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技術・驚愕・記録

1WS:2011/08/30(火) 00:01:27
世界一とか

2WS:2011/09/07(水) 02:25:44
世界最速の車!音速を超える自動車
http://pub.ne.jp/youtube/?entry_id=1868673

世界一速い車の迫力の走行映像。空気を切り裂き砂煙を上げながら荒野を疾走する姿とそのスピードはまさに衝撃的。自動車まるでミサイルか戦闘機が地を這うように見える。この異様に速い車、スラスト SSC (Thrust SSC, SuperSonic Car) は、イギリスで設計・製作されたジェットエンジン搭載の自動車で、1997年10月15日にアメリカ合衆国ネバダ州で時速1,227.985キロメートル(マッハ1.016)の自動車の速度記録を達成。世界で初めて音速を超える公式記録を残した。

3WS:2011/09/07(水) 02:26:55
世界一の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

世界最古の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

世界初の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%88%9D%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

4WS:2011/09/19(月) 22:57:36
ハイテクのルーツ Burj Al Arab
http://poyoland.jugem.jp/?eid=645

水の層流

噴水、デジタル制御された100万ポンドの傑作。
水のように見えないことすらある。
http://poyoland.img.jugem.jp/20110322_4369630.jpg

噴水の水は普通の水とは動きが違う。
こんな技をさせるためには水の乱れを取り除かねばならない。
層流と呼ばれる非現実的なまでのガラスのような滑らかさが必要。
1930年代高くなったビルの火災に対応するため、消防署はより高く放水する必要があった。
ある技術者が水流の乱れのせいで、空中で流れがとぎれ、距離が伸びないことに気付いた。
消防用ホースの防水を滑らかにする彼の発明が、噴水の秘密。

コーヒーにミルクを入れよく混ぜる。
これをもとにもどせたら?
もとに戻せる液体があるという。
流体力学の専門家、マンチェスター大学トム・マレン教授「色のついた粘り気のあるシロップを透明なシロップに入れてかき混ぜる。
流れを作るためにハンドルを回すとよく混ざる。
しかし反対にゆっくり回すと・・・もとに戻る。」
シロップのように粘り気のある液体は滑らかなので、層流になりやすい。
水のような乱れが生じないため、混ざった塊を元に戻すことができる。
水がこのように動けばコーヒーを分離することも可能。
http://poyoland.img.jugem.jp/20110322_4369632.jpg

水の層流を作るためには層流ノズルを使って乱れを取り除く。
乱流では光が散乱してしまう。
層流はガラスのように滑らか。
層流を作る装置、乱流を流すと水は網を通り、乱れのもととなる泡や渦を取り除き、水を滑らかにする。
乱れのない水の流れはより速く滑らか。
ノズルから層流となり出てくる。
http://poyoland.img.jugem.jp/20110322_4369633.jpg

1930年代アメリカの技術者フォレス・バーカーが水の乱れを取り除けば、より遠くまで届くと気付いた。
彼が設計した新型のホースは内部に金属製の羽を備え、放水時に水の流れを整える。
バーカーの発明のおかげで放水距離が延びた。
滑らかな水は遠くまで届くため、消防士たちは高層ビルの火事にも対応できるようになった。
現在の層流ノズルはバーカーの装置から1歩進んで水のすべての乱れを取り除き、ガラスのように仕上げる。
Burj Al Arabの噴水には66の層流ノズルが組み込まれている。
http://poyoland.img.jugem.jp/20110322_4369644.jpg

5WS:2011/09/21(水) 12:35:38
デッドウェイト
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1219398857
http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/mobile?date=20070401
重り
ハイブリッドは不要な時にはデッドウェイトになる

6WS:2011/09/23(金) 00:08:55
エベレストの山頂に立てるのは年間12日間しかない

エベレスト、エヴェレスト(英: Everest) チョモランマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%99%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88
ヒマラヤ山脈にある山。世界最高峰。
英名エベレストはインド測量局の長官を勤めたジョージ・エベレスト (George Everest) にちなむ。
1920年代からの長きにわたる挑戦の末、1953年に英国隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによって初登頂がなされた。

遭難
登山ルートには、随所に120体もの遭難者の遺体が凍結放置されている。
また、遭難死の7割は下山時に発生している。死亡率は5%前後とされている。

主な登頂者のリスト
1953年5月29日 - (東南稜、世界初登頂) - エドモンド・ヒラリー(ニュージーランド)、テンジン・ノルゲイ・シェルパ
1960年5月24日 - (北東稜、中国側初登頂) - 中華人民共和国の史占春隊の王富洲、屈銀華、貢布が登頂。同隊の登頂成功については長らく西側諸国で疑問がもたれていたが、現在ではほぼ認定されている[6]。
1963年5月22日 - (アメリカ人初登頂、世界初縦走 西稜から南東稜) - トーマス・ホーンバイン、ウィリアム・アンソールド
1970年5月11日 - (日本人初登頂) - 松浦輝夫・植村直己
1973年10月26日 - (秋季初登頂) - 石黒久・加藤保男
1975年5月16日 - (女性世界初登頂) - 田部井淳子
1975年9月24日 - (南西壁初登頂) - ドゥーガル・ハストン、ダグ・スコット
1978年5月8日 - (無酸素初登頂) - ラインホルト・メスナー、ペーター・ハベラー
1980年2月17日 - (冬期初登頂) - クシストフ・ヴィエリツキ、Leszek Cichy
1980年8月20日 - (無酸素単独初登頂) - ラインホルト・メスナー 北面未登ルートから登頂
1988年5月5日 - (世界初山頂衛星生中継) - 日本テレビチョモランマ登山調査隊(同社の開局35周年記念特別番組の取材)
1996年5月10日 - 難波康子 - 七大陸最高峰登頂を達成するが遭難。同日には8名の大量遭難死が発生した。
2003年5月22日 - (最年少登頂者) - 当時15歳の女性ミンキパ・シェルパ。チベット側から登頂。※2002年、ネパール政府は未成年者(16歳未満)のエベレスト登山を禁止している。
2005年5月14日 - (航空機による山頂への初着陸) - ディディエ・デルサーユ(ユーロコプター社所属パイロット)。自身が操縦するヘリコプターが山頂に数分間にわたり着地。同時に航空機による世界最高高度への着陸記録も達成した。
2007年5月22日 - 柳沢勝輔、71歳2ヶ月と2日。
2008年5月8日 - 北京オリンピックの聖火が午前9時17分(日本時間同10時17分)、世界最高峰エベレスト(中国名・チョモランマ)の頂上に到達した。女性登山家の吉吉、世界7大陸の最高峰を制覇した隊長の王勇峰らの手でリレーされ、チベット民族女性のズレンワンモが“最終走者”を務めた。
2008年5月25日 - (最高齢登頂者)- ネパール人ミンバハドゥル・セルチャン、76歳。
2008年5月26日 - 三浦雄一郎、75歳7ヶ月と14日 ギネス・ワールド・レコーズ認定の最高齢登頂者(後にミンバハドゥル・セルチャンに奪還される)。
2010年5月22日 - ジョーダン・ロメロ、13歳(最年少登頂者)。



エベレストは遺体だらけ?
http://questionbox.jp.msn.com/qa5797467.html
死亡直後でない限り、ルート上の目につくところに遺体はほとんどありません。単独なら別ですが、仲間が人目につかないところに移したり、谷に落としたり、クレバスに落としたり、または埋めたりしますので、先に述べた通り、死亡直後でない限り今はめったに遺体には出くわしません。

7WS:2011/09/23(金) 00:13:36
ジョージ・マロリー George Herbert Leigh Mallory 1886年6月18日-1924年6月8日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC
イギリスの登山家。
1920年代にイギリスが国威発揚をかけた三度のエベレスト遠征隊に参加。
1924年6月の第三次遠征において、マロリーはパートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に頂上を目指したが、北東稜の上部、頂上付近で行方不明となった。
マロリーの最期は死後75年にわたって謎につつまれていたが、1999年5月1日に国際探索隊によって遺体が発見された。マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは未だに論議を呼んでいる。
マロリーが「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという逸話は有名だが、本当にマロリーがこのような発言をしたかどうかについては疑義が投げかけられている(後述)。

第三次遠征隊(1924年)
1923年、アメリカ合衆国での講演活動を行ったマロリーは1924年の第三次遠征隊にも参加を要請された。
1922年同様隊長はブルース将軍がつとめ、副隊長にはノートン大佐がえらばれた。
58歳のブルース将軍にとって年齢的にこの山行が最後のチャンスだろうと思われていた。
隊員として経験者のジェフリー・ブルース、ハワード・サマヴィルが選ばれ、さらにベントリー・ビーサム(Bentley Beetham)、E・シェビア(E.O. Shebbeare) 地質学者でもあったノエル・オデール(Noel Odel)、
マロリーと最期を共にしたアンドリュー・アーヴィン(Andrew Irvine)らが選ばれた。
マロリーはジェフリー・ブルースおよびノートン、サマヴィルらと山頂を目指したが失敗し、6月6日, 22歳の若いアンドリュー・アーヴィン一人を連れて第四キャンプを出発、再びノース・コル経由で山頂を目指した。
今回のマロリーは1922年のフィンチ隊の健闘を見て酸素器具に対する認識を改めて、自らも積極的に使うことにしていた。
ノエル・オデールは二人をサポートすべく単身第五キャンプ(7710m)にあがり、6月8日の朝8時すぎに第六キャンプ(8230m)を目指して登り始めた。
オデールは二人がセカンドステップに取り付くところを見たと語った。オデールの証言以外にこれを証明するものはないが、彼らがセカンドステップにたどりついたのかどうかわからないし、
(ファーストステップ周辺には空の酸素ボンベや1933年に見つかったアーヴィンのアイス・アックスがあった)逆に言えばたどりつかなかったという証拠もない。
その後、二人の姿は山中に消えた。

