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ゴールデンカムイ史実考証スレ

139名無しさん:2018/11/11(日) 22:34:01 ID:0rLsc88M
そういえば尾形は徴兵だった場合北海道までどうやって移動したんだろうね
千葉の歩兵第二連隊に集まって皆で北海道目指したのかな
あの時代さすがに一人じゃ旭川まで辿り着けない気がする

140名無しさん:2018/11/11(日) 22:39:28 ID:02XtrEXg
列車で移動じゃないの

141名無しさん:2018/11/11(日) 22:48:16 ID:0rLsc88M
歩いて行ったって意味じゃなくて、
旭川までの経路調べたり切符代の負担はあの時代大変そうだから、軍が引率して移動したのかなと
壮行会とかあったみたいだから村単位で固まって旭川まで移動したのかね

142名無しさん:2018/11/11(日) 23:07:26 ID:Sll4UPH2
>>135
>男単身で屯田兵になれたのかどうかは知らない
なれない
本人とは別に労働可能な15歳〜60歳の家族二人が一緒じゃないと応募できない

>>115
屯田兵の入植は明治32年(1899年)が最後だよ
明治32年入植の応募年齢要件は明治32年4月までに満17歳以上25歳以下であること
なので谷垣は明治40年4月時点で満25歳が最低ライン

まあ上記帯同者の条件に抵触するのでどっちみち無理だけど

143名無しさん:2018/11/12(月) 00:34:24 ID:REvGZka.
>>133
>志願兵て通常なら自治体の推薦がいるエリートだって聞いたことあるけど
6週間現役、一年志願兵じゃなく、現役志願兵のことなら
エリートというのとはちょっと違うし自治体の推薦もいらない

現役志願兵(第十二条志願兵)は徴兵適齢前に現役を志願することで
・満期後に学業や実業に間断なく従事すること
・陸海軍下士を希望すること
を可能とするための制度で、服役したい師管及び兵種を選ぶことができる

父母、あるいは戸主、または後見人が連署した身元証明書が必要
なるべく高等小学校卒業以上の学力、或いは実業補習学校などを卒業し身元確実な者に限り許可する
というのが一応の条件

144名無しさん:2018/11/12(月) 00:46:17 ID:REvGZka.
>>141
遠方は地域ごとに役所とかに集めて引率が船や汽車を使って連れて行く
営地周辺に前泊し翌日早朝から入営するが
移動に時間がかかったりで出遅れると到着時には営地周辺の宿は満杯
引率者は民家や寺などに宿を提供してくれるよう頼んで回るはめになる

居住地から営地までの旅費は規定額(not実費)で支払われる

145名無しさん:2018/11/12(月) 08:18:51 ID:i9I65MxY
尾形は祖父が生きてるか誰か軍人辺りが後見人してくれたら志願兵行けそう(なんで未だに上等兵なんだって今度はなるが)
谷垣はなんで屯田兵に紛れ込めたか分からんな
もう廃止が決まってたから受け入れがガバガバだったとでも思うしかないか

146名無しさん:2018/11/12(月) 09:11:24 ID:BEusxYCU
少尉の勇作と尾形の現役がかぶるから年齢的に志願の線は薄そうだけどね
二階堂は親が15になった浩平洋平を連れて屯田兵になったとかなら条件クリア出来そう
谷垣は誰かと偽装家族になってとか考えたけど
そうするとその偽家族は谷垣が出征したあとさっさと逃散したか
今も死にそうな思いしながら開拓やってるか
どっちにしろひどい話になってしまうので没

147名無しさん:2018/11/19(月) 09:26:03 ID:Pidp4JdM
オオウバユリの採取時期は6.7月なんだな
ゴカムは夏服が存在しない世界なのか

148名無しさん:2018/11/19(月) 10:35:13 ID:M0dBTWs2
夏服の月島や鶴見がいるだろ
杉元は着物だけになったし
尾形は冬服のままだから夏のときは上着は脱いでマント羽織ってた

