁 出塁率.355 OPS.778
【試合:407位 安打:314位 本塁打:289位 打点:275位 盗塁:596位】

※大阪桐蔭高では05年夏の甲子園で清原和博以来の1試合3本塁打を放つなど、高校通算70本塁打の実績を引っさげて中日に入団。2年目の07年には日本シリーズ第5戦で日本一を決める犠飛を放つなど注目を集め、その後は徐々に出場機会を増やし、11年には史上8人目の2試合連続サヨナラ本塁打を放つなどレギュラー外野手となり、16年まで6年連続2桁本塁打を記録。近年では高い出塁率を武器に主に1番打者として起用されており、18年にはサイクル安打も達成するなど自己最高の打率.329をマークし、昨年は通算100本塁打を達成。チーム9年ぶりの優勝を目指し、大島洋平らとともに今季も中日を引っ張る存在となりたい。


675 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:14:57 kJvVvEX.

【496人目】

・岩瀬仁紀 1974年11月10日生 投手 左投左打
経歴:西尾東高→愛知大→NTT東海→98年ドラフト2位(逆指名)→中日(99-18)
達成日:2018年9月28日阪神戦(佐藤優に代わって投手として登板・43歳10ヶ月)

成績:1002試合 .208 (48-10) 0本 3打点 18三振 3四球 0盗塁 出塁率.229 OPS.479
投手:1002登板 59勝51敗 407S 82H 985.0投球回 841奪三振 244与四球 867被安打 防2.31 WHIP1.13
【試合:500位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】
【登板:1位 勝利数:316位 セーブ:1位 投球回:362位 奪三振:204位】

※死神。抜群の制球力と切れ味鋭いスライダーを武器に1年目の99年から勝利の方程式の一角に食い込んでリーグ最多の65試合に登板し、2桁勝利をあげるなどリーグ優勝に貢献。その後はセットアッパーとして3度の最優秀中継ぎとなると、04年からは抑えとなりそこから不動の守護神として定着し、13年まで15年連続50登板、9年連続30セーブを記録して5度の最多セーブを獲得。14年には史上初の通算400セーブを達成し、守護神の座を譲った後もしばらく中継ぎとして活躍。そして17年には米田哲也のもつ通算登板数を更新し、18年には前人未到の1000試合登板に到達し同年限りで引退。昨年からは主に解説者として活動中。


676 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:15:01 W/VHzrmo
>>671
>アナルがきつきつかどうかは不明。

ゆるして


677 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:15:13 kJvVvEX.

【497人目】

・大和(前田大和) 1987年11月5日生 外野手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:樟南高→05年高校ドラフト4位→阪神(06-17)→DeNA(18-現役)
達成日:2019年4月30日ヤクルト戦(1番・遊撃手・31歳5ヶ月) ※平成最後の達成者

成績:1112試合 .250 (2792-699) 5本 194打点 432三振 180四球 86盗塁 出塁率.302 OPS.609
【試合:400位 安打:505位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:286位】

※樟南高では2度の甲子園出場を経験し、阪神でプロ入り。遊撃守備を高く評価されていたが当時の阪神は絶対的ショートの鳥谷敬が活躍していたために2軍暮らしが続いていたが、4年目の09年から主に代走・守備固めとして1軍で頭角を現し、12年からは中堅手としてレギュラーに定着。主に2番打者として起用され、14年には自己最多の50犠打をマークして外野のGG賞も獲得。その後は二遊間としての起用がメインとなり、18年からはFAでDeNAに移籍。DeNAでは遊撃手のレギュラーを獲得し、昨年には自己最多の137試合に出場し、5年ぶりに規定打席に到達。高い守備力を武器に今年もDeNAの内野を支えたい。


678 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:15:29 kJvVvEX.

【498人目】

・角中勝也 1987年5月25日生 外野手 右投左打
経歴:日本航空第二高→四国IL・高知→06年大社ドラフト7位→ロッテ(07-現役)
達成日:2019年5月25日ソフトバンク戦(6番・左翼手・32歳0ヶ月) ※独立リーグ出身初・令和初の達成者

成績:1063試合 .286 (3729-1067) 54本 445打点 532三振 463四球 2盗塁 出塁率.368 OPS.767
【試合:433位 安打:276位 本塁打:520位 打点:287位 盗塁:428位】

※06年のドラフトで四国アイランドリーグから野手として初の指名を受けてプロ入りを果たすと、長い2軍暮らしを経て5年目の11年に1軍で頭角を現すと、翌12年には打撃の才能が開花し、独立リーグ初となる規定打席到達・球宴出場を果たし、同じく初の首位打者・ベストナインのタイトルを獲得。その後も卓越したバットコントロールでアベレージヒッターとして活躍し、16年には打率.339をマークして2度目の首位打者を獲得し、昨年は独立リーグ出身初の1000試合出場・1000安打も達成した。今季は福田秀平の加入や若手の台頭もあって、熾烈な外野のポジション争いに身を投じる試練の1年となる。

通算1000安打:2019年5月11日ソフトバンク戦(千賀滉大から右安打・31歳11ヶ月・990試合目) ※史上297人目・独立リーグ出身初


679 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:15:45 kJvVvEX.

【499人目】

・今宮健太 1991年7月15日生 遊撃手 右投右打
経歴:明豊高→09年ドラフト1位→ソフトバンク(10-現役)
達成日:2019年6月4日中日戦(2番・遊撃手・27歳10ヶ月)

成績:1056試合 .248 (3567-886) 66本 350打点 663三振 262四球 65盗塁 出塁率.303 OPS.663
【試合:442位 安打:371位 本塁打:439位 打点:420位 盗塁:400位】

※明豊高では遊撃手と投手を兼任し、最速154km/h、高校通算62本塁打と投打で超高校級の実績を残し、1位指名を受けてソフトバンクに入団。川崎宗則のMLB移籍もあり、3年目の12年には遊撃手の定位置を掴み取ると、その後は2番打者に定着し、繋ぎ役として13年にはパリーグ新記録の62犠打をマークし、翌14年には史上初の2年連続60犠打を達成。また守備の名手としても名を馳せ、13年から5年連続でGG賞も獲得。近年では長打力も身に付け、昨年は4年連続2桁本塁打をマークするとともにCSでは初となる1試合3本塁打もマークした。常勝球団の正遊撃手として今季も攻守で活躍したい。なお史上7人目の300犠打まであと1。


680 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:16:01 kJvVvEX.

【500人目】

・鈴木大地 1989年8月18日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投左打
経歴:桐蔭学園高→東洋大→11年ドラフト3位→ロッテ(12-19)→楽天(20-現役)
達成日:2019年7月15日西武戦(2番・一塁手・29歳10ヶ月)

成績:1061試合 .274 (3649-999) 54本 384打点 475三振 348四球 30盗塁 出塁率.348 OPS.741
【試合:438位 安打:303位 本塁打:520位 打点:365位 盗塁:-位】

※東洋大では主将として4度の全国制覇を経験し、副主将を務めた藤岡貴裕とともに11年のドラフトでロッテに入団。1年目から即戦力として1軍で起用されると、2年目の13年には遊撃手のレギュラーを獲得し、ベストナインのタイトルを獲得。その後も不動の遊撃手として活躍する一方でその後はチーム事情により、17年には二塁手、18年には三塁手として起用され、そして昨年には一塁手も担うようになるなどポジションを転々としながらもチームのリーダー的存在として活躍し、昨年は打撃成績でも自己最高の成績を残した。そして今年からはFA移籍により、楽天でプレー。新天地で心機一転の1年を迎える。


681 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:16:17 kJvVvEX.

【501人目】

・菊池涼介 1990年3月11日生 二塁手 右投右打
経歴:武蔵工業大第二高→中京学院大→11年ドラフト2位→広島(12-現役)
達成日:2019年7月24日中日戦(2番・二塁手・29歳4ヶ月)

成績:1047試合 .271 (4123-1117) 85本 379打点 760三振 261四球 107盗塁 出塁率.315 OPS.706
【試合:451位 安打:253位 本塁打:352位 打点:370位 盗塁:220位】

※中京学院大では2年次に岐阜リーグ三冠王となるなどリーグ屈指の遊撃手として活躍し、2位指名を受けて広島に入団。1年目から1軍で頭角を現すと、2年目の13年には二塁手の定位置を獲得。「ニンジャ」とも称される超人的な守備力でファインプレーを量産し、昨年まで7年連続でGG賞を受賞。打撃でも4年連続2桁本塁打を放つパンチ力とともに小技を武器とし、昨年は5年連続6度目のリーグ最多犠打もマークしている。日本を代表する二塁手としてプレミア12の初優勝に貢献した昨オフにメジャー挑戦を表明するもこれを断念して残留。30代となって初めて臨む20年シーズンも攻守でチームを支えたいところ。

通算1000安打:2019年4月27日ヤクルト戦(小川泰弘から中安打・29歳1ヶ月・933試合目) ※史上295人目


682 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:16:34 kJvVvEX.

【502人目】

・銀次(赤見内銀次) 1988年2月24日生 一塁手・二塁手・三塁手 右投左打
経歴:盛岡中央高→05年高校ドラフト3位→楽天(06-現役)
達成日:2019年8月23日西武戦(5番・三塁手・31歳5ヶ月)

成績:1028試合 .295 (3723-1100) 28本 418打点 380三振 350四球 27盗塁 出塁率.358 OPS.727
【試合:474位 安打:258位 本塁打:-位 打点:323位 盗塁:-位】

※楽天には捕手としてプロ入り。プロ入り後は内野手としての起用がメインとなり、2軍では毎年高い打率をマークし、6年目の11年には規定打席不足ながら例外規定によって2軍の首位打者となり、翌12年には二塁や三塁で徐々に1軍で頭角を現し、そして13年には3番打者に定着し、リーグ4位の打率.317をマークして球団初のリーグ優勝・日本一に貢献。その後も高いミート力を武器に安打製造機として活躍し、17年には一塁のベストナイン・GG賞を獲得。昨年には試合終盤に捕手として出場して話題となり、5年ぶりの打率3割をマークして球団生え抜き初の通算1000安打も達成。今年もバットで地元・東北を熱く盛り上げる。

通算1000安打:2019年6月9日中日戦(清水達也から右安打・31歳3ヶ月・945試合目) ※史上299人目・球団生え抜き初


683 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:16:53 kJvVvEX.

【503人目】

・ウラディミール・バレンティン 1984年7月2日生 外野手 右投右打
経歴:マリナーズ(07-08)→レッズ(09)→ヤクルト(11-19)→ソフトバンク(20-)
達成日:2019年8月24日阪神戦(4番・左翼手・35歳1ヶ月)

成績:1022試合 .273 (3513-959) 288本 763打点 903三振 593四球 7盗塁 出塁率.378 OPS.936
【試合:480位 安打:327位 本塁打:45位 打点:107位 盗塁:-位】

※マリナーズ時代はイチローに並ぶ強肩選手として期待されており、レッズ傘下から自由契約となった10年オフに来日してヤクルトに入団。打率はリーグ最下位ながら1年目から31本塁打を放って本塁打王となると、翌12年には規定打席不足ながら2年連続で本塁打王となり、そして13年には異常なペースで本塁打を積み重ね、日本新記録のシーズン60本塁打を達成するなどヤクルトでは在籍9年間で8度のシーズン30本塁打を記録し、長距離砲として活躍。18年には131打点をマークして打点王も獲得。昨オフにソフトバンクに移籍。国内FA権を取得したため、日本人選手扱いとなる今季は新天地でどれだけ大暴れできるか。


684 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:17:08 kJvVvEX.

【504人目】

・川端慎吾 1987年10月16日生 三塁手・遊撃手 右投左打
経歴:和歌山商業高→05年高校ドラフト3位→ヤクルト(06-現役)
達成日:2019年9月4日広島戦(大下佑馬の代打として途中出場・31歳10ヶ月)

成績:1003試合 .295 (3418-1009) 37本 360打点 406三振 295四球 17盗塁 出塁率.352 OPS.735
【試合:499位 安打:298位 本塁打:-位 打点:400位 盗塁:-位】

※和歌山商業高からヤクルトに入団すると、06年には球団野手19年ぶりとなる高卒1年目での1軍出場を果たし、48年ぶりの安打もマーク。以後は現在に至るまで故障に苦しむことが多いものの、高いミート力を武器に1軍で成績を残し、11年には正遊撃手として初の規定打席到達を果たし、その後は三塁手として活躍し、14年に初の打率3割、15年には2番打者としてキャリアハイの打率.336,195安打をマークして首位打者・最多安打のタイトルを獲得してチームの初優勝に貢献した。昨年は通算1000安打も達成したが、37試合のみの出場と振るわず、今季の復活に期待したい。妹の友紀も選手兼任コーチとして現役を続けている。

通算1000安打:2019年4月20日中日戦(柳裕也から左安打・31歳6ヶ月・967試合目) ※史上294人目


685 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:18:03 kJvVvEX.

というわけで50日間にわたる連続更新も無事、完走いたしました
これまでプロ野球の歴史を彩ってきた504人の選手たちを紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか
今年もまた新たなシーズンの中で、さまざまな選手の活躍や記録が生まれることに期待したいところです

……と、本来はこの更新後無事に2020年シーズンが開幕する予定だったのですが
愚かなコロナッパリのせいでペナントレースの開幕が現状不透明と非常に嘆かわしい事態となっております
なので、その間の埋め合わせといってはなんですが、こちらもほんの少し延長戦として
明日から「今季、または数年で1000試合出場を達成できそうな現役選手」、「惜しくも1000試合に届かなかった選手」たちをまたここから毎日更新していく予定です(4月頭ぐらいまで?)

一刻も早いコロナッパリの終息を願い、心機一転してプロ野球が開幕できる日々が来ることを祈っております
それではまず一旦ここで一区切りということで、まずはここまでご覧頂きありがとうございます
そしてあともう少しですが宜しくお願い致します


687 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:20:16 W/VHzrmo
>>686
玉も竿もでけぇなお前(褒めて伸ばす)
お疲れ様でした!


688 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:23:35 VqJ5mpWU
ようやっとる!ようやっとるよ!お疲れ様です。


689 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:52:03 DbCbJB6c
乙ゥ^〜
やっぱ死神おかしいよ


690 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 15:54:50 Nkqt0bPM
投手が入ってますね…


691 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 16:29:09 Xtzf5fTg
乙ゥ〜
こんなでっかいスレにしちゃってさぁ誇らしくないのかよ
やまーだてつとはまだ1000試合出てないのか


692 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 17:48:45 m52e28iA
おつかれさまです
岩瀬のヤバさが際立つスレだった


693 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 18:24:20 L9Vh2sG6
ほぼROMだけだったけど毎日見てたゾ〜、本当にお疲れナス!
野手で1000試合出場超えるとスター選手って感じしますねぇ。投手はお前おかしいよ…(感嘆)


694 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 20:05:25 wLDPZino
乙ゥ��

いやほんとにお疲れ様でした
延長線にも期待してます


695 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 20:16:10 SpHtngKg
お疲れさまです

移籍も含めて狗鷲戦士が揃うのはいいですねえ
特に生え抜きの銀ちゃんの1000試合達成は嬉しいっすね・・・


696 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/18(水) 21:57:52 k.lLIknw
日本一やお前…


697 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/18(水) 23:30:55 ???
長いことお疲れ様です
面白かった(KONAMI)


698 : IW26一生ボンバーヘッドダイビングタバコの火を消すブルースリー :2020/03/18(水) 23:33:15 ???
お疲れナス!
野手ばかりのランキングに岩瀬が入ってるという異次元


699 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 12:14:22 CmPPLHtE
岩瀬を見に来たので無事終わって良かったです


700 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 12:33:56 G9IfvVQU
>>686
こういう出典元とかあると自分でも検証できて嬉しい


701 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 13:33:44 zgooqGuc
野手として1000試合ってのがこんなに丁度具合の良い指標だったとはいままで気づかなかったゾ


702 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:17:00 bZHLa1cs
お待たせいたしました、本日から延長戦となります
まず今日は2020年シーズンに1000試合出場達成の可能性のある選手たちです


703 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:18:02 bZHLa1cs

【残り5試合】

・中島卓也 1991年1月11日生 遊撃手・二塁手 右投左打
経歴:福岡工業高→08年ドラフト5位→日本ハム(09-現役)

成績:995試合 .242 (2629-636) 2本 159打点 605三振 274四球 163盗塁 出塁率.314 OPS.586
【試合:505位 安打:547位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:111位】

※日本ハムでは4年目の12年に1軍定着を果たし、15年には遊撃手の定位置を掴んで34盗塁をマークして盗塁王のタイトルを獲得し、16年にはパリーグ最多タイの62犠打をマーク。粘り打ちを得意とする一方で長打力とは縁がなく、17年に2287打席目で初の本塁打。505人目に一番近い位置につけている。

【残り18試合】

・西川遥輝 1992年4月16日生 外野手・二塁手 右投左打
経歴:智弁和歌山高→10年ドラフト2位→日本ハム(11-現役)

成績:982試合 .284 (3522-999) 46本 307打点 770三振 499四球 245盗塁 出塁率.376 OPS.769
【試合:510位 安打:303位 本塁打:598位 打点:491位 盗塁:47位】

※智弁和歌山高から日本ハムに入団すると、二塁手の定位置を獲得したことで1軍に定着。その後は俊足の外野手・リードオフマンとなり、14,17,18年と3度の盗塁王を獲得。通算200盗塁以上の選手では歴代1位の成功率を誇り、まさに北のスピードスターとして活躍中。来季はMLB挑戦を視野に入れている。


704 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:18:24 bZHLa1cs

【残り36試合】

・山田哲人 1992年7月16日生 二塁手 右投右打
経歴:履正社高→10年ドラフト1位→ヤクルト(11-現役)

成績:964試合 .297 (3598-1068) 202本 583打点 727三振 603四球 168盗塁 出塁率.401 OPS.934
【試合:526位 安打:275位 本塁打:103位 打点:173位 盗塁:103位】

※ハズレハズレ1位でヤクルトに入団すると、高卒1年目からCSで1軍デビューを果たすと、3年目から二塁手に定着。14年には日本人右打者最多の193安打を放つと、15,16,18年には史上唯一の3度のトリプルスリーを達成するなど史上最強の二塁手へと日々進化中。今後も様々な大記録達成が期待される。

通算1000安打:2019年6月30日巨人戦(メルセデスから中安打・26歳11ヶ月・897試合目) ※史上300人目

【残り59試合】

・山崎勝己 1982年8月16日生 捕手 右投右打
経歴:報徳学園高→00年ドラフト4位→ダイエー・ソフトバンク(01-13)→オリックス(14-現役)

成績:941試合 .196 (1529-300) 4本 112打点 417三振 85四球 4盗塁 出塁率.245 OPS.490
【試合:544位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※ホークスでは城島健司のMLB移籍により、的場直樹との正捕手争いに参戦する形で1軍に定着し、06年には自己最多の106試合に出場。その後は田上秀則やFA加入の捕手らの陰に隠れ、14年にFAでオリックスに移籍。現在も若月健矢らの控えにいるものの若手の多い中で頼れるベテランとして20年目を迎える。


705 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:18:44 bZHLa1cs

【残り75試合】

・雄平(高井雄平) 1984年6月25日生 外野手・投手 左投左打
経歴:東北高→02年ドラフト1位→ヤクルト(03-現役)

成績:925試合 .293 (2925-858) 66本 377打点 471三振 192四球 38盗塁 出塁率.338 OPS.756
投手:144登板 18勝19敗 1S 17H 297.1投球回 265奪三振 174与四球 287被安打 防4.96 WHIP1.55
【試合:553位 安打:387位 本塁打:439位 打点:374位 盗塁:-位】

※投手としてヤクルトに入団し、1年目から先発ローテの一員として起用され、07年には中継ぎとして自己最多の52試合に登板。その後09年から打力を活かすべく野手に転向。14年には自己最多の23本塁打をマークするなど勝負強い打撃を武器に、現在に至るまでチームの中軸打者として活躍している。

【残り75試合】

・中村晃 1989年11月5日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:帝京高→07年高校ドラフト3位→ソフトバンク(08-現役)

成績:925試合 .289 (3253-940) 40本 309打点 374三振 423四球 40盗塁 出塁率.375 OPS.750
【試合:553位 安打:336位 本塁打:-位 打点:489位 盗塁:596位】

※帝京高からソフトバンクに入団。2軍暮らしを経て4年目の11年に1軍でビューを果たすと、13年には1番打者として定着。高いミート力と選球眼を武器に13〜15年には3年連続打率3割を記録し、14年には最多安打を獲得。昨年は自律神経失調症により44試合の出場に終わり、今年の巻き返しに期待したい。


706 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:19:02 bZHLa1cs

【残り87試合】

・中村悠平 1990年6月17日生 捕手 右投右打
経歴:福井商業高→08年ドラフト3位→ヤクルト(09-現役)

成績:913試合 .241 (2684-646) 29本 247打点 418三振 281四球 12盗塁 出塁率.320 OPS.636
【試合:564位 安打:539位 本塁打:-位 打点:591位 盗塁:-位】

※ヤクルトでは4年目の12年から頭角を現し、15年には自己最多の136試合に出場してチームの優勝に貢献してベストナイン・GG賞も獲得。以降も現在に至るまでチームの正捕手として活躍しており、昨年は自己最高の出塁率.373をマーク。嶋基宏が加入した今季はその定位置を守れるか正念場の1年となる。

【残り88試合】

・ホセ・ロペス 1983年11月24日生 一塁手 右投右打
経歴:マリナーズ(04-10)→ロッキーズ(11)→マーリンズ(11)→インディアンス(12)→ホワイトソックス(12)→巨人(13-14)→DeNA(15-現役)

成績:912試合 .276 (3364-929) 186本 546打点 525三振 195四球 3盗塁 出塁率.317 OPS.817
【試合:568位 安打:341位 本塁打:119位 打点:194位 盗塁:-位】

※MLB時代は主に二塁手としてプレーし、通算1005安打、92本塁打をマーク。13年に来日して巨人に入団し、連覇に貢献すると15年からはDeNAでプレー。17年には最多安打・打点王のタイトルを獲得し、昨年には一塁守備で連続守備機会無失策の新記録を達成した。今季は日米両リーグでの大台の数字達成に期待。


707 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:19:29 bZHLa1cs

【残り109試合】

・大野奨太 1987年1月13日生 捕手 右投右打
経歴:岐阜総合学園高→東洋大→日本ハム(09-17)→中日(18-現役)

成績:891試合 .214 (1960-419) 31本 168打点 402三振 173四球 3盗塁 出塁率.291 OPS.599
【試合:586位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※東洋大から球団2人目のドラ1捕手として日本ハムに入団。1年目から鶴岡慎也と併用されながら1軍で活躍し、鶴岡の移籍後は正捕手となり、16年には自己最多の109試合に出場して日本一に貢献。FA移籍で18年からは中日でプレー。若手捕手の台頭が相次ぐ中で出場機会が減少している現状を打破したいところ。

【残り114試合】

・安達了一 1988年1月7日生 遊撃手 右投右打
経歴:榛名高→上武大→東芝→11年ドラフト1位→オリックス(12-現役)

成績:886試合 .239 (2814-673) 33本 260打点 457三振 262四球 103盗塁 出塁率.311 OPS.630
【試合:592位 安打:523位 本塁打:-位 打点:567位 盗塁:232位】

※東芝から1位指名を受けてオリックスに入団。2年目の13年から正遊撃手となり、14年には自己最多の29盗塁、15年には11本塁打をマーク。16年に国指定の難病である潰瘍性大腸炎を患いながらも高い守備力を武器に活躍。昨季は肉離れにより56試合の出場に終わり、今季は巻き返してこの記録も達成したい。


708 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:19:48 bZHLa1cs

【残り122試合】

・松山竜平 1985年9月18日生 外野手・一塁手 右投左打
経歴:鹿屋中央高→九州国際大→07年大社ドラフト4位→広島(08-現役)

成績:878試合 .287 (2437-700) 69本 379打点 304三振 186四球 6盗塁 出塁率.337 OPS.771
【試合:600位 安打:502位 本塁打:425位 打点:370位 盗塁:-位】

※アンパンマン。プロ入り後徐々に頭角を現し、6年目の13年に1軍に定着。その後は勝負強い打撃で赤ヘル打線の5番打者として活躍し、16年からの3連覇にも大きく貢献。18年には初の規定打席到達を果たして打率3割も達成した。今季の記録達成のためにはポジション定着が不可欠であり、争奪戦を勝ち抜きたい。

【残り122試合】

・柳田悠岐 1988年10月9日生 外野手 右投左打
経歴:広島商業高→広島経済大→10年ドラフト2位→ソフトバンク(11-現役)

成績:878試合 .319 (3003-958) 157本 525打点 740三振 481四球 143盗塁 出塁率.422 OPS.968
【試合:600位 安打:328位 本塁打:159位 打点:207位 盗塁:139位】

※ギータ。3年目の13年に2桁本塁打をマークして頭角を現すと、15年には打率.363 34本 32盗塁で山田哲人とともにトリプルスリーを達成。以降も超人的な活躍を見せ、18年には2度目の首位打者、4年連続最高出塁率を獲得。昨年は故障により長期離脱。生涯ホークスを宣言した今季は完全復活に期待したい。


709 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 15:20:10 bZHLa1cs

【残り134試合】

・明石健志 1986年1月9日生 一塁手・二塁手 右投左打
経歴:山梨学院大附高→03年ドラフト4位→ダイエー・ソフトバンク(04-現役)

成績:866試合 .255 (2299-587) 15本 186打点 495三振 180四球 88盗塁 出塁率.312 OPS.650
【試合:618位 安打:596位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:278位】

※ダイエーに入団後は長らく2軍暮らしが続き、8年目の11年に1軍で台頭。12年には自己最多の135試合に出場すると、以降は層の厚いチームの中で内野のスーパーサブとして活躍を続けており、昨年にはサヨナラ3ランを放ってバク宙ホームインも披露した。数少ないダイエー戦士として17年目のシーズンに臨む。

【残り134試合】

・堂上直倫 1988年9月23日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:愛工大名電高→06年高校ドラフト1位→中日(07-現役)

成績:866試合 .226 (1817-411) 29本 180打点 329三振 106四球 5盗塁 出塁率.271 OPS.590
【試合:618位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※06年高校ドラフトで3球団の競合の末に、兄の剛裕もいた中日に入団。4年目の10年から内野の準レギュラーとして1軍での出場機会が増え、16年には正遊撃手として自己最多の131試合に出場した。近年は内野のユーティリティとなり、昨季は自身初の2桁本塁打もマーク。今季も攻守で存在感を示したい。


710 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 17:50:50 iHDizbmY
プリンス堂林はまだ400試合以上かかるみたいっすね


711 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 18:21:31 Mg7.6LHw
筒香って1000試合出てないんですね。


712 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/19(木) 19:01:39 iGq6LGMs
7,8年はレギュラー貼り続けないと到達できない記録ですからね。>1000試合
荻野と清田が未到達で、角中と大地が到達済みというのも分かります。


713 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 00:02:47 dx.0cMaE
堂上弟はあと2年はかかりそうですね
坂本と延々比較される立場だけど、1000試合に出場したら選手としては十分成功した部類に思えてきたので頑張ってほしい


714 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:14:21 MlB5VINs
続いては2021年シーズンに達成の可能性のある選手たち(現在通算714〜856試合出場)+αです


715 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:15:10 MlB5VINs

【残り151試合】

・清田育宏 1986年2月11日生 外野手 右投右打
経歴:柏高→東洋大→NTT東日本→09年ドラフト4位→ロッテ(10-現役)

成績:849試合 .257 (2590-666) 51本 310打点 597三振 290四球 36盗塁 出塁率.337 OPS.718
【試合:628位 安打:529位 本塁打:548位 打点:488位 盗塁:-位】

※ロッテでは1年目の10年から1軍で頭角を現し、同年の日本シリーズでは長嶋茂雄以来となる初戦での新人本塁打を記録するなど優秀選手賞を獲得。その後15年にはキャリアハイの打率.317をマークしてベストナイン・GG賞も獲得。昨年は勝負強い打撃を発揮して近年の不振からやや脱却。今年は果たして。

【残り160試合】

・俊介(藤川俊介) 1987年8月17日生 外野手 右投右打
経歴:広陵高→近畿大→09年ドラフト5位→阪神(10-現役)

