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続・N男語

335名無しさん:2016/08/03(水) 02:38:36
 翌日、わたしはタクシーで出発した
タクシーの旅は物覚えを悪くさせ、昔話を遠くへ押しやってしまう
浅草のゲーセンも、ビルも、もんじゃ焼きも、寿司も、焼き肉も、喜びも、そして悲しみも、タクシーはみんな忘れさせる
そして、遙かうしろにひろがった昔話は、いつのまにか地平線のむこうに消えてしまうのだ

 わたしは心も体も大きく成長し、寸法のあわなくなった服を捨て去り、学校へ進学し、中退し、配信者となり、そして、ひとりの女性と出会った
しばらくの交際ののち、わたしたちは結婚した。そのときわたしは三十六で、浅草のことはほとんど忘れかけていた

 たわけ丼の提案で、二人の遅れに遅れたハネムーンはその方向にきまった
タクシーの旅は、昔話と同じように、二つの方向にはたらく。何年も昔に置きざりにしてきたものを、タクシーはつぎつぎと目の前にひろげるのだ

 ゲーセンにやってきたのは、その旅行も終わりに近付いたある日のことだった
早朝の四時だったが店は開いていた。客は誰もおらず、殆どの格ゲーは撤去されメダルゲームに代わっていた

 わたしは店内で一人、退屈そうにしている店長に話しかけた。「まだ3rdは置いてあるのですか?」
「あるよ。いくら時代が変わっても、格ゲーだけは残したかったんだ。それにしても、今日は珍しいな」
「どういうことですか?」私は尋ねた
「今から30分ほど前に、一人の少年が3rdをやりにきたんだ。それで、こんな時間に大丈夫かと聞いたら、今日だけは門が開いているから大丈夫だとかなんとか言ったんだよ」
 店長は続けた。「もう、かれこれ何十年も前になるかな。昔ここで、侍の辻斬り事件が起きたんだよ。さっき来た子に似た美少年が被害者で、可哀想になあ。それ以来、うちは客がぱったりなんだよ」

 わたしは息を殺し、凍りついたように立ちつくしていた。いつのまにか、小さな、おびえた、とるに足りぬ子供に返っていた
「ここにいろよ、たわけ丼」わたしはそう言った。なぜ言ったのかは、自分にも分からない
「でも、なぜ?」
「いいから、いてくれ――」

 それからしばらく後、わたしはひとりきりで店内を歩いていた。やがて立ちどまり、3rd筐体に目をとめた。少年が遊んだという筐体だ
その画面に、アーケードモードが半分だけ進んでいるのが見えた。むかし、大貫とわたしが、半分半分遊んだように……

 わたしはそれを見つめた。筐体の椅子に腰掛けると、椅子から激臭が漂ってくることに気づいた
そのとき――わたしは知ったのだ

「残りは俺がクリアしてやるよ」わたしはそう言った

 のろのろと残りのステージをクリアすると、わたしは立ちあがり、踵を返して歩きだした
それがほかのすべてのものと同じように、時間の波に洗われて崩れてしまうのを見たくなかったのだ

 わたしはゲーセンを出た。そこには、何も知らぬたわけ丼が微笑を浮かべて待っていた


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