8WS:2011/09/23(金) 01:49:43
75年の後
二人の失踪後、いくつかの遠征隊が遺体を捜し、それによって彼らが山頂にたどりついたのかどうかの決め手を得ようとした。
イギリスも1933年から1939年にかけてさらに四度の遠征隊を派遣しているが、1933年の第四次遠征隊は高度8460m地点でアーヴィンのものと思われるアイス・アックスを発見している。
第二次世界大戦後、多くの国々がエベレスト初登頂の名誉をかけて争ったが、1953年5月29日、イギリス隊のメンバーでニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーがシェルパのテンジン・ノルゲイと共に初登頂を果たし、マロリー以来の悲願が達成された。
マロリーに関する手がかりは意外なところから得られた。1979年、日本偵察隊メンバーだった長谷川良典が協力していた中国人クライマーの王洪宝(Wang Hung-bao)から1975年に高度8100m付近でイギリス人の遺体を見たという証言を得た。
1999年に入ってBBCとアメリカのテレビ局WGBH製作のドキュメンタリーシリーズ「NOVA」が共同で企画したマロリー捜索隊が組織され、
エリック・サイモンスン(Eric Simonson)をリーダーに、山岳史家でマロリーに詳しいヨッヘン・ヘムレブ(Jochen Hemmleb)らをメンバーに加えてエベレストに向かった。
一行の一人コンラッド・アンカー(Conrad Anker)は5月1日に頂上付近の北壁でうつぶせになった古い遺体を発見。状況的に滑落して死んだものと推定した。
一行は初め、漠然とアーヴィンの遺体ではないかと考えたが、所持品からマロリーの遺体であることがわかり仰天した。
ヘムレブは遺品にコダックのカメラ(Vest Pocket Model B)があればマロリーが登頂したか否かという歴史的疑問が解かれると考えたが、なぜかコダックはみつからなかった。
一行はマロリーの遺体を囲んで聖公会式の葬儀を行い、露出していた遺体に土をかけた。

「そこに山があるから」
マロリーの言葉として広く人口に膾炙する「そこに山があるから」(Because it is there.)という言葉は、1923年にニューヨーク・タイムズ紙の記者の問いかけに答えたものだとされるが、本当にマロリーがこう言ったのかどうかはっきりしない。
記事として掲載されたのは1923年10月18日であるが、これはマロリーがアメリカ各地で講演を行ってからしばらく後のことであった。
マロリーは言葉を選びながら多くを語るタイプであり、この短い言葉が彼のものとしてはあまりにぶっきらぼうで、そっけなさ過ぎるとマロリーを知る人々は感じた。
マロリーと共にエベレストを歩き、彼をよく知るハワード・サマヴィルはこの言葉について「少しもジョージ・マロリーらしい匂いがしない」と切り捨てている。

9WS:2011/09/23(金) 01:52:20
ディディエ・デルサーユ
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/3.15nishikawa.htm
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/everesthelicopter1.jpg
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2everest1.jpg
ヘリコプター、エベレスト山頂に着陸
世界最高峰の発着記録

 国際ヘリコプター協会(HAI:Helicopter Association International)の今年の年次大会は本年2月26日から3日間、米テキサス州ダラスで開催された。その会場で、ヘリコプター・メーカーのユーロコプター社が最も力を入れて披露したのは、エベレスト山頂に着陸した世界記録であった。

 この記録は昨年(2005年)5月14日に達成された。ユーロコプター社のテスト・パイロット、ディディエ・デルサーユ氏の操縦するAS350B3ヘリコプターによるもので、会場では一段高いところにその機体が飾られ、その前で国際航空連盟(FAI)から公式記録の認定証がユーロコプター社へ手わたされた。

 記録飛行に使われた機体はAS350小型単発機の普通の量産型。飛行はFAIの規定にしたがって、その監視の下でおこなわれた。着陸地点に2分以上とどまっていることという条件で、そのもようが胴体下面に取りつけたビデオ・カメラに収められた。

10WS:2011/09/23(金) 01:59:55
ヘリコプターは高度3000m以上?は飛べない
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316525703

ヘリコプターはローターで空気を下向きに加速しその反力で上向きの力を得て機体重量を支えていますが、
その大きさはローター径が一定ならば流速の3乗と空気密度に比例しますが、
ローターの回転速度はローターの周速で制限されるので、流速を上げようよしても限界があり、
高度が上がって空気密度が下がるに従い、揚力が低下し機体重量と等しくなるところが上昇限度です。
空気密度の低下で上昇限度が決まるのは固定翼の普通の航空機でも同じで、高速の機体ほど巡航高度は高く取れるし、
長距離国際線の旅客機は燃料を消費し軽くなるに従いできるだけ高度を上げます。

さて、ヘリコプターの運用高度のことを言うなら、 最大運用高度とホバリング限界高度の二つ方が運用上は重要でしょう。

前者は飛行可能な高度、後者はヘリコプターの存在理由である、垂直離着陸やホバリングなどができる限界高度の指標です。
前進飛行による風が利用できない分だけ当然後者の方が低く、高山での人員救出や、物資輸送時の運用限界高度となります。①参照
富士山頂レーダー建設時にはれドームをヘリで空輸したのはNHKのテレビ番組「プロジェクト」で有名ですので、②参照、
それよりはるかに機材の進歩した現在では」4000m級は問題なく運用できるでしょう。
それでも高山での運用はきついのには違いないでしょうが。③参照
運用限界は機体によって違うので必要な機体について検索してください。高高度用のもありますので。

①ベル47 (航空機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB47_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29
上昇限度:4,150m
ホバリング限界高度:3,259m

②富士山レーダー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC
レーダードーム骨格の空輸
アンテナを保護するレドーム(日本での通称:レーダードーム)の骨格は、様態から開発関係者や現場工事関係者らに「鳥籠」とあだ名された。
直径9mの半球状ドーム骨格でパネルを貼ったのちに風速毎秒100メートルの冬の風に耐えられる仕様で、重量620kgであった。
これを現地に搬送する際に、一部を分解して運搬し山頂で組み立てることは難しく、ヘリコプターによる空輸では揚力(富士山頂上空の高度(すなわち空気密度)にてペイロード上限450キログラム)が不足することが骨格完成後に判明し難工事の最後の障害となって立ちふさがった。
最終的には揚力が不足している分だけヘリコプターのドアや座席など取り外して軽くする事と最小限の燃料搭載で対応した。
この時に利用されたヘリコプター(シコルスキー S-62)は、晴天となった1964年8月15日の午前7時55分に富士宮市にある臨時ヘリポートを離陸。
約18分後に骨格設置予定の富士山頂に到着。好天が災いし富士山頂上空は無風でホバーリングに適さず、ヘリコプターの操縦は困難を極めたが「置き逃げ(エスケープ)」と呼ぶマニューバで強行し設置に成功した。
この富士山レーダーを象徴する「鳥籠」はバックミンスター・フラーのジオデシック・ドーム理論に基づき設計されている。


③航空事故調査報告書概要
http://www.eonet.ne.jp/~accident/910804.html

11WS:2011/09/23(金) 02:04:33
ヘリコプターの最高高度記録は12、442m
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/100226.html

アエロスパシアル SA315ラマ
http://military.sakura.ne.jp/aircraft/4_sa315.htm
http://military.sakura.ne.jp/aircraft/photo4/4_sa315.jpg

 1960年代末期にインド軍からの要望に応えて開発された機体で、高温多湿、かつ標高の高い地域 での運用を主眼に置いたものである。アルエットIIの 構造を強化した機体にアルエットIIIのエンジンや ローターシステムを組み合わせている。

 試作型SA315は初飛行直後の1969年に、これまでのヘリコプターが行動したことのない標高 地(標高7,500m)で離着陸できることを証明(乗員2名+貨物120キログラム搭載)しており、 生産型のSA315Bは1972年にヘリコプターの絶対高度記録12,442mを達成している。これ によって高地における運用能力は充分以上のものを持っていることが証明され、また姉妹機であるアルエッ トシリーズの評判にも押される形で順調にセールスを延ばした。

 軽旅客機や作業機、農業機などの民間需要と同時に軍用としてもアルエットシリーズと同様の万能機と して活躍し、インドHAL社やブラジルのヘリプラス社ではライセンス生産も行われた。

機体詳細データ(SA315B)
寸法(L×W×H/ロータ径) 10.26×?×3.09m / 11.02m
機体重量(自重/全備) 1,021kg / 1,950kg(外部吊り下げ過荷重時は2,300kg)
飛行速度(最大/巡航) 120km/h(過荷重(機体総重量2,300kg)時の記録)/不明
上昇率(海面上) 234m/min
上昇限度(実用/限界) 3,000m / 地面効果なしのホバリング限界 1,550m
離着陸距離(離陸/着陸) −−−−−−−
航続距離 不明
エンジン チュルボメカ社製 アルツーストIIIBターボシャフト×1基
出力550hp 機体内燃料搭載量不明
武装 基本的には無し
乗員数/機体初飛行 乗員2名+乗客3名 / 1969年3月17日(原型SA315)
備考(各タイプ詳細) SA315:原型機。標高7,500mでの離着陸実験などにも使用された
SA315B:生産型。1971年にメーカーがラマと愛称を付けた