成績:840試合 .250 (1235-309) 9本 86打点 200三振 76四球 28盗塁 出塁率.295 OPS.625
【試合:635位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※阪神では1年目から外野の準レギュラーとして活躍し、登録名を「俊介」に変更して以降は代走・守備要員から時にはスタメンを張るなど貴重な戦力として活躍。17年には74試合ながら打率3割もマークした。昨年は近本光司の加入により、自己最少の6試合の出場に終わり、今季は背水の陣で臨む。


716 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:15:31 MlB5VINs

【残り166試合】

・伊藤光 1989年4月23日生 捕手 右投右打
経歴:明徳義塾高→07年高校ドラフト3位→オリックス(08-18)→DeNA(18-現役)

成績:834試合 .238 (2135-509) 26本 213打点 483三振 171四球 14盗塁 出塁率.299 OPS.621
【試合:641位 安打:666位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※オリックスでは13年から正捕手となり、14年にはチームの2位躍進に貢献し、ベストナイン・GG賞も獲得。しかしその後は若月健矢の台頭もあり、18年途中にトレードでDeNAに移籍。昨年には攻守で存在感を発揮しほぼ正捕手のような活躍を見せた。4年契約を結んだ今季からもチームの要として躍動に期待したい。

【残り178試合】

・五十嵐亮太 1979年5月28日生 投手 右投右打
経歴:敬愛学園高→97年ドラフト2位→ヤクルト(98-09)→メッツ(10-11)→ブルージェイズ(12)→ヤンキース(12)→ソフトバンク(13-18)→ヤクルト(19-現役)

成績:822登板 65勝39敗 70S 163H 866.0投球回 920奪三振 362与四球 632被安打 防2.93 WHIP1.15
【試合:653位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】
【登板:7位 勝利数:278位 セーブ数:57位 ホールド数:5位 投球回:407位 奪三振:170位】
MLB:83登板 5勝2敗 0S 4H 73.0投球回 72奪三振 51与四球 81被安打 防6.41 WHIP1.81

※ヤクルトでは速球を武器に「ロケットボーイズ」の一員として04年には最優秀救援を獲得。メジャー挑戦を経て復帰したソフトバンクではセットアッパーとして14年には最優秀中継ぎとなるなど黄金時代を支えた。古巣に復帰した昨年も45試合に登板し、日米通算900登板も達成。岩瀬に続く大記録達成なるか。


717 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:16:06 MlB5VINs

【残り201試合】

・後藤駿太 1993年3月5日生 外野手 右投左打
経歴:前橋商業高→10年ドラフト1位→オリックス(11-現役)

成績:799試合 .225 (1562-352) 14本 136打点 359三振 103四球 30盗塁 出塁率.279 OPS.586
【試合:670位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※外れ外れ外れ1位でオリックスに入団すると、高卒新人外野手では張本勲以来となる開幕戦スタメンを果たす。その後は強肩好守の中堅手として14年にはチームの2位躍進に貢献し、15年には自己最多の135試合に出場。近年は宗佑磨や小田裕也の台頭もあり、今季も彼らと定位置を争う形となる。タフィではない。

【残り214試合】

・梶谷隆幸 1988年8月28日生 外野手・遊撃手 右投左打
経歴:開星高→06年高校ドラフト3位→横浜・DeNA(07-現役)

成績:786試合 .260 (2692-700) 100本 344打点 709三振 308四球 135盗塁 出塁率.339 OPS.782
【試合:-位 安打:502位 本塁打:292位 打点:430位 盗塁:160位】

※横浜では長い2軍暮らしを経て、球団がDeNAとなった12年から中畑清監督に抜擢され1軍で台頭。すると翌13年から打撃が開花し、14年には39盗塁で盗塁王を獲得。その後は俊足強打の外野手として17年には21本塁打をマーク。近年は故障に悩まされるも昨年は通算100本塁打を達成。今年は完全復活に期待したい。


718 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:16:25 MlB5VINs

【残り233試合】

・田中広輔 1989年7月3日生 遊撃手 右投左打
経歴:東海大相模高→東海大→JR東日本→13年ドラフト3位→広島(14-現役)

成績:777試合 .266 (2867-763) 51本 265打点 619三振 331四球 119盗塁 出塁率.352 OPS.736
【試合:-位 安打:455位 本塁打:548位 打点:553位 盗塁:188位】

※広島では即戦力として1年目から三塁手として定着すると、同年途中からは遊撃手の定位置を獲得。以降は1番打者として赤ヘル打線の核弾頭となり、17年には盗塁王と最高出塁率を獲得するなどチームの3連覇に貢献。しかし昨年は極度の打撃不振に悩まされ、今年は2年目の小園海斗との定位置争いに臨む。

【残り234試合】

・藤川球児 1980年7月21日生 投手 右投左打
経歴:高知商業高→98年ドラフト1位→阪神(99-12)→カブス(13-14)→レンジャーズ(15)→四国IL・高知(15)→阪神(16-現役)

成績:766登板 59勝35敗 241S 162H 922.0投球回 1205奪三振 330与四球 617被安打 防2.02 WHIP1.03
【登板数:8位 投球回:383位 勝利数:316位 セーブ数:4位 ホールド数:6位 奪三振:97位】
MLB:29登板 1勝1敗 2S 1H 26.2投球回 32奪三振 8与四球 31被安打 防5.74 WHIP1.46

※阪神では「火の玉ストレート」を武器に、勝利の方程式「JFK」の一角として2度のセーブ王、最優秀中継ぎのタイトルを獲得。MLB挑戦や独立リーグを経て16年に阪神に復帰して以降も年々キレを増しており、昨年は守護神に舞い戻って日米通算243セーブとし、今季は松坂世代初の名球会入りが期待される。


719 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:16:46 MlB5VINs

【残り241試合】

・川島慶三 1983年10月5日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:佐世保実業高→九州国際大→05年大社ドラフト3位→日本ハム(06-07)→ヤクルト(08-14)→ソフトバンク(14-現役)

成績:759試合 .252 (1660-418) 31本 159打点 308三振 175四球 59盗塁 出塁率.332 OPS.691
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:440位】

※kz。日本ハムでは出場機会に恵まれず、3年目の08年にヤクルトに移籍すると、同年には自己最多の121試合に出場して20盗塁もマーク。その後は故障に悩まされ、14年途中にソフトバンクに移籍。現在は主に対左投手時に二塁手として先発するのが主であり、勝負強い打撃で常勝球団を支える。

【残り256試合】

・上田剛史 1988年10月2日生 外野手 右投左打
経歴:関西高→06年高校ドラフト3位→ヤクルト(07-現役)

成績:744試合 .240 (1406-338) 9本 107打点 242三振 102四球 70盗塁 出塁率.296 OPS.600
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:365位】

※知人男性。ヤクルトでは11年に2軍で55盗塁をマークして盗塁王となり、翌12年からは出場機会を増やし、比屋根渉とともに中堅手として活躍し、15年のリーグ優勝にも貢献。近年は主に代走や守備要員としての起用が主だが、ムードメーカーも務めており、頼れるスーパーサブとして存在感を見せている。


720 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:17:06 MlB5VINs

【残り269試合】

・荻野貴司 1985年10月21日生 外野手 右投右打
経歴:郡山高→関西学院大→トヨタ自動車→09年ドラフト1位→ロッテ(10-現役)

成績:731試合 .279 (2560-715) 31本 204打点 275三振 182四球 201盗塁 出塁率.336 OPS.720
【試合:-位 安打:492位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:74位】

※ロッテでは1年目から46試合で25盗塁をマークするなど鮮烈なデビューを果たすも、毎年のようにシーズン中盤以降に離脱するのが風物詩と化していた。しかし昨年は打撃も開花して1年通して活躍し、自身初の規定打席到達を果たして打率3割も達成し、ベストナイン・GG賞も獲得するキャリアハイの1年を送った。

【残り278試合】

・島内宏明 1990年2月2日生 外野手 左投左打
経歴:星稜高→明治大→11年ドラフト6位→楽天(12-現役)

成績:722試合 .277 (2421-670) 54本 277打点 305三振 248四球 45盗塁 出塁率.347 OPS.744
【試合:-位 安打:525位 本塁打:520位 打点:530位 盗塁:541位】

※楽天では1年目から1軍で頭角を現すと、2年目には主に9番打者としてリーグ優勝に貢献。その後は16年ごろから外野手の定位置を獲得し、中距離打者として安定した成績を残しており、昨年には開幕からしばらく4番打者を務め、史上11人目の全打順本塁打も達成し、契約更改では1億円の大台を突破した。


721 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:40:28 WcXjSQvM
説明の小ネタすき


722 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 13:43:31 lcRP42jI
五十嵐がこんな息長い選手になるとはなぁ


723 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/20(金) 20:02:47 ZUS0Ri.E
島内も1000試合達成してほしいなあ
レギュラー維持できてもあと2・3年はかかりそうですね


724 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:12:45 JzRFX8ss
本日はさらに幅を広げて2022年シーズンに達成の可能性のある選手たち(現在通算571〜713試合出場)+αです


725 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:13:06 JzRFX8ss

【残り295試合】

・金子侑司 1990年4月24日生 外野手・遊撃手 右投両打
経歴:立命館宇治高→立命館大→12年ドラフト3位→西武(13-現役)

成績:705試合 .247 (2193-541) 15本 179打点 399三振 192四球 195盗塁 出塁率.311 OPS.624
【試合:-位 安打:638位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:83位】

※西武では4年目の16年に1番打者に定着し、球界屈指の走力を武器に自己最多の53盗塁をマークして糸井嘉男とともに盗塁王のタイトルを獲得。その後も主に9番打者として起用され、昨年は41盗塁をマークし、2度目の盗塁王となった。今季は秋山翔吾の穴を埋めるべく1番・中堅手への定着を目指す。

【残り296試合】

・會澤翼 1988年4月13日生 捕手 右投右打
経歴:水戸短大附高→06年高校ドラフト3位→広島(07-現役)

成績:704試合 .264 (1845-488) 58本 241打点 359三振 186四球 3盗塁 出塁率.345 OPS.756
【試合:-位 安打:-位 本塁打:487位 打点:-位 盗塁:-位】

※広島では長らく控え捕手の時期が続いたが、8年目の14年に2桁本塁打を記録して頭角を現すと、以降は打力を兼ね備えた正捕手として定着。16年からの3連覇に貢献し、昨年は自身初の規定打席にも到達して3年連続のベストナインも獲得した。FAを行使せず残留を選んだ今季も攻守の要としてチームを支えたい。


726 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:13:47 JzRFX8ss

【残り298試合】

・小窪哲也 1985年4月12日生 三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:PL学園高→青山学院大→07年大社ドラフト3位→広島(08-現役)

成績:702試合 .259 (1481-384) 18本 153打点 245三振 133四球 7盗塁 出塁率.328 OPS.678
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※広島では1年目から三塁や遊撃の準レギュラーとして活躍し、以降は助っ人や堂林翔太、木村昇吾らと併用されながら、主に対左先発時に三塁手として起用され、また15年には代打の切り札として4割近い代打打率も残した。チームの頼れるベテランとして今季もいぶし銀の活躍が期待される。

【残り304試合】

・福田秀平 1989年2月10日生 外野手 右投左打
経歴:多摩大附聖ヶ丘高→06年高校ドラフト1位→ソフトバンク(07-19)→ロッテ(20-現役)

成績:696試合 .235 (1087-255) 24本 120打点 287三振 61四球 79盗塁 出塁率.279 OPS.640
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:318位】

※平成生まれのプロ野球選手第1号。5年目の11年に1軍で頭角を現し、同年から15年まで足がけ5年をかけて32連続盗塁成功の当時新記録を樹立する。その後も外野の準レギュラーとして時にはパンチ力のある打撃も披露。昨オフにFA宣言し、争奪戦の末にロッテに移籍。新天地でさらなる躍動を目指す。


727 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:14:10 JzRFX8ss

【残り316試合】

・宮西尚生 1985年6月2日生 投手 左投左打
経歴:尼崎高→関西学院大→07年大社ドラフト3位→日本ハム(08-現役)

成績:684登板 33勝31敗 3S 337H 569.2投球回 506奪三振 177与四球 443被安打 防2.34 WHIP1.08
【登板:18位 勝利数:544位 ホールド数:1位 奪三振:427位】

※日本ハムでは1年目から12年連続で50試合以上登板しており、不動のセットアッパーとして活躍中。18年には山口鉄也がもっていた通算ホールド記録を更新し、昨年には史上初の通算300ホールドを達成し、3度目の最優秀中継ぎも獲得。現在のペースを続ければあと6年で1000登板にたどり着くが果たして。

【残り318試合】

・ブランドン・レアード 1987年9月11日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:ヤンキース(11)→アストロズ(12-13)→日本ハム(15-18)→ロッテ(19-現役)

成績:682試合 .241 (2485-600) 163本 438打点 644三振 240四球 1盗塁 出塁率.314 OPS.794
【試合:-位 安打:583位 本塁打:149位 打点:294位 盗塁:-位】

※寿司職人。15年に来日して日本ハムに入団すると、1年目から34本塁打をマークし、翌16年には39本塁打をマークして本塁打王となり、優勝にも貢献するなど長距離砲として活躍。昨年からはロッテに移籍し、球団では李承ヨプ以来14年ぶりの30本塁打も達成。今年もたくさんの寿司を握って三木に食べさせたい。


728 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:14:37 JzRFX8ss

【残り321試合】

・田村龍弘 1994年5月13日生 捕手 右投右打
経歴:光星学院高→12年ドラフト3位→ロッテ(13-現役)

成績:679試合 .227 (1821-414) 13本 183打点 383三振 169四球 17盗塁 出塁率.293 OPS.597
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※光星学院高では3期連続で甲子園で準優勝を経験。ロッテでは2年目の14年に頭角を現し、里崎智也が引退した15年からは正捕手に定着。18年には球団捕手では醍醐猛夫以来、49年ぶりの全試合出場も達成した。柿沼友哉や新人の佐藤都志也と次世代の捕手も台頭しつつある中で、今季もその定位置を守れるか。

【残り326試合】

・近藤健介 1993年8月9日生 外野手・捕手・三塁手 右投左打
経歴:横浜高→11年ドラフト4位→日本ハム(12-現役)

成績:674試合 .304 (2167-659) 28本 276打点 366三振 366四球 25盗塁 出塁率.403 OPS.819
【試合:-位 安打:531位 本塁打:-位 打点:531位 盗塁:-位】

※日本ハムでは12年に球団高卒新人捕手では56年ぶりのスタメンを果たすと、以降はイップスや打力を活かすべく三塁や外野で起用。高いミート力とずば抜けた選球眼を武器に17年にはシーズン半ばで離脱するも打率4割をマークし、昨年は最高出塁率のタイトルを獲得した。今年こそ夢の4割打者を目指す。


729 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:15:04 JzRFX8ss

【残り327試合】

・上本博紀 1986年7月4日生 二塁手 右投右打
経歴:広陵高→早稲田大→08年ドラフト3位→阪神(09-現役)

成績:673試合 .267 (1928-515) 30本 157打点 389三振 235四球 92盗塁 出塁率.351 OPS.727
【試合:-位 安打:660位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:266位】

※早稲田大では4年間全試合にフルイニング出場を果たす。阪神では11年から内野の準レギュラーとして1軍に定着し、14年には1番・二塁手として自己最多の131試合に出場し、20盗塁をマークした。近年は度重なる故障により振るわぬ年が続いており、糸原健斗が台頭したこともあり、今年は正念場の1年となる。

【残り336試合】

・アルフレド・デスパイネ 1986年6月17日生 外野手 右投右打
経歴:ロッテ(14-16)→ソフトバンク(17-現役)

成績:664試合 .264 (2343-618) 154本 452打点 545三振 306四球 3盗塁 出塁率.352 OPS.856
【試合:-位 安打:566位 本塁打:166位 打点:278位 盗塁:-位】

※キューバでは11-12年シーズンにリーグ歴代最多の36本塁打をマーク。14年途中にロッテに入団すると主砲として活躍し、17年からはソフトバンクに移籍。同年には35本塁打・103打点をあげて2冠を獲得し、昨年も自己最多の36本塁打をマーク。今季からは新たに2年契約を結んでおり、常勝球団を引き続き支える。


730 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:15:24 JzRFX8ss

【残り348試合】

・鈴木誠也 1994年8月18日生 外野手 右投右打
経歴:二松学舎大附高→12年ドラフト2位→広島(13-現役)

成績:652試合 .317 (2111-670) 119本 399打点 408三振 327四球 67盗塁 出塁率.411 OPS.972
【試合:-位 安打:525位 本塁打:231位 打点:347位 盗塁:384位】

※広島では4年目の16年に打撃の才能が開花し、まさに「神ってる」活躍でチームの3連覇に貢献。昨年は打率.335、出塁率.453で首位打者・最高出塁率の2冠となり、プレミア12では侍ジャパンの4番として世界一に貢献し、大会MVPを獲得。今後の球界を代表するスーパースターとして期待が止まらない。

【残り349試合】

・岡島豪郎 1989年9月7日生 外野手・捕手 右投左打
経歴:関東学園大附高→白鴎大→11年ドラフト4位→楽天(12-現役)

成績:651試合 .258 (2006-517) 23本 172打点 300三振 209四球 33盗塁 出塁率.332 OPS.680
【試合:-位 安打:656位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※楽天では1年目から嶋基宏に次ぐ2番手捕手として1軍で活躍し、翌13年からは外野手に転向し、1番打者として3割超の打率を残し、チームの日本一に貢献。その後は故障や他の若手外野手の台頭もあり、捕手再挑戦を表明した昨年には左肩の手術により1軍出場なしに。正捕手を目指し、今季は巻き返したいところ。


731 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:15:52 JzRFX8ss

【残り352試合】

・エルネスト・メヒア 1985年12月2日生 一塁手 右投右打
経歴:西武(14-現役)

成績:648試合 .247 (2065-510) 130本 370打点 665三振 219四球 4盗塁 出塁率.324 OPS.810
【試合:-位 安打:663位 本塁打:204位 打点:384位 盗塁:-位】

※14年開幕後に西武に入団すると、34本塁打をマークし、途中加入選手では初の本塁打王を獲得。16年には来日最多の35本塁打。近年は故障や不調もあり、昨年も6本塁打に終わったが代打では時折勝負強い打撃を見せており、今年こそ永遠の帰依を誓うファンたちを救世する活躍を見せたい。松井裕樹のトラウマ。

【残り389試合】

・小林誠司 1989年6月7日生 捕手 右投右打
経歴:広陵高→同志社大→日本生命→13年ドラフト1位→巨人(14-現役)

成績:611試合 .219 (1541-337) 14本 134打点 311三振 134四球 7盗塁 出塁率.289 OPS.571
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※巨人では阿部慎之助の後継者として期待され、3年目の16年には正捕手に定着。17年には自己最多の138試合に出場し、GG賞も獲得。しかし昨年は炭谷銀仁朗の加入もあり、一転して定位置争いの1年を送る形となった。一方で国際大会や球宴といった大舞台では別人のような活躍を見せて話題となった。


732 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:16:10 JzRFX8ss

【残り392試合】

・福田永将 1988年7月23日生 一塁手・三塁手・外野手 右投右打
経歴:横浜高→06年高校ドラフト3位→中日(07-現役)

成績:608試合 .263 (1603-421) 69本 243打点 408三振 135四球 0盗塁 出塁率.326 OPS.769
【試合:-位 安打:-位 本塁打:425位 打点:599位 盗塁:-位】

※横浜高では06年春の選抜で優勝を経験し、捕手として入団。プロ入り後は打力を活かすべく内野手に転向し、09年には初打席初本塁打を記録。その後は長らく1軍と2軍を行き来する日々が続くも、16年から1軍に定着し、昨年まで4年連続2桁本塁打。遅咲きの和製大砲としてチームのOBである和田曲線に乗れるか。

【残り404試合】

・ゼラス・ウィーラー 1987年1月6日生 三塁手・外野手 右投右打
経歴:ヤンキース(14)→楽天(15-現役)

成績:596試合 .262 (2112-553) 106本 345打点 471三振 214四球 16盗塁 出塁率.339 OPS.797
【試合:-位 安打:628位 本塁打:270位 打点:429位 盗塁:-位】

※ポテト。15年に来日して楽天に入団すると、日本野球に適応した2年目の16年にはリーグ3位の27本塁打、そして17年には球団助っ人初となる30本塁打をマーク。明るいキャラで人気を博すも、ここ2年はやや不振気味。鈴木大地やロメロの加入もあり、今季は三塁だけでなく外国人枠も争う試練の1年を迎える。


733 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:16:29 JzRFX8ss

【残り404試合】

・桑原将志 1993年7月21日生 外野手 右投右打
経歴:福知山成美高→11年ドラフト4位→DeNA(12-現役)

成績:596試合 .260 (1797-467) 37本 152打点 368三振 144四球 53盗塁 出塁率.326 OPS.720
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:475位】

※プロ入り後当初は内野手だったが、外野手に転向した14年から準レギュラーとして1軍で頭角を現し、16年からは1番・中堅手の定位置を獲得し、17年には全試合に出場してGG賞を獲得。しかし今年は神里和毅の台頭や自身の不振もあり、控えに押しやられ62試合と出場機会が減少。今季は巻き返しに期待したい。

【残り405試合】

・森友哉 1995年8月8日生 捕手・外野手 右投左打
経歴:大阪桐蔭高→13年ドラフト1位→西武(14-現役)

成績:595試合 .298 (1992-594) 74本 332打点 479三振 261四球 14盗塁 出塁率.380 OPS.866
【試合:-位 安打:590位 本塁打:403位 打点:447位 盗塁:-位】

※大阪桐蔭では藤浪晋太郎とともに甲子園春夏連覇を経験。小柄な体ながら豪快なフルスイングを武器に強打の捕手として活躍しており、昨年は打率.329 23本 105打点とキャリアハイの成績を残し、捕手としては史上4人目の首位打者となり、パリーグMVPも獲得。令和最強の捕手を目指し、今後の活躍にも注目。


734 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:16:48 JzRFX8ss

【残り410試合】

・中村奨吾 1992年5月8日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:天理高→早稲田大→14年ドラフト1位→ロッテ(15-現役)

成績:590試合 .249 (1891-471) 45本 194打点 392三振 174四球 70盗塁 出塁率.327 OPS.700
【試合:-位 安打:-位 本塁打:602位 打点:-位 盗塁:365位】

※ロッテでは1年目から即戦力として内外野問わず守れるユーティリティ的な活躍を見せ、18年からは二塁手の定位置を獲得。同年にはリーグ2位の39盗塁をマークし、昨年はラグーン設置の影響もあって自己最多の17本塁打をマークし、2年連続で全試合に出場。今後は井口資仁監督のような大型二塁手を目指したい。

【残り410試合】

・高谷裕亮 1981年11月13日生 捕手 右投左打
経歴:小山北桜高→富士重工業→白鴎大→06年大社ドラフト3位→ソフトバンク(07-現役)

成績:590試合 .190 (968-184) 8本 91打点 230三振 81四球 1盗塁 出塁率.255 OPS.500
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※ソフトバンクでは山崎勝己・田上秀則・細川亨・鶴岡慎也、そして甲斐拓也と次々と正捕手が入れ替わるチーム事情の中で長らく控え捕手としてプレーを続けており、陰ながらチームの黄金時代を支えている。なおグラシアルがホームランを打つたびにシャドーボクシングでKOされている。


735 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:17:12 JzRFX8ss

【残り411試合】

・安部友裕 1989年6月24日生 三塁手 右投左打
経歴:福岡工業大附城東高→07年高校ドラフト1位→広島(08-現役)

成績:589試合 .267 (1491-398) 24本 146打点 342三振 110四球 47盗塁 出塁率.318 OPS.689
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:528位】

※広島では11,14年に2軍で盗塁王となり、2軍暮らしを経て9年目の16年に三塁手の定位置争いに参戦する形で1軍に定着。17年には規定打席に到達して打率3割も達成するなどチームの3連覇に貢献した。今年は三塁だけでなく一塁の定位置も争い、攻守で覇気を見せていきたいところ。

【残り416試合】

・杉谷拳士 1991年2月4日生 外野手・二塁手 右投両打
経歴:帝京高→08年ドラフト6位→日本ハム(09-)

成績:584試合 .222 (1054-234) 12本 81打点 209三振 82四球 44盗塁 出塁率.292 OPS.600
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:554位】

※うかつに例に使ってしまったせいでここに該当していることを失念していたので詳細は>>1を参照。

【残り419試合】

・宮崎敏郎 1988年12月12日生 三塁手 右投右打
経歴:厳木高→日本文理大→セガサミー→12年ドラフト6位→DeNA(13-現役)

成績:581試合 .303 (1983-600) 72本 233打点 192三振 141四球 0盗塁 出塁率.355 OPS.824
【試合:-位 安打:583位 本塁打:411位 打点:-位 盗塁:-位】

※13年にDeNAに入団すると、4年目の16年に二塁手の定位置を争う形で1軍に定着すると、翌17年には三塁手のポジションを獲得し、5番打者として打率.323をマークして首位打者となり、18年にも28本塁打をマーク。昨年も故障があったものの勝負強い打撃でチームを支えた。今季もその強打でチームを支えたい。


736 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 14:17:30 JzRFX8ss

【残り420試合】

・高橋周平 1994年1月18日生 三塁手・二塁手 右投左打
経歴:東海大甲府高→11年ドラフト1位→中日(12-現役)

成績:580試合 .253 (1813-459) 41本 229打点 397三振 136四球 5盗塁 出塁率.308 OPS.698
【試合:-位 安打:-位 本塁打:-位 打点:-位 盗塁:-位】

※('ω`)シュウヘイ…。高校通算71本塁打。3球団競合の末に中日にプロ入り。長らく1軍と2軍を行き来する日々が続いていたが、18年に二塁手として1軍に定着を果たすと、主将となった昨年はついに打撃が開花し、3割近い打率をマークして三塁手のベストナイン・GG賞も獲得。本格的に竜の未来を担う日々も近い。

【残り421試合】

・大田泰示 1990年6月9日生 外野手 右投右打
経歴:東海大相模高→08年ドラフト1位→巨人(09-16)→日本ハム(17-現役)

成績:579試合 .264 (1803-476) 58本 222打点 441三振 123四球 25盗塁 出塁率.314 OPS.736
【試合:-位 安打:-位 本塁打:487位 打点:-位 盗塁:-位】

※高校通算65本塁打をマークし、鳴り物入りで巨人に入団するも、期待のプレッシャーも大きく1軍定着を果たせぬまま17年に日本ハムにトレードで移籍。すると打撃の才能が開花し、昨年にはキャリアハイの20本塁打・77打点をマーク。今年も中田翔らとともに日ハム打線の主軸としてチームを引っ張る。


737 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 15:30:55 ONPlbO46
小林って600試合くらいなんすね
なんか意外


738 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/21(土) 18:39:52 io2FxaxI
プロ入り遅かったし、併用も長かったからさほど意外でもないような…。>小林
それより高谷がリストアップされてるけど、到達しそうにもないっすね。


739 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/21(土) 19:32:00 ???
岡島豪郎の1000試合は間に合いそうですか…?


