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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

165 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/07/26(水) 22:36:36 ID:rlvqw/MU
辻本雅史『「学び」の復権』を読みました。
近代から近世の教育を見るという事はさんざんやられていますが、この本はむしろ近世から近代の教育を見てみようという視点で書かれています。
そこから近代の教育の問題点や今後どうしていくべきかを考えていこうという内容ですね。
そして分かることは、近代以前に学校というものは存在しなかったということです。手習塾(寺子屋)はありますが、これは近代の学校とはまったく違うものであって、基本的には自己学習の場だったのですね。
そこでの「教師」の役割は手本を示し、間違いあがれば修正するということであって、教えることを求められていたわけではない。これは藩校も同様だったようですね。
よくテレビとかである、手習塾で机が整然と並べられているイメージというのは完全に近代からの視点であって、机が整然と並べられていることなどは無かったようです。
そしてタイトルの意味からいうと、この自己学習「学び」の復権こそが今後重要なのではないかと主張しているようですね。
ただ大事なのは、近世の手習塾も藩校も基本的には「教師」が尊敬される人物でお手本になる人物でなければ成立しないものでした。ですから現代の学校で実行したとしても成り立たないとしています。なぜなら現代の教師は尊敬され、お手本になるような人物ばかりではないからです。
ですから著者は、生徒の側が教師を選択できるようにするべきではないかとも主張しています。
さらに言えば著者は近代の学校制度はもはや限界を迎えているとも主張しています。
その限界を迎えている学校で個性を大事にしようなどということ自体が無理なのだとも主張しています。なぜなら現代の学校は画一的で個性を伸ばすような教育を想定していないからです。
もっといえば、個性を伸ばす教育自体がどうすればいいか分からないものなんですよね。

文庫版のあとがきでは、近世の教育をよく描きすぎたとか復古的だと思われたとかということも書かれていますが、実際そういう点はあるでしょうね。
近代の学校システムが限界に来ているというのは同感ですが、だからその前に戻せばいいというのは難しいし現実的ではない。
ただ、近代の学校システムは当たり前のことなどではないし、その前の時代に行われていた教育からよい点を見つけだしていくというのは大事でしょうね

166 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/08/03(木) 23:03:30 ID:RCAef5U6
まさに今のタイミングで読むべきかなと思って、中北浩爾『自民党―「一強」の実像』を読みました。
主に細川政権以降の自民党についてかなり詳細に分析した一冊になっています。現在の自民党の入門書と言ってもいいかもしれません。

自民党というのはそもそも派閥連合政党だったようですが、それが小泉政権の時に破壊されて、今は派閥よりの右派の理念グループの方が力を持っていて、その中心がまさに安倍首相なんですよね。
そして理念が強くなっている要因として、一度政権をとられた民主党・民進党への強い対抗心があるというわけですね。
ちなみに自民党の勝利の典型的パターンというのは、低い投票率で固定票で勝つというパターンのようですが、その固定票も減ってきてはいるようです。
だからこそ、公明党とは手を切れない。公明党の組織票はポピュリストの才能が無い安倍首相らには絶対手放したくないもののようです。
逆に公明党側からしても、宗教団体が母体である以上、固定票を増やすことは難しい、信者の高齢化も進んでいるということで自民党とは手を切りたくないようです。
ちなみに、日本会議の票数は大したものではないとこの本では主張されています。
また、自民党議員にとって後援会も重要な存在ですが、これに関しては理念を地元で主張するのではなく、地元の有力者と仲良くするということをやってきたのが自民党のようですね。
そしてこの後援会があるからこそ、世襲議員も多い。なぜなら世襲議員なら後援会をそのまま引き継ぐことも可能だからです。ただ、この後援会も最近は衰退してきているようです。
地方に関していうと、地方議会では自民党が圧倒的に強いというのも重要なようで、実際一部の例外を除いて地方議会は自民党が多数を占めているところが多い。
市町村レベルになると無所属議員が多いですが、これは政党色を無くすためにそうしているだけであって、実質的には自民党系の議員が圧倒的多数を占めているようですね。
ただ、地方議員が党本部の言う事ばかり聞いているかといえば、そんなことは全く無くて、党本部の決定とは違う決定をする地方議員も数多いようです。

結論から言えば、著者は自民党の優位は簡単には覆らないとしていますが、それは当たっているでしょう。
ただ、この本が出版されたのは今年の4月で、まさかその3ヵ月後ぐらいに支持率が一気に下がるとも思っていなかったでしょうが。
まぁ結局のところ自民党はなんだかんだ上手くやってきたということなのでしょうが、固定票が今後ますます減っていったらどうなるのか?
公明党と完全に訣別したらどうなるのか?とは思いますね

167 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/08/29(火) 22:57:47 ID:0zqMLFGQ
今年は沖縄戦を部隊としたアメリカ映画もあったりしましたが、林博史『沖縄戦が問うもの』を読みました。
この本を読んで思ったのは、当時の沖縄県民が生き残れたかどうかは、誰が一緒にいたかどうかが重要だったんだなということですね。
冷静に物事を考えられる人や移民帰りの人がいれば米軍に投降して生き残ることができたけれど、日本兵などが一緒にいた場合はなかなか投降できず死亡してしまったパターンが多いようですね。
はっきり言ってしまえば非国民と呼ばれるようなことをした人の方がちゃんと生き残れたわけです。
結局、日本兵は投降を基本的に許さないし、住民から食糧を勝手に持っていくし、差別的言動は行うし、スパイ容疑をふっかけて時には処刑も行ってしまうといった行為を実際にしていたようですね。
さらに、中国戦線帰りの日本兵が、自分が中国で何をやってきたかを具体的に話したために米軍も同じようなことをしてくれるのではないかと住民が恐怖して米軍に投降しなかったということもあったようですね。
逆に、話に聞いていた「素晴らしい日本軍人」とは実態があまりに違いすぎるから早々に米軍に投降したという住民もいたようですが。
ただ、そんな日本兵の中には当然沖縄出身の日本兵もいたわけで、沖縄出身の兵士が沖縄県民に無理強いをさせたという一面もあるわけですね。
あと、住民に投降を促した日本兵もいたわけですが、そんな日本兵は上官や他の日本兵がほとんどいなくなった段階でそういうことを言い出したわけで、それはつまり個人では何を思っていようと組織の中では個人の意見なんて言えないということでもあるわけですね。
結局、当時の日本軍には一般市民を守るという発想はなく、あったのは一般市民も一緒に戦って死ぬという発想だったし、日本兵自身も生き残ることを想定せず、戦って死ぬこと優先の想定しかしていなかったことが犠牲を増やした要因だったようですね。
また、当然米軍の作戦にも問題はあったわけで、米軍の攻撃は基本的に無差別砲撃でしたから、それが無ければ当然被害はもっと減っていたわけです。

沖縄の人たちは戦時中は日本軍にひどい目に合わされて、戦後は米軍にひどい目にあわされていくわけだから、軍隊というものに反感をもつ人が多くなってもしょうがないとは思いますね

168 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/08/29(火) 22:58:59 ID:0zqMLFGQ
×米軍も同じようなことをしてくれる

○米軍も同じようなことをしてくる

169 レト :2017/08/30(水) 06:18:45 ID:hElrqMRI
沖縄に関しては現在の政府の対応のぞんざいさも不信感を招いている印象があります(政党問わず)。
自分自身、今のアメリカには不信感の方が強いですし、こんな情勢とはいえ関係を優先するのは逆に危険な気がします。
正直、思いやり予算とかもいい加減見直すべきではないかと。

170 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/09/03(日) 22:51:35 ID:byLobR8.
保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機』を読みました。
タイトル的には結構大きな話ですが、内容的には下関戦争オンリーで、しかもイギリス側の視点を主に調べたという結構面白い視点の本でした。
下関戦争には日本と外国の全面戦争になってしまう可能性もあったのだというのが、この本の主なテーマだと思いますが、
注目すべきは戦争を避けるために幕府がいかに頑張ったかということでしょうね。最近は幕府の役割が再評価されてきていますが、実際戦争を避けるために幕府が行った外交は優秀だったと言っていいと思いますね。
逆に外国から見て嫌な存在だったのが当然攘夷派で、外国は幕府に攘夷派の取締りをずっと要求してるんですね。
しかし、幕府には攘夷派を抑えられるだけの力がなかった。それどころか朝廷まで攘夷派だったから、譲歩して横浜鎖港の要求を外国に出してたりします。
その鎖港要求もあったし、長州藩の外国船砲撃もあったしで、下関戦争は全面戦争になる可能性もあったというわけで、イギリスは仮に幕府とも戦うことになった時の為の計画もちゃんと考えていたようです。
ただ、イギリス側も下関戦争が全面戦争になるのは避けたかった。全面戦争になってもなんの利益も得られないという計算がイギリスにはあったようで、
結果的に長州藩を倒しただけで自由貿易を続けることができたのでイギリスはそれ以上の戦争を望まなかったということですね。

