板情報 | スポーツ/趣味/健康 ]  

EnjoyLife

充実した人生を送れたらいいね! その為に役立つ意見交換の場に使って頂ければ幸いです。
スレッド作成:
タイトル:
名前: E-mail(省略可)
内容:

1 : 佐倉哲さんのエッセイ集を読んで(9) / 2 : 池田名誉会長vs創価学会(36) / 3 : レベルアップのコツのようなもの(4) / 4 : 雑談スレ(240) / 5 : メモ帳(37) / 6 : 日蓮考察(253) / 7 : 足跡スレ(76) / 8 : 議論しませんか?(議題検討スレ)(64) / 9 : 徒然(97) / 10 : 何ができるかな(5) / 11 : ○試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について(323) / 12 : 仏教における仏、成仏とは(136) / 13 : 法華経について(164) / 14 : 信じるということ(45) / 15 : 「客観的事実」とは?(39) / 16 : 創価学会を心情に反して語るスレ(60) / 17 : リンク♪(14) / 18 : わめの独り言(22) / 19 : TV番組全般・映画(210) / 20 : 管理人のつぶやき(レス歓迎)(60)
  (全部で20のスレッドがあります)

掲示板の使い方 / 新着をメールで受信 / 過去ログ倉庫 / スレッド一覧 / リロード




1 佐倉哲さんのエッセイ集を読んで (Res:9)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1 名前:わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/02(土) 12:20:45
佐倉哲さんのエッセイ集は、私の仏教・人生観を大きく変えてしまいました。

佐倉哲さんのホームページ(エッセイ集)を読んで意見交換しませんか?
http://www.j-world.com/usr/sakura/index.html

感想なども是非お書きください。

2 名前:さかなこ ◆dkkskTZWJk 投稿日: 2005/07/29(金) 00:15:46
佐倉哲さん…懐かしい。一時期私も凄いはまりました。
大好きです。この方。萌え萌えですよw

3 名前:さかなこ ◆dkkskTZWJk 投稿日: 2005/07/29(金) 00:16:21
HNはソクラテツをもじってるのでしょうかねw

4 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/29(金) 00:34:00
さくらこさんキター━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━>
さくらこさん(*δ,δ)σス・キ・ヨ♪♪

(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」オオオオオッッッ
そっかw そりゃ本名じゃないですよね・・・
佐倉哲→サクラテツ→ソクラテス! なるほろw

さくらこさんも読んでたんだ^^
やっぱしわめの分身だけのだけのことがあるわ♪
ソクラテツ(ス)て書くところも分身ぽいや・・・w

5 名前:たつ 投稿日: 2006/05/16(火) 20:53:37
更新が長く途絶えたりすると亡くなったんじゃないかと暗い気持ちになったりするよね

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


2 池田名誉会長vs創価学会 (Res:36)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1 名前:わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/01(金) 17:27:16
私がスレタイのようにvsと書いたのは、池田名誉会長と創価学会の思想が一致していないと思うからである。
それは池田先生の対外的な講演・提言(SGI提言を含む)の内容と、聖教新聞に書かれている内向け記事とに大きなギャップを感じるからである。

参考資料 http://www.sokagakkai.or.jp/peace/teigen/index.html

もちろん聖教新聞紙上に、池田先生のSGI提言などは掲載されるわけではあるが、そのSGI提言の解説や、提言を受けての学会員に対しての指導などは掲載されない。
地域組織においても、これらを通しての指導などは皆無である。
池田名誉会長が提言で強調されていることは人間主義である。個々の人間において主体者はその人間であり、宗教や思想・政治イデオロギーなどは、この人間主義の基盤が絶対的前提条件であると。
このことはまたときには、人間主義の欠落による宗教の功罪の罪の部分、ドグマに陥ることへの警鐘も鳴らされている。
余談になるかもしれないが、池田名誉会長の種々の提言内容が、池田名誉会長お一人で作られたものではなく、側近幹部や東洋哲学研究所等の研究員の論が反映されているものと思いますが、その論を池田名誉会長自らの意思で採択されていることは間違いないのではないかと思う。

続きは後日

10 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/10(日) 10:34:28
フルナさん、追い討ちをかけるわめです。ヽ(・∀・)ノ アヒャッ!!

MCが残る人には、フルナさんの池田氏叩きは精神的にダメージが大きいように感じます。
MCを受ける環境から離れた人には、自然にMCが解けていくのを待つことがいいのかもしれませんね。^^

また、過剰な池田氏叩きはどこぞの紙上座談会のように、MCにかかってる人や、学会にそんな問題を感じていない人にとっては、叩いてる側の良識を疑われることにもなりかねません。
MCが解けた?と思ってるわめから見ても、そう感じちゃうことがあったりします。(^^;;

フルナさんも法華経の寛容さについて議論なさってた時、わめに失望したと書かれましたよね。
法華経の寛容さを池田氏に置き換えてみるといいかもしれません。

追い討ちかけて申し訳ありませんが、建設的な追い討ちですので、何卒ご容赦ください。m(_ _"m)ペコリ

11 名前:フルナ 投稿日: 2005/07/10(日) 11:00:52
よくわかりました。貴重なアドバイスありがとうございました。

12 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/10(日) 11:23:31
フルナさん、過剰な追い討ちをかけてしまったわめです。ヾ(_ _。)ハンセイ…

フルナさんには、MCにかかり、仏教を間違って捉えて返って不幸になっていく方を、見過ごせないとの強い意志を感じます。
わめも、そのフルナさんの強い意志には、大同小異はありますが共感を覚える者です。