740 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/22(日) 13:12:06 DLt7Fezc
本日から4日間は1000試合出場まではまだ時間がかかりそうではあるものの、これからの活躍次第では十分達成可能な期待の選手たちを12球団別にピックアップしました
明確な基準は設けず、またチーム事情等もあって人数にかなりバラつきがありますがそこはご了承ください
今回は巨人、DeNA、阪神の3球団です


741 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/22(日) 13:12:54 DLt7Fezc

【巨人】

【残り679試合】

・岡本和真 1996年6月30日生 一塁手・三塁手・外野手 右投右打
経歴:智辯学園高→14年ドラフト1位→巨人(15-現役)

成績:321試合 .281 (1164-327) 65本 200打点 268三振 140四球 7盗塁 出塁率.363 OPS.860

※高校通算73本塁打の実績を引っ提げ、1位指名を受けて巨人に入団。4年目の18年に打撃の才能が開花し、同年には打率3割30本100打点を史上最年少となる22歳3ヶ月でクリアし、昨年も2年連続で30本塁打をマーク。新時代の巨人の不動の4番打者として、今後のさらなる活躍が期待される。

【残り726試合】

・石川慎吾 1993年4月27日生 外野手 右投右打
経歴:東大阪大柏原高→11年ドラフト3位→日本ハム(12-16)→巨人(17-現役)

成績:274試合 .223 (534-119) 12本 53打点 115三振 35四球 3盗塁 出塁率.276 OPS.626

※ダイナマイトシンゴ。高校通算55本塁打を放ち、日本ハムに入団するも出場機会に恵まれず、16年オフにトレードで巨人に移籍。すると翌17年には外野の準レギュラーとして自己最多の99試合に出場。昨年もほぼ控えながらサヨナラ本塁打を放つなど印象的な活躍を見せた。今季は定位置を獲得したいところ。

【残り735試合】

・重信慎之介 右投左打 外野手 右投左打
経歴:早稲田実業高→早稲田大→15年ドラフト2位→巨人(16-現役)

成績:265試合 .243 (474-115) 4本 33打点 122三振 35四球 35盗塁 出塁率.292 OPS.643

※早稲田大から巨人に入団。1年目から2軍で36盗塁をマークするなど俊足には定評があり、主に代走要員として1軍に定着。18年からは打撃でも結果を残し始めており、昨年は自己最多の106試合に出場。丸佳浩や亀井善行、新助っ人のパーラと外野の層が厚い中で来季以降もどれだけ存在感を発揮できるか。

【残り808試合】

・大城卓三 1993年2月11日生 捕手・一塁手 右投左打
経歴:東海大相模高→東海大→NTT西日本→17年ドラフト3位→巨人(18-現役)

成績:192試合 .265 (479-127) 10本 47打点 126三振 40四球 0盗塁 出塁率.326 OPS.716

※東海大相模では一二三慎太とバッテリーを組んで10年夏の甲子園で準優勝を経験。東海大、NTT西日本を経て入団した巨人では1年目から2番手捕手として1軍で結果を残し、昨年は一塁手として起用され、5番打者としてリーグ優勝にも貢献。高橋由伸の背番号「24」を引き継ぎ、3年目の今季を迎える。


742 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/22(日) 13:13:16 DLt7Fezc

【DeNA】

【残り505試合】

・倉本寿彦 1991年1月7日生 遊撃手・二塁手 右投左打
経歴:横浜高→創価大→日本新薬→14年ドラフト3位→DeNA(15-現役)

成績:495試合 .257 (1547-398) 6本 124打点 318三振 58四球 6盗塁 出塁率.287 OPS.597

※DeNAでは1年目から即戦力遊撃手として1軍で起用され、翌16年からは正遊撃手となり、17年には8番投手に次ぐ9番打者を担い、フルイニング出場も達成。しかし近年は自身の不振や大和の移籍加入もあり、昨年はわずか24試合。色々と言われがちな選手であるが、プレーでファンの期待と信頼を取り戻したい。

【残り576試合】

・中井大介 1989年11月27日生 二塁手・一塁手 右投右打
経歴:宇治山田商業高→07年高校ドラフト3位→巨人(08-18)→DeNA(19-現役)

成績:424試合 .245 (822-201) 14本 61打点 172三振 68四球 10盗塁 出塁率.306 OPS.653

※巨人では09年に平成生まれの選手では史上初の本塁打を記録。しかし二塁手の定位置獲得のチャンスを掴みきれず、18年限りで戦力外となる。トライアウトを経て移籍したDeNAでは昨年、右の代打から対左投手時には二塁でスタメンするなどスーパーサブとして活躍しており、今季も存在感を示したい。

【残り634試合】

・乙坂智 1994年1月6日生 外野手 右投左打
経歴:横浜高→11年ドラフト5位→DeNA(12-現役)

成績:366試合 .234 (556-130) 9本 46打点 121三振 43四球 14盗塁 出塁率.292 OPS.630

※DeNAでは3年目の14年に初打席初本塁打を記録。その後翌15年から外野の準レギュラーとして1軍に定着し、近年は代打の切り札として活躍。昨年には得点圏打率.382もマークし、CSでも代打逆転サヨナラ2ランを放った。勝負強い打撃で今季もエキサイトな活躍を見せたい。本名は乙坂・ルーセロ・智・ニコラス。

【残り669試合】

・柴田竜拓 1993年12月16日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:岡山理科大附高→國學院大→15年ドラフト3位→DeNA(16-現役)

成績:331試合 .232 (642-149) 7本 43打点 141三振 72四球 7盗塁 出塁率.315 OPS.621

※DeNAでは1年目から開幕1軍を掴み、開幕戦で広島・ジョンソンからプロ初打席で決勝適時打を記録。その後は主に二塁手として頭角を現し、18,19年と2年連続で110試合以上に出場。打撃成績も徐々に成長しており、準レギュラーから卒業し、定位置を掴み取れるように今季はさらなる活躍に期待したい。


743 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/22(日) 13:13:43 DLt7Fezc

【残り698試合】

・嶺井博希 1991年6月4日生 捕手 右投右打
経歴:沖縄尚学高→亜細亜大→13年ドラフト3位→DeNA(14-現役)

成績:302試合 .218 (656-143) 15本 81打点 164三振 31四球 0盗塁 出塁率.278 OPS.612

※沖縄尚学高・亜細亜大では1年先輩の東浜巨とバッテリーを組んだ。DeNAにプロ入り後は、2年目の15年から正捕手争いに参戦。18年は途中加入の伊藤光とともに定位置を争い、自己最多の91試合に出場し、現在は2番手の位置。正捕手となるその日に向かい、今日もハマのシーサーは攻守で吠える。

【残り752試合】

・ネフタリ・ソト 1989年2月28日生 二塁手・外野手 右投右打
経歴:レッズ(13-14)→DeNA(18-現役)

成績:248試合 .288 (932-268) 84本 203打点 198三振 88四球 0盗塁 出塁率.355 OPS.949

※DeNAにはテストを経て入団。18年には5月の初本塁打から長打を量産し、気付けば41本塁打をマークして本塁打王を獲得。昨年も43本・108打点で2冠となるなどリーグを代表する助っ人に成長。オースティンが加入し、ロペスとともに外国人枠の争いがさらに激しくなる今季も、その打棒でチームを支えたい。

【残り791試合】

・神里和毅 1994年1月7日生 外野手 右投左打
経歴:糸満高→中央大→日本生命→17年ドラフト2位→DeNA(18-現役)

成績:209試合 .269 (674-181) 11本 56打点 189三振 45四球 30盗塁 出塁率.319 OPS.721

※DeNAでは1年目から開幕1軍入りを果たし、プロ初本塁打を初回先頭打者弾で記録し、幼少期に追いかける犬を振り切ったという俊足を武器に15盗塁をマーク。昨年も主に1番・中堅手として規定打席にも到達。走攻守三拍子揃った中堅手を目指し、熾烈を極めるポジション争いを制してより進化の1年にしたい。

【残り820試合】

・佐野恵太 1994年11月28日生 外野手 右投左打
経歴:広陵高→明治大→16年ドラフト9位→DeNA(17-現役)

成績:180試合 .259 (347-90) 10本 48打点 70三振 19四球 1盗塁 出塁率.301 OPS.690

※DeNAでは2年目の18年にプロ初本塁打含む5本塁打をマークして1軍で頭角を現すと、昨年には勝負強い打撃でクリーンアップも務め、規定打席不足ながら3割近い打率もマーク。今季はチームの主将を務めることとなり、MLB挑戦により退団した筒香嘉智の後継者として今後の活躍に期待したい。SNKIT。


744 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/22(日) 13:14:14 DLt7Fezc

【阪神】

【残り442試合】

・梅野隆太郎 1991年6月17日生 捕手 右投右打
経歴:福岡工業大附城東高→福岡大→13年ドラフト4位→阪神(14-現役)

成績:558試合 .233 (1577-367) 30本 182打点 346三振 119四球 21盗塁 出塁率.291 OPS.643

※阪神では1年目から即戦力としてスタメンマスクの機会を稼ぎ、その後しばらく2軍との行き来が続くも、17年からは正捕手の座を獲得。昨年は足の指を骨折しながらもサイクル安打を放つなど定位置を譲らず、捕手としては歴代最多のシーズン123補殺をマーク。今後も攻守の要としてチームを支えていきたい。

【残り613試合】

・高山俊 1993年4月18日生 外野手 右投左打
経歴:日大第三高→明治大→15年ドラフト1位→阪神(16-現役)

成績:387試合 .256 (1221-313) 20本 132打点 264三振 76四球 20盗塁 出塁率.305 OPS.668

※明治大では六大学リーグ歴代最多の131安打をマークし、ヤクルトとの競合の末に阪神に入団。プロでも1年目から安打を量産し、136安打を放って新人王を獲得。17,18年はやや不振に陥るも、昨年はサヨナラ満塁本塁打を放ったことを皮切りに、攻守で復活を果たした。今季は1年目の成績を超す活躍に期待したい。

【残り647試合】

・中谷将大 1993年1月5日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:福岡工業大附城東高→10年ドラフト3位→阪神(11-現役)

成績:353試合 .232 (924-214) 35本 120打点 254三振 73四球 3盗塁 出塁率.292 OPS.686

※阪神には捕手として入団するも1年目から外野手として起用され、2軍暮らしを経て16年から頭角を現し、翌17年には球団生え抜き右打者としては11年ぶりの20本塁打をマーク。しかし近年は不振に悩まされており、出場機会は減少。10年目を迎える今季は背水の陣で臨み、バットで結果を残したい。

【残り648試合】

・糸原健斗 1992年11月11日生 二塁手・三塁手・遊撃手 右投左打
経歴:開星高→明治大→JX-ENEOS→16年ドラフト5位→阪神(17-現役)

成績:352試合 .274 (1184-325) 4本 104打点 169三振 169四球 13盗塁 出塁率.371 OPS.722

※阪神では1年目から一時期遊撃手のレギュラーを獲得するなど頭角を現し、翌18年には正二塁手に定着し、高い選球眼を武器としてリーグ4位の86四球を選ぶなど1番打者として活躍。3年目にして主将となった昨年も2年連続で全試合に出場するなど、今や不動の二塁手に。今後のさらなる飛躍に期待したい。

【残り650試合】

・北條史也 1994年7月29日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:光星学院高→12年ドラフト2位→阪神(13-現役)

成績:350試合 .266 (1018-271) 14本 93打点 205三振 103四球 9盗塁 出塁率.335 OPS.697

※光星学院高では3年夏の甲子園で4本塁打を放ち、準優勝を経験。阪神では4年目の16年に遊撃手の定位置を掴み、自己最多の122試合に出場。昨年は新人の木浪聖也の加入もあったものの82試合に出場。パワプロで送球Gと査定されるなど課題の守備を克服し、絶対的な遊撃手となるべく定位置争いを勝ち抜きたい。


745 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/22(日) 13:14:58 DLt7Fezc

【残り665試合】

・大山悠輔 1994年12月19日生 三塁手・一塁手 右投右打

成績:335試合 .259 (1083-281) 32本 162打点 193三振 83四球 10盗塁 出塁率.316 OPS.734

※(阪神の和製大砲ですよん)。球団新人53年ぶりの4番打者を務めるなど1年目から期待は大きく、2年目には2桁本塁打を記録。昨年にはシーズン終盤まで4番を務めるなど、勝負強い打撃を見せた。同じポジションのマルテだけでなく新助っ人が増えた今季こそ覚醒して4番に返り咲いてくれよなぁ〜頼むよぉ〜

【残り695試合】

・原口文仁 1992年3月3日生 捕手・一塁手 右投右打
経歴:帝京高→09年ドラフト6位→阪神(10-現役)

成績:305試合 .279 (702-196) 20本 101打点 138三振 60四球 1盗塁 出塁率.355 OPS.768

※3年目の12年に椎間板ヘルニアを患って育成落ちを経験し、支配下に復帰した16年には5月の月間MVPも獲得。勝負強い打撃を武器に18年には代打の切り札として球団最多タイの代打安打23本を記録。昨年は開幕前に大腸がんを患うも戦列復帰し、球宴にもプラスワンで選出。激動の人生を送る中、20年は果たして。

【残り858試合】

・近本光司 1994年11月9日生 外野手 左投左打
経歴:社高→関西学院大→大阪ガス→18年ドラフト1位→阪神(19-現役)

成績:142試合 .271 (586-159) 9本 42打点 110三振 31四球 36盗塁 出塁率.313 OPS.689

※ハズレハズレ1位で阪神に入団。1年目の昨年は1番・木浪聖也とともに2番・中堅手として開幕スタメンに抜擢されると以降は新人離れした活躍を見せ、長嶋茂雄を抜いてセリーグ新人最多の159安打を記録し、赤星憲広以来となる新人での盗塁王を獲得するとかすげェ!流石○本光司先生ァ!なんて神々しいんだ…

【残り887試合】

・木浪聖也 1994年6月15日生 遊撃手 右投左打
経歴:青森山田高→亜細亜大→Honda→18年ドラフト3位→阪神(19-現役)

成績:113試合 .262 (363-95) 4本 32打点 77三振 18四球 2盗塁 出塁率.302 OPS.657

※青森山田高では京田陽太と同期であり、亜細亜大、Hondaを経て阪神に入団。昨年のオープン戦から結果を残し、1番・遊撃手として開幕スタメンに名を連ね、以降は北條史也らと併用されながら遊撃手として活躍し、1年目から113試合に出場。絶対的正遊撃手の後継を狙い、2年目のシーズンを迎える。


746 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/23(月) 15:41:26 .NiwbYT.
今日は広島、中日、ヤクルトの3球団です


747 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/23(月) 15:42:18 .NiwbYT.

【広島】

【残り443試合】

・堂林翔太 1991年8月17日生 三塁手・一塁手・外野手 右投右打
経歴:中京大中京高→09年ドラフト2位→広島(10-現役)

成績:557試合 .235 (1392-327) 31本 137打点 396三振 124四球 20盗塁 出塁率.308 OPS.661

※中京大中京では日本文理との激戦の末に09年夏の甲子園を制覇。広島では3年目の12年に三塁手のレギュラーを獲得し、攻守に粗があったものの14本塁打をマーク。その後は順風満帆…とはいかず、近年は1軍と2軍を行き来する日々が続いている状態。今季はOP戦で結果を残しており、このまま復活の1年としたい。

【残り505試合】

・野間峻祥 1993年1月28日生 外野手 右投左打
経歴:神戸村野工業高→中部学院大→14年ドラフト1位→広島(15-現役)

成績:495試合 .259 (987-256) 8本 75打点 178三振 74四球 50盗塁 出塁率.318 OPS.670

※1位指名を受けて入団した広島では1年目から開幕1軍入りを果たし、外野の準レギュラーとして127試合に出場。18年には規定打席に到達して17盗塁をマークした。昨年もやや不調ながら1年通して1軍に帯同。定位置は確約されていないこともあり、今季は攻守でレベルアップして隙を作らないようにしたい。

【残り598試合】

・西川龍馬 1994年12月10日生 外野手・三塁手 右投左打
経歴:敦賀気比高→王子→15年ドラフト5位→広島(16-現役)

成績:402試合 .296 (1117-331) 27本 140打点 176三振 73四球 15盗塁 出塁率.340 OPS.777

※広島では卓越したミート力を武器に1年目から1軍で結果を残し、18年には三塁手として規定打席不足ながら打率3割もマーク。昨年は巨人に移籍した丸佳浩の穴を埋めるべく中堅手の定位置を掴み、球団2位の27試合連続安打を放つなどキャリアハイの成績を残した。今季はその定位置をより不動のものにしたい。

【残り942試合】

・小園海斗 2000年6月7日生 遊撃手・三塁手 右投左打
経歴:報徳学園高→18年ドラフト1位→広島(19-現役)

成績:58試合 .213 (188-40) 4本 16打点 42三振 6四球 1盗塁 出塁率.241 OPS.565

※18年のドラフトでは4球団の競合の末に広島に入団。1年目の昨季は6月に1番・遊撃手でデビューを果たし、不振に陥った田中広輔に代わって遊撃手の定位置を掴み、球団高卒新人最多の4本塁打を記録。今季は田中の遊撃復帰もあって三塁にも挑戦。まだまだ2年目と先は長いものの、今後の達成には大いに期待。


748 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/23(月) 15:42:41 .NiwbYT.

【中日】

【残り516試合】

・ダヤン・ビシエド 1989年3月10日生 一塁手 右投右打
経歴:ホワイトソックス(10-14)→中日(16-現役)

成績:484試合 .303 (1794-543) 84本 309打点 269三振 165四球 10盗塁 出塁率.372 OPS.874

※ホワイトソックスでは左翼手としてメジャー通算66本塁打をマーク。16年に来日して中日に入団して以来、現在に至るまで不動の4番打者を務めており、18年には首位打者・最多安打を獲得し、昨年もリーグ2位の打率.315をマーク。日本を愛し、また他の外国人選手のまとめ役としてチームに欠かせない存在。

【残り576試合】

・京田陽太 1994年4月20日生 遊撃手 右投左打
経歴:青森山田高→日本大→16年ドラフト2位→中日(17-現役)

成績:424試合 .249 (1649-411) 11本 120打点 307三振 74四球 60盗塁 出塁率.288 OPS.613

※中日では1年目から遊撃手の定位置を掴み、球団新人最多の149安打をマークしてチーム19年ぶりの新人王を獲得。リーグ屈指の守備力に定評があり、昨年も球宴に初出場したもののGG賞は獲得ならず。新たに選手会長を務める今季は攻守ともにさらにレベルアップし、評価を絶対的なものにしたい。

【残り772試合】

・遠藤一星 1989年3月23日生 外野手・遊撃手 右投左打
経歴:駒場学園高→中央大→東京ガス→14年ドラフト7位→中日(15-現役)

成績:228試合 .246 (415-102) 8本 39打点 92三振 25四球 10盗塁 出塁率.305 OPS.657

※即戦力遊撃手として1年目から1軍で積極的に起用されるも、3年目の17年に外野手に転向。出場機会になかなか恵まれていなかったが、昨年は代走・守備固めを主に外野の準レギュラーとして自己最多の108試合に出場。依然として外野の定位置争いの中におり、年齢的にも余裕はないがなんとか存在感を示したい。

【残り807試合】

・阿部寿樹 1989年12月3日生 二塁手 右投右打
経歴:一関第一高→明治大→Honda→15年ドラフト5位→中日(16-現役)

成績:193試合 .277 (560-155) 8本 69打点 108三振 40四球 3盗塁 出塁率.325 OPS.707

※Hondaでは車体に配線を埋め込む仕事をしながら野球を続け、5位指名を受けて中日に入団。3年目の18年までは2軍暮らしが続いていたが、昨季は打撃が開花して二塁手の定位置を獲得し、リーグ10位の打率.291をマーク。今年で31歳と遅咲きではあるものの今後に期待したい。愛称は風貌から「マスター」。


749 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/23(月) 15:43:16 .NiwbYT.

【ヤクルト】

【残り506試合】

・荒木貴裕 1987年7月26日生 一塁手・外野手・三塁手 右投右打
経歴:帝京第三高→近畿大→09年ドラフト3位→ヤクルト(10-現役)

成績:474試合 .238 (905-215) 17本 104打点 177三振 81四球 14盗塁 出塁率.308 OPS.648

※ヤクルトでは遊撃手として1年目の10年に球団新人では40年ぶりの開幕スタメンを果たすも、以降は長らく2軍暮らし。その後は徐々に守れるポジションを増やし、また右の代打要員としても活躍の幅を伸ばし、10年目の昨年は自己最多の93試合に出場。年齢的にはベテランになりつつあるも欠かせない戦力の一員。

【残り634試合】

・西浦直亨 1991年4月11日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:天理高→法政大→13年ドラフト2位→ヤクルト(14-現役)

成績:366試合 .239 (1095-262) 23本 120打点 226三振 96四球 14盗塁 出塁率.305 OPS.663

※ヤクルトでは14年にリーグ史上初となる開幕戦初打席初本塁打という鮮烈なデビューを飾る。3年目の16年から遊撃手として頭角を現し、18年には定位置を獲得して自己最多の138試合に出場。しかし昨年は故障により44試合にとどまった。エスコバーが加入した今季は廣岡大志とともに定位置争いの1年となる。

【残り826試合】

・太田賢吾 1997年1月19日生 三塁手・二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:川越工業高→14年ドラフト8位→日本ハム(15-18)→ヤクルト(19-現役)

成績:184試合 .230 (421-97) 4本 38打点 110三振 27四球 0盗塁 出塁率.279 OPS.593

※日本ハムでは3年目の17年に1軍デビューを果たすと、翌18年にかけて主に二塁手として出場。同年オフにトレードでヤクルトに移籍すると、昨年は坂口智隆の代役として1番打者に抜擢され、内野のユーティリティとして自己最多の90試合に出場した。余談だが、5月1日DeNA戦で令和初の安打を記録した。


750 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/23(月) 15:43:35 .NiwbYT.

【残り831試合】

・山崎晃大朗 1993年8月11日生 外野手 左投左打
経歴:青森山田高→日本大→15年ドラフト5位→ヤクルト(16-現役)

成績:169試合 .246 (443-109) 1本 21打点 103三振 35四球 12盗塁 出塁率.303 OPS.615

※日本大の先輩であり、当時の監督だった真中満の背番号31を引き継いでプロ入りしたヤクルトでは1年目から2軍で38盗塁をマークし、盗塁王を獲得。昨年は外野の準レギュラーとして自己最多の80試合に出場。青木宣親や坂口智隆、上田剛史や塩見泰隆と外野のライバルは多いものの、今年はその競争を制したい。

【残り851試合】

・廣岡大志 1997年4月9日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:智辯学園高→15年ドラフト2位→ヤクルト(16-現役)

成績:149試合 .213 (352-75) 13本 39打点 126三振 40四球 1盗塁 出塁率.297 OPS.663

※ヤクルトでは1年目の16年に高木守道以来、セ56年ぶりとなる高卒新人野手での初打席初本塁打を記録。昨年はワーストタイとなる開幕から41打席連続無安打という不名誉な記録もあったものの、シーズン後半に巻き返し、結果的に2桁本塁打も達成した。今季は熾烈な遊撃手の定位置争いを勝ち抜きたい。

【残り851試合】

・村上宗隆 2000年2月2日生 一塁手・三塁手 右投左打
経歴:九州学院高→17年ドラフト1位→ヤクルト(18-現役)

成績:149試合 .228 (523-119) 37本 98打点 189三振 76四球 5盗塁 出塁率.329 OPS.807

※巨人・楽天との3球団競合の末にハズレ1位でヤクルトに入団。1年目の18年には初打席初本塁打を記録して才能の片鱗を見せると、昨年には2年目にして長打力が開花し、高卒2年目としては歴代最多タイの36本塁打、同最多の87打点をマークし、新人王となった。令和の怪物として今後の更なる活躍に期待したい。


751 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/24(火) 15:01:48 qH5mir2E
本日は西武、ソフトバンク、楽天の3球団です


752 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/24(火) 15:02:07 qH5mir2E

【西武】

【残り461試合】

・木村文紀(木村文和) 1988年9月13日生 外野手・投手 右投右打
経歴:埼玉栄高→06年高校ドラフト1位→西武(07-現役)

成績:539試合 .216 (1089-235) 31本 105打点 347三振 74四球 48盗塁 出塁率.271 OPS.626
投手:41登板 1勝4敗 0S 1H 72.1投球回 51奪三振 34与四球 87被安打 防5.60 WHIP1.67

※西武には投手として入団し、6年間で41試合に登板。12年に外野手に転向すると、14年には2桁本塁打をマーク。その後は外野の準レギュラーとして1軍に名を連ね、昨年には右翼手の定位置を獲得し、自己最多の130試合に出場し、10本塁打・16盗塁をマーク。今季は確実性も高め、より安定した成績を残したい。

【残り523試合】

・外崎修汰 1992年12月20日生 二塁手・外野手・三塁手 右投右打
経歴:弘前実業高→富士大→14年ドラフト3位→西武(15-現役)

成績:477試合 .265 (1572-416) 57本 214打点 384三振 152四球 85盗塁 出塁率.333 OPS.770

※西武では当初遊撃手だったものの、3年目の17年に外野手にも挑戦し、内外野守れるユーティリティとして1軍に定着。昨年は浅村栄斗の移籍により二塁手に専念し、走攻守3拍子揃った選手として26本塁打・22盗塁をマーク。実家はリンゴ園であり、今季もその持ち前の打撃で「アップルパンチ」しまくりたい。

【残り572試合】

・山川穂高 1991年11月23日生 一塁手 右投右打
経歴:中部商業高→富士大→13年ドラフト2位→西武(14-現役)

成績:428試合 .269 (1477-398) 129本 341打点 398三振 239四球 1盗塁 出塁率.383 OPS.961

※西武では3年目の16年に14本塁打、翌17年には23本塁打をマークして頭角を現すと、18年には全試合で4番を務めて自己最多の47本塁打を放ち、昨年も日本人史上最速の通算100号を達成するなど42本塁打を記録して2年連続本塁打王となり、連覇に大きく貢献。山賊打線の主砲として今後もアーチ量産が期待される。

【残り579試合】

・源田壮亮 1993年2月16日生 遊撃手 右投左打
経歴:大分商業高→愛知学院大→トヨタ自動車→西武(16-現役)

成績:421試合 .274 (1709-468) 9本 155打点 268三振 124四球 101盗塁 出塁率.325 OPS.683

※西武では新人遊撃手としては初のフルイニング出場を果たし、リーグ2位の37盗塁をマークするなど新人王を獲得。その後も現役屈指の守備力と走力を武器に山賊打線を支え、2年連続でベストナイン・GG賞を獲得するなど連覇に貢献。主将を務める今季も走攻守において「たまらん」活躍を見せたいところ。


753 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/24(火) 15:02:30 qH5mir2E

【ソフトバンク】

【残り595試合】

・上林誠知 1995年8月1日生 外野手 右投左打
経歴:仙台育英高→13年ドラフト4位→ソフトバンク(14-現役)

成績:405試合 .253 (1287-325) 48本 151打点 308三振 72四球 35盗塁 出塁率.298 OPS.743

※ソフトバンクでは2年目の15年に2軍の首位打者となり、4年目の17年には外野手の定位置を獲得。18年には自己最多の22本塁打、歴代4位タイのシーズン14三塁打をマークした。しかし昨年は死球による骨折もあり、打率1割台と不振に陥り悔しい1年を送った。他の外野手の台頭もある中で今年は勝負の1年となる。

【残り612試合】

・甲斐拓也 1992年11月5日生 捕手 右投右打
経歴:楊志館高→10年育成ドラフト6位→ソフトバンク(11-現役)

成績:388試合 .237 (904-214) 23本 99打点 265三振 103四球 15盗塁 出塁率.316 OPS.679

※育成ドラフト6位でソフトバンクに入団すると、13年に支配下登録を勝ち取り、長い2軍暮らしの末に17年に正捕手に抜擢。以降は「キャノン」と称される強肩を武器に活躍し、昨年まで3年連続でGG賞を獲得。球団のレジェンドである野村克也の背番号「19」を継承した今季も攻守の要として常勝球団を支える。

【残り721試合】

・牧原大成 1992年10月15日生 二塁手・外野手・遊撃手 右投左打
経歴:城北高→10年育成ドラフト5位→ソフトバンク(11-現役)

成績:289試合 .257 (814-209) 6本 63打点 146三振 19四球 25盗塁 出塁率.278 OPS.608

※千賀、甲斐とともに育成ドラフトでソフトバンクに入団すると2年目の12年に支配下に。内外野守れるユーティリティとして代走・守備要員として徐々に1軍に定着。18年にはシーズン途中から1番打者として起用され、昨年も自己最多の114試合に出場。チームに欠かせない戦力となるべく今後の成長にも期待。

【残り898試合】

・周東佑京 1996年2月10日生 外野手 右投左打
経歴:東農大第二高→東農大北海道オホーツク→17年育成ドラフト2位→ソフトバンク(18-現役)

※ソフトバンクでは2年目の昨年に支配下登録を勝ち取ると、主力の相次ぐ故障から出場機会を稼ぎ、代走の切り札としてリーグ5位の25盗塁をマーク。プレミア12の代表入りも果たし、大会最多の4盗塁を記録して世界一にも貢献した。次世代のスピードスター候補としてさらなるブレイクが期待される。


754 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/24(火) 15:02:53 qH5mir2E

【楽天】

【残り539試合】

・茂木栄五郎 1994年2月14日生 遊撃手・三塁手 右投左打
経歴:桐蔭学園高→早稲田大→15年ドラフト3位→楽天(16-現役)