12WS:2011/09/23(金) 02:13:37
ヘリコプター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC


ヘリコプターの一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7


SA 315 (航空機) SA 315B ラマ(SA 315B Lama)
http://ja.wikipedia.org/wiki/SA_315_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a2/Aerospatiale_SA_315B_Lama_Helicopter_20080814.jpg/800px-Aerospatiale_SA_315B_Lama_Helicopter_20080814.jpg
高温と高地での運用に適合するようにアルエット IIの機体にアルエットIIIの部品を組み込んで開発されたフランスの単発ヘリコプターである。
この機種はインドでチーター(Cheetah)として ライセンス生産された。

運用の歴史
SA 315Bは高高度性能を重要視して設計され、1969年のヒマラヤでのデモンストレーション飛行の最中に2名の搭乗員と120 kgの燃料を搭載して記録された最高高度の7500m (24,605ft)で離着陸をしてみせた。
1972年6月21日には操縦士1名が搭乗して12,440m (40,814ft)というヘリコプターが到達した絶対高度記録を樹立した。

13WS:2011/09/26(月) 04:50:42
宇宙服
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%9C%8D
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/88/Astronaut-EVA.jpg/600px-Astronaut-EVA.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/13/Space_suit.jpg/448px-Space_suit.jpg

宇宙飛行士が宇宙空間で安全に生存するために着用する、生命維持装置を備えた気密服のこと。
宇宙船内で着用する船内服(与圧服)と、船外活動時に着用する船外服に大別される。ここでは、主に船外宇宙服について記述する。

機能
  宇宙服には主に次の機能が要求される。
  気密性と気圧の調整。
  動きやすさ(気圧差によって動きにくくなるので尚更)。
  酸素の供給と二酸化炭素他の除去(呼気を再使用するため)。
  体温の調整、特に冷却(宇宙空間は低温ではあるのだが、宇宙服には宇宙飛行士の体温を逃がす場がなく、また太陽光線も強烈であるから温度は上昇することになる)。
  宇宙塵、デブリなどからの防護。
  外部との通信装置。

 船外活動時、宇宙服内は与圧されているが周囲は真空のため、服がパンパンに膨らみ身動きを取るのはかなり大変な事である。実際、アレクセイ・レオーノフが史上初めて宇宙遊泳を行った際、宇宙服が風船のように膨張したため命綱をたぐり寄せて船内に戻るのが予想以上に困難となり、危うく宇宙船に帰還できないところであった[1]。

 NASAで船外活動に用いられている宇宙服 船外活動ユニット (EMU) は、宇宙服本体と背中に背負う生命維持システム、TVカメラと照明装置からなる。1980年代初めに使われた有人機動ユニット (MMU) は背中に背負うように装着し、窒素ガスの噴出によって宇宙空間での姿勢の制御、移動を可能にするものであったが、大型で実用的ではなかったためすぐに使われなくなった。代わって1990年代からは小型のSAFER (Simplified Aid For EVA Rescue) と呼ばれる緊急時以外は使用しないセルフレスキュー用の装置が開発され、国際宇宙ステーションでの船外活動 (EVA) では装着が義務づけられている。

 NASAのEMUは、運用圧力が0.3 - 0.4気圧 (4.3psi)、重量約120kg、活動時間はおよそ7時間程度(最長8時間)である。ロシアのオーラン宇宙服の方は、約0.4気圧 (5.7psi) とEMUよりも若干圧力が高いため、作業性は劣るが、作業準備(プリブリーズ)時間が短縮できる利点がある。EMUは1人では装着できないのに対して、オーラン宇宙服は背中の扉を開いて中に入るタイプであり1人でも装着できる点も優れている。

14WS:2011/09/26(月) 04:51:22
開発の歴史
 世界初の宇宙服(与圧服)は、1931年にソビエト連邦のエヴゲニー・チェルトフスキーが完成させた「スカファンドル」(скафандр, skafandr) だとされる。
 1965年3月18日に旧ソ連のアレクセイ・レオーノフが、ボスホート2号から世界初の船外活動を行ったが、この時に使われたベールクト宇宙服が初の実用宇宙服である。この宇宙服は、船内与圧服を改良したものであった。ロシアは、1977年12月にサリュート6号での船外活動を始めたが、この時はオーラン宇宙服D型(Orlan-D) が使われた。オーラン宇宙服は、1960年代に月面用宇宙服として開発していたクレチェット (Krechet) 宇宙服をベースに開発された。1985年にはその改良型のオーランDMの使用を開始。1988年からは、宇宙船とのアンビリカル無しで自立しての作業が可能なオーランDMAの使用を開始した。1998年からは、さらに操作性を改善したオーランMの使用を開始。2009年からは、オーランMを改良したオーランMKが使用されるようになった。なお、ロシアの宇宙服は、使用寿命を迎えるとプログレス補給船に搭載して廃棄している。
 アメリカは、1965年6月3日にジェミニ4号で初の船外活動を行った。その後、NASAではアポロ計画用の宇宙服を開発し、スペースシャトル用の宇宙服 (EMU) へと進化した。ジェミニ、アポロ計画での宇宙服は、船内用与圧服と宇宙服を共用していたが、スペースシャトルでは、船内与圧服(オレンジ色のスーツ)と宇宙服 (EMU) を使い分けるようになった。EMUは、国際宇宙ステーションでの船外活動に備えて、低温環境での保温性の強化や、腕の動かしやすさの改善、グローブの改善、SAFERやヘルメットカメラの装着などのを細かな改善を積み重ねた。EMUは、M・L・XLサイズの3種類がある。また延長リングを接続する事で若干の微調整が可能。一方、ロシアのオーラン宇宙服にはサイズは無い。
 SFで見られるような、身体にフィットする圧迫式 (Mechanical counter pressure: MCP) の宇宙服も2007年ごろから研究や試作が進められている(MITのBiosuit HP)。


硬式大気圧型潜水服
大気圧潜水服のように内部が大気圧(1気圧)で活動できる宇宙服も検討されたが、大気圧潜水服は重量が300キロから500キロもあり重すぎるためこのようなタイプの宇宙服は開発されていない。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/88/1162499853_f.jpg

豆知識
 宇宙服についている温度調節などの切り替えスイッチの文字は鏡に映したように、左右逆になっている。宇宙服の中に入った状態では、頭を動かしてスイッチを見ることが出来ないために、腕に取り付けられた手鏡状の金属でスイッチなどを映して操作する際に見やすくなるようにしているのである。
 アメリカのEMU宇宙服は、1着あたり1,000万ドル(約10億5千万円)の費用とのことである[2]。

15WS:2011/09/26(月) 04:52:14
与圧服 Pressure suit / Pressurized suit
http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?%CD%BF%B0%B5%C9%FE
http://www4.plala.or.jp/klesa108/diary/20050821psuit.jpg
U-2パイロット用与圧服

飛行服の一種で、高高度など気圧の低い環境において、乗員を保護するために用いられるもの。

気圧が極端に低くなると、たとえ酸素マスクをつけていても、肺が酸素を吸収するのに必要な圧力を得られず、呼吸が困難になってしまう。
また減圧により、血液中に溶け込んだ窒素などが気泡と化してしまうこと(減圧症)も問題になる。

よく「血液が沸騰する」と言われる場合もあるが、実際には皮膚や血管に覆われているため、怪我のない状態で血液そのものが沸騰することはない。

コックピットやキャビン自体を与圧することで、これらの問題に対応することは充分可能だが、特に軍用機では被弾によって急減圧してしまう危険もありうる。
こうした低圧状態から乗員を守るため、乗員の体を完全な気密状態で覆う服である。

一般に、飛行服は狭いコックピットでも確実な操縦ができるように動きやすさを重視するが、与圧服の場合は気密性が第一に考えられているため分厚く頑丈で、非常に動きづらい。
高高度を飛行する偵察機や、それを迎撃する戦闘機などのパイロットが着ていたが、現代では地対空ミサイルなどの発達により戦闘機自体が高高度まで飛行することは少なくなった。

宇宙開発の初期においては、航空機用の与圧服が宇宙服として流用されることも多かった。

16WS:2011/09/27(火) 22:23:18
垂直離着陸機一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%82%E7%9B%B4%E9%9B%A2%E7%9D%80%E9%99%B8%E6%A9%9F%E4%B8%80%E8%A6%A7

フライングベッドステッド:アポロ月面着陸機の訓練機
Flying Bedstead
http://en.wikipedia.org/wiki/Flying_Bedstead
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b7/Llrv-photo-s.jpg

ロールス・ロイス 推力測定リグ
Rolls-Royce Thrust Measuring Rig
http://en.wikipedia.org/wiki/Rolls-Royce_Thrust_Measuring_Rig
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e2/Rolls-Royce_Thrust_Measuring_Rig_science_museam.jpg/300px-Rolls-Royce_Thrust_Measuring_Rig_science_museam.jpg

かかみがはら航空宇宙科学博物館
STOL/VTOL実験機・研究機
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/museum/tenji/img/stolvtol05_01.jpg
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/museum/tenji/stolvtol.html#05
VTOLフライング・テストベッド 
NAL- VTOL Flying Test Bed
垂直離着陸機(VTOL)研究のために、科学技術庁航空宇宙技術研究所で開発された実験機です。国産のJR100エンジンを垂直に2基取付け、下向きに噴出するジェット推力で浮き上がる、リフト・ジェット形式となっています。
本機の初浮上は、1970年(昭和45年)12月15日、宮城県にある航空宇宙技術研究所角田支所で行われました。