149名無しさん:2018/11/19(月) 10:36:04 ID:HgSdbYZ2
>>147
杉元がオーバーコートを脱いで、アシリパさんは毛皮のブーツから蔓のサンダルに履き替え、鶴見中尉が夏服の白色肋骨服に衣替えしてますが

150名無しさん:2018/11/19(月) 19:12:44 ID:Pidp4JdM
・初期に出た黒肋骨が修正されて紺に塗られている
・アニメでは白肋骨の場面が紺肋骨服に修正
だから、初期の白肋骨は誤りで夏服が存在しない世界に修正しているのかと推測したけど
アニメの世界ではまだ5月ごろか10月以降の場合もあるのかな

151名無しさん:2018/11/19(月) 19:21:15 ID:Pidp4JdM
やっぱり気球の時点では6,7月なのに鯉登も鶴見も冬服なんだよね
小樽で怒られる場面では鶴見は白肋骨(夏服)だけど鯉登は冬服(袖の赤線有り)
だから軍服の資料が揃ってなかったのか、自分の軍服の認識が間違っているのか
どうでもいいことだけど史実考証で話してみたくなったから投下してみた

152名無しさん:2018/11/19(月) 19:36:19 ID:HgSdbYZ2
6月あたりは北海道はまだ寒いからね

153名無しさん:2018/11/19(月) 19:51:04 ID:Pidp4JdM
北海道が寒くても軍隊の規則は絶対だから衣替えは破られないんだよ
夏用の外套もあるからそれを着ればいい話
まあ史実と照らし合わせて雑談したいだけで
原作にケチつけたい訳じゃないんだけどね

154名無しさん:2018/11/19(月) 20:27:35 ID:M0dBTWs2
先生の初期から中期辺りはわりとそこらへん適当だからなぁ
うるさいのがでてきたから最近はきちんとしてるけど

155名無しさん:2018/11/20(火) 09:14:55 ID:5lf/BcKw
ここ史実考証なのに>>148>>149の斜め上の指摘ワロタ

156名無しさん:2018/11/21(水) 02:43:32 ID:B7WIKpKY
>>151
寒い北海道では6月15日、9月15日が衣替えだそうなので
もしそれが作中でも採用されてるなら冬服の時期に気球でもギリ行ける、はず
アニメは見てないので明後日なこと言ってたらごめん

157名無しさん:2018/11/21(水) 08:30:39 ID:x5OJAjtg
旭川から小樽に向かって来た鯉登は冬服のままで移動してきた(衣替え用の夏服持ってこなかった)
小樽拠点にしてる鶴見は夏服も冬服も置いてるので着替えた
白石奪還作戦と鯉登少尉叱られるの間に衣替えタイミングが来たならこういうことかも

158名無しさん:2018/11/21(水) 09:37:58 ID:zZg7uQC2
>>156
アニメでは中尉の白肋骨が紺肋骨に変更されてみんな冬服で揃えられてるよ
オオウバユリをついてるから多分6月以降だね
でも気小樽の兵卒もみんな冬服で中尉だけ夏服だから基本軍服は冬服しかない世界だと思うわ

159名無しさん:2018/11/21(水) 11:37:58 ID:x5OJAjtg
屯田兵源次郎は夏服着てなかったっけ
小樽にいる兵卒は旭川に戻れてなくて夏服受け取れないでいるとか言ってみる

160名無しさん:2018/11/21(水) 12:29:08 ID:u9XKxUT6
>>159
不自然だしウザいよ
他の場面でもそうだから

161名無しさん:2018/11/21(水) 16:39:35 ID:CwHgnycU
>>147
原作のオオウバユリの説明で
「今くらいの時期を「少しウバユリを掘る季節」「どっさりウバユリを掘る季節」と呼ぶ」
と時期に幅がある
wikiみたら少し〜は旧暦4月(新暦4月下旬〜6月上旬)、
どっさり〜は旧暦5月(新暦5月下旬〜7月上旬)だそうだから
ちょっと早いけど郷土料理でおもてなし、て感じに偽アイヌ村で5月下旬ぐらい、
旭川に乗り込んだのが5月末なら冬服でもいけそうだし
北海道出身の作者なら衣替えは6月中旬で考えててもおかしくないと思う

