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君の心に流れる星は

1 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:36:45 ID:0PQlAttc0
ラノベ祭り参加作品です
よろしくお願いします

2 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:38:52 ID:0PQlAttc0
 今日の太陽の照りは、まるで季節を忘れたかのようだった。
 家に帰ったら、先日片付けた扇風機を再び出そう、と香椎は考える。
 
 額にじわりと浮かぶ汗を拭うべく、ジャケットのポケットからハンカチを取り出そうとした。
 しかし、側に立つ守衛の視線が向けられたことに気づき、手の甲で軽く叩くようにして汗を取る。
 
 先ほどから警戒されていることと、それが致し方ないことであるのは分かっていた。
 しかし、ポケットや鞄から何か取り出そうとするたびに鋭い眼光で射抜かれるのは、決して気分のいいものではない。
 
(;゚ -゚)(ショボンさん、早く来てくれないかな)
 
 母親から就職祝いとして貰った、シチズンの腕時計に目を向ける。
 ショボンに連絡を入れたのは、ちょうど正午だった。もう十五分は経っていることになる。
 
 首元までボタンを閉めたブラウスの中に、少しでも涼を生み出そうとし、何度もブラウスを引っ張っては離す。
 できれば日陰に入りたいが、あまり施設に近づきすぎると、守衛に警戒されてしまうだろう。
 
 事情を説明すれば、分かってもらえるだろうか。
 しかし、事情をどう説明すればいいのかも分からない。
 
 改めて施設に目を向けると、五日前に来たときは感じられなかった大きさに圧倒される。
 前回は待ち時間がなく、すぐ施設内に案内されたためだ。
 こうやって正門をじっくりと見ることもなかった。
 
 ショボンを待っている間に、何人か施設内に入っていったが、その全員が非接触型のカードキーを正門横のドアに翳していた。
 従業員はそこから出入りする仕組みになっているらしい。
 五日前に入った際、香椎は門から入らされた。その区別はセキュリティ上の都合だろうと何となく察しがつく。
 
 そんなことを考えている間に、正門横のドアが開き、見知った顔が現れた。

3 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:41:16 ID:0PQlAttc0
すみません、最初に絵のアドレスを貼ろうと思っていたのに忘れてました……
http://boonrest.web.fc2.com/maturi/2012_ranobe/e/72.jpg

4 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:42:07 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「待たせたね」
 
(;゚ー゚)「あ、いえ」
 
 二十分も待たされたことに対して、本当は文句の一つでも言ってしまいたいところだった。
 申し訳なさそうに現れたのならまだしも、ショボンが涼しい顔でゆっくりと歩み寄ってきたこともあって、尚更に釈然としなかったのだ。
 しかし、これから上司となる相手に文句を言えるはずもない。
 
 他の従業員と同じように、ショボンは正門横のドアを使って中に入った。
 カードキーを認証機に当てつづけると開きっぱなしになるらしく、それに応じて香椎も施設内に入る。
 尤もそこは、施設内とはいっても、芝生が敷き詰められた中庭だった。
 
(´・ω・`)「外は暑いね。中にいると気づかなくて」
 
 この中庭さえ温度調整されており、適温が保たれている。
 汗で湿り始めていた香椎のブラウスも冷たくなった。
 
 中庭はそれほど広くなく、正門から20メートルも歩けばまたドアの前に立つこととなる。
 天窓から射し込む光が青々とした芝生を輝かせ、香椎のパンプスはその光を踏み締めていった。
 
 中庭の向こう側にある建物は、端が霞んで見えるほど大きい。
 壁は一面純白で、極めて窓が少ないのが特徴だった。
 
 香椎は、改めて建物の入り口を見る。
 その真上に、銀色の光を放つ文字が並んでいた。
 
 『Create Happiness』。
 
 それが、この研究所の名前だった。

5 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:43:45 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「さぁ、入って」
 
 研究所の入り口のドアには認証機が設置されており、ショボンはまたカードキーを当てつづけていた。
 礼を言いながら軽く頭を下げ、屋内へと踏み入る。
 
 ドアが閉まる前に、香椎は振り返って中庭を見た。
 芝生の青は鮮やかで、天窓を通って降りてくる光も輝かしい。
 
 だが、その中庭と研究所を見た前回に生まれた感覚が、再び香椎の中で目を覚ました。
 
 
 まるでここは、刑務所のようだ、と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    【君の心に流れる星は】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 エントランスは薄暗く、今日が土曜日であることも関係しているのか、ほとんど人がいなかった。
 三日前に来たときは受付カウンターで若い女性が微笑んでいたものの、今日はそこも空になっている。
 
(´・ω・`)「僕の仕事部屋へ案内するよ。こっちだ」
 
 ジャケットを翻しながら、ショボンはエントランスの奥へと進んでいった。
 磨りガラスのドアがあり、近づくにつれ向こう側から聞こえてくる音が大きくなる。
 そのドアをショボンが開くと、香椎の目に幾つものテーブルと椅子が映った。

6名も無きAAのようです:2012/11/25(日) 22:44:16 ID:DPa8OEhE0
期待

7 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:45:31 ID:0PQlAttc0
(*゚ー゚)「食堂、ですか?」
 
 テーブルと椅子だけを見て、そう言った。
 実際に踏み入ると、左側の奥に料理が並んでいるのが見える。
 
(´・ω・`)「食堂以外の何かに見えるのかい?」
 
 ショボンは、くく、と笑いながら言った。
 笑顔が崩れかけるのを必死で堪える。
 
(´・ω・`)「悪いけど腹ごしらえしようってわけじゃないよ。ここを通り抜けたほうが早いだけさ」
 
(;゚ー゚)「大丈夫です、もう食べてきましたから」
 
 ささやかな抵抗を見せるが、ショボンは何の反応も示さなかった。
 食堂の入り口から右に向かって歩き、奥のドアを目指す。
 
 この食堂には窓がなく、壁際には大型のテレビが何台も設置されていた。
 全てNHKを流している。白髪頭のアナウンサーが淡々とニュース原稿を読み上げていた。
 貿易問題で軋轢が生じていた隣国のロシアと、会談再開の見通しが立ったというニュースだ。
 
(´・ω・`)「喜ばしいことだね」
 
 ショボンは、テレビを一瞥だけして言った。
 言葉とは裏腹に、さほど関心がなさそうに思える声調だ。
 
 食堂を通り抜け、階段を上がり、三階にやってきた。
 廊下は幅広いが、窓がないためか、圧迫感がある。
 しかし、純白の壁が全く汚れなく保たれていることには圧倒された。
 