17WS:2011/10/07(金) 21:11:09
溶融塩原子炉(英: molten salt reactor, MSR)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%B6%E8%9E%8D%E5%A1%A9%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fb/Msr.gif

溶融塩を一次冷却材として使用する原子炉である。
多数の設計が行われたがそのうち少数が建設された。第4世代原子炉としてのひとつの概念である。
フッ化ウラン(IV) (UF4) など溶融状態のフッ化物塩を一次冷却剤としてそこへ核分裂物質を混合させ、黒鉛を減速材とした炉心に低圧で送り臨界に到達させる。
高温の溶融塩は炉心の外へ循環させ二次冷却材と熱を交換させる。燃料の設計はさまざまである。
液体燃料原子炉特有の複雑な問題の発生を回避するため、溶融塩内に核分裂生成物を含まない構造の新型高温原子炉(AHTR)も設計されている。

現在の溶融塩原子炉開発
インド、中国ではレアアース鉱石の精錬に伴って発生する副産物であるトリウムを溶融塩に溶かして燃料として使用する溶融塩原子炉の計画が進められている。
計画は、天然ウランからプルトニウムを生産する段階を達成し、現在、高速増殖炉でプルトニウムを燃焼しつつ、トリウムをウラン233に転換する段階に入っている。
着火剤は、ウラン原発の廃棄物でもあるプルトニウムを利用する。


原子力飛行機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ab/NB-36H_with_B-50%2C_1955_-_DF-SC-83-09332.jpeg/750px-NB-36H_with_B-50%2C_1955_-_DF-SC-83-09332.jpeg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/34/Pluto1955_b.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/M-50.jpg
冷戦下の核兵器運搬手段として、主にアメリカ合衆国とソビエト連邦で一時真剣に開発が検討された。
原子力潜水艦と同様に、超長時間滞空を可能にするものと期待された反面、本来軽量を求められる航空機と放射線遮蔽体の重さは相容れず、乗員の被曝、大気汚染、万一の墜落時の放射能拡散など、課題は山積していた。

原子力を動力源として用いる航空機である。
船舶、鉄道など様々な交通機関で原子力推進が研究されていた1950年代に着手され、幾つかは試作もされたが、問題が余りに多く実用化されずに終息した。

アメリカ
本格的に原子力動力を搭載するX-6 計画でも、B-36改造機を用いる計画であった。
機内にP-1 小型原子炉を搭載し、取り出した熱で J47改造のX39原子力ターボジェットエンジン4基を駆動し推進するものである。
熱交換には金属ナトリウムによる間接冷却法(高速増殖炉でも用いられる)が当初検討されたが、技術上・重量上の問題から、大気による直接冷却法が次善策として浮上した。
これは吸入した大気を炉心に導入し、熱膨張させ噴流として推進する計画だったが、放射能汚染が発生するなど余りに危険なため机上案のみで放棄された。

ソビエト連邦
ソ連も原子力飛行機を開発しており、改造Tu-95ターボプロップ戦略爆撃機に小型原子炉を搭載したTu-119で試験していた。
Tu-119は、原型のTu-95の搭載エンジンであるクズネツォフNK-12とは別に、クズネツォフNK-14原子力エンジンを搭載していた。
実際に飛行中に原子炉を稼動させ、1965年に初飛行したといわれている。
一部情報によれば48時間連続して原子炉を稼動させることに成功したとされ、乗員は被曝せず生還できたというが、実際にはその大半が数年のうちに亡くなったようである。
西側では一時、ミヤシチョフ設計局の試作超音速戦略爆撃機M-50を”ソ連の原子力飛行機”とする誤報が流布した。
ソ連側も、実際には亜音速機だったM-50を1961年7月のツシノ航空ショーで公開し、西側関係者に対して喧伝した。
そのためM-50に「バウンダー」(ごろつき・無法者)というNATOコードネームが命名され、ソ連の航空技術に対する過大評価と脅威を与える事に成功した。
アメリカ同様に、ソ連でも原子力飛行機は実用化されなかった。

フッ化ウラン(IV)

18WS:2011/10/07(金) 21:18:51
Tu-119
http://ja.wikipedia.org/wiki/Tu-119_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
ソ連の航空機設計機関であるツポレフ設計局がTu-95ターボプロップ爆撃機のエンジンを原子力推進にすることが可能か否かを試験するために改造された実験機である。
別名をTu-95LALともいう。

1950年代から60年代にかけて、世界各国であらゆる分野で原子力の利用が研究されていたが、ソ連においても原子力推進航空機の研究が進められた。
Tu-119は、その原型となったTu-95の搭載エンジンであるクズネツォフ NK-12とは別に、クズネツォフ NK-14原子力駆動エンジンを搭載していた。
これは実際の飛行には使用されていなかったが、飛行中に稼動させており、1965年に初飛行したとされている。
真偽は不明であるが、一部情報では48時間連続の飛行に成功したとされ、飛行中も操縦乗員は原子炉からの放射線から生存できたという。
この情報によれば胴体後部に備えられた原子炉による動力で2基[1]が稼動しており、乗員2名はソ連航空機生産省とソ連空軍から担当していた。
ただしアメリカのような放射能防護シールドがなかったため、実験に参加した乗員12名のうち大半が数年のうちに死亡し、1990年代まで生存していたのはわずか3名だったという。
西側の情報筋はソ連が原子力推進航空機の試験に成功したとの憶測を流したが、どのような事情があったかは不明であるものの実用化されなかったのは間違いないといえる。

19WS:2011/10/11(火) 09:22:59
レアメタル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%AB

希土類元素 レア・アース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E5%9C%9F%E9%A1%9E%E5%85%83%E7%B4%A0

20WS:2011/11/29(火) 02:47:26
バブルの遺産
http://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/c/8caca0927e38d5d37fd3eb9b75021651
バブル建築

旧ユートピア加賀の郷「密教禅大本山豊星寺」
http://japandeep.info/2011/04/01/120000.html

バブル建築へGO!
http://www.amazon.co.jp/dp/4767806445

21WS:2011/11/29(火) 08:30:35
【世界面白食文化】現地ではご馳走、他の国ではあらやだ仰天な25の食べ物
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52051454.html

22WS:2011/11/29(火) 08:37:21
端島 (長崎県)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E5%B3%B6_%28%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%29
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/Nagasaki_Hashima_01.png/800px-Nagasaki_Hashima_01.png
端島(はしま)とは、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、閉山とともに島民が島を離れたため、現在は無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。

モノクローム写真で見る、軍艦島廃墟(長崎県端島)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51629823.html

岩礁の海上都市「軍艦島(端島)」のモノクローム画像 Part2
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52051200.html

23WS:2011/11/29(火) 22:11:22
マジック・ランタン
http://cinema-magazine.com/new_tokubetsu/zyousetsu/history.htm
http://cinema-magazine.com/new_tokubetsu/zyousetsu/zyosetsugazo/lantern.jpg
「映写機」の原点が生まれる。
透明の紙に描かれた絵を、ランタンの火で照らして白いスクリーンに投影する仕掛けである。
当時ヨーロッパでは、興行師がマジック・ランタンを背中にしょって、国中を巡回し,子供たちに夢を与えていた。

17世紀〜18世紀

24WS:2011/11/29(火) 22:28:22
シネマの歴史(16ミリ機材類)
http://www.eonet.ne.jp/~itoh-av/page020.html

25WS:2011/11/30(水) 04:00:27
車輪付きローラー甲冑
http://www.j-tokkyo.com/2007/11/16/4795.html
http://www.j-tokkyo.com/wp-content/uploads/2007/11/image0109.jpg

26WS:2011/11/30(水) 04:02:05
タイヤを使ったファンタジーに出てきそうな甲冑や馬などのアート
http://labaq.com/archives/50943430.html
http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/0/0/00f2f236.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/b/9/b929a350-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/2/7/27edff3e-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/3/6/36d80c2c-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/2/2/22ea4dfe-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/8/a/8a6fc277-s.jpg

27WS:2011/12/04(日) 17:56:15
フェリックス・バウムガートナーが成層圏から決死のフリーフォールに挑む
http://www.redbull.jp/cs/Satellite/ja_JP/Article/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%8C%E6%88%90%E5%B1%A4%E5%9C%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B1%BA%E6%AD%BB%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AB%E6%8C%91%E3%82%80-021242810803499

28WS:2011/12/04(日) 17:57:12
鳥だ!飛行機だ!と思ったら人間だった!!
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51245877.html
http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/e/7/e77d4427.jpg

 今までにも空を自由に飛びたい人々の飽くなき挑戦シーンを取り上げてはきたのだけれど、オーストラリアにお住まいのフェリクス・バウムガートナーさんの場合には、背中にジェットエンジン付の翼を装着して大空から舞い降りたみたいだよ。

