したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

不良サラリーマンのビジネスメモ

363はすぴー:2021/09/30(木) 11:20:43
後藤静香氏の詩「第一歩」
大正、昭和期に活躍された社会教育者の後藤静香(ごとうせいこう)氏
の詩「第一歩」より。

  十里の旅の第一歩
  百里の旅の第一歩
  同じ一歩でも 覚悟がちがう
  三笠山にのぼる第一歩
  富士山にのぼる第一歩
  同じ一歩でも 覚悟がちがう
  どこまで行くつもりか
  どこまでのぼるつもりか
  目標が
  その日その日を支配する


 目標を大きく持つことの意義が、この詩には込められている。
 道元禅師も覚悟について、「志は死を意識することから」とある。
 

364はすぴー:2021/11/04(木) 10:29:11
某メルマガからの抜粋
皆さんはどんなことを始め、どんなことを辞めましたか?
一度振り返ってみると、自己理解を深めるヒントが
見つかるかもしれません。


・なぜ、それを始めたのか/辞めたのか?
・それをやっているとどんな気持ちになるのか?
自分に問いかけると、大切にしているもの(価値観)や
興味・関心、強みの傾向が見えてきます。


だから、あまり深刻にならず、新しいものをどんどん
やってみるといいと思います。
やってみないと自分に合うのかどうなのか、
自分が好きなのかどうなのか、本当のところわからないからです。


自分のことは自分が一番知っているようで、
全然わかっていないことがあったり、
自分の中の多様性にはっと気づいたり。
人生は自分を知る旅ではないかとさえ思うのです。


また無意識のうちに、
世の中の常識が自分の価値観であるかのように勘違いし、
違和感や葛藤を抱えながら働いていることも多いと思います。
自分の軸を知って、意識的に戦略的に仕事へ活かしていけば
激しい環境変化に翻弄されるだけではなく、
仕事はもっと面白くなるのではないでしょうか。


キャリア開発は、『自分プロデュース』だと思います。
ひとりひとりが、大切な自分のリソースを発揮するために
『自分プロデュース』を人任せにしない。
そして、会社はそのステージを創って応援する。
仕事を面白がる人が増えたら、会社は元気になります。
そんな会社が増えるよう、私も精進していきます。

365はすぴー:2021/12/13(月) 09:00:03
某メルマガからの抜粋
 ビジネス上の役職・権限はプライベートに及ぶものではなくビジネス上のものでしか
 ありません。また、無期限に続くものではなく期限があります。プライベートでは一
 個人として、役職や権限、年齢関係なく、誰もが平等でフラットな立場なのです。

366はすぴー:2021/12/27(月) 09:11:52
石門心学
日本の資本主義の基盤を作った江戸時代の石田梅岩が唱えた「石門心学」。
「商道の本質は「勤勉・誠実・正直」の精神に立ち返ること」と言ってます。
日本では創業から200年を超える企業は国内に3,937社、100年を超える企業は5万社
を超えます。このベースが石門心学とのこと。

367はすぴー:2022/03/17(木) 09:38:21
「これを食べれば医者はいらない」若杉友子著
 野草料理で一世を風靡した
 若杉ばあちゃんこと、若杉友子さん。


 *****
 「この人里離れた山に移り住んで14年に
  なるけれど水は山からもらって、
  冷蔵庫もいらない。
  もちろんクーラーも電子レンジもないよ。
  風呂は五右衛門風呂、
  食事は最低限の米と塩と味噌、
  あとはその辺に生えてくる
  野草と在来種の野菜で暮らしているから
  ほとんどお金はかからんのよ。
  こういう生活しているけれど
  私は病気らしい病気をしたことがないの。
  病気しないどころか、まだ73歳で
  健康診断も受けていないし、
  血圧も測ってもらっていないの。」と。

  こう言う若杉さん、移住する前、
  乳がんを患い、苦労されたらしい。
  その時出会った本
  「ガンは自宅で治す」ムラキテルミ著
  に感銘を受けて、今の生活に入られたようです。
  その本に書かれていたのは、
  「あなたが作った病気なんだから、
   あなたが治すんですよ」の言葉が
   すーっと腑に落ちていきました。
  そもそも、反乱を起こしている
  のは自分自身の細胞なのだ。
  毒をもってやっつけようとすれば
  反乱を起こしていない細胞にまで
  ダメージがある。

  じゃあ、どうすれば?
  どうやらポイントは
  免疫力を上げる。
  体温を上げる。
  そのための食事と運動なんだ!
  と気づいた。
  そうして、こうおっしゃっている。
  「今朝もあざみを刈ってきましたけど、
   すぐまた伸びてくる。
   食べても食べても切りがない。
   だからほとんど買い物はしない。
   買う生活はゴミが出て、
   それを捨てなきゃならないから、
   結局ゴミを買っているようなものよ。
   経済活動のサイクルに入ると、
   金は減ってゴミが溜まるの。」

   やっぱりね、人間、体が本当に健康で、
   心から感謝していたら、
   働かずにおれなくなるよ。
   うちの裏山は私の手が入ってとても
   きれいですよ。
   山から薪と水をもらっているので
   当たり前ですよ。
   いまの日本人はそれをすっかり忘れて、
   体は病気で苦しみ、
   感謝と感動ができない心になっているのでは?