フルナさんの強い意志の上からも、MCが解けていく環境にある方を暖かく見守ってあげることは、その意志に反することでないと思いますので、元気を出してこれからもその意志を貫いていってください。

~~~ヾ(〃^∇^)o キャー!ファイトォー!!

13 名前:フルナ 投稿日: 2005/07/10(日) 11:30:52
>>12

わめさん、ありがとうございます。
そうですね、こういうときにこそ、「巧みな手だて」が必要なのかもしれません。

14 名前:きょうこ 投稿日: 2005/07/21(木) 00:28:48
あ…
フルナさんがこんなところで落ち込んでいたとは…
ごめんなさい。
MC解除委員長のきょうことしては、
フルナさんの書き込みはとっても助かったんです。

BBSって、相手がいないと書けないですし。
そして、どんな書き込みにも、
きっと後で共感するヒトがいると思うんです。
フルナさんと同じように思っている人は本当はたくさんいると思います。
ただ、私もいまだに、
批判意見を書き込むだけで心臓がバクバク言うんです。
これは、頭でどう思っていようと、体が反応しちゃうんですよね。
高所恐怖症とか、そういう感じで。
ですから、あの時はMC解除前の人達の身になって書きました。
(今はブログなんてやっちゃってますから、
 もう早死に覚悟です(笑)心臓との戦い。)

フルナさん、ご覧になっているといいけど…
とにかく、申しわけありませんでした。

15 名前:フルナ 投稿日: 2005/07/23(土) 21:02:45
>>14

きょうこさん、こんばんは。

きょうこさんに指摘されるまで、MC問題の難しさに気づかなかったのは事実です。ですから、どうか気になさらないでください。むしろ、いろいろと勉強させてもらって感謝しています。

池田氏が、このMCの手法を意識的に実行してきたのか否かはわかりませんが、もし計画的だとしたら本当に許せないですね。

ともあれ、学会被害者をこれ以上出したくないという思いは共通ですよね。これからも協力していきたいものです。

17 名前:Leo 投稿日: 2005/10/17(月) 01:11:59
恩師(戸田氏)の二十三回忌に思う -- 池田氏
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html

「第67世日顕上人猊下への変わらぬ赤誠の御奉公を、お誓い申し上げる」
「永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り」
「もとより日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります」

こんな引用して別に正宗の擁護をしようとするわけではありません。
正宗の法主は法主で教学部長時代(シアトル事件じゃなくて)
http://page.freett.com/Libra0000/102.html
「大石寺の教学部長の某師がその反論を書かれたが」(昭和51年当時)
「この某師の論調は全体がこのような責任のない無根拠の小児的主張にのみ始終している」
のように日蓮宗の学者から「小児的」といわれてしまっている。
(日蓮宗の学者を買いかぶるわけではないけど学会以外の批判例なので)
教学部長が次の法主になる慣習や、第二次宗門問題以前、特に第一次宗門問題以前は
法主は学会寄りの姿勢だったとのことだし、第一次宗門問題では学会を
利用して正信会を切った(正信会は正信会で主張は正論かもしれなかったが週刊誌を引用したり
不寛容でやり方がまずく学会のトラウマとなっただけだった)。
で、恩師の二十三回忌に「猊下へ赤誠の御奉公」ですよ。
その後の第二次宗門問題では法主と名誉会長が喧嘩したとかで、名誉会長が会合で法主を
非難しはじめて、その後破門となった(どっちも大人のやることなのか?どうも腑に落ちません、
小児と喧嘩するのは小児だからどっちも小児ということ?)。
こんなことではイカンザキですよ。

それにしても永久とか永遠とは一瞬なんですね。

18 名前:Leo 投稿日: 2005/10/17(月) 01:30:49
最近思うこと

学会指導(文字)で「幸福」という言葉が目に付く。

「絶対的幸福」とはMC理論でいえば「思考停止」じゃないかとか。
学会員って、男子部を思い浮かべると皆悩み抱えていて苦労しながら頑張っていた。
安易に「幸福」という言葉用いていいのかい。それとも、
運転手付外車の後部座席に乗車し、専用の料理人付き、会員から歓呼、世界の要人と対話
してるのが「幸福」っていうのかい。

(注: 私は特定の人物に別に「嫉妬」しているのではなく「幸福」という言葉の学会指導での
安易な使用に怒っているのである)

苦労を乗り越えるのが幸福だっていうのだったらわかる。ガンジーは半裸でガリガリで
糸をつむぎながらインドの独立を勝ち取った。キング牧師は公衆の面前で演説したり行進したり
して公民権運動を叫んだ。どちらの方も最後は倒れたが人の心に永遠に残った。
どっかで勘違いしている人がいるのかなー(展示会やれば偉人のお仲間になれるのかなー)。

19 名前:青空(男) 投稿日: 2005/10/17(月) 13:18:20
細かく幸福って何かを説明する事は難しい・・・。

人それぞれの幸福・・・幸福や夢や希望を忘れるな!という意味合いがあるのかな?

苦難を乗り越えて掴んだ幸福って、何時までも心に残るんですよね。

20 名前:Leo 投稿日: 2005/10/17(月) 23:44:10
青空(男) さん、こんばんは。

>細かく幸福って何かを説明する事は難しい・・・。

あとでLibra師匠に教わった資料を紹介してみます。

>人それぞれの幸福・・・幸福や夢や希望を忘れるな!という意味合いがあるのかな?

幸福って個人ひとりひとりのものかもしれないですね。

>苦難を乗り越えて掴んだ幸福って、何時までも心に残るんですよね。

やはり「法華経を信ずる人は冬のごとし」「冬は必ず春となる」でしょうか。

21 名前:Leo 投稿日: 2005/10/17(月) 23:57:44
幸福についての説明ではないですが、幸福とは何か考えさせられるものなので、Libraさんに教わった一節を紹介してみます。

(宗教団体も同様に)世界の人々(他人)を幸福にしようとすることはしばしば反対の結果を招くものであって
(押し付けであり不寛容を導き宗教戦争にいたる)
むしろ必要なのは「救助を必要とする人びとを助けること」とのこと。

「ポパーの念頭にある倫理は、基本的には、より高い価値を鼓吹するものではなく、
 もろもろの悪に対して直接的な手段で緊急に闘うべきことを教えるものである。
 道に病で倒れた人がいるならば、ただちに治療にあたるよきサマリア人の行動こそが彼の胸中にある倫理であろう。」
(小河原誠 『ポパー─批判的合理主義』 講談社)

「さて幸福の追求が私事の領域に属するのだとすれば、公的課題となるのは避けることのできる苦しみ(suffering)の最小化である。
 ポパーはこれを語るとき、人びとは何が善であるかについては容易に意見の一致をみることはないが、
 何が悪であるかについては比較的容易に意見の一致をみるという状況を念頭においている。
 たしかに、大災害のもとで苦しんでいる人たちをみれば、まず被害者の苦痛を取りのぞかねばならないという点で人びとは容易に一致するであろう。」
(同上)

「人びとを幸福にしようとすることは、「われわれの『より高級な』価値尺度を他人に押しつけ、
 そして彼らにわれわれにとって最大に意義をもっているものを彼らの幸福だと思わせ、そしていわば彼の魂を救済するという企てを不可避的に招く。
 それはユートピア主義とロマンチシズムとにいたる。われわれのうちの誰にせよ、あらゆる人々がわれわれの夢の美しい完璧な共同体で幸福になるだろう、
 と確信している。そして、疑いもなく、われわれのすべてが相互に愛し合えるならば、地上に天国が出現するであろう。
 だが、……地上に天国を作ろうとする企ては不可避的に地獄を産みだす。その企ては不寛容を導く。
 その企ては宗教戦争にいたり、そして、魂の救済を異端審問をつうじて行うにいたる。
 そして、私見によれば、その企てはわれわれの道徳的義務の完全な誤解にもとづいているのだ。
 われわれの義務はわれわれの救助を必要とする人びとを助けることであって、他人を幸福にすることはわれわれの義務ではない。
 なぜなら、他人を幸福にすることはわれわれの義務ではありえないし、
 それはまたしばしば、われわれがそのような心やさしい意図を向ける人びとのプライバシーを侵害することでしかないであろうから」。」
(同上)

22 名前:青空(男) 投稿日: 2005/10/18(火) 13:32:19
>道に病で倒れた人がいるならば、ただちに治療にあたるよきサマリア人・・・

この文は 聖書で読んだ事があります。
倒れている病人の前を、いろんな人(聖職者等・・)が通り過ぎるのだけど、皆、前を通り過ぎて行ってしまう・・・唯一、その病人を助けたのは、皆に嫌われている人(民族?)で、その病人を介抱し、お金まで渡して、最後までキチンと面倒を見るんだですよね。

で、話が前後するんだけど、良き隣人とは誰かと聞いたラビに対して、どちらが良き隣人ですか?とイエスが問いかけるんですよね・・・だったかな?
聖職者や金持ち(宗教や権力者等の権威等)が素通りしていく中を、皆が世間で爪弾きしている人が行った行動を例に取ったイエス・・・

信仰とは、心を豊かにするものでありたいですね。

キリスト教を信じる人が天国に行くのではない、心や豊かな人々の住むところが、即ち天国にいるという事なのだと思います。
教団の存在を考えると、決して他者を幸福にする為にではなく、互いに頑張っていく仲間のいる学校・・・というような所なのかもしれません。

仏法では、菩薩は自らは仏になる為に切磋琢磨して、その間に得た智慧で衆生に利益を与えると言います。
仏は、何経だったかな? 衆生の願いに応じて、仏が現れる。と言ってますね。
要請無しには現れないのですよね。
よし、幸福にしてやるぞ と現れるのは、仏法を知らない、自分の力を過信した驕慢謗法の魔仏という事だと思います。

23 名前:Leo 投稿日: 2005/10/19(水) 00:16:28
>この文は 聖書で読んだ事があります。

[10:29] しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
[10:30] イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。
追いはぎはその人の服をはぎ取り、 殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
[10:31] ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
[10:32] 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
[10:33] ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
[10:34] 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
[10:35] そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
[10:36] さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
(ルカによる福音書 www.fsinet.or.jp/~yoyoue/bible/luk.htm)

ですね。イエスも尊極の衆生であり菩薩の行動なのですね。

>キリスト教を信じる人が天国に行くのではない、心や豊かな人々の住むところが、即ち天国にいるという事なのだと思います。

天国は心の中にあり心や豊かな人々の住むところが天国となるということですね。

>教団の存在を考えると、決して他者を幸福にする為にではなく、互いに頑張っていく仲間のいる学校・・・というような所なのかもしれません。

学校で習うことが社会でそのまま通用するわけではないがよき仲間がいる。学校であればいつかは卒業するという感じでしょうか。

>仏は、何経だったかな? 衆生の願いに応じて、仏が現れる。と言ってますね。

聖書でも同様に「求めなさい。」とのこと。

[11:09] そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
[11:10] だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

24 名前:青空(男) 投稿日: 2005/10/19(水) 00:31:40
Leoさん、ありがとう。

最近の自分は、何か心がスッキリしなくて・・・。

考えすぎて、物凄いおかしな自分がいたり、自分に素直になれない時があったり。

自分を見失っていそうで、怖くなったり・・・。

でも、そんな未熟な私に、目を留めて、優しく諭してくれました。

ホントにありがとう。

25 名前:Leo 投稿日: 2006/01/29(日) 01:40:30
わめさん、こんばんは。

今年も池田氏の「SGIの日記念提言」が発表されましたね。
いつも「SGIの日記念提言」はまあまあよいこと書いているという意識しか
なかったのですが、以前あるアンチの方が「SGIの日記念提言」から創価学会の基本方針
が読めると仰っていたので創価学会を批判的に思う方々にとっても意味があるのではないで
しょうか。

まず「欲望をむき出しにした裸形の個人」についてですが、少なくとも私の周りでは
創価学会員の方もそうでない方も「欲望をむき出しにした裸形の個人」に該当するような方は
いないように思います。「欲望をむき出しにした裸形の個人」に該当する方が誰かいないかと
考えると名誉博士号などを収集している方とかあるいは最近ニュースをにぎわせている方など
が「欲望をむき出しにした裸形の個人」なのかなというメッセージが浮かび上がって来る
ようにも思います(彼らは結構な贅沢をしている(た)といわれているという意味で、
私の勘違いであればよいのですが)。

「人間の尊厳を国連強化の柱に」「日本は環境立国の道を」うーむ。なんだかあたりまえすぎる
ような。で最後の方に「日中友好」「韓日友好」「北朝鮮の核開発問題の解決を」そうかそうか
やはりそうなんだと(現状の中国や韓国の反日教育や反日感情をどうするんじゃい?)。
で最後に「目覚めた民衆の連帯で平和の文化を時代精神に」ですか。
何に目覚めているのかようわからん。日本って戦争に負けて「目覚めて」「平和の文化」
だったんじゃないでしょうか。すでにそうだったものをディレイをもって今やるって
懐メロやリバイバルのような価値なんでしょうか。わかるようなわからないような。

少なくとも「平和」について考えてみるのはよいかもしれません。
現役の創価学会員の方に色々説明して貰えないかなあ?

26 名前:Leo 投稿日: 2006/01/29(日) 01:53:39
...ですが引用されている
「ミレニアム生態系アセスメント」
「京都メカニズム」
「世界の子どもたちの平和の文化と非暴力のための国際10年」
は注目ですね。

28 名前:愛と平和 投稿日: 2006/03/17(金) 10:43:36
 はじめまして、投稿させて貰います。
池田名誉会長=創価学会なのでしょう。何故なら、池田名誉会長は、「創価学会の永遠の指導者」
です。従って、池田名誉会長の人間性を研究すれば、創価学会も理解出来ます。
「池田名誉会長の人間性」は、「宗教の永遠の指導者」ではありません。
その証拠に、池田名誉会長は、自分のせがれを創価学会の後継者にしようとしています。
この時点で、創価学会は池田名誉会長の個人教なのです。

29 名前:青空(男) 投稿日: 2006/03/18(土) 15:29:16
はじめまして、青空と申します。

イケダセンセーの人間性を知るとは?

どの様な情報を基として、自他共に認めることの出来る正しい情報としますか?

また、せがれを後継者とはどういうことですか?

私は学会に不信を抱くものですが、学会の何をあなたは知っているのですか?

できれば、あなたの立場を明確にして、何故 その様に思うか話してください。

30 名前:愛と平和 投稿日: 2006/04/06(木) 17:31:40
  創価学会とは、池田大作の個人教です。
その証拠に、創価学会は何処の宗派にも所属していません。
以前に、日蓮正宗から破門されました。

 その池田創価学会は、仏法上の夫婦関係をあみだしてしまいました。
本当に乱れてしまいました。これも池田創価学会の特徴です。

32 名前:よこ 投稿日: 2006/05/23(火) 07:27:54
日蓮大聖人の教えを根本にした初代牧口先生、2代戸田先生の指導を
忠実に守っているのが、池田先生です。
池田先生が勝手に言っているのではありません。
池田先生のスピーチや著作を読めば、すばらしさがわかると思います!

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


3 レベルアップのコツのようなもの (Res:4)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/05(火) 16:56:27
レベルアップって言ってもアドベンチャーやネットゲのことじゃないよw汗
今が最高レベル!って思えない方のスレットです^^

そう、わめのような方が、如何にすれば現状よりレベルアップできるかを、語り合う(けどまた独り言になるかもw)スレッドです。

わめってレベルアップしてるの?って聞かれたら、( ̄へ ̄|||) ウームだけど、少なくともレベルはアップかダウンか知らないけど頻繁にしてるw

わめ流レベルアップ(ダウン?w)法 その01 「現状の許容値」
わめには天性の才能があるのかもしれない。エッ( ̄ ̄ ̄ ̄^ ̄ ̄ ̄ ̄)ヘン
それは見たり聞いたりしたことを、次から次へと忘れていけるというもの。
バカにする人もいるかもしれないけど、これって重要なことだと思うのね。
人間の記憶力って底知れないと思うけど、それはカタログ値のようなもので、実際には磨きぬかないと超人的な記憶力は得られないと思う。
だから人それぞれに現状の記憶許容値ってのがあると思う。
まぁ記憶力って言ったけど、これは人間の能力全般に言えることで、人それぞれの現状許容値とでも言っておきましょう。笑
で、ある程度その現状許容値一杯に詰まっちゃってると、大きなものはそこに入らなくなるわけで、ある程度は空けておかないともったいないわけです。^^
でも人間って欲張りというか、一度手に入れたものは手放したくないという習性があると思うのよね。
んで、今両手に100円玉を一杯持ってて、目の前に500円玉が一杯落ちてるのにそれが拾えないってことになる。
そしてここがわめの才能なんだけど、両手に100円玉を一杯持ってたはずなんだけど、いつの間にか落としてて少ししか残ってないのですw涙
でもだから500円玉を沢山拾うことが出来て、わめはハッピーになれるわけです♪ d(⌒o⌒)b♪
え? その拾った500円玉は落とさないのって? それは次に拾う時まで見ないから分かりませんw爆
皆さんにはわめみたいな天性の才能はないと思いますので、ここだけの話として意識的にできる方法をお教えします。
それは既に手に入れたものに固執しないことなんです。手に入れたものとこれから手にしたいもの、どちらかを選ばないと両手に収まりきらない時は、とりあえず手にあるものを捨てちゃうことです。で、新しく手に入れたものが気に入らなければそれを捨てて、元あったものを拾えばいいだけなんです。
これって株取引にも応用できちゃういい方法なんです。下がってきたらとりあえず売っちゃって、もっと下がってきた時に買い戻す、これでずっと持ってた人より得をするんです。♪

ってことで今日の上手な株取引講座は終わります。=( ・_・;)⇒ アレ?

2 名前:祥子 ◆Y4utoQzFP2 投稿日: 2005/07/06(水) 11:29:24
レベルUPていうか 失敗から学習する脳内機能、
でも懲りずにDOZIだけど 人間は

RAM増設したいけど>脳内

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


4 雑談スレ (Res:240)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1 名前:わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/06/17(金) 23:48:15
自分の板ながら、わけわかめな私らしいスレばかり・・・w汗
ってことでこのスレを作ってみました。
このスレも私の日記のようなものになっちゃうんじゃないかと
心配ではありますがw

216 名前:ドプチェク ◆UILiye31iI 投稿日: 2006/01/06(金) 07:13:00
明けましておめでとうございます
昨年は何かとお世話になりました
本年も何卒よろしくお願い申し上げます

わめさん、こんにちわ(^_^)。

>ドプチェクさんにとって今年は良い年でありますように。(*´∇`*)

誠にありがとうございます。m(__)m
今年こそ、公私共々に、良い年となれば良いのですがね。
お正月は今年も例年どおりに、普通と変わらぬ生活を送っていた私なのです。
お正月のテレビ番組は、ヴァラエティの類は全然観なかったものの、ただ、3日の晩に放送された「新選組!! 土方歳三最後の一日」を観ました。
あれを観てから、一昨年の「新選組!」の事が再び私の中で、思い出されて来ているのです。

いとしき友は いずこに
この身は 露と消えても
忘れはせぬ 熱き思い
誠の名に集いし 遠い日の
あの旗に託した 夢を
(※2004年NHK大河ドラマ「新選組!」テーマ曲より)

あれは、良かった(^o^)。
ああいうのに憧れる私なのです(^_^)。
それでは、今年もよろしくお願い致します!(^O^)

217 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/07(土) 14:45:07
 ドプチェクさん、こんにちは。^^

 NHK大河ドラマ「新選組!」は全部観ましたよ。
 っていうかキャプ・エンコしてますから全話揃えてDVD保存版にしてあります。(*´∇`*)

> ああいうのに憧れる私なのです(^_^)。

 わめもです。(^^)  と言うか自分なりにはそんな人生を歩いて(走ってかw汗)きたつもりなんですよ。
 今年はすべてのモノ・コトは「危機的存在」・「関係性」であるとし、「慈悲」を最大のテーマとして生きていこうかと考えたりしています。
 「慈悲」ではドプチェクさんはじめ多くの方と共有できるテーマと思っちょりますばい。^^

 本年もよろしくです。(*゜▽゜*)

218 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/07(土) 14:51:59
下記goo辞典の解釈からでは、あわれむ心だけはわめの言う「慈悲」の意味合いから外しております。汗

じひ 【慈悲】

(1)〔仏〕 仏・菩薩の衆生(しゆじよう)をあわれむ心。楽を与える慈と苦を除く悲とをいう。
(2)いつくしみ、あわれむ心。また、情け深いこと。
「―の心」「―を乞う」「―を垂れる」「お―でございますからお見逃し下さい」
(3)「慈悲心鳥(じひしんちよう)」の略。

219 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/07(土) 15:00:27
「〔仏〕 仏・菩薩の衆生(しゆじよう)をあわれむ心。」も外してるw

220 名前:ドプチェク ◆UILiye31iI 投稿日: 2006/01/11(水) 08:01:51
わめさん、こんにちわ(^_^)。

私も「新選組!」は、初回から最終回まで1回も欠かさずに観ました。
わめさんは、全回分をDVDで保存されたのですか。
私はDVDのレコーダーもプレイヤーも持っていなくて、ヴィデオデッキは3年前の夏から不調で、未だにそのままの状態で放置していて、「新選組!」が放送されていた当時は録画しなかったのです。
総集編は録画したものの、あまり画質が良くなく、それより何より、やはり総集編の方では、もう1度観たい場面の数々がずいぶんカットされていたので、正直、すごく物足らなかったですね。
あれほど面白いドラマである事がわかっていれば、ヴィデオデッキを修理に出すなり新しい物を購入するなりして、最初から最後まで全回分を録画するべきだったと後悔しています。
全回分のDVDは、昨年発売されたようですね。

慈悲ですか。
言うは易し行なうは難しで、なかなか難しい事ですね。
私の中では、常に慈悲の心と鬼の副長・土方歳三のような心とが、相半ばの状態で、しょっちゅう葛藤しているとでも言うのでしょうか。
政治的・思想的な言い方をするなら、ある時にはハト派、また、ある時にはタカ派といった感じですね。
私自身は、厳しさと優しさの両方の姿勢が必要だと思っているのですが、ただ、何れを用いる場合でも、その時々の状況に応じて使い分け、的確な判断を下すのは結構難しく、たとえ良かれと思ってやった事でも逆効果を齎すケースがありますから。

ところで、「新選組!」で山本耕史の演じた土方は、鬼の副長でありながら、優しさを秘めていた感じがしていて、また、香取慎吾の近藤勇は、優しい局長のイメージが強かったですね。
無論、慎吾君の近藤も耕史君の土方も、私自身は良かったと思っています。(^O^)♭

それでは、また!(^_^)

221 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/14(土) 12:48:38
ドプチェクさん、こんにちは。

> 私の中では、常に慈悲の心と鬼の副長・土方歳三のような心とが、相半ばの状態で、しょっちゅう葛藤しているとでも言うのでしょうか。

 鬼の副長も慈悲の心の成せるわざではないのでしょうか?(*゜▽゜*)

> 私自身は、厳しさと優しさの両方の姿勢が必要だと思っているのですが、ただ、何れを用いる場合でも、その時々の状況に応じて使い分け、的確な判断を下すのは結構難しく、たとえ良かれと思ってやった事でも逆効果を齎すケースがありますから。

 慈悲心から発する言動は優しいことばかりとは限らないですものね。^^
 わめ的には断定的な物言いはしないように心掛けていますが、それでも相手に誤解されるケースもありますしなかなか難しいですね。汗

222 名前:ドプチェク ◆UILiye31iI 投稿日: 2006/01/19(木) 20:21:16
わめさん、こんばんわ(^_^)。

> 鬼の副長も慈悲の心の成せるわざではないのでしょうか?(*゜▽゜*)

私の場合、むしろ、土方は新選組の団結を強固なものにする為、自らの心の中に存在する優しい気持ちを無理矢理押し殺す事で、敢えて鬼になっていたという風に捉えていたのですけどね。
そんな鬼の副長・土方の本心がもっともよく現われていたのは、新選組の今後の繁栄を願って山南敬助が切腹した後、近藤と二人で顔をクシャクシャにしてわき目もはばからず、大声を上げて泣いたシーン。
あれこそが、土方の本当の姿だったと思います。

> 慈悲心から発する言動は優しいことばかりとは限らないですものね。^^
> わめ的には断定的な物言いはしないように心掛けていますが、それでも相手に誤解されるケースもありますしなかなか難しいですね。汗

これって、本当になかなか難しい事ですよね。
先日、私は自分の所で、もしかすると、非情だとか冷たいとかいう風に受け取られてしまうかもしれない注意・忠告を致しましたけど、でも、言わざるを得ず、看過できない事でしたので。
注意された人たちが私の言った事をどのように思っているのかはわかりませんが、ただ、発言内容そのものについては決して間違っていないと確信しています。
まぁ、私が注意した人たちに対しては、公の場では言えないちょっとした疑念もあるのですけど。
難しい事ですが、発言には常々気をつけて行くべきなのでしょうね。

それでは、また!(^_^)

223 名前:殿舎男@秋葉系 ◆XgzPoOaLlE 投稿日: 2006/01/30(月) 00:31:33
いきとし殿はいずこに~ こよいは露と消えても♪
わすれはせぬ 熱き思い♪

224 名前:aaa 投稿日: 2006/02/05(日) 20:14:26
創価学会は本当にすごい!
御本尊様に祈ると、願いが叶い、
幸福になれるんです!
本当にすごいです!!

226 名前:wakko 投稿日: 2006/06/03(土) 11:01:42
創価学会は素晴らしいなぁ、と日々実感しています。

227 名前:Leo 投稿日: 2006/06/22(木) 23:19:32
ううむ。確かにお好きな人にとっては素晴らしいかもしれない。

勤行、協議会、会合、唱題会、御書学、本幹、新聞啓蒙、部員さん訪問、人材グループ、民音、友好、選挙のF取り、友人の連れ出し、本尊流布、教学試験、財務、広宣流布...

228 名前:ドプチェク ◆UILiye31iI 投稿日: 2006/06/29(木) 05:04:18
わめさん、ご無沙汰しています。
Leoさんも、本当にお久しぶりです。
みれいさんは、どのようにされているのかな?
もう5ヵ月以上も前、「日蓮考察」のスレッドに書き込んで以来ですが、あれからレスをしないですいません。
私の方は、自分の所で述べていますように、色々とありました。
今日は、ちょとだけほとんど独り言風で。
私自身は、1年位前から勤行で以下の文を読誦しています。


<道場偈>
我此道場如帝珠 十方三宝影現中
我身影現三宝前 頭面摂足帰命礼

<三宝礼>
一心敬礼十方一切常住仏
一心敬礼十方一切常住法
一心敬礼十方一切常住僧

<開経偈>
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い奉ること難し。我れ今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の第一義を解せん。
至極の大乗思議すべからず。見聞即皆菩提に近づく。能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は即ち是れ応身なり。無量の功徳皆この経に集まれり。是故に自在に、冥に薫じ密に益す。有智無智罪を滅し善を生ず。若は信、若は謗、共に仏道を成ぜん。三世の諸仏甚深の妙典なり。生々世々、値遇し頂戴せん。

<運想>
唱え奉る妙法は、是れ三世諸仏の所証の境界、上行薩た(※「た」は「土」+「垂」の漢字)霊山別付の真浄大法なり。一たびも南無妙法蓮華経と唱え奉れば、則ち事の一念三千正観成就し、常寂光土現前し、無作三身の覚体顕れ、我等行者一切衆生と、同じく法性の土に居して自受法楽せん。此の法音を運して法界に充満し、三宝に供養し、普く衆生に施し、大乗一実の境界に入らしめ、仏土を厳浄し、衆生を利益せん。

<四誓(四弘誓願)>
衆生無辺誓願度 煩悩無数誓願断
法門無尽誓願知 仏道無上誓願成

<御妙判 立正安国論>
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

229 名前:みれい 投稿日: 2006/07/06(木) 16:24:21
ドブチェクさん、ご無沙汰です。
こちらも相変わらずです。

五ヶ月ぶりですか。早いもんですね。

開経偈は私もとても好きです。

231 名前:Leo 投稿日: 2007/03/25(日) 23:41:06
(メモ帳スレに関連して) わめさん、お久しぶりです。

(下はアンチを気にしている方々へのつぶやき...)

ううむ。アンチという実体は存在するのかなぁ。
(アンチ即是空じゃないのかなぁ?)

というか大衆宗教系の深層心理の世界はこれなのなぁ。
(あくまで深層心理の世界で見た目でないでやんすよ)

○ 1984 Apple's Macintosh Commercial
http://www.youtube.com/watch?v=OYecfV3ubP8
(SFの1984がモチーフやね)

ここに出てくるハンマーを投げる姉ちゃん(象徴)は
「学問手法」だったり「脱カルト」だったりするのですなぁ。

232 名前:Leo 投稿日: 2007/03/26(月) 00:22:01
# 投稿がこけたので再投稿

(続き)わかりにくいので... (余計わかりにくくなったりして...)

>というか大衆宗教系の深層心理の世界はこれなのなぁ。
>(あくまで深層心理の世界で見た目でないでやんすよ)

要はある方々にとって「ビッグ・ブラザー」が存在(する/しない)、
必要と(する/しない)ということですよ。

この小説は言いえて妙なところががありますな。

○ 1984年 (小説) (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_%28%E5%B0%8F%E8%AA%AC%29

「党の3つのスローガンが至る所に表示されている。

* 戦争は平和である(WAR IS PEACE)
* 自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)
* 無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)」

「ビッグ・ブラザー」を必要な人々が主流になればそういう世の中に
なるわけですが、そういう世界は真っ平ごめんです。
(そういう世界にならないと楽観的に考えたいですが、果たして...)

平和とは戦い、自由とは不二で、究極の智慧とは無知で、結局は力...

人類は進化しているのか退化しているのかよくわからん...
(あるいは局所的に退化の集団が存在してこれらが逆説的に本来の進化
を促すというのが歴史の法則なのか)

233 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2007/03/27(火) 11:40:24
 Leoさん、こんにちは。お久しぶりです。^^

> この小説は言いえて妙なところががありますな。
> ○ 1984年 (小説) (Wikipedia)

 『娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)はふんだんに提供されている。 』

 ↑に一瞬魅力を感じてしまったわめです。汗 でも気を取り直してw

> そういう世界は真っ平ごめんです。

 私も真っ平ごめんです。(^^;;

> 人類は進化しているのか退化しているのかよくわからん...
> (あるいは局所的に退化の集団が存在してこれらが逆説的に本来の進化
> を促すというのが歴史の法則なのか)

 流行するものも周期的にやってくると考えれば、退化・進化を繰り返しているとも言えそうです。

 「中道・中庸・程々」がいいなどと考える私ですが、世の中が「中道・中庸・程々」の考え方が主流になった時に、私は果たして今と変わらずそれがいいと言えるのか自信がありません。

 理想は理想であって理想が現実ではないのがいいのかもしれないなんてふっとおもいました。

234 名前:Leo 投稿日: 2007/03/29(木) 23:50:02
わめさん、お久しぶりです。

> 『娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)はふんだんに提供されている。 』
>
> ↑に一瞬魅力を感じてしまったわめです。汗 でも気を取り直してw

いや正直と思います。意外と現実世界もこういった面はあるのではないでしょうか。

>私も真っ平ごめんです。(^^;;

娯楽はよいとして過度の支配は(>_<)ですね。

>「中道・中庸・程々」がいいなどと考える私ですが、世の中が「中道・中庸・程々」の考え方が主流になった時に、私は果たして今と変わらずそれがいいと言えるのか自信がありません。

中道が退屈になったら過激に走るもよしで、過激が飽きたら中道に戻ってと、多分セルフコントロールす。

○ マトリックス (映画) (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

大衆宗教もマトリックスかもしれないし、究極的には現実世界もマトリックスかもしれないです。

○ 惑星ソラリス (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9

私にとっては「地球」が「惑星ソラリス」なんです。

235 名前:Leo 投稿日: 2007/04/09(月) 23:55:41
なぜか、

> 『娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)はふんだんに提供されている。 』
>
> ↑に一瞬魅力を感じてしまったわめです。汗 でも気を取り直してw

にこだわりますが、わめさん、維摩居士を思い起こさせるような...起こさせないような...

(参考資料)
○『維摩経』ノート (ヨハネス・シフベルクさん)
http://www.geocities.jp/johannes_schiffberg/Yuima.html
「世間では悪の巣窟だといわれるところでも、そこを避けて通るわけでもない。」

○ 諸法空相 (仏教談義)
http://homepage2.nifty.com/y-ookubo/sub21.html
「また二番弟子の弟子目連も維摩からこのように言われます。「あなたは、十二縁起などといった、いかにも深遠な言葉を使って、高みから人を見下すように教えを説いていませんか。あなたの言葉は、妖術使いの虚妄の世界の言葉と同様に空しいものです。真理は、言葉にできない言葉なのです。真理と一体にならないと、真理はあなたのものにはなりません。」」

うーん「・・・・・」(←沈黙)。

236 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2007/04/11(水) 01:09:28
 Leoさんこんばんは。^^

 維摩詰って何だかすごいね。
 私も、「無欲にして欲を愛する」の「無欲」は無理としても、「欲を愛する」ところでは親近感を覚えます。(ぉぃ!

> 世間では悪の巣窟だといわれるところでも、そこを避けて通るわけでもない。」

 これなんかも維摩詰は無欲無心なのでしょうか。
 私は、欲心で避けて通りませんでしたし、むしろ好んで同化した時代も。汗

 やってることだけなら私も維摩詰に似ているところがあるように思います。爆

 冗談はさておき、ある種の人間の欲というか闇というかその底が知れない深さには、さすが?の私も身震いするほどの怖さを感じます。
 これは自分の中のそのような欲や闇と向き合うことを、どうしても避けたいという心の拒否反応なのかもしれません。

 やっぱ私は維摩詰のようにはなれないようです。涙

237 名前:Leo 投稿日: 2007/05/13(日) 23:44:17
維摩詰や他の物事を考えていてはたと思いました。

別に悪を奨励するのでは決してありませんが、善悪の判断は所詮相対的なものであり、そういうものがあるのだと理解し考察することが重要なのですね...

(わかりにくい(!?)たとえをしますと)存在するものを頭のなかでいくら一生懸命否定してみても存在するものは存在します。
(逆にいうと「存在する=肯定」でもありません)

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


5 メモ帳 (Res:37)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 5
1 名前:わめ★ 投稿日: 2005/09/25(日) 22:01:58
あまりに情報(リンク含む)が多過ぎて、整理しきれなくなってきました。汗

ってことで、このスレを重要URLリンクやメモ代わりに使いたいと思います。^^

16 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/03/23(木) 15:47:56
EnjoyLifeブログの2005.12.20付記事の『自性・無自性について』のくまりんさんのコメント(2005.12.25)を転載。その二-2(文字数超過で2回に分割)
http://wame.seesaa.net/article/10864702.html

 引用した岡野論文によればそうした思想はインド土着的なものであり、『本来大衆部の部派に限られる説であったものが(『異部宗輪論』参照)、仏伝文学の流行によって他部派にも広がっていったものである。このために、仏伝は部派を越えて互いに類似するに至ったものと思われるが、同時にそれによって大衆部系統に由来するであろう仏伝の永遠反復説を反映した仏伝の描写が、痕跡あるいは模倣として他部派の発達仏伝の中に残るに至ったと考えられる。』としそれが常に仏弟子のエリートであり時間主義的な歴史性のあるブッダ観を持つ声聞の仏教思想を脅かしたと指摘していますが、その仏教を破壊する時間無視の場所的相互依存性を牽制する為にこそ説一切有部はアビダルマを体系化し、律蔵を増広していったと僕は考えています。また平岡聡の指摘する大衆部系の文献と般若経群の相互依存、影響関係(『説話の考古学 インド仏教説話に秘められた思想』仏教大学提出博士論文の書籍化)を前提にし、ナーガルジュナの伝記に伝えられるようにナーガルジュナが般若経を理解した上で『中論頌』を現したとすれば場所的相互依存性と解釈する佐倉哲のナーガルジュナ理解は正しいことになるけれども、時間的思想としてのブッダの十二支縁起は対立するとは言えないまでも副次的なものとなり、かかる思想の持ち主だったとすれば松本説は退けられることになります。しかし石飛の指摘するようにナーガルジュナはブッダの論理学を理解していたことは否定され得ない(時間的縁起も含まれるとすれば)のでなかなか興味深いところではありますが僕はどちらでもかまいません(笑)。

 またナーガルジュナの伝記よれば彼は強姦を犯していますから有部律では比丘にはなれない人であるけれども大衆部の比丘であるならば、大衆部では悪業は善業を積めば消えるとされ(有部では悪業は善業を積んでも消えないとされる)ているので伝記に記載されていることは矛盾なく成立することになるし、そうなればショペンの言うように有部やニヤーヤ学派に乗り込んで論争を挑んだ『党派心の強い説教術を持つ小さな戦闘的集団の一員で』自らの『論理に基づいて行われる議論を台無しにしてしまった』ことも自然に考えることができます。しかし彼の思想を受け継いでいった比丘達は中観派という確固とした思想の流れを仏教史に記したことは紛う方なき事実です!なぜならば佐倉が指摘するようにアビダルマを実体的なものとして固執して教条主義的な教えにしてしまった比丘が多数いたであろうことは普通に考えても推測できるからです。こうしたエピソードは仏教史をゆたかにすることには間違いがないので賛否はともかく歓迎されるエピソードだと思います。

>>ダルマとは何を指しているかと言うことが分からない
 この場合のダルマとは教義には十二支縁起の各支、五蘊、眼耳鼻舌身の五根と働きを現す五境、四大であり、広義には説一切有部のアビダルマで記号化される五位七十五法、あるいは南方分別説部(テーラーワーダ)のアビダルマ・物質、心、心所の各ダルマを指します。

Posted by くまりん at 2005年12月25日 16:36

17 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/04/14(金) 15:51:57
goo辞書より『宗教・哲学・科学』の解説

しゅうきょう ―けう 1 【宗教】

(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。
(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる種々の形態がある。


てつがく 2 0 【哲学】

〔(ギリシヤ) philosophia は知恵への愛・希求の意。西周(にしあまね)の訳語。賢哲の希求を表すために「希哲学」と訳したが、後「哲学」とした〕
(1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。
(2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
「社長の経営術には一つの―がある」


かがく くわ― 1 【科学】

〔science〕
(1)学問的知識。学。個別の専門分野から成る学問の総称。「分科の学」ないしは「百科の学術」に由来する。
(2)自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。実験や観察に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。研究の対象と方法の違いに応じて自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義には自然科学を指す。

18 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/06/05(月) 14:07:59
三ちゃんブログの記事・コメント

【選民】
http://blog.livedoor.jp/s3939/archives/50412988.html
【やりなおし】
http://blog.livedoor.jp/s3939/archives/50417046.html
【文明以前】
http://blog.livedoor.jp/s3939/archives/50421174.html

19 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/06/05(月) 14:13:32
EnjoyLifeブログの記事・コメント

【Re: 地獄への道は人びとの善意によって舗装されている】
http://wame.seesaa.net/article/16676845.html
【格差社会】
http://wame.seesaa.net/article/18291064.html

20 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/06/07(水) 12:13:51
三ちゃんブログの記事・コメント

【根本倫理】
http://blog.livedoor.jp/s3939/archives/50423992.html

21 名前:わめ 投稿日: 2006/06/20(火) 16:32:02
みれいしゃんブログの記事・コメント

【欲望と破壊】
