■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■
Typhoon on the bed
-
ツイッターで見掛けた会話に発想を得たものです。
なお、このSSの公開に当たりまして、当事者の方達の許可は頂いています。
カップリングは唯律です。
以下より本文。
"
"
-
この台風が過ぎた後こそ夏本番とは、ニュースの報だ。
今にしても十分に暑いと、平沢唯は感じていた。
それでも部屋の主である田井中律が冷房を付けない理由は、自分を慮っているからだろう。
唯は冷房が苦手だった。
その律は、長袖のパーカーの袖を掴んで縮こまっていた。
クリーム色が律に柔和な雰囲気を添えて、姿勢と調和して可愛げを際立たせている。
だが、七月の初旬という季節からして、彼女も暑さを感じているはずだった。
唯の劣情を警戒して、肌の露出を抑えているのか。
それとも、台風が怖くて、いつでもフードを被れる服装にしているのか。
室内に居ても、荒れている外の様子が音を通じて伝わってくる。
今も雷鳴の轟に合わせて、律の小さな体が震えた。
外では風が唸り声を上げて、雨を窓ガラスに叩き付けている。
その雨音までが、律を怖がらせているようだった。
「大丈夫?」
「だーれに言ってるんだよ。子供じゃないんだから」
唯の問い掛けに、律は朗らかな声で応じてきた。
いつもそうだ。律は繊細な内面を隠し、元気な姿だけを周りに見せている。
唯は恋人である自分の前でくらい、弱みを見せて欲しかった。
そうでなければ、支える事もできない。
「もー、意地張らないの。私はりっちゃんの旦那さんなんだからね。
怖いなら怖い、不安なら不安って言ってくれていいんだよ」
台風の事だけではない。日中の事も念頭に置いて、唯は言った。
律にしても、その件で話したい思いがあるのだろう。
日付も変わろうとしている時間帯なのに、律はカチューシャを外していない。
「旦那さんって何だよー。恋人同士だろー。
恋人同士、で、いいんだよね?」
応答してから付け足された問い掛けに、律の弱気が滲んでいる。
・
・
・
自分達が交際している事を、今日の部活で部員達に伝えた。
今夜に接近する台風よりも荒れる事を覚悟していたが、部員達の顔に驚きは見当たらない。
普段の二人の様子から、察していたのだろう。
唯が最も懸念していた澪に至っては、応援する言葉まで送ってくれた。
娘を送り出す親のように、「律が迷惑掛けるけど、よろしくな」と。
唯は澪の顔を真正面に据え、力強い首肯で応えている。
唯とは対照的に、律は不安を拭えないようだった。
打ち明けた後も、律は明らかに周囲に気を遣って過ごしている。
周囲はその律の態度を、単に照れているだけだと解したらしい。
部活が終わると、後輩の中野梓から冷やかされたものだ。
「台風が来ているんだから、一緒に居てあげて下さいよ」と。
律の様子が気になっていた唯は、その提案に便乗する事にした。
律もまた、唯に寄り添って欲しかったのだろう。
その場で泊りに行くと伝えた唯に、目元を綻ばせていた。
・
・
・
-
「もっちろんだよ。りっちゃんが恋人、どんと来いです」
安心させる為に、此処に居る。
その目的を思い出しながら、声に力を込めて唯は答えた。
「でも、私……。唯の相手に相応しいのかなって。
唯の事を幸せにできないのに、私だけ唯に甘えちゃったりしてないかなって」
「何でそんな事思うのー?
私、りっちゃんが居るだけで、充分に幸せだよ?
それにー、甘えてるのは私の方だよー。
お菓子とかだって、全部りっちゃんに作ってもらってるし」
唯の方こそ、律に選んでもらえた事が身に余る幸福だと感じていた。
なのに今は律が、捨てられる不安に怯えた子犬に見える。
愛玩動物は得てして、主人の変心に敏感なものだ。
だが、律はペットではない。頭の中に作り出した虚像にさえ怯えてしまう、弱い人間なのだ。
思い返せば、部員に交際を発表した辺りから、律の態度に弱気が滲み出し始めている。
後戻りが難しくなった事で、このまま唯と歩む事に不安が生じたのかもしれない。
ならば律は今、マリッジブルーに似た心境なのだろう。
或いは、単に台風のせいなのか。
季節に不似合いな厚着が、それを思わせた。
「でもさ、私、面倒な女だよ?澪だって言ってたでしょ?
私が迷惑掛けるって。澪は一番、私のそういう所を分かってるし」
律が申し訳なさそうに言った。聞く唯の胸中は穏やかではない。
律の事を一番分かっているのは、自分だという自負がある。
否、今の時点では、澪の方が律を理解しているかもしれない。
だが、だからこそ、だ。
その自覚があるからこそ、律の口から突き付けられたくはなかった。
「澪ちゃんは、りっちゃんの保護者みたいなものじゃん」
口に込み上げる苛立ちをそのままに、唯は突っ慳貪に返した。
「うん。今までずっと、澪に護られてきたよ。
嵐の中の温室に居たんだ。
だからさ、今更、澪の保護から出て行って、唯と対等に付き合えるのかなって。
澪の言う通り、唯に迷惑掛けちゃいそうで不安なんだ」
唯の不機嫌露わな語勢に気付く風も見せず、律は「澪、澪」とその名を何度も挟んでいた。
不安露わな顔付で窓の外を見つめる律の横面に、唯は眦を決した双眸を向ける。
この台風も、澪と一緒なら怖くないとでも思っているのだろうか。
恋人としての矜持を、律に示さねばならない。
「澪ちゃんになら、迷惑を掛けたままでもいいの?
保護されたままでもいいの?」
-
「だって澪は」
律が口を挟んできたが、それ以上は言わせない。聞きたくない。
唯は毅然と胸を張り、言葉を被せる事で遮る。
「誰だろうと、他の子を特別な存在にしちゃうのは許せないもん。
あのね、りっちゃんが特別だと思っていいのは私だけなんだよ?
りっちゃんが迷惑を掛けていいのは私だけ。りっちゃんを護るのは、私の役目っ。
他の誰にも譲ってあげないから」
「唯に甘えて、いいの?後になって、嫌になったりしない?」
返ってくる律の声は哀訴のようだった。
律はここまで露わな弱い姿を、唯の前で見せてはこなかった。
澪には見せてきたのだろう。
それを独占して受け継ぐ時が来たのだと、唯に教えているのだ。
意を汲み取って、唯は努めて優しい笑顔を浮かべて言う。
「もっちろんだよ。りっちゃんに首ったけだもん。
心変わりなんてしないよ、約束するよ。
今日の自分に」
──そして律を託した澪に
「だからね、りっちゃん。私と居るなら、台風だって怖くないよ。
厚着しなくても、そしてフードを用意しなくても、大丈夫だよ。
脱いで涼しくなろ?言ったでしょ?私が守ってあげる。例え台風からだって」
唯の言葉に、律の首が傾いだ。
だがそれは一瞬の事で、直後には得心いったように小刻みに頷いている。
「あー。違うっての。これ着てるのは、別に台風が怖いからじゃないよ」
「じゃあ、何で?暑くないの?」
「うー」
唯が問い返すと、律は答えにくそうに顔を伏せてしまった。
抗するように、小さく唸ってさえいる。
「あ、いや。言い難いなら、無理に話さなくてもいいけど」
何気ない問いが引き出した予想外の反応に、唯も驚いていた。
ただ、律の仕草は、苦悩よりも羞恥を匂わせている。
深刻な事情があるようには見えないので、唯は潔く引いた。
「だって、唯が」
それでも律は言い掛けて、途中で口を閉ざした。
-
「私が?」
始めこそ追及する積もりはなかったが、自分の名前を出されれば気も変わる。
唯は身を乗り出して、先を促した。
「ゆ、唯が、クーラー苦手だって言うから。
私も、今のうちに暑いのに慣れておこうと思って」
「えーっと」
『唯はクーラーが苦手』『今のうちに律も暑い気温に慣れておこうと思った』
唯は律の発言を脳裏に並べ、繋がりを考えた。
その答えが見えてきた時、焦れたように叫ぶ律の声が鼓膜を叩いた。
「ああもぉっ、ゆぅいの鈍感っ。
夏休みにいーっぱい唯と過ごしたいから、暑いのに慣れておこうと思ったのっ」
唯が見出しつつあった答えを、律が先んじて口にしていた。
言い終わりざまに、律の手が後頭部へと回りフードを掴む。
律はフードを下ろしてベールに変えると、用の終わった両手で顔を隠してしまった。
もう一つの動機を、照れの動作の下に隠すように。
唯は見逃さない。そして思い出していた。
「りっちゃん、お顔、見せて欲しいな」
恥じ入る仕草も可愛らしいが、唯はそれ以上に律の健気な心根が愛しかった。
「駄目っ。今っ、見せらんないっ」
「えー、いーでしょー?りっちゃんの可愛い顔、見たいよー。
それに……それだけじゃ、ないよね?」
暑さに慣れる為と律は言うが、昨日までは半袖を着ていたはずだ。
即ち、長袖を来て暑気に慣れる事は、今日思い立った事になる。
部員の前で交際を初めて明かした、今日──。
唯はこれを偶然で片付けるつもりはない。
律から返事はない。
構わず、唯は続ける。
「私に合わせてくれようとしているんだよね?でも大丈夫だよ。
言ったでしょ?何があっても、りっちゃんを嫌う事なんてないよ。
それは、澪ちゃんが担保してくれる。
だからこそ、なの。だからこそ、澪ちゃんは私に迷惑を掛ける、って言ったんだよ。
じゃなきゃ、きっと交際を喜んでくれなかった」
唯は言葉を切ると、窓に視線を向けた。
カーテンを閉じていても、硝子を打ち付ける雨音で外の激しさは知れる。
もし澪が唯を信用していなかったのなら、懸念していた通りに部活では大荒れだっただろう。
だが繊細な律は澪の言葉を額面通りに受け取って、挙句に思い詰めてしまった。
いつか愛想を尽かされ、捨てられるかもしれない。
その恐怖が律を弱気にさせ、暑さに慣れようと思い立った一因になった。
唯に迷惑を掛けないよう、今から訓練しておこうと。
「本当?」
律の口からは問いが漏れているが、唯の言葉を信用してくれたらしい。
顔を覆っていた手は除けられて、フードも下ろしている。
質問ではなく、確認だと教える所作だ。
「うんっ」
"
"
-
「あ、でもね。唯と一緒に夏休みをいっぱい過ごしたいっていうのも、本当だよ?」
律は丸い瞳で、唯の目を覗き込みながら言った。
受ける唯にも、律の真剣な思いが伝わってくる。
唯とて理解して、そして安心していた。
自分は愛されている、特別に扱われている、と。
「分かってる。でも、その為にりっちゃんだけが無理する必要、ないんだから。
だから、脱いで涼しい恰好しよ?」
「じゃあ……ゆーいが脱がしてよー」
「えっ?」
不意を衝かれた唯の口から、自分でも意図しない短い声が漏れた。
律の放った言葉を脳裏で反芻する。
「だからっ。私を幸せにしてって言ったのっ」
焦れたように律が叫んで、動いた。
唯から遠ざかって離れてゆく──否。
動いた律はベッドの上に座り込んでいた。
遠ざかってはいない。離れた訳でもなかった。
誘っているのだ。
「りっ……っちゃん。いいの?」
緊張で口の中が乾く。
「だ、だって。私達、付き合ってるんだし。
初めてだから怖かったけど……唯なら、甘えられるし……甘えたいし。りー」
「でも私、そういうの、あんまり優しくできないかも」
凪いだ心持ちで臨めるとは思えない。
物音も声も軋みも掻き消してくれるだろう外の暴風が、僥倖に感じるくらいだ。
荒れ狂う程に、律が愛おしい。
「いーよ、荒れても。ドキドキしてるけど、もう怖くないし。だから」
律は瞳を眇めて、縋るような視線をこちらへと送ってきた。
その頬を落ちる一筋の汗から、彼女の緊張が痛い程に伝わってくる。
-
もしかしたら、と唯は思う。
律が見せていた不安気な様子の一因に、身体で契る関係に進む恐怖があったのではないか、と。
皆に関係を明かすという段階に達した今日、律は次のステップを意識した。
それが律を弱気にさせていたのかもしれない。
人間が見せる態度は、様々な心理的要因が複合して表出される。
よって、恋人の唯とて、律が見せた態度の原因を断定する事まではできない。
だが、自分の言行が、律の内面に変化を齎した事は否定できなかった。
律のスイッチを入れて覚悟へと至らせた以上、責任は取らなければならない。
その事は理解していた。そして、歓迎している。
「唯……電気消して早くこっち来いよ……」
スイッチが入った律は、声で態度で唯を誘う。
これ以上焦らすなと、言外に伝えられているようだ。
指摘されるまでもなく、焦らしはしない。できない。
律の扇情は唯のスイッチを入れるに、十分だった。
「もう、止まらないよ」
落ちたと伝える言葉と共に、唯は照明を落とした。
律の熱っぽい息遣いが、暗室で唯に道標を与えてくれている。
そうして、律の服に触れた。
パーカーの柔らかい感触が、指に心地好い。
それでも足りずと律を抱き寄せて、シナモンのように甘く香るパーカーの肌触りを楽しんだ。
律のように柔らかく芳しい。
そしてこの素材の下には、象徴ではなく実物がある。
「ゆーいっ」
律も倣って、唯を抱き返してきた。
頬を擽る律の髪も、甘く香って柔らかい。
そして、密着させた律の身体は震えていなかった。
もう台風を恐れていない。
逆に、興奮に火照る彼女の内奥が、熱となって伝わってきていた。
-
「暗くっても、唯が何処に居るか分かるよ。
どうなってるか、分かるよ」
安心したような律の声が、唯の耳朶に染み入る。
同じ思いだ。欲を言えば、律の肢体を光の下で眺めたい。
だが、羞恥で喘ぐ律に、無理をさせる積もりはなかった。
彼女の歩調で、こちらに寄り添ってくれればいい。
先に控える夏休みは長いのだ。
だから今は彼女の希望に沿って、手探りの褥に留めておく。
それだけでも、望外に幸せだった。
「りっちゃん、脱がすよ」
荒事を始める合図に代えて、唯は告げる。
「唯も、幸せにしてあげる」
返ってきた律の言葉が、トリガーを引く。
二人、交わす言葉は違っていても、通う意味は同じだった。
季節も関係も、変わり目は荒々しく訪れる。
そしてこの台風が過ぎた後こそ、夏本番だ。
<FIN>
-
>>2-8
以上で完結です。
発表を快諾下さった御二方、及びお読み下さいました方々に、厚くお礼申し上げます。
付言して、皆様に残暑のお見舞いも申し添えておきます。
失礼します。
-
乙!
パーカーの役割が変わっていくのがいいね
律誕も楽しみにしてます
-
台風が二人の心を象徴するかのようです。
すこしづつ近づいていく二人はいつまでも幸せになってほしいものです。
"
"
■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■