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羽娘がいるからちょっと来て見たら?

1 代理 ◆Ul0WcMmt2k :2006/08/08(火) 18:57:48 ID:/i4UGyBA
どうぞ

545 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2006/10/10(火) 23:15:16 ID:JYnZCcww
「ちょっと酔ったかな……」
「……手出さないでおくから。……ほら?」
「ん」
体を寄せたエルヤは、孝美に抱かれ。
「なんでこんなに寂しいのかなー……」
「嬉しいことよ。また会うのが楽しみになるんだから、それでいいじゃない」
「ん……っく……うえぇ……」
服を掴み、泣いてしまったエルヤをそっと撫でるのは孝美の手で。
「ふふ、ほんっと純情よねぇ……」
「うえええ……」
「きっと……」
続く言葉は、他の方々に任せましょうか。
「寝付けないなぁ……」
「……。だめだー……寝られない」
そういう日は、いつでもあるんですね。

「なんかね。細くなる月を見てるのは……ちょっと寂しい」
「戻ってくるじゃない」
「何かがへっていくみたいで……いい気持ちはしないんだ」
「降り注いでるでしょ?」
細くとも、月夜は二人を照らしておりました。
「身を削ってまで光らせたいの……? 月は……」
「私達が大事な友達だったら、そうするんじゃない?」
「面白いこと言うんだね」
目を細めただけ、それでも視界からは月が欠けることはなく。
「細くても、強くあるんだね」
「またまん丸を待ってあげればいいのよ」
「うん……。孝美がちょっと格好いいなんてね」
「何よー」
優しい光に照らされて、輝く二人がおりました。
笑顔だって、涙だって。そんな平等の光が二人の夜を彩って、最後の滞在日は終わってゆきます。

546 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2006/10/10(火) 23:40:39 ID:JYnZCcww
赤毛、そして赤目のエルヤに連れられ、最後の昼間は終わりまして。
夕刻の国境は、夕日も相まって寂しげな雰囲気を持っていました。
「また、来てね? 楽しかったんだから」
「勿論だい。エルヤもこっちきなよ?」
「また来るわよん」
「今度はゆっくり、話しようね?」
「里帰り、また来るから」
「くけっ!」
皆の返事に微笑み、そこから言葉を選んでいました。
伝えるべき言葉はあるのに、こみ上げる物があり。
「……すいません、エルヤ様ってこういうとき可愛くて……」
「惚気はいいって。エルヤー? 今生の別れじゃないんだから、な?」
「でも……さ……うぐ……。とまんないんだも……うえぇ……」
おいおい、とため息混じりに笑うのはシヴィルで。
「あたしまで泣いちゃうだろ、こら」
軽くエルヤの頭を小突きました。
「ほら、笑いな?」
「うえ……ぇ……」
「強くあろうよ」
空の月は殆ど無いほど、そんな細さで。
「この国の月は綺麗だったなぁ。また、思い出すよ」
「うん……うん……忘れない……っ……」
「なら、次のためにも、な? 泣き虫は嫌いになるぞー?」
「うぇっ……意地悪っ」
微笑んだエルヤは、やはり無理矢理な笑みで。
それでも、誰の目に見ても、一番だと言えるような笑顔でした。

*音いれます

547 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2006/10/10(火) 23:54:49 ID:JYnZCcww
「いつかまた……戦おうね?」
言いたい言葉の代わり、それが口を付いて出ました。
「またじゃれたるさ」
「あはは、もぉ、シヴィルは凄いね」
「張りつめすぎると前も見えないぞ?」
うん、と。
涙をぬぐう手を止め、エルヤはシヴィルの手を取ります。
両手で。
「気持ちの落ち着け方、いっぱい教わったよ」
「手を取るのが大事な事は、エルヤから習ったんだぞー」
月の光、それは昨夜の会話を思い出させる物で。
「誰かのために身を細くする月……ボクもなるんだ」
「消えるなよー?」
「大丈夫、疲れて消えても、また昇ってくるよ」
「ああ、待ってる。エルヤの根性ならいけるさ」
「あははは、何それっ!」
自然な笑顔に、シヴィルは釣られて笑いました。

もう、周囲は夜。
「ほら、そろそろ歩き出しな?」
「うん、歩くよ……」
両手を離し、落ち着いたエルヤは一歩下がって、隣のナンナから斧を受け取りまして。
「戦士達、また会いましょう!」
「手を取って、一緒に歩くのよ」
「友達、です!」
「こっちにも遊びに来て」
「いきなりの戦友だったなぁ。楽しかったよ!」
一言、忘れた物を思い出したのか、シヴィルはあ、と声を上げました。
「戦士はな、戦場でしか輝けないんだって」
でも、
「戦場を離れたら、友人で輝けば良いんだからな?」
「トンチ? もぉ、ボクの国じゃいつでも戦士なんだよ?」
そうは言っても、笑っていては説得力が無く。
「なら、こっちにきたら友人でいればいいじゃないか」
「あははっ! もぉー、シヴィルってば……」

548 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2006/10/10(火) 23:56:20 ID:JYnZCcww
「最高だよ、友達!」
「また会おうな!」
最後は握手ではなく。
「ふふっ」
「にひっ」
拳を打ち付けました。

「最初の一歩がこんな感じじゃ……」
「もっと楽しくなるね!」

「「またっ!」」
ハイタッチ。そこからは別れです。
――ああ、うずうずするなぁ!
次の出会いにエルヤは胸を弾ませて。
――こういうのもいいもんだ!
新しい楽しみにシヴィルは笑みを強くして。

月光を受けた羽根達が二つに分かれました。
黒翼も、灰翼も。
それぞれが月の光に輝きを持ち、風邪を切り裂いていくのでした。

♪J.e.t. 様
KAZE
ttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a000495

549 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2006/10/10(火) 23:58:20 ID:JYnZCcww
といった所で、隣国視察編は終わりです。
ちょっと賞に原稿書くので二週間ほど空きますが、それなりに希望あったらもう一つの隣国編でもやろうかと。
俺的には楽しかったんだ。
楽しかったんだ。

とりあえず、次回更新云々はまとめサイトの方に行きそうです。
プロフとかまとめないとならんので。

まとめサイト
ttp://jirou.suppa.jp/

よく考えたらこのスレで出してないのは問題じゃないだろうか

550 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:02:31 ID:WF2h/ljc
久々急浮上。
繋ぎの短編いきまーす!
長文はまだまだ……今月中にはなんとか!

キーワード:馬鹿だけで作るオールスター戦

551 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:03:37 ID:WF2h/ljc
 冬です。冬という物はですね、過剰に体へ熱を与えない。そういう意味では運動に適した気候ではあります。
「うーっ……! さむさむ!」
 ――こういう弊害はありますけどね。
「しーさんって寒いの駄目っすか?」
「あたしの肌みりゃ解るだろー……南向きなの!」
 グラウンドにて、体を縮めさせたシヴィルを始めとした特務に、
「はーっ。寒いですねぇ」
「運動は良いけど……ジャージなんか見ても全然見て楽しくないわよー!」
 教導隊に、
「はっはっは! 心頭滅却すれば火もまた涼し!」
「あの、あなた? それ以上冷えるのはどうかしら……?」
「ああ、いやいや! 例えの話だから!」
 軍部の面々が集合しており。そして全てがジャージでありました。
 集合した面々は流石の寒さに顔をしかめつつ、ある者は体をさすり、ある者は久々の押しくらまんじゅうに興じ、そしてある者は、
「はい、私語終了よ。これより――」
 いつもよりテンションの高い、フレアが皆の前に立ち、トランジスタメガホンを時折ハウリングさせつつ注目を集めておりました。
「唯今より冬季恒例、教導隊主催飛行禁止健脚会を執り行う!」
 返答は三々五々、あまりやる気の見られる様子ではありません。しかしながらこの鬼教官が立つ事は、年に一度の恐怖政治である事は古参にも、伝え聞いた新人にも解っていることで。
「なんで教導隊主催って言うのかしら……」
 小声でぼやくのは孝美で、隣では、
「ねーちゃん、走るの好きだからなぁ……」
 シヴィルが。
 愛弟子と賞される二人すら受け入れがたい、主催者の変わった一面でしたとさ。

552 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:05:01 ID:WF2h/ljc
 ため息が白く、誰の口からも漏れた頃、改めてハウリング一つ。
「機械音痴……」
「聞こえるわよ」
 あー、あーと数回のテストの後(その間にもハウリングはあったのですけどね)、要項が伝えられていきます。
「題目の通り、飛行禁止。下位には追加教練を処す。各自頑張るように。コースは――」
 目に隈を作った夕子がふらふらと配っていくのは、ランニングのしおりです。この様子だと楽しみつつも徹夜だったのでしょう。
「しおりを参照のこと。ざっと説明する。軍部施設内を一周の後、協力元の警察署まで市街を走り――」
 その時点でため息と弱音がちらほら、何せそれだけで五キロは堅い距離です。
「警察署内コースを周遊して商店街へ。コース配置はすでにされてるから迷わないはずよ。そこから戻ってグラウンドがゴール、各自ベストを尽くすように!」
 やる気満々のジャージ姿が再びハウリングを起こしました。
 ハウリングと共にそげた士気が、空に白煙として舞い、すぐに冷やされ見えなくなったことを知っているのは、多分一人を除いた全員だったのでしょうね。
 ええ、暫定距離にして二十キロ。それは、翼には気軽で、徒歩では長く。足による走行として結構な物ですから。
「撮影の余裕もないわ」
「走れば病気も治るんじゃない?」
 古参は諦めムードで、軽口を叩いておりました。
「も……もうちょっと締め付けないと駄目かな……」
「うう……うらやましいっ……」
 胸の極端な隊員と、尻ばかり成長する娘の愚痴は別方向です。ちょっと慣れてしまったのですね。悲しいことに。
「うふふぅー……もう悔いはありませんわー」
「医療班だからって……無理しないでくださいよ」
 徹夜で役得を不意にした娘と、秘書業なのに走らされる羽目になった娘の悲喜こもごもです。
「うんどーかーい!」
「うう……実況は無いの実況はー!」
 いつもは明るい二人も二極に別れてます。大変ですね。
「はー……サボっときゃよかったぜ……」
「訓練だと思いなさいよ。黒いの」
 白黒の色は文字通り、明暗に別れて思うのでした。
「小鶴少尉は参加しないんですか?」
「ん。今日は代理の引率」
「代理……?」
「じゃーん」
「くけー」
「だ、大統領?!」
「ん。ノルストリガルズの人に聞いたの。そろそろ成長期だから運動をしっかりって」
「くけー」
「わ……頑張ってね、大統領」
「くけっ!」
 教導隊一の動物好き、ふたばに撫でられ、楽しげに翼をはためかす大統領でした。
「でも……解ってるんですか?」
「ん。上位に食い込んだら鰯山盛り」
「くけけけー!」
 やる気満々でした。引率は役得のスケートボード所持でしたが。

553 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:05:56 ID:WF2h/ljc
音パート スタァト!

「位置について――用意」
 次回優勝者、グートルードは走行免除と同時にスターターでした。
 乾いた音が響き、グラウンドに砂煙が上がります。
「うわあああああああ! 追加教練は嫌だああああああああ!」
「ふふふふ燃えてくるわー! さあさあ……誰が教練を受けるのかしら!」
 テンションの高い声に皆が軽い悲鳴を息づかいに混ぜていきます。
「あなたー! 頑張ってー!」
「勿論だともー! はっはっはー!」
 事務は走行を免れたみたいですね。
「……やれやれ……整備に差し支えが出たらどうするんだ……」
 整備班は駄目だったようで。
「あーんもぉー! 隊長こわーい!」
「ねーちゃんから離れるぞ……孝美ッ!」
「言われなくてもー!」
「……私も」
 流石に冷静を装ったスヴァンもそれには従うようです。
 普段と違ったやる気で満々な人って怖いですね。

 さて、話題の主役はと言いますと――。
「……ん」
「と、飛んでるー?!」
「くけけけけけけけけー!」
 やる気が空回りしてるみたいですね。
 はい、ペンギンなのに、飛んでます。
 流石の真理も、いつもの無表情から一転してきょとんとした顔でそれを見つめていました。
「いい、大統領。前にいかないと鰯抜き」
「くけー!?」
 少しずつ前に――
「くけええええええええええええ――!」
「あ――飛んじゃだめですよぉ」
 教導隊のブービー候補、いつみさんはのんびりで、てくてくといった擬音の似合う走りで異常な加速を見せる大統領を見送ったのでした。
「――!」
 慌てて追いかけるスケートボードの引率が、彼女の長い髪を揺らします。
「大統領は特例ッ!」
 鬼主催者の言葉は絶対なのです。ええ、この瞬間だけは神に等しいんです。
 だって、怖いし。

554 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:07:31 ID:WF2h/ljc
 町内に入った先頭集団は、商店主からの応援を受けつつ、誘導の矢印に従い街路を駆けていきます。
「ようし! 今年こそ一位を狙うでありますよ! はっはっはー!」
「っ……く! 村西さん速いですっ……!」
「胸があるからってええええええ!」
 実力と、努力と、コンプレックスを原動力に、三者が先頭を進んでいきました。
「くけええええええええええええ!」 
 先頭だったんでした。
「抜かれ……た?」
 唖然とするユニーの横、スケートボードと翼で屋根を駆ける真理が通り過ぎ。
「大統領が抜いたんですか?!」
 流石に二人も唖然、です。
 半分飛びながら、短足が漫画の如くしゃかしゃかと動く様に、負けていいやら、勝つ方法が思いつかないやら、それでも先頭集団は後続に追いつかれまいと速度を緩めず進んでいきました。
「おのれ短足ー! あたしだって羽根が使えりゃ……くー!」
「短足は私が撮ったわー!」
 分かりやすい後続でした。

555 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:08:28 ID:WF2h/ljc
 さてさて、暫定トップの大統領ですが。
「こら、大統領、め」
「くけ?」
 疑問の声はワンテンポ遅れて返ります。そんな商店街の裏道でした。一応コースからは離れておらず、セーフではあります。それが例え、屋根の上でも。通りがかった魚屋で丸飲みした鰯が被害届を出されようとも。
 真理のボードが屋根を失いました。
 落ちたわけではなく、飛び上がりです。
「大統領、はや」
 速度を上げるための羽ばたき、それほどやる気の出た大統領は速かったのでした。
「め」
「くけ?」
 頻繁につまみ食いするほど燃費は悪いようですが。
 コースを微妙に外れつつ、先頭であった大統領が隊列を乱していることに気づくのは。
「トップはあそこでありますな!」
「うわ、上乗るなよずるいぞー!」
「あふ……はふっ……胸がー!」
「きーっ! おっきいからってー!」
「ラプちゃんのお尻だって良い物よー!」
「短足短足! 激写よー!」
 誰も気づいていなかったのでした。
「まあ……面白いからいっか」
 ショーティはペースを守りつつ一人ごち、
「手抜きは教練行きよー!」
 背後の鬼に再加速を試みたのでした。

 警察署をまわり、大統領のペースが落ちてきました。
「燃費わる」
「くけぇぇぇぇ……」
 ボードに乗ってる人間が言うなとは、全員の意見だと思って良いでしょう。
「くけ?!」
 何かを察知した大統領が、真理の追尾を振り切り直角に曲がります。
「そっち、壁」
 言うが早いが、刀が一閃、大穴が空きました。
「ちょ、ちょっと何するんですかー!?」
 応援に来ていた警官の制止も振り切り、一人と一匹がダイヴしました。
「ショートカットは反則よ! 大統領とはいえ!」
 暫定二位に急浮上した活ける鬼兼ルールブックが穴へ飛び込みます。
「コース変更?!」
「だーくしょ! 滑空くらい許せよねーちゃん!」
「きょぬーには負けないもん!」
 次々と道を踏み外していきます。
 あーあ。

556 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:09:01 ID:WF2h/ljc
 さて、先頭は無事に滑空を済ませ、一人の男を捕獲していました。
「ぬおおおおおおッ?! 何事か?! 吾輩にまた追加の刑を処すというのかこの警察署はーッ?!」
 頭を丸かじりする大統領に、しばらくの思考時間を覚えた真理は、
「鯖味噌の匂いに反応した?」
 真理の雰囲気すらも丸飲みにせんとする大統領をとりあえず彼女は引きはがし、
「いいから、走る」
「くけっ!」
 言うが早いが、再びあらぬ方へ、
「コースに戻りなさあああああああい!」
 鬼が着陸する前に、急制動で本来のコースへ向け。
「ちょ、ちょっとー?!」
 警官の叫びも虚しく、コンクリートの壁に数カ所の穴。
 直線でコースを結べばこうなってしまうわけで。
「拡大ッ!」
「ば、ばばばば爆薬はやめなさいっ!?」
「きょぬーがなんですかー!」
 こちらの暴走も止まりません。合掌。
 警察署に。

 直線距離を走る大統領の前、真理の護衛があらゆる品物を出荷直前まで加工していきます。
 マグロは刺身に、野菜はサラダに。何故か本はペーパークラフトに。
「ひいいいいいい?!」
 事態を取り戻そうとしても後続が続き。
「さあさあさあさあ! 一位は私が貰うッ!」
「ねーちゃん待てーぃ! 来年こそはあたしがサボる!」
「うわーん! いたいいたい!」
「きょぬーがなんですかー!」
「妻のためにー!」
「揺れるきょぬー! ユニーちゃんのたゆんたゆーん!」
「シャッターチャンスに間に合うのよー!」
 阿鼻叫喚の団子が軍部へとなだれ込んでいきます。
「大統領……行きなさい!」
 強い言葉に大統領は返答せず、上空で宙返りした真理のゲートを高速でくぐり抜けるだけです。
「待てええええええええい! おのれペンギン! 吾輩の隠し鯖味噌を返すのだ!」
「トップは私が――!」
「「「貰ったあああああああっ!」」」
 多数の声が、ゴールテープに殺到します。

*音ここまでー!

557 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:09:38 ID:WF2h/ljc
 テープは落ちました。
 徹夜明けの夕子が見守る中。
「はい、ゴールインお疲れさまでしたわー」
 半とろけの声が響きます。誰が一位なのかと、大統領を含め折り重なった集団が夕子を見つめ、そしてグートルードを見つめます。
「大統領、お疲れさま」
「くけ――――!」
 悠々と戻る真理の前、雄々しく鳴いた大統領と、脱力した集団がおりました。

558 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/16(金) 03:11:47 ID:WF2h/ljc
「二位、ですの」
「くけー!?」
全員があっけにとられます。
「コース通りに行かないから」
「私達に気づかない。と」
 二人の先客、だのに大統領は二位。何故でしょう。
「に……」
 埃まみれの鬼あらため、大人しくなったフレアが起きあがり、
「二人三脚ですって――――――?!」
 特殊ルールの双子を見て愕然としたのでした。

 表彰式は終わり、約束通りの品物を頬張った大統領は、我が家、軍部の私室こと、犬小屋もどきには居ませんでした。
 他の面々はいつも通りの生活です。懐かしの鯖味噌海賊の長は早々にしょっぴかれました。隠し鯖味噌も没収です。

 では、大統領はどこへ?
「くぇぇぇぇぇぇ……」
「お馬鹿」
 食べ過ぎで医務室に連れて行かれていたり。
「うーん……獣医ではないのですけど……」
 さてはて。
*終わり
馬鹿全力でお送り致しましたッ! 執筆100分!
本日の曲 Plus-Tech Squeeze Box 『cartooom! (+ 3 bonus)』及び、ポップンミュージック14フィーバー!より
       ♪BABY P http://www.vroom-sound.com/sound/VMSD013.html
試聴できないのがド悔いですorz

559 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 19:53:02 ID:OVKeGQEU
本日よりド長文を投下致します。
あれあれうふふ。

0.新しき千年目
  ――友の手を繋ぐならためらいは要らない。
     それが今的であろうといずれは友になると信じて

 ノルストリガルズとも交流を安定させ、一息といったある日のことだ。
 軍部のオフィスはいつもと変わらぬ様子で時間を重ねていく。要求や情報を記した紙片の舞う紙ずれの音、定期的とも言える受話器の受信音、走るボールペンがインクの足跡を残し、薄く紙を潰し削る音、紙がこすれ何かに踊る音、いくつもの音があった。デスクワークを彩る音の合間、時折発せられる誰かの声に数分の雑談とそれを咎める音、そして沈黙。音だけで誰が何をしているか漠然と解る、つながりを強く感じるのは無意識の上。
 いつも通り、と言ってしまえば乱暴な事だが、日常の音だった。
「任務?」
 受話器を持ったティアが疑問詞を投げかけた。それだけの一言で空気がかすかに張りつめる。それもいつもと変わらぬ事。任務をこなす、それが日常。
 電話を受けるティア以外が素早く己の仕事に復帰し、記憶の片隅に任務の要請があったことだけを残す。それも日常。

560 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 19:55:14 ID:OVKeGQEU
 夕刻、オフィスには定時の雰囲気はなかった。
 残業ではない。昼間に告げられた一言により開始されるミーティングの雰囲気。
 ホワイトボードの前にティアとドリスが立ち、二人の挟む白の長方形に向かい合う形で並んだ椅子には特務の面々が座っており。
「ミュトイは解るわね?」
 ティアの放つ第一声は隣国の名前を告げた。
 この国に隣接した浮き草地帯、そこから行ける二国の内一つだ。一般常識に隊員は答えず、また疑問を放つティアにもその反応は期待していない事で。
「明後日、そこへ向かうわ」
 その一言に手が上がる。隊の内でも純白とされる手は、褐色肌をした娘の鏡で。
「どうしたの、スヴァン?」
「ミュトイとは以前から中立、いえ、それなりの関係を作っていたのでは?」
 疑問の返答はうなずきの一つだけで終わり、言葉に紡がれぬ真意に対しての返答は即座。
「別に国交をしにいくわけじゃないわ」
 嫌な話だけど、と前置きをしたティアは言葉に意味を持たぬかのような変わらぬ表情で。
「ストラマとの対話、それに関わったのはノルストリガルズ、そしてこことミュトイの三国だけ。ミュトイの隣国がそれに危機感を抱いているのよ。ストラマに取り残されたのか、見捨てられたのか、三国だけで覇権を握るのでは、ってね」
 三国の中でミュトイだけが持つ問題、それは隣国を多く持つ土地であることで。
「危機感って……勝手な話だなぁ」
 代表の感想は、疑問を告げた娘の鏡写し、シヴィルのつぶやきで。誰もがそれに不謹慎という感想も抱かず、当然と沈黙を続けた。
「あの国は道具はあるけど人が居ないから、色々と協力することになるの」
「大都市……ですよね?」
 ラプンツェルの言葉。それは当然のことではあるが、
「守るためにしか戦わない、そういう方針の国だった。だから少しの戦力しか無い」
 真理の言葉は先の三国共同活動でも明らかだった。装備としては特務に勝る、しかし技術は薄かった。殆どのミュトイ勢がノルストリガルズの戦上手達に守られつつ、その力を発揮していた筈だ。
 簡潔な言葉に疑問は霧散し、ティアの語る時間が出来る。
「出動は特務だけよ、別に代理戦争をしに行く訳じゃないから」
 では、というのは誰かの言葉で、それを理解する前に返答は素早く。
「反抗活動を和らげ、ミュトイ隣国との国交正常化を手助けするためにね」
 損な役回りだと思う。誰もが同様に思った。
 悲しいかな、実力者揃いであるのは事実だが、神――ストラマ――との対話が周囲に知れ渡り、存在だけでも示威になる。それが選出の理由である事は誰にも明らかだった。
「最近忙しいね」
 最年少のため息混じりは、皆の代弁であった。
 皆の苦笑は無言に始まり、誰ともなくついたため息から本日の業務が幕を下ろす。

561 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 19:59:14 ID:OVKeGQEU
1.十一人の備え
 ――出かける前には鍵を掛け。
     その前に忘れ物がない事を確認すること。
       もっとも、負の感情だけは置いていくのが上策ともあるが。

 翌日のオフィス、それは日常ではない。翌日へ向けた準備へ各員は追われていた。
 ある者は兵装のチェックに、ある者は隣国に関する資料収集に、ある者は各種手続きに、そしてある者は――、
「あれ? たろちゃんだ」
 ドミナの撫でる子犬が目を細め、子犬とは違った意味で目を細めた夕子が苦笑した。
「明日から遠出になりますので、預かっていただこうと思うのですわ」
 そこで手を止め、ドミナの視線は子犬から夕子へ、
「誰にですかー?」
「教導隊の方にお願い致しましたの」
 ドミナの脳裏に生真面目な表情が幾つも浮かぶ、数人は平和そうで、かつ頼れる表情だった、一人怪しいとは思ったが、それは黙殺する事にした。
「いつみ少尉かふたばさんですか?」
「いえ、マルグリット大佐ですの」
「ああー」
 その点への納得は、ここ数週間でようやく得られた知識による物で。
「動物は教育にいいですよね!」
 彼女の、二人居る子供と遊ばせようとそういう事だろうかと思う。
「お手を患わせるのもなんですから……」
「海野大尉」
 不意にオフィスの入り口より声がかかった。その声は鋭く静か。
「ヴェサリウス中佐、ご苦労様です」
 視線と敬礼を返し、夕子が立ち上がる。追従するようにドミナが板に付かぬ敬礼で追従した。敬礼の先、グートルードは二人に歩み寄り、否。
 足下の子犬を抱え上げた。
 子犬はわずかに警戒心を見せ、体を硬くする。雰囲気を察知するのは野生の勘と言ったところか。
「大丈夫よ」
 グートルードの短い言葉、わずかな間と共に子犬が脱力した。安心とも言うべき表情があり、小さく鳴き声を上げる。
「いい子」
 優しく撫でる優雅な指が、子犬の毛並みをそろえ、それを見つめる二人も目を細めた。
「少佐も犬好きなんですねー」
「動物は好きね。素直だから」
 意外な返答に夕子が苦笑した。
 彼女は知っている。迷い込んだ動物をふたばがあやし、グートルードが世話をする。教導隊オフィスの一角が小さな動物王国になっていることを。
「大統領の御世話もしてましたし……うふふ」
「いいじゃない、可愛いのだから」
「ほえー……」
 ドミナは意外、といった言葉を飲み込んだ。失礼とも思えたし、何より今、子犬をあやすグートルードに違和感を感じなかったからでもある。
 間抜けな声を上げるだけ上げ、ドミナは代わり、現在にふさわしい言葉を選ぶ。
「たろちゃん、留守番頑張ってね」
「わふ!」
 可愛らしくも頼れそうな声が返って、三者三様に微笑んだ。

562 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 19:59:47 ID:OVKeGQEU
 軍部で最も躁鬱の激しい場所、そう揶揄される場所がある。
 『工作室』とプレートに記されたそこは、現在新型センサーのテストにより静寂に包まれていた。
「間に合って良かったよ」
 部屋の主、そうも呼ばれる高梨が告げ、発した言葉と入れ替わりにコーヒーカップを煽った。湯気の立たないそれは液体を満々と湛え、息継ぎのない水泳をしたような、そんな偉業を無言で語る。
「ありがとうございます」
 静かに一礼をするのはスヴァンで、その横よりベリルが声をかける。
「どっすか? すーさん」
「ノルストリガルズの発掘品……なかなか面白いですね」
 先の交流により与えられた品、それを備えた槍を持ち、視線を離せぬままに告げた。
 シヴィルの得物と寸分違わぬ槍は、先端に斧状の物体を付けられ、槍の名前を失っている。矛槍、ハルバードへと。
「しかし……私の方が階級は下ですから、敬語はおやめになっていただきたい」
「いやぁ」
 ベリルは頭を掻き、苦笑混じりに言葉を選んだ。
「しーさんはあたしの姉貴分っすから、そっくりのすーさんにゃ敬語になっちまいます」
「まあ、フェルミッテ君はすぐに階級も上がるさ、保証するよ」
 徹夜仕事を終え、くたびれた表情が見え隠れする高梨が告げる。
「光栄です」
 素直に告げるスヴァンの表情は冷静で、隣のベリルは恐縮していた。
「すんません少佐、徹夜させちちゃいましたね。奥さんに電話しとくっす」
「なに、楽しかったからいいさ。ノルストリガルズの超重金属、なかなか面白い」
 それに、とは微笑みとかみ殺したあくび混じりの声で、
「夜中にさんざん電話も来たからね。今日は堂々と家に帰って眠るさ」
 いやいや、と義理堅いベリルは電話をすること、それを告げ。
「高梨少佐ーっ」
 声は遠くから、聞き慣れた声だ。それは高梨にとってではなく、
「セリエ准尉?」
 スヴァンの伺う声はその通りの存在を入り口に顕し。
「奥さんから愛妻弁当届いてますよー!」
 彼女の持つ巨大なバスケットに唖然とした三者は、一呼吸置いて笑い声を漏らす。

563 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:00:51 ID:OVKeGQEU
 細く長い部屋がある。その部屋は縦長に仕切られており、片端には人のシルエットを示したプレートがあった。時折軽妙な、あるときは重厚な、空気の破裂音が響いていた。
 射撃訓練場、シューティングレンジである。
 軽妙な音を発するのはユニーで、重厚な音を発していたのはショーティだった。
「後少し、か……」
「後少しって……」
 唖然とするユニーの見つめる先、人を模したプレートの心臓部には穴一つ。
「それで少しなんですか?」
 複数の円を重ねた穴を見つめ、続いてショーティの得物を見つめた。それぞれ十発の弾丸を放った、大砲じみた大きさの銃器を両手に、都合二十発の弾頭は過たずその穴を通過している。
「ミュトイは市街地が多いから、最悪人質も取られるでしょう? 流れ弾も怖いし」
 冷静な言葉を紡ぎつつ、ショーティは愛用の眼鏡を外す。短い金髪がかすかに揺れ、それ以外の緊張を全くといって良いほど示さない、涼しい表情がユニーを見た。
「そうですけど、これで十分なような……」
「これに頼ってると足下すくわれるしね」
 取り外した眼鏡を見つめる。昼間であるからそれ度は無く、スイッチの入ったレンズにの中央には赤く光点が示されている。
「私も作ろうかなぁ」
「今から無い状況に慣れておきなさい。私より上達するから」
 うーん、と声を上げユニーはうなった。
 射撃の腕にも、冷静さにも、そしてそれ以上を考え、
「あはは……」
 苦笑するしかなかった。
「少佐、次はこれ」
 二人の横、歩み寄るは真理。彼女は二十発分の銃弾――サイズとしては小型の弾頭と言ってもおかしくはない――を入れた小箱をショーティに渡す。
「了解」
 言うなりショーティは手早く装弾、そして眼鏡を着け、サイティングを開始。
「少尉は訓練しないの?」
 ショーティの手早い作業に感嘆しつつ、ユニーは真理に問うた。
「ん、狙撃苦手だから」
 言い訳のような、分担を主張するような意見にユニーは何も言えず、己も渡された銃弾を込める。再び軽音と重低音が交差し、二人の射撃が行われた。
「私はこっちの方がいいかな」
「ほんとだ……結構変わりますね」
 先ほどよりぶれが少なかった。調整の妙を実感し、思わず二人がつぶやく。つぶやきにうなずく真理が近くにおり。
「頑張ってるから。あの子」
「私も負けてられないなぁ」
 ユニーの独り言は、ここにはおらぬ後輩への賛辞として真理が受け取り。
「成長した、ラプンツェル」
 過去を思い出して微笑む。いずれ仕込みにも巻き込もうなどと不吉なことを考えてはいたが、それは胸の内にしまっている。
 気に入った調合をしたラプンツェルを思い、二人は彼女の仕事ぶりを味方に、ターゲットを打ち抜く。