http://blog.goo.ne.jp/mirei-2005/e/db08f6abe1b65f73b555ca7d2b5f9474
【日本のカルト宗教問題】
http://blog.goo.ne.jp/mirei-2005/e/4101f99e4cdb37f74d64bf34298df9ab
【討論】
http://blog.goo.ne.jp/mirei-2005/e/c6ab079d34bceb033e4c19aeeeddd19f

22 名前:わめ 投稿日: 2006/06/22(木) 14:29:20
メメさんブログの記事・コメント

【いやな予感と重たいテーマ】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/06/post_66ef.html

23 名前:わめ 投稿日: 2006/06/27(火) 16:31:31
メメさんブログの記事・コメント

【アンチ(系)ブログらしからぬ記事】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/06/post_73ba.html

24 名前:わめ 投稿日: 2006/07/02(日) 15:55:04
メメさんブログの記事・コメント

【こないだめっちゃ驚いたこと】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/07/post_eaa4.html
【この界隈について思う】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/07/post_ce48.html

25 名前:わめ 投稿日: 2006/07/14(金) 03:13:26
Libra師匠のサイトより

信仰的模倣時代から理性の時代へ(牧口常三郎)
http://freett.com/Libra0000/024.htm

27 名前:わめ 投稿日: 2006/07/15(土) 17:41:45
Laoさんの哲学の言葉
http://page.freett.com/leo020503/maxim.html

28 名前:わめ 投稿日: 2006/07/30(日) 19:23:47
にっし〜さんのブログの記事・コメント

【僕が考える仏法と他宗の違い】
http://blog.drecom.jp/nisshiey/archive/122

29 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/09/08(金) 00:44:39
メメさんブログの記事・コメント

【活動と信仰】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/09/post_18fb.html

【初の試み】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/09/post_78ca.html

30 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/09/10(日) 11:15:11
フルナさんブログの記事・コメント

【輪廻からの解脱こそ仏教の目的】
http://pub.ne.jp/nonpro/?entry_id=297264

31 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/09/22(金) 14:59:15
三ちゃんブログの記事・コメント

【教育1】
http://blog.livedoor.jp/s3939/archives/50513834.html


フルナさんブログの記事・コメント

【「生きることは苦」は主観か?】
http://pub.ne.jp/nonpro/?entry_id=331394

33 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/09/27(水) 14:09:26
メメさんブログの記事・コメント

【「必ず治る」リターンズ】
http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2006/09/post_f359.html

34 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2007/01/22(月) 00:20:54
gizmoさんブログの記事・コメント

【最近のこの界隈に思うこと】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-299.html
【おまえらこそいじめてるじゃねーか】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-301.html
【罰は存在する】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-302.html

35 名前:わめ 投稿日: 2007/02/02(金) 22:26:55
gizmoさんブログの記事・コメント

【幸せならいいんですけど】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-303.html
【もっと柔軟になりましょ】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-304.html
【謝罪するくらいなら最初から書くな】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-305.html
【問題の本質はなにか】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-308.html
【アンチどものやってること】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-309.html
【部分肯定でかまわない】
http://gizmo4649.blog31.fc2.com/blog-entry-311.html

36 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2007/03/27(火) 11:45:04
アロエさんブログの記事・コメント

【ニセ宗教】
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/320

【相対尺度】
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/321

37 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2007/05/08(火) 15:34:16
Libra師匠ブログの記事・コメント

【批判的合理主義入門】
http://fallibilism.blog69.fc2.com/blog-entry-9.html

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


6 日蓮考察 (Res:253)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 6
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/21(木) 11:10:24
このスレッドでは、日本では馴染みの深い、日蓮をテーマに議論していきたいと思います。
日蓮の呼称は、大聖人とか、聖人とか大菩薩など様々ですので、敢えてスレタイは日蓮とさせていただきました。
わめもここでは配慮して、日蓮と書く場合が多いかもしれませんが、配慮以外の他意はないことを予めお断りしておきます。
皆さんは馴染みある呼び方でも、日蓮とだけでも自由にお書きください。

それとわめの掲示板での議論のルールを説明します。
ネチケット尊守は当然して、ここではポパーが提唱する「可謬性」をお互いが認知し、「批判的合理主義」に則って議論をし、互いの知識を高めあっていこう、互いの誤謬を発見し合い、喜びとしようとするものです。
なので、自らの論の正当性を、訴えることに終始したり、他者からの批判を、攻撃されているように受け止めることは避けてください。
それと皆さん限られた時間の中での書き込みになるかと思いますので、レスを催促したりすることは避けてください。レスはむしろテキストエディター等で作成し、何度も読み返す&時間をおいて書き込む等を心掛けてください。

またテーマに関する範囲でその自己認識を提出し、誤謬がないかを指摘してもらうのもいいかもしれません。
ということでよろしくお願いいたします。ぺこ <(_ _)>

最後に「可謬性」及び「批判的合理主義」の簡単な解説を載せておきます。

「可謬性」とは、ポパーが用いた用語で、われわれの知識が完全に真理に到達したかどうかは確証できず、常に誤っている可能性があるということ。
「批判的合理主義」とは、「私は間違っているかもしれない、あなたが間違っているかもしれない、そしてお互いに批判的に検討しあえば、よりよい真理に到達できるかもしれない」とする見解をいう。

231 名前:顕正居士 投稿日: 2006/02/28(火) 11:07:56
一念三千は天台家と日蓮家と二つあるのかという議論が起こったので、興味がある方は。

富士門流信徒の掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/

232 名前:小雨 投稿日: 2006/04/01(土) 07:34:11
http://www.geocities.jp/mksutra/

http://www.geocities.jp/mksutra/nolecturebyikeda.html

結構面白いホームページだ。

233 名前:Leo 投稿日: 2006/04/02(日) 14:22:15
皆様は「蝸牛角上の戦い」はご存知のことと思います。
一部の仏教界でも同じようなことが起こったのですな(笑)

蝸牛角上の戦い
http://www.interq.or.jp/www1/ayu0896/novels/novel_kagyu.html

234 名前:Leo 投稿日: 2006/04/02(日) 14:33:22
(ある方のご指摘を参考にしました)

今ではSGIのHPでは釈迦がキチンと説明されているのですね。
未だに珍説日蓮本仏論が信じられているのは日本だけなのでしょうか?

Nichiren's philosophy is rooted in the teachings of Shakyamuni
(Gautama Siddartha), the historical founder of Buddhism who lived
in India some 2,500 years ago.

http://sgi.org/english/Buddhism/nichiren.htm

Buddhism began with one person’s search for a solution to human
suffering. Shakyamuni (Gautama Sidartha), known as the Buddha, or
“awakened one,” lived around 2,500 years ago in India.

http://sgi.org/english/Buddhism/shakyamuni.htm

235 名前:Leo 投稿日: 2006/04/02(日) 15:07:12
>皆様は「蝸牛角上の戦い」はご存知のことと思います。
>一部の仏教界でも同じようなことが起こったのですな(笑)

私がこのようにいったのは、一部の仏教界で宗教戦争している間に真実があきらかに
なりつつあるということで、あしからず。

このような資料が参考になるのではないでしょうか。

○ 所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について(犀角独歩さん)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html

○ 何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか(犀角独歩さん)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html

○ 日教研・研究発表レジュメ(犀角独歩さん)
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/041023_resume_01.jpg
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/041023_resume_02.jpg

○ 二箇相承 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%AE%87%E7%9B%B8%E6%89%BF

○ 平楽寺書店 『大石寺教学の研究』
http://spn07604.co.hontsuna.com/article/1310806.html

236 名前:Leo 投稿日: 2006/04/02(日) 23:08:01
このような資料があるのを見つけました。ご参考までに。

○ 本門戒壇之大御本尊の相貌について―日禅授与本尊との対比―(興門所伝考)
http://lupinus.org/naohito/kaidan_zenshi.html

○ 上代興門略年表(興門所伝考)
http://lupinus.org/naohito/nenpyou.html

○ 日興門流小辞典(興門所伝考)
http://lupinus.org/naohito/dictionary.html

237 名前:顕正居士 投稿日: 2006/04/05(水) 20:07:54
蝸牛角上の戦いに似た故事に鷸蚌(イッポウ)相争うがあります。いわゆる漁夫之利です。
http://oak.zero.ad.jp/teru/gakusyu/kojiseigo/gyohu/

この故事が法華文句の釈寿量品に引かれています。寿量品の仏は有限なのか無限なのか。
対立する解釈を挙げた後に、こう評します。

今為答之。品直道壽量。不道壽有量。不道壽無量。爾作無常他作常解此復何咎。鷸蚌相扼。

今為ニ之ニ答ヘン。品ハ直チニ壽量ト道(イ)フ。壽ニ量有リト道ハズ。壽無量ナリト道ハズ。
爾ラバ無常ト作(ナ)スモ、他(マタ)常解ヲ作スモ此レ復タ何ノ咎カアラン。鷸蚌相扼センヤ。

それぞれに言分があることを二者択一で争うことはむなしい。

238 名前:日蓮見直し隊 投稿日: 2006/04/19(水) 00:45:25
本来の「法体」とは、法華経の教えの本体、法華経の本質となる教え、所謂法華経の肝心である教えを言います。ですから、「南無妙法蓮華経」は法華経という優れた教え、特に寿量品を中心とした教えへの信心となります。その信心を以て、人生を懸命に修行して真理・真実に至らんとするのです。勿論、法華経の教えを謗る世の中或いは人達の中に交わって、法華経の教えこそ最勝であると「南無妙法蓮華経」と唱えて宣伝するならば、法華経を説かずとも、法華経の哲学を理解するに至らずとも、その功徳はとても大きいでしょう。

ところが、中古天台的な本覚思想に影響された人達、そして彼等が創りだした日蓮聖人の書にあらざるものを日蓮聖人の書と信じてきた人達は、「法体」とは即ち「真理(妙法)」であるからと、前述の「南無妙法蓮華経」を置き換えます。即ち「南無妙法蓮華経」そのものが真理の名称であって、その真理をただ口に出して唱えていれば、真理を悟る身になる、本来自分が仏であることを覚ると、仏教の常識では有り得ない極端な事を言うわけです。ですから、彼等にとっては釈尊も法華経も必要なものではなくなるのです。そして日蓮聖人の教えを、矮小なカルトとしてしまいながらも、最も優れた教えであると自負するに至ります。

日蓮門下にあっても、近代の文献的な研究を尊重せず、或いは日蓮聖人の御遺文を勉強せず、その本来の宗教的・哲学的思想を理解せずして、創価学会と同じようなことを言う僧侶が結構います。まあ、最近は本覚思想に影響されていると言うよりも、面倒な勉強も厳しい実践もしなくて楽だからのようですが。一方で堕落した教えに満足できない人、日蓮聖人の教えを誤解している人達は、心の持って行き場がないので、荒行に入って祈祷を学んだり、或いは慈善活動に傾倒したりしているようでもあります。

創価学会の如くに「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」を振り回して、法華経も説かず、日蓮聖人の御遺文も読まず、題目さえ唱えれば良いとする門下の僧侶が居るとすれば、もう法師である僧侶は人々から必要とされません。必要とされるのは、檀家に対して営む葬式・法事の時と祈祷ぐらいのものです。自分達で自分の首を絞めるだけでありましょう。しかしながら、現実は実にこれに近い有様であるかも知れませんね。大いに危惧せねばならないことです。

ちなみに、この「切り文」が用いられる上野殿御書(弘安1年と日興上人の注記)は真蹟のない写本で、出所はあの「富士大石寺」です。日蓮正宗・創価学会が依拠とする真蹟の存在しない上野殿(南條時光)に宛てられたする書簡の殆どが、写本されたとして富士大石寺に保管されています。

では、数少ない真蹟のある上野殿御返事(弘安2年)に日蓮聖人は何と書いてるでしょうか?ちなみに、この出所も実は「富士大石寺」なのです。

日蓮聖人は、次のように自らの身を語られます。「念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値(あ)ひて法華経をひろむれば、王臣万民ににくまれて、結句は山中に候へば、天いかんが計らはせ給ふらむ。」(念仏・禅・真言・律などを信じる世の中で法華経を弘めんとしたために、国王にも万民にも憎まれ、挙げ句には山中に入ることとなっているが、天は今後如何にお計らい下さるであろうか。)

そして日蓮聖人に供養なさった南條氏には「たうとくめでたき御心かな。釈迦仏・法華経定めて御計らひ候はんか。」(尊く立派なお心です。釈迦仏・法華経が、必ずお計らいになられることでしょう。)

真蹟には、明らかに「釈迦は役に立たない、釈迦の法華経は役に立たない」とする創価学会ならびに日蓮正宗の教義とは異なることが述べられています。さて、日蓮門下は日蓮聖人の御真蹟を用いて、日蓮聖人の教えを護るべきでしょうか?それとも真蹟の存在しない日興上人の写本とされるものを以て教義を立てるべきでしょうか?

以上は転用です。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

239 名前:青空 投稿日: 2006/05/25(木) 12:53:23
日蓮の言う法華経とは”南無妙法蓮華経”の事では?

釈迦仏・法華経の計らい・・・これも 誤解??

釈迦仏は、南無妙法蓮華経を知っていたが、機根の違う衆生だったので説かなかっただけの事。

他の御書・遺文に、そのような記述がある。

顕本法華は、経文相承を掲げるが、そっちは如何なる根拠があるのですか?

日蓮正宗も顕本法華宗も どっちもどっちって感じです(汗)

240 名前:みれい 投稿日: 2006/07/06(木) 16:32:33
御書に「教主釈尊」という言葉がしばしば出てきますが、その解釈の違いで全部意味合いが変わってきちゃいますね。
日蓮正宗系では(創価学会も)その言葉は抜かして説明されていたと思います。

241 名前:わめ 投稿日: 2006/07/18(火) 19:08:14
 皆さん、こんにちは。^^

 青空さんおひさです。ヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪

> 釈迦仏は、南無妙法蓮華経を知っていたが、機根の違う衆生だったので説かなかっただけの事。

 釈尊は、普通に考えると法華経も南無妙法蓮華経という言葉も知らなかったと思いますよ。(^^;
 また、機根が正像末の三時を指すとすると、この機根も釈尊は知らなかったと思います。
 釈尊滅後に創作された法華経や三時の立て分けを知る訳はないでしょう。

 でも釈迦仏というのが、人間ブッダを指していないとしたらこの限りではないかもしれませんが。

242 名前:青空 投稿日: 2006/08/12(土) 15:03:03
わめさん、元気ですか?

お釈迦様の説法は、対機説法、但し 法華経は随自意の説法といいますね。

これも、後世の人が考えた事で、そんな事も創作なのだという事ですね。

視点を変えると、全然 宗教が有り難くなくなりますね(汗)

でも、人が生きる為に 宗教ってあった方が良いのかな??でも、戦争の原因になるくらいですから・・・

仏教が広まった方が良いと思いました。

243 名前:わめ 投稿日: 2006/08/12(土) 15:21:30
青空さん、こんにちは。^^

わめは元気ですよ〜(*´∇`*)

> お釈迦様の説法は、対機説法、但し 法華経は随自意の説法といいますね。
> これも、後世の人が考えた事で、そんな事も創作なのだという事ですね。

実際のお釈迦様の説法は対機説法が多かったと思います。
不勉強でいい加減なことを言わせてもらうと、随自意が随他意より勝れているということはないように思います。
スッタニパータは対機説法が多いのかな。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/fransoie/zuian/kotoba.htm

> 視点を変えると、全然 宗教が有り難くなくなりますね(汗)
> でも、人が生きる為に 宗教ってあった方が良いのかな??でも、戦争の原因になるくらいですから・・・

釈迦は「信仰を捨てよ」と言われていますからね。(^^;

> 仏教が広まった方が良いと思いました。

仏教も他宗教みたいな信仰態度の信者ばかりで広まっていくなら、やっぱ「信仰を捨てよ」になっちゃうんじゃないかな。

【釈尊が肯定する信仰】
http://wame.seesaa.net/article/21946519.html

244 名前:わめ 投稿日: 2006/08/12(土) 15:23:15
訂正w

> 仏教も他宗教みたいな信仰態度の信者ばかりで広まっていくなら、

仏教も、仏教以前の他宗教みたいな信仰態度の信者ばかりで広まっていくなら、

245 名前:青空 投稿日: 2006/08/12(土) 21:38:53
当時のバラモンのような信仰に対して、そのような信仰は捨てよ・・・

とばかり、思っていました。

246 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/08/13(日) 15:01:24
青空さん、こんにちは。^^

> 当時のバラモンのような信仰に対して、そのような信仰は捨てよ・・・
> とばかり、思っていました。

仏教も含むどのような宗教に対してであれ、それに向かう側の態度が問われると思います。
一般的に言われるような信仰態度は、ブッダから「信仰を捨てよ」と言われてしまうのではないでしょうか。
ブッダや仏教を信頼することはいいとしても、その教えに固執することは執着であり、確かめようのないことや理解できないことを信じることは盲信です。

「合理的なものは信ずる必要がない。不合理であり理解し得ないからこそ信ずる」(テルトリアヌス)

仏教は合理的であり信じる必要はないと思いますし、信じてしまうと、仏教に入り込んでしまった仏教以外(土着信仰等)の異質な教えさえも仏教と勘違いして受け入れてしまう可能性が高く危険だと思います。

247 名前:青空 投稿日: 2006/08/13(日) 17:29:33
教えに固執することは執着とすると、宗教とりわけ 本家たる仏教は崩壊してしまいそう(涙)

他力の阿弥陀さんにすがる事も執着になる。。。

執着せずに生きる事など、どうしたら出来るんだろうか。。。

日蓮さんの教えは、南無妙法蓮華経って自分も唱え人も唱えさせれば幸せになると言ってます(単純に)

法華経に執着しています。

それでは、仏教では 本来どうすればイイと言っているのだろう。

四諦・十二因縁・八正道とか???

でも、その教えに執着しては 仏法ではなくなる。。。

わめさんは、どう思う?

250 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/08/13(日) 18:10:11
青空さん、こんにちは。^^

> 教えに固執することは執着とすると、宗教とりわけ 本家たる仏教は崩壊してしまいそう(涙)

いえ、少なくとも本来の仏教はそんなことはないと思います。

> それでは、仏教では 本来どうすればイイと言っているのだろう。

『佐倉さんの無我論への感想(5)』より以下一部抜粋
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism40.html
『(5)信仰について
> ここでいう「信じ込んで」は「信仰」という意味ではなく、この世への執着です・・・

執着のことを信仰の語で現しているところが興味深いところです。実は、「信仰を捨てよ」とブッダが語るとき、すべて、執着を捨てよと解釈することができます。信仰とはドグマへの執着以外のなにものでもないからです。悟りとは無明・無知から覚めることですが、信仰は知らないまま自分を賭けることなのですべて盲目的行為です。真理(知識・智恵)が人を解放し、盲目的行為(信仰・執着)が人を迷わせます。だから、ブッダはすべてのドグマを捨てよ、と説きました。
また、ダンパマダ97についても、takpさんはまたもや信仰者の訳を引用しておられますが、中村氏は、そのような訳が正確ではないこと、そして、

文字どおりの意味は「信仰することなく」である。
(『ブッダの真理の言葉・感興の言葉』、岩波文庫、93頁)

と、指摘されています。
縁起の思想(「これがあるときに、あれがあり、これがないとき、あれがない」)や四諦の思想(「苦の真理・苦の原因の真理・苦の滅却の真理・苦の滅却の道の真理」)などにみられるように、ブッダの基本的な教えは、人間苦には原因があり、その原因を滅することによって、その苦から解放される、というものでした。このような思想では、苦の原因を洞察し、その除去の道を悟ることが必用なのであって、神秘的な力(神や仏)に依存して苦からの解放をただひたすら願う「信仰」という宗教的手段を無用化します。この意味において、「仏教は宗教ではない」(第14世ダライ・ラマ)と言えます。

ブッダの思想に信仰の居場所は論理的に存在しません。仏教における信仰はすべて後代のブッダ神格化の結果だと思います。』

> 日蓮さんの教えは、南無妙法蓮華経って自分も唱え人も唱えさせれば幸せになると言ってます(単純に)
> 法華経に執着しています。

日蓮仏法や法華経の捉え方としては、Libra師匠の見解が参考になるかもしれません。
「法華経・日蓮の中心思想」(Libra師匠)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120491109/nt50-56

251 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/08/13(日) 20:48:47
> 四諦・十二因縁・八正道とか???
> でも、その教えに執着しては 仏法ではなくなる。。。
> わめさんは、どう思う?

そうですね、四諦・十二因縁・八正道にも執着するのはどうかと思います。
特に十二因縁などは証明もできず納得できませんし、説一切有部、唯識などで解釈も違ってきているようで関心もありません。
四諦・八正道はそれなりに理解も納得できるので、なるべく自分の生き方に生かしていこうとは思いますが、それは教え通りに生きるということではありません。

仏教に限らずいいと思うことは取り入れて、それは批判的合理主義や可謬主義もそうですが、それらも取り入れて自分なりの生き方を模索していきたいと思っております。

252 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/08/13(日) 21:01:12
学会でバリ活経験があり、その誤りに気が付いた方は、私に限らず心に確信のようなものの穴がポッカリ空いちゃって、それを埋めるものを求めてしまう傾向が強いように思います。

青空さんにもそのような穴がポッカリ空いちゃったって感覚はありませんか?
【信じることをやめた時】
http://wame.seesaa.net/article/9048192.html

いずれそれは埋まっていくものだと思うのですが、埋まるというのはそこに何か代わりのものが埋まるのではなく、確信の穴が少しづつ無くなっていくことだと私の経験的には思います。

確信できるものなどどこにもないことを、色々なことを学びながら、それは無常で無情なことかもしれませんが、少しずつ心に受け入れていけることだと私には思えます。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


7 足跡スレ (Res:76)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 7
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/06(土) 23:27:14
わめの掲示板を覗いてくれた方は、
よかったらここに足跡残してってね^^

57 名前:sonomitoha 投稿日: 2005/11/13(日) 07:42:18
こんにちは
古い話に戻りますが
ご指摘のところを見てきました、

>わめとしましては、客観的根拠のないご発言にお付き合いはできませんが

客観的な根拠がないと思われたのですね
私としましては御書や経典を引用し、そこから
私の提案のほうが真実に近いと思うのですが
その点からしまして客観的な根拠としております
今一度読み返してくれませんか、そのためのリンク先です
http://sonomitoha.syuriken.jp/

58 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/13(日) 11:55:57
>>57

sonomitohaさん、こんにちは。^^

> 今一度読み返してくれませんか、そのためのリンク先です

突っ込みどころが満載です。(^^;; とりあえず一個w

そのHNからも、Qの冒頭にあることからも”其の身”というものを重要視されているように思いますが、「Q0:其の身とは何ですか?」で、無量義経の偈を引用されておりますが、無量義経自体が偽書の疑いが濃いのではないでしょうか?

これが客観的な根拠・経典なのでしょうか?

『無量義経』は中国で作られた偽経(菅野博史)
http://page.freett.com/Libra0000/050.htm

戸田城聖の悟達と『無量義経』の「三十四の否定」(池田大作)
http://page.freett.com/Libra0000/054.htm

59 名前:sonomitoha 投稿日: 2005/11/13(日) 15:24:31
満載の突っ込みどころをよろしくお願いします

>無量義経自体が偽書の疑いが濃いのではないでしょうか?

まず無量義経が真蹟であろうかそうでないかは問題としていません
ただ引用させていただいております
ちなみに
その後の御書の一説も真蹟かどうか不明です

偽者であろうがなかろうが其の身有に非ず無に非ず・・・と続く
その内容が問題となります
其の身とはなにであるか
それをたまたまその経典が打ち出していたので引用させていただいております

>これが客観的な根拠・経典なのでしょうか?

次にこの引用だけで客観的な根拠とするのではなくて
私が引用したQ&Aをすべてセットで解釈することが客観的な根拠とします
一つ一つ指摘していただいても構いません

Libraさんの引用も
作られた偽経であろうとされると偽者だと断定されておられませんし
当時の日蓮も当時のベストを引用されております(年代など)

60 名前:sonomitoha 投稿日: 2005/11/13(日) 20:18:05
客観的なこと抽象的なこと
いろいろ考えてみました

プラシーボ効果(偽薬効果)
例えば車酔いですが酔い止め薬を飲めば簡単なのですが
それでは薬に頼ってしまう体質になりますが
小麦粉を酔い止めの薬だと嘘をついて
一円玉を4枚お尻の下に敷いて酔えんという暗示をかけて飲ませると
結構効くものです

これは酔い止めを克服するという現実に効果のある例えば薬とか
客観的なことは使わず
嘘をついて理のない抽象的な方法ですが
酔い止めと同じ効果をもたらします
プラシーボという偽薬を良薬という効果に変身させる

私のホームページはそんな意味を含んでいます
それでは受容できないでしょうか?

61 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/13(日) 21:04:59
>>60

sonomitohaさん

効果が出るならどんな手段を用いてもいいと言うことにはならないと思うのです。

方便というのも真実に導くためのもので、sonomitohaさんのそれは方便とも言えないと思います。

ただ今回は謙虚な投稿に思いますので、あなたのこれまでの投稿や、貼って頂いたあなたのページへのリンクは削除はいたしません。

でもリンク♪スレに載せることは致しませんのでご容赦ください。

62 名前:sonomitoha 投稿日: 2005/11/15(火) 21:32:51
効果がでるならどんな方法を用いてもよいと思いますよ(宗教編)
どんな低級とされる宗教でも奇蹟は起こせます
どんな高等とされる宗教でも不幸が起きます
何故でしょうね
それは天(大いなる存在は)はすべてに平等だからです
方便は真実に導くと仰ることは正しいですが
真実が何かは定義できません
なぜならみなさんはみなさんの決めた対象物を真実だと思っているからです

このスレッドは足跡スレなのでこの辺にしております
この足跡すれにリンクが残ったことに感謝いたします、ありがとうね、わめさん

63 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/15(火) 22:35:01
sonomitohaさん、こんばんは。

> このスレッドは足跡スレなのでこの辺にしております

「徒然」スレ(No92)でレスをさせていただきました。よかったらお返事くださいねくださいね。

64 名前:殿舎男@秋葉系 ◆XgzPoOaLlE 投稿日: 2006/01/27(金) 23:11:11
こんばんわ 学会員の男子部です。はじめまして

65 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2006/01/27(金) 23:56:44
殿舎男@秋葉系さん、はじめまして。
よろしくお願いしまーす。^^

わめさん、こっちではおひさしぶりです。
なんかねえ、ネットの時間足りないの〜・・・泣。
でも、ネット出きる時間あるだけいいかなあ。
ここの掲示板でも、レスしたいし、勉強したいけど、時間足りないよん。
じぶんとこで、手いっぱいになってます。
今、体調もちと悪いので余計にかなあ。w
うわあ〜ん。
(わめさんの胸で鼻水をふく・・・っと。^m^)

66 名前:殿舎男@秋葉系 ◆XgzPoOaLlE 投稿日: 2006/01/29(日) 21:30:39
こちらこそ

67 名前:顕正居士 投稿日: 2006/02/12(日) 05:14:18
顕正居士と申します。

富士門流信徒の掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/
に時々投稿しています。
仏教とも研究とも無縁な生活をしておりますが、学生、院生時代の専攻はインド哲学でした。
インターネットに接続したのがオウム事件の年であり、「宗教のるつぼ」という宗教とカルト
に関する大掲示板があって、議論が活発でした。迷信が他愛のないことで済まない事件を
起こした直後でしたから。
創価学会の2世、3世の方のサイトやブログはたくさんあります。それらの記事の中で、まず
わかりやすいのは、
日蓮思想・創価学会批判
http://www.mahaananda.jp/Texts/nichiren/nichiren.html
とおもいます。

68 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/12(日) 19:33:06
 殿舎男さん、初めまして。
 私にも男子部時代がありました。^^
 『男子部時代のわめ』 http://wame.seesaa.net/category/833489.html
 またここにたまに書き込んでくれる青空(男)さんって方は殿舎男さんと同じ現役男子部員さんです。
 よかったら意見交換などしたいっす。(*´∇`*)
 以後よろしくです。

 顕正居士さん、初めまして。
 こちらに書き込みくださいまして正直びっくりしています。(>▽<;; アセアセ
 富士門流信徒の掲示板はよく見させてもらってます。
 以後よろしくお願いいたします。

69 名前:殿舎男@秋葉系 ◆XgzPoOaLlE 投稿日: 2006/02/14(火) 22:40:16
ありがとうございます

70 名前:aa 投稿日: 2006/02/18(土) 08:24:57
創価学会は良いところです。
すごい仏法を信仰しています!
こんなにありがたい団体は無いと思います!

71 名前:青空(男) 投稿日: 2006/02/18(土) 16:04:50
そうですか。

僕は学会以外にも良いところがあることを知ってます。
また、すごく仏法の研鑽をしている方々を見てきています。

学会だけが、ありがたい団体ではないのですよ。

仏法を信仰するという事は、縁起の観点から、自分や特定の人によって生きているのではなく、多くの因縁より生かされている事に気付き、○○だけが正しいという 偏狭の価値観を捨て、法華経法師品の如く

是の善男子、善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。
如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり、如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。

という立場になることです。

良いところ、凄い仏法、ありがたい の三拍子は、aaさんの感想なのですね。

良かったですね。

72 名前:Leo 投稿日: 2006/03/02(木) 22:52:06
わめさん、皆さんお久しぶりです。

顕正居士さん、大変お久しぶりです。

>創価学会の2世、3世の方のサイトやブログはたくさんあります。それらの記事の中で、まず
>わかりやすいのは、
>日蓮思想・創価学会批判
>http://www.mahaananda.jp/Texts/nichiren/nichiren.html

あ、その記事結構有名ですね。キッパリとした批判や合理的姿勢と思います。

「●中世の思想の海に身を置く愚かさ
 ●「三証」による証明は成立しない
 ●私は「日蓮本仏論」を信じない
 ●「五重相対」は再構築さるべし」

疑問なのは、自己紹介のページでは
http://www.mahaananda.jp/info.html
「ヒンドゥー教にも共感(チャンディカー女神信仰等)」

掲示板の「無熱池」ではスレ主さんが、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2129/1065104856/
「自己流単独のマハーラクシュミー女神信仰です。」

「私の「母宗教」たる創価学会については、創価学会の教義に
 対する姿勢が不誠実だと感じるのみならず、日蓮が当時取った
 選択手法も時代遅れであり、また伝統仏教諸派の教義自体にも
 無理があるという判断で、その枠組みを完全に放棄しました。 」

と仰っていて、伝統仏教諸派の教義自体に無理があり枠組みを完全に放棄
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

73 名前:顕正居士 投稿日: 2006/03/03(金) 10:12:18
>>72
Leoさん。お久しぶりです。

近藤さんの御信仰については聞いてみないとわかりませんが。ラクシュミーは吉祥天女として
わが国でも信仰されています。ただし神仏判然令によってインドの神様の社も神社として分離
され、祭神を日本の神様に変更したところもあり、維持する人が少なくて消えた社も多いです。

今日の大きな宗教はだいたい中世にできたもので、当時としていちおう合理に反さない世界観
を形成しようとした。信仰という言葉は世界観や価値観に思い入れるという意味もありますが、
具体的な神仏を信愛することでもあります。近藤さんのおっしゃるのはたぶんこの意味でしょう。

中世の世界観は現代人には役立ちません。われわれは意識的にではなくても近代的世界観を
信仰しています。そして現代人も様々な神々を信仰しています。それら神々の物語やグッズの
生産がポップカルチャー産業に分類され、宗教産業には分類されないというだけです。つまり
より新しい世代はもう旧い神々を信仰しませんが、真紅や翆星石を信仰しています。

74 名前:Leo 投稿日: 2006/03/04(土) 01:33:57
顕正居士さん、こんばんは。

>中世の世界観は現代人には役立ちません。

その点は同意です。
>>67 の記事のご紹介の核心はそういうところですね。

>われわれは意識的にではなくても近代的世界観を
>信仰しています。そして現代人も様々な神々を信仰しています。それら神々の物語やグッズの
>生産がポップカルチャー産業に分類され、宗教産業には分類されないというだけです。つまり
>より新しい世代はもう旧い神々を信仰しませんが、真紅や翆星石を信仰しています。

現代を見渡すと確かに、映画、ドラマ、小説、アニメあり、アイドルあり、スポーツ選手あり、
有名人あり、グッズあり、アイテムあり、ゲームあり、メディアあり、科学・技術信仰というもの
さえあり、さまざまな現代的「神々」や「信仰」があるようです。
そういう見方をすれば少し古風な方や一種の文化的背景を持つ方々が神仏を信仰したり、
アイドル的な感覚でインド女神のファンの方がいてもおかしくないのかもしれません。

私がヒンドゥー教に対して懸念しているのはカースト制などですがそれは制度の問題であって
信仰の問題ではないのかもしれません。

75 名前:yb 投稿日: 2006/04/01(土) 08:18:20
創価学会はすばらしい団体ですよ〜

76 名前:Leo 投稿日: 2006/04/02(日) 14:36:06
あたたのすばらしい想像力(創造力)はもっと有効なことに活用した方がよいと思います。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


8 議論しませんか?(議題検討スレ) (Res:64)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 8
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/12(火) 12:47:41
仏教・宗教・人生・哲学などについて議論しませんか?
ここにお越しの皆さんは、それぞれ個性的で、また上記に上げた課題にもお互い違った信条をお持ちの事と思います。
かく言うわめも、正しきに自分を合わせるという信条を持っております。(それって信条かよwボソ

ですが自らの信条に誤謬があるかもしれないとは思いませんか?
わめ自身は誤謬だらけだと思いますw爆 自分がそうだからって皆さんもそうだと思うことは誤謬(ぉぃw)かもしれませんが、自らに可謬性ある、そしてそれを正せることは望むところと思われる方は、是非この議題検討スレやそこから生まれる議題で意見を述べて、お互いの誤謬を改める一助としていただきたいと思います。

戸口 民也氏のエッセーから、パスカルの「信仰と理性」。
http://www.nagasaki-gaigo.ac.jp/toguchi/tog_essai/uzushio/foi_et_raison.htm

わめはこのパスカルの論、戸田氏の解説に賛同し、徹底的に理性を奮い、皆さんと議論しあっていきたいと思います。

44 名前:Leo 投稿日: 2006/02/04(土) 08:12:16
わめさん、おはようございます。

別スレでは脱線ぎみになってしまいましたが、シンプルに解説してみます。

・わめさんは経典(筏のたとえ)を引用して信仰は捨てるべきものとの意見でした。
・Libraさんが「仏教的信仰」について示しました。
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/145
 (これは色々網羅されているし練られた解説と思います)
・わめさんは納得されませんでした。
・同じことを何度も説明するのも骨が折れるとのことと時間がなくなった
 とのことでLibraさんは去られました。

別にわめさんが無理やり納得しなければいけないということは全然ないのですが
(仏教的信仰と同様に納得できないのに無理やり納得するものでないです)、
Libraさんはやるべきことはやった、という感じでしょうか。

お勧めとしてはLibraさんのご発言のわめさん版の書写を作成してみるとか
次回Libraさんが掲示板界に来られるようになるのは夏頃のようなので
それまでに気長に色々学んだりわめさんの掲示板や他の掲示板で
意見交換したりするというのはどうでしょうか(というかこれは
もしかすると普通のことですか)。

(ここからまた脱線です)Libraさんは以前色々な人から同じ質問を
受けるので難儀したのだそうです。それでホームページに資料集を作成
したのですね。一時期(今のホームページとは違うプロバイダだった頃)は
私からお願いして内容検索機能をつけてもらったことがあります。
今はGoogleがあるからよいですね(Libraさんのホームページは検索
結果でよく出てきます)。

45 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/04(土) 11:46:11
 Leoさん(*゜ー゜)vオハヨ♪