368はすぴー:2022/08/15(月) 10:15:46
 「さぁ、また明日から1週間が始まるぞ!」という日曜日夜のTV番組に『日曜日の
 初耳学(TBS系)』があります。

 その中でも、今を時めく俳優、実業家や学者など様々なジャンルの方々をゲストに、
 林修先生がロングインタビューをするコーナーが私は大好きです。
 普段は知ることのできない、ゲストの経験に紐づく仕事への向き合い方や生き様がわ
 かり、更に魅力が輝くからです。

 その魅力を引き出しているのが、インタビューアーの林先生です。

 ・ゲストの話を自分の言葉に置き換えながら、丁寧に聴いている
 ・ゲストへの好奇心とリスペクトで目を輝かせながら聴いている

 林先生のこの「聴く力」が、ゲストの話を掘り下げて、視聴者にとって痒いところに
 手が届くインタビューとなっている所以ではないかと思うのです。

 ビジネスでも、「聴く力」は重要なスキルと言えます。
 上司からの差し戻し指示、顧客からの仕様変更など、社内・社外業務に関わらず、
 スタート時点でしっかりと聴けていないことが原因で、生産性を下げる事象が発生し
 てしまうことが少なくありません。

 「上司が全然わかってくれない」
 「あのお客は途中で無理ばかり言う」と
 相手のせいにするのは簡単ですが、そこで思考停止してしまうと成果を上げることも
 本人が成長するもできなくなってしまいます。

 ところで、業務遂行スキルは大きく分けて2つに区分ができます。
 業種や職種を問わず、転用応用可能な「ポータブルスキル」と特定の業種や職種につ
 いて専門的に必要とされる「テクニカルスキル」。

 コンピュータで言えば、この2つのスキルはOSとアプリの関係。
 せっかく、新たなアプリ(テクニカルスキル)をどんどん搭載しても、OS(ポータブ
 ルスキル)がお粗末だと、うまく機能しない(現場で成果が上がらない)ということ
 が起こり得えます。

 「聴く力」は重要なポータブルスキルの1つ。
 (ポータブルスキルには、論理的思考力やプレゼンスキル、計画力などなど他にもた
 くさんありますが。)

 たとえ、どのような会社に所属していようと、営業職でも、SEでも、事務企画職でも
 他者とのつながりがなく100%自己完結してしまう仕事はありません。
 仕事には必ず前工程と後工程が存在します。

 「はたらく」とは「端(周囲)の人を楽にすること」と言われます。
 相手の真のニーズを正しく捉え、相手を楽にする(課題解決する)には、まずは「聴
 く力」が重要なスキルであると言えるでしょう。

369はすぴー:2022/09/09(金) 09:58:51
『イノベーション入門。ビルゲイツ&ラリーペイジ』
に描かれていることを要約。
*****
1.まず何かに夢中になる。
それがすべてのスタート。
最も得意な分野の中に「とりで」をつくる。

2.必ず「できる」と言う。
やり方は後で考える。
チャンスに全部を賭ける。
安全コースに心を残さない。

3.契約はロイヤリティ方式で。
大手企業の食い物になるな。

4.業界標準を握ってこそ、
変革はお金に変わる。

5.最初に成功しなくても、
徐々に成功すればいい。
勝つコツは1つ。猛烈に働く。

6.改善は時間勝負。1分1秒を惜しむ。

7.最初はお金が目的でいい。
真の目的にやがて気づく

8.1つの着想を考え抜く。
いい答えには必ず人が集まる。

9.自分が常識外れではなく、
常識が間違っていると考える。
予備知識はイノベーションの敵。
大胆に進める。

10.少数より多数のほうが賢い。
知恵を集める者が勝つ。
*****

将に、米国人らしい。
ナポレオンヒルの「成功哲学」に似てる。
非常に参考になりますが、
経営の神様、故稲盛和夫氏なら
ちょっと違いそう。
成功の原点は「利他の心」ですから、
人の幸せにしてこそ事業がある。
これは江戸時代に石田梅岩が創った
商売の心得「石門哲学」と繋がってます。
日本は「人」、米国は「金」が中核。
両方身につければ、成功間違いなし。

370はすぴー:2022/09/17(土) 12:28:47
プロ野球の名監督、故・野村克也氏は、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉を好んだ。しっかり下準備している人は不思議の負けなしなのだろう。

371はすぴー:2022/09/23(金) 09:13:48
才能は70歳から開花する

「一体誰がこれを作ったんだ?」
1861年、イギリス海軍は、
日本の“とあるもの”をみて
戦慄していました…。
「信じられない…
 極東の小国がこんな恐ろしいものを
 作っていたなんて…
 我々のものよりも遥かに優れている。
 一体どんな天才がこれを作ったのだ!?」
彼らが手にしていたのは、、、

なんと“日本地図”

イギリス海軍は、
この地図のあまりの正確さに
驚愕していたのです。

この地図を作ったのは、
江戸時代の商人・
伊能忠敬(いのう・ただたか)。
伊能の作った地図は、
誤差がわずか1000分の1と非常に正確で、
現代の衛星写真と重ねても、
ほとんどの部分が
ピッタリと一致するほどでした。

イギリス海軍は、すぐさま
イギリス本国の世界地図を修正。
イギリスの公文書には
「この地図はもはや芸術品だ」
とまで書かれました。

伊能の凄さは、
これだけではありません…。

地図作りといえば、
土地を実際に測る必要があるので、
当時はかなりの重労働でした。
朝から晩まで歩き続け、
夜遅くまで測った距離を記録する…と
肉体を酷使するものばかりです。

実際、伊能は地図作りのために、
約4万キロ、およそ地球1周分の距離を
歩いています。
実は、 伊能が地図作りを始めたのは
なんと51歳から...

江戸時代の平均寿命は50歳前後。
40歳で隠居する人も多い中、

伊能は51歳を過ぎてから
「地図を作りたい」と思い立って、
地図を作り始めたのです。
そして、伊能が作成した地図は
当時としては脅威の精度を誇り、

作成後100年間にわたって
日本で使用されました。

そして実は、、、
年齢を重ねて偉業を成し遂げたのは
彼だけではありません。

他にも、
今なお海外で評価される葛飾北斎、
伊藤若冲など、、、
江戸〜明治時代には、
むしろ年を重ねてから、
偉業を成し遂げる人が多い。

葛飾北斎は次のように述べています。
「私は6歳より物の形状を写し取る癖が
あり、50歳から数々の画図を描いてきた。
とは言っても、70歳までに描いた物は
本当に取るに足らない物だ。
73歳になって、少し動植物の骨格や
生まれと造りを知ることができた。
ゆえに、86歳になればますます腕が
上達し、90歳には奥義を究め、
100歳には本当に神妙の域に達する
であろうか。」と。
「富嶽三十六景」は北斎が73歳に描いた作品。
つまり、これも北斎の基準からすれば、
まだまだ発展途上の作品のようです。 。
*****
その他にも、杉田玄白、石田梅岩、伊藤若冲
などなど、45歳過ぎてからの偉業を
成し遂げられています。
私が古代史で参考にさせていただいている
田中英道先生も「70歳からが創造の時代」と
言われてます。