 ショボンの後について、三階の廊下をひたすら直進していった。
 およそ10メートルほどの間隔を空けてドアが並んでいるが、中からは音が聞こえない。
 誰も居ないためか、遮音性が高められているためか。それは分からなかった。
 
 真っ白なドアには、番号だけが書かれている。
 奥へ向かうにつれて、3021、3022、3023と番号が上がっていった。
 何の部屋なのかが分からないのは、やはり不気味だ。

8 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:47:37 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「ここだよ」
 
 ショボンが突如立ち止まって、3025と書かれた部屋のドアを開けた。
 室内もやはりほとんどが白で、目につく黒はテレビぐらいのものだ。
 ショボンが仕事机として使っているであろう木製のテーブルさえ、純白に染め上げられている。
 
 部屋は思ったよりは広くなかった、せいぜい12畳程度だろう。
 隣の部屋との間隔は、やはり遮音性のためだろうか。
 
 奥の壁際にテーブル、テレビが設置されている。
 その右側には二人掛けのソファがあり、ローテーブルを挟んでもう一つ同じソファが置かれていた。
 ショボンに促されて、向かい側のソファに腰掛ける。
 
 ソファの近くには小型の冷蔵庫があり、ショボンはそこからペットボトルの緑茶を二本取り出した。
 そのうちの一本が雑にテーブルに置かれる。何も言わないが、飲んでいいということだろうか。
 何となく手を出しにくく感じ、ペットボトルは端に寄せた。
 
(*゚ー゚)「凄く広いですね、この研究所って」
 
 ショボンがキャップを開封し、ペットボトルに口をつけている間に話しかけた。
 一気に半分ほどを流し込んだショボンは、まず息をついてから口を開く。
 
(´・ω・`)「二年前に建てられたんだけどね、まだ持て余してるよ」
 
(*゚ー゚)「使ってない場所がけっこうあるってことですか?」
 
(´・ω・`)「このフロアに関して言えば、そうだね。二階と四階の研究スペースはちゃんと使ってるけど」
 
 窓がほとんどないため、外からは分かりにくかったが、どうやら四階建てらしい。
 三階が各研究者たち個人の仕事部屋のようだ。
 
(´・ω・`)「じゃあ、早速だけど君にやってもらう仕事を説明しようか」
 
 ショボンが軽く腰を浮かせ、ソファの深い位置に下ろす。
 香椎も思わず居住まいを正した。

9 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:49:09 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「半月前に来たとき、部下から説明があったと思うけど」
 
(*゚ー゚)「研究員さんたちの、カウンセリング、ですよね」
 
 研究所は閉鎖された空間で、精神的に参ってしまう者が多い。
 そんな彼らを精神面からサポートしてあげてほしい。
 半月前に言われたことだ。
 
(*゚ー゚)「今までずっと、小学生相手のカウンセリングだったので、多少不安もありますけど、頑張ります」
 
 勤めていた学校の閉校に伴い、ちょうど仕事が空くときで、空白に上手くはまる依頼だった。
 本当は、今までどおり子供を相手にしたカウンセリングを続けたいが、大人を相手にすることで広がる幅もあるだろう。
 次の仕事が見つかったら辞めていいとも言われている。その条件ならば、引き受けないわけにはいかなかった。
 
 しかし。
 
(´・ω・`)「あれ実はね、嘘なんだよ」
 
(;゚ー゚)「えっ?」
 
(´・ω・`)「研究員のカウンセリングなんて求めちゃいないんだ」
 
 何を、言っているのだろう。
 分からない。嘘とは、どういうことだろう。
 
(´・ω・`)「君にやってもらいたいのは、そんなことより、もっともっと重要な役目なんだ」
 
 実際に見てもらったほうが早いな。
 ショボンはそう言って立ち上がり、仕事用のテーブルに置かれていたノートパソコンを持ってきて再びソファに腰掛けた。
 
 スリープ状態になっていたらしく、パソコンを開くとすぐに画面が光を放った。
 たくさんのソフトが起動している。しかし、何のソフトなのかは全く分からない。
 
 ショボンがトラックパッドに右手の人差し指を置き、上下左右に滑らせる。
 何度か左ボタンをクリックしたあとに現れたのは、動画だった。
 
 そして――――それを一目見たとき、思わず息を呑んだ。

10 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:50:15 ID:0PQlAttc0
 縦長で、大人が暮らすにはあまりに手狭な部屋。
 壁に何十枚もの紙が貼られており、同じように床にも紙が散らばっている。
 机や椅子などは何もなく、ただ紙だけが存在していた。
 
 それだけでも充分に、異様だ。
 
 しかし、部屋の中心で両膝をつき、覆いかぶさるようにしながら紙を見つめている――――
 
 
 ――――金髪の、少女。
 
 
 白い襟のついた赤いロングワンピースに身を包んでいる。
 袖口から突き出した両の手は、白く、小さい。
 小さな身動きに応じて、竜巻のようにカールした金髪が揺れていた。
 
(;゚ー゚)「どういう、こと、ですか?」
 
 まだ、笑顔は保てている。
 しかし、声は明らかに、震えてしまっていた。
 
 明らかに、異様。
 扉もない小さな部屋に、まだ幼い女の子が閉じ込められているのだ。
 
 何かの実験か。
 それとも懲罰で幽閉されているのか。
 様々な思考が脳内を駆け巡る。
 
(´・ω・`)「そうだな。君にも分かるように、一言で説明しようか」
 
 ショボンは、背凭れに体重を預けている。
 その顔は、高みから何かを見下ろしているかのように見えた。
 
 
(´・ω・`)「"僕たちは、神を飼っている"」

11 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:52:01 ID:0PQlAttc0
 
 
     ◆
 
 
 階段を上がった先は、薄暗く狭い空間だった。
 そこに何故か、木製のベッドと小さなテーブル、そしてトイレが置かれている。
 
(´・ω・`)「ベッドの横に、丸い円があるだろう?」
 
(;゚ー゚)「あ、はい」
 
(´・ω・`)「そこに立ってて」
 
 言われたとおりに、赤枠で囲われた円の中に足を踏み入れた。
 円は小さく、大人が二人入れるかどうかだ。
 ショボンは数歩離れたところに立っていた。
 
(´・ω・`)「じゃあ、よろしく頼むよ」
 
 そう言ってショボンは、手に持った端末の画面を軽くタッチした。
 直後、ショボンとベッドとテーブルが、ゆっくり上昇していく。
 
 いや、違った。
 香椎が下降しているのだ。
 足元の赤枠はリフトで、ゆっくりと下っていっている。
 
 掴まるものがなく、落ち着かなかったが、リフトそのものは安定していた。
 まったく揺れることがなく、目を閉じていれば下降していることにさえ気づかないかもしれない。
 これならば、手すりはなくとも問題なかった。
 