>>158
ややこしくなるからアニメと原作は分けて考えたほうがいいと思う
網走の看守にも衣替えさせてるし鶴見に白肋骨服を着させてるから衣替え意識してはいるから
原作の場合は「軍だけ冬服しかない世界」というのは違うんじゃないかな
鶴見組ずっと冬服問題についてはもし鶴見組の殆どが予備後備の私兵なら
正規の兵のように夏服支給されないからずっと冬服の説明はできると思う
(現役がいたとしても正規の任務についてないから支給どうこう以前の状況だし)

アニメは・・・どうなんだろうねあれこれ改変しまくりだけど
それが季節の計算ミスったと思った作者が依頼したのか
ただのアニメのうっかりなのか判断が難しいところ
とりあえず、原作では白抜きで描かれてる外套がアニメで紺塗りになったのは
月月火水木金金のカラーイラストで月島の外套が微妙な紺色で描かれてるし
作者の要望かなとは思ってる

162名無しさん:2018/11/21(水) 18:04:59 ID:jry2PBqE
>>161
旧暦5月は5月下旬とあるけど実際は5月末日付近
よって「どっさりウバユリを掘る季節」が重なるには少なくとも6月初旬以降と思われる
また旭川で杉元が小樽を出て二ヶ月以上経っているという記述がある
小樽時点でもうすぐ春という発言があるけど北海道の桜の開花はGW頃なので4月上旬〜出発と考えても(本当は中旬だと思うが)
旭川時点では6月中旬以降、(北海道の衣替えが軍に適用されたとしても)旭川の軍人や兵卒達がまだ冬服なのはおかしい

網走監獄は作中現在司法省の管轄であり「軍に夏服がない」には当て嵌まらない

鶴見組は私兵率は高そうと思われたけど、和田大尉の自分の部下を勝手に使い、という一文があるから私兵じゃない予備役兵も使っていると思われる

163名無しさん:2018/11/21(水) 18:16:51 ID:6QHFjQZ6
アニメで夏服OKにしてしまうと原作で見覚えのない白服を着せないといけないから
アニメこそ夏用軍服が完全にない世界で鶴見も白肋骨を紺にされちゃったんじゃないかね
原作は白肋骨は存在していた世界?

164名無しさん:2018/11/21(水) 19:12:32 ID:I0PqnSaw
原作でも稲妻夫婦のあたりはずっと白肋骨だよ

165名無しさん:2018/11/21(水) 19:16:25 ID:iyrAwcj.
小樽を出てから二ヶ月〜は小樽付近のアシリパの村を指していると思ってたけど
ニシン御殿事件の小樽を指すなら旭川では6月下旬から7月上旬ぽいね
どちらにしても旭川時点では6月の衣替えは過ぎているだろうから「(鶴見以外の)軍夏服がない世界」なんだろう

166名無しさん:2018/11/21(水) 22:30:40 ID:RlI7m4DI
旭川は杉元達以外にも遠目に外套着てる人いるし上着がないとちょっと肌寒い程度の季節設定じゃない?
鶴見が冬服、月島が上着着てるしせいぜい6月入ったばっかりくらいの設定じゃないの

167名無しさん:2018/11/21(水) 23:11:02 ID:NTLGnpYw
>>166作中で主人公が小樽を出て二か月以上と言ってるから6月初旬だとおかしいよ
さらに言うなら北海道は気温が下がると7月でも上着必要な場合もある
明確なソースがないなら参加しない はい論破

168名無しさん:2018/11/29(木) 13:38:54 ID:5F0mE/M6
この時代の下着って褌?
鶴見中尉も?