定年を自分に設けることが「老」
の始まりかもしれませんね。

372はすぴー:2022/11/17(木) 09:09:21
千田琢哉『「あたりまえ」からはじめなさい』

+成功する人は「多くの人が見落とし
がちなあたりまえのこと」を、
誰よりもきちんとやっているだけなのだ。
きっと君はバカにするだろう。
「あいさつをしましょう」
「ありがとうを言いましょう」
「時間を守りましょう」。
ところが不思議なことに、大人になると
ほとんどの人はそれができていないのだ。
断言してもいい。
あたりまえのことを、あたりまえにできる
ようになるだけで君は突出できるのだ。
挨拶のできないものは、どんなに才能が
あっても必ず干される。

+成功者は人生がすべて前倒しで進んで
いるからつねに時間がありゆとりがある。
5分前集合をする。遅刻する人は、
たいてい組織の底辺層の貧しい人だ。
仕事の遅れ、作業の遅れは、
遅刻が象徴しているからだ。

+つべこべ言わずにまずやる。
やらなかったことに「ごめんなさい」と
謝る人生は惨めで退屈極まりない。
そのかわり、やっちゃったことに
「ごめんなさい」と謝る人生は
毎日がエキサイティングだ。

+約束を守る。
「近々、飯でも行きましょう」
こんな小さな約束でも守れない
大人はゴマンといる。
「あの人は信頼できる」
というのは口約束を守る人のことだ。

+お金持ちを尊敬する。
貧乏になりたければお金持ちの
悪口を言うことだ。すると
まわりからお金持ちは去っていき
代わりに貧乏が寄ってくる。

+すぐ動く。
「今日から動こう」
そんなことを言っていては
一生動けない。
本気で人生をかえたかったら
「今、この瞬間から」動く。
*****

まさに、実感です。
「ありがとう」や「ありがたい」と
いつも感謝していると
そんな事柄が寄ってきますね。

373はすぴー:2023/01/05(木) 10:34:47
料理研究家 土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』。
ご本人のこれまでの経験が語られているエッセイ、
『一汁一菜でよいと至るまで』を少し前に読み、
もうちょっと一汁一菜について詳しく知りたいなと思い、読んでみました。


「一汁一菜」とは、日々の家庭料理は、
ごはんと具だくさん味噌汁(あればプラス漬物)で十分!という考え方。


多くの日本人は、忙しい生活の中で、
「一汁三菜」(ごはんと汁物と3点のおかず)の呪縛によって、
献立を考えることや食事を作ることに困難を感じ、
家庭料理がどんどん廃れていくことに著者は危機感を感じています。


そもそも、「一汁三菜」は日本の歴史を辿ると、
ハレ(祭り等の非日常)での食事であり、
また栄養学的側面から提唱・普及されたものの、
現在ではすっかりカロリーオーバー。


一方、家庭料理は、ケ(日常)であり、
「旬の野菜の持ち味を活かす」ことが大切で、
味付けは味噌で十分ということ。人間が不自然に加工しない。
具材もピーマンやトマトでもOK!
味噌汁は〜でなければならないなんてないそうです。
日常、身体が喜ぶものを作り、食べる重要性を説いています。


「一汁一菜」=手抜き料理とは全く意味が異なり、
スイスやフランス、高級料亭吉兆での修行、
料理学校の経営、家庭料理番組の監修など
土井さんの様々な経験を通して、
原点回帰して到達したシンプルな本質が、
家庭料理の「一汁一菜」でした。


私も真経営をつくり、お陰様で今年で16年目に突入です。
これまで、ありがたいことに、様々な経験をさせていただき、
多角的な視点から問題解決ができるようになりました。
ただ、経営や人材・組織開発においても、
その本質はシンプルで普遍的なものではないかと感じています。


そして、お客様の持ち味はそれぞれ。
こちらが力技で加工するのではなく、
持ち味を引き出して、いかに活かすか・・・。
お客様にとって「味噌」のような存在であろうと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします!


『一汁一菜でよいという提案』
食事の背景にある文化や風土、食事の意味など
新たな視点をくれる一冊です。
ご興味ある方は是非どうぞ!

374はすぴー:2023/01/17(火) 09:44:37
1970〜80年代にかけて
「シビック」や「アコード」などのデザインを
手掛けてきた岩倉信弥さんに、
本田宗一郎から受けた薫陶や、
「怒られて掴んだ」モノづくりの極意を
語っておられます。
*****
本田さんは、いつもしつこいくらいに
「いいモノをつくるにはいいものを見ろ」
とおっしゃっていました。
ある時、こんな苦い経験をしたことがあるんです。
「アコード」の4ドア版をつくっていた時のことでした。

僕らのデザインチームは、
4ドアを従来の3ドアの延長線上に
考えて開発を進めていた。
ところが本田さんは
「4ドアを買うお客さんの層は、
3ドアとは全然違うぞ」と言って憚(はばか)らない。
ボディは四角く、メッキを付け、
大きくて(価格が)高そうに
見えるようにしろと言われるのです。

僕は内心、そんな高級車は
よその会社に任せればいいと考えていました。
ほんの気持ち程度の対応しか見せない僕らに、
本田さんは「君たちはお客さんの気持ちが
全然分っていない。
自分の立場でしかものを見ていない」
と日ごとに怒りを募らせてきます。

毎日、よく似たやり取りが続き、
我慢の限界を感じた僕は
「私にはこれ以上できません。
そんな高級な生活はしていませんから」
と口にしていました。
本田さんはそれを聞くなり「バカヤロー!」と声を荒げ、
「じゃあ聞くが、信長や秀吉の鎧兜(よろいかぶと)や
陣羽織は一体誰がつくったんだ?」と言われたんです。

大名の鎧兜をつくったのは、
地位も名もない一介の職人。
等身大の商品しかつくれないのであれば、
世の中に高級品など存在しなくなる。

自分の「想い」を高くすればできる。
心底その人の気持ちになればできるんだ、
と(本田さんは)教えてくださったんです。
*****
本田宗一郎氏も天才経営者。
松下幸之助氏、稲盛和夫氏など天才経営者は想いが高い。
生涯学んでいきたいことだ。