とりあえずこの本を読んで思ったのは、幕府や外国は実に現実的な考え方をしているということで、攘夷派の方が非現実的なんですよね。
しかし、その非現実派だったはずの攘夷派によって幕府は倒され、その攘夷派が外国と同じ砲艦外交を行っていくというのも歴史の皮肉でしょうか

171 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/09/23(土) 16:04:21 ID:byLobR8.
1970年に出版された上横手雅敬『日本中世政治史研究』を読んでますけど、
平将門は革命を起こそうとした人民の英雄というような評価が戦後なされていたのに対して、
将門の乱は在地勢力の紛争に過ぎない。将門と対立していた貞盛が将門を叛乱者にしていったんだという評価が既に70年ごろには出ていたんですねぇ

172 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/09/24(日) 10:41:34 ID:byLobR8.
上横手雅敬『日本中世政治史研究』
この本では、やはり守護・地頭が設置されたと考えられる1185年を鎌倉幕府成立の年としていますね。
まぁ、このとき設置されたのは国ごとの国地頭であって、荘園・公領ごとの荘郷地頭ではないという論争もあったようですが、
どちらにせよこの年を幕府成立の年として考えるべきだという説は既に1970年ごろには出てきていたということですな。
ただ、荘郷地頭が置かれたにしても、この地頭が置かれるのは平家方・敵方没収地であって、それ以外のところに地頭が置かれたとは考えられないということのようですが

173 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/09/25(月) 20:45:05 ID:byLobR8.
上横手雅敬さん(1931年生まれ)は、大学時代マルクス主義的な史的唯物論に違和感みたいなものを感じ、研究的にも無条件に武家政権を賛美すべきではないという考え方の人だったようですね。
承久の乱についての研究はなかなか面白くて、頼朝は公武融和的な考え方で3代将軍実朝はその継承者みたいなものだった。
一方で、実質的に権力を握った北条氏が自分たちの政治を成り立たせるためには御家人達の権利を保護する以外になかった。ましてや朝廷が権利の保護者となるようなことはあってはならなかった。
だから、北条氏と朝廷との融和は成り立つわけはなく、実朝の死などをきっかけとして承久の乱が起こった。しかしこの乱は後鳥羽院が前もって用意していたようなものではなかったから朝廷軍は幕府軍の敵ではなかった。
それでも、乱で滅亡したのはあくまでも後鳥羽院と一部の貴族だけで、外の貴族は影響を受けていないし、西国に地頭が設置されたのも数が増えただけで質的に変化があったわけではない。
むしろ数が増えたことで地頭の非法も増えたので、幕府は地頭の非法を抑止しなければならなかった。
鎌倉幕府は荘園制を破壊するようなことはしなかったんだという研究は面白いなと思いましたね

174 P4 :2017/09/30(土) 06:52:19 ID:gVk8kjHE
■お父さんが教える優しいサイエンス

2001年著なので情報的には古いけど、結構面白かった。
例えば
・水に含まれているカルキ。カルキ臭を消すためには沸騰させればいいが、沸騰させるとトリハロメタン(発がん物質)が発生するし、CO2が蒸発して清涼感が無くなる。
・軟水は含まれてるミネラル(CA/NA/MG/K)の量が少ないが、硬水はミネラルの量が多いけど下痢しやすい。
・河川や海を汚す油は、流した量を20万倍の量の水で薄めないと魚は住めなくなる。また、生活排水(N2/P)は海や河川を富栄養化して、植物プランクトンを爆発的に増加させ、水中の酸素を奪い、これまた」魚が住めなくなる。

・魚には硬い背骨を持つ「硬骨魚類(タイ・サバ)」と柔らかい背骨の「軟骨魚類(サメ・エイ)」がある。魚の生臭さは古くなり細菌が多くなったことにより発生する「トリメチルアミン」が原因で赤身魚より白身魚に多い。これは塩や酢で防げる。
・赤身魚は色素タンパク質の含有量が多く、酸素を多く体に取り入れることができ、疲れにくい。主に回遊魚(マグロ・サケ)・(クジラも持っている)。白身魚(タイ・スズキ)は疲れやすく、深い所であまり移動しない。
・背の青い赤身魚にはDHA・EPAが多く、これは血液サラサラ効果がある。頭もよくなるという噂も。

・渋柿は「ジブオール」が原因で、アルコールと温度を上げて柿に呼吸をさせてCO2と反応させることで「渋抜き」ができる。ただし80度以上の温度で熱すると再び渋柿に戻る。
・農薬を使わない栽培には「緑肥(豆と一緒に植える)」「合鴨農法(鴨を水田に放つ)」「不耕起栽培(放置する)」。化学肥料の代わりに「窒素固定細菌による豊土化」「雷によるN2の固定化」などの研究も。

この他にも「海を汚す漁法」「花粉症について」「地球温暖化」「ダイオキシン」「日本人の病気の原因について」「細胞のアポトーシスと癌」「材木について」「紫外線」「寄生虫」「免疫システム」「エイズ」「風邪・インフルエンザ」「口蹄疫」や「簡単な物理(仕事量・浮力など」「地震について」などなど書いてあります。
科学に興味のある子供にとっての入門の入門程度だけど、きっかけにはなると思います。もちろん大人が読んでも十分に面白いし暇つぶしになると思います。ただし、情報が古い(2001年著)から最新事情は自分で調べましょうw

175 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/10/07(土) 10:42:13 ID:byLobR8.
この本もまさに今こそ読むべきかなと思い福永文夫『日本占領史』を読みました。
文字通り、日本がアメリカに占領されていた時期のことについて論じた本なのですが、単純にアメリカに一方的に政策を押し付けられたという先入観を排し、日本本土とは違う戦後史を歩まされた沖縄のことについても触れていくという点がこの本の特徴でしょうか。

アメリカが民主化・非軍事化推進から転換して日本を反共の砦にしようとしたことは有名ですが、それも単純にそうなったわけではなく当初の路線を進めようとしたマッカーサーと政策転換・日本の再軍備化を進めようとしたアメリカ政府との対立もあったようですね。
ちなみにフィリピンとオーストラリアは日本の再軍備化に強烈に反対していたようですね。
吉田茂の自由党は最保守として見られていたようですが、吉田自身は経済優先のために再軍備化に反対し、そのために社会党の支援を求めたりもしていたようです。吉田自身は社会党が嫌いだったようですが。
ただ、公職追放から復帰してきた鳩山一郎らが自由党に戻ってくると改憲・軍備化を進めようとする勢力が同時に自由党内に存在するということになっていくわけですね。
民主党(改進党)は再軍備化には賛成だったようですが、経済政策的には資本主義を絶対視せず社会主義的な政策も必要だという考え方だったようで、芦田均は社会党を共産党の側に行かせてはいけないという考えだったようです。
そしてその社会党は右派と左派では考え方が大分違う点もあったようで、特に右派はほぼ保守という立場だったようですね。実はGHQが一番中道として期待していたのは社会党だったようです。
ただ、右派と左派は対立と分裂を何度か行い、最終的には右派の中心人物の1人だった西尾末広が民社党をつくるというところまでいきますね。
共産党に関しては政党として禁止される可能性もあったようですが、とりあえずは所感派が追放されるという形になったようですね。

あとがきで著者は、6年8ヶ月ばかりの占領で日本・日本人が駄目になったという考え方こそ自虐史観ではないかと書いているのですが、これは全くその通りだと思いますね

176 P4 :2017/10/10(火) 18:48:10 ID:gVk8kjHE
■筋トレが最強のソリューション(ソリューションとは解決策の事です)

ふと、本屋で見咎めて、立ち読みしていたら、内容が馬鹿馬鹿しくて笑えて楽しかったので投稿。
某漫画の「猫好きのマフィアのボス」のような作者キャラから笑ったわ。
笑えるけど本に書いてあることは多少大げさだけど、大体は合ってます。
実は昔、筋トレやっていて、同じようなことを思いました。筋トレ続けてると心が広くなるというか、妙な自信がついて、世界なんて何時でも取れるような気分になれます。