564 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:01:21 ID:OVKeGQEU
 軍部オフィス、その一角。会議室では資料の山を囲む形で数人が居た。
「くしゅっ!」
「なんだラプ子、風邪かー?」
 デスクワークに退屈を示していたシヴィルが、ここぞとばかりに声を掛ける。当の本人はティッシュで軽く鼻をかみ、目前の資料を汚していないかと軽い動揺を見せ。
「いえ……そうじゃないんですけど、どうしたのかな……」
「噂でもされてたりして」
 得意分野にて余裕を見せるドリスが顔を上げた。その言葉に過剰な反応を示したラプンツェルが立ち上がり、両手をばたつかせた。
「そ、そんなー……噂されるような……」
「尻がでかーい」
「た……大尉っ!」
 いつも通りの笑みを浮かべ、シヴィルは作業を再開した。文句を言う相手が職務に就けば、持ち前の生真面目さが機先を失い、軽くうなりを上げながら作業を再開する。
 しばらくの沈黙と紙を動かす音、その合間を縫うように会議室のドアが開き、ティアが現れた。彼女は少々疲労を見せつつ三者を見つめる。肉体疲労ではない事は、現在書面に目を通す誰もが持っている共通の疲労であり、
「どう、何か解る?」
「ミュトイはやはり……裏表があるのでは?」
 ドリスの結論に、
「ストラマの伝承はあります、独自に神話などを作っていることはいいのですけど」
 独特の名詞、それの確認をしていたのはラプンツェルで、彼女なりの結論を続けるべく、周囲に話すという行為を見せるかのように軽く咳払いをした。
「重きを置くのは知識と芸術、そして技術。それだけなんですよね……」
 疑問は腕組みした娘から、
「なんで軍事組織をろくすっぽ持たないで、あんな国土を守り切れていたか、だなー」
 国家間の交流がなされる前、そんな古代より国土面積が変わらない。シヴィルの眼前、開かれた書物にはそう記されており。
「最新鋭とは言え、設備だけで守りきれるのかねぇ……?」
 沈黙があった。誰にも答えられぬ回答に全員が目をつぶる。
 結論は見てから。そうまとめられたのは夕刻で、つまる所何の結論も得られなかったと言うことだ。
 不安を乗せ、疑問を乗せ、そして装備と、大荷物を乗せた時間はいつもと変わらぬペースで時計を進める。
 出立は翌日、翌朝。誰の懇願にも待たぬ時間が過ぎていく。

565 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:03:13 ID:OVKeGQEU
2.二国の交わり
 ――つとめて穏やかに、しかし姿勢を崩さず。
    手を取り合う価値があるのかの前に、友で居たいかを考えろ。

 時は流れ、午前九時。特務の面々はミュトイと浮き草地域の国境に立つ。
「ミュトイへようこそ。こちらです」
 それだけが国境に立つ男の言葉だった。
 落ち着いた声であるが行動は裏腹に迅速で。彼はそれを告げるなり背後を向き、己の翼で風を切る。
「っとと……。いきなりねぇ」
「時間が無いのは知っているでしょう?」
「でも……いきなりですよ」
 まず追従したのはティアとショーティで、続くのは慌て、それでも加速技術を持つラプンツェル。幾重にも重なる翼の音にため息一つ。
「なんだかなー」
「いいから行きましょう?」
「その通り」
 愚痴るシヴィルと、それをなだめるドリーが飛び立ち。相づちを打ちつつ飛び上がったスヴァンは周囲を見回す。
 足並みの揃う速度での飛行とはいえ、それは歩行よりも高速だ。
 そんな高速の中、視界から時間をかけて消えていく物がある。巨大が故か、建造物が視界に居座っていた。彼女たちが意識をとどめるのは巨大さではなく、
「浮遊している?」
 幾つか視界に伺える建造物を構成する、パーツの一部がそう見えた。
「この国が所有している発掘物ですわね」
 視線に答えるのは夕子だ。スヴァンは顔を彼女に向けつつ昨日のことを思い出す。
――ガイドブックとくびっぴき。
「浮遊島から掘り出してきた物なんですね、変わってるなぁ」
 会話を聞き取ったユニーが言葉を代弁した。彼女も横でガイドブックを眺めていた一人で。ガイドブックが出版されるほどには国交がある、それを確認したことはスヴァンの記憶に新しい。
「それにしても変わってますねー」
 セリエの疑問は当然のことで、技術的なことに関わることは旅行にさほど意味を為さず、彼女たちに発掘物についての知識はない。それに対する回答は無く、追従した女が真理とセリエの間に割り込むようにして現れる。
「牽引台と言うんですよ。『空に吊す』ための装置なんです」
「だからあんなにへんな構造してるんだぁ……」
 隣国人はドミナの感想にうなずき、柱ばかりで壁のない、そんな高層ビルを見つめた。朝と昼の半ばに位置するこの時間、その開放的な建造物には翼持つ人々が出入りを行い、ある者は浮遊している棒状の石材に腰掛け休憩を取っている。
「あれはマーケットです。開放的な高層建造物は私どもの国だけと言えましょう」
 解説を告げるのは別の女で。案内を受けつつ視線をやれば、いくつか閉まったシャッターが上がっていく様が見えた。マーケットの構造物に埋められたデジタル時計は午前九時半を指し、営業準備への回答を訴えている。

566 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:04:12 ID:OVKeGQEU
「もっと高いの、見えた」
 真理の告げる短い言葉、それはそびえ立つ、壁を持つ円柱形のビルであり。
「目的地はあそこの屋上です、何分入り口が上下どちらかなもので。今回は諸処の都合がありまして上から入っていただきます。万が一を考えて休憩用の台が幾つかありますのでご安心ください」
 先頭の男が顔のみを向けそれを告げた。
 ただそれだけ、簡潔な言葉のみを男は吐く。後は行動、移動のみだ。
――悪くないなー。
 そう、シヴィルは思う。そんな整った顔立ちだった。真面目なところも悪くない。
――悪くないだけだけど。
 面白味が無さそう、一人ごちて彼女も飛行を続ける。

 風に乗る彼女らを遠くから見つめる影がある。
「おー?」
 呑気な声は隣の娘に伝染し、同様に影を見つめた。
「おー」
「どうしたの?」
 背後の声に二人が振り返り、
『あ、ランさん』
 沈黙があった。そして出勤前のランから、同じ台詞を発した者を見つめあい、
『まねすんなー!』
 騒ぐ二人をさておき、ランは影を見やる。
――あ、みんなだ。
 双眼鏡を使えば彼女らが生まれ持った視力と組み合わせ、視認は容易だ。
「ミュトイに何しにいくんだろう」
 喧嘩を続ける二人にも、自分にも向けぬ独り言が風に乗った。

567 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:04:47 ID:OVKeGQEU
 目的地に到着を果たせば、ようやく周囲を見渡す余裕が現れた。速度は視界を狭める、事実を実感した特務の一同は周囲を見渡した。約束の時間には少々ある、それを考慮してか行動第一を見せつけた男も沈黙し、その様を見やるのみだ。
「うわぁ……綺麗」
 感嘆の声を発したドミーの視界、それは空気の都合で白色がかった距離を含め、図形を思い描いていた。着陸したビルの周囲――実際にはそれどころではなく、国ごと――を取り囲むように三本の巨大なタワーが設置され、それぞれが渡り廊下としてか、美観のためなのかは解らぬが、三つのリング状の構造物で一筆書きをされており。
「うーん、天使の輪っか」
 セリエの感想に追従したミュトイの女がうなずく。
「フォルトゥナ、と言うんです。省庁が部門別に技術、文化、産業とそれぞれ一つずつタワーに入っておりまして、補強のために円で繋がっているんですね」
「だから」
 真理の一言はまとめを紡ぐ準備であり、当人は理解していることを他人に解説させる要求でもあった。彼女曰く面倒臭いことであるから。
「中点には皇の城、というわけですか」
 ドリスはまとめを告げながら、記憶された内容を思い出すことに専念した。
 近代化されたビルは元の城を取り壊し、改めて建造したもので。
「技術と知恵の国は、過去の遺産すら駄目であれば作り替える、と……」
「そう言う意味では攻撃的、ですね」
 任務一辺倒と思われた男が苦笑しつつ口を挟む。多少の稚気はあるのか、それとも彼の本質なのかは解らぬが、セリエが見とれていたことだけは確かだ。
「フォルトゥナは運命の環、フォーチュンとも言いますね」
 追従した女が言葉をつむぎ、さらに彼女は言葉を終えない。
「技術と知恵に、我等が皇国の民は運命をゆだねるんです」
 さて、と一言告げたのは男で、それだけの言葉が彼の稚気を消した。
「そろそろお時間です。ノルストリガルズの皆様も到着されたようで」
 来てたんだ、とは誰もが思うことであり、口には出さぬがシヴィルが軽く笑みを見せる。
「これを機会に手を取り直す事は皇のお考えなのですよ」
 それだけの回答を告げると内部へ続く鉄扉を開いた。
「どうぞ」
 まるで執事のようだ。そうユニーは思い、実家を思い出し変わらぬ仕草に内心苦笑する。

568 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:06:44 ID:OVKeGQEU
3.二分割
 ――時には柔和に、時には断固として。
    硬軟を取り混ぜ時間は進む。
     その歩調だけが揺るがぬ信念。

 そこから、特務のメンバーは二手に分かれた。会談に参加する者、応接室にて担当からミュトイの解説を受ける者だ。
 応接室へはミュトイの男が、残りの女達は会談の会場へと案内していく。
 会談へ向かうのはティア、ショーティ、ドリスの三者で、案内された部屋にはミュトイの者であろう老年の男が一人、机に向かい合うのは初対面の壮年と、白としか言いようのない不思議な雰囲気を纏った女だった。
 彼女らはそちらへ意識を向ける前に椅子にかけ、ミュトイの老年と向かい合った。着席を確認した老年がわずかにうなずき、視線を向かい合った五名に送る。
 会談を始める、その合図であるかのように案内を行った女達が老年の背後に立つ。
 少々の間より、老年が主導権を握る。
「ようこそおいで下さいました、異国の同胞。我等が主、セオフィラス皇に変わりまして会談させていただきます。ジェローム執政官であります」
 言葉を告げ、己を示す。思い思いに認識を固め終えた頃、会談場のドアが再び開けられた。現れたのは先ほどまで案内役を務めていた男であり、彼はその場よりジェロームの隣に立つ。鷹揚にうなずくジェロームが再び言葉を告げるべく、小さく息を吸った。
「こちらは我が皇国の皇子でいらっしゃいます、ニコラス皇子です」
「身分を隠すつもりではなかったと言わせていただきます。是非お目にかかりたいと思いまして」
 少々、悪戯の色がある、そんな瞳だった。彼は一礼すると椅子にかけ、改めて一礼した。
 頭を上げ、再び周囲を見回すニコラスの瞳、そこには真っ直ぐな光があり。
――切り替え上手。
 ショーティは無表情の中、それを思う。
「申し訳ない。正装でお会いするのが礼儀だとは思うのですが、何分現状が現状なもので」
 咳払い一つ、隣のジェロームより。
「現状については後ほど……。まずは互いを知るためにもお名前をお教え頂けますかな?」
 視線はこちら、五名へと向く。水を向けるような彼の視線は最奥、ティアを注視した。解りやすい要求に彼女はうなずき、椅子より立ち上がる。

 残る特務の面々が案内された応接室には、懐かしい空気があった。
「あれ?」
 懐かしい声、懐かしい面影に、シヴィルとそれは笑う。
「シヴィル!」
「よーう久しぶり、エルヤ!」
 満面の笑みでハイタッチを交わす。思い思いに表情を交わすのは、残る特務とエルヤ、そしてナンナで。
「てっきり会談の方に行ってると思った」
「二人はボクより目上だからねぇ」
 苦笑しつつ、それを告げた。
「とりあえず待て、って事かなー?」
「ゆっくりしましょー!」
 セリエとドミナの変わらぬ精神状態に、何故か全員が安堵した。
「何かと張りつめてましたね……」
 感想はラプンツェルより。

 一方、会談場にて。挨拶は四人目、ノルストリガルズの壮年であった。
「エリク・ドゥネイル、名前の通りにドゥネイル領より参上した。ヤールである」
 尊大な、かつ簡潔な言葉であった。尊大なのは態度だけではなく、礼服なのだろうか豪奢な軍服に身を包み、力強い体型はそれでもうかがい知れる。頬に付いた傷にも、髭にも、そして眼光にも、彼の勇猛さを物語っているような雰囲気がある。着席も簡潔で素早く、そして雄大だとドリスは思う。
 エリクが着席を終えれば、浅く瞳を閉じた最後の参加者が立ち上がった。白色のローブの下、青白いと言うべき肌と髪、まるで生きていないかのようなたたずまい。そんな女性は深紅のルージュに彩られた唇を浅く開き、改めて開いた瞳に柔らかい笑みを乗せる。
――氷の人形みたいだけど、暖かい笑い方をする。
 ショーティの感想は言葉に告げない。冷たい人間だと思われたくない、そんな相手であれば侮辱になりかねない。故に、言葉を飲む。
「スノトラ・フィンブルヴェトルと申します。皆様の言うところの首都、イーヴァルディ領より参りました。意見役などを統括する、ドルイドの任に就いております」
 優雅な笑みをまずはミュトイの者へ、続き列席するティア達に向け、再びの一礼より着席した。その様を見届けたジェロームはうなずき、
「お手数おかけ致しました、では、我等が皇子より今回の会談につきまして――」

569 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:07:24 ID:OVKeGQEU
 応接室で時間をもてあましていた面々は、会談に出席した者について語っていた。
「ヤール、エリクはナンナのお父さんなんだ。ボクの父さんも昔はつかえてたんだよね」
「それはそれは……さぞ勇猛な方なのでしょうね」
 穏やかな声は聞き上手――夕子――の言葉で、その言葉にナンナが続いた。
「ドゥネイルは耳に響かせる者、それほど武勇はあるようです」
「エルヤさーん、もう一人はー?」
 誰にも様子が変わらぬ、そんなドミナの声にエルヤは笑みを返した。
「スノトラ様。ボクとシヴィルが飛び込んだイーヴァルディ領のドルイドだよ」
「あの場所、そんな名前だったんだ」
 何も考えていなかったとばかり、シヴィルは言葉を紡ぐ。その様にエルヤは笑い。
「シヴィルらしいなぁ」
「なんだよー」
 二人のやりとりに軽い嫉妬を感じたのか、ナンナは解りやすく咳払いを一つ。
「イーヴァルディは王者という意味ですね。スノトラ様の称号はフィンブルヴェトル、『大いなる冬』です」
 茶飲みにも飽きたのか、セリエが歩み寄ってきた。
「で、で……ドルイドってなんですか?」
 そうですね、と告げたきりナンナは黙ってしまった。言葉を探しているのか、彼女の沈黙はエルヤすら口出しできぬ事で。
「はいはい! 知ってるよー。調べたんだもーん」
 手を挙げ名乗りを上げたのは、ドミナだった。
「姉さんのお手伝いで覚えたの!」
 快活なブイサインに誰もが注目を彼女に送り。
「んっとね、えーとえーと……神官、賢者、占い師、教師、指導者、魔術師を兼ねる役職……だったかな?」
 説明だけが彼女の言葉とは違い、明らかに丸暗記といった風情があった。それでも記憶には感嘆せざるを得ないといった様子で、ドミナの周囲に丸い目がある。
「冬の魔法を使う、多分ボクらの国で唯一の人だよ」
 エルヤはようやくの言葉を告げ、その言葉にシヴィルは過去を思い出す。
――ドジ助ラン子はどうしてるかねぇ。
「……あれ?」
 周囲が行う過去との邂逅にエルヤとナンナは取り残され、少々とまどいを見せていた。

570 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:08:57 ID:OVKeGQEU
4.いち、たす、いちかけさん
 ――きっと、きっと。
    誰もが同じ環境で過ごさないから、こんなに人生がある。

 軽いノック、静寂を破るかすかな音。
「失礼しますぅ」
 応接室へと現れる姿に面々は息を呑む。
「でか……」
 シヴィルの声だけが沈黙に響く。それほどの体型を持つ女だった。
「どうかなされましたかぁ?」
 柔らかを通り過ぎるような声で答えた女の表情は、垂れた目尻と穏やかに瞳の半ばまでを隠す瞼と、眠気に満ちているような雰囲気を持っていた。
 長く伸びた茶色の髪、その毛先が乗るセーターのふくらみは巨大で、ベリルと同等ほどの身長を差し引いてもユニーより目立つ、威圧的な胸元がある。
「いや、なんでも……」
 一同の視線は胸元のまま、眠そうな女は微笑みを加え、
「ソフィアと申しますう。技術庁で設計主任をしておりますー」
 きりの悪い言葉尻だった。言葉にすら眠気があるような女は、セーターの上から白衣を羽織り、傍らにぬいぐるみのような物を抱えていた。
「それ……なんですか?」
 シヴィルに続き、ようやく口を開いたユニーがぬいぐるみを指さす。辛うじて趣味に近い物が存在したが故の質問ではあった。その証拠に何度と無く横目が胸元を射抜いた。
「? 抱き枕に決まってるじゃないですかー」
 眠気を湛えたような笑顔がぬいぐるみを見せた。間抜けなライオンといった外見の抱き枕は、使い込まれているのか所々にほころびが見える。
 ライオンの表情とソフィアの表情が実にマッチしているとユニーは感じる。少なくとも年上といった雰囲気はあるが、表情が全てを台無しにしているのか、そう思った事は口には出さず困った笑みを見せた。
「決まってると言われても……」
 言葉尻を濁したユニーのつぶやきに返答はなく、
「ふあひゅ……」
 眠そうな顔によく似合う、そんな可愛らしい、むしろ子供じみたあくびが一つ。

571 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:10:21 ID:OVKeGQEU
 目尻に浮かんだ涙を抱きかかえたライオン枕にすりつけるようにしてぬぐい、ソフィアは改めて客人達を見つめ、眠気の消えぬような笑顔を振りまく。
「会談は少々長引くようですのでぇ、その間お待ちいただくのもなんですしぃ……ご協力のための予備知識としてお役に立てますよう地域案内を仰せつかりましたぁ」
「わーい観光!」
「かんこー!」
「あなた達ね……」
 スヴァンのため息一つ。彼女はソフィアに向き直り。
「確かに土地を把握しておくことは重要だと思います。しかし、質疑を受けられると聴いていたはずですが?」
 はぁい、と短くも間延びした、そう反する要素を込めた返答がある。ソフィアの表情は眠気のままで、余裕とも平和とも取れた物をみじんにも変えていない。
「質問にお答えしながらご案内する予定ですけどぉ、こんなにお客様がいらっしゃってますからー。……どうぞぉ?」
 ソフィアの向けた水はこの室内に対してではなく、それは視線でも解ることで。
 彼女が向けた視線、誰の姿も見えぬ代わりとばかりにドアが動く。
 即座に見えたのは、紺のパンツスーツ、続き小柄な黒のスーツ。双方とも女性であった。
 出入り口に並ぶ二名は客人へと向き、赤毛のショートヘアを揺らして紺の娘が一礼した。
「はじめまして! 文化庁でインターンをしています、アンジェラ・ネレウスと申します! ご案内と質問を仰せつかりました!」
「音量ダウンしろ。うるさくてかなわん」
「ご、ごめんなさーい!」
「だからうるさいと言っている」
 意見を吐くのは隣の黒、小さな娘は目上のような口調で、しかし外見は少女のようであった。黒髪を左右の頭頂でまとめた、白いシニョンが目立つ。続き、彼女の肩にかけられた巨大なバッグと、尊大な口調を無表情に乗せた様が目を引く。
「法務庁所属法務官、テティス・アンブロア。敬語は苦手なのでご容赦していただく。プライベートでも家族間でもこの口調なので気にしないでいただこう」
――お人形さんみたい。
 内心、セリエはそう思う。小柄な体に無表情、可愛らしい声、どれをとってもその比喩がふさわしいと思い、少々の思考を要した。
――法務官っていうことは結構身分があって、
 外見以上にキャリアがあると判断する。合わせ、年に関することや外見に関する感想は述べず、黙ることにした。セリエの心中はさておき、
「おい、寝るな」
「うにゅー?」
 眠そうな、と見られたソフィアが短時間で眠りについており、テティスは肘でそれをつつきつつ、バッグを漁っている。目的の物を探り当て、起こすべき相手も起きたようだ。
両手の行動が終わっている。眠い目をこするソフィアへ、バッグより取り出された手と物
が突き出され。
「蜂蜜パン食え」
「ふあふゅ……寝起きじゃ入りませんよぉー」
「む。手作りだのに」
 言うなり自分の口に放り込んだ。
「えーと……」
 状況を改めるかのように絞り出された声はラプンツェルの物で。
「脱線しちゃいましたねぇー。えっとぉ、私達でそれぞれ案内しますのでぇ、三班に分かれていただきますねぇ」
 発言の終わりとばかりにあくび一つ。

572 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:10:55 ID:OVKeGQEU
「じゃ、ちょっと相談させて貰うよ。遊びで来てるわけじゃないし」
「はぁい。お待ちしてますねぇ」
 シヴィルの意見にユニーは感心する。短くも慎重で、確実な判断だ。
 とりあえずとばかりに集合した客人達へ向かい、シヴィルは小声を意識した仕草で口を開く。
「どういう意図かわかんないけど、分散したら同じ質問が被ると思うんだ」
「何より、所属が各々違われていますから、お伺いできることも変わりますわね」
 シヴィルの、そして夕子の意見に全員がうなずいた。
「ナンナとボクは技術庁の人についていこう」
「なんでさ?」
「ここは技術の国だよ」
「あ、そうか……要だから狙われる場所も解るか。じゃあ、あたしも行く」
「やたっ! シヴィルとなら楽しそう!」
「エルヤ様っ! 私という者がありながら!」
「痴話喧嘩は後にしてくれー。んー……そだな、ベル子、一緒に来な? 技術そのものは任せた」
「了解っす」
「残り二班かー……。責任者決めないとね。……ゆーこちゃんは確定として……ドリさんがいりゃ活躍できるんだけど。ユニ子、頼むよ」
「そうですわね……。とにかく、お受け致しますわ」
「了解。それじゃあ残りの人を分けましょうか」

 さて――。
「くしゅっ」
「大丈夫? 少佐」
「はい……。あ、どうぞ。お続け下さい」
 鼻をかむドリスに咳払い一つ、それはジェロームの物で。

 ――さてさて。
「お待たせ」
 たった十分弱、その相談に気遣いを見せるのはシヴィルで。彼女の視線の先、やはりといった様子でソフィアが寝こけていた。立ったままというのも器用ではあるが、ライオン抱き枕をきちんと使っているあたりに条件反射や日常の慣れを感じる。
「とっとと起きる。相談終わったぞ」
 つつくテティスの肘で何度目かの目覚めを終えたソフィアは伸び一つ。反った背中が胸元をより強調し、図らずも周囲の視線がそこへ降り注いだ。
「班分けも終わったことですしぃ、ご案内しますねぇ」
「子供の社会科見学でもこんな引率居ないぞ……」
 ベリルが思わず口に出した言葉は、ソフィアに聞こえているのか解らぬが、とにかく誰の反応をも誘わない。

573 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:13:56 ID:OVKeGQEU
5.千の積み重ね
 ――今居る瞬間にとっては千分の一。国にとっては千そのもの。
    だけど、語り合う言葉は永遠の千と、そこからの数ヶ月。

 会談場は、質疑の時間であった。真っ先に手を挙げたのはドリスで、
「保有戦力は警察機構のみとありましたが……」
「その通りです。戦力と呼ぶにはいささか武装や訓度が足りませぬが」
 先ほどまでの説明で解っている事を告げた。前置きという意図を察してか、返答したジェロームはドリスから瞳をそらさず。
「本当にそうなのですか? 国家間交流の無かった時代から国土を維持するには、少々自衛勢力が足りないと思うのですが」
 隣でショーティが顔を覆った。早い核心に呆れたような、そんな仕草を見せている。回答はわずかな間、しかし、先ほどの返答より時間をかけた間だ。
「設備力で勝っていますから。」
それはニコラスから伝えられ。
「……承知しました」
 明らかに不承不承、そんな雰囲気の間を持ってドリスは質疑を止めた。雰囲気を感じ取り、かつ質疑を止めたドリスに返答者は一礼を返し。
――流石に固いですね。
 少なくとも、特務のメンバーは同一の意見を抱いている。

 ソフィアの心配、そればかりが彼女に随伴したメンバーの脳内を浸す。
「器用なもんだ……」
 シヴィルがぼやく。彼女の視線はふらつくソフィアの後ろ姿を捉えており。
「なんで転ばないんだ……」
 呆れるベリルの耳に届く、ソフィアの寝息は確かな物で、それを裏付けるかのように時折彼女の首は船を漕ぐ。
「慣れてるんじゃない? というか……、解ってやってるって事はないのかな」
 エルヤは悩む。彼女らの求める、質疑の時間を思いつつ。
「眠れば質疑は受け取られない……ですか」
 ため息を吐くナンナの見つめる先、寝言すら交えたソフィアが緩やかな段差を歩む様がある。
 フォルトゥナと呼ばれた、街を囲ってしまうような空中の環、それが支えられているまたは支えている角柱、居住区を持つそれは一般に言う高層ビルだ。その眼前に立つ彼女らを先導した眠り姫がかすかに震えた。
「技術庁到着ですぅー。ふあふゅ……」
 振り返り、高層ビルの名前をあくびと共に吐く。
「ソフィアさん。はいはい」
 口火を切ったのはエルヤだった。
「技術庁って何してるの?」
 眠たげな笑顔は変わらず、はい、とだけ告げ。
「防衛装置や警戒網、通信インフラの確立などですねぇ。特許管理は法務庁との連携でやっておりますぅ。非常時監視システムとしましてはー、外部および市街地に緊急時のみ稼働する映像監視システム、アルゴスとかも作成しましたよぉ」
「そ……そお……」
 ギャップに面食らったのか、理解をいまいち示さないのか、エルヤが言葉を濁し、
「ECM対策はどうなってるんすか?」
「アナログ、デジタル二系統のサブルーチンを備えてますよぉ。勿論有線ルートと無線ルートを用意しておりますう」
 この質問を始まりとしてベリルとソフィアの会話は続く。なんとか追いすがるのはナンナで、シヴィルとエルヤは取り残されたままだ。
「だけど」
「だけど?」
 絵に描いたかのような『小首を傾げる』行為をソフィアは見せる。
「そんなのは、昔っからあった設備じゃ無いっすよね?」
 ええ、と淀みなく返答は返り、
「勿論ですよぉ」
 眠たげな瞼の奥、瞳は鋭さすら感じられ、しかし穏やかな光がある。

574 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:14:28 ID:OVKeGQEU
 真円をした水がある。それの周囲を取り囲むのは人工の石。中央、彼女らが着陸したビルより南へいくばくか、それはあった。
 コンクリートで形状を保たれた人工池、その先にはフォルトゥナと繋がる柱一つ。
「昔は騎士も居たんですよ。……っと、到着しました。あれが文化庁です!」
 アンジェラの指さす先をユニーは見上げる。
「近くで見ると大きいですね」
「でも、アトラス程じゃないですよ」
「アトラス?」
 セリエの疑問にアンジェラは迷わない、彼女らが背を向けた方向へ指をやり、
「あの中央ビルです。空を支える巨人の名前、建国時代の神話ですね。ミュトイの空を支えるべく、その名前を付けたんです」
 疑問を投げかけたセリエ、ユニー、そしてラプンツェルが指に従いそちらを向けば、巨大な柱は空気によりかすかに霞がかってはいたが、その偉容を示している。
「さあ、軽く文化庁をご案内しましょう! ご質問はたくさんあるようですし」
 三者が振り返れば娘のような、少女のような――発する言葉によく似合う快活な笑みがあった。

 フォルトゥナに繋がる柱、北東担当のビルはとりわけ静寂を主とする場所とされる。
 ミュトイ、ノルストリガルズ、そしてスピネン、三国を繋ぐ浮き草地帯へ繋がる方角である故かもしれない。もう一つは担う役目が理由であった。
 そこへ特務の一部を案内する者は、入館に際し黒の仕事着に身を包んだ。
 館内で行き交う時折挨拶を交わす職員も、黒衣が多い。
 案内者はその入り口にある案内板の前へ立つと、案内すべき背後に居る者達へ向く。
「ここが法務庁だ。役目は間違いなく君たちの国と少々違うだろう。そうだな……警察と裁判所を併せたと思えばいい。行きたいところはあるか? 無いなら一室を借りているのでそこで質疑応答を行うが」
 小柄なテティスは黒の法務服に身を包み、特務のメンバーに視線を巡らせた。彼女は裁判官であるようで、その衣服は常時肩にかけられた巨大なバッグより現れた物だ。
「今後の妨害を考えますと、都市犯罪などが起こりそうです。この国での逮捕能力を推し量れそうな物はございますの?」
 この方面視察において、責任者の任を与えられた夕子が問う。
「残念ながら、あまり無いな。私もそうだが……この国は未然に防ぐ事を良しとする。私は勤続六年目だが、刑事裁判など二回しか担当したことがない」
「それ、どういう事。誰も逮捕できないの」
 真理とテティスの視線が絡みつく。無表情の内に秘める意志や真意を交換するような沈黙があり、後にテティスが軽く首を振った。
「いいや、教育の賜だな。この国は教育が行き届き、犯罪に対し忌避を感じているのだろう。……むしろ私が聞きたいくらいだ。なんだって君たちの国はそんなに物騒なのかとね」
「ぶー、ひっどいんだ。そんな酷い国じゃないもん!」
 物騒なと告げた者とほぼ同等の丈をした者、ドミーが腰に手を当て食ってかかる。
「倫理観の育成が足りないんじゃないのか、君たちの親、いや……幾重にもな」
「それは家によると思うのですが」
 静かに、そして鋭くスヴァンが異論を唱える。
 対するテティスは眉をひそめ、
「何……? 義務じゃないのか?」
「は……?」
 静寂をたたえる法務庁の窓口、そこで疑問符が全員に生まれた。

