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歴史は繰り返すー先例古例
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紋章官
:2022/12/14(水) 20:13:30
- 12月も半ば。冷え込みに布団から出にくい時期となりました。コミケに落ちて精神薄弱状態。大刀剣市も行けなかったし、何も張り合いがない。
大刀剣市では高価で買えなくてもいいのです。あれを目標に!と目指すものが見られる機会でもあるので、張り合いも出てくるのです。
気持ちが沈んだまま・・・どうやら財務省官僚の恩給のために増税のようですし、働いても意味はないか
さて年末に急に始める新シリーズ。歴史は繰り返す。まあ、だいたい、歴史ネタを書くと、同じ事、昔やってます!という話なんですが、話題に
のりまして、防衛費を増やすための増税論議。面白いですよねえ~今回は、本来、防衛費増額論議を後押しするはずの、自民党国防族や自衛隊
出身者などが、内容がおかしいと反対論や拙速な論議に慎重論を述べているのに、現場知らずの首相と財務省が勝手に進めていると見える状態。
その中で、財源に増税、建設国債、あまつさえ東北の震災復興税にまで手を付ける強欲ぶり!
結局、官僚が自分たちの年金、天下り資金のため増税しようとあからさまに動いているとしか思えません。何しろ、国家税制制度誕生以来、
戦争状態による軍事費調達のため臨時課税を常設税にして財源にするのは常套手段!
一番、わかりやすいのは中世欧州、フランス王国の賢明王シャルル5世の税制確立。彼は父王ジャン2世がイングランドの捕虜になったので、
中世封建制度で主君の身代金供出は家臣、この場合、都市住民を含め義務である、という伝統と大義名分をもとに国王政府(この場合、代理の
王太子政府)の名前で本来、手の出せない有力貴族や教会領にも税を課しました。もちろん、抵抗や支払い遅延等、様々な妨害や
障害がありましたが、全土に課すことは当然の権利として否定はされず、それも徴収が悪いので、何度も繰り返すことで、逆に国王政府が
税を課すことに家臣も民衆も慣れてしまい、それ自体は自然と受け入れてしまう環境を手に入れました。
その事で、身代金の他にも対イングランド軍事費、盗賊となった傭兵隊対策費などの名目でガベル、タイユなどの課税を当初は臨時税、それを
戦争状態が終わらないので継続的になり、そのまま常設税化して国王政府の財源を確立、フランス王権確立の土台を完成させます。
そのためシャルル5世をして「フランス税制の父」とも称されます。
それを考えると現在の論議、復興臨時税もそのようにしようといあさましい様子が見え見えとしか言いようがありません。こういっては
なんですが、明治時代にも同様の事がありましたが、その際は、まだ範を示す行動がありましたよ。次回はその話を。それでは
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紋章官
:2023/01/14(土) 08:55:27
- 正月気分も抜けてきた今日、この頃。さすがに今週はつかれた感じですが皆さん、どうですか?さて地元ではどんと焼き、楽しみだなあ~
先例古例。昨年の安部元首相暗殺事件の犯人の起訴が決まりました。大正から昭和にかけては現職首相の殺傷事件がありました。
東京駅での原敬首相暗殺、浜口雄幸首相傷害、そして首相官邸での犬養毅首相暗殺となります。東京駅を歩きますと、原首相事件、浜口首相事件の
場所に足元に現場を示す標識が埋め込まれています。
さて、犬養首相暗殺事件である5.15事件。犯人は海軍軍人、この際、減刑嘆願署名運動がありました。これは政党政治での停滞と度重なる汚職
に失望感が広がっており、その不満が自浄機能しない政党への反発として生じたものです。一個人としての犬養毅は評価されても、政党代表者、
首相の犬養毅は批判にさらされていたわけです。
今回の被告への支援、共感者が少なからず存在しています。意見には個人差がありますので、それにどうこうは言うつもりはありません。
しかしながら、差し入れや現金送付などの広がりを見ていると、戦前同様の素地ができている事を理解せざるをえません。
しかも、この事件によりマスコミも政治家も官僚も旧統一教会問題への取り組みと報道に追い込まれ、大きな動きとなりました。
それが何を意味するのか?つまり、このようなテロ、殺害事件は世間を変える事ができる、との理由付けができてしまいました。それに富の偏重と
政治屋の特権階級化による世間意識ズレ、それを取り巻き、甘い汁を吸っている支援者や業界団体、と見なされる状態になっています。
残念ですが、オリンピックも同様、オリンピアンや金メダリストなど札束目当ての連中でしかない!別にいいいですよ。サッカーや野球のように
自前興行で稼いで懐を肥やすのは、自前興行で儲けているのですから、正当な行動です。それを取り巻く連中も企業活動ですから問題ありません。
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紋章官
:2023/02/03(金) 20:39:37
- 今日は豆まき、節分。商業主義にのっとり恵方巻が根付く一方、先行者であるバレンタインデーのチョコの方は義理チョコの風習は終焉を迎え、
送るよりも自分へのご褒美チョコ中心時代との事。これも世の移ろいかと、しみじみ感じいるところです。しかし、男が一人、チョコを買いに
行くのは、まだ辛い!
先例古例。プーチン大統領がサンクトペテルブルグで独ソ戦を引き合いに演説とか。ひとつだけ言います。スターリンは、少なくとも自分の長男に
死を強いる事で節度を示しました。その悲痛な心中は次男への言葉として伝えられています。冷酷な独裁者、大粛清を行った男でも、その分、自分
を律する事は示したのです。
さて話を戻し、ニュースでここにきて、ドイツがレオパルトⅡ、イギリスがチャレンジャー、そしてアメリカもエイブラムスと自国の戦車供与を
表明。一方でロシアは最新のT-80と強化型を投入中。そのため新聞などでは、独ソ戦において、まさにウクライナの大平原で行われたクルスク戦車戦
を紹介、その再現と記事にしています。さて、視点を変えるとロシア側はT-80系列戦車か、予備で倉庫にしまっていた古い戦車を動員。
これと似たような事は独ソ戦でもありました。ソ連側はT-34,KV、更にBT戦車と呼ばれる古い戦車を投入。ドイツ軍は4号戦車、駆逐戦車、
それに5号戦車など自前戦車の他、占領したフランス製やチェコ製の戦車や、それを無砲塔にして大型砲を搭載した突撃砲と呼ばれる車両を投入
しています。このあたりはガルパンに出てくる車両で検索いただければわかりますが、多国籍車両となっています。
まあ、砲弾はドイツ規格に統一していたからいいのですが、多国籍の多様な車両を投入すると悩ましいの補給問題!
なにしろ燃料はともかく、修理部品や修理方法が多様で融通がきかず、更に修理部品等が間違って届いた日には使えない!との状態に陥ります。
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紋章官
:2023/03/17(金) 20:21:39
- 桜の開花宣言!自己判断でのマスク生活からの卒業!どうか、このまま明るくなってほしいものです。
先例古例。きな臭いのおはいやですが、現実問題として考えなければなりません。誤解されがちですが、軍事力の本貫は抑止。軍事力は
使う事ではなく、そこに存在することで攻撃を牽制する事が最大の役割なんです。この辺り、孫子でも軍事は国家の大事、動かさないで国を
守ることが最上である、と戦闘回避を最大の役割と位置付けています。
けっして戦闘をやることが主眼ではありません。目に見えるものは戦闘訓練や武器ですから、一般には戦争をすることに見えてしまいますが、
実際のところ、開戦により軍事力行使に至った時点で任務の50%は失敗しているんです。
さて、石垣島に駐屯地が開設され、今回、先島諸島の住民12万人の避難シュミレーションが実施されましたが、これにも先例があります。
それは冷戦中にソ連軍侵攻に備えて、当時の北海道住民400万人の避難検討。あくまで部内研究に留まりましたが、ソ連軍が北海道に上陸時、
住民を東北地方に避難を検討、道北、道東から鉄道で渡島地域に避難、函館、室蘭、松前、苫小牧などから海路避難。
そのために津軽海峡を機雷で封鎖、潜水艦や水上艦艇の侵攻を阻止、青函連絡船やフェリーを動員、さらに漁民は漁船で退避と想定したものです。
この時代、まだミサイルの飛行距離や命中率は低いので、制空権を維持できればある程度、可能な作戦でした。但し、時間は必要でしたでしょう。
実際のところ、三宅島火山噴火時に島民3千人、伊豆大島噴火時は1万人の避難作戦を実施、そして東日本大震災では津波と原発災害により
100万人を超える人数が避難しました。それをみれば、どれだけの事かわかるものです。先島諸島の住民は12万。情勢緊迫化の際に先行して
疎開させるとのシュミレーションですが、現実化しないことを祈るばかりです。それでは
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紋章官
:2023/04/12(水) 19:56:36
- コミケの通知が届きました。あとは抽選結果待ち!さて、どうなりますやら。
先例古例。先日、ロシアのウクライナ侵攻をロシア帝国時代からの歴史で解説する番組がありましたが、その中で歴史家の方が悲痛な言葉を述べておられました。
「歴史に解決を求めるな、歴史は学問、政治に使うものではない」
真にその通り。歴史を政治に使うとロクなことはない。もちろん、歴史を学んでおくことは必要です。但し、それは過ちや失敗を学ぶもので、それを政治の手段に
使わない事です。とはいえ、歴史を政治的に利用、国威発揚に多用するのは少なくありません。一番の例はムッソリーニがローマ帝国の栄光を掲げて、ファシスト
体制強化と軍事力整備を進めました。なにしろシンボルは「リットリオ」!執政官の職責権威を示す杖斧。そしてローマ市内やオスティア、そして湖の水位をさげて
巨大船の発掘、引き上げを行う。またナポレオンの美術品没収、イギリス、ドイツなどのメソポタミアやエジプトでの発掘による古代遺物の持ち帰りは、帝国主義
と共に、かつての巨大帝国の歴史的遺物をもって、国威を誇る行為でした。これも歴史の政治利用の一環。その事で多くの発掘により古代研究が進んだとしても
弊害も大きいところです。そして歴史による紛争の際たるものはイスラエル・パレスチナ紛争。
祖先の地への帰還。それも平和的ならともかく、武力で住んでいる人々を追い立てる。初期の入植などの指導者は武力や住んでいるパレスチナ人を追い立てる
事には反対で、移住して平和的に隣同士で暮らそうという理想を掲げていましたが、現代は大きく外れています。やれやれ。中国も何を考えているのやら。
九段線を言うなら、そのうち漢の武帝の征服事業をたてに朝鮮半島も併合を掲げるかもしれません。困った事です。それでは
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紋章官
:2023/06/24(土) 21:56:37
- 映画タイタニック放送中!あの再現は圧巻です。とはいえ、折も折とはフジテレビも複雑な事と思います。と思っていたら、ロシアもとは。
「タイタニック」を見物の潜水艇「タイタン」が遭難。それも水圧での圧壊とのこと。過去におきましても潜水艦で事故は生じています。だいたい、潜水艦は
基本、軍事用なので、行方不明になっても秘匿される例も多い。米ソの原子力潜水艦でも消息を絶ったものが存在します。
実際、圧壊した事が判明した事もあります。殊に戦争中の場合、追跡され、安全な深さより、追われてさらに深く潜水して圧壊を生じたものが存在すると
言われています。今回の場合、それに比べれば商業主義優先で安全確保と整備手抜きでの圧壊と言えるでしょう。まあ、まず潜水艇や潜水艦での事故では
生存者はまず、期待できません。それくらい死亡率が高い。なのに安全基準を考えずに運用すれば、事故が生じるのは当然のことです。
さてロシア。民間軍事会社が事実上の蜂起。モスクワに物申すため、進軍って、西郷さんじゃないんだからと思いますが、なんだかワグネルとブリコジンを
見ていると、三十年戦争の大傭兵隊長ヴァレンシュタインを思い出します。
こちらも皇帝軍に対し、軍功と独自の軍税制度で10万もの動員兵力を誇ったヴァレンシュタインが排除、処刑されます。皇帝や諸侯ではない、一個人が
大兵力を擁した事に脅威を覚えた皇帝と諸侯が日頃の仲の悪さと権力争いを一時停止して手を組んで実行したものです。
その際、事前に皇帝側は傭兵への給与支払い制度を皇帝側で掌握、その事で兵士とヴァレンシュタインを切り離すように努めています。その事で、暗殺に
よる軍事力崩壊や大反乱を防ぎました。今回、ロシア国防相がワグネルの傭兵に対し、ここに国防省との契約に切り替えるよう動いていた事は、まさに
同じ事で、ブリコジンにしてみれば、自分を使い捨てにするのが見えた事で、生き残るために行動を起こしたと言えるでしょう。
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紋章官
:2023/09/07(木) 19:09:53
- 急な台風襲来!みなさん、くれぐれもご安全に!
