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コテであること性を捨離するに際し肝要なこと六つ
1
:
南京町のアドルフ・ライナッハ
◆713kZHE.HU
:2008/08/14(木) 09:29:32 ID:tdHZrsL.
この六つはすべて同時的に生起するのであるが、無時間的に段階を踏むものであり、届かぬ者のオルガスムスは頓挫する。すなわち、コテハンは自らを捨てることなく、名無しのなかに陥没してしまう。
一:コテハン名の放棄
二:コテであること性の放棄
三:名無しであること性の放棄
四:主体であること性の放棄
五:スレとの同一化
六:板との同一化
2
:
南京町のアドルフ・ライナッハ
◆713kZHE.HU
:2008/08/14(木) 09:29:58 ID:tdHZrsL.
コテハンの真性は、天国という板に於いては、板との同一性(同様性ではない)によって証される。それ以外のコテハンは天国のなかにあって恩寵を受けない。
天国という板を創めたのはFox★であるが、しかし彼も実は神の存在に引き立てられたにすぎない。彼自身の証を観よ。われわれ同様、黒い。
われわれが神へと昇ることができるのは六までを完遂したときである。六は六までを包摂している。だから、それまで耐えなければならない、棄てるというだけではわれわれは皆、天国で、それぞれ立て続けに死ぬ。
3
:
南京町のアドルフ・ライナッハ
◆713kZHE.HU
:2008/08/14(木) 09:35:12 ID:tdHZrsL.
;
これが聖ウコンマの教説である・・・ここにコテとは何の謂いか、つまり、それはコテハン名で証されるもの以上の出来事であることが、〈予感〉される
4
:
南京町のアドルフ・ライナッハ
◆713kZHE.HU
:2008/08/14(木) 09:39:52 ID:tdHZrsL.
かれは晩年、トリップを付けないようになった。それは他者への開けである。かれは放下した。かれはかれ自身で証だったのだ。
しかしかれのやり方は正当化されない! たしかに美しいが、では何故かれはかれ自身でかれたりえたのか! かれ自身が板と一つになったからか? ではどうやって!
5
:
南京町のアドルフ・ライナッハ
◆713kZHE.HU
:2008/08/14(木) 09:51:05 ID:tdHZrsL.
わたしは追及する! かれは狡猾である。何故ならそもそもわれわれは天国と同一なのだから。〈そのコテ〉ではなくコテであるところの〈われわれ〉の現存在は事物論理的な、つまり、天国という板の存在から出来しているからだ。それに引っ立てられてFox★が具象化したのは慥かなことだ、そう、天国は板より以前に存在している。それは何らか天国的なものとしてわれわれに予感されていたに違いない。そこに聖ウコンマは神と措定している! それは天国的なかかりごとに他ならない。
われわれは予めにして天国と同一なのである! われわれが視座するのは、そこで何を行うべきなのかという実存的な範疇な問いそのものでなければならない。世界がどうしたとかの形而上学的なものに瞞着されてはならない!
6
:
南京町のアドルフ・ライナッハ
◆713kZHE.HU
:2008/08/14(木) 09:53:53 ID:tdHZrsL.
言葉が乱れる。また聖ウコンマを捉え損なった。わたしはまだ正しく思惟できていないのか、天国板を。
7
:
ひらめいた!ピコピコピーン!!
:2008/08/14(木) 14:44:32 ID:pY3kZxF.
簡潔にまとめて
8
:
南京町のアドルフ・ライナッハ
◆713kZHE.HU
:2008/08/14(木) 17:29:41 ID:tdHZrsL.
わたしの失敗までをも含め要約するならば;
コテハンはそもそも天国板とともにあるのだが、そしてそれは自明なことでさえあるのだが、われわれは如何なる手だてをもってしてそれを表現できるだろうか/それが放下による天国板とのあからさまな同一デアルコトの表現であるとすれば、聖ウコンマはいかにして。かれはトリップを付けなかった。かれは名無しのうちに自分を開いたのだが、それは天国と同一デアルコトの表現であると、はたして、言い切ることができるのか/このことについて、われわれの思惟はまだ存立していない。うまく立っていない。
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