成績:461試合 .277 (1751-485) 44本 166打点 383三振 183四球 33盗塁 出塁率.348 OPS.768

※楽天では球団新人野手では初の開幕スタメンを果たすなど、1年目から正遊撃手として1軍で躍動。翌17年には強打の1番打者として球団生え抜き初の2桁本塁打を達成。昨年も1番打者として自己最多の141試合に出場。今年は人生初の主将を務めることとなり、チームを引っ張る存在としてシーズンに臨む。

【残り697試合】

・ステファン・ロメロ 1988年10月17日生 外野手 右投右打
経歴:マリナーズ(14-16)→オリックス(17-19)→楽天(20-現役)

成績:303試合 .268 (1128-302) 69本 192打点 295三振 94四球 12盗塁 出塁率.332 OPS.826

※17年に来日してオリックスに入団すると、1年目からチーム2位の26本塁打を放って日本野球に適応。故障で離脱することも多い中で、昨年も規定打席不足ながら打率3割、18本塁打をマークしたものの自由契約に。そして今年1月に楽天への電撃移籍が発表。外国人枠争いを勝ち抜いて期待に応えたいところ。

【残り785試合】

・田中和基 1994年8月8日生 外野手 右投両打
経歴:西南学院高→立教大→16年ドラフト3位→楽天(17-現役)

成績:215試合 .232 (637-148) 20本 56打点 163三振 66四球 31盗塁 出塁率.303 OPS.669

※楽天では1年目から代走要員として1軍で頭角を現し、翌18年には中堅手の定位置を獲得し、球団日本人では初の両打席本塁打を記録するなど18本塁打・21盗塁の好成績で球団野手初の新人王となる。しかし昨年は故障が相次いで出場機会が大幅に減少。再び定位置に復帰するべく、今季は復活の1年としたい。


755 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/24(火) 15:03:11 qH5mir2E

【残り812試合】

・オコエ瑠偉 1997年7月21日生 外野手 右投右打
経歴:関東第一高→15年ドラフト1位→楽天(16-現役)

成績:188試合 .219 (470-103) 9本 38打点 117三振 17四球 16盗塁 出塁率.259 OPS.620

※ナイジェリア人の父を持つハーフであり、15年ドラフトのハズレ1位で楽天に入団。4年目の昨年は52試合の出場に終わるも、CSでは千賀滉大から本塁打を記録。田中和基や辰己涼介、さらに助っ人たちとライバルは多いものの、走攻守をさらに磨いて5年目の今季は期待に応えて定位置獲得を目指したい。

【残り872試合】

・ジャバリ・ブラッシュ 1989年7月4日生 外野手 右投右打
経歴:パドレス(16-17)→エンゼルス(18)→楽天(19-現役)

成績:128試合 .261 (426-111) 33本 95打点 157三振 81四球 2盗塁 出塁率.397 OPS.936

※エンゼルスでは大谷翔平と同僚となり、昨年来日して楽天に入団。両足を揃えて右肘を高く上げる一見独特なフォームから本塁打を量産し、パリーグ通算5万号を含む、球団助っ人歴代最多の33本塁打をマーク。チーム7年ぶりの優勝に向けて欠かせない主砲であり、今季もバットでチームを勝利に導きたい。

【残り876試合】

・辰己涼介 1996年12月27日生 外野手 右投左打
経歴:社高→立命館大→18年ドラフト1位→楽天(19-現役)

成績:124試合 .229 (314-72) 4本 25打点 101三振 39四球 13盗塁 出塁率.320 OPS.639

※18年ドラフトで4球団の競合の末に楽天に入団。俊足と抜群の身体能力を活かした外野守備を武器に1年目から主に中堅手のレギュラーとして活躍し、124試合に出場。UZRも中堅手としてはリーグ最高となる+9.6をマークした。2年目の今季は打撃を磨き、チームのリードオフマンとして活躍に期待したい。


756 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/24(火) 16:39:01 jSlPmOX6
茂木くんもう少しで半分までいけますね


757 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/25(水) 14:53:12 077dJ4HQ
最後はロッテ、日本ハム、オリックスです


758 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/25(水) 14:53:43 077dJ4HQ

【ロッテ】

【残り551試合】

・加藤翔平 1991年3月28日生 外野手 右投両打
経歴:春日部東高→上武大→12年ドラフト4位→ロッテ(13-現役)

成績:449試合 .244 (1120-273) 13本 78打点 237三振 42四球 31盗塁 出塁率.276 OPS.619

※ロッテでは1年目の13年に新人野手としては史上初のプロ初打席初球本塁打を記録。その後は岡田幸文や荻野貴司とともに中堅手の定位置を争いながらも外野手の準レギュラーとして1軍に定着。今季は福田秀平の加入もあり、外野の定位置争いがより過熱。こちらも攻守で結果を残して信頼を勝ち取りたい。

【残り609試合】

・岡大海 1991年7月15日生 外野手 右投右打
経歴:倉敷商業高→明治大→13年ドラフト3位→日本ハム(14-18)→ロッテ(18-現役)

成績:391試合 .231 (897-207) 15本 81打点 207三振 76四球 59盗塁 出塁率.306 OPS.637

※日本ハムでは2年目の15年に自己最多の101試合に出場し、リーグ4位の18盗塁をマーク。しかしその後は故障に悩まされることも多く、18年途中にトレードでロッテに移籍。昨年は外野の準レギュラーとして95試合に出場し、6本塁打・13盗塁をマーク。走攻守をさらに磨いて白熱する定位置争いを勝ち抜きたい。

【残り627試合】

・井上晴哉 1989年7月3日生 一塁手 右投右打
経歴:崇徳高→中央大→日本生命→13年ドラフト5位→ロッテ(14-現役)

成績:373試合 .260 (1223-318) 52本 198打点 273三振 147四球 1盗塁 出塁率.345 OPS.785

※アジャ。ロッテではオープン戦で好成績を残して球団64年ぶりの新人による開幕4番スタメンを果たす。その後長らく不振に苦しむも、18年に打撃が開花。昨年と合わせて2年連続で24本塁打を放つなど幕張の和製大砲へと成長した。今季はマリーンズ日本人打者初の30本塁打を通過点に本塁打王のタイトルを狙う。


759 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/25(水) 14:54:00 077dJ4HQ

【残り627試合】

・三木亮 1991年10月25日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:遊学館高→上武大→13年ドラフト3位→ロッテ(14-現役)

成績:373試合 .218 (467-102) 5本 42打点 128三振 17四球 9盗塁 出塁率.257 OPS.541

※ロッテでは3年目の16年から1軍に定着し、17年には鈴木大地のコンバートにより、平沢大河らと遊撃手の定位置争いに参戦。18年には藤岡裕大の加入もあり、昨年は遊撃を中心に内野のスーパーサブ的な扱いとなり、自己最多の89試合に出場。ムードメーカーでもあり、チームに欠かせない選手へと成長した。

【残り764試合】

・平沢大河 1997年12月24日生 遊撃手・外野手 右投左打
経歴:仙台育英高→15年ドラフト1位→ロッテ(16-現役)

成績:236試合 .197 (548-108) 7本 46打点 168三振 70四球 9盗塁 出塁率.291 OPS.585

※仙台育英では夏の甲子園で準優勝を経験し、楽天との競合の末にロッテに入団。遊撃のレギュラーを目指し、1年目から1軍で起用されるも、18年に藤岡裕大の加入もあり三塁や外野にも挑戦。昨年も遊撃手の定位置奪取とはならなかった。ライバルが増えた今季は攻守でアピールして存在感を示したいところ。

【残り776試合】

・藤岡裕大 1993年8月8日生 遊撃手 右投左打
経歴:岡山理大附高→亜細亜大→トヨタ自動車→17年ドラフト2位→ロッテ(18-現役)

成績:224試合 .241 (785-189) 7本 63打点 130三振 60四球 17盗塁 出塁率.298 OPS.618

※ロッテでは平沢大河との定位置争いを制し、1年目の18年に全試合で遊撃手でスタメン出場。昨年も故障で出遅れるも、シーズン終盤は正遊撃手として活躍した。3年目の今季はルーキーの福田光輝、ベテランの鳥谷敬の加入もあり、定位置争いはより過熱に。攻守に磨きをかけて定位置を確固たるものにしたい。


760 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/25(水) 14:54:56 077dJ4HQ

【日本ハム】

【残り741試合】

・石井一成 1994年5月6日生 遊撃手・二塁手・三塁手 右投左打
経歴:作新学院高→早稲田大→16年ドラフト2位→日本ハム(17-現役)

成績:259試合 .207 (661-137) 8本 50打点 221三振 56四球 8盗塁 出塁率.270 OPS.572

※日本ハムでは1年目から二塁や遊撃で起用され、球団では片岡篤史以来となる新人年での100試合以上出場を達成。ここ2年は70試合ほどの出場に留まっているものの、二塁・三塁・遊撃を守れる内野のユーティリティとして活躍。今季は定位置獲得を目指したい。昨日、横尾と結婚を発表した。

【残り749試合】

・清水優心 1996年5月22日生 捕手 右投右打
経歴:九州国際大附高→14年ドラフト2位→日本ハム(15-現役)

成績:251試合 .229 (537-123) 13本 55打点 140三振 42四球 0盗塁 出塁率.288 OPS.625

※日本ハムでは2年目の17年から控え捕手として1軍に定着。翌18年には7本塁打を放つなどパンチ力のある打撃を武器とし、昨年は自己最多の98試合に出場し、リーグ3位の盗塁阻止率.345をマークするなどチームの正捕手へと成長中。今年で24歳とまだまだ若く、今後が期待される捕手の一人でもある。

【残り774試合】

・渡邉諒 1995年4月30日生 二塁手 右投右打
経歴:東海大甲府高→13年ドラフト1位→日本ハム(14-現役)

成績:226試合 .250 (693-173) 19本 75打点 183三振 63四球 1盗塁 出塁率.317 OPS.701

※ハズレハズレハズレ1位で日本ハムに入団。長い2軍暮らしを経て5年目の18年のシーズン終盤から二塁手の定位置を掴むと、昨年は開幕からレギュラーとして活躍。自己最多の132試合に出場し、規定打席や2桁本塁打にも到達するなど飛躍の1年となった。今季以降も正二塁手として活躍に期待したい。

【残り788試合】

・横尾俊建 1993年5月27日生 三塁手・二塁手・一塁手 右投右打
経歴:日大第三高→慶應義塾大→15年ドラフト6位→日本ハム(16-現役)

成績:212試合 .206 (514-106) 19本 57打点 127三振 35四球 0盗塁 出塁率.270 OPS.616

※高校通算58本塁打、大学通算13本塁打の長打力を武器としたスラッガー候補であり、18年には9本塁打をマーク。一方で確実性を課題としており、昨年も自己最多の78試合に出場するも打率1割台と精彩を欠いた。5年目の今季は打撃の開花に期待したい。愛称はおにぎり君。昨日、石井と結婚を発表した。

【残り866試合】

・清宮幸太郎 1999年5月25日生 一塁手・外野手 右投左打
経歴:早稲田実業高→17年ドラフト1位→日本ハム(18-現役)

成績:134試合 .202 (410-83) 14本 51打点 135三振 37四球 0盗塁 出塁率.275 OPS.631

※史上最多となる高校通算111本塁打を記録し、高校生としては最多タイとなる7球団の競合の末に日本ハムに入団。1年目の18年、2年目の昨季合わせて計14本塁打と既に才能の片鱗は見せており、今後の球界を背負う大砲候補として3年目の今季はどこまで数字を伸ばせるか期待したいところ。


761 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/25(水) 14:55:48 077dJ4HQ

【オリックス】

【残り558試合】

・若月健矢 1995年10月4日生 捕手 右投右打
経歴:花咲徳栄高→13年ドラフト3位→オリックス(14-現役)

成績:442試合 .211 (1025-216) 3本 86打点 247三振 42四球 3盗塁 出塁率.252 OPS.517

※オリックスでは2年目の16年から1軍で頭角を現し、翌17年からは正捕手に定着。昨年は自己最多の138試合に出場し、リーグ1位の盗塁阻止率.378をマーク。一方で打撃面では1割台と苦しみ、今後の課題となった。オフには声優でオリファンの・立花理香との結婚を発表。(今季はもっと活躍しないと)ヤバいわよ!

【残り584試合】

・西野真弘 1990年8月2日生 二塁手・三塁手 右投左打
経歴:東海大附浦安高→国際武道大→JR東日本→14年ドラフト7位→オリックス(15-現役)

成績:416試合 .264 (1365-361) 8本 106打点 178三振 126四球 41盗塁 出塁率.331 OPS.670

※オリックスでは即戦力の二塁手として1年目から規定打席不足ながら打率3割をマークし、2年目の16年には全試合に出場。しかし近年は故障に悩まされることが多く、また福田周平の台頭もあって三塁での起用がメインに。尊敬する平野恵一のような選手となるべく、今季は完全復活に期待したい。

【残り587試合】

・吉田正尚 1993年7月15日生 外野手 右投左打
経歴:敦賀気比高→青山学院大→15年ドラフト1位→オリックス(16-現役)

成績:413試合 .315 (1734-471) 77本 243打点 204三振 211四球 9盗塁 出塁率.401 OPS.936

※球団新人では31年ぶりとなる1年目での2桁本塁打を達成すると、現在におけるオリックスの和製大砲へと成長し、昨年にはリーグ2位の打率.322、自己最多の29本塁打をマーク。オフにはプレミア12代表として世界一に貢献した。持ち前のフルスイングを武器に、今後もアーチを量産していきたい。マッチョ。

【残り595試合】

・大城滉二 1993年6月14日生 遊撃手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:興南高→立教大→15年ドラフト3位→オリックス(16-現役)

成績:405試合 .242 (1185-287) 9本 84打点 230三振 74四球 34盗塁 出塁率.293 OPS.607

※立教大では大学最多となる通算112安打をマーク。オリックスでは遊撃をメインに二塁・三塁、さらには外野も守るユーティリティとして活躍しており、打撃成績も年々向上。チームに欠かせない戦力として日々成長を遂げている。今季は未だ達成していない規定打席到達を狙いたい。


762 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/25(水) 14:56:07 077dJ4HQ

【残り676試合】

・小田裕也 1989年11月4日生 外野手 右投左打
経歴:九州学院高→東洋大→日本生命→14年ドラフト8位→オリックス(15-現役)

成績:324試合 .240 (480-115) 7本 45打点 134三振 34四球 29盗塁 出塁率.300 OPS.629

※日本生命では小林誠司や井上晴哉とチームメイト。オリックスでは外野の準レギュラーとして徐々に頭角を現し、18年には自己最多の90試合に出場。昨年も主に代走や守備要員として活躍した。若手選手も含めライバルが多い中で今季はどれだけアピールできるか。屈指のイケメン選手であるが今オフに結婚。

【残り752試合】

・福田周平 1992年8月8日生 二塁手 右投左打
経歴:広陵高→明治大→NTT東日本→17年ドラフト3位→オリックス(18-現役)

成績:248試合 .255 (787-201) 3本 53打点 90三振 93四球 46盗塁 出塁率.342 OPS.658

※即戦力内野手としてオリックスに入団すると、1年目から二塁手のレギュラーを獲得。早くも2年目にして異例の主将を務めた昨季は1番打者として活躍し、規定打席にも到達してリーグ2位タイの30盗塁もマーク。チームのリードオフマンとなるべく、今季はさらに出塁率に磨きをかけたい。

【残り889試合】

・中川圭太 1996年4月12日生 外野手・一塁手・三塁手 右投右打
経歴:PL学園高→東洋大→18年ドラフト7位→オリックス(19-現役)

成績:111試合 .288 (364-105) 3本 32打点 62三振 25四球 9盗塁 出塁率.334 OPS.716

※オリックスでは1年目の昨季、交流戦において打率.386をマークし、新人史上初の首位打者に。その後も一塁・三塁・外野を行き来しながら即戦力として活躍し、規定打席不足ながら打率.288と好成績を残した。今季は三塁に専念し、定位置獲得を目指すとともにチームの主軸を担う。現状最後のPL学園出身選手。


763 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/26(木) 15:01:35 fZSoygzk
今日からは1000試合出場には惜しくも届かなかった選手(800試合以上出場)を毎日10名ずつ更新予定です


764 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/26(木) 15:01:55 fZSoygzk

【あと200試合】

・松岡功祐 1943年2月9日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:九州学院高→明治大→サッポロビール→66年第1次ドラフト1位→大洋(67-77)

成績:800試合 .229 (1565-358) 3本 77打点 266三振 106四球 18盗塁 出塁率.282 OPS.569

※サッポロビールからドラ1で大洋に入団。即戦力遊撃手として1年目からレギュラーを獲得して規定打席に到達。しかしその後は米田慶三郎や山下大輔の台頭もあって徐々に出場機会が減少し、77年に引退。その後は長らくチームに残り、コーチやスカウトを歴任。その後は中国・天津や母校・明治大のコーチ、15〜18年には70代になりながらも中日のコーチも務め、昨年は中日の選手寮の寮長も務めた。

【あと199試合】

・中村栄 1923年4月24日生 遊撃手・二塁手 右投両打
経歴:桐生中学→藤倉電線→阪急(42-43)→三京繊維→国鉄(50-56)

成績:801試合 .242 (2416-585) 7本 146打点 175三振 242四球 98盗塁 出塁率.315 OPS.607

※藤倉電線から42年に阪急に入団。44年に応召して戦争に参加し、終戦後は三京繊維でプレーをしていたが、50年に入団テストを経て国鉄に唯一のプロ経験者として創設に参加。1年目から全138試合に出場するなど黎明期のチームを遊撃手として支え、56年に引退。その後は富士重工業(現SUBARU)の監督に就任して1年目から都市対抗に出場するなどチームを引っ張った。


765 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/26(木) 15:02:13 fZSoygzk

【あと198試合】

・簑原宏 1929年9月25日生 外野手 右投右打
経歴:筑紫中学→西日本鉄道→国鉄志免鉱業所→南海(50-54)→東映(55-56)

成績:802試合 .239 (1932-461) 44本 235打点 270三振 180四球 49盗塁 出塁率.306 OPS.660

※南海に30歳でプロ入りすると1年目から1番・中堅手の定位置を獲得。以降もチームの主力打者として3度のリーグ優勝に貢献。その後55年に東映に移籍するとチームの4番打者を務め、同年には自己最多の15本塁打を記録。翌56年も4番打者を務め、自己最多の139試合に出場するも高齢のためかこの年限りで引退し、7年間のプロ生活に幕を閉じた。その後は九州地方のテレビ中継で解説者を務めた。

【あと197試合】

・荒川博 1930年8月6日生 外野手 左投左打
経歴:早稲田実業高→早稲田大→毎日・大毎(53-61)

成績:803試合 .251 (2005-503) 16本 172打点 134三振 229四球 20盗塁 出塁率.329 OPS.667

※毎日では1年目から規定打席不足ながら打率3割をマークし、以降はチャンスメーカーとして活躍。現役中から指導者としても活躍し、チームメイトで早実の後輩である榎本喜八を指導。また引退後は巨人のコーチを務め、「荒川道場」と呼ばれる厳しい指導の中で、同じく高校の後輩である王貞治に代名詞となる「一本足打法」を伝授するなど黄金時代を築き、またヤクルトでも74〜76年に監督を務めた。


766 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/26(木) 15:02:31 fZSoygzk

【あと194試合】

・苅田久徳 1910年1月19日生 二塁手 右投右打
経歴:旧制本牧中学→旧制法政大→東京倶楽部→大日本東京野球倶楽部→東京セネタース・翼軍(36-40)→大洋軍(41-42)→大和軍(42-43)→川崎いすゞ→東急・急映(47-48)→毎日(50)→近鉄(50-51)

成績:806試合 .219 (2832-619) 37本 202打点 245三振 469四球 148盗塁 出塁率.333 OPS.635

※1リーグ時代においての名二塁手であり、プロ野球創設期において「日本における近代野球の二塁守備は、苅田から始まる」と称されるほどの技術革新を巻き起こしたとされ、隠し球を初めて記録した選手でもある。36年秋にはプロ野球初代盗塁王となり、38年春には監督を兼任しながらも打撃で好成績を残してMVPも獲得。以降も戦後にかけて球団を転々としながらもプレーを続けた。69年に殿堂入り。

【あと190試合】

・小池正晃 1980年5月15日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:横浜高→98年ドラフト6位→横浜(99-08)→中日(08-11)→DeNA(12-13)

成績:810試合 .243 (1708-415) 55本 189打点 397三振 123四球 6盗塁 出塁率.305 OPS.697

※横浜高では松坂大輔らとともに98年の甲子園春夏連覇を達成。地元・横浜でプロ入りし、長い2軍生活を経て7年目の05年に外野手の定位置を獲得し、主に2番打者として活躍し同年には自己最多の20本塁打をマーク。08年にトレードで移籍した中日では外野の準レギュラーとして活躍し、FA宣言で12年に古巣・DeNAに復帰。翌13年に引退を表明。その引退試合は今でも語り草となっている。現在はDeNAのコーチ。


767 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/26(木) 15:02:49 fZSoygzk

【あと190試合】

・千藤三樹男 1947年9月28日生 外野手 左投左打
経歴:岐阜商業高→早稲田大→北海道拓殖銀行→71年ドラフト7位→東映・日拓・日本ハム(72-81)

成績:810試合 .271 (2280-617) 42本 252打点 170三振 169四球 16盗塁 出塁率.324 OPS.692

※東映では1年目から1軍で頭角を現し、2年目の73年からは右翼手の定位置を獲得。78年には規定打席には届かずも打率3割をマークするなど70年代の日本ハムを支えた。チームが19年ぶりに優勝した81年に引退。その後も日本ハムに残り、コーチとして活動。現在は解説者として活動している。サインを積極的に行うなどファン思いの選手であり、タレントの伊集院光が日本ハムファンになったきっかけの選手でもある。

【あと186試合】

・デーブ・ロバーツ 1933年6月30日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:コルト45's(62,64)→パイレーツ(66)→サンケイ・アトムズ・ヤクルト(67-73)→近鉄(73)

成績:814試合 .275 (2774-764) 183本 492打点 421三振 354四球 22盗塁 出塁率.362 OPS.886

※67年に来日してサンケイに入団すると、ジャクソンらとともに当時弱小だった打線を支え、68年には自己最多の40本塁打を記録するなど、本塁打王争いでは独壇場だった王貞治をたびたび脅かす選手として活躍。ヤクルトでの181本塁打はラミレスに抜かれるまで外国人最多を誇った。73年途中に近鉄に移籍し、同年限りで引退。その後は帰国し、マイナーリーグのコーチを務めた。


768 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/26(木) 15:03:09 fZSoygzk

【あと186試合】

・苑田聡彦 1945年2月23日生 二塁手・外野手・三塁手 右投右打
経歴:三池工業高→広島(64-77)

成績:814試合 .236 (1711-403) 23本 115打点 266三振 80四球 27盗塁 出塁率.272 OPS.595

※九州一のスラッガーとして「中西二世」と呼ばれ、各球団の誘いの中で広島を選択して入団。4年目の67年に外野手の定位置を獲得して1軍に定着。その後は山本浩二や衣笠祥雄の台頭もあって二塁手や三塁手としても起用され、チームのスーパーサブとして75年には球団初優勝に貢献。77年に引退後は広島のスカウトを務め、江藤智・金本知憲・黒田博樹・永川勝浩といった名選手らの獲得に貢献した。

【あと186試合】

・堀込基明 1939年10月31日生 外野手 左投左打
経歴:小諸商業高→専修大→南海(62-68)→中日(68-70)

成績:814試合 .246 (2205-543) 40本 207打点 305三振 119四球 60盗塁 出塁率.291 OPS.647

※専修大から南海に入団すると、1年目から外野の準レギュラーとして活躍し、3年目の64年にはチャンスメーカーとして活躍し、チームの日本一に貢献。翌65年には規定打席に到達し、ベストナインも獲得するなど60年代のチームを支えた。その後68年途中にトレードで中日に移籍。当時故障していた中利夫の代役として活躍した。70年限りで引退後は78年から3年間中日でコーチも務めた。


769 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/27(金) 15:31:02 8ZG5HRB6

【あと184試合】

・安部理 1962年12月19日生 外野手 左投左打
経歴:東北高→80年ドラフト4位→西武(81-96)→近鉄(97-99)

成績:816試合 .258 (1772-458) 38本 217打点 304三振 173四球 18盗塁 出塁率.324 OPS.716

※「東北の掛布」の異名で呼ばれ、81年に西武に入団。米マイナーへの野球留学や2軍暮らしを経て7年目の87年にプロ初本塁打を満塁弾で記録して頭角を現し、以降は外野の準レギュラーや代打として西武の黄金時代で活躍。特に日本シリーズに強く、「シリーズ男」とも。その後97年に近鉄に移籍して99年に引退。その後は楽天や西武、勧告プロ野球でコーチを歴任し、現在は高千穂大学の監督を務めている。

【あと183試合】

・城石憲之 1973年4月17日生 二塁手・遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:春日部共栄高→青山学院大→94年ドラフト5位→日本ハム(95-98)→ヤクルト(98-09)

成績:817試合 .234 (1607-376) 25本 133打点 336三振 101四球 10盗塁 出塁率.283 OPS.606

※フリーター生活を送る中で入団テストに合格し、日本ハムに入団するも4年間で9試合の出場にとどまり、98年開幕直前にトレードでヤクルトに移籍。すると、内野の準レギュラーとして出場機会を増やし、02年からは二塁手のレギュラーを獲得し、06年からは選手会長も務めた。その後田中浩康の台頭や、川島慶三の加入もあり、09年に引退。その後はヤクルトのコーチを経て、現在は古巣・日本ハムのコーチ。


770 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/27(金) 15:31:20 8ZG5HRB6

【あと179試合】

・ホセ・オーティズ 1977年6月13日生 一塁手・二塁手・外野手 右投右打
経歴:アスレチックス(00-01)→ロッキーズ(01-02)→オリックス(03-04)→ロッテ(07-08)→ソフトバンク(09-11)→西武(12-13)

成績:821試合 .271 (2845-772) 135本 433打点 561三振 231四球 14盗塁 出塁率.329 OPS.803

※03年に来日してオリックスに入団すると、1年目から33本塁打をマーク。その後04年に球団合併の煽りを受けていったんは対談するも、07年途中にロッテが獲得して08年までプレー。その後09年にソフトバンクに移籍し、主に3番打者として活躍。その後12年に西武に入団し、13年までプレーするなどパリーグ4球団を渡り歩いた。引退後は西武の国際スカウトを務め、現在は米国で野球教室を開校している。OTZ。

【あと179試合】

・河野昭修 1930年8月22日生 一塁手・二塁手 右投右打
経歴:福岡県中学修猷館→早稲田大(中退)→西鉄(50-59)

成績:821試合 .243 (2288-557) 20本 164打点 361三振 160四球 46盗塁 出塁率.296 OPS.618

※早稲田大を中退し、西日本鉄道に入社しそのままプロ入り。豊田泰光や中西太、大下弘らを擁し、当時猛威を振るっていた「流線型打線」の6番打者を務め、勝負強い打撃で3年連続日本一に貢献するなどチームの黄金時代を築き、また守備でも一塁手としてどのような送球でもきっちりと捕球したことから「蝿取紙」とも呼ばれた。59年に引退後は西鉄のコーチも務め、退団後は解説者として活動した。


771 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/27(金) 15:31:42 8ZG5HRB6

【あと177試合】

・山崎賢一 1962年7月20日生 外野手 左投左打
経歴:所沢商業高→80年ドラフト外→大洋・横浜(81-93)→ダイエー(94-96)

成績:823試合 .265 (2058-546) 19本 202打点 309三振 169四球 63盗塁 出塁率.323 OPS.677

※初代「ハマの番長」。大洋では長い2軍暮らしを経て、86年の加藤博一の故障により出場機会が増加。外野のスーパーサブ的な活躍を続けていたが、基満男コーチが考案した「こけしバット」を使用してからは打撃でも結果を残し、89年には打率3割をマークしてベストナイン・GG賞を獲得。93年に若返り策によりチームを戦力外となり、ダイエーに移籍して96年に引退。その後はコーチやスカウトとして活動。

【あと177試合】

・谷田比呂美 1924年4月22日生 捕手・一塁手 右投右打
経歴:旧制尼崎中学→鐘紡淀川→大阪(48-55)→国鉄(56-60)