さて先例古例。今週は関東大震災より100年で防災関係で様々な特集や取り上げがありました。その中で、阪神・淡路震災での自衛隊初動問題を
取り上げたところがありました。災害時の自衛隊災害派遣は、災害県の知事等の自治体首長による出動要請により可能となります。
そのため、この早朝に発災、庁舎損壊、道路混乱、通信途絶状況により、周囲は被災しているのが分かるのに、自衛隊伊丹駐屯地では救援活動に
出動できない、という状況に陥りました。
後に記者会見での駐屯地司令が正式要請が出るまで出動できなかった無念に落涙されましたが。これも文民統制と自衛隊法遵守が徹底されていた規律の
高さを示すものですが、一方で臨機応変の融通が利けなかった弊害となりました。
そのため、現在では改正され大災害発災時、出動要請がなくても暫定時間と活動領域を制限しての臨時出動が許される事となりました。
これが発動されたのが言うまでもなく東日本大震災。ただし、こちらは夕方までには正式活動になっていましたが、このような修正が行われました。
さて、このような規制での活動制限の弊害に対する緩和措置や文民統制での問題論争は過去にもあります。
災害ではありませんが江戸時代、島原の乱による武家諸法度の改定。よく知られるように島原の乱では幕府は九州諸藩を動員して武力鎮圧しましたが、
その勃発時、島原藩などで大騒動が生じているのに、周囲諸藩は援軍を送りませんでした。これは武家諸法度による大名連携を阻むための勝手な挙兵と
他領への派兵禁止項目によるもの。たとえ援軍を求められても、幕府の許可なく派兵すれば取り潰しの罪状になるので、諸藩は国境を固め、可能な範囲
での情報取集に努めました。そのため幕府の派兵命令に、逆にほっとしたようなもの。
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紋章官
:2023/09/22(金) 18:06:04
- なかなか涼しくなりません。とはいえ、少し気温が落ちてきたところで、ちょうど蚊の活動によい気温とか。困ったものです。
さて全然、ドラマをみないタチなので、ネットで自衛隊「別班」という文字を見ることがあり、あれまあ、と思っていたら、ドラマに登場していたのですね。
それで急に取り上げられて、とうとう、石破元幹事長に質問したとか。笑える。
別班についての噂は昔から存在しています。ずいぶん前ですが、自衛隊の情報収集部門に関するテレビ番組で、軍事ジャーナリストの方が言及されました。
なんのネタだったかな?あるといえば、ある。ないと言えばない。石破元幹事長の回答は、そうとれるものです。どこの国でも情報部門詳細は明かさないのは
当然です。まあ、007のMI6みたいなもので、あれは有名になったのを活用、「看板」にして実働は別、というカモフラージュにも使えると言えます。
今回、別班も今更な所はあるので、「看板」にして、実働は別という形に持ち込むといえます。それに別班も正式名称ではなく、あだ名、通称的な事で
職務上の行動を示唆するとも言えるのです。さて、自衛隊につきましては、職務上の事で非公式の「戦場派遣」で「実戦経験」を積んだ、と
言われる事があります。それがベトナム戦争。この際、日本は派兵はしていません。韓国軍などは派兵して参戦、そのためベトナム人が韓国軍に対し、訴訟を
起こしています。ちなみに、韓国政府はその点では革新も保守も日本政府と同じです。まだ、日本政府の方が対応しているくらい。
自分たちを自己正当化するのは、韓国の政府も裁判所も政党も同じです。ただ徴用工問題を訴える弁護士さんが、ベトナム人の訴訟を引き受けていると
聞くと、この人は信用してもいいのでは、と思いますが。
さて話し戻して、ベトナム戦争中に非公式に、自衛官が戦闘経験を積むために、選抜されて派遣されていた、という噂が存在しています。現時点では、明確
な証言は出てきていません。またゲリラ戦に対応するため、中国で戦った旧日本陸軍の経験者に米軍が情報提供を求めた、という話もあります。
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歴史番組を見ていまして
(書き込み数 : 46)
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紋章官
:2022/06/01(水) 20:59:17
- 6月に入りました。早いもので、このあいだコミティアが終わったなあと思っていたのですが。つぎは夏コミの当落通知まち。しかし、不振続きで新刊の筆が進まない・・
それにしても歴史系バラエティの多いご時世。同じ内容の繰り返しも多いところ。もう少し、踏み込みをお願いしたいところですが、まあ、時間や予算の制約があるので
仕方ありません。とはいえ、最近、やたらと世界同時中継番組で、エジプトとアンデスでミイラ調査ショーがよく続くこと。両方とも、背後には観光客誘致のために
観光宣伝部門が絡んでいるのは想像できます。なにしろ、観光需要の重要性は今回のコロナで日本国内でも幅広く認識されたと思います。
他に産業のある日本でもインパクトがあるのですから、産業の乏しいエジプトやペルーなどで観光収入の重要性は日本どころでない、重要な位置を占めることを理解する
ことは容易でしょう。さて、その中、本格的な発掘に資金提供するとの事。アンデスのルパック遺跡との初耳の遺跡。映像から、いわゆるインカ帝国と称される統一
政権以前の建物とわかります。このあたり、かつてTBSが資金提供してシカン遺跡発掘を行った事を思い起こさせます。他にも昔々、その昔、日本テレビでは
エジプトでミニピラミッド再現実験を行っています。NHKでも衛星映像による探査でのエジプト発掘。この場合、技術と共に資金援助を行ったものと思われます。
他にもNHKはキトラ古墳のファイバースコープ調査、ここに関わっています。日本テレビは発掘以外に、長期ドキュメント、バチカンのシスティーナ礼拝堂壁画修復
工事ドキュメントをしていますが、これも寄付金あればこその話。こうしてみると、昔はNHK、民放と豊富な資金力をもとに遺跡調査など活動をしていたのが分かります。
それに提供金額など、番組内でいう事もなかったし。シカン遺跡調査はきっとトータルで数億単位かかったかと思いますが、どうなのでしょうか。まあ、その後の展覧会
などで取り返していると思いますが。それでは
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40
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紋章官
:2023/06/21(水) 20:48:25
- 今日は夏至、一年で一番日が長い、それで涼しい、助かるなあ
昨日、本能寺の変の番組を見ていました。明智光秀が武田家と繋がっていた、ですか。そういう話ですか。とみていました。
そして本能寺も従来考えられていたより、規模が小さかったとのこと。とはいえ、今回の紹介で一番、興味を持ったのは、明智光秀が
鳥羽に向かった事。明智軍以外で、近畿にまとまった兵力が大坂にしかない、とのことで、そこへ逃走するのを塞ぐとは、納得した
ところ。そうなると、織田信忠が仮に近江方面へ一目散に逃走すれば、十分助かり、柴田勝家と合流すれば、はたして羽柴秀吉の
天下はあったのか、興味深いIF状況となります。
また穴山梅雪は、このとき徳川家康と共に上洛していますので、その口封じに殺した?とも解釈できます。なかなか面白い話です。
なんにしても、明智光秀単独犯行説、それも精神的に追い込まれての実行説でまとめていました。これには同意見で、本能寺の変後に
弁明のような書状を膨大に送りだしている事から、どう考えても計画的犯行とは思えないのが個人的感想なんです。それではまた
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紋章官
:2023/06/30(金) 20:12:17
- 今日で六月も終わり、一年の半分が終わりました!それよりコミケまでの時間の方が問題!あと8日しかない!というのは、休日でコミケ
原稿に取り掛かれる日にちの数!自治会やら、車の修理点検やらで丸一日つぶれる日が多い!そのうえ、この8日も買い物やらなんやら、
半日とられる日が多い!間に合うかな~新刊。その上、コピーもある!
歴史番組ではありませんが、せんだって古美術品の復原師の番組をやっていました。それに新書籍で世界の贋作に関する本が発売されていたり。
このあたり、自分の趣味の世界でもなじみのネタなので、身近なものです。こう言っては何ですが、偽物と復元と真贋問題は常に絡みあいます。
最近はやりのクローン美術品などは極めたものです。本来、傷物を綺麗に復元する、再生する。壊れたものを元の姿に戻したいと思うのは
人の情。なにしろ、この手の復元、再生は昔からあります。有名なのは本能寺、大坂落城と災難続きの砕けた初花は江戸時代、破片を繋ぎ、
表面に漆を塗って、もとの色合いに仕上げ、再生させたもの。刀剣でも、大坂落城で焼け身になった刀剣を再刃したものもあります。
このあたり、復元なのか、別物なのかとの論争もあります。それは史上最高額で落札された絵画「サルバドール・ムンディ」も純然たる
ものではなく、復元者による創作品との論にもつながるところです。まあ、なんとも面倒なものです。
まあ、ヤフオクなどで、物はいいのに、偽銘が切られて偽物にされてしまう良品もありますので、このあたり消して無名の良品として
再生できればと思うものですが。それでは
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紋章官
:2023/07/14(金) 20:46:30
- 明日はコミケカタログ発売日!すでにコミケまで1か月を切りました!朝顔市、七夕、ほおずき市、そして明日の朝は博多祇園山笠、17日
には祇園祭り山鉾巡行前祭!さらに花火大会も帰ってくる!月末の29日は隅田花火大会!遊ぶネタが多すぎる。原稿、あきらめよう・・・
さてNHKで日ユ同祖論を取り上げていました。このネタかあ。発音でいうなら、なんで、日本語とギリシャ語だけ、船の「錨」をイカリと
呼ぶか、という話もあるくらい、似たものを探すと、あちこちと似ているものは多い。
コミティアで頒布した「再考 日本のピラミッド」では、同じような目的の構造物は似てくることに触れました。
まあ、紹介するのにイメージしやすいものを用れば、そうなった、というだけの話。どこか架空戦記にも通じます。
人類学上の有名な「イブの仮説」を使えば、世界人類皆兄弟!となります(極論か理想主義かで、使われそう)
さてトンデモ説の日ユ同祖論、大日本帝国がナチス・ドイツ政権と同盟関係を結んだことで下火になったことを紹介していますが、一方で
このトンデモ説のおかげで、日本に逃れてきたユダヤ人に同情する人もいて、元来、キリスト教の底流に流れるユダヤ迫害思想とも無縁
だったこともあり、日本はあまり、この件で手を汚さずに済んだとも言われています。
同時期、英米などではユダヤ人亡命者に紛れてスパイの侵入を懸念、亡命者受け入れに消極的だったことが知られます。だいたい、ドイツ
政府もビザを出さないし。一方で日本の方は、スパイを心配する事もないし、ドイツ政府も日本へのビザ発給については同盟国の手前、
制限もしなかったと言われます。出し渋りはあったようですが。ただし、杉原千畝など外交官の個人的行動をのぞけば、日本の外務省が
積極的に動くわけがないのは、当たり前のコト。
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紋章官
:2023/07/21(金) 20:24:04
- 暑さ一服、雨もまずは一息。これ以上の被害が出ないように願うばかりです。
大河ドラマが本能寺。なるほど、新解釈がでてきたなと感心するところです。ドラマなので大胆に解釈していいんです。なにか、よく史実と
違うとつっこみがありますが、歴史はフィクションであるとは、歴史作家塩野七海先生の名言。また歴史ドラマの経験豊富な山本耕史さんは
演じるにあたり、実際をみていないのだから、想像でしかできないと大奥番組で語られていました。別に検証番組じゃないのです。
そう考えると事象を元に、可能性を考える手段として、このような時代劇はいいのかもしれません。今回、お市の方と家康の縁組案、三河
一向一揆の武田家の工作、考えてみれば、そういう案があってもおかしくない、というものが出てくるのが新視点。この点、想像性の有効
利用というところでしょう。さて、本能寺の変、この間、新説で明智光秀は武田家との裏交渉を担っていた事での、信長暗殺という説が
紹介されましたが、さて、これもどう考えるのやら。一方で、明智軍にいた武士が後年語った話、本能寺に攻め込むまで、てっきり家康
を討ちいくのかと思っていたという記録は大変、興味深いものです。さて、どのように描かれますか、一方で、その先の伊賀越えの成功は
もう準備されています。何しろ、家康は信長暗殺のため、伊賀者500人を京都に潜ませているのです。彼らが護衛や先導をすれば、
十分、突破可能な事を意味します。さて、服部半蔵の存在で徳川家康と伊賀者の関係がよく紹介されますが、家康は伊賀者よりも甲賀との
関係の方が早かったことが知られます。何しろ、織田信長は伊賀と共に甲賀も攻めようとしたのを、家康がとりなし、甲賀は難を逃れた
とも言われています。そのためか、後に鳥居元忠と共に伏見城に籠城した甲賀者も悉く戦死、そのため家康は討ち死にした甲賀ものの子弟
を取り立て、甲賀与力として召し抱えました。伊賀者は同心。当然、与力である甲賀者の方が身分が上となりますが、実際はかわりなかった
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紋章官
:2023/08/09(水) 19:50:57
- 台風と暑さ、今年もコミケに台風直撃かとひやひやもの。なんにしても、安全第一!みなさん、お気を付けを!
パソコンが修理から帰ってきました。でも、追い込みで手元になかったのは痛かった!という事で、コミケでの新刊は以下になります。
ただいま、築城中!その2
ただいま、築城中!その3
となります。欧州の築城話をあれこれと書いたものです。白水社の中世への旅ー城と騎士が好評重版というので、それにあやかれればと
願っています。パソコンの修理費とコミケ参加費をなんとか補填したいです。なにしろ、ボーナスがない会社なんで・・・それでは~
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紋章官
:2023/08/27(日) 19:50:34
- 暑さにうっかりしていました!今日は日曜日!かきこみわすれていた!
さて大英博物館で収蔵品盗難事件とか、まあ、起きるわな。あまり驚いたことはありません。それも内部犯行のようで、ネットオークションとかで
売りさばいていたとか。まあ、古い大きな博物館だと、正直、収蔵品リストが不完全で紛失しても気がつかれない、と言われます。
なにしろ、厖大すぎる!今回、紀元前の装身具や宝石類といった小物は、一般からすれば希少品ですが、大英博物館にすれば、厖大収蔵品で、注目を
浴びるほどのものではないのは事実。なにしろ、この程度のものは、山ほどあるのでしょう。
だいたい、何年か前に同じロンドンのキューの愛称で知られる王立植物園でも貴重なダーヴィンなどの手になる標本が流出事件がありましたが、
収蔵品は盗まれるのです。しっかり管理しないと!
そういえば、「ギャラリイ・フェイク」でこの事件が起きる前に同様のネタの話があったなあ~
またずいぶん昔ですが、アメリカの陶磁器コレクションを誇る地方の博物館でも盗難が発覚。それも専門家が持ち出していたもので、しかも、その一部を
自分の名前で改めて博物館に「寄贈」していた、という事件もありました。これも収蔵品管理が専門家任せでおおらかだったためです。
こういっては何ですが、収蔵品整理がついていない事で有名なスミソニアン博物館などは、はたして未開封で山と積まれた木箱の一つやふたつ、消えていても
気がつかないでしょう。何しろ、企業で行ううような棚卸はしない、というより、あまりに厖大すぎて手が付けられない、ところを突かれたものです。
一方で、ドイツの博物館は外部による盗難で、ケルトの金貨400枚あまりが盗み出され、その一部が溶かされてしまう事態!こうやって古代の金銀は喪失
するんだと、改めて思いましたものです。なにしろ有名な先例でデンマークの「黄金の角」と呼ばれる純金製の角盃一対、北欧出土の最高の宝器と言われます
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紋章官
:2023/09/16(土) 08:35:20
- なかなか暑さが収まりません。そのうえ、雷雨、みなさん、お体大切に!
メキシコ展が終わり、今度はローマ展、それから趣味の世界でいくと、根津美術館で龍獅堂コレクションのダイジェスト展が始まります。でも、予約制で
あきがあれば、当日券購入で入場可能とか。昔は刀剣からみの展示会でそんな事、なかったよなあ。これも刀剣女子と海外からの観光客での混雑、それに
ものが小さいので、刀剣や鍔などをゆっくり、見てもらうために、という考えかもしれません。
それにコロナ対策で人数制限の予約制が一般化。正直、パソコンで予約になるので、そういう場合、なんだかパソコン弱者切り捨てみたいで、足が遠のいて
います。目立たない、アイヌの衣裳展などはそんな事もなく、ゆっくり入れましたが。気軽に博物館へ行けるのが一番です。
とはいえ、とうとう特別展入場料2000円超えも普通になってきました。博物館も金持ちの楽しみになるのかな?ここに欧米の博物館と日本の博物館の
運営上の成り立ち、思想で異なる点があるのですが。それはまた次回。今日は、これから城熱祭というお城物のイベントを見てきます~それでは~
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紋章官
:2023/01/04(水) 17:07:57
- 新年おめでとうございます。年末のコミケも無事終了。今回は2日間で18万人とのこと。1日当たり9万人。ほぼコロナ前の水準になってきたようです。2020年
12月のコミケでそろりそろりと再開して1年、やはり今回、落選したのは辛かった・・・次回申し込みの金や親へのお年玉が・・・
さて好評のうちに鎌倉殿の13人は終わり、いよいよ「どうする家康」が始まります。なんだか楽しそう。松重さんが出てくるので、やたら飯にうるさい石川数正を
期待するところです。それに早速NHKの番組は大河番宣に、お城番組などを繰り出しています。とはいえ、昨日の番組は突っ込みどころ満載。まあ、久能山城などを
紹介したのはいいのですが、昇太師匠、諏訪原城推しはわかりますが、盛るのはほどほどに!お城エキスポで諏訪原城ブースでの写真撮影を見ていましたが、
ほどほどにお願いします。駿府城のコメントも日本の首都が2つって、あの、一応、政治の中心が駿府と江戸ですが、儀礼上、厳密な意味での首都は天皇のいる京都
なんです。征夷大将軍はあくまで朝廷の官位であり、天皇の臣下なんです。それでいけば、江戸も駿府も武官である征夷大将軍や、その隠居所でしかないんです。
そこは注意してください。とはいえ、日本は世界史上、極めて珍しい天皇を中心とする儀礼の京都、征夷大将軍を中心とする政治の江戸、征夷大将軍が
管轄するとはいえ、豪商たちによる経済・流通を握る大坂と三都分立が形成され、200年の太平を謳歌します。
これは首都の肥大化、もちろん、江戸は京・大坂より人口が集中、肥大化しますが、ただし、これも諸大名の江戸屋敷に参勤交代で赴任中の人口が大きく、これを
のぞけば、3割程度は減るとされますので、言われるほどは集中・・・していますね。それでも50万は越えるでしょうから。だめか、どうしても突出した巨大都市
が登場するのは避けられないようです。それでも、極端な一極集中よりは、人や物の動きの分散化する効果をもたらし、国内での人の動きを刺激したと言えます。
それでは今年もおつきあのほどをお願い申し上げます。
-
19
:
紋章官
:2023/07/19(水) 19:58:29
- 季節ですねえ。コミケカタログ発売!まだ購入していません。微妙な時期、秋葉原だと時々、売り切れの時期があるんです。
他からの取り寄せ入荷と販売の隙間で、時々あるんです。今度の土曜日、購入に行こうかと思うのですが、あるでしょうか?
さて博多祇園山笠、そして京都の祇園祭山鉾巡行前祭がおわり、次は山鉾巡行後祭!なーにが楽しみと言って、大船鉾と鷹山の装飾の進捗が
見れる事です。休み山からの復活、ご神体を供奉しての行列参加、踊りや囃子の復活、そして華装品や蒔絵もない白木の山や鉾で参加、
それから毎年少しづつ仕上げていく。まさに数十年、世代を超えた再建事業です。とはいえ京都以外でも祭りはあるのです。
各地のお祭りにも目を向けましょう!それでは
-
20
:
紋章官
:2023/07/19(水) 19:59:05
- 季節ですねえ。コミケカタログ発売!まだ購入していません。微妙な時期、秋葉原だと時々、売り切れの時期があるんです。
他からの取り寄せ入荷と販売の隙間で、時々あるんです。今度の土曜日、購入に行こうかと思うのですが、あるでしょうか?
さて博多祇園山笠、そして京都の祇園祭山鉾巡行前祭がおわり、次は山鉾巡行後祭!なーにが楽しみと言って、大船鉾と鷹山の装飾の進捗が
見れる事です。休み山からの復活、ご神体を供奉しての行列参加、踊りや囃子の復活、そして華装品や蒔絵もない白木の山や鉾で参加、
それから毎年少しづつ仕上げていく。まさに数十年、世代を超えた再建事業です。とはいえ京都以外でも祭りはあるのです。
各地のお祭りにも目を向けましょう!それでは
-
21
:
紋章官
:2023/07/19(水) 20:00:10
- 季節ですねえ。コミケカタログ発売!まだ購入していません。微妙な時期、秋葉原だと時々、売り切れの時期があるんです。
他からの取り寄せ入荷と販売の隙間で、時々あるんです。今度の土曜日、購入に行こうかと思うのですが、あるでしょうか?
さて博多祇園山笠、そして京都の祇園祭山鉾巡行前祭がおわり、次は山鉾巡行後祭!なーにが楽しみと言って、大船鉾と鷹山の装飾の進捗が
見れる事です。休み山からの復活、ご神体を供奉しての行列参加、踊りや囃子の復活、そして華装品や蒔絵もない白木の山や鉾で参加、
それから毎年少しづつ仕上げていく。まさに数十年、世代を超えた再建事業です。とはいえ京都以外でも祭りはあるのです。
各地のお祭りにも目を向けましょう!それでは
-
22
:
紋章官
:2023/07/19(水) 20:00:10
- 季節ですねえ。コミケカタログ発売!まだ購入していません。微妙な時期、秋葉原だと時々、売り切れの時期があるんです。
他からの取り寄せ入荷と販売の隙間で、時々あるんです。今度の土曜日、購入に行こうかと思うのですが、あるでしょうか?
さて博多祇園山笠、そして京都の祇園祭山鉾巡行前祭がおわり、次は山鉾巡行後祭!なーにが楽しみと言って、大船鉾と鷹山の装飾の進捗が
見れる事です。休み山からの復活、ご神体を供奉しての行列参加、踊りや囃子の復活、そして華装品や蒔絵もない白木の山や鉾で参加、
それから毎年少しづつ仕上げていく。まさに数十年、世代を超えた再建事業です。とはいえ京都以外でも祭りはあるのです。
各地のお祭りにも目を向けましょう!それでは
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23
:
紋章官
:2023/07/28(金) 21:21:11
- パソコンが充電しない・・・コンセント、アダプターはちゃんとついているのに・・・故障?コミケの新刊追い込みが・・
さて英雄たちの決断で里見義堯、義弘親子を取り上げていました。ただし、いろいろとつっこみ放題!曲亭馬琴はいわゆる
八犬伝を執筆にあたり事前に里見家や関東公方などかなり調べたと言われています。現在でも塩野七生先生、亡くなった方
でも司馬遼太郎先生や永井路子先生などは取り上げる題材のため、膨大な資料を調査されます。
そのため、司馬先生が調べ始めると、神田神保町の古書店からその分野の専門書が消え去る、と言われました。
漫画化でも星野之伸先生も以前のNHKの浦澤直樹先生の漫画家訪問番組で紹介されたように大量の資料本を納める書庫を
おもちです。そいう事で昔から調べるのは普通。それに江戸時代は好事家、郷土史家の元祖の様な人が彼方此方にいて、
地元の故事古跡を調査して書物にまとめる事が行われていました。これも天下泰平が続き、経済的余裕を持った地方の豪農
商人、僧侶、神官、医師などが、知的好奇心のもと活動したのです。有名な「北越雪譜」も、その系統に入るものです。
さて最後に、里見家は安房一国5万石の大名から改易、倉吉5千石に移封されました。最後の当主は、そこで地元に溶け込み
ささやかな統治に務めましたが、25歳で病死。嫡子がなく、そのまま取りつぶし、また倉吉で殉死した家臣8名。
これが八犬伝の八勇士の人数の由来になったものです。そんな話もありました、というところ。それではまた。
-
24
:
紋章官
:2023/08/30(水) 20:08:03
- 8月もおわり、コミケの申し込みも済ませ、一息というところ。はたから見ていまして、ローマ・カトリック教会も謝罪を行った事例をもみ消せると思い込ん
でいた芸能界と報道機関、だんまりのアイドル達は冷笑するしかアリマセン。
さて柄でもない話で始まりましたが、これもご時世。今日はNHKBSの英雄たちの決断で、石川数正の出奔事件を取り上げるそうです。
ナレーションが現在、石川数正を演じている松重さん!まさか、登場するのかな?この事件、昔から、様々な説が入り混じっています。間違いなく、
その時点で本多忠次と石川数正は徳川家臣団の二本柱。その片方が、敵方に出奔してしまったのですから、徳川家康は家臣団の動揺をおさえ、
再編成に追い込まれました。
結果論として、徳川家康は豊臣秀吉に強硬策が取れなくなり、臣礼へと繋がっていきます。同時に、最有力家臣の一人、それも家康より年長者が
いなくなったことで、結果的に家康個人の主君としての地位と権限が高まったといえます。
なにしろ、掣肘できる重臣、それは家康にかわり政務が取れる実力と権威を持っていたというえる存在がいなくなったのです。もちろん、その事で
残った本多忠次の地位が高まりますが、石川数正の出奔で逆に身を慎む行動をとらざるを得なくなる。その点で行けば、石川数正出奔は家康の天下取り
の過程において、桶狭間、浜松城主、三・遠・駿・甲・信濃南半分を押さえ時、そして関東移封と共に画期を区切る事件でした。
さて、今回、どのように紹介されるのやら。それでは
-
25
:
紋章官
:2023/09/08(金) 20:06:46
- 大雨お見舞い申し上げます。あまり被害がでないように祈るばかりです。
法隆寺の駐車場の植え込み、掘ってみたら古墳だったというニュースに続き、桜井茶臼山古墳出土の鏡の破片を調査したら実際は103枚分という桁外れの
数値が出てきました。まさに魏志倭人伝に記される卑弥呼がもらった銅鏡100枚が現実の数値として示されたのです。
この鳥見茶臼山古墳。陵墓参考地に指定されていませんが、初期ヤマト王権草創期の名前の残らない「大王」の墳墓です。そうでないと説明がつきません。
形として、箸墓、西殿塚に続く古式な姿を持ち、メスリ山古墳と共におそらく、ヤマト盆地の各所の有力者が順次「大王」として存在した証と考えられます。
そうでなければ、相前後して突出した古墳が別々に営まれるなど、造営の動員人数を考えれば、個別勢力とは言い難いところです。
但し、そこで墳丘の規格で茶臼山系統と西殿塚系統に分かれており、その意味合いを含め興味深いものです。とはいえ、この地域での大王陵は、茶臼山、
メスリ山の2つで断絶、再び箸墓地域の行燈山などに移動、次に奈良北部の佐紀盾並古墳群へと移動、また大阪平野に舞台を移します。
なんにしましても、大王陵草創期に相次いで営まれる巨大古墳。魅力的です。やっぱり初期古墳、研究したい~それでは
4
心あるものよ、墨を入れよ
(書き込み数 : 11)
-
1:
紋章官
:2019/03/15(金) 22:08:32
- 今年も震災の日が過ぎていきました。あの日、何が起き、何を見たのか、思い返すことは必要です。そして、その教訓も。
それだけに大阪の津波被害を伝える石碑に刻まれた言葉を思い返します。
「心あるものよ、墨を入れよ」
時間経過とともに経験が風化、石碑に被害内容を記録していることが分かるように、読み返すように、刻まれた文字に墨を入れて
決して忘れるな、と戒める締めの一言。
この戒めはあまりに重い。美辞麗句、虚礼虚飾も何もない、ありふれた言葉ながら、なんとも重い響きを持っています。
震災より8年、この言葉の意味の重さと、あらためて言葉の力を思い知らされます。みなさんはどう思われますでしょうか?
-
5
:
紋章官
:2020/08/17(月) 16:19:42
- コロナと猛暑の中、今年も8月15日が過ぎていきました。歴史はフィクションではありません。その日その時にそこで起きた事柄であり、経験した人々がいた、という
事を忘れてはいけません。
敗戦以来75年、記憶が歴史に変わりつつありますが、まだまだ継続している事象も少なくありません。その日は考えるきっかけです。そして現在、経験中のコロナの
影響。緊急事態宣言発表日と解除日。後に振り返ったとき、どのような評価と記録がされるか、そしてどう語るのか、また考えさせられるところです。
とはいえ、1月の書き込みの中でパンデミックの危険性が高まっているといわれていると書いたら、それが1か月も立たずに現実化、そして現在進行形でこのまま
年越しを覚悟しておりますだけに、次のこの書き込み時には収束のめどが立っている事を願うばかりです。
さて皆さんは、このコロナの日々の経験をどう伝えますか?それでは
-
6
:
紋章官
:2021/03/12(金) 17:18:37
- 10年目の日が静かに過ぎました。あの日、目に飛び込んできた映像を忘れる事は無いでしょう。
風化が言われるようになり、その記憶を忘れないように心する時期になっているかと思います。
ただ、あの衝撃を癒すのに、忘れるのも手だてかとふと思わない事もないわけではありません。しかしながら、決してあの日、何が起きたか、その教訓を
忘れてはいけないものです。そして時間と共に教訓が忘れられることを懸念した先人たちが被害を記録した碑文に、刻んだ戒めの改めて思い起こすところです。
「心あるものよ、墨を入れよ」
-
7
:
紋章官
:2021/06/04(金) 20:02:13
- ひとまず雨の峠は越えたようです。まずは大きな被害が出ていないことに感謝するところです。さておりしも島原普賢岳大火砕流より30年。災害を考えるのに改めて
考えるところです。10年前、東日本大震災直後にNHKではその時のドキュメント番組を放送しました。さすがに折も折とのことで、放送実施を慎重に検討しての放送
でしたが、同時の映像とドラマを織り交ぜたもので、火砕流発生時の緊張感は大変なものがありました。とはいえ、その番組を制作に踏み切るのに当事者が口を開ける
ようになるまで20年の時間が必要だった重みをまた感じるばかりです。「普賢鳴りやまず」との書籍がありましたが、このタイトルの重みはなかなか迫るものが
あります。さて10年後、震災20年の時に、どのような証言番組が制作されるのでしょうか?それでは
-
8
:
紋章官
:2021/12/08(水) 20:02:18
- 季節外れの強い雨。冷え込んでも来ていますので、皆さん、お体にお気を付けを。
さて本日は12月8日。太平洋戦争開戦80年を迎えました。そのため先週からNHKは特集番組続き。幸い、国内でのコロナが落ち着いていますので、歴史の節目
である、この日を考え直すによいタイミングと思います。しかし、まだ真珠湾経験者の方でご存命の方がいるとは。もちろん軒並み100歳代。
しかし、開戦50年目だった1991年はどんな番組があったのでしょうか?その頃はまだまだご存命の人もいたでしょう。
そして次の区切り、開戦90年目の時、どのように論証されるのでしょうか?歴史を学ぶ上で、その意味と内容を考え直してみませんか?それでは
-
9
:
紋章官
:2022/03/11(金) 21:29:31
- 今年も震災の日が来ました。一昨年来、コロナで慰霊式もままならないなか、今年に至ってはウクライナでの戦争。静かに鎮魂と災害時の備えを見直す日で
あるはずが、なんとも嘆かわしいものです。
さて、11年目にくしくも同じく金曜日。今日もあの日と同じく、勤務先から遠回りですが、同じルートを歩いて帰ってきましたところです。あの日と異なり、
なんとも暖かい夜。すこし曇っているのか、ぼんやりした月を眺めながら歩いてきました。11年たちますが、家並みに殆ど変化はなく、途中にあるコンビニや
ラーメン屋は変わらず店を開いています。変化しないことは停滞と否定的に言われますが、変わらぬ事に、見慣れた風景があることにホッとするのも事実。
変わらぬことは、感謝する事でもあるかもしれません。変わること、変わらぬことを一度、問い返してみませんか?
-
10
:
紋章官
:2023/03/10(金) 20:32:35
- 干支が一巡り、ウサギ年の3月11日を迎えます。昨年に続き、今年も暖かい夜。あの夜、冷え込み大渋滞で明るいメイン道路から外れ、停電で
暗闇の住宅地、その中、見上げると広がる降るような星空。あの夜空はなんだったのか。決して忘れられない一夜。
先ごろのトルコ・シリア大地震にて、改めて自然災害の凄まじさを思い知らされたところです。東日本大震災のあと、誰だったか、ハリウッドの
監督が大津波の映像を見た時、「自然災害は自分たちの作る(災害)映像の想像力を越える」と言ったとのこと。
一方で今日は東京大空襲の日。一夜で10万人が殺された日です。死者数で人の愚行が時として自然を越えることがある。
それだけに、大空襲と大津波、それを連続して考えることになる2日間、問い直す機会としませんか?
-
11
:
紋章官
:2023/09/01(金) 20:30:44
- 関東大震災より100年。大地震後の大火災、さらに流言飛語による朝鮮人などの虐殺事件。大震災の教訓は極めて厳しいものです。
本年、その中で、千葉県で生じた行商人一行殺害事件を取り上げた「福田村事件」が書籍化と同時に映画化。封切られました。この事件、詳細を
初めて今回の書籍で知りましたものです。以前の書き込みで、千葉県で行商人一行が殺害された事例がある、とは書きましたが、その時、把握していたのは
四国からの行商人一行とまでで、それが妻子、身重の女性や幼子まで殺害していたのを初めて知り、あまりの事にため息しかでません。
地元民が隠蔽、消し去ろうとするのも当然で、どこぞの芸能事務所と同じです。ただの因縁をつけての強盗殺人か、と罵りたくなります。
とはいえ、その場の興奮状態をどう考えるか、こうなると常に仲間外れでも、こういう場合に冷めた目で一歩引いていられるようにいないといけないと
思いますが、実際、どうなるのやら。また、ため息しかでません。さて、今回の福田村事件の書籍も在野の女性研究者が丹念に調査、まとめたものです。
ただ、頭が下がります。さて他にもに日本人が、このように殺された例があるそうで、こうなると、単なる集団暴力でしかありません。
なんにしても、これらの事件の教訓はあまりに重い。災害時にいかに、周囲に流されず、冷めた目でいられるか、心しましょう。それでは
5
ただいま築城中!LEGOブロックを楽しんでいます
(書き込み数 : 31)
-
1:
紋章官
:2021/11/12(金) 21:01:06
- 今度の土日は七五三!あちこち神社はにぎわいそうですね。見物に行きたいなあ。さて21日のコミティア、参加される方、いますか?見物に行けるかと思いましたが
家事都合で断念確定・・・せめて酉の市くらいは見物できるといいのですが。それにしても先週のヴァイオレット・エヴァーガーデン。デザインよし、作画良し、
ストーリーよし、音楽よし、いい作品ですねえ。それだけにテレビ放送版編集版は多少、無理が見える。素材が良すぎるだけに、もったいない!それとテレビ版の
オープニング曲をなんでフルで流してくれない!いい曲なのに。
さてここにきて、久々にLEGOブロックで遊んでいます。でも、キットを購入したわけではありません。昔、購入したキットの部品があって、それを取り出して、自由に
組んでおります。ブロックの良いところは、プラモデルのように設計図にあわせてしか組めないのと異なり(もちろん、器用な人は部品を自作して作り上げますが)、
好きに組み上げ、またばらして変えていけるところ。ただ、昔と異なり、ネット販売やメルカリなどでバラ部品も購入しやすくなり、より自由度があがった気がします。
ただ、ときおり見ると、割れてしまって廃棄した城の土台がえらい値段でメルカリに出ていたりすると、なんという失敗を!と悔やむばかり。とはいえ、LEGOの西洋の
城はやはり、欧米のものは欧米の方がうまく処理しているので、手際がいいキットがあります。ただ、だんだん、転用できない部品が多くなっていったのは大閉口。
マジックとかロイヤルなどとつき始めた頃のキットは首をかしげるばかりです。さて、それで自作でお城を組み始めたはずなんですが・・・それではまた。
-
25
:
紋章官
:2023/04/28(金) 20:02:40
- いよいよ週末から連休前半が始まります!というより来週金曜日は5月5日のコミティア開催!いよいよ約束の日です!先週、カタログを
買いに20年ぶりに池袋のアニメイト本店へ行きました・・・・どこの大企業のオフィスビルかと思うような威容!その昔、サンシャイン
60の向かいの雑居ビル1階に店舗があった時代を知る身には、浦島太郎状態!ビックカメラやヤマダ電機よりも威容を誇る。あー驚いた。
さてレゴで築城中!昨年、神殿を展示しましたので、今回はお城でできた部分を展示します。そこそこに見栄えがよくなりましたので、
門と塔を持ち込んで展示します。それに急に気が向いて、少し切り口を変えました欧州お城本を新刊で作りましたので、それも持ち込み
販売予定です。レゴの築城本ならよかったのですが・・・それではまた。
-
26
:
紋章官
:2023/05/06(土) 08:36:04
- コミティア、おつかれさまでした~当サークルへご来訪の皆さま、ありがとうございました。
歴史系の皆さんには打ち上げは先に上がらさせていただきましたが、あの後も楽しまれましたか?
今回、人通りというか来客数が戻ってきたのか、昨年30枚のチラシが余りましたが、今回は全部なくなり、一昨年のコミケでのチラシの余りを
使ったようなところです。ほっと一安心。とはいえ朝からお隣が不在(欠席)、反対側のお隣さんも遠路帰宅との事で、お昼過ぎに帰られ、気がつけば
両側が空きまして、これ幸いと、展示していたレゴのお城を移動させて広々!そのうち、合同か展示申し込みでテーブル1本借りる時が来たら、もう少し、
お城のパーツを持ち込み、広ーく展示しようと思っています。オリジナルのお城なんで、好きな人に目を引いたようで、撮影していく人や、おしゃべり
しまして、お城作りの方法の相談したり、昨年の神殿よりは目を引いたようです。
このお城、部分部分で分解できるので、コミケでは別バージョンを持ち込もうかと思っています。しかし、テーブル1本まるまる使えると広いなあ~
お城が分解式になっているのは、家では全部並べられないので、必要に応じて部分、部分だけくみ上げているんです。まだ未完成なので、築城中ですが、
それでも全部を見るのは家では難しいところです。本を置かなくても、この調子だと机1本はまるまる使う事になりそうなので、コミティアしか展示
できそうにないんです。やれやれ、とはいえ、いい情報も得られました。さて、次回の展示の時にお城が進化しているか?そのためには、資材費のため
築城本「ただいま、築城中!」の売り上げが伸びないと、資材費不足で築城が止まります?(笑)それではまた
-
27
:
紋章官
:2023/05/12(金) 21:17:03
- 早いもので、コミティアから1週間、先週来、地震と雷雨。被害にあわれたかたにはお見舞い申し上げます。
さてレゴで築城中。なんだか、このネタが気に入り、もう続編の文書だけ出来上がった・・・なんででしょう?一方で部材難は続き
メルカリで落とすのもままなりません。ここのところ、あまりいい出物がない。こういう時は慌てずに前に作ったものを分解して
再利用するだけ。本物の欧州の築城みたい。日本の城の石垣で転用材が知られますが、欧州の城も多いのです。
使われなくなった家屋、建物、城郭から石を運んできて、新しい城を築く。なにしろローマ人の植民都市の石材も使うのです。
むしろ、格好の石材調達先だったかもしれません。それだけに築城ネタも実感がわいてきます。
部品購入費や部品の出物がなければ解体して流用。まんまやっている感じです。それではまた
-
28
:
紋章官
:2023/06/02(金) 18:55:40
- 台風と共に6月に突入、大雨と強風、皆さま、安全第一、お気をつけて!
レゴで築城中~コミティアで展示したお城の拡張工事!すでに別に作ってある居館とどうつなげようか悩んでいます。作り方をかえた
ので、どの部分と合わせようか、なかなか取り合わせが難しいところです。知り合いなど、これで城郭都市にしてしまえ、と言うので
すが、なかなか、そこまでは難しい。主塔と居館で主郭と別郭を作るのが限界と考えています。
それで区画別に作り上げることになりますが、いずれにしても部品が足りないのは確かです。どうしたものかな~設計図なしで城作り
というのもなかなか悩みのところ。平城より、山城風に傾斜や段違いにしたいのですが・・・それでは
-
29
:
紋章官
:2023/06/24(土) 01:03:42
- 夜の涼風もだんだん弱まってきました。その上、湿気もある。原稿を進めるのに辛い時期になってくる、コミケに向けて新刊があ~
レゴで築城中~コミケに当選したので、築城工事は止めたいのですが、そもそも机の上に、でんとお城が聳えていては、そうもいきません。ただ、行き詰まり
どう組んだものか悩み中・・・ただ、部分部分で接合、分離できるので、組み合わせ次第で姿が変えられるので、そこで組み替えて楽しんでいます。
そのためコミティアで展示した状態とまた違った姿を見られます。どの組み合わせがいいのやら。しかし、部材追加でいい出物があったのに、先を越された・・・
お城系統の部材は競争が激しいなあ~それではまた
-
30
:
紋章官
:2023/07/07(金) 19:53:34
- 今日は七夕!入谷では4年ぶりのあさがお市、そして9日からは浅草寺でほおずき市。初夏のお祭りが次々開催!今年はどこも賑わいそうだな~
LEGOで築城中!部材難とコミケ原稿追い込みで工事中断中!ところが、そこでニュースが。LEGOで姫路城!以前のレゴニンジャやショーグンの
城とは異なり、しっかりしたものです。さすがにミニフィグは入りませんが、大天守と小天守の天守郭を見事に再現!これはいいわ。
去年のライオン騎士の城はすごいですが、こちらも飾るのにちょうどよい感じ。幸い、まだ発売まで時間がある!コミケ原稿にいそしまないと
いけません。どうにもさぼり症が身について、筆が進まない・・・困った、いくらコピー本とはいえ、限界がある。それでは~
-
31
:
紋章官
:2023/08/18(金) 20:44:18
- 猛暑やら台風やら、台風がそれても大雨で新幹線が混乱。なんともあわただしい1週間でした。まずはコミケ、お疲れさまでした。まずは当日、当サークル
に来ていただき、ありがとうございました。
さて展示しましたレゴの城。本よりもレゴの城の撮影される人の方が多かったですが、その分、おしゃべりできたのか。冊子のタイトルにもしましたし、
これもクラウドファンディング(?)とネタにしましたが、レゴで築城中。すこし部品購入費に回せそうなので、冬に向けて築城を進めようと思います。
さて築城しながら、よく他のオリジナルのお城や昨年、発売されたライオン騎士の城などを見ながら思うのは、どうすれば、あのように可動をうまく
作れるのか、というところ。ライオン騎士の城は、あれでコンパクトと広げた時に広がりがありますので、やはりプロが考える販売品は大したものだと
思うところです。何しろ、あの大きさでまとめるのですから。こちらは建屋や城壁を修正するたびに拡大してしまう。
まあ、外門と内門で段差もあるので仕方ないところはあるのですが、その奥の建屋や他の塔をどうするか悩みのところ。
そうでなくても、おき場所がないのに・・・さて、次の展示するときにはどうなっているのか。冬なら天気の心配もないから、パーツは多く持ち込め
るので、もう少し広く並べたいなあ・でも所詮、1スペース・・・オンライン申し込みでテーブルひとつ丸ごと占有しないとだめかなあ。それではまた~
6
よもやま話2022ー鎌倉殿13人も含めて
(書き込み数 : 33)
-
1:
紋章官
:2022/01/08(土) 09:13:23
- 七草粥を食べて無病息災!しかし、1週間でこれほど変わるとは。にわかな雪とコロナの急増!これがコミケ直前だったらどうなった事やら・・・大晦日、多少
雪が舞った程度ですむ強運ぶりに驚くばかり!さて夏はできるのやら。
いよいよ大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まります。主人公、北条義時。今回は子供時代は省略、源頼朝が流罪でくる時期からさっさと始まる。
麒麟が来るでも成人した明智光秀から始まりましたが、その方が話が早く進んでいいところ。さて鎌倉へ行くと面白い事があります。大蔵幕府あとの背後、
伝源頼朝墓所と法華堂跡。そして尾根を越えて伝北条義時墓所とされるやぐら(現在、落石中でいけない)と法華堂跡の削平地。この義時法華堂跡の
後ろに長ーい急な石段があり、昇りつめると大江広元、毛利季光、そして島津の墓所のやぐらが3つ並ぶ。
言うまでもなく大江広元から毛利季光に連なる子孫が安芸毛利家として倒幕。その墓所に並ぶのが島津家のやぐら。なにか薩長同盟が昔から準備されていた
ような感じ。なお怪奇スポットで、このやぐらにある亀の背に石碑を載せるものを怪しげに書くものがありますが、これは亀趺碑と言って石碑の形式として
最上位のもの。亀の背に乗せるのは、亀は万年というように長く功績をたたえ、石碑が維持される事を願ったもの。まあ、暗い中で大きな亀の顔があれば
不気味だわな。それで面白いのは、このあと。よく知られるように宝治合戦で敗れた三浦一門は頼朝の法華堂にこもり自害しますが、その三浦氏をまつる
やぐらが義時の法華堂跡の後ろにある。あれ?これは何の皮肉か、いたずらか?それとも義時と三浦氏の協調関係から、慰霊に義時法華堂の場所に三浦氏を
弔ったのか、なんなのか。伝承によるものですが、そのような言い伝えになるのを含め興味深いところです。よろしければ、鎌倉へ行かれたら見物して
ください。義時法華堂跡は頼朝墓のすぐ隣ですが、ほとんど人がいません。また大江広元墓の石段は急でながいので、雪の時や雨の時はやめましょう。
けっこう危険です。それでは~
-
27
:
紋章官
:2022/11/02(水) 20:15:48
- 神保町の古本祭り!賑やかでしたよ。みんなたまっていたんでしょうねえ~ただ、コロナ対策で飲食の出店は無。その代わり、出版社の
ワゴンが間隔をあけて並んでいました。とはいえ、いつも通り汲古書院や戎光祥出版は朝一から人だかり、一方、間隔をあけることで
いつもと場所が変わった出版社は始めは気がつかれずガラガラ、しかし、人がばらけたあとは、いつも通りの混雑。出版社ワゴンセールは
配置図がないので、毎年決まった場所を覚えているので、こういう時は困ります。
さて古墳の話。また間違えていました。山上の碑に記載された「放光寺」は名前の記録があったのですね。それに場所も高崎ではなく、前橋の
山王廃寺遺跡が推定地。このまま群馬の古墳の話。調査、発掘された中には未盗掘古墳もありました。それが観音塚古墳。
戦争中に石室が開かれたとき、土器の壺に酒が残っていた、という伝説すらもちます。この古墳、冠、馬の鞍など豪華な副葬品が伴われるだけ
でなく、珍しい設備が見つかりました。それは、石室内の幕。壁面などに鋲を打ち込んだ痕跡が見つかった事で、石室内に幕を張っていた例が
知られる事となりました。その後の後期から終末期の古墳でこのような幕を張った痕跡が見つかるようになっており、石室装飾か埋葬儀礼で
幕を張ることが広まっていた事が判明しています。もちろん、最初は何の穴なのか、また見つかった鋲も、当初は朽ちた箱があったのか、などと
用途が分からなかったところでしたが。それではまた。
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28
:
紋章官
:2022/11/11(金) 19:04:14
- 今日は中国では独身の日という一大販売祭りの日!でも日本では静かなものです。来週は3年ぶりの大刀剣市開催!規制解除で既に先週から
観光ついでに海外客が来日!刀剣店を回り、観光中です!なにしろ、すでにカタログ掲載品の大半が売約済みになったとか!海外客だけ
ではありません。日本人も次々、動いています。お金がある人がいるもんだ!