 リフトが下がるにつれ、足元から徐々に淡い光に染まっていく。
 やがて頭が、先ほどまで床だったところを通過すると、一瞬目を閉じかけたほど部屋が眩しく感じた。
 実際には、屋根裏のような先ほどの空間が薄暗いだけで、この部屋はあくまで標準的な明るさだ。
 
 改めて目を開くと、そこには先ほどパソコンの画面に映し出された部屋があった。

12 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:53:47 ID:0PQlAttc0
 壁一面に貼られた紙、それ以外は殺風景な部屋。
 部屋の中心で、しゃがみこんでリフトを見上げる金髪の少女。
 
ξ゚⊿゚)ξ「初めまして」
 
 まだリフトが降りきらないうちに、向こうから声を掛けられた。
 不意をつかれた気になる。
 
(*゚ー゚)「初めまして」
 
 僅かな動揺は、表に出さないようにした。
 どんな相手であれ、自分を保って話しかけるようにと、これまでも気をつけてきた。
 
ξ゚⊿゚)ξ「新しい人、ですね」
 
 リフトは、部屋の床の窪みに嵌った。
 紙を踏まないように、右足をリフトの赤枠から外に出す。
 
(*゚ー゚)「香椎由奈っていうの。これから、よろしくね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「よろしくお願いします」
 
 ツンが、頭を下げる。
 つられて香椎も頭を下げたが、その後、顔を上げにくかった。
 抑え込んだはずの最初の動揺が、身体を起こそうとしているのだ。
 
 ショボンから聞いたところでは、ツンはまだ十歳だった。
 しかし、その言葉ぶりは、あまりにも大人びている。
 香椎が今までにカウンセリングしてきた、どの子供とも、違った。
 
 あまりにも深い溝が、高い壁が、瞬時に作られていた。
 
(*゚ー゚)「たくさん書いたんだね」
 
 異様とも言える相手に、香椎は再び動揺を鎮めて言葉を投げる。
 ツンの視線は床に落ちていた。

13 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:56:04 ID:0PQlAttc0
ξ゚⊿゚)ξ「本当はもっと書いています。この部屋に紙を置くようになったのは、最近ですから」
 
(*゚ー゚)「へぇ、そうなんだ。今日も書いたの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「いえ。今日は、あまり書く気になれません」
 
 理由を追求したかったが、まだそこまで踏み込んでいいか分からない。
 何が原因で機嫌を損ねるか、まったく掴めていないのだ。
 
 "絶対にツンの機嫌だけは損ねないでくれ"。
 ショボンに、そう厳命されているからこそだった。
 
(*゚ー゚)「これは、昨日書いたの?」
 
 ツンの側にある紙を見ていたところ、紙の左上に昨日の日付が書かれた紙があった。
 紙に触れていいかどうか分からず、膝を曲げて目を近づける。
 
ξ゚⊿゚)ξ「そうです。まだ、続きが思い浮かんでいません」
 
 その言葉は、耳から耳へと流れていく。
 香椎の意識は、完全に紙に書かれた文章だけに向けられていた。
 
 
 『隣国ロシアと、穀物類の輸入再開に向けた会談実施が決定される。』
 
 
 昼に食堂で見たニュースと、まったく一緒だった。
 
(;゚ー゚)「字、すごく上手だね」
 
 聞かされていたことでも、目の当たりにすると、衝撃が拭えなかった。
 昨日ツンが書いたことが、今日、現実に起きている。
 
 神を飼っている、とショボンは言った。
 その表現は決して美しいものではない。しかし、確かなことだ。
 
 この部屋には、世界の神がいた。

14 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 22:59:57 ID:0PQlAttc0
ξ゚⊿゚)ξ「ありがとうございます」
 
 ツンの口ぶりは、相も変わらず素っ気ない。
 この年頃の子であれば、それも珍しくはないが、ツンが発する空気はやはり普通ではなかった。
 
(*゚ー゚)「お話、読んでいってもいいかな?」
 
 壁を見回しながら言う。
 紙を部屋に置き始めたのは最近だとツンは言ったが、既に隙間はなくなりつつあった。
 
ξ゚⊿゚)ξ「構いません」
 
 ツンは、何をするでもなく、ただ床に座り込んでいた。
 両脚を"く"の字に曲げ、臀部と足の内側を地面につける、女の子がよくやる座り方だ。
 
 床も、紙がないのはツンが座っているスペースのみで、他はほとんど足の踏み場もない状態だった。
 踏まないように慎重に歩きながら、紙に書かれた日付を見ていくと、床に置かれたものは比較的新しいようだ。
 古くとも三ヶ月以内だった。
 
 壁に接近して、一面に貼られた紙を見てみると、こちらのほうが日付は古い。
 半年ほど前に書かれたものもある。
 
 現実に起きた出来事については、一日につき一枚の紙を使用して書かれているようだ
 中には絵が添えられているものもある。地図や人の絵などだ。
 
 紙のひとつひとつを改めて見ていくと、膝が震えだしそうなくらいの衝撃を受けた。
 半年前の、五人を殺害した連続殺人犯が捕まったこと。四ヶ月前に起きた、立てこもり事件で犯人が自殺したこと。
 五ヶ月前に対日外交で硬化させていた態度をアメリカが軟化させたことなど。
 
 全て、現実に起きたことばかりだ。
 
 ここで世界が創られている。
 まだ十歳になったばかりの、少女によって。
 
 ショボンの説明のとおりだった。
 ただ、その説明があまりにもあっさりしすぎていたせいか、俄かには信じられない部分もあったのだ。
 気が動転していたということもある。

15 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:00:54 ID:0PQlAttc0
 そしてこれから、香椎は世界を動かすために働かなければならない。
 そのことも、ここに来てようやく、現実なのだと分かった。
 
 できるだろうか。
 世界を、導けるだろうか。
 
 きっと、不安が表情に出てしまっている。
 それをツンに見られまいと、壁の紙を見ているふりでごまかしていた。
 紙に書かれている文字は、先ほどから上手く頭に入ってこなくなっている。
 
 そのときふと、あることに気づいた。
 
(;゚ -゚)「これは?」
 
 何故、今さら気づいたのだろうと思った。
 壁に貼られた紙のなかでも、一際目立っている。
 それは、文字ではなく、絵が描かれている紙だった。
 
 人柄の良さがにじみ出ているような、軽い笑みを浮かべた、若い男性。
 
ξ゚⊿゚)ξ「内藤です」
 
 ツンの口ぶりは、少し素っ気なかった。
 受け答えが淡々としている。最初からそうだが、男性の苗字と思われる言葉は、尚更のように思えた。
 
(*゚ー゚)「内藤さん、かぁ」
 
 笑顔を作って、振り返った。
 表情に多少の不自然さがあっても、子供なら気づくことはないだろう。
 
(*゚ー゚)「この人は、どういう人なの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「前の人です。香椎さんの」
 