169名無しさん:2018/11/29(木) 14:00:19 ID:2S3aAyT.
明治頃だと基本、男性はみんな下着は褌
女性はなし
腰巻きみたいなのはある

170名無しさん:2018/11/29(木) 14:55:42 ID:oDi5gQc2
>>168
軍は越中褌

171名無しさん:2018/12/01(土) 09:47:34 ID:j58ZNv8s
日露戦争までは兵は褌将校は比較的自由だったような
前に寒気相撲かなにかの写真見たら褌が一人だけだった記憶

172名無しさん:2018/12/01(土) 10:07:53 ID:gkDRY78w
褌じゃないなら何はくんだ猿股か?

173名無しさん:2018/12/01(土) 10:10:51 ID:1bEKTNkE
洋装が入ってきてもおかしくはないよね

174名無しさん:2018/12/01(土) 19:57:49 ID:j58ZNv8s
トランクスみたいなの履いてたよ

175名無しさん:2018/12/01(土) 20:16:52 ID:j58ZNv8s
パクリになっちゃうから写真は貼らないけど
「将校 褌」でツイ検索すると27聯隊将校団の寒中水泳大会の写真が出てくるw
昭和のだがほとんど猿股みたいだよ 寒いからなあ

176名無しさん:2018/12/01(土) 20:39:41 ID:j58ZNv8s
幼年学校ではまず褌の付け方を習うんだっけ?
これは昭和と大正の資料で齧った覚えがあるけど明治の教育がどうなってたかは知らない
大正期の幼年学校で昔は水泳ズボンが許されていたけど
軍傾化で水泳の授業はふんどしになったと言うのは読んだ

177名無しさん:2018/12/02(日) 19:34:33 ID:V6KF36GU
昭和の話はしてない

178名無しさん:2018/12/02(日) 19:47:34 ID:aeJLrbOc
欧米でもパンツを履きはじめたのが第一次世界大戦から
それまではシャツの裾のボタンを止めてパンツのかわり

179名無しさん:2018/12/02(日) 21:16:19 ID:l1pklbtA
猿股は明治初期からあったよ
皇国主義を突き進む昭和時代さえそうなんだから
明治の北海道で履いていてもおかしくはない

180名無しさん:2018/12/12(水) 12:43:25 ID:llq0utY2
こんなスレあったんだね

181名無しさん:2019/02/09(土) 05:20:21 ID:/uK6m2AY
過疎ってるな…

182名無しさん:2019/02/09(土) 12:13:11 ID:jTlCEzCk
史実語りで原作そっちのけで喧嘩したり
史実を都合よく継ぎ接ぎして原作に無いことをこうに決まってると押し付けたり
そういう人たちを落ち着かせるためのスレだったからな
過激派がいなくなればこんなもんだよ

183名無しさん:2019/02/10(日) 18:12:34 ID:QTJ0bmnc
まぁ過激派がいなくなったのはいいことだ

184名無しさん:2019/02/16(土) 09:53:08 ID:Wpg0kY4o
いや、本スレやツイにいるだけでしょw
某他の作品はちゃんと考証スレ機能してんのになあ…

185名無しさん:2019/02/16(土) 18:53:15 ID:0T1Bn2GM
なんであの人達は誘導されても出ていかず居座るんだろうな

186名無しさん:2019/02/17(日) 14:08:41 ID:7iFCJ1w6
ツイで考察するのは勝手だけど本スレでまでやるなよ…

187名無しさん:2019/02/17(日) 18:20:20 ID:A3xHyrs2
考察するのはいいけどそれが正しいと押し付けたり
野田の設定より強いと思い込むなよな

188名無しさん:2019/02/24(日) 02:17:37 ID:hLGDF086
おまいら追悼としてキロちゃんを史実視点から見た話しねぇ?

