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少年ジャンプ博物館への投稿スレッド

1学帽野郎@管理人:2004/08/15(日) 23:28 ID:Wk1O6quw
1996年から2000年までのコメントを募集しています。
このスレッドへ書き込みいただければページの方へアップさせていただきますので宜しくお願いします。

http://web.poporo.net/home/davidbowie/1996/1996jump.htm
http://web.poporo.net/home/davidbowie/1997/1997jump.htm
http://web.poporo.net/home/davidbowie/1998/1998jump.htm
http://web.poporo.net/home/davidbowie/1999/1999jump.htm
http://web.poporo.net/home/davidbowie/2000/2000jump.htm

17岩瀬:2004/08/25(水) 19:08 ID:oXVOCc/.
2000年春頃を。23号から鳥山先生の「SANDLAND」が。24号から、いとうみきおの「ノルマンディーひみつ倶楽部」がスタート。「SANDLAND」は最初からラストが決定した状態で始めた為、安心して読めました。「ノルマンディー」はあまりにもオタク向け過ぎて個人的には大嫌いだったのだが、何故か一部の読者に支持されて1年近く続く事となった。はっきり言って当時の僕には拷問でしかなかった。

18岩瀬:2004/08/26(木) 21:20 ID:Z4FtwXX2
98年秋頃を。鳥山先生のカジカが44号で予定通り12回で終了し、同時期にテンテン君がアニメ化する。一応ある程度はプッシュされていたが視聴率はさっぱりで後にあっさり切られたのが切なかった。ビデオ化すらされなかったし。そしてベースボーイズが51号で18回打ち切りとなる。題材がルーキーズと被ってる時点でダメだと思ったけど見切りが早すぎる気がしたものです。

19岩瀬:2004/08/27(金) 17:43 ID:rdZku.dk
98年初頭を。前年にマガジンに部数で抜かれたショックから立ち直れない状態でスタートした98年。新年1号から新連載画ーROWがスタートするも人気がふるわず9回打ち切り。2・3合併号でこち亀が1050回突破でおなじみの人情話を展開。そして、この頃から大幅な改革が始まり8号で真島が、9号でマキバオーが改革の煽りを受けて無残に打ち切りとなった。マキバオーはまだ増刊号で真の最終回をやらせてもらったから救いがあったが、真島はあまりにもひどかった。聞く所によると新展開に入った直後に「後3回で終われ」と言われた為だったとか。あんまりだ。

20岩瀬:2004/08/28(土) 19:29 ID:EiS1cd42
99年夏頃を。31号から34号まで新連載攻勢が始まる。つの丸の「サバイビー」はギャグ一切無しのシリアスな展開で面白かったのだが、読者の反応はイマイチであっという間に打ち切り。「テニスの王子様」はテニスなめた描写が全開で個人的には嫌いだったが、キャラが美形だったのが女性読者に受けて看板となる。「チャイルドラゴン」は内容がかったるすぎて失敗。「ゾンビパウダー」は少々パンチが弱く失敗してしまった。4作始めて1作だけ残るというのは結果的にバランスが悪い気がした。

21岩瀬:2004/08/29(日) 11:35 ID:9KFRUiSc
98年の10号以降を。10号から14号まで新連載が多数スタート。10号からはベテラン森田まさのりの「ルーキーズ」、11号からは、原作・円陣、作画しんがぎんコンビの「少年探偵Q」、12号からは読みきりで好評だった「河童レボリューション」、13号からは「るろうに剣心」のアシスタントだった樋口さんの「ホイッスル!」そして14号からは大御所の冨樫の「ハンター×ハンター」だ。「少年探偵Q」と「河童レボリューション」は力が足りず打ち切りとなるが、残り3本は根づよい支持があり見事に90年代後半から2000年代のジャンプを支える柱となる。そして15号で鳥山先生の「COWA!」が14回であっさり終了。今回は前作ドラゴンボールほどの執拗なまでの編集部からの延命指令がなかったぶん、安心して終れて本当に良かったと思った物だ。

22岩瀬:2004/08/30(月) 20:17 ID:e7ARoRgE
97年の春頃を。19号から21号まで新連載攻勢に入るが桂さん以外は見事に失敗してしまう。そして22・23合併号から32号までの10週の間に十数年ぶりにジャンプ愛読者賞リーダーズカップが開催。10人の作家が読みきりを描き1位の人が賞金と取材旅行が出来るという特典があり、最終的に鳥山先生が1位を取る事となる。この時の読みきりは一部の作家の作品以外は全て単行本未収録である。

23岩瀬:2004/08/31(火) 20:42 ID:IjufE.Gw
99年の春頃を。22・23合併号で鳥山先生の読みきりが掲載。本来のほのぼの路線であっさり読める安定感が良かった。そして24号で「ぬーべー」がセンターカラーで6年の連載にピリオドを打つ。若干急ぎすぎの感じもしたが看板ではなく中堅クラスの作品なら妥当でしょうね。そして27号で「ライジングインパクト」が連載再開。これは前回の唐突な打ち切りに苦情が殺到した為復活させたらしいのだが、それなら何故最初からきちんとアンケート出さなかったんでしょうかね?最初から出してれば切られなかっただろうに終わってから文句出すのは筋違いじゃないかな?と疑問に思ったものです。

24岩瀬:2004/09/01(水) 19:31 ID:ad5DI8ck
97年の10号前後を。10号で9年間続いた「ろくでなしブルース」に終焉が訪れる。自分がジャンプを購入し始めた時期に既に始まっており、そのままずっと読みつづけていたので正直脱力したが、当時自分も高校卒業の時期だったので作中の卒業式のシーンは涙ものだった。そして最終回では数年後に話が飛び前田が宿命のライバル原田とのタイトルマッチに挑んで終わる。最後まで余韻を残して有終の美を飾ってくれた。そして入れ替わりに11号から「花咲か天使テンテン君」が12号から「仏ゾーン」がスタートする。「テンテン君」は低年齢読者の支持を得て長期連載となるが、「仏ゾーン」は熱烈でマニアックな応援はあったがアンケートはイマイチで19回で消える事となった。

25岩瀬:2004/09/02(木) 19:36 ID:3hwW6AWk
98年の所を少し。21号のこち亀で新キャラ磯鷲早矢が登場。今までに無い和風美人キャラとして個性を発揮し当時の読者には受け入れてもらえたが旧来からのファンは拒絶反応を起こし、こち亀から少しずつ離れていってしまった。同じ頃にジャンプのイベントで「ハンター×ハンター」、「世紀末リーダー伝たけし!」、「ワンピース」のアニメ化が決定。当時何気なくハガキを出してみたら幸運にも当選して名古屋会場まで観に行く事が出来ました。ジャンプのイベントに参加したのは初めてだったので非常に興奮したものです。