さて古墳の話。石室の幕の話をしましたが、石室内を飾る方法として彩色や壁画が施されているものは、あちこちにあります。それこそ
高松塚古墳の四神と人物像に加えて天体図というものは別格としても、様々な壁画や彩色、石刻画などで飾られているものが、各地に
あります。殊に北九州は壁画彩色古墳の宝庫。色彩の洪水とも称される王塚古墳壁画は石室中を彩色で埋め尽くしています。
これらと高松塚、キトラ古墳は一線を画します。というより、彩色壁画古墳の区分けが必要かと思われます。
まずは高松塚、キトラ古墳は飛鳥文化に属し、純然たる古墳文化と別物として扱うべきものでしょう。
あくまで、それらは渡来文化の中での装飾工芸であり、従来の彩色古墳との性格が違うと捉えることができます。それらは古代の信仰と
精神世界の属するもの。それは単純な装飾を越えるものだったといえます。さて、長くなりそうなので、また次回。それではまた。
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29
:
紋章官
:2022/11/18(金) 18:56:39
- 冬コミ、落ちました・・・冬はよく落ちるんです。一方で今日から大刀剣市開催。3年ぶりの開催。賑わっているだろうな~すでに来日中の海外客が
折からの円安で大喜びでカタログ掲載品を買いまくり、店を回っているとの話が聞こえていますので、めぼしいものはもうないのだろうな・・・
さて古墳の話。黒潮沿いに太平洋岸を鹿児島から福島までつながる彩色古墳文化。朱色や同心円を用いる事で一つの彩色文化圏を構成します。
一方で北九州地域、王塚古墳、チブサン塚古墳を代表例に三角鱗状に彩色する文化圏があります。この場合、石室を埋め尽くす彩色だけでなく、
石棺や棺室の表面に彫って施し、その上で彩色する例が知られます。この三角鱗を特徴する彩色古墳文化領域は案外、狭い。先に書きましたように
北九州地域に分布。案外と海峡を越えた山口県や四国では見られません。
この辺り、面白いものです。単純に塗料調達の事情だったのか、何らかの勢力圏を示すのか、同心円彩色文化の広がりと異なり、限定的な存在で
あることが分かります。一方、彩色はしなくても、石室に線刻画が描かれている例があちこちに存在します。この線刻は文化圏というまとまりは
なく、各地で独自に彫られているものとなっています。
そのため山鹿地方の鍋田横穴式古墳群のように太く、力強いものから、ほっそりと壁面に人物や馬、船などがよく観察しないとわからないものが
大半。そのため、調査後に見学者や再調査で判明する事もあるような状態。中には、早くから開口していたので、後世の人物、ちょうどピラミッド
の落書き同様、見物人が記念に文字を彫った例もあり、様々あるものです。それではまた。
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30
:
紋章官
:2022/11/30(水) 20:18:53
- いよいよ11月も終わり。しかし、冬コミに落ち、さらに都合で大刀剣市に行けなかったので、張り合いというか、目標というか、何もなくなり、
気が抜けています。大刀剣市、買えなくてもいいんです。様々なものを見て、それで刺激を受けられれば。それができなかったので、こういうもの
が欲しい、という張り合いもなく、しょんぼりです。仕事も詰まっているし・・・
さて今夜のNHKの歴史探偵は出雲とのこと。古墳では先に弥生時代の西谷墳墓群に代表される4隅突出型墳丘墓をもつ文化圏です。昔、整備途中の頃、
友人連と旅行で見学しましたが、丘陵尾根に連なる墳墓群はなかなか圧巻でした。荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡と案外西谷墳墓群は近く、レンタカーで
まわりましたが、古代出雲首長の墳墓として重要な遺跡。この西谷墳墓、京都の今井赤坂墳墓、福岡の平原墳墓等々、弥生時代は方形台状墳丘が
主流と言えます。その点において、不整形の吉野ケ里墳丘墓は規模、内容から考えると一線を画します。
もちろん、墳丘墓として古式なグループと解釈することはできますが、それでも、あれだけの規模があるのに、南墳丘墓、北墳丘墓共に、不整形と
いうのは、何か墳丘造営の思想に違いがあったとしか思えません。
なんにしてもロマンです。こういう弥生墳丘墓から前期古墳、前方後円墳出現期というが、一番興味がそそられます。規格化して、サイズと多少の
違い程度しか変化のない、中期以降の規格品より、多様な形態をもつ草創期、出現期が一番面白いんです。あくまで個人の意見ですが。
それでは
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31
:
紋章官
:2022/12/08(木) 20:11:48
- 先週、コミケカタログを購入してきました!今度は買えた!それにアニメイトのたまっていたポイントも失効前に使えた!最近は、コミケカタログ
以外、アニメイトを利用する事はほとんどないので、これを逃すとポイントが消えているところでした!しかし、となりの虎の店舗が閉店している
のを見ると、なんとも寂しいところです。
さて古墳の話。多様な弥生墳丘墓から前方後円墳体制とも称される古墳への移行期。その過渡期には、その試行錯誤、もしくは多様性を残した
墳墓が営まれます。代表例は独特な棺室、柱木を多用して、あたかも中国の木槨のような棺室を膨大な川原石で覆う特異な構造を持っています。
また礫を積んだ竪穴式石室に長大な木棺を納め、それに惜しげもなく膨大な朱で覆う、また未盗掘粘土郭が発掘された黒塚古墳の場合、その粘土
郭に多くの石釧を張り付けて呪術的呪い、この場合、死者を根の国に送るため、邪霊が入らないようにしたのか、逆に死者が地上に迷い出ない
ように封じるため行ったのか、定かではありませんが、様々な葬儀の様子が知られます。
それだけに出現期古墳である箸墓、西殿塚、そして行燈山古墳に近接する中円双方墳という、極めて特異な形状を持つ前期古墳、櫛山古墳の発掘
調査を行った場合、どんな埋葬施設が発掘されるか、大変、興味深いです。
この櫛山古墳、形状が特異なだけではありません。何しろ、行燈山古墳に殆ど濠を隔てただけのすぐ上に存在する。見方として、山の尾根筋を
利用して古墳を築造したにしても、これだけの規模の古墳が2つ連なるのは異例です。周辺調査から櫛山古墳の方が後に建設されたとみられて
いいますので、どうしてこんなに窮屈に、それも初期大王陵である行燈山古墳より高い位置に、強引に100mを越える規模、それも全国で数例
しかない、特異な形状の古墳を営む必要があったのか、築造意図や理由を含め大変、謎めいた存在です。それも行燈山古墳、実在のハツクニシラス、
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32
:
紋章官
:2022/12/23(金) 20:35:57
- 大雪に見舞われている皆様、お見舞い申し上げます。クリスマスやら正月前に大変なことで、くれぐれもご安全に!
さて先週、お城エキスポに行ってきました!すっかり通常モード!入城時のサーモグラフィイと休憩所の飲食注意位で、マスクをしていれば以前と
同様!せっせと各地のお城の観光案内とパンフをもらってきました。侮るなかれ、これらのパンフもいいものが多いのですよ!すっかり縄張り図も
実測図中心になっていますし、最新の発掘調査写真もあったりして、有名どころでない、地元の城郭の資料も豊富!何しろ、地元の豪族や境目の城
など有名でないので、書籍で紹介されないような小規模だけど、凝ったお城の案内が手に入る!これは貴重!それに今年は観光課の人だけでなく、
発掘調査団の説明員も多くて細かい話も聞けました!しかし、意外でした・大和郡山城の石垣の転用材の中に、現時点では古墳の石棺や石室由来の
ものはまだ無いそうです。石仏は多数とのことで、現段階の見解として、石仏の方が目に付くし、古墳でも葺石の方は使用しているかも、とのこと
でした。西川さんの地元、上田城の説明員さんから天守遺構検出の可能性を聞いてきました!難しそうです。大桑城の資料も増えたし、九戸城では
縄張りの立体模型の話を聞き、浦添城の発掘状況を教えてもらいました。しかし、鎌倉市も出展!ちょうと鎌倉殿の13人の最終回なので、北条
義時法華堂発掘調査の展示と説明をしていました。乗りますねえ、横須賀市は対抗して三浦氏推し!三浦義明公のペーパークラフトの配布!
小田原市は北条五代の大河ドラマ推薦運動の署名集め、浦戸城は長曾我部水軍紹介、佐和山城は石田三成PR、岐阜城は先日の信長祭り、東美濃
地域は大河は終わっても明智光秀関連城郭観光!そして福井県、観光バスルート案4つを紹介して、どれがいいですか?と聞かれたので、どうせ
乗るなら、一番行くのが難しい場所がいい、と言ったら、そばにいた人が大うけ、説明員の人も苦笑いしていました。すみません、そうでないと
機会がなさそうなんで!いつになく、いろいろ情報収集できたなあ。でも、お城がらみで一番の関心事項は別な事。新刊ネタです。
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33
:
紋章官
:2022/12/30(金) 18:34:18
- 今日からコミケ、行かれた方、いますか?あすはラジオを聞いてからか、大井町でおりて、品川神社、御田八幡宮を初詣前参りをしてから、
午後会場入りの予定です。何しろ、午後チケットなので。
さて鎌倉殿の13人が終わりましたので、このスレッドも今日で終わり。最後に北条義時の墓所のお話。知られるように、現存する義時の墓に
彫られた名前は江間義時。まあ、この墓石を誰がいつ建てたかの問題はありますが、自分の領地「江間」の姓を切っているのが彼の微妙な
立場を示すようです。実際、鎌倉にあった墓所、北条義時の法華堂。こちらは発掘調査で存在を確認、源頼朝墓とほぼ同じ比高地に存在、
大倉亭という屋敷を持っていた彼の墓所に相応しいと言えます。ただ、この北条義時法華堂はよく燃える。鎌倉時代150年のうちに、3度
燃えている事が吾妻鏡に記載される。しかも発掘調査から、鎌倉時代末期には倒壊、廃絶していた可能性が出てきています。
通常、鎌倉幕府滅亡は北条一族の東勝寺での集団自決で終わります。但し、あくまで北条一族滅亡であって、鎌倉幕府滅亡とは言い難いところが
あります。それは最後の鎌倉宮将軍守邦親王は、この際、自決等に巻き込まれず生存、3か月後に出家して消息が途絶え、同年中に死去と
されています。さて、この北条氏滅亡により、義時法華堂を維持する家系がなくなって廃絶、もしくは同時に破壊炎上ならわかりますが、その前に
維持放棄され、姿を消していた、となると、江間義時に対する北条「得宗」家と称される家系の立場や見方の変化が想像されるところです。
もちろん、北条家が次々寺院を建設、その事で孤立していた法華堂の機能整理をはかり、葬祭機能を他の寺院へ移して整理したとも考えられます。
さりながら、いわゆる北条得宗家と称される家は名越、大仏、常盤と陰に陽に諸家と争い権力を固める中で、義時家系ではなく、泰時家系として、
執権職を固めていく中で、義時の葬祭の必要性が下がっていったのではないでしょうか?そのためには、北条義時は江間義時であり、北条と名乗る
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1:
紋章官
:2019/10/10(木) 20:41:45
- 台風接近中!くれぐれもみなさん、身の安全第一で!
さて唐突にはじめます、この人を弁護する!それというのも、今日のNHK-BSのプロファイラーで淀殿との事で、今、コミケ向けに
書いている冊子で淀殿について述べているので、それがプロファーラーの影響だろうといわれないように、放送前に急いで書きこむ
ところです。
よく悪女と言われます。北政所おねと争っただの、松丸殿京極竜子との杯争い、大坂城への固執、豊臣秀頼への溺愛と過保護。
しかし、これも彼女の前半生を見れば、いたしかたないといえます。はっきり言います。私は彼女は2度にわたる落城経験と
両親および養父や義弟、祖母など近親肉親が非業の最期を遂げたことで、精神的に深いトラウマを抱えていたと考えています。
それは肉親と居住場所への固執として現れたのが、大坂城と秀頼への執着だったと思います。
彼女は小谷城落城を少女の時に経験、下のお初は怖くても物事はわからなかった、江与は生まれたばかりで記憶もない、対して
彼女は物ごころはつき、何が起きているかわかっている。そこで母お市は保護者としていても、どうしても生まれたばかりの江与に
目が向き、状況がわからないながらも怯えるお初を守らないと、小さいながら保護する年上として意識が生まれたと思います。
次の北の庄城落城時は、完全に彼女が保護者としてお初と江与を守る役目を意識する。こうなれば、彼女に保護者意識が強く
はぐくまれるのは当然、一方で落城経験で居場所を失い、攻め落とした相手に身を寄せることになる肩身の狭さも経験、
肉親も城もあっけなく失われてしまう恐怖感を常に感じる事になったと思われます。
それは豪華で堅固な大坂城で贅沢な暮しを得ても、消し去ることはできず、かえって豪華な反動の虚無感や不安感、そして鶴松の
死後、秀頼が成長しても、この子もいつ死んでしまうかわからない、との考えにさいなまれていたと考えます。
そうなれば、秀頼への過保護が出てくるのも当然、大坂城に固執するのも不思議ではありません。
一方で彼女は大変、信心深かったとの話もあり、それは、そのような恐怖からの救いを求めていた表れとみて取れます。
そしてそれらを克服することができず、悲劇的な最後を遂げ、さらにそれらの行動が後世の誤解を生んでしまったものと思われます。
まことに不幸な事、としか言いようがありません。松丸殿との杯争いも、地位不安定の不安感がさせた行動とも見えます。
なかなか北政所おねのように、成りあがり者である事をありのまま受け入れ、気負わず、振舞うことは難しいところです。
それだけに北政所おねの器の大きさ(もちろん、彼女も木下長繡子への偏愛で失敗していますが)がわかりますが、淀殿はそんな
女性と比べられる環境だったことも不幸だったと言えます。
さてプロファイラーでは、どのように彼女を分析するのでしょうか?それではまた。
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21
:
紋章官
:2022/04/01(金) 22:50:12
- 4月を迎えました。桜も満開。一方で花冷えの寒気。戦火のニュースは続き、何かめげてきます。
さてかなり話が膨らんでしまいました。後白河法皇。弁護するよりも取り巻く環境を解説する範囲が広い事は、それだけ彼が生きた時代の変動の大きさを示しています。
それゆえ、本来、源義経への官位授与も実務上の必要と義経を通しての頼朝への懐柔策だったとみるべきです。それは上洛を促す意味合いもありました。
義経に検非違使なら、頼朝にはさらに上位の任官をするよ、というメッセージだったかと思われます。後白河法皇には、源頼朝を排除や義経を対抗馬にする意図はなく、
平清盛ほどの権勢は回避しつつ、妥協による取り込みを意図していたと思われます。
しかし、それが予想外の方向、頼朝の激しい反発にあい、義経と頼朝が決裂、そのため義経が後白河法皇に頼朝追討の院宣を求め、それに応じる事となります。
そして義経の都落ち、そして北条時政が軍勢を率いて入京すると、それを取り消し守護地頭の認可を与える。手のひら返しの行動となりますが、その後の義経追討命令
や奥州藤原氏追討の院宣交付を伸ばしていたのは、彼なりの意地だっかと思われます。
ただ考え方として、院宣を交付する事で、逆に許可を出したのから、命令を聞けと牽制、介入する方法もあったかもしれません。一つには、頼朝追討の院宣を義経に
与え、そのことで上位者として都からの退去を命令できたと言えます。ただし、頼朝へは、それが効果的だったか不明ですが。
さて、奥州藤原氏滅亡を受けて、後白河法皇はどのような感慨だったのでしょうか。崇徳上皇の流罪、藤原頼長の横死、藤原信西の首が晒され、藤原信頼の処刑、
平清盛の熱病死、そして孫の安徳天皇を含めた平家一門の入水自殺や処刑、勝利者だった源義経の没落、そして長く交流のあった奥州藤原氏の滅亡。
見知り、繁栄や強さを誇った者たちが次々と姿を消していく。それだけに、後白河法皇の遊興も、明日は我が身と思えばこそ、だった事かと思います。
それだけに東大寺大仏再建に助力、押し寄せた民衆が握る紐の先の筆を握り、開眼供養に臨んだ気持ちは、民衆と共に戦乱の終わりと往生のための結縁を望んだ、
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22
:
紋章官
:2022/04/15(金) 20:48:16
- 戦雲重く、ただため息しか出ません。どうなることか。ただ祈ることしかできません。
さてこの人を弁護する。源頼朝。ただ同族殺しの点は源氏の宿命で逃れませんでしたが、案外と他者に優しいところはあります。大河ドラマでは悲劇の御曹司
源義高登場と上総広常の暗殺による粛清時代の幕開けとなります。この点、頼朝は容赦はありませんが、どうも源範頼は謹慎のまま死去したようで、殺しては
いないようです。それに対し義経は先に触れました義父藤原長成による朝廷との独自交渉可能な点で政治的にも頼朝にとってかわれる存在だったことで粛清した
と言えますが、範頼はその点、遊女を母に持つことで政治的に脅威にならないのが幸いしたというところでしょう。この点、源義仲も同様。
大河ドラマでは不器用な好人物。それで悲劇に陥るところですが、同時に朝廷との交渉、窓口が叔父の行家だったのが、不幸だったと言えます。
ちなみに吾妻鏡では義経について御家人達の評判も良くない事が記されていますが、その首を検分した御家人たちは嫌っていた者たちも皆を流した、という
ので、共に戦場をかけた思いは、好き嫌いを越えたものだったものだったでしょう。
さて、頼朝は同族は情け容赦なく排除しましたが、一方で敗れた平氏、棟梁宗盛、清経親子の処刑は行いましたが、他は案外と寛大に取り扱います。平重衡の場合、
当初、頼朝は助命流罪のつもりだったが焼き討ちされた南都僧兵の強い要求で政治的な理由で助命を断念、重衡を引き渡し処刑となりましたが、その重衡の首を
切った僧兵の無慈悲ぶりを聞いて激怒、その僧兵の首を切れと命令を発しています。また平維盛の嫡男六代御前、都で母、妹と共に母方の家に潜んでいるのを捕らえ
ましたが、文覚上人の懇願で助命、この平家直系の少年は命を助けられ、文覚が罪科に問われたとき、またはその死後に殺されたとも言われますが、実際は文覚に
連座して流罪にはなったようだが、殺されずに静かに生を終えたと見られています。
もちろん命の恩人、池禅尼の子供池大納言頼盛一家の保護は言うに及ばず、平清盛の近臣で壇ノ浦で捕らえた平盛国には助命どころか、仕えるように説得しています。
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23
:
紋章官
:2022/05/18(水) 20:30:46
- 戦局が変わるのでしょうか?これから冷酷な見方をします。マウロポリに集中させ出血を強いて時間を稼ぎ、欧米からの豊富な支援物資で再武装化と編成を整え、反転攻勢。
冷徹な戦略としてありうるものです。今回のスターリングラードとなりうる可能性があります。さて。
この人を弁護する。梶原景時。今回の「鎌倉殿の13人」、明るく陽気な三木谷脚本のイメージは完全一掃、冷酷に次々と容赦なく子供も消していくストーリー。
但し、極端な悪人はいませんね。しいて言えば悪だくみする後白河法皇と源頼朝が悪役ですが、頼朝は「どうして人を信じられる?」という意味の和歌を残すほど、
猜疑心の強かった人です。ただ、これも源氏の同族殺しの業の深さゆえと言えますが、その忌まわしさに源実朝が源氏の血、窮まれり(滅亡のみ)と厭世的になるのは
仕方ないところです。とはいえ、一方で全体に好人物の源義仲、エキセントリックながら平宗盛親子に最後の面会を許し、農民に恩返し壇の浦では、殺した水主たちを
手厚く葬るように指示する源義経、また坂東さんの好演する北条時政も田舎武士の粗忽さと善良さを持つ戸惑いながらも地位上昇に役割を果たしていく人物として
描かれています。それこそ太平記の時の、武田鉄矢さんが好演した楠木正成に比するものと言えます。
さて、その中で中村獅童さんが演じる梶原景時。この人も、今回、好意的に描かれています。セリフでは言わせているように、この人、同時期の坂東武者とかなり毛色の
異なる頭の回転が速く、周囲から誤解や嫌われやすい人物でした。とはいえ今回、義経と逆櫓論争などしても、そのあとで義経の発想にかなわないことを認め、義経も
意見がぶつかっても、自分のことを唯一理解できる人物と認める、今までにない関係を描いています。
吾妻鏡に描かれる景時の人物はあまりよくない。上総介暗殺、義経の扱い、そして奥州征伐後の由利八郎への尋問での畠山重忠との態度の違い、傲慢な陰謀家というのが
定番の評価。それが最終的な御家人連判による弾劾と失脚。ところが北条氏の手によらない、京都の玉葉や愚管抄など朝廷側の記録を見ると、北条氏による追い落としの
気配が見えてきます。実際のところ、彼は頼朝が評価する実務能力、都で公家と交際できる教養や技芸を備えた人物。
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24
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紋章官
:2022/06/03(金) 21:01:29
- 6月を迎えました。昨日はイギリスでエリザベス女王在位70年記念式典の華やかなパレード。ちょうどコロナ渦からの解放感もあり、一段と盛り上がっている
ことでしょう。それこそ、ウクライナの戦争の不安を一時、忘れるために。
さてこの人を弁護する。今日はありふれたところですが、石田三成。すみません、丸亀のメイストームさん、突っ込み放題してください。多くの方がいろいろと
弁護となる再検証をしておられますので、ここで取り上げるのは、次の1点についてのみ。
関ケ原合戦の時、小早川秀秋に関白任官を提示した、ということ。先に小早川秀秋の立場で、関白秀次の例から自分を殺す気か、と疑心暗鬼、反発したと論証しま
したが、石田三成の立場で見直すと、まったく別、豊臣秀頼の関白就任のために実務的に小早川秀秋に任官を要請したとも考えられることです。
これもコミケでの新刊「関ケ原ー徳川家康の自衛戦争」の中で、徳川秀忠の関白任官の可能性の論証で軽く触れましたが、豊臣関白家継続のために小早川秀秋の
関白就任は自然な選択となります。先に豊臣秀吉が朝廷の関白争論というひょんなことから、関白就任、そして新しく関白職につける家系たる姓「豊臣」を与えられ
藤姓五摂家と同格の家を興しました。そして秀吉は関白職を豊臣秀次に譲り、更に秀次切腹後も関白職を空席にして、前任である太閤の立場で代行を行使する。
もちろん、これで関白になれると期待していた五摂家は内心不満。もちろん、本来、関白職は非常職なので、いなくても通常の最高官位左大臣を中心に運営や実務は
行えます。しかし、陣定など事実上、関白なしでは動かない状態。何かと不都合がある。しかし、関白職独占を志向する秀吉の生存中は空席のままでした。
そして秀吉の死後、朝廷側は当然、権利として関白職返還、五摂家による就任の動きを見せる。それを受ける豊臣家官僚団。
秀吉の意思はともかく、朝廷側の関白復活要求は道理であり、実務上も必要な事は理解していたと言えます。それも豊臣秀頼成長まで待っていられないことも。
そうなると誰を関白に立てるか、と考えた際、豊臣家側の候補として中納言小早川秀秋は当然の候補者となるのです。長くなりましたので、また次回。
-
25
:
紋章官
:2022/06/10(金) 21:28:29
- 梅雨入りで雨天続き、すっきりしなくてげんなり。でも、幾分涼しいのは助かります。
この人を弁護する。石田三成の小早川秀秋への関白職提示。この時点で、小早川秀秋が豊臣関白家での第一候補であったのは間違いないと言えます。まず秀吉と血縁関係
がある成人男性であること。第2に官位が中納言として公卿に列している事。そして一時は秀吉の養子、その中でも後継者候補であった事。彼が秀吉養子の中で、飛びぬけた
扱いと行動をとっていた事は、毛利輝元の大坂初訪問時での秀吉との謁見の際、秀秋の席次が高かった事からも知られるところで、何事もなければ、秀次ではなく関白
豊臣秀秋が登場していた可能性も十分あるのです。このため秀次切腹後、豊臣家で関白につける成人血縁男子は秀秋のみ、となります。
もちろん、単純に他養子や豊臣姓を許された者たち、例えば宇喜多秀家も正室豪姫とセットで、彼女の実家前田家の後押しもあり、また官位も中納言と有力ですが、血縁の
有無で一歩下がります。次が徳川秀忠、妻江を通じて秀頼の叔父、千姫との縁組で将来の義父、それに豊臣姓を受けており、また高台院と親しかった事から、有力候補
と言えます。とはいえ、徳川家という抜きんでた実家を持つ秀忠を関白にするのは大坂ではいささか不安があったでしょう。それよりは、一時は秀吉後継者であった
小早川秀秋に豊臣家に復帰、秀頼成人までのリリーフとして関白に就任、その後、秀吉亡き後はそれほど強引な手を取れないでしょうから、五摂家に関白職を返し、順番で
秀頼へ関白職を回す事を計画したとしても、おかしくありません。むしろ、秀頼成人まで空席にしていることでの強引さ、見方を変えれば正当性への疑念を残すよりは、
伝統的な五摂家の輪番を経て秀頼就任となれば、朝廷の伝統にのっとり正当な手続きを経たとして、批判を避ける事が出来ます。
そのために、まずは「豊臣秀秋」が関白に就任して空席を解消、2~3年で五摂家へ交代、そうして順番を回していき、成人年齢に達した秀頼が晴れて関白に就任する。
その際、元関白秀秋が先任者として指導、相談役を務める。いたって穏健で段階を踏んだ妥当な方策。それこそ規則にうるさい石田三成がとりそうな手立てと言えます。
そこには打算も陰謀も入る余地はありません。それゆえ、秀秋への関白職提案は関ケ原での抱き込みで取り上げるよりも、それ以前から秀頼の関白就任への道筋として検討、
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26
:
紋章官
:2022/06/24(金) 21:30:03
- 6月もいよいよ大詰め!いい加減、原稿に着手しないといけませんが、急な暑さにへばっています。まずは皆さま、お体第一に!
この人を弁護する。今回は弁護ではなく評価するです。北条時政。牧の方の変で晩節を汚し、伊豆へ強制隠居、もしくは幽閉された事で、後世、子孫の北条一門からも
法事などがおろそかにされてぞんざいな扱いをされます。それに比べて北条政子、北条義時、北条泰時は長く手厚い法要などが営まれます。
とはいえ、この北条時政なくして、北条執権家は存在しません。何しろ、彼以前が全く分からない!一応、北条時政の父や従弟とされる人物はわかっていても、それだけ。
いくら伊豆の小武士にしても、後代北条家が権勢をもってから記録を作成するにも、創作の中に見え隠れする事実の影も形もないという、極めて謎な一族。
それが政子は流人源頼朝の正室となり、その挙兵が成功、鎌倉殿として覇権を確立する事で、単なる舅だけでなく、名もない一田舎武士とは思えない手腕を示す。
それが際立つのが、源義経追討で軍を率いて上洛、頼朝の代理人として後白河法皇や朝廷と交渉を行う。もちろん、鎌倉から大江広元や三善康信などの助言や付き人
などあったとしても、大番役で在京経験があっても、その時は単なる当番の東国武士。それがいきなり朝廷との交渉役を果たす。
いくら武力の後ろ盾があっても、平清盛、源義仲とやりあった後白河法皇や朝廷と交渉するのですから、翻弄されてもいいのに見事達成する。それに執権としても
御家人たちを取りまとめる。婿の権威に甘える単なる外戚ではなく、十分な手腕と力量を持っていた事が分かります。
それだけに、その能力をどこで磨き、備えていたのかは、極めて興味深いところ。それに後妻牧の方。この都育ちの妻を迎え、その実家牧家。これも俗称から名乗り
となったようですが、その本来の苗字が不明。それでも都に由来しており、そこそこの身分は持っていたと言え、それがたとえ伊豆でも伊東氏のような有力武士なら
ともかく、出自不明の小武士北条氏に縁組を行う事に踏み切ったのか、極めて不思議なことです。
結果的に牧家は縁組の成功、北条時政も源頼朝との縁組の果実を得て、思い寄らない大成功、単に身分上昇どころか伊豆駿河遠江の三国守護を兼ね執権へと
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27
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紋章官
:2022/11/09(水) 21:59:05
- 一の酉がおわり、昨夜は月食と天王星食。前回が400年前って、その時、だれが天王星のことまで気にしてはいないでしょう。月食まで
のこと。でも、昨夜は雲のなく、月食が始めからたっぷり見られたなあ~
久々のこの人を弁護する。今回は弁護というより、あれ、何気にすごいじゃないか、という人。それは漫画「センゴク」の主人公仙石秀久。
この人で有名な事は、島津家久に大敗して讃岐に逃げ帰り、領地没収にもなったにも関わらず、小田原の陣で許され大名復帰。
そして徳川家康、そして殊に徳川秀忠に気に入られ、れっきとした豊臣系の人物ながら、小なりと言えど大名家として存続に成功する。
その気にいられ方は、藤堂高虎のように築城の才能があるわけではなく、また島津家久に大敗後も、切腹ではなく領地没収ですんでいること
から豊臣秀吉にも、何か気に入られていた様子が見られます。一方で、この人の戦歴は負け続き。
もともと美濃斎藤家に仕えいたのが、織田信長に降伏して木下秀吉の下に回される。元来の美濃の豪族、それも美濃源氏土岐氏を出自とする
仙石家は、兄が斎藤龍興の学友のような立場であった事を考えれば、小なりといえどしかるべき地位をもつ家。
いくら負けとはいえ、当時、地位の低い秀吉の下につけるのは、なかなか扱いが厳しいといえます。
但し、これが仙石秀久の開運となりました。とはいえ、その後も負け戦経験が多い。佐久間信盛につけられ、赴いた三方ヶ原で
武田信玄率いる武田軍に大敗。ただ、この敗戦を共にした事で、徳川家康が親近感をもっていたかもしれません。
次に金ヶ崎の木下隊の殿を経験、姉川の戦いと浅井勢に苦戦、また手取川の合戦で柴田勝家の下で上杉謙信と戦い敗走、その後、
次に豊臣秀吉の下で四国へ遠征、長曾我部元親と戦い敗北。そして戸次川の戦いで島津4兄弟の末弟島津家久の大敗。負けに負け続ける。
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2022年春休みのコミティアに申し込みました!
(書き込み数 : 10)
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1:
紋章官
:2022/03/16(水) 20:18:11
- 戦火収まらず、ニュースを見るのも気が引けるところです。歴史的に見れば、各国から義勇兵が参戦したスペイン市民戦争とフィンランドの冬戦争を合わせた
情勢に見えます。戦場はウクライナ、そのため独ソ戦のハリコフ攻防戦など、戦史に詳しい人たちは現地の状況がどうなのかは容易に想像がつくところです。
用兵論に次のような格言があります。「兵は名誉や金のためではなく、家族や故郷のために死に物狂いで戦う」
さて、5月のコミティア、本日受付メールが届き、今回、とりあえず書類不備がなければ、ほぼ当選になりそうです。
わーい2019年のコミティアは落選だったので、4年ぶりのコミティア参加になります!もちろん、歴史!ジャンル神話は幽水街道さんがそちらで申し込まれる、
との事で、神話本を委託します。急いで書き上げ中!さて勢いをつけないと。それでは。
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4
:
紋章官
:2022/04/13(水) 18:57:29
- コロナワクチン3回目、進んでいるよう。気が付けば4月も半ば、コミティアに向けて追い込みだ。
コミティアから当日巡回や前日設営、webカタログの案内メールが届くようになりました。現実感が増してきています。皆さんはどうですか?
さて新刊案内その2。ジャンル神話むけに幽翠街道さんに委託予定で書いておりますのが仮題「いと深き闇ー根の国論考」。
日本の根の国、黄泉の国など世界の神話に見られる地下世界、洞窟へのイメージを論じるものです。それと古代遺跡、洞窟遺跡などを取り込み、
話を展開するものです。まだ、執筆中!書き始めると、結構、面白い事に気がつきます。まさか、おとぎ話のおむすびころりんとケルト民話に共通項が
あるとは思いもよりませんでした。そのうえ、地下世界の主は女神、魔女など女性勢がこれほど優勢とは思わなかった。大地母神信仰の影響なのでしょうか?
それでは
-
5
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紋章官
:2022/04/20(水) 18:51:53
- いわゆる「孫子」で知られる孫臏の「十三篇兵法」。この中に戦場での駆け引きについて次の一節があります。「敵の使者が威丈高に威嚇して来た時は敵が不利を悟って
退く支度をしている時である。注意して監視せよ。逆に腰を低く、融和的な時は攻撃の準備をしている時である。気を引き締め警戒せよ」
千年不変の真理、その内容をかみしめることになるのは、残念でなりません。
さてコミティアのカタログも発売。4年ぶりに参加するコミティアが楽しみです。その前に、原稿をいい加減、完成させてコピーに出かけないといけないところです。
皆さんの準備はどうですか?あとは部数をどうするか。コミケの新刊もたっぷり残っていますので、それが少しでもはける事祈りつつ、準備を進めるところです。
久々にコインの販売会もある予定なので、そちらも顔を出したいし、骨董市も行きたいし。少しは楽しみたいのですが。さて、どうなりますか。それでは
-
6
:
紋章官
:2022/04/27(水) 23:33:46
- 4月も大詰め来週はコミティア!楽しみですが、気が重くなるニュースばかり。コロナと戦争だけで十分なくらい。しかし、コロナが深刻ならロシアは軍を
動かす余裕はなかったかもしれません。ちょうど、100年前のスペイン風邪と称されたインフルエンザ流行を取り上げた番組がありましたが、このスペイン風邪が
第一次大戦終結を早めたと言われています。また日本史でも、源平合戦の停滞時期は飢饉で双方、兵を動かせず。また文明・応仁の乱の最中でも疫病流行で
事実上停戦状態に陥った事があります。漫画「新九郎奔る」でゆうき先生は足利義政に「(停戦命令に)従わぬ者共が、疫病に怯えて戦を停めるとは愉快ではないか」
と痛烈極まりないセリフを吐かせています。
さて、コミティアカタログ、購入されましたか?先週、アニメイトに買いに出かけたのですが、どこに売っていたか見つからない!虎の穴でも見つけられ
ませんでした。3年ぶりに購入となると、カタログの場所も見つけられないのか、情けない。店員さんに聞くにも、コロナ前と変わらぬこみかたで、レジや
荷物運びなどで忙しく、声をかけるのがためらわれ、あきらめてそのまま秋葉原から浜松町のコイン屋さんへコミティアとコミケの活動資金のために
売却したコインの代金を受け取るために歩いて向かいました。以前は、入口においてあって、簡単に買えたのですが、いまはいろいろ配置が換わり、探すのに
苦労するので、歳を感じるところ。
事前に店頭で買うから楽しみのところはあるので、どうにも通販は物寂しいです。まあ、店でも完全無人販売、スマホで自動販売、店員ゼロ。
オール自動化、イベントもバーチャルアイドルでの配信だけ。人員整理で棚に入れるのは出版やグッズ業者で、社長以外店員が存在しない人件費ゼロ企業とか。
あ、SF的でいいかも。まあ、無人コンビニがあるのですから、SFでもないか。それでは。
-
7
:
紋章官
:2022/04/30(土) 20:46:58
- 昨日とうってかわっていい天気!今日で4月もおわり、いよいよ五月!今日あたり、鎌倉見物くらい行きたかったなあ。
コミティアまでカウントダウン!いよいよ冊子作り中!それで悩んでいるのは「鎌倉開闢」をどうするか。原稿もおわり、あとはコピーだけ。そこで考えこんで
いるのは冊子をどうつくるか?鎌倉時代の鎌倉概念地図を付けるのですが、これを織り込みにするか、説明文付きの別紙にしておこうか悩んでいます。
以前、室町洛中往来記で応仁の乱後から秀吉の御土居建設に伴う京都整備までの間、一応、天正年間を前提とする洛中地図を入れましたが、この地図と説明文だけ
で別売り希望が多かった!とはいえ、地図を別売りにいすると冊子の意味がなくなるので、見送りましたが、今回、別売りではなく、織り込まない添付別紙方式が
いいのか、迷っています。それに別紙にしておけば、自分で書き込みしやすいし。正直、書籍の地図に書き込みはできなくても、うちの冊子なら気楽でしょうから。
どうしよう。いい加減、きめないといけないのに!それでは
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8
:
紋章官
:2022/05/04(水) 21:08:05
- 気が付けば5月4日、あすはコミティア。さあ行こう!
こんばんわ。いよいよ明日はコミティア。準備はどうでしょうか?こちらは2,3日仕事、今日はお墓参り。ただいま、荷造り、そして販売表。まあ、在庫本など
何があるのかわからないので、古いものに新刊を追記して記載するところです。ジャンル歴史でも終わりの方、すみっこ暮らし!
さて、結局迷いながら、鎌倉開闢につける地図は織り込み、封入にしました。その方が抜けがないだろうし(のはず!)それと神話のお祝いに、レゴで建設中の
神殿を持ち込みます。あ、コミケの時に持ち込んだものとは別なものです。こちらの方が見栄えするわ。元があるので、それに手を加え、うまく円柱部品が次々と
購入できたので、増築方式ながら建設中ですが、まずはが外観は形になりましたので、お披露目です。それでは、明日、来訪、お待ちしております!
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9
:
紋章官
:2022/05/06(金) 19:52:06
- 5月6日の金曜日、なにかGWは5日を過ぎると、終わり気分。何か6日となると気が抜けています。
さて昨日のコミティア、お疲れさまでした。主催者、スタッフの皆さん、ありがとうございました。また当スペースへ来訪者の方、ありがとうございました。
とはいえ近代史の方と特攻隊などの戦史のサークルさんに挟まれ、向かい側はミリタリー列。その中で鎌倉時代や桃山時代なので孤立。なんでここに配置?と困惑。
カタログは事前購入できなかったあと、カタログ購入者しか入場できない、とのことを考えれば、サークルで入れるのだから、購入を控えたところ。
しかし、歴史系は午後、のんびり来る人が多いので、カタログが12時半完売ではフリー入場ができないことで頭打ち。
あまり話すこともなく孤立感だけ募りました。背後の歴史の源平の方は声が聞こえて、人が絶えなかったようですが、それだけに寂しかったところです。
うーん、4年前、チラシ50枚が足りなくなったのに、今回、30枚のチラシが余りました。
まだ同時代並びなら、両側の人と交流でもやりやすかったところです。4年ぶりの参加、久々にあえた人も多くそれは良かったのですが、賑やかだっただけに、
気落ちして帰ってきたところです。とはいえ、あきらめず、次に向けて本づくり!ともかくもご苦労様でした。それでは~
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10
:
紋章官
:2022/05/14(土) 08:55:32
- GWあけの1週間、どうおすごしでしたか?連休あけのいきなり1週間はいささか辛いところです。さて大河ドラマの紫式部にちなみ、というか、はたときがつき
調べたら、見落としていた事が出てきました。
紫式部の娘、従三位賢子。夫が高階家。それで子孫をおっていくと、出てきました。平清盛の最初の正室高階氏娘、すなわち平重盛の母。紫式部から数えて6代
子孫にあたるようです。源氏物語作者が平重盛家の祖先にあたるとは、こはいかに?重盛家の文芸嗜好は血筋のなせるものだったというところでしょうか?
さてコミティアからメールで見本誌読書会のご案内が届きました。読書会の案内をみると、普通にコミティアに参加したなあ、と改めて感じるところです。
次はフリー入場が再開で、コロナ以前に回帰、と感じることになるかと思います。コミティア参加で感じる日常の再開。まずはこんなところでしょうか。それでは
9
コミケ99に当選しました!
(書き込み数 : 8)
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1:
紋章官
:2021/11/19(金) 19:52:53
- 月蝕、見えていますか~先の皆既月蝕は曇天で見えませんでしたが、今回は雲が多いながら、合間合間で見えました。しかし、蝕率90%越えでも部分月食扱い
なんだ。ほとんど皆既月食と同じだろうに・・・
さてコミケ99開催の発表!そしてサークル当選通知到着!そういえば、友人に依頼して申し込んでおいてもらっていたのを、すっかり忘れていました!皆さんは
どうですか?31日の西ホール配置!やった!コミケだ!と喜びつつも、まだ半信半疑。現在の状況が維持できれば、開催できるのでしょうけど、あと1か月も
あるので、どうなるのやら。それにしても、封筒が届いたときに落選かと思いました。通常の当選通知の封筒ではなく、落選時の封筒でしたから。中をみると、
コミケアピールなどは紙廃止でwebで確認との事、特にコロナ対策もあるので必ず確認と書かれていました。うーん、印刷機を持たない私はどうすればいいのだろう?
都度、アクセスして確認か。さて21日はコミティア。参加の皆さん、楽しんでくださいね。こっちは家の都合と酉の市見物と、いそぎコミケに向けての新刊仕上げ
に取り掛からないといけません。書きかけの原稿が6本・・・さすがに全部は無理だわ。それでは~
-
2
:
紋章官
:2021/11/30(火) 19:48:28
- 今日で11月も終わり。いよいよ師走にとつにゅう!
さて、あわてふためきながら新刊の原稿仕上げに突っ走りたいところですが、どうにもペースが上がらない。皆さん、どうですか?その上、10月から団地の自治会
やら、趣味やら家の都合やらで土日に予定がはまっており、原稿に集中できない・・・一応、2冊分の原稿は上がっています。挿絵がまだで、これが頭が痛い。
残念なのは、来年の大河ドラマ向けの「鎌倉開闢」が時間切れ断念としたところ。それに完成したものは、完全に文書系。どうしたものか?
関ケ原合戦を徳川家康視点、それも天下取りなど全く考えない立場で展開する話を書き上げましたところです。それこそ、家康は領地に逃げ帰ることを考えていた、
との仮定で関ケ原への道を検証するものです。この視点でいくと、伊達政宗との縁組は弱者同盟(両方とも豊臣家中枢から睨まれている)での必死の方策となります。
両者とも領地は広いが周囲皆敵に囲まれている!この恐怖感が両者のあからさまな接近と考えると、そりゃ当然の選択になります。
もしかすると石田三成たちの最大の失敗は、その恐怖感による警戒と強硬な態度を解くこと、油断させることをできなかったことかもしれません。それでは
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3
:
紋章官
:2021/12/10(金) 19:54:17
- 12月10日、冷え込んでいますねえ。みなさん、体にお気をつけて。
毎日、感染者数と新株のニュースに気を配りながら、原稿に焦っています。そして本来なら12月第2週の金曜日はコミケカタログ発売日!しかし、
今回は冊子どころか、CD-ROM版も販売見送り~そのため配置図が見たい場合はコミケ準備会HPで会員登録してみるしかない・・・
コミケ明けの楽しみ、マンレポ三昧ができない・・・そしてコミケアピールを確認に準備会HPをみて、注意事項で真っ青!
え、接種証明だけでなく「TOKYO ワクション」登録しないといけないの?ガラケーの人、どうなるのだろう?
LINE登録していないので慌てています。どうしたものか?間に合うかな~登録、うまくできるかな~こういっては何ですが、スマホの相性が悪いので、
なるべく機能を使わないようにしているのに・・・それでは
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4
:
紋章官
:2021/12/15(水) 19:44:52
- 12月15日、赤穂浪士の討ち入り!昨日、所によってみぞれ交じりや雪が舞ったとか、師走をひしひしと感じます。
さて注意書きをよく見直して、TOKYOワクションか接種証明の一式かと見直してほっとしたところ。慌てるといけませんねえ~
それで安心して、2年ぶりにキンコーズへ行きコピーをしてきました。今回の新刊は3冊で打ち止め。入場制限と事前予約で、どの程度、歴史系まで
人が来るかわかりませんので、慎重にみるところです。皆さんは新刊は何冊、準備されていますか?
今回の新刊は「関ケ原ー徳川家康の自衛戦争」「太閤金配始末ー桃山貨幣革命」「天主相論」となります。もう一冊、準備していましたが見送り。
欧州中世の新刊はありません。すっかり日本中世中心になってきました。ちなみに見送りましたのは仮称「鎌倉開闢ー源頼朝の都市計画」、
それと準備を進めていたのが仮称「室町土倉記ー銭本位制」、まだまだ手を入れますので、来年の新刊予定。それで新刊内容のご紹介はまた次回。それでは
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5
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紋章官
:2021/12/22(水) 18:45:01
- 日が落ちるのが早い!今日は冬至、カボチャを食べて、ゆず湯に入りましょう。そしてコミケに備えましょう!
さて横浜ユーラシア館でのオホーツク文化展、よかったなあ~派手な展示品はなく、小規模な展示でしたが、その分、十分な鑑賞をできたので、通常より
長く鑑賞していたくらい。2時間近くいました。角や骨での「女性像」、かわいらしい熊、いやあ、面白かった。それでカタログを購入しましたが、張り紙
に好評により増刷との文字。鑑賞者も10人以上いましたから、そこそこに人が来ていたようです。
そのあとのお城エキスポは去年と異なり、大賑わい!今年は各地から説明の人たちが来られていて、賑やかにPR。コミケもこのようにある程度、にぎわうと
いいのですが、徐々に感染者数が増えているうえ、新しい株の事もあり、戦々恐々。ともかく注意が大切です。しかし、今回のコミケ開催は東京都や国の
後押しがあるような気がします。何しろ、これ以上の大規模イベントはありませんので、何かテストケースにしようとしているように思えます。さあ、次は
製本だあ~それでは
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6
:
紋章官
:2021/12/27(月) 22:01:04
- 大雪お見舞い申し上げます。北陸どころか滋賀や兵庫。でも地名を見れば滋賀は彦根、兵庫県朝来市和田山って竹田城近くやん!お城を襲う大雪!
急な大雪で建物や石垣が痛まなきゃいいけど。
いよいよ今週はコミケ!大丈夫ですよね、開催しますよね、人が来ますよね。それより何か国や東京都が大規模イベントのテストケースにしようと陰謀、
もといごり押し、じゃかった裏工作でもなくて、後押ししているような気がします。皆さん、感染注意、マスク手洗いに努めましょう!
さて今回の新刊「関ケ原ー徳川家康の自衛戦争」はいわゆる関ケ原を徳川家康の天下取りの手段ではなく、逆に徳川家康が追い詰められていたという
視点で話を進めるものです。最終的にいくら豊臣家を滅ぼしたとはいえ、1600年の時点では徳川家康の方が豊臣側に包囲され孤立化、不利な立場に
ありました。それは周囲の佐竹、最上、南部と仲が悪く、そのうえ因縁のある上杉家が入ってくる事で完全に包囲下の伊達政宗も同じ事。
そのため、この両者の縁組は孤立感を深める弱者同盟、そうして佐竹、上杉連合をけん制する方が主であったと考えるべきです。
本当は再来年の大河ドラマのネタだよなあ。本当なら次回送りにした「鎌倉開闢」が今回だよなあ。しかし、失敗しました。お城エキスポで、つい話し込み、
一乗谷の学芸員さんに大倉御所と頼朝の墓の位置関係と一乗谷の朝倉館と英林塚(初代朝倉敏景墓)、上平寺の京極館と廟所の共通性を指摘してしまった・・・
鎌倉開闢のネタだったのに、ついでに首里城でも中庭、正殿と御嶽、霊廟が一直線に並んでいることも言ってしまった。これらで話を展開する予定だったの
ですが。やっちまった。皆さん、ネタはうかつに話さない方がいいですよ~それでは
-
7
:
紋章官
:2021/12/29(水) 20:46:16
- いよいよ迫ってきましたコミケ!明日は初日、サークル、一般アーリー、そして一般の入場、うまく流れるといいですけど。
さてサークル入場に備えてコミケアピールを読み直し、また慌てていたり。提出分と共に来客用見本かあ、各冊子のページ案内を拡大しておくかなあ。
さて新刊の「太閤金配始末」、桃山貨幣革命と銘打ちまして、天正大判に代表される貴金属貨幣出現を論じたものです。どうも甲州金や大判など、一気に
出現、普及したように錯覚されているようなので、そこを論じるところです。いやあ、あとでまたいい本があったのを思い出して失敗。
はあ、気を付けないとなあ。さーて、「鎌倉開闢」のネタを学芸員さんと話しまいましたが、まあ、慌てる事もないか。あちらの方が専門家だし。
聞きたいことは趣味の刀装具の事で、一乗谷で発見(文字通り、土取り工事で土の上に出てきたので埋蔵状態不明、正確な状態不明)の金目貫の事。
調査は最近した、とのことでしたが、愛好家であれば見ればわかる情報しかなかったのは残念。後藤家の影響をうけた製作品、刀装具の世界で
古金工として括られる範囲でしか判断できなかったとのこと。まあ、古金工以上の判別の手掛かりがない事は確かなんです。古いものの体系的調査研究は
されていませんからねえ~個々の愛好家や愛好家より踏み込んだ研究家でどこまで資料を集められるか、どこまでものが見られたかによります。
刀装具美術館が倒産したので、研究施設もないので、ここの愛好家のレベルに依存しますが、事によると、今が頂点かなあ。まだ長老がご存命でも、
ワタシらの世代の後がいない・・・・それでは
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8
:
紋章官
:2022/01/01(土) 13:40:28
- 新年おめでとうございます。いかがお過ごしですか?