189名無しさん:2019/02/24(日) 04:45:32 ID:MHhtThBk
お前が自分でやれよ

190名無しさん:2019/02/24(日) 07:34:27 ID:hLGDF086
コピペだが

「人民の中へ」(ヴ・ナロード)をスローガンにしていたためにナロードニキ(人民主義者)と呼ばれていた人々は、
皇帝と地主の権力は農民一揆で打倒できるとし、農民の説得に情熱を傾けたが、思うような支持を得られなかった上、政府の厳しい弾圧に遭った。
彼らの一部は急進化し、皇帝や高官を暗殺することにより専制政治を打倒しようとし、テロに走った。
1867年、フランスを訪問中のアレクサンドル2世はパリで襲撃されたが、この時は難を逃れた。
その後も皇帝暗殺計画は再三にわたって企てられ、1880年2月にはアレクサンドル2世を狙った冬宮食堂爆破事件が起きて多数の死傷者が出た。

1881年3月13日、アレクサンドル2世は、没落したシュラフタの家柄で「人民の意志」党員の
ポーランド人イグナツィ・フリニェヴィエツキ(英語版)の投じた爆弾(キバリチチ式手投げ爆弾)により、サンクトペテルブルク市内で暗殺された。

191名無しさん:2019/02/24(日) 07:48:04 ID:hLGDF086
タタール人も色々だがモンゴル系タタールが一番近いのか?

日本では、江戸時代から沿海州、アムール川流域を含む北アジア・中央アジアを指す呼称として「韃靼」の語が用いられたが、領域や実態について明確な定義は存在していなかった。
中国や朝鮮では、女真・満州を含めて北方の諸民族のことを「韃虜」「韃子」などと蔑称することがあった。
1917年のロシア革命によって国を追われたタタール人たちが日本に逃れており、彼らは日本に最初に入ってきたムスリムの集団とされる。
彼らは日本にイスラム教を持ち込んだ最初期の集団であり、東京などに回教礼拝堂(現在の東京ジャーミイ)などを作った。

192名無しさん:2019/02/24(日) 07:53:50 ID:hLGDF086
それともヴォルガタタールかな?

ロシア革命では、ムスリム諸民族を統合した連邦をつくりソビエト国家の枠内での自治を実現しようとするタタール人共産主義者ミールサイト・スルタンガリエフらが活躍したが、
ロシア人主体のソビエト政権は民族ごとの自治領域を設定してムスリムを民族ごとに細分することにし、1920年にタタール人の自治領域としてタタール自治共和国が現在のタタールスタン共和国の地に建設された。

また、ロシア帝国の末期頃から、ヴォルガのタタール人はブルガール人の末裔であると主張して、ブルガール人の自治実現を目指す動きも起こっていたが、
タタール自治共和国の建設ともにこれまで漠然とタタールと呼ばれていた人々をまとめて指す民族名としてタタール人という名が公式に設定され、ヴォルガ・タタール人のみを指すブルガールの民族名は否定された。
その後、ソ連末期に比較的大きな人口を持つクリミア・タタール人がタタール人と別民族であることを認められたが、現在もその他のタタールはタタールと総称されたままである。

193名無しさん:2019/02/24(日) 10:10:11 ID:CczSvCbY
ほんとにただのコピペじゃんか

194名無しさん:2019/02/24(日) 15:05:09 ID:lHv7xRL6
全く意味ないな

195名無しさん:2019/02/24(日) 17:31:24 ID:Ca0WQjFA
w

196名無しさん:2019/02/24(日) 19:02:36 ID:XURYBXlg
さっきローカルニュースでアイヌのバッタの舞やってたちゃんとアッツシ着てた

197名無しさん:2019/04/03(水) 05:15:03 ID:xLUKiNy6
サトルほんと博識だよな〜
歴史を良く勉強してる

198名無しさん:2019/04/25(木) 19:41:14 ID:r7WjW5YY
鯉登家は華族だったのかな?
1600万円もする三輪を譲られるってフランス人とどういう交流していると思われる?