575 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:15:02 ID:OVKeGQEU
 へぇ、と長ったらしい相づちを打った。ソフィアの眠気は同時に流れて広がり、空気に拡散してしまうような錯覚を覚える。
「両親による義務なんですよぉ。倫理教育三年を小学校までに受けてぇ、最後に筆記試験してから小学校に入るんですぅ」
「成る程ねぇ……あたしらんとこは小学校で全部やるからなぁ……。別に圧力をかけてるわけじゃないんだね」
 シヴィルは感心したのか、皮肉混じりなのか、誰にも解らぬ曖昧な返答をした。
「それがありゃ、あたしみたいな身の上も無くなった、か」
 感想代わり、ベリルは小声でつぶやく。誰にも聞こえぬその声はため息のようで。
「うぅん……教育体制って全然違うんだねぇ。ボクの所なんかドルイドやスカールドに言葉と歴史とか聞くのだけだよ」
 腕組みして感心を体で示し、エルヤが唸る。隣のナンナもうなずき。
「習うより慣れろ、そんな教育ですからね……」
 先ほどかすかに聞こえた、ベリルのつぶやき。シヴィルはそれを転がし、技術資料に没頭するベリルを見つめつつ、何かを考える。結局、沈黙という結論にしか至らぬ事は、今の資料に目を輝かせるベリルを見つめることで忘れることにした。

 会談場も一区切りの様相を見せていた。長く続いた会談、それのまとめをジェロームが告げる、そのような時間にある。
「先ほども告げましたとおり市街地の概要及び配置はこのように。では、明後日の交渉完了までのお手伝いをお願い致しますぞ」
 ジェロームが向かい合う、五名のうなずきを確認。
「では、長くなりましたが会談はこれにて……」
 まとめの言葉を告げ――
 きることはなかった。
 電子音が鳴り響いている。出入り口の壁、そこへと据え付けられた内線電話が犯人だ。少々顔をしかめつつ、補佐として部屋の隅にて待機していた助役がそれを取り。
「うむ……。了解した」
 長い通達があり、その返答は短かった。彼は受話器を戻すと素早くジェロームに耳打ちを開始、そして告げられた言葉を理解した執政官はかすかに表情を変え、
「失礼、今少しお時間を頂きます」
 かすかに沈痛な表情と重々しい声が、事態の概要を語っているかのように響く。

 文化庁に存在する巨大な書庫がある。本の森はそれを収容するビルの三フロアを支配し、先ほどアンジェラが伝えた事によれば、耐荷重のために書庫の構造は徹底的に補強されているという。それほどまでに所蔵された書物は、それでも公営私営の図書館と比較して中規模程度であると彼女は言っていた。
 現在、案内者と客人はそこに備えられた資料閲覧室の一室を借り、そこで会話を交わしていた。
 そしてその部屋には、筆記の音が休み無く続く。
「すいません、どなたかノートを……」
 申し訳なくそう告げるラプンツェルの言葉と共に、筆記の音は止む。視線を文字で埋め尽くしたノートから申し訳なさそうに前方へ。言葉が言いきられる前に、小さなメモ帳が机に差し出された。ラプンツェルの視線がそれを射抜き、それに添えられた手をつだえば、アンジェラの笑顔があった。
「全部メモするなんて……ラプンツェルさんって凄いですね」
 毛恥ずかしそうに目を細め、照れ笑いでその笑顔に返事を向ける。
「特技なんです。……あれ?」
 疑問の内容はユニーより。
「名乗ってませんよね。失礼でした」
 いえ、との言葉と共にそっと空気を手のひらが押す。アンジェラの手は指さしとなり、同時に視線を動かす。
「資料は見てますよ! ユニー中尉にセリエ准尉、そして……」
 数えるような指の動きが、言葉と共に空を跳ねる。そっと下ろされた指先は過たず最後の一人へ向き、
「ラプンツェルさん」
「あれー? ラプちゃんだけ階級無しなんですかー? ……年下だから?」
「え、いや! 違いますよ! 言葉のあやですってば!」
 ひっくり返らんばかりに慌てるアンジェラを見、ラプンツェルが笑う。
「そんなに慌てなくても、気にしてませんよ」
「え、あ、あのー……」
 慌てぶりから一転して頭を掻きながら赤面するアンジェラの背後、ドアより彼女を呼ぶ声がした。
「アンジェラ、アトラスからお電話。内線二番ね」
「はーい!」
 かすかに開いたドアより、閲覧者が総出で『静かに』のジェスチャーをするのが見える。
 ラプンツェルも、セリエも、ユニーも、皆が吹き出し、改めてアンジェラが恥じた。

576 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:15:50 ID:OVKeGQEU
 同様の電話通達はこちら、法務庁にも届いていた。
 先ほどまで取り残されていた真理とドミナ、スヴァンの三名がようやくテティスに注意を取り戻した。
 それまでの時間語り明かしていた夕子は考え込んでいる。
「アーモンドとか……良いかもしれませんわね」
 先ほどの話題、自作の蜂蜜パンについて。
 話題の中心であったテティスも応答を終え、会話の行われていた応接室へと戻ってきた。
「すまんな。待たせた。……リンゴを入れてアーモンドをまぶす、か……。いけるな」
「でしょう? きっと良いお味になりますわ」
「……っと、すまん。脱線した。先の電話だが……」
「こちらに関わること、ですか」
「騒がしく、なった?」
「お仕事?」
 ようやく意識を集中できそうな話題に、取り残された三者が食いつく。

 技術庁を出た面々は、ソフィアの案内によってミュトイ市街外周を歩いていた。
「なんだって会談は長引いてるんだろうなぁ」
「さぁ……。私にも存じ上げませんよぉ」
 だろうね、と言葉を飲み込むエルヤは、外周から外を見やる。
 円形に配された市街地の外周は、二方へ向け舗装された道路があるだけの平野だ。西側は隣国へ、そして東側へは彼女たちの祖国へ繋がる浮き草地帯へと。
「東側は安全のようですね」
 ナンナの一言、それは彼女たちを見送った顔を思い出させる物。ベリルもうなずき、
「そっすね。危険としたらあっち……か……」
 視線の往く西側、未だ明確に事情の解らぬ国が二つ。
「それは早計じゃないの? ねぇ、ソフィア」
 風に煽られるポニーテールごと振り向くシヴィルは、問う相手に向き。
「はいー?」
「貿易するくらいの国交はあるんでしょ?」
「はい、ありますよぉ」
 なるほど、とうなずくエルヤは頭を巡らせ。
「そっかそっか……もう入り込んでる可能性もあるんだね」
「そう言うこと」
 沈黙のまま、四人の不安げな視線は西側の道路を見つめ、
「すー……」
 ソフィアは再び眠気に体を支配されつつある。
「ねーるーなー!」
 すっかり慣れてしまった。シヴィルはそう思う。

577 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:17:48 ID:OVKeGQEU
6.もう一つの、二
 ――お隣さんにだって、隣はある。
    一つは自分の方で、
     ここは困ったことに他人が二つ、あったけど。

 北東に存在する法務庁、そこから外周の道沿いに西へ歩けば技術庁を経て国境がある。居合わせた誰もが薄もやの認識しか持たぬ二国への境界だ。
「察するに、ここが最も警戒すべき場所だと思われる。だが……あからさまな行動がどれだけ危険であるかを解っていない馬鹿とも思えぬ」
 バッグから取り出した地図を見せ、それをテティスの指がなぞる。
「常時稼働している警戒網はこれより内側の行動を察知する」
「広い……」
 つぶやくスヴァンは思う。少なくとも自軍の警戒範囲を大きく上回る範囲を。
「技術と文化、解って頂けただろうか」
 テティスの無表情に浮かんだ笑みと、高揚した声。それは祖国に対しての誇りを含んだ物だ。見渡せば、均衡状態を物語る未開発の平野と、ただ一本の道路。少なくとも見える範囲は警戒範囲内で、その広さを実感できる物だ。
「警戒は良いとしても、もし……」
「ああ、それが問題だな。そうなる前になんとかせねばならない」
「ですから、私達がお手伝いしますの、ね?」
 不安を飛ばしてしまいそうな、穏やかな笑みがある。
「ゆーこさん、さっすがー!」
 ドミナがはしゃぎ、真理がうなずく。それだけで不安を『悪くない』緊張に変えてくれそうな空気があった。テティスが軽く笑みを漏らし、
「さあ、次は何処へ行こうか。地の利を活かすのもいいが、我が国を観光することもついでにするといい」
 気が晴れる。そんな心持ちを感じて告げた。
――流石に各国から目を付けられる軍部だな。
 少々誤解はあるが、声を発さぬ思考には指摘できる者は居ない。
「さておき、蜂蜜パン食え」
 自信作をバッグから出しつつ、無意識の遠足気分に花を添える。

578 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:18:24 ID:OVKeGQEU
 何処までも続く、そのような錯覚を覚える岩壁がある。山々は高く、羽根を持つ人々にすら努力を強いられる高さ、そして吹き上がる風。ミュトイの南端は大山に守られている。
「この高い山々、海から吹き上げる風、そして最新鋭のレーダー! シシュフォス山脈は鉄壁です! 無駄骨の事をシシュフォスワークと言うくらいなんですよ!」
 山々を背に、くるりと半回転。体のぶれすらも無くアンジェラは止まる。広げた両手と翼に、ミュトイのある大陸南岸を守る山脈を、そしてその広さを示すようにして、彼女は強く笑った。
「確かに……高いー……」
 呆れたような声を上げ、セリエは山頂までを目で追う。立った麓の地面より、ゆっくりと登山気分を感じながら少しずつ。
「おおおお……?」
 霞のかかる、未だ先端を見せぬ位置まで目を上げればバランスが崩れた。
「あわあわあわ」
 両手をばたつかせ、それでも踵だけで支える体は後ろに倒れかかり、しまいにはたまらず空へ飛び上がってしまった。
「でも……登れない訳じゃないと思うんですが……」
 ラプンツェルがセリエの様子を伺い、視線の登山を諦めてつぶやく。
「はい! 山頂に行けば解りますよ! ちょっと飛びましょうか」
 ラプンツェルの手を握り、アンジェラが飛び上がる。慌て、手を取られた彼女も、引く力をきっかけに飛び上がった。
「何があるんだろう……」
 少しばかり楽しみ、観光気分がかすかに感じられるのか、ユニーが微笑みつつセリエに同行するよう促した。
 三者の飛行は素早く、速度が空気を切り裂いていく。空気の温度が次第に下がり、少しずつ霞を切り裂き、求める山頂を顕してゆく。霞を切り裂くたび、湿度を体に感じ、下がった気温も相まって清涼な感覚があった。山肌も木々の緑がまばらになり、山肌の茶、そして先端は岩石の灰色だった。山頂を吹き下ろす風に乗れば、背後に押しやられるような感覚がある。しかし、風の道はあくまで山頂への道しるべになり、強くなる逆風がまるで山頂への距離計として働いているようだ。
「役得だったぁ……。っと。山頂そのものには行きませんよ!」
 ゆったりとした飛行をするアンジェラの声を背後に聞き、先を往く三人が振り返る。
「え?」
 声より最も近くに位置していたラプンツェルが振り返りつつ、
「あああっ! だめ! それより先は駄目ですー!」
 アンジェラの制止も虚しく、三者の最後尾、ラプンツェルまでもが山頂越えを完了しようとしていた。風切る音にアンジェラの叫びが聞こえた。
 先頭のセリエがそれに疑問を覚える頃、再びの叫びがあり。
「あーっ! も、もう時間だぁ!」
「ふえ……? うわぷっ!」
 飲まれた。そう、セリエは感じる。
「ひっ……!」
 冷たくてちょっと痛い。ラプンツェルはそう思った。
「わぁぁんっ!」
 まるで逆流した滝みたいだ。ユニーはそう思い。
「羽ばたいて! こっちに山小屋がありますから!」
 アンジェラの声にずぶぬれではじき飛ばされた三者が必死の飛行で避難する。
「な……なんなの」
 濡れた衣服に強い風、そして清涼な空気に寒さを覚え、体を抱きつつユニーはぼやいた。

 この状況では都合の良い山小屋だった。アンジェラはそう安堵し、タオルに包まれしゃがみ込み震える三者を困った、そして申し訳なさそうな表情で見つめる。
「すいません、説明が遅れました……。えーっと……ここはあんまり人が来なくて放置されているのですけど……温泉が湧くからある小屋なんです。こんな目にあった人が避難するために都合がよくって……乾燥機もあるんですよ。まだ案内には時間がありますし、暖まってくださいね」
 寒さに震えつつ、セリエが入り口とは別のドアを見た。ドアに取り付けられた硝子窓は温泉があることを伝えるかのように曇り、白くその先を示さずにいる。
「こんな事ってな……くしゅっ!」
「あああ、説明は入浴時にしますので! えーっと、早く入ってくださいー!」
 何故か赤面し、アンジェラが慌てた様子で山小屋を飛び出した。
「……?」
 首を傾げつつ、ユニーが衣服を乾燥機に放り投げる。
「どうしたんでしょう?」
 ラプンツェルも首を傾げ、とにかく暖まろうと衣類を脱いだ。

579 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:19:04 ID:OVKeGQEU
 乾燥機が回転し、古さを示すかのように時折きしんだ。リズミカルな固い音は、除き窓に当たる金具だろうか。温泉に入る、バスタオルに包まれたままの三者は熱さに身を解しつつ、その音を聴く。音が明確に解るのは、山小屋のドアが半開きになっているからであり、そこから声のみが伺えるアンジェラが居た。彼女の姿は山小屋の中で、足も、羽根先すら見えない。
「定期的に海風が打ち付けるんですよ。ああやって、水のカーテンを作っているから鉄壁なんです」
「なるほどー。で、アンジェラさんは入らないの?」
 湯をばた足でかき混ぜつつ、セリエが問う。
「い、いえっ! 私は濡れてませんから!」
「待ってるだけなんだし入ればいいのにー。にゃはは」
 んー、と声をあげつつ、声の主であるセリエが口元まで沈む。暖かな泡を吐き出すセリエを見やりつつ、ラプンツェルが湯を掻き回した。
「温泉……かぁ」
「およ、どうしたのラプちゃん」
「初めてなんですよ」
「おー、私は二回目だよー。ユニー中尉は?」
「私も初めてー」
「うーん、中尉はやっぱすごいですねー! バスタオル巻いてるのに胸が浮いてるー!」
「ちょ、ちょっと……恥ずかしいー……」
「ちょーっとだけ! 触っても良いですか!」
「え……あ、ちょっとだけね?」
 恐る恐る、セリエの指がふくらみを押す。予想以上の柔らかさだったのか、ある程度の力加減を持った指がそれを押し。
「うわー! やっこ! 何これー! ちょっとわけろー!」
「もぉー、何言ってるの!」
「にゃははー」
 彼女らの浮かれを示すように、湯中より出された手のひらが温水と遊ぶ。ユニーのはしゃいだ頭は色々なことを巡らせ、考えをまとめたようで。
「アンジェラさん、乾くまであと何分ですか?」
「あと三十分くらいでしょうか……」
「なら、一緒に入りましょうよ」
「い、いえいえいえいえ! いいです! 遠慮しておきますー!」
 職務とは違う否定を聞き、温泉に浸かる娘らが首を捻った。
 一つのことにたどり着いたセリエは悪戯っぽい笑みで、
「ふーふーふ、お仕事で案内してるのにいけませんねー」
「えっえっ……」
「アンジェラさんってばー、女の子の好きな女の子なんでしょー!」
「うっ……いえ……あのー……」
 図星なのかそうではないのか、微妙な沈黙がある。
「あれぇ、違うのかな……」
「あ、別の国の方だと解らないですか」
「うえ……?」
 浴場で三者の視線が交錯する。視線が合わされば示し合わせたかのように首が捻られた。
「私、女の子じゃないですから」
「男の子?」
 あー、といった声は予想通りと、そんな声で。しかし、声の主はアンジェラだ。
「両性なんですよ」
「あ……」
 気まずい空気、それを感じつつ、当の本人は言葉を紡ぐ。姿は見えず、どんな顔をしているのか、そればかりが気にかかった。申し訳ないとも思う。
「他の国では珍しいですよね。私達両性の一族は、昔は迫害を受けて移民を続けてたんです。それで行き着いたこのミュトイは、倫理教育がしっかりできていたから落ち着けられたようです。今ではどこでもなんとか生きていけるでしょうけど、昔はそうも行かないようでした」
「ご……ごめんなさいっ」
 セリエの声、そう、アンジェラは記憶している。

580 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:19:37 ID:OVKeGQEU
「え? 何言ってるんですか、これは歴史と文化であって私には関係ないですよー! 私自身のことを呪ったことなんて一度もありませんし、当然の事と思ってますから」
「え、えっと……両性について少々お伺いしていいですか?」
 再びの沈黙を破るような質問があり、
「は、はいっ! ラプンツェルさん! どうぞ!」
「本当に失礼な事だと思うんですけど、両性の方って家庭とか結婚とか……どうなされるんですか?」
 遠慮がちな声をアンジェラに伝える。一方では申し訳なさそうな上目遣いと、その瞳に宿る好奇心を確認していた。瞳を伺った二名は何も言わず、同じく気になったといった様子で返答を待つ。
「失礼じゃないですよー! 私達の言葉で、右寄り、左寄りっていうのがあるんですけど、右は男性的、左は女性的な状態を示すんです」
「変化……するんですか?」
「いえ、精神状態です。だから、好きな人の影響で変わったりもするんですよ」
 楽しそうな鼻息があった。明らかに歌っているかのような、故意に出している、そんなメロディはセリエの物で。
「はっはーん、そんなに遠慮するなんて、誰かに恋しちゃったわけですか! あの言いっぷりだとラプちゃんですね!」
 後半のニュアンスはユニーにも通じる。しかし、前半に関してはセリエのカンと名の付いた当てずっぽうであると思い、慣れのある二人には『いつもの病気』扱いだ。
「え! えっと、そのー……ファンなだけですってば! この前の災害復旧はこっちでも放映されてたんですよ!」
「ちぇー」
 ファンと聞きつつ、自分のファンで無いのが不満なのか、セリエが湯船に沈んだ。
「そういえば……インタビューされてたんだっけ」
 ユニーの言葉に、先週のことを思い出したラプンツェルは、ファンと言われた事と下手くそなインタビューを思い出し、毛恥ずかしそうにうつむいた。
「それにしても、お三方の案内が出来て嬉しいです! 私、お三方は特にいいなぁって思ってましたから!」
 地獄耳はそれを逃さない。
「わーい! アンジェラさん、ありがとーっ!」
 セリエの声は歪んでいた。なにせ湯中より飛び出しながらの発声だ。
「もぉっ! 准尉!」
 意識をすれば、中性的なアンジェラの笑い声はなるほど両性といった物と感じたのは、セリエに苦笑しただけのラプンツェルだ。
「落ち着きなさい、一番はラプンツェル軍曹だって言ってたじゃない」
「がーん!」
 ずるずると湯船に沈んでいくセリエに、二人が笑う。

581 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:20:30 ID:OVKeGQEU
 夜の始まりが早くなった。そう実感する日没は、早く感じる対象の季節から一時間は早い暗闇を湛えている。
 各所を見て回った面々も会談を続けていた面々も応接室に戻り、一息といった時間がある。ミュトイの案内役は立ち去り、皇子も執政官もおらず。情報交換と、各々顔を合わせておらぬ者の為、紹介をようやく終えた所だ。
「隊長さ、なんで延長したの? 事件でもあった?」
 紹介が終わるや否や、そのようなタイミングでシヴィルの声は響いた。挙手は無く、さほど大きくないその声は、それでも鋭く通るような錯覚がある。普段の弾むような、楽しみを顕したような口調ではない。
――仕事モードね。
 質問を投げかけられたティアの瞳がかすかに笑う。たった一拍のリズムに割り込んできた影があり、
「異国のヴァルキリヤ殿、そなたは面白いな」
「お……父様?」
 ナンナの発した言葉に改めて認識を持つ。奇しくも現在、唯一の男性となるエリクを見やった。戦の国らしい、燃えるような瞳と頭髪の色、そして髭があった。彼は不適な笑みをかすかに滲ませ、顎髭を一つさする。
「敬語は抜きにさせて貰っていいかな、慣れないんだ。あたし」
「はは、良き哉。我が国の身分は武勇である。そなたなら良いであろうな」
 互いに力強い笑みを浮かべ、シヴィルの発言、そのような流れを感じたのは一人ではない。
「わざわざ外を見て回らせて貰ったんだ。市街地で何かあったとしか思えないんだけどね」
 エリクは鷹揚にうなずき。
「しかし、ニュースには何もありませんね。情報という物は、この国において重要かと存じます」
 穏やかな物腰で告げるのは、スノトラだった。彼女の視線だけで、全員がテレビを見つめ、その予想を裏切るような内容を放送していることを確認する。
「だが、少なくとも儂とドルイド殿はそう考えておる」
「それが真実ですと……妨害、報道規制、私達に秘密――そして現状」
 ドリスが指折りを交え、要素を錬っていく。一つ一つ折られる指が、まるで真実を掴むかのように拳となり、しかし小指を残した。
「妨害?」
 最後の指が仮説を鷲づかみにする。握られたのは虚空ではある。しかし仮説はドリスの拳にしみこみ、頭を介して言葉を紡ぐ。
「ストラマに触れた、その三国だけが手を取り合うことを嫌がっている、というのは噂ではなく、見せしめになるような行為があった……?」
 回答に対し、正否は解らない。
「お食事とお部屋のご案内をさせていただきます」
 ノックとその声だけが、次の行動を示すだけだ。

582 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:22:11 ID:OVKeGQEU
7.圧縮の一
 ――自由を知っているから不自由を知る。
    不自由を知るから自由を知る。
     さて、どちらが先か。我々は卵生動物ではないので解らないかもしれない。

 申し訳ありませんが。
 そういった前置きがあった。続いて、しばらくの軟禁状態とあり。
「どういうこっちゃ」
 中央、政治の中心となっているであろうビル、アトラスの廊下にて、シヴィルはつぶやく。
「ビンゴだったんじゃないの? あー、体動かしたいっ!」
 アトラスより出られぬ欲求不満を露わに、エルヤが腕を振る。客室用のフロアと伝えられたここには、外へ飛び出す出入り口はない。
「はめられたわけでは無いとは思うけど」
 冷静さを欠くことのない言葉と物腰で、後ろを歩くスヴァンが言う。
「でも、明後日には交渉予定なんでしょう?」
 ナンナの言葉に、皆の歩みが止まる。目的地のない歩みは、更に意味を無くしたかのように停滞を開始。
「誰がどこまではめられてるんだか、全くわかんなくなったなー……」
 一様にうなり声を絞り出す。それで解決するとは誰もが思わず、しかしするべき事を思いつかぬ為の行為だった。
「ここは一つ……」
 つぶやくシヴィルには記憶がある。昨日セリエより告げられた見学内容について。

 押し掛け一名と引きずられた三名、そう計上するのが正しいと、襲撃を受けた個室の主、ラプンツェルは思う。
「で……そのインターンの子を色仕掛けで聞き出すのはどうかな?」
「ええええええっ!」
「……シヴィル? あなた、短絡的すぎやしないかしら」
 頭痛がするのか、こめかみを押さえた手、それをシヴィルの肩に置いたスヴァンが割り込み。全く解らないと言った顔のシヴィルが彼女を見やる。
「所属も別、ましてやインターンの娘が知っていると思う?」
「むーん、だけど他に頼りようが……」
「待つしか無いわね」
「かねー……」
 再びの袋小路に至った四人を見つめ、
「御世話役の人は駄目ですか?」
 ラプンツェルの思いつき。
「女に興味無いと思う……あ」
 ぽん、と解りやすい行為を見せたシヴィルが、悪戯っぽい笑みと手をナンナに向け。
「え?」
「エルヤ、ちょっとナンナ借りるよーん」
「え、え」
「ちょ、ちょっとー!」
 返答もせずシヴィルが、そして彼女に牽引されたナンナが廊下を飛ぶ。
「何するんでしょう……?」
「さあ……」
「あーん、ナンナはボクのー!」
 私事が手入れの行き届いた、無機質な廊下に響いた。

583 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:22:51 ID:OVKeGQEU
 廊下を飛び立った二人は、無機物の迷路を往く。単純な構造ではあるが、故に目的の部屋を探すことが迷路のような感覚を覚えさせた。いくら速度を共にしても、変わらぬ景色がひたすら流れていき、まるで迷っているような錯覚がある。
 ようやくの発見は十分後、その探索中に数回は通ったような、奇妙な記憶をさておき、飛行の勢いは止まらないようで、飛び込むようにしてノックと同時、ドアを開け部屋になだれ込む。
「騒がしいな、何用であるか」
 部屋の主は鷹揚に振り返る。
「どーも、ヤール。ちょっと協力を頼みたいんだけど」
「あれ……お父様……?」
「何であるか。娘まで連れて来るとは相当のことであろうか」
 半ばプライベートといった時間でも、エリクの服装はしっかりとしていた。右手が外套より取り出され、軽い金属音がある。何かを触っていたのか、それは本人にしか解らない。
「現状、気持ち悪くない?」
 うむ、と返答したエリクは髭をさすり、ゆっくりとしたうなずきを見せる。視線は質問をするシヴィルから逸らさず、
「先ほどドルイド殿と相談していた。待つべきなのかは解らぬ」
「で、情報収集をしたいの。どう?」
「情報とな? 儂よりドルイド殿を訪ねればよかろう」
「いやー、これはヤールにしか頼めないの」
「む……?」
「今んとこ、女所帯でヤールしか男の人が居なくてさ、ちょっとお手伝いさんに大人の魅力で……」
「断る」
 即答だった。わずかばかりの思考すら無かったような即答だ。
「芝居とはいえ、ばれるとな……」
 彼はそこで息を吸う。ナンナはその様に家庭を思い出し苦笑を見せた。
「かあちゃんが恐ろしいわい」
「は?」
「あんなに恐ろしい女はおらぬぞ」
「はぁ……」
 やりとりはとにかく、この計画は失敗である事だけがありありと解る。

 さんざん妻の恐ろしさとやらを語られ、開放されたのは一時間後であった。
「どうしたもんかねぇー……」
 先ほどのこともあり、疲労を背負うシヴィルがつぶやく。
「正攻法でも口を割ってくれなかったわ。参った物ね……」
 黒のシヴィルの横、白のスヴァンが同じように疲労を見せた。
「待つしかありませんか……」
 ナンナの声に三者が再びのうなりを漏らし。
「よし、おそろーい」
 一人うなりを発さないエルヤが居た。何のことかと三者が顔を上げれば、赤毛をポニーテールにしたエルヤがおり。
「えへへ、三人でおそろいー」
「エルヤ様ぁ……」
 仲間はずれに対してか、一人気楽であることに対してか、どちらともつかぬ、あるいは両方についてか、ナンナが情けない顔をした。
「……ん? エルヤって意外と……格好いいかもね」
「何をいきなり……。ああ」
 おそろいの対象が二人して納得した。何に対してか解らぬエルヤは疑問符を顔に浮かべ、ナンナと顔を見合わせては小首を傾げあった。
「よーしエルヤ! 男装してナンパしてこーい!」
「えええええええっ!」
 強引に白と黒が赤を引きずる。
「ちょ、ちょっとー!」
 赤の従者は慌てて追いかけ、
 行き着く先は一つ。
 小鶴真理の部屋。

584 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:24:32 ID:OVKeGQEU
8.三人と、鬼一人
 ――外したはめが大きいほど、説教は長くなる。
    悪餓鬼の法則。

 廊下の角に五人分の影があった。
「よーし、誰か通ったら行くんだぞー」
「ううっ、なんでボクがこんな事を……」
「今回ばかりは我慢していただきたいです、ヤール」
「エルヤ様になんてことを……」
「用意しておいて、よかった」
 真理の言うとおり、どう必要があったのかはとにかく、準備された衣類はエルヤを包んでいた。黒い男物のスーツに、後ろでまとめられた髪も手入れを施され、大きくイメージを異にしていた。
 柔らかな絨毯を敷き詰めた床、それを歩む音がする。それだけで一同は黙り、
「さ……いってこーい」
「わぁっ!」
 背中を押され躍り出たエルヤは慌て、取り急ぎ体裁を繕う。
「お嬢さん、ボクと御茶でもどうですか?」
「あらあらまあまあ……素敵な方」
 誰か解らぬが反応は良い、そう聞こえた背後の四名は顔を乗り出し、
「うわ……よりによって」
 男装したエルヤの向こう、露骨な身振りで恥じらうソフィアが居た。
 初対面ではない相手に恥じらう様に、皆が呆れの嘆息を吐く。

 エルヤに誘われた眠り娘、ソフィアにどれまでの権限があるかは誰にも解らない。取り急ぎ男装のエルヤは確実に動ける、客人用フロアの空き部屋へ誘い込んだ。二人で紅茶を一すすり、エルヤが顔を上げれば、眠気の薄そうなソフィアの笑顔がある。
「あらぁ?」
「な、何かなっ?」
 素っ頓狂な声に軽く微笑みつつ、眠り娘改め緩い娘が両手を頬に添えた。
「御茶だけで宜しいんですかー?」
「え、いや、あのー……。そうだ。この様子は何なんだい? 君とデートに行けないじゃないか」
 必死のフォローであった。少なくともエルヤ本人はそう思い、
「なんだー……ありゃ」
「望み薄」
 ドアの隙間より覗く一同も然り。
「アドリブは駄目みたいね」
 ドアを覗かぬスヴァンは、感想を元に嘆息した。
「むぐー!」
 暴れるナンナをスヴァンが抑える、そのためだ。
「あらぁ……」
 何故か反応は良好だった。思わず声を上げそうになったシヴィルが口を押さえ、意識を室内に集中する。
「それは言えませんわぁ」
「え?」
「大事なことですからー。うふふー」
 笑う彼女は両手に頬を当てたまま顔を近づけてくる。反射的に身じろぎしようとしたエルヤは改めて気を引き締め表情を何とはなしに見つめた。落ち着かぬ様子はありありと視線に現れ、笑うソフィアと、頭上に乗せられ垂れるライオン抱き枕へと、交互に視線を交わしていた。
「う、うーん……ボクってそんなに魅力無いかな……? ショックだなぁ」
「そんなことないですよぉ。うふふ」
 でも、と言葉を残し、互いの鼻が触れそうな距離にまで顔を近づける。
「こちらの考えはまとまったみたいですからぁ、もう少しお待ち下さいねぇ?」
 開かれた瞳はやはり眠気に満ちており、間近の顔にエルヤはうろたえを見せた。
「え……? 待つって何」
「男装してまで聞きたいことだとは思いますけどぉ……」
「うあ……気づいてた?」
「うふふー。もう少し待って欲しいってぇ、伝言を預かってたんですよぉ」
 そうそう、と言葉を残し、ソフィアは頭上の抱き枕を掴み、胸元で抱く。唖然とするエルヤを余所に椅子を立ち、ドアノブに手を掛けた。
「なかなか似合ってましたよぉ。それでは、またぁ。聞いていた皆様にもお伝え下さいねー。うふふ」
「あ……はは……」
 ドアを開け、立ち去るソフィアを見送る事すらできず、エルヤは笑うしかなかった。