26岩瀬:2004/09/03(金) 18:16 ID:uyUB1tRI
少し遡って90年の所を。15号からのこち亀でメインキャラのメモリアルシリーズが4週にわたって描かれる。生い立ちから警官になるまでのエピソードが明かされて面白かったが、3回目の両さんメモリアルの巻でいきなり最終回に・・・と思ったらエイプリルフールにあわせた偽最終回だったので読者から苦情が殺到した。ちなみに4回目の本田メモリアルは本田が平凡すぎてエピソードがないので2分の1ページで終了(笑)。この年は他にも秋本プロが「アトリエびーだま」に名義変更して税金対策をしたり、悪名高い能無しアシスタントSAGAXが加入したりコミックス累計部数がドラゴンボールと並んで5000万部突破して45号で3ページの特集が組まれる、など色んな意味で見所満載な年でした。

27岩瀬:2004/09/04(土) 17:32 ID:pC8d3dVs
2000年秋頃を。47号で4年間続いた封神演義に終了が訪れる。当初からのオタク臭さが少し鼻についていた為、あまり好きではなかった作品であるが円満な終わり方をしてくれたので安心したものだ。入れ替わりで新連載が3本スタートするが、尾玉なみえの「純情パイン」は毒が強すぎて打ち切り。ガモウの「バカバカしいの!」はタイトル通りの馬鹿馬鹿しい内容の為あえなく玉砕。そして少年誌初登場の新鋭・河下水希の「りりむキッス」はかわいらしい絵柄とわかりやすいストーリー展開でそこそこヒットしたのであった。

28岩瀬:2004/09/04(土) 20:47 ID:xgMWxcDw
96年の項目を。11号から問題作・幕張がスタート。当初はマニアックな芸能界ネタが売りだったが、後半からジャンプ編集部の内幕暴露的な楽屋落ちネタが中心になり一部で話題に。個人的に衝撃だったのがドラゴンボールの最後の担当だった武田さんが目薬を使って、出来ちゃった結婚したというネタでした。そして12号から岩田康照の神光援団紳士録がスタートするが内容がかったる過ぎて17回で終わった。なお作者は後にヤングサンデーに移籍して卓球漫画・球魂を発表して人気作家となる。13号では冒頭でアニメ・ドラゴンボールGT放送記念の企画ページが組まれ鳥山先生の1ページ漫画も掲載。(無論、単行本未収録)この漫画の中で「わたしのなかのドラゴンボールは、もうとっくに終わってます」という鳥山先生のコメントが色んな意味で衝撃でした。

29岩瀬:2004/09/05(日) 07:12 ID:JFSSa1p.
2000年春頃を。12号からぬーベーコンビの新作「ツリッキーズピン太郎」がスタート。これはぬーベー連載末期の頃に増刊号に執筆した同名読み切りを連載にしたものだが主人公のデザインを若干変更して変化をつけている。だがヒット作の次は当たらないという法則で2クールで撃沈した。13号からは「身海魚」の作者・田中加奈子の「三獣士」が始まる。これはよくある西遊記テイストの作品だが田中の作品は連載だとコケる法則の為やっぱり打ち切り。そして14号で今や「ミスフル」で生き恥をさらしている鈴木信也の読み切りビリヤード漫画が掲載。デビュー当時の「鉄条」の頃はまだ見込みがあったが、この頃はもう才能が枯渇しており見るに耐えなかった。しかし、そんな僕の感想とは裏腹に鈴木は1年後に野球冒涜漫画「ミスフル」の連載を始めて結果的に中堅作家に成長する事となる。

30岩瀬:2004/09/05(日) 18:11 ID:f1FJoEfY
92年の春頃を。10号のドラゴンボールで遂にピッコロと神様が同化し最強の超ナメック星人となる。そして11号から究極生命体セルが出現。本来、人造人間編は最初の19号・20号を倒して終了予定だったが、彼らが登場した直後に元担当のマシリトが鳥山先生に「やっと敵が出たと思ったらじじいとデブじゃないですか」と抗議電話してきた為、仕方なく16・17・18号を登場させたら、また電話してきて「何だ、今度はガキですか」とイヤミを言った為より明確な敵を出そうという事で登場したわけだ。ただ、絵的に寂しいので入れた体の斑点が作画の際に大いに邪魔になって作者だけでなく、アニメスタッフも苦労する事になった。そして強く設定しすぎてしまった為倒す方法がわからず非常に難儀したキャラだったようです。

31岩瀬:2004/09/05(日) 20:22 ID:QS2hJcRU
93年の項目を。17号のドラゴンボールで遂に邪悪の化身・セルが倒される。当初は作者にも倒す方法が全く浮かばなかったらしいが、ようやく終盤になって思いつき最高に面白い演出で締めてくれました。その後トランクスが未来に帰り、自分の世界の人造人間達を倒し、21・22合併号でこちらの時代のセルも返り討ちにして未来に平和を取り戻す。作中に頻繁に「終わり」という言葉が出ているので今度こそ連載にピリオドを打つつもりだったようだが例によって延長される。まあ、この当時はジャンプ創刊25周年記念のイベント・ジャンプマルチワールドの開催が決定していたので看板のドラゴンボールに抜けられては困るという事だったようだが、ここまで格好よく終わらせた作品をまだやらせるの?と当時は気の毒に思った。そして、この頃からドラゴンボールが終わったらジャンプは終わりだな、と漠然とした予感がしてました。

32Amen.:2004/09/06(月) 15:26 ID:YNvO6mV2
96年の項目を。
32号に問題作「ドルヒラ」がスタート。
内容は、相撲部だか柔道部のエースであった高校一年生の主人公が、
現役のプロの人に稽古をつけてもらう事になったのだが
その時偶然居合わせた水泳部のヒロインに一目ぼれ。引き止めるプロと監督を投げ飛ばして
水泳部に入部するという身もふたも無い漫画でした。
あまりの評判の悪さに作者が短期で連載を投げてだしてしまい、
チーフアシがそのまま連載を続けざるを得なかったそうです。
その次の号に「心理捜査官 草薙葵」が連載開始。作者の月島薫はあまりに「幕張」で
自分のマンガが茶化されていることに腹を立て、幕張の作者に似た人物を
自分の作品の中で殺してしまったという事件もありました。
結局、この作品は25週で打ち切られてしまいました。

33岩瀬:2004/09/06(月) 21:11 ID:ptndx1EI
94年の所を。28号のドラゴンボールで悟空が遂に究極の変身・超サイヤ人3を披露する。全体的なパワーだけでなく、眉毛が消えたのが印象的(笑)ちなみに連載終了後に刊行されたドラゴンボール大全集でのラフスケッチでは最初から眉毛が無い設定だったようだ。そして31号で新しいパワーアップ方法としてフュージョンが登場。これは体格もパワーも殆ど同じ2人だけが出来る合体技であり、基本的にはピッコロがフリーザ編やセル編で見せた同化や融合のアイデアの焼き直しとも言えるが、面白く見せられれば良いので気にしなかった。このフュージョンというアイデアは元々は作者の友人の桂正和先生が「超サイヤ人よりも強いパワーアップ方法が無い」と悩んでいた作者に「合体させるしかないんじゃないんですか?」と何気なくアドバイスしたのがきっかけで誕生したらしい。ようするに偶然の産物だったわけだ。恐ろしい話である。