ストレスや悩みも吹き飛ぶのも合ってますし、少々のストレスやダメージなど蚊に刺されたくらいになりますw何かに悩んでいる人、鬱気味の人には医者に行くのもいいけど、この本に書いてあることを読んで実践してみてはいかがでしょうか。

ただ、スポーツするならラグビーやアメフトを・・・は無理!そこは同意できませんでしたw筋トレは体と心の薬になることは確かだと思います。無理はいけないけどね。

凄く、ラノベより読みやすい(早読みの人なら1時間ぐらいで読んでしまうだろうなあ)で笑える文章なので、お暇があったらどうぞ。なんかいっぱい同じ人の筋トレシリーズ本があるようですね。

177 せき :2017/10/22(日) 18:50:55 ID:cOCjBrdw
ゾルタクスゼイアンの事はSiriに聞いてはいけない

検索してはいけないワード → bit.ly/2kJFRlx

178 P4 :2017/10/22(日) 21:51:32 ID:gVk8kjHE
とある本読んでいたら、勘違いに気付く。

例えば、「袖振り合うも他生の縁(絆を大切にしましょう)」を「多少の縁」とずっと思っていたり、
「ああ言えばこう言う(他人の意見を素直に聞かず、いちいち理屈をつけて言い返すこと」が実はことわざだったって事や
「南無三」は本当は「南無三宝(仏に救いを求めること)」で一か八か賭ける時の常套句だと思っていたり、
「美人薄命」は本当は「佳人薄命(美人または立派な人は幸薄く短命である)」で女性の美人以外にも使うとか、
その他に「大盤振る舞い」は「椀飯振舞」っても書くらしい。
多分まだ勘違いして使ったり覚えたりした言葉がありそうだw

あまり実生活に役立たない無駄知識だけど、話のタネにはなるね。

179 なかよし :2017/10/24(火) 18:56:06 ID:cOCjBrdw
〇ウルトラマンジード
一種の胎内回帰みたいなもんか
ベリアル男だけど

検索で見られる ⇒ bit.ly/2kJFRlx

180 園田英 :2017/10/25(水) 00:28:43 ID:b/RTQnPw
>>178P4さん
その手のネタだと
・情けは人の為”のみ”ならず
人に情けかければ巡り巡って自分に返ってくる。
決して情けをかけて甘やかす事はその人の為にはならないと言うような意味ではない

…そしてこういう勘違いはするなはよく聞くが実際にこういう勘違いを見たことは無い
ついでにギブ&テイクでもない。見返りを期待するモンじゃないんだkら

・健全なる精神は健全なる肉体に宿れ”かし”
本来は健全なる肉体に健全ある肉体が宿れば「良いのにねえ(けど実際は)」
と言う皮肉を込めた言葉

体だけ上部で精神面がアレな人ほど好んで誤訳します

・天上天下唯我独尊
天の上にも天の下にも我(自分)というにおは唯独り。だから尊いのだ
という仏様のありがたい言葉

もう一般どころか商業でも誤訳氾濫。これが仏の言葉だと言うと
「え、仏様ってこんな恥ずかしい製革してるの(ププ)」
と反応する奴多数


後は爆笑とか破天荒とかかな

181 ぺんぼー :2017/10/25(水) 22:27:22 ID:b2JT5ebk
個人的には、言葉の誤用は
誤用している人が多数派になれば
誤用じゃない認定をしてあげてもいいんじゃないかと思いますなー

極論であるのを承知で申し上げますと
言葉の変化ダメ絶対、というのは
類人猿のようにウッホウッホで話さなきゃ、というのと大して変わらない気が

でも敬語の使い方には気を付けよう!

182 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/10/25(水) 22:38:22 ID:byLobR8.
まぁ言葉の意味なんて100年前と今じゃ大分変わってますからね。
「正しい言葉」っていうのは絶対的なものじゃないですから

183 園田英 :2017/10/26(木) 00:12:55 ID:b/RTQnPw
>>181べんぼーさん
実際に誤用の方が正しい方より多数になり
正しい方が逆に誤用扱いされて駆逐されたってのもあるらしいです

自分も爆笑x笑うの更に上の表現→○”大勢で”笑う事
だと知ってもとても笑えることは爆笑と表現しますし

184 うふふ :2017/10/26(木) 00:58:57 ID:w61nDR9.
「ブタもおだてりゃ木にのぼる」が諺じゃなかったと知った時の衝撃

185 P4 :2017/10/26(木) 02:34:14 ID:gVk8kjHE
ことわざや漢字や熟語の勉強をすると良く仏教用語に突き当たるなあ。
深い所で仏教と漢字は繋がってるのかなあ。

あと、健全なる精神は健全なる肉体に宿れかし”は元ネタはローマの詩人でしたか。
でも今は多分、健全な肉体には健全な精神が育つ的な意味で使っていいと思いますよ。

実際、体が健康的な方が性格いい人が多い気がします。病人や不健康な人で性格の良い人、気持ちいい人、爽やかな人にあまり会ったことはありませんし、まずは精神(こころ)も健康が基本。
少々お馬鹿(人に迷惑を掛ける馬鹿は除外)の方が斜めった人ひねくれ者より好かれますし、素直で正直馬鹿の方が話していて気持ちがいいものです(あくまでも持論)。
「衣食足りて礼節を知る」ってのも人間の本質(嫌な面だけど)をついてるなあって思います。

それに、体を丈夫にする体を鍛える健康を維持するってのはそれなりに辛くて苦労や努力がいるものです。それらが健康な精神の育成に結構影響を与えてる気がします。


あと「豚もおだてりゃ・・」の元ネタはアニメの「ヤッターマン」ギャグですねw

186 幻獣ハンター :2017/10/29(日) 01:52:51 ID:mdR/LWI6
>>184-185
念のためですが「豚もおだてりゃ木にのぼる」はヤッターマン由来じゃないですよ。
元々地方にあった諺(というより言い回し)がヤッターマンで全国区になっただけです。
少なくとも自分はヤッターマン以前に聞いた事がありました。
しかしタイムボカン由来の「能ある豚は鼻隠す」をどういう意味ですか?と知恵袋で聴いているのも
衝撃だったがそれにもっともらしい回答(フランスの諺だと)をしている人がいて驚いた。
民明書房じゃないけど、あれ信じる人いるぞ。そして何十年か後には広辞苑に・・・
聞くなら「空からブタが降ってくる」を作詞した山本正之に聞くがよろしい。

187 園田英 :2017/10/29(日) 19:59:18 ID:b/RTQnPw
ジャンプならこれがあったな
汚名挽回 
キン肉マン(ガチ)
アイシル
「汚名を挽回されても困るんだがな」
「ええと…名誉返上で頑張るッス!」
「おい、誰かその猿に日本語教えてやれ」

188 園田英 :2017/10/29(日) 20:14:12 ID:b/RTQnPw
さて閑話休題(意訳;寄り道してるから本題戻ろう)

・人狼城の恐怖
犯人は恐らくアレ。と言うかアレしか考えられない
ただしそれを否定する展開あり

トリックの方は恐らく使うと読者に馬鹿にされるアレ…
しかし言外に「そのトリックは使用不能です」と言われてる

第一部第二部通して読むとおぼろ気に上記の問題点をどうしたか分かるが
それをやるには文字通りの”物理的障害”がある

と言うのを4部解決編で見事に解決します。いやあ壮大すぎて金田一にパクられるわけですよ
(金田一では○○を参考にしたとかありましたが)

只第一部ドイツ編、第二部フランス編で城に招かれた人物の共通点は?って謎の答えに
名探偵が「それはあまりに大きすぎて逆に盲点となった」偉そうに言った答えが

「彼らは皆ドイツ人(フランス人)だったのです」

は一寸…。それつまりドイツ(フランス)人なら誰でも良かったって事だし(実際そうだった)
日本の連続殺人モノで「被害者の共通点は全員日本人だ」とかほざいたら
かませ警察にすら「はいはい帰りましょうねえw」扱いされると思うぞ

189 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/10/29(日) 20:39:29 ID:byLobR8.
川添昭二『北条時宗』を読みました。
江戸時代から賞賛され、特に幕末以降はずっと賞賛され続けた時宗についての本ですね。
実際、元(モンゴル)軍を撃退した時の指導者だったわけで、その点での功績は大きいですが、時宗以降に得宗(北条氏嫡流)独裁専制体制が確立していったようですね。
あと、元の使者を無視したり切ったりしたのは元からすればめちゃくちゃだったわけで、さらにいえば元(モンゴル)軍とはいえ実質は高麗軍だったり南宋軍で士気も低かったので暴風がなかったとしても日本は勝てたんじゃないかと、この本を読んでたら思いましたね。
それにしても時宗のお兄さんの時輔かわいそう

