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【論考】
16
:
名無しさん
:2024/10/03(木) 09:40:34
★独我論からの解放 part3
配達業社の車が物品を積んで道路を通って配達しているというお話がある。
独我論者はこれをどう捉えるであろうか。過去世で配達させるように仕組んだ、と捉えるであろうか。
そうではなく、配達業社の車があっても、物品を運んではいない、と捉えるであろうか。
とはいえ、配達業者の「意識」というものは無いと考えるのが独我論では妥当であろう。
もし仮に配達しているのを目撃しても、見えたものしか信じないのではないだろうか。
目の前の配達を渋々認めても、他の配達はあり得ない、とする考え方がある。
独我論者は「目も前に見た出来事」しか信じない傾向がある。
それもそのはず、目先にはない遠くにある地点の出来事は、一面的にしかない、と世界を創造したときに決めていた、と考えるからである。
遠くにある地点の出来事は、物があったとしても流動することはない、と独我論にはあるかもしれない。
「東京は動いていない」と独我論者は語る。東京は静止したままということであろう。
しかし、東京のスタジオで番組は収録されている。ありとあらゆる地点で会話がされている。
会話の内容を独我論者がすべて作ったのかというと、私は疑問を抱かずにはいられない。
17
:
名無しさん
:2024/10/03(木) 15:47:38
★記憶力アップの秘訣
*一個一個カウントする
お店で買った商品を数えることが肝です。寿司を買ったら1を足す。その寿司と同類の寿司を買ったら同類としてカウントする。前にカウントしたことを覚えているなら記憶力がアップしたと、ご褒美に寿司を食え。
*鶴の恩返し勉強法
自分がノルマを達成したなら、ご褒美を設ける。するとノルマを達成することが楽しみになってくる。
自分に恩返しするから鶴の恩返し勉強法。
*鏡の前で英語を話す
これは覚えたい英単語を鏡の前で手を振りながら、あるいはジェスチャーしながら話すというもの。鏡の力を舐めるなよ!
*繰り返し復習する
書いたら読んで、数分後にまた読んで。
復習することで記憶に定着する効果がある。
*記憶力の自信をつける
日々記憶力の自信をつけておく
18
:
名無しさん
:2024/10/18(金) 11:48:36
★独我論からの解放 part4
独我論に関するお話だが、こんなにもたくさんの生命体や物を作ったのはどうしてだろうか。神様はそんなにたくさんの物を作りたかったのであろうか。
生命体はたくさんいる、としても自分の観測しているところくらいしか事象はない、と考えているのだろうか。
「東京はない」とする思考は、東京があるように見えるだけで、実はない、という考え方だ。
ネット上の文章も本に書かれた文章も、全部自分が書いた、とする独我論もあるであろう。しかしそんなに文章を書いたということは非現実的なのではないだろうか。
神様は会話文をなぜそんなに作ったのであろうか。会話文を作ったと思っている独我論者は、テレビを見たがらない傾向にある。テレビで色々会話文が流れることが、自分で作ったと頷けないからであろう。
神様は独我論においてはひとりだけであろう。しかし2人で作った、という考え方もあるではないか。アダムが自分で、イブがパートナーだ、という考え方もあるであろう。そして、3人で作ったという考え方もあるのに、世界には1人だけしかいないと考えるのはなぜだろうか。
19
:
名無しさん
:2024/10/23(水) 12:52:19
★独我論からの解放 part5