199名無しさん:2019/04/26(金) 08:37:03 ID:XXxMwTyE
薩摩の士族なのはいうまでもない
モス父が日清日露と活躍した駆逐隊司令官ということで鈴木貫太郎のような存在なんだとすれば、海外武官の経験もあるだろうし、爵位も持っているだろう

200名無しさん:2019/04/26(金) 19:00:57 ID:nkdVv76A
>>199
はるほど
鈴木貫太郎という人を参考にしたら良いのか

201名無しさん:2019/04/27(土) 01:09:14 ID:HGD9no.6
母親の方も士族かな

202名無しさん:2019/04/27(土) 01:19:09 ID:tQ1x9jXU
鈴木貫太郎は人徳もあってモス父のイメージにピッタリだ

203名無しさん:2019/04/27(土) 06:42:33 ID:gWsbbC2.
>>201
軍人で功があってもらえる爵位は(結婚する年齢のころは)高くはないので、
大資産もった華族の娘は嫁に来ないと思う

204名無しさん:2019/04/27(土) 13:10:30 ID:vwUCxy9Y
今週、鯉登の兄さあの墓が西郷の墓のある南洲墓地にあったけど、あそこは西南戦争の戦死者のためにわざわざ設けた場所じゃないんでしょうか?
年齢的に兄さあが西南戦争と関わってるわけないし、無関係の人でも入れてもらえるものなのか。
ネットで調べても他のスレで聞いても結局わからないのでここにきてみました。
一応自分で調べた範囲では、元々墓地だったとこに西郷さん達が葬られ、その後この地を西南戦争の慰霊の場所にしようとして各地から二千以上の遺骨を集めて葬った。その間に元からあった一般の墓は他所へ移し、慰霊の神社も作った、ということらしいのですが。

205名無しさん:2019/06/07(金) 20:39:53 ID:INs1vbUU
樺太アイヌのお婆ちゃんが作ってた口かみ団子って記録あるんだな...

206名無しさん:2019/06/15(土) 08:15:58 ID:JLUWqdMg
>>204
未だレスがつかないようですが、解決されましたか?
歴史と宗教と金という闇の部分に触れるので私より深く理解している人を待ってましたが、やはり書くには躊躇うことなのでしょうね

西郷家の墓は元はこの浄光明寺がある墓地にありました
時宗の寺でしたが、明治に入り廃仏毀釈の政令で時宗は壊滅的な状況となり、この寺も廃寺寸前でした
(実は佐渡も時宗派が多く、宗教を文化として見たら薩摩と繋がりがあります)
大乗仏教の殆どの寺は、本堂も含め周辺の景色も教義を広めるための装置であったりもします(いつも綺麗に掃き清めるのは人を招きやすくするためでもあります)
鹿児島を象徴する景色が見える土地に拓いたこの寺も同様です
廃寺寸前の墓地はクーデター犯を埋葬しやすかったことと、魂を浄化してくれるような美しい景色のあるであることの条件が重なり、西南戦争で「国のために戦った人たちを祀りやすい環境」として墓地の整備化を進めた後に南洲神社が建立されました

長いので区切ります

207名無しさん:2019/06/16(日) 09:05:27 ID:f5nAIhHs
>>206
続き

墓地建立の発起人は著名人ですが、費用は有志一同からが殆ど
西南戦争に政府軍での参戦者やその家族だけでなく、戦争に関わらなくても西郷隆盛らの志を汲んだ人からの資金提供はありました
そういった人達の墓もあの墓地にはあります(暮石の材質や刻まれた享年でそれらは見てとれます)
自家の墓を建ててもらえば続けて維持費が徴収できるので、都合のいい取引ともなります
鯉登家も資金提供者の内である設定であれば、いずれは父が入る予定だった墓へ先に息子が入ってしまった…というのもあり得る話です
あの好立地だと相当な額を積んでいたことでしょう
こんなもんでよろしいでしょうか?

