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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

1真ナルト信者:2017/02/08(水) 19:12:46 ID:???
漫画・ライトノベル以外の書籍なら純文学でも文庫でも新書でもレピシ本でも攻略本でも難しい本でもOK
感想を書いたり、内容をまとめたりとかしてみたらどうでしょう

216修都 ◆7VC/HIVqJE:2018/06/24(日) 12:19:15 ID:/XJTTU3k
松尾尊兊「大日本主義か小日本主義か」
 韓国併合直後の大正政変期に小日本主義は顕在化する→日露戦争後の経済不況の中で帝国主義の放棄を主張→第一次世界大戦がおこったことで、小日本主義はおさまっていった
 原敬首相は朝鮮議会の設置を排除し、内地延長主義をとった→日本本土同様な制度を布くことで同化を行う→一方で朝鮮総督府内部から朝鮮議会設置構想が主張される
 →構想された朝鮮議会は自治機関ではなく、新たな日本の統治機関にすぎなかったが、それでもまともに議論されなかった
 『東洋経済』の石橋湛山は、一切の植民地と勢力範囲の放棄を主張していた→大日本主義による支配は日本経済に貢献しない、むしろ戦争を招くおそれがあると主張
 →早く捨てる方が、被圧迫民族の支持が集まり、経済・国防の安全が確保されるとも主張していた
 三浦銕太郎は、韓国併合を日本の罪悪と認め、朝鮮独立の意義を強調

今回の銀英伝じゃないですが、占領地域の支配を行うにはそれだけ経済や資源が必要になるわけで、
むやみやたらに拡大していくのは危険なんですよね

217修都 ◆7VC/HIVqJE:2018/06/25(月) 18:42:02 ID:/XJTTU3k
内海愛子「日本は植民地支配をどう清算したのか」
 2010年に成立したシベリア特措法案では、シベリアに抑留された韓国人たちは給付金支給から排除されている
 1948年12月、生き残った朝鮮人シベリア抑留者2300人(シベリアに抑留されていた朝鮮人は7700〜1万人と推定されている)は北朝鮮に送還された
 →そこからさらに38度線をこえて南に戻った人は約500人→韓国ではスパイと疑われ拷問を受けた者もいた
 東京裁判で植民地支配の責任は問われなかった。BC級戦犯裁判では戦犯になった朝鮮人(148人)もいたが、日本の援護措置からは排除されてきた
 捕虜収容所の事務、監視などの業務は朝鮮人が担っていた→BC級戦犯裁判では、捕虜虐待が徹底的に追及された
 →BC級戦犯になった朝鮮人はスガモプリズンに送られたが、ほとんどの人はそれが初めての日本であり、釈放で見ず知らずの地に放り出された
 戦犯になった朝鮮人や遺族たちは韓国でも親日派と罵倒されてきた。韓国政府が戦犯も被害者だと認定したのは2006年

218修都 ◆7VC/HIVqJE:2018/06/27(水) 18:39:29 ID:/XJTTU3k
永原陽子「「韓国併合」と同時代の世界、そして現代」
 日本による韓国併合は、世界史上で、新たに植民地を獲得したという意味でほぼ最後。先に植民地支配を開始していた国々は、このころ体制の方向転換を模索し始めていた
 →イギリスは、南アフリカ連邦、オーストラリアやニュージーランドなどを一定程度自立した領域として切り離した
 第一次世界大戦後、ドイツとオスマン帝国の領土は国際連盟の委任統治下におかれた→列強の植民地支配とは異なる理念を掲げた
 →住民の福祉を理念として掲げ、個別の国が自らの意のままに支配するわけにはいかなくなった
 世界的な植民地体制は福祉や開発を打ち出したが、抵抗を予防するための方策は精巧になった→南アフリカではアパルトヘイト
 敗戦で植民地を失った日本では、植民地支配の問題が視野に入らざるを得なかったが、ヨーロッパでは植民地独立は喪失と被害の経験として記憶された
 →植民地支配が文明化・近代化をもたらしたとする認識は一般的だった→90年代以降、アフリカ諸国やアフリカ系住民から植民地支配の責任を問う声があげられるようになった
 2001年、ダーバン会議→植民地支配を断罪しようとする国々と、欧米諸国との間で激しい応酬(アメリカの代表は会議をボイコット)
 →宣言文書は奴隷貿易・奴隷制を人道に対する罪と認め、植民地主義に遺憾の意を表明した
 ナミビアの人々の声を受けて、ドイツは2004年、ドイツ帝国が行ったことはジェノサイドにあたると認め、謝罪した。07年、補償と言える資金提供も約束した
 →ただし、ドイツ統治時代に比してはるかに広汎な犠牲をもたらした南アフリカ統治時代の植民地責任への問いかけは表面化していない
 日本の植民地責任を問うさい、日本と韓国、日本と中国、というような個々の国家間の関係にとどまらず、世界史的な同時性の中で、考えることが必要