(*゚ー゚)「あっ、なるほど。じゃあ、前はこの人がお話を聞いてくれてたんだね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「そうです」
 
 ――――不意に、微かな違和感を覚えた。
 しかしそれは、気のせいだったのかもしれないと思うほど、すぐに消え去った。

16 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:01:45 ID:0PQlAttc0
 今の違和感は、なんだったのか。
 そう思いながら改めて壁を見回してみると、他にも人の絵が描かれた紙があった。
 
(*゚ー゚)「壁にある人の絵は、みんなそうなの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「はい」
 
 女性の絵が二枚、男性の絵が一枚あった。
 内藤という人の絵も含めると、今までこの仕事を四人が担当してきたのだと分かる。
 これは、ショボンからは聞かされていないことだった。
 
 ツンが、この部屋で物語を作っている。
 ツン自身は知らないものの、ツンが書いたことは現実となっている。
 その物語を、世界平和に役立てられるよう導くのが、君の仕事だ。
 
 ショボンから言われたのは、それだけだった。
 
 形としては、あくまで話を聞くだけ。
 しかし実際には、こちらの思惑どおりに話を書かせなければならない。
 
 もし上手くいかなければ、世界が思わぬ方向に転がりかねないのだ。
 重責どころではなかった。
 
 何故、それほどの仕事を、ただの児童カウンセラーである香椎に依頼してきたのか。
 先ほどは、ショボンから説明がなかったが、戻ったら必ず聞き出そうと考えていた。
 
(*゚ー゚)「絵もすごく上手なんだね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「ありがとうございます。でも、未完成です」
 
(*゚ー゚)「未完成? この絵が?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「はい。少しずつ描き足しているのですが」
 
 言われてみれば確かに、古い線と新しい線がある。
 香椎には完成しているように見えるが、ツンは出来に納得していないらしい。
 
 やはり大人びている。
 今までに接してきたどの児童とも、違う。
 
 ツンのことを、もっとよく知らなければならない。
 これは決して、一筋縄ではいかない。
 
 今までの経験から、香椎はそう直感していた。

17 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:02:55 ID:0PQlAttc0
 壁際から離れ、ツンの側に腰を下ろす。
 ツンに、警戒心はあまりないようだった。
 
(*゚ー゚)「紙に何か書くとき以外は、何してるの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「特に、何も。お話を考える程度です」
 
(*゚ー゚)「ご飯はここで食べてるの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「はい。寝食は、すべてここです」
 
 香椎は、上にベッドがあったのを思い出した。
 眠る際は、あのベッドが部屋に降りてくるのだろう。
 
 しかし、ツンはこの部屋からまったく動いていないということになる。
 発育にいいとは思えないが、そのあたりは配慮されているのだろうか。
 
 そもそも、そんな常識で捉えられるのかどうかも分からない。
 相手は、神に等しい存在だ。
 
(*゚ー゚)「さっき、今日はあんまりお話書く気になれないって言ってたよね。どうして?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「紙に書くほどの展開が、思い浮かんでいないからです」
 
(*゚ー゚)「そういう日もけっこうあるの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「内藤が居なくなってからは、よくあります」
 
 居なくなった、という表現には引っかかるものがあった。
 どういった経緯で前任者の内藤が仕事を辞めたのかは分からないが、円満なものではなかったのか。
 ツンの口ぶりからは、そう思わされた。
 
 話の導き手が居ないのは、ショボンにとっても困ることだろう。
 世界を、動かしたくても動かせないのだ。
 
 ただ、それならば何故、ショボン自身がツンに接さないのか。
 その疑問もまた、後でぶつけようと思っていた。
 
(*゚ー゚)「あっ」
 
 不意に振動を感じた。
 上着のポケットに手を突っ込んで、ショボンから手渡されたスマートフォンを取り出す。
 この研究所内で連絡を取るための端末だ。電話をかけてきた相手は当然、ショボンだった。

18 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:05:18 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「いったん戻ってきて。まだ説明したいことあるから」
 
(*゚ー゚)「あ、はい。分かりました」
 
 こちらが言い終わるのとほぼ同時に、ショボンは通話を切った。
 恐らく、最後までは聞いていなかっただろう。
 
(*゚ー゚)「いったん戻るけど、また来るね。お話、聞かせてね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「はい」
 
 ツンが軽く頭を下げ、波打った金髪が揺れた。
 白い壁に白い紙の貼られた部屋で、それは眩しいほどに輝いて見えた。
 
 赤枠の中に身を収めると、すぐにリフトは動き出し、天井へと向かっていく。
 ツンは、リフトが上がり始めたときからもう、こちらへは視線を送っていなかった。
 
 リフトが上がりきると、そこは誰も居らず、薄暗い空間にベッドとトイレとテーブルが浮かんでいるだけだった。
 階段を下りると、六畳程度の何もない空間があり、壁とあまり見分けがつかないドアの取っ手だけが目立っている。
 レバータイプのドアノブだった。
 
 ドアに近づくと、鍵の空く音が鳴る。
 鍵穴はない。遠隔操作で施錠管理しているとショボンは言っていた。
 セキュリティにはかなり気を配ってるようだ。
 
 ドアノブを下げて、ドアを開くと、その重さに驚いた。
 ここに入るときはショボンが開けてくれたため、分からなかったのだ。
 ドアの側面は、国語辞典と同じくらいの厚みがあった。
 
 重い扉をゆっくり閉めて、ショボンの部屋へと向かう。
 スマートフォンには研究所内を案内するアプリケーションがインストールされていた。
 研究所の構造図に、現在地と目的地までを結ぶ線が引かれている。
 
 途中、誰にもすれ違わないまま、ショボンの部屋に到達した。
 
(´・ω・`)「お帰り」
 
 ドアを開けるなり、振り返りもせずにショボンは言った。
 執務机の前に座り、パソコンのキーボードを叩いている。
 
(´・ω・`)「感想を聞きたいところだ。どうだった?」

19 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:06:45 ID:0PQlAttc0
 率直な気持ちは、言葉にできない。
 香椎自身、よく分かっていないのだ。
 