190 園田英 :2017/10/30(月) 22:41:07 ID:b/RTQnPw
ああアレを忘れるとは
追記
ドイツ編ではロンギヌスの槍の探索もあり「その本質を考えなければ分からない」言われてたが
…第3部か第4部で詐欺グループの名前だけ主犯の髭親父処刑したとある小隊長さんのグチ話が載ってたが
これが一応ヒントらしかったがあれだけじゃ
「作者さん散々キリスト教作中で使ったくせに盛大にディスるなあ」としか思えないって
(前に使ったのも「先代神父はキリスト教よりも仏教が優れてるから改宗した。
それがこの修道院の最大の秘密だ!」だったが)

後「”妖精のように可憐””頼りな気なおどおど顔”…これは同じ表現です」
もどこがだ!?と突っ込みたい(とりあえず作者に表現能力が低い事は分かった)
どこぞのバッドマンとダースベイダーは似てるから誤魔化せると同レベルじゃねーか
(これの場合、聞き役が「そんな似てるの?」と問い突っ込み役が「気になるならウチでビデオ借りてください」
言ってるので分かってやってますが)

191 P4 :2017/11/02(木) 19:08:35 ID:gVk8kjHE
あれはヤッターマンのギャグじゃなかったんだ・・

教えてくれてありがとうございます。

192 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/12/03(日) 12:36:42 ID:mMM/Egmk
峰岸純夫『新田義貞』を読みました。
この本では、新田義貞は実直な東国武士が鎌倉幕府を滅ぼしてしまったために中央政界に躍り出ざるを得なくなり、足利尊氏とも対立してあっけなく死んでしまったという評価のようですね。
幕府を滅ぼしたのも、尊皇心があったとかそんな話では当然無く、北条氏先生の鎌倉幕府がいると新田家は守護になることはできなかったところに幕府の徴税の仕方に不満をもったということが大きな要因だったようですね。
面白かったのは、あまりにあっ気なく死んだので、太平記では悲劇性を盛り上げるために義貞の遺族の話を書いているというところかな

193 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/12/03(日) 18:05:21 ID:mMM/Egmk
井上智勝『吉田神道の四百年』という本も読みました。
明治時代まで神道界のトップに居続けた吉田家について論じた本です。
吉田家は戦国時代以降、勢力を強くしていくのですがその理由は、もののけ姫じゃないですがそれぐらいから人間が自然や宗教儀礼に手を加え出したからのようです。
というのも、人間がそういったものに手を出しても大丈夫だという理屈を考えたり神に対してお札や称号を与えたりする役割を吉田家が担っていたからのようです。
ただ、吉田家を有名氏にするために伊勢の御神体が自分達のところにやってきたということを言っていたので伊勢からは嫌われ続けていくことになるのですが。
吉田家は神をつくることも行っていたようで、秀吉も吉田家がいなければ神にはなれなかったようです。
家康に関しては仏教の説がだいぶ取り入れられてしまって吉田家としては面目を潰されたようですが、神職者を統括する役割を幕府から与えられて江戸時代においても神道界のトップにいるはずでした。
ただ、吉田家がそのような役割を担わされたことに不満をもつ神職者は伊瀬をはじめとして数多く、そのような神職者たちは吉田家の神道の考え方がいかに間違っているかを主張するようになります。
また、吉田家に対抗する存在としてかつぎされたのが白川家で、吉田家と白川家は勢力争いをはじめていきます。
吉田家が神職専門者だけを配下にしていたのに対し、白川家は神職専門ではないものまで神職者として配下にしていたようですが、吉田家も勢力争いのためにそうせざるを得なくなっていくようです。
そして近代へのつながりでいうと、幕府は仏教は統制下におくことはできたけれど実は神道に関してはそれができていない。
あくまでも神道は朝廷につながるものだった。しかも白川家が神職者をどんどん増やしたので結果的に明治時代になってから朝廷につながる神職者がすごい増えていたということになるようですね

194 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/12/09(土) 12:33:17 ID:mMM/Egmk
藤田達生編『小牧・長久手の戦いの構造』を読んでいます。まだ途中ですがなかなか面白いですね。
内容的には本能寺の変前後から始まっていますけど、まず足利義昭は信長の傀儡ではないという視点の本のようですね。
さらに言えば、義昭追放後も将軍の権威は無くなったわけではない。近年、本能寺の変は義昭と光秀が通じていたことから起こったと言われていますけど、これは妥当な見解かもしれませんね。
ちなみに光秀は農民に殺されますが、落ち武者狩りというのはむしろ勝者側が村を動員して行わせていたんだという考え方になってきているようですね。
そして義昭の権威が一気に落ちたのは賤ヶ岳の戦いのようです。というのも義昭が通じていた柴田勝家が負けてしまった。さらに義昭と通じていた毛利家が意思統一できず何も出来なかったということが大きかったようです。

話としてはここから小牧・長久手になっていくんですけど、小牧・長久手は天下分け目の戦いだったのだというのがこの本の視点のようです。
というのも、家康は軍勢的には明らかに劣っていたので色々な勢力に応援を要請していた。それに対して秀吉も色々な勢力に応援を要請した。
だから結果的には小牧・長久手の戦いは、小牧・長久手だけで戦闘が行われていたわけではなく、色々な所で家康方か秀吉方に分かれて戦っていた。
そういう意味で、天下分け目の戦いと呼ぶにふさわしい戦いだったようですね。

195 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/12/25(月) 21:51:23 ID:mMM/Egmk
沢山美果子『江戸の乳と子ども』を読みました。
人類が存続するためには子どもを当然育てなければいけませんが、子どもを育てるには当然乳が必要になる。
では江戸時代ではどのように乳が子どもに与えられていたのかを史料から明らかにしている一冊です。

結論から言えば、母親が母乳で子どもを育てるという考え方は実に近代的な考え方で大正時代に日本では当然の考え方になったようですね。
江戸時代では、必ずしも母親の母乳で子どもを育てていたわけではなく、乳の売買が行われていたわけです。
ただ、自分が生きていくためにお金を貰って他人の子どもに乳を与えた結果、自分の子どもを死なせていた母親というのもいたようで、それだけ江戸時代は生きていくのに大変な時代でもあったという事なんですね。

196 感想下記 :2017/12/30(土) 00:17:10 ID:3ILS2jFg
北欧神話と伝説 ヴィルヘルム・グレンベック 山室静 訳

神話関係が気になり北欧神話というものはどういうものかというのを上の本で勉強してみました。

北欧神話はエッダとサガというものに分かれています
エッダはオーディンとかロキとかいう日本でも割とメジャーな神様が登場するやつです
サガはいまでいうデンマークとかスウェーデンとかにいた英雄の話がメインです

サガはまったく知識がない状態で読んだのですが結構エグい話が多いです
子殺し近親相姦レイプとか当然の権利のごとく出現します
文章が緻密じゃないので淡々としていますが割とオイオイそれでいいのかと突っ込みたくなる話です

特にアレだったのがこの本の中にあったウォルスング家の物語
ウォルスング家の伝説をまとめて作ったものとのこと
ちなみにニーベルンゲンの歌もウォルスング家の伝説をもとに作ったとのことで兄弟みたいなものやろ(こなみ)

シグムンドとシグニイという男女の双子がいるのだがこいつらがヤバイ
彼らの親は王様だったのが敵国に滅ぼされシグムンド、シグニイ以外の兄弟含め親族は全部殺されちゃうのだ
そしてシグニイちゃんは敵国の王妃になる、シグムンド君は森の奥で隠れて雌伏するのだった

ただこのシグニイちゃんがやばい、敵国の王と自分の間に産んだ子供を殺しちゃったり
大好きなシグムンドお兄ちゃんのとこに変装して会いに行ってセッ○ル、子供作って育てちゃう
(ちなみに生まれた子は割と長い間シグムンドお兄ちゃんの子であるということを隠していました)

とかなり凄いキャラである、作中自分の子供を躊躇なく殺しまくっているのだがナンダコイツ!?とツッコまざるをえない
まあ敵国の王との子供だから愛情がなかったのかもしれないがいや…いくらなんでも…といいたい

