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生きることも死ぬことも出来ない
1
:
黎明
:2020/12/26(土) 21:48:18
数年前から考えているのだけれども、
生きることも死ぬことも出来ない、という状態だと、ただダラダラと苦しみ続けているだけ。
腹を決めて、生活に集中しようとしても、消滅願望と習慣化した怠惰が邪魔してくる。
どうすればいいのか。長期的に見れば、自殺が合理的であるのに、自殺の決心もつかない。
いずれは死ぬことになる、だとしたら今の苦しみはただ無駄である、ということを分かっているのに。
2
:
黎明
:2021/01/02(土) 16:12:46
埴谷雄高の「不合理ゆえに吾信ず」という本に、
「わが課題は自殺におわるのではあるまいかとは年少の頃の私の屡々自らに問うたところである」
という文章がある。
似たような文章としては、シオランの
「60歳の今知っていることを、私は20歳の頃既に知っていた。このあらずもがなの検証の時間」がある。
まさにその通りで、結局自殺する可能性が50%以上あるのであれば、この今の苦しみを耐えるのは合理的ではない、という考えに至る。
そのことを知っても、自殺をすることすら出来ない不能に苦しむ。
3
:
名無しさん
:2021/05/18(火) 16:48:53
感情を含む体験の根本原因は体験者自身の先入観・自分ルール・固定観念・思い込み・色眼鏡・判断基準etc。価値観が変わらない限り似たような体験を繰り返す。執着が強いほど感情も強まる
情報をどう解釈し反応し対処するかは解釈者の自由選択。「世相・言葉・服装・風紀の乱れ」はそれを感じる本人の心の乱れの自己投影
不満イヤ不安ウザ不快コワ不信キモ不可解の原因は各人の判断基準・記憶・思い込み・先入観。他者に不自由を与えた者は自らも不自由を得る
故に、貴方が誰かを怒らせても貴方に相手の怒りの原因はない。逆に、誰かが貴方を怒らせても相手に貴方の怒りの原因はない
他罰的で他力本願で問題解決力が低く対外評価を気にする不寛容者ほど、情緒安定と自己防衛の為にマナー礼儀作法ルール法律を必要とする
感情自己責任論(解釈の自由と責任)〜学校では教えない合理主義哲学
4
:
不幸の代名詞
:2021/12/06(月) 00:37:02
「――カーズは――
2度と地球へは戻れなかった…。
鉱物と生物の中間の生命体となり永遠に宇宙空間をさまようのだ。
そして死にたいと思っても死ねないので
――そのうちカーズは考えるのをやめた」
つまりアレだ、考えるだけ無駄じゃない?
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