585 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:25:46 ID:OVKeGQEU
 監禁されたフロア、その廊下に仁王立ちする者がいる。
 そして、正座する三名がいる。
「まったくもー! 楽しそうにしてぇ……」
 仁王立ちのナンナは見下ろす。その対象は言うまでもなく正座した三名であり。
「うう……だって仕方ないじゃないかー……」
「何か言いましたか?」
「い、いえ! なんでもありません!」
 ナンナの視線が重く、痛かった。故にエルヤは反論を止めた。
「にひひ、似合ってた似合ってた」
「似合ってた、じゃありません」
「う……こっち見るなようー……」
「見ますよ?」
「こ、こわっ!」
 流石のシヴィルも視線にすくみ上がった。
「何故私が……」
「止めませんでしたよね? 納得もしていたようですし?」
「……そ、それは……」
「何か?」
「……なんでも」
 巻き添えとでも言うべきスヴァンですら黙る視線だった。
 その廊下、角には真理が隠れており。
「善意の第三者」
 一人ブイサインを見せる。
「少尉、何をしているの?」
 背後、振り返ればティアが居た。近場のドアを開けた彼女は、一部のメンバーと会議を終えたばかりだと記憶している。
「ん。三色姉妹が怒られてる」
「三色姉妹?」
 疑問符を出しつつ、角を覗く。正座で、低い位置に存在する三色のポニーテールが見て取れた。加えて、小柄ではあるが巨大な威圧感を仁王立ちに乗せた娘も。
「激写?」
「勿論」
 聞くまでもなかった。
「あ、隊長」
「何?」
 カメラをいそいそと準備するティアが、見ずに理解できた。響く軽音と、鞄を漁っているのであろう、化学繊維のこすれる、風のうなりにも似た音がする。
「そろそろ、ミュトイの人が連絡に来そう」
「どこからの話?」
「ん。技術庁から来た案内人」
「そう」
 興味の無さそうな、そんな返事がある。それでも彼女は記憶した、そう真理は思う。
 記憶以前にシャッターチャンスを逃したく無い、そんな本能が優先したことも知っている。
「あなた達……お尻ぺんぺんですっ!」
 仁王立ちから発せられた言葉だろう。色々と妄想が止まらぬ指がシャッターを連射する。

586 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:28:36 ID:OVKeGQEU
9.ふたたび、一。そして再び鬼一人。
 ――失言ほど無意識に発せられ、蛇を突く言葉もない。

 夕刻と呼ぶにはまだ早く、昼と呼ぶには遅すぎる。そんな時間だった。
「あらあら、廊下を占領して何をやっているんですか?」
 仁王立ちをかれこれ一時間以上通す娘が振り返る。
「あ」
 驚きから、ばつの悪そうな表情を見せ、そうしてからナンナはうつむいた。
「スノトラ様ぁー」
「助けてー……」
「限界……」
 説教よりもなによりも、正座で固められた下半身が悲鳴を上げている、その様子がよく分かる。折り畳まれた足を動かすでもなく、膝で歩く三者を見て、
「大丈夫ですか? ナンナさん、開放なさって? 可愛そうですよ」
「で、でもー……」
「お気持ちはよく存じてますから、ね?」
 優しく撫でる、青白い手にナンナは言葉を失い。
「スノトラ様、さっすがぁ」
「お願いします……ナンナさん」
「いやー、話せるなぁ。なんか冷たい人だと思ってたよ」
「今……」
「ん?」
 スノトラが笑顔で振り返った。先ほどまでの印象とは異なり、硬質な雰囲気のある笑顔はシヴィルに向けられ。
「何とおっしゃいました?」
「人形みたいって思っちゃったんだけど……」
「ナンナさん?」
「はい?」
「大尉だけはあと十時間ほどこのままで宜しいでしょう」
「は、はぁ……」
「ひぃー……ご、ごめんー!」
「許しませんわ」
 小首を傾げた笑顔に、開放される二名が寒気を覚えた。
 無論、それを口にすれば明日は我が身だ。沈黙のまま哀れみの視線をシヴィルに送る、それだけが精一杯の行為だ。
「わーん!」
 泣き言から、廊下のオブジェとなったシヴィルと、それをひたすら監視するスノトラが、同じフロアを行き交う誰の印象にも残った、それは言うまでもないことだ。
 印象的な竜の翼、それが悪魔のように映ったことは口には出せぬまま、ではある。

 言づて通り再びの会談が行われる、そのような事を告げられたのは夕刻、それも、少々異質な光景を見せていた面々に、である。
「かしこまりました。言づて、確かに」
「あのー、スノトラさん? ……いや、スノトラ様? そろそろお慈悲をー……」
 べそかき、そのような状況のシヴィルがおり。
「仕方ありませんね」
「わーっ!」
 シヴィルの背後に回ったスノトラが、襟首を長い鉄杖の尻でひっかけ、そのまま、
「よいしょ」
 飛脚が運ぶ荷物の如く、肩に担がれた杖があり、その先端には足を痺れさせ、もはや感覚のないシヴィルがつり下げられていた。
「うわーん! こ、これ首が……ぐえっ」
「皆様、言づてがございました」
 さほど大きくない、スノトラの声。しかしそれは鋭く、よく通った。
 状況の理解できた者から部屋を抜け、
「……なんだぁ?」
「大尉……?」
 異様な光景に目を白黒させながらそれを追従した。
「たーすーけーてーっ!」
 結局、全員が出そろうまで、彼女の物干し生活は続いた。

587 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:29:09 ID:OVKeGQEU
 夜も更け、ようやくシヴィルの足が平素の感覚を取り戻し、余裕のある愚痴を加害者のおらぬ場所ではけるようになった頃だ。
 会談に参加したティア、ドリス、ショーティ、エリク、スノトラを囲うように一同は会し、再びの会議となった。
「結論は、もう少し待つべき。という事よ」
 ティアの一言が周囲をざわつかせた。
「何も変わってないじゃないですか」
 ラプンツェルの不服は全員をうなずかせた。ティアはもっともだと言うようにうなずき、しかし理由を発するのは隣で腕を組むエリクだった。
「二国の干渉を察知する限り、確保した要人は開放せぬ。そう、国籍不明のグループが声明を出したのだ」
「要人は主に、各省庁での重役でした。守りの薄い場所はミュトイの情報網によって捕捉されています。ですが、」
 スノトラの次いだ台詞はかすかに淀み、軽い呼吸を持って再びの発言を意識させる物で。
「もっとも重要な要人……アナスタシア皇女の監禁先が不明です」
 一同が緊張、あるいは行動できぬ状況に歯がみし、緊張の呼吸を示す、音を立てた吸気が誰からともなく聞こえてくる。
 アナスタシア皇女については、隣国の者でも解る。
 何せ、彼女は特別愛されていた。ミュトイの国民では知らぬ者はおらぬし、彼女に似ていると言うだけでも十二分にメディアが注目するほど、それだけ愛されている。もし彼女が無事でないとすれば、一時的であろうとも、ミュトイは失意に飲まれる。
 それが、沈黙と緊張の理由だ。
「所属国も解らぬのでは苦情も申せぬ」
 沈黙を振り払うようなエリクの言葉に疑問を持ち、ベリルが挙手した。
「西の奴じゃないんすか?」
「あっちの国は、似たような文化圏で五カ国あるんですよ。どの国に打診しても知らぬ存ぜぬで通せてしまいます」
「……ちょっと、調べ物してくるっす」
 フロアから出られぬはずのベリルがそう告げ、部屋を出る。
「何処へ……?」
 疑問の内容にも、当座の問題にも、結果は出ぬまま会合は終了する。

588 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:31:47 ID:OVKeGQEU
10.一つの過去
 ――誰にだって言いたくもない事がある。
    それは禍根であったり、恥部であったり。あるいは武器かもしれない。

 同フロア、ベリルのあてがわれた部屋にて。
 彼女は電話をかけていた。
「あー、もしもし」
『どちらさまだ?』
「あたし、クーデルカ」
 かすかな間がある。
『どこのクーデルカさんだね?』
「そうだねー。両手を肩くらいに広げて、足はまっすぐ、帽子は脱いで左手に。羽根は閉じてる。そんなクーデルカに覚えは無い?」
 電話越し、含んだ笑みをざらついた音声が伝えた。
『なんだ、今更だな。カウフマンとこの跳ねっ返りか』
「そうそう。で、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
『おい、ずいぶんだな。お前の親父さんは、お前がこっちに関わらないようにコウデルカの家に預けたんだろうが』
 へっ、と言葉を告げ、ベリルが苦笑する。
「仕方ねぇんだ。こればっかりはそっちに聞いた方が良いと思ってさ」
『お前よぉ……? 俺達はマフィアだぞ? なんだって軍部に手助けせにゃならん』
「そこを何とか。……親父にはあたしが謝っておく」
『……話だけなら聞いてやらぁ』
「悪ぃ」
 小さくそれだけを告げれば、即座に苦笑じみた笑いが受話器から聞こえてくる。
「ミュトイは活動圏内だったよな? 皇女誘拐については何か知ってる?」
『ああ、こっちでお引き取り願った奴だな。浮島側の港湾倉庫一つで手ぇ打ってやった』
「助かる。じゃ……親父によろしく」
『ああ、それとな』
 もう電話してくるな。
 気遣いの言葉なのだろうと思い、ベリルは何も言わず受話器を下ろす。
「いくら嫌がっていても、親父にはまだ遠い、か……」
 つぶやき、苦笑と長い沈黙を身に纏い、最後に一息ついてから部屋を出た。

 「これは、信用できるの?」
「ええ」
 短いやりとりの中、ベリルは無表情に告げた。
「皇子に通達、ね」
「うす」
 ティアは何も詮索せぬような言葉を吐き、ベリルは従う。
――詮索されないのは信用、かね。
 父親と対極と言うべき位置に立つ娘はそう思い、部屋を後にした。

589 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:35:24 ID:OVKeGQEU
 情報提供に応じたニコラス皇子は、会談場ではなく客人の集められたフロアに現れ、その言葉を聞く。妻である皇女の事も、国家の安定についても重要であるからか、彼はただ一人でここへと現れた。
「情報提供、まことに感謝致します。ですが……」
「まだ問題がありますか?」
 お恥ずかしながら、とうなずきの後に告げ、改めて沈痛な面もちを隠さずに見せた。
「我々には警察機関が僅かばかりしかない。つまり……」
「同時に数カ所の監禁者を救い出すには心許ない、という事であるか」
 言葉の終わりを、我等が出られれば良いのだが、と締めたエリクは腕を組んだままだ。
「それはありがたく思います。しかし……我が妻の監禁されている場所までは、徒歩ないし飛行が必須で、距離もあります。あそこは民間企業の廃棄港ですから。もし作戦行動を発見されればその先は明白でしょう。……妻を見殺しにする事は避けたいのです」
 私情が、ニコラスの組んだ指を白くさせた。
「私一人の問題で有ればいい。ですが、妻は国民に愛されている……」
 私情以外の物が、ニコラスの視線を下げる。
「他の地域は我々が担当すれば、どうでしょう?」
「それは有りがたいのですが。妻の監禁されている場所は先ほど望遠で確認したと連絡がありました。……残念ですが我々が応対できるかといえば、百%と言い難い人数でした」
「……我々としては、ここまで来て手を取り合えないのは不服です」
 ユニーの瞳と言葉は力強くニコラスを見つめ、対して彼はうなずきと視線で返す。想いは誰もが同じであるのか、そのうなずきは波紋の如く広がりを見せた。
「ゆーれか」
 特務の誰もが知る、その平坦な口調。振り返らずとも声の主はブイサインであると思う。
「何か案は出たの?」
「ん」
 声の主は訪ねたティアにうなずきを一つ、たったそれだけでニコラスを向く。
「監禁された場所と人数、いくつ」
 敬語抜きのストレートな疑問に少々面食らいつつ、
「え、ええ……妻の場所を含め、六名六ヶ所……不明者は点呼確認済みです」
「皇女の所以外は、あんまり人居ないの?」
「そう、ですね……。あなた方の尺度で申せば、だと思います。しかし、我々の手際では完璧とは言えない人数です」
「詳しく」
「一カ所につき二十から十五人、でしょうか。問題の廃棄港湾倉庫では五十以上と予想されます」
 ん、とうなずき一つ。遠慮のない視線変更は続く。
「隊長、私達がお手伝いで楽勝」
「だとは思うけど……皇女はどうするの?」
 何も言わぬ真理は無表情をそのまま、視線を逸らさずポケットを探っている。探る手が止まり、何かを掴んだ拳を前へと突き出した。
「これが勝利の鍵だ」
 どこかで聞いた台詞と共に見せたそれは、
「大統領キーホルダー……?」
「善は急げ、作戦の準備と開始時間を決めよ?」
 自信に満ちた淀みない言葉と何かを楽しみにするような口元の笑みに、解る者にはまたかと思い、苦笑と信頼に裏打ちされた自信が伝播した。
 多少のつき合いであるエルヤとナンナにはなんとはなく。残りの者は疑問符を浮かべるのみだ。

 先日まで会談場だった、そんな部屋は作戦会議室へと変貌していた。各々がミーティングを始め、地図を頼りに細部を錬り固めていた。
「少尉……それ本気で言ってるの?」
 あきれ顔でショーティが息を吐く。
「ん。ここには無いから大丈夫」
「まったく、いつからこんな無茶するようになったんだか」
「いつものこと」
「変わったわねー」
 苦笑混じりの笑顔を向け、左手が真理の頭を撫でた。右手は紙の小箱を操り、上部に小さく存在する小穴から物体を取り出し、それを口でくわえる。そうしてから箱をライターと入れ替え着火した。
「けむい」
「細かいこと言わない」
 言葉と同時、紫煙が漏れる。
「ま、やってみるしかないわ」
 ひと吸いした煙がリング状に三つ、空にたゆたう。

590 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:35:59 ID:OVKeGQEU
 地図を中心に概要を固めるテーブルとは異なり、一方的に言葉をつむぎ続ける一角がある。
「こちらは特務所属ドリス・ルーテ少佐です。フレア大佐? 先ほどの件は如何でしょうか……? はい、はい。お手数おかけします」
「はい、それでは輸送をお願い致しますわ」
「うす、いつみ少尉には話は通ってるっす。それより高梨少佐に家に帰れって言ってやってくださいよー。奥さん心配してるっすから。あ、寝てる?」
 しばらくの後、別れの言葉と受話器を置く、プラの軽薄な音が三つ。
「わざわざ教導隊を呼び出すなんて、小鶴少尉の作戦は荒唐無稽で無茶ですね……」
 頼んでしまった手前、完全な否定ではないが呆れの混じったため息はドリスの物だ。
「私も、あれの事など記憶の片隅にしかありませんでしたのに」
「いやー、真理さんってのは何でも使う人っすねぇ……」
 頭を掻きつつベリルが笑った。

 全ての返答をまとめ、実行に移す集団へと書類を配るラプンツェルがかけずり回る。
「あ、手伝いますっ!」
 呼び出されたアンジェラが、抱えた書類の半分を受け持ち、同様に呼び出されたテティスにうるさいと言われつつ、ばたばたと周囲を走り、書類を回す。
「さて、その子を起こしてくれるかな?」
 困ったような笑みを見せつつ、支持側に回ったニコラスが眠るソフィアを指さした。
 乾いたような、湿ったような、どちらとも付かぬ音はテティスがソフィアの頭をぺたぺたと叩く音だ。
「さて、廃倉庫以外の監禁地には非常用の地下通路で接近します。なにかと機密が多く、ロックもされておりますので、各省庁から案内役を随伴させていただきます」
 言葉にうなずくティアは同様に指示をするべく、拡大コピーした図面の貼られた壁に立ち、
「北東、法務庁側の通路を使う二カ所。テティス法務官の案内で。出入り口に距離があるから速度と実力を重視。浮島地帯の近くはフレウ大尉、法務庁近辺の居住区側にはヤールエリクと海野大尉にお願いします」
 続いてティアの持つ指示棒は中央、つまりこの場所を指す。
「中央待機で通信役とフォロー役を。通信はルーテ少佐、あなたに任せるわ。フォローには対応力でフェルミッテ上等兵に」
「私ですか?」
 呼ばれたスヴァンは意外だとばかりに、そのうわずった声を聞かせる。
「ええ、あなた。速度も性格も、実力も信じているから」
「……はい」
 意志の強い瞳を返した。気後れなど無いとばかりの光だ。光を見つめるティアは満足をうなずきで返し、再び指示棒と視線を図面に向けた。口角にかすかな笑みがあり、それは信頼に応えたスヴァンに対してだろうかと誰もが思う。
「続いて南、文化庁側は防衛トラップが殆どで人数はさほど居ないようね。案内役にアンジェラさん、トラップ解除はフレトリア軍曹、にお願いするわ。掃討は……」
「私が出向きますよ。お任せ下さい」
 緩やかな物腰に、涼しげな空気が動く。
「大いなる冬、お見せ致します」
 冬の名を冠したスノトラは、春のごとき優雅で柔らかな笑みを見せる。
「では、お任せします。次は北西」
 指示棒が技術庁の周囲を叩く。
「技術庁近く、商業地域はクーデルカ軍曹、ヤールエルヤ、ハスカールナンナにお願いするわ。国境付近は私とルーデル少佐で行く」
「最終防衛戦が私達ってわけね」
 鋭く固い大音がした。全長百五十センチは下らないショーティの大砲だ。
「ええ、私達は即座に救出から国境で撃ち漏らしを叩く事になるわ。案内役は……」
「すぅー……」
「誰か言づてしておいて。……さて、残りのメンバーは。小鶴少尉」
「ん。おいで」
 彼女は呼びかけつつ、前に出る。残されたドミナ、ユニー、セリエが前に出た。
「皇女救出チームは別行動。いっぱい目立つ」
「え……?」
「これが勝利の鍵だ」
 再びの台詞。そして真理は頭を一人ずつ撫でていく。
「え?」
 ユニーの疑問符は二度とも、全員を代弁するかの如く。
「ぶい」
 食えない女。誰もがそう思う。
「と、とりあえず明日午前八時開始です。各員準備を怠らぬよう。では、解散」
 各地域毎に別れ、ある物は会話、ある者は疑問符のまま。翌日は着実に近づく。

591 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:42:28 ID:OVKeGQEU
11.六面作戦
 ――さあ、進もう。誰かが転んだら皆で笑え。そして起こしてやれ。
    起こっている時間などは誰にもない。

 明日、午前七時。
「あー……隊長ー! 手が痺れてきたんですけど!」
「頑張りなさい、孝美」
「くぅーっ、追従だけだからって涼しげに……」
「なら、私が代わろうかしら」
「いえいえいえ! 天下のヴェサリウス中佐のお手を患わせちゃいけないわよねおほほほ」
「では頑張るように」
「藪蛇ー! ……ったく、人使いの荒い。なんで教導隊がこんな事してんのよー!」
 さてはて。

 同時刻。
「まさか残ってるなんて、ね」
「そうね、ラナ」
 双子の言葉に微笑みの息づかいがある。
「うふふ。きちんと手入れをして正解でしたね」
 笑う娘、それは教導隊ではない。
「ごめんねさっちゃんー……」
「いいのいいの。いっちゃんよりも得意なら私がやるべきよ。私だって軍部の人間だもの」 しょげる教導隊員のいつみと、事務員であるはずの幸子は歳も近いことがあり、懇意である。
「それにしても佐々木……じゃない、村西さんってお上手なんですね」
「小さい頃から慣らしてたんですよ」
――私も頑張らないと。
 小さな体に力を込めて、ふたばが意志を強くする。
「そろそろ準備ね、レナ」
「そうね、ラナ」
『本領発揮。ふふふ』
「あは……ははは……」
 作戦概要を知るふたばにすら、この先起こるであろう行動が恐ろしいのか、乾いた笑いがある。
 さてさて。

592 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:43:21 ID:OVKeGQEU
 午前七時十五分。
「さ、れっつごぉ」
 真理の緊張を感じさせない声が開始の合図だった。
「しょ、少尉? 本気?」
「時間、無い」
「いきましょー!」
「うう、なんだってこんな格好」
 ドミナと真理はやる気のある様子を示し、ユニーとセリエは戸惑っていた。
「時間内から、ごー」
「こ、こうなったらやけだーっ!」
 セリエが走る。
「ごおごお」
「ごごー!」
 真理とドミナが追従した。
「ま、待ってー!」
 つまづき、転びそうになる体と羽ばたく両手、それを必死に使いユニーが追いかける。

 七時二十分、ミュトイ市街地にて。
「ままー」
「なあに?」
「あれ……」
「え?」
 娘の指さす先を母親は見る。
「何かあるのかな?」
「おまつりー?」
――あれは去年の、だったかしら……。
 母親の記憶にはそういう物がある。

 市街地を往く真理一行は、ひたすら目的地を目指す。
「うわーん!」
 曲がり角でセリエが転んだ。転びつつも体をそれに任せ、羽根をかばいつつ回転をドリフトの動きに任せた。
「あわっ!」
 転ぶセリエにつまづきかけたドミナがバランスを崩す。
「危ないっ」
 ばたついた手をとったユニーとともに、横の動きを前進に。
「がんばれよー」
 住人から声がかかる。思わず無言で手を振り、一同の高速行軍は続く。

 七時五十五分。法務庁より離れた地下通路出口にて。
「さて、そろそろ時間かー」
 ベリルの開発した、槍の追加装置を確認し、腕時計を見つめる。
 背後の通路はすでに施錠と自動的な隠匿が終わり、
――あとは目的に突撃して仕事を終えるだけ。
「孝美はちゃんとやってるかねぇ」
 他人の心配が出来る。シヴィルの緊張は全てが高揚感に移っていた。

593 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:44:17 ID:OVKeGQEU
 同時刻、法務庁にて。
「警察官の連絡は済んでいる。あとは……ここから飛び出すだけだ」
 ここ、と示されたのは法務庁屋上だ。三者の視線は目的の建造物を射抜き、時間をまつばかりである。
「ご苦労様ですの。あとは我々が」
「うむ。何と申したか……」
 緊張の欠片も無い、そんなエリクの様子は周囲に余裕を生んだ。
「朝飯前という奴か」
「なるほど。ではこれを」
 テティスの手がバッグから二人へ、
「蜂蜜パン食え。焼きたてだ」
「五分では難しいですのよ……?」
「ふっふっふ……」
 含み笑いはエリクの物だ。彼は肩を揺すり、本当に楽しいとばかりに笑う。
「ヴァルキリヤというのは何処にでもおる、か……」

 文化庁近辺、公営施設の影で目的地を探るのはアンジェラとスノトラだ。
「あと少し、ですか」
「ですね。私はあんまり力になれませんけど……」
 いえ、とアンジェラの言葉の流れに乗るような、自然と言うべきタイミングで否定が入る。
「この通路が無ければ、ここまで近寄れませんよ。それと……」
 後ろを見れば、工具を片付けるラプンツェルが居た。
「ラプンツェル軍曹の腕がなければセンサーにも引っかかっていたかもしれませんね」
「お二人とも、頑張ってください……」
 後ろに下がり、アンジェラは時計を見る。
 タイミングを計る仕事が、今の彼女に出来る事だ。

 技術庁は、西の国境付近の監視塔ともされている。
 センサー類の管理と、そして外周を囲うように作られた公営施設は、技術庁が特に情報を取る部位であった。その、公営施設の一角にティアとショーティは待機していた。
「あれ、か……」
 目標に視線を向ける。誰がどう見ても一般的な小売店だ。しかし、その奥に要人が囚われているという。
「ミュトイの情報網は凄いのね。……久々のコンビ、しっかりやりましょう」
「勿論。……賭けでもする? 先に要人を確保したら勝ち」
「……いいじゃない。出戻りさんに何ができるのかしらねー」
 歯ぎしりのような音がする。ショーティが大砲を握りしめる音だ。
「言うようになった。じゃ、あたしが勝てば煙草一カートン」
「そうね……フィルム一ケース」
 鼻で笑う、そんな呼気が一つ。
「割りに合わないような気がするんだけど?」
「いいじゃない」
「まぁね」
 二人の笑みが交差する。強く、美しい笑みだ。

 法務庁よりアトラスに向かう、その道すがらに目的地はある。
「うし、あと三分っす」
 時計を見つめるベリルは、背後の二人を見ない。
「うん。ドキドキするよ」
 そこでようやくエルヤを、背後を見た。
「緊張してるんすか? 気楽にいきましょうよ」
「いいえ、ナンナ様は高揚してらっしゃるのです」
「ははっ、そんな所までしーさんに似てるんだ」
 三者には笑顔もあり、緊張も混ざった表情だ。
「むぅ……」
 鋭い殺気は、エルヤには記憶に新しく、ベリルには初めてのことだ。
『こわっ』
 それでも同時にそう思う。
「おはよぉございますぅー……後二分ですよ。ふあひゅー」
 残り二分、この弛緩した空気はどうしたらいいものか、三人は解らない。

594 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:44:51 ID:OVKeGQEU
 アトラス屋上。ミュトイの中心、そしてミュトイで最も高い場所。しかし、円形皇国を見渡すには肉眼では広すぎる。
「待機情報更新。映します」
「了解」
 ドリスの扱うコンピュータは軽快な音を立てた。送信するためのデータを読み出すデータドライブが硬質かつ軽快な音を立て、タイピングによる適切な送信手続きは、その音を和音にまで高めているかのようだ。
――鉄製の人形がムーンウォークをして、プラスチックの人形はタップダンス。
 我ながら詩的な表現だと、スヴァンは柄にもなく思う。
 新たに加わる音色は人のような、人ではないような声が紡ぐコラールだ。声の主は、天へ近づく人を戒めるように強く吹く、高空特有の風。
 待機組の二人はいつでも飛び立てるように、そして風に煽られぬよう、ヨットの帆を見立てたような、畳んだ翼を風向きと並行に泳がせる。それでも風を掴むべき羽毛は主の背中を通し、体全体に風の誘惑を伝える。自由な時間で有ればその誘惑に乗っても良いとは、速度を心情とするスヴァンだけではなく、特務でもそれなりの速度を持つドリスも感じることだ。風の誘惑は詩的な事ではなく、主に高所より足を滑らせることを皮肉としてこう言う。それほどまでに、人は風に惹かれていた。
 しばしの夢想は高揚感で張りつめる脳の活発さを示すかのように、我を取り戻したところで三十秒の実時間にも満たない。そして、我を取り戻すきっかけになった物を見つめる。
 幾何学模様と光点が、風防を兼用した真理発案、ベリル開発の特務制式ゴーグルに半透明を維持したまま映る。与えられる情報は、
「各員配置完了。……特務も完了」
 ドリスのつぶやきに、張りつめるべき時間の有無を保証されないスヴァンは無言で。
「残り時間――一分」
 五十九、五十八。ゴーグルに映されたカウントダウンは無機質に時を刻む。

 暗い部屋がある。かすかに隙間より漏れる光から浮き彫りにされるのは無数の物体で、全てが光に照らされ毛羽立つ輪郭を見せていた。生活感を覆い隠す、それほどに厚く積もった埃の仕業だ。
 差し込む光に照らされる者が居た。
 二人分の輪郭は一人分が直立し、そして一人は座っていた。
「アナスタシア皇女殿。どうやら皇子は異国の者を追い出す気はないようですな。我等の妨害行動を見せぬとはいえ、貴女には不幸でありました」
 直立した輪郭が、座った輪郭を見やった。
「私を人質にしようと……正しきことのためなら皇子はためらいません」
「さて、どうでしょうな? 夕方にはこの国を出ます。故郷最後の空気を楽しんでおくと宜しかろう」
 それだけ告げると直立の輪郭は光に飲まれ、そして闇に消えた。一時的に現れた光の四角形はドアなのであろう、小動物の鳴き声をひずませたような音を伴い、形状を変えていた。
「皇子……負けないでください。……助けて欲しいですけど」
 どちらも本音ではあろうが、そのつぶやきを聞く者は居ない。

595 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:46:30 ID:OVKeGQEU
12.一騎当千、戦鬼朝行
 ――歩いている暇はないが、馬鹿を言う余裕はある。そんな時間を待っていた。

 カウントダウンは佳境にさしかかっていた。残り五秒、四、三、二、一。
 ただ一人孤独に配置されたシヴィルが飛び立つ。
「さぁ――いっくぞー!」
 時間を経る毎、羽根先に宿る力を爆発させ、最高の初速でシヴィルが低空を滑る。国境際には幸い建造物はなく、発見した敵性勢力の出迎えはよく見える。逆を言えば、
――ばればれだからつっこめって事さ!
 掴んだ槍の尻に設置された新装備に火を灯す。まるでライターの着火のような火花が定期的にそこから放たれた。火花を吹くたび、何かを空中にまき散らす。誘導策で用いられる浮遊機雷だ。
「さぁさぁ、あたしが怖かったら要人でも手にかけろーい!」
 物騒な言葉には裏があり、それ故叫びを相手に伝えた。押っ取り刀の銃弾を体の捻りで回避しつつ、槍の穂先を目標の小屋へと向け。
 シヴィルの瞳には近づく小屋ばかりが見えた。視線の端にはわずかに発砲の火花が見え、それを見れば軌道をかすかにずらす。
 高速で狭まる視界に何もなくとも、発砲音を合図にライン取りを変えた。かすかな変更ですら大きなずれとなり、その軌道修正を次の回避と共に行う。シヴィルが凝視するのは槍の穂先のみ。そして、それが小屋を射抜くように軌道修正をするだけだ。
「よしっ、そろそろ……来ォ……いッ!」
 合図と同時、飛行前に設定したアラームが響いた。
 同時、小屋が砂煙に沈んだ。
――しくじるなよー。
 心で思い。己の加速で生まれる強力な風に立ち向かうよう、息を吸い。
 己の目的を叫ぼうと口を開けた。
「孝美ッ!」
 穂先の目的はもう無い。それでも飛び込むのは騒がしいパーティ会場だ。
「おまちどおさまッ!」
 返答は気楽に聞こえた、そう思う。張りつめたテンションで速度を上げる血流が、耳元で脈動していた。そして、風切り音が一層強くなった。
 高揚はまだ上限を知らない。

 法務庁では、テティスが蜂蜜パンを貪していた。
「手段に壁は無し。か」
 その通りに、目的の家は壁を一つ失っていた。
 作戦開始と同時、夕子の誘導策は壁を打ち抜き、エリクの大槌が壁を粉砕したからだ。
「全く……」
 蜂蜜パンを咀嚼しつつ、おぼつかない口は辛うじて言葉を紡ぐ。
 しばらくして、ようやくそれを飲み込んだ。
「面白いじゃないか」
 バッグから取り出した缶コーヒーを開けつつ、心配の欠片もない様子で粉砕された壁面を見て笑った。

596 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:47:00 ID:OVKeGQEU
 その内部では一方的な活動が行われている。
「さぁ、もう大丈夫ですよ」
 夕子によって解放された要人は、猿轡を付けたまま何度も頭を下げ、自由になった翼で飛び去る。
 飛び立つ様子を見た者から、それを阻止しようと飛び上がり、エリクと夕子を無視したまま確保に乗り出そうとしていく。
 だが、その様子を見せんとする物から、
「はぁい、おいたはいけませんのよ」
 夕子の狙撃が背後より射抜いた。
「手際が宜しいな。儂も負けてはおらぬぞ」
 たった一歩、エリクは踏み込む。
 深く、早く、そして遠かった。また、静かだった。
 誰が振りかぶった大槌に気づいただろう。そして、振り回したことに気づく前に、その踏み込みは終わりを告げた。
「つまらぬ奴らである」
 三人がうめきを上げた。
 未だ役割を続ける壁を恋人にしつつ、である。

