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ネタリンク03

1WS:2024/10/17(木) 06:03:24
雑多ネタLink集

前スレ
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/computer/648/1650488293/

421WS:2026/01/14(水) 15:14:28
ケムラー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC
初めて電気イスで処刑された人

電気椅子の実務上の詳細を決めたのは、初代State Electrician(電気椅子処刑人をさす)エドウィン・デーヴィスだった。

1890年8月6日の処刑の朝、ケムラーは朝5時に起こされて、白いシャツにネクタイ、スーツを着せられた。朝食とお祈りの後、6時38分、頭髪を剃られ、処刑室に入った。刑務所長が選んだ17人の立会人もいた。ケムラーは椅子に固定されてから、こう言った。「皆さんの幸運を祈ります。私は良い場所を得るだろうと確信しています。準備は出来ています」

立会人たちは、ケムラーは落ち着いていて、叫びもせず、泣きもせず、いかなる抵抗もしなかったと語っている。ケムラーは電気椅子に座ったが、刑務所長チャールズ・ダーストン(Charles Durston)によって立ち上がるよう命令された。2つめの電気導線を通すためスーツに穴を開けるためだった。それが済んで、ケムラーは再び電気椅子に腰掛けた。立会人たちの話では、椅子に縛られ、顔を覆われ、頭に金属の拘束具を取り付けられる時、ケムラーは「のんびり、ちゃんとやってください。私は急いでいませんから」。それに対してダーストンは「さよなら、ウィリアム」と答え、スイッチを入れるよう命令したということである。

発電機は1,000ボルト充電されていた。それで速やかな失神と心停止を与えるに十分だろうと予想されたのである。その電気椅子は事前にテストを済ませていて、前日には馬を感電死させるのに成功していた。

ケムラーは17秒間、電流を流された。立会人たちによれば、肉の焦げる臭いがし、吐き気を催した見物人が数人、部屋から逃げ出したそうである。電流が切られ、ケムラーの死が宣言された。

しかし、立会人はケムラーがまだ呼吸していることに気がついた。主治医のエドワード・チャールズ・スピツカ博士(Edward Charles Spitzka)ならびにチャールズ・F・マクドナルド(Charles F. Macdonald)博士はケムラーの生存を確かめるため、前に進み出た。ケムラーは生きていた。スピツカ博士はこう叫んだ。「電流を戻して、早く。ぐずぐずしないで」

再び電流が流され、ケムラーは2,000ボルトの衝撃を受けた。皮膚下の血管が破裂し、出血し、ケムラーの体は燃えだした。

結局、処刑が完全に終わるまで8分を要した。ウェスティングハウスは後にこうコメントした。「彼らは斧を使うべきだった」。立会っていた記者の1人も「恐ろしい光景だ。絞首刑よりはるかに悪い」と言った。

422WS:2026/01/16(金) 15:53:02
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https://www.youtube.com/watch?v=qkO0-KZ4oZQ

423WS:2026/01/16(金) 16:16:32
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424WS:2026/01/19(月) 15:29:08
ノーベル賞 Nobel Prize
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E
物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で人類に対して大きな貢献をした人物に贈られる賞

1896年12月10日に63歳でノーベルは死去
遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94パーセント、3100万スウェーデン・クローナに及んだ。

ノーベル賞の賞金は、過去幾度も変動してきた。ノーベルは遺産を安全な有価証券にすることを指定しており、このため得られる利子額は長年にわたって低いものであり、賞金もそれに連動して設立当初より相対的に低い額にとどまっていた。こうした状況は1946年にノーベル財団が免税となったことと、1950年代に株式への投資が解禁されたことによって改善され、1990年代には設立当初の賞金レベルを回復した[20]。2001年から現在まで賞金額は1000万スウェーデン・クローナ(約1億円)である。しかしスウェーデンのノーベル財団は2012年6月11日の理事会で、過去10年間にわたって運用益が予想を下回ったことなどを理由として、2012年のノーベル賞受賞者に贈る賞金を2割少ない800万スウェーデン・クローナ(約8900万円)とすることを決めた[38]。2017年900万、2020年1000万、2023年1100万スゥエーデン・クローナ。

日本においては経済学賞以外のノーベル賞の賞金は所得税法第9条第1項第13号ホにあるように、所得税は非課税となっている

AI による概要
アルフレッド・ノーベルが亡くなった当時(1896年頃)の遺産である「3100万スウェーデン・クローナ」は、現在の価値に換算すると、おおよそ200億円以上(16億クローナ相当)に相当すると言われています。


辞退
これまでにノーベル賞の受賞を辞退したのは、以下の通りである。
ジャン=ポール・サルトル(1964年文学賞辞退) - 公的な賞はどれも辞退してきた[46]。
レ・ドゥク・ト(1973年平和賞辞退)- ベトナムにまだ平和が訪れていないからという理由で辞退
ゲルハルト・ドーマク(1939年生理学・医学賞辞退) - ナチス政府の圧力
リヒャルト・クーン(1938年化学賞辞退) - ナチス政府の圧力
アドルフ・ブーテナント(1939年化学賞辞退) - ナチス政府の圧力
ボリス・パステルナーク(1958年文学賞辞退) - ソ連政府の圧力


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