ただ最期は敵国の王はシグムンドにぶっ殺されるのだがあんなに不義を重ねて憎んでいたのに
「長く連れ添ったのでそいつと一緒に死にます!」
といいはじめる…女心はわからん

またシグムンドは色々あってシグルドという子供を生むのだが
この子はニーベルンゲンの歌でいうジークに相当、ドラゴンを倒したりとつよいやつである
が、こいつの活躍が霞むぐらい強力なキャラが登場

そいつの名はブリュンヒルド!
これがまたヤバイ女である

シグルドがドラゴンを倒した後にとある城に立ち寄るのだがそこで倒れていた女性にあう
彼女の名はブリュンヒルド、オーディン神に使える戦女神だったのだが
国を勝たせる戦女神の仕事をミスって負ける予定の国を勝たせてしまった
そのせいで戦女神を首になってしまいさらに夫のいうことに従うようオーディンに決められてしまった
なので彼女は自分はすっごい勇敢な人と結婚するからいいもん!と誓いを立てていた

そこにシグルドが来たので一目惚れ、婚約してふたりはそれぞれの国に帰る(なんでそれぞれの国いったのかはよくわからん)
でそのあと色々あってブリュンヒルドはかぐや姫のごとく自分の夫選びのために無理難題を出し結婚相手を探しているのだが
そこにあらわれたのがグンナールという王族とそいつの妹のグドルンと既婚者になったシグルドなのであった(昔の約束なにそれおいしいの?)
で無理難題をシグルドに解かせてグンナールとブリュンヒルドが結婚する流れになる

結婚後のブリュンヒルドはかなり問題児で無理難題をグンナールが解いてないことが判明すると
「マジグンナールはクソ、シグルドみたいな英雄がよかったのになんでこいつと結婚するハメになったんだよ!」
みたいなこと言い出してグンナールを刺し殺そうとしたり
「グンナールには一生塩対応確定」
とか言い出したり
そうかと思えば
「自分を忘れて結婚したシグルドはマジクソ。おい、グンナールこいつを自分の親族の中に混じらせとくと害になるから殺したほうがいいよ」
などとけしかけてくる
この結果グンナールは間者をつかってシグルドを殺すのだが殺したあとにブリュンヒルドはグンナールに対して
「義兄弟になったシグルドを殺したグンナールはクソ」
とか言い出す(いやけしかけたのあんたやないかい!)
さらにさらにシグルドが火葬されるとき自分も一緒に死んで火葬されてついていくとかいいはじめる
その際にも「私と一緒に死にたい人いませんかー」などと召使いに言い出したり…

ちょっと面倒くさすぎませんかねぇ…この子
こんな個性的なキャラが出る北欧神話は面白いと思いました。
同じような名前がでてきてわかりづらかったりするとこもありますが結構サクサクと読めます。

197 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/01/27(土) 15:28:04 ID:6LiIbOJg
ジェンダーの歴史もちゃんと学んだほうがいいかなと思ったので『新体系日本史9 ジェンダー史』(2014年)を読み始めました。

西野悠紀子「原始社会とジェンダー」
 日本列島が大陸と陸続きであった更新世末期、食料資源の確保が第一の課題であり、役割の多様化が進んでいたかは疑問
 縄文時代になると分業意識が出現してきたとされる。人口維持のためには15歳前後から30代前半のあいだに平均8回、2年に1度の割合で出産することが必要だった
 土偶は女性の姿をしているが、集団秩序の回復・維持・発展のために女性の力が必要とされていた
 一方、男性性器の姿をした石棒は集団に侵入してくる悪を防ぐ役割があったとされている→一種の役割分担意識
 1980年代以後、古墳被葬者の性別を再検討する作業が進み、男性とされていた被葬者のなかに女性が存在することが明らかになってきた
 →前期古墳の時代までは女性首長は例外ではなかった。弥生時代後期から古墳時代前期、首長は男女を問わず存在し、性別に関わらず祭祀は首長の重要な任務だった
 古墳時代中期以降になると、女性首長の数が急速に低下する→朝鮮半島への軍の派遣。軍事、特に騎馬軍団から女性が排除されたとみられる
 日本の場合、父系で家を継承しているように見えて、事実上女系で継承するという例が古代から近代まで続く
 朝鮮半島経由で最新技術が到来すると女性の多くはそこから排除され、男女分業体制が形成されていく
 しかし、高度な技術は支配者層に独占されていたから、地方の民衆社会まで高度な生産技術から女性を排除するのには時間がかかった

198 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/01/28(日) 12:20:00 ID:6LiIbOJg
服藤早苗「「家」の成立とジェンダー」
 中世は長い時間をかけて、家が形成され変容していく時代。政治的地位や財産が父―男子に継承される家が成立するとジェンダー構造は差別的になっていく
 平安初期、天皇家で母方親族を外、父方親族を内とする祭祀が始まり、男性優位のジェンダーが構築される。ただ、系譜や血統意識から母系が確実に排除されるのは院政期
 平安期に理念的には父系直系皇統家筋への祖先祭祀が成立。上級貴族でも父系直系家筋が他を圧倒していく(摂関家)
 ただ、女子を媒介にした縁戚関係、女子の出産による天皇家縁戚の生成などによって家筋は安定化されており、女性の有用価値は高かった
 平安中期、農民層でも未熟ながら家父長制的家族が萌芽している。世襲的な家は未成立
 10世紀前期、貴族層ではいまだ当事者同士の意志で性愛関係が開始されていた。10世紀中頃になると両親が結婚の決定を行うようになる
 妻方同居が確実に始まるのは10世紀後半で、それまでは夫はどの妻とも別居している
 12世紀頃まで田畠は男女が均分に近く相続していた。ただし、女性は官職に就任できなかったから相続した財産を用いて経営を行うことは制限されていた
 院政期になると母の出自が問題にならなくなってくる。天皇の父である上皇が天皇家の家長として権力を掌握する父系的家父長権成立
 武士層では、基本的に男性優位相続。ただ、武家層では妻の財産は妻自身が知行した。14世紀になると嫡子単独相続が強まっていく
 院政期、公家・武家・一般民衆層まで夫優位の家父長制家族がほぼ成立
 11世紀中頃の貴族層の妻に対する3つの役割→父母の財力・家治能力・性能力。院政期、性能力は遊女・白拍子に期待されるようになり、蔑視イデオロギーも萌芽する
 農民層では、男性は年貢を生み出す田地の耕作責任負担者で、女性は私的所有性の強い屋敷畠を耕作する
 天皇は男女を問わなかったが、8世紀後期の称徳天皇を最後として女性の皇位継承は終焉する。しかし、摂関期は女性は国母(天皇の母)として政治上からは排除されていない
 貴族層では、男児には官職上昇を期待し、女児には天皇と結婚することが期待された
 10世紀後半以降、貴族層は一夫一婦制になり、同居の妻以外は妾となる。10世紀中頃には密通が成立している。妻の夫以外の男性との性関係は許容されなくなった
 10世紀以降、強姦史料もでてくる。男色史料もこの時期から。夫は多くの妻妾をもち、遊女を買い、同性との性愛も積極的に展開していた
 10世紀前後から明確に遊女が登場する
 女性老人は地主神にはなれなかった。地主神はすべて男性老人。また、鬼婆はいても鬼爺はいない→家父長制的家の成立
 老人女性には否定的なイメージの説話が多い
 10世紀以降、夫を亡くした妻は後家と呼ばれ出家することもあるが、男性が妻死後に出家したりするようなことはない
 商業では、決して男女が対等ではなかったが、他の社会よりは女性も経営権を得ることが出来た
 漢字は男手とされ、仮名は女手とされた→仮名は考え感じたことを理論化しそのまま文章表現できることができた→女性による平安文学
 鎌倉後期、女性作家による文芸作品は姿を消した→公的な場からの女性たちの退場を象徴
 女性による芸能は買売春と深く関わり残っていかなかった。田楽・猿楽が能として男性の伝統芸能として現代まで残っているのとは対照的

199 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/01/29(月) 19:26:49 ID:6LiIbOJg
大口勇次郎「近世のジェンダー」
 近世の女性は、古代・中世と比べて、歴史の表舞台に立つことが少ない
 近世は秀吉の軍事的な全国制覇から始まったが、武家の家督は男性が独占し、武士がつかさどる政治の分野から女性は排除された
 一方で、庶民の家が成立した近世では、家の経営が重視され、女性も経営に参与するために経済性・合理性を身につけることが必要だった
 近世農家の女性の地位は低かった。女性が家督を継ぐことは無かった。男性がいなくなり女性が当主になっても前当主の男性との関係が帳面に記された