 午前八時十五分。作戦開始時間である午前八時より続くメロディは未だ終わらず。
「あっなたーを転がしてェ 私も踊るゥ♪」
 いつもの病気だ、そうティアは思う。
 やはり歌は最高だ、そうショーティは思う。
「何曲目よ」
 あきれ顔を相手に向けつつ、体だけは任務を守っていた。
「六曲目。アンコールは随時受け付け中。僕らはみんなァ 網タァイツー♪」
 必要以上にコブシを利かせつつ、伴奏のごとき大砲の発砲音が追従する。
 背中合わせに近い二人の中央、そこには突撃から即座に確保した要人が居た。現場の被害は人員ばかりが目立ち、カモフラージュに使われた建造物には窓ガラス二枚の物損が有るのみだ。内部の調度品は被害を多く見せてはいた。風穴の空く箪笥、上下に分断されたクローゼット、床には破片とおがくずが産卵していた。
 拉致グループも、要人すら思う。何か違う、と。

597 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:47:53 ID:OVKeGQEU
 南部、文化庁の近所ではラプンツェルが孤軍奮闘していた。
 日頃バックアップを主としているため、慣れぬ単体戦闘に手間取っていた。ネクタイに切り裂かれた痕を残し、スカートとストッキングも埃で汚れ、息がかすかに上がっている。
「我々に手出しをしてどうなるか、解っていないとは言わせないが?」
 余裕のある声は、グループの誰からかが発していた。誰も彼も覆面で表情を隠し、国籍などうかがい知れる様子もない。
「要人は……はっ……無事なんですかっ」
「君が来た。もう無事では済まさないぞ」
「……」
 突撃を果たした窓は、サッシが無い。侵入時に爆薬で吹き飛ばした為だ。
 ラプンツェルはうろたえを見せているのか、その窓に下がってゆく。
「ところで……」
 軽く息を吸った。荒げた呼吸をそれで整える。
「何だ」
「そろそろ三十分ですね」
「……何を言っている?」
 グループに警戒の色がある。過剰な警戒を見せぬ集団に、それなりの慣れをラプンツェルは見た。
「お疲れさま。終わりましたよ」
「誰だ!」
 窓の外、声をきっかけに白色の塊が下りてきた。優雅な表情と物腰を湛え、そして、
「要人確保完了です。さ、行きましょう?」
「はいっ!」
 言うなり窓から飛び出した。
「ちょっと痛いですよ!」
 原形を残す窓枠に足をかけ、ラプンツェルが振り返る。右手はかつて窓枠だった壁を、左手はスイッチを持ち。
「気絶で済む……と思いますっ!」
 それを押すと同時、スノトラと要人を伴い空に舞った。
 窓枠から飛び出す数発の銃弾が空を舞えば、室内から陳腐な爆発が一つ。
「多少の怪我は覚悟しておいてください」
 被害者に聞こえぬ声が、独り言のようにつぶやかれる。
 一方。
「うわー……」
 地下にて、ラプンツェルの構成した爆薬を設置し、避難を終えたアンジェラが砂煙を吐く建造物を見て呆然とした。

 それ以上に砂煙を吐く北東、国境際。
「シヴィル! 要人確保よー!」
 かすかに晴れた砂煙の中、シルエットが手を振った。
「よっし! 暴れるよー!」
「待ったー!」
 晴れてゆく砂煙の中、孝美を始めフレアとグートルードの姿が見えてゆく。そして、背後には巨大な穴があり。
「新開発の掘削機、なかなか」
「陥没しないのが奇跡的だったわね」
 口々に新兵器について二人が語る。
「前口上ーっ! ひとーつ、非道な悪事を」
「いいから仕事」
 着陸を終えたシヴィルのひとはたきにフレアもグートルードもうなずいた。
「もーっ! やればいいんでしょやればー!」
 八つ当たり気味に孝美の二丁拳銃が火を吹く。

598 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:48:50 ID:OVKeGQEU
 北西、技術庁付近にて。
 要人確保を終え身柄をソフィアに委任したベリル、エルヤ、ナンナは逃げまどう残党を捕縛すべく奔走していた。
「ったく、逃げんなよな」
 一人一人、右手のナイフ、左手の投擲用ナイフで着実に活動を抑えていく、狙うは飛行に必須である部位、風切り羽根だ。
「あーもぉ、追いかけっこは苦手だってー!」
 愚痴を吐きつつ、飛行中エルヤが斧を振り上げた。重量配分を変えた状態を見越して逃げられることもあり、彼女のフラストレーションは右肩上がりのようだ。
「待ちなさーい!」
 昨日の説教を体感し、日頃も時間を共にするエルヤは横目でナンナの様子をうらやんでいた。両手を使い起用に相手を地へ叩き付ける様は、エルヤを捕獲すること可能であるナンナの得意技だ。
「うー、ボクももっと練習しよう……」
 仁王立ちを思い出し、背筋を寒くしつつ一人つぶやく。

599 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:50:08 ID:OVKeGQEU
13.七匹の侍、らしきもの
 ――くけー。

 暗がり、アナスタシアの耳には騒がしい声が聞こえる。様子をうかがおうにも両手両足首をそれぞれまとめられ、風切り羽根をタオルで抑えられた彼女には耳を澄ます事が精一杯ではある。
「なんだあの鯨!」
「そっちにも来てるぞ!」
――一体何が起きているのでしょう……?
「鯨?」
 思わず声を上げ、首を捻る。首を捻れば。
 何故か一緒にドアノブが回り、光が差し込んだ。
「あら?」
 捻られたドアノブも、アナスタシアの首も、共に傾いたままシルエットは現れた。
「きゅっ」
 巨大なシルエットは、言葉とは思えぬ音を発した。
「え?」
 体をこわばらせ、視線を離さずアナスタシアは様子をうかがう。小山のようなシルエットは部屋に入り、それは一つではなかった。
「え。え」
 シルエットは七つ、そして背後には喧噪のない、光で溢れた空間があった。
「くけー」
 先端の小山が間の抜けた、そして平坦な声を、むしろ鳴き声に近い何かを放った。
 ドアの復元力がゆっくりと光を押しやり、闇の支配率を上げてゆく。
 目が慣れれば
「ぺ、ぺんぎん……?」
「くけ!」
 ずらり、そんな音が聞こえそうな動きがある。先頭のペンギンが腰に手羽を当てれば、背後の二匹は同時に脇を固めるようにポーズを取り、残りのペンギンも三々五々ポーズを取ってゆく。
「あの? あなた達は……どちらさまでしょうか」
「くけっ!」
 全ての巨大ペンギンが看板を取り出した。
「『どっきりカメラ』『左を見ろ』『こっちは右だ』『最後尾こちら』『入場料ポッキリ』『核兵器根絶』『第二ラウンド』……意味が解りません」
「くけー!」
 合図で全員が看板を裏表に回す。
「『ペンギンウルトラマリンブルー→』『ペンギンウイニングブルー→』『ペンギンオーシャンブルー→』『以下略コバルトグリーンブルー→』『同じくコバルトターコイズブルー→』『ペンコバルトブルーヒュー→』『ぺんサファイアブルー→』……全部同じ色に見えるのですが……」
 暗がりでは余計に解らない。灯りの下でも解らないほど近似した色であることは、今の彼女には解らないことだ。

600 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:50:54 ID:OVKeGQEU
「くけー!」
 先頭に立つペンギンの手羽が看板を捨て、マジックペンを見せた。
「くけけ!」
 体を避けた先頭のペンギンが、続くペンギンの額を手羽で指す。
「目印を書け、ですか?」
「くけ!」
 続く、二匹のペンギンが同時にうなずいた。
「じゃあ……この子達はぴったりですから……」
 両手羽を外へ向ける対のペンギンに、向けた手に合うよう、矢印を額に書く。互いに目印を確認したペンギンたちは横に退き、後ろの二匹が前に出た。
「えっとえっと……」
 思いつかぬままに、一匹のペンギンに力強い印象の眉毛を書き込んだ。もう一匹には、
「暗いから……こう」
 今の欲求を示すが如く、眼鏡を書き込んだ。確認を終え、二匹は交代し、最後の二匹がアナスタシアの前に立った。
「くけー」
 一匹が元気に跳ね、手羽を羽ばたかせる。
「可愛いですー」
 可愛がる様をペンに乗せ、そのペンギンにはリボンを両サイドに書き込んでやった。
「うううう……うーん……」
 最後の一匹に腕を組んだ。何を書くべきか思いつかない。
「えー……と、えーと」
「くけー!」
 外が騒がしい、時間は少ないと瞬間的に判断できたのは僥倖であった。
「えと、えと……!」
 慌てるペン先が最後のペンギンに走る。
「で、でき……く……くふっ!」
 作者が吹きだした。その様子に慌てた最後のペンギンを、残りのペンギンが見つめ。
 全員が壁や明後日の方向に表情を向け、体を震わせた。
 全員が受けている。
「くけ? くけー!」
 再びどこから取り出したのか、立ち直った最初の、無印ペンギンが鏡を見せた。
「く……くけええええええええええええ!」
 叫んだ最終ペンギンの顔は、
「ひ、ひげ……ひげー! あははははははっ!」
 ナマズのような髭が書き込まれていた。
「はーっ……はーっ……」
「くけ! くけ!」
 平和な空気を掻き回すように最初のペンギンが息切れを起こした皇女の手を引いた。脱出する、という意志が解る。
「おい、皇女の部屋に侵入者だ!」
 自分を拉致した者とは敵対的である事も解った。
「どなたか解りませんが……」
「くけ!」
 写真を見せた。慌てる他のペンギンよりも冷静な、一番目から三番目までのペンギンがそれぞれを見せ。
「あ……皇子の写真と……こちらは……直筆の手紙!」
「くけ!」
「解りました。脱出のお手伝い、お願い致します」
 ようやく皇女らしく、優雅で物腰の落ち着いた一礼を。ようやく開放された手足が痛むことはさておく。
「くけー」
 先頭の無印ペンギンが合図を一つ。盛大な爆発が巻き起こる。
 それは町中からも確認できるほどの大きさで。

601 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:51:25 ID:OVKeGQEU
*音開始

 爆音をバックに、七頭のペンギンと追従する一人が倉庫から飛び出した。
 無印と矢印ペンギン一号二号を先頭に、眼鏡と眉毛が皇女をエスコートしつつ走り抜ける。
 後詰めのリボンと髭が後方を確認しつつ走る様は少々危なげな様子があり、つまずく様子が時折うかがえた。
 走り抜ける先はミュトイの街並みと反対、向かう先を無印は手羽で指し、駆け抜ける皇女を見守るように全ペンギンが背後に向き直る。
 余裕の少ない皇女に背後を伺う余裕はなく、走る先に見える物に疑問を持ちつつも従い走った。癖の付けられてしまった風切り羽根では飛行は危うく、慣れぬ二足走行に辟易しつつ。
 向かう先には、
「鯨……?」
 海岸に悠然と浮かぶシルエットは鯨でしかない。皇女は疑問を持ちつつも走り続けた。

 追っ手を迎え撃つ無印ペンギンが、手羽を振り上げ、
「くけー」
 勢いよくそれを振り下ろし後続してくる敵性集団を指さす。
『くけ!』
 矢印ペンギン一号二号が同時にラッパを取り出し、奏でるメロディは突撃ラッパ。
「くけぇー!」
 眉毛ペンギンが手羽で器用に、どこから取り出したのかアサルトライフルを両手で保持する。無印の指す場所へ過たずその銃口を向け、無駄のない動きで集団を捉えていた。
「くけっ」
 リボンが眉毛に並び、銃口を向ける。少々ふらつきはあるが、足を止めるには問題のない程度のぶれだと見られた。
「きゅー!」
 眼鏡が手羽を振れば、その両手羽に輝きが見えた。ナイフのような、仕込まれた武器だ。
「ぐわーぐわー」
 アヒルのような声で鳴く髭ペンギンも両手羽の刃を見せ、
「くけー!」
 鉄パイプを握る無印が突撃を開始した。
 全軍突撃の行軍は短足のばた足で、頼りなくも確実に進んでゆく。

 鉄パイプが華麗に舞い、相手の足を止めれば矢印一号二号が揃って手羽の突きを無数に入れた。
 間抜けな外見とは裏腹に凶悪な仕込み手羽を振り回す眼鏡と髭は、主に相手の手を狙い、武器を取り落とさせることに執心する。
 訓練の行き届いた動きではあるが、大きなペンギンの体を銃撃せんとする者は少なからずおり、それらを優先して狙撃するのは眉毛の仕事だった。やや遅れ、足下を擦過した弾丸を放つのはリボンの役目で、それは足止めのためであることは明白だ。

602 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:51:55 ID:OVKeGQEU
 一方、鯨の前にて。
「皇子……!」
「アナスタシア!」
 感動のシーンとでも言うべき雰囲気があり、それに従ってか二人は静かな抱擁を交わした。
「ああ……いいなぁー」
「しーっ。覗いてるのばれちゃうでしょ」
 いつみと幸子が鯨の上からそれを覗く。
「信じてました……」
「ああ、君を救うために協力を頼んでいたんだよ」
「あのペンギンさん達ですね」
「ペンギン……?」
 疑問符が浮かび、さておくという形でニコラスが息を吸う。
「さ、安全なところへ行こう」
「はい!」
 皇女の手を自然に取り、鯨へ向かって走り出す。
「こっちですよー!」
 幸子が手を振り、鯨の影に隠れた。
「はやくぅー」
 急かす意識のない様な、いつみの声があり、彼女も鯨の影へと消えていく。
「それじゃ、そろそろ活動モードに変えますね」
 幸子の声らしき物だけが聞こえた。
「皇子……」
「大丈夫だよ」
 腰に手を添え、力感をかすかに加えた。
 それだけで皇女は存在を感じる。大事な力も。
 故に彼女は走る。愛する者の信じた鯨へと。
「僕を信じていてくれるかい?」
「勿論です……!」
 羨ましい、とは鯨の影に隠れた独り者、いつみの独り言だ。
 聞こえていた幸子だけがかすかに微笑み、
「いっちゃんならいつかいい人出来るってば」
 既婚者の余裕をかすかににおわせた。

 海岸ではペンギンが下手くそな逃走を行っていた。
 敗色濃厚だった様子はない。それでも、逃走には理由があると判断した集団は、ハンティングの気分を覚えつつ、それらを追いかける。
 下手くそな逃走はあからさまで、どのペンギンも足取りが悪い。明らかに着ぐるみの選択ミスだと思われた。現にリボンと髭のペンギンは良く転がりつつ、逃走している。
 鯨より二メートル、そこへペンギンが逃げ込んだ。
 先頭を往く眼鏡ペンギンが振り返り、立ち止まる。
 その位置にたどり着いたペンギンから同様の行動を始め、ようやく追いついたリボンと髭が振り返り。
「くけけー」
 再び無印を中心に、左右三匹ずつが並んだ。
 手羽先と体重のかかりで稚拙なポーズを取れば、再び追っ手に襲いかかる。
「意味が解らない!」
 無線機に話すつもりだったのだろう。奇妙な相手に翻弄された集団の、ある一名の声は鯨にいる四名にすら聞こえるほど怒気を纏った大声だ。

603 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:52:51 ID:OVKeGQEU
 無印のパイプはまるで剣のように舞い、体の関節を過たず狙う打撃を繰り返していた。
 矢印一号二号は互いの位置を交換しつつかけずり回り、挙動の予測ができずに困惑する相手から『手羽先フリッカー』とラベルの貼られた手羽の餌食となる。
 先ほどまで冷静な射撃をしていた眉毛は乱射の色を濃くし、リボンが必死にフォローへ回っているようで、何度かライフルを落としかけていた。
 眼鏡は突撃から切れ味鋭い手羽を振り回し、武器を保持する手や、風切り羽根を重点的に切り裂いていく。
 髭の手羽は乱雑で、集団を見つければそこへ飛び込み、鋭い手羽を広げ、まるでヘリコプターのように回転を続けていた。
「ふざけてる……!」
 集団の一人が放った言葉に、ペンギンの中味を担う一部も同意せざるを得ない状況だ。
 辛うじて施設に残る者が応援にたどり着く集団は五分に持ち込んではいるが、いつ崩れてもおかしくない、それもこのような怪しいペンギンたちによってという事が余計に歯がゆい。そんな様子がありありとうかがえる。

 応援がたどり着く頃を見計らったのか、無印がパイプを空に掲げ振る。
「くけけけー」
 鯨が動いた。
 否、背中から割れた。
「全く……人の船を使いおって……!」
 船底で行動をする中年が愚痴を漏らし。
「懲役分きちんと働かないとだめですよぉ?」
 いつみの声に文句は消えず、しかし活動がある。
「なんだと!」
 同様の叫びを上げた集団の一員、男は見た。
 割れた鯨より見えるそれは、船のマストであり。
「さー、頑張ってね! 偽装船鯖味噌丸!」
 舵を取る幸子の声がした。
 完全に姿を見せた船は上空へ数発、花火のように弾頭を打ち上げた。

 上空で弾頭が破裂すれば、大粒の何かが雨の如く落下していく。
「ぬいぐるみ……?」
 見上げたアナスタシアの頭にも一つ、それが当たった。
「かわいーっ!」
 抱きしめたそれは、ペンギンのぬいぐるみで。
 それが雨の如く上空から落下してくる。
 追いかけるように、大砲の一斉砲撃が上空に二度、三度と行われていく。
「アナスタシア……それは去年の科学博で使われたマスコットだよ」
「あ……そういえば」
 余り物が雨の如く、それとも火山弾の如くか。船上の四名にはペンギンのカーテンが見える。
「くけー」
 カーテンは量を増せば、まるで雪崩のようであり。
 無印は爆発の破片であろう板きれを構え、それを投げれば雪崩れに乗った。
 雪崩れに乗った板きれは、投げた無印の支配を逃げられない。短足の弱点を補うかのように、上へ乗り、ペンギンの波を無印は滑っていく。すれ違う相手から唖然とし、そして置きみやげのパイプが襲いかかる。
 他のペンギンも雪崩れに逆らいつつ、獲物を探していく。雪崩れに飲まれた集団は逃走を諦め、応戦することを選択したようだった。

604 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/17(土) 20:53:32 ID:OVKeGQEU
 乱戦は集団とぬいぐるみをはね飛ばし、異様な空間へと変貌していた。
「くきゅー!」
 ぬいぐるみを投げつけられ、フリッカーで襲われ。ゴム弾が強襲していく。
 気を抜けば手の甲を切られ、武器を奪われる者も少なくない。
 ペンギンの方も着ぐるみにいくつか傷は見えるが動きは正確で、ろくな戦果を得ていないことも戦意を削ぐ大きな理由となりつつある。

 無印が踊る。急造サーフボードで相手を踏み、なぎ倒しつつ。
 矢印が暴れる。鏡写しのように二匹同時行動を取りつつ。
 眉毛が落ち着く。手持ちの弾丸を全て使い切り、ようやく。
 眼鏡が走り抜ける。拘束用の強力な粘着テープを消費しつつ。
 リボンがへたりこむ。眉毛の腕前をフォローする羽目になった為に。
 髭が地より浮き上がる。調子に乗って回転を続けていたためだ。

 悪趣味な惨状の中、波乗り無印がぬいぐるみの波から跳ねた。
「くけー」
 緊張感のない声に、鉄パイプを持ち、それでも器用に縦回転を見せ。
 遊んでいた。
 考えようのないアクロバットを戦闘中に行う。
 否、それが勝利のパフォーマンスであろうか。
 あっけにとられる集団は次々に拘束され、それを余裕の元に見られるのは船上の四名だけであった。
 着地だけは失敗したようで、下敷きになった髭ペンギンを砂浜より引き抜く事に四匹がかりで十分を要したことだけはしくじりだったのだろう。
 現にしばらく、加害者の無印はふてくされた様子を見せていたのだから。

*音ここまで
OSTER project 様
ぴよRUSH
ttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a017591
余談:色とか
ウルトラマリンブルー(056,077,152:#384D98)、ウイニングブルー(054,100,162:#3664A2)、オーシャンブルー(057,069,179:#3945B3)、コバルトグリーンブルー(068,086,161:#4456A1)コバルトターコイズブルー(042,070,135:#2A4687)、コバルトブルーヒュー(056,068,170:#3844AA)、サファイアブルー(049,086,164:#3156A4)

本日はここまで! 後3〜4日後にまた会いましょう

605 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/18(日) 04:54:17 ID:Tu/xsxS2
誤字すんません、つっこみはレスってくだせorz

606 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:42:07 ID:ZCW0nFd6
14.黒の二人
 ――闇は何でも隠してくれる。不幸も、幸いも。
    もっとも、見えなくしてくれるだけで存在あるのだが。

 隣国の民が活躍し、皇女の安全を確保した。そのような報道は光の速さと言うべき広がりを見せ、ミュトイ全体が彼女らを認め始める動きが始まった。
 そう、『彼女』は判断している。
 映りの悪いテレビは時折ざらついた音と映像を返しつつも、明るい声をしたレポーターが繰り返し類似した内容を伝える様子が映っていた。隣国の客人に対しての肯定を重ね塗りしているかのような言葉は、何度となく繰り返されるざらつきで荒れようとも、その情報を毛羽立たせた物にはさせないといった、否定的に思えば聞き飽きた感覚がある。
「洗脳みたいだな」
 ノイズ混じりの映像を横目で見た彼女は、黒い髪を一つにまとめ、ブーツの重奏で視点を高く。辛うじて見えた天井の輪郭が、立ち上がった本人に改めて部屋の狭さを伝えているようだった。
「そろそろ行こう。兄」
「ああ」
 闇の中、ノイズ混じりの光は彼女と、簡潔な言葉だけを返す兄と呼ばれた男の輪郭を露わにし、また時折闇に紛れさせた。
 その光を振り払うのは、男の前へと突き出された手であり。
「行くぞ」
 光を光で重ね塗りした、ドアの向こうは空だ。そして、ドアを出る二人と同じく、黒に身を包む人影が二十か三十か、ドアの開放と共に発せられた声に応じ、準備を終えた者達が居る。ドアの開放と共に発せられた声に一同はそこを見つめ、一息の、現れた二人の瞳が光に慣れるまでの間を持ってうなずきを示す。
「ああ、もうすぐ我等の時間だ」
 兄と呼ばれた男のつぶやきは、事件の一段落を語るかのような、夕焼けの始まる西の空へと吸い込まれていく。
「夜でもなく、昼でもなく。文字通りの日陰者、か」
 女のつぶやきに誰ともなく苦笑を乗せた息を漏らし、西を見据える彼女の隣、男は並び。
「皮肉な話だが、肯定しておく」
 次第に濃くなってゆく巨大な影を見つめた。
「我々だけで折れぬ大木だが、削ることは出来る」
 大木と称されたアトラスは、空を赤く染めつつ沈む夕日すらも切り取っていた。
 暗闇の寒さをかすかに帯び始めた外気に包まれる一団の顔には、眼鏡はない。
「流しの傭兵稼業もたまにはいい仕事にありつけるものだな」
「はいはい。兄は臭いな」
「うるさいぞ」
 日常会話でスタートする先頭の二人は、十二分と言った速度を翼に乗せ始める。

607 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:44:43 ID:ZCW0nFd6
15.百五十五のもたらす意義。
 ――十分だろうか。足りないのだろうか。
    そんな疑問を受けてそれは生まれた。全ての結論は後ほど。

 ざわめくミュトイの市街は、隣国の者が行った偉業に沸く。朝一番のニュースとして報道されたその影響は、夕刻を迎えても終わることがない。作戦処理も同様に調査及び事後処理に移り、完了の合図を告げぬままだ。
 緊張の糸を切ることなく、警戒を怠ることなく、その流れに隣国の者達は乗っていく。ざわめく市民と冷静な作戦担当者のコントラストは、日差しのようで。濃厚な影を落とす街並みと、きらびやかな街灯の始まり、そして斜陽は赤々と燃えている。
 アトラス屋上に待機したドリスとスヴァンも変わらずその場に存在し、必要な情報を整理し、散らばった一同にそれを伝える役割を続けている。
「要人に関しまして、共通点とは言えないことかもしれませんが……」
 ヘッドセットに言葉を告げるのはドリスで、隣に立つスヴァンは職員より受け取る資料を整理し、ピックアップを行う。作業をしつつドリスの通信内容を耳にするスヴァンは、資料へと注ぐべき意識を奪われる感覚を覚えている。
――本当に的確。
 改めて思う。補佐役の支える物は円滑な執務だと。短く、明確に告げられる情報はまるで、雑談をしているかのような思考時間をさほど挟まぬ言葉の羅列であり、整理された言葉には理知があった。そろえた資料を斜め読みしていた彼女はさらに耳をそばだてている。それはドリスの手腕を改めて理解する行動だ。
「我が国とノルストリガルズ、双方との交流を推進する思想を持つ方々です」
 ですが、と告げる。結論からの否定にスヴァンは疑問詞を持った。
「狙いが分かりやすすぎます。本来の目的を遂行するための隠れ蓑ではと予想します」
「流石です」
 思わず口にした言葉にドリスは目を細め、苦笑を一つ。
「経験ですよ」
 そういうものですか、と言おうとした。軽く開いた口が『す』の発音を始めている。
「嘘吐きほど出来た言い訳をする。ですね」
 スヴァンへの言葉を告げればヘッドセットのマイクを正し。
「各員、警戒を」
 短い応答は鋭さがあり、しかし電波はそれをざらついた物に劣化させている。
 心地よいざらつきだとスヴァンは思う。機嫌の悪い猫のような、逆立った気配を感じる。
「あー、手遅れ」
 ざらついた声はスヴァンの物に似通った声で、彼女のような冷静さはないが代わりに余裕を交えたその声は、聞き慣れたテンポをやや早く。
「こら! 報告なさい! 黒いの!」
 会話に割り込んだスヴァンの声に数秒、息づかいの混じる無音があった。
「黒って言うな! 地下に隠してあった風イカダを逃がした! こっちはこっちで後続と交戦中!」
 争いの様子は無線機にも伝わる。銃弾といくつかの声が遠慮がちな描写を彩っていた。
「各員、風イカダに警戒を。フェルミッテ上等兵、私は封鎖依頼に出ます。通信を代わって頂けます?」
「了解!」
 飛び立ち、内部への入り口までの短い距離をゆくドリスを確認したスヴァンは無線機を引き継ぐ。
「風イカダの形状は?」
 返答の終わりを語る前に言葉は来た。
「わかんね! 新型だと思う! スピネンじゃ見ない形だ! あたしくらいの速度がでてたから補助推進器でも付いてるんじゃないかってくらいだ!」
 かすかな整理を行い、次の質問を紡ぐ。それを発する前に、
「ヘルメス型でしょうかぁ。先週ロールアウトされた新型ですよぉ。最高時速は百五十五kmですぅ」
 声の主は電波の内でも眠気を伝えられる者だ。何故か疲労を感じ、ため息一つ。改めて無線機に取り付けられたコンソールを見れば図面が送られてきている。
「データはこの通りですよー」
 眠気とは裏腹の迅速な対応にため息を感嘆の色に切り替えた。
「感謝します。ネメス主任。しかし新型とは……。シヴィル、相手の方角を教えて」
「西と南西だ! 国外狙いっぽい!」
「二機いたの?」
「言わなかったっけ?」
「言ってない!」
 緊急事態に何をしているのかと自嘲し、改めて情報を待つ。
 風の強くなった屋上は、ざわめきを示しているかのようで、陽の傾きには不安が乗っていた。

608 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:45:15 ID:ZCW0nFd6
 通信を入れたシヴィルの担当する区域は、押されているわけではない。彼女一人でも十分であったとも言えた。それに加え猛者である教導隊よりフレア、グートルード、孝美が参加したそこは、圧倒的に有利であり。それでも、
「ええいっ! 先に進ませろー!」
 槍の穂先、それを頼りに飛行を続けようとも、増援とおぼしき黒ずくめの集団はまとわりついた。勝てぬ相手ではない。負ける相手でもない。しかし、面倒だと思うほどに腕のある集団だった。
「邪魔だって言っても……通してくれるわけないかっ!」
 孝美のぼやきと共に両手の拳銃が弾丸を吐き尽くす。行き着く先には黒ずくめは存在しようとも風イカダには届かない。射手が認める速度を持つシヴィル並のそれは、黒い肉癖にも守られ、尻に備え付けられた推進器へ悠然と火を灯す。
「やば……!」
 全てを失い、ただただ衝鉄の乾いた音が響く拳銃の向く先、二機の風イカダは最高速度への加速を開始する。

 悔しさに歯がみする通信が届き、電波に乗せられた焦燥感と、同じく歯がみの行為が伝わってゆく。
 黒ずくめは追い払われた、そういった伝達も歯がみの原因となっている。
 あれほどの手練れが揃った区域において、死者はとにかく無力化し拘束できた者が居ない。手加減の許されぬ、そのような集団であることが良く分かった。
「二、三人異常に強い奴が居た! 気抜くなよ!」
「ちょっと! 手練れの貴女が強いですって? 過大評価も良い所じゃないの!」
「何くってかかってんのさ、白いの。強い奴は強いよ。そりゃあたしも認める」
 通信機越しの喧嘩があり、その裏側とも言える音声は状況の説明が冷静に伝えられていた。複数の通信を聞き取る技能のあるドリスが行う仕事は的確で、それを信頼する隊員は騒がしい喧嘩を物ともせず、伝えるべき言葉を紡いでゆく。
「こちら南西担当ユニー班、ドミナ! 護衛は剥がしたんだけど……逃げられちゃった! 被害はないけどラプさんお願いっ!」
「フレトリア曹長、そちらに風イカダが向かいます。ルート変更は無し、ミュトイのレーダーに引っかかりました。今後はバイザーを通して確認を。残り護衛は牽引者を含め四名前後と予想されます」
「了解……!」
 緊張に力のはいるラプンツェルの、絞り出すような応答がある。ドリスの眼鏡に映る光点が、連絡で伝わる彼女の持ち場へとゆっくりと近づいてゆく様に、とても縮図とは思えない速度であると彼女は予測した。
「推定到達――十分後、四時二十五分です」
 冷徹な執行猶予にうろたえもなく、封鎖状況と照らし合わされた予測ルートを改める。地域担当をしているラプンツェルとアンジェラ――あくまで補佐役の彼女に期待は出来ない、ドリスの判断はそうだった――が待つその位置へ、最後の砦となる検問所近くまで、可能な限り曲がり角を要求する封鎖だ。
「西担当海野班、小鶴。風イカダ停止成功。交戦中」
「了解です。――戦況は?」
 安堵の一息は相手が発する言葉の合間に吐く。つとめて緊張を見せぬよう、頭を解しながらも酸素を与え続けた。
――ああ、蜂蜜パン、私も食べたかったな。
 不足した糖分を思い浮かべ、
「厳しい。疲れる」
 甘い味の想像をしたそれと、驚きの息を吸い込んだ。甘ったるい舌の感覚はどこかへ飛び、苦い物がこみ上げてきそうな錯覚に陥る。それでも驚きを消し――それが彼女の、司令塔の務めであったから――短く了解とだけ告げた。
「隊長、エリアデータを更新します。海野班の援護を」
「了解、なかなか厄介な相手ね」
「全く」
「って、こらぁ! ちゃんと火を消しなさいショーティ!」
「くわえ煙草でいいじゃない。仕事の後は一服に決まってるんだから」
「まだ終わってなーい!」
 吸い込んだ苦々しい空気が、まるで無線機越しに伝わってきたかのような紫煙の感覚と共にため息として吐き出された。横ではスヴァンの言い争いがまだ続き、改めてため息を吐く。