神様が自分自身であるというのに、なぜこんな目に遭うのだろうか、と思う事柄がある。神なのに自分の持ち物がなくなったり、こんな微妙な待遇をされたりと、不満な出来事をなぜ抱えていなければならないのか。神なのに、神は神自身を痛めつけ、苦しむ経験をさせたかったのだ、ということも考えるであろう。いっぽう、運がよいと思える出来事が起きたときは、私がその現実を齎したのだ、と嬉しがるであろう。神は神自身にご褒美を齎した、と考えるからこそ、神は調子に乗ってしまう。そして、神にもしくじりがあるというように、神はしくじってしまう。不満な出来事からは何かしら学べると思いたいが、結局のところ肯定できはしない出来事と直面している。それでも神は肯定できない現実を敢えて齎した、あるいはいつか肯定できるはず、と期待するであろう。私たちに神の思想は伝わりにくいものかもしれない。自分を神と思っている独我論者は毎日自分が世界を作ったと思ったり毎日ありとあらゆる出来事を自分が齎したと思っている。そのすべての出来事を過去世に築き上げたと考えている。いっぽう、私たち一般市民は、世界を作ったと思う訳がないと思っている。そして一般市民といっても様々な宗派に分かれている。キリスト教においては、イエス・キリストが世界を創造したと語られる。今現代、仏教においては、輪廻転生を否定せず、輪廻転生はあり得る、と語られている。その輪廻転生や私たちの暮らしを創造主のせいにしなくとも、いや、創造主のせいにするはずもなく、輪廻転生は自然に発生したと私たちは考えるであろう。私たちの暮らしは、創造主のせいにする者もいるが、しかしいっぽうにおいては、創造主のせいにせず、自然や一般市民自身のせいにすることが容易に考えられる。私たちは、自転車や自動車で行動していくものであるが、自動車においては自分が自動車を自発的に運転した、と認識するはずである。その一面において言うならば、創造主が自動車を運転をさせたのではなく、自分自身のせいで運転した、という消息であろう。この自動車運転の真偽も「創造主による様々な干渉」も考えられるが、創造主による干渉と判断しない一例として、自動車の運転が考えられる。自動車は創造主が運転させた場合も考えられるが、この世界の多くの自動車の運転行為は、各個人の責任であったことであろう。これが間違いだとするならば、私は創造主の存在を気にするはずであろう。しかしながら自動車の運転は自分のせいだと知っている者もいることから、自動車の運転のほとんどが各自身のせいだったのではないではないだろうか。私は「知っていることを頼りにする手がある」と思って暮らしているが、嘘だと思う話なら真偽を確かにしてみよ、と思っている。そこで、創造主は存在していたか、その焦点を述べるつもりである。創造主は存在していなかった、と知っている者もいると私は考えているとおり、創造主は存在していなかったと発言する者もいた。そして、創造主が存在していない、と知っている者もいると私は考えているとおり、創造主は存在していないと発言する者もいた。しかしこれでは信憑性に欠けるであろうか。神はいないと知っている者が4000名いると私は知っている、これでどうだろうか。この知っていると主張したい事柄がある際、その知っているという考え方は、誤知であってはならない。誤知とは間違えた認識であり、もし誤知だとするなら、嘘を描いていると言えよう。しかし知っていることを知っている、という事態もある。創造主が存在していなかったと知っていることを知っている、という事態もあり得るであろう。この場合、創造主がいなかったことを匂わせている。
20
:
名無しさん
:2024/10/23(水) 18:07:00
★独我論からの解放 part6
神が何故こんな目に遭わせるのか、と思う事柄があるという説は書いたが、具体的に遭っていた内容はどのようなものなのだろうか。自転車を運転中に、何らかの拍子で転んだ、ということはいかがだろうか。自転車から転んだときの痛さはこんなものだ、と思い知ったから好しとするであろうか。また、自転車から転ぶことが恐怖になって、あるいはトラウマになってよくないであろうか。自転車から転落することは決してわるいとは限らないが、身体を怪我してしまって微妙である可能性がある。私たちは自転車を運転するときは注意しているはずだが、わざと転ぶのも微妙であろう。他には、自動車の交通事故である。車を運転中に交通事故になることは、よくありそうな出来事である。交通事故に遭った者の中には、神を恨む者もいたであろう。また、自動車が破損して、大変な目に遭った方もおられるであろう。神はなぜ自動車交通事故に遭わせたのか、と疑問に思う方もいられるであろう。また、地震によって甚大な被害に遭った方もいるであろう。神はなぜ地震による被害を設けたのか、と疑問に思う方もいらっしゃるであろう。原子力発電所が爆発したことは記憶にある方も存在しているであろう。神はなぜ原子力発電所を爆発させたのであろうか、と疑問に思う方も実在しているであろう。田原総一朗という政治家は、「神様は悪戯好きですよ」と言ったが、神様は悪戯で地震や災害を起こしたのであろうか。もしそうだとしたなら神様は性格が悪い、あるいは意地悪ではないか。神様は地震を齎したことを思うと残念な気持ちになるではないか。火山が爆発することもないとは限らない。火山をコントロールしているのは神様なのであろうか。天気予報が外れるように仕向けるのも神様のせいなのであろうか。神様は私たちに何をプレゼントしたかったのだろうか。愛のある温和な家庭の建設や大企業の設立も神様の仕業なのだろうか。私たちは神様に関する問いかけにおいて疑問解消の区別をつけるべく知る一歩を踏み出してみるべきだろうか。そこで知ったことを書きたい。私は、地震は神様が起こしてないと知った場合があった。原子力発電所を爆発させたのは人工的な理由があった。神様は原子力発電所を爆発させてないと知った。火山は神様が爆発させてないと知った。火山は神様がコントロールしてない、とか、神様は火山をコントロールしていた、とは知れなかった。温和な家庭の建設を目指していたとは知れなかった。神様は意地悪だと知っていた。神様が性格が悪いと知っていた。神様といえば私も神様と言われることがあるが、私は意地悪でもなく、性格が悪いわけでもない。創造主は火山をコントロールしていなかったとも知った。私は創造主が火山と関わりを持たなかったと考え、すべてを作った者はいなかったとも考えている。殺人事件を神様は齎さなかったとも知っている。殺人事件は創造主は齎さなかったとは知れなかった。火山と創造主においては知れなかった事柄が浮上した。
21
:
名無しさん
:2024/10/24(木) 18:39:10
★独我論からの解放 part7
ネットには様々な文章で溢れかえっているが、神はネット上の文章すべてを築いたのでしょうか。サイトも無数にあるというのに、どうやって築いたのであろうか。細かく考えていくと、やはり無理が生じているように思われる。ネット上に書き込んだ内容のすべてを築いたのには多大なる年月がかかるたろうが、神にはそんなことはできていないと私は考える。lineにおける会話文やイニシャルも、どれもかれも作っていないと私は考える。神が作ったと思ったとしてもそんなに会話文を仕掛けるところが疑問であり、すなわち会話文を仕掛けたいなか考えても、仕掛けること自体不思議に思える。どうしてそんなに会話文を作ったのか、誰も答えられないではないか。ということは、誰も会話文すべてを作ったとは言い切れない。そして、あらゆる微生物が存在すること自体、不思議でならない。微生物を作ったという事象、そして微生物を配置したこと、それらは絵空事ではないだろうか。髪の毛を作った方法は、まだ解明されていないが、神は髪の毛を一本一本作ったとは言い切れないであろう。神は髪の毛は創造できなかったと考えた方が理に叶うのではないだろうか。車やバイクをひとつひとつ作ってはいないとも私は考える。人形や服装に関する物を神はひとつひとつ作ってはいないとも考えられるではないか。バキュームカーは誰も作ってはいないとも知っている者もいるではないか。眼は作っていないのではないかと考える者もいるし、眼は作っていないと知っている者もいるではないか。神は世界を作っていなかった、それが見いだせればいいのである。神は世界を作っていないとしてひとまず話の矛先を変えてみよう。神は何を作ったと考えるか、に関するお話である。
……あれ?見つからなかった……でもあった……文章である、様々な文章である、本とかなら作ったと考えられるであろう。
22
:
名無しさん
:2024/10/25(金) 16:40:09
★独我論からの解放 part8
私たちは神がいたと仮定して、神は何を作ったと考えるか、という命題がここに表れる。この消息においては、文章を書いたことが挙げられた。LINEにおける文章や本屋で販売される本に書いてある文章は神が付け加えたのではないか。また、ネット上の文章を見てみると、神が付け加えた文章もあるではないか。メールの交換も神が意図的に発信させたのではないか、というはこびがある。私たちは田んぼを開拓しないかもしれない。しかし神は田んぼをちゃんと作れるのではないか。ガソリンスタンドで給油を上手くさせることもできるのてはないか。山に関して言えばゼウスが森林を燃やしていると言われているではないか。「山林を燃やしたい」、という言葉の意味は、「ゼウスいい」という意味があり、これは女子語の美学に相当する。「森林を燃やす」という言葉の意味は、これも「ゼウスいい」という意味である。そうしたゼウスが醍醐味とする女子語の美学があるからこそ、ゼウスは森林を燃やすという行為に手が及ぶのではないか、と私は考えるのだ。「燃やす」という言葉の意味は、「ゼウス神」という意味がある。何かを燃やすことに必死になっているこのゼウスさんは、森林を燃やしてしまうほどの能力があると私たちは考えられる。ヨーロッパの森林を燃やすその行為だけでなく、森林を切ったり破壊したりしているといった話も聞いている。最近は一念を込めて自殺して、その後幽霊が現れたと見受けられる。幽霊が自殺したら次は別の幽霊が現れたのだと考える。さて、ゼウスは神なのだろうか。いいや、ギリシャ神話に出てくるゼウスと同名だからといって、神と認定するのは早計であろう。ゼウスは森林を燃やす能力があれど、理性が足りていないのだ。ゼウスは燃やすことを是としているのだろうが、森林を燃やすことは倫理的に間違いである。
23
:
名無しさん
:2024/11/17(日) 13:03:14
★独我論からの解放 part9
独我論に入るタイミングとはどのようなタイミングでしょうか。言葉の意味が考えるよりも前から配偶されていたのを確認して、自分が意味を作ったとする考え方があります。世界生誕の際に自分が意味を作ったという考え方です。しかし意味を作ったというデータはありません。自分が自分がばかりで自己中心になっている独我論者がいます。こんなに言葉の意味がデータにあることについて、自分が遥か昔の神のときに行った事柄を原因としていると考える者が独我論者です。自分がデータを作った、そして夢を見ているのかは、自分の行動が原因であり、見ている夢は当然自分が作ったデータである、と考える者が独我論者です。睡眠時の夢は私は誰のせいかとは思いません。独我論者は睡眠時の夢も実生活で見ている夢も自分が原因だと考えるのです。自分が原宇宙のときに来世でこんなふうに夢を見るように築き上げたと考えるのです。
この現実は夢なんだ、dreamなんだ、という考え方があります。自分がどこで終わるかわからない、そんな夢では嫌でしょう。どこまでも生き続けたいのが神思想を担っている者です。独我論者はいつか終わる夢より、永久に続く夢を体験したいですよね。独我論者はエッチに興味を持ちます。エッチをする未来を描いて離そうとしません。しかしレイプはいけません。レイプは犯罪です。エッチもレイプならしてはいけません。
24
:
名無しさん
:2025/04/11(金) 10:24:54
★独我論からの解放part10
自分自身を神と思えど仏もいるかもしれない。神が自分であっても仏だって世界創世に関与しているかもしれない。
神は一つだけではないかも知れない。神はGodであっても他の誰かもGodであるかも知れない。自分一つだけで他者と協力もせず世界を創造することは想像できるかもしれないが、他者と協力していたという観念も懸念される。
神が自分でも他者も神であって協力していた神同士があったという観念も懸念される。神と仏が世界創世に協力していたのかもしれない。一つの神が独りよがりにこの世界を作ったのであろうか。神は協力することも考えていたのであろうか。
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