昨日、無事コミケ終了。まずはご苦労様でした。歴史部で今回、出ていた方やおなじみさんとコミケ開催と無事を祝ったところですが、やはり、チケットによる
入場者数制限の影響で、当サークル来訪者は通りがかり新規を含め29人(配布チラシからの計算)うち十人は歴史部など出展サークルさん仲間になりますので、
19人というところ。通常、80枚のチラシがなくなりますので、そんなところです。ちなみにチラシは100枚だと余るので、80枚を基準に準備しています。
幽水さんと話していましたが、まずは顔を合わせできるのが幸いのイベント。しかし、紅丸組さんは母子!歴史と少年創作が隣あわせだったので、息子さんの
サークルのポスターが眺められる場所!なかなかシュールというか、いよいよもっうてワタシらの世代を感じさせる光景、気が付けば年寄りグループなんだ・・・
さてそんなわけで午前中でも空いていて、午後になるころには、通常の3時過ぎに近い状態。もとから歴史はわさわさするようなエリアではないですが、まあ、
それだけに空いているのは慣れているジャンルですが、それでも、というところ。しかし、次回はもう少し、気楽に入れるようになってもらいたいです。
チケットを購入した人にきくと、抽選制で東西分とか、アーリーと通常申し込みで変に両方当たって1枚無駄に、という話もありましたので、その分落ちた人も
いるわけで、一方でネットネット、なにかとネット優位主義で、切り捨て排除論理が推進されているようで、この辺りはどこかで改善策が出てくることを願う
ばかりです。しかし、展示場駅の階段、両壁にポスターがあったのが、今回は片側だけ。駅ローソンもグッズの外売り場無、行列もアーリー券で短い。
ご時世でしたねえ。それでは~
10
2021年なのですが
(書き込み数 : 23)
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1:
紋章官
:2021/01/03(日) 23:38:56
- あけましておめでとうございます。いかが三が日を過ごされましたか?コロナのため年末のコミケはなく、静かに年越しをしたようなところです。
コミケがない分、冊子つくりの追い込みもなく、年末に横浜で開かれたお城エキスポ見物!前日はNHKが生放送した等身大ガンダムのお披露目!そのため公開初日ではありました
ので、その分、桜木町駅は賑わっていたようですが、お城エキスポの会場はそんな賑わいの外。何しろ展示場の一番端、新設展示場だったので仕方ないかあ、というところ。
逆にいえば、三密の心配はほとんどない。とはいえ、コロナの影響でブースだけのお城や地域もありました。
一方で販売エリアで本を漁る。それで買ってきたのは戎光祥出版の「大友宗麟の城郭」
レアなネタですねえ。他にも図説 近畿の城郭、織田信長の城郭などありましたが、はじめから買うのは、この一冊!選んでいる際、思わず「織田信長関係の城の本なら、
また出るでしょうし、再版もあるでしょうけど、大友宗麟はないでしょう」と言ったら、販売の出版社の人は大笑いしました。もちろん論文集。ないですよねえ、九州の
城となると、熊本や福岡など近世城郭の本はあっても、戦国城郭に関する本はなかなレアです。まあ、全体的にそうですが、最近はそれこそ戎光祥出版で各地の戦国城郭
ガイド本が出ているので、そのうち出てくるでしょうが、大分の順番はいつごろになるやら。大友氏の城郭統制論などじっくり読んでいるところです。
ちなみにこの本、定価と消費税で凡そ12000円、そこを会場特価2割引き!お城エキスポの当日入場料が2000円!ちょうど入場料分、安くなりました!とはいえ、
年末大きな出費!しばらく、パンとコーヒーでお昼を過ごそう!それでは今年もよろしくお願いします。
-
17
:
紋章官
:2021/09/24(金) 21:46:28
- 中秋の名月を眺め、秋の気分を味わいつつ、ここで暑さとはなんぞや、と9月の終わりを感じております。ところで20日のコミティアはどうでしたか?仕事で
行けませんでした。そのうえ、次回の11月21日は大刀剣市も開催予定。芝とお台場、掛け持ちするか!
さて前回の続き。秀吉最大の失敗と言えば、朝鮮の役と豊臣秀次粛清事件。時期も重なります。このうち豊臣秀次粛清、通常、秀次と近臣の高野山での切腹、その
後の京都での妻子侍女などの皆殺しに焦点が集まりますが、他にも近臣が切腹に追い込まれています。つまり秀次一家だけでなく、側近家臣団も一掃しています。
一方で、本来、秀次つきに回されていた中小大名、中老とされた中村一氏、山内一豊などは直前に呼び出して詰問役を命じ、その事で「切り離し」、
その後の処罰を「回避」できるようにした、とも見えます。
そこで疑われるのが石田三成などの奉行衆。すなわち秀吉死後に秀頼を立てても、秀次が事実上の後見役に立ち、秀次側近団が奉行衆にとってかわる事を恐れた
という事になるところです。しかしながら、ここで中村一氏など、奉行衆より年長で経験豊かで地味だが役目を果たす中堅クラスを切り離した事は気になります。
そこで、思い出したのは田中芳樹先生の「タイタニア」のとあるセリフ。田中先生の中国史への造詣の深さは有名ですが、その歴史観が時として示唆に富む
セリフを生み出します。正確ではありませんが、タイアニア当主の独白のようなセリフは、意味的にはこういう内容です。
「初代以来、代々のラントレスクランナーは臆病だ」
作中でタイタニア一族は圧制者側。強大な軍事力と財力を持って抵抗者を滅ぼし、収奪して、権力を誇り恐怖で支配する。
しかし、その圧制や弾圧も、自分が滅ぼされる恐怖への裏返しの行為である。見た目のような強者の行いではなく、臆病者ゆえの行為である。
と解説するものです。もちろん、強さにおごって気を緩めれば、自分が滅ぼされるので徹底せよ、という戒めにも見えますが、弾圧行為への考察として意味深い
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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18
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紋章官
:2021/10/01(金) 20:31:48
- 台風と共に10月になりました。今年もあと3か月。緊急事態宣言は解除ですが、まだまだ気を付けていきましょう。
さて秀次事件、凄惨な一家近臣粛清は日本では珍しい事ですが、目を転じるとそうでもない。事に中国では。そこではたと気が付いたのは、朝鮮出兵の影響。
豊臣秀吉の最悪手、朝鮮王朝に続き、明帝国を敵に回しての戦争となりました。この出兵の背景に、実は朝鮮が目的でなく、明との正式交易開始があったとの説が
あります。このあたり漫画「センゴク」で展開されていますので詳細は譲りまして、そこで当然ながら豊臣秀吉は朝鮮王朝や明の情報を得ていたと思われます。
殊に足利義満による永楽帝との交渉を先例として学んだことは疑いえません。そこで明王朝の事も知る事になったと考えられ、王朝前期の大粛清の話も
耳にしたものと思われます。すなわち、明の創始者洪武帝朱元璋の功臣官僚の粛清、靖康の役による永楽帝の皇位簒奪と建文帝近臣の粛清。
なにしろ両者の粛清の桁は段違い。当人家族一族どころか、友人一族や出身地域の住民まで皆殺し。数万人桁で都度、粛清しており、その連座具合を
芋蔓に例えて。「つるまんしょう」と後世非難されています。
さて、この話を豊臣秀吉が聞いた事は十分考えられます。そこで、永楽帝が若い甥を追い落とした事が彼を不安にさせた可能性はあります。
本来、洪武帝の功臣粛清は洪武帝に比べ温厚な皇太子、更に幼い孫の建文帝が重臣に簒奪されないために行っていたとされています。
ところが、建文帝を滅ぼしたのは息子の永楽帝、そして粛清しすぎて建文帝の周囲は文官ばかりで、戦に慣れた武将不在、それで敗れたものでした。
この事実を聞いた時、秀吉は自分に置き換え、慄然とした可能性はあります。そもそも朱元璋は貧農出身、それも幼いうちに家族を飢饉などで失い、僧侶になって
かろうじて生き延び、更に戦乱に有力者に見いだされ、能力を発揮して皇帝に上り詰めた人物。その境遇に秀吉は自分の姿を重ね合わせてもおかしくありません。
そして皇太子を失い、年若い孫に継承させる。秀吉もまた老いて得た幼い秀頼を後継者としている。否応なく同じ立場であること意識させられたでしょう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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19
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紋章官
:2021/11/05(金) 20:46:53
- 気が付けば11月。大刀剣市は中止になりました。来年5月に開催模索って、4月に大阪で刀座、東京でも超高級刀剣販売会「日本刀の美」とあるのです。なにか
嫌がらせに思えてくる。しかし、神保町の古本祭りもなく、、気が抜けています。酉の市、行けるといいなあ~
さて豊臣秀次事件に絡み、明の開祖洪武帝朱元璋を紹介しましたが、彼の正后馬皇后もご紹介。彼女は、中国版の北条政子か北政所ねね!何しろ夫を
諫言して、ともかくも粛清の暴走を制しできた唯一の人物。疑心暗鬼が酷くなっていった朱元璋のブレーキ役として、粛清者の係累を押さえたり、助命する。
また夫が戦場にいる間は政務を見る。まさに糟糠の妻。何しろ、永楽帝は馬皇后の息子でもあることを強調していますが、実際は彼女の息子ではない
というのが通説で、それは朱元璋の息子たち全員がそうだと言われています。通常、中国では男子優位で、よほどの理由がなければ、後継者の母親がだれで
あってもいいわけで、後継者は即位後に実母を祭り上げればいいだけの事!
それが朱元璋の息子たちに限っては、すべて馬皇后の血を引くことが重視された、という事は馬皇后の宮廷内外での声望と実力がわかるものです。
何しろ朱元璋は馬皇后を深く愛し、皇帝即位後に多くの宮女が増えても、第一に馬皇后を傍に置き、政務の相談などをしたといわれ、また馬皇后は馬皇后で
帝位についても謙虚な人柄で、皇帝家としての必要を除けば、質素な生活を送っていたと伝えられており、そして病に倒れ、助からないと察すると、いくら夫や
周囲が懇願しても自分が死んだ後に、責任を問われて医師たちが族滅されないように、医師を遠ざけ、近寄らせなかったと伝えられており、その人柄が伺われます。
そして彼女の死後、朱元璋の粛清は歯止めがなくなり、暴走の一途をたどり、それが建文帝の敗北につながっていくのです。
朱元璋に隠れて、日本では知名度が低いですが、このような女性もいたという話です。次は、ナポレオンの母の話でもしましょうか。それでは
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20
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紋章官
:2021/11/26(金) 21:20:29
- 気が付けば11月が終わる。原稿が進まない!にわかなコミケモード、慌てふためいております。仕事、団地の当番、趣味での新年鑑賞会のしたく、そして
コミケ!重なりすぎ・・・
さてナポレオンの母の話。名前をうっかり忘れてしまった・・・さて、この母ありて、この子あり、と言える胆の据わった女性。ナポレオンを見るに、
父親よりも母親の影響が強い事は有名な話。夫の死後、家を切り盛り、息子たちを叱咤激励、コルシカ島から亡命や革命期の混乱でのナポレオンの一時閉塞など
で生活困窮する中でも道を踏み外さず、事実上の家長として家を守る。
それはナポレオンが権力を握り、裕福な生活と権勢を誇るようになっても変わらず、彼女自身は簡素な生活を続け、ナポレオンからの莫大な生活費を節約貯金、
傲慢になる息子たちを怒鳴り飛ばす度量と節度を示します。殊にナポレオンの皇帝即位とローマ教皇を召喚しての即位式には大反対で、ナポレオンと
大げんかしたと伝えられます。現在、ルーブル美術館にある有名なダヴィッドの大作「皇帝ナポレオンの即位式」では、彼女も参加して微笑むように見る
姿が描かれていますが、これは捏造。激怒した母は即位式の発表があると、旅に出て当日はローマに滞在中。
さて、彼女はナポレオン没落後は、ローマに従弟の枢機卿(もちろん、ナポレオンが後押しで位につけた)のところに滞在、ローマ教皇の保護を受けます。
この教皇、ナポレオンに即位式に参加させられるわ、その後幽閉されるわと災難でしたが、ナポレオン没落後は、その一族を庇護するなど寛容な
態度を示します。中でも、節度を示していたナポレオンの母には好意的なので安全でした。さて、彼女はローマでも変わらず質素な生活を続けており、それまで
ナポレオンから送られたな生活費による莫大な貯金を、ナポレオンの近臣などで困窮した者たちへの支援に用い、他にも寄付など慈善活動を行って死去しています。
ナポレオンの兄弟たちは浪費して困窮したものもいるのと好対照、どうしてナポレオンたち子供は、この母の美徳をもてなかったのでしょうか?それでは
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21
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紋章官
:2021/12/05(日) 09:20:26
- 気がつけば12月、新しいコロナ株に戦々恐々、というか慣れかあきらめか、気のゆるみか?なにか、どこかで会ったyおうな話・・・・
さて金曜日からNHKは太平洋戦争シリーズを始めています。それというのも日米開戦80年だからです。太平洋戦争、開戦の昭和16年は3週間、よく17年、
18年、19年を通し、20年8月の敗戦を迎える。戦況は昭和17年はミッドウエー海戦の大敗がありましたが、一進一退、18年は徐々におされつつも
半ば膠着状態。19年の後半から一気に崩れ、20年には破綻する事となります。
そのため昭和18年くらいは救援不可能ででアッツ島玉砕などありましたが、当初から玉砕戦は考えずに、ガダルカナル、キスカなど撤退作戦を実施、まだ戦術上
に余裕というか、合理的な判断による後退する作戦を行っています。それが本格的にできなくなるのが昭和18年後半から、あとは当初から見殺し状態。
碁の「捨て石」を実地するようになります。こういう言葉というか、やり方のある遊戯があるのも精神的に見殺し作戦を容易にしているのでは?と疑いたくなります。
なにしろ囲碁は高度な趣味なので、また当時は将棋、碁などくらいしか、手軽なゲーム性のある遊戯具がなかったのですから、碁の愛好者は今より余程多いところ。
作戦参謀たちが、その意識で兵を使ってもおかしくありません。まあ、そうでもないと戦争などできないでしょうが。
さて、振り返り見れば2019年12月頃に武漢でコロナが始まり、20年2月には日本も巻き込まれ、世界で感染、21年今年はともかく今は国内がおちつき、
さて来年はいかにというところです。さて2022年12月はどうなっているでしょうか?それでは
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22
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紋章官
:2021/12/17(金) 20:25:07
- 12月17日の金曜日!今年も残すところ2週間!コミケまでも2週間!感染者数が急増しなければ、このまま開催になだれ込める!なんとか、増える
ペースが抑えられますように!
明日は横浜ユーラシア館にオホーツク文化展を見に行きます!なにしろ知名度の低いネタなので、空いているのは目に見えている。とはいえ、以前も
冬コミケ直前にシベリアの岩絵とか、どうして冬場にこういうネタをやるのやら!
さてオホーツク文化とは名前通り、オホーツク海沿岸一帯に広がった文化で、狩猟漁労文化です。それだけにいわゆる北方狩猟(漁労)民族の文化を考える
上で、一つの重要なパーツです。そこには遠隔地への移動しての狩猟活動、交換交易での繋がりなど、広大な世界が広がっています。
しかし、いかんせん書籍が少ない!そんな展示会があるのですから、なんとかコミケ原稿を書き上げ、コピーを終えてまずは手折も終わりましたので、
安心して出かけるところです。それにユーラシア館の入場料は安い!ぜひ、時間に余裕のある方は見学に行ってあげてください!
さて、そのあとの回るお城expoの高額な入場料と足して2で割るとちょうどいい!お城エキスポは各地のお城のチラシをもらってくるのが楽しみなんです。
結構、力の入ったものが多く、地図や案内、逸話などがのっていて、このチラシ集めだけでも、下手なお城の本を1冊買うより、よほど面白い!それではまた
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紋章官
:2021/12/25(土) 09:43:59
- クリスマスの朝!いかがお迎えですか?こちらはなぜか二日酔い・・・親と缶ビール1本しか飲んでいないのに、深夜からトイレを何度往復したのやら。
その上、頭痛。昨年から、時々、缶ビール1本弱で起こすんです。もともと、弱いところが、更に弱くなった!チョコレートボンボンが怖い・・・
さて30日に大坂冬の陣の番組があるとか。先だって地上波の歴史探偵で紹介された大坂城北部地域を水没させた作戦を紹介するようです。
この水の使用、いかにも豊臣らしい戦術と言えます。失敗した忍城水攻め、名高い備中高松城水攻め、それに目立たないのが紀州太田城水攻めと
あります。一方で但馬でも水攻めを行った記録があり、この時は、守城側、攻城側双方で小舟を繰り出し野戦ならぬ「水上戦」船戦を行っています。
さすがに船戦は豊臣勢ではしていませんが、この大坂城の洪水作戦は守備側が繰り出した手として珍しい例です。
後に西南戦争では、熊本城に対し西郷軍が川の土手を切って水没作戦を実施。この場合、攻める手というより、政府軍南下に呼応して熊本城守備隊が
出撃してくるのを防ぐ目的。水攻めといってもいろいろありますね。しかし、この熊本城の場合、加藤清正は防御手段として考えていなかったのか
検証が必要に思えます。古い地形図と水没地域マップ、それに清正の治水事業に関する伝承を集めないといけません。それでは