609 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:45:50 ID:ZCW0nFd6
 白い指がナイフとアサルトライフルを掴んでいた。それは誰の指ともつかぬほど白く、そしてしっかりと獲物を掴む指だった。
 その指の持ち主、ラプンツェルは緊張によって体を使った呼吸を行っている。純白を通り越した指は彼女が込めた力の分だけ血流の赤みを無かったことにしている。
「フレトリア軍曹、聞こえるか。法務官テティスだ」
「は、はいっ!」
 ありもしない、そのような何かを凝視していたラプンツェルが夢から覚めたかのごとく跳ね、改めてヘッドセットを直す。
「何度呼んでも反応しないからな。もう突破されたかと思った」
「ご、ごめんなさいっ!」
 気にするな、と軽い声が当たった。耳障りの良い、キャリアには似つかわしくなく、外見に似合った、そのような可愛らしいと判断できる声だ。それは平坦な音程を持ち、そこがキャリアに似合っているとも彼女は思う。
「検問封鎖は完了した。あまり戦力にはならんだろうが、気休めにはなる。軍曹が全力の結果を出せればこちらで止めよう」
「解りました、お願いします」
 おいおい、とは少々抑揚のある声で、これがプライベートの音程なのかと場違いな思いがあった。舌に感じるぴりぴりした感覚が、アドレナリンの過剰分泌による冴えであるかのようにラプンツェルを突き刺している。
「最後の砦なんだ。軍曹が止めるくらいの覚悟でやってくれ」
「そう、でした……!」
 改めて眉根をつめ、道を見る。後ろへはまだ長く、検問までの距離にして十二分。そして、前からくる風イカダに対してもあと三分は猶予がある。
 少しばかりの余裕と、更に強まる使命感を乗せた瞳に、戸惑うアンジェラが映った。生まれて初めてだと思われる拳銃の扱い、それをどうしようか、発砲するのだろうかと思案しているかのような様子だった。
 年上のアンジェラではある。しかし、ラプンツェルのような戦闘訓練は全くしてはおらず、初めて殺す、そういった道具を手にしたときのような戸惑いに、過去の親近感を見た。
「アンジェラさんはあんまり無理しないでください。こう見えても私、頑張れますから!」
 なんとなく、似合わないとか、正しくない言葉だとか、そういった思考があった。
 それでもアンジェラの表情は解れ、間違いは少なかった発言だと思う。
「私も頑張りますよ。ラプンツェルさん一人に責任を負わせません!」
 己の胸を叩き、快活な笑みを見せる。強く釣り上げた眉と見せた白い歯が、彼、あるいは彼女が両性であった事を思い出させるような、二十の娘にしてはお転婆というような、男にしては可愛らしいというような笑顔だとラプンツェルは思う。
「よし、おしゃべりはそこまでだ」
 苦笑混じりに伝わるテティスの声は、二人の会話が無線を通して伝わった事を感じさせた。少々の赤面と苦笑がアンジェラとラプンツェルの間に生まれた。
「残り一分。頼む」
「「了解!」」
 眉根を詰めた瞳が二人分、後僅かでここへ現れるべきまだ見ぬ標的を見つめていた

610 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:46:22 ID:ZCW0nFd6
 この国、ミュトイで最も高き所、アトラスの屋上では、驚愕の風が吹き荒れていた。
「どういう事ですか!」
 声を荒げるのはスヴァンで、敬語の対象は無線機の先にある。
「少し見えたのよ!」
 戦闘は未だ終わらず、それでも足止めできているのは彼女らの実力か、シヴィルと教導隊の面々が加わった戦場で、状況を伝えるのはティアだ。
 ドリスとスヴァンが立つ屋上は、ただでさえ強い風が荒々しく、まるで伝えられた言葉に対してこの国がうろたえているかのような錯覚がある。その強風の中、立つ二人にも風は容赦なく吹きつけ、羽根を気まぐれに揺らし、彼女たちの本能なのか、力を逃がすかのように時折大きく開いた。
「きっとそうだわ、風イカダは三台ある!」
 ひときわ強い風が吹く。二人の翼は今にも飛び出しそうな、そんな主人に従わない角度を持っていた。
「上等兵。阻止お願いします」
「私……ですか?」
 真っ直ぐ、そして強い視線はドリスの物で、だが表情は夕日の始まりによって影となっている。
「今追いつける余裕があるのは貴女だけです」
「しかし……」
「かーっこ悪いなぁ白いの! あたしに肩を並べる速度を持ってるのはあんただろ!」
 通信に割り込むのは片割れとも言うべきシヴィルで。スヴァンは軽く息を呑んだ。
「だけど……今は装備が……!」
 非常時に備え、彼女は装備を用意してある。いつでも飛び立てる状況で通信役を行っていた。装備の懸念は一つ、槍に取り付けられた斧。それは高い比重を持つノルストリガルズ特産の材料で。
「ハンデで最速、格好いいじゃん?」
 笑いの吐息を通信機に吐く。
「いいの? 最速貰うわよ」
「やってみ?」
 どちらかとなく、微笑の音声があった。
「予測コースはそこの真下を通るはず。発見位置からして間違いないわ」
「了解です」
「サポートはお任せを」
 ドリスにうなずき、しかしスヴァンはひとつ、と告げる。
「簡単で構いません、速度計測をお願いします」
「流石ですね。負けず劣らずです」
「一緒はやめてください」
 冷静な空気が戻れば、強風が制されていく。
「速度を出すには十分な条件ですね」
「ええ……」
 そう言うと、獲物と目標のため、スヴァンの足はアトラスの縁へと向かう。
 出立を見守るドリスの瞳に、白翼が夕日に後押しされ、黄金に輝く様が映る。
――輝く翼に奇跡の速度を、なんてね。
 少しばかり少女趣味な事を思い、改めてノイズ混じりの通信機に耳をそばだてた。
「発見しましたよ。出発カウント――七分前です」
 ソフィアの通信に眠気を刺激されつつ、それをドリスは発声する。
「待ち遠しいとは思います。もう少しお待ちを、ね?」
 爪先を虚空に揺らすスヴァンに、外出の待てない子供を重ね合わせていた。
 唯一あったであろう大人の余裕は、風に押されぬよう閉じた翼にある。

611 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:46:59 ID:ZCW0nFd6
 比較的楽な流れ、そう二人は思っていた。
 ラプンツェルとアンジェラの前に現れた風イカダ、その乗組員の一人にアンジェラの初弾が偶然にも一人を捉え、残り二人。相手のバランスを崩したことを確信したラプンツェルがもう一人を落とし、拘束は出来ぬまでも倒すことに成功している。
 だが、風イカダを牽引する二名とは一向に進展を見せぬ戦いがあった。
 明らかに腕前の違うそれらに、ラプンツェルのライフルが切断され、アンジェラの拳銃は弾切れを待つまでもなくはじき落とされた。
 戦闘によって速度を落とすものの、ヘルメス型風イカダの推進器は優秀なようで、ラプンツェルらがこの国へ物資を輸送した風イカダほどには速度を維持している。検問まではわずかな距離、十五分もこの速度を維持してしまえばそこへ着くであろうと思われた。故に、
「これ以上は……行かせない!」
 改めて口にした決意を胸に、ラプンツェルはナイフを振るう。対する相手は二名。アンジェラは武器を落とし頼りにならず、そして頼りにしたくない。彼女は一般市民に括るべきだと思っている。
 風イカダを牽引しつつ、それでもこの二人は応戦してきた。逃走を選ばないだけの腕がある。何より銃器を失ったのだから、片手での応戦が片手間に見えてしまうほどで、ラプンツェルは己の未熟さを知ったような錯覚に焦り、そしてナイフにそれを乗せた。
「ラプンツェルさ……んっ! 今は駄目……!」
 手の痺れにうめきつつ、アンジェラの声が飛び。それでようやくラプンツェルのナイフが止まる。止まったことで見られた物に戦慄し、アンジェラへの感謝が生まれ。そして己の浅さを肌で感じ取った。
 鼻先に突きつけられた、切れ味の良いナイフがラプンツェルの前であざ笑うかのように鈍く夕日を照り返した。ライフルの次はお前か、といわんばかりに輝くそれは、切れ味を主張してやまない。相手の追撃、それをナイフの延長、肘を曲げる動作で察知したラプンツェルは、速度の中とんぼ返りを打つ。常に前進し続ける風イカダに、体制を整えれば距離が空く。それでもラプンツェルは諦めない。
「……もう少し。……来た!」
 追いすがりの加速をしつつ、手すきになった左手が新たに取り出したスイッチを押す。
 ラプンツェルお得意の罠が爆風の壁を風イカダに見せていく。
「すごい! タイミングばっちりです!」
「えっ……?」
 アンジェラの声にラプンツェルは反応できないでいた。
 焦りの色を乗せた彼女の視線は一カ所を見つめている。
 それは、爆風で乱れる風イカダ。速度を落とし、それでも前を目指す姿に、人影を認めていた。日頃慣れた行為、そこにある翼はまだ、生体、そして無機物共に健在であった。
「いけない!」
 二人の声が重なる。焦りの色も、息づかいも、向かう先も。
 速度だけはラプンツェルに一日の長がある。

612 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:49:45 ID:ZCW0nFd6
16.二人の思う場所
 ――こいつにだけは負けたくない。こいつにだけは勝たれてもいい。
    微妙な感情。
     二人はライバルだからしょうがない。それでいいじゃないか。

 即時の通信がドリスの耳に聞こえ。見えぬラインで繋がれたスヴァンの無線機にもそれは伝わる。フォローに回らんとするラプンツェルの報告を聞き、爪先にためらいのネジ利が生まれた。風に戯れんとした彼女の体を、遊ばないのかとばかりに見えぬ風の腕が横へと彼女を揺らす。
 足のためらいと、上半身への誘い。進行方向を向くべき頭はドリスを見つめ。
「……」
 無言の視線がスヴァンをアトラスから落とす。
「……後押し、感謝します」
 プライベートの通信で言葉を伝えれば。
「いい速度を」
 高空、薄れた空気に寝そべるスヴァンが目を閉じ、微笑む。横から溢れる金色の光を余所に。
「目視完了。距離算出。カウント十より」
 開いた翼は風に乗り、緩やかな重力を顕す。風防代わりのバイザーに、下へと誘う風が溜まり、舞っていく。透明素材のそれに、残り五カウントの表示がある。
 スヴァンの瞳はまだ開かず。血流の上がり、小金に照らされた彼女の視覚は、紅の世界と風の歌だけだ。

「おい、白」
 体を動かし、力感を必要とする傍ら、そんな雰囲気の声が無線機にある。短い言葉の中、震えをかすかに、語るという行為よりも放つ事に近い、そんな抑揚の声。
「何よ」
 コンマ数秒、戦いのテンションに晒された時間においては長く、日常ではかすかに一拍弱の沈黙から、呼ばれた娘は返答する。口を開くだけで小さな乱気流が生まれ、体感とは桁違いの誘惑が、己を地へ向けていることに改めて気づいた。
「二百秒で解決しろ」
 無線機はハイテンポの発音でそれを伝え、終わりの怒号は誰かの名前に混じっていた。
「なんで?」
 スヴァンの声に声には焦りも疑問も無く、眠りに就く前の穏やかな調べ。
「ざっと計算した。百九十五秒であたしとやりあった時の記録だ」
「そう。今から?」
「今から」
 目を閉じ、緩やかに。眠りを妨げる目覚まし時計を止めるかのような、少々雑で、力感よりも瞬発の動きがスヴァンにある。腕に付けられた時計、そこにある小さなボタンを幾つか押すと、表示は時刻から零の行列に変わる。
「セットした」
「ああ」
 穏やかな声がさらにトーンを下げ、呼吸を落としていく。

613 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:51:39 ID:ZCW0nFd6
*音開始
00:00
「寝てんのか?」
「そうね、夢を見ているかもしれない」
 平坦な呼吸までが余さず、シヴィルの無線機に届く。それを聞いたシヴィルが笑みの呼吸を見せ、そうしてから一息を発する。スヴァンの体は翼より受ける風でゆったりとした回転力を持っている。ビル風に煽られながら、翼がその問題児をあやしていた。
「寝てる間にこっちゃ大忙しだ! さっさと起きて仕事しろい」
「そうね。あと――」
 言葉を告げる前に、ドリスの無線が入る。
「フェルミッテ上等兵、現在位置の直下を風イカダが通過するまであと三十五秒です」
「了解――あと、十秒だけ寝かせてくれる?」
「は、あたしと逆だな」
「やっぱり、ね」
「あたしは寝起きが良いんだ」
「寝付きは?」
「最高だぜ?」
「私は最悪ね」
「はっ……。良いからおきなよ」
――残り二、一。
 ざらついた音色をしたカウントが開始間際を告げ、スヴァンの翼が背に帆を立てた。
「そうね」
 翼端は背後を指さし、あぶれた力が全身を震わせ。
「おはよう……!」
 寝起きの合図は、翼端が眼前にまで行き着く力強い羽ばたき。
 寝起きの行動はベッドより勢いを付けるような大きく振り上げられる足。
 開いた瞳が金色をした板の行列を見る。ビルが反射する黄昏の視線を。
 空に寝そべるスヴァンの体が、起き『下がった』。
 目覚めの意志は欲求一つを頭に満載した。
 下へ。下へ。下へ。
「重力よ、今ばかりは私を自由になさい!」
 カウントマイナスを計上するドリスにまでも、意志の言葉が伝わる。

614 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:52:24 ID:ZCW0nFd6
00:17
 一転、スヴァンの体中の血流が暴走を始め、鼓動が耳にすら聞こえてくる。金色の板より、視線は灰色の太線を見つめ、それは次第に巨大化していく。アスファルト色の接近が次第に高まるのは、時間と共に欲求を増す重力と、閉じられた翼による物で。
 翼の閉じを少しずつ行ったため、加速に乱れがある。風圧に負けぬよう、ゆっくりと翼を閉じ、体を通り抜ける風によって、瞳に映るアスファルトの横線は急激に回転した。
 体のラインが浮き彫りになった、スヴァンはそう感じている。衣類は風の逃亡を邪魔し、逃げそびれた者から体をなぞり、押さえつけられていく。ようやくの逃亡を終えれば、活動のための余裕を持った裁断が再び風を捉え、余った布地をはためかせる。その震動は重力にも迫害され、非難の声を布地に伝えれば、スヴァンの神経にも軽快なアラートメッセージとして伝えられた。
 金色の板、その行列が縞模様の柱としてスヴァンに認識される頃、彼女は己の得物、矛槍の石突きを視線の先に、斧を風の行き着く先へ向け、一体化を試みながらも、掴むのは石突きに近い箇所だけで。
「記録、抜いちゃうから」
「なんだよ。随分と軽い物言いじゃん?」
「黒、たまには見習ってあげるわ。今、とても楽しい」
 無線の声に、風の歌声を伴奏として、そう言った。
「ああ、そうかい」
 スヴァンは返答はせず、体を縮める。視線の先、今まさに通り過ぎようとする風イカダに向け、
「最高よ!」
 声と共に、柄に力感が及ぶ。
00:36
 眼前に風イカダ、そしてアスファルトの細部が見える。そんな近距離で、
「まず一人!」
 腹側から頭上を通り、そして背後へ、長い槍が超重の斧を加えたまま回転される。
 上下逆さの切り上げから、重みを味方に視線を風イカダの乗員と同じく。
 横目に見れば、羽根を折られた人影一つ、風イカダよりこぼれる。
 下方への誘惑はまだ終わらず、それでも前へ、散々閉じられた翼が広がり、ようやくの仕事を歓喜するかのように力強く風をうち倒す。上空へと暴れるハルバードを上半身が腕を先頭においかけ、それを重力への別れ言葉とした。
 やや伏し目がちになるスヴァンの視線に、風イカダの右カーブ動作が見て取れた。
00:41
 えびぞりのまま、慣性は曲がり角までスヴァンを導いていく。加速により左へスライドをしつつ右へカーブをする風イカダはかすかに前、槍では届かぬもどかしい距離にいた。
 スヴァンはカーブの動作に入らず、主人の下を離れようとする斧を叱咤するかのように左上方へ誘導し、そして右下方へ振り下ろす。
 縦一回転を歪ませ、再び翼が閑職に追いやられ。
 行き着く先は風イカダとほぼ同じく。黒い口を開ける穴、巨大なビルがまたいでいるが故に生まれたトンネルへ、二つの影が突撃する。

615 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:52:56 ID:ZCW0nFd6
00:46
 圧縮された空気に風圧を感じ、スヴァンがトンネルへと完全に飲み込まれた。
 距離感と速度感を失わせる暗闇に、確実なスピードメーターは彼女を包む布地がはためき、ポニーテールが揺れる頻度だけになった。少しずつ慣れていく瞳が、距離を変えない白い点、追うべき物体を見つめ、速度だけを落とさずに、ハルバードの重心移動だけで平行を守ろうと動く。
 足一つをかすかに動かすだけで、かつて自由であった風と翼が暴れ、大きく視線を揺らす。翼での舵を諦め、白い翼は先端を通常より後ろへと移動させる。
 袖のはためきが定格のリズムとなり、ポニーテールが乱れる。暴れる毛先がゴムの束縛を必要以上に嫌っていた。
 日常感覚の解らぬ空間で、その暴れすらも感じたことのない事態であり、それだけの速度が出ていると確信した彼女は、姿勢制御を二の次に、目標へと向かう。
01:04
 視線の左右端を、光点が幾つも走っていた。内部にあつらえた照明はオレンジ色で、速さのせいか、光がスヴァンの瞳へ食らいつこうと尾を引く形が幾つも見て取れる。
 もう一つ、光点が増える。
 さらに一つ。
 視線の先が光る度、スヴァンの足は動く。内部照明から浮き出た光子が横にも糸を引き、スヴァンへのラブコールが瞳に溢れていった。
 それでも、直進を諦める。中央の光点、銃弾を避けねばならない。
 銃弾を避ける度、逃げ遅れた空気が彼女に押しつけられ、そして砕かれる。
 彼女が感じる体の重心、それが平素より細くなっていく事にも気づいていた。
 かすかに横へと体を振るだけで、体が容易に回転し、ポニーテールの形を崩す。
 針のような重心と同じくして、集中力も鋭さを増し、風は頬になまくら刀で斬りつける。
 今、自分が何処を飛んでいるのか、どれだけ速いのか、姿勢を乱す度に認識すら振り落とされていった。
 だがスヴァンはためらわず、全身のブレーキを消し、前へ前へ。

616 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:53:38 ID:ZCW0nFd6
01:22
 向かう空気の境を貫けば、背後、足にまとわりつく空気の渦が肥大した。
 かすかな空気密度の変化に姿勢を乱しながらも、前への意志を改める。
 不意に視線が光で溢れ、左右の光子発生具が消滅した。
 代理で登場したコンクリートの柱、ビル群がスヴァンの飛行状態を暗黒地帯より明確に訴えていた。
――トンネルを抜けた。
 思うことすらもどかしく感じるほどの速度、それを思う。
 己を明確に実感したスヴァンの心が、体を離れバイザーにまで進む。体が前へ行く前に、意欲が心を吹き飛ばす。
――これだけ速いのも久しぶり!
 心地よさがバイザーより前に心を動かし。
――落ちたら大変ね。
 危惧が背筋から来る背筋の寒気と、理性がバイザーに意識を取り戻させる。

617 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:54:27 ID:ZCW0nFd6
01:26
 己の最速を実感しつつ、空気の境目を貫く。
 再び突入したトンネルは、ビルへ空けた物と違い、左右を小窓がひしめいていた。足先に感じる、自由な空気の押しやられた感覚に、圧迫感を感じつつ、押しつぶされる感情は前へ前へと、それだけを叫んでいた。
 差し込む黄昏が半分だけのスピードメーターとなり、明るいチューブで白色の目標が加速を見せた。
――それはこっちも同じ事。
 分かりやすい周囲を味方に心と体を一体化させ、翼が血流を早めていく。
 先ほどまで冷えていた背筋が熱い熱を帯び、ハルバードを握る両手の指先を白色に力感が彼女の体積を上げ、体感する衣類のはためきがかすかに減る。
 そして、出口が見えた。
 張りつめた神経は針を諦め、毛先の細さに。
 速度の中、ラブコールを送り損ねる光子に従い、視線すら針の如く。
 ストップウォッチが丁度百秒を示す頃、遠慮のない黄昏の光と風の壁が感じられ、
01:40
 スヴァンは外へ。
 持ちあげた翼が最高の空気を持ち、うち下ろせば己を弾丸とした姿が黄昏の金色と重なる。
 スヴァンには見えぬ後光は、対象が見つめていた。定まらぬ銃弾に、スヴァンもそれを確信し、さらに前へ。うろたえの動作が見えるほどに肉薄すれば、ハルバードの穂先を行き先として、ロールと真横へのスライドを行い、風を切り裂きながら遠隔のチークタイムを楽しむ。
 時間が流れる。空気の壁と同じくそれも、スヴァンにとっては粘性を持ち、自分だけが別世界の住人のように舞う。かつて、ストラマによって過剰な色彩を放ったあの争いを思い出し、それよりも純粋な極彩色の世界が見て取れた。
 黒ずくめの男が放つ銃弾の鋼色は熱と光で赤と白、黒のナンセンスな物体として己に襲いかかり、黒の男も同様に強く金色に塗り潰されている。
 風イカダを牽引する黒が必死の動作で翼をかちあげ、速度を求める様が見て取れた。新型の風イカダが生み出す補助推進装置の青炎は一層その身を伸ばし、それが美しいと思えた。恐怖も緊張もない、素直な感想だ。
 同様に風と遊ばれる彼らの衣類が、ぴったりとしつつも余白をこすりつけられ、かすかに白線を引いている。きっと、自分の白い翼は同じだけの従者を先端に従えているのだろうと思いながら、それを弄ぶようにロールで彼らの銃弾をかわしていく。
 都合良く流れるコンクリートの灰色が、汚れでアンバランスな黄昏を染め、二者の影をカーブに導いている。
 故に風イカダは体を傾け、男達が足でそれを押さえつけつつも、左へ曲がる。
 スヴァンはナンセンスなコンクリートを前に、体をよじり、
0158
――色彩を勉強なさい!
 呼吸で精一杯の口を使わず、叫んだ。
 美しく伸びる足でコンクリートの壁を蹴り、己をバネとする前に左へ頭を持ち出す。
 バネの動作と同時に、大上段からハルバードを振り下ろし、風イカダの尻尾を傷つけた。
 反動で揺れる風イカダと、姿勢を正す黒の男達を見て、何故か微笑みが生まれたのはスヴァンの意志ではない。
 振り下ろしたハルバードを振り上げるのももどかしく、体中で回転し、風イカダの上方を回り、追い抜いていく。
 羽ばたきを行えぬ行為に、ふたたび風イカダの鼻先がスヴァンに追いつき、銃器を構える男達が彼女に照準を合わせた。
 刹那、丸まった白色のスヴァンが広がり、弾け。彼女は高速で後ろへと引きずられていく。
 加速せぬスヴァンが視線から消えた。そう、男達は確認し。
 広がったスヴァンのロールはハルバードを右手に捉えたままのミキサーとして風イカダをえぐり、上に乗る護衛をはね飛ばす。
 回る光景すらスヴァンには遅く、衣類が張り付く皺一つまで感じられた。そのはためきだけが彼女の鼓動に従いテンポを速め、主の体へとその身を打ち付けていく。
 ハルバードの切っ先に休符が生まれた。風イカダに斧部を食らいつかせ、スヴァンの回転を止め、一時的に風イカダと同化する。回転の慣性がハルバードより伝わり、目標である風イカダ、その右脇腹に食らいついた刃先をそのままに、体が翼の一部であるかのように右横へと開いた。

618 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:55:09 ID:ZCW0nFd6
02:17
 開ききった体が、上空を向く。空はオレンジを中心に、西を黄金に、東を紺とし、揺れる髪が金色の曲線を幾つも彩る。
――美しい。
 張りつめた空気も、男達の鋭い視線も無視し、スヴァンの顔は空を見る。
 照準が向けられた。視認せずともわかる。
 空を抱きかかえるように開いた体がハルバードと別れを告げれば素早く翼が動き、再び独楽の如く回転。腰に据え付けられたナイフを伴に、二人残った護衛の内一人の足を掴み、それを軸に回転のカウンターをかける。すぐさまバランスを崩した被害者が、速度と風に飲まれ消えていくのを確認せず手を離し、改めて地へうつぶせとなるような姿勢でナイフを突き刺し、それを手がかりに風イカダへの絆とした。
 最後の護衛がスヴァンを狙い。牽引係の二人も拳銃を抜き、背後の彼女を射抜く構えに入ったことは解っている。
 だが、気にも留める事がない。必要がない。
02:26
 上がり続ける胸のタコメーターが全ての時間を止めていく。男達の銃口を気にせず、緩やかなダンスを舞うが如く、優雅な動きで彼女は進む。
 文字通り、風イカダの上へと『舞い上がった』。
 スヴァンは笑みを浮かべる。平坦な表情にかすかな笑みを。そして、
「……!」
 遅く感じる銃弾を縫い、ずれてしまった髪をまとめるゴムだけを被害に、間を抜ける彼女の表情は口角にまで達した薄い笑みがあり。男達には覗いた犬歯が酷く鋭く見えた。
 一瞬それに見とれた。男達はそう思う。
 一瞬それに戦慄した。男達はそうも思う。
 それから目を離せぬ。男達はそう覚悟した。
 女の表情に時間を止められた男達の前、支配者だけが舞いの行動を速め、体感する時間を長く変化させていく。
02:35
 体が不自由だ。スヴァンはそう思う。
 対応しきれない。男達は彼女を評す。
 死をもたらすには十二分である感覚差の中、スヴァンは低速と認識した己を加速する。
 全てをモノクロームに見せる瞳が色彩を放棄するほどに速く。足がハルバードを蹴飛ばし、突き刺さりの仕事を放棄するように訴えかける。
 浮いた相棒が重みを手へ移し、その上へと伸び上がる重みに従いそれを切り上げに使う。護衛の銃器が切断され、振り上げを完了し、取り残された石突でのど笛を押し込む。
 それでハルバードは落ち着き、主の繊細な手に重みを預けて甘えの表情を取る。
 甘えた子供を、母親は抱きかかえ、横の構えを取る。
 牽引係の二人には、吹き飛び、高速の別れを見せた最後の護衛だけがはっきりと見えていた。

619 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:55:41 ID:ZCW0nFd6
0254
 金色、それを男達は見る。
 風に遊ばれ、主に引きずられ。自由になった金髪は美しく舞った。
 不覚にも視線をそこへとどめた二人が、腹部に強烈な衝撃を得る。横に薙がれたハルバードの様子と、背中の白翼を見せた女がおり、彼らは痛みで死を覚悟した。
 見つけなければ。そう、男達が思う。相手の動きを、チャンスを。助かるのならなんだっていい。避けねば殺される。生命の危機は心にそれを訴え、彼らからも色彩を奪い、速度を重視する行為に出た。
 先ほどよりも遅く、女の動きが見て取れる。
 必死に引き金を引いた。
 横になった体が、かつて女の体であった筈の空気を打ち抜き、髪の毛一本すら銃弾から逃げる様を見る。
「速度に銃弾は、難しいのよ?」
 重い言葉だった。それは、教訓としてだけではなく、体感速度の上がる彼らに粘ついた音声として伝わったからでもある。
 スヴァンは腕から逃げようとするハルバードを、その尻をもって左手で抑え、柄の中程を右手でホールドした。掴む行為ではなく、挟むような、奇妙な構えでそれを持つと、重厚長大と思われた得物が指に従い回転を見せる。
 両手を用いそれの加速を早め、暴れる先端が足場、風イカダを抉り、彼らが牽引のために腰へ固定していたワイヤーすらも切り裂き。
 その回転が男達へ向かう前に止まったことだけを最後に、男達はこちらへと襲い来る巨大な長物を確かに見つめ、腹で受け止める事だけが精一杯だった。
 吹き飛ばされ、開放される。死は無いだろうが大けがだと思い、先ほどまで抗っていた、背後へ向く風の誘惑に従い、吹き飛ばされながらも、視線だけが相手を見つめる。
――投げた癖に、畜生。
 華麗に斧をキャッチするスヴァンを見て、何故か苦笑が漏れた。
「こちらフェルミッテ。任務を終える」
 通信の声は淡々と、
「うわぁあああああああっ!」
 叫びは力強く、鏡の相手に負けぬほど荒々しく。
 上下逆さに持たれたハルバードが風イカダを両断した。
03:12
 一人だけ、風と自由になったスヴァンは減速をしない。
 自然と減っていく服のはためきに、くすぐったさを覚えながら、頭皮に伝わる金髪のダンスを心地よく思い。
「黒、聞いてる?」
「あー? 忙しいんだよこっちは!」
「速いって最高ね」
「また抜いてやる」
03:23、言葉に従いストップウォッチを見れば、そうあった。
 二百三秒。停止を忘れていたその表示は、増加の一途を見せていた。先ほどまでにはとうてい遅く、今には速すぎる、そんな流れを視覚的に感じる。
 悪くない時間、としか言いようが無く。
 永遠のライバルであろう相手に並び、ともすればそれ以上の数字だったと思えば不思議な達成感があった。
「待ってるわ」
 流れる風の海に身を任せ、加速する前に行っていた表情へ戻り。
「良い夢ね……」
 そっと目をつぶった。

620 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/02/21(水) 22:56:31 ID:ZCW0nFd6
*音ここまで
Clean Tears ( 勝史 )様
MAX POWER
http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a003738

今日は短めですが、ちょっとこの辺で。
うーん……2月中に終わるんだろうか……。
とりあえず、はやさ。それが命ッ!