成績:823試合 .224 (1511-339) 22本 170打点 284三振 88四球 7盗塁 出塁率.270 OPS.582

※中学卒業後に応召し、シベリア抑留を経て帰国後は鐘紡淀川でプレーし、48年に大阪に入団。正捕手を務めていた土井垣武や徳綱茂の存在もあったことから主に代打の切り札として活躍し、53年にはセリーグ初の代打サヨナラ本塁打を記録。56年からは国鉄に移籍すると、金田正一の専属捕手として活躍し長嶋茂雄の4三振の際も捕手を務めていた。60年に引退後は国鉄のコーチとして活動。


772 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/27(金) 15:32:02 8ZG5HRB6

【あと176試合】

・南渕時高 1965年10月29日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:天理高→青山学院大→東芝→89年ドラフト4位→ロッテ(90-97)→中日(98-99)→オリックス(00)

成績:824試合 .262 (2055-538) 22本 201打点 221三振 263四球 21盗塁 出塁率.346 OPS.705

※東芝では88年に史上初の都市対抗・日本選手権の同一年制覇を達成し、翌89年のドラフトでロッテに入団。2年目の91年に遊撃手の定位置を獲得し、粘り強い打撃を武器に93年には当時の日本記録である14打席連続出塁を達成。その後は二塁手としても活躍するも、小坂誠の入団による内野再編で出番を失い、中日に移籍し、00年にオリックスで引退。その後は中学チームの監督を経て現在はBCリーグ・信濃のコーチ。

【あと175試合】

・塚本悦郎 1924年11月30日生 外野手 右投右打
経歴:明善中学→西南学院中学→西日本鉄道→西鉄(50-56)→東映(57-60)

成績:825試合 .253 (2065-522) 26本 185打点 223三振 106四球 64盗塁 出塁率.294 OPS.642

※西日本鉄道では48年の都市対抗で初出場初優勝を達成。50年にチームごとプロ入りすると、主力外野手として活躍し、53年には規定打席に到達するなど黎明期を支え、2度の優勝を経験。57年に東映に移籍すると、こちらでも中堅手として活躍するも58年に助っ人のラドラが入団したことで出場機会が激減し、60年に引退。その後はヤクルトのスカウトとして活動した。


773 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/27(金) 15:32:23 8ZG5HRB6

【あと174試合】

・渋井敬一 1959年8月29日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:桐蔭学園高→77年ドラフト2位→ヤクルト(78-92)

成績:826試合 .220 (1447-318) 21本 104打点 312三振 93四球 26盗塁 出塁率.274 OPS.575

※ヤクルトでは2年目の79年から内外野守れるユーティリティとして活躍し、特に内野手としては球界屈指の守備力を誇った。その守備力を評価されて87年からは新たに就任した関根潤三監督に二塁手のレギュラーに抜擢され、遊撃手だった池山隆寛と鉄壁の二遊間を形成。その後もヤクルト一筋で活躍し、15年目の92年に引退。その後はヤクルトのコーチを経て、現在は横浜緑リトルシニアの監督。

【あと172試合】

・庄司智久 1953年5月30日生 外野手 右投右打
経歴:新宮高→71年ドラフト3位→巨人(72-79)→ロッテ(80-88)

成績:828試合 .250 (2124-532) 44本 197打点 215三振 159四球 67盗塁 出塁率.304 OPS.661

※巨人では二塁手として入団するも直後に外野手に転向。主に代走要員として1軍で起用されるも当時はV9時代のレギュラーが絶頂期を迎えており、1軍定着を果たせぬまま自身は77年に2軍で首位打者・本塁打王・打点王・盗塁王の4冠を獲得するにまで成長。そこで80年にロッテにトレードで移籍すると、左翼手の定位置を獲得し、81年には球宴にも出場した。若手の台頭もあり88年に引退後は会社員に転向した。


774 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 00:14:53 nVcyJ3oI
データベースとして優秀すぎる。これって勲章ですよぉ?
999試合出場していながら……みたいな選手の登場も楽しみにしてます


775 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 18:15:41 c6yCa7G6

【あと172試合】

・島本講平 1952年11月1日生 外野手 左投左打
経歴:箕島高→70年ドラフト1位→南海(71-75)→近鉄(75-85)

成績:828試合 .243 (1870-454) 60本 232打点 318三振 127四球 32盗塁 出塁率.302 OPS.688

※箕島高では4番・エースとして70年春の選抜制覇を経験し、湯口敏彦・佐伯和司とともに「高校三羽烏」と称され、ドラ1で南海に入団。プロ入り後は外野手に転向するも南海ではあまり出番がなく、75年にトレードで近鉄に移籍。すると外野手の定位置を掴み取り、安定した打撃で79,80年の連覇にも貢献した。85年に引退後は解説者や少年野球の指導者として活動。弟の啓次郎もプロ選手であり、一時期同僚だった。

【あと172試合】

・飯田幸夫 1947年4月9日生 二塁手・外野手・三塁手 右投右打
経歴:横浜高→65年ドラフト4位→近鉄(66-71)→中日(72-78)→大洋(79-80)

成績:828試合 .224 (1507-337) 37本 132打点 327三振 120四球 41盗塁 出塁率.281 OPS.628

※阿天坊俊明、藤田平とともに「高校遊撃手三羽烏」として注目を浴び、第1回ドラフトにおいて近鉄に指名されて入団し、高卒ルーキーながら1年目の開幕戦から1番・遊撃手でスタメンを果たす。その後は外野や二塁も守り、70年には自己最多の125試合に出場。72年からは中日に移籍し、74年には代打の切り札として巨人のV10を阻止し、リーグ優勝に貢献。その後80年に大洋で引退し、その後は中日のコーチを務めた。


776 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 18:16:02 c6yCa7G6

【あと172試合】

・別所毅彦(別所昭) 1922年10月1日生 投手・一塁手・外野手 右投右打
経歴:旧制滝川中→旧制日本大(中退)→南海・グレートリング(42-43,46-48)→巨人(49-61)

成績:828試合 .254 (1972-500) 35本 248打点 180三振 91四球 6盗塁 出塁率.287 OPS.655
投手:662登板 310勝178敗 4350.2投球回 1934奪三振 1206与四球 3629被安打 防2.18 WHIP1.11

※南海ではエースとして47年には歴代最多の47完投をマークして30勝をあげ、史上初の沢村賞受賞者となる。しかし48年オフに「引き抜き事件」により巨人に移籍。巨人でも主力投手として活躍し、61年に引退するまで球団最多の221勝をマークするなど、歴代5位の通算310勝をあげた。また打撃でも通算35本塁打をマークしている。引退後は巨人や大洋のコーチ、サンケイの監督を務めた。79年に殿堂入り。

【あと170試合】

・江夏豊 1948年5月15日生 投手 左投左打
経歴:大阪学院大附高→66年第1次ドラフト1位→阪神(67-75)→南海(76-77)→広島(78-80)→日本ハム(81-83)→西武(84)

成績:830試合 .150 (852-128) 7本 52打点 282三振 21四球 0盗塁 出塁率.170 OPS.372
投手:829登板 206勝158敗 193S 3196.0投球回 2987奪三振 936与四球 2340被安打 防2.49 WHIP1.03

※20世紀を代表する名投手。4球団の競合の末に阪神に入団すると、2年目の68年には歴代最多の401奪三振をマークするなど、プロ入りから6年連続で奪三振王を獲得し、71年の球宴では9者連続奪三振を達成。その後76年に南海に移籍すると救援投手の草分け的存在となり、広島時代の79年には伝説の「21球」で日本一に貢献。その後も日本ハムや西武を渡り歩き、84年に引退。現在も解説者や評論家として活動中。


777 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 18:16:24 c6yCa7G6

【あと169試合】

・御園生崇男 1916年1月16日生 外野手・投手・一塁手 右投右打
経歴:山口中学→関西大(中退)→大阪・阪神(36-39,41-44,46-51)

成績:831試合 .245 (2062-506) 5本 247打点 147三振 258四球 87盗塁 出塁率.330 OPS.633
投手:285登板 127勝70敗 1708.0投球回 477奪三振 501与四球 1520被安打 防2.39 WHIP1.18

※関西大を中退して大阪に入団すると、丸眼鏡をかけ温厚な見た目とは真逆に野蛮と称される内角攻めのシュートを武器に1年目から主戦投手となり37年秋には11勝をあげて史上2人目のシーズン無敗を達成し球団初優勝に貢献。また俊足を武器に外野手や一塁手としてもプレーするなど二刀流としても活躍した。51年に引退後はコーチや解説者として活動するも、65年に49歳の若さでこの世を去っている。

【あと168試合】

・マット・マートン 1981年10月3日生 外野手 右投右打
経歴:カブス(05-08)→アスレチックス(08)→ロッキーズ(09)→阪神(10-15)

成績:832試合 .310 (3287-1020) 77本 417打点 424三振 208四球 27盗塁 出塁率.352 OPS.789

※元々は引退した赤星憲広の後継候補として阪神に来日するも、1年目から予想外の大活躍を果たし気付けば当時日本新記録のシーズン214安打を達成。その後も14年に首位打者のタイトルを獲得するなど、6年間で4度の打率3割をマークし、15年には球団助っ人初の通算1000安打を達成。阪神退団後はカブスのマイナーでプレーし、18年に引退。現在は歌舞すの編成部補佐職を務めており、今でも阪神はアイシテル。

通算1000安打:2015年9月3日広島戦(福井優也から中安打・33歳11ヶ月・809試合目) ※史上282人目


778 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 18:16:45 c6yCa7G6

【あと167試合】

・大野久 1960年8月15日生 外野手 右投両打
経歴:取手二高→東洋大→日産自動車→84年ドラフト5位→阪神(85-90)→ダイエー(91-94)→中日(95)

成績:833試合 .259 (2257-584) 23本 160打点 424三振 204四球 138盗塁 出塁率.324 OPS.670

※阪神では俊足のスイッチヒッターとして中野佐資、和田豊とともに「少年隊」と呼ばれ、88年には1番・中堅手として全試合に出場。90年オフには4対5の大型トレードでダイエーに移籍し、91年には42盗塁をマークして盗塁王を獲得。しかし翌年以降は打撃不振に苦しみ、95年に移籍した中日で引退。その後は中日のコーチや東洋大牛久高の監督を務め、現在はオーストラリアで野球指導者として活動している。

【あと165試合】

・後藤孝志(後藤孝次) 1969年5月14日生 三塁手・外野手・一塁手 右投左打
経歴:中京高→87年ドラフト2位→巨人(88-05)

成績:835試合 .263 (1264-332) 30本 119打点 221三振 114四球 20盗塁 出塁率.330 OPS.709

※中京高から巨人に入団すると、長い2軍暮らしの末に8年目の95年ごろから代打の切り札として1軍に定着を果たし、試合終盤に出場することから「9回の男」の異名も生まれた。また内外野問わず守れるユーティリティとしても重宝され、長嶋政権、第1次原政権、堀内政権時代の巨人を支え続けた。05年に引退後はBC・新潟の監督や韓国・斗山のコーチを挟んで、主に巨人のコーチとしても原監督を支えて続けている。


779 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 18:17:06 c6yCa7G6

【あと163試合】

・ロベルト・ペタジーニ 1971年6月2日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:アストロズ(94)→パドレス(95)→メッツ(96-97)→レッズ(98)→ヤクルト(99-02)→巨人(03-04)→レッドソックス(05)→マリナーズ(06)→ソフトバンク(10)

成績:837試合 .312 (2830-882) 233本 635打点 622三振 609四球 24盗塁 出塁率.438 OPS1.051

※99年に来日してヤクルトに入団すると、1年目から44本塁打を記録して本塁打王を獲得。01年には39本・127打点で2冠となり、チームの日本一に貢献。その後02年オフに年俸7億2000万円という破格の待遇で巨人に移籍し、こちらでも主砲として活躍。05年からはMLB、メキシコ、韓国でプレーし、10年に再来日してソフトバンクでプレーし引退。25歳年上(現在73歳)のオルガ夫人とは現在も結婚生活を送り続けている。

【あと163試合】

・長谷川繁雄 1932年10月2日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:竹原高→法政大→南海(56-61)→中日(62)→近鉄(63)

成績:837試合 .269 (1994-537) 54本 240打点 342三振 239四球 47盗塁 出塁率.349 OPS.767

※南海では1年目から一塁手の定位置を獲得し、2年目からは中堅手に回り、勝負強い打撃を武器に59年には「400フィート打線」の5番打者として打率3割をマークし、チームのリーグ優勝に貢献した。その後62年に井上登との3対1のトレードで中日に移籍。翌63年に再度移籍した近鉄で引退。その後は大阪市内でレストランを経営するも、69年に運転中に車ごと海岸に転落する事故により33歳の若さでこの世を去った。


780 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 20:31:07 kj3.di7k
温厚そうな丸眼鏡から野蛮な内角シュート攻めとか
特定の層の女性に妙な人気出そうですね


781 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 20:35:48 RII/ntIA
江夏さんも大概おかしいわね


782 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 20:47:25 1A95P4Ck
>>779
どういうこと…?(通算OPS1.051)


783 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/28(土) 20:51:20 jb2bdZa6
御園生さん、プレースタイルは野蛮でも性格は見た目通り超温厚で、「怒っているところを誰も見たことがない」「野蛮者揃いだった戦前の阪神において異色中の異色扱いだった」「見た目と性格と名字から『公家の出身』と勝手に噂されてた」などのエピソードが。


784 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/03/28(土) 22:45:44 ???
戦前生まれ世代の晩年の不遇さはなんなのか


785 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/29(日) 16:06:48 R/QUXY/I

【あと162試合】

・根元俊一 1983年7月8日生 二塁手・遊撃手・一塁手 右投左打
経歴:花咲徳栄高→東北福祉大→05年大社ドラフト3位→ロッテ(06-18)

成績:838試合 .250 (2333-583) 31本 204打点 538三振 195四球 35盗塁 出塁率.312 OPS.664

※堀幸一の後継者と期待され、即戦力内野手としてロッテに入団。1年目から2軍の首位打者となると、3年目の08年には二塁手の定位置を獲得するも翌年に井口資仁の加入もあって遊撃手のレギュラーを争い、12年には自己最多の133試合に出場してリーグ最多の40犠打をマーク。しかし14年以降はクルーズの加入や若手内野手の台頭もあって出場機械が徐々に減り、18年に引退。現在はロッテの2軍内野守備走塁コーチ。

【あと160試合】

・森笠繁 1976年10月4日生 外野手 右投左打
経歴:國學院久我山高→関東学院大→98年ドラフト4位→広島(99-08)→横浜(09-10)

成績:840試合 .264 (1563-412) 21本 125打点 315三振 90四球 34盗塁 出塁率.308 OPS.671

※大学時代に金本2世と称され、98年のドラフトで広島に入団。定位置こそ獲得できずも、長らくチームの準レギュラーとして活躍し、05年には代打の切り札としてリーグ最高の代打打率.361をマーク。その後若手外野手の台頭もあってFA権こそ使用せずも金銭トレードで横浜に移籍し、10年に引退。現在は古巣・広島の2軍打撃コーチを務める。好きな女性のタイプは藤崎詩織(大嘘)。ときめきメ森笠。


786 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/29(日) 16:07:15 R/QUXY/I

【あと159試合】

・千田啓介 1943年6月28日生 遊撃手 右投右打
経歴:松山商高→巨人(62-69)→ロッテ(70-78)

成績:841試合 .229 (1229-281) 9本 73打点 176三振 89四球 96盗塁 出塁率.285 OPS.594

※巨人では黒江透修の存在もあり、内野の準レギュラーとしてプレーして陰ながらV9時代を経験。その後70年にトレードでロッテに移籍すると広瀬宰と遊撃手のレギュラーを争い、同年のリーグ優勝に貢献。また72年には三塁へのゴロがイレギュラーし、外野を転々とする間にランニング弾にしたことも。78年に引退し、その後はロッテのコーチを務め、現在は少年野球チームの総監督を務めている。

【あと159試合】

・荒川昇治 1924年4月15日生 捕手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:八幡商高→昭和製鋼→太陽・大陽・松竹(47-51)→大洋・洋松(52-54)→毎日(55)

成績:841試合 .251 (2580-647) 14本 241打点 209三振 366四球 122盗塁 出塁率.346 OPS.666

※47年にプロ入りすると1年目から二塁手として活躍すると2年目の48年からは正捕手となり、50年には水爆打線の8番打者を務めるとともに、39勝の真田重男をはじめとする合計98勝をあげた投手陣をリードし、セリーグ初代ベストナインを受賞。また捕手としては非常に俊足であり、48年にはサヨナラホームスチール、52年には自己最多の32盗塁をマークするなど通算122盗塁を記録。55年に移籍した毎日で引退。


787 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/29(日) 16:07:34 R/QUXY/I

【あと157試合】

・森脇浩司 1960年8月6日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:社高→78年ドラフト2位→近鉄(79-83)→広島(84-87)→南海・ダイエー(87-96)

成績:843試合 .223 (1095-244) 14本 75打点 245三振 102四球 17盗塁 出塁率.291 OPS.606

※近鉄では4年目の82年に一時期9番・遊撃手の定位置を掴むも打撃面で伸び悩み、84年にトレードで広島に移籍。しかし広島には高橋慶彦がいたため出番がなく、87年に再度トレードで南海に移籍。遊撃手の定位置を争いながらも二塁・三塁も守れる便利屋としてチームを支えた。96年に引退後は4球団でコーチを務め、オリックスでは監督も務め、14年の躍進に貢献。現在は福岡工業大の特別コーチ。球界の草刈正雄。

【あと156試合】

・天谷宗一郎 1983年11月8日生 外野手 左投左打
経歴:福井商高→01年ドラフト9位→広島(02-18)

成績:844試合 .255 (1932-493) 27本 159打点 405三振 201四球 81盗塁 出塁率.331 OPS.680

※「北陸のイチロー」と称され、広島に入団。2年目の03年には2軍の盗塁王となるも長らく2軍暮らしが続いていたが、6年目の08年にブラウン監督に抜擢されて1軍に定着し、同年は自己最多の135試合に出場。その後も広島の外野の準レギュラーとして活躍。10年には横浜・ハーパーのホームラン製の打球をフェンスを駆け上がってスーパーキャッチするなど攻守でチームを支えた。18年に引退し、現在は解説者。


788 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/29(日) 16:07:55 R/QUXY/I

【あと155試合】

・西村俊二 1947年5月21日生 二塁手・遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:福岡工業高→福岡工業大→河合楽器→69年ドラフト3位→近鉄(70-80)

成績:845試合 .222 (1539-342) 16本 122打点 237三振 110四球 30盗塁 出塁率.277 OPS.576

※68年に西鉄から12位指名を受けるもこれを拒否し、翌年に3位で指名した近鉄に入団。4年目の73年に遊撃手のレギュラーを獲得すると高い守備力でチームを支え、75年に石渡茂が台頭するも、その後は二塁手としても活躍。79、80年のチームの連覇を見届ける形で引退し、その後は近鉄のスカウトとして長らく活動。オリックスとの球団合併後はスカウト副部長を務めた。

【あと155試合】

・和田徹 1945年7月27日生 一塁手・捕手・外野手 右投右打
経歴:明星高→阪神(64-74)→南海(75-78)

成績:845試合 .212 (1664-352) 42本 156打点 392三振 81四球 8盗塁 出塁率.256 OPS.578

※明星高では63年夏の甲子園で初優勝に貢献。阪神では4年目まで捕手としてプレーするも、5年目の68年から外野手としてプレーし、さらに71年からは一塁手としてプレー。75年にトレードで南海に移籍すると選手兼任監督だった野村克也に次ぐ2番手捕手として起用された。78年に引退後は長らくホークスのコーチを務め、香川伸行・吉永幸一郎・坊西浩嗣・城島健司らを指導した。現在は解説者兼少年野球指導者。


789 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/29(日) 16:08:24 R/QUXY/I

【あと150試合】

・脇谷亮太 1981年11月4日生 二塁手・三塁手・一塁手 右投左打
経歴:柳ヶ浦高→日本文理大→NTT西日本→05年大社ドラフト5位→巨人(06-13)→西武(14-15)→巨人(16-18)

成績:850試合 .255 (2046-521) 18本 159打点 402三振 132四球 67盗塁 出塁率.305 OPS.645

※巨人では1年目の後半から1番打者として起用され、その後は木村拓也や寺内崇幸らとのレギュラー争いが続く中で、10年には自己最多の132試合に出場し、28盗塁をマーク。その後13年に片岡治大の人的補償で西武に移籍。15年には3番打者として起用されるなど3割近い打率を残した。その後16年にFAで巨人に復帰し、18年に引退。現在は巨人のスカウトを務める。実はテレビの映りは悪くなかった。

【あと148試合】

・藤原鉄之助 1924年10月7日生 捕手 右投右打
経歴:帝京商業高→名古屋軍・産業軍・中部日本軍・中日(42-44,46-47)→急映(48)→巨人(49-51)→広島(52-54)

成績:852試合 .220 (2432-534) 7本 212打点 169三振 292四球 53盗塁 出塁率.309 OPS.586

※帝京商業高(現在の帝京高)から名古屋軍に入団。2年目の43年から正捕手として活躍し、同年と46年には全試合に出場。その後47年オフに球団社長だった赤嶺昌志が辞任したことでその後を追う形で他の選手とともに退団し、急映に移籍。その後巨人や広島でもプレーし、54年に引退。なお名古屋軍時代に選手不足を解消するために学生時代の同期だった杉下茂を勧誘。明大進学後に中日に入団するきっかけとなった。


790 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/30(月) 16:05:56 KLUSP6T2

【あと146試合】

・山本哲也 1934年9月26日生 捕手 右投右打
経歴:熊本工高→大阪・阪神(53-64)

成績:854試合 .206 (1655-341) 12本 109打点 224三振 62四球 29盗塁 出塁率.237 OPS.503

※熊本工業高から大阪に入団すると、徐々に1軍で頭角を現して57年には正捕手の座を掴み、渡辺省三・小山正明・村山実といった名投手らをリード。58,59年には球宴に2年連続出場を果たし、59年の天覧試合でも小山とともにスタメンマスクを被った。その後は戸梶正夫、辻佳紀らの台頭もあり、64年に引退。その後は阪神のコーチやスカウト、スコアラーを歴任。昨年10月に心臓突然死により85歳で逝去。

【あと145試合】

・山下慶徳 1946年4月20日生 外野手 右投右打
経歴:海南高→河合楽器→70年ドラフト1位→ヤクルト(71-78)→南海(79)→ヤクルト(80-81)

成績:855試合 .237 (2035-483) 59本 217打点 368三振 160四球 44盗塁 出塁率.302 OPS.668

※河合楽器では70年に社会人ベストナインとなり、1位指名を受けてヤクルトに入団。2年目の72年には1軍定着を果たし、3年目の翌73年には中軸を任され、全130試合に出場。その後はマニエルの入団もあり出場機会が減るも78年の初優勝も経験。その後79年にトレードで南海に移籍するも1年で再びトレードでヤクルトに復帰し、81年に引退。現在はヤクルトが設立したつばめスポーツ振興協会の講師を務めている。


791 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/30(月) 16:06:22 KLUSP6T2

【あと145試合】

・服部受弘 1920年1月23日生 投手・捕手・三塁手 右投右打
経歴:旧制岡崎中学→日本大→名古屋軍・中日・名古屋(39-41,46-55,57-58)

成績:852試合 .239 (1867-447) 33本 208打点 198三振 167四球 61盗塁 出塁率.304 OPS.633
投手:259登板 112勝65敗 1576.1投球回 540奪三振 409与四球 1486被安打 防2.81 WHIP1.20

※39年に名古屋軍に捕手として入団すると、41年にはリーグ最多の8本塁打を放って球団初の本塁打王を獲得。その後戦争を挟んでチームに復帰し、投手に転向。49,50年には2年連続で20勝以上をあげるなど主戦投手として活躍し、54年の初日本一にも貢献。58年に引退後は解説者を経て77年から中日の2軍監督やスカウトを務めた。球団黎明期を支えた功績を称え、彼の背番号「10」は永久欠番となっている。

【あと144試合】

・岩本義行 1912年3月11日生 外野手 右投右打
経歴:旧制三次中学→旧制広陵中学→旧制明治大→大同電力→東京倶楽部→南海(38,40-42)→大陽・松竹(49-51)→大洋・洋松(52-53)→東映(56-57)

成績:856試合 .275 (3121-859) 123本 487打点 295三振 345四球 140盗塁 出塁率.361 OPS.807

※明治大では「神主打法」を自ら考案し、38年に南海軍の創設に参加して42年には戦前唯一の1試合3本塁打を記録。その後49年にプロに復帰し、50年には水爆打線の4番打者を務め、打率.319 39本 34盗塁で史上初のトリプルスリーを達成し、51年には史上初の1試合4本塁打を記録。その後東映では選手兼任監督となり、57年には史上最年長の45歳5ヶ月で本塁打を記録。引退後は近鉄の監督も務めた。81年に殿堂入り。


792 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/30(月) 16:06:52 KLUSP6T2

【あと141試合】

・渡邉博幸 1970年6月29日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:日大藤沢高→日本大→三菱自動車川崎→95年ドラフト4位→中日(96-07)

成績:859試合 .269 (1165-313) 11本 123打点 202三振 90四球 5盗塁 出塁率.328 OPS.676

※中日では内外野問わず守れるユーティリティとして99年ごろから出場機会を増やし、04年に落合博満監督が就任すると、その守備力を評価されて一塁手として積極的に起用され、安定した守備でチームの優勝に貢献し、GG賞も受賞するなど「守りの野球」の象徴として活躍した。07年に現役を引退後も中日に残り、コーチやスコアラーを歴任。今年からは2軍内野守備走塁コーチを務める。

【あと138試合】

・畠山準 1964年6月11日生 外野手・一塁手・投手 右投右打
経歴:池田高→82年ドラフト1位→南海・ダイエー(83-90)→大洋・横浜(91-99)

成績:862試合 .255 (1892-483) 57本 240打点 455三振 177四球 8盗塁 出塁率.320 OPS.728
投手:55登板 6勝18敗 0S 228.0投球回 99奪三振 116与四球 248被安打 防4.74 WHIP1.60

※やまびこ打線を擁する池田高で82年夏の甲子園で優勝を果たし、ドラ1で南海に入団。投手として2年目の84年には先発の一員となるも以降は伸び悩み、6年目の88年に打者に転向するも90年に自由契約となり、大洋に移籍。すると93年には6番・左翼手の定位置を獲得し、ドラフト制以降では唯一の投球回、打席双方の規定到達を経験。98年には右の代打としてチームの日本一に貢献。引退後は球団職員を務めている。


793 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/30(月) 16:07:13 KLUSP6T2

【あと132試合】

・赤松真人 1982年9月6日生 外野手 右投右打
経歴:平安高→立命館大→04年ドラフト6位→阪神(05-07)→広島(08-19)

成績:868試合 .249 (1618-403) 21本 144打点 287三振 92四球 136盗塁 出塁率.297 OPS.633

※阪神では1年目から2軍の首位打者や盗塁王を獲得するも、赤星憲広の存在もあり出場機会を稼げず、07年オフに新井貴浩のFAによる人的補償で広島に移籍。すると中堅手として1軍に定着し、10年にはホームランキャッチで一躍注目を浴び、GG賞も獲得。その後も足のスペシャリストとして活躍するも16年オフに胃ガンを発症。手術を経て1軍復帰を目指したが昨年引退を表明。今年からは2軍外野守備走塁コーチ。

【あと132試合】

・藤尾茂 1934年10月28日生 捕手・外野手 右投右打
経歴:鳴尾高→巨人(53-65)

成績:868試合 .253 (2475-625) 74本 346打点 409三振 193四球 67盗塁 出塁率.307 OPS.707

※巨人では2年目の54年から2番手捕手として1軍に定着し、56年には広田順に代わって正捕手の座を獲得し、59年まで4年連続でベストナインを獲得。その後は森正彦の台頭もあり、俊足と打力を活かすべく外野手として起用されるも、打撃不振や守備中の怪我、さらに首脳陣からの冷遇もあり、大幅に出場機会が減少し65年に引退。その後は球界から離れ、京都府のリゾート施設の支配人などとして活動した。


794 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/30(月) 16:07:33 KLUSP6T2