200 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/01/30(火) 17:25:04 ID:6LiIbOJg
大口勇次郎「幕末のジェンダー」
 江戸後期、豪農の息子は遊学の機会を与えられ、娘は奉公に出された後近隣の農家に嫁がされた。女性は寺子屋で学んだ後、学ぶ道は閉ざされていた
 お蔭詣りでは、女たちも家の縛りを振りほどいて伊勢へ向かっている。女性の男装は処罰の対象だったが、お蔭踊りでは男女の衣装の交換が行われている
 戊辰戦争において少なからぬ役割を果たしたのが和宮など江戸城大奥の女性たちだった。和宮は京都との接触をはかることに力をつくしている
 出島に住む外国人商館員が相手にできる女性は遊女か、遊女の鑑札を受けた名付遊女(一般女性を遊女ということにする)に制限されていた
 →出生した子どもは性別に関わりなく日本人になり出国することは許されない。家族を形成することは許されなかった
 開国後、外国人居留地がつくられると遊郭が設けられた。要求すれば居留地でも名付遊女が派遣された
 外国から要求されると幕府は、妻子の本国連れ帰りを自由とした
 1872年、マリア・ルス号事件。日本が、横浜に入港したペルーのマリア・ルス号の船長を奴隷売買の罪で有罪とした
 →イギリス人弁護士は、遊女も人身売買であって日本が奴隷売買を告発することは出来ないと主張
 →政府は解放令を出している。一時的に売春宿廃業。しかし、女性本人が契約しているという体裁をとることで売春業を存続させた

201 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/01/31(水) 17:06:11 ID:6LiIbOJg
成田龍一「総力戦とジェンダー」
 20世紀、平塚らいてうなど、男性社会へ挑戦する新しい女の登場→男性たちは揶揄・誹謗、中傷した
 婦人参政権獲得要求の議論は、男性による普通選挙運動の高揚のなかで起ってくる
 20世紀初頭、女性向けの雑誌が刊行される→新中間層家族・核家族向け。女性側がどのような男性を望むかということも記事になる
 →男性も意思を持つ女性を求めるようになる。女性は自らを認め、家庭を重んじる男性を求めた→恋愛の賞揚。男性の側でも自己改革が生み出された→家父長制の拒絶
 20世紀初頭、消費社会形成→男性は生産、女性は消費→性別役割分担
 1936年、安倍定事件→男性を思い続ける女性愛を阿部にみようとしたところに男性の欲望が投影されている
 総力戦体制下になっていくと女性の動員も実施され、女性の側もそれに積極的に呼応した。総力戦体制では下位におかれているものを上位にあげるという幻想が振りまかれる
 →左派の女性たちも積極的に参加。反資本主義・反共産主義で社会民主主義とも違う路線。国家への貢献、国家社会主義
 戦闘は男性、銃後は女性という役割分担。女性は男性の論理に参加すること、男性に従うことが求められた→ジェンダー秩序はかわっていない
 戦闘に直面した女性は、従軍看護婦、従軍慰安婦、従軍作家
 敗戦後の引き揚げの経験→日本人が被害者として自らの経験を語るようになる。一方で、夫不在の植民地で敗戦を迎えた女性の解放感もあった
 敗戦後、平和の担い手として女性が利用される→女性が利用されるという点では戦時と戦後はかわらない
 戦後の女性雑誌の特徴→女性が男性を論じる。しかし、ジェンダー秩序を変更することはできていない。性別役割分担も問題化されていない
 占領期、日本政府によって特殊慰安施設協会(RAA)が設置される→占領軍向け慰安婦

202 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/02/01(木) 17:09:28 ID:6LiIbOJg
吉澤夏子「消費社会とジェンダー」
 1955年以降、日本の前近代的な風景は急速に消えつつあった。60年代の高度経済成長期、日本人は単純な価値観を共有していた
 →経済成長がいつまでも続き、子どもたちのほうが楽で豊かな生活を享受できる。男性は社員として、女性は主婦として働き、家族をつくることが当たり前
 →近代家族の成立。情緒的絆を基盤とする性別役割分業のシステム。主婦の大衆化、核家族化
 ロマンティック・ラヴ・イデオロギー→女性は一生に一度愛する人とめぐりあう。女性の幸福は結婚して母となること→女性たちは男なみの生き方を理想としなかった
 戦後の家族は、家族というものは、こういうふうでなくてはならないという枠を押しつけた。家族の戦後体制(落合恵美子)
 しかし、主婦になることに抗う動きもあった。55年から65年の10年間で大学へ進学する女性は2倍半に増加した
 →しかし、女子労働を補助労働としてのみ必要とする日本経済、根強い男尊女卑思想が存在し、女性が進学や就職を望んだとしても阻まれた
 純潔主義→女性は結婚するまでは処女でいなければならない→女性にだけ厳しい性規範。60年代までは性=隠微なものというメッセージが伝えられた→純潔主義の肯定
 →69年から71年にかけて、処女喪失の物語として女性の意思が重要視されるようになる→処女をいつどのように捨てるのかが関心事となった
 →処女は守るものから、自分の意志で捨てるものとなった。処女性という価値に関心が失われた。70年代前半、ロマンティック・ラヴ・イデオロギー崩壊の兆し
 ウーマン・リブ運動は、男社会にまともに受け入れられず、からかいや揶揄の対象となった
 連合赤軍の男たちは、かわいい女を求め評価する一方、女らしい振舞いを瑣末でくだらない少女趣味だと糾弾した
 →連合赤軍の女性のなかで唯一、男社会の論理の側に立ち、総括に加担した永田洋子。永田の心の葛藤は、当時の女性の状況の反映だった
 ウーマン・リブ運動は賛否両論の意見を呼び起こしたが、あからさまな性差別的言動は差し控えるべきだという社会的な了解がえられる程度にまでは主張の正当性が認められた
 80年代には、多くの女性たちに主婦という役割に枠づけられることへの不満が芽生えた。子どもたちの社会問題の原因はすべて母親にあるという議論が当時あった
 77年、テレビドラマ「岸辺のアルバム」→壊れるはずがないと信じてきた家族がいとも簡単に崩れ去っていく姿。近代家族の抱える矛盾はすでに隠しようもなかった
 →ドラマの母親はなぜ不倫をしたか→家族は誰も彼女をみていなかったが、不倫相手は彼女を1人の女性としてみていたという簡単な理由
 →主婦の日常には誰かとまともな会話をする機会すらほとんどないという事実を明らかにした→主婦の日常が幸福だとは思われなくなった
 ドラマでの父と娘の価値観のずれ→レイプされ妊娠中絶し負け組の高校教師と付き合う娘を批判する父と、自分はこれで幸せだと主張する娘
 77年に創刊した『クロワッサン』は近代家族向けに創刊されたがまったく売れず、翌年モデルチェンジし、女の自立をテーマにするようになると支持をえた
 →『クロワッサン』は専業主婦が外に出ることの罪悪感を払拭した。主婦となった団塊世代の女性たちに考えなおすきっかけをあたえた

203 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/02/01(木) 17:10:09 ID:6LiIbOJg
吉澤夏子「消費社会とジェンダー(続)」
 86年、男女雇用機会均等法が施行されるが、近代家族を単位とする社会制度に固執し、性別役割分担の規範を維持しようとする力は依然として強かった
 88年、アグネス論争→職場に託児所を求めるアグネスと子どもを連れて仕事に行くのは恵まれた女性の甘えだとする林真理子
 →母親の権利を要求するアグネスと男社会を肯定する林という対立構図としてとらえられたが、むしろアグネスの言動の方が男性優位社会を前提にしている
 →林が問題にしたのは、アグネスの子連れ出勤を美化し、祭りあげ権威づけようとした社会の仕組み。女性のなかにも優位に立つもの、劣位にあるものという差別がある
 95年以降、それまでに比べると人びとは結婚しなくなり、子どもを産まなくなった。典型的な近代家族を営もうとする時代は過ぎ去り、結婚が女性の幸福だとは思わなくなった
 現代社会では、主婦は強制されてなるもの、屈辱と忍耐のなかで家事労働をするものと考える女性たちはどれくらいいるか
 →みずから選択して主婦となるのだとみなし、選択の結果に責任をおうべきと考えているのでは。現代社会において、主婦になることは1つの選択肢である
 性の商品化は男性による性的搾取、性差別の現象として告発されてきた。しかし、現代の性の商品化で他者の強要は介在しない
 →お金という空疎な実体を介在させて、交感の対等な相手として承認されている。そこで承認されているのは女性としての価値
 →性の商品化に身をおくという選択的な行為によってはじめて私が私であることができるという現代社会
 現代社会では、ロマンティック・ラヴは虚構として理想化されている。現実にできない純愛を虚構で代替している
 あえて専業主婦を選ぶのは、主婦になることが幸福であるという神話を虚構と知りつつ、それでもなお、その虚構に賭ける生き方を選択することを意味している
 2004年、負け犬論争→30代、未婚、子なしの女性が負け犬だとみなす伝統的な価値観があるということを認識したうえで、みずから選択した生き方を肯定する

