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法人代表の法華講さんって

1あべひ:2007/05/31(木) 00:39:27
2、この板はあくまで日蓮正宗と、創価学会ほか他宗教との教義的な正邪を決することを主眼に置いて設置した掲示板である。
ここで論争するものは各自の”宗教的立場”においてである。
3、その他の内容は宗教的論議とは関係がなく、また、表示されるべき内容でもない


法論DVDやコンテンツを販売される 樋田昌志さんの経営の

販売業者名
CYBER OPERATION

責任者氏名
樋田昌志

所在地
〒380-0803 長野県長野市三輪2-4-34

電話番号
026-259-5929(月〜金 10時〜17時)
 FAX 026-263-0121(24時間受付)


   ↑
上記は
すべて  アザレ長野中北本舗の 住所と連絡先 と全く同一になっているようですが


///////////////////////////////////////////////////////

株)アザレ長野中北本舗 本社
住所 〒380-0803 長野県長野市三輪2-4-34
Tel 026-259-5929

yahoo電話帳より

http://phonebook.yahoo.co.jp/list?a2=20201&g3=2115000



アザレ長野中北の経営者さんの実名での投稿です
   ↓
※書けば書くほどに 馬鹿 である
※ほとほと、馬鹿 である
※本当の 馬鹿 なのか?やはり。
”学習効果がない”と言えばそれまでだが、度を越すとそれを 馬鹿 と呼ぶ。
※『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという症例』
※何度同じことを教えてあげても、全く頭に入らないらしい。
こういうのを頑迷固陋・愚昧・愚妄などなどという。
※つまり、”ニセ本尊を拝むと斯様に、救いがたい頑迷固陋・愚昧・愚妄になる。”ということか。
※どれどれ、もうこんな教義は全くダメな無能者しか残っていないのか?
※やはりこの謗法者はニセ本尊の害毒のせいか相当に頭が弱いようである。
※反論できなくなった沖浦君の悔しさが滲み、教義的には全く未熟なのに歳だけ重ねた老残の一兵卒の悲哀が漂う
※慌てて逃走する老醜の背中姿が仄見えて、真に味わい深いものがある。呵々大笑
※しかし、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』という点では秀逸ですので、コレクションにどうぞ。
※ちょうど掃除しようとしたところへ、ゴミが態々自分から出現してきた。
検索する手間が省けて実に好都合である
※”臭っ!いのね”君自身は自分が理解能力が著しく欠如した惨めな醜態であることを理解できずに永久に涎を垂らしながら痴難を喚き続ければよかろう。
当方はそんな壊れたテープレコーダー、もしくは涎まみれの汚らしい駄犬と遊んであげられるほど暇ではない

※とにかく 馬鹿 である。呵々大笑
※当方の引文へ言い掛かりをつけようという浅智慧だろうが、実に 馬鹿 である。呵々大笑
※こういうところも、妄想癖なのか、馬鹿なのか。呵々
※ほとほと、馬鹿 である。呵々大笑

2あべひ:2008/12/07(日) 17:37:22
久しぶりです

3名無しさん:2009/07/02(木) 11:35:26
得成寺総代・法華講役員一同:発
http://seigi716.blog54.fc2.com/blog-entry-4.html
【 1回目の発信  真実の叫び!  平成21年1月23日付】
【 2回目の発信  我等の嘆願!  平成21年2月3日付】
【 3回目の発信  衝撃に屈せず!  推定、平成21年5月20日】
4月28日(火)、里内住職弁護士より、本人は「辞任」などしていないので、登記変更内容は「公正証書原本不実記載罪」になるので、速やかに総責任者と川荑氏の両名を刑事告発します、等の指摘を受けるや、宗務院側は慌てて4月30日(木)に飛んできて、登記申請内容を「辞任」から「解任」へと、即座に作り直してきました。この「解任」変更も、北見警察署の報告により明らかになったものです。刑事事件が、また増えました。
わたくし共、総代・講頭が、役職にある内に、得成寺が今回の事件を通して、宗務院の汚い手口でボロボロにされてしまった事実を、御住職方にお伝えし、決して風化させることなく、宗門の私物化を許さないよう、皆様に勇気を振り絞って頂きたいと願う次第です。
とにかく、まずは検察庁より阿部庶務部長による傷害事件の、確固たる量刑がでるまで、私達は辛抱します。

4通りすがり:2009/11/24(火) 13:38:40
樋田は法主絶対主義であり、これを正当化する為に御書を曲解、利用する。
法主が主で御書が従の構図だ。
木絵二像開眼之事に
「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り
人の死するに其の身に鬼神入るが如し」
“法華を心得たる人”による開眼であって、法主(貫主)でなければ開眼
できないとはどこにも書いていない。
彼はよく紙幣を例に出すが、全く別の紙幣ならば自由に発行運用できる事を
知らないようだ(例えば地域通貨)

あるいは学会を叩く材料として学会の決定的落ち度を見つけたかのように
確信しているようだが、いくらでも反証できる。


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