【あと132試合】

・児玉利一 1919年2月19日生 三塁手・一塁手・投手 右投右打
経歴:大分商業高→明治大→全大分→名古屋・中日(51-56)→大洋(57-58)

成績:868試合 .278 (2811-781) 51本 352打点 250三振 414四球 32盗塁 出塁率.374 OPS.764
投手:4登板 0勝1敗 5.2投球回 1奪三振 2与四球 6被安打 防3.00 WHIP1.41

※51年に32歳にしてプロ入り。カーブ打ちの名人として知られ、また高い選球眼を武器に毎年のように4割近い出塁率を記録。54年には西沢道夫・杉山悟とともにクリーンナップを組み、自身は4番・三塁手としてチームの初優勝・初日本一に大きく貢献。また55,56年には2年連続でベストナインも獲得した。57年に大洋に移籍し、58年に引退。その後は大洋のコーチや解説者として活動した。

【あと131試合】

・小山正明 1934年7月28日生 投手 右投右打
経歴:高砂高→大阪・阪神(53-63)→東京・ロッテ(64-72)→大洋(73)

成績:869試合 .157 (1555-244) 9本 76打点 372三振 35四球 1盗塁 出塁率.177 OPS.372
投手:856登板 320勝232敗 4899.0投球回 3159奪三振 978与四球 4068被安打 防2.45 WHIP1.03

※投げる精密機械。53年にテストを経てプロ入りすると、村山実とともに2枚看板のエースとして活躍して62年の優勝にも貢献。63年オフに山内一弘との世紀のトレードでオリオンズに移籍すると、翌64年には30勝をあげて最多勝となり、70年には史上唯一の両リーグ100勝を記録。大洋に移籍した73年に引退。その後は阪神・西武・ダイエーでコーチを歴任。通算320勝・4899.0投球回はともに歴代3位。01年に殿堂入り。


795 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/31(火) 15:09:36 D4/iJ2UE

【あと130試合】

・五十嵐章人 1968年4月12日生 内野手・外野手・捕手・投手 右投左打
経歴:前橋商業高→日本石油→90年ドラフト3位→ロッテ(91-97)→オリックス(98-01)→近鉄(02-03)

成績:870試合 .234 (1801-422) 26本 171打点 267三振 173四球 5盗塁 出塁率.301 OPS.628
投手:1登板 0勝0敗 0S 1.0投球回 0奪三振 0与四球 1被安打 防0.00

※ロッテでは当初外野手として起用されるもその後は内野も守れるユーティリティとして活躍。95年には急遽捕手として出場し、さらにトレードで移籍後のオリックスで00年に投手として登板したことで史上2人目の全ポジション出場を達成。また近鉄に移籍した02年には史上最少となる通算26本塁打での全打順本塁打も達成した。引退後はソフトバンクやBCリーグを経て、現在はエイジェックのシニアマネージャー。

【あと129試合】

・中島治康 1909年6月28日生 外野手 右投右打
経歴:松本商業学校→早稲田大→藤倉電線→巨人(34-43,46-49)→大洋(50-51)

成績:871試合 .270 (3296-889) 57本 493打点 207三振 260四球 103盗塁 出塁率.324 OPS.716

※34年に巨人軍結成に参加し、36年には巨人の球団初本塁打も記録。プロ野球黎明期における強打者として名を馳せ、38年秋には打率.361 10本 38打点で史上初の三冠王を達成するなど戦前では最多となる通算44本塁打をマーク。戦後は選手兼任監督としても活躍。50年に大洋に移籍し、こちらでも選手兼任監督として活動し、51年に引退。その後は読売新聞の記者や巨人のOB会会長を務めた。63年に殿堂入り。


796 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/31(火) 15:09:56 D4/iJ2UE

【あと126試合】

・岡本健一郎 1933年2月16日生 一塁手・外野手 左投左打
経歴:済々黌高→専修大→阪急(55-63)

成績:874試合 .238 (2409-573) 34本 278打点 351三振 263四球 36盗塁 出塁率.315 OPS.656

※専修大では在学中に4度の優勝を経験。55年に阪急に入団すると、1年目から左翼手と一塁手の双方で起用され、1年目から規定打席に到達。3年目の57年には全132試合に出場し、一塁手のベストナインも獲得する。しかしその後は打撃不振に悩まされ、川合幸三や戸口天従と併用される日々が続き、63年に引退。その後は新阪急ホテルで勤務し、その傍らで解説者として活動した。

【あと125試合】

・北川公一 1941年6月29日生 外野手 左投左打
経歴:甲陽高→慶應義塾大→近鉄(64-74)

成績:875試合 .240 (1523-366) 18本 158打点 112三振 87四球 20盗塁 出塁率.287 OPS.599

※慶應義塾大から近鉄に入団すると、3年目の66年には右翼手の定位置を獲得し、安井智規や小玉明利らとともにチャンスメーカーとして活躍。その後は中堅手に回るも自身の故障もあって69年ごろから小川亨に定位置を譲り、代打を中心に長らく準レギュラーとして活躍。74年に引退後は全播磨硬式野球団のコーチやアドバイザーを経て、09年には関西独立リーグ・明石の監督も務めた。


797 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/31(火) 15:10:13 D4/iJ2UE

【あと125試合】

・山田伝 1914年2月5日生 外野手・投手 左投右打
経歴:エリグローブ高→阪急(37-44,46-48)

成績:875試合 .251 (3060-767) 10本 188打点 170三振 476四球 231盗塁 出塁率.352 OPS.654
投手:8登板 3勝3敗 52.2投球回 15奪三振 32与四球 45被安打 防3.91 WHIP1.46

※和歌山で生まれ、カリフォルニアで育った日系2世であり、米国のセミプロ球団の日本遠征時にスカウトを受けて阪急に入団。珍しい左投右打の選手であり、また俊足を武器として43年には戦前最多となる56盗塁をマークするなど2度の盗塁王を獲得。守備でもどんな打球でもへその部分で捕球したことから「ヘソ伝」の愛称も付けられた。48年に引退後は阪神のスコアラー兼通訳やコーチとして活動した。

【あと124試合】

・ジム・ライトル 1946年5月20日生 外野手 右投左打
経歴:ヤンキース(69-71)→ホワイトソックス(72)→エクスポズ(73-76)→ドジャース(76)→広島(77-82)→南海(83)

成績:876試合 .285 (3319-945) 166本 529打点 469三振 218四球 30盗塁 出塁率.331 OPS.816

※66年のMLBドラフトで1巡目での指名を受けてヤンキースに入団。77年に来日して広島に入団。山本浩二・衣笠祥雄とともに強力な中軸を形成した上に、さらに守備では強肩を武器に攻守でチームの連覇に貢献し、自身は4年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞。また広島の助っ人では歴代最多の通算155本塁打をマーク。83年に南海に移籍し、同年限りで引退。その後は農場経営の傍らで大学のコーチを務めた。


798 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/31(火) 15:11:16 D4/iJ2UE

【あと124試合】

・藤井道夫 1922年7月24日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:高松商業学校→華北電電→常盤産業→阪急(50-57)

成績:876試合 .261 (2799-730) 16本 260打点 169三振 290四球 187盗塁 出塁率.333 OPS.664

※社会人野球を経て27歳で阪急に入団。1年目から俊足巧打の1番打者として活躍し、3年目の52年には全108試合に出場して木塚忠助に次いでリーグ2位の54盗塁をマーク。プロとしては8年間と短い期間ながら通算で187盗塁をマークした。引退後は阪急のコーチやスカウト・編成部長として活動し、特にスカウトとしては長池徳士や福本豊といった後の黄金時代を支える選手たちの獲得に大きく貢献している。

【あと123試合】

・阿部真宏 1978年5月12日生 遊撃手・二塁手・三塁手 右投右打
経歴:横浜高→法政大→00年ドラフト4位→近鉄(01-04)→オリックス(05-09)→西武(10-12)

成績:877試合 .248 (2412-599) 26本 250打点 286三振 224四球 23盗塁 出塁率.317 OPS.655

※法政大から近鉄に入団すると、ギルバートが退団した02年からは遊撃手の定位置を獲得し、03年には球宴に出場。その後球団合併によりオリックスに移籍するも、後藤光尊や大引啓次の台頭もあり二塁手に転向。その後10年にトレードで西武に移籍し、内野のユーティリティとして重宝され12年に引退。その後も西武に残り、球団職員を経て15年からはコーチに就任。エロい人。


799 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/03/31(火) 15:11:38 D4/iJ2UE

【あと122試合】

・菊川昭二郎 1945年2月7日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:鎮西学院高→近鉄(63-67)→西鉄(68-74)→ロッテ(75-76)

成績:878試合 .236 (2210-522) 21本 159打点 241三振 155四球 56盗塁 出塁率.294 OPS.592

※近鉄では長らく2軍暮らしが続き、5年目の67年に内野のユーティリティとしてようやく1軍で頭角を現したところでオフにトレードで西鉄に移籍。すると俊足好守の遊撃手として主に2番打者の定位置を掴み、72年には規定打席に到達。73年には三塁手に回り、自己最多の122試合に出場した。その後75年にトレードでロッテに移籍するも出場機会は減少し、76年に引退。その後の動向は不明。

【あと121試合】

・住友平 1943年8月17日生 二塁手 右投右打
経歴:浪商高→明治大→65年ドラフト3位→阪急(66-75)

成績:879試合 .246 (2078-511) 55本 236打点 304三振 208四球 96盗塁 出塁率.327 OPS.709

※65年の第1回ドラフトで3位指名を受けて阪急に入団。1年目の66年から二塁手の定位置を獲得し、翌67年には山口富士雄と併用されながらチャンスメーカーとして活躍するなど阪急黄金時代の名脇役として名を馳せた。なお67年には史上唯一の1人でのトリプルプレーも達成している。75年に引退後は上田利治監督の名懐刀として主にオリックスや日本ハムでコーチや2軍監督を歴任した。


800 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/01(水) 15:14:45 nrf0N8Hw
エイプリルフール企画をやろうと考えて構想まで練ったのですが、時間が足りなかったため断念しました
ただ後々発表できるようにはしたいです

【あと116試合】

・英智(蔵本英智) 1976年5月9日生 外野手 右投右打
経歴:県立岐阜商高→名城大→98年ドラフト4位→中日(99-12)

成績:884試合 .236 (1257-297) 11本 115打点 255三振 52四球 50盗塁 出塁率.275 OPS.580

※球界屈指の守備職人。中日では4年目の02年から出場機会を増やし、俊足・強肩・好守の3拍子揃った外野手として落合監督時代に能力を見出されて1軍に定着。04年には福留孝介・アレックスとともに鉄壁の外野を形成し、同年のGG賞を受賞。以降も様々な外野手が台頭する中で代走や守備固めとして存在感を示した。12年に引退後は中日のコーチとなり、今年からは再び1軍外野守備走塁コーチを務める。

【あと116試合】

・笘篠誠治 1964年6月22日生 外野手・二塁手 右投右打
経歴:上宮高→82年ドラフト2位→西武(83-97)

成績:884試合 .256 (1491-381) 18本 121打点 209三振 109四球 90盗塁 出塁率.307 OPS.653

※西武では5年目の87年に辻発彦の故障から二塁手の定位置を掴んでリーグ優勝に貢献。辻の復帰後は外野手を主に内野も守れるユーティリティとしてチームの黄金時代を支え続けた。97年に引退後は西武・中日・ソフトバンク・ヤクルトを経て昨年からは楽天のコーチを務める。妻は元宝塚であり、息子はジャニーズJr.、娘も宝塚に所属している芸能一家でもある。また弟の賢治もヤクルトと広島でプレー。


801 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/01(水) 15:15:03 nrf0N8Hw

【あと116試合】

・常見昇 1928年3月30日生 外野手 右投右打
経歴:桐生中学→明治大(中退)→東急・東映(49-55)→阪急(56)

成績:884試合 .257 (2884-742) 43本 276打点 414三振 248四球 91盗塁 出塁率.318 OPS.679

※明治大では48年春に首位打者となり、大学を中退して49年にプロ入り。1年目から左翼手の定位置を掴んで規定打席に到達すると、翌50年には大下弘・保井浩一とともにクリーンナップを組み、自身は4番打者として17本塁打をマーク。俊足も武器で、54年には自己最多の22盗塁も記録。阪急に移籍した56年に引退。なお兄の茂、弟の忠も同じく桐生中学を卒業して同じ年に東急に入団し、3兄弟揃って同僚となった。

【あと115試合】

・浅井茂治 1941年5月11日生 三塁手 右投右打
経歴:静岡商業高→大阪・阪神(60-67)→広島(68-70)

成績:885試合 .224 (2584-579) 57本 214打点 360三振 106四球 49盗塁 出塁率.258 OPS.589

※静岡商業高から大阪に入団。遊撃手としてプロ入りするも吉田義男の高い壁が阻み、なかなか出場機会を得られなかったが、三宅秀史の故障により63年から三塁手の定位置を争う形となりレギュラーに定着。64年には7番打者としてリーグ優勝に貢献するなど60年代のタイガースを支えた。68年からは広島に移籍し、そちらでも三塁手のレギュラーとして活躍した。70年に引退。


802 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/01(水) 15:15:22 nrf0N8Hw

【あと115試合】

・塚本博睦 1918年10月14日生 外野手 右投右打
経歴:旧制呉港中学→立教大(中退)→大阪・阪神(37-38,42-44,47)→阪急(48)→東急(49)→西日本(50)→西鉄(51)→広島(52)

成績:885試合 .252 (2824-712) 17本 219打点 229三振 317四球 170盗塁 出塁率.328 OPS.660

※呉港中学では藤村富美男とともに34年夏の甲子園を制覇。その後立教大に進むも藤村の誘いで中退してプロ入りを果たす。戦時中の42年から1番・中堅手の定位置を掴むと、俊足を武器に活躍。48年に移籍した阪急では自己最多の39盗塁もマーク。その後は西日本・西鉄・広島とチームを渡り歩き、52年に引退。その後は社会人・藤井金属の監督や阪神の2軍監督・打撃コーチを歴任した。

【あと114試合】

・内藤博文 1931年1月20日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:甲府一高→巨人(48-58)→近鉄(59-61)

成績:886試合 .232 (2112-491) 27本 186打点 381三振 143四球 50盗塁 出塁率.290 OPS.613

※48年に巨人軍初の入団テストで合格者第1号となってプロ入り。当初は遊撃手だったがやや肩が弱かったために二塁手に転向すると千葉茂に代わって定位置を獲得。しかし長嶋茂雄加入による土屋正孝の二塁転向により押し出される形で近鉄に移籍。近鉄でも二塁手として活躍するも、ブルームの台頭により61年に引退。その後は主に巨人やヤクルトのコーチや2軍監督を務め、栗山英樹の最大の恩師としても知られる。


803 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/01(水) 15:15:38 nrf0N8Hw

【あと113試合】

・小田義人 1947年5月22日生 一塁手 右投右打
経歴:静岡高→早稲田大→大昭和製紙→72年ドラフト2位→ヤクルト(73-74)→日本ハム(75-77)→南海(78-81)→近鉄(82-83)

成績:887試合 .256 (2384-610) 67本 274打点 277三振 115四球 28盗塁 出塁率.297 OPS.678

※大昭和製紙時代に日本楽器の補強選手としてチームの初優勝に貢献し、ヤクルトに入団。新人ながら一塁手の定位置を掴むも打撃成績が低迷し、トレードで日本ハムに移籍すると打撃が開花し惜しくも6毛差で白仁天にタイトルを譲るもリーグ2位の打率.319をマーク。その後も南海や近鉄でプレーし、83年に引退。その後は近鉄のスカウトやヤクルトのコーチ、スカウトを歴任。赤堀元之や青木宣親の獲得に貢献した。

【あと112試合】

・横山光次 1933年6月1日生 外野手 右投右打
経歴:扇町商業高→大阪・阪神(52-64)

成績:888試合 .231 (2041-471) 37本 191打点 326三振 112四球 57盗塁 出塁率.278 OPS.620

※入団テストを経て52年にタイガースに入団。55年から1軍で頭角を現し、59年には規定打席にも到達。その後は藤井栄治の入団もあり、並木輝男・大津淳・ソロムコらと併用されながら、自身は対左投手での起用が主に。また右の代打の切り札としても活躍し、64年には藤村富美男以来2人目となる代打満塁本塁打も記録するなどリーグ優勝に貢献。同年の日本シリーズを最後に現役を引退。


804 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/01(水) 15:15:56 nrf0N8Hw

【あと111試合】

・宮川孝雄 1936年1月31日生 外野手 左投左打
経歴:豊国高→門司鉄道局→広島(60-74)

成績:889試合 .276 (968-267) 11本 149打点 143三振 92四球 11盗塁 出塁率.365 OPS.726

※広島ではプロ入りから通じて代打の切り札として活躍し、63年からは5年連続で代打打率3割をマーク。72年には66試合に出場し、62打席で代打打率.404、出塁率.500という驚異的な成績を残すなど、現在でも歴代最多の通算186本の代打安打を記録。74年に引退後はスカウトとして活動し、北別府学、緒方幸市、前田智徳といった名選手らの発掘に貢献。06年からはスカウト部の顧問も務めた。

【あと110試合】

・法元英明 1935年3月3日生 外野手・投手 左投左打
経歴:八尾高→関西大(中退)→中日(56-68)

成績:890試合 .239 (1404-336) 13本 110打点 121三振 82四球 15盗塁 出塁率.282 OPS.588
投手:9登板 0勝1敗 15.0投球回 5奪三振 10与四球 9被安打 防3.00 WHIP1.27

※八尾高では52年夏に準優勝を経験し、その後関西大を中退して中日に入団。当初は投手と外野手の二刀流として起用されるも、4年目の59年からは野手に専念。目立った成績こそ残せなかったが、60年代における中日の外野の準レギュラーとして活躍。68年に引退後も中日に残り、スカウトやコーチ、2軍監督などを歴任。02年に退職後は解説者として活動し、中日スポーツでも高校生選手を紹介するコラムを連載。


805 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/02(木) 16:18:38 pvaJDy2w

【あと109試合】

・別当薫 1920年8月23日生 外野手・投手 右投右打
経歴:旧制甲陽中学→旧制慶應義塾大→全大阪→大阪(48-49)→毎日(50-57)

成績:891試合 .302 (3191-965) 155本 549打点 254三振 318四球 186盗塁 出塁率.366 OPS.891
投手:3登板 0勝1敗 12.0投球回 5奪三振 5与四球 11被安打 防1.50 WHIP1.33

※慶大では戦時中の「最後の早慶戦」で4番を務め、戦後48年に大阪でプロ入りすると2年目の49年にはダイナマイト打線の中軸として3割30本100打点をクリアすると、翌50年に移籍した毎日では打率.335 43本 105打点 34盗塁をマークし、二冠に加えてトリプルスリー、さらにパ初代MVPを獲得。その後54年からは選手兼任監督を務め、退団後は近鉄・大洋・広島でも監督を歴任し、通算1237勝をあげた。88年殿堂入り。

【あと108試合】

・笠原和夫 1920年6月3日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:旧制市岡中学→早稲田大→大野大喜クラブ→北進化学→全大阪→南海(48-53)→高橋・トンボ(54-56)

成績:892試合 .286 (2612-746) 27本 325打点 214三振 317四球 68盗塁 出塁率.365 OPS.756

※上記の別当薫に対して「最後の早慶戦」で早大の4番を務め、戦後48年に南海にプロ入り。1年目から全試合に出場し、当時の新人最多となる160安打をマーク。翌49年も全試合に出場するも、その後は年々出場機会が減少し、54年に設立された高橋に移籍。55年途中からは選手兼任監督も務めたが、56年限りで球団合併により退任し、選手としても引退。その後は大映の助監督や解説者として活動した。


806 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/02(木) 16:18:54 pvaJDy2w

【あと105試合】

・皆川定之 1919年10月9日生 遊撃手 右投右打
経歴:旧制桐生中学→大阪・阪神(37-41)→急映(48-52)

成績:895試合 .204 (3090-630) 21本 208打点 443三振 422四球 95盗塁 出塁率.303 OPS.567

※桐生中学では4度の甲子園出場を経験。156cmと非常に小柄ながら、後に守備だけなら吉田義男を上回ると称された高いフィールディングを武器に球団黎明期の遊撃手として活躍。打撃でも打率こそ2割5分を超えたシーズンがないものの、高い選球眼でそれをカバーした。戦後は社会人を経て48年に急映でプロに復帰。52年に退団後も社会人チームを転々としながら現役を続け、河合楽器では監督も務めた。

【あと103試合】

・土肥健二 1950年5月17日生 捕手 右投右打
経歴:高岡商業高→68年ドラフト4位→ロッテ(69-83)

成績:897試合 .268 (1852-497) 44本 199打点 208三振 124四球 11盗塁 出塁率.318 OPS.700

※ロッテでは5年目の73年から村上公康に次ぐ2番手捕手として1軍に定着し、パンチ力のある打撃で外野手や代打としても出場機会を稼ぎ、74年には日本一にも貢献。その後高橋博士の移籍もあり、レギュラー争いの末に81年には正捕手の座を掴むも、翌年には袴田英利が台頭して83年に引退。彼の「神主打法」はチームの後輩である落合博満が参考にしたとされる。引退後は地元・富山で野球振興活動を行っている。


807 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/02(木) 16:19:12 pvaJDy2w

【あと103試合】

・鵜飼勝美 1932年11月11日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:享栄商業高→国鉄(52-63)

成績:897試合 .230 (2220-510) 26本 178打点 373三振 94四球 45盗塁 出塁率.260 OPS.568

※享栄高では金田正一とチームメイトであり、その金田から2年遅れて国鉄に入団。入団当初は一塁や二塁で起用されるも、4年目の56年に外野手に転向すると、チームの4番打者となり全試合に出場し、球宴にも選抜される。その後は飯田徳治の移籍もあり、4番こそ譲るも50年代から60年代の頭にかけての国鉄打線を支えた。63年に引退後は地元の一宮でスポーツ用品店を経営。

【あと101試合】

・米田慶三郎 1943年1月13日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:桃山学院高→PL教団→電気化学→67年ドラフト3位→大洋(68-79)

成績:899試合 .204 (1652-337) 34本 123打点 340三振 97四球 17盗塁 出塁率.254 OPS.556

※大洋では1年目から2軍で本塁打・打点の2冠を獲得。2年目の69年から1軍に定着すると、遊撃手をメインに守備の名手として活躍し、一塁・松原誠、二塁・シピン、三塁・ボイヤーとともに鉄壁の内野陣を形成した。しかしその後は山下大輔の台頭もあり、徐々に出場機会が減少して79年に引退。その後は大洋や横浜のコーチや2軍監督、SOLA沖縄の監督、楽天の2軍コーチを歴任した。


808 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/02(木) 16:19:32 pvaJDy2w

【あと101試合】

・杉浦清 1914年7月20日生 遊撃手・三塁手 右投右打
経歴:中京商業学校→明治大→中日(46-50)→大洋(51)→国鉄(52-53)

成績:899試合 .255 (3316-846) 125本 493打点 340三振 356四球 78盗塁 出塁率.330 OPS.755

※中京商業では31〜33年の夏の甲子園3連覇、明大でも37年春〜38年秋に4連覇を経験。戦後46年に32歳にして中日に入団しプロ入りすると遊撃手の定位置を掴み、選手兼任監督も務め、48年には史上初のナイターの勝利監督となり、選手としても18年に源田壮亮が更新するまで遊撃手として最多の502補殺を記録した。その後大洋・国鉄を経て53年に引退。その後解説者を経て、63,64年には再度中日の監督も務めた。

【あと99試合】

・飯原誉士 1983年4月26日生 外野手・三塁手 右投右打
経歴:小山高→白鴎大→05年大社ドラフト5位→ヤクルト(06-17)

成績:901試合 .258 (2178-563) 49本 246打点 383三振 161四球 76盗塁 出塁率.322 OPS.708

※ヤクルトでは2年目の07年に三塁手の定位置を掴み、翌08年からは左翼手に回って自己最多の28盗塁をマーク。その後は他の外野手と定位置を争う形となり、10年には15本塁打を記録。統一球が導入された11年からは打撃不振に苦しむも13年からは復調し、代打の切り札としても活躍した。17年に戦力外となり、現在は地元であるBC栃木に選手兼任コーチとして入団しており、現役生活を続けている。


809 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/02(木) 16:19:52 pvaJDy2w

【あと99試合】

・三村勲 1924年3月8日生 三塁手・遊撃手 右投右打
経歴:飯塚商業専修学校→専修大→八幡製作所→中日(46-47)→急映(48)→大映(49)→松竹(50-52)→広島(53-55)

成績:901試合 .237 (3008-712) 61本 306打点 464三振 351四球 52盗塁 出塁率.318 OPS.676

※戦後46年に中日でプロ入りするも、球団代表である赤嶺昌志の辞任に伴い、後を追う形で急映に移籍。新田恭一コーチの教えのもとで小鶴誠と同じ「ゴルフスイング打法」を習得すると、大映に移籍した49年から打撃の才能が開花。松竹へと移った50年には水爆打線の2番打者としてリーグ優勝に貢献した。それまで行動を共にしてきた金山次郎・小鶴誠とともに53年に広島に移籍し、55年に引退。

【あと95試合】

・大松尚逸 1982年6月16日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:金沢高→東海大→04年ドラフト5位→ロッテ(05-16)→ヤクルト(17-18)

成績:905試合 .245 (2654-650) 84本 367打点 491三振 209四球 3盗塁 出塁率.304 OPS.699

※ロッテでは4年目の08年には5番打者に定着し、自己最多の24本塁打・91打点をマークするなど主砲として活躍。10年には多田野数人のノーノーを阻止する活躍も見せる。しかしその後は打撃不振や若手の台頭もあって16年に戦力外となり、ヤクルトに移籍。代打として活躍するも18年には2度目の戦力外を受け、昨年はBC・福井でプレーして引退。今年からはヤクルトの2軍打撃コーチを務める。KY伝説が豊富。


810 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/02(木) 16:25:32 c84qmTlM
そういえば大松ヤクルトに戻ってたっけか


811 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/03(金) 17:46:31 T2B6ckJQ

【あと93試合】

・戸倉勝城 1914年11月3日生 外野手 右投右打
経歴:豊浦中学→法政大→大連満倶→大洋漁業→毎日(50)→阪急(51-58)

成績:907試合 .283 (3166-895) 75本 507打点 312三振 230四球 115盗塁 出塁率.334 OPS.768

※50年に大洋農業から河内卓司らとともに引き抜かれ、35歳にして毎日でプロ入り。すると西鉄との開幕戦で4番スタメンを果たすと初打席初本塁打となるパリーグ第1号本塁打を記録。翌51年からは阪急に移籍し、4番打者として活躍。55年には40歳にして自己最高の打率.321を記録した。58年に引退後は阪急のコーチを経て同年途中から監督となり、67年にも東京の監督を務めた。以降は解説者として活動した。

【あと91試合】

・伊香輝男 1934年4月9日生 外野手 左投左打
経歴:同志社香里高→同志社大→近鉄(57-68)

成績:909試合 .248 (1513-375) 10本 142打点 186三振 95四球 12盗塁 出塁率.307 OPS.622

※同志社大から57年に近鉄に入団すると、強肩好打の外野手として期待され、1年目から準レギュラーとして活躍し、62年には規定打席未到達ながら打率.328をマーク。その後63年に土井正博の左翼手転向により代打の切り札となり、特に66年には84試合の出場全てが代打であり、一度も守備につかなかった。翌67年からコーチ兼任となり、68年限りで選手としては引退。その後70年までコーチを務めた。


812 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/03(金) 17:46:50 T2B6ckJQ

【あと91試合】

・辻井弘 1917年4月21日生 一塁手・捕手・外野手 右投左打
経歴:平安中学→早稲田大→パシフィック・太陽・大陽(46-49)→広島(50-51)→国鉄(52-54)

成績:909試合 .262 (3191-837) 29本 321打点 184三振 286四球 79盗塁 出塁率.330 OPS.676

※戦後46年にパシフィックに入団してプロ入り。47年には主に外野手として全119試合に出場すると、翌48年には青田昇や小鶴誠、川上哲治らとともに首位打者を争いリーグ4位の打率.298をマーク。その後50年には広島に移籍し、初代主将に就任。4番打者として同年は全138試合に出場し、また財政難だったチームにおいて遠征の際には実家に若手を泊まらせるなどプレー外でもチームを支えた。国鉄で54年に引退。