219修都 ◆7VC/HIVqJE:2018/06/28(木) 18:23:47 ID:/XJTTU3k
小沢弘明「新自由主義・新帝国主義・「韓国併合」」
 19世紀を古典的自由主義の時代、20世紀を社会的自由主義の時代ととらえ、1970年前後に新自由主義が出現し、90年代なかばに体制として確立したとする時代認識
 →20世紀の福祉国家体制は解体され、所得の再分配機能は放棄された。新自由主義の時代はファシズムの時代より長期となっている
 新自由主義の本質は新帝国主義→自由主義の名のもとに展開される帝国主義。帝国主義が近代化の名のもとに展開されたことと連続性がある
 韓国併合は、他の帝国の植民地を参照して行われている

220修都 ◆7VC/HIVqJE:2018/07/16(月) 14:56:26 ID:/XJTTU3k
岡本隆司『世界史序説』を読みました。何十年も西洋中心史観ではいけないと歴史学会は言っている割にいまだに西洋中心史観ではないかという怒りが著者にはあり、それを克服するためにこの本を書いたように思われます。
まず、古代ギリシア・ローマはオリエント(旧メソポタミア文明)の後継者であり、それをヨーロッパだとするのはおかしいと主張しています。さらに言えばインドもオリエントの後継者である。
また、キリスト教もオリエントから生まれた宗教であり、ローマカトリックが昔から中心であったかのように言うのもおかしいとしています。もともとキリスト教の中心は東ローマ側であると。
イスラムがヨーロッパを圧迫してたと考えるのはまさにヨーロッパ中心史観で、イスラムはむしろオリエントを再び統一したのだし、ユーラシア大陸の東西を安定させたのはイスラムと中国の唐王朝だとしています。
ただ、モンゴルが滅びて以降はユーラシアを1つにするような動きは歴史的に現れなくなります。その代わり、大航海時代で今まで完全に脇役だった西ヨーロッパが主役に躍り出ることになります。
しかし、大航海時代の初期に活躍したイタリア・スペイン・ポルトガルもオリエントと関わる国だった。イタリアは地理的にオリエントの影響を受けており、スペイン・ポルトガルはもともとオリエントに支配されていた。
だから、オランダが大航海時代の主役になった時こそが歴史の大きな転換点だったようです。
ではなぜ、オランダやイギリスがこの時代に発展できたのか。それは西ヨーロッパは領土も小さく、経済的に豊かでなかったからこそだとしています。
経済的に豊かでないから政治と経済が一体となった仕組みを作っていかなければならなかった。しかし、ペルシアや中国は領土も大きくもともと豊かだったから政治と経済を一体化させた制度をつくる必要がなかった。
ここで登場するのが日本で、日本も西ヨーロッパと同じように領土が小さくもともと豊かな国ではなかった。だから政治と経済を一体化させた仕組みをつくる必要があった。
その点で西ヨーロッパと日本は共通点があり、だからこそ日本は西洋風の近代化を達成できたし、それこそが絶対的に正しいのだと思い込んでしまったのだとしています。

この本で語られていることは実はそこまで新しいことでもないように思います。ただ、今後成果意思を考えていく際には西洋中心史観にならないような視点が必要だと思いますね。

221修都 ◆7VC/HIVqJE:2018/07/17(火) 18:28:42 ID:/XJTTU3k
岡本隆司さんは上の本と同時期に『近代日本の中国観』も出しています。
この本では最初に石橋湛山の小日本主義が取り上げられているのですが、手放しで評価されがちな湛山の小日本主義について再検討をしています。
戦後の視点から見れば間違いなく正しかった小日本主義がなぜ当時は受け入れられなかったのか?という視点で岡本さんは書いているのですが、
湛山は中国の内部構造にまで踏み込めていなかったという評価をしています。
当時でも中国の専門家はいたわけですが、湛山は日本の利益について語っており、中国については語っていなかった(語れなかった)ので説得力がなかったのではないかと評価しています


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