 信仰は捨てるべきものかどうかにつきましては、師匠の言われる「仏教的信仰」を信仰とするかどうかで変わってくるものと思いましたので、「仏教的信仰」を信仰とするならば捨てるべきものではなく、「仏教的信仰」を信仰とするのは不適当だとするならば捨てるべき信仰から除外され、信仰は捨てるべきものとなると思っております。ですのでこの場合の師匠と私の意見の大きな相違点は「仏教的信仰」を信仰と見るか見ないかだけではないかと思いますので、今回の根本テーマの「仏教的信仰」は捨て去るものではないという統一見解はでたものと思っております。

> お勧めとしてはLibraさんのご発言のわめさん版の書写を作成してみるとか

 掲示板の発言につきましては投稿ごとのリンクが出来ますので必要ないかと思いますが、ブログのコメント欄はそうはいきませんので掲示板に「わめ版の書写」があれば便利そうでいいですね。

> 次回Libraさんが掲示板界に来られるようになるのは夏頃のようなので
> それまでに気長に色々学んだりわめさんの掲示板や他の掲示板で
> 意見交換したりするというのはどうでしょうか(というかこれは
> もしかすると普通のことですか)。

 はい、是非お願いします。特に今私が意見交換したいのが、
・「仏教的信仰」を信仰と呼ぶのが妥当かどうか。妥当でないならどう表現すればいいか。
・それ以外の信仰は捨て去るべきものではあっても効能は否定できないと思うこと。
・初期仏教と日蓮(法華経)仏法においての(仏教的信仰以外の)信仰の位置づけ。
です。 できましたらお付き合いください。

> 今はGoogleがあるからよいですね(Libraさんのホームページは検索
> 結果でよく出てきます)。

 ここはGoogleに引っ掛からないように意図的に設定してあります。
 検索に掛かることが原因で場が荒れることもあるかもしれませんが考え直すべきかもしれません。
 検討してみます。

46 名前:Leo 投稿日: 2006/02/04(土) 16:09:59
わめさん、こんにちは。

> はい、是非お願いします。特に今私が意見交換したいのが、
>・「仏教的信仰」を信仰と呼ぶのが妥当かどうか。妥当でないならどう表現すればいいか。

まず仏教用語は一般の言葉と同じ言葉を用いて意味が違う場合があるので、
「「仏教的XX」をXXと呼ぶのが妥当かどうか」ということについて私は妥当という見解を持ちます。

(以下は工夫、提案です)
仏教的信仰の場合は信仰と書かず仏教的信仰と書くか、Libraさんの仏教的信仰の資料を編集して
仏教的信仰の注を置くかページを作成してリンクを貼るか、「信」、「浄信」、「信解」の言葉を
用いるかなどはどうでしょうか。

>・それ以外の信仰は捨て去るべきものではあっても効能は否定できないと思うこと。

確かに心理的効果などありますね。しかし「理にかなった」ことをやっていけば「それ以外の信仰」
は次第に克服されるのではないでしょうか。

比丘たちは呪術禁止のいましめを守りとおせなかった(松長有慶)
http://page.freett.com/Libra0000/038.htm

>・初期仏教と日蓮(法華経)仏法においての(仏教的信仰以外の)信仰の位置づけ。
>です。 できましたらお付き合いください。

3番目については確認してみますので少しお時間ください。

47 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/04(土) 20:59:37
 Leoさん、こんばんは。^^

> まず仏教用語は一般の言葉と同じ言葉を用いて意味が違う場合があるので、「「仏教的XX」をXXと呼ぶのが妥当かどうか」ということについて私は妥当という見解を持ちます。

 師匠のいう「仏教的信仰」という言葉は仏教用語ではなく?略記であり、その中身は仏教に限らず”物事の正しい理解の仕方”を指しているように思うので仏教的というのも信仰というのも妥当とは思えないので、私は師匠の言われる「仏教的信仰」は信仰に非ずとして使わないほうがいいかなと考えているのですが、下記でLeoさんが言われる”工夫”があれば拘る必要がないのかもしれません。ですが、

> (以下は工夫、提案です)
> 仏教的信仰の場合は信仰と書かず仏教的信仰と書くか、Libraさんの仏教的信仰の資料を編集して仏教的信仰の注を置くかページを作成してリンクを貼るか、「信」、「浄信」、「信解」の言葉を用いるかなどはどうでしょうか。

 少し気になったのが検索すると既に「仏教的信仰」という言葉は多く使われているようで、またその中身は師匠の「仏教的信仰」の中身とも違っているようで、検索で用語の意味を調べる方(私もだw汗)からは誤解をされるおそれはないとはいえないかもしれません。
 ですので私は今のところ師匠の言われる「仏教的信仰」との表現は避けて、他の言葉を使おうかなって思っているのですが、他の言葉はありふれた理解・納得などとなってしまい真意を伝えているのかちょっと不安です。

> >・それ以外の信仰は捨て去るべきものではあっても効能は否定できないと思うこと。
>
> 確かに心理的効果などありますね。しかし「理にかなった」ことをやっていけば「それ以外の信仰」は次第に克服されるのではないでしょうか。

 私が気になったのが「日蓮考察」スレの師匠の93、94の慧と信の関係なのですが、「仏教的信仰」以外の信仰も「信は慧の因」が成り立つのではないかと思うことです。

 それと3番目に関わることだと思うのですが上記の慧と信の関係、93の「慧に基づいた信」と94の「信は慧の因」が一見ループしちゃっているように思うのです。
 ループを避け慧を中心に少し角度を変えて考えてみると、94の「信は慧の因」(聞法位・信解脱)はやがてそれが93の「慧に基づいた信」になると言うことだと考えることもできるのですが、94の「信は慧の因」も「慧によって煩悩の一分を断じていることと、如来に対する信が確立して根を生じていることとである」とあり、やっぱりそこにも慧は必要であると書かれているように思います。とすると94の「信は慧の因」の前提として慧が必要となるのではないでしょうか。

 上記の解釈から94の「信は慧の因」は、信・信仰は一部の理解から曖昧ながらも希望的推測をして、その教えに向おうという心の様のように感じますし、そこには盲信的要素が含まれ「信仰を捨てよ」に該当する信仰姿勢ではないのでしょうか。
 また如来に対する信が確立は何によって起こるのかが私には不明です。

 このような「信は慧の因」の話は「日蓮考察」スレに戻ってやったほうがよかったかもw汗

48 名前:Leo 投稿日: 2006/02/04(土) 22:53:27
わめさん、こんばんは。

>師匠のいう「仏教的信仰」という言葉は仏教用語ではなく?略記であり、その中身は仏教に限らず”
>物事の正しい理解の仕方”を指しているように思うので仏教的というのも信仰というのも妥当とは思えないので、
>私は師匠の言われる「仏教的信仰」は信仰に非ずとして使わないほうがいいかなと考えているのですが、
>下記でLeoさんが言われる”工夫”があれば拘る必要がないのかもしれません。ですが、

> 少し気になったのが検索すると既に「仏教的信仰」という言葉は多く使われているようで、
>またその中身は師匠の「仏教的信仰」の中身とも違っているようで、検索で用語の意味を調べる方(私もだw汗)
>からは誤解をされるおそれはないとはいえないかもしれません。
> ですので私は今のところ師匠の言われる「仏教的信仰」との表現は避けて、他の言葉を使おうかなって思って
>いるのですが、他の言葉はありふれた理解・納得などとなってしまい真意を伝えているのかちょっと不安です。

Libraさんの示した「仏教的信仰」(以下「仏教的信仰A」と名づける)と、他の「仏教的信仰」
(以下「仏教的信仰B」、「仏教的信仰C」...と名づける)があるということですね。

「仏教的信仰A」は「釈迦」「初期仏教」「ブッダゴーサ」「法華経」「日蓮聖人」「牧口会長」
「Libraさん」に共通するものであり、「物事の正しい理解の仕方」としては仏教に無関係に用いる
ことができるとしても、Libraさん的には仏教から分離すべきものという主張はないようです。
(Libraさんは仏教を捨ててないと思います)

ですので、誤解を避けながら「仏教的信仰A」を示す場合は注かリンク貼るしかないように思います。
http://page.freett.com/leo020503/bbslog3_004.html

一方、わめさん的(仏教に拘っておられない)に「仏教的信仰」という言葉を用いたくないのであれば、
「理解」という言葉などを用いればよいのではないかと思います。
ただ、誤解を招くという理由や、わめさんがLibraさんの「仏教的信仰」(仏教的信仰A)を無信仰的に
捉えたことは、Libraさんの「仏教的信仰」(仏教的信仰A)を反駁する根拠としては不十分ではないか
と思います。

49 名前:Leo 投稿日: 2006/02/04(土) 22:56:39
Libraさんの「仏教的信仰」(仏教的信仰A)を反駁する根拠としては不十分ではないか
と思います。



Libraさんの「仏教的信仰」(仏教的信仰A)を「仏教的というのも信仰というのも妥当とは思えない」根拠としては
不十分ではないかと思います。

50 名前:Leo 投稿日: 2006/02/04(土) 23:55:53
ううむ。

Libraさんの「仏教的信仰」(仏教的信仰A)を「仏教的というのも信仰というのも妥当とは思えない」根拠としては
不十分ではないかと思います。



Libraさんの「仏教的信仰」(仏教的信仰A)を仏教的とも信仰とも呼ぶのが妥当ではないという根拠としては
不十分ではないかと思います。

でしょうか。

51 名前:Libra 投稿日: 2006/02/05(日) 00:07:40
 とても苦痛ですが、Leo さんにご迷惑をおかけしているようなので、修行だ
とおもってもう一度だけ書いてみます。


1.「仏教的信仰」という用語について

 わたしの用いた「仏教的信仰」という用語は「仏教用語」ではありません。

 Leo さんが「仏教用語は一般の言葉と同じ言葉を用いて意味が違う場合があ
る」(>>46)といわれているのは、たとえば「縁起」という用語のように、仏
教の文脈で使われる場合と、そうでない場合とでは、意味が違う場合があると
いうことだとおもいます。「信」や「信仰」という用語もそういった用語の一
つだということでしょう。

 同じことをもう一度いいますが、わめさんが「信仰」という用語を忌避され
るのはご自由です。ですが、仏教では、伝統的に「信仰」という言葉を忌避し
ておりません。仏教では、わたしがいうところの「仏教的信仰」を、単に「信」
と表現するのです。このことを正しく理解しておかないと、これまで仏教徒が
書いてきたものも正しく理解できなくなるおそれがあるとおもいます。

52 名前:Libra 投稿日: 2006/02/05(日) 00:17:08
2.《仏教における「信」》と《批判的合理主義における「命題の合理的保持」》

 「ポパーの批判的合理主義を「自分で確かめて」支持するのも仏教的信仰と
なってしまうと思います」[*1]というわめさんのご主張ですが、これについて
は、わたしは、以下のようにお答えしておきます。
 
 「命題に対してわれわれがとるべき態度」についての一般論の部分について
は、仏教と批判的合理主義はその結論においてぴったりと重なるとおもいます。

 《仏教において肯定されている「信」》と《批判的合理主義における「命題
の合理的保持」》は、「命題に対してわれわれがとるべき態度」についての一
般論の側面においては、内容的には同じといってよいとおもいます。そういう
側面にのみ注目していえば、仏教で肯定される「信」は、仏教においてのみ肯
定されているわけではないということができます。

 さて、批判的合理主義というのは、「われわれが命題に対してとりうる態度
のうち、合理的といいうるのはどのような態度か」ということをメインテーマ
としているといってよいとおもいます。

 これに対して、仏教は、「われわれが命題に対してとりうる態度のうち、合
理的といいうるのはどのような態度か」ということをメインテーマにしている
わけではありません。批判的合理主義のような態度を当然の前提として、「で
は、われわれは、具体的にいって、どの命題を合理的に保持しうるのか」とい
う次のステップに挑戦しているのが仏教です。仏教は、保持すべき具体的な命
題(縁起説)を提示したうえで、それによって人は苦から開放されるとまでい
っています。仏教的信仰のこの側面にまで注目すれば、わめさんのようなご主
張は成り立たないとおもいます。わめさんは、仏教的信仰とそれ以外との間に
ある大きな違いに気が付いておられず、それゆえに、それらを一緒くたにされ
ているのではないでしょうか。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

53 名前:Libra 投稿日: 2006/02/05(日) 00:18:57
3.「慧に基づいた信」の「慧」について

 「慧に基づいた信」と「信は慧の因」が一見ループしているように見えると
いうのはおっしゃるとおりでしょう。しかし、文脈からすると、両者の「慧」
は、同じ「慧」という用語で表現されているとしても、そのレベルが異なるも
のと理解すべきでしょう。前者の「慧」はそれによって「煩悩の一分を断じて
いる」ところの「慧」ということなので、後者は、それによって煩悩を断じき
っているレベルの「慧」ということでしょう。

 もっとも、このような説明は、「慧」というものを、《もっとも低レベルの
もの》と《もっとも高レベルのもの》に理念的にわけたものにすぎず、実際の
「慧」というのは、この中間を、「スパイラル」にどこまでも運動していくも
のであるとわたしは理解しています[*2]。

 あと、「如来に対する信が確立して根を生じ」るのは、如来の説が「反駁し
得ないものとして説」かれているとしか思えないからでしょう[*3]。

54 名前:Libra 投稿日: 2006/02/05(日) 00:19:39
 [註]

  [*1] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/144

  [*2] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120491109/130

  [*3] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/93

55 名前:Libra 投稿日: 2006/02/05(日) 00:54:45
>>50

 Leo さん、こんばんは。

 (仏教徒ではない)わめさんが、(仏教ではない)わめさんオリジナルのお
考えをどのように表現されようとも、それは全くの自由だとおもいます。

 ただ、シャカが「信」という言葉を否定的にのみ使ったなどということはあ
りませんし、伝統的にも、仏教徒は「信」という言葉を使ってきております。

 わたしがいいたかったのはただそれだけのことなんです。

 「議論しませんか?」という本来のテーマでいうと、わたしが個人的に興味
をもっているのは、「ガンジーと対立しながら民族運動を展開し、〔中略〕つ
いにはカースト制度の元凶はヒンドゥー教にあるとして、数十万人を引きつれ
て仏教へ集団改宗した」[*]というアンベードカルですね。曽我さんの解説を読
む限りでは、アンベードカルの仏教理解は、わたしの仏教理解とも近そうです。


  [*] http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha240.html

56 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/05(日) 03:50:27
 Leoさん、Libra師匠こんばんは。

 私やここを見て下さっている皆さんには、LeoさんやLibra師匠のコメントは大変有意義なことと思いますが、LeoさんやLibra師匠に苦痛を与えてしまっているとした申し訳ないことです。
 ですので今回の議論についてはなるべく収束に向えるコメントを心掛けたいと思います。

> Libraさんの「仏教的信仰」(仏教的信仰A)を仏教的とも信仰とも呼ぶのが妥当ではないという根拠としては不十分ではないかと思います。

 「仏教的信仰」と呼ぶことについて妥当か否かはその見地によって変わってくるのかな思います。
 師匠は仏教徒として仏教の見地から、私は一般的な信仰のイメージの見地から述べていますので、この議論は平行線のように思います。よって「仏教的信仰」と呼ぶのも、また理解・納得等と呼ぶのも、また他の呼び方でもそれぞれ自由でいいのではないでしょうか。言葉足らずで論理性にも欠ける私であるのですが(汗)、読み手に誤解を与えないかは非常に気になりますので、Leoさんの言われるように「仏教的信仰」と呼ぶ場合には注かリンクを貼って頂ければあり難いなと思います。

57 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/05(日) 03:51:08
 Libra師匠、こんばんは。
 またまたコメントを頂きありがとうございます。

> 仏教では、わたしがいうところの「仏教的信仰」を、単に「信」と表現するのです。

 そうですか、残念ながらまだ理解はできませんが師匠が言うのですからそのように受け止めるよう心掛けます。

 批判的合理主義と仏教の違いとして、次のステップに挑戦しているのが仏教とのこと、よく解りました。
 ですが、仏教以外の他の分野でも次のステップに挑戦はあると思います。次のステップに挑戦の意味から批判的合理主義は除外するとしても、仏教と他の分野とに大きな違いがあることにまだ気付けておりません。涙

 私情を挟むならば縁起を知ることにより、私にとって苦からの開放は本より、あらゆる面で良い意味での変化をもたらしました。
 そういった意味では私も仏教に思い入れがないわけではありませんが、自分事で煩わされることはまず無くなりましたし、煩わされるとすれば他人事ばかりとなり、慈悲第一(関係性重視)の生き方以外に残された道はないように思っております。

> 3.「慧に基づいた信」の「慧」について

 「信は慧の因」の信が「仏教的信仰」と言えるかどうかは不明ですが、この場合も単に「信」が「仏教的信仰」を指すと受け止めないといけないのかな。

58 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/05(日) 04:16:41
 Leoさん、Libra師匠こんばんは。

>>55
>  ただ、シャカが「信」という言葉を否定的にのみ使ったなどということはあ
> りませんし、伝統的にも、仏教徒は「信」という言葉を使ってきております。

 私もそのように思っております。^^

 曽我さんサイトへのリンク読みました。
 思わずamazonで「ブッダとそのダンマ」を注文(ユーズドですけど)してしまいました。笑
 私も読み終えたら感想など書いてみたいと思います。

59 名前:Libra 投稿日: 2006/02/05(日) 07:15:19
>>57>>58

 わめさんは、今回、「理解はできませんが師匠が言うのですからそのように
受け止めるよう心掛けます」と返答されたわけですが、少なくともわたしはそ
のようなことは要求していません。わめさんもそのようなことはしたくないで
しょう。わたしが「苦痛」といった意味をどうか勘違いなさらないで下さい。

 わたしの苦痛は、わめさんが同意されないことに起因するものではけっして
ありません。というのも、わたしは、最初から、わめさんに同意などは求めて
いないからです。このことも、以前、申し上げました[*1]。

 わたしが苦痛に感じるのは、同じことを何度も書かなければいけないことで
す。

 「「信は慧の因」の信が「仏教的信仰」と言えるかどうかは不明」とのこと
ですが、不明なのでしたら、どうか頭をお使いになって、はっきりとお分かり
になるまでお考えください。「信は慧の因」の「信」は、初期仏教でいえば、
「信解脱」のことです。「信は慧の因」の「慧」は、初期仏教でいえば、「慧
解脱」のことです。

 今回、わたしの「シャカが「信」という言葉を否定的にのみ使ったなどとい
うことはありませんし、伝統的にも、仏教徒は「信」という言葉を使ってきて
おります」との発言に対して、わめさんは「私もそのように思っております」
と返答されました。これを見たとき、正直、わたしは自分の目を疑いました。
もし本当にわめさんが最初からそのように思っておられたのだとすると、わた
しは何も言う必要はなかったようにおもいます。

 しかし、わめさんは、「ブッダは”信仰を棄てよ”とおっしゃっております
が、その仏教においてもブッダ及びその教えを”信仰していく”のは如何な訳
かもわけわかめ」[*2]といわれています。この発言が、上のことを理解された
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

60 名前:Libra 投稿日: 2006/02/05(日) 07:16:54
 わめさんは、「信仰を捨て去れ」という表現が埋め込まれている文脈を少し
でもお調べになりましたか。この句は、「釈尊がさとりを聞いたあとで梵天が
説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向って説いた詩のうちに」、あるい
は、「成道後の経過を述べるところに出てくる」のです[*3]。その文脈をとら
えて、中村先生ですら、「恐らくヴェーダの宗教や民間の諸宗教の教条(ドグ
マ)に対する信仰を捨てよ、という意味なのであろう」[*4]といわれているの
です。

 少なくとも、「信仰を捨て去れ」という句は、その文脈から考えて、「命題
に対してわれわれがとるべき態度」についての一般論を述べたものなどではな
いでしょう。「命題に対してわれわれがとるべき態度」についての一般論を述
べたものとしてあげるとすれば別の箇所にされるべきでしょう(かつてバート
リーがそうしたように[*5])。

 わめさんが今回お認めになられたように、シャカは「信」という言葉を肯定
的にも使っています。たとえば、『スッタニパータ』第184詩に、「ひとは
信仰によって激流を渡り、〔中略〕智慧によって全く清らかとなる。」とあり
ます。もちろん、仏教徒は、「命題に対してわれわれがとるべき態度」につい
てシャカが述べたことをもきちんと理解しています。

 以上のような理解にもとづいて、「仏教徒がシャカの教えを信仰する」こと
は「わけわかめ」なことなどではないということを、わたしはすでに述べまし
た。今回述べたことは、そのほとんどがすでに述べたことの繰り返しにすぎま
せんから、わめさんは、これまでと同じく、同意はされないでしょう。わたし
も、もうこれ以上は書けません。

 あと、ここまでの議論を追跡された読者の方々(そのような方はおられない
のかもしれませんが)に対して最後に言っておきたいのは、わめさんのご主張
のほうを正しいとおもわれるのであれば、素直に、わめさんのご主張のほうを
支持して頂きたいということです。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

61 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/05(日) 08:47:17
 Libra師匠、おはようございます。

>  わたしが苦痛に感じるのは、同じことを何度も書かなければいけないことです。

 同じことを何度も書くのは苦痛ですね。(^^;; 問題は何故そのようになってしまうかだと思います。

> 「信は慧の因」の「信」は、初期仏教でいえば、「信解脱」のことです。「信は慧の因」の「慧」は、初期仏教でいえば、「慧解脱」のことです。

 「慧解脱」は「智慧をみがいて悟りに達する」ことですね?(^^;

>  今回、わたしの「シャカが「信」という言葉を否定的にのみ使ったなどということはありませんし、伝統的にも、仏教徒は「信」という言葉を使ってきております」との発言に対して、わめさんは「私もそのように思っております」と返答されました。これを見たとき、正直、わたしは自分の目を疑いました。もし本当にわめさんが最初からそのように思っておられたのだとすると、わたしは何も言う必要はなかったようにおもいます。

 >>45 でも書きましたが、私は仏教徒ではなく一般的見地で意見を述べておりますので、師匠の言われる「仏教的信仰」は一般的には信仰ではないものとの認識がありそれが一つの要因、後で述べますが佐倉哲氏の見解も私と同じような視点ではないかと思うところがありそれもひとつの要因なんじゃないかと思っております。私のこの件に関するコメントを抜粋してみますが、この点をご留意くださればありがたいです。

「日蓮考察」スレ98  ですので私は師匠の言われる「仏教的信仰」の意味からは、「信仰を捨て去れ」には該当しないかもしれないとも考えられる
「日蓮考察」スレ121  信も正信や盲信などで意味が違ってきますから、私もどのような信仰もすべて忌避すべきものとは思っておりませんし仏教的にもそうだと思います。
「日蓮考察」スレ135  「正しい理解」や「真実・真理を知ること」、知ったことや理解したことはどうあがいても捨てられないように思います。(^^;;
「日蓮考察」スレ148  私は師匠の言われる”「仏教的信仰」の中身”については正しい見解だと思います。
 また釈迦の「信仰を捨てよ」には、この”「仏教的信仰」の中身”は含まれていないと思いますので、捨て去るべきものではないと思います。
>>45  信仰は捨てるべきものかどうかにつきましては、師匠の言われる「仏教的信仰」を信仰とするかどうかで変わってくるものと思いましたので、「仏教的信仰」を信仰とするならば捨てるべきものではなく、「仏教的信仰」を信仰とするのは不適当だとするならば捨てるべき信仰から除外され、信仰は捨てるべきものとなると思っております。ですのでこの場合の師匠と私の意見の大きな相違点は「仏教的信仰」を信仰と見るか見ないかだけではないかと思いますので、今回の根本テーマの「仏教的信仰」は捨て去るものではないという統一見解はでたものと思っております。

 以上のように「仏教的信仰」や正信については肯定的に書いておりますので、私が信(信仰)という言葉に全否定的ではないことが分かって頂けるのではないでしょうか?

62 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/02/05(日) 08:47:50
 続きまして、私の思う佐倉哲氏の信仰に対する見解ですが『自灯明法灯明』*1で引用させてもらった箇所を改めて転記します。

ダンマパダ、97には『何ものかを信じることなく、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知り、生死のきずなを絶ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、--- かれこそ実に最上の人である。(中村元訳)』
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html

『この言葉は、ブッダの伝道宣言ともいわれている有名な「梵天勧請」にもありますが、そこでは、あきらかに、特定の人にあたえられた言葉ではなく、すべての人(「耳ある者」)にあたえられたブッダの言葉です。 『耳ある者に甘露(不死)の門は開かれた。信仰を捨てよ。(サンユッタニカーヤ 6:1、中村元訳)』 』
『平静なこころがまえとおもいの清らかさ、それは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。 (スッタニパータ 1107) 』
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism31.html

 一応佐倉哲氏のHPの仏教に関するページはほとんど何度か読ませて頂きましたが、師匠の言われる「仏教的信仰」を除外すれば、佐倉哲氏も信仰は否定的であるように思います。また氏は師匠の言われる「仏教的信仰」を信仰とは見ていないようにも感じますし、この点も私の見解と共通点があるようにも思います。

 私は自身の進もうとする道から、仏教的見地ではなく一般的見地で今後も意見を述べていきたいと思っております。

*1 『自灯明法灯明』 http://wame.seesaa.net/article/10814676.html

63 名前:Leo 投稿日: 2006/02/05(日) 08:55:06
Libraさん、おはようございます。

> (仏教徒ではない)わめさんが、(仏教ではない)わめさんオリジナルのお
>考えをどのように表現されようとも、それは全くの自由だとおもいます。

> ただ、シャカが「信」という言葉を否定的にのみ使ったなどということはあ
>りませんし、伝統的にも、仏教徒は「信」という言葉を使ってきております。

> わたしがいいたかったのはただそれだけのことなんです。

私の力が足りなくてわめさんにうまく説明できなくてすみませんでした。

> 「議論しませんか?」という本来のテーマでいうと、わたしが個人的に興味
>をもっているのは、「ガンジーと対立しながら民族運動を展開し、〔中略〕つ
>いにはカースト制度の元凶はヒンドゥー教にあるとして、数十万人を引きつれ
>て仏教へ集団改宗した」[*]というアンベードカルですね。曽我さんの解説を読
>む限りでは、アンベードカルの仏教理解は、わたしの仏教理解とも近そうです。

アンベードカルは知りませんでした。ご紹介ありがとうございます。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


9 徒然 (Res:97)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 9
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/30(土) 14:59:49
徒然ってつれづれって読むのか・・・
今まで知らんかったw
まぁ思いのままに書いちゃってくださいまし

78 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/24(土) 17:32:02
(ノ´▽`)ノオオオオッ♪ フルナさん、おかえり〜

> ここ最近はテーラワーダ仏教にドップリでした。お陰で、心はいたって穏やかです。苦がなくなった訳ではありませんが、ものごとに対する執着は少なくなったという実感があります。

雑音がない中で、心のリフレッシュって感じですね。^^

> わめさんとは輪廻の有無で意見が分かれましたが、この人生をラクに幸福に生きるだけの目的であっても、テーラワーダの教えは十分に有効だと思います。

”人生をラクに幸福に生きるだけの目的”なら、排他的な宗教を除けばテーラワーダに限らず結構ありそうです。
他人事に関わりだすと雑音はあるし、感情的にもなったりすることもあるし、なかなか大変です。
他人は他人じゃないと考えると、自分の世界に閉じこもれないし。泣

わめは輪廻は無しって言ってないし。涙
輪廻があっても客観的事実として、どうも心は継げないらしいなって思うだけです。^^
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1122859737/nt12-13

> ぼくの師はもちろん釈尊ですが、実在する方なら迷わずスマナサーラ長老だと断言できますね。

師匠ですか、わめの師匠といえば5人・・・、それにブッダもそうですが佐倉哲さんや他一杯だw汗
フルナさんにだって方便の捉え方を教えてもらったし師匠かもしれない。

まぁ人生、あまり難しく考えても仕方ないかもw
楽しさを分かち合える生き方がいいな。(^▽^)

79 名前:フルナ 投稿日: 2005/09/25(日) 07:37:45
おはようございます。

>雑音がない中で、心のリフレッシュって感じですね。^^
それもありますが、やはりテーラワーダの教えの正しさによると思います。

スマナサーラ長老は、釈尊の再誕かと思わせる方で、その説法は短期間でぼくの人格を変えるほどでした。今は本気で輪廻からの解脱を目指しています。

人生に迷う人は是非その門を叩いてほしいと思います。

80 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/25(日) 12:30:19
 フルナさん、ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはようって(;´ρ`)イマオキタヨ

 わめんちは特定の宗教団体の勧誘・PR場所じゃないよw汗

81 名前:フルナ 投稿日: 2005/09/25(日) 13:08:42
>わめんちは特定の宗教団体の勧誘・PR場所じゃないよw汗
そうですか・・・とても残念なことではありますが、掲示板の管理人の意向を無視することはできませんので、今後は二度と書き込まないことをお約束します。申し訳ありませんでした。

82 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/25(日) 13:16:18
 フルナさん、ご理解アリガト!(´▽`)

 批判的に論じ合うことは大いに結構ですので、テーラワーダの教えの内容を書かれることは問題ないですよ。
 一歩でも二歩でも、誤謬を改めあい、磨きあえたらうれしいっす。^^

83 名前:Leo 投稿日: 2005/09/26(月) 01:17:10
足跡スレに徒然のようなこと書いてしまったので、こちらにカキコします。

私は(も)Libraさんに「批判的合理主義」感化されましたが...話は飛びますが(飛び過ぎ)...
なんと、旧日本軍(海軍)の中にも「合理主義者」(しかも非戦派?!)がおられたとか。

□井上成美 海軍大将
ttp://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ren-inoue.htm
「井上成美は、かつて海軍の中でリベラル派ないし非戦派の中心人物の一人だった。昭和13年
から14年にかけ米内光政海軍大臣の時には山本五十六海軍次官とともに日独伊軍事同盟に
反対し、米内・山本・井上の三人は自由・合理主義の良識派として「海軍三羽烏」と呼ばれた。」

□最後の海軍大将  井上成美
ttp://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub3-1.html
「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね。」
「大将といっても、一等大将もあれば、三等大将もある。国を毒した人物もいる。」

ただ惜しいのは「合理主義者」がいても政治力に乏しく(特に陸軍のやりたがっていた)戦争を阻止できなかったことです。

そういえば...創価には「合理主義者」はおらんのかな?Libraさんがおるやん。がんばってもらわんと。

84 名前:Leo 投稿日: 2005/09/26(月) 01:29:38
(自己レスです)

>「大将といっても、一等大将もあれば、三等大将もある。国を毒した人物もいる。」

宗教とあまり関係ないかもしれないけど、たとえば
「会長といっても、一等会長もあれば、三等会長もある。国を毒した人物もいる。」(ドキッ)とか。

>「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね。」

昨今の永遠の指導者ってなんじゃゴルラーとか。組織論的に通じるものもあるかと。

>そういえば...創価には「合理主義者」はおらんのかな?Libraさんがおるやん。がんばってもらわんと。

やはり皆でがんばって裾野を広げなければならないのかなー。

85 名前:Leo 投稿日: 2005/09/26(月) 01:39:13
(徒然)

宗教というと心の問題であり、主観的・精神的(& 非合理主義的)な世界でよいと従来思われていた。
自他を助けるならば、心の問題でも(心の問題だからこそ?)、合理性というのは必要じゃないかと思えてきた...
特に「現実世界をよくすること(=幸福になること)」が目的だったらなおさら。主観的・精神的(& 非合理主義的)にやっていたら無茶だ...

86 名前:みれい 投稿日: 2005/09/26(月) 12:20:22
たとえ合理性のないものでも、人を納得させるには時には合理的な説明も必要、ということですよね。
合理的すぎてもいけないと思うけど、やはり合理性からかけ離れすぎてもいけないとおもうわけです。

釈迦が宵の明星を見て悟ったものも、
感情が支配する夜(副交感神経が働く)と、理性が支配する朝(交感神経が働く)の丁度境目の時間帯だったというのも、
一つのポイントだったりして。

ちなみにラブレターは夜書くととても情熱的に書けるので朝読むと恥ずかしい仕上がりになるそうですw

87 名前:わめ★ 投稿日: 2005/09/26(月) 15:04:14
 Leoさん、みれいしゃん、ちょっと仕事で手が離せないわめです。(^^;;

 ってことで>>83からの話題に夜からわめも参加したい。^^
 それとこの話題の続きは『「客観的事実」とは?』スレでお願いしたい。<(_ _)>

88 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/04(火) 00:34:07
最近わめは、Leoさんの理にかなった(かなう)にハマっちゃってよく使いますが(笑)、同じく日蓮の「仏法は道理」も合理的であり、ここからの視点が重要に思います。

これは内的には理性を中心とし、外的(世界・宇宙?)な在り様とマッチさせる考え方なのかな・・・

89 名前:Leo 投稿日: 2005/10/07(金) 02:21:37
仏教用語バリバリだったので(^^;(汗)
ちょっと趣向を変えて私が法華経ぽいなーと思った歌を紹介します。
(それらの歌は仏教とは直接関係ないと思いますが何か通じるものがあるので...)

○「世界にひとつだけの花」作詞/作曲 槇原敬之、唄 SMAP
ttp://yokohama.cool.ne.jp/takayan/sekaini.htm

「そうさ 僕らも 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ」って
平等ってことなのかなー?と思った

○「いつでも何度でも」作詞 覚和歌子、作曲 木村弓 
ttp://www.biwa.ne.jp/~hat-hino/midsento.htm
(「「千と千尋の神隠し」の歌)

「ゼロになる」って空ってことのかなー?と思った。

○「やさしさに包まれたなら」作詞/作曲 荒井由実
ttp://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/yasashisani_tsutsumaretanara.htm

「カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の やさしさに包まれたなら きっと
 目に写る全てのことは メッセージ」やっぱ諸法実相だなー。

ん、あ?くだけた話しようとして仏教用語でてきちゃったぞ(^^;

90 名前:Leo 投稿日: 2005/10/07(金) 02:44:53
「千と千尋の神隠し」って現実の宗教団体と何にも関係ないけど、

豚になった両親 → 新興宗教にのめりこみすぎちゃった人。
千尋 → バリバリ(妄信)になりきれない人。でもがんばってる。現実世界に戻ってくる。
ハク → 男子部のお兄さんのような人。
湯婆婆と姉妹 → 宗教戦争。
顔なし → 顔なし自体は悪でないが、悪を取り込むと悪になる。

と思いました。

91 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/07(金) 04:37:27
Loeさん、すごいな・・・

法華経スレにもコメント<(_ _*)> アリガトォ

また明日にでもレスしますね。^^

92 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/15(火) 22:34:06
sonomitohaさん、お気遣い頂いたので「足跡スレ」から「徒然」スレに移動します。

この投稿は下記URLからの続きです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1123338434/nt57-63

> 効果がでるならどんな方法を用いてもよいと思いますよ(宗教編)

それは他者に迷惑になる行為でも、自分にとって効果があるならどんな方法(手段)を用いてもよいということにもなりますね。

> どんな低級とされる宗教でも奇蹟は起こせます
> どんな高等とされる宗教でも不幸が起きます
> 何故でしょうね
> それは天(大いなる存在は)はすべてに平等だからです

何故も何も宗教で奇蹟を起こせるなら、それは特別なことではなく奇跡ではなくなってしまうでしょう。
それに下記で「真実が何かは定義できません」と書いてますが、天(大いなる存在は)は真実なのですか?自己矛盾を起こしているように思います。

> 方便は真実に導くと仰ることは正しいですが
> 真実が何かは定義できません

定義はできますよ。^^

> なぜならみなさんはみなさんの決めた対象物を真実だと思っているからです

そういうことです。
思うことであって、その思うことが真実かどうかは証明されなければ公に認められませんね。

ですから天(大いなる存在)があるのなら、またどんなものかを客観的に証明してください。
それとも天(大いなる存在)はあなたの単なる思い込みですか?

93 名前:sonomitoha 投稿日: 2005/11/17(木) 20:34:18
> 効果がでるならどんな方法を用いてもよいと思いますよ(宗教編)
>>それは他者に迷惑になる行為でも、自分にとって効果があるならどんな方法(手段)を用いてもよいということにもなりますね。

一応常識的にご判断下さいませ
効果が出るなら藁をもすがるそういうときもあります

>天(大いなる存在は)は真実なのですか?自己矛盾を起こしているように思います。

天はあらゆる宗教の人がいますから
その方達の対象物を天としています、正式には大いなる存在です

> 方便は真実に導くと仰ることは正しいですが
> 真実が何かは定義できません
>>定義はできますよ。^^

では定義してくださいませ
それぞれの人はそれぞれの真実を持っています
それは他の人には理解できないこと
これを片一方の教義とか対象物といいます
すべての人に合う真実は定義できません
それが現実です、根拠とするならば沢山の宗教が存在し争っているからです

>天(大いなる存在)があるのなら、またどんなものかを客観的に証明してください。

客観的とは言い換えれば形あるものです
しかし宗教とは形ないものを取り入れます
では客観的に証明は無理です
私は形ないものということを客観的に説明しています
ですから客観的という概念を取り払うべきです

94 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/25(金) 15:09:42
sonomitohaさん、長らくレスしなくてごめんなさい。<(_ _)>

というかレスしても意味ないかなって考えちゃってできなかったのです。(^^;;
それは今も変わりなくなのですが、くまりんさんの記事を紹介したくてレスしました。
宗教とは何か、改めて考えてみるのもいいかもしれませんよ。

『単なる自我拡大の限界内の無宗教』
http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=840

95 名前:青空(男) 投稿日: 2006/01/25(水) 14:39:19
今日は、お客にあたってしまい。

事もあろうに、口返答。

サービス業たるもの失格(撃沈)

もちろん、お客は 帰った・・・。

もう、二度と来ない・・・だろう。

暫らく、自問自答。

問題はどこに??

げ!俺?? 

はあ〜(更に撃沈)

やはり、お客様は”神様”でした。

96 名前:みれい 投稿日: 2006/01/26(木) 14:10:30
「世界に一つだけの花」は私も仏教らしい歌だと思う。そして大好きな歌。
よくお寺のHPなどでも紹介されていますね。
カラオケで西洋人と一緒にビートルズとこの歌を歌ったよ。

個人的にはジブリものは千とちひろの神隠しよりも、もののけ姫が好きですが、
しし神の扱いは宗教によって意見が分かれそうですね。

あと私の好きなブランキージェットシティから、
「悪い人たち」 悪い人とは誰か。

♪悪いひとたちがやって来てみんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱い人たちがいたから
女達は犯され 老人と子供達は燃やされた
若者は奴隷に 歯向かう者は一人残らず皮を剥がされた

悪いひとたちはその土地に家を建てて子供を生んだ
そして街ができ 鉄道が走り
悪いひとたちの子孫は増え続けた
山は削られ 川は死に ビルが建ちならび
求められたのは発明家と娼婦

(中略)

お願いだ 僕の両手にその鋼鉄の手錠を掛けてくれよ 縛り首でも構わない
さもなきゃおまえのその大事な一人娘をさらっちまうぜ
残酷な事件は いつの日かみんなの一番の退屈しのぎ
残酷性が強ければ強いほど 週刊誌は飛ぶように売れる

その金で買った高級車 夜の雪道でスリップした その時
ヘッドライトに映し出されたのが 黒い肌に包まれたチキンジョージ
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

97 名前:そっか 投稿日: 2006/02/26(日) 08:25:03
創価学会はすばらしい団体と思います。
すごい仏法を信仰しています。
みなさん、功徳を受け、幸せになっています!

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


10 何ができるかな (Res:5)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 10
1 名前:わめ 投稿日: 2005/12/20(火) 23:08:42
 このスレはわめのブログの『酔った勢いで』の記事、元々はこの記事のcoco師匠の引用テキストが発端かも。
http://wame.seesaa.net/article/9517927.html
 その上で『議論しませんか?(議題検討スレ)』の
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121140061/nt34-43