【あと90試合】

・岡田幸文 1984年7月6日生 外野手 左投左打
経歴:作新学院高→日本大→全足利クラブ→08年育成ドラフト6位→ロッテ(09-18)

成績:910試合 .255 (2247-573) 0本 119打点 254三振 121四球 142盗塁 出塁率.300 OPS.588

※残念、そこは岡田だ。1年目のシーズン開幕前に支配下登録を勝ち取り2年目の10年から1軍に定着。11年には中堅手の定位置を獲得し、育成選手では初の規定打席到達、リーグ3位の41盗塁、そして屈指の守備力を武器に翌12年にかけて2年連続GG賞を獲得。一方で通算2501打席立ちながら本塁打0、また晩年には野手としてはワーストの59打席連続無安打も記録。18年限りで引退し、昨年からBC栃木の派遣コーチ。


813 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/03(金) 17:47:07 T2B6ckJQ

【あと90試合】

・山下和彦 1962年11月29日生 捕手 右投右打
経歴:柳ヶ浦高→新日鐵大分→84年ドラフト4位→近鉄(85-94)→日本ハム(95-98)

成績:910試合 .218 (1747-380) 30本 159打点 425三振 119四球 5盗塁 出塁率.274 OPS.580

※近鉄では衰えを見せていた梨田昌孝に代わって87年から正捕手を務め、「マムシ」と呼ばれるほどのしつこいリードを武器に89年にはリーグ優勝に貢献してベストナインも獲得。その後光山英和や古久保健二の台頭もあり、出場機会が減少する中で94年に日本ハムへ移籍。若手や助っ人のグロスの先発時やリリーフ捕手として重宝され、98年に引退。その後は横浜・DeNAや近鉄、楽天のコーチを歴任。

【あと89試合】

・飯山裕志 1979年7月13日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:れいめい高→97年ドラフト4位→日本ハム(98-17)

成績:911試合 .202 (743-150) 1本 45打点 196三振 31四球 15盗塁 出塁率.235 OPS.468

※日本ハムでは長らく2軍暮らしが続いていたが、8年目の05年に頭角を現し、翌06年には紺田敏正とともに「スーパーサブコンビ」として活躍。12年には日本シリーズ第4戦でサヨナラ安打も記録。内野のユーティリティであり、プロ20年間を日本ハム一筋、かつ試合終盤の守備固め要員として生き抜き、4度のリーグ優勝を経験した。17年に引退後は日本ハムのコーチとなり、今年からは1軍内野守備走塁コーチを務める。


814 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/03(金) 17:47:22 T2B6ckJQ

【あと89試合】

・野口寿浩 1971年6月24日生 捕手 右投右打
経歴:習志野高→89年ドラフト外→ヤクルト(90-98)→日本ハム(98-02)→阪神(03-08)→横浜(09-10)

成績:911試合 .250 (2332-582) 42本 272打点 467三振 135四球 30盗塁 出塁率.294 OPS.671

※ドラフト外でヤクルトに入団するも当時は古田敦也の壁は厚く、出場機会に恵まれず98年にトレードで日本ハムに移籍。すると正捕手の定位置を獲得し、00年には球団捕手最高の打率.298をマーク。その後トレードで03年に阪神に移籍し矢野輝弘に次ぐ2番手の位置となるも、04年には井川慶のノーノー達成に貢献。そして09年にはFAで横浜に移籍し、10年に引退。その後はヤクルトのコーチを経て現在は解説者。

【あと89試合】

・袴田英利 1955年8月13日生 捕手 右投右打
経歴:自動車工業高→法政大→77年ドラフト1位→ロッテ(78-90)

成績:911試合 .231 (2247-519) 38本 231打点 314三振 138四球 9盗塁 出塁率.281 OPS.609

※法政大では江川卓とバッテリーを組んで黄金時代を築き、1位指名を受けてロッテに入団。4年目の82年に高橋博士と土肥健二の両捕手に代わって正捕手の座を掴み、特に村田兆治とはノーサインでバッテリーを組むなど80年代のロッテを支えた。90年にその村田とともに引退し、ロッテのコーチやスカウトを20年以上にわたって務め、14年からは西武、16年からはBC武蔵のヘッドコーチも務めた。


815 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/03(金) 17:47:41 T2B6ckJQ

【あと87試合】

・赤田将吾 1980年9月1日生 外野手 右投両打
経歴:日南学園高→98年ドラフト2位→西武(99-09)→オリックス(10-12)→日本ハム(13-14)

成績:913試合 .255 (2525-643) 30本 211打点 578三振 218四球 75盗塁 出塁率.315 OPS.663

※西武ではもともと右打ちだったが俊足を活かすべく02年にスイッチヒッターに転向。また二塁手から外野手に転向すると04年からは2番・中堅手の定位置を掴み、05年には自己最多の20盗塁をマーク。しかしその後は故障に苦しみ、10年にトレードでオリックスに移籍し、同年には史上17人目の両打席本塁打も記録。その後13年に再度トレードで日本ハムに移籍し14年に引退。現在は西武の1軍打撃コーチを務める。

【あと87試合】

・波留敏夫 1970年5月25日生 外野手 右投右打
経歴:大谷高→熊谷組→93年ドラフト2位(逆指名)→横浜(94-01)→中日(01-02)→ロッテ(03-04)

成績:913試合 .278 (3138-872) 44本 266打点 476三振 231四球 76盗塁 出塁率.335 OPS.712

※ハマの核弾頭。入団当初は遊撃手だったが、2年目からは外野手に転向。石井琢朗とともに1,2番コンビを形成。その後98年に脱税事件により出場停止処分を受けるも復帰後はマシンガン打線の2番打者として活躍し、日本一に貢献。しかしその後は故障に悩まされ、01年に中日に、さらに03年にはロッテに移籍するもかつての打撃は取り戻せず04年に引退。その後は横浜・DeNAを経て、現在は中日の2軍打撃コーチ。


816 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/04/04(土) 02:03:19 ???
波留って1000試合いってなかったんか
意外


817 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/04(土) 17:08:51 0A/wVtXE

【あと87試合】

・矢ノ浦国満 1941年2月23日生 遊撃手 右投右打
経歴:東筑高→近鉄(60-65)→サンケイ(66-67)→巨人(68)

成績:913試合 .249 (3399-846) 57本 264打点 561三振 167四球 55盗塁 出塁率.288 OPS.649

※東筑高から近鉄に入団すると、守備力を買われて60年の開幕戦でスタメン出場を果たし、13年に大谷翔平が記録するまで高卒新人唯一の開幕戦マルチ安打を記録。その後も60年代前半における近鉄のリードオフマンとして活躍。その後66年にサンケイに移籍しこちらでも遊撃手としてプレーし、68年には巨人に移籍するも1年で退団。69年には新規に発足したグローバルリーグの東京ドラゴンズで1年だけプレーした。

【あと87試合】

・上田藤夫 1912年3月6日生 二塁手・遊撃手 右投右打
経歴:マウイ高→阪急(37-44,46-48)

成績:913試合 .237 (3192-755) 8本 291打点 213三振 436四球 136盗塁 出塁率.335 OPS.617

※ハワ イに産まれ、マウイ島の高校を卒業し先駆けて来日していたジミー堀尾の誘いで阪急に入団して来日。打撃ではバントやヒットエンドランの小技を得意とした2番打者として活躍し、また守りでは堅実な遊撃守備を披露し、38年には1試合12補殺、40年には1試合6併殺の日本記録を樹立。戦後48年まで現役を続け、引退後は審判に転向。ジャッジでも正確さに定評があり63〜67年にはパリーグの審判部長も務めた。


818 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/04(土) 17:09:14 0A/wVtXE

【あと84試合】

・岩崎忠義 1948年9月12日生 外野手 右投右打
経歴:津久見高→66年第2次ドラフト2位→東京・ロッテ(67-80)→日本ハム(81)

成績:916試合 .245 (1323-324) 15本 104打点 165三振 84四球 31盗塁 出塁率.290 OPS.609

※津久見高では夏の甲子園に2年連続で出場。オリオンズにプロ入りすると、三塁手から外野手に転向し右の大砲として期待され長い2軍暮らしを経て、7年目の73年から頭角を現し、74年には日本シリーズ第4戦から1番打者に抜擢され日本一に貢献。76年には2番・右翼手の定位置を掴むもリーや白仁天の加入もあり出場機会が減少。81年に移籍した日本ハムで現役を引退している。

【あと84試合】

・宮原秀明(宮原務本) 1942年9月3日生 外野手 左投左打
経歴:長生一高→東映(61-69)→ヤクルト(70-71)→近鉄(71-72)→大洋(73)

成績:916試合 .257 (1507-388) 23本 170打点 145三振 104四球 5盗塁 出塁率.307 OPS.664

※61年に東映に入団するも当時は張本勲・毒島章一・白仁天といった選手らが外野を陣取っており、自身は外野手4番手の時期が長く続き目立った活躍は出来なかったが、そんな中でも65〜67年には3年連続で100試合以上に出場するなど存在感を示した。その後70年からはヤクルト・近鉄・大洋と球団を転々とし、73年に現役を引退。その後は西武のスカウトを務めていたが94年に脳出血のために51歳でこの世を去った。


819 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/04(土) 17:09:31 0A/wVtXE

【あと83試合】

・高橋信二 1978年8月7日生 捕手・一塁手 右投右打
経歴:津山工業高→96年ドラフト7位→日本ハム(97-11)→巨人(11)→オリックス(12-14)

成績:917試合 .266 (2888-768) 82本 416打点 545三振 183四球 22盗塁 出塁率.316 OPS.717

※日本ハムでは長い2軍生活を経て、7年目の03年に實松一成らの故障により正捕手に抜擢され、翌04年には球団捕手では歴代最多の26本塁打・84打点をマーク。その後は鶴岡慎也の台頭もあって一塁手としても出場し、09年には繋ぐ4番としてベストナイン・GG賞を獲得。その後11年に金銭トレードで巨人に移籍し、翌12年からはオリックスでプレー。15年にBC・信濃で引退。現在は日本ハムのコーチを務めている。

【あと83試合】

・垣内哲也 1970年6月6日生 外野手 右投右打
経歴:日高高中津分校→88年ドラフト3位→西武(89-02)→ロッテ(03-06)

成績:917試合 .227 (2248-510) 110本 315打点 698三振 254四球 36盗塁 出塁率.311 OPS.736

※分校出身者としては初のプロ野球選手。捕手としてプロ入りするも伊東勤の存在もあって3年目から外野手に転向。主に90年代後半にかけて強打の外野手として活躍し、96年には自己最多の28本塁打を記録。その後03年には金銭トレードでロッテに移籍し、06年に引退。その後は中日のコーチや解説者を務め、今年から楽天の2軍打撃コーチを務める。1軍と2軍の双方で通算100本塁打を記録している唯一の選手。


820 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/04(土) 17:09:50 0A/wVtXE

【あと83試合】

・横田真之 1962年11月26日生 外野手 右投左打
経歴:明徳高→駒澤大→84年ドラフト4位→ロッテ(85-92)→中日(93-94)→西武(95)

成績:917試合 .279 (2609-727) 38本 239打点 285三振 182四球 108盗塁 出塁率.329 OPS.713

※元阪神・横田慎太郎の父。ロッテでは1年目から2番打者の定位置を掴み、新人ながら打率3割をマークし、翌86年も打率.304を記録し、長嶋茂雄以来史上2人目の1,2年目連続打率3割を達成。その後もレギュラーとして活躍するも、93年に若返りを求めるチーム事情から中日にトレードで放出。しかし不振に陥り、95年に移籍した西武で引退。その後は宅配便や焼肉店での勤務や、妻の地元・鹿児島で飲食店を経営した。

【あと83試合】

・高代延博 1954年5月27日生 遊撃手 右投右打
経歴:智辯学園高→法政大→東芝→78年ドラフト1位→日本ハム(79-88)→広島(89)

成績:917試合 .256 (3011-772) 57本 346打点 291三振 260四球 54盗塁 出塁率.319 OPS.680

※東芝から1位指名を受けて日本ハムに入団。1年目から遊撃手の定位置を掴むと同年にはダイヤモンドグラブ賞、翌80年にはベストナインを獲得し、81年にはリーグ優勝に貢献するなど80年代のチームを支えた。88年にトレードで移籍した広島で引退後は様々な球団でコーチを歴任し、現在は阪神の2軍チーフコーチを務める。打球判断に優れ、「日本一の三塁ベースコーチ」と野村克也氏らからも評価されている。


821 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/04(土) 17:10:07 0A/wVtXE

【あと82試合】

・アーロム・バルディリス 1983年1月5日生 三塁手・一塁手 右投右打
経歴:阪神(08-09)→オリックス(10-13)→DeNA(14-15)

成績:918試合 .268 (2956-793) 93本 387打点 438三振 282四球 6盗塁 出塁率.346 OPS.764

※MLBではメジャー昇格を果たせず、08年に来日して育成契約で阪神に入団。1年目の5月には支配下を勝ち取るも目立った活躍は出来ず、10年にオリックスに移籍。すると打撃が開花し、三塁手の定位置を掴むと勝負強い打撃と安定した打撃で活躍。14年にはDeNAに移籍し、15年には全球団本塁打も達成。その後16年には韓国・サムスンでプレーするもアキレス腱を故障し、8月に退団。以降の動向は不明となっている。

【あと78試合】

・岩下光一 1940年3月4日生 遊撃手・三塁手・二塁手 右投右打
経歴:大淀高→芝浦工業大→東映(62-71)

成績:922試合 .254 (2678-679) 20本 186打点 224三振 177四球 52盗塁 出塁率.300 OPS.620

※芝浦工業大では61年秋に東都大リーグでチーム初優勝に貢献。卒業後に東映に入団すると、即戦力遊撃手として同じく新人の青野修三と二遊間を組み、日本シリーズでは第5戦で小山正明からサヨナラ2ランを放って球団初の日本一に貢献。その後佐野嘉幸が台頭すると、内野のユーティリティとして活躍し71年に引退。その後は日本ハムのコーチや2軍監督、解説者やダイエーのスカウト、国士舘大のコーチを歴任。


822 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/05(日) 15:01:48 ssrY67WI

【あと78試合】

・安藤統男(安藤統夫) 1939年4月8日生 二塁手・遊撃手・外野手 右投右打
経歴:土浦第一高→慶應義塾大→阪神(62-73)

成績:922試合 .221 (2064-457) 33本 138打点 285三振 134四球 56盗塁 出塁率.277 OPS.580

※遊撃手として阪神に入団するも吉田義男の存在もあり、控えとしての出場が主だったが1年目の秋に三宅秀史が故障離脱した際に三塁の代役として優勝に貢献。その後も内外野問わず守れるユーティリティとして活躍する中で69年には二塁手の定位置を掴み、翌70年にはリーグ2位の打率.294をマーク。73年に引退後は阪神のコーチを経て82〜84年には監督も務め、退団後はヤクルトのコーチや解説者として活動した。

【あと73試合】

・長谷川善三 1923年1月6日生 遊撃手・投手 右投右打
経歴:旧制米子中学→南海(41-43)→大阪(46-49)→西鉄(50-51)→毎日(52-53)→高橋(54)

成績:927試合 .209 (2721-569) 12本 207打点 239三振 218四球 44盗塁 出塁率.270 OPS.536
投手:14登板 0勝3敗 43.0投球回 8奪三振 24与四球 31被安打 防2.93 WHIP1.28

※南海には投手として入団するも制球難に苦しみ、2年目から遊撃手に転向。守備は当時の球界では一流レベルとされ、「スワロー」「飛燕」と称される華麗なプレーを度々披露した。その後応召し、戦後46年に大阪でプロに復帰し、50年には西鉄に移籍してチーム第1号となる本塁打も記録。その後毎日・高橋とチームを転々とし、54年に引退。その後は西鉄のコーチやロッテのスコアラー、スカウトとして活動。


823 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/05(日) 15:02:08 ssrY67WI

【あと72試合】

・村上公康 1945年2月24日生 捕手 右投右打
経歴:西条高→立教大→日本楽器→66年第1次ドラフト4位→西鉄(67-71)→ロッテ(72-77)

成績:928試合 .239 (2192-523) 58本 231打点 301三振 103四球 8盗塁 出塁率.279 OPS.639

※日本楽器から西鉄に入団すると、1年目から2番手捕手となり3年目の69年には正捕手に定着。しかし70年に黒い霧事件に関与したために1年間の出場停止処分を受ける。その後72年に榎本喜八とのトレードでロッテに移籍。73年からは正捕手となり、翌74年にはチームのリーグ優勝・日本一に貢献しベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を受賞した。77年に引退後はスポーツ用品店の取締役、少年野球指導者として活動。

【あと68試合】

・山本静雄 1921年12月1日生 二塁手・遊撃手 右投左打
経歴:明石中→法政大→豊岡物産→中日(48-49)→近鉄(50-57)

成績:932試合 .228 (2929-669) 9本 240打点 302三振 337四球 66盗塁 出塁率.312 OPS.608

※明石中・法政大・豊岡物産を経て48年に中日に入団。1年目から二塁手の定位置を掴みレギュラーとして活躍すると、50年には近鉄球団創設に参加。こちらでも2番・二塁手としてチームの黎明期を支え、54年には自己最多の134試合に出場。打率こそ低かったものの選球眼が高く、55年には打率.241に対して出塁率.383をマーク。57年に引退後はコーチとなるも59年に37歳という若さでこの世を去っている。


824 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/05(日) 15:02:26 ssrY67WI

【あと66試合】

・梶本隆夫 1935年4月8日生 投手 左投左打
経歴:多治見工業高→阪急(54-73)

成績:934試合 .204 (1466-299) 13本 130打点 293三振 82四球 0盗塁 出塁率.248 OPS.511
投手:867登板 254勝255敗 4208.0投球回 2945奪三振 1244与四球 3879被安打 防2.98 WHIP1.22

※阪急では高卒1年目ながらチームの開幕投手を務めて20勝をマークすると、その後は米田哲也とともに「ヨネカジコンビ」として阪急のWエースとして活躍し、57年には9者連続奪三振を記録。67年には通算200勝も達成するも、当時の阪急打線とはなかなか噛み合わず通算200勝以上の投手では唯一負け越している投手でもある。引退後は阪急・オリックスのコーチや監督、中日のコーチを歴任。07年に殿堂入り。

【あと65試合】

・ジョージ・アルトマン 1933年3月20日生 外野手・一塁手 右投左打
経歴:カブス(59-62)→カージナルス(63)→メッツ(64)→カブス(65-67)→東京・ロッテ(68-74)→阪神(75)

成績:935試合 .309 (3183-985) 205本 656打点 360三振 353四球 31盗塁 出塁率.378 OPS.938

※MLBでは通算101本塁打を記録。68年に来日して東京に入団すると、1年目から3割30本100打点を達成し、打点王・ベストナインを獲得。70年にはリーグ優勝に貢献し、大腸がんを患いながらも毎年好成績を残し、その後75年に阪神にテストを経て移籍してNPBの助っ人では初の通算200本塁打も達成し、42歳まで現役を続けた。高身長と積極的な慈善活動を行っていたことから「足長おじさん」の愛称で親しまれた。


825 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/05(日) 15:02:42 ssrY67WI

【あと63試合】

・安井亀和(安井直史) 1920年1月18日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:海南中学→明治大→南海・グレートリング(43,46-49)→大洋・洋松(50-53)→高橋・トンボ(54-55)

成績:937試合 .226 (3151-711) 14本 225打点 329三振 513四球 170盗塁 出塁率.336 OPS.634

※明治大から43年に南海に入団。翌44年に応召し、戦後46年にプロに復帰して二塁手の定位置を掴むと、高い選球眼と俊足を武器にリードオフマンとして活躍し、同年には全試合に出場して出塁率4割と32盗塁をマーク。その後は打撃成績は伸び悩むも、南海・大洋・高橋の3球団で二塁手として活躍し、通算170盗塁をマークした。55年に現役引退。

【あと61試合】

・石井義人 1978年7月12日生 一塁手・三塁手・二塁手 右投左打
経歴:浦和学院高→96年ドラフト4位→横浜(97-02)→西武(03-11)→巨人(12-14)

成績:939試合 .290 (2224-645) 30本 212打点 421三振 252四球 22盗塁 出塁率.362 OPS.752

※横浜では4年目の00年に代打で打率4割をマークして頭角を現すも守備難や他の選手の台頭もあり、トレードで西武に移籍。すると05年にはリーグ4位の打率.312をマークするなどアベレージヒッターとして活躍し、また二塁・三塁・一塁と内野のユーティリティとしても活躍。12年には巨人に移籍し、代打の切り札として活躍した。14年に引退後はBC・武蔵のコーチや女子プロ野球の総合コーチを歴任した。


826 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/05(日) 15:03:07 ssrY67WI

【あと61試合】

・中村勝広 1949年6月6日生 二塁手・一塁手 右投右打
経歴:成東高→早稲田大→71年ドラフト2位→阪神(72-82)

成績:939試合 .246 (2635-648) 76本 219打点 456三振 419四球 74盗塁 出塁率.352 OPS.739

※阪神では堅実な守備とパンチ力のある打撃で1年目から二塁手として活躍して70年代の阪神を支え、晩年は一塁手としてプレー。82年に引退後は阪神の2軍監督やコーチを経て90年からは1軍監督を務め、03年からはオリックスのGM、監督、SAを歴任。その後12年8月には阪神にGMとして復帰。しかし15年9月に脳出血のために在任中にこの世を去った。色々とツキが無く、阪神においては暗黒時代の象徴とされている。

【あと60試合】

・小川淳司 1957年8月30日生 外野手 右投右打
経歴:習志野高→中央大→河合楽器→81年ドラフト4位→ヤクルト(82-91)→日本ハム(92)

成績:940試合 .281 (1747-412) 66本 195打点 406三振 108四球 13盗塁 出塁率.281 OPS.676

※ヤクルトではパンチ力のある打撃と強肩を武器に外野手の準レギュラーとして活躍。92年にトレードで移籍した日本ハムで引退。その後はヤクルトのスカウトやコーチ、2軍監督を経て10年には高田繁の監督代行を務め、最大19あった借金を完済して貯金を4つ作る快進撃を見せ、11年からは正式に監督に就任。15年からはSDとなるも、18年から昨年まで再度監督を務めた。今年からはGMとしてフロントに復帰する。


827 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 13:22:48 f15x0AC6

【あと58試合】

・引地信之 1930年11月3日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:下関商業学校→全下関→大洋・洋松(52-59)

成績:942試合 .229 (3401-779) 35本 249打点 194三振 143四球 69盗塁 出塁率.262 OPS.567

※52年に大洋に入団すると、1年目から遊撃手のレギュラーを獲得。堅実な守備と頑丈な体を武器としており、56年に二塁手に転向しながらも52年5月〜57年8月まで実に708試合連続で出場。しかし打撃にやや難があったために59年には中村敏行に定位置を譲り、同年限りで引退。その後はスカウトを務め山下大輔や長崎慶一らを発掘。またコーチや2軍監督も務め、90年からは台湾・統一で日本人初のコーチとなった。

【あと57試合】

・古久保健二 1964年6月23日生 捕手 右投右打
経歴:太成高→82年ドラフト6位→近鉄(83-02)

成績:943試合 .204 (1854-378) 38本 186打点 541三振 112四球 8盗塁 出塁率.252 OPS.569

※近鉄では有田修三、梨田昌孝の「ありなしコンビ」に代わる正捕手のポジションを山下和彦や光山英和らと争い、さらに的山哲也や礒部公一の台頭もありながら20年間にわたりチーム一筋で活躍。「びっくり箱」と自称する意外性のある打撃も武器とした。02年に引退後は近鉄・中日・ヤクルト・オリックス・楽天、さらに韓国・ハンファのコーチを歴任し、現在は台湾・富邦のコーチを務めている。


828 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 13:23:08 f15x0AC6

【あと55試合】

・高橋智 1967年1月26日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:向上高→84年ドラフト4位→阪急・オリックス(85-98)→ヤクルト(99-01)

成績:945試合 .265 (2777-737) 124本 408打点 694三振 266四球 24盗塁 出塁率.330 OPS.798

※デカ。阪急では投手として入団するも3年目の87年に打者に転向。長い2軍生活を経て91年には1軍に定着して23本塁打を放つと、翌92年には自己最多の29本塁打をマークしベストナインを獲得。しかしその後はイチロー・田口壮の台頭もあり、95,96年の連覇も経験するも97年にヤクルトに移籍。層の厚い外野の中で存在感を示すも01年に戦力外となり、その後は台湾でプレーし02年に引退。現在はエレベーター整備工。

【あと51試合】

・後藤次男 1924年1月15日生 外野手・一塁手・二塁手 右投右打
経歴:旧制熊本工業中学→熊本鉄道管理局→法政大→大阪(48-57)

成績:949試合 .283 (3260-923) 51本 355打点 160三振 124四球 113盗塁 出塁率.310 OPS.695

※法政大から先輩である若林忠志が監督を務める大阪に入団すると、1年目から積極的に起用され2年目の49年からはダイナマイト打線の3番打者として4年連続で3割超の打率を残す。その後鎖骨を骨折した影響で出場機会が減少し、57年に引退。以降は阪神のコーチや2軍監督、さらに69,78年には繋ぎと言われながらも1軍監督も務め、60〜70年代の阪神の主力選手らを育成。その後は解説者として活動。愛称はクマさん。


829 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 13:23:28 f15x0AC6

【あと51試合】

・岩本章 1921年1月14日生 外野手 右投右打
経歴:高知商業学校→巨人(38-39)→名古屋軍・産業軍・中日(39-44,46-47)→阪急(48-49)→広島(50-53)

成績:949試合 .225 (2838-639) 47本 274打点 407三振 344四球 102盗塁 出塁率.314 OPS.644

※高知商業学校から丸紅に入社予定だったが社長が読売新聞社の株主だったために巨人にプロ入り。しかし体調不良に苦しみ39年途中に名古屋軍に移籍。43年には4本塁打を放って本塁打王を獲得すると、46年には戦後プロ野球初の本塁打を記録。その後阪急を経て50年には広島の球団創設に参加。同年の開幕戦でセリーグ初の安打と盗塁を記録している。53年に引退後は広島や阪神のコーチなどを歴任。

【あと50試合】

・内田順三 1947年9月10日生 外野手 左投左打
経歴:東海大一高→駒澤大→69年ドラフト8位→ヤクルト(70-74)→日本ハム(75-76)→広島(77-82)

成績:950試合 .252 (1925-485) 25本 182打点 235三振 191四球 39盗塁 出塁率.323 OPS.670

※ヤクルト・日本ハム・広島の3球団で外野の準レギュラーとして活躍し、規定打席に到達した年はないものの、13年間で950試合に出場。82年に引退後は広島と巨人を往復する形でコーチを歴任し、広島では野村謙二郎や前田智徳、金本知憲や新井貴浩、巨人では高橋由伸や阿部慎之助といった平成を彩った数々の名打者たちを育成。50年近くに渡って携わったプロから離れ、今年からはJR東日本の外部コーチを務める。


830 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 13:23:47 f15x0AC6

【あと49試合】

・イチロー(鈴木一朗) 1973年10月22日生 外野手 右投左打
経歴:愛工大名電高→91年ドラフト4位→オリックス(92-00)→マリナーズ(01-12)→ヤンキース(12-14)→マーリンズ(15-17)→マリナーズ(18-19)

成績:951試合 .353 (3619-1278) 118本 529打点 333三振 384四球 199盗塁 出塁率.421 OPS.943
MLB:2653試合 .311 (9934-3089) 117本 780打点 1080三振 647四球 509盗塁 出塁率.355 OPS.757

※日本が誇る伝説の打者。オリックスでは「振り子打法」を習得し、登録名を「イチロー」とした94年に才能が開花し、史上初のシーズン200安打を達成すると、7年連続の首位打者、5年連続最多安打を記録するなど異次元の成績を残し、01年に海を渡りマリナーズに移籍。すると1年目からMLB新人歴代最多の242安打を放ち、アジア人初となる首位打者・盗塁王・新人王・MVP等数多くのタイトルを獲得。04年にはMLB歴代最多となるシーズン262安打を記録するなど10年連続200安打を達成。またWBCでも日本代表として第2回WBC決勝では優勝を決定付ける適時打を放つなど連覇に貢献。その後ヤンキース・マーリンズでプレーし、16年には史上30人目のMLB通算3000安打、38人目の500盗塁を達成。そして18年にマリナーズに復帰し、昨年3月に東京ドームで行われた開幕戦を節目に現役を引退。現在はマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター、そして日本では草野球チームを設立し、また学生野球資格も回復。1つの時代を創った男は第2の人生を歩み始めている。