 ちなみに最高時速は220マイル(約354キロ)だそうで、三半規管が四の五の言っている場合だと思うんだ。

29WS:2012/01/01(日) 18:26:49
日本刀
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%80
日本固有の製造法によって作られた刀剣が、日本で独自の発展を遂げた刀剣類の総称。
刀剣類は、日本では古墳時代から作られていたが、一般に日本刀と呼ばれるものは、平安時代末期に出現してそれ以降主流となった湾曲した刀のことを指す。
寸法により刀(太刀・打刀)、脇差(脇指)、短刀に分類される。広義には、長巻、薙刀、剣、槍なども含まれる。
著名な刀で、日本国国宝「大包平」、妖刀「村正」、「雷切」、豊臣秀吉の愛刀「一期一振」、佐々木小次郎の愛刀「備前長船長光」、「天下五剣」と称される5つの名刀(国宝「童子切」、「三日月宗近」、「大典太」、重要文化財「数珠丸」、御物「鬼丸国綱」)などがある。

日本刀一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%80%E4%B8%80%E8%A6%A7

30WS:2012/01/12(木) 00:24:04
diving helmets: Carmagnolle Diving Suit
ttp://www.oobject.com/diving-helmets/carmagnolle-diving-suit/667/
ttp://www.wists.com/thumbnails/1/35/1354ec0efb0afdd1edfe4f5227876622-orig

The DDH-Carmagnolle diving helmet.
ttp://www.divingheritage.com/armoredkern2c.htm
ttp://www.divingheritage.com/images/Carmagnolle_001.jpg
ttp://www.divingheritage.com/images/Carmagnolle_003.jpg
ttp://www.divingheritage.com/images/Carmagnolle_006.jpg
ttp://www.divingheritage.com/images/Carmagnolle_008.jpg

31WS:2012/01/12(木) 00:26:47
ヘルメット潜水
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E6%BD%9C%E6%B0%B4
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/Divers_-_Illustrated_London_News_Feb_6_1873-2.PNG/481px-Divers_-_Illustrated_London_News_Feb_6_1873-2.PNG

送気式潜水の一種で、ゴム引き帆布などの防水素材で作られた潜水服と、ガラス窓のついた金属(主に真鍮)製のヘルメットを使用し、水上からホースでヘルメットに空気を供給する潜水方法である。
1950年代にスクーバが普及し始めるまではほぼ唯一の実用的な潜水方法であったため、水中土木作業や軍事用など作業潜水の分野のほか、漁業用としても広く一般に使用されてきた。そのため「潜水服」という単語でヘルメット潜水の装備一式を指し示す場合もある。
しかし、1900年前後に基本的なシステムが確立されて以来全体としてはほとんど改良されていない古いシステムであることから、ダイバーには非常な熟練と体力が要求され、安全性についてもけっして高いとはいえない。
また、装備の重量だけでも80 - 90kgに達するうえ空気供給ホースなどで行動が制約されるため、機動性もきわめて低いといえる。
そのため、現在では機動性の高いスクーバや近代的な送気式潜水に急速に取って代わられつつある。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Training_with_a_Atmospheric_Dive_Suit.jpg/398px-Training_with_a_Atmospheric_Dive_Suit.jpg
ヘルメットを除く服がゴムや布のように変形しやすい材料で出来ているものを軟式潜水服と言い、関節は可動であるが全体として金属のように変形しない(しにくい)材料で出来ているものを硬式潜水服と言う。
軟式潜水服であれば水圧が服を通してかかるために浮上前に減圧の必要があるが、硬式潜水服であれば理想的には外部の水圧を受けないので、ダイバーにとって大きな負担となる減圧の必要はなくなる。
硬式潜水服の中でも大気圧潜水服 (Atmospheric diving suit) と呼ばれる物では内部は完全な水密構造になっており、水圧の影響を受けずに常に大気圧に保たれており、実質的には服というよりも作業用の手足がついた1人乗りの小型潜水艦とも言うべき物になっている。
手足の動きが制限されるため、移動するために泳ぐことが困難であるため、背部などに移動用のモーターとスクリューを持っていることが多い。
他の潜水方式では不可能な大深度への潜水も可能で実験レベルでは深度千メートルの潜水に成功し、深度540mでの潜水作業記録がある、量産品でもカナダのNEWT SUITは300メートル以上の潜水作業が可能である。
大気圧潜水服は極めて高価で精密な機械であるため生産数は少ない。

32WS:2012/01/12(木) 14:19:28
スカイロン
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51984854.html
http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/7/37fdde7b.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/e/3/e3c3e358.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/9/d/9d050601.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/8/1/810f8091.jpg

33WS:2012/02/09(木) 05:11:30
ウイングスーツ (Wingsuit)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%84
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/df/Wingsuit-01.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=n0JhBYz8ErQ
1990年中頃にフランス人スカイダイバーパトリック・デ・ガヤルドンによって考案された、手と足の間に布を張った滑空用特殊ジャンプスーツである[1]。「フライングスーツ」とも呼ばれる。
1999年にはフィンランドのBIRDMAN社から世界初の市販ウイングスーツが発売された[2]。“Birdmanスーツ” や “ムササビスーツ” と呼ばれることもある。また飛行機の翼のようなタイプは「ウイングパック」 (WINGPACK) と呼ばれ、カーボンファイバーなどで出来た硬い翼を身に着けて滑空する。
ウイングスーツで飛ぶことを、“ウイングスーツフライング” または “スカイフライング” と呼び、ウイングスーツで飛ぶ人のことを、“ウイングスーツ・パイロット”、“ウイングスーター”、“スカイフライヤー” と呼ぶ。

スカイダイビングのように飛行機やヘリコプターにより上空からや、高い崖からの “ベースジャンピング” により飛び降り滑空する。空気抵抗を増やすだけでなく、揚力も発生するようになっている。
翼タイプの「ウイングパック」ではジェットエンジンなどの推進器を付けるなどして速度、飛行時間を増大させている。また軍事目的としても開発されている。
どちらのタイプも最終的にはパラシュートにより減速して着地する。またパラシュートを使用しない方法も考案されているが、実用化は困難である。

2011年5月28日、米国カルフォルニア州にて、伊藤慎一がウイングスーツ世界最長飛行の自己記録を更新。高度32,000ft (9,754m) から降下し、23.1kmを時間5分22秒で飛行した。
同時に、ウイングスーツでの最高水平速度世界記録363km/hも達成する。

ムササビの様に滑空できるウイングスーツ
http://gigazine.net/news/20060919_wingsuit/

34WS:2012/02/18(土) 00:46:36
スペースデブリを回収する衛星をスイスが打ち上げへ
http://gigazine.net/news/20120217-satellite-clean-up-space/

NASAでは直径10cm以上のデブリを監視していますが、1万6000個以上にものぼっています。

スイスのEPFLが計画しているのがスペースデブリを回収する衛星、「CleanSpace One」
CleanSpace Oneの先端にはベルトのようなものが四方に伸びています。
これがにゅーんとデブリに向かって伸びていき……
がっちりと抱え込みます。
そして、デブリを抱いて大気圏に突入し、デブリごと燃え尽きるというわけ。

35WS:2012/03/06(火) 17:33:10
お米の保存に使い捨てカイロ
http://www.ota-ya.jp/komekome/hozon/hozon3.html
http://www.ota-ya.jp/komekome/gazou/pack.jpg

 KOMEKOME clube がお勧めする、究極の保存とは、お米を空気に触れさせないという事です。 つまりお米を酸化させないでパッキングする事です。真空パックするのが一番良い方法ですが、 一般の家庭では、なかなか難しい事でしょう。最近では、注射器のような器具で、 真空状態にする容器も販売されていますが、もっと手軽にできる方法のヒントをお教えしましょう。

●使い捨てカイロ

 何処ででも販売されている「使い捨てカイロ」を使用します。使い捨てカイロは、空気中の酸素と結びついて化学反応するときに出る熱で、 暖かくなる仕組みになっています。これを利用して、容器の中にカイロを入れれば、空気中の酸素はカイロの薬剤と酸化して、無くなってしまいます。 つまり、密封した容器にお米と使い捨てカイロを入れれば、カイロが酸素を吸って、お米の酸化を防げます。

●使用例

 一斗缶(大きいクッキーなどの空き缶でも可)などを用意して、お米と使い捨てカイロを入れ、缶と蓋を粘着テープ等で、 外から空気が進入しないように止めればOKです。後は、温度の低い場所に保管しておけば、完璧でしょう。
 ビニールを閉じるパッカーをお持ちでしたら、穴の開いていないビニール袋で、簡単にパッキングできます。

 
ビニール袋で、パックした例。ほぼ真空状態になっています。
●使用の目安

○お米10kgに対して、使い捨てカイロ1〜2個

 上記のようにパッキングして、冷暗所に保管すれば、一夏過ぎてもお米はいたまないし、おまけに酸素が無いので、虫も涌きません。
 お米を食べきれないほど貰ったら、ぜひ試してみて下さい。

36WS:2012/03/14(水) 22:24:53
パンテオン(Pantheon)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8b/Pantheon_Front.jpg/800px-Pantheon_Front.jpg
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/Pantheon_opeion.jpg/450px-Pantheon_opeion.jpg
ローマ市内のパラティヌスの丘に建造された神殿。元々は、様々なローマ神を奉る万神殿であった。

最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。ローマ市内の建築物についてアウグストゥスとアグリッパは明確な役割分担を持っており、アグリッパが建造した神殿はこのパンテオンのみである。このため、パンテオンは元々アウグストゥスを奉ることを予定していたが、市民の反発を避けるため、万神殿に変更されたとの説もある。このパンテオンは、後に火事で焼失している。

2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された。現在、ローマで見ることが出来るのはこの再建されたパンテオンであるが、正面にはアグリッパに敬意を表し M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)と記されている。