375はすぴー:2023/03/16(木) 10:09:21
コシノジュンコ氏の談話から抜粋

*****
覚悟を決めて、勇気をもって前進をつづければ、
大抵のことはやり遂げられるものです。
一番よくないのは、何もしないうちから
失敗したらどうしようとその場で
足ふみを続けることです。
・・・・
若いうちはお金がないことが行動の障害に
名ている人も多いことでしょう。
お金がなければ何も成せないかというと
決してそんなことはありません。
私の学生時代は、月の生活費が15,000円
でそのうち9,000円が家賃でした。
それでも仲間といろんな体験を重ね
懸命に感性を磨きました。

学校を出て間もなくパリに行ったときは、
手元に十分なお金はありませんでしたが、
絶対に行くしかないと考え、
必死でお金を集めて実現しました。
おそらく、お金に余裕のある境遇で
パリに行っていたら、きっと
あそこまで真剣に学ぶことはできなかった
と思うんです。

私がこれまで出会った成功者はどなたも
コンプレックスを武器に成功された方
ばかりでした。
その意味では、人間は満たされない方が
かえって良いのかもしれません。

私はきょうまで自分の年齢を考えず
生きてきました。
挑戦する人間にとって年齢は邪魔。
今後も年齢不詳のまま思いっきり
挑戦を続けていきたい、というのが
私の思いです。
*****

勇気が出ますね。
コシノジュンコ氏は現在83歳です。
聖路加病院の院長をされた日野原重明医師は
100歳のお祝いの時、
「人生、これからが本番です。」
とおっしゃいました。

いつまでも見習いたい先輩たちです。
感激の生き方ですね!

376はすぴー:2023/04/20(木) 07:04:57
少子化問題について

国会でも騒がれている「少子化問題」。
30年前から分かっているのに、
ドラッカーも
「人や社会はいつも明日は今日の
延長と考えて何もしない」と言ってますが、
少子化対策を20年前からやっている町が
ありました。4月6日の毎日新聞のメルマガ
からです。
*****
厚生労働省は2月28日、衝撃的な発表をした。
2022年の出生数は79万9728人(速報値)で、
統計を取り始めた1899年以降で最少という。
「合計特殊出生率」の21年の全国平均は1・30。
こうした中、19年に出生率2・95を記録した
「奇跡の町」が岡山県にあう奈義町(なぎまち)です。

県北東部の鳥取県境にある人口約5700人の奈義町。
20年かけて取り組んできた少子化対策が実り、
出生率は21年も2・68を維持している。
注目を集め、米国、韓国、オランダ、カタールなど
の海外を含む自治体の訪問は年間50件を超え、
岸田文雄首相も2月19日、視察に訪れた。

「少子化は『万病』のもと」「少子化対策と
高齢者対策は両輪なんです」。
町総務課長の森安栄次さん(44)は、
こう切り出した。
若い世帯が激減すると、スーパーマーケット、
病院などの経営も厳しくなり、撤退を免れない。
「たちまち困るのは、残された高齢者。
街もあっという間に、さびれていく」

始まりは、02年だった。津山市もしくは
美作(みまさか)市との合併を問う住民投票
で、町単独の存続が決まった。
生き残るには、人口減少に歯止めをかけるしかない。
町議の定数を14から10に減らした。
補助金、交付金などもカットして町民への
「協力」も求め、約1億6000万円の財源を
捻出できたという。

子育て支援策を町再生の柱に据え、
段階的に進めてきた。小中学校の教材費や高校生
までの医療費の無償、高校生の就学支援金として
1人当たり年24万円の支給などを実現している。

07年には子育て支援施設「なぎチャイルドホーム」
を開設。子どもの一時預かりサービスのほか、
親が子連れで「井戸端」のように語り合える場となる。
スタッフは子育てを終えたお母さん、
現役の母親ら世代を超えた「住民参加型」と
なっているのがミソだ。

「子育て応援の町」との評判が広がり、
移住する若い世代も増えた。出生率は上昇しても、
高齢者の死亡による人口減少は続いたが、
23年3月1日時点の人口は5751人で
22年4月の5725人から微増に転じた。

町は若い世代定着のため、住宅建設も進めてきた。
子ども3人が当たり前となる中、
「洗濯物が多くて、なかなか乾かない」との悩みが
寄せられると、オール電化による室内乾燥が可能な
住宅で、ニーズに応えた。
森安さんは「継続してグレードアップしていく
ことが重要だ」と語る。
*****

すごいですね。やればできますね。
若者と年寄り、忙しい人と余裕出来た人
の共生ですね。
デジタル庁が発表した「デジタル田園都市国家構想」
も田舎でも都市とのデジタル活用の共生。
やはり、解決策は日本に古来からある「共生」
にあるのかもしれません。

377はすぴー:2023/05/11(木) 13:27:47
企業・個人の老化を防ぐ

2021年倒産企業の平均寿命は23.8年(東京商工リサーチ)で、1955年Fortune500
の企業で現在も残っている企業は60社となっています。
一方、個人については日常生活に制限のない健康寿命は男性72.68年、
女性は75.38年(厚生省)となっています。
ある精神科医によると老化の一番の原因は人との交流や外出を避ける等で、
同じ行動・考え・環境の繰り返しを行い新たな経験や刺激に対する意欲をなくす
ことだといいます。それを改善するには使ってない脳を使うようにすること
だそうです。
行ってみたことのない場所に行ってみる、今まで会ったことのない人物と話す機会
をつくる等、少しの行動パターンの変化でも脳は刺激されます。
又、企業においても創業期・成長期・成熟期・衰退期という過程があります。
人間同様、同じビジネスモデル・マネジメント・商材・スキルの繰り返しでは
企業としての老化が早まります。