204 Q5 :2018/02/15(木) 17:51:46 ID:gVk8kjHE
健康に関する本を読んで、気になった事をふたつ。

・免疫力をつけるには、体を温めること。シャワーよりゆっくり湯船に浸かる事。(自分は風呂派なので大丈夫。)
・芋は熱すると発がん物質を生じる。ファストフード店のフライドポテトを食べるときは癌になる覚悟をして食べろ。(ヒエー!俺毎日、芋を熱して食べてるぞー、まあ、フライドポテトは食べてな・・ポテトチップも駄目なのかなあ。)

と言うことで、芋(低コストで調理しやすいからいっぱい買ってる)はどうすりゃいいのよ!w

205 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/03/20(火) 08:39:56 ID:jYkYEvMY
松永久秀の実像に迫る本が出るようですね

ttp://www.heibonsha.co.jp/book/b356715.html

206 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/07(土) 15:42:56 ID:u3TFDYPk
朝鮮半島が大きく動きそうな気配もありますが、2011年の「韓国併合」100年に出されていた『「韓国併合」100年を問う』を読んでみようと思いました。

宮嶋博史「日本史認識のパラダイム転換のために」
 儒教モデル:儒教=朱子学を理念として掲げ、理念の実現を目指す国家、社会体制(科挙)→東アジアの諸国家は儒教モデルの受容を推進したが、日本のみが同調しなかった
 徳川期の儒者たちは、日本は封建制の社会であるととらえ、郡県制である同時代の中国より理想的な社会であると認識していた
 →しかし日本の儒者たちは、中国や朝鮮の政治体制が儒教モデルであったということには無関心だった
 明治維新以降、儒教は克服されるものとなり、脱亜が目指された→儒教は遅れたものとみなされた
 戦後日本歴史学の日本封建制論:日本は西欧的な封建制であり、だから近代化が可能だったという説。儒教は後進性を象徴するものとされた
 →いまだに儒教は遅れたものだとする考えもあるが、それを克服しようとする動きもある


儒教の評価は色々とありますが、実は近代的な考え方と変わらない要素があるということは言われるようになってきてますね。
まぁこの考え方も「近代」を評価基準にしてしまっていますが、儒教が本当に遅れたものなのか?という問いは必要でしょうね

207 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/08(日) 12:20:08 ID:u3TFDYPk
小川原宏幸「伊藤博文の韓国統治と朝鮮社会」
 伊藤博文の韓国併合構想は、自治植民地に類似した形式で韓国を日本に編入しようとするもの
 伊藤が韓国の漸進的併合構想を選んだのは、日本財政の負担とならないよう韓国の財政自立を優先したから。また、支配の同意を朝鮮社会から得ようとしていた
 伊藤は、支配の同意を近代文明化を推し進め、韓国皇帝の権威を利用することで獲得しようとした
 都市知識人を中心に行われた韓国の愛国啓蒙運動は日本の侵略に妥協的な側面をもっていた→最たるものが一進会。伊藤の唱える自治論に取り込まれた
 義兵闘争はそうではなかった。義兵闘争の反日の論理は、儒教的文明観→忠愛と信義を果たさない日本を批判する→伊藤は義兵闘争には武力弾圧
 義兵闘争は、韓国皇帝からの使節にも反日義兵闘争を呼びかけた→義兵は皇帝に政治的正当性を認めつつも、義兵こそが社会正義を代弁しているとしていた
 民衆の反発も義兵に共鳴・合流。ただ、民衆の反日運動は生活防衛的な動機→生活基盤を破壊するものとして日本の支配が実感されると抵抗感が強まる
 伊藤による韓国皇帝南北巡幸→愛国啓蒙団体の幹部クラスは、伊藤の民心帰服策に取り込まれた→しかし、朝鮮社会に影響を与えることはなかった
 →巡幸は日常生活を営む民衆にとっては迷惑な出来事でもあった。また、皇帝存続の危機を招来するものと理解する民衆も多くいた
 →皇帝権威を利用しようとする伊藤の意図は、裏目に出た→皇帝が日本に利用されていることが可視化された

208 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/09(月) 18:58:16 ID:u3TFDYPk
趙景達「武断政治と朝鮮民衆」
 武断政治は、絶大な権力を誇る総督と厳烈な憲兵警察によって、苛酷に遂行された。総督は、軍事・司法・行政・立法を掌握
 警察署長や憲兵隊長は、微罪については刑罰を即決する裁判業務を担っていた
 王朝時代は、移住や流浪、訴願はありふれていた→武断政治下では禁止・制限された
 憲兵は恐怖の対象ではあったが、官僚・両班支配に喘いでいた民衆にとっては、秩序維持の象徴でもあった
 農民は規律化を強いる総督府に苦しめられたが、直接的には、重税と賦役の負担となって襲いかかった
 王朝時代は温情主義も機能していたが、総督府は個人的事情を考慮しない徴税システムを持ち込んだ
 社会は訴訟文化に代わったが、朝鮮人と日本人の間で公平な裁判が行われたかは疑わしい→異議申し立ての文化を否定された朝鮮民衆→三・一運動で爆発

209 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/10(火) 18:47:41 ID:u3TFDYPk
岡本真希子「植民地期の政治史を描く視角について」
 植民地政権と接触をもち、参加・参入をした人々→官僚になるという選択肢。朝鮮では朝鮮人官僚がいたが、台湾では台湾人はほとんど採用されなかった
 →台湾では、エリートたちは弁護士や医師になった
 議員になるという選択肢→これも台湾ではほぼ不可能。朝鮮では、なれる人となれない人との間に亀裂
 戦時期、朝鮮人の権利・義務関係の平等化、処遇改善が行われたが、この恩恵に浴したのは、農民たちではない
 →朝鮮総督府・本国政府は下からの突き上げに対して応答を試みたが、その相手は多大な犠牲を払う農民たちではなかった→朝鮮人間の亀裂を深める

210 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/11(水) 18:55:34 ID:u3TFDYPk
須田努「江戸時代 民衆の朝鮮・朝鮮人観」
 朝鮮通信使は、大坂・京都に立ち寄ることが決められており、大坂・京都では異国人に対する関心が高まっていた→近松門左衛門などによる朝鮮を題材とした浄瑠璃作品
 近松の『本朝三国志』→日本の武将たちの圧倒的な武力、残虐さ。従属する朝鮮王と殺されていく朝鮮王の家臣
 →征服された朝鮮、日本に服属した朝鮮王という歴史認識、朝鮮観
 18世紀後半期、日本に滅ぼされ、恨みを持つ朝鮮人という話がテンプレートになる(天竺徳兵衛というキャラクター)

211 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/12(木) 18:54:38 ID:u3TFDYPk
山田昭次「今日における関東大震災時朝鮮人虐殺の国家責任と民衆責任」
 1923年9月1日、関東大震災。夕方には早くも警察官が朝鮮人暴動の誤認情報を流している→内務省警保局長後藤文夫が、朝鮮人が暴動を起こしたと認定(9月2日?)
 →誤認情報の信憑性が強められた
 9月5日、官憲は朝鮮人暴動の確証を全くもっていなかったが、誤認を認めれば国家責任になる→証拠が発見できなければ、捏造も辞さない方針に
 10月2日、司法省は一部の朝鮮人の暴動の存在を主張→しかし、調査書には名前すら不明の者が書かれ、軽犯罪ばかりである
 朝鮮人を虐殺した者の検挙方針→虐殺は誤認情報によるものだから、厳しく検挙しない。警察署にいた朝鮮人を襲撃したものは厳しく検挙する
 裁判では、執行猶予になった者が多い。最高の刑罰でも懲役3年余。一方で、警察署を襲撃した者、日本人を誤殺した者で最高の刑罰は懲役5年以上で実刑率も高かった

212 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/13(金) 18:45:41 ID:u3TFDYPk
板垣竜太「日韓会談反対運動と植民地支配責任論」
 日朝協会の日韓会談反対運動→日韓台軍事同盟結成反対というもので大衆的な運動にはほど遠い
 安保国民会議が日韓会談粉砕を掲げたのは1962年3月→日韓会談を日米新安保の一環と位置づけた
 日本朝鮮研究所(朝研)発足→寺尾五郎は、日朝協会などの運動は朝鮮総連の考えが強すぎることから朝研をつくった
 寺尾は、日本人の手による日本人の立場での日朝友好を目指した
 朝研は、日韓会談を日・韓・台軍事同盟をつくるための仕上げだと位置づけ、日本が韓国に経済進出すると日本国民の首切り・賃下げが進むとした
 朝研は、日本と朝鮮の関係のあと始末をきれいにする必要性も説いた→植民地支配責任論

213 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/15(日) 22:40:21 ID:u3TFDYPk
池内敏『竹島』を読みました。竹島に関する日韓両国の主張を歴史学的に考察している一冊です。

まず、韓国が主張する「歴史的文献に現れる于山島は竹島である」という主張が成り立たないことを実証し、それを根拠にして竹島が韓国領であると主張することはできないとしています。
次に、日本が主張する「17世紀なかばには竹島の領有権を確立していた」とする主張も成り立たないことを実証しています。寛永2年(1625)の竹島渡海免許は鬱陵島への渡海免許でしかないからです。
さらにいえば、元禄竹島渡海禁止令(1696年)で、竹島(鬱陵島)渡海の歴史は一旦幕を閉じています。
もっといえば、明治10年の太政官の指示では、竹島は日本の版図外であるとされています。
江戸時代の地図を使って竹島が日本領であることを説明しようとする意見もありますが、地図はあくまでも補助史料であり、地図を使って竹島が日本領であったかどうかなどを説明することはできないと明言もされています。
1905年に竹島が日本領に編入されると、竹島経営は鬱陵島の日本人漁業者の一部が独占しました。そして日本人に雇用された朝鮮人が実際に竹島へ行って漁業活動を行っていたようです。
戦後、鬱陵島の日本人が日本へ引き揚げると、鬱陵島の朝鮮人が主体的に竹島へ行くようになったという流れがあるようです。
戦後、一旦竹島は日本の操業区域から除外されますが、サンフランシスコ条約で除外は無くなります。
しかし、韓国は占領維持を開始して日韓両政府は議論を棚上げしたまま現在に至るということのようです。

著者の池田さんは、竹島に関する日韓両国の前近代史部分の主張は意味が無いものであり、重要なのは1895年から1905年までの約10年間だけだとしています。
実は、当時の日本政府も竹島は韓国領かもしれないと考えていたが、日露戦争・韓国植民地化を進めていく中で竹島の編入を一方的に行った。その点が重要であり、それをどう考えるのかということが竹島問題にとって重要なことなのでしょう。

214 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/04/15(日) 22:46:28 ID:u3TFDYPk
一番上の部分が若干分かりにくくなっているかもしれないので補足。
于山島を根拠にして竹島が韓国領であると主張することはできないという意味であって、
于山島を否定すれば韓国の主張を全て否定できるということではないです。

215 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/06/23(土) 16:40:49 ID:/XJTTU3k
朝鮮半島が色々と動いているので国立歴史民俗博物館編『「韓国併合」100年を問う』を読んでいる。気になった論文をちょっとまとめてみる。

具仙姫「1880〜90年代における朝清朝貢関係の性格」
 朝鮮が日本と締結した日朝修好条約(江華島条約)は、表面的には独立国同士で結ばれる条約だった
 →伝統的に受け継がれてきた朝鮮と清の朝貢関係、日本との近代国際法的関係という性格の異なる国際関係が併存
 1882年8月、朝清商民水陸貿易章程→前文で朝鮮が清の属邦であることを明文化。朝鮮は、単に朝貢関係の再確認だと考えていた
 →しかし清の李鴻章は、伝統的朝貢関係の属邦概念を、近代の属国概念へと変質させようとしていた
 朝清商民水陸貿易章程は不平等条約→朝鮮の市場は外国の商人に解放。清の船が朝鮮の港を警備・防衛するなど→朝鮮と清の伝統的朝貢関係は実質的に瓦解
 清と日本はロシアの南下を危惧していた→日本の井上馨は、ソウルに駐在する清の代表として有能な人物を要求→1885年10月、袁世凱を派遣
 袁世凱は朝鮮に対し、清との関係を以前のように維持すれば富国自強できるが、そむけば滅びると言った
 朝鮮に対する清の圧迫が強まると、朝鮮政府は反清政策を推進→朝鮮政府は袁世凱の召還を李鴻章に要請
 →朝鮮の高宗は、李鴻章は伝来的な朝貢体制のもとで朝鮮政策を推進し、袁世凱は李鴻章の朝鮮政策にそむいていると誤認していた
 1890年、朝鮮の大王大妃死去の際、清の勅使を拒絶しようとしたが清の強圧で失敗に終わる
 清は朝鮮が清以外の国から募債することを阻止、清が直接朝鮮に借款を貸与した→朝鮮は清への経済的隷属状態に→清のやり方は近代植民地のやり方
 清は朝貢関係で貫徹していた属邦関係を利用して朝鮮を近代国際法的な属国にしようとしていた。日本は属邦問題を取り上げた→日清戦争のきっかけ
 日清戦争後、朝鮮を近代植民地にしようとした清に対して朝鮮は、対等なレベルでの条約締結を要求→1899年、清と対等に韓清通商条約を締結
 日清講和条約で朝鮮と清の朝貢関係が撤廃されたというのは、清と日本の間でのはなし。朝鮮からすれば、1882年の朝清商民水陸貿易章程で朝貢関係は瓦解している
 朝鮮と清の対等関係が実現したのも日清講和条約ではなく1899年の韓清通商条

朝貢関係での属邦と近代的な属国は違うというのは最近では色々な本でも出てきているけれど、ここを理解できていないと近代以降期の外交関係はトンチンカンになっちゃうんだよね

216 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/06/24(日) 12:19:15 ID:/XJTTU3k
松尾尊兊「大日本主義か小日本主義か」
 韓国併合直後の大正政変期に小日本主義は顕在化する→日露戦争後の経済不況の中で帝国主義の放棄を主張→第一次世界大戦がおこったことで、小日本主義はおさまっていった
 原敬首相は朝鮮議会の設置を排除し、内地延長主義をとった→日本本土同様な制度を布くことで同化を行う→一方で朝鮮総督府内部から朝鮮議会設置構想が主張される
 →構想された朝鮮議会は自治機関ではなく、新たな日本の統治機関にすぎなかったが、それでもまともに議論されなかった
 『東洋経済』の石橋湛山は、一切の植民地と勢力範囲の放棄を主張していた→大日本主義による支配は日本経済に貢献しない、むしろ戦争を招くおそれがあると主張
 →早く捨てる方が、被圧迫民族の支持が集まり、経済・国防の安全が確保されるとも主張していた
 三浦銕太郎は、韓国併合を日本の罪悪と認め、朝鮮独立の意義を強調

今回の銀英伝じゃないですが、占領地域の支配を行うにはそれだけ経済や資源が必要になるわけで、
むやみやたらに拡大していくのは危険なんですよね

217 修都 ◆7VC/HIVqJE :2018/06/25(月) 18:42:02 ID:/XJTTU3k
内海愛子「日本は植民地支配をどう清算したのか」
 2010年に成立したシベリア特措法案では、シベリアに抑留された韓国人たちは給付金支給から排除されている
 1948年12月、生き残った朝鮮人シベリア抑留者2300人(シベリアに抑留されていた朝鮮人は7700〜1万人と推定されている)は北朝鮮に送還された
 →そこからさらに38度線をこえて南に戻った人は約500人→韓国ではスパイと疑われ拷問を受けた者もいた
 東京裁判で植民地支配の責任は問われなかった。BC級戦犯裁判では戦犯になった朝鮮人(148人)もいたが、日本の援護措置からは排除されてきた
 捕虜収容所の事務、監視などの業務は朝鮮人が担っていた→BC級戦犯裁判では、捕虜虐待が徹底的に追及された
 →BC級戦犯になった朝鮮人はスガモプリズンに送られたが、ほとんどの人はそれが初めての日本であり、釈放で見ず知らずの地に放り出された
 戦犯になった朝鮮人や遺族たちは韓国でも親日派と罵倒されてきた。韓国政府が戦犯も被害者だと認定したのは2006年


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