建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。

床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、頂上部分にはオクルス(oculus, ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための開口部 があり、ドームの質量を感じさせない。また、オクルスは、もともとネロが建築した黄金宮殿ドムス・アウレアの影響を受けて建築されている。それまで一般の住居であるドムスの天窓を、円形で建築することは非常に困難であった。しかし無数のアーチをつなぎ合わせるように建築することで、この円形のオクルスを完成することができたのである。

ローマ神が信じられなくなったあとも、この象徴的な空間性によって、608年頃にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れた。建物自体が非常に改築されにくいものだったので、この荘厳な空間は、今日でも見ることが出来る。ラファエロの墓もここにある。



ローマのパンテオンの外観。現在も鉄筋などの補強のないものとしては、世界最大のコンクリート製ドームである
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pantheon_dome.jpg

ローマ帝国でのローマン・コンクリート (Opus caementicium) は、生石灰、ポゾラン(「ポッツオーリの土」と呼ばれる火山灰)、骨材としての軽石から作られていた。ローマ建築に広く使われて建築史上の画期をなし、石やレンガに制限されない自由で斬新な設計の建築が可能となった。

古代ローマ人にとってコンクリートは新たな革命的な材料だった。アーチやヴォールトやドームの形状にすると素早く固まって剛体になり、石やレンガで同様な構造を作ったときに問題となる内部の圧縮や引っ張りを気にする必要がなかった。

ローマ建築ではコンクリートが多用されたため、今日も多くの建築物が残っている。ローマのカラカラ浴場などは、コンクリートの耐用寿命の長さを示している。古代ローマ人はローマ帝国中に同様のコンクリート建築を建設した。ローマ水道やローマ橋の多くは、コンクリートの構造を石で覆っており、同様の技法はコンクリート製ドームのあるパンテオンでも使われている。

37WS:2012/04/24(火) 22:01:51
LNGタンカー一隻で核爆弾55発分の爆発力がある。

38WS:2012/04/26(木) 07:29:45
スタティック・ディスチャージャ (Static discharger)
放電索(ほうでんさく)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E9%9B%BB%E7%B4%A2
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/Wingletdetail.jpg/800px-Wingletdetail.jpg
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3c/Static_discharger.JPG/800px-Static_discharger.JPG
飛行機に取り付けられ、飛行中機体に蓄積する静電気の電荷を空中へ放電する装置である。

飛行中の機体表面は空気分子や水滴、塵などとの衝突や摩擦により帯電する(静電気参照)。この電荷はそのままだと蓄積限度を超えた際に翼端部などの先が尖った部分から空気中にコロナ放電されるが、放電に際して電磁波が発生するため無線通信機器などの電子機器に障害を引き起こす、またはその危険がある。取り付け位置や数量を考慮してこの放電索を装備することで、より低い電圧での放電や発生する電場を意図的に制御でき、これにより電磁波障害を防止または軽減する。機体への落雷による電荷もここから放電する。

気象条件によっては放電索を備えていても機体表面の電位差を持つ部分にコロナ放電が発生する。操縦席風防などにも発生し、青白い光(セントエルモの火)として観察される。

回転翼機には放電索の採用例は少ない。人命救助などで、ヘリコプターから垂下したケーブルやフックに地上員が触れると放電(感電)する場合があることが知られている。

39WS:2012/04/26(木) 07:36:30
マイクロバースト
ダウンバースト(Downburst)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Microburstnasa.JPG/250px-Microburstnasa.JPG
気象現象の一つで、局地的・短時間に上空から吹く極端に強い下降気流である。下降噴流(かこうふんりゅう)ともいう。
1974年に気象学者藤田哲也によって発見された。

航空機への影響
離着陸を行っている航空機にとって、このダウンバーストは墜落に直結する現象である。これは特に失速速度に近い速度で飛ぶ、機体姿勢の不安定な着陸時に強い下降流によって地面に機体が押されるためである。またダウンバーストと同時に起きる現象としてウインドシアがある。これはダウンバースト中心から下降流が地面に吹き付けるが、この下降流は地面に跳ね返されて乱気流となりダウンバースト中心から放射状に風向が変わる。つまり低高度で急激に風向が変わるのである。

例えば着陸進入時に滑走路手前でダウンバーストが発生していたとすると、最初は強い向かい風が吹くために機体が浮き上がる。これに対してエンジン出力を絞るなどしてパイロットは着陸進入を続けるが、ダウンバースト(マイクロバースト)中心付近を通過すると一挙に機体が地面に向かって押された後で、今度は機体に対して強烈な追い風が吹く。このためエンジン出力を増して対気速度を上げる必要に迫られるが、民間機用のジェットエンジンはレシプロエンジンと違いパイロットの操作から出力上昇まで数秒のタイムラグがある。従って着陸時は元々失速速度までの余裕が少ないために、あっという間に失速に陥ってしまい低高度のため回復させる余裕もなく墜落してしまうことがある。墜落に至らなくても、ほとんど墜落に近いかなりの衝撃を伴ったハードランディングとなる。

このような事故が1970年代から80年代に特に民間航空機の就航本数の多いアメリカ合衆国で多発した。そのため、近年では空港に気象用ドップラー・レーダーを設置し、その発生を検知・予測し、墜落事故の防止を行う研究が進んでいる。また、航空機側でもウインドシアに対する対策は進められており、A320等ではウインドシアを感知した場合、警告を発すると共に自動的にゴーアラウンドに入って回避するプログラムが作動するようになっている。

アメリカ合衆国におけるダウンバーストが原因となった航空事故としては、
 イースタン航空66便着陸失敗事故(1975年6月24日)
 パンアメリカン航空759便墜落事故(en)(1982年7月9日)
 デルタ航空191便墜落事故(1985年8月2日)
などが挙げられる。

なお、日本でも旧日本エアシステム(JAS 現在はJALと合併)機が1993年に花巻空港でウインドシアを大きな要因とした着陸失敗事故(→日本エアシステム451便着陸失敗事故)を起こしている。

40WS:2012/04/26(木) 07:51:23
共同溝
ttp://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/09about/chika/question.htm

世界ではじめての共同溝が登場したのは、フランスの首都パリです。
1832年にコレラが大流行したパリでは、翌年からコレラの原因となった下水処理対策として、全ての公道の地下に下水管を張り巡らせる計画をスタートしました。その中には、下水管だけではなく、電話ケーブルや圧縮空気管、交通信号ケーブルなど、都市を支える重要なライフラインがおさめられ、パリの発展を支えました。

41WS:2012/06/29(金) 13:39:09
ペルティエ素子(ペルティエそし、Peltier device)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E7%B4%A0%E5%AD%90
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/88/Peltierelement_16x16.jpg/800px-Peltierelement_16x16.jpg
電子部品のひとつで、熱電素子の一種である。
サーモ・モジュールとも呼ばれる。ペルチエ素子、ペルチェ素子と表記することもある。
名前の由来は、その原理を発見した物理学者、ジャン=シャルル・ペルティエに因んだもの。

2種類の金属の接合部に電流を流すと、片方の金属からもう片方へ熱が移動するというペルティエ効果(Peltier effect)を利用した板状の半導体素子。直流電流を流すと、一方の面が吸熱し、反対面に発熱が起こる。電流の極性を逆転させると、その関係が反転し高精度の温度制御に適している。また温度制御が可能なばかりでなく、温度差を与えることで電圧を生じさせることもできる。(ゼーベック効果)

各種の冷却装置に使用されている。家庭用の電気冷蔵庫やエアコンに使用されるヒートポンプ方式の冷却方法と比較して、冷却効率は劣るが、一方で装置の体積が小さく装置の小型化が容易というメリットがあり、騒音・振動を発生しないことなどから、コンピュータのCPU冷却、車などに乗せる小型冷温庫、医療用冷却装置などに使用されている。

42WS:2012/06/29(金) 13:40:05
スターリング方式冷凍機
ttp://fpsc.twinbird.jp/about_fpsc.html
「FPSC」(フリーピストン・スターリング方式冷凍機)は、ツインバード工業が、2002年に世界に先駆けて量産に成功した冷却システムです。
FPSCは、冷媒として少量のヘリウムガスを用いた、環境にやさしい完全脱フロンの冷却システムで、ステンレス製のケーシング内部にはシリンダーが据え付けられ、その内側を2つのピストンが自由に往復運動することでフリーピストン方式と呼ばれ、ヘリウムガスの圧縮・膨張が繰り返されることにより、突起している筒の先端部(吸熱部)が冷却されます。
この吸熱部に熱交換器を取り付けることにより、冷却対象物を冷やすことができます。 吸熱部温度は、周囲温度25℃環境において熱交換器等を取り付けない無負荷の状態では、数分間で-100℃に到達します。具体的には下記の動作原理を参照ください。
弊社では、この方式の冷却モジュールを、これまで全世界の理化学・ライフサイエンス分野に提供してまいりました。さらに技術を極低温冷凍機(クライオクーラー)も開発しました。

43WS:2012/07/09(月) 07:43:16
ハイテクのルーツ3 地震に強い橋 Earthquake Bridge
ttp://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmepisode/index/prgm_cd/571
ゆるい地盤に大量のパイプを打ち込む事で、稲系植物の根と同じ効果を生み、地盤が安定する。