 お会いする多くの企業経営者からよく「指示したことは実行するが、今後のために
創造的・自発的・意欲的に行動できる人材の育成が必要」ということを伺います。
これは企業にとって常に課題である様に思います。一般的に業界のスタンダートな
ビジネスモデルは大体20年で寿命を迎えると言われています。技術の進化が加速
している現在ではその期間はもっと短いのかもしれません。その変化に対応し、
企業を老化させない為に新規顧客の開拓、市場のニーズに対応した新たな技術や
ビジネスモデルの開発、そしてそれに伴ってマネジメントも変わっていかざるを
得ません。
 新たな分野や技術にチャレンジしていく際には期待した成果が得られなかったり、
すぐにヒットするような商材を生み出せないことが多いものです。
そこで中断した場合はその試みは「失敗」で幕を閉じることになりますが、
試みの過程と結果を社内で記録・共有し、目的のビジネスモデルを確立すること
ができれば企業の「進化」と言えます。冒頭で記載した存続している60社の
企業はその過程を乗り越えてきたものと思われます。組織の意欲を低下させない
マネジメントも必要となります。私個人は先人達から下記の点において大きな
影響を受けました。

「ほめてやらねば人は動かじ」【山本五十六】
 →欠点ではなく長所探しのマネジメント
「撃墜した数ではなく、部下を戦死させていないことが自慢」【坂井三郎】
 →業績が悪い時に精神的に現場を傷つけない
「身と口と心」【恩師のご住職】
 →行動・言うこと・思うこと が一致していない人間は信用されない

上記の3つをマネジメントにおいていつも心にとめています。

378はすぴー:2023/05/18(木) 12:34:56
感謝の気持ち

企業でのキャリア開発においては、
未来のありたい自分の姿(キャリアビジョン)を描くことだけでなく、
現在の担当業務の意味を捉え直す「ジョブクラフティング」も
大きな意味を持つようになってきました。


毎日、担当業務をコツコツ続けていると
いやでも業務に対する見方は固定化していきます。
慣れて熟達することはいいことですが、それが過ぎるとマンネリ化。


何のためにこの仕事をやっているのだろうか?
自分はこの仕事に向いているのだろうか?
この仕事で自分はちゃんと成長しているのだろうか?
だんだん不安になってきて、隣の芝生が青く見えてきます。


自分だけの固定的な見方を元に仕事や会社に見切りをつけて
転職に踏みきる人は実際に多いです。
後に後悔とならなければいいのですが。。。
企業にとっても手は打てたはずなのに、大きな損失ですね。
実にもったいないです!


視野を広げて、現在の担当業務を捉え直してみると、
誰かの役に立っている大切な仕事であることに気づいたり、
その業務を通して成長できていることに気づいたり、
まだまだ自分を活かす余地が残されていることに気づいたり、
周囲からチャンスやサポートをもらえていることに気づいたり、
これまで「当たり前」に思っていたことに
『結構、私、恵まれてるじゃん!』と
感謝の気持ちが芽生えることも多いです。


「感謝」って言うとベタですが、
働く人のウェルビーイングにとって大切な要素。
もちろん、満たしていく積極的な施策は大切ですが、
満たされていることに気づくことも大切なのです。

379はすぴー:2023/06/01(木) 07:51:41
「ダイソー」の創業精神は「石門哲学」

5月23日の産経新聞に矢野博丈氏が
「100円の男」の哲学で投稿されてました。
100円ショップ「ダイソー」の創業者です。
参考になりましたので、要約します。
*****
大学卒業してから5年ほどで9回の転職を
重ねた末、100円ショップ「ダイソー」
の原点となる矢野商店(後に大創産業」を
創業したのが昭和47年の事である。
偶然通りかかった公民館に大勢の人が集まって
いるのを見た。
覗くと、移動販売の店であった。
大阪の問屋で商品を詰めるだけ積んで各地を
転々としながら売り歩く「サーキット商売」。
荒物や鍋、やかんがどんどん売れているのを
見てその業者の親方に弟子入りし独立した。

全ての商品を100円で売り始めたのは
ほんの偶然の事だった。
自宅から30分ほどの空き地で露店を開く
予定だったその日、天気予報は終日雨だったが、
10時ごとから晴れてきた。
前日、チラシをまいていたこともあり仕方なく
現地に行くと、既にお客様が大勢集まっていた。

お客様が一斉に降ろした荷物を勝手に開けては、
「これいくら?」と迫ってくる。
商品は数百種類あるので、値札を張る余裕もない。
「全部100円!」
思わず口にいていた。
商品が飛ぶように売れたのは言うまでもない。

値段を張る苦労から解放される安堵感もあり
その後も100円均一で売るようにした。
原価98円の商品でも100円で売り続けると
お客様の反応が変わった。
「これも100円?」「本当に100円なの?」
ダイソーがここまで大きくなれたのは
「儲けようとか大きくしようとか」考えず、
会社がつぶれなければいい。そういう姿勢が
要因かもしれません。

商売というのは、商品に対してお客様が
持つ価値観と値段が合致して生まれる。
お客様の価値観を上回る儲けをしよう
とした時点で逆に儲からなくなるものだ。
*****

「100均」で儲けは少なかったで
しょうに、儲けに目がいくことなく、
お客様の反応への気づきと実行力が
すごいですね。
お客様第一、薄利多売そして誠実。
石田梅岩の説いた「石門哲学」です。

380はすぴー:2023/06/29(木) 07:35:00
感銘を受けた著書「望めば叶う」
著者:ルータイス(教育学者)

高校教師兼フットボール・コーチとして
そのキャリアをスタートさせて以来、
「人間の無限の可能性」に対するゆるぎない
信念を持ち続け、自分が望んだ思いを現実化し
今日世界で最も尊敬を集める教育者の一人となりました。
本の内容は、
「自分の思いを強く持てば、自然と解決策が浮かび
思いが実現する方法に行動し、思いが実現する」
という内容ですが、この手順を認知科学、機能脳科学
の観点から教授法TPI(The Pacific Insutitute)
を作り上げました。
TPIの手法でいうと、現在の皇后陛下雅子さまが
「愛子様を出産されて、子供を持った母親にずいぶん
と気づくようになりました」とおっしゃられた。
脳に子育てというアンテナが立ったことで情報への
気付きと選択ができているのであると言います。
この考えは、独立して事業を立ち上げる時に
とても役立ちました。
事業を立ち上げるためのアイデアが湯水のように
出てきたのを思い出します。
著書にもう一点記憶に残る詩がありました。
*****
詩人で起業コンサルタントでもある
デビィッド・ホワイトは、著書「目覚めた心」
の中で、
数年前にAT&Tのマネージャーを集めて開いた
ワークショップについて次のように書いている。

わたしたちが考えていたのは、
「人間はなぜ、仕事と成功という祭壇に捧げる
ために、
自らの聖らかな欲求や個人的ビジョンを犠牲に
しなければならないと思い込むのか」、
ということだった。
すると、一人の女性が次のような詩を書いた。
会場のうしろの方でゆっくりとこの詩を読み上げた
彼女は、自分がどれほどの衝撃を与えたか気づか
なかったが、聴衆は水を打ったように静まり返った。

10年前・・・・・・・
わたしはほんの一瞬、顔をそむけた
その一瞬が一生になった

自分は与えられた最上の贈り物を十分に活かし
ていないかもしれない。ビジョンや魂、目的意識を
失っているかもしれないと認めた時にはじめて、
その気になれば、正しい人生を取り戻す第一歩を
踏み出すことができる。
*****
人から教えられたり、気づいた良いことは
必ず一生懸命に実践するようになりました。
すると、いろんな悩みが消えていきました。
松下幸之助氏もダム式経営の講演で
「どうやったらおっしゃるように資金に余裕のある
ダム式経営ができるのですか?」の問いに、
「まず、そうしようと思はなきゃいけない。」
と応えられた。
聴衆は皆笑ったが、
稲盛和夫氏は「そうか!!」と相槌を打ち、
実践されたそうです。
ルータイスより早く幸之助氏は気づいていた
ことになりますね。

381はすぴー:2023/07/13(木) 11:20:07
月刊三橋事務局(経営科学出版)のメルマガから
「江戸はなんて綺麗な都市なんだ…」

*****
女性のシンボルともいえる
ハイヒール、ドレス、香水...
実はこれらはウンコ対策のために
作られたということを知っていましたか?

例えば、約300年ほど前のパリの街…
パリといえば花の都と言われるように、
華やかなイメージがありますが、
実は町中がうんこまみれだったのです。

そのため、
・汚物を踏まないためにハイヒールが開発され...
・立ったまま排泄を
 できるようにドレスが開発され...
・臭いを消すために香水が開発されたのです。
このようにパリの街は不衛生な街だったのですが、
これは何もパリに限ったことではありません。

イギリスの都市・ロンドンも、
そのような状態だったのです。

でも、なぜ汚物の匂いが
漂うような状態だったのでしょうか?
(なぜそもそも外に汚物が散らばっているのか...)
それは、トイレや水道の設備が
十分に整っていなかったからです。

しかし、当時のヨーロッパと比べると、
路上に汚物がないほど綺麗で、
世界一綺麗と称賛された都市がありました。
その都市とは、江戸です。

実際、江戸に訪れたイギリス人外交官・
オールコックは、
このような言葉を滞在記に記していました。
「よく手入れされた街路は、
 あちこちに乞食がいることを除けば、
 きわめて清潔であって、
 汚物が積み重ねられて通行を
 さまたげるというようなことはない。
 これは私がかつて訪れたアジア各地や
 ヨーロッパの多くの都市と、
 不思議ではあるが
 気持ちのよい対照をなしている」
と江戸を称賛していたのです。

このように、江戸は、
ヨーロッパ人が驚くほど綺麗で
清潔な都市だったのです。
でもなぜ、ヨーロッパの技術力を持ってしても、
清潔な都市を作ることはできなかったのに、
江戸はそれができたのか?

この謎を解く鍵は、江戸幕府を作った偉人...
そう、徳川家康の知られざる偉業
上・下水道の整備に隠されていたのです。

「お江戸の科学」を引用すると、
上水道は、 江戸の町は、もともと海岸に近い湿地を
埋め立てた造成地が多かったため、井戸を掘っても
塩分の強い水が出るなどして、当初から飲料水の確保
に悩まされていた。
そこで1590年、井之頭池を源泉とする日本最初の上水、
神田上水(当初の小石川上水から発展したもの)を、
1654年には玉川から四谷の水門まで43キロメートルに
達する玉川上水を開設。 当時のロンドンを凌ぐ世界最高
と言える給水システムを作り上げた。
ポンプなどを使わず、高低差のみで水を運ぶしくみを
「自然流下式」と呼ぶが、玉川上水は水源から水門まで
43キロメートルもあるが高低差がわずか92メートルしか
ないことにも、その技術の高さがうかがえる。
下水道は、肥料として使うし尿処理の仕組みが町と
農家でできており、欧州のような問題は生じていない。
*****

上水道もさることながら、江戸時代に出来上がった
文書行政は、現在のデジタル庁によって変更になります。
実に400年続いて問題を生じなかった仕組みです。
徳川家康もすごい偉人と言えます。

382はすぴー:2023/08/10(木) 09:13:56
筑波大学名誉教授の村上和雄氏より

 サムシング・グレートがどんな存在なのか、具体的なことは私にも分かりません。しかしそういった存在や働きを想定しなければ、小さな細胞の中に膨大な生命の設計図を持ち、これだけ精妙な働きをする生命の世界を当然のこととして受け入れることは、私には到底できないことでした。
 それだけに、私は生命科学の現場で研究を続ければ続けるほど、生命の本質は人間の理性や知性だけでは説明できるものではないと感じるようになりました。
 進化生物学者の木村資生氏によれば、この宇宙に1個の生命細胞が生まれる確率は、1億円の宝くじが100万回連続で当たるくらいの、とんでもなく希少な確率だそうです。となれば、私たちの存在はとんでもなく「有り難い」ものだと言うことができるでしょう。
 さらに言えば、世界の富をすべて集めても、ノーベル賞学者が束になってかかっても、ごく単純な大腸菌1つ元から創れないのが現実なのです。にもかかわらず、私たちの身体には、約37兆個の細胞(最近の研究で明らかになった数字)が存在し、お互いに助け合いながら、喧嘩することなく調和を保って生きている。これは本当に不思議なことです。
 それだけに、我われは大自然の不思議な力で生かされているという側面を決して忘れてはならないと思うのです。

383はすぴー:2023/10/12(木) 17:45:52
「先人に学ぶ70歳からの人生論

江戸時代に活躍した浮世絵画家・葛飾北斎が描いた
『富嶽三十六景』。実は、この絵は国内のみならず、
海外にも大きな影響を与えました。
当時、北斎の大胆な構図や描写は、古典的な西洋絵画の
考え方を根底からくつがえす「斬新なスタイル」でした。
西洋の美術家たちは、北斎の絵に感銘を受け、
次第に浮世絵に憧れを抱き、その表現を自らの創作に
取り入れるようになりました。
19世紀後半には、欧米で ”日本美術ブーム” とも言える
「ジャポニスム」現象まで巻き起こりました。

73歳で描き上げた自身の最高傑作とも言える「富嶽三十六景」
ですが、実はなんと北斎自身は、まだこの絵に納得しておらず、
満足したものではなかったようです。
北斎は自身が75歳の時にこんな言葉を残しています。
「50歳から数々の画図を描いてきた。とは言っても、
70歳までに描いた物は本当に取るに足らない物だ。
73歳になって、少し動植物の骨格や生まれと造りを知ることが
できた。ゆえに、86歳になればますます腕が上達し、
90歳には奥義を究め、100歳には本当に神妙の域に達するで
あろうか。100歳を超えれば、私が描く一点はひとつの命を
得たかのように生きた物になるだろう。
このような私の言葉が世迷い言などではないことを、
長寿の神には、ご覧頂きたく願いたいものだ。」
そして、75歳での作品にも全く満足していません。
「いくらかは悟ることができた。しかし、まだ到達すべき先がある」と。

「北斎の言葉から読み取れるのは、老人の域に入ったから
といって変に満足せずに、最後まで『理想』を求める老い方
への哲学です。
老年期とは、自分が蓄積してきた人生の糧を生かし、
それを開花させる…最後のクライマックスとして、
これまで以上の仕事をしようと考える時期だったのです。 」
実はこうした「死際まで自分の道に没頭する」という考え方は
当時は珍しくなく、晩年に大成した有名人は数多くいます。
・「解体新書」や「蘭学事始」など、80歳過ぎるまで「蘭学」を究め続けた杉田玄白。
・青物問屋を40歳で家督を弟に譲って、有名な「動植綵絵」を描き始めた伊藤若冲。
・49歳で家業をすべて長男に譲って、のちに全日本地図の作成に携わった伊能忠敬。

現代に生きる我々からすると、これらの先人の生き方には、
少し違和感を覚えるかもしれません。
現代では、60〜65歳で定年退職し、仕事はひとまずリタイア。
それ以後は、無理せず、悠々自適な老後生活に入る…
そんな生き方が一般的であるため、70歳を過ぎても仕事を
究め続ける生き方には、「少し無理があるのでは?」と
感じてしまいます。

江戸時代までは社会的な「定年」の仕組みは存在せず、
有能な人は働けるまでバリバリ働くことができました。
(時には社会が老人を必要とし仕事の継続を強要されることも…)
ですが、20世紀に「定年制度」が普及し出すと、
次第に「60代で仕事はリタイアするもの」という
社会的な価値観が広まっていきましたことがある。

384はすぴー:2023/11/16(木) 09:43:23
スカイツリーのモデルは「法隆寺」
*****
塔としては世界一の高さを誇る
スカイツリーには、
・世界最速クラス時速36kmで
 展望デッキまで行ける高速エレベーター(東芝製)
・2000台の照明器具を搭載。
 フルカラーの演出を可能にした
 照明・時間制御技術(パナソニック)
など、日本企業の
最先端技術を駆使して作られています。

そんなスカイツリーですが、
建築するのに最大の難関になったのが…「地震対策」
日本での地震の発生件数は…
・世界中で起こる地震の10%以上を占める
・日本での地震の発生件数は年間1,500回以上(2019年度の記録)
・マグニチュード6以上の地震発生回数は世界の17.9%
と世界有数の「地震国」です。

スカイツリーの建築時には、大地震に耐えられるかどうかが
大きな課題となりました。
この手本にしたのは
今より1400年以上前の技術…

世界最古の木造建築として現代まで残る
「法隆寺 五重塔」の技術が使われていました。
五重塔の建立以来、
日本ではマグニチュード7.0クラスの地震が
40回以上起きていますが、
高さ32mにおよぶ五重塔は
一度も倒れることなく現代まで残っています。

そこには、
・塔の幅を上層へいくほど狭く 軽い設計にすることで、
 各階の庇(ひさし)の重量の違いから
 ずれて振動するようになり、塔全体の揺れを打ち消しあう。
・塔の中心部にある「心柱(しんばしら)」を地面から
 数センチ浮かして立てることで、
 心柱が塔の揺れを抑える方向に働く。
など、地震の揺れを軽減するための
緻密な設計がありました。

1400年以上前の飛鳥時代の技術を応用して
作られたのがスカイツリーであり、
世界一の高さを誇る塔が完成したのです。
飛鳥時代に、高い建築技術をもった
職人や設計士がいたとは驚くべきことです…

ですが、
実は、この五重塔が作られた飛鳥時代は
建築技術だけでなく、あらゆる技術や思想・芸術が
発展し現代日本の基盤になっています。
「この飛鳥・天平時代は文化的にみても 芸術的にみても、
 思想的にみても、世界最高の水準を達成しています。
 例えば、仏像・仏画群。これは世界最高峰の芸術的達成
 といえるでしょう。

 また、法隆寺の建築は
 非常に技術的にも高度なものを達成しています。
 さらには『万葉集』をみても文学的な表現の豊かさは、
 群を抜いたものがあります。

 それから、聖徳太子の十七条憲法が達成した思想水準の高さ、
 おそらくいずれをとっても世界最高の水準を達成しており、
 現代もそれを凌駕するものを見出すことができません」
*****
と述べられています。
確かに、聖徳太子の業績を見ると、
建築だけではなく、そのすごさが分かります。
神仏習合は、今も世界で争っている宗教戦争を無くし、
十七条の憲法は、明治憲法の第一条「万機公論に徹すべし」
と言う自由主義の根幹を述べているし、
冠位十二階は、実力主義の世界を描いてます。
外交で活躍した小野妹子は最高位に列せられています。
日本人は誇るべき多くの先賢を持っていますね。