621 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 19:58:02 ID:2jGvrMh6
17.千年分の文を持ち
 ――伝わっているの? 伝わってないの?
    それとも、見てくれてもいないの? ねぇ。

 法務庁と技術庁の中点、アトラスを取り巻く円周上の道路。そのうち最外周をとりまく住宅区では、一線で活躍したスピネンの精鋭達を筆頭に拮抗した争いがあった。人数にしては相手と半数以下で、今までにも似たような状況ならば指の足りぬほどにあった。過去全てが被害を余り出さぬほどに十分な戦果を見せていた彼女らと戦う倍数の敵。数では余裕であったはずの戦場はそれでも、拮抗した状況のまま変化を見せなかった。
「こいつら……上手い……!」
 どちらの陣営からもそのような声が漏れた。
 小数ながらも単体戦闘力で勝り、それを突破に用いる三国側と、人数を武器にした的確なフォローと交代を繰り返す襲撃側の流れは停滞したままだ。風イカダの停止、そこからの進展は全くと言っていいほど存在しない。
「あー、もぉっ!」
 エルヤの苛立ちを乗せられた斧は、集団の入れ替わりを狙い、それは容易に果たされた。右から左へ鋭く走る銀の線が一人、二人、三人を仕留めんと動き。三人目に食らいつくタイミングで肉を混ぜ込んだ、やや硬質の感触をエルヤへと伝えることを止めた斧が、鋭く耳障りな音色と反作用を与える。黒の集団、その隙間より。短い刀剣が分厚く重い斧に食らいついていた。
 エルヤの動きは斧を引き戻しつつも振り抜く動き、刃を受け止めた相手を押し込み、再びの攻撃を行うための動作だ。
 だが、食らいついた刃はその位置を変えず。
「――っ!」
「お相手願う……!」
 短刀を持った主、黒髪に隻眼、黒のインバネスに身を包んだ女が追従していた。
 斧を引くエルヤの動きと、追従する黒の動きが重なり、集団から一歩ぬきんでた二人の間に、静かな時間がかすかに生まれた。

622 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 19:58:34 ID:2jGvrMh6
*音開始
 対峙する黒翼の女とエルヤは、改めて距離を取る。周囲の喧噪と争いの中、誰にも邪魔されず優しい風に吹かれた二人。静かで、美しく、ゆるやかな時の中、視線と肌にある風だけがかすかな変動だ。
「ヤール。そして、ヴァルキリヤ」
 黒の女は小さく言葉を紡ぐ。喧噪と銃声にまみれた街路で、その声はエルヤにだけ届き。
「……」
「私は、ノルストリガルズの住人だった」
「……それが何故?」
「彼女に誘われたからさ」
「彼女?」
 疑問詞への返答は黒の女、その背後より現れる。
 視覚的な風だった。
 無色透明が青い線へ、そして青き塊となり、そして小柄な少女へ。
「今、私の居る国にはストラマ以外の神が居る。彼女の名はメヒ。彼女を信じて私はここにいる――」
 エルヤが唇を歯へ巻き込むことも構わず、食いしばりの表情に苦さを乗せた。
「ウートガルザ……」
 かつて、彼女の父親も、恋人も、そう称した存在に殺された。その言葉は人名ではなく、
「ああ、化外さ。私は――」
 化外、主の及ばぬ存在。その言葉を黒は飲み込む。そして、空気を溜めた肺が言葉を乗せる行為の準備をしていたことも、エルヤには解る。

「ウートガルザ・ライラ……! ヤール・エルヤに勝負を申し込む!」
「自ら化外を名乗るかッ!」
 エルヤの言葉をきっかけに空が開けた。
 その道は、誰にも見え。ただ二人にだけ、そのために存在した道。
 その道を、メヒと呼ばれた青の娘が先導していく。
 美しい空の青を纏った娘が、黄昏の紅に美しく映えた。
 二人は舞う。選ばれた道を。
 ただただ、空へ向けて。
 己の戦場へ。ストラマの空を別の神が切り開き、そこへ昇り行く。
 異なる神により二人の化外となった、たった一つ決められた異世界のライン。青い空の色をした亀裂が生まれ、メヒは歌う。ノルストリガルズの母国語で、意味のない文字の羅列。
 まるで神聖なスペルのようだ。耳にした誰もが思い、一時でも夕暮れに存在した青空へ目を留める。
「エルヤ様……」
 切なさを乗せた瞳が射抜く先は、昼と夕暮れの混ざる奇妙な空。
 この世界とずれた場所へ飛び立つ化外達に解らぬ瞳は、夕暮れのように寂しげだった。

623 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 19:59:22 ID:2jGvrMh6
 メヒは歌う。意味を為さない歌詞を。
――全ては私が決めること。
 言葉の意味は解らず。乗せられた意志だけが強く、強く。
 歌声に呼応する舞いが、エルヤとライラにあった。
 斧を打ち鳴らし、拳に握り込まれた短刀が翻る。
「解るだろう……ヤール! 彼女はノルストリガルズの昔だって捨てちゃいない!」
 意味を持たぬ母国語の歌にエルヤは耳を貸さず、鍔迫り合いの相手へと肩を押し込み。
「だからと言って――ストラマを見捨てろというのかッ!」
 共通語のやりとりをする間、体を反らせた勢いを使い、ライラがエルヤの側面へと回る。
――命はそこへ、私が見つめる。
「大事な……メヒの言葉を無視するような奴は――要らないんだよッ!」
「言葉だったらどこにでも通じるだろう! ストラマはそう願った! だから伝わる!」
 横薙ぎの斧をライラが受け止め。しかしそれを支点とし、エルヤは再びライラと正対する。
「知っているのか……ヤール! たくさんこの世にばらまかれたUFOを……! ストラマにやろうと思って送ったそれが……なんで人の手に渡った! あいつはメヒを無視したんだぞ!」
「そんなの……ストラマに聞かなきゃ解らないだろうッ! ボクには――ウートガルザは許したくない存在、それだけなんだッ!」
――翼は私が頼んだ物。信じてそれを風に乗せて。
 メヒの歌は続き、二人の舞は乱れずに進む。
 互いの胴払いが交差し、されど二人の傷はまだ増えず、ただただ位置を変えただけの双方が、影を共有するのには一秒も要しない。
 故に、
「言葉は後で聞く!」
「それがヤールのする事なのかよッ!」
 一つの呼吸すら許さず、打ち鳴らされた金属が互いに高らかな響きを持つ。
――日差しは私がなる。だから見つめないで、その右目を。
「隣国では――右目こそが日差しを示すと」
 遠く、アンジェラが記憶を紡ぐ。
「この程度――痛くはない! 私の意志だ!」
 眼帯の奥、失われた右目すらエルヤを貫き、鍔迫り合いの二人は熱のある視線で互いを貫く。

624 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 19:59:57 ID:2jGvrMh6
 メヒは歌う。
――もっと早く。ストラマは迷っている。
「神なんか要らないって……ストラマはそう歌ってたんだぞッ! 重荷を乗せたのは誰でもないんだッ!」
「勝手に神になって、勝手に捨てるのかあいつはッ!」
 エルヤの膝蹴りが短刀を握る拳に入れば、それは浮いた。対し、ライラの手はそれを握る動きを殴打の速度に高め、空を殴れば体が回った。
 翼での目隠しと後ろ回し蹴りで短刀を取り戻し、振り回された踵を斧に乗せ、エルヤの斧と同じく回転運動で姿勢を取り戻す。
――私なら、できるよ。
「思い上がりを……!」
「望んでないなら壊すまでだろうが!」
 エルヤの斧が縦方向へ大きく振り下ろされ、ライラの短刀がそれに合わせられる。瞬時に逃げた力がライラを斧の向く先へと彼女の体を回し、力を逃がすべくミニチュアの街へ頭を向けたまま加速した。羽ばたく黒の翼が、下がったエルヤの頭を囲い、刹那、視界を奪う。
「ストラマ――君の声はどこにあるんだい! メヒに――なんか言ってやりなよっ……!」
 先陣を切るライラを追い、エルヤはつぶやく。かつて、眠りから覚めた相手の名を。ストラマが誰よりも早く言葉を交わしたエルヤの声が、風に解れていく。

 舞を守るように、メヒは先を往く。
――破滅がまっているの。
「いいや――ストラマはあと千年待つッ! そう言っていたはずだ!」
「それが真実かもわからんだろうにッ!」
 上下逆さ、重力と推力で市街地へと『昇っていく』二人が、同時に得物を振り下ろす。
 回転の動きは方向転換と牽制になり、アスファルトへの到着を待たずして、それぞれの背面を目指した。
――私が守る。信じてくれた人を。
「ストラマ以外の存在を知らぬ者がのうのうと生き延びれば意味はない!」
「それは選民思想だよ……ッ!」
 空中でトリプルアクセルを決め、エルヤの姿勢は正しく空に立つ。三半規管の慣性に歪む視線の中、ライラは背後の長い物体を左手に持っていた。
「メヒ――力を借りる!」
 言うが早いが、漆黒の板きれが振り回された。それは炎を纏い、鋼鉄の身は蛇の如くしなりを覚え、燃え盛る鞭としてライラの手へ収まった。
「ウァージェイトの蛇よ!」
 軽い挙動から、鋼の鞭がライラの羽根先へ向かい、刹那の呼吸を置いてエルヤへ向かう。
 紅さは無く、ほぼ白色の蛇が空気を焦がしていく。

625 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 20:00:28 ID:2jGvrMh6
 白き火焔がエルヤを襲い、熱されて膨張した空気は柔らかさを肌に伝え、彼女の肌に危険信号と刺激的な甘い香りを鼻に残す。
「――っ!」
 蛇を名付けられた炎は文字通り舌を伸ばした。
――か ぜ。
 はずだった。
「ストラマの……声!」
「……なんだって……! メヒッ! 私に力を……もう、昔を捨てたんだ! 戻らされるなんて勘弁なんだよッ!」
 局地的な風の押し合いが、小さなつむじ風として現れていく。
 東より来るストラマの風と、西から来るメヒの風、二つが混じり合い、塵を巻き込み、汚れた竜巻は結ばれ、そして散っていった。
――誰も、居なくならないで。
 遠く響く、悲しげな声。ストラマの歌声。
――さあ、全てを見つめている。認めて、覚えて、記す。
 凛とした、それでいて柔らかで甘い幼げなメヒの声。
「わがままを言うか――神の分際でッ!」
 ライラが再び蛇を振り上げ、エルヤへと振り下ろす。風に乱れた蛇はそれでも、彼女の叫び通りに遠く、鋭く獲物を狙う。
「ストラマはなんでもできる……ただの娘でいいんだよぉッ!」
 エルヤは待ちかまえない。蛇に向かって踏み込み、熱の空気を翼で抱いた。羽毛の根元にじっとりとした水気を感じ、それを無視して蛇の直上を飛ぶ。毛先の熱さに強く羽ばたき、かすかな軽量感にいくらか炎に持って行かれた事を自覚しつつ、ライラへの視線をそのまま、斧を前に飛びかかる。
――世界に停滞なんか、要らない。
 向かい風の中、メヒの声を聞きながらエルヤの加速は終わらない。
「メヒ……君の望んでるのは……ボクらにとって崩壊なんだって……解ってるの!」
「上が変わるくらいでごちゃごちゃと!」
 蛇にうねりが加えられ、エルヤの突撃を阻む。エルヤも動きを変え、うねりの飛行を翼によってもたらす。伸びた蛇と長柄の斧が時折触れ、高速のチークタイムはエルヤを置き去りに鋼の歓喜を放っていた。
「ストラマは上に立つことなんか望んでないッ!」
 炎と鋼のチークタイムに、エルヤの力が加わる。間延びした獣声のような打音は蛇と斧が強打した音であり、その反動はエルヤを平行に横へと押し出す。
――争いでも平和でも、なんでもいい。変化を。ここままでは……嫌なの。
 メヒの声に再び歯を食いしばる。剥き出しになった犬歯が鋭さを増したような錯覚をライラは思い、生まれた国の血が戦の歓喜を覚えさせる。力を余すエルヤの口内が鉄の鰺で満たされ、生臭さを感じる前に濃厚な甘い熱を噛みしめ。
「だったら……人を使わずストラマと歌えばいいだろうッ!」
 限界まで開かれた瞳と口が、メヒとライラを貫き、生臭さの元凶は放られ、アスファルトへの着地を終える前に主の衣服がそれをぬぐい取る。
「無視してきたのはストラマだろうがッ!」
 エルヤからは左、ライラからは右への斬撃は斧で、そこへ割り込む刺突はライラの短刀で。相手を変えたチークは再び、先ほどとは異なる軽やかな声が響く。
――誰にも、決められる。私には、解らない。
 勝敗を占うような歌声はメヒの声として、意味のない単語と意味のある真意が響いた。
「流石だよヤール……」
「ライラ……君は……君はっ!」
 視線と上ずった声が交換された。
――まだ、千年の夜明けにも満たないから。
 時間も、空気も、炎すら、風だって。
 全ての停滞は二人のあふれ出した脳内麻薬の仕業か、あるいは。
――私は飛ぶ。私の夜明けを探すため。
 メヒの歌声だけが時間を正しく刻んでいるのか、歌声が早いのか。
 それすらも、誰にも解らない。

626 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 20:01:02 ID:2jGvrMh6
 エルヤの羽毛、その一枚が道路へと、音もなく。
 合図になった事すらそれには解らなかっただろう。
――ストラマが行く先に、私は居ない。
「何故言い切れるッ!」
 ライラの動きを察し、エルヤの足が反発力へと変わるべきエネルギーを溜める。舞った羽毛は伏し、そしてメヒは歌う。
――私の友に炎を与えます。
 歌声通り、ライラは炎を使い。
「神の代理人になったつもりか……!」
「拝借しただけ――イスデスとウァージェイトの炎を!」
 炎の蛇はエルヤの頭上より舞い降り、先端は大蛇のような牙を持っていた。持ち主の手すら炎に包み、炎蛇の尾は犬の頭をした炎が噛みつき、主と蛇を繋いでいる。
――このまま世界は壊れるから。
 歌声の前触れであるかのように、かつてエルヤの立っていたアスファルトに炎蛇が食いつき、タールへの先祖帰りを励起しつつ噛み砕いていく。
――居なくなった人と出会わせるから。だから乗り越えて。待っている。
「ボクは……ッ!」
 ライラの頭上、蛇を避け、左翼端に痺れるほどの熱を感じながらも、エルヤは飛ぶ。
「忘れても、捨ててもないんだ! 失った人を大事にするから……そんな会い方はッ!」
 右頭上に重みを持ち、その象徴であった斧を横一文字、大蛇の腹目がけて振り回す。炎は手応えを残さず、乱れた熱風だけがエルヤの両手、握られた指に感じる物で。
「よわっちくて、誰も守りきれないで……!」
 左目に痛みを感じる。砕け散った熱が、光が。エルヤを見えぬ痛みに包み込む。
 だが、動きは止まらない。
 左目よりも、胸が痛む。心の痛みが、メヒと己の過去が与える痛みが。
 彼女を突き動かす。

 エルヤの振るった斧が彼女の背後にまで回り。彼女はそれに従い回転を行う。背後の動きを溜めに、そのまま右から左、再びの一文字をライラに喰らわせるために。
 距離を、速度を、感情を。全てを込めた一撃を振るうために、彼女の翼は落下を助長する。最速で、最高の力を確信した。避けられる距離でも時間的猶予もない。翼の助長がその確信を強め、
――あなたに力を、信じてる。
 メヒの歌が炎をライラに再び呼び起こし。
「っく!」
 翼に感じる赤熱を信じ、エルヤはライラへの一撃を諦め上空へ逃げる。
 あれだけの熱を浴びながらも、背筋に感じる寒さは確かな物で。素早く下方を見つめれば、エルヤの存在していた位置は炎蛇が骨をも溶かすほどの包容を空に行っている。
――私が有るうちに。
――この小さな青空を作れるうちに。
「祖国と――主に見捨てられた我々が……そんな簡単に終わると思うのか! ヤールッ!」
「……だよ」
 燃え盛る炎が白色を増し、空気が弾ける音が響く。
「父さんもラクェルも……守りきれなかったんだよ……! だから……もう、もう二度と……!」
 翼を閉じたエルヤが上空を落ちる。
 それは、ライラの頭上で。
 炎の源の直上で。
――新しい何かを。世界を変えて。
「誰も失わせるものか――――ッ!」
 斧よりも、己よりも。
 エルヤの叫びが真っ先に、炎とライラを貫く。

627 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 20:01:50 ID:2jGvrMh6
――私は世界を変えたい。
 飛びかかるような姿勢、これより攻撃を行うには不利な姿勢であった。
 落下の先頭は斧であり、その先触れである声は未だ枯れることなく。
――誰かが変えなければ。
 あえて心を隠した、そんな瞳がエルヤを射抜く。
 歌声とともに伝えられる瞳、メヒの瞳にはエルヤに対して疑問と悲しみと、哀れみがあった。
――怖いの? 懐かしいの?
 ライラより舞い上がる炎が、まず前髪の毛先を逸らした。己より紅き物に触れ、赤毛は熱から逃げ、そして耐え切れぬ物から白色の光を放つ炎によって影の役割を担っていく。だが、主の落下は終わらず、翼は風を掴むことをせず、風を切り裂くのは斧と終わりかけの声のみ。
――変えることが出来るのは、今だけなのに。
「千年目の更新をしたのに……もう変えることはない……! いや……いま変わってるだろうッ!」
 きっと、信じている。
 エルヤの鋭い視線が射抜くメヒの顔。歌を続けながらも表情を変えず、だが。
 瞳孔がかすかに開いたと、何かが届いたと思い。落下を信じて続ける。
「今度こそ……今度こそ……みんなで手を繋いで……誰も無くならないように!」

――先を見るのが怖い。本当はそう。
 メヒのためらいではない。ストラマの弱音、本音。
「見ていなよストラマ……ボク達が……友達のボク達が……先を見せてあげるから!」
 落下の視線は強く、突き出した右手に斧は槍の如く。
――だから、ためらうのね。
 メヒの冷たい歌声が響いた。
 エルヤの翼が開き、風を掴み、速度はかすかな衰えを見せた。
――また間違えて、繰り返すの。
「違う! 今度こそ……今度こそッ!」
 蹴り飛ばすような羽ばたき、重力に力を添え、エルヤの声をメヒとライラに貫かせるための助力。
――私は、新しい千年をやりたいから。
「そうだ! もう、だれも傷つかない千年を……私の瞳を糧に……メヒ!」
 ライラが左腕を振り上げ、炎蛇はエルヤを飲み込まんと鎌首をもたげ。
「今を失わせるような真似を……させるもんかッ!」
――消えるわけにはいかない。
「ボクもストラマも……メヒだって失いたくないんだぞッ!」
「なら何故ストラマは……!」
 疑問の回答の代わり、歯ぎしりはエルヤの物で。

628 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 20:02:20 ID:2jGvrMh6
「そんなのボクや君に解るわけがないだろ!」
 斧が、開いた腕に従い外へ弾けた。切り裂くはずの斧は、その腹を広げた形で外を向き、エルヤの軌道を乱しながらも風を煽り、炎を乱す。
「ヤールッ!」「ウートガルザぁッ!」
 叫びが影が、重なる。重なる影は広がり、上下の役割を入れ替え。
『私は確かに、世界を、時を守ってる』
 ストラマの歌声。
 ライラが地を踏みしめ、右手の短刀を突き出し跳躍。ライラの先端がエルヤの頬を掠め。
――私は全てを取り戻し、やりなおしたい。
 メヒの歌声。
「フレースヴェルグッ!」
 名前を呼び、最早手斧とは言えぬ形状の振り乱された髪のような異形の手斧がエルヤの左手から放たれた。軌道は過ちの形状に従い、ライラの横を掠め、インバネスを切り裂く。
――護るべき人だけを、選ぶ。
 ライラの跳躍に、空中を蹴るような加速が一つ。獣の頭をした炎にまみれる左手は拳を握り、牙を剥く獣の口からそれを覗かせ、エルヤへの打ち付けを試み。
 エルヤは体を丸め、畳まれた膝でライラの左頬を狙う。
『手を取り合えるために、私は動く』
 重力がエルヤを助け、ライラへの一歩を叶えた。素早く顔を逸らすライラに被害は、
「届けぇ――ッ!」
 突き出した左腕、炎に包まれぬ肘関節に膝が入り。交差の合間にライラの刃がエルヤの肩口に紅い線を生む。
『毎日を、平穏を護るために』
 強引な姿勢制御でようやくの着地を果たしたエルヤは、膝を折り曲げたまま上空を見つめる。それは、交差したライラを一瞬だけ見つめ、その後は他の箇所を見つめており。
――全て、私が見て、見通して、考えるよ。
 上空、姿勢を整えずにライラの飛行は続く。
 未だに対空を続ける手斧、フレースヴェルグが分離した。伝説の通りに、フレースヴェルグの額に存在するヴェズルフォルニルがライラへ向け飛び立ち、しかしメヒの見通しによって回避が完了する。
『秩序は、私達ではなく、みんな、友達で決めるの』
 与えられた秩序はその場限りの手伝いで、それはエルヤの手に重要な手斧を取り戻す手助けになる。素早く腰へと取り戻した二つの手斧を収めると、エルヤはライラに向け跳躍した。
――要らない人は、本当に要らない。私はもう忘れられたくない。
 飛び去るライラの左腕、それが炎の尾を引き、尾は数秒の猶予も与えずに蛇の顎へ。エルヤの跳躍と同時にアスファルトを噛み砕き、上昇するエルヤが切り裂いた空気を飲み込みながら追いすがる。
――Pasila!『Pasila!』
 歌にも、意味にもない。
 ただの言葉が重なった。

629 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 20:02:50 ID:2jGvrMh6
 声を境に、二つの影は空中で重なってゆく。
 影は一つに。
 打ち鳴らす音は三つ。息づかい、翼のはためき、重なる武器。
「不覚だ……」
「ああ……不覚だね……」
 ライラの刃が二度翻る。エルヤの斧が一つ重なり、もう一つは風に乗せた。
「やはり血だな……戦に心が躍る! 楽しんで……上を目指す!」
「それはボクも同じ事!」
 同時に放たれた蹴りが、互いの足裏を包むソールへ食らいつく。
 かすかに一メートル、だが近接行動を要する、タイミングを重視される距離だ。
 ライラが近づけば、斧は振るわれた。速度を落とし振り抜きを待ち、突撃すれば斧の柄で受け止められる。
 エルヤが斧を振り上げ近づけば、それよりも速い刃がのど元を狙う。狙いより先に、不十分な前動作から得物を振り下ろせば、体を横に反らしたライラが肉薄する。
 左手に宿る獣の炎を行使すれば、エルヤは離れ、風を乱した。
 乱れた熱風の中、己を焦がすか焦がさないかの境目を貫き、ライラへと肉薄する。そうなれば再び無機質な得物同士の交錯音が響くだけに留まり。
 伝家の宝刀、古来よりの手斧を投げれば、メヒがそれを読み歌声の道しるべを出し。役目を終えた手斧が手元に戻るよう、ストラマが支える。

630 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 20:03:24 ID:2jGvrMh6
――大事な物を掴むため。『手を伸ばすの』
 歌が、二人の歌が重なり。
 合唱の中、刃は重ねられ、そして離れ。影は一つになったかと思えば二つに、時折一つの影は伸び、あるいは三つの影となっては二つへ戻り、そして一つの影へと再び融和する。
『私の心を支えてくれる友達が居て欲しくて。憧れてた。みんなで進みたい』
 歌声に過たず、二つの影が何度目かも解らぬ交差を行う。今までとは異なり、交差の音色は金属の軽妙な調べではなく、互いの拳がこすれる、硬質ではあったが肉の重みを持った響きだった。肉薄とリズムの符号が、各々の得物を振り回す動作すら重なり、生まれたたそれに、奏者らは顔をしかめ、交差を諦める動きに入る。
――信じた光は消えると思う。だからそうなる前にあがくの、動くの。
「ウートガルザ・ライラぁっ!」
 叫び、斧を扱っていた手、その握り拳がライラの頬を掠め。
「ヤール・エルヤッ!」
 振り抜いた拳、体を前傾したエルヤの頭目がけ、己の額を打ち付ける。
 遅れ、ライラが振るう炎の拳と、エルヤの振るう手斧が踊り。
――少なくとも永遠なんか、無い。
「誰が永遠なんか望んだんだよぉっ!」
 炎の猛獣がエルヤに食いつかんとする動きを避け、手斧を振り回し、互いの牙が肩口をねらい澄ます。
「ストラマによる停滞が永遠ではないと思っているのか……ヤールよぉッ!」
「歩みを停滞と思うのは……逃げた君の視点だろうがぁ……っ!」
 ライラの開いた体、頬を掠めたエルヤの腕がそれを払い、衣服は炎をかすかに纏う。右袖を炎に失った腕は、熱さに顔をしかめた主と異なり、全力の振り回しを敢行する。ライラの体が背中側へ乱れ、炎の拳は空を咬む。
『だけど、世界を、みんなを信じている』
 離れていくライラの体、最後に残る右腕に残された短刀を、己を突き飛ばした腕を目指し、振り下ろす。
 金属音が一つ。ダンスの相手が違うとばかりに振り回されたエルヤの右手が斧を示し、ライラは翼で上下逆さの姿勢を護りながら、十分な距離を取る。
 突き放された二人の距離は少しずつ、慣性によって離れていき、その合間にも互いの視線は重なり、動きは次を求めて留まることを知らない。
『私はみんなを幸せにしたいだけ』
 エルヤの両手がポールアクスを握りしめ、胴払いを狙うべく、水平に左から左後ろにまで溜を持ち。
 ライラの右手、握り込まれた短刀の柄尻を、炎の獣が食いつけば、彼女にかすかな傷を与えながらも、短刀を炎の剣へと変えていく。
――そのために。『私達は空を求める』
「混信の一撃――」
「とくと知れッ!」
 メヒと、ストラマと。そしてエルヤとライラと。
 四人の声が重なり、集約した一点へ目がけ、思い思いの力が奔る。

631 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/03(土) 20:04:04 ID:2jGvrMh6
「うわあああああああッ!」
「おおおおおおおおおッ!」
 短刀を前に、斧を真後ろに、二人は飛び立ち、風を蹴飛ばす。
 腰にまで引く短刀は、光と炎と、ため込んだ力を充足させ。
 先端を背後に置きつつ柄を引き抜くように力を溜められた斧は、スピードを集約させ。
 全てが重なりあう瞬間、短刀は後押しを感謝したように、見えぬほど速く前へと突き出され、斧は奔れぬフラストレーションを発散させるかの如く右から左へ大きく弧を描いた。
 交差。
 風が二人の停止を示し、遅れ、黒と赤の長髪が重力に従い、両者の着地完了を示した。
 炎は糸を引いたままゆっくりと収まり、斧はエルヤの左前方で停止したまま動かない。
「……血が騒ぐ」
「……鼓動が終わらない」
 短い言葉に熱は無く、平坦な沈黙が双方を彩っていた。

*音終わり
木村真紀
Beyond the Bounds~Theme from”ANUBIS”
http://www.last.fm/music/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E7%9C%9F%E7%B4%80/_/Beyond+The+Bounds+(Full+Version)
参考 http://www.youtube.com/watch?v=K_B1x8E_mJc

うーん、発言がテラトミノ 今日は書きつつ上げつつで行きます

632 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/04(日) 15:58:29 ID:tJCfqFFo
18.二重の思い、二重の重い
 ――背に腹は代えられない、っていいますからね。
    必要なときに規律を破るからこそ人なんです。
                    ……きっと。

 残る一機の風イカダを追うラプンツェルとアンジェラは、目標との距離を伸ばさず、しかし縮められず。過剰な羽ばたきに息が上がり、二人の通信にはマイクにかぶせられたスポンジを克明に記すような息づかいがある。
「追いつかなきゃ……!」
「ラプンツェルさん! 無理なさらず!」
『うむ。こちらで少しばかりの足止めは出来るはずだ。腕は劣ると思うが……』
 アンジェラの言葉に、目的地、最終防衛戦の検問で待ち受けるテティスの通信が入り、誰にも見えぬとも構わぬと言った様子で、背後のアンジェラにも分かる頭を振る様子があった。
「駄目ですっ! 私には責任があります……!」
「誰もラプンツェルさんを責めませんよ! お手伝いして貰っているのはこちらなんですから……!」
 先攻するラプンツェルの表情はアンジェラには解らない。ただひたすら前を向いている、そこに彼女の意志を見ることだけはできた。
「全力を出しきってません……私の周りに暇がある限り、それを潰してこそ全力ですッ!」
「は……はぁ……」
 ざらつく苦笑、無線機越しの声が幾つもそれを作る。
『拡大解釈、しすぎ』
「え……えっと……!」
 かつて、人生を暇つぶしとのたまった声がある。
『でも、それでいい。ラプンツェル』
「は、はいっ!」
 やりとりに小さい笑みがこぼれた。ラプンツェルのそれよりも、アンジェラの笑みが先であったことは、本人しか知らぬ事だ。
『相手にだけは余裕を見せるように』
「解りました!」
「ラプンツェルさん……私はこれ以上速度は出せません……すいませんけど……」
「はい、任されます!」
 即答に唖然とした。
「あ、あのっ! よわよわですけどお手伝いが出来なくて……一人でなんて……」
「私の危険は二の次です」
 アンジェラにようやく向けられた視線は、大人しい瞳と麗しい口元ではなく。つり上がった眉に闘志があり、同じく上がった口角には強い意志と、頼りがいのありそうな笑みがある。
「私が動いて誰か一人でも良い方向に行くならって。だから軍部に居るんですから!」
――ああ、やっぱりこの人は……一生懸命な人。
 冷たい風を切り裂いていた筈なのに、顔が熱く感じられた。
 熱い頬は血流のもたらした物。勢いを持ち主を熱くさせた血流は行き場を無くし、頭そして体中に。暴れるような衝動に左手がポケットをまさぐり、携帯電話を取り出させた。なめらかなアクリルに反射する街並みを鬱陶しく思いつつ、操作はメールを素早く紡ぐ。
――使います。
 返信は素早く。
――装備、訓練共に不十分であり、許可は出来ない。
――不許可。時期には不適当である。
 否定の言葉は二通、肯定の言葉は一つすら無い。
 携帯電話を握りしめ、沸騰した頭が計算を紡ぐ。
――ちょっとだけ甘い物が。
 雑念を振り払い、前へ。かすかに甘い感覚を呼び起こされる後ろ姿を見つめた。

633 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/04(日) 17:25:20 ID:tJCfqFFo
*音開始
「だけど、今しか! 今やらなきゃ……! 折角差し出された手があるのに、掴まないなんて嫌です!」
 言葉とメール送信は同時だった。溢れた血潮が理性のダムを破壊し、立場を洗い流す。ただ一つのため、そして。
「ラプンツェルさんの無事一つで……誰かが幸せになると思っています!」
 叫び。
『全く強情だ。優しい気持ちが溢れた、頑固な娘だよ。erytheis』
 誰かのかすれた声が響く。

 アンジェラの翼は飛行をやめ、体は起きあがる。アスファルトに触れ始める革靴が乾いた咆哮を長々と上げ、先行するラプンツェルは小さくなっていった。慌てず、騒がず。仁王立ちになった彼女はクラウチングスタートの姿勢へと。
「我が距離を掠め取れ、ハルピュイアイ!」
 主の名を受け翼が広がる。
 それは足から。
 それは鋼の。
 ハルピュイアイ――掠める女は主の距離を奪うために己を広げる。
「古人曰く――賽は投げられた!」
 右足の踏み込みから左足が蹴り上がり、頭は前へと空を掻く。
 蹴り上げた左足に追従すべく、右足に追従する鋼の翼が炎を吐いた。空を踏み台にした右足をきっかけに左足を踏み出せば、そちらの鋼も炎の色を持ち。
 アンジェラが空を舞う。
 ラプンツェルより、風イカダより。
 誰よりも早い、頭に昇った血流が紡ぐ、熱い思考に従った速度で、彼女は往く。
 視界は狭まり、風は目を襲う。
――装備が足りないから!
 己へ苛立った。いつかこんな時が来ると思っていたのに用意がない。訓練も不十分だったと思い。
「でも――役立たずで終わりたくない!」
 主の声が、足の推力に繋がった。先攻した人影が急速に近づき、目の前を一杯にするまでの接近となる。