リオン・アンティリオン橋
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%A9%8B
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Dsc06226_rio_antirio_bridge_monniaux.jpg/800px-Dsc06226_rio_antirio_bridge_monniaux.jpg
橋の建設にはいくつかの技術的問題をクリアする必要があった。深海部への橋脚の固定、地震および津波への対策、プレート運動によるコリンティアコス湾の変化などである。

この橋には、建設地の地理的特性により必要となった幾つかの特徴がある。深度65メートルに達する海底は軟弱な地盤からなり、微小地震が頻発していた。コリンティアコス湾は毎年30mm延びていることも考慮に入れる必要があった。橋脚は地盤に埋めるのではなく、海水面と平行に海底に敷き詰めた砂利の上に置かれた。地震が発生した際には橋脚が平行移動し、砂利がエネルギーを吸収する。橋脚とデッキ部はジャッキと緩衝器を介して固定され、橋脚間の地盤変化に対応できるようになっている。

44WS:2012/07/09(月) 08:18:14
カルマン渦
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E6%B8%A6
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Vortex-street-animation.gif
流れのなかに障害物を置いたとき、または流体中で固体を動かしたときにその後方に交互にできる渦の列のことをいう。
ハンガリー人の流体力学者セオドア・フォン・カルマンに因んでいる。

発生する渦の数が流速(流量)に比例するので、この原理を用いた流量計が工業分野で用いられている。自動車のエンジンを電子制御する際に、吸入空気量を常に測定する必要があるが、流路に障害物を置きその後ろに発生するカルマン渦の数を超音波で計測する方式が日本車へ採用された事例がある。

タコマ橋崩壊との関連
崩壊するタコマ橋
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/46/Tacoma_Narrows_Bridge_Falling.png
アメリカ合衆国で起きたタコマナローズ橋崩壊事故の原因はカルマン渦の発生メカニズムと同一である。横風の中、剥離の発生しやすいH型断面の橋梁に、カルマン渦を生じるような不安定な剥離が起こり上下に橋が振動、共振し崩壊に至った。この事故後に建設された橋では剥離を抑えるよう流線型に近い断面形状を採用するなどの対策がなされた。余談だが、この事故の調査委員会にはカルマン自らも参加していた。



フェニカルストレイプ
空気力学者、スクルートン博士が考案
リオン・アンティリオン橋や英国の煙突などに見られる、円筒状の構造に撒かれた螺旋状板。
カルマン渦を抑え、橋が風による振動で倒壊するのを防ぐ。

45WS:2012/08/19(日) 14:10:55
飛行機機内のテレビをiPadに変更すると、機体が7%軽くなる
ttp://www.gizmodo.jp/2012/06/ipad_airline_tv.html
飛行機の各シートに取り付けられているあのテレビと関連するケーブルを全てとっぱらって、iPadに変更したらどうなるか? なんと、機体が7%も軽くなることが判明。
iPadの中には、機内で楽しむことができる映画や音楽、テレビ番組等がすでにダウンロードされているという仕組み。レンタル料は17ドル(約1300円)
テレビ関連の機材だけで飛行機1台につき、2トン以上もあった

46WS:2012/09/03(月) 16:59:28
鉄(旧字体/繁体字表記:鐵、英: iron、羅: ferrum)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84#.E9.89.84.E5.88.A9.E7.94.A8.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ad/Iron_electrolytic_and_1cm3_cube.jpg/800px-Iron_electrolytic_and_1cm3_cube.jpg
原子番号26の元素。元素記号は Fe。金属元素の一つで、遷移元素である。

元素記号の Fe は、ラテン語での名称「ferrum」に由来する。
日本語では、鈍い黒さから「くろがね(黒鉄、黒い金属)」と呼ばれていた。
道具の材料として、人類にとって最も身近な金属元素の1つで、様々な器具や構造物に使われる。鉄を最初に使い始めたのはヒッタイトである。ヒッタイト以前の紀元前18世紀ごろ、すでに製鉄技術があったことが発掘された鉄によって明らかになっている。鉄器時代以降、鉄は最も重要な金属の1つであり、産業革命以降、益々その重要性は増した。鉄は、炭素などの合金元素の存在により、より硬い鋼となる。

安価で比較的加工しやすく、入手しやすい金属であるため、人類にとって最も利用価値のある金属元素である。特に産業革命以後は産業の中核をなす材料であり、「産業の米」などとも呼ばれ、「鉄は国家なり」と呼ばれる程、鉄鋼の生産量は国力の指標ともなった。この為、鉄鋼産業には政府の桿入れも大きく、第二次世界大戦後の世界的な経済発展にも大きく影響している。現在においても工業生産されている金属の大半は鉄鋼であり、鉄を含まない金属は非鉄金属と呼ばれる。

大規模な鉄鉱床は、光合成により酸素単体が大量に発生したことにより、海水中に溶存しイオン化していた鉄が、酸化鉄として沈殿したことにより産み出されたと言われている。

西洋占星術や錬金術などの神秘主義哲学では、軍神マルスと関連づけられ、その星である火星を象徴する。これは、古くから鉄が武器の材料として利用された事や、鉄錆がくすんだ血のような色である事に由来すると思われる。また、妖精は冷たい鉄を嫌うという伝説があり、ファンタジー小説において魔法的なものとの相性が悪いとされる。

日本では第二次世界大戦中に「夢の製鉄法」と呼ぶ騒動があった。ある発明家が畑に砂鉄を盛り、さらにアルミニウムの粉末を加え燃焼させて純鉄を作った。この手法により高価な溶鉱炉を要する事なく、ふんだんにある砂鉄から武器の元となる鉄を精製できると大日本帝国陸軍は色めき立った。その実態は以前から知られたテルミット反応であり、中谷宇吉郎は「1台の戦車を作るのに100台の飛行機を潰すような話」と評した

47WS:2012/09/03(月) 17:08:51
鉄鉱石
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%89%B1%E7%9F%B3
製鉄原料となる鉱石である。

鉄鉱石の主要成分は酸化鉄であり、多く使われる鉄鉱石は赤鉄鉱 (Fe2O3)、磁鉄鉱 (Fe3O4)、褐鉄鉱 (Fe2O3?nH2O)、磁鉄鉱の粒状鉱物である砂鉄などである。
他に、針鉄鉱 (FeO(OH))、針鉄鉱と組成は同じだが鉱物としては区別される鱗鉄鉱 (FeO(OH))、菱鉄鉱 (FeCO3) などが存在する。
金属光沢のある磁硫鉄鉱 (FeS1-x)、金色に光る黄鉄鉱 (FeS2) は鉄鉱石としての値打ちは無い。

古来、製鉄に使われた鉱石は砂鉄(磁鉄鉱)であった。磁鉄鉱は比重が約5.2と商業的に利用できる鉄鉱石の中で最も大きく、流水による選鉱により純度の高い鉱石が容易に得られた。近代的な溶鉱炉による製鉄技術が確立されるまでは砂鉄を使ったたたら製鉄が主流だった。現在では露天掘りで大量に採取できる赤鉄鉱を使用した高炉による製鉄が主流である。日本では新日本製鐵釜石製鉄所の高炉が釜石鉱山から産出される磁鉄鉱を使用していた。

鉄鉱石は世界中から産出するものの、2006年時点の埋蔵量1,800億トンのうち、ロシア、オーストラリア、ウクライナ、中国、ブラジルの上位5カ国だけで約73%を占める。コスト・品質の面から商業的な鉱山が操業できるのは、オーストラリア、ブラジル、中国、カナダ、インド、ロシア、アメリカ合衆国、ウクライナなどに限られる。これらの国は、地面から直接鉄鉱石を掘り出す、露天掘りができる。特に、オーストラリアやブラジルの鉄鉱石はFeの占める割合が約65%と高品質である。これら鉱山はほとんどが赤鉄鉱であり、数十億年前の海中に堆積したと考えられている。
産出地別の産出量では、ブラジル (22.3%)、オーストラリア (19.6%)、中国 (16.6%)、インド (10.9%)、ロシア (6.8%)、の上位5カ国が76%を占める(2005年)。なお、第二次世界大戦直前の1937年の統計ではアメリカ合衆国 (68%)とスウェーデンの2国だけで全世界の産出量の85%を占めていた。2005年現在、この2か国の産出量は1937年当時とあまり変化していないが、シェアは5.9%に低下した。これは産出量が9,780万トン(1937年)から8億2900万トン(2005年)に増えているからである。
採掘された鉄鉱石は、ベルトコンベヤーなどの設備によって貨車や貨物船(河川用)に積み込まれ、輸出港まで運ばれる。そこから、鉱石運搬船という鉄鉱石専用の貨物船で外国へ輸出される。なお、トラックはコストが高いのであまり使われない。

赤鉄鉱 (Fe2O3)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Hematite-1.JPG/800px-Hematite-1.JPG


褐鉄鉱(かってっこう、limonite)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%90%E9%89%84%E9%89%B1
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2e/LimoniteUSGOV.jpg
鉄の酸化鉱物の通称あるいは野外名。別名はリモナイト。天然の錆である。
実際には吸着水や毛管水を含んだ針鉄鉱(ゲーサイト、α-FeOOH)、または鱗鉄鉱(レピドクロサイト、γ-FeOOH)の一方または両者の集合体であり、鉱物名としては褐鉄鉱は使用されていない。針鉄鉱と鱗鉄鉱は結晶構造は異なるが、産出状態も共生関係も全く同様で相伴って産出する。特に微視的な結晶の集合体のような場合には両者の判定は非常に困難であり、かつ、厳密に区別しなくてよい場合も多いため、そのような場合にしばしば褐鉄鉱の名が使われる。