を受けてのスレです。
 やりたい人はやったらいい程度で考えたいと思いますので、やりたい方の参考になれば的なスレにしようと思います。
 人は考えれば他者のために役に立てることは一杯あるように思います。
 これもそのひとつということです。☆^∇゜) ニパッ!!
 最近は寄付等の詐欺まがいのことも起こってますので、紹介してもらう場合は収支報告の有無や経費の詳細や、信頼できそうな団体かどうかなどを予めできる範囲で調べてもらった上でお願いします。
 またそれらが不十分と管理者が判断した場合は予告なく削除やその他の措置をとらせていただく場合がありますので予めご承知置きください。

 Leoさんのご紹介サイト
ユニセフ http://www.unicef.or.jp/
日本赤十字社 http://www.jrc.or.jp/
国際協力NGOセンター(JANIC) http://www.janic-ngoarena.org/
Save the Children http://www.savechildren.or.jp/contribute/index.html?adw=kh01
World Vision http://www.worldvision.or.jp/google/
 祥子たんのオススメ
make a wish http://www.mawj.org/

2 名前:Leo 投稿日: 2005/12/20(火) 23:33:22
私は最近「オモロイ坊主さん」に注目してます。(別に宣伝ではないです...念のため(^^;)

オモロイ坊主を囲む会
http://www.omoroibouzu.com/

学校建てたり、アジアの人々との交流っていいなというのと、仏教だしという感じで。

「でも信者さんからの布施やタンブンにうつつを抜かしている、最近のお坊さんはあまり信頼できないので、
 お寺へもあまり行きたくないのです。」(タイ人の方)
とのことでタイの仏教界はタイの仏教界で問題があるみたいです。
日本人のオモロイ坊主さんによって新風が吹き込まれることを期待しつつ。

3 名前:Leo 投稿日: 2005/12/20(火) 23:55:39
わめさん、こんばんは。

>オモロイ坊主を囲む会
>http://www.omoroibouzu.com/

今のところ寄付の受付はないみたいです。

>最近は寄付等の詐欺まがいのことも起こってますので、紹介してもらう場合は収支報告の

活動報告
http://www.omoroibouzu.com/mettira.html
寄付は丸々目的に使っていると解釈してます(何かひっかかる点があったらご一報ください)。

>有無や経費の詳細や、信頼できそうな団体かどうかなどを予めできる範囲で調べてもらった上でお願いします。

日本上座部仏教協会が信頼できるかどうかというところですね。
今のところ否定的な情報はないです(こちらも何かひっかかる点があったらご一報ください)。

4 名前:わめ 投稿日: 2005/12/21(水) 00:17:24
Leoさん、こっちでもこんばんは。^^

別に寄付に限らなくてもいいし、★オモロイ坊主を囲む会、運営ボランティアスタッフ募集★ってのもやっているみたいだしこれはこれでいいように思うよ。

ただ宗教団体等の場合はちょっと思想的に引っ掛かりはあるけど、それいいだすとキリスト教系のボランティア団体なども多くあるし、一概に宗教団体のボランティアはダメってことにはならないと思います。

ミエミエの自宗教団体のPRみたいなものや、ボランティアを利用しての宗教への勧誘活動がなければとりあえずよしとしましょう。^^

5 名前:みれい 投稿日: 2006/01/15(日) 00:11:02
方向が違うかもしれませんが・・・
http://gyakutai.yogo-shisetsu.info/
STOP児童養護施設内虐待
「家族という名の強制収容所」
http://trauma.or.tv/
というサイトのトップにあるサイトです。
何か出来ることをしてください。

余談ですが以前、某県の成人知的障害者施設(そこで生活をしている)の皆さんと仕事で接したことがあり、
その時職員の方の対応に驚いたことがあります。
障害を持っていると、移動にもなかなかすぐには集合場所に集まらなかったりするわけですが、
誘導するときに、あたりまえのように怒りながら、蹴る、蹴る。罵声を浴びせながらよろけるくらい、蹴る。
蹴られる側は認識していないようで、変わらずにこにこしています。
見ていて唖然としましたが、日常の事のように普通にそれが行われていました。
きっと今でも足にあざを作っている人、いるのではないでしょうか。
日本でも社会からほんのすこし隔たれたところで、こんな事も起こってます。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


11 ○試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について (Res:323)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 11
1 名前:わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/06/17(金) 12:30:37
 生命とは生体の生存維持活動に必要不可欠な意識(自意識・自己「エゴ」)である。
この自意識は実在ではない。脳が創り出す生存維持に不可欠な要素である。
この意識はおそらく動植物にも備わっているものと推測する。
この意識の主体が死亡(脳死含む)することで消滅する。
自らの意識と他者の意識は互いに影響を与え合う。
 しかしこのことにより、影響(他者・他物「書物・メディア等」)を受け合う対象たる生物は、その影響の度合いに応じて自らの行動・言動に変化が現れる。そしてその行動・言動が連鎖的に他の生物に影響を与え、また影響を受けて行く。この意味において、一人の人間の死は、そのものが生存中に他の人間を含むあらゆる生物の意識に影響を与え、この影響の連鎖を、影響を与え合うすべての生物の死滅を除いて止めることはできない。また、その生物の生存中に残した遺物が、後の世の生物の意識にも影響を与えるものである。一人の人間の意識は、ある意味宇宙やすべてのものが消えてなくなるまで消滅することは無いのかもしれない。
 またこの意識は、生存中の様々な経験を、脳かあるいは何らかの器官を通じ、物質(生化学的)的に記録しているものとおもわれる。これは遺伝的要素として子孫にも影響を与えていくものである。
これらを総括して、
・1個の生物としての生命(自意識)の永遠性はない。
・1個の生物としての生命(自意識)は、他の生物に永遠に受け継がれていく。

私は現在、釈尊の説かれた縁起の法・空・無我を、このように理解している。

※読まれた方、ご意見(ご批判大歓迎)を頂けましたら幸いです。

304 名前:Leo 投稿日: 2005/12/31(土) 15:48:21
わめさん、こんにちは。

>またブッダの時代に西洋論理学なるものが身近にあったとしたら、ブッダはどのような教えを説いていたのか
>想像して楽しくなりました。^^

(全然宣伝ではないですが...(^^;)くまりんさんのご紹介の
『ブッダ論理学五つの難問』 ISBN4-06-258335-6
http://homepage1.nifty.com/manikana/buddhalogic/buddhalogic.html

によるとブッダの論理は明白で、21世紀の西洋論理を超えるそうですよ(^^;
(うまく説明されていて目からウロコだったですが私としては若干慎重に捉えてます)
(少なくとも私にとってはですが)色々な疑問の解決の糸口になる情報がまた増えました。

(もしかすると既にご存知かもしれないですが)著者の方のHP。
MANIKANA=HOMEPAGE
http://homepage1.nifty.com/manikana/

従来インド(ヒンドゥー)風味と勘違いして敬遠してたんですが(失敬!)、良く見るとウマーなページが。
○心にしみる原始仏典
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/canonindex.html
○龍樹大好き
http://homepage1.nifty.com/manikana/love!ryuju/love!ryuju.idx.html
○『方便心論』
http://homepage1.nifty.com/manikana/upayahrdaya/upayahrdaya.html

(インド嫌いならカレー食べるな!なんていわないでねカレーがないと生きていけないですー)
最近は部派もヒンドゥー教も抵抗感少なくなくなりました。

師匠方先生方はそれぞれ一理あってためになるというか面白い世界を提供されてます。
自分は自分なりにちょこっと飛べたらよいなーと。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

305 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/12/31(土) 16:36:06
 Leoさん、こんちゃ。^^

> 師匠方先生方はそれぞれ一理あってためになるというか面白い世界を提供されてます。

 >>289 でLibra師匠が書かれているチギの三諦説も同じようなことを言っているのではないかと思うのだけど、仮諦だって仮諦としっかり捉え、仮諦に拘るなだけではバカみたいに思えてくるし、だからって仮諦のみに拘る生き方もバカみたいに思えるし、とにかくすべてが危機的状況にあることを実感として持ち、過去を反省し未来を予測選択し、今を生きることが大切なんじゃないかと思うのだけどな・・・
 それがなきゃ空でも仮でも中でも、また自性があろうがなかろうが何にもならないと思うんだけどな。

306 名前:Leo 投稿日: 2005/12/31(土) 17:32:21
わめさん、こんばんは。

ちょこっと勉強した方面のパワーでちょこっとLeo流コメントしてみます。
(Libraさんはご多忙といのことでひとまずの結論はよいとしてちょっと遊びましょう)

> >>289 でLibra師匠が書かれているチギの三諦説も同じようなことを言っているのではないかと思うのだけど、

チギの三諦説は龍樹の中論にないから中論の誤読でしょうということもいえるし、
そういう意味でチギの三諦説も危機的状況にあることを実感として持ち、
過去を反省し未来を予測選択し、今を生きることは大切というか、それしか
できないかもしれないです。

人間だから多少拘っているものがあってもよいのではないではないでしょうか。
拘りすぎたら俺って拘りすぎてるかもなと思えれば拘りすぎを制御し自由に
拘ったり拘らなくなったりできればこれは拘らないに似て拘らないより自在に
なれると気づきました。

307 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/12/31(土) 17:49:26
> 人間だから多少拘っているものがあってもよいのではないではないでしょうか。

 Leoさん(・∀・)イイネ!!
 多少なんて言わずおもっきり拘ることもいいんじゃないでしょうか。^^
 そういうものもなければ世の中発展や発達や解明などないかもしれませんもの。
 そういった拘りも「危機的状況にあることを実感」することは大切だと思います。(*´∇`*)
 結局「過去を反省し未来を予測選択し、今を生きる」というのも一種の拘りかもしれませんし。笑

308 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/12/31(土) 18:40:37
 >>294 のポパーの『十分に努力し、新しい言語を研究し、母語と比較することによって、われわれの牢獄を超越できるのである。』のテキストにみられるような、牢獄に気付き牢獄を超越していくっていい感じかなと。^^
 ただわめの場合はこの「十分に努力し、新しい言語を研究し、母語と比較することによって」ということさえほとんど理解できていないし、非常に怠慢でもあるような気がしますが。(>▽<;; アセアセ

309 名前:Leo 投稿日: 2005/12/31(土) 19:32:11
> >>294 のポパーの『十分に努力し、新しい言語を研究し、母語と比較することによって、
>われわれの牢獄を超越できるのである。』のテキストにみられるような、牢獄に気付き牢獄を超越していくって
>いい感じかなと。^^

「文化衝突」なので、「言語」でなくとも、部派やアビダンマのお知らせ、龍樹や大乗の否定なども
刺激になるのかもしれませんです。カウンターパンチってことで。

たとえ話ですが、「牢獄」って別の角度から見ると隙間があったり、牢獄でなかったりするかも
しれません(映画などで脱獄人の話もありますし...根性さえあればということもあります)。
逆に「牢獄」と思わない場所が実は牢獄だったりするんです。

全然関係ない話ですが、Libraさんからの又聞きで、私知らんかったんですが、阿部日顕氏って退座
したんですね。本幹でもその話が出たという話も別方面から今日聞きました。
(聖教をひっくりかえしてみて寸鉄にもありましたが最高裁が関係するのはさだかでないですが(^^;)

あと東洋哲学研究所のHPが出来たとのことで。
http://www.totetu.org/

雑誌の第三文明に小林さんが何か書いたってご存知でしょうか。

310 名前:Leo 投稿日: 2005/12/31(土) 19:39:27
>Libraさんからの又聞きで

Libraさんの許可無く、この表現を書いてしまいました。すみません。> Libraさん
(内容がある程度一般的に知れるものなので問題はないと思いますが...)

311 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/01(日) 01:08:55
 Leoさん、皆さん、明けましておめでとうございます。^^

 えへへ、2006年初カキコでごじゃります。(*´∇`*)

> 「文化衝突」なので、「言語」でなくとも、部派やアビダンマのお知らせ、龍樹や大乗の否定なども
> 刺激になるのかもしれませんです。カウンターパンチってことで。

 それはLeoさんだからでしょ。笑
 わめは仏教から >>303 のようなことを抜き出しちゃったのでカウンターパンチにはならないかもです。(⌒▽⌒)アハハ!
 牢獄と言うのも概念ですからね。あまり拘る必要も無いと思います。

 Libra師匠の >>293 に、

>  空(無自性)の思想は、概念の無自性をいうだけではありません。わたしと
> いう存在に自性などはなく、まさに「危機的存在」であることをふかく自覚さ
> せてくれるものであるからこそ、空(無自性)の思想は菩薩行につながるのだ
> とわたしは理解しています。

 とありますが、大乗とか非大乗とか越えて菩薩行(慈悲行)、と言うか仏教も超えてわめも皆さんもこの世界もすべて「危機的存在」であることを当たり前のように自覚できれば、わめにはうまく言葉に出来ませんが、そこから湧き起こる思いを共有できるような気がします。
 自他じゃなく実体のない関係性に身を置くって感覚は悪くないように思います。^^

312 名前:くまりん 投稿日: 2006/01/01(日) 14:08:14
明けましておめでとうございます。
昨年は思いも掛けぬ出会いからご批判、ご指導有り難うございました。

Leo さん。
>>龍樹(とその系譜)は仏教の1/4というご指摘ですね。ううむ。
相手にこう思わせてしまうやり方こそ、龍樹の得意技なんですね(笑)
「ダルマに自性なんてねぇぞ!」ってね。
「悟り」了れば「悟り」はないんですね。
アイルランドのフィドルチューンをフィドル(ヴァイオリン)でそのまま奏でればそのままありのままに聞いて体験するしかあり得ません。「ことば」でそれを伝えることは難しい。しかしそれをギターで弾いたらどうでしょう。緻密に連続する一つ一つの音は音符に記号化されるままに一つ一つの音として、ありのままにではあるけれど、一つ一つ聞こえて来るでしょう。その時始めて「ことば」にして他者に伝えることが出来る。

わめさん。
「悟り」はあらゆる煩悩が滅し尽くされた境地、欲望を捨て去りきった境地、神秘でもなんでもありません、それを知り尽くしたブッダだからこそニヒリズムに陥らず、恐怖もなくただ楽しむことが出来るし、その涅槃への道を語ることが出来る!「悟り」を知るには口伝で伝承された教えが記述された経典を読むしかありません。あらゆる仏教の解説書よりパーリ経典を読むことが仏教を知り、「悟り」を知る近道でしょう。

 そしてより詳細にヴァイオリンの音をギターで弾くように明瞭に聞きたければ是非アビダルマも!但し一点で立ち止まって執らわれると真っ逆さまに地獄に堕ちてしまいますぞ。その流転こそ輪廻的生存そのものですが、そういうときは龍樹の「ダルマに自性なんてねぇぞ!」をしっかり思い出してください。

「仏教を超えて」ということは過去に仏教徒たちによって語られたことの一切を超えたときにのみ始めて有効です。それを超えなければ仏教の中でもがいているか、仏教に対する誹謗でしかありません。Libra さんのホームページのサイトの冒頭にはわたくしも大好きな以下の丸山真男の書簡集からの引用があります。

「日本の論争の多くはこれだけの問題は解明もしくは整理され、これから先の問題が残されているというけじめがいっこうはっきりしないままに立ち消えになってゆく。そこでずっと後になって、何かのきっかけで実質的に同じテーマについて論争が始まると、前の論争の到達点から出発しないで、すべてはそのたびごとにイロハから始まる。」(丸山真男『日本の思想』、岩波新書、1961年、p. 7)

本年も皆様のご活躍をお祈りしております。

********
- お幸せでありますように -

313 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/01(日) 15:03:48
 くまりんさん、皆さん、明けましておめでとうございます。^^
 昨年は、くまりんさんやLibra師匠やLeoさん他皆さんから多くを学ぶことが出来て感慨無量です。
 本年もよろしくお願いいたします。

 音楽、ギターの縦えがでてきましたのわめはちょっとうれしい。♪
 同じ曲を忠実に弾いても弾き手で音色や曲調が大きく変わるように思います。同じ人が同じ曲を弾く場合にも、その時々で音色や曲調は変わってくるようにも思いますし、また聴き手によっても変わってきます。

 これはブッダの悟りのご説明での縦えと思いますが、体験主義的に捉えることは非常に危険を感じてしまいます。ブッダの悟りとはブッダ一人のものだと思いますし、ブッダの悟りを他の方がそっくりに体験することは不可能に思いますし、一人ひとりの体験を悟りとするなら悟りは悟りを開いたと”思う・言う”人の数だけあるように思います。また仏教徒でもなく悟りを悟りと知らないまま体験する人もいるかもしれません。(悟ったかどうか、あるいはその悟りのレベルを判定する方法はあるのかもしれませんが、それもあるひとつの概念での判定法でしかないように思いますし。)

 「仏教を超えて」との表現はちょっとまずかったかもと反省していますw汗
 仏教の枠を超えてと言うのがわめ的には正しい表現であったように思いますので訂正させてください。 ってことで仏教を誹謗する気など毛頭ありませんのでご容赦ください。<(_ _)>

 但しブッダご自身があるひとつの方法でしかこの悟りを得ることができないなどともしも言ったとしたら、あるいはこれが一番の近道だと言ったとしたら、それは悟りを開いたはずのブッダ自身がその方法に固執してしまって矛盾するように思いますので、その場合はわめの「仏教を超えて」との表現もまんざらまずくないかもとも思います。

 いずれにしましても悟りや涅槃が目標でないとしたならば悟りや涅槃に拘る必要などないように思いますし、それが目標だとする方には頑張ってくださいとしかわめには言う言葉が見当たりません。

314 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/01(日) 16:04:42
 >>313 を書いてて、ふっと思ったのがわめはこの現実の世界に起こることをおもっきり享受しているんだなということです。
 それはたまに嫌なこともありますし、人命が奪われていく事件や事故や天災などが起こると悲しくもなりますし、地球のどっかじゃ自分じゃどうしようもない災禍に包まれた人達もいるでしょう。それは微力ながらわめもどうにかしていく努力をしていきたいと思っていますし、それが自身に振りかかることもあるかもしれませんが元々「危機的存在」なわけで、そのようなことにも覚悟を持って対処するつもりです。

 それはそれとして今こうして毎日過ごしていることが楽しいし、さっき大晦日の紅白歌合戦をキャプったのを視聴てたのですがやっぱり歌っていいですねぇ。^^ その歌の切なさや悲しみや願い等々、表現できないほその色々な思いが溢れてきます。これは自身の経験の中にその歌や歌い手の表現する思いと同じようなことがあったからなのかと思ったりもしますが、あぁわめもTVの向うの方達も過去から現在に至るまで色んなことを経験し精一杯生きているんだなって感じちゃってとても感慨深いです。

 また、そんな思いもこうして掲示板やブログに書いて他の方にも読んでも貰えるわけで、人間は愚かでバカなのかもしれないけれどこのようなことのできる世界を作ってくれて感謝だな。

 悲しく切ない離別もあり、また人生を揺さぶる出会いあり、生きていると色々なことがありますよね。

 泣いたり笑ったりむっつりしたり人はその時々で豊かな感情に溢れこの世の生を謳歌し、また謳歌していきたいと思っているんじゃないかと思ったりしています。

 わめはこの現実のこの世界や自分自身を否定する気がまったくないわけで、これを違った角度で見る場合にもそれはこの世の生を謳歌できていない方へのメッセージ作りに役立てたいだけなのかもしれないと感じています。
 このように考えてみると、仏教を志すということとはもしかしてまったく異質な考え方なのかもしれないと思ったりもするのですが、皆さんはどう思ってられるのか聞いてみたくなりました。

315 名前:Leo 投稿日: 2006/01/01(日) 16:23:14
くまりんさん、わめさん、皆さん 明けましておめでとうございます。

私は昔テレビを観るものがないときぼーっと放送大学を眺めていたら中世の哲学とか中世の古楽とか見かけて
意外に面白いと思いました。東洋にも匹敵するものがないかと思ったら(昔はないと思っていました...)仏教を
はじめとする東洋思想・哲学なんですね。面白さだけに拘泥してはいけないのかもしれませんが...
(昨年末あたりからなんか私のスイッチONになったかなと...)

316 名前:Leo 投稿日: 2006/01/01(日) 19:52:13
>やっぱり歌っていいですねぇ。

龍樹についての警告を替歌にするとこんな感じでしょうか。
オー、ベイビー、ベイビー い・け・な・い 龍樹・マジック♪

317 名前:Leo 投稿日: 2006/01/01(日) 22:12:22
わめさん、こんばんは。

>このように考えてみると、仏教を志すということとはもしかしてまったく異質な考え方なのかもしれないと
>思ったりもするのですが、皆さんはどう思ってられるのか聞いてみたくなりました。

私は仏教の修行者でないので仏教を語ることはおこがましいのですが(おこがましいんですが
イッパンピープル(自分を含む)に必要なものを想像するにあえて語ると)、
仏教(仏教に限らないかもしれませんが)の効用は日常と違った物事の見方を提供し行き詰まり
(日常的危機)を解消すること、人生の最後(自己最終的危機)でじたばたしない諦観を持つことかなと思っています。

仏教(仏教に限らないかもしれませんが)の必要ない方は忘れていて必要になったときにふと思い出すというのも
アリかなとも思います。

318 名前:Leo 投稿日: 2006/01/05(木) 07:48:37
>仏教(仏教に限らないかもしれませんが)の効用は日常と違った物事の見方を提供し行き詰まり
>(日常的危機)を解消すること、人生の最後(自己最終的危機)でじたばたしない諦観を持つことかなと思っています。

そういう意味においては、(仏教学的には承認され得なくとも)創価仏教も効用が十分あると思いますが、
他者とのかかわりや人格形成において疑問点があります。そういう点を確認したいなと。

319 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/06(金) 00:52:37
 Leoさん、こんばんは。^^

> 仏教(仏教に限らないかもしれませんが)の効用は日常と違った物事の見方を提供し行き詰まり(日常的危機)を解消すること、人生の最後(自己最終的危機)でじたばたしない諦観を持つことかなと思っています。

 やっぱ人それぞれ違いますね。
 わめ的には”諦観を持つ”とは日常も含めて覚悟を持つってことかな。(^^;
 年末年始、わめは結構のんびりしてますが、こののんびりがこんなことしてていいのか?って自問自答が出てきて落ち着かないんだよねw汗

> そういう意味においては、(仏教学的には承認され得なくとも)創価仏教も効用が十分あると思いますが、
> 他者とのかかわりや人格形成において疑問点があります。そういう点を確認したいなと。

 創価仏教もオウムも道具として活かすなら効用はあるのじゃないかな。
 わめの中では創価仏教はもう死んじゃってますが。笑

320 名前:Leo 投稿日: 2006/01/06(金) 22:13:30
わめさん、こんばんは。

>わめ的には”諦観を持つ”とは日常も含めて覚悟を持つってことかな。(^^;

私的には「諦観を持つ」と「覚悟を持つ」と同じで、「危機的存在」と初期仏教でいう「苦」は
同じかなと思っています(厳密には違うかもしれませんが)。

>年末年始、わめは結構のんびりしてますが、こののんびりがこんなことしてていいのか?って
>自問自答が出てきて落ち着かないんだよねw汗

フツーイッパン的に(正しい?)年末年始はのんびりと思います。
年末年始別に「戦(?!)」ったり「決意表明(?!)」必要もないのですということで。

>創価仏教もオウムも道具として活かすなら効用はあるのじゃないかな。
> わめの中では創価仏教はもう死んじゃってますが。笑

そですか。有益じゃない話の方向はやめておきます。
ひとつの「輪廻」から「解脱」できたと思えばOKなんではないでしょうか。
わめさんの嫌い系の話をしてもしょうがないのでこのカキコを最後に創価系はLeo的には
特に要請がない限り話題に出さないようにするということで。あとテーラワーダ
もかな。それから宗教色も出さないという感じでしょうか。
なにか発見があったら紹介するとか前向きな話だけにしましょう2006年。

321 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/07(土) 14:34:49
Leoさん、こんにちは。^^

> 私的には「諦観を持つ」と「覚悟を持つ」と同じで、「危機的存在」と初期仏教でいう「苦」は同じかなと思っています(厳密には違うかもしれませんが)。

 Leoさんの「苦」の捉え方はいい感じですね。
 でもそうだと「日常的危機」もいつだってそうなっちゃって、この後の世俗一般的な”年末年始はのんびり”はやっぱできませんよ。(^^;;

> 年末年始別に「戦(?!)」ったり「決意表明(?!)」必要もないのですということで。

 わめはのんびりしながらも昨年多く学んだことで、今後の指針を決めたいと模索中です。

 あ、学会話もいいですよ〜 思うことは何でも書いて欲しいです。^^

 もちろん有益・前向きな話は大歓迎ですが。

 話は戻って「今後の指針を決めたいと模索中」と書きましたが、わめには何も出来ないように思うのだけど、それでも何かをやっていきたいという矛盾を抱かえてしまっているようです。涙

322 名前:Leo 投稿日: 2006/01/08(日) 21:23:37
わめさん、こんばんは。

最近数年ぶりに自分のホームページをいじれるようになりました(^^;
http://page.freett.com/leo020503/

Libraさんに連絡してわめさんのBBSとBLOGのLibraさんのご発言の書写を行いました。
(他にわめさんの掲示板などでLibraさんのご発言が他にありましたらお知らせいただけるとありがたいです)

あと、わめさんの掲示板へのリンクを貼ってよいでしょうか。

323 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/08(日) 23:03:54
 Leoさん、ε=(ノ‥)ノ ただいまっす。実家日帰りで先程帰宅しました。^^

> 最近数年ぶりに自分のホームページをいじれるようになりました(^^;
> http://page.freett.com/leo020503/

いっ、いじれなかったのかw(>▽<;; アセアセ

> Libraさんに連絡してわめさんのBBSとBLOGのLibraさんのご発言の書写を行いました。

 お疲れ様でした。(*´∇`*)

> (他にわめさんの掲示板などでLibraさんのご発言が他にありましたらお知らせいただけるとありがたいです)

 今のところ新ブログだけ調べてみましたが、下記にもコメントを頂いております。(⌒〜⌒)ニンマリ
『日蓮(大聖人)も真っ青』 http://wame.seesaa.net/article/9692959.html#comment
『輪廻転生について』 http://wame.seesaa.net/article/10504051.html#comment
 

> あと、わめさんの掲示板へのリンクを貼ってよいでしょうか。

 うれしっす。o(^^o) (o^^o) (o^^)o キャアキャア♪

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


12 仏教における仏、成仏とは (Res:136)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 12
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/01(月) 10:28:57
仏教系宗教のほとんどが信仰することによって得られるとする成仏、この仏とはなんなのでしょう。
そして元来無我を説く仏教が、現代の仏教系宗教のほとんどにおいて、ウパニシャッド思想のアートマン説(有我)を肯定しているように感じる。

ブッダ(仏陀)と呼ばれた釈迦、この仏陀の言葉の意味するところは目覚めた人と訳される。

釈迦在世当時のインドでは、バラモン(ウパニシャッドの思想)が司るの国であった。
ウパニシャッドはアートマンはあるとし、生命の本体はアートマンであり、生命(アートマン)は不老、不滅、不死、安泰であると説く。

第一章 ブッダの背景
仏教の無我説は何もない真空状態の中に突然生まれてきたのではなく、それなりの理由があって生まれてきたはずです。否定の主張にはそれが否定した、ある特定の主張の存在が前提となっているはずだからです。だれも肯定していないところにわざわざ否定の主張をするわけがありません。つまり、アートマン否定の背景にはアートマン肯定説があったはずです。それがまさにバラモン教であり、ウパニシャッドの思想(バラモン教の哲学的展開)です。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_1.html
佐倉哲さんのエッセイ集より

第二章 ブッダの沈黙
しかし、仏教は、たとえば、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、同じ次元で「アートマンは無い」と単純に言い返したのではありませんでした。仏教の批判は、ウパニシャッド(やその他の宗教各派)の主張が依って立つ土台そのものに向けられた、もっと根本的なものだったからです。つまり、ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、そのような問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な特徴があります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
佐倉哲さんのエッセイ集より

第三章 ブッダの主張
人間の知識や経験の届かない、形而上学的問題に関しては、ブッダは「わたしが説かないことは説かないと了解せよ」と沈黙をもって応えましたが、人間の知識や経験の届く範囲に関して、とくに人間存在については、ブッダは「わたしが説くことは説くと了解せよ」と言って、いくつかの重要な主張を残しました。アートマンについても、死後においても生残るなどという形而上学的空想問題としては沈黙を保ちましたが、経験や知覚の世界の問題としてはアートマンに関して明確に無我の主張をしました。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html
佐倉哲さんのエッセイ集より

このようにウパニシャッドのアートマン説(有我)に対し、ブッダは人間が知覚できる範囲として徹底的に否定し、無我(非我=アンアートマン)を説いた。

であるならば、仏教における仏、成仏とは、人間が特別な存在になるのではなく、形而上学的な事柄についての迷妄から、覚めた人のことではあるまいか。

116 名前:Leo 投稿日: 2005/10/30(日) 05:02:38
> 現代人は科学とか数学とか客観的ものの見方とかあるから無用な拘りの少な
>> い生き方ができるかもしれない(Leo さん、>>95
>
> 本当にそうなんだろうか(汗)。「世界的科学者S氏の入信動機の話」[*1]
>を参照。

「現代人」や「科学」にとって「エゴイズム」解消を説く「無我」説は有用ということ納得しました。

(余談)

創価学会の指導では「無我」説は強調されて(あるいは指導されて)いないように思います。
(また 無我説=小乗 という認識もあるように思います)

世界的科学者S氏の入信動機が「無我」説というのは違和感があります。
1986年当時のSUAでは「無我」説が強調されていたのかとか、他の仏教団体に入信しなかったのかとか。

「創価学会」自体「無我」説を有効活用(組織過剰自負な「エゴイズム」を解消)するとよいのかもしれない。

117 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/30(日) 16:11:56
>>109

Libra師匠

> > ちなみに日蓮の御書で無作という用語は、独歩さんによると、
> >
> > 【無作】 真蹟:未決=0:96
> > 【本覚】 真蹟:未決=1:75
> >
> > と言うことで、明らかに後世で日蓮仏法に加えられた思想(中古天台本覚思
> > 想?)のように思います。(わめさん、>>99
>
>  日蓮思想と本覚思想との関係については、上のように単純に解決できるもの
> ではないとおもいます[*5]。

[*5]も読ませていただきましたが、今回の無作・本覚の用語について、真偽未決が大多数であるということなのですが、それらを偽書と決め付けているわけではありません。

注目すべきは、真偽未決とされる御書ばかりに、無作・本覚の用語があると言うことです。

師匠の言われる「日蓮思想と本覚思想との”関係”」はよく分かりませんが、元々日蓮思想に”中古天台”本覚思想があったかどうかはこれだけで判断はできないと思いますが、少なくとも後世でそれが強調されだしたことは、この資料で不明瞭ではないと思います。

118 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/30(日) 17:09:50
>>116

> 「現代人」や「科学」にとって「エゴイズム」解消を説く「無我」説は有用ということ納得しました。

Leoさん、最近意識の話をしてましたが、関係性の中で芽生えた意識が我(自意識)だと思うのですが、そんなものはどこにも実体が無いわけで、脳が壊れたら意識は逝っちゃうわけで、自分と思っているものなんてそんなもんだって感じてたら、ある意味無我かもしれないですね。^^

119 名前:Leo 投稿日: 2005/10/30(日) 20:50:53
わめさん。

>Leoさん、最近意識の話をしてましたが、関係性の中で芽生えた意識が我(自意識)だと思うのですが、
>そんなものはどこにも実体が無いわけで、脳が壊れたら意識は逝っちゃうわけで、
>自分と思っているものなんてそんなもんだって感じてたら、ある意味無我かもしれないですね。^^

我執は無意味ですし、自分は有限ですが、自分が無意味とは思いませんです。
何か好きなことをやるもよし。考え込むのもよし。悔いのないよう悪あがきをしてみようと思います(^^;

120 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/30(日) 23:47:26
Leoさん、

> 我執は無意味ですし、自分は有限ですが、自分が無意味とは思いませんです。
> 何か好きなことをやるもよし。考え込むのもよし。悔いのないよう悪あがきをしてみようと思います(^^;

それが悪あがきと言うなら、仲間ですね。^^

ただ、そっちばかりじゃなく、外に向かっても、大いに悪あがきしていきましょう。(*´∇`*)

121 名前:Leo 投稿日: 2005/11/01(火) 22:15:59
>ただ、そっちばかりじゃなく、外に向かっても、大いに悪あがきしていきましょう。(*´∇`*)

いわゆる外に討って出る戦いですね(^^;

122 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/01(火) 23:25:13
> いわゆる外に討って出る戦いですね(^^;

ヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!

いえw、これも以前から言ってる心情の広がり・波紋・エントロピーの増大(時間の矢の方向)です。^^

123 名前:Leo 投稿日: 2005/11/03(木) 02:00:18
今日は映画関係にちなんで雑談を。
リチャード・ギアーって仏教徒で、チベット仏教やっているそうな。
(映画の役どころにくらべてリチャード・ギアーは意外と真面目のようだし)
トム・クルーズはサイエントロジーという宗教やってて学習障害克服したそうな。
芸能人ってストレス多そうだけどいわゆる心の支えというやつでしょうか。

124 名前:Leo 投稿日: 2005/11/03(木) 19:12:23
つまり宗教って需要があるってことじゃないでしょうか。
妄信がなく自立を促すものであれば意外とアリなのかもしれません。

僕が目指すものとは違うんですが、宗教が必要な場合があるってことは認めようかと。

125 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/05(土) 16:59:20
Leoさん、こんちは^^

> つまり宗教って需要があるってことじゃないでしょうか。

需要はあるでしょw

> 妄信がなく自立を促すものであれば意外とアリなのかもしれません。

でも自立を促す宗教って少なそうだよ。
わめが危ない宗教しか知らないだけかもしれないけどね。汗
でも本人次第って面もありますから、アリはアリでしょう。^^

> 僕が目指すものとは違うんですが、宗教が必要な場合があるってことは認めようかと。

わめも認めます。

126 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/08(火) 16:06:21
Leoさん

kumarinさんの下記の記事では、テーラワーダ仏教では輪廻はあり得ないとのこと。ご参考に。^^
http://d.hatena.ne.jp/kumarin/searchdiary?word=%2a%5bBuddhism%5d

一部抜粋

『スマナサーラ長老の法話、あるいはテーラワーダ仏教協会の ajita さんとの対話の中で僕が知り得たことはテーラワーダ仏教では輪廻する「私」として「とてつもなく大きなエネルギー」としての心は認めるものの輪廻する「私」で有る以上それは永遠不滅なるアートマンでも霊魂でもなく無常にも縁起する無我なる心であるということだ。認識というのは変化しか認識できないからその変化を認識する側も変化し続けなければ認識という働きが成立せず、よって永遠不滅とか常住不変とかいう属性は認識に関わる限りありえないから成立せず、メモリーサーキットを伴う輪廻転生は「私」というフレームを時系列で記憶として遡上していくというあり方以外は「認識」として成立しないから常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないしアートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。またパーリ文献に見られる動植物の霊魂のごときものは動植物にも種の繁栄のための根本的な生存欲が機能しているのであってそれは人間の無明となんら変わるものではないことを言っているのであって霊魂のごときものがあるという意味ではない。』

でも何だか難しいw(^^;;

127 名前:Leo 投稿日: 2005/11/08(火) 21:19:51
わめさん、こんばんは。

あれは疑似科学か言い訳の類でしょう(キッパリ)。

永遠不滅なるアートマンでなく無常にも縁起する無我なる心が「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。
って永遠不滅でないけど輪廻は認めるということですね。

「メモリーサーキットを伴う輪廻転生」って物質なくして空間に記憶が存在するか(!?)、単に親から子へ
(情報伝達があり)人類が継続するということではないでしょうか。

128 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/08(火) 21:36:57
Leoさんこんばんちゃ^^

> あれは疑似科学か言い訳の類でしょう(キッパリ)。

うーん、論理科学とでも名付けましょうか?(^^;

> 永遠不滅なるアートマンでなく無常にも縁起する無我なる心が「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。
> って永遠不滅でないけど輪廻は認めるということですね。

『無常にも縁起する無我なる心』は意識で、『「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。』は、エントロピーの増大とか波紋の広がりとか、他者への影響とかを指しているんじゃないかな?

そういった意味では死後も影響を与えていくわけだし、輪廻はあるとみていいと思うけどね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1118979037/1

> 「メモリーサーキットを伴う輪廻転生」って物質なくして空間に記憶が存在するか(!?)、単に親から子へ(情報伝達があり)人類が継続するということではないでしょうか。

そこで切っちゃうとまずいよw汗

『メモリーサーキットを伴う輪廻転生は「私」というフレームを時系列で記憶として遡上していくというあり方以外は「認識」として成立しない』だから、私と言う脳内記憶を指しているんじゃない?
だから過去形にしか遡れないというか、未来形は認識できない(有無不明)と。

で、『常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないしアートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。』で、めでたしめでたしと。♪

129 名前:Leo 投稿日: 2005/11/08(火) 22:23:28
なんか面白くなってきました(^^;

>『無常にも縁起する無我なる心』は意識で、

意識という捉え方はよいと思います。

>『「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。』は、エントロピーの増大とか波紋の広がりとか、他者への影響とかを指しているんじゃないかな?

まず彼らのいう「大きなエネルギー」が意味不明な気がします。

それに「輪廻」が「生あるもの生と死とを繰り返すこと」だとするとあるひとつの「生あるもの」が流転するのだと
思いますが、他者への影響とすると「コピー」が存在することになります。
御書を読むと大聖人の輪廻が大量に発生するのでしょうか。

>『メモリーサーキットを伴う輪廻転生は「私」というフレームを時系列で記憶として遡上していくというあり方以外は「認識」として成立しない』だから、私と言う脳内記憶を指しているんじゃない?
>だから過去形にしか遡れないというか、未来形は認識できない(有無不明)と。

「私」は「脳内記憶」に存在する。よいかもしれません。
輪廻が存在するとすると、携帯電話を買い換える時のように(?)、過去の私の脳内の記憶はどうやって
今の私の脳内の記憶に転送されたのでしょうか。それとも密かに転送期間が存在するのでしょうか。
心のエネルギーは脳が存在しなくとも保持されるのでしょうか。
結構ナゾが多いと思います。

130 名前:Leo 投稿日: 2005/11/08(火) 22:54:41
>で、『常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないし
>アートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。』で、めでたしめでたしと。♪

テーラワーダ仏教の方もそういっていただかないとブッダに最も近い伝統の仏教が反故になってしまうと思われ。
参考としては>>1でわめさんが紹介した佐倉哲氏のリンクや、他には、
たとえば、ブッダ曰く、

「1075、「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 
 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。」

 1076、師は答えた、
 「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。
 かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
 あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる議論の道はすっかり絶えてしまったのである。」 」

(「七、学生ウパシーヴァの質問」、「第五 彼岸に至る道の章」、「スッタニパータ」)

関係ないけどロシア語でありがとうはスパシーバ。

131 名前:Leo 投稿日: 2005/11/09(水) 22:37:39
>「私」は「脳内記憶」に存在する。よいかもしれません。
>輪廻が存在するとすると、携帯電話を買い換える時のように(?)、過去の私の脳内の記憶はどうやって
>今の私の脳内の記憶に転送されたのでしょうか。それとも密かに転送期間が存在するのでしょうか。
>心のエネルギーは脳が存在しなくとも保持されるのでしょうか。
>結構ナゾが多いと思います。

チベット仏教は輪廻を認めるのだそうです。で、高僧になると意識を新たな体に転送できるようです(疑問)。

ダライ・ラマ法王と転生探し
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_reincarnation.html

「転生探し」は宗教という伝統を重んじる世界で世襲や選挙(多数決が最善の結果でない場合がある)など
時には悪弊となる制度によらずに、賢そうな子供を選んで後継者にするという方便ないし意味のある制度
ではないかと個人的には解釈しているのですが。

133 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/11(金) 22:26:48
Leosさん、こんばんは。^^

> まず彼らのいう「大きなエネルギー」が意味不明な気がします。

ですね。なんなのでしょうね? 縁起なら縁起と言うでしょうし・・・

> >で、『常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないしアートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。』で、めでたしめでたしと。♪
>
> テーラワーダ仏教の方もそういっていただかないとブッダに最も近い伝統の仏教が反故になってしまうと思われ。

ちょっと怪しいぞと、kumarinさんはその点を真正面から突くのではなくて、危ないぞと釘を刺したというか・・・

ブッダに最も近いとされるテーラワーダ仏教でもこんなものだということではないでしょうか。

134 名前:Leo 投稿日: 2005/11/12(土) 16:30:19
わめさん、こんばんは。

>ちょっと怪しいぞと、kumarinさんはその点を真正面から突くのではなくて、危ないぞと釘を刺したというか・・・
>
>ブッダに最も近いとされるテーラワーダ仏教でもこんなものだということではないでしょうか。

スマナサーラ長老の現代用語の引用部分が方便なのか疑似科学なのかあるいは裏づけがあるのか
とても気になったので、kumarinのところにおじゃましてみました。
(結論がでるかどうかはまだわからないですが...)

135 名前:Leo 投稿日: 2005/11/12(土) 22:27:28
訂正
×kumarin
○kumarinさん
呼び捨てにするつもりはないです。手の老化です(^^;

136 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/16(水) 01:20:13
ああw Leoさん、ここにくまりんさんのところにお邪魔するって書いてたのねw汗

気が付かなかったわσ(^_^;)アセアセ...

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


13 法華経について (Res:164)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 13
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/05(火) 00:31:49
まずは何といっても 佐倉哲さんの「わたしの『法華経』概論」
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html

ペガサス師匠の掲示板から、わめの書き込みを転載
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
○○さんのおっしゃること、学会教学的であり、私も以前はそのように解釈してました。
でもそれは法華経も含め、小乗〜大乗経の釈迦一代聖教と言われる経々が、在世中、あるいは滅後すぐに著されたものならまだしも、”釈迦滅後約五百年後”になって著された法華経に、「正直捨方便・但説無上道」と釈尊が説いていたというのはどう考えても矛盾がありませんか?
もし仮に、釈尊が在世中に法華経の内容を説いていたとして、そこでそれ以前の経々を「正直捨方便・但説無上道」と言っていたとするなら、滅後約五百年の間、釈尊の直弟子、孫弟子、代々の仏弟子達は一体何を学んでいたのでしょう? おばかさん弟子ばっかりだったのでしょうか?

また法華経を著した大乗仏教徒は、誰からこの「正直捨方便・但説無上道」との教えを聞いたのでしょう? また約五百年の間どのような系譜を辿り、法華経を著した大乗仏教徒に伝えたのでしょうか? そして日蓮正宗の唯授一人の血脈相承のように、その法華経の教えの内容は何らかの理由により秘していて、滅後約五百年後に、時来たりとばかりに法華経を著したのでしょうか?

このようなことは非常に考えにくいし、また歴史・背景から考えも、後になって出てくる経典ほど、今まである経典を凌駕しようとするのが必然的で、自教団の教えの優位性をその創作された経典に盛り込んだと考えるのが自然ではないかと思います。

そして最終的に密教に至ると・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

145 名前:Leo 投稿日: 2005/10/28(金) 01:13:39
スマナサーラ長老も説法の中では科学を引用しているようで論理的に崩れているところがあるような気が。
(別スレで指摘したように)。

「スマナサーラ 他のも読んでみたんですけど、論理的に崩れているところっていうのは明確なんですね。
 先生もご存じでしょう。例えば『法華経』がありますね。あれはインド人だったら恥じるべき作品なんですよ。
 暗記しているものは何でも歴史的順番も全部気にしないでぐちゃぐちゃに入れちゃって、
 これからすごいことを言ってやるぞって始まるでしょ。」

スマナサーラ長老は天台も批判して欲しいですね。確かに法華経は哲学的でないかもしれないけど、
なんであんなに中国や日本でもてはやされたのか。羅什の中国語訳がよかったのか。それにしても
天台は非哲学的な法華経を出発点にしてあんなに哲学したんだろうか。謎だ。

それに「バガヴァッド・ギーター」や「ラーマヤナ」や「マハーバーラタ」は哲学的だっていうんかい。

146 名前:Leo 投稿日: 2005/10/29(土) 20:53:42
>それに「バガヴァッド・ギーター」や「ラーマヤナ」や「マハーバーラタ」は哲学的だっていうんかい。

現代インド映画だったら「ムトゥ 踊るマハラジャ」もあるでよ。
ttp://www.k-inet.com/~brown/muthu/

147 名前:マターリ 投稿日: 2005/11/03(木) 23:17:44
初めまして、マターリと申します。シナプスさんの「創価学会を考える」
から参りました。学会三世です。宜しくお願い致します。m(__)m

法華経に書かれている罰論について、図書館から色んな本を借りてきて
勉強しています。

148 名前:Leo 投稿日: 2005/11/03(木) 23:41:04
マターリさん、こんばんは。

私はこのスレで少し脱線してたので、「法華経」の話題に戻って少しばかりコメントしてみたいと思います。
ある研究者の指摘によれば「法華経」のキモは「呪縛からの解放」とのことです。
「法華経」には色々な要素や解釈がありますが、「罰論」は「呪縛からの解放」に相反するように思います。
(現代においては「法華経」のよいところは評価し、よくないところがあれば批判すべきと思います)

○呪縛からの解放─法華経の宗教性(友岡雅弥) 
http://page.freett.com/Libra0000/042.htm

「「法華経」は全編を通して、「法を悟る者」となることによってではなく、「法を語る者」となることを主張する。
 そうすることによって、「法華経」は、呪縛と閉塞から人々を解放した。ここに、「法華経の宗教性」がある。」

○ブッダ、因果を超える(友岡雅弥)
http://page.freett.com/Libra0000/080.htm

「苦悩からの解放、さらには今まで何度も述べた、権力の呪縛からの解放という、仏教のメインテーマは
 どこにいってしまったのでしょう。悪しき業報因果論にはこういう陥穽(かんせい)が潜むのです。」

149 名前:Leo 投稿日: 2005/11/03(木) 23:49:23
○ブッダ、因果を超える(友岡雅弥)
http://page.freett.com/Libra0000/080.htm

の下記部分は結構ポイントと思われます。罰論は業や輪廻思想と同様ではないでしょうか。

「実践的仏教者、堀沢祖門氏は次のように述べています。長文になりますが、
非常に大切な指摘と思われますので引用します。

「現代人であるわれわれは、経典そのものを資料的に徹底的に批判してかからなければならない。
何故ならば、ブッダの思想でも何でもない、もともとバラモンや異教徒の思想であったものをうっかり
『仏説』と受けとってしまうことは、それは結局、正しいブッダの宗教(仏教)でも何でもなく、
それらは巧みに仏教的仮面(かめん)をかむっているが、じつは外道(げどう)や邪道の教えにほかならぬ、
という恐るべき結果になってしまうからである。
仏教思想における、そうした一つの典型(てんけい)が『業(ごう)と輪廻(りんね)』の思想である。
長年月の間に仏教思想のなかに深く浸透(しんとう)したバラモン教の業・輪廻思想は、
今や仏教自身のガン的体質となりきって仏教自体の生命を内部から蝕(むしば)んでいるかのようである」
(『インド仏教の再生』)

(友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社、2001年)」

150 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/05(土) 17:21:40
マターリさん、初めましてなわめです。^^

> 初めまして、マターリと申します。シナプスさんの「創価学会を考える」
> から参りました。学会三世です。宜しくお願い致します。m(__)m

マターリさんの書き込みは拝見させていただいております。

Leoさんにいいところを根こそぎ持っていかれましたけど、わめからもレスします。(^^;;

Leoさんご紹介の友岡雅弥氏ですが、東洋哲学研究所研究員でもちろん学会員でもあるわけですが、この方が次期会長になっちゃうと、学会も良い方向にいっちゃいそうで嫌なのですがぉぃw、この方の仏教の捉え方には非常に感銘を受けております。

> 法華経に書かれている罰論について、図書館から色んな本を借りてきて
> 勉強しています。

勉強はいいですが、罰とか功徳とかに囚われちゃうと、悪いことがあると罰がでたとか、良いことがあると功徳だなんて、ついつい思い込んでしまいそうになりそうですよ。汗

友岡雅弥氏の言を借りるなら、心の呪縛からの解放のために説かれた法華経で、心が囚われてしまっては本末転倒になりはしないか心配です。

151 名前:マターリ 投稿日: 2005/11/05(土) 20:15:36
>Leoさん、わめさん、レスありがとうございます。私も皆さんの考え方
とだいたい同じです。子供のころから「罰・功徳論」で教育されたもので
すから、何かにつけて罰ではないかと、びくびくしたりすることが多い
です。そうした心の呪縛から抜けたいと思い、法華経を勉強しています。

次第に考えがまとまりつつありますが、今仕事が少しガタガタしています
ので、落ちついてから、詳しく書かせていただきます。m(__)m

152 名前:Leo 投稿日: 2005/11/06(日) 00:45:59
わめさん、こんばんは。

>Leoさんにいいところを根こそぎ持っていかれましたけど、わめからもレスします。(^^;;

いえいえ。Libraさんの資料を紹介したまでで私の力ではないです(^^;

>Leoさんご紹介の友岡雅弥氏ですが、東洋哲学研究所研究員でもちろん学会員でもあるわけですが、
>この方が次期会長になっちゃうと、学会も良い方向にいっちゃいそうで嫌なのですがぉぃw、
>この方の仏教の捉え方には非常に感銘を受けております。

(次期会長というと、福島源次郎氏(!)と同じ大学出身で(だから)名誉会長に相当しごかれたという
 谷川副会長があたりが思いうかびます)
いっそ会長公選制でもやったらバリバリ系にも組織内アンチ系も認める(と思われる)友岡氏が
期待されるかもしれません。

わめさんが学会がよい方向に向かうと嫌というのは、
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(「報恩抄」)
「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ」(「種種御振舞御書」)
などを念頭におかれているのですね。

学会が疑問な状態でなかったら色々気づかなかったことがあるかもしれないです。
世の中意外とうまくできているのかもしれない。学会はラスト宗教だ(謎

153 名前:Leo 投稿日: 2005/11/06(日) 10:24:48
>いえいえ。Libraさんの資料を紹介したまでで私の力ではないです(^^;

「蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ」(「立正安国論」)
ですね。

Libraさんは友岡氏の引用、友岡氏は他の方の引用をしてます...

154 名前:Leo 投稿日: 2005/11/06(日) 17:04:14
(他のスレの話題かもしれませんが...)
創価大教授、国際仏教学高等研究所所長のこの方のこの本は意外と結構よい(宗派に偏っていない)法華経入門書と思います。

菅野博史 『法華経入門』 岩波新書

○唱題思想と一念三千説(菅野博史)
http://page.freett.com/leo020503/note015.html
「要するに、日蓮独自の宗教的立場である南無妙法蓮華経の本尊と題目は、
 『法華経』、智攬瞥茲琉貲飴粟蕕遼法における展開顕現として説明されていることがわかる。
 もちろん、この場合の一念三千はすでに智擇砲けるそれではなく、
 日蓮独自の解釈が施された一念三千となっている。」

○日蓮の(法華経の)三種の中心思想の受容(菅野博史)
http://page.freett.com/leo020503/note016.html
「日蓮は、『法華経』に説かれる釈尊死後の無仏の時代を、とりもなおさず自分の生きる末法時代と主体的に捉え、
 自身を六万恒河沙の地涌の菩薩の指導的立場にある上行菩薩の再誕と考えた。
 それはとりもなおさず末法時代の真の救済者であるという自己認識であった。」

155 名前:Leo 投稿日: 2005/11/06(日) 18:54:45
>(他のスレの話題かもしれませんが...)

このスレでよいのだった...

156 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/07(月) 20:36:10
>>151

マターリさん

二世、三世は幼い頃から罰・功徳って染み付いてますよねw

わめもそうやって育ってきた二世ですからよく分かります。(^^;;

> そうした心の呪縛から抜けたいと思い、法華経を勉強しています。

法華経から更にさかのぼって原始仏教もお勉強してね。
わめは、佐倉哲氏のエッセイ集(仏教について)がお薦めです。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

> 次第に考えがまとまりつつありますが、今仕事が少しガタガタしています
> ので、落ちついてから、詳しく書かせていただきます。m(__)m

はい、ゆっくり楽しみにお待ちします。☆^∇゜) ニパッ!!

157 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/07(月) 20:42:10
>>152 Leoさん

> わめさんが学会がよい方向に向かうと嫌というのは、
> 「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(「報恩抄」)
> 「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ」(「種種御振舞御書」)
> などを念頭におかれているのですね。

( ̄ヘ ̄;)ウーン 「提婆達多こそ第一の善知識なれ」かな。^^

とは言え、これから学会も、もっと巧妙になってくると思われw

最高の詐欺師は騙さない詐欺師、騙さなければ詐欺師もそれはそれでいいのかな・・・

158 名前:Leo 投稿日: 2005/11/07(月) 23:38:09
もしかして(何かの間違いだったらよいのですが)...
金のある者は金を供養し、金のないものは時間を供養する。
新聞啓蒙や法戦で戦い本流を行えば大きな功徳・成長・実証・宿命転換。
組織活動が成仏の近道。広宣流布は永遠の流れ。
ってマルチ商法の一種だったんですか? Σ(゚Д゚;)ガーン

ちょっとカゲキなフレーズが頭をよぎった、
「妄信とは生きる屍になることである」by Leo

159 名前:マターリ 投稿日: 2005/11/08(火) 00:28:45
法華経は、釈尊が直接説いた法だと教わり、自分でも信じていました。
しかし色んな本を読むと、釈迦滅後4〜5百年後に、教団の仏教者達または、
在家の信者グループにより創作された経典であるらしいとわかりました。
教団の仏教者達によるものか、在家の信者グループによるものか、どちら
が本当なのかは、本によって違いがあり、よくわかりません。

160 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/08(火) 14:57:51
>>159

教団の仏教者達によるものか、在家の信者グループによるものかは、判明してないようですね。^^

>>144 に貼ったURLのkumarinさんの考察では、教団の仏教者達の創作ではないかと意見です。

よかったらご参考に読んでみてください。<(_ _)>

161 名前:Leo 投稿日: 2005/11/09(水) 22:49:52
如来寿量品第十六 の
「譬如五百千万億那由他阿僧祇三千大千世界。
 假使有人末為微塵。過於東方五百千万億那由他阿僧祇国。
 乃下一塵。如是東行尽是微塵。諸善男子。於意云何。
 是諸世界。可得思惟校計知其数不。」
の部分って、「三世実有・法体恒有」の「説一切有部」への批判と思えるのですが、
「説一切有部」内に組織内アンチがいたってことでしょうか?

162 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/10(木) 03:27:28
>>161

> 「説一切有部」内に組織内アンチがいたってことでしょうか?

さて? でもいたって不思議はないと思いますよ。
友岡雅弥氏だってある意味組織内アンチとも言えなくないかもw

163 名前:Leo 投稿日: 2005/11/12(土) 16:21:06
>さて? でもいたって不思議はないと思いますよ。
>友岡雅弥氏だってある意味組織内アンチとも言えなくないかもw

友岡氏は組織内アンチとしては組織批判の話が聞こえてこないのと、
松戸氏を見捨てたから組織内アンチの「鑑」とまではいかないという話もあります(^^;
ですが初期仏教を学会内に紹介したのは大きな意味があったと思います。

164 名前:マターリ 投稿日: 2005/11/13(日) 18:04:22
念仏無間地獄抄に法華経からの引用があります。(P97、2行目)

法華経第二比喩品に云わく「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切
世間の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん、一劫を具足して
劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」

以上の文は、仏を罵るよりも、法華経の経典を憎む方がはるかに罪が深い
という考え方だと思います。

法華経が作られ始めた昔を振り返ると↓

専門の比丘の教団から考えると、教えといえば、自分達が口伝えに伝えて
きた釈尊の言葉だけを指すはずでした。しかし、専門の比丘でもない在家
の信者たちが、それも釈尊の名によって新しい経典を作ろうというのです
から、専門の比丘の教団の人々は、猛烈に憤慨したと思われます。

したがって彼らは、在家の信者達に猛烈な非難を浴びせかけたと思われる
のです。当然、法華経を受持し、説く者に対する憎しみも相当なものがあっ
たと思われます。そして憎しみがエスカレートすると、言葉だけでなく、
暴力までふるうようになり、在家の信者達への熾烈な迫害となっていきまし
た。

しかし迫害をされればされるほど、法華経を結集した在家の信者達の団結は
強固になり、ついに比丘の教団に対抗する大乗仏教教団に発展していきまし
た。

したがって、法華経の経典に書いてある罰論は、比丘の教団が在家信者に
対して実際に行った迫害に対して、在家信者が反発心とともに、怒りと
憎しみをもって書き綴った文ではないかと、私は考えています。
猛烈な迫害を加えられた被害者であれば、加害者に対し「地獄へ落ちてし
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


14 信じるということ (Res:45)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 14
1 名前:わめ 投稿日: 2005/02/28(月) 15:05:58
とかく宗教では「信」を重要視することが多いと思われます。
信じることによって救われるということもあるでしょうが、また信じて騙されるということも多いのではないでしょうか。

私はある対象に対して信じると思うこと自体、その対象とするものの正当性が証明できないものであることの証拠であるように思います。

信じる=願望、未確定、曖昧、証明できないこと。
信じるとは言わない=当たり前のこと、常識的なこと、誰もが認めること、理論的に証明されていること。

智慧を得るための信ならば、良いことだと思いますが、信じることによって智慧が奪われていくならば本末転倒だと思います。

26 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/14(水) 13:54:54
みれいしゃん、わめです。^^

> わめさん、いつもパソコンの近くにいるのですか?

 仕事&趣味が、PCでありネットな訳で、何処にいてもキーボードが目の前(寝室で横になりながらもキーが叩けますw)です。涙

> けれど、何か足りない。まだ途中という感じです。

 足りないし、途中でもあると自分でも自覚してます。^^ これはどこまでいっても、死ぬまでそうかもしれないとも思っております。

> う〜ん、ここだけわめさん「楽しくなさそう」なの。気のせいかな。

 いえ、マジで楽しいですよ。というかうれしいです。

> これはわめさんが縁起を頭で理解でなくいつのまにか体得したからそう思えるのでは?

 わめが、縁起と「世の中のモノすべてが依存関係」を結びつけて表現することが、悪いのかもしれません。
 ですから縁起と言う言葉を用いて「世の中のモノすべてが依存関係」とするのではなく、縁起と言う仏教用語を無くして、ただ「世の中のモノすべてが依存関係」であり、それが客観的事実と思うし、みれいしゃんが世界観と書いた”世界”も、誰もが(例外もあるでしょうが)理解しうる客観的事実と同じではないかと言いたかったのです。
 「世の中のモノすべてが依存関係」は、文字通り宇宙と言うマクロから観ても、量子力学的なミクロから観ても(その観測・測定機器、観測者等さえも)、「世の中のモノすべてが依存関係」という答えが出てしまっているように思いませんか?
 このような思考から、「世の中のモノすべてが依存関係」=客観的事実とみている訳で、ですのでこれは(縁起ではなくて)体得とか信じるとかの問題ではないように思います。

 ただ、みれいしゃんがおっしゃっているように、客観的事実であっても人それぞれ価値観が違うわけで、価値観についてここで論じようとは思いません。

 んでこのスレのテーマに戻って、客観的事実は知ることでそれを理解も活用もでき、信じる・疑う対象の不確かなものとを、同列に扱うことは避けたいし、区別したいと思うのです。

27 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/14(水) 14:03:40
みれいしゃん、またまた意図するところを汲んでなかったわめです。(^^;;

> けれど、何か足りない。まだ途中という感じです。

 何かが欠如しているのではないかとの指摘を、柔らかく表現されてるのですね?(*´∇`*)
 わめの思考には、何かが欠如しているだろうと思っています。
 まだ模索・思索中でもありますし、みれいしゃんや他の方との意見交換で、わめの欠如部分や、誤謬等を見つけ出せたらうれしいです。^^

28 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/14(水) 15:17:40
 事実としてある現象に名称(言葉)を付けたのであって、名称から現象が生まれるわけではないと思いますが、その現象に付けた筈の名称が、その現象から離れて一人歩きしていくのは怖いですね。

 無常・無我も、それらが指し示す現象(無我は非現象)側から見た場合、客観的事実か否かについて、

・現実存在(現象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するもの。(無常)
・人から肉体を取り払ったら、現象として捉えられるものは何も無い。(無我)

 この程度の無常・無我の解釈なら、客観的事実と認められると思うのですが。

 ですのでわめは、その現象(無我は非現象)の名称としての縁起・無常・無我は、客観的事実であって、信疑で論ずるものではないと思うのです。
 極論を言えば宗教でもなく、信仰対象でもないと。

29 名前:みれい 投稿日: 2005/09/14(水) 16:41:55
わめさんどうりでチャットのように早い。

>マジで楽しいですよ。というかうれしいです。

何よりです^^こちらこそお勉強させてもらってます。

>「世の中のモノすべてが依存関係」は、文字通り宇宙と言うマクロから観ても、量子力学的なミクロから観ても(その観測・測定機器、観測者等さえも)、「世の中のモノすべてが依存関係」という答えが出てしまっているように思いませんか?

科学者でも相互依存とミクロとマクロのその先に神を見出す事はあります。まだまだわからない世界はたくさんあるわけで。
そもそも神の視点から科学や量子力学的を語ることも可能だと思います。
だから、私が賛成でも人によってはわめさんの答えが当てはまらないし、最終地点ではないわけです。
「霊性」をいかに説明するかにかかってくるかもです。

>信じるとは言わない=当たり前のこと、常識的なこと、誰もが認めること、理論的に証明されていること。

「当たり前」も「常識」も「誰もが認めること」も「倫理で証明」も、
国や時代が変わればすべて変わります。
私たちはそれを当たり前と信じているだけに過ぎないはずです。
それらをマインドコントロールを出すとややこしいので
やっぱり「パラダイム」の登場になってきます。

皆がわめさんの「当たり前」という世界の中へパラダイムシフト(価値観の転換)が起これば、それは信じる信じないでなく「当たり前」になる、というだけです。

>わめの思考には、何かが欠如しているだろうと思っています。

欠如ではなく、まだ覚醒してない部分があるのだと思います。
すべてはすでに備わっているのではないでしょうか。

ちょっとマトリックスみたいになってきました(^o^)

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

30 名前:みれい 投稿日: 2005/09/14(水) 16:52:19
>・現実存在(現象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するもの。(無常)
・人から肉体を取り払ったら、現象として捉えられるものは何も無い。(無我)

 この程度の無常・無我の解釈なら、客観的事実と認められると思うのですが。

 ですのでわめは、その現象(無我は非現象)の名称としての縁起・無常・無我は、客観的事実であって、信疑で論ずるものではないと思うのです。
 極論を言えば宗教でもなく、信仰対象でもないと。

確かにそうですが、それで満足できれば、皆信仰を求めないはずです。
そこに留まらせても留まらないから信仰心があり、宗教があるんじゃないかしら。
宗教のはじまりがそもそも見えないものへの恐れ、日本では祟りだったと思います。
そこを納得させられれば、信仰も宗教もなくていいものかもしれません。

31 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/14(水) 17:39:13
 みれいしゃん、流れが変な気がするわめです。(^^;;

 そこでちょっと整理させてくださいね。<(_ _)>

 わめは宗教・信仰が無くなればいいとは思っておりません。(功罪がある)
 その罪部分で苦しまれている方を、何とか少なくできないかと思索しているのです。

 みれいしゃんのコメント>>29 >>30では、人は客観的事実だけでは満足できないから、信仰に走る方がいるとのご意見は、その通りかもしれません。

 それに客観的事実を認めた上で尚、その向こうや、それらの根源や、それらを超越した神のような存在があると思われている方もおられるようですし、そのようなことを揶揄するつもりもありません。

 これは>>24 で、『 客観的事実を認めながら、その上で心情を膨らませ、何を信じるかは個人の自由ではあると思いますが、また客観的事実を個々人の中で否定するのも自由かもしれませんが、できることなら他者に対して、客観的事実を否定するような影響は与えて欲しくないとわめは願います。』と言ってるわけです。(宗教が罪を作らないように)

 客観的事実は、信疑で論ずるものではない。

 以上のわめのコメントについて、いかが思われるでしょう。

32 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/14(水) 18:12:38
 >>1 は半年以上も前に書いたことなので、当時のわめの思いがどうだったのかちょっと思い浮かべてみましたが・・・

> 皆がわめさんの「当たり前」という世界の中へパラダイムシフト(価値観の転換)が起これば、それは信じる信じないでなく「当たり前」になる、というだけです。

 わめの当たり前は、みれいさんの言われる

> 「当たり前」も「常識」も「誰もが認めること」も「倫理で証明」も、
> 国や時代が変わればすべて変わります。
> 私たちはそれを当たり前と信じているだけに過ぎないはずです。

 ↑と同じです。ただ、この当たり前・・・を、誰もがそう思っているから、わざわざ『思ってる・信じる』とは言わないのだと思いますし、当たり前・・・が正しく(国や時代が変わればすべて変わるのだからあり得ないけど)て、『信じる=願望、未確定、曖昧、証明できないこと。』が、間違っていると言ってるわけではありません。
 何をどのように信じるかがポイントで、智慧を得るための信は良いけれど、智慧が奪われていく信(思考停止かな)は良くないと言ってるわけですね。(多分w)

33 名前:みれい 投稿日: 2005/09/14(水) 19:05:36
ああ、そうなんですか。すみませんちょっと飛び出しました(^o^)

>客観的事実は、信疑で論ずるものではない。

 以上のわめのコメントについて、いかが思われるでしょう。

わめさんの書き込みのとおり、相手が客観的事実を否定するような影響を与えそうな場合に可、だと思います。

>何をどのように信じるかがポイントで、智慧を得るための信は良いけれど、智慧が奪われていく信(思考停止かな)は良くないと言ってるわけですね。(多分w)

そりゃぁ良くないですね。ん?多分て?
ここが難しいところですよね・・・
妄信、思考停止に関しては、
http://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html
自己愛性人格障害

http://homepage1.nifty.com/eggs/
境界例と自己愛の障害からの回復

があるように、宗教団体の教義が問題である場合もあると思うし、
信じる個人の問題である場合もあると思います。
私なんかは依存症の親から生まれて、やっぱりばっちり依存症を患ったので、妄信するバリバリさんの気持ちもとてもよくわかります。
なぜそこから抜けたかというと、きっかけがあったわけですが、やはり外から与えられた「情報」と「安心感」です。
私はたまたまあることで教義に疑問を持ち、心理学の本(ユングの「人間と象徴」)で無意識に着目し、カウンセリングに通った事ではじめて宗教に距離を置く事が出来ました。
とても時間がかかりました。

最近は宗教に関して疑問を持つ人がブログに書き込むようになって、そういった疑問を第三者が見ることによって情報を得られます。
そこに共感が生まれれば、信仰にしがみつく必要もないわけで、
少しずつ少しずつ、昔ほど妄信することはなくなってきているのではないかと思うのです。

34 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/14(水) 21:34:13
みれいしゃん、こんばんは〜なわめです。^^

> 私なんかは依存症の親から生まれて、やっぱりばっちり依存症を患ったので、妄信するバリバリさんの気持ちもとてもよくわかります。

 わめも、学会依存の親で内向的(ユング論的)な母親に、幼少の頃から放任されて育ったような感じです。(^^;;

> なぜそこから抜けたかというと、きっかけがあったわけですが、やはり外から与えられた「情報」と「安心感」です。

 やはり「情報」と「安心感」は重要なポイントのようですね。
 わめは情報も、なかなか受け付けませんでしたがw笑  o( ̄ー ̄θ★ケリッ!
 「マインドコントロールについて」は読ませて頂きました。^^
 http://kangaeyou.hp.infoseek.co.jp/925_1057634332.html
 
> 最近は宗教に関して疑問を持つ人がブログに書き込むようになって、そういった疑問を第三者が見ることによって情報を得られます。
> そこに共感が生まれれば、信仰にしがみつく必要もないわけで、
> 少しずつ少しずつ、昔ほど妄信することはなくなってきているのではないかと思うのです。

 そうですね、ブログやネットが素晴らしい働きをしているように思います。
 今回の衆議院選挙で、公明党3議席減もその影響があったのかもしれません。♪

35 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/15(木) 04:28:11
みれいしゃん、?に対するお返事を忘れてました。<(_ _)>

> >何をどのように信じるかがポイントで、智慧を得るための信は良いけれど、智慧が奪われていく信(思考停止かな)は良くないと言ってるわけですね。(多分w)
>
> そりゃぁ良くないですね。ん?多分て?

 多分は、>>1 これを書いたのが半年以上の前ですので、当時のわめがどう考えてたかを思い浮かべながら書いたので、少し自信が持てなくて(多分w)を入れました。(^^;;

 それと、

> ここが難しいところですよね・・・

が、何を指す言葉なのかが謎っぽくて眠れませんw(ってもう寝ますけど。爆)

36 名前:みれい 投稿日: 2005/09/15(木) 11:33:22
わめさん

「創価学会をみんなでかんがえよう」の頃は、時々バリバリさんが訪れては同じパターンでお話して、毎回アンチ側に疑問を投げられて、そうすると皆同じところで同じように感情むき出しになって、やがて消えていきました。
そのバリバリさんの反応パターンがあまりにも同じでゾッとしたことがあります。

でも後半だんだんバリバリさんもいなくなって、話の通じる学会員さんや、疑問を持った学会員さんが内部について話していたのでとても参考になりました(私が行けなくなってしばらくしてからまた荒しっぽくなってたみたいですね)

その頃の書き込みがご縁で今こうしてわめさんの掲示板にお邪魔しております。
他は何の個人情報も知らない二人がネットで繋がるのはなんとも不思議なものです^^
ちなみにその頃のわめさんその掲示板の存在知ってましたか?

そういえばその頃鬼太郎さんという感性豊かな哲学好きの人がいました。
わめさん話が合う方かもしれません^^

>> ここが難しいところですよね・・・

>が、何を指す言葉なのかが謎っぽくて眠れません

「良くない」とわかって、「さてどうするか」「ならばどうするか」、そこが難しいとおもうわけです。
答えが一つじゃないから、皆がそれぞれ自分で答えを見出して行く。
それを思考停止した人にいかに伝えるか、ということ。
たぶん私がまだバリバリ中だったらブログなんて見ずに、また見た所で学会の色眼鏡はすぐにははずれないでしょうし。
ブログをみて考える余裕のある方は問題ないんじゃないかと思うのです。

37 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/15(木) 13:48:55
みれいしゃん、こんにちは。^^

> そのバリバリさんの反応パターンがあまりにも同じでゾッとしたことがあります。

 「創価学会をみんなでかんがえよう」のログは、以前少し覗いてたように思います。^^
 でも当時は自分の中のバリさんとのせめぎ合いで読んでましたから、今とはまた違った受け止め方ができます。
 そうそう、Poh師匠からメールで色々アドバイスを頂いているのですが、「創価学会をみんなでかんがえよう」のいくつかのスレも紹介され、今この「バリバリさんの反応パターン」に遭遇中ですw爆

> その頃の書き込みがご縁で今こうしてわめさんの掲示板にお邪魔しております。
> 他は何の個人情報も知らない二人がネットで繋がるのはなんとも不思議なものです^^

 お互いに、知り合っても知り合ってなくても、無関係に生きているわけじゃないってことかな・・・
 今まだ知り合ってない方と出会う前に、その方と自分とは既に何かの形で影響を与え合ってたりしてね。笑

> ちなみにその頃のわめさんその掲示板の存在知ってましたか?

 進行中当時は知りませんでしたね。知ってたのかもしれませんが、当時わめもバリでしたからw汗

> そういえばその頃鬼太郎さんという感性豊かな哲学好きの人がいました。 わめさん話が合う方かもしれません^^

 あ、今掲示板ログ読んでますから出会えるかもしれません。♪

> 答えが一つじゃないから、皆がそれぞれ自分で答えを見出して行く。
> それを思考停止した人にいかに伝えるか、ということ。

 みれいさんと最近お話をさせてもらって、今ね、自省的に思うことがあって、それは独善は (・∀・)イクナイなのですよ。 思考停止されている方達は、この独善的思考・信念をもってしまっているのじゃないかと・・・ と、同時にわめも、思考停止はしていないものの、独善的思考に陥りやすそうな自分を発見してしまいましたw怖

> たぶん私がまだバリバリ中だったらブログなんて見ずに、また見た所で学会の色眼鏡はすぐにははずれないでしょうし。

 これ、上に書いた「当時わめもバリでしたからw汗」みたいなもんですかね。(^^;;

38 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/15(木) 16:59:06
みれいしゃんに、お返事追加w♪

> たぶん私がまだバリバリ中だったらブログなんて見ずに、また見た所で学会の色眼鏡はすぐにははずれないでしょうし。

 これはわめも学会教学を独善的に信じていた頃を思いだしますし、その反動?としてまた逆の方向の独善的な思考に陥りそうになるしで、その影響はなかなか抜け切りません。涙
 というかわめには、元々独善的になりやすい要素(性格・思考)が強いのかもしれませんが・・・
 でも、客観的事実と信仰心、理性と心情、意識と潜在意識みたいなことは、独善的にならないように気を付けながら、今後も思索していこうと思っています。

> ブログをみて考える余裕のある方は問題ないんじゃないかと思うのです。

 人それぞれバリ度に差異は感じますが、大まかに考えればそうなのかもしれませんね。^^
 でもそのような方も、リアルでも影響を与えていくだろうし、その意味においても今後に期待感を持っております。

39 名前:みれい 投稿日: 2005/09/16(金) 02:57:02
わめさん

>これはわめも学会教学を独善的に信じていた頃を思いだしますし、その反動?としてまた逆の方向の独善的な思考に陥りそうになるしで、その影響はなかなか抜け切りません。涙
 というかわめには、元々独善的になりやすい要素(性格・思考)が強いのかもしれませんが・・・
 でも、客観的事実と信仰心、理性と心情、意識と潜在意識みたいなことは、独善的にならないように気を付けながら、今後も思索していこうと思っています。

これはわめさん凄い事を気づかれたのではないかと思うのです。
というか、実際独善的であるかどうかは別として(わめさんは違うと思う)、省みるというのは私も含め、出来てるようで出来てない事柄の一つですよね。
私も気をつけなければいけない点ですし、一般でも言えることだとおもうのです(と言うのは簡単なんですよね・・・ははははんせい)。

学会から離れてからの過程は、Pohさんからも聞いているかもしれませんが、
マインドコントロールが解けてゆくパターンがあてはまるみたいです。

私の体験だと、はじっこにあったバネが反対に反り返って、徐々に静まるようにだんだん落ち着くと思います。
学会のクセでやたら「!!!!」を使ったり、なんてこともあるみたいです^^
けど、相手を思いやれれば多少性格にクセがあったほうが面白いです^^

http://kangaeyou.hp.infoseek.co.jp/925_1045787870.html
「意識が変わるきっかけ」

何か参考になるかと。ここを見ているほかの方にも。
そういえばLeoさんは知りませんか?

>今まだ知り合ってない方と出会う前に、その方と自分とは既に何かの形で影響を与え合ってたりしてね。笑

それが縁起ですね〜^^一期一会。合唱(−人−)
縁のむくままに。

今日も夜更かししてしもた(==)

40 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/17(土) 13:00:16
 みれいしゃん、わめです。^^

> http://kangaeyou.hp.infoseek.co.jp/925_1045787870.html
> 「意識が変わるきっかけ」

 やっと読み終えたw 246からみれいしゃん登場♪
 最後のほうは、よくお見かけする盲信バリさんが相変わらずなことやってますね。
 Poh師匠からも参考ページの紹介など頂いてるので、読んでるだけで一日が終わっていきそうなこの頃です。(^^;;

> 私の体験だと、はじっこにあったバネが反対に反り返って、徐々に静まるようにだんだん落ち着くと思います。

 何だかイメージばっちしな感じ。 わめはとりあえず縁起ベースでいこうと思います。
 落ち着いてくると、自制心を緩めることできていいんですけどね。^^
 気長にいきます。(^。^)

41 名前:みれい 投稿日: 2005/09/18(日) 01:49:43
わめさん、

いつも律儀にありがとうございます。
その姿勢にいつも頭が下がります。<(_ _)>

42 名前:Leo 投稿日: 2005/09/25(日) 13:52:52
みれいさん >>39 、お久しぶりです。皆さん、Leoと申します。

Libraさんのお知らせがあり来てみました。

掲示板にあまり行かなくなってたです。
(「みんなで考えよう」掲示板がなくなってしまったので...)

最近私はタリラリラーンのコニャニャチワ(←意味不明)ですが
よろしくおねがいします。

43 名前:みれい 投稿日: 2005/09/26(月) 02:21:48
わお〜Leoさん!
お元気そうでよかった^^
また一人専門家が増えた^^

お久しぶりです。「みんなで考えよう」も無くなって、Leoさんのサイトも見つかりません(泣)

「創価学会を考える」
http://synapse66.fc2web.com/

あたりにいます。あとペガサスさんの掲示板が仏教の源流を再会しつつのんびりくだけてます。ぜひ来てください。

ブログが増えて皆さん分散しましたね。

44 名前:みれい 投稿日: 2005/10/13(木) 13:59:40
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1847/sinjiru.html

いいのがあったよ。
タイトルも「信じるということ」です。

45 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/14(金) 03:33:23
みれいしゃん、参考になりました。 d(゚Д゚)☆スペシャルサンクス☆( ゚Д゚)b

読んでみましたが、感じるのはわめは信じるとか疑うに固執していないのかもしれないっす。

って言うか、自分をちょっと覗いてみたら信疑の重要性を意識してないと言うか・・・

でも意識は薄くても、信じたり疑ったりしているのだろうけど、それに拘ると煩わしくなると言うか、自由じゃなくなるように思います。

だから頑張って意識して書いちゃうと、信じるのも疑うのもほどほどがいいかなんて思うわめです。^^