「ラプンツェルさん!」
 背後から名前の主を抱き留め、腰をしっかりと掴む。
「え……アンジェラ……さんっ……?」
「今は何も聞かないで下さい。風イカダを!」
 視線を上げるラプンツェルの瞳には、己を見ず、目標を貫く強い視線が映り。
「はいっ! 運動はお任せしました!」
「頼まれなくても……」
 体を遠慮がちに地へと近づける。銃弾を避けるべく、そしてより地に近いラプンツェルを護りながら。
「貴女の望む場所まで、超特急ですっ!」
 加速は止まらず、遠ざかっていた風イカダの拡大も順調に。
「回避指示、お願いします! 戦闘経験がありません!」
「了解っ!」
 抱えられた姿勢のまま、ラプンツェルの右手は銃の狙いを定め、視線すら送らぬ左手は制服のポケットをまさぐり爆薬を探る。

634 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/04(日) 17:25:54 ID:tJCfqFFo
「左に回り込んで!」
 指示を出した彼女の視線が大きくぶれた。大きく回る軌道はそれでも、獲物との距離を必要以上に空けない、それほどまでに。
「は……速い……!」
「調整不可能です、ごめんなさい!」
 ラプンツェルの肌に、鈍い感触が二つ。類似の感触は記憶に多い。防弾チョッキ越しに受けた銃弾のようでもあり、少々規模は違うが爆破をバリケード越しに確認したときにも似ていた。そして最も類似したのは。
――暗殺行の時に、無力化したとき。
 腕を、翼を失わせる行為を思い出し、最も感触の近い背筋を寒くさせた。不安に視線をやれば。
「アンジェラさん……まさか!」
「終わってから心配して下さいっ!」
 視線を風イカダに移す。
 力感を失ったアンジェラの背より生えた翼から。

「ただの脱臼ですよ……!」
 絞り出すような声に付随し、ラプンツェルを抱える両手も絞られる。離さない。
「痛くても……まだ、飛ぶんですね……」
 安全のために離すことより、己の身を省みず飛ぶことを選んだアンジェラに思いを重ね、ラプンツェルが代わって翼を広げる。
「だめ……ですっ! 貴女まで……!」
「いいから……! ここまで頑張ったアンジェラさんのために、私は応えます!」
「っ……!」
 アンジェラが歯を食いしばる。悔しさで、申し訳なさで。
 二人の重ねた意志のため、それが最も強い理由で。
「再加速します!」
 言葉の通り、頭を取るべく迂回する軌道が、蹴飛ばされたかのような直線軌道で風イカダを狙う。

「痛くないですか?!」
 抱きしめた相手を気遣いつつも、風に目を細め、しかし獲物への視線は逸らさず。ただ広げる事を役目とした翼の負担を体に感じ、軌道を修正していく。
「問題ありません! 苦痛には慣れてます!」
 答えを告げ、銃撃を始める。言葉に重ならぬように発した事を気遣いと思い、風イカダの真上、そこを貫くような軌道に回避を取り入れ、行動で返礼した。
 銃弾が牽引者を牽制し、真上を取れば小型の爆薬が投下され。すれ違いを完了する前にアンジェラが姿勢を制御すれば、再びの爆撃位置を右側から縫う形となる。
「後少し……!」
「私達……きっと、責任を果たせます!」
 役目を終えた銃器を空に捨て、ナイフを取り出す。
「もう少し無茶することになりそうですね……!」
「ごめんなさい……」
「いえ、私……」
 風イカダに高さを合わせ、背後を貫き前方を位置取りしたアンジェラの視線は、目標からラプンツェルへ移り、笑みを一つ、彼女の後頭部に向ける。
「貴女の事……一番お手伝いしたい人だって想ってます!」
 視線を再び獲物へ。吐いた思いはハルピュイアイが燃料とし、空を蹴る。最後の護衛目がけ、速く、速く。

635 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/04(日) 17:26:25 ID:tJCfqFFo
「見えたっ!」
 牽制の銃弾が二人を襲い、その隙間は縫うことが出来ない。
 故に横へスライドした。かすかなスライドがラプンツェルの翼に負担を与え、意識を集中せぬ足は何度も上方から何かをぶつけられる。
――アンジェラさんの足。
 認識する間にも姿勢制御は行われ、主に従わなくなったアンジェラの翼が風に弄ばれる。
「いきます! 出力最大!」
 主も、ラプンツェルも、翼のことはさておいた。それより、責務を果たす事が二人の望みであったから。
 やや左から、景色の奔流に慣れた瞳がゆっくりとした位置取りを確認した。ラプンツェルのナイフがアンジェラより前へ出たことを確認し、即座に脚部の翼に意志を伝える。
「――――――っ!」
 重みがあった。一瞬の間を持って荷重は取り除かれ、狙った相手は自分たちより遠くへはね飛ばされたことを確認する。
「まだまだ!」
 アンジェラの足が地を向き、炎がアスファルトを貫き、空気を蹴飛ばせばコンパクトな宙返りへと。
 飛行姿勢への復帰を行い、上下逆さまの二人が風イカダの直上を再び支配する。
「右っ!」
「逆さまだから……フォークを持つ方!」
 素早く左の牽引者へと狙いを定め、スライドから直進へ。
「そ、そっちじゃないですっ!」
「ごめんなさい左利きです――っ!」
 左右の違いは決定的で、右側の牽引者は銃器の準備を終え、左は準備を終えていない。
「狙われちゃう!」
 うろたえすらも加速に、ハルピュイアイが主を蹴飛ばす。
 必要以上に。
 純粋な最高速度をもって。
 生体弾丸に跳ね飛ばされた牽引者が、準備を完了しなかった銃器と共に風イカダから振り落とされた事は、衝撃を感じた二人が最も知っている。実際にはそれを確かめる余裕すらなく。
「ぐぐぐぐぐ……速すぎ!」
「結果オーライです……次……げほっ!」
 飛行に慣れた二人ですら苦しい速度を、主の極端な命令によって与えられた速度が二人を包む。
 過剰な加速をした二人が、検問をいち早く突破した。
『何やってるんだ……』
 テティスの呆れ声は、何故か速度への疑問をさておく。

 呼吸を整え、二人の判断力が収まるだけの減速を行えば、国境間近まで飛び去っていた。
「軌道修正しなきゃ……!」
 大回りの軌道では風イカダのタッチダウンは間近となる。
「なら……コンパクト!」
「きゃ……!」
 ラプンツェルを抱きしめ、足を縮め、胎児のような姿勢で空中を回る。国境に足を向け、炎がその景色を陽炎で歪ませた。
「いけぇ――――ッ!」
 先ほどの暴走を再び。とっさにラプンツェルが口を閉じ、対してアンジェラは声を上げた。奇妙な形の飛行機雲が、国境をからかうかのようなラインを引く。
 ドップラー効果がアンジェラの声を歪め、国境の警官隊が空を見る。

636 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/04(日) 17:27:11 ID:tJCfqFFo
「最後です……今度こそ!」
「はいっ!」
 初速だけを頼りに、風イカダのタッチダウンに間に合う、そんな加速だった。
 向き合う先、最後の牽引者は待ちかまえていたのであろう、銃撃で二人を出迎え。それも大回りの軌道で回避する。
「なんで……大回りなんですかー!」
「ごめんな……さいっ……!」
 背後へ回る二人を、牽引者の銃弾は許さず、狙いを近づけていく。放たれた弾丸は街並みへ突き刺さり、ガラスを跳ね上げ。
「貴女を傷つけたくない……から!」
「信じて下さい! 私も信じてます!」
「……!」
 円軌道が直線軌道に変わる。アンジェラの両足が踊り、前を向く視線は軌道によって地を見つめ、下方へ向く顔に風イカダがあった。
「ラプンツェルさんっ!」
「お願いしますっ!」
 アンジェラが手を離し、ラプンツェルが風に舞う。
 落下よりも横滑りの慣性が強く、風イカダにたどり着く前に最後の相手へ姿勢を固めた左肩が突き刺さり。ラプンツェルは姿勢制御ももどかしく、上下逆さでナイフを突き立て、銃器を切断、そうしてから相手との接点である肩に重心をずらした。
「お疲れさまですっ!」
 頽れる牽引者と折り重なるように崩れるラプンツェルの足を、軌道を改めたアンジェラが掴み、空へ投げ上げ、風に踊ったその体を抱えた。
「……果たせましたね……」
「アンジェラさん。ありがとうございました……」
「いえ……」
 緩やかな減速を行う中、流れゆく街並みに目を細め。それにしても、と風に消えるほど小さく、苦しげに紡ぐ。
「ちょっと……頑張りすぎました」
 脱臼の痛みに顔を歪めつつ、精一杯の笑顔でラプンツェルに応えた。

*音ここまで
Clean Tears ( 勝史 )様
Steely wings
http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a003738

637 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/04(日) 22:03:19 ID:tJCfqFFo
19.休符一つ
 ――あれは、何のため。
    推測することが私の仕事であり、楽しみでもあるのです。

 ライラとエルヤの停止は、たった数秒に数えられる物。
 あくまで時計上での話だ。彼女たちには己の体が着地を完了するまで、長く長く、それは一時間以上にも感じられる時間で、研ぎ澄まされた神経は踊る毛先はおろか、相手の乱す空気すら察知するほどに過敏であった。引き延ばされた時間の中、己の体重移動を感知しつつ、エルヤは一つの事実に気づく。気づけば、鋭く細められた瞳が、視線を失った。
 醒めた。
 現実の時間を取り戻したのは、醒めたエルヤだけではなく、同じく事実に気づくライラも同等で。
――終わったぞ、ライラ。
「了解」
 無線機にやりとり一つ、そうしてから先ほどまで行っていた舞いのパートナーに視線を向ける。殺気も闘志も無ければ構えもなく、二人はただ立つ。
「役目は終えた。私達はそろそろ引く」
「目的は?」
「宣戦布告さ。やりがいの無い相手ならば、今日中に潰していた」
 エルヤは苦笑し、溶けたアスファルトを見つめた。先ほどまでの争いが評価に樽と知り、何故か面白いと思った。
「それはいい評価と取っておくよ」
 笑みはライラにも伝播し。改めてインバネスでそれをぬぐうように口元を覆った。
「来週の今日、全力で襲撃させていただく。十九時だ」
「解った、伝えておく」
 それと、と横を見た。
「ごめんね、ストラマ」
『ううん』
 歌声の否定一つ。
 左手を血に染め、右手を焦がしたストラマは苦痛の表情さえ無く。
「いいんだよ。ボクは少なくとも殺し合いはしない」
「甘い事を言う」
「とか言うけどね。互いに傷を受けなかったのは彼女のお陰じゃないか」
「私の弱さ、か。背負うのはメヒの魂で十分なのに……」
『全部私の友達……』
――うそばっかり。
 否定の歌声にため息が出た。それはエルヤだけでなくストラマも、そしてライラも。
 ライラはため息を推力に、背中を向けインバネスをはためかせ。
「今日はこれまで、一同撤収だ!」
 飛び立つ。空に寝そべる姿は薄く、スレンダーな体は翻る黒い布地に隠されてしまっている。長い黒髪は風に遊び、インバネスの一部のようだった。
「君は……染めているの?」
「ああ……」
 最後のやりとりは短く、追従する集団を追いかける者は居なかった。ストラマに毒気を抜かれた。そう思う者は少なくない。
「ちぇ……」
 シヴィルの不満を乗せた風が、一団の去る様を見送っている。

638 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/05(月) 00:31:47 ID:TFlfCwF6
 時間を置いたアトラス内部は斜陽から逃れ、自然の暗闇を窓ガラスから通し、天井より降り注ぐ人工の光と争いを見せ始めている。
「うへー……」
 疲れ、半目で脱力した歩行を見せるエルヤの隣では、苦笑したナンナがねぎらいの言葉を定期的にかけていた。
「口約束だしねー」
 流石のシヴィルも楽天的に物事を捉えず、しかし質問攻めに会ったエルヤには同乗していた。
「ドリさんのおかげ、っすね……」
「まーね……」
 時間を少し遡る。
 再び会議室にて、ニコラスを初めとしたミュトイの面々と、スピネン、ノルストリガルズの大使が一堂に会し、ライラの残した言葉について、そしてストラマについてをエルヤに問うていた。
「……そんなもんだよ。ボクが聞いたのはそれだけ」
 受け答えに疲れたエルヤは、プライベートの口調でそう締めた。困惑のうなりは誰の元にもあり、だが、この場で活躍すべきドリスは気丈で。
「以上でよろしいでしょう。他に調べられることはありません。……皇子?」
「なんでしょう、少佐」
「宜しければ、襲撃予定時刻まで時間をいただけますか? 地の利を得るべく、我々に街を歩くことを許可していただきたいのです」
「解りました」
「半休状態でよろしいですか? 旅先ですし、休まらぬ状況は次回に響きます」
「……お上手ですね」
 ニコラスの苦笑にも笑みを崩さず、ドリスは表情をそのままに。
「この国を好きになって頂けますように」
「ありがとうございます」
 一礼の後、後ろに控える面々を見つめ、小さくブイサイン。
「姉さん、やるぅ」
 小さく言葉を紡いだドミナに、夕子が笑う。
「ひとまず、本日はこの辺にいたしましょう。休憩を願います」
 隊長の威厳を護るべくか、ティアの言葉があった。
「はい。お疲れさまでした。本当に助かりました……」
「有難う御座います」
 アナスタシアがニコラスに続き、恭しく礼を行い。
「無事で良かったです」
 誰ともなく、そんな言葉がある。
「それでは、お開きに」
 ニコラスの言葉を始まりに、三々五々の解散となった。

 ある一室にて。
「や……いやーっ! 許してぇー……」
「うふふ。大人しくなさって? 軍曹、さぁ……」
 アンジェラの懇願と夕子の楽しげな声があった。
「はい……ごめんなさい、アンジェラさん……よいしょ!」
「ぅう――――っ!」
 食いしばった歯から苦悶が生まれ、うつぶせの手だけが必死に空を掴んで震える。
「これで応急処置は完了ですわ。検査も早くて、やりやすい所ですわね……うふふ」
 満面の笑みが白衣の夕子にあり、力尽きたと言った様子の顔がそれを見つめていた。
「は、はあ……技術国ですから……たたた……」
「処置は終わりましたけど、安静になさってくださいませ。軍曹、あとはお任せ致しますわ」
「はい。了解です」
 目配せの後、治療という任務と楽しみを兼ねた物を追えた白衣が部屋を去り、取り残されたのはラプンツェルと息も絶え絶えのアンジェラのみ。
「あの……先ほどの……」
「あ……えっと……ごめんなさい。まだ言えません……」
「解りました」
 気まずい空気があった。
「……すぐに、お話しできるときが来ると思います」
「はい」
 即答に頭を上げるのは何度目か、そんな事を思ったアンジェラの行為はそのままで。
「ごめん……なさい」
 申し訳ないと頭を下げ、視線を下に向けた。向けるだけ下に向けたい視線はうつぶせの状態ではベッドが邪魔をし、敷き布団のかすかなへこみは顎が作る。
「内緒にしていたことを、無理に使ったんでしょう?」
「え……?」
 また浮き上がった頭を見つめ、ラプンツェルが笑う。その笑みをアンジェラが認めれば赤面し、首元に押し込まれた枕に口元を埋め。
「解っちゃいますよ」
「凄い人、ですね」
「いいえ?」
 ラプンツェルが目を閉じる。
――相手にだけは余裕を見せる、でしたね。
 はしたなくも鼻息が少し漏れた。笑みの息だ。
「隠し事って、自分以外には良く分かるものですから」
「あはは……」
「えへ」
 アンジェラの苦笑に、思わず笑みがこぼれた。
――余裕はまだまだ、かな……。
 成長はまだ完了を見せず、進歩は終わらない。ポジティブに考えればそう言うことで。
 今のラプンツェルにはそう思うことが出来る。
 故に、遠慮無く笑みを見せた。

639 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/05(月) 01:10:22 ID:TFlfCwF6
 早速、といった様子で街並みを楽しむ娘達が居る。周囲からすれば観光客にも思え、一瞥すれば活躍を見せた存在であったことを思い出し、瞳に焼き付ける行為があった。
「あー……あれ可愛いなぁ……」
 遊び相手を見つけた子犬、そんな様子で街並みのウインドウに張り付くのはユニーとドミナ、そしてセリエで。
「いいないいなー……大人っぽく見えるかなー」
「あ、そうすればいいんだ……ふむふむ」
 三者三様の楽しみ方に、保護者役となってしまった二人が笑う。
「服だけじゃ駄目なんですけどね」
 ドリスが苦笑し、隣を見れば。
「スノトラさん?」
「……はっ? な、何でしょうか」
 我に返ったスノトラは、夢から覚めたかのように視線を戻す。
「お洒落、好きですか?」
「え、ええ。大好きですよ」
 二人のやりとりに、三匹の子犬が振り返り。
「その格好、可愛いですねー」
「ふわっとしてる感じ……」
「可愛いお姉さんなコーディネイトですね」
「え? あ。そ、そうですか?」
 白い顔を薄紅に染め、防寒具で着ぶくれた体が揺れる。口元にやったミトンは意識しての事だ。
「わ、私って暑がりで寒がりで……困っちゃいます」
「あははー。この国ってお洒落でいいですよね!」
 セリエが笑い、スノトラも同じく笑みで返す。
「街並みの記憶は私がしておくから、楽しんでいいからね? ドミー」
「うんー! ありがとう、姉さん! でもー……」
 満面の笑みから視線をずらし、ユニーを見れば言葉はつながり。
「私も軍曹も頑張りますし、少佐も楽しんでくださいね?」
「うふふ。お言葉に甘えます」
 はしゃぐ様を、ガラス越しに鼻血女が見ていたことは、別の話。

「うーん……いいわね、スノトラさんも……」
「いい加減やめなさいって」
「もう慣れましたよ、あたしゃ……」
 鼻血のティアと、それをたしなめるショーティに、ため息混じりの声はベリルの物だ。落ち着いたカフェで、三人はそれぞれに異なる物を吐き出している。
 ティアは鼻血を、ショーティは煙草の煙、ベリルはコーヒーの香りを。
 一つが途切れた。
「煙草……」
「いい加減やめなさいってば」
 立場が逆転した。
「まったく……良いコンビだこって」
 冷静に判断するベリルは、先ほど立ち寄った骨董品屋で見つけた年代物のオルゴールを分解し、修復にいそしんでいた。軽く向けた彼女の視線が、奥に存在するカウンターへ向かうショーティを見つめており。
「煙草、これだけ?」
「ああ。あんまり煙草は扱ってないのよ」
 どんな相手にも媚びない、そんな等身大の対応をする女将に機を悪くもせず、紙幣を一枚渡し。
「はい」
「何これ?」
 アルミの包装を施された煙草が、彼女の前に置かれる。先ほど見せたパッケージの上より、強固に密着したアルミがそれを開封することを拒んでいるかのように巻かれていた。
「貴女ね、さっきから吸い過ぎよ? 体のためにも今日はやめなさい」
「……しっかりした店だわ」
「ここじゃ、どこでもそうよ」
「心の栄養がぁー……」
 思わずカウンターにへたりこんだショーティを、二人分の視線が珍しい、と無言の語りを見せる。

640 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/05(月) 02:16:06 ID:TFlfCwF6
 闇夜が始まる。翼を持った人々にとって、眼鏡無しでは活動できない時間だ。
 あてがわれた私室へ眼鏡を取りに行ったラプンツェルが、アンジェラの休む部屋へ戻れば書き置きだけがあり、彼女の姿はない。
「……?」
 残された文面通り、彼女は階段を探す。

「戦場とはまだまだ私達には相容れぬ場所だ。勉強になる」
「それはそれは。私達で宜しければご教授致しますの」
 テティスの感想に言葉一つ、白衣を脱がぬ夕子が茶をすする。
「戦という物は覚悟が物を言う。解るかね?」
「ん」
 エリクに対する短いうなずき、そして一服。真理は至ってマイペースであった。
 四人のくつろぐ部屋は静寂の合間に会話を持つ、穏やかな部屋だ。静寂を乱すことは簡単で。ノックの音一つで会話は収まる。
「あのさ、教導隊どうした?」
 顔を覗かせたシヴィルは、軽い黙礼を果たしてからそう問うた。
「通達があると、一旦国に戻りましたわ」
「あ、おっけー。邪魔したね」
 言うが早いが、覗かせた顔を素早く引っ込め。
「……?」
「簡潔であるな」
「いつものこと」
 そう言い、真理は再び湯飲みを煽る。
「蜂蜜パンならまだあるぞ」
 無限大のバッグなのかと思わせるほど、パンは良く出た。

 顔を引っ込めたシヴィルは、背後に待つ三人を見つめ、意地の悪い笑みを見せた。
「孝美は居ないみたいだ」
「羽根のばそっか」
「一安心……」
「失礼な物言い……」
 スヴァンの言葉は、エルヤもナンナもまとめて評し、呆れの色だけを残す。
「まーま、白いのだって大変だろー?」
「そ……それは否定しないけど」
「よーし、記憶したっ!」
「こ、こらっ!」
 似たもの同士のやりとりを笑い、エルヤがナンナを誘導する。
「屋上にでもいこっか。夜の街を一望とか、ロマンチックだし」
「まあ……エルヤ様ったら……」
 腕を抱き、ナンナがしなだれかかる様に苦笑しつつ。
「おいおーい、あたしらは蚊帳の外かい」
「邪魔するよりいいのではなくて?」
「あはは、折角だしお話しようよ。ナンナは後で……ね」
「え、エルヤ様ーっ!」
 騒ぎ立てつつ、階段を上る。屋上への道は良く分かっていた。
 だが、「こんなもの」があるとは聞いていない。
「もしもーし?」
「おーい?」
「何処でも良いの……?」
「ある意味才能ですね……」
 四人の見つめる先には屋上へと出るドアがあり。
「くー……」
 ドアを塞ぐように眠る存在があった。彼女たちが眠る姿を見慣れてしまった。そんな眠り姫が一人。
「あのさー! ソフィア! あたしら屋上に行きたいんだけど!」
 ご丁寧にライオン抱き枕を使い、あからさまに塞ぐ形で眠る彼女は、またぐことも出来ぬ障害であった。ドアは引く形で、引けばドアはソフィアに当たる。
「むにゅー。今日はここで仮眠するんですぅー……」
「……にしても、すっごいの……」
 エルヤの視線は思わず、といった様子で床に潰れるふくよかな胸を見る。
「えーるーやーさーまー!」
「いたたたた!」
 頬をつねり、いくらわめき立ててもソフィアは完全に目覚めなかった。それどころか、騒音から逃げるべくなのかは解らぬ事ではあるが、体を丸める様は重みを増す岩のようでもあり。
「しょうがないわね。部屋で休みましょう」
「だな……。行くぞー、エルヤ、ナンナ」
「そうですね」
「そ……痛い……痛いってばナンナーっ!」
 同じだけの騒がしさで、四人が階段を引き返す。
「ふにゅ……がんばるんですよぉー……」
 寝言が誰かに向けて発せられた。

641 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/05(月) 02:16:41 ID:TFlfCwF6
次回音パートからっす。
今日はここらへんでー!

642 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/05(月) 20:52:01 ID:TFlfCwF6
 屋上にて。すでに輪郭のぼやけた外郭は闇との親和を始め、その外壁は居住空間としての役割よりも景色を選んだかのように空となじむ。鋭く明確な輪郭は、近寄れば再び生まれ、夜空を切り取る刃物として役割を果たすのであろうが、距離があれば景色としての任務だけを持つ。
「あれ……?」
 疑問符を闇に溶かす、それはラプンツェルの所行。
 呼び出した相手を捜し、眼鏡の補助を得た瞳で周囲を見舞わず。
「アンジェラさん?」
「ここです」
「え……?」
 舞い降りる黒。闇の中でも映える、つややかな黒。それを纏う人影がゆっくりとラプンツェルの視界に入る。
 シルクハットに燕尾服、どこかのパーティにでも出かけそうな衣装のアンジェラが帽子を右手に持ち、芝居がかった礼をする。
「不祥私、ラプンツェルさんにお礼がしとうございます」
「え……? お礼なんてされることは……それより羽根!」
「もう大丈夫ですよ。お礼は……私の思い切りを後押ししてくれた事、です」
 冬の風と言うには、少々柔らかい。肌に当たる温度はさほど冷気を持たず、それでいて通り過ぎた後に触れればよく冷えた肌がある。寒い空気を予備知識にしてしまいそうな季節に、暖かな己の肌という認識が逆転現象を錯覚のように与え、その錯覚は風と己の融和を感じさせた。
 そんな事を思いながら、ラプンツェルは相づちもせずに、風に舞うアンジェラのネクタイを見つめる。面接の癖か、相手の視線から僅かばかり下を見てしまう、そんな癖。
「今日のことで決めました。私はもっとあなた方にお手伝いをすると」
「それは……良いことですか? 無理は駄目ですよ?」
「無理じゃないですよ。えっと、ですから。お礼を一つ」
「……?」
 再びシルクハットを被り、左手のステッキを回し、空へ。再びアンジェラの手元に戻れば華になる。
「手品……」
「ええ。とっておきの」
 懐から懐中時計を取り出し、ラプンツェルにそれを見せ。時計は六時を回ろうとしている。
「ミュトイだからできる。素敵なマジックをお見せします」
 秒針が動き、直上まで後数秒。

643 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/05(月) 23:31:32 ID:TFlfCwF6
*音開始
 秒針が真上に向かえば。軽い音がした。
「ショータイム……」
 静かに告げ、前へ、ラプンツェルへと差し出した指は、先ほど鳴らした動きの完了を見せている。手袋の上からでも華麗に響く音色はスイッチのようで。
「わ……」
 アトラスを始点に、放射状にライトアップが伝わっていく。円形に配置された都市ならでは、といった様子で、彼女たちを下から人工の星が幾つも照らす。
 初めは白だった。黄色、赤、青、三原色が追いかけ、それらを混ぜた色が追いかけるように溢れた。
 色彩のカクテルは次第に色を一つにしていく。遠方から見えるの光は、波長のいこ雷図された一つの光、その塊だ。塊はその色を暖かなオレンジの混ざる白色に定め、星々となった強い灯りすら飲み込んで、全てを二人に伝え。
 溢れる照明に目を釘付けにされたラプンツェルの横、アンジェラは満足げにうなずく。直立した姿勢が紳士を思わせ、そうして遠慮がちな咳払いがあり。
「空を……」
 アンジェラが誘う、上空の視線。
「あぁ……」
 光と闇を分断され、夜空をちりばめる星はそれでも己を主張する。
「宝石箱のマジックです」
「綺麗……」
 見入るラプンツェルの瞳が輝く、そうアンジェラは思い。
 映った星や夜景より、自然と内から輝く星を横目で見つめる。

「素敵ですよね。人の力で下の星が生まれて……上の星も負けじと先輩の威厳を護ってるんです」
 笑みを漏らし、ラプンツェルの視線は空からアンジェラへ。
「詩人ですね」
 笑みと視線、言葉に気づき、アンジェラの慌てと赤面は同時で。
「あ、っと……その。一応国文科ですから」
「お上手」
 顔の横、重ねられた両手がある。アンジェラに合わせるかのようなラプンツェルの芝居がかった動き。
「あ……あはー」
 着飾り、芝居じみた先ほどまでの空気が崩れ、普通のアンジェラとして照れた。
「あれ……?」
 光が増える。下よりの光はざわめきを交え。昼と夜の境目から大人しくなった人の流れを復活させていく。
「ミュトイの夜は自由です。早くから光を使い、境目を仕事の終わりとして定めました」
 ラプンツェルはアトラスの縁まで歩み、そこで活動の熱を感じる。
「聞こえてきそう……」
 楽しげな喧噪や、話し声。それが収斂され、しかし上空に立つ彼女らにはぼやけた、騒がしいというニュアンスだけが伝わり。
「ミュトイの夜、といえば苦痛よりの開放、一夜のアバンチュールなんて、そんな比喩もあったりしたんですよ」
「なんか解る気がします」
「さて……」
 改めて芝居じみた動きがアンジェラにあり、片膝を付いて恭しくラプンツェルに左手を差し出す。
「空の旅は如何ですか?」
「あ、あの……」
「どうしました?」
「礼儀作法とか知らないんです……」
 申し訳なさそうに手を組み、うなだれる頭と視線の先へそれをやる。
「あはは。私もかじったきりです」
 ラプンツェルの組んだ手を、アンジェラの手袋に包まれた手が支え。
「行きましょう」
「羽根は……」
「大丈夫ですっ!」
 左手を掴めばすぐに、助走に入った。
「素敵な場所にお連れします」
 二人の体が空に舞い。
「いきますよー!」
 夕刻、スヴァンがそうしたように地を目がけ、落下に近い急降下が始まる。

644 二郎剤 ◆h4drqLskp. :2007/03/05(月) 23:32:03 ID:TFlfCwF6
「わああああ……」
 どこが地面なのか解らぬ恐怖、それよりも感嘆の声が口を付いて出た。腹側には光のパネルが幾つも流れ、背中側には溢れる喧噪と熱気が翼に伝わり、真下を向く視線には、近づく人工の宝石箱が近づいていく。
「そろそろ起きあがってくださいね」
「はいっ」
 空に寝そべる形、それに移れば上下の夜空が二人を迎え。そして下方の光に飲み込まれ。
「市街飛行といきましょう」
 街灯に彩られる街並み、そこを行く人々の頭上で腹這いの二人が屋根を避け、隙間を踊り。まるでダンスのようだと感じたラプンツェルは、相手がそうさせている物かもしれないと思う。
 上空よりの来客に、一瞬人々は驚き、それでも慣れがあるのかにぎやかさは少しずつ確実に戻っていく。
「……今の軍曹?」
「かもね」
「お相手ゲット、すかねぇ?」
「「また先を越されるの!」」
 カフェでは新たな騒ぎが一つ。
 夜空を舞う二人には関係のない事だ。

 屋根を渡り、夜風に踊り、二人はミュトイの光に遊ぶ。
「あははっ……!」
「どうですか。もっともっと……お見せします!」
 落下の勢いを利用した飛行は速く、再びそこから空へと舞い上がり。目指す先には光の環があった。
「あれって……」
「はい、ビルの間にある通り抜け口です。牽引機のお陰であんな構造なんですけど、夜中でも大丈夫なようにライトアップされてるんです」
 説明の間にリングを通り抜け、アンジェラの誘導する手は上空を誘う。
「ここからのが見やすいですから」
「……?」
 疑問の答えが出ぬ間に屋上へたどり着き。二人は屋上に降り立つ。
 喧噪より離れた屋上は、アトラスのそこよりも静寂があり、灯りも少なかった。
「文化庁だから遠慮無しです」
 軽い笑みから、手を繋がぬ右手が前から横へ、緩やかに動く。


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