通算1000安打:1999年4月20日日本ハム戦(金村暁から2ラン・25歳5ヶ月・757試合目) ※史上194人目・史上最速・歴代3番目タイの年少記録


831 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 13:24:13 f15x0AC6

【あと49試合】

・清水雅治 1964年7月7日生 外野手 右投右打
経歴:浜田高→三菱自動車川崎→88年ドラフト6位→中日(89-95)→西武(96-02)

成績:951試合 .244 (1482-362) 13本 111打点 243三振 176四球 124盗塁 出塁率.325 OPS.644

※中日では4年目の92年に俊足を武器に1番打者として定着を果たし、94年には自己最多の23盗塁をマークし、巨人との優勝決定戦である10.8決戦でも1番打者として先発。その後95年オフに西武に移籍。西武では主に代走として起用された。02年に引退後は西武・日本ハム・ロッテ・楽天のコーチを歴任し、数多くの外野手を育成。昨年からは元同僚の矢野燿大監督のもとで阪神のヘッドコーチを務める。

【あと47試合】

・東田正義 1945年8月1日生 外野手 右投右打
経歴:御所工高→三重交通→67年ドラフト2位→西鉄・太平洋(68-74)→日本ハム(75)→阪神(76-77)

成績:953試合 .252 (3030-763) 123本 351打点 474三振 281四球 28盗塁 出塁率.318 OPS.737

※「黒い霧事件」もあり、当時弱体化が進んでいた西鉄・太平洋で野武士野球の後継者として期待され、竹之内雅史らとともに「トンタケコンビ」として主軸を担い、71年には自己最多の23本塁打をマーク。その後75年に日本ハムに移籍し、翌76年には阪神でプレー。阪神では田淵幸一・ブリーデンの後を打つ6番打者として活躍した。引退後は地元・奈良で少年野球チームの監督を務め、関本賢太郎らを輩出した。

【あと47試合】

・長谷川一夫 1945年1月3日生 外野手・一塁手 左投左打
経歴:大宮工高→大毎・東京・ロッテ(62-76)→クラウン・西武(77-81)

成績:953試合 .271 (2062-558) 39本 201打点 194三振 108四球 26盗塁 出塁率.309 OPS.692
投手:1登板 0勝0敗 0S 0.0投球回 0奪三振 0与四球 1被安打 防-.-- WHIP-.--

※大宮工業高では現在でも県大会最多となる1試合21奪三振を記録。甲子園には出場できなかったものの、当時チームの経営母体の大映に所属するスター俳優と同姓同名という理由だけでプロ入りを果たす。入団後は外野手に転向すると、長い2軍暮らしの末に72年から1軍に定着し、その後77年からはクラウンに移籍し準レギュラーとして活躍した。20年のプロ生活を経て引退後は西武のスカウトとして活動。


832 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 15:02:13 DKZIJ1EM
>>830
意外すぎる名前出てきたけどそっかそんなもんか…


833 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 20:07:12 z1OGf3tA
イチローさんはNPB時代よりMLB時代が長かったですもんね・・・


834 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/06(月) 20:10:43 fkaBFp2Y
残り49試合だとほぼイきかけてますね


835 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 14:57:16 4KhjjRaQ

【あと47試合】

・飯島滋弥 1918年10月11日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:旧制千葉中学→旧制慶應義塾大→日立航空→セネタース・東急・急映(46-48)→大映(49-54)→南海(55)

成績:953試合 .282 (3196-901) 115本 484打点 346三振 527四球 48盗塁 出塁率.391 OPS.842

※戦後46年にセネタースに入団すると、1年目から打率3割をマーク。しかし翌年以降は不振とフロントの対立もあり、49年に大映に移籍。すると調子を取り戻し、51年には1試合11打点、1イニング7打点の日本記録を達成し、52年には打率.336で首位打者となった。55年に移籍した南海で引退後は、解説者を経て67年から東映のコーチとなり、「月に向かって打て」と助言し大杉勝男を和製大砲として大成させた。

【あと46試合】

・吉田孝司 1946年6月23日生 捕手 右投右打
経歴:市立神港高→巨人(65-84)

成績:954試合 .235 (2025-476) 42本 199打点 314三振 177四球 3盗塁 出塁率.300 OPS.639

※65年に巨人に入団すると、2軍暮らしを経て5年目の69年に森昌彦に次ぐ2番手捕手として台頭し、V9に陰ながら貢献。そして森の引退年である74年から正捕手に昇格し、76年には球団捕手初の球宴MVPを獲得。その後山倉和博の入団後は再び2番手捕手となり、20年目の84年に引退。その後は巨人のコーチやスカウトを歴任するも、一場事件により解雇。12年からはDeNAに移籍し、現在はGM補佐兼スカウト部長を務める。


836 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 14:57:34 4KhjjRaQ

【あと45試合】

・町田公二郎(町田康嗣郎) 1969年12月11日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:明徳義塾高→専修大→91年ドラフト1位→広島(92-04)→阪神(05-06)

成績:955試合 .251 (1946-489) 85本 272打点 462三振 241四球 18盗塁 出塁率.346 OPS.777

※ドラフト1位で広島に入団。パンチ力のある打撃で頭角を現すも、守備に難があったことから徐々に代打としての出場が主となるも、ここ一番での勝負強さは随一であり、左の浅井樹に並び、右の代打の切り札として活躍し、通算20代打本塁打はセリーグ歴代最多。06年に阪神で引退後はコーチとなり、11年には古巣・広島に復帰。現在は三菱重工広島の監督を務めており、15年には都市対抗ベスト4に導いた。

【あと41試合】

・須藤豊 1937年4月21日生 二塁手・三塁手 右投右打
経歴:高知商業高→毎日・大毎(56-61)→巨人(62-68)

成績:959試合 .230 (2149-495) 8本 143打点 284三振 134四球 42盗塁 出塁率.276 OPS.567

※高知商業高から毎日に入団すると、1年目から二塁手の定位置を掴んで順風満帆かと思われた矢先に球団合併により佐々木信也が移籍したために出場機会が減少。その後62年に巨人に移籍。後に土井正三が入団したためこちらでも脇役がメインだったが、V9時代前半のチームを支えた。その後は巨人・西武のヘッドコーチや大洋の1軍監督を歴任。現在は主に解説者や評論家として活動している。


837 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 14:57:55 4KhjjRaQ

【あと40試合】

・辻佳紀 1940年12月20日生 捕手 右投右打
経歴:敦賀高→明治大→阪神(63-69)→近鉄(70-73)→大洋(74)→阪神(75)

成績:960試合 .208 (2340-486) 87本 231打点 483三振 130四球 20盗塁 出塁率.257 OPS.610

※明治大から阪神に入団。熾烈なポジション争いを制し、2年目の64年には正捕手として優勝に貢献。しかし田淵幸一の加入もあり、70年にトレードで近鉄に移籍。近鉄でも一時期正捕手となるも「ありなしコンビ」の台頭で74年に大洋に移籍、さらに75年には同姓の辻恭彦とのトレードで阪神に復帰し引退。その後は阪神のコーチを務め、退団後はタレントとして活動するも89年に48歳の若さでこの世を去った。

【あと39試合】

・クラレンス・ジョーンズ 1941年11月7日生 一塁手 左投左打
経歴:カブス(67-68)→南海(70-73)→近鉄(74-77)

成績:961試合 .239 (3182-762) 246本 562打点 719三振 565四球 26盗塁 出塁率.356 OPS.861

※70年に来日して南海に入団。4年連続で30本塁打を記録し、主砲として活躍する一方で三振の多さと低打率がネックとなり73年オフに自由契約となって近鉄に移籍。すると翌74年には38本塁打を放って2リーグ制以降では外国人初の本塁打王(かつ史上初のリーグ最低打率での本塁打王)となり76年にも2度目の本塁打王となるなど、助っ人歴代9位の246本塁打をマークした。77年に引退後はブレーブスなどでコーチを歴任。


838 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 14:58:12 4KhjjRaQ

【あと35試合】

・彦野利勝 1964年10月12日生 外野手 右投右打
経歴:愛知高→82年ドラフト5位→中日(83-98)

成績:965試合 .264 (2537-669) 85本 340打点 475三振 311四球 30盗塁 出塁率.351 OPS.774

※愛知高から投手として入団するも、プロ入り直後に外野手に転向。長い2軍暮らしを経て5年目の87年に1軍に定着し、88年にはチームの核弾頭としてリーグ優勝に貢献。翌89年には自己最多の26本塁打を放ちベストナインを獲得。91年には右膝の靭帯を断裂する大怪我を追うも復帰を果たし、94年にはカムバック賞を受賞。晩年は代打の切り札として活躍し、98年に引退。その後は解説者や中日のコーチとして活動。

【あと35試合】

・木戸克彦 1961年2月1日生 捕手 右投右打
経歴:PL学園高→法政大→82年ドラフト1位→阪神(83-96)

成績:965試合 .230 (2192-505) 51本 226打点 393三振 228四球 8盗塁 出塁率.305 OPS.650

※PL学園では78年夏の甲子園で連続逆転勝利で優勝を経験。その後法政大を経て1位指名を受けて阪神に入団。すると3年目の85年に正捕手に抜擢されると、自己最多の13本塁打も放って球団初の日本一に貢献。その後も山田勝彦や関川浩一の台頭もある中でタイガース一筋を貫き、96年に引退。その後も阪神のコーチや2軍監督・GM補佐、女子日本代表のヘッドコーチなどを歴任し、現在は球団本部付次長を務める。


839 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 14:58:28 4KhjjRaQ

【あと34試合】

・広瀬哲朗 1961年1月23日生 三塁手・遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:富士宮北高→駒澤大→本田技研→85年ドラフト1位→日本ハム(86-98)

成績:966試合 .261 (2268-592) 12本 173打点 320三振 220四球 84盗塁 出塁率.329 OPS.654

※本田技研から1位指名を受けて日本ハムに入団。長らく控えだったものの93年に32歳にして遊撃手のレギュラーを獲得し、94年にかけて2年連続でベストナイン・GG賞を受賞。打撃に難があったものの、遊撃手として高い守備力を誇り白井一幸との二遊間は鉄壁とも称された。その後田中幸雄に代わって三塁に転向するも故障で長期離脱となった98年に引退。その後は解説者やアマ野球の指導者として活動中。

【あと32試合】

・筒香嘉智 1991年12月26日生 外野手・三塁手・一塁手 右投左打
経歴:横浜高→09年ドラフト1位→横浜・DeNA(10-19)→レイズ(20-現役)

成績:968試合 .285 (3426-977) 205本 613打点 833三振 532四球 5盗塁 出塁率.382 OPS.910

※ひゃだ…!!08年夏の甲子園で14打点をあげるなど高校通算69本塁打を記録し、1位指名を受けて横浜に入団。1年目から2年連続で2軍の本塁打王となると、14年から主砲としての才能が開花し、16年には44本塁打・110打点で2冠となるなど昨年にかけてハマの和製大砲として活躍。今季からは舞台をMLBに移し、レイズでプレーする。柔らかな毛に覆われた動物ではないが、イカニモ系とのこと。あんたたち、逝くわよっ!!


840 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 15:02:11 ldsg42Ek
筒香はノンケ顔でしょ
バカじゃないの


841 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 15:04:44 EQw.ge8s
てか
筒香さっさとゲイビでなさいよ


842 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/07(火) 17:14:26 JkG36g6s
広瀬ってあの三枝が捨てた愛人とデュエットCD出してるんですよね


843 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:42:02 i26sRK/s

【あと32試合】

・吉村裕基 1984年6月14日生 外野手・一塁手 右投右打
経歴:東福岡高→02年ドラフト5位→横浜・DeNA(03-12)→ソフトバンク(12-18)

成績:968試合 .253 (3001-759) 131本 419打点 751三振 204四球 35盗塁 出塁率.311 OPS.751

※横浜では4年目の06年に26本塁打を放って一気に頭角を現すと、暗黒時代のチームの長距離砲として活躍し、08年には自己最多の34本塁打をマーク。しかし10年からは不振が続き、12年途中にトレードでソフトバンクに移籍。14年には代打の切り札として活躍し、史上初の全打順・全球団本塁打も達成した。18年に戦力外となり、昨年はオランダでプレー。今年からは琉球ブルーオーシャンズで現役を続ける。

【あと29試合】

・小松原博喜 1924年5月24日生 外野手・投手 右投右打
経歴:横浜商業学校→大和軍(42-43)→巨人(47-54)→国鉄(55-57)

成績:971試合 .243 (2601-631) 30本 306打点 288三振 292四球 90盗塁 出塁率.320 OPS.650
投手:69登板 11勝18敗 270.2投球回 94奪三振 122与四球 264被安打 防3.19 WHIP1.43

※42年に大和軍に入団すると、外野手の傍らで投手も務めたが制球に難があり、野茂英雄に抜かされるまで歴代最多の1試合14与四球の不名誉な記録を作ってしまう。戦後47年に巨人でプロに復帰。ここでも二刀流としてプレーしていたが、50年からは野手に専念。2番・中堅手として自己最多の34盗塁をマークした。その後も俊足を武器とした準レギュラーとして活躍し、国鉄に移籍後の57年に現役を引退した。


844 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:42:20 i26sRK/s

【あと26試合】

・石井浩郎 1964年6月21日生 一塁手・三塁手 右投右打
経歴:秋田高→早稲田大→プリンスホテル→近鉄(90-96)→巨人(97-99)→ロッテ(00-01)→横浜(02)

成績:974試合 .289 (3091-894) 162本 536打点 483三振 433四球 7盗塁 出塁率.379 OPS.886

※プリンスホテルから近鉄に入団。1年目から5年連続で20本塁打以上をマークし、94年には打率.316 33本塁打・111打点の好成績で打点王も獲得するなどいてまえ打線の主砲として活躍。しかしその後は故障に苦しんで成績が下降。97年からは巨人・ロッテ・横浜を転々とし、02年に引退。その後は解説者や西武の2軍監督、モツ鍋店のオーナーを経て10年7月の参議院選挙に出馬して当選。現職の議員として活動している。

【あと26試合】

・辻恭彦 1942年6月18日生 捕手 右投右打
経歴:享栄商業高→西濃運輸→阪神(62-74)→大洋(75-84)

成績:974試合 .209 (1998-418) 44本 163打点 353三振 193四球 8盗塁 出塁率.285 OPS.597

※阪神ではポジション争いの中でエースの江夏豊から信頼を得て、6年目の68年から正捕手に定着。71年にはセリーグの捕手としては初となる全試合出場も達成した。しかし田淵幸一の台頭もあり、75年に同姓の辻佳紀とのトレードで大洋に移籍。長らく2番手捕手として活躍し、プロ22年目・42歳となった84年まで現役を続けた。引退後は大洋や阪神のコーチや、社会人チームや明治学院大学の指導者として活動。


845 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:42:36 i26sRK/s

【あと24試合】

・憲史(川口憲史) 1976年6月28日生 外野手・一塁手 右投左打
経歴:柳川高→94年ドラフト4位→近鉄(95-04)→楽天(05-10)

成績:976試合 .263 (2332-613) 69本 314打点 434三振 263四球 9盗塁 出塁率.344 OPS.762

※近鉄では5年目の99年から徐々に頭角を現し、01年にはいてまえ打線の指名打者として定着して規定打席に届かずも打率.316 21本 72打点の好成績でリーグ優勝に貢献。その後球団合併により、楽天に移籍。黎明期のチームを支え、09年には77試合の出場ながら打率3割をマークし、チームのAクラス躍進に貢献。翌10年に引退し、現在は夫婦でパン屋を経営する傍らで、解説者や西南学院大のコーチを務める。

【あと23試合】

・武上四郎 1941年4月8日生 二塁手 右投右打
経歴:宮崎大宮高→中央大→河合楽器→66年第1次ドラフト8位→サンケイ・アトムズ・ヤクルト(67-75)

成績:977試合 .266 (3352-891) 71本 301打点 359三振 272四球 57盗塁 出塁率.325 OPS.700

※河合楽器からサンケイに入団。1年目から二塁手の定位置を掴むとリーグ6位の打率.299をマークし、江夏豊を抑えて新人王を獲得。度胸満点、闘志溢れるプレーから「ケンカ四郎」の異名で人気を博し、弱小時代のチームを支えた。75年に引退後はヤクルトのコーチ・監督を務め、84年にはパドレスの客員コーチとしてワールドシリーズで日本人初のベンチ入りを果たした。95年以降は巨人のコーチも歴任。


846 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:42:55 i26sRK/s

【あと22試合】

・廣瀬純 1979年3月29日生 外野手 右投右打
経歴:佐伯鶴城高→法政大→00年ドラフト2位(逆指名)→広島(01-16)

成績:978試合 .273 (2178-595) 51本 253打点 387三振 191四球 19盗塁 出塁率.348 OPS.741

※法政大では3年春に六大学史上9人目の三冠王となり、逆指名で広島に入団。外野の層が厚いチームだったこともあり、長らく準レギュラーの時期が続いたが、徐々に出場機会を伸ばして10年には5番・右翼手の定位置を獲得し、GG賞を獲得。その後13年には日本記録の15打席連続出塁を達成するも、以降は出場機会が減少し、16年に引退。その後は解説者を経て18年からは広島の1軍外野守備走塁コーチを務める。

【あと21試合】

・平田勝男 1959年7月31日生 遊撃手・一塁手・三塁手 右投右打
経歴:海星高→明治大→81年ドラフト2位→阪神(82-94)

成績:979試合 .258 (2450-633) 23本 220打点 229三振 133四球 19盗塁 出塁率.302 OPS.635

※阪神では真弓明信を二塁に回す形で正遊撃手の定位置を獲得し、吉田義男を彷彿とさせる「蝶が舞い蜂が刺す」ような高い守備力を誇り、84〜87年にかけて4年連続でダイヤモンド・ゴールデングラブ賞を受賞し、85年の日本一にも貢献。その後は和田豊の台頭もありながらも、バントや守備の名手として控えながらチームに貢献。94年に引退後は阪神のコーチや2軍監督を歴任している。


847 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:43:16 i26sRK/s

【あと21試合】

・米田哲也 1938年3月3日生 投手 右投右打
経歴:境高→阪急(56-75)→阪神(75-76)→近鉄(77)

成績:979試合 .171 (1556-266) 33本 112打点 566三振 91四球 3盗塁 出塁率.218 OPS.489
投手:949登板 350勝285敗 2S 5130.0投球回 3388奪三振 1480与四球 4561被安打 防2.91 WHIP1.18

※境高から阪急に入団すると、高卒1年目から15年連続で200投球回、2年目から歴代最長となる19年連続での2桁勝利を記録するなど「ガソリンタンク」と呼ばれる驚異的なスタミナを武器に梶本隆夫とともに阪急のWエースとして活躍。通算949登板、350勝、5130.0投球回はいずれも歴代2位であり、数多くのパリーグ記録も持つ偉大な鉄腕投手でもある。引退後は解説者や評論家として活動しており、00年に殿堂入り。

【あと20試合】

・中尾孝義 1956年2月16日生 捕手・外野手 右投右打
経歴:滝川高→専修大→プリンスホテル→80年ドラフト1位→中日(81-88)→巨人(89-92)→西武(92-93)

成績:980試合 .263 (2653-699) 109本 335打点 463三振 207四球 45盗塁 出塁率.317 OPS.758

※中日では1年目から木俣達彦を押しやる形で正捕手に定着。翌82年にはリーグ優勝に貢献し、投手陣へのリードを評価されてセリーグ捕手初のMVPやベストナイン・GG賞を獲得。しかしその後中村武志の台頭もあり、89年からトレードで巨人に移籍。斎藤雅樹をエースとして1本立ちさせてこちらでも優勝に貢献し、カムバック賞も受賞した。93年に移籍した西武で引退し、その後は指導者として各球団で活躍した。


848 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:43:37 i26sRK/s

【あと19試合】

・田川豊 1918年11月30日生 外野手・投手 右投右打
経歴:旧制呉港中学→法政大→グレートリング・南海(46-47)→大陽(48-49)→近鉄(50-52)→大映(53-54)

成績:981試合 .267 (3571-954) 25本 324打点 235三振 395四球 128盗塁 出塁率.342 OPS.692
投手:2登板 1勝0敗 9.0投球回 4奪三振 8与四球 12被安打 防5.00 WHIP2.22

※呉港中学では34年に藤村富美男とバッテリーを組み、夏の甲子園を制覇。その後法政大と戦争を経て、46年にグレートリングに入団。1年目から歴代新人最高打率.341(リーグ2位)をマークすると、以降は数年おきに球団を転々としながら外野手として活躍。54年に引退後は審判に転身し、巨人のV9期間中の優勝決定試合を9回中8回審判として見届けるなど、79年まで20年以上にわたって試合に出場した。

【あと18試合】

・小関竜也 1976年7月24日生 外野手 左投左打
経歴:國學院栃木高→94年ドラフト2位→西武(95-05)→巨人(06-07)→横浜(08)

成績:982試合 .276 (2924-806) 18本 259打点 351三振 258四球 83盗塁 出塁率.344 OPS.696

※西武では98年に外野手のレギュラーに抜擢され、4年目にして新人王を獲得。以降は松井稼頭央とともに1,2番コンビを形成し、02年にはリーグ最多の43犠打をマークして優勝に貢献し、ベストナイン・GG賞を獲得。その後05年オフにMLBに挑戦すべく海を渡るも断念し、06年からは巨人、08年には横浜でプレー。09年には再びMLBに挑戦するも叶わず引退。その後は巨人のコーチを経て、今年から西武のコーチを務める。


849 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:43:54 i26sRK/s

【あと17試合】

・東条文博 1944年7月12日生 遊撃手・二塁手 右投右打
経歴:鹿児島実業高→南海(63-65)→サンケイ・アトムズ・ヤクルト(66-74)→ロッテ(75)

成績:983試合 .237 (2628-624) 10本 138打点 327三振 172四球 108盗塁 出塁率.289 OPS.590

※鹿児島実業高では61年夏にチームを甲子園初出場に導き、63年に南海に入団。しかし南海では出場機会に恵まれず、4年目の66年からはトレードでサンケイに移籍。準レギュラーとして1軍で頭角を現すと、69年には西園寺昭夫の故障から1番・遊撃手の定位置を獲得。翌70年には全試合に出場し、28盗塁をマークして盗塁王となった。その後永尾泰憲の台頭もあり、75年に移籍したロッテで引退している。

【あと12試合】

・大沢啓二(大沢昌芳) 1932年3月14日生 外野手 右投右打
経歴:神奈川平塚工業高→神奈川商工高→立教大→南海(56-64)→東京(65)

成績:988試合 .241 (2075-501) 17本 191打点 301三振 164四球 38盗塁 出塁率.297 OPS.603

※親分。56年に南海に入団すると、打者の打球傾向によって守備位置を変えるプレーを日本球界に知らしめるなど頭脳的な守備を武器とし、外野手のレギュラーとして活躍。65年に移籍した東京で引退すると、その後は2軍監督を経てロッテの監督に就任。その後76年からは94年までにかけて3度監督を務め、81年にはチームを優勝に導いた。その後は張本勲とともに球界のご意見番として活動した。


850 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:44:15 i26sRK/s

【あと9試合】

・衆樹資宏 1934年4月19日生 外野手 右投右打
経歴:湘南高→慶應義塾大→毎日・大毎(58-59)→阪急(60-66)→南海(67)

成績:991試合 .250 (3087-772) 51本 313打点 486三振 227四球 81盗塁 出塁率.302 OPS.652

※慶應義塾大から毎日に入団すると、1年目から6番・中堅手の定位置を掴んで規定打席に到達するも、翌年以降は伸び悩み、60年に阪急に移籍。すると成績が向上してチームの主軸となり、62年には南海との開幕戦でスタンカから初球先頭打者本塁打を記録。しかし晩年は故障に苦しみ、67年に1000試合まであと9試合としながらも引退。その後は球界から離れ、横浜市内で喫茶店を経営した。

【あと8試合】

・西岡良洋 1961年6月28日生 外野手 右投右打
経歴:田辺高→79年ドラフト外→西武(80-89)→巨人(90-94)→ロッテ(95)

成績:992試合 .246 (1641-403) 50本 202打点 203三振 144四球 34盗塁 出塁率.308 OPS.700

※ドラフト外で西武に入団すると、左投手に対して無類の強さを誇ったことから3年目の82年から1軍に定着。また守備でも野村克也から日本一と評価された強肩を武器に86年にはGG賞を獲得。88年にアキレス腱を断裂するも復活を果たし、90年にトレードで巨人に移籍後も左キラーとして活躍。しかし年々出場機会が減少し、95年に移籍したロッテで引退。その後は指導者を経て現在は赤坂で焼肉レストランを経営。

【あと4試合】

・平山智 1930年2月17日生 外野手 右投右打
経歴:フレズノ大→広島(55-64)

成績:996試合 .229 (3102-711) 45本 251打点 466三振 301四球 160盗塁 出塁率.301 OPS.634

※2020年現在、最も惜しかった選手。カリフォルニアに生まれ、大学卒業後マイナーリーグでプレーし、55年に来日して広島に入団。強肩と闘志溢れるプレーで「フィーバー平山」の愛称で親しまれ、抜群の身体能力から黎明期の広島を支えた。あと4試合としながらも64年に引退後は広島の駐米スカウトととなり、数ライトルやギャレット、ロペスといった名助っ人らを発掘。また上田利治監督からの個人的な依頼でマルカーノらも阪急に送り込んでいる。


851 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:44:58 i26sRK/s
というわけで1月末から毎日選手を紹介し続けて参りましたがいかがでしたでしょうか
1000試合出場を達成した選手、これから達成しそうな期待の現役選手、
そして惜しくも届かなかった選手たち、計約700名以上の選手らを紹介しました
本当はスレが1000まで埋まるぐらい紹介したかったのが本音ですが…ネタ不足です

今日をもって毎日の更新は一応、終了とさせていただく形になります
ここまで続けられたのも細かなネタに反応してくださったりした皆様のおかげでもあります
本当にありがとうございます

ただ時間があれば1000試合出場達成者の球団別まとめやポジション別といったデータをこれからまとめて
発表する可能性、もしくは追加で選手を紹介する可能性もあるのでスレが残り続ける間は何かしらやるかもしれません

話は変わりますが、コロナウイルスの感染流行により現在においてもプロ野球の2020年シーズンの開幕が不透明であり、さらに最悪開幕できない可能性もあるというとても嘆かわしい事態となっております
普段から記録をまとめている身からすると、今の選手たちが記録を積み重ねられない現状が続いているのを見ると本当にもどかしく、今後も後年に影響してしまうのがとても残念な気持ちです
そんな中で自分もできることから行動し、なんとか無事に事態が収束し、再びプロ野球が開幕できる日が来ることを祈り続けております

長くなりましたがここまで見ていただき、本当にありがとうございました


852 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 16:58:48 xfOok2Gc
乙ゥ^〜


853 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 17:05:36 5hF42NqY
なんてすごいんだ
乙ゥ〜


854 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 17:10:52 8jrtw9OQ
日本一やお前(称賛)
この企画が始まった頃はこんな事態になるとは想像できなかったなあ…


855 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 18:00:29 J843hPZ6
お疲れ様でした
日本一やお前!!


856 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 18:43:07 LN00tcNI
なんて神々しいんだ…(恍惚)
意外な選手が達成してたりしなかったりして面白かった


857 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/08(水) 20:54:18 UfuZKF0I
野球要素不足で苦しむ人々へ差した一筋の光のようなスレでした
ありがとうございました
所々程々に挟まる小ネタがよかったです


858 : てめぇさえ居なければさぁ!僕は幸せに書き込みできたんだよ! :2020/04/08(水) 21:22:04 ???
すごいですねこれ


859 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/09(木) 16:12:02 raxax/52
>>100
関根潤三さんが亡くなられました
ご冥福をお祈りします


860 : 名前なんか必要ねぇんだよ! :2020/04/09(木) 16:55:55 vYUCzX72
関根潤三さんのご冥福をお祈りします


■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■