古くから鉄鉱石として、また黄土色の顔料として利用されている。
リモナイトは体臭や糞の臭いを減らす効能があり、家畜などにも使用されている。 近年のペットブームで犬用・猫用のおやつとして 鶏ささみ等と混ぜたもので商品化もされている。

48WS:2012/09/04(火) 05:14:40
キンバーライト kimberlite、キンバリー岩

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/648/1226370926/222
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/648/1226370926/563-564

地球の場合、ダイヤはマントルで作られる。
超高圧と超高温によって炭素の結合が壊され再構成されてダイヤとなる。
1500度の温度と50キロバールの圧力がないとできない。
1cm四方に51トンの重さが乗っている状態だ。
これがキンバーライトと呼ばれる岩のカプセルと化し、噴火に乗ってマントルから地表まで200km登ってきて、ダイヤ鉱山となる。


カンラン石と雲母を主要構成鉱物とする超塩基性の火成岩。雲母橄欖岩(うんもかんらんがん、mica peridotite)とも呼ばれる。一部からダイヤモンド原石が産出されることで知られる。
名の由来は南アフリカ共和国、北ケープ州の州都キンバリーから。

先カンブリア時代に生じた世界的な造山運動により生成された。このため、分布は大陸奥地の古い地質条件が保たれている地域に限られる。岩石の材料はマントル起源で、ごく短時間のうちに地表付近まで噴出した激しい噴火により生成したものと考えられている。

49WS:2012/09/21(金) 13:49:54
ひまし油 Castor oil
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%BE%E3%81%97%E6%B2%B9
トウダイグサ科のトウゴマの種子から採取する植物油の一種。

工業原料
成分は不飽和脂肪酸(リシノール酸が87%、オレイン酸が7%、リノール酸が3%)と少量の飽和脂肪酸(パルミチン酸、ステアリン酸などが3%)のグリセリド。ひまし油は、脂肪油としては粘度、比重ともに最大であるのに加えて、低温下においても高い流動性をもつため、各種工業用の原料として広い用途がある。また、油脂として潤滑性が大変優秀であるが、酸化しやすく熱安定性が劣るため一般用としては不向きである。その優れた性状と潤滑性から初期の航空機エンジンの潤滑油として使用される事が多かったが、エンジンの高出力化と熱と酸化への安定性の不足からWW2の頃には航空機用潤滑油は鉱油系が主力となった。

医薬
用途の中で、1%程度を占めるに過ぎないが、伝統的に下剤として用いられ、日本薬局方にも収載されている。医師によってはリチネと略記する。

50WS:2012/11/24(土) 17:22:24
光学ディスクがついに容量「1TB」、2015年には実現可能?
ttp://www.gizmodo.jp/2012/11/1tb2015.html
1TB=1024GB

CD-ROMが700MB、DVDが約5GB、Blu-Rayが25GB。光学ディスクの歩みは素晴らしい。が、ここに来てテラバイトの壁を越えようとしています。富士フイルムが、2015年リリースをめどに1TBの光学ディスクの開発を予定しているというのです。

1TB光学ディスクが話題にはなるのはこれが初めてではありません。2010年にはTDKもそんな話をしていました。富士フィルムの予想では2年後には1TBのディスクが、それどころか近い将来には15TBのディスク登場の可能性もあるそうです。さらに、この新ディスクはBlu-Rayよりも安価に生産ができるという話も上がっています。素晴らしいことづくし!

期待がかかるこのディスクは、主に2光子吸収色素技術にかかっています。また、25GBの層を片面20層くらい詰め込むという工場の技術進歩も大きく関わってきます。

本当に、あと2〜3年後にはテラバイト級のディスクが出るのかな? ハードドライブやクラウド利用者が増えているとしても、1TBがあの薄さという魅力は大きいですよね。

51WS:2012/11/30(金) 19:15:25
アルキメディアンスクリュー
http://iamapen.img.jugem.jp/20081010_36986.jpg
http://www.o-tower.co.jp/whitebeach/syodaigarinko2.JPG
通常のスクリューじゃ役に立たないシャーベット状態の海でも駆動力保てるスクリュー

52WS:2012/12/06(木) 13:25:06
GTL(gas to liquids;ジーティーエル=ガス液化油)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/GTL
天然ガスを一酸化炭素と水素に分解後、分子構造を組み替えて液体燃料などを作る技術である。
コスト:1バーレル30ドル-60ドルと言われており2008年以降、原油価格は採算点を突破した
この技術により製造された製品は「GTL燃料」と呼ばれており、かつては「人造石油」などと呼ばれていた。また、この技術により製造された軽油や灯油は、「合成軽油」、「合成灯油」、「FTD(Fischer-Tropsch Diesel)燃料」などと呼ばれることがある。

利点
原油よりも可採年数が長いとされる天然ガスを利用するため、長期の安定供給が可能とみられている
氷点下162℃の低温で取り扱う液化天然ガス(LNG)とは異なり、常温での流通と使用が可能である
燃焼時の排気がクリーンであるため、排ガスの処理設備が簡単になる


石炭から石油を
GTLの技術は1923年(大正12年)にドイツでフランツ・フィッシャーとハンス・トロプシュにより発明された。現在、GTLは天然ガスを加工する技術として位置付けられているが、当初は石炭をガス化させたものを化学反応により液化するCTL/石炭液化技術として開発された。

開発当時の原油価格ではGTL/CTLによる人造石油は価格競争力がなかったが、戦時にはドイツは英国海軍に海洋封鎖されることが予測されたため、安全保障の観点から研究が推進された。第二次世界大戦中のドイツでは、ナチス政府による保護の下、GTL技術を用いた人造石油が量産され、軍用/民間燃料をCTLでまかなうことができた。同じ時期に日本でもドイツから導入した技術をもとに、石炭からの人造石油の製造が進められたものの、技術力や物資が不足しており、工場も爆撃破壊されたことから計画通りに行かず、失敗に終わった。

1937年(昭和12年)には人造石油製造事業法(昭和12年法律第52号)が制定され、1940年(昭和15年)に福岡県の大牟田と北海道の滝川にGTL工場(北海道人造石油)が建設された。同工場では、ガソリン、軽油及びワックスが生産されたが、生産量は戦時下の需要を満たす規模とはならなかった。大牟田の工場は1945年(昭和20年)に爆撃破壊され、その他の工場も建設途中で爆撃されるなど完成には至らなかった。滝川の工場は終戦後数年間操業を続けたが、生産にコストがかかりすぎたため、1952年(昭和27年)に経営破綻した。(GTL/CTLの生産コストは1バーレル30ドル、販売価格50ドルでないと採算に乗らない。2012年の原油価格は枯渇により1バーレル100ドルになったが、当時は1バーレル4ドルであった)

53WS:2012/12/07(金) 10:35:15
レーダーサイト
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E7%A9%BA%E4%BA%A4%E9%80%9A%E7%AE%A1%E5%88%B6#.E3.83.AC.E3.83.BC.E3.83.80.E3.83.BC.E3.82.B5.E3.82.A4.E3.83.88
レーダーは主に飛行中の航空機の位置と高度を把握するために用いられ、日本国内のレーダーサイトは、主に航空自衛隊により警戒管制や飛行管制などに用いられている。国土交通省の航空局レーダーサイトには空港監視レーダー (ASR)・二次監視レーダー (SSR)・空港面探知レーダー (ASDE)・精測進入レーダー (PAR)・航空路監視レーダー (ARSR) ・洋上監視レーダー(ORSR)などがある。

空港監視レーダー (ASR, Airport Surveillance Radar)
空港から60マイル以内の空域にある航空機の位置を探知し、出発機や進入機の誘導、航空機の管制間隔の設定など、ターミナルレーダー管制に使用される一次レーダー(航空機の機体に直接当てた電波が反射して戻ってくる間の時間差と、レーダーの回転角度で航空機の位置を割り出すレーダー)

二次監視レーダー (SSR, Secondary Surveillance Rader)
航空機に搭載したATCトランスポンダと交信して、便名(モードA)と高度(モードC)を得る二次レーダー
また、モノパルス測角方式により、モードA/Cの情報以外に距離と方位も同時に知ることが出来る。

空港面探知レーダー (ASDE, Airport Surface Detection Equipment)
空港地表面の航空機や車両等の動きを監視する。非常に短い波長の電波を利用した高分解能レーダーで、レーダースクリーン上には航空機の形がはっきりと現れる。低視界のときや夜間の管制業務に使用する。
成田・羽田・中部・伊丹・関西・福岡・那覇の各空港に設置されている。

精測進入レーダー (PAR, Precision Approach Radar)
最終進入状態にある航空機のコースと正しい降下路からのずれ及び接地点までの距離を測定し、その航空機を着陸誘導するために用いられるレーダーである。
伊丹・那覇の各空港に設置されている。

航空路監視レーダー (ARSR, Air Route Surveillance Rader)
航空路(エンルート)を飛行している航空機の誘導と間隔設定に使用するレーダーである。
釧路・横津岳・八戸・上品山・小木の城・山田・箱根・三河・三国山・平田・今の山・三郡山・加世田・奄美大島・八重岳・宮古島に設置されている。

洋上航空路監視レーダー (ORSR, Oceanic Route Surveillance Radar)
主に洋上の航空路(エンルート)を飛行している航空機の誘導と間隔設定に使用するレーダーである。
いわき・八丈島・福江島・男鹿に設置されている。


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