385はすぴー:2024/01/11(木) 09:49:06
土光敏夫氏の秘書をやっていた吉良節子が
土光氏の回顧録を「365人の仕事の教科書」
(致知出版社)に投稿されてましたので、紹介します。
*****
昭和六十一年、電電公社や国鉄の民営化をやり遂げ
臨調は解散。その功績で民間人では初めて
「勲一等旭日桐花大綬章」を受賞されました。
神奈川の鶴見にひっそりと佇む土光家。
「地味で質素」を絵に描いたようなその家はおよそ
東芝の社長や経団連の会長を歴任されたお宅とは思えません。
門は「ギーギー」と轟音が響く、廊下は「ギシギシ」
と鳴り、クーラーもない。
修理やクーラー設置を申し出ても、「まだ使えます」と。

受勲の際、土光さんは「個人は質素に、国は豊かに」
と仰ったとおりの人生でした。
メザシが一番のご馳走で着飾ることを嫌い、
背広もカバンも使い古したものを大事に使う。

色紙を求められると「日新 日日新」と書かれた。
その意味は、「一日を有意義に暮らすためには、
その行いは昨日よりきょう、きょうよりも明日は
新しくなるべきだ」です。
そして、話されていたことは、
「一日の決算は一日にやる。毎朝「今日精いっぱい
に生きよう」と誓い、全力を傾けて生きる」と。
*****
日本には良い先達が多いですが、土光氏は別格です。
凡人の私は身につまされます。
少しでも学べればと思います。

386はすぴー:2024/01/26(金) 12:26:55
 老年学者のカール・ピレマーは、著書のなかで、米国の高齢者1000人にインタビューを行い、彼らが長い人生経験から学んだもっとも重要な教訓は何かを探った。

 ピレマーは次のように書いている。

誰も―1000人のうち誰1人として―欲しいものを買うためにもっと一生懸命働いてお金を稼げば幸せになれたと言った人はいなかった。

誰も―同じく1000人のうち誰1人として―周りの人と同じくらい裕福であることが大切で、さらに裕福ならばそれが本当の成功だと言った人はいなかった。

誰も―同じく1000人のうち誰1人として―将来にいかに高収入になれるかを基準にして仕事を選ぶべきだと言った人はいなかった。

 彼らが大切にしていたのは、温かな友情、高貴で大きな目的のための活動への参加、子どもたちとゆったり過ごす充実した時間などだった。

 モノではなく時間こそが、人生を幸せに導く――これが、人生経験豊富で、あらゆる体験をしてきた人生の先達からのアドバイスなのだ

387はすぴー:2024/02/01(木) 10:28:43
「365人の仕事の教科書」の「ストレスに負けない生き方」

*****
かって、医療社会学者のアーロン・アントノフスキー
が強制収容所から生還した人たちの健康調査を
継続的に行い、一部の人たちはとても長生きしている
ことを見つけた。その人たちは共通して
三つの特性を持っていたと発表している。

その三つの特性とは、
1.有意味感
辛いこと、面白みを感じられないことに対しても、
意味を見出せる感覚。
仕事で言えば、望まない部署への配転や仕事に
対しても「将来何かの役に立つかもしれないし」と
思って前向きに取り組むこと。

2.全体把握感
「いつかは戦争が終わって解放されることも
あるだろう」とか、仕事で言えば、
土日出勤になっても「なんて忙しんだ」と
思うんではなく、「今週は休めなかったけど
、来週のこの辺は少し余裕があって休めるな」
等、先を見て心の段取りが取れること。
仕事を計画的に段取りできる。

3.経験処理可能感
最初は、こんなことは絶対できないと思っても
「そういえばあの時も出来ないと思ったけど
意外とできたよな。今回も出来るんじゃない
かな。」と思えること。
過去の経験からこの程度まではでき、その先は
未知分野だなと分析でき、
対処法が明らかになり易くなる。
*****

確かに、悩むくらいなら、一所懸命に前向きに
取り組んで失敗したことはないですね。

388はすぴー:2024/04/18(木) 10:07:19
「運命をひらくもの」からの抜粋。
*****
将棋の永世七冠・羽生善治さんは、
「一つのことに対して十年二十年三十年、
同じ姿勢、同じ情熱を傾けられることが
才能だと思う」とおっしゃっている。
こういう人を「天才」という。
天才とは「天の力を借りられる人」である。
稲盛和夫氏もその典型であり、
「一生懸命ひたむきに努力していたら、
あいつはかわいそうだといって、
天が智慧の扉を開いて力を貸してくれる」
と仰っている。
二宮尊徳も「之を勤め之を勤めてやまざれば
また天助くべし」
「本業に無我夢中である」ことが運命を拓く
第一である。

運命はどこから来るのか?
運命が発展していくのも廃れていくのも
人の心次第である。運命は人の心が創るのである。
稲盛氏が生前の公園で引用されたジェームズ・
アレンの言葉がある。
「人間の心は自然と似ている。放っておくと
雑草が生い茂る。・・・・・
素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心を
掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、
その後に清らかな正しい思いを植え付け、
それを育み続けなければなりません」
心の雑草を取り除くには、いい人、いい教え、
いい言葉に触れることが必須である。

病を契機に五千日の下坐行(げざぎょう)に徹して
開眼した常岡一郎氏は「人生には栄えゆく者と
滅びゆく者の流れがある」という。
「さあ、一つ災難がすんだ。さっぱりした。
しっかり勉強しよう。修養、反省の時間が出来て
良かった。こう思う人は節から芽を出して茂る人である」
松下幸之助氏も不遇の時代を経て運命を拓いた人である。
「悲運と思われる時でも、決して悲観し、
絶望してはいけない。その日その日を必死になって
生き抜くことが大事。その内、きっと思いもしない道
がひらけてくる。」
「すべてを善意に考える。すべてを修行と考える。
そこから必ず、道がひらけてくる」
*****
すごいですね。
良い運命を導くには、コツコツ弛まず、あきらめず
やり続ける。そしてまた続けるということですね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板