34岩瀬:2004/09/07(火) 18:41 ID:XWIijz9M
91年の後半を。50号で約7年間連載されてきた「シティーハンター」が終わる。どうも編集部と上手くコミュニケーションが取れていなかったのが原因だったようだがイマイチ唐突に終わった印象がぬぐえなかった。その為かコミックスでは30ページほど描き足してフォローしている。この年は長期連載がボロボロ終わり非常に寂しい思いがした。そして、この頃から80年代からの読者が少しずつ離れ始める。残っている人も当然いたが最早ドラゴンボールを初めとする80年代からの作品目当てで惰性で買っていた人が大半だったようです。

35岩瀬:2004/09/08(水) 22:31 ID:dPoz/OL6
93年の項目を。46号で変態仮面がいきなり打ち切り。3週前に連載1周年記念巻頭カラーをやって人気があるのかと思ったのに、いきなりの打ち切りにびっくりでした。なおコミックスではページが全然足りずに最後の6巻に大幅な加筆がされました。

36岩瀬:2004/09/09(木) 20:37 ID:fMgeU2Rg
99年の所を。45号のこち亀に新キャラ擬宝珠纏が登場。このキャラは両さんと対等にやりあえるライバルキャラとして登場したのだが、作者が入れ込みすぎて必要以上に活躍してしまい対照的に主役の両さんがへたれ化してしまい急激に内容がレベルダウンしてしまった。今でもこの辺りの話はコミックス持ってても読み返す気になれません。

37岩瀬:2004/09/10(金) 19:13 ID:wDPKTRWQ
88年の秋頃を。ドラゴンボールが最初のピークとも言うべきピッコロVS孫悟空の決着がつき第1部完となる。本当はこの時点で悟空が地上最強になった事でネタが切れたので作者は終わるつもりだったのだが、編集部から続投指令が下り泣く泣くサイヤ人編へと続ける事になった。理不尽だとは思うが、この頃は部数が500万部突破間近だったのと「キャプテン翼」と「北斗の拳」が終了して少し苦しい状態だった為、仕方なかったんでしょうな。リアルタイムで読んだ時は繋げ方が自然に感じられたのだがコミックスや完全版で読み返すと、やや不自然に見えるから不思議。

38岩瀬:2004/09/12(日) 17:02 ID:x.sVmGu.
89年の所を。22号で「ついでにとんちんかん」が唐突に終了。連載でまともに読んだのがたったの半年だったが非常に好きな作品だったので残念でした。入れ替わりで23号から打ち切り帝王次原の「隼人18番勝負」が24号からゆでたまごの「スクラップ三太夫」が始まるが2作とも力が足りず早期打ち切りになった。ドラゴンボールはサイヤ人達との激闘で地球人戦士が次々と倒されピッコロまでもが死にドラゴンボールが消滅。悟飯の最悪のピンチに遂に悟空が到着し益々バトルが加熱する所であった。そして25号で何故か「こち亀」が珍しく巻頭カラーを飾っていた。何で?

39岩瀬:2004/09/19(日) 18:47 ID:v6IdJ2Q.
95年の所を。21・22合併号で原哲夫の最後の連載「猛き龍星」がスタート。かなり「男一匹ガキ大将」を意識した男っぽい内容であったが、読者にソッポを向かれ26週で終わり。そしてドラゴンボールでは遂に最強の敵・魔人ブウが倒される。誰もが納得できる方法で中々思いつかない方法で見事に幕を下ろす。そして25号で連載が遂に終わる。どれだけ強くなっても慢心せずに、あくまでも強さを追い求める孫悟空の雄姿は感涙ものでした。そして、これによって80年代からの読者達は遂にジャンプを見切る事となったのだった。

40岩瀬:2004/09/25(土) 22:53 ID:tPplrnbo
2000年の所を。36・37合併号で原稿落としの常習犯の「バスタード!!」が遂に追放。せっかく本誌に帰ってきたのに、度々原稿落としたので編集長の怒りが頂点に達したからである。まあ正直当時のジャンプ読者には内容がさっぱりわからなかったから仕方ないでしょうね。

41種沢:2004/09/26(日) 17:00 ID:mKIeLtYU
バスタードは、確か月一で連載するって言ってませんでした?

42岩瀬:2004/09/26(日) 17:47 ID:RnDmtCIw
>41
確かに月一連載とは明記されていたが、それでもなお原稿を落としまくった為厳格なマシリト編集長が激怒して三行半突きつけられたわけです。最初の打ち切りの時点で終わっておくべきでしたね。

43岩瀬:2004/09/30(木) 21:27 ID:SO9tw.L.
91年の所を。15号でのドラゴンボールで悟空が遂に伝説の超サイヤ人に覚醒。その圧倒的な力でフリーザとの激戦は益々ヒートアップ!21・22合併号では表紙ばかりかポスタータイプの扉絵、ド迫力の巻頭カラーで正にドラゴンボールづくしの1冊になった。そして、この頃から前年からスタートした「スラムダンク」と「幽遊白書」が少しづつ看板漫画としての頭角を現しはじめていたのだった。

44岩瀬:2004/10/04(月) 17:53 ID:rMxpB5aI
90年の初め頃を。新年5号でジャンプの部数が530万部突破。それを記念してかドラゴンボールが巻頭カラー&センターカラーの豪華2本立てとなったが、この時は表紙のカットや巻頭のドラゴンクエスト4発売日決定記念の銀はがしゲームの為のイラストの仕事も重なり、ドラゴンボール本編の扉絵は間違い探しという設定の殆ど同じ構図の扉絵になり、本編にも所々ベタの塗り忘れがあったりする。(まあ、ベタの塗り忘れはいつもの事だが)この頃があまりにも多忙だった為か、現在では鳥山先生は漫画を描かない漫画家になってしまった。残念。

45岩瀬:2004/10/06(水) 21:01 ID:L5m0/f5M
89年の所を。33号から成合雄彦のカメレオンジェイルがスタート。作者が北条司のアシスタントだった為か作品の雰囲気が非常にシティーハンターっぽい作品であったが12回であえなく玉砕。しかし、これをバネに成合はその後名前を井上雄彦に改名し翌年スラムダンクで化ける事となる。37号で恒例のドラゴンボールプッシュ。表紙&巻頭カラーそして全作品参加の四コマ漫画企画でトップバッターを務めるなど、すっかり大黒柱に。この37号は他にもドラゴンクエストをベースにしたミニゲーム企画があったり、バスタード!が原稿を落として連載中止にされたり、その穴埋めとして高橋ゆたかの剣客渋井柿の介が連載開始するなど色々と見所満載な号でした。