 また来るね、とツンに言い残してきたが、果たしてそうすべきなのだろうか。
 
(´・ω・`)「わけが分からないって顔してるね」
 
(;゚ー゚)「正直に言えば、そうです」
 
(´・ω・`)「改めて説明する。ツンは、僕たちが作った神だ」
 
 ようやくショボンは手を止めて、顔を香椎のほうに向けた。
 
(´・ω・`)「ツンは自分が書いたことを現実のものとする力がある」
 
(´・ω・`)「その力を使って僕たちは、世界を円滑に動かそうとしている」
 
(´・ω・`)「この研究所の名前のとおりだ。世界に、幸福を創り出そうとしているんだよ」
 
 この説明はツンと会う前にも聞いている。
 ただそれでも、実感が湧ききっていないところがあった。
 事の重大さを、理解しきれていない部分があった。
 
 今の自分は、どれぐらい現実を理解しているのだろう。
 香椎がそう考え始めたとき、ショボンが呟いた一言で、思考は彼方へと去った。
 
(´・ω・`)「ただし、ツンはとても"制約の多い神"だ」
 
 最初は、"誓約"かと思った。
 そのほうが神という言葉には相応しいような気がしたからだ。
 
 しかし、文脈から想像するに、違う。
 制約だ。
 
(;゚ー゚)「どういう意味ですか?」
 
(´・ω・`)「ただ単純に、紙に書いたことが現実になるなら、こんなに楽なことはないんだけどね」
 
(´・ω・`)「実際には色々な条件をクリアしてるんだよ」
 
(;゚ー゚)「条件、ですか?」

20 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:07:37 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「大前提として、まずツンは想像力を持って紙に書かなければならない」
 
(´・ω・`)「その想像がリアルであればあるほど、現実となりやすい」
 
(´・ω・`)「上手く想像しないまま紙に書くと、思わぬ事態を引き起こすこともある。だから詳細に想像させることが第一だ」
 
 確かに、あの部屋の紙に書かれていたことは、子供が書いたとは思えないほど具体的だった。
 あれも詳細まで想像させたからこそだろう。
 
(´・ω・`)「想像もつかないようなことは現実にならない。そこを上手く想像させてやるのも君の役目だ」
 
 そう言われても、具体的にどうすればいいのかは分からない。
 前任者の内藤は、どう仕事していたのだろうか。
 
 そこで不意に、疑問が浮かんだ。
 ツンに想像させるなら、もっと手軽で確実な方法がある。
 どうしてその手段を取らないのか。
 
(´・ω・`)「"外に連れ出せば早いんじゃないか"って思ってるんだろう?」
 
 ぴたりと、ショボンは言い当てた。
 香椎の疑問を。
 
(´・ω・`)「外に連れて行けない理由は二つある。ひとつは、建前の問題だ」
 
(;゚ー゚)「建前、とは?」
 
(´・ω・`)「『マリーの部屋』って聞いたことあるかい?」
 
 聞いたことがあるような気はする。
 確か、何かの実験だったはずだ。
 
(´・ω・`)「白黒の部屋に閉じ込められたマリーは、色に関する全ての知識を持っているが、実際に色を見たことはない」
 
(´・ω・`)「そんな彼女が外に出て、実際に色を見たとき、新たに何かを得るだろうか。簡単に説明すると、そういう思考実験だ」
 
(´・ω・`)「建前として、今ここで『マリーの部屋』に似た実験をしていることになっているんだよ」
 
 さらりと語ったが、その建前さえ常識では考えられない。
 明らかに、人権を無視した実験だ。

21 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:09:27 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「もう一つは、ツンが外に興味を持って逃げ出さないようにするためだよ」
 
 そのもう一つの理由は、香椎もすぐ察しがついた。
 でなければ、あれほど分厚く重い扉を用意することもないだろう。
 
(´・ω・`)「外の世界があることを最初から知らなければ、そもそも外に出たいとは思わないだろうからね」
 
 だから、あくまで物語なのだ。
 ツンが書いているものは。
 
 ツン自身は現実を知らない。
 自分の力も、教えられていない。
 
 全ては、あの部屋でツンを意のままに操るために。
 
(´・ω・`)「もし外に出たいと思ってしまうと、最悪なんだ」
 
(´・ω・`)「何しろツンは、『外に出たい』と書くだけでそれを現実にしてしまうからね」
 
(´・ω・`)「ま、そこも一応保険はかけてるから、大丈夫なんだけど」
 
(;゚ー゚)「どういう意味ですか?」
 
(´・ω・`)「まず、普段は書くものを渡していない。あの部屋の、どこにもなかっただろう?」
 
 思い返してみると、確かにそうだった。
 鉛筆やシャープペンシルなどは置かれていなかった。
 
(´・ω・`)「物語を書かせるときはなるべく側に人を置いているし、監視カメラで常時見張ってもいる」
 
(´・ω・`)「もしおかしなことを書き始めたら、即座に催眠剤が天井から噴射されることになってるんだよ」
 
 そこまで徹底しているのか、と香椎は思った。
 確かに、それならツンが私利私欲に力を使うことは不可能だろう。
 
 いや、そもそもツンは自分の力を知らない。
 私利私欲のために使おうという発想さえ出てこないはずだ。
 それでも、万一を考えて対策しているのだろう。

22 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:10:23 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「あと、さっきも言ったように、建前としては『マリーの部屋』の実験だ」
 
(´・ω・`)「だから、ツンの本当の力を知っている者は極端に少ない。数人だと思ってくれていい」
 
(;゚ー゚)「それを、私に話してもいいんですか?」
 
(´・ω・`)「うん。君には一生監視をつけるから」
 
 また、事もなげに言われた。
 常軌を逸しているとしか思えなかった。
 
 もっとも、今さら抗えるとは香椎も考えていない。
 ここでは、全てが現実となりうるのだ。
 極端な話をすれば、明日も朝を迎えられるとは限らない。
 
 与えられた仕事をこなさなければ、どうなるか分からない日々が、勝手に幕を開けていた。
 
(´・ω・`)「さて、制約に話を戻そうか」
 
(;゚ー゚)「まだあるんですか?」
 
(´・ω・`)「まだあるというか、想像力の話だ。さっきも言ったとおり、ツンの力は想像力に左右される」
 
(´・ω・`)「だから、ツンは数日後のことは現実にできない。想像力が及ばなくてね、基本的には明日のことまでだ」
 
(´・ω・`)「それに、明日のことであっても複数の未来は実現させられない。これも想像力が足りてないせいだ」
 
(´・ω・`)「この二つは早急に改善したいんだけど、まだ無理だ」
 
 ショボンからすれば、不便極まりないといったところだろう。
 複数の未来を、そして明日だけでなく明後日以降のことも決めてしまえたら、舵を切るのも楽になる。
 
(´・ω・`)「あとは、この紙と鉛筆だ」
 
 ショボンが手に取ったのは、ツンの部屋に置かれているものと同じ紙。
 それから、一見、何の変哲もないように見える鉛筆だ。
 
(´・ω・`)「見るだけじゃ分からないだろうけど、この紙と鉛筆は書き心地を極限まで追求している」
 
(´・ω・`)「僕の仕事は、最近はそっちがメインになってきているよ」
 
 MITを出て、まさか紙と鉛筆を作ることになるとはね。
 そんな自虐のような愚痴もショボンの口からは漏れていた。

23 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:11:28 ID:0PQlAttc0
(;゚ー゚)「書き心地を追求しているのは、どういった理由からですか?」
 