208名無しさん:2019/06/19(水) 16:09:37 ID:15GKpi3I
763 名前:名無し三等兵 [sage] :2019/06/19(水) 16:08:07.97 ID:ps+Eb5j7
https://imgc.eximg.jp/cv/resize?i=https%3A%2F%2Fs.eximg.jp%2Fexnews%2Ffeed%2FOricon%2FOricon_2137968_51ba_1.jpg
近衛兵だと近衛師団配属じゃんw
第七師団なら屯田兵だろw

209名無しさん:2019/06/19(水) 20:30:55 ID:cNkWszz.
編集がテキトーに考えたから仕方ないよ

210名無しさん:2019/06/20(木) 17:19:06 ID:kckMOLXI
普通に第七師団初年兵で良かったのにね
または酒保の出入り業者とかさ
近衛って天皇の隊名使って罰当たりだし
アジア的には忌避される要素じゃない?

まあ無知で使ってるってありありと分かるから誰も相手にしないのが救い

211名無しさん:2019/06/20(木) 17:24:51 ID:kckMOLXI
>>207
質問者じゃありませんが詳しいレポ乙です
東郷家も長兄が西南戦争で西郷に合流してますし、平八郎が「留学中じゃなければ自分も行った」と述べているので
鯉登家も平二さんの長兄が参加したなどの事情があったのかも知れないですね

212名無しさん:2019/06/20(木) 17:42:53 ID:.WSb8ovw
酒保は艦これっぽい

213名無しさん:2019/06/20(木) 18:56:04 ID:M6.y/t.c
陸軍のほうが酒保の規模は大きいんだけどな

214名無しさん:2019/06/20(木) 20:22:12 ID:7ONEuu7g
>>209
集英社が最終決になるけど実態は広告代理店の商売
タダの切り絵しか作れないのだから資料を集めて調べる能力を求めたらダメ

215名無しさん:2019/07/06(土) 18:21:02 ID:cPhoyf0k
http://alfalfalfa.com/articles/258910.html

酷い

216名無しさん:2019/07/07(日) 00:32:00 ID:CXDg5mPA
>>215
具体的にどこらへんが?

217名無しさん:2019/07/24(水) 12:50:42 ID:W.jl7EBM
当時について詳しい方いれば教えて欲しいです
灯台夫婦のような南樺太割譲後の残留ロシア人はロシア帝国籍のまま?それとも日本帝国籍に?

218名無しさん:2019/09/09(月) 17:35:51 ID:DPMyuImk
満州鉄道の話出てた時に載ってた蒸気機関車の絵って時代的に正しい?京都か大宮にある鉄道博物館からの資料かな?

219名無しさん:2019/09/09(月) 20:25:30 ID:U3RFqnMo
ぜんぜん正しくないよ
たぶん正しいのは手に入らなかったのかも

220名無しさん:2019/09/10(火) 08:14:20 ID:VvB8QvEc
蒸気機関車自体は明治5年に日本でも開業してる
型番がどうかは知らね

221名無しさん:2019/09/12(木) 12:12:24 ID:aWf3D8ws
>>220
満州時代の資料って少なそうだしな
あっても諸事情で公開はしないだろうし

222名無しさん:2019/10/10(木) 13:11:39 ID:Q/55/hTg
満鉄の資料館北九州でも見かけたけどどうかな

223名無しさん:2019/12/07(土) 23:50:58 ID:/DZv9FhA
>>222
興味深い

224名無しさん:2021/02/04(木) 07:16:36 ID:J327pLTE
資料のためにあちこち行くよりも漫画だし嘘があってもいいさ別に
ただ満洲あたりなら資料のある漫画家とかいるだろうし仮にも出版社なんだし集英社もなんとかしてやれよってのはある


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