46岩瀬:2004/10/10(日) 20:35 ID:lhehjUSE
99年の夏頃を。32号の辺りからハンター×ハンターが無期限休載状態に。どうも休暇と同人誌製作の為だったらしいが、そのせいで本編の作画がサインペンの殴り描き状態となったのは許せなかった。やる気ないなら単行本描き下ろしでやってほしかったなあ。

47岩瀬:2004/10/11(月) 14:43 ID:J5NQzODI
94年の秋頃を。キャプテン翼ワールドユース編がこの頃「忍空」共々ジャンプスーパーアニメツアーでアニメ化された為、44・45・46号で3号連続で表紙を飾るという快挙を成し遂げる。その関係で「忍空」も久々に復活するも壊れた作風はまだ直っていなかった。そして壊れたままで6週後の51号から第2部を始めるが明らかに作者がボロボロ状態なのが見え見えで見てて辛かった。そしてドラゴンボールでは魔人ブウVSゴテンクスの戦いがスタート。44号の目次で鳥山先生が「次回から必殺技をバンバン出す予定。楽しみに待っててね」とコメントしており一応期待していた。1週間後確かにバンバン出てはきたが、その殆どはハッタリでした(笑)。

48岩瀬:2004/10/25(月) 21:12 ID:DU4M0tZw
95年の所を。15号から「忍空」が長期休載となる。誌面では作者急病と表記されていたが実際はプレッシャーに作者が耐えられずに逃げ出した、というのが真実だったらしい。この休載は10週続き25号でようやく再開するが既に内容は完膚なきまでに壊れていたのだった・・・。

49けー:2004/10/27(水) 12:03 ID:fOsc6JAM
岩瀬さんの書き込みはすっごい面白いです。とくに「打ち切り帝王・次原」とか、
打ち切り漫画にたいして淡々と評価しながらも作者にとってはイタい所を突いていて、見ててあきません。
これからも面白いコメントを期待しちゃってます。

50岩瀬:2004/10/28(木) 19:41 ID:sUCCpNF.
けーさん激励ありがとうございます。これからも頑張ります。では今回は91年の所を。25号から27号まで新連載が続々とスタート。こせきこうじの「ペナントレースやまだたいちの奇蹟」は絵柄は多少雑だが固定ファンを獲得して長期連載になる。「タイムウォーカー零」は個人的には好きだったが読者の反応は今ひとつで2クールで終わる。そして「ドン・ボルカン」はあえなく1クールで討ち死に。と、言うか同じ時期に野球漫画2本も立ち上げて残ると思ったのかな?

51岩瀬:2004/10/30(土) 18:24 ID:ikgZ2Y86
92年の秋頃を。44号の頃に「幽遊白書」がアニメ化記念特集付きで巻頭カラーとなる。この頃は丁度、暗黒武術会が決勝戦に突入し大盛り上がり。「ドラゴンボール」もいよいよ恐怖のセルゲームが開幕して、やはり大盛り上がり。そして「スラムダンク」も湘北VS海南の試合に突入して非常に興奮した。この頃は正に3枚看板で持っていたというのが実情ではあったが中堅の「ダイの大冒険」もハドラーが超魔生物にパワーアップして盛り上がり、こち亀も48号で連載800回達成して感動の名作「光の球場!の巻」が掲載され感動の渦を巻き起こし、同じ48号で「ろくでなしブルース」が横浜帝拳高校のキャラ渡嘉敷の過去編が掲載され、また感動を呼んだりと脇の漫画も充実していたのだ。特に「ろくでなしブルース」の渡嘉敷の話に出てきた渡嘉敷の恩師・金山先生の「くだらん理由で物事を途中で投げ出すなよ。高校だけはきちんと卒業しろ」というセリフが非常に印象深かった。高校時代はずっと、このセリフを励みにしたものでした・・。

52岩瀬:2004/11/03(水) 19:43 ID:TZp97gpA
96年の所を。7号でこち亀が表紙と巻頭カラー、そして巻頭特集が組まれる。丁度連載が20周年だったのを記念して96年は「亀年」にすると宣言して結構大きなプッシュがされた。個人的には嬉しかったが、こち亀は本来はこういうプッシュをされる作品ではないのでジャンプ本当にやばいんだな、としみじみとしてしまいました。

53岩瀬:2004/11/06(土) 22:58 ID:v7Q4ngZA
94年の所を。新年号で堅実に部数を伸ばす少年ジャンプ。しかし、その伸び具合は一時期よりゆるやかであった。爆発的な伸びでなかった時点で既にこの時期はゴムの伸びきった状態だったのが判る。他に特筆すべき事は鳥山先生が3週間休暇を取った事だ。でも連載は休まず3・4合併号から8号までの4回分を描きだめしたらしい。凄いの一言である。

54岩瀬:2004/11/23(火) 12:33 ID:i4OgqJmM
97年の所を。30号で約4年間続いたラッキーマンに終焉が訪れる。当初はお子様向けギャグ漫画だったのに気が付いたら壮大なストーリー漫画になってたが最後は綺麗に終わりました。31号では秋本先生と小室さんの対談が掲載。少し前にプレイボーイで対談してたので、これが2回目だったらしいがイマイチ読んでるほうに面白さが伝わらなかった。そして、この影響を受けたか、こち亀はさらにつまらなくなっていったのだった。

55けー:2004/12/03(金) 10:42 ID:1BAaGomk
岩瀬さん。95年15号〜24号にかけて連載されていた「元気やでっ」という漫画にあの
打ち切り帝王・次原隆二の名があります。ヤツはナニを担当していたのでしょうか。
なにか知っていることがありましたら教えてください。

56岩瀬:2004/12/03(金) 17:27 ID:CF8i7fAk
>55
確か、この時は次原は原作担当だったと記憶してます。でもやっぱり短期で打ち切り。何を書いても切られるのね、この人は。

57しんたろ:2004/12/05(日) 10:06 ID:z9TnMCKY
ジャンプの新年号で連載作家の全員集合写真をやめた理由は

1998年1号から表紙のデザイナーが替わったから

では?
和月の写真がやばかったのが理由なら'96年新年号いっぱいでやめているだろうし(笑)

現在、表紙デザインをしているバナナグローブスタジオの社長がえのん(ジャンプ放送局の初代担当はマシリト)、
それまで表紙をやっていた福田亮一さんがのちに『コミックバンチ』でアートディレクターを務めているのをみると、派閥抗争の匂いがしますけど。

58岩瀬:2004/12/05(日) 17:41 ID:T3Odq27E
あれ?そうでしたっけ?じゃあ、和月さんの話はデマかな?まあ、いいか(笑)。では今回は95年の秋頃を。41号と42号でSF漫画が2本スタート。41号からの「惑星をつぐ者」は固定ファンが根づよい支持をしてたが力及ばず打ち切り。42号からの「レベルE」は「幽遊白書」以来久々の登場の冨樫がサイコな趣味全開で話を展開し、見事に1年半続く人気作になるのであった。

59けー:2004/12/08(水) 10:36 ID:mcNVWIZs
>>56
お答えありがとうございます。これからもコメント頑張ってください!
「打ち切り帝王」はマジでヒットしました!