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


15 「客観的事実」とは? (Res:39)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 15
1 名前:わめ★ 投稿日: 2005/09/26(月) 00:12:49
 わめのブログの記事『客観的事実と信仰 03』で、Libra師匠より”「客観的事実」とは?”のコメントを頂きましたが、わめの要望・Libra師匠の快諾により、スレを建てと転載を致します。

『客観的事実と信仰 03』
http://blog.goo.ne.jp/enjoylife_wame/e/56c0f0d3021ae9ea29fcc31c98a5f751

20 名前:Leo 投稿日: 2005/09/27(火) 01:16:29
(続き)

>「批判的討論に照らして自分の信念を訂正することを拒否」する方が幹部に多く

これはやはり「正当化教育」の影響と思われます。他の宗教は邪宗で自分は正しいとか。
創価は正しいのにあのにっくき悪徳坊主が破門してきたとか。
おとなりの中国ではあのにっくき日本軍をやっつけた中国共産党は偉い正しいという正当化
教育をやっているそうですが同じですね。正当化教育はシンプル(二元論)でラクだし組織維持
(特に大きい組織に)にもってこいなのですね。
(でも正当化教育やっていると組織や国の周辺が(内部も)だんだん辛くなってきます。)

その一方で「合理主義」によれば「敵」も不要だし「正当化」も必要ないんですね。

21 名前:Leo 投稿日: 2005/09/27(火) 01:30:04
みれいさん、こんばんは。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1122703189/86
合理主義の話題なのでこちらに移動しますです。

>たとえ合理性のないものでも、人を納得させるには時には合理的な説明も必要、ということですよね。
>合理的すぎてもいけないと思うけど、やはり合理性からかけ離れすぎてもいけないとおもうわけです。

合理的という言葉は冷たい感じがしますが、「理にかなった」ということで、
日蓮大聖人の「仏法は道理」に通ずると思われます。

# (皆さんへ)
# 余談ですが、本来「仏法は勝負」の勝負は法門を用いた勝負であり、道理を用いる
# ものであって「勝てば官軍(勝てば正義)」の意味ではないのですね。

「仏法は道理」の日蓮大聖人であっても消息文を見ると感情細やかですね...

22 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/27(火) 17:42:37
Leoさん、仕事帰りのわめです。^^

>>19 >>20 >>21

> ネットで痛みを分け合ったり議論していけたらよいですね。

 衰退現象は「合理的に物事を考えられる学会員」さんの増加傾向なのかなと思うし、だから苦しむ方が増えてるのだろうし、痛みを分かち合うことよりも、そこから脱出させてあげたいし、ジャイアンは議論が苦手で感情的になりやすいし・・・。(^^;; 
 仮想敵を作って二元論で正当化など、二元論(多元論)派なわめにとっては、ゆ、許せんw怒

> その一方で「合理主義」によれば「敵」も不要だし「正当化」も必要ないんですね。

 その通りですね。 >>21でLeoさんが、「合理主義」=「理にかなった」と言ってますが、理にかなったって言葉の持つニュアンスは格段にいいですね。 わめも理にかなったを多用しよっと。♪

 しかし学会って日蓮仏法を根本としているのに、議論下手で理にかなった考え方をしないのは何故なんだろう・・・ マジ不思議でならない。

PS
LeoさんのWebサイト、こことわめのブログからリンクさせてもらってもよろしいですか?^^
http://blog.goo.ne.jp/enjoylife_wame/

23 名前:Leo 投稿日: 2005/09/27(火) 23:30:11
わめさん、こんばんは 。>>22

>しかし学会って日蓮仏法を根本としているのに、議論下手で理にかなった考え方をしないのは何故なんだろう・・・ マジ不思議でならない。

多分、学会流「仏法は勝負」(正当化主義)が前面に出て(合理主義的)「仏法は道理」が引っ込んでしまったのではないかと思います。

>LeoさんのWebサイト、こことわめのブログからリンクさせてもらってもよろしいですか?^^

はい、よいですよ。

Webサイト最近メンテしてないんですがそろそろやらないといけませんですね。(^^;

24 名前:みれい 投稿日: 2005/09/28(水) 23:12:14
Leoさん

>合理的という言葉は冷たい感じがしますが、「理にかなった」ということで、
日蓮大聖人の「仏法は道理」に通ずると思われます。

納得です。

LeoさんのHPのお船がなくなっている!

25 名前:Leo 投稿日: 2005/09/30(金) 02:18:22
みれいさん、こんばんは。>>24

>LeoさんのHPのお船がなくなっている!

文献は典拠を明記すればよいそうですが、画像は著作権があぶなそうなので削除しました(^^;

船と望遠鏡と古典建築の柱の写真をのせてましたが、日蓮大聖人の
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」
にちなんだものでした。

(他のスレの件)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1109570758/43
>お久しぶりです。「みんなで考えよう」も無くなって、Leoさんのサイトも見つかりません(泣)

すみませんレス亀ってしまいました。わめさんに紹介していただきましたが、使用プロバイダを
変更した際に(Libraさんと同じサイト、無料に)移転しました。 http://page.freett.com/leo020503/

>あたりにいます。あとペガサスさんの掲示板が仏教の源流を再会しつつのんびりくだけてます。ぜひ来てください。

ご紹介ありがとうございます。いってみますです。

26 名前:Libra 投稿日: 2005/10/01(土) 05:39:49
 ほんとうはこのスレに書き込むためにこの掲示板に来たのですが、このスレ
に書く前に「法華経について」のスレをつい読んでしまったら書きたくなりま
した(法華経擁護派がほとんどいないみたいだったので)。で、書いてたら、
こっちに書く時間がほとんどなくなってしまいました(笑)。

 というわけなので、ここに書こうと思ってたことはかなりはしょって書かせ
て頂きます。さすがにもう眠いので。

 まず「客観的事実」について。わめさんには、以下の小河原誠先生の解説を
読んでみてもらいたいです。特に、「『源氏物語』は紫式部によって書かれた」
という言明について述べられている部分。小河原誠先生のこの解説は、わめさん
がいうところの「客観的事実」の説明としてはぴったりではないかとわたしは
おもいました。

  反証はなにをおこなっているのか(小河原誠)
  http://freett.com/Libra0000/125.html


 あと、「われわれは観察によって言明を正当化できる」と素朴に考えている
人も多いとおもいますので、以下の解説も引用しておきます。

  感覚的知覚から普遍概念への飛躍(小河原誠)
  http://freett.com/Libra0000/126.html


 さいごに、「「理性」や「合理主義」という用語は曖昧なので、〔中略〕説
明しておく必要があろう」とポパーは言っていますので、ポパー自身の説明を
引用しておきます。

  「批判的合理主義」と「無批判的合理主義」(カール・ポパー)
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

27 名前:Leo 投稿日: 2005/10/01(土) 09:11:23
Libraさん、こんにちは。>>26

> さいごに、「「理性」や「合理主義」という用語は曖昧なので、〔中略〕説
>明しておく必要があろう」とポパーは言っていますので、ポパー自身の説明を
>引用しておきます。
>
>  「批判的合理主義」と「無批判的合理主義」(カール・ポパー)
>  http://freett.com/Libra0000/127.html

無批判的合理主義:

「無批判的〔中略〕合理主義は、「私には、論証あるいは経験という手段によって弁護されえないような考えや
 仮定を受け入れる用意はない」と言う人の態度として表現できよう。」

上は私にとって一見よいように思えてしまったのですが違いますね(^^;(汗)

批判的合理主義:

「この時、合理主義とは喜んで批判的議論を傾聴し経験から学習する態度である、ということができよう。」
「私は間違っているかもしれない、そしてあなたが正しいのかもしれない。そして努力すれば、われわれはより真理に接近しえよう」
「この合理主義を成立させているのは、自分が様々に制約されていることの意識であり、自分たちがしばしば
 誤りを犯すということ、ならびに、誤ったということを知るのにさえ他人に大きく依存していることを
 知っている者の知的謙虚さである。」

「無批判的合理主義」は主張がおかしく、それに対して「批判的合理主義」は真理に接近しうるということなのですね。

28 名前:わめ 投稿日: 2005/10/01(土) 14:45:01
Libra師匠、Leoさん、こんにちは〜

>  まず「客観的事実」について。

師匠、↓で書きましたが、わめの思っている「客観的事実」と言うのは、普遍概念かもしれません。汗

と言うか、よく分からなくなってきました。涙

>   感覚的知覚から普遍概念への飛躍(小河原誠)
>   http://freett.com/Libra0000/126.html

この普遍概念にわめは惹かれてしまいました。(^^;;
事物・現象から考えてみることが好きなわめですから当然のことかw笑
「普遍概念の意味内容のすべてを示すことはできないのであり」の解説もいいなぁと思いました。

> 無批判的合理主義:
>
> 「無批判的〔中略〕合理主義は、「私には、論証あるいは経験という手段によって弁護されえないような考えや
>  仮定を受け入れる用意はない」と言う人の態度として表現できよう。」
>
> 上は私にとって一見よいように思えてしまったのですが違いますね(^^;(汗)

(⌒▽⌒)アハハ! わめも一瞬=( ・_・;)⇒ アレ?って思いました。
批判をするならしっかりした論証を持ってこいと言う態度が、既に自らの言明をも破滅させていると言うことでしょうか。^^

29 名前:Libra 投稿日: 2005/10/02(日) 03:50:14
> わめの思っている「客観的事実」と言うのは、普遍概念かもしれません。

 普遍概念の例としてあげられているのは「カラス」です。

 「カラス」が「客観的事実」であるというのはいかなる意味なのか、少し説
明して頂けないでしょうか(汗)。わたしにはちょっと想像がつきません(涙)。

30 名前:わめ 投稿日: 2005/10/02(日) 04:33:28
>  「カラス」が「客観的事実」であるというのはいかなる意味なのか、少し説
> 明して頂けないでしょうか(汗)。わたしにはちょっと想像がつきません(涙)。

 本人が分からなくなってきているのだから、いくら師匠と言えど理解するのは難しいかとw汗

 ただわめがこの「客観的事実」と言う言葉を使い出した動機と言うのが、暫定真理とか真理とかより確かなものと、信仰というか不確かなものとの対比のためにブログで「客観的事実と信仰」とのお題をつけてみたのです。

 前にもお話したと思いますが、これとかそれとか指差す方向にある、誰もが認識できる確かな”モノ”としてとりあえず客観的事実と言う言葉を使ったのです。

 でも恥ずかしい話、その後これってもしかして暫定真理かとか思っていたら、師匠の紹介ページに「普遍概念」と言うのがあって、これとかそれとか指差す方向にある、誰もが認識できる確かな”モノ”ってのは「普遍概念」って言葉が妥当なのかなって思ったわけです。

 が、最初わめの中では「客観的事実」と言う言葉の中に、縁起とか無我・無常を含んでいたのですが、これが「普遍概念」と言う言葉の意味に含まれるのかどうかが分からなくて、『と言うか、よく分からなくなってきました。涙』となってしまったのです。(^^;;

 誰もが認識できる確かな”モノ”を指す言葉は何が妥当なんだろう?
 あるいはそんなものはないのだろうか。 と言ったことなのですが・・・

31 名前:Leo 投稿日: 2005/10/02(日) 10:55:49
>「客観的事実」とは?

>誰もが認識できる確かな”モノ”を指す言葉は何が妥当なんだろう?
> あるいはそんなものはないのだろうか。 と言ったことなのですが・・・

「誰もが認識できる確かな”モノ”」はないので(理論の真理はそもそも立証できない)、
不確かなものを批判的に消去していった中に、批判に耐えうるもの、確からしいのが含まれる、
というのが「批判的合理主義」のキモではないかと思います。

ポパーの批判的方法──非正当化主義的批判(立花希一)
http://freett.com/Libra0000/114.html
「すなわち、理論の帰結を批判的にテストし、誤謬を排除しながら、段階的により誤謬の少ない、
 したがってより真理に近づく理論を探す試みである。理論の真理はそもそも立証できないから、
 誰にも正当化を要求しない。そしてどんな理論もさらなる改善の余地があることを認めつつ、
 現時点での批判的検討の結果、批判に耐えているとして暫定的にその理論を受け容れるのである。
 これがポパー流の「批判的合理主義者」の批判的探求法であり、理論の受容、拒否の仕方である。」

反証はなにをおこなっているのか(小河原誠)
http://freett.com/Libra0000/125.html
「結局のところ、反証主義者は、排除しえないものを真理のいわば候補者と見ておくのである。
そして、彼は、運よくそのうちのひとつの仮説の反証に成功するならば、
そこに知識を前進させるための手がかりをつかむことになるだろう。
しかし、そうしたところで、彼自身が依然として消去法の世界にいることに変わりはない。
願わくは消去法がよりきびしく適用されることを。」

32 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/02(日) 11:31:58
> 「誰もが認識できる確かな”モノ”」はないので(理論の真理はそもそも立証できない)、

これのレスを後にしますね。^^

> 不確かなものを批判的に消去していった中に、批判に耐えうるもの、確からしいのが含まれる、
> というのが「批判的合理主義」のキモではないかと思います。

そうですね、それをわめは客観的事実と呼んでいて、最近は暫定真理との呼び方が相応しいかと思ったりしていました。

で最初に戻って、「誰もが認識できる確かな”モノ”」はLibra師匠の言われた”カラス”とか、今わめが叩いてるキーボードとかは、この暫定真理と呼ぶのが相応しいのか、普遍概念と言うのが相応しいのかと言った疑問です。

更に言えば、縁起・無我・無常などは目に見えないことだけど、事象を指し示すことはできるわけで、これはどう呼べばいいのかと・・・

33 名前:Libra 投稿日: 2005/10/02(日) 14:03:22
 概念と言明を区別して論じることがまず必要なのではないでしょうか。

 これまで議論してきた「(客観的)事実」の問題は、言明のレベルの問題で
あって、概念のレベルの問題ではないというのがわたしの認識です。

 以下に論じるのは、概念のレベルの問題です。

 概念というのは、言明を作るための道具といってもいいかもしれません。わ
れわれは、「カラス」という普遍概念を用いて、「すべてのカラスは黒い」な
どいった言明をつくります。

 概念の体系というのは、われわれが世界を切り分ける(認識する)ために用
いる「差異の体系」であるといえるかもしれません。

 この「概念の体系」は、「一集団内で」「比較的安定した体系を指向してい
るということは言えるとしても」[*1]、それじたい plastic だとおもいます。
いってみれば、その場しのぎの不完全な道具(以下に見るように、ポパーの表
現でいえば「牢獄」[*2])だとおもいます。

 ウォーフの仮説について考えてみるのもいいとおもいます。ウォーフの仮説
に対して、ポパーは、以下のように言及しています。

  ─────────────────────────────────
   ウォーフとその幾人かの後継者は、われわれがある種の知的牢獄、われ
  われの言語の構造的規則によって形作られた牢獄のなかに住んでいると示
  唆してきた。わたくしはこの比喩を受け入れる用意があるが、しかしわれ
  われは通常この牢獄に気づいていないというかぎりでは、これは奇妙な牢
  獄だということを付け加えねばならない。われわれは文化衝突を通じて牢
  獄に気づきうるのである。しかしそのとき、まさに気づくということによ
  って、牢獄から脱出できるのである。十分に努力し、新しい言語を研究し、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

34 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/02(日) 15:15:15
 師匠、ありがとうございます。

 わめにも、少しづつではありますが、見えてきように思います。これも怪しいけどw^^

 「すべての実体は、自立自存していない」の
 すべての実体=概念、自立自存していない=言明でしょうか?
 この解釈が正しいとして、その言明を含む縁起とは体系なのでしょうか?

35 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/02(日) 15:16:02
>見えてきように思います。

訂正w

見えてきたように思います。

36 名前:Libra 投稿日: 2005/10/02(日) 16:48:03
 概念は「自立自存」するものではないとおもいます。「概念体系は plastic
だ」とわたしがいうのはそういう意味です。

 ですから、概念は「実体」ではありません。「自立自存」するものを「実体」
というのですから。

 縁起説もひとつの言明です。わたしはこの言明を真であるとおもっています
が、この言明を真であると正当化することはできません。

37 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/02(日) 17:15:13
>  概念は「自立自存」するものではないとおもいます。「概念体系は plastic
> だ」とわたしがいうのはそういう意味です。

 言われるとおり概念は「自立自存」するものではないですね。

>  ですから、概念は「実体」ではありません。「自立自存」するものを「実体」
> というのですから。

 はい、概念は「実体」ではありませんw
 ・・・実体を指す言葉は何なのでしょう?(涙)

 わめは縁起から考えて、「自立自存」するものはないと考えていますから、「実体」もないことになってしまいます。 ちょっと頭がわけわかめに・・・w

>  縁起説もひとつの言明です。わたしはこの言明を真であるとおもっています
> が、この言明を真であると正当化することはできません。

 この言明は暫定的に批判に耐えていると言うことで、暫定真理と呼ぶことは間違いでしょうか?

38 名前:Libra 投稿日: 2005/10/02(日) 17:47:41
> 実体を指す言葉は何なのでしょう?

 仏教では「自性」といいますね[*1]。

> わめは縁起から考えて、「自立自存」するものはないと考えていますから、
> 「実体」もないことになってしまいます。

 それこそまさに龍樹がいわんとしたことです[*2]。まさに「ウサギの角」[*3]
のようなもので、たとえ概念的に想定できたとしても、もともとありません。

> 暫定真理と呼ぶことは間違いでしょうか?

 縁起説は批判に耐えているとわたしはおもっていますので、暫定的に受け容
れています。「暫定的に批判に耐えている言説」を「暫定真理」と呼ぶのであ
れば、縁起説はわたしにとっては「暫定真理」です。

 釈尊は「一切は、もしかしたらひっくり返されてしまうかもしれない仮説に
すぎない」[*4]と考えていたとおもいます。だから、釈尊は「永遠の突破者」
[*5]なのだとおもいます。


  [*1] 「自性」「性」「本性」(『岩波仏教辞典』)
     http://freett.com/Libra0000/088.htm

  [*2] 龍樹の空思想(新田雅章)
     http://freett.com/Libra0000/123.html

  [*3] 「自性」の否定─『根本中論偈』の「自性の考察」(小川一乗)
     http://freett.com/Libra0000/086.htm

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

39 名前:Leo 投稿日: 2005/10/03(月) 02:11:31
「確かに存在するもの」を指す言葉としては「実在」という言葉もありますね。

じつざい 【実在】
〔哲〕〔reality〕現実に在る物や事。思惟されたものや想像・幻覚など、
単に主観の生みだしたものとは区別され、客観的に独立して確かに存在するもの。
また、事物の真の姿をいう意味で、現実の変転する現象の背後にある究極の実体を
意味する場合もある。(『大辞林』)

じったい【実体】
〔哲〕〔(ラテン) substantia; (ギリシヤ) ousia〕変化しやすい多様なものの
根底にある持続的・自己同一的なもの。アリストテレスでは具体的個物
(主語となって述語とならないもの)が、またデカルトではそれ自身で存在し
他物を必要としないものが実体とされた。(『大辞林』)

それに対して、「現象の背後にある究極の実体」(自性)を認めないのが仏教の根本
思想であるのですね。

目の前にあるキーボードだったら、「客観的に独立して確かに存在するもの」
であり(便宜上?)「実在」といってよいのではないでしょうか。

キーボードはプラスティックと金属の分子が集まって仮に出来たもので
未来永劫存在し続けるものでないので暫定的なんですが...

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


16 創価学会を心情に反して語るスレ (Res:60)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 16
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/01(月) 14:46:19
このスレでは、
アンチな方は、創価学会の良いと思う点を、
シンパな方は、創価学会の悪いと思う点をお書きください。
まぁアンチは誉める、シンパは批判すると言う感じでしょうか。
オルタナティブの方は、創価学会の存続の是か非かのお気持ちで、アンチ(非)かシンパ(是)かを判断し、その心情に反してお書きください。
上記でも自分のスタンスが判らない方は、感情抜き・客観的事実に即してお書きください。

上記ルールに反していると思われる投稿は、容赦なく削除・警告致します。
またこのルールを逆手に取っての誉め殺し等も、削除・警告対象とします。
※わめが判断しますので、誤認削除・誤認警告はご容赦ください。<(_ _)>

40 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/13(土) 02:06:31
cocoしゃん、キター━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━>
     ↑さすが、わめの師匠らしさが出たコメントへの感嘆表現w笑

> >>37 わめしゃん 同じようなことかも??

う〜ん、素晴らしいっすw
改めてわめの不精さ(性格が文章にも表れてるw)を実感し、反省する思いです。<(_ _)>
でも、わめは懲りないんですけどねw爆

> スレ違いの長レス,移動した方がよかったかな ごみんねεεεεεヾ(*´ー`)ノ

いやいやw これでも思いが伝わり切らないくらいに簡素ですよ^^

わめの不精さは、cocoしゃんの素敵なコメントから「信は自我、疑は無我」と、勝手にイメージしちゃうところにも如実に表れてますですハイw汗

41 名前:青空 投稿日: 2005/08/19(金) 13:52:18
cocoさん、アリガトウございます。

よく分かりました。

自灯明 法灯明 という言葉を思い出しました。

42 名前:coco ◆O8ZJ72Luss 投稿日: 2005/08/23(火) 20:25:05
>>41 青空さん

自灯明 法灯明 好きな言葉です.
今が全てではない これも好きな言葉です.
グラシアス! ( ̄▽ ̄)ノ~~

44 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/30(火) 11:27:21
cocoしゃんの、>>38の”盲信を退けるということも含め「どのように信じるのか」”について、ある方をネットでウォッチ(笑)してて、改めて深く理解出来るようになってきた(と思う)わめです。^^

その方は主体者は自分であり、信仰も世法も自らが認められるところだけ、いいとこ取りするって感じなのかな?
在るとも無いとも分からない御本尊を信じることについては、ちと?ではあるけれど、御本尊を信じること自体に有害性はないと思えるし、というか有害にするのも有益にするのも主体者である、自分自身が決めることであって、御本尊自体に善悪はないと言えるのかもしれない。

てなことを、今ふっと思ったわめでした。^^

45 名前:葉末 投稿日: 2005/08/30(火) 22:35:34
こんばんは〜〜
私もある方のことそう思いました♪
誠実なひとですね。

って多分おんなじ方のこと、言ってたらいいなあ。。
意味不明のコメントでした。

早く次書いてね。ブログ楽しみにしてるョ☆

46 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/30(火) 23:49:20
葉末さん、こんばんは〜^^

果たして同じ方のことを指して言ってるのだろうか・・・w笑

> って多分おんなじ方のこと、言ってたらいいなあ。。

そうだとすると、かなり精神的な葛藤があって大変そうだなんて思っているのですが・・・

ヒントかもw
わめなんて、御本尊・題目・如説修行とも一気に( 。・・)/⌒□ポイ
でしたから比較的楽だったのですがw爆

47 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/08/31(水) 10:29:43
わめさん、こんにちは〜。
ジョゼさんのところ、スレよごしになるので、こっち来ました。w
私の信心感なんですが、そのうちブログでも書こうかなって思ってます。
今はコミュの作業&疲れてるので(ごめん、品さんのサイトは削除依頼出しました。
簡単にどうこう言える事ではないし、書き込みの方も苦しんでると思うし、私自身、フラッシュバックで、発作薬のみました。w
まいどのことなんですけどね・・・過呼吸とか出そうな時は、飲みながらブログかいてます。
自分とかなり向き合うので。(^^;)
ブログの記事は、大分抑えて書いていますが。)

わめさんとのやりとりで感じたんですが、私は、信心信じてるのは変わりないです。
目に見えないものなんですが、ずっと肉団でしてきてて、その都度色々ちゃんとあったので、信じざるを得ないというのがあります。
それがベースになってるんでしょうね。
「信」だけできたので。
で、如是云々も分かってるんです。
御書にね、「両親を数え切れない回数殺すよりも、退転の方が罪が重い。」と出てもいますよね。
そういうのも、自分なりに読んでて知ってます。
知ってますし、世法と仏法は反発しないし、世法よりも仏法を重んじるように・・ってもありますよね。
世法は時代と共に変化するから。
でもね、やっぱり私は世間のみなさん=世法も考えながら、です。
そういう気配りはしたいと思うし、するべきと思います。
そういう事で来てれば、あんなに悩む非会員、2〜3世の方って出ないんじゃないでしょうか。
うまく表現できないや。w

んでもって、昨日気付いたんですが、結局私が大事に思ってるのは、題目=法華経じゃないのかな?って・・・。
日蓮仏法をずっと信じてきましたけれど、わめさんの仰ったとおり、日蓮仏法の教義に是是非非にもなっちゃってるんじゃないのかな?って・・・汗。
んでもって、日蓮仏法の根幹は、法華経です。
ちょっとそこのあたりも、自分と向き合って考えないとだなあっても思いました。
今まで染み付いたものあるので、すぐに、ぽいできないし、こだわりあるとも思うし、葛藤しながら日蓮仏法を自分なりの解釈でいくと思うんですが(=世法も考えて。ほんとはだめなんですよね。(==))、我見が強いかも。w
ただね、教学ある方にいらっしゃるように、日蓮仏法&学会教義を学ぶのはともかくとして、それだけじゃなく、法華経そのもの(学会以外の訳の本も)や仏教史とか、他の信仰もね、学会側だけじゃなく、知らないといけないなあって思うんです。
両方知って初めて、比較も出来るので。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

48 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/08/31(水) 10:45:14
あ〜、うまく言葉で表現出来ません。;_;
ただ、やっぱり、何かある度にね、人に対して、「魔」とかは言いたくないですね。
自分の弱さとか、そういうのに対しては、自分の事なので、いいですけど、他の方には失礼だなーとか思うので。(^^;)
なので、多分私の場合は、日蓮仏法=法華経のつもりでやってきて、今でもそうですが、我流かも・・・汗汗。

結局シンプルなんだと思います。
題目と肉団と法華経。
私が信じてるのは、これなんじゃないのかなーって・・・。
説明難しいので、ゆっくりそういうのも考えていきたいなあ。
でも、そう思いながらも、日蓮仏法への気持ちあるので(これにも理由あり)そこで色んな葛藤でるのかも。;_;
教義にかかってきちゃうと、難しいですもん、気持ちの上でも。
組織に対するのと、信仰に対するのは、異なるので。

・・・ってここは、信条に反するスレですね。
失礼しますた。m(__)m
私はどんな事をかけばいいんだろ・・・冷や汗。

しかしわめさん、誰かをウォッチしてるの?(@@)
いやーん。
私も観察されてたりして・・・(^m^)

49 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/31(水) 10:47:08
しずくちゃん、よく言った! お見事です^^

法華経については、わめも詳しくないので・・・w汗
フルナさんは詳しそうだけど、難しい仏教書読めと言われそうですしw笑

仏教は元々人を縛り付ける(呪縛)ものじゃなく、呪縛するものからの”解放の教え”であると言うのが、わめの持論ですから、しずくちゃんの今のお気持ちは大変うれしく思います。

わめ的思考な仏教資料は、そこかしこで書いてるwebリンクや、ブログのリンク先などから学べると思うのですが、それだと下手したら偏った思考になっちゃうかもしれないから、それはそれとして参考にしてもらって、わめとは違う仏教の捉え方をされている方にも、是非相談してみてください。

50 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/08/31(水) 11:04:13
わめさん、ありがとう。
(*δ,δ)σス・キ・ヨ♪♪

色んな事考えるのに、無駄はないですよね。
そしてその中から自分で選べばいいんじゃないのかなって。^^
日蓮仏法が、私が法華経に触れた原点なのですが、日蓮大聖人も、法華経をご自分で学んで解釈なさってるんですよね。
だから、大本の法華経自体も知らないとなんだと思います。
仏教全般もです。
私は、自分の経験のようなもので、法華経だけ信じていくと思いますが、他の宗派の事も、ちゃんとそちらの側からの見方で、知るべきなんだおるなあっても思ってます。

あとの問題は、時間です・・・。w
色んな価値観に触れるのって、いいなあって思います。^^

51 名前:手紙 投稿日: 2005/09/01(木) 02:47:12
一応信者ですが。。。

新聞を一家で2部も3部もとらせる。
学会は素晴らしい宗教ですか?

選挙活動を強要するのは素晴らしい宗教ですか?

スレ違いですね。。。
愚痴スミマセン。

52 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/01(木) 03:32:46
手紙さん、ご自分でもおっしゃられているように、このスレは「創価学会を心情に反して語るスレ」です。

でも書かずにはおられなかったお気持ちも、わめはよく分かります。
ですので、あなたの投稿は削除は致しませんが、以後の投稿はこのスレの趣旨を充分考慮にいれて投稿をお願いいたします。

徒然・雑談スレなどには、あなたの思いをありのままに投稿くださって構いませんので、よろしくお願いします。^^

53 名前:フルナ 投稿日: 2005/09/02(金) 19:04:19
>フルナさんは詳しそうだけど、難しい仏教書読めと言われそうですしw笑
そんなことは一度も言ってません。ただ、法華経を知るには漢訳妙法蓮華経(鳩魔羅什訳のもの) を読むのが一番と言ったことはあります。

しずくさんには、あきあこさんのブログでそのことは伝えてありますよ。学会版もあるからと・・・。

54 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/02(金) 20:10:57
_・)ぷっ

わめは、岩波文庫の法華経(上中下巻)をお勧めいたします。
仏教書が置いてある書店なら結構何処でも売ってるようで、お手軽に買えますしね。
非常に読みやすく方便品を優先的に読むなら上巻(税込み840円)だけでもどうぞ^^

55 名前:フルナ 投稿日: 2005/09/02(金) 20:20:08
>>54
あっ、そうでしたね。残念ながら、ぼくは岩波文庫のものは知らないもので・・・。

56 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/09/02(金) 21:08:15
こんばんは〜。
本の紹介ありがとう。^^

フルナさん、おひさしぶりです。^^

57 名前:フルナ 投稿日: 2005/09/02(金) 21:15:02
しずくさん、こんばんは。

あのあと、ぼくはしずくさんに向けて頑張って書いたのですが、肝心のしずくさんは夏休みに入ってしまって・・・。あ、責めてる訳じゃないですよ。

58 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/09/02(金) 21:36:14
フルナさん、こんばんは。
そうだったんですか。
すみません、ここの掲示板も、スレッド多くて、全部把握出来てませんでした。(^^;)

夏休み・・・でもなかったんです。;_;
コミュの表紙&フラッシュ作成とか(もちろん、私に出来るものではないです。w作成は担当の方がいますです。)申請してくださる方とかとのメール送信とかしてて、たまに、ちょっとの合間に、息抜きにブログの方のコメント欄に行ってました。
なので休まずネットしてました。_l ̄l○

59 名前:フルナ 投稿日: 2005/09/02(金) 21:41:32
しずくさん

あっ、夏休みじゃないことは知っていました。ごめんなさい。

ここの掲示板じゃなくて、あきあこさんのところの「アホ仏教5」ですよ。もぅ〜、そういうちょっと抜けてる(失礼!)しずくさんも好きですけど・・・。

60 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/09/02(金) 22:21:03
アホ仏教ですね。
もう一回最初から、読んでみます。(^0^)
あきあこさんのブログの画面の上に、「アホ仏教」のタイトルがいっぱい並んでました。wwwww
なんか、おもしろかったです。♪

でも、フルナさん、ネットでお会いできてよかったです。
最近、お見かけしなかったので。
法華経関係、よろしくお願いいたします。^^

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


17 リンク♪ (Res:14)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 17
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/30(土) 12:40:49
リンクスレッド作りました。^^

勝手にリンクさせてもらいます。w汗
もちろんわめの掲示板もリンクはご自由に

coco師匠の掲示板です。
信仰とその周辺 http://jbbs.livedoor.jp/sports/17142/

ペガサス師匠のコミュです。
ペガサス掲示板 http://groups.msn.com/7efkvh8bbr2r0h552np2vnb8b4/

シナプスさんちのサイトです。
創価学会を考える http://synapse66.fc2web.com/

祥子たんのブログです。
翼あるもの/ウェブリブログ http://pikapoke.at.webry.info/

ほしのしずくさんのブログと掲示板です。
HERBの風につつまれて http://hoshinoshizuku.seesaa.net/
創価学会「オルタナティブ」掲示板 http://jbbs.livedoor.jp/study/6271/

きょうこさんのブログです。
目指せ MC analyst http://blog.goo.ne.jp/mind_control_k

さくらこさんのブログです。
創価学会三世のオタク日記 http://sakanako161.blog16.fc2.com/

アピーズさんのブログです。
心の凪路 http://www.doblog.com/weblog/myblog/26583

2 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/06(土) 23:42:19
軒ちゃんさんのブログです。
時計の針の 巻き戻し http://blog.goo.ne.jp/gehen_584/

3 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/08(月) 14:33:26
はるさんのブログです。

素人のひとり言 http://shirouto.seesaa.net/
自分の興味を持った事(アニメ、英語、株、嫌韓流、創価学会、まんが、etc)を、専門家でもない自分が、そっとつぶやく、孤独な空間デス。

4 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/08(月) 22:50:46
freeさんのブログです。
創価学会体験記 http://blog.goo.ne.jp/free-zu/

5 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/08(月) 23:11:06
わめも公開ブログ作ってみたw笑
http://blog.goo.ne.jp/enjoylife_wame/

6 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/09(火) 03:08:08
Libra師匠のサイトです。
NOTHING TO YOU http://freett.com/Libra0000/

7 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/11(木) 04:25:48
>>1
さかなこさんがさくらこになってたw汗
(*_ _)人ゴメンナサイ

修正できないので改めてご紹介w<(_ _)>
さかなこさんのブログです。
創価学会三世のオタク日記 http://sakanako161.blog16.fc2.com/

9 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/27(火) 02:39:26
久々に更新♪
って足跡残してくださったのに遅くなって(*_ _)人ゴメンナサイ

ジョゼさんのブログです。
「Hey Hey You You」 http://blog.goo.ne.jp/heyheyyouyou/
ジョゼさんの旧ブログ
創価学会は本当に正しいのか? http://blog.goo.ne.jp/hontou_no_sekai/

snowさんのブログです。
「the point of no-return」 http://swla.exblog.jp/

10 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/27(火) 12:09:42

まりさんブログです。
バリバリ学会員と暴力的な私 http://youutmostdevotion.blog17.fc2.com/

11 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/27(火) 23:51:35

Leoさんのサイトです。
Leo's home page − 仏教の現代的理解のために http://page.freett.com/leo020503/

12 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/05(水) 02:31:23

みれいしゃんのブログです。
生かして生かされて生きる http://blog.goo.ne.jp/mirei-2005/

13 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/07(月) 21:32:45
わめのEnjoyLifeブログが下記に移転しました。(^^;;
http://wame.seesaa.net/

それと軽い話題バージョンのEnjoyLife2ブログも作ってみました。(*´∇`*)
http://wame2.seesaa.net/

14 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/21(月) 13:06:08
くまりんさんのブログです。^^

くまりんが見てた! http://ngp-mac.com/kumarin/

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


18 わめの独り言 (Res:22)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 18
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/07(木) 15:36:28
今日はgizmoさんって方のお話を聞けて、お返事した後すぐ仕事で、その行き帰りの車の運転中にgizmoさんのおっしゃってたことを考えてみた。
それと同時にわめは、自分の今の主張とも比べ考えてみた。
どうもわめは、わめも皆も「人間釈迦の教え」に向かうべきであるとの思いが強かったように感じる。
それはわめは悪いことじゃないと思うし、今もそうあるべきだとも思っているが、その先にあることはあまり考えていなかったことに気がついた。
それは「人間釈迦の教え」を源と自覚としていけば、大乗教だって小乗教だって、創価学会だって他教団だって、また宗教じゃないなんだってすべてを、生かしていけるってことを。

そのことに気が付いたからって、わめの何が変わるわけではないかもしれないけど、何か大きなことを学んだように感じる。

2 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/07(木) 17:20:13
↑とはいえ、宗教を生かす・活用することはいいとしても、人間釈迦は信仰を捨てよ説いている。

しんこう ―かう【信仰】
(名)スル
〔古くは「しんごう」とも〕
神仏などを信じ崇(あが)めること。経験や知識を超えた存在を信頼し、自己をゆだねる自覚的な態度をいう。
「仏教に厚い―を寄せる」「神を―する」

4 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/11(月) 12:09:19
さっきメールを書いててふっと思った事。

宗教・信仰って薬物みたいなものかもしれないと・・・

毒にもなるし薬にもなる、誤飲すると危険だしw

でもほんとに病気を治すのは、自らの治癒力で、薬はその助けをするだけにしか過ぎない。

人間ブッダは、薬に頼らないで治療する方法を教えたのではないかな。

5 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/11(月) 13:03:59
>>4
激しく同意のメールが飛んでキター━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━>
ご意見は雑談スレにでも書いてくれたらいいのに・・・wボソ

気をよくして続きを書こう。♪〜(・ε・ )

宗教・信仰って薬物みたいなもの、だからその怖さもある。
あるひとつの薬だけを最高の万能薬と思い込み(薬効にそう書いてあるのだが)、薬物中毒になる方が多いのではないかと。
あるいは薬物の作用に溺れ、色んな薬物を服用(注射もw)したくなり、四六時中薬物の影響が体に必要になってくる。
こうなってしまうとその後遺症や依存症がなかなか治らないし、精神をも破壊しかねない。

しかし薬物もよく考えてみると、自然物の中から抽出され加工・調合されたものである。

人間ブッダは、宗教・信仰という薬物も、縁起の法のひとつの表れ方と説いたのではないか。

6 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/19(火) 03:34:05
人である以上、誰もがそうであるように、私もまた自分自身を意識できる。
私はこの意識を自らの生命と感じる。
この肉体が滅んだ時、肉体と共にこの意識は消え去るのであろう。
つまりは無意識であり、生命の死である。