(´・ω・`)「実験の結果なんだけどね。粗悪なものと、上質なものでは、明らかに現実の結果に差が出た」
 
(´・ω・`)「ツンが今の紙と鉛筆に慣れてからは、もう市販のものでは全く物語を現実にすることができなくなったほどだ」
 
(´・ω・`)「そうやって、あらゆる角度からツンの力をサポートしてるんだよ」
 
 その話も別の角度から見れば、ツンの力はこの研究所がなければ全く発揮できない、ということになる。
 ツンの力に制約がある、というのは間違いではないが、ツンの力に制約をかけている、という面もあるのだろう。
 
(´・ω・`)「それから、ツンは非常に気分屋でもある。一度ヘソを曲げると、こっちの言うことをなかなか聞いてくれない」
 
(´・ω・`)「機嫌を損ねないでくれ、と言ったのはそういう意味だ。ツンに嫌われると、側にいる間は何もしてくれなくなるからね」
 
(´・ω・`)「まさに僕がそうだ。ツンは、僕があの部屋に行くと一言も喋らなくなるし、鉛筆を握ろうともしなくなる」
 
 ショボンがあの部屋に行かない理由は、ようやく分かった。
 ただ、そこで新たな疑問も浮上する。
 
(;゚ー゚)「でも、どうして部外者の私なんですか? この研究所にいるみんなを嫌ってるわけじゃないですよね」
 
(´・ω・`)「いいや。残念ながらダメなんだよ。ツンは、研究者全員を嫌ってる」
 
(;゚ー゚)「何故、ですか?」
 
(´・ω・`)「君は、小さいころ注射が好きだったかい?」
 
 ショボンはワークチェアから立ち上がり、ソファに腰掛けながら質問に質問を返した。
 質問の意図が分からず、思わず首を捻る。
 
(´・ω・`)「大抵の子供は注射が嫌いだし、医者も嫌いだ。医者の顔を見るだけで泣き出す子供もいる」
 
(´・ω・`)「似たようなものなんだよ。ツンは、常に身体の状態をチェックされながら生きているからね」
 
(´・ω・`)「実際に注射も必要だし、煩わしくて仕方ないんだろう。ここ数年は研究者の匂いがすると口を閉ざすようになった」
 
(´・ω・`)「だからこそ、部外者が必要だったんだ」
 
 そう言われてようやく、香椎は自分が呼ばれた意味を理解した。
 研究者でなく、子供の扱いに長けた者。
 客観的に見て、うってつけの人材だった。

24 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:12:24 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「ツンが研究者と話さなくなって、確か五年ほど経つけど、その間ツンに話を書かせていたのは全員部外者だ」
 
(´・ω・`)「君がツンの部屋で話していたとおり、壁に貼られていた人の絵は、以前の担当者たちだよ」
 
(´・ω・`)「特に大きな紙に書かれていたのが、内藤。最近まで、およそ四年間、ツンに話を書かせていた」
 
(´・ω・`)「彼は、ツンのお気に入りだった」
 
 ショボンは、身体をソファに深く沈みこませた。
 顎を上げ、天井を見つめる様は、昔を懐かしんでいるようでもある。
 
(´・ω・`)「内藤がいる間は実に楽だった。ツンは、照れ隠しで反発することもあったけど、内藤の言うことにほとんど従っていたからね」
 
(´・ω・`)「誰に対しても心を開かなかったツンが、初めて打ち解けた相手だ。内藤に対しては、敬語さえ使わなかった」
 
 そこで、先ほどあの部屋で覚えた違和感に気づいた。
 素っ気ないながらも、整った言葉遣いで喋っていたツンが、ある一点に関してはそれを崩していた。
 
 ツンは、前任者の内藤のことを呼び捨てにしていたのだ。
 
(´・ω・`)「部外者に任せるようになって、五人の担当者が居たけど、そのうち四人はすぐ辞めることになった」
 
(´・ω・`)「ツンは口を利くけど、話をあまり書かなくてダメだったんだ。だから、次から次へと新しい人材を試した」
 
(´・ω・`)「もうツンを諦めたほうがいいのか、と思いはじめたとき、内藤が上手く打ち解けてくれた。奇跡かと思ったよ」
 
(´・ω・`)「莫大な予算をかけ、数千もの失敗の末に生み出したツンを、無駄にしかねないところだったからね」
 
 その、生み出した過程がショボンから語られることはない。
 恐らくは、聞いても理解できないだろう。
 
(´・ω・`)「ずっと内藤が居てくれればよかったんだけど、まぁ、しょうがない。今は君に期待するしかない」
 
(;゚ー゚)「私に対する感触は、他の人と比べて、どうだったんですか?」
 
(´・ω・`)「悪くはないね。期待が持てそうだよ」
 
 その期待に応えられなかったとき、どうなるのか。
 香椎は、疑問を口にすることができなかった。
 考えたくなかった。

25 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:13:34 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「とりあえず、今日はもう休んでいい。明日から、よろしく頼むよ」
 
 ショボンは腰を上げて、再びワークチェアに戻った。
 机にはディスプレイが三つあり、そのうちの一つはツンの部屋を映している。
 ツンは、何をするでもなくただ、天井を見上げていた。
 
 あの子に対して、どう接していけばいいのか。
 今後、自分はどうなるのか。
 
 分からないままの時間が、しばらく続くだろう。
 香椎は、そう思った。
 
 僅か一週間でここを去ることになるとは、思ってもみなかった。
 
 
      ◆
 
 
ξ゚⊿゚)ξ「今、この町は雨が少なく、ダムの貯水量が減っています」
 
(*゚ー゚)「うん、うん。じゃあ、雨が降らないと町が困っちゃうね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「はい。なので明日は、大雨を降らせようと思います」
 
 純白の紙に、町の名前が書かれる。
 そしてその横に、『大雨が降る』と、シンプルに未来が記された。
 
 部屋は昨日と同じく、少し薄暗い。
 暑くもなく、寒くもなく、快適に過ごせるよう調節されているようだ。
 尤も、閉塞感のせいで、せっかくの快適感も全て台無しになってしまう。
 
 上手く書かせられるだろうか。
 そう不安を抱いていたが、意外にもすんなりと思い通りになった。
 
 他愛のない天気の話から、上手く雨を降らせる方向に持っていくことができた。
 ツンは、外の世界のことは知らないものの、空という概念は分かるらしい。
 どこか矛盾している気もするが、際どいところでバランスが保たれているのだろう。
 
 明日のことを書かせることができたため、今日の仕事は終わりだが、もう少しツンのことを知らなければならない。
 だが、どこまで心を開いてくれるだろうか。

26 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:14:53 ID:0PQlAttc0
(*゚ー゚)「もうすぐお昼ご飯の時間だね。朝は何食べたの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「クロワッサンと、バターロールです」
 
(*゚ー゚)「パン好きなの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「はい」
 
(*゚ー゚)「嫌いな食べ物はあるのかな?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「最近は、ありません。以前はキノコが食べられませんでした」
 
(*゚ー゚)「食べられるようになったんだ、偉いね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「内藤に、ちゃんと食べなきゃダメだって口うるさく言われたので、致し方なく」
 
 言葉面だけを捉えると、素っ気なく感じるが、声のトーンが僅かに上がっていた。
 ショボンが言ったように、内藤のことは気に入っていたらしい。
 
ξ゚⊿゚)ξ「いつも細かいことにうるさいんです。座る姿勢とか、鉛筆の持ち方とか」
 
ξ゚⊿゚)ξ「適当にあしらっても、何回でも言ってきて、うんざりするときもありますけど」
 
(*゚ー゚)「でも、おかげで変な癖は矯正されたんだね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「同じこと何回も言われるのが嫌だったから、っていうだけです」
 
 ツン自身は、気づいていない。
 内藤について語るときの自分が、饒舌になっていることに。
 
 それほどまでに内藤には気を許し、心を開いたのだろう。
 ただ、そうだとすると、新たな疑問が浮かんできた。
 
 何故、内藤は居なくなったのだろうか。
 
ξ゚⊿゚)ξ「人には口うるさいくせに、内藤は内藤でお箸の持ち方が変なんですよ」
 
(*゚ー゚)「内藤さんもここでご飯食べてたの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「たまに、ですけど」

27名も無きAAのようです:2012/11/25(日) 23:16:20 ID:cuCcocSYO
追いついた、④

28 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:16:54 ID:0PQlAttc0
 香椎は昨晩からこの研究所内に泊まっている。
 どうやら自宅に戻ることは、すぐには許してもらえそうになかった。
 ただ、ワンルームのアパートよりはここのほうが遥かに快適であることは間違いない。
 
 与えられた部屋の一角に、タッチ入力可能な液晶パネルがあり、三百を超えるメニューから自由に食事を選べる。
 注文すると、数分後には部屋に到着を合図する音楽が流れ、壁の取っ手を引くとそこに料理があったのだ。
 しかも、いくら頼んでも無料だと言われ、ただ驚くしかなかった。
 
 あのシステムがある限り、この狭い部屋で食事を取るメリットは多くなさそうに思える。
 それでも内藤がここでツンと食事を共にしたのは、やはり二人の距離感ゆえにだろう。
 今の香椎とツンは、例えるならまだ指先で触れ合っている程度だ。
 
 だとするとやはり、不可解に思える。
 ツンが内藤を気に入っていたのであれば、内藤はここから去る理由がない。
 内藤自身もツンを嫌っていたわけではないようで、自発的に仕事を辞めることも考えにくい。
 
 つまり、やむをえず辞めた、という可能性が高い。
 
(*゚ー゚)「内藤さん、優しい人だったんだね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「別に、そんなことありません」
 
 つい、過去形で喋ってしまったことに、しばらくしてから気づいた。
 ツンは、ずっと現在形で話しているのにも関わらず。
 
 きっとツンは、内藤がどうなったか知らされていないのだろう。
 今ここに居ないのも、一時的なものだと思っているのかもしれない。
 
(*゚ー゚)「今日はそろそろ戻るね。また来るね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「ありがとうございました」
 
 ツンが使っていた鉛筆を持って、腰を上げた。
 この部屋に入ってきたときと同じように、赤い枠に足を踏み入れ、リフトが上がるのを待つ。
 ツンは、しばらくこちらに視線を送っていたが、リフトが上がりきる前には床の紙を見ていた。
 
 リフトが上がりきったところで、ひとつ、息を吐いた。
 
 紙以外に何もない、手狭な部屋。
 こんなところでツンは、もう何年も過ごしている。
 過ごさせられている。

29 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:18:34 ID:0PQlAttc0
 生まれたときから変わらない環境だからこそ、ツンは不平も不満も言わない。
 だが、普通ならば数日で気が狂うのではないか。
 そう思えるほど、はっきりと異常な世界だ。
 
 ショボンは言った。
 世界に、幸福を創り出そうとしている、と。
 
 しかし、その原動力となっているツンは、果たして幸福なのだろうか。
 
 外の世界を知らないまま、ただショボンが望むままに、あの部屋で物語を創っていく。
 ツンはずっと、そんな人生を送ることになる。
 
 それが正しいことだとは思えない。
 許されるべきことだとも思えない。
 
 香椎は、まだここに来て二日目。
 だからこそ疑念を持つのだろうか。
 長く過ごせば、それも当たり前のこととなり、何も感じなくなるのだろうか。
 
(*゚ -゚)(内藤さんは、どう思ってたのかな)
 
 内藤は、四年もここでツンの相手をしていたという。
 その間、内藤は何を感じ、何を思ったのだろうか。
 
 どうしようもないことだ、と思っただろうか。
 ツンは常に監視カメラで見張られており、外へ出ることは叶わない。
 無論、音もすべて聞かれているため、外の世界を教えることもできない。
 
 内藤も同じように考え、ただ漫然とツンの相手をしていただけなのだろうか。
 そう思うのが自然かもしれないが、何故か、その結論は釈然としなかった。
 
 強固な心の壁を作っているツンが、気を許すような相手だ。
 心優しい性格だったというのは今日話して分かった。
 ショボンからの信頼も厚かったようだ。
 
 それほどの人が、ツンの現状を良しとするとは思えない。
 
 付随してくる疑問もある。
 内藤は、何故辞めたのか。
 ショボンが言ったように、それは本当に"しょうがない"ことだったのか。
 
(´・ω・`)「"内藤ホライゾン"って腹話術師、聞いたことあるかい?」

30 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:20:41 ID:0PQlAttc0
 内藤について気になり、ショボンの部屋で疑問を投げてみた。
 相変わらずショボンはあまりこちらに視線を送らず、仕事をしながら言葉を返してくる。
 
(;゚ー゚)「あるような、ないような」
 
(´・ω・`)「七、八年前にたまにテレビに出てたんだよ。腹話術の技術に定評があった」
 
(´・ω・`)「残念ながらユーモアのセンスが腹話術に追いついてなくて、一般層にはウケなかったけどね」
 
 だからテレビの世界から姿を消した、と言いたいのだろう。
 ショボンの話し方にも、少しずつ慣れてきた。
 
(´・ω・`)「テレビの仕事がなくなったあとは、全国各地でイベントの仕事をこなして、一応生活できる程度の収入はあったみたいだ」
 
(´・ω・`)「そんな彼に仕事を依頼した理由は、大して深いものじゃなかった。彼の腹話術を、ツンが面白がればいいかもしれない、と思った程度だ」
 
(´・ω・`)「期待してなかったけど、まさに思惑どおりになったんだ。腹話術をせがむツンの姿は、新鮮そのものだったよ」
 
 ショボンの話を聞いているうちに、少しずつ思い出せてきた。
 確かに、そんな腹話術師をテレビで二度か三度、見たことがある。
 
 当時、子供向けのスイミングスクールでバイトしていたが、子供たちの間でも話題になっていた記憶があった。
 きっとショボンは、そうやって子供に人気していたことも含めて、内藤に目をつけたのだろう。
 
(´・ω・`)「人柄が良くて、僕も彼のことは嫌いじゃなかった。前も言ったけど、できれば彼にずっと仕事を続けてもらいたかった」
 
(´・ω・`)「辞めた理由、気になってるようだね」
 
 素直に頷いた。
 話を聞く限りでは、自分から辞めるような人だとは思えない。
 
 だとすれば、やはり――――
 
(´・ω・`)「彼はね、重病を得てしまったんだ」
 
(;゚ -゚)「!」
 
(´・ω・`)「病名は、なんだったかな。忘れてしまったが、正直もう永くない」
 
 それほどの大病、嘘で貫けるとは思えない。
 恐らく、事実だろう。

31 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:21:51 ID:0PQlAttc0
(´・ω・`)「もっと早く病院にかかっていれば良かったのかもしれないけど、彼は体調がおかしくても我慢していた」
 
(´・ω・`)「いつも笑顔でね。辛そうなところなんか見せなかったから、気づけなかったんだよ」
 
 ありありと想像できる。
 無理して笑っている、内藤の姿が。
 
(´・ω・`)「このことをツンは知らない。内藤は、少し体調を悪くしているだけで、そのうち戻ると言ってあるんだ」
 
(´・ω・`)「内藤はもうダメだ、なんて言ったら、ツンがどうなるか分からない。そのことが、一番怖い」
 
 心には複雑な感情が生まれた。
 やはりこの人は、どこかずれている。
 
(;゚ー゚)「ツンちゃんに、書かせなかったんですか? 内藤さんの病気を治すように」
 
(´・ω・`)「考えたけどね、それを書かせるとツンは自分の力を自覚してしまうだろう?」
 
 自覚してしまうと、ツンが逃げ出すかもしれない。
 ショボンは、そう考えたのだ。
 
 やはり彼の思考の中心は、世界を操ることにある。
 
(´・ω・`)「内藤がいなくなったのは大きな痛手で、正直これからが不安だった」
 
(´・ω・`)「ただ、今日の様子を見る限り、ツンは昔に比べると随分、従順になったようだ」
 
(´・ω・`)「あれほど簡単に物語を創ってくれるとは思わなかった。実にありがたいことだよ」
 
 ようやくショボンは振り返って、こちらを見た。
 満足げな顔。内藤が永くないことを、もう忘れてしまったかのように。
 
(´・ω・`)「これから、君の働きが重要になる。相応の待遇も与えてるんだ、重責から逃げ出さないようにしてくれ」
 
 その一言だけでまた、ショボンは椅子を戻してパソコンに目を向けた。
 ノートパソコンの左側にあるディスプレイには、ツンの部屋が映し出されている。
 ちょうど、壁に貼られている内藤の絵を見ているところだった。
 
 重責から、逃げ出さないように。
 その言葉の先には、逃げ出したらどうなるか分かっているのか、という一言が隠れていた。

32 ◆azwd/t2EpE:2012/11/25(日) 23:23:08 ID:0PQlAttc0
 失礼します、と告げて部屋を後にする。
 またひとつ、大きな息が漏れた。
 
 重い足取りで部屋に戻る。
 扉を開いて明かりを点けると、すぐベッドに身を投げた。
 毎日シーツを取り替えてくれるらしく、いつも新鮮な温かみに包まれる。
 
 着ていたチュニックを脱いで、楽なTシャツに着替えた。
 いきなりここに住むことになったため、服は持ってきていなかったが、それも注文すればすぐ届けてくれるという。
 できれば一度、部屋に戻りたいが、まだ許可が下りていなかった。
 
 廊下にも部屋にも窓がないため、時間の感覚が上手く掴めず、時計を見てようやく正午であることが分かる。
 今日は、ツンの部屋に三十分ほど居て話をしただけで、もう仕事は終わりだという。
 
 これで、日給三万円。
 一ヶ月、毎日同じように過ごしたとすれば、月に九十万円もの大金を得ることになる。
 
 それほどの価値がある仕事だ、というのは分かっていた。
 しかし、多額の給与を貰うからこそ生まれる恐怖、というものもあるのだ。
 
 あまり食欲はなかったが、壁に据え付けられた端末から、カルボナーラを注文する。
 五分ほどすると、軽快なメロディが部屋に流れて、部屋にベーコン入りのカルボナーラが到着した。
 
 届くのは早いが、決して味は悪くなく、充分に満足できるものだ。
 食費や光熱費など、全て無料で、さらに日給が三万円。
 これほど恵まれた仕事はそうないだろう。
 
 ただしもう、普通の生活には戻れない。
 
 月に数回の外出は許可されるというが、それも絶対ではないらしい。
 親や友人などに、仕事を説明することもできない。
 香椎自身の意思で、仕事を辞めることもできない。
 
 どうなってしまうか分からない不安は、拭えない。
 それでも今は、ショボンに従うしかなかった。
 
 
     ◆
 
 
 研究所に来て、五日が経過した頃には、既にここでの生活にも慣れはじめていた。
 
(´・ω・`)「今日は、今朝発生した殺人事件の犯人を逮捕させる」
 
(*゚ -゚)「横浜の事件ですね」
 
(´・ω・`)「無差別に三人殺して、まだ逃亡中だ。早めに身柄を確保しないと被害が拡大する恐れがある」


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