60岩瀬:2004/12/18(土) 20:38 ID:Bi9fgBQI
98年の所を。31号から33号まで新連載が次々とスタート。シャーマンキングは自分は正直、苦手な作品だったが前作「仏ゾーン」からの熱烈ファンの応援のおかげで見事に長期連載になる。鳥山先生のカジカは久しぶりのファンタジーアクションで個人的には一番楽しめた傑作であった。そしてベースボーイズは正統派高校野球漫画として作者は気合を入れていたが当初から刺繍が漂っていました。と、言うか「ルーキーズ」が既に人気を得ているのに同じ高校野球漫画で勝負を挑むのは無謀だと気づかなかったんでしょうか?

61岩瀬:2005/01/01(土) 15:12 ID:xWtfhLaw
96年の秋頃を。41号に新人作家・尾田栄一郎の読みきり「ロマンスドーン」が掲載。当時のジャンプが最も注目していた新人だけあって話の密度が濃く見事に1年後に連載に昇格する。42号からは「遊戯王」が連載開始。当初は様々ゲームを題材にした必殺!!仕置き人のような作風だったが、途中からカードゲーム漫画に路線変更。これが見事に大当たりし連載は8年近く続く事になる。

62ルフ:2005/01/19(水) 21:32 ID:Qr3Yk2rY
いやぁ、岩瀬さんの話は分かりやすくて面白いですなぁ
これからもがんばって書いていってください。

63岩瀬:2005/01/20(木) 17:38 ID:msg2N8Bw
ルフさん、ありがとうございます。これからも出来る限り頑張ります。今回は92年の所を。36・37合併号で最後のドラゴンボール2本立てが行なわれる。1本目は完全体に変貌したセルと驚異的なパワーアップを果したトランクスとの戦い。2本目はトランクスを主人公にした外伝ドランクス・ザ・ストーリーだ。特に後者は後にも先にも1回だけの外伝だった為か非常に読み応えがあった。好評だったので半年後にSPアニメ化され高視聴率を獲得したらしい。それとこの時期の新連載では何と言っても車田の「サイレントナイト翔」を挙げねばなるまい。一応連載を始めるにあたって色々と小難しい本を読んだりして気合十分で挑んだのだが結果的に「星矢」の二番煎じになってしまい結局1クールで打ち切り。お怒りの車田先生は最後に「・・・・GOODBYE。」といい残し、その後2度とジャンプには帰ってこなかった・・。

64最強隊長:2005/02/03(木) 22:46:45 ID:LSYDmDWg
91年にセリーグの万年最下位の架空の球団(7位)のチームを舞台にした野球漫画「ドン・ボルカン」「ペナントレースやまだたいちの奇跡」が同時期に連載開始
前者はオールスター戦の先発マウンドに登板する所で打ち切り。
一方の後者はヤクルトとの最終同率ダブルヘッダーでの死闘の末に初優勝を手にする。
2日後からの日本シリーズは西武に1勝4敗で敗北
日本シリーズは1ページで詳細がほとんど飛ばされています。
その後数週間やって終了。

65岩瀬:2005/02/06(日) 12:57:03 ID:tE.V8dMI
95年の所を。新年3.4合併号で最高発行部数の653万部を達成。これは今でも破られていない大記録である。話題の中心はVS豊玉高校との試合が盛り上っていた「スラムダンク」また「ドラゴンボール」も魔人ブウとのファイナルバトルがいよいよラストスパートに突入して大盛り上がり。しかし看板の2つ以外の作品は平均的な人気しか取れず、2枚看板が終わったらジャンプはどうなってしまうのか、という危機感がありました。そして、この悪い予感は後に見事に的中する事になった。

67リン:2005/02/10(木) 11:53:30 ID:qMTP4YZk
 岩瀬さん今のジャンプにはコロコロ・ガンガン化して個性が感じられないですが。
 それに91年以降でジャンプは円熟期に入ったと思う。その後90年代のジャンプ(特に幽遊白書あたり)は、友情・努力・勝利を無視し、ドラゴンボールとらんま2分の1を意識した作品が多く目立つ感じがして、ジャンプの質を下げて言った感じがした。
 ドラゴンボールが連載終了した95年前後低学年向き漫画が目立って来た感じがする。

68棋龍:2005/02/10(木) 14:46:51 ID:wvLF/4kc
漫画が面白くない、魅力がないって言うのは、作者の自身の漫画に対する想いの度合いを示していると思います。
読者に面白いと言わせる漫画を描くにはよく構想を練り、味付けをして、なおかつ作者自身が楽しみ、のめりこみながら描けていなければいけないと私は思います。
魅せる漫画はただ描くのではないということです。
実際難しいのですが、それが出来る人が時に現れ、全ての作品がヒットするわけではありませんが、あるひとつの作品にポンと才覚を表すときがあるのです。
だから漫画は面白いんです。

http://spaces.msn.com/members/kiryu9s15/

69岩瀬:2005/02/11(金) 19:26:12 ID:qyMgmK8A
>67
91年以降は確かにジャンプの質が低下し始めた頃ですからね。そして80年代のような「友情・努力・勝利」のスローガンが通用しなくなったような実感もあったし。ドラゴンボールが終わった95年頃はかなり迷走してましたね。そして96年からマシリトが編集長になってから一気に低年齢向けに方向性がシフトしました。上が抜けちゃったから下の年齢の人達を引き入れるしかなかったのでしょうが正直、当時は読みづらかった。

70リン:2005/02/12(土) 13:19:19 ID:dKxidRLk
>67に続いて

 幽遊白書がジャンプの質を下げて行った感じする。{作者前作のてんで性悪キューピットの延長戦上にマガジンのヤンキー物・らんま2分の1とうしおと虎とドラゴンボールを意識(又はパクリ)している感じ}。
 90年代のジャンプで連載した個性的な作品は短期で打ち切られた感じがした。それに対しドラゴンボール・北斗の拳・聖戦士聖矢などを意識した作品がヒットする。るろうに剣心も幽遊白書の延長戦上で内容の構成は幽遊白書とあまり変わらない。
 2001年に創刊したコミックパンチこそジャンプの黄金期の跡形を残しているし、友情・努力・勝利に満ちた本当の少年ジャンプと言う感じがする。けどコッミクパンチは、ジャンプの連載漫画家や読者を年齢上昇化している雑誌でもある。

71リン:2005/02/14(月) 11:17:25 ID:mHlinbFk
岩瀬さん、原稿落としたと言う意味はどう言う意味ですか?
萩原一至や冨樫義博などにしろいい加減すぎるので無規則主義漫画家と言いたい

72岩瀬:2005/02/14(月) 17:51:45 ID:wbMdusC.
原稿を落とすというのは、原稿が締め切りに間に合わず休載になってしまう事です。今週のジャンプ11号で和月さんが落としました。でも,この場合は本当に風邪引いて休みのようなので責める事はできません。逆に冨樫は自分の都合で落としまくるので始末が悪い。萩原は作画に時間がかかり過ぎで落とすようですが同人誌を作ったりしているようなので、これも同情の予知なしです。

73リン:2005/02/15(火) 15:53:54 ID:HIydsmPU
岩瀬さん、萩原一至はどんな同人誌を作っているのでしょうか?
それに容量が悪いとしか思えません。

74岩瀬:2005/02/15(火) 17:38:40 ID:/Zk23Mfo
確か格闘ゲームを題材にした同人誌だったと思います。時々富樫もゲストとして参加した事もあったらしい。最近は自分の漫画のシーラ姫を主人公にしたエロ同人誌を作ったらしいです。

75リン:2005/02/16(水) 16:46:33 ID:mZvfLGzY
71・73に続いて忍空の原作者(桐山光治)もどうしちゃたんですか?1995年38号に連載中断しそれ以降月刊少年ジャンプかジャンプの増刊号に忍空の1度きりの連載があり内容が野球でそれ以降9年ぐらい連載が中断していますが実際連載終了したんでしょうか?干支忍隊長12人全員そろっていませんが。
続いてこち亀も1996年がピークで97年以降早乙女リカ登場し主役である両津勘吉を憎み両さんはヒール(悪役)と化しこち亀の質は降下。98年に磯鷲早矢が登場、特徴が何もかもマリアの2匹めの土壌であったため、面白くも何ともなかったためこち亀はさらに質が降下。99年の46号に自分にとってジャンプを代表する糞キャラの擬宝珠纏が登場し道徳が無い行動や問題発言(特に浅草の住民に対する差別発言、浅草に住んでいる、アニマル浜口・浜口京子親子も許せないとおもう)、両さんやエキストラ・チョイ役の男性キャラをコケにする超生意気キャラで両さんを超える精神面が危ないキャラ、さらに擬宝珠家族(すべて両さんをこえる超人的能力を持っている)が登場し、ストーリーが狭くなったし、纏が登場すると両さんは目立たなくなるし悪役・へたれキャラ化になる
わ、家族と早矢以外のキャラが動けなくなる。なぜか女性キャラはすべて大金持ちの超人キャラそして強引に両さんと結婚させるそして破局、ストーリーとしては無理があるし、こち亀の質をまたさらに降下するだけである。こち亀は纏が登場した時点で終わった感じがした。願いたいのはリカ・早矢・纏そして擬宝珠家族を登場させないで欲しい、そのキャラを登場させるぐらいなら浦安鉄筋家族との合併ストーリーをやって欲しい。

76岩瀬:2005/02/16(水) 17:18:36 ID:AoMndY1A
忍空の桐山は講談社から出てたMOVE!という雑誌に読みきりを昨年1本描いたようです。こち亀に関しては100巻で終わったと思っています。今のは別の漫画と思って読んでます。でなければやってられない。

77岩瀬:2005/02/19(土) 17:44:22 ID:P8SPMrJM
93年の所を。新年号でジャンプの発行部数が638万部にまで伸びる。この頃は3枚看板に完全に頼ってはいたが脇の漫画も非常に充実していたので読み応えがあった。そして5・6合併号に原哲夫が読みきり「職業兇手」を執筆。直木賞作家の大沢在昌の作品をベースにした15ページの短編だが、かなりハードでブラックな漫画であった。正直ジャンプ向きではなかったが企画としては良かった。なお、この作品は未だに単行本未収録。

78リン:2005/02/23(水) 14:07:20 ID:4Oy7DQj6
岩瀬さん、漫☆画太郎原作、珍遊記・まんゆうきについて説明してください。

79岩瀬:2005/02/24(木) 17:49:16 ID:oINcaPhg
じゃあ通常通り、始まった年代のコメントで語ります。では90年の所を。49号から大問題作「珍遊記」が連載スタート。破壊的なまでのど汚い絵柄とパワフルなストーリーでジャンプに新風を吹き込んだ。その為か作者は一気に人気作家へと成長するもパワーダウンするのも、異常なほど早かった・・。50号からは「てんぎゃん」がスタート。これは学者の南方熊楠の生涯を描いた伝記漫画であったが例によってまじめな漫画はジャンプでは受けず1クールで撃沈。そして51号から冨樫義博が「幽遊白書」で復帰。当初はハートフルコメディー的な作品だったがアンケートが全然振るわず、打ち切り寸前にまで追い詰められるがバトルパターンに路線変更して人気が急上昇。90年代のジャンプを支える看板漫画になる。そして入れ替えで5年間続いた「聖闘士星矢」に終焉が訪れる。本誌では星矢がハーデスにペガサス流星拳を放った所でいきなり打ち切り。結局、当時は増刊号状態だったブイジャンプで完結編をやったが、こちらも打ち切り状態という最悪のラストでした。「ドラゴンボール」ほどではないにしろジャンプにかなり貢献した作品だっただけに、あまりの冷遇ぶりに涙が止まらなかった・・・。(泣)

80岩瀬:2005/02/25(金) 21:54:42 ID:zdTuJbp6
94年の所に追加。29号から31号まで新連載がスタート。漫・画太郎の「まんゆうき」は珍しく、かわいい女の子が主人公で話題になったが中身はいつものバイオレンスギャグで相変わらずの破壊的な世界を堪能できた。えんどコイチの「不可思議堂奇憚」はジャンプらしくない人情路線で個人的には好きだったがアンケートはさっぱりですぐに打ち切りに。「うるとらイレブン」は10回限定のサッカー漫画だが、イマイチ登場人物に魅力が無かった為か素直に感情移入が出来ない作品であった・・。

81リン:2005/02/26(土) 12:27:12 ID:afh/DkvU
岩瀬さん僕を始めいろんな見ている方に説明してくれてありがとうございます。

82名無しさん@漫画好き:2005/02/26(土) 12:32:40 ID:afh/DkvU
81について

いろんな→これを:に訂正

83名無しさん@漫画好き:2005/02/26(土) 14:24:41 ID:o4wPP.Fk
僕からもありがとうございます。大変勉強になってます。
無理しないでマイペース頑張ってください。

84岩瀬:2005/02/26(土) 20:21:45 ID:HRZHot7g
激励ありがとうございます。これからもできる限り頑張ります。今回は95年の夏頃を。38号で「忍空」が遂に終了。長期休載していた時点で作品的には既に終わっていたのだがアニメが放映されていた為に延々と漫画も続いていたのだが作者の精神状態は最早ピークを迎えていた為に完全な打ち切り状態で終わってしまった。(その後月刊ジャンプで1回だけ復活したが、これは単行本未収録のうえ以降は音沙汰なしだった)39号では徳弘がバレエをテーマにした読みきりを執筆。これは当時、徳弘の奥様がバレエ教室に通っていたのをヒントにして描かれた作品でシリアスなストーリー展開とほどよい下ネタギャグが上手くブレンドされて上質な感じを堪能できた。

85名無しさん@漫画好き:2005/03/02(水) 15:11:47 ID:bcmYoDZI
ジャンプの糞キャラ

1位;明神弥彦(るろうに剣心)
2位;擬宝珠纏(こちら葛飾区亀有公園前発出所)
3位;恐山アンナ(シャーマンキング)
4位;桑原和馬(幽遊白書)
5位;亀仙人(ドラゴンボールZ)
6位;娘々(まんゆうき)

86名無しさん@漫画好き:2005/03/02(水) 18:22:40 ID:KLUj43ts
>>85
スレ違いだアフォ

87名無しさん@漫画好き:2005/03/09(水) 18:09:05 ID:rtSedK.s
ジャンプの37年の歴史の期間

創生期;1968年〜69年
成長期;1970年〜73年
停滞期;1974年〜77年
白熱期;1978年〜80年
黄金期
(停滞期);1981年〜83年
(伝説期);1984年〜90年
(円熟期);1991年〜94年
混乱期;1995年〜97年
氷河期(暗黒期)1998年〜99年
再出発期2000年〜現在

88岩瀬:2005/03/10(木) 18:06:55 ID:EnBkqLb.
90年の春頃を。18号で新沢基栄の「ボクはしたたか君」が終了。これは前作の頃から患っていた腰痛が再発して、連載続行が不可能になったからである。結構好きな作品だったので残念でした。結局19号で休載のお知らせが出てたが連載再開はなかった・・。その為19号には穴埋めとしてガモウひろしの「トラブル昆虫記」が掲載される。これはガモウ本人も「自分の作品のなかで最低作品である」と言い切るほどの出来だったが、割と面白かった。後にこの作品は「ラッキーマン」のコミックス5巻に収録されたので現在も読む事ができます。

89名無しさん@漫画好き:2005/03/26(土) 18:59:16 ID:Tn4f5cGY
2000年の24号にアイズ最終回を書いてくださーい!

90岩瀬:2005/03/28(月) 18:01:38 ID:0wuHJXUA
要望通り書いてみます。2000年の所へ追加。24号で約3年間続いた桂先生のアイズに終焉が訪れる。様々な出来事や事件を経て、ようやく一貴と伊織は目出度く結ばれて感動のハッピーエンドとなった。作者はよくやってくれたと思う。ただ、その反動で本格的な恋愛物はもう描けなくなってしまい桂はジャンプから立ち去る事になる。

92岩瀬:2005/04/05(火) 18:07:24 ID:bNwmWNNs
91年初頭を。新年3・4合併号で遂に発行部数が600万部を突破。大新聞の部数に匹敵する数字は各マスコミでも話題となる。しかし、この頃から発行部数の上昇と反比例して全体的にジャンプのパワーダウンが深刻化していく。600万部突破の快挙にしても当時のドラゴンボールの破壊的な人気の力を借りて、ようやく実現できた印象が強かった。正直、当時はドラゴンボールはもうすぐ終わるだろうと思ってたから、その時はどうすんのかなと不安でした。

93岩瀬:2005/04/07(木) 19:52:25 ID:elJ1v0O2
92年の所を。21・22合併号で恒例のドラゴンボール2本立てが組まれる。謎の存在だった人造人間16号が遂に本格的に動き出しセルとの激しいバトルを展開してくれた。そして25号からバラモンの家族が26号からHARERUYAが新連載としてスタート。バラモンは昨年の秋に読みきりで発表され好評だったので連載が決まったわけだ。HARERUYAも増刊号で読みきりで発表され、まずまずの評価だったので連載になったのだが今回は力が及ばず10回打ち切り。しかし打ち切り決定後にアンケートが上昇した為半年後にBOYとして仕切り直す事になる。そして、この頃に電影少女が感動の第1部完になる。メインキャラが皆幸せになって終わりという素晴らしいラストでしたが編集部が欲張り無理やり第2部を始めてしまう。これで一気に人気が急落し31号で打ち切りにされてしまい、増刊号で真の最終回をやるハメになるのであった。

94岩瀬:2005/04/11(月) 21:34:21 ID:D6AfigYE
90年の春頃を。21・22合併号のドラゴンボールで遂にフリーザの切り札であるギニュー特戦隊が出現。恐怖の軍団でありながら、どこかとぼけた一面もある個性的な連中でした。そして、この頃にわのまことが読みきり「疾風の紫」を執筆。ギャグが少なく真剣な戦いを描いた珍しい作品で後の「真島クンすっとばす!!」の原型になった。なお、この作品は後に「リベロの武田」コミックス9巻に収録されたが、その際に大幅に加筆訂正されました。

95岩瀬:2005/05/12(木) 17:49:28 ID:zhkUmgE.
89年の秋頃を。50号に原哲夫が読みきり「花の慶次」を執筆する。これは時代劇作家の隆慶一郎先生の小説「一夢庵風流記」をベースにした時代劇漫画で、原哲夫の新たな一面が見えて非常に面白かった。そして翌年に連載になる。そして、この頃に2年近く続いた「ザ・モモタロウ」と半年間続いた「サイボーグじいちゃんG」が立て続けに打ち切りになる。両方とも非常に好きな作品だったので、当時はかなりガックリしました。なお「ザ・モモタロウ」はコミックスで大幅に加筆修正されたので、結果的に連載時と印象が大幅に違って見えました。

96岩瀬:2005/05/13(金) 23:16:30 ID:wSVixQtE
94年の所を。11号の「ドラゴンボール」で遂に孫悟空VSべジータの激闘が開始。まさか、この2人が再び闘うとは思ってなかったので驚いた。そして13号から魔人ブウがとうとう復活。とぼけた顔なのに凄まじい力で絶対的な存在感を出してくれた。そして14号で「ラッキーマン」がアニメ化記念で表紙と巻頭カラーに。一応はテレビ東京に作者と編集者が直談判してアニメ化が決まったとしてあったが、実際は連載半年の時点でアニメ化の声がかかっていたというのが真相だったらしい。じゃあ、「とってもラッキーネットワーク」でのアニメ化特集は・・・・作りか!

97岩瀬:2005/05/15(日) 18:56:21 ID:g4X4mMEQ
97年の所を。37・38合併号で「キャプテン翼・ワールドユース編」が終わる。後半から人気が下落気味だったので、嫌な予感はしてたのだが天下の「キャプテン翼」を打ち切るとは思わなかったので非常に驚いた。なお連載では中途半端な状態で終わりコミックスで真の最終回が描かれました。

100岩瀬:2005/06/18(土) 19:50:17 ID:CU3wS8uU
96年の項目を。34号の「こち亀」で4年ぶりに日暮が登場。今回は東京ビッグサイトの近くに埋まっていました。活躍も多く非常に楽しめた。そして36.37合併号で1年ぶりに鳥山先生が読みきり「宇宙人ペケ」を2回執筆。肩の力が抜けた作風になってて一気に読めた。また、これが手描きで描いた最後の作品になりました。つまりベタの塗り忘れが見れたのも、これが最後です(笑)

101岩瀬:2005/06/19(日) 12:01:35 ID:TvX5JAKc
あ、36.37じゃなくて37.38合併号だった。修正願います。

103名無しさん@漫画好き:2005/07/13(水) 00:22:41 ID:a5ElXfBs
はじめまして。こんばんは。
私は今23なんですけど、小学生のときから幼なじみの男の子のジャンプを高校生まで読んでました。
小学校の高学年のころに、るろうに剣心が読みきりであってハマってしまい、るろうに剣心のところだけ破ってもらって帰った記憶があります。
とにかくハマってコミックも発売日に買っていたんです。
でも高校くらいに幼なじみに『作者の顔を見てから読んでない』って言われて、『えーー!!顔が出てたの?!』と初めて知って…。聞いたときには手元にその号がなくて…。それから気になっていたんです!
幼なじみの話によるとクリスマスの号だったとか。
大きくアップしていただけないですか?宜しくお願いします!!

104岩瀬:2005/08/19(金) 23:33:31 ID:nm/bWxog
93年の所を。38号から「地獄先生ぬーべー」が連載開始。これは以前読みきりで掲載された「地獄先生ぬーぼー」を改題した作品で、やや低年齢層を狙っていたようだが当初は少々アンケートが苦戦していた模様。しかし少しづつ人気が上がり90年代のジャンプを代表する作品に成長し連載は99年まで続く事になる。

105名無しさん@漫画好き:2005/08/22(月) 22:40:49 ID:yEfba0RM
スレ違いでしたらすみません。
いくつか質問です
恐竜大紀行は何故連載を許可されたのですか??
バスタードは何故やめたり再開したりしてるのですか?作者が問題児?
あと何かジャンプの歴代事件などありましたら教えてください!

NINKUの作者が逃げたのはしっています。
なにわ小吉が素人時代無記名で送ってきて、いい作品だが誰の作品かわからなくて
問題になったのは知っています。

お願いします!

106岩瀬:2005/08/26(金) 17:38:25 ID:UV37d2ao
>105
恐竜大紀行の頃のジャンプは部数がまだ上昇傾向だったので実験作として掲載されたと思われます。バスタードは作者が同人誌出身者の為に原稿の落とし癖がひどくて度々島流しにされてるわけです。歴代事件は80年の私立極道高校事件(作中に滋賀県に実在する学校名を出し猛講義をくらって連載打ち切り、該当号は回収)、90年の「燃える!お兄さん」での用務員事件(作中で用務員差別をして関西から苦情が来て該当号が回収)、02年の島袋光年の女子高生売春による逮捕事件、03年の高橋編集長の急死事件(くも膜下出血が原因)くらいだったかと記憶してます。こんなんでいいですか?

107岩瀬:2005/08/27(土) 20:06:28 ID:7Nv59KsI
89年の所を。13号のドラゴンボールで遂にサイヤ人達が地球に攻め込んできた。一瞬で東の都を破壊し圧倒的な存在感を読者に知らしめる。そして同じ13号で鳥山先生の読みきり「空丸くん日本晴れ」が掲載される。こちらはドラゴンボールとは対照的に本来の鳥山節に満ち溢れており、ほのぼの路線で描かれており「こういうのも、まだ描けたのか」と正直嬉しかったです。

108岩瀬:2005/09/14(水) 18:18:12 ID:QxzxYsgQ
93年の所を。13号で「幽遊白書」の暗黒武術会が終了。当時ワクワクしながら読んでたので、衝撃的な結末に感動した。同じく13号で「ドラゴンボール」もセルゲームが予想外のラストを迎える。まさか、このタイミングで悟空を死なせるとは思わなかったので読んだときは脱力してしまいました・・。

109ナナシだよ:2005/09/15(木) 01:32:09 ID:cw0NmQTY
>106
03年の高橋編集長の急死事件(くも膜下出血が原因)は衝撃的でした。
03年版の劇場版ワンピースでのパーティーで、声優さんたちと共に壇上に上がった(高橋編集長の隣にルフィ役の田中真弓さんがいました)時に、突然、高橋編集長が堕ちる様に倒れて意識不明のまま亡くなったと聞いてます。

110学帽番長@管理人:2005/11/07(月) 23:09:32 ID:vCsWD9PU
少年ジャンプ博物館の更新完了しました。

112ユウ:2005/11/28(月) 16:01:49 ID:9Hihkhmk
109

113岩瀬:2006/01/15(日) 17:39:11 ID:Q8ql0lZw
89年初頭を。新年3・4合併号でジャンプの発行部数が500万部を記録。他のライバル雑誌3誌の部数を足してもジャンプの部数に届かない正に一人勝ち状態に。連載陣も一時期ほどの勢いはないが中々の良作揃いで当時小学生だった僕は毎週ワクワクしながら買ってましたねえ。

114管理人さまへ。:2006/02/12(日) 22:08:54 ID:qgXF2T7Q
あのー、気づいたことが。1973年と1974年の44号の掲載マンガが同じになってます。
表紙は違うのですが。ここに書いてよかったですか?
最近見始めたのですが、いいですねえ。まだまだ長いですけど、2000年までじっくりと
読んでみます。

115タケ:2006/03/15(水) 17:02:50 ID:hSDSaEGc
スレチガイだし今更なんですけど70の人の幽遊白書はパクリばかりで作者の個性的な作品でないという言い方はいいただけませんな。
幽遊白書は確かにドラゴンボールの戦い方の影響を受けてるとこもあるとは思いますけどドラゴンボールが戦いに重点をおいてるとすると
幽遊白書の場合はちがうとおもうんです。説明はしにくいですけど左京や仙水といったキャラクターは壊れてはいるものの、どこか現実的なキャラ、
じゃないかなーと思えます。それに冨樫は読者の裏の裏をつくのが得意な人だと思います。作品は違うけどレベルEを見れば分かると思います。
それに冨樫の作風の魅力というのはなんといっても人間の心理描写でそこは他のどの作品にもない冨樫だからこそ書ける魅力だと思います。
なんかスレチガイな事書いて改めてすみませんでした。

116中野邦雅:2006/03/24(金) 18:09:32 ID:TIH6Sc3A
>>116
いいたいことは分かるけど熱くなりすぎだ


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