だが本当に我が意識は滅び去り、無に帰するのであろうか?
我が意識が肉体と共(少し遅れてだが)に生まれ、この世を知る。
生まれる前も、また死後も、この世の存在は知覚出来ないから推測でしかないが、この世は、私が生まれる前から存在し、私の死後も存在するであろう。
我が肉体は、突然何も無いところから生まれたのか?
そうではないことは言うまでもない。
我が肉体が死する時、突然無に帰するのだろうか?
そうではないことも言うまでもない。
生物としての生体活動を終え、我が肉体は焼かれ煙となり、灰となり土に返り、この世に何かしらの形で残っていく。
我が意識、我が遺物もまた、他者の意識に何かしらの影響を与え、この世に何かしらの形で残っていく。

私の心情は、理性に従う。理性は、真実なるものを指し示す。
心情は、個性の現れであり、個々の心情は広がり続けていくものであろう。
云わば水面に投げ入れた石ころと、そこから広がる波紋のように、理性は波紋の源を探り、心情は波紋が広がるように。

この世とは、云わば人間ブッダの説いた「縁起の法」のようなものである。
仏教において、無我・空・無常と表わされることはあるが、これは皆縁起の思想を指し示す言葉と認識している。
縁起の法とは、すべてのものは依存関係(以下関係性と略す)にあると説く。
個としての存在のように見えるものすべて、この関係性の中でのみ存在していると言えよう。
この関係性の中で私は生まれ死んでいくのである。
否、生まれたのも死んでいくのも私の意識だけなのである。
私を司る有機的なものすべては、関係性の中で生体としての形を整え、関係性の中で私という意識を芽生えさせ、関係性の中でやがて衰え生体活動を終え、私という意識は消え去るのである。
この関係性こそが、私の意識の生みの親であり、私の意識の帰る場所なのである。
それ以上でもなく、それ以下でもない。それだけなのである。

このばかばかしいほど当たり前なことに、今頃ではあるが気付けたことは、私の生きた証になるのかもしれない。
そして私の心情も、すべては関係性との答えに、至上の喜びを感じ満足し、飛び跳ねているようだ。

7 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/19(火) 03:35:57
↑酔いが醒めたら速攻削除かも・・・w汗

お(ノ ̄0 ̄)ノや(o ̄・ ̄)oす(。_ _)。みzzz..

8 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/19(火) 13:08:02
>>6
そんな変じゃないな・・・ 消さないでおこうw笑

でもちょっと修正しないとw

誤 つまりは無意識であり、生命の死である。

正 つまりは生命の死である。

9 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/21(木) 13:05:10
きょうこさんちにコメント書こうと思ったら、丁度いい感じのわめの投稿発見♪

ペガサス師匠の掲示板から、わめの書き込みを転載(一部割愛)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
投稿者 : わめです 投稿日時 : 2005/07/06 10:45

わめはもう、宗教に対しての信仰心は微塵もありません。
人としての釈迦のように、あくまで形而下で人を救おうとした方から学んでいこうと思っております。

宗教に真理はないと思います。例えあったとしても、それが真か偽か判断の下せない形而上のことだと思いますし、真偽が判明してしまえば宗教としての役割を失ってしまうのではないでしょうか。
ただ宗教を含む形而上学は、皮肉にも人間が覚知できる形而下の実存を、相対的に証明する有用性があると思います。

人類が始まって以来、人には未知なるモノへの恐怖心がつきまといました。今でこそ天災を自然現象と捉えられますが、それを知らなかった大昔の人たちは、自分や家族や種族が、地震や洪水や台風や飢饉などに被災し、命を奪われていく現実を目にし、形而上学的に答えを捜し求めたのは無理からぬことだと思います。

現代に至っても、人は皆それぞれ何かに悩んだり苦しんだり悲しんだりし、それらから逃れたいと必死にもがき苦しみ、形而下において解決できない場合、またその苦しみなどの大きさの度合いにより、自殺や、自暴自棄になり、酒や薬物に溺れたり、脳のブレーカーが飛ぶ(精神障害)などの行動や症状が現れます。

アメリカなどでは予防医学が進み、多くの人は精神障害など起こす以前に、カウンセラーや精神科医にかかりますが、日本では発症してから対症療法を受ける場合がほとんどで、これらの問題の解決に至らないケースが大半です。

このような状況下は、昔も今も苦しむ原因は違えど、形而下では解決できない事柄と捉えることが出来ます。
大昔の天災などは人間の知恵が及ばなかったが為、現代は精神的苦痛に対する個々人の弱さや、社会的にそれらを解決するための環境が整っていないこと、また教育の問題などもあるかもしれません。

こうした形而下で解決できなかった方が、宗教に救いを求め、仮想的な宗教思想を信じることになっていくのではないでしょうか?
もちろん、宗教を信じる動機はそれ以外にも様々でしょうが、形而下において不満足な精神状態であることは共通点かもしれません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

10 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/28(木) 11:07:22
自分と向き合える人

自分と向き合える人は、孤独であり孤立する。
孤独や孤立を好むのではなく、そうならざるを得ないのである。
それは、身に降りかかる諸々の諸現実には色が無いからで、それを受け止める自らが、色を付けていることを知っているからである。

また自分と向き合える人は、身に降りかかる諸々の諸現実から、何かを学び取ろうとの思いが強く、例えそれが気心知れた近しい友人であろうと、自らを見つめるための格好のユニットとして映ってしまい、今後もそうあってもらいたい程度の気遣いはしても、友情を育むといった思いは二の次になってしまう。

だが自分と向き合える人は、もう既に気付いているのかもしれない。

他者をも含む自らを取り巻く諸々の諸現実は、自分とは元来切り離せない密接な関係にあることを。

だから余計な労力を使わないのかもしれない。

自分と向き合える人が、惜しみなく労力を使うのは、さりげない言葉に秘めた、他者への深い思いやりだけかもしれない。

自らの心が悲鳴をあげていようと、何度も何度もあきらめることなく、さりげない言葉に思いを込めて。

私は、自分と向き合える人を、自分と向き合える人と認め、私が認めていることを、何らかの手段で伝えることだけが、自分と向き合える人の孤独や孤立を、少しでも癒す最上の贈り物としている。

11 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/28(木) 15:29:04
忙がなくていいじゃん。

染み付いてるのが分かっただけでもすごいことだよ。
無理してゴシゴシ擦っちゃうと肌まで傷つくよ。
そこにまた違う変な色が付いたら何してるかわかんないし。
染み付く時間と同じくらい、時間をかけて落としていけばさ。

16 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/29(金) 15:50:49
わめはボス

わめに友達が出来たことを母は喜んだ。少々のことは目をつぶってくれてたし、学会活動で留守がちだったことも幸い?し、中学2年の頃より、わめの家は不良の溜まり場と化した。

わめの部屋から出る大量のタバコ+αの煙に火事と勘違いした近所の方が、消防署に通報し、消防車が来たこともあった。近所で火事か?とびっくりしたのは、当の本人わめ達であった。(冗談のようなホントの話w)

市内にあるすべての中学校の不良は、わめの家に足を運ばないと、他の学校の不良から軽く見られるからか、名の知れた市内の不良はわめの家に溜まるようになる。
わめの部屋は、仲間が万引きしたもので溢れていた。高級な蟹缶などもう見たくもないほど食べた。
わめはいつも家にいたから、それぞれのグループと個別に話ができた。だからグループ同士が揉めた時も、わめの仲裁は説得力があったし、それを聞かないと、はぶしになり大きな顔ができなくなることをみんな知っていた。

そしていつの間にかわめは傲慢になった。
わめに気を使わない奴を殴ったり、生意気な奴を刺して傷付けることもした。
中学卒業後働かず、夕刊配達のアルバイトを始めたのも、仲間たちに配らせてバイト代を稼ぐためだった。

この後地域の大B長(今で言う地区部長)の登場で、わめは更生するのだが、その話はいずれ・・・(しないかもw)

17 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/02(火) 04:55:36
僕は死にましぇん、あなたが好きだから、僕は死にましぇん!!
ドラマ101回目のプロポーズの、武田鉄矢の言葉です。
最近また観てみましたが、やっぱりまた感動もし、純粋に人を愛するって素敵だと思いました。


んじゃわめも叫んでみるか!

わめはあきらめましぇん、あなたの心の扉が開かれるまで、わめはあきらめましぇん!!

18 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/03(水) 11:31:04
多元(二元)論(相対関係・不二)的思考

goo辞書 たげん-ろん 2 【多元論】
(1)世界が唯一の原理から成り立つと考える一元論に対して、相互に独立な二つ以上の根本的な原理や要素によって世界をとらえる立場。
(2)ある対象領域を説明する複数の異なる理論が共存することを認める考え方。

多元論と相対関係と不二をごっちゃにして考えるわめです。(^^;;

上下・左右・表裏・静と動・明暗・善悪・精神と肉体.....etc

これらの片方が無い(覚知できない)と、もう片方も無い(覚知できない)と言うこと。
この宇宙のすべてがそうなのかは分からないが、人間の認知能力はそんなものだと思う。
認知できないものは、認知できない人にとって、どうでもいいことだと思う。何故ならその人は、自らが認知できる世界でのみ生きているのだから。

不二は、上下不二とか明暗不二とか善悪不二って書けば分かるように、それぞれが独立することはできないから不二と考えていいと思う。依正不二も環境と自分とはそれぞれ独立した関係では無いってことで。
ただし凡夫と仏などの相対関係はあり得ないと思う。単に人の呼び方ですからw汗
また人と神というのも、神自体が相対関係を見出せない(神悪魔不二じゃどちらも証明できないw)から相対関係に至らない。

19 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/03(水) 12:52:22
試しに無理やり独立させて、想像してみるテストを忘れてたw(^^;;

左右の右を認知不能とし、強引に左のみ認知してみるテスト。
左は左でなくなってしまい、左はやっぱり認知できない。

光と闇の闇を認知不能とし、強引に光のみ認知してみるテスト。
光は光でなくなってしまい、光はやっぱり認知できない。

善と悪の悪を認知不能とし、強引に善のみ認知してみるテスト。
善は善でなくなってしまい、善はやっぱり認知できない。

依正の依(環境)を認知不能とし、強引に正(自分)のみ認知してみるテスト。
自分は自分でなくなってしまい、自分はやっぱり認知できないw怖

云わば絶対(相対する対象が認知できない)とは認知不可能なのである。
絶対は絶対に無いw=( ・_・;)⇒ アレ?

20 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/08(月) 00:47:12
...ψ(。。)メモメモ...

ちょっと悩んだ末のわめの結論。
何より尊ぶべきことは残すことかもしれない。

またわけわかめだ......

21 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/12/12(月) 00:06:42
 ブログのボツ記事(途中までしか書けなかったがw)を捨てるのはもったいないのでここに書いとこう。(^^;;

 主体者とはくまりんさんがおっしゃっている「時間の先頭に立って未来を選択し峻別しゆく認識主体」とか、ユングの言う(意識層の)ペルソナ(仮面・演技者?)みたいなもので、自己の言動の司令塔の役割を担っているようなモノを指します。
 わめの中ではこの主体者が完全にではないでしょうが独立を果たし、その独立した主体者が今までわめとしてやってきた心的作用までも引き抜いていった感じで、言わばわめは抜け殻で主体者に操られている状態のようなものです。(^^;;
 っていうか、主体者もわめの一部なんだから変な説明になってますが、要はわめという肉体と主体者という心が分裂した状態というのか、主体者に持って来れなかった本能とか我欲とか無意識的な一部とかはわめと言う肉体とともにまだあり、意識的な心とそれ以外の無意識的な心はすべて主体者にお引越しをした状態となっているような感じです。やっぱ心の様はイメージですから表現は難しいな・・・w

 わめはと言う(書く)時のわめは主体者で、わめはキーを叩いたりしゃべったりする従者なのです。そしてわめの主体者はわめの従者の心の様を観察したり話しかけたり満足感を与えてくれたりしているのです。生まれた時から事業に燃えていた青年期までは、主体者と従者の力関係は今とは逆転していたと思います。この青年期はわめも自己の欲求とか願望とかの達成のためただむしゃらに走り続けていたように思います。このような時は壁にぶち当たり悩んだり苦しんだりした時に少し顔を覗かせるだけの今の主体者だったと思います。
 それがある時、命以外のほとんどのモノを短期間に無くし、少し期間は掛かりましたが無くしたモノすべてが結局自分のモノじゃなかったんだと気付くことができ、無くすことの苦しみがいつしか心の解放となって喜びへと変わりました。この頃から変化しだしたと思うのですが、自分のモノは無いという感覚が度を超し”その自分までもが自分のモノでは無い”とそのように思えてきてしまったのです。いつの間にかわめは主体者から切り離される状態となったのです。わめの主体者から観るとわめ(従者でもありますが)は他者のようなモノで、主体者から観るとわめも他の方達もみんな他者的な感覚になってしまうのです。完全に分離していないと思う時もあるのですが、それはお腹が空いたりのどが渇いたりやストーブに乗ってるやかんにうっかり手を触れてしまって熱っ!って感じる時など、主体者には五感がないのでそれはわめという従者を通して知る以外にないからかもしれません。
 主体者に五感がないということは致命的なことで、なんぼ従者であるわめを他者に感じてもこれだけは従者の手を借りる以外にないわけで、他者をまったくの他人とはできないわけです。
 だからか主体者は他者の重要性を強く認識して、他者を他人と思うことを殊更嫌うのです。ましてわめという他者が死んでしまう時は、主体者も共に消滅してしまうわけで他者とは切っても切れない関係にあるのです。また従者であるわめと主体者は元々ひとつなんだから切り離す思考をやめてしまえばいいとの考えもあるかもしれないし、事実そんなことも考えたことはあるのですが、そう考えた時は従者のわめが考えたわけですが、そのわめからみるとこの主体者はとんでもなくすごくいい奴で、自分とひとつにすることはダイヤモンドを泥の中や汚物の中に突っ込んでしまうような、あるいは悪魔達の集団に手足を雁字搦めに縛り付けて投げ込むようなそんなイメージを持ってしまったのです。ですからそんなことはできなくて、名案としてそれよりも自分を主体者の側に持っていこうと決めて主体者側にお引越しをしたのです。すると当たり前かもしれませんがわめにとってはすごく不思議なことで、主体者に自分が乗り移って(憑依の感覚かも)そして今までの自分は抜け殻のように見えるようになったのです。
 わめは関係性を重視していますがわめ(主体者)からは、わめ(抜け殻兼五感器官?)もそれ以外の他者も同じ他者の感覚になるわけで、また、わめ(主体者)はわめ(抜け殻兼五感器官?)を通じて他者と関わりをもっているのですが、これらみんな関係性がなせる業(わざ)なのです。この関係性がなければ抜け殻であるわめの五感も役に立たず、他者さえ認識することもできなくなってしまいます。

22 名前:わめ ◇TJ9qoWuqvA 投稿日: 2010/04/27(火) 14:28:32
わめのトラウマその一

昨夜(本日未明かw)、coco師匠から「他人のなかに見い出したものが 自分自身のなかにも確実に存在している」とアドバイスを頂いた。(TдT) アリガトウ
ところがわめは、そのアドバイスに、わかってると事もなげに返事した。マジこのアドバイスを読んだ瞬間の反応だった。
眠かったけど(午前4時前だもんw)、不思議に感じてコーヒーを飲んで考えてみた。
coco師匠はそれはとっても難しいことと言われてた。わめはcoco師匠の言われたことを、浅く取ってお返事してしまったのかとも考える。(これはcoco師匠に後日聞いてみようと思う)
それと同時にわめが幼い頃、ある意味特殊な子だったことを思い出す。

わめは9歳くらいまで、何をしていたかあまり記憶に無い。もちろん自分の中での大きな出来事は記憶にあるのだが、それ以外の記憶が薄いのです。
それは母に起因することが多いと思う。わめは幼稚園に入る年頃の頃、近くに愛護園と言う宗教系の幼稚園?しかなく(お寺の敷地内にあった)、創価学会命の母はそこに入園させなかった。なのでわめは小学校が最初の集団との交わりであった。母は自分や家族のためと、必死に学会活動をやっていたようだ。わめの幼い頃の記憶には、母親と姉は家にいた記憶が少ない。姉は母親が連れ歩いていたようである。
小学校に入学した時の記憶は鮮明である。正直恐ろしかった。わめの知らない沢山の子供達が、思い思いに他の子達とワーワー騒いでいるのである。わめはきっとその時に学校は怖いところと認識したのかもしれない。そんなところに行くより、今までのように一人遊びしていたほうが、どれだけ楽しいか・・・
朝学校に行く時間にはわめは毎日嫌だと泣き叫んでいたように思う、母親は学校に通わせようと、近所の高学年の子達を家に入れ、わめの手を握らせ通学させた。わめは高学年の子達をみるとすぐに泣き止み、抵抗できなかった。だから高学年の子達が家に上がってくる前に、母に必死に行きたくないと訴えていたのである。
学校に行っても、こっそり早引けばかりをやっていた。家にはもう誰もいないから咎められる事はなかった。また、担任の先生が心配になり、見に来たりはしたが、家に居るのを知り優しい言葉をかけ、わめをおいて学校に帰って行ってくれた。

わめは人の心が分からない子だった。一人遊びの上手な子だった。母親の心さえ分からなかった。ただ母だけはわめが頼れる唯一の人と思っていたのは間違いないと思う。

小学校の頃の出席日数は覚えてないが、休んだ日のほうが多かったと思うし1年間留年もしている。中学3年間の出席日数は明確に覚えている。遅刻・早引けを出席に含め3年間で○○日(2桁)だった。
病院は数え切れないくらい行った。総合病院は行ってないところがないくらいに。当時のわめは、原因不明の高熱が出る病気にかかっている、子を思う母親の気持ちもわめには感じ取ることが出来なかったのである。分かっていたのかもしれないが、それより一人でいたかったのかもしれない。
中学2年の頃、わめにも不良友達が出来た。シンナーを教えてもらった。18歳くらいになるまでシンナーの常習はやめられなかった。シンナー中毒による飛び降り自殺と、バイク事故での不良仲間2名の立て続けの死から、やめることができたのかもしれない。

わめは対人恐怖症?だったのかもしれない。それは相手の気持ちが分からなかったことが原因だと思う。
今は新聞の悲惨な事件をみても、加害者に、なんてバカなことをやったんだと、わめの日頃隠れた心と照合・確認できるようになってきた。

一応終わりw 自分の生い立ちを書くのってすごく恥ずかしいw汗
バッサリ削って再々投稿w爆
1行削除(2010/04/27)

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


19 TV番組全般・映画 (Res:210)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 19
1 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/16(土) 10:01:02
とりあえず立ててみたw笑

最近はハマったのがチャングムで、後半を1日半不眠ぶっ通しで観たw

191 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/29(土) 13:43:41
ここは心配しなくても強制下げ進行になってます。^^

ステルスは観ましたか? わめはこの手の映画が好きです。(*´∇`*)

192 名前:Leo 投稿日: 2005/10/29(土) 13:43:53
>どこぞのおばちゃんへ
>ローレライって何だよw
>アネゴ今度は海猿ですかw^^

女性の方が「ローレライ」、「海猿」って、誰か俳優のファンかな?
(共通する俳優はいないか...?)
Leoは韓ドラでイ・ヨンエが出ていると思わず観てしまう性質なのでピーンときた。
(でもそういう予想・深読みははずれたりしてw)

193 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/29(土) 13:47:14
アネゴは空飛ぶものには目がないけど、俳優でって聞かないな・・・

わめは韓ドラはチャングムしか観たことがないなw
どうも向かないのかもw >韓ドラ

194 名前:祥子 ◆/awKLdKaPA 投稿日: 2005/10/29(土) 13:51:35
     ((((((((((( 
   /((((((())))))ヽ  
  (((((リ  ´_ゝ` ))))   
 (((((/邸//邸)))))  
 ((((/鏑//鏑鏑邸))) 
   |___〓〓〓〓⊂)ヽ  
   |∪|鏑鏑鏑 vノ 
     |鏑鏑鏑|  
はい!どこぞのおばちゃんでつ
ローレライ 海猿は イマイチですた 韓流は見ません
ここ1年で見た中では テアーズ オブ サン 山猫は眠らないシリーズ
が一番考えるところもあり 印象深かったです
最近は海外ドラマ三昧
日本の俳優さんでは 椎名桔平さんファンです

195 名前:Leo 投稿日: 2005/10/29(土) 14:13:03
わめさん、どうも。

>わめは韓ドラはチャングムしか観たことがないなw

韓ドラの基本パターン「記憶喪失」「おねえ様のいじわる」「あこがれの人に再会」「突発の事故」って、
韓国に輸出されたアニメ「キャンディ・キャンディ」の影響なんだそうです。

韓ドラは先が読めるのと、製作に無茶して不自然なところがあったり、韓国食い物飲み物のチェック、
そういうところを楽しんでます(^^;

祥子さん、はじめまして。

>ローレライ 海猿は イマイチですた 韓流は見ません

そですか。

>ここ1年で見た中では テアーズ オブ サン 山猫は眠らないシリーズ
>が一番考えるところもあり 印象深かったです

おすすめ、観てみます。どうもです。

196 名前:Leo 投稿日: 2005/10/29(土) 14:17:12
>韓ドラは先が読めるのと、製作に無茶して不自然なところがあったり、韓国食い物飲み物のチェック、
>そういうところを楽しんでます(^^;

チャングムは無茶がみられない気がするけど、チャングムの前にやっていた「オール・イン」は
海辺に作った主人公の家がいかにも紙細工の作り物という感じで風でとばされるんじゃないかと思った。

197 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/29(土) 14:20:22
テアーズ オブ サンって検索しても分からない・・・w

198 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/29(土) 14:23:56
Leoさん、あなたちょっと観るとこ変よw汗

> 日本の俳優さんでは 椎名桔平さんファンです

化粧師よかった。^^

199 名前:Leo 投稿日: 2005/10/29(土) 14:26:17
もしかして、
Tears of the Sun (2003)
http://www.imdb.com/title/tt0314353/
でしょうか? 「ザ」ありと日本語検索で出てこない?

またわめさんデータベースにもないのですね。

200 名前:祥子 ◆/awKLdKaPA 投稿日: 2005/10/29(土) 14:30:17
(・・;) すまぬ、> ティアーズ・オブ・ザ・サンでつ
寝転がって映画みてたけど 起きました

Leoさんはじめまして、
以前からお名前拝見しております

201 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/29(土) 14:43:26
> またわめさんデータベースにもないのですね。

うん、あと5分ほど無いw

202 名前:祥子 ◆/awKLdKaPA 投稿日: 2005/10/29(土) 23:32:13
あ!Leoさんはじめましてでもないかもしれません、、
>同窓、、考えようと恋学で、、

空飛ぶものには目がないけど、、>当たりー
スタートレック以外、、

203 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/10/29(土) 23:35:32
> 空飛ぶものには目がないけど、、>当たりー
> スタートレック以外、、

\(`o'") コラーッ!

204 名前:Leo 投稿日: 2005/10/30(日) 22:02:17
○イマイチとの評の「ローレライ」についてコメントします(^^;

あの映画は戦争賛美でも単なる反戦でもなく架空の戦闘を通して
戦士たちが戦ったのは愛するものや後世の者のためで無意味ではなかったという
メッセージを送りたかったのだと思います。

○このスレで出ている「ヒトラー 〜最後の12日間〜」。

ヒトラーの思想は「強いもの(優秀なもの)が生き残る」「慈悲は不要」という弱肉強食思想でした。

ヒトラーは犬を飼っていたりエバ・ブラウンという女性がいたり部下を激励したり
人間的な部分は皆無ではないですが、おおむね冷酷で、時々キレてました。

ドイツが優勢なうちは版図を広げ、連合国が優勢になると負けました。
まさに「強いもの(優秀なもの)が生き残る」だったわけで、ヒトラー作ドイツ第三帝国の非優秀性を
みごとに証明しました(多大な犠牲を払いながら)。

優秀とは独裁者でもなく強力な兵器でもなくナチというイデオロギーでもなく、
連合国(特にアメリカ)の工業力と情報収集力(エニグマなどの暗号解読)と石油の確保でした。

ドイツのことしか考えていないというのも、そもそも間違いでした。
やってみなければわからないというのも国家レベルでは全く愚かなことです。

205 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/11/15(火) 19:46:33
<trackback url=http://blog.seesaa.jp/tb/9115936>TBテスト

206 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/12/10(土) 01:59:46
Leoさんはもうお眠むかな?

わめは今からお風呂入ってその後一杯やります。^^

そういえば最近映画も観てないんじゃないの?

207 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/12/20(火) 01:04:54
何だか秘密の掲示板作ってからこのスレも止まっちゃってるなw汗

208 名前:青空(男) 投稿日: 2006/01/17(火) 20:06:50
最近、再放送で チャングムの誓いが NHKで 金曜 11時から放送しているのだけども、

見ながら、極悪な女官(サングン)と、その一族等を見ているうちに、不思議と それぞれに 課された宿命?に生きているのだなと、 ならば、一体誰が悪いんだ??

と、従来の 極悪を懲らしめ ハッピーエンド というのが目的でない ドラマなんだなと 勝手に想像してしまいました。

ところで、わめさん。

秘密の掲示板ってなんです??

あと、元旦の初詣は、恋人と行きました。

マイレボリューションなのは、学会教学からも日蓮教学からも束縛されない行動を新年から取れたこと。

学会活動をしてなくても、日蓮さんの四箇の格言で、他宗の聞法・修行など 地獄行きの行為とする点では、学会よりも、かなりの心の深い部分で、越えられない壁になっていましたからね。

僕も ようやく、自由に神様仏様の話を聞ける 自由人になったみたいで 気持ちが軽いんです。

209 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2006/01/24(火) 16:41:27
あ、こんなところで青空さん発見!^^

> と、従来の 極悪を懲らしめ ハッピーエンド というのが目的でない ドラマなんだなと 勝手に想像してしまいました。

チャングムは実際あった話に脚色して作ったドラマだと聞いています。
なので一般的なドラマのように「極悪を懲らしめ ハッピーエンド」ではないですね。(^^;

> 秘密の掲示板ってなんです??

うw なにぶん秘密なので申し訳ないw汗

> あと、元旦の初詣は、恋人と行きました。

(ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ-

> マイレボリューションなのは、学会教学からも日蓮教学からも束縛されない行動を新年から取れたこと。

こっちでも(ノ´▽`)ノオオオオッ♪

> 僕も ようやく、自由に神様仏様の話を聞ける 自由人になったみたいで 気持ちが軽いんです。

私は”神様仏様の話=隣のおっさんの話”なんて思っちゃってますが少々行き過ぎでしょうかw爆

210 名前:青空(男) 投稿日: 2006/01/25(水) 14:32:03
♪ 河内の おっさんの唄〜

  河内の おっさんの唄〜

って、か(笑)

頭で、分かったつもりだけの自分を 最近 事後処理をする毎日。

頭は 既に 老化現象です(涙)

何故に、こんなに”お馬鹿”なんでろう(悔)

泣くに泣かれぬ 男の弱さ

泣いて強いは 女ばかり

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


20 管理人のつぶやき(レス歓迎) (Res:60)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 20
1 名前:管理人 (2I8gb3Ok) 投稿日: 2005/01/08(土) 22:11
JBBS掲示板を初めて使わせていただきました。
自作PC・Internet系の話題で他の掲示板は、過去現在といくつか運営しておりますが、人生についてなどとの大それたテーマの掲示板は初めてで果たしてどうなることやら・・・汗

40 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA[TRACKBACK] 投稿日: 2005/07/30(土) 17:00:39
アピーズさんに「わめさんが創価学会員であり続ける理由は何なのでしょうか?」と聞かれてしまったw汗

その理由をこの掲示板内でも、またよその掲示板でも書いてる箇所はありますが、そのことだけ書いたコメントは見つからない・・・w
なのでこの質問に今から答えてみよっと♪ (辞めてもいいかなって理由もあるけど、それは答えに関係ないから今回はパス)

でも理由的には一杯ありそうw
客観的には、学会を辞めなければならないという、必要性を感じないということもあるのだけど、つらつらと書いてみます。(以下わめの気持ち)

・辞めなきゃならないほど嫌なことが少ない、逆に言えば辞めるほうが何かと波風立ってウザイ(家族・親戚はほぼ学会員ばかりだし)。
・学会2世でずっと学会員だったから、わざわざ辞めるのも面倒。(↑と重複してるかも)
・学会員であると、学会の動き・事実が掴みやすい。
・学会にもいいところはある。(気の持ち様的部分がでかいし、嫌なことはやらないしw)
・学会員であることが以外と楽しい。 これが気持ち部分の大きな理由かもしれない。なのでこのことばかり詳しく説明しちゃうことにします^^

わめは学会の会合等で挨拶したりする場合(そういう機会も多いのだが)、学会に批判的なことがばれないように、「自分の頭で考え判断しよう」とのメッセージを伝えるのが、スリルもあるし、そのために練って練って下書き原稿を書くのもすごく楽しい。
学会員の方と個別に話をする場合は、相手に合わせながらも、言える範囲で、また事実としての学会批判ができ、親しくなれるのが楽しい。(こんなわめだから、学会に疑問を感じる方の相談にのれやすい。)
それと学会にいると、大きなお世話活動?がやりやすいからかも?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/17142/1094230028/r81

とりあえずこれくらいで答えになるかな?
また質問をいただけたら書いてみます。(^。^)

41 名前:フルナ 投稿日: 2005/07/30(土) 17:39:32
>>40

わめさんのお気持ち、よくわかります。久しぶりにまじめな書き込みを読んで嬉しくなりましたよ。

まさに、泥水の中にあって泥に染まらない白蓮華ですね。

42 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/07/31(日) 00:49:38
> わめさんのお気持ち、よくわかります。久しぶりにまじめな書き込みを読んで嬉しくなりましたよ。
ヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!

> まさに、泥水の中にあって泥に染まらない白蓮華ですね。

褒められてるのか、貶されてるのか・・・w(〃_ _)σ‖イヂイヂ・・・

43 名前:祥子 ◆/awKLdKaPA 投稿日: 2005/08/01(月) 10:08:56

”学会に批判的なことがばれないように、
自分の頭で考え判断しようとのメッセージを伝えるのが、スリルもあるし”
>学会に関してでもなくても
自分の頭で考え判断して 伝えようとするスリルって
僭越ながら よく思います
脳内CPU稼動率上げるのって快感かも

蓮て白とピンク系とあるでしょう
ピンク系のはリンとした姿の中に 暖かい優しさが好きです

44 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/01(月) 10:51:19
祥子たんの言うスリルと、わめの言うスリルは違うスリルだにゃ^^

”自分の頭で考え判断”することはスリルがあることかもしれないな。
またこのスリルを、”楽しむ”ことはポイント高いじょ。
わめ的には、何のために苦しむのか?の答えは、楽しむためにだじょが答えじゃ。^^

で、>>40 で使ったスリルの意味は、”学会に批判的”なことがばれると恐ろしいことが待っているのじゃw汗
わめが男子部時代に味わってトラウマになったことより怖いじょw
まじスリル満点なのじゃ(^^;;

45 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/01(月) 11:33:52
 男子部時代のわめのトラウマを少し書いてみよう。(^^;;

 当時わめは、地区リーダーで支部男子部長は仕事が忙しく、副男子部長は不倫(当時は知らなかったが後に発覚)に忙しく、わめが男子部長の代理みたいなことをよくやってました。(現在の役職名置き換えました)
 と、わめの息のかかった男子部(+学生部員)メンバー(表現の仕方が悪いですがw)が部員に多く、支部での活動は結構仕切ってたような感じでした。^^
 あ、学生部(大学生の学会員)の部員と言えば、わめが高等部(高校生の学会員)の支部責をやってた時代に知り合った高等部員で、そのメンバーが大学生になり、そこで知り合った学生部員とか、一緒に折伏をして、部員となった方達です。
 と、支部責で思い出すのは、その後少年部(小学生の学会員)の支部責をしてる時、女子部から少年部支部責になった女性(女子部地区リーダー)に、突然「結婚しよう」と口説き、その夜はラブホに泊まりました。・・・結局結婚はしませんでしたがw(関係ない話だったw汗)

 話を戻して、と気を取り直そうと思いましたが、その女性のことを思い出してしまったので、ちょっとその思い出に浸ってみたいので、この続きは後ほど(後日?)にしますw爆

46 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/01(月) 11:56:12
何だか>>45 の恋愛話懐かし過ぎw

今もしその女性から、結婚しようか?と言われたら、ウンと返事してしまいそうだ。(わめには複雑な事情があるから大変だけどw)

これ見てて自分のことだと気が付いたらメールおくれよ。
キーワードは「花子と太郎」と、ダンボール箱一杯の事務用品ありがとう。

何だか新聞の尋ね人欄みたいになっちゃって(*_ _)人ゴメンナサイ

47 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/03(水) 02:42:31
うーむ、何だか話題の謎氏のブログですが、今日のそれに対するコメントのなんと的外れなことか(とわめは思う)・・・w
ここはひとつ(ぽ)さんにでもコメントを書いてもらいたいものだな。。。

48 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/08/03(水) 03:05:15
ぽさ〜ん。
出番ですよ〜。

うう・・・。
今日は寝ないで、ネットかな。w

49 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/03(水) 03:09:21
あ、しずくちゃんでもいいじゃん。

どうせ寝ないなら書いちゃえ〜^^

って寝ないと・・・w汗

50 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/06(土) 23:25:22
わめっちには自己紹介スレがなかったのね・・・w
足跡スレでも作るかな^^

51 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/13(土) 23:40:13
ε=(ノ゜ー゜)ノタダイマ

実家帰りは日帰りできた。(´▽`) ホッ
昼過ぎに着いて、昼食&ビール飲んで、お昼寝して夕飯&ビール飲んで、酔い醒まして帰ってきた。
何しに行ったんだか・・・w

車の運転はちょっと疲れたけど、息抜き&睡眠不足解消にはなったな^^

52 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/27(土) 09:57:32
「男子部時代のわめのトラウマ」話>>45の、続きを読みたいとの有り難いリクエストがありましたので続編を書いていくばい。^^
でも続編要望は”トラウマ”ってことじゃなくて、学会活動体験をお望みのようでw笑
てことで、わめも”トラウマ”ってことに拘らずぉぃ、書いていこうと思っとりますますばい。

わめの息のかかった男子部(+学生部員)メンバーと言うのは、やっぱ表現がいやなので、以後「わめG」とさせていただきます。
と、この>>45のお話以前のプロローグとして
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120718188/nt14-16
を、読んでいただくのもいいかもしれません。
また、敢えてこのレス歓迎スレで書いているのも、できれば感想や意見、質問などを書いていただきたいとの思いがありますことを、申し添えておきます。(感想や意見、質問は徒然スレなどでもいいですけど)

54 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/31(水) 11:37:07
>>45からの続き

 わめG(>>52)といっても、別段そんなグループと言うのではなく、交流が多くて何となくお互いの気持ちを分かり合える者同士とかの意味で、仲間・よそ者的なはっきりした区別などありませんでした。

 交流については、元々学会員同士や同級生同士、音楽的繋がり、ボランティア活動、大学祭実行委の繋がりなど様々で、学会活動も、この音楽・ボランティア活動・大学祭実行委と並ぶ、ひとつの活動だったとも言えるのかもしれません。
 また音楽・ボランティア活動・大学祭実行委のメンバーの一部の方が、学会活動・信心をしていた、あるいは始めたということです。それがわめGです。
 そしてそれら活動の拠点が、わめの家や学生部員のアパートなどでした。

 詳しい話はブログの「男子部時代のわめ」に譲るとして、トラウマ話にいくじょw^^

 その頃のわめの所属する男子支部は活発な活動をしていて、でもいってみればわめGと地域会員と部長・副部長・地区リーダーといった感じで、わめGを除くと他の支部(総B)の男子部と変わりばえしないのですが、ともかく活動は活発で、特に二代目部長時代は部長宅で主要活動家は他の会合等が終わる時間、夜の9時頃に毎晩のように集まって唱題したり、打ち合わせしたりしてました。

 わめの地区(大B)の毎月の座談会では、新入会者・新来者挨拶など、新たなわめGメンバーの時間が取られていました。わめの所属する地区は、アパートなど少ない旧住宅街地域で、学会員も高齢者が非常に多かったのですが、わめGメンバーの参加で、活気と笑顔の溢れる座談会が出来ていたと思います。
 と言うか、ほんとに面白いんだからw 新メンバーや新来者(17〜20歳過ぎが主)主体の座談会って、古くからの学会員が観客みたいになって、新メンバーや新来者が前に立って挨拶し、意地悪なわめはその方達に「勤行とかするの恥かしくない?」などの質問をし、そんな質問など想定外な新メンバーや新来者たちは、顔を赤らめながらしどろもどろとそれに答え、会場は「頑張って〜」とかの声援や笑い声や拍手の渦で一杯になりました。^^
 ですので勤行や学会歌、地区・支部長の話以外、体験談も含め新メンバーや新来者の時間といっていいくらいでした。(続く)

55 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/08/31(水) 12:12:59
 そんなわめやわめGは、壮婦(壮年部・婦人部)に非常に受けがよく、また担当した少年部・高等部のメンバーからも、その各支部責を降りてからも面白いお兄ちゃん的にかもしれませんが、人気があったようで、母親からその子供達を訪ねてきて欲しいと頼まれることもしばしばでした。

 そんな中、問題が起こったのは男子部と学生部からでした。

 確かにわめは今考えると、学会組織の統率とか枠組みとかを何にも考えていなかったと思いますが、当時は組織というより同じ信仰をする同志と考えていましたので、部別(壮婦男女未来部)的な考え方は非常に薄かったかもしれません。

 少年部支部責時代も、わめGの学生部のメンバーなどが少年部の集まりに参加し、歌ったり紙芝居をしてもらったりしてました。子供達には大いに受けて、参加したわめGメンバー達もうれしそうでした。

 また、大学内での学生部主催の仏法セミナーなどで、わめGの方が責任者的な役割の時には、わめやわめGが、当たり前のように参加者を募ったり、設営の準備をしてる学生部のメンバーに差し入れをもっていったりなどもしてました。

 もちろん学生部のわめGも、座談会は学会の根本との意識を持ち、その設営・企画・協議にも進んで参加してくれてました。協議会なども、学生部の会合等とぶつからない限りは参加していました。

 数え上げれば切りがないくらいに、様々な学会活動においてわめやわめGは、学会組織の部別(壮婦男女未来部)的な枠組みを超えて活動していたのです。

 もちろんわめやわめGに、悪気などこれっぽっちもありませんでした。むしろ純粋に心のままに、共に連帯しあいながら活動を続けていたのです。

 ところがこれらのわめGの活動が、上層幹部からは面白くなかったのか圧力がかかるようになって来ました。(続く)

56 名前:ほしのしずく☆ ◆85qvGhCCNc 投稿日: 2005/09/01(木) 13:39:58
こんにちは。

>組織というより同じ信仰をする同志と考えていましたので

これ、私もです。
いじょっ

57 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/02(金) 01:00:23
今は、わめの男子部時代よりも「同じ信仰をする同志」は、排除されがちなような感じがします。

組織だから仕方ないちゃ仕方ないんだろうけど、何の為の組織か?って考えると矛盾を感じるわめでした。
(´・ω・`)ショボーン

58 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/13(火) 19:44:38
「男子部時代のわめ」も、やっと10で終わったwC=(^◇^ ; ホッ!
http://blog.goo.ne.jp/enjoylife_wame/c/3440237a9a6b9a39080fd7009feaf2dc

 次は男子部時代のトラウマ話だけど、選挙もあったしで、ちょっと学会関係の話題から離れてみたかったりします。(^^;;
 最近鯖(謎)関係もいい加減な管理やってるしw汗

 ってことで何か軽く、別の話題があったらいいのだけどなw

59 名前:わめ ◆TJ9qoWuqvA 投稿日: 2005/09/20(火) 04:02:26
何をどう選択しようと自分は自分だと思う。

でもなるべく色眼鏡で見ないで、ホントのことをホントのことと見ることと、そこから起こり得ることに、覚悟を決めることがいい感じなんてね。^^

またまたわけわかめ。ヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!

60 名前:殿舎男@秋葉系 ◆XgzPoOaLlE 投稿日: 2006/01/27(金) 23:16:54
こんばんわ

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード