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りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり

1 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:22:51 4Uyqxwuw0
閲覧不要

※注意
閲覧を強く非推奨

「律の新たな一面を見る為ならば、
どのような描写があろうと構わない。
他キャラの扱いも問わない。
マニアックな場面があっても許容できる」
このくらい、律に思い入れがある方でない限りは、閲覧を絶対にお控え下さい。
また、読まれて少しでも不快になった場合、すぐにこのスレを閉じて下さい。

それでは以下より、本編です。


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2 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:23:37 4Uyqxwuw0

 眼前に置かれた鮮やかな黄金色の米飯は、見ているだけでも飽きない。
ただ、見ているだけでは足りなかった。
中野梓は不作法を承知で、鼻を近付けて嗅ぎ込んだ。
蜂蜜の匂いに似た、甘い香りが鼻腔を衝く。

 隣では平沢唯も鼻を近付けているが、行儀を気にする様子はない。
却ってその気取らない仕草が、不作法ではなく可愛らしさを彼女に添えている。
逐一の所作を意識してしまう梓では、こうも自然にはいくまい。

「おー、ススキみたいな色なのに、爽やかな芝の香りがするねー」

 その唯の口からは、梓とは別の感想が漏れていた。
ススキよりは色が濃いと思うものの、香りに関しては唯の言う事にも一理ある気がする。
それは自分の嗅覚に対する不信ではなく、この香りを定義する事の困難の故だろう。
この香りを憂や澪、律はどう表現するのだろうか。
作法に則って前屈みの仕草だけで匂いを嗅ぐ彼女達へと、梓は横目を走らせた。

 澪と憂は、この匂いに顕著な反応を見せていた。
澪は何か思い当たる事でもあるのか、怪訝を表情に浮かべている。
一方の憂は萎縮しきった視線を、料理の提供者である紬へと向かわせていた。

「これ、サフランライス、ですよね?」

 憂の口から放たれた遠慮がちな声が、梓の耳朶を叩く。

「サフランっ?」

 梓の口から、反射的に上擦った声が吐き出される。
その名や特徴は知っていても、匂いを嗅いだ事は初めてだった。

「これが?」

 澪も驚いてはいるようだが、憂や梓とはその種類を異にする声調だった。
拍子抜け、と言いたげな内心が調子の下がった語尾に表れている。


3 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:24:44 4Uyqxwuw0

「サフラン?何それ?美味しい物なの?」

 唯は知らないらしく、座に視線を巡らせながら問いかけてきた。

「何言ってるんですかっ。とっても、とっても高価な香辛料なんですよ?
1gで1000円もするんです、1000円っ。
綺麗な黄色い色と、芳しい香りを料理に添える、貴重な香辛料なんですよっ?」

 梓は無知な唯よりも、無感動な澪に言い聞かせてやりたい思いで捲くし立てる。
姉のように慕い尊敬している先輩だけに、風雅を解さない澪の態度には幻滅した思いだった。
その怒りが激する声調となって、奔流のように梓の口から迸っている。

「1gで1000円っ?ふわぁ、高いんだねー。いいの?ムギちゃん」

 唯は口にしている物の価値が分かったらしく、珍しく畏まった様子を見せた。
稀少性や世に通底する評価を啓蒙していては、得られなかった反応だろう。
雅趣に疎い即物的な人間には、換価して示してやった方が価値は伝わり易いものだ。
ただ、梓の本来の目的であった澪には、それでも通じなかったらしい。
澪の顔が動揺に歪むような事はなく、端正な面立ちを保ったままだった。

「家族だけで使うのも勿体なくて。
普段から仲良くして貰ってる皆にも、味わって欲しかったの」

 最初の言葉こそ気を遣わせまいとする配慮だろうが、後の言葉は本心に違いなかった。
紬は家が金持ちである事を鼻に掛けたりするような人間ではない。
自慢したいが為に振る舞ったのではなく、純粋に友情の故なのだ。
梓は価値を伝える便宜の上でこそ換価したが、金銭では量れない紬の厚意を感じ取ってもいた。

「ありがとー。私、初めて食べたよー。
ん、ねぇ、憂。初めて、だよねぇ?」

「初めてみたいなもの、かな。
強いて言うなら、パエリヤ作った事あったでしょ?
あの時使った市販のパエリヤの素の中に、サフランも原材料として入っていたはずだけど」

 唯の質問に答えていた憂の顔が、紬へと向く。

「でも、入っていた量は僅かなものだったみたいです。
ここまではっきりした風味は感じませんでしたから。
なんか、私まで貴重な体験をさせて頂いて、有難うございます」


4 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:25:48 4Uyqxwuw0

「いいのよ。憂ちゃんにだって、お世話になった事あるから。
下級生にチケット撒く時、お手伝いしてくれたじゃない」

 紬に淑やかな顔で返されて、憂も気後れが解れたらしい。
スプーンを繰る手が滑らかになり、自然な笑みの浮かんだ口元にサフランライスが運ばれる。
梓は健啖な憂の食指に、持て成す紬の配慮が齎した和やかな雰囲気を見て取っていた。

 ティータイムのような気安さに、梓も倣って二口三口と口腔に放る。
紬が望んでいたであろう、穏やかで優しい時間が鼻の奥で感じ取れた。

「でもさ、この値段は高いよな。
これならもっと安価で、そっくりな風味も味も作れるよ」

 暖かい雰囲気に冷や水を浴びせるような低い声が、空気を引き裂く。
梓は思わず顔を顰めて、発言者の澪を見遣った。

「そんな事ないと思いますよ。
私だって今まで長い事料理してますけど、こんなに風味のいい香り付けなんてできませんでしたし」

 憂も気分を害したらしく、語気鋭く澪に噛み付いていた。
料理に無縁な澪の審美を、暗に嘲っている事にも梓は気付く。
穏やかな憂にしては珍しい態度だが、梓は驚きよりも共感の念を抱いていた。
紬の配慮を無下にされた怒りは、梓とて同じなのだ。
睥睨で以て憂に与そうと、澪へと向けている双眸に力を込める。

「りっ、りーっ」

 憂の言葉と梓の視線を遮るように、律が澪の前に立って吠えた。
澪が責められている状況を見過ごすつもりはないらしい。
だが、飼い主を守る犬のような仕草も、梓を怯ませるには迫力が欠けていた。
小柄な律では、虚勢を張って吠える子犬にしか見えない。

「分かったよ。論より証拠、だ。明日、それを振る舞うからさ。
それを実際に食べてみて、サフランライスと同等のものが安価に作れるか、皆が判断すればいい」

 憂並びに梓と、対する律の間で険しい視線が行き交う渦中。
当の澪が、声から力を抜いて言った。
憂の剣幕に驚いたのか、律の健気な姿勢に心を打たれたのか。
梓には判断が付かないが、澪に口論する気はないらしい。
ただ、撤回する事もなかった。
だから梓は澪の提案を、挑戦と受け止めて返す。

「そうですね、是非とも実証して頂きたいものです。
口論していても埒が明きませんし。
憂もそれでいいよね?」

「うん。あそこまで言ったんだから、実際に現物を拝ませて貰わないとね」

 梓に返答しつつも、憂の瞳は澪を見据えたままだった。


5 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:27:13 4Uyqxwuw0

「じゃ、明日の昼頃、私の家に来てくれ。
皆も予定は大丈夫か?」

 年下の挑戦的な態度に気分を害した風もなく、澪は紬と唯に視線を転じて言った。

「ええ、明日は空いてるの。楽しみにしてるわー」

「私も大丈夫だよー。えへへ、美味しい物を食べられるなんて、楽しみー」

 梓は先に返答した紬の声が、震えを帯びている事に気付く。
紬と唯、二人ともが『楽しみ』と言いつつも、込められたニュアンスには大きな隔たりが感じられた。

「よし。じゃあ、決まりだな」

 澪は紬の微細な変化に気付く風も見せず、サフランライスを掻き込み始めた。
その遠慮のない動作は、希少な食物を味わう態度には見えない。
有り触れた料理を口に入れる無心さそのものだ。

「ごちそうさま」

 梓が半分も食べ進めていないうちに、澪はそう言ってスプーンを皿に置いていた。
追随して、律がスプーンを繰る速度も上がる。

「急がなくていいぞ」

 澪が律を気遣って言うが、梓は紬を気遣って欲しかった。
律が澪に遅れた理由は、味わうが故に緩やかに食む梓達とは異なるものだろう。
小柄で口も小さく小食な律は、食を進める速度も必然と遅い。
その体躯に依る制限を除けば、律も澪と同じ側に属しているのだ。
この高価な料理に対する敬意など、幼馴染の二人揃って持ち合わせていないらしい。
流石に気が合っていますね、と。梓は皮肉ってやりたい気持ちだった。
今まで褒め言葉として使っていた表現が、牙となって口を衝かんと梓の胸で燻る。

「りー」

 梓が皮肉の衝動を堪えているうちに、律も食べ終わっていた。
ごちそうさま、に代えて鳴いたのだろうが、その声は紬に向いていない。
顔と共に、澪へと向いている。
紬に対する感謝よりも、澪に食事の終了を伝える事の方が重要らしい。

「食べ終わったか。じゃあ、お暇するよ。明日を楽しみにしててな」

「りーりー」

 食事途中の面々に構う事無く、澪は退室の挨拶と共に席を立っていた。
律も倣って梓達に手を振り、澪の背を追う。


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6 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:28:12 4Uyqxwuw0

「うん、じゃーねー。明日、楽しみにしてるよー」

 部屋から出て行く二人に応えた者は、唯だけだった。
唯一人の声に押されるようにドアが閉まる。
梓が窺っていた限り、澪と律から無言の抗議に気付いた素振りは見られなかった。

「は、確かに楽しみね。どうせ、バターで炒めたターメリックライス辺りでしょうけど」

 足音が遠のいた後で、紬が嘲りを声に含めて呟いた。

「ターメリック?」

 唯が無邪気に首を傾げる。
普段通りの爛漫な反応でしかないのに、梓は新鮮な印象を受けていた。
初めて知った唯の一面であるかのようにさえ感じられる。
険悪な雰囲気の中の場違いな仕草が、そう思わせているのだろうか。

「ウコンよ」

 唯の疑問を受けて、紬が言葉短く答えた。
まだ怒りが冷めやらぬのか、丁寧な対応をする心の余裕などないらしい。

「ウンコ?」

 唯の首が再び傾いだ。梓は我が耳を疑う事も忘れて、反射的に叫ぶ。

「ゆっ、唯先輩っ」

「おっ、お姉ちゃんっ」

 窘めるような憂の声が続く。
その声を聞き終わった頃には、梓は唯の意図に気付いていた。
考えてみれば、如何に唯とはいえ直接的に品のない発言をした事はない。
驚きのあまりその思考が追い付かず、声が先行してしまっていた。
だが、今なら分かる。

 唯は険悪となった場を和ませようとしていたのだ。
思えば、去りゆく澪と律に一人挨拶を返した者も唯だった。

 だが、気付いたところで、賛同できるかは別問題である。
唯の心意気は買うにせよ、あの二人を許す気にはなれない。

「まぁ、そんな所かしら。サフランに比べたら、そのくらい格が違うもの。
排泄物を振る舞われるくらいに思ってもらって、差し支えないわ」

 言いながら、紬の頬に嘲笑が浮かぶ。紬の怒りは、梓以上らしかった。
唯の品のない表現さえ、澪と律を謗るレトリックへと転用している。

「明日が、楽しみですよね」

 瞳に瞋恚の焔を滾らせ、憂が続いた。
唯だけが、戸惑ったように瞳を右往左往させている。
梓は緊張の緩和に助勢するつもりはなかったが、義憤に駆られない唯を詰る事もしなかった。
梓とて澪と律に対する激しい怒りはあれど、この限りで関係を断とうとまでは思っていない。
そうなると、一人くらいは中立の立場で居てくれた方が有り難い。
関係を修復する役が居るからこそ、梓達は存分に怒る事ができるのだ。

 だからこそ明日は、今日のように我慢はしない。
澪が馬脚を現し次第、存分に罵ってやる積もりだった。

「うん、楽しみ」

 梓も二人に与する発言をしながら、今度唯に甘い物でも奢ってやろうか、と思った。


7 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:28:59 4Uyqxwuw0

*

 翌日、梓達を迎えた澪の顔には余裕があった。

「ああ、揃って来たか。準備はもうできてるよ。すぐに食べさせてやるな」

 昨日の澪の態度は、失言を繕う過程で引くに引けなくなったものだろうと。
一晩経てば、泣きを入れてくるだろうと。
そう思って、ここまでの道程を歩んできた梓は拍子抜けの思いがした。

「お邪魔しまーす」

 呆ける梓を余所に、唯が先に立って澪の家の敷居を跨いでいた。

「あ、お邪魔します」

 喧嘩を買いに来たのに、劈頭から闘志を抜かれている訳にもいかない。
梓も唯に倣って、敷居を跨ぎ敵地へと乗り込む。

「お邪魔します」

 後方から憂と紬の声が被って聞こえて、ドアの閉まる音が聞こえた。
その音が梓には、監獄の檻を閉ざす音のように重々しく響く。
啖呵を切って引き返せない者は、澪のはずなのに。

 気を飲まれては負けだ。梓は弱気に傾いた心を努めて奮い立たせると、三和土に靴を揃えて置く。
隣には、見慣れた律のブーツもあった。
役者は揃っているらしい。

「ああ、律も来てるよ。キッチンで皆を待ってる。こっちだ」

 梓の視線に気付いたのか、澪は先導する前に説明を前置きしていた。

「ええ。律先輩も居なければ、話になりませんからね」

 澪の背を追いながら、梓は語勢を強めて言う。
律は昨日、澪の側に立って自分達に牙を向いていた。
彼女も当然、梓にとって裁きの対象である。
直接的に紬の好意を無下に扱っていないとはいえ、澪に与した以上は逃亡を許すつもりなどなかった。

「ああ、そうだな。律が居ないと話にならない。
梓、もしかして、分かってるんじゃないのか?」

 凄む梓とは対照的に、澪の声音は楽しそうに弾んでいた。
その態度も、言葉も、全てが梓の疑念を誘う。

「何を」──分かっているって言うんですか?

 問おうとした時、澪が立ち止まって振り向いた。
キッチンに付いたらしく、澪の顔越しに卓へと付いている律の顔が覗ける。


8 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:30:06 4Uyqxwuw0

「さ。好きな席に座ってくれ。すぐに振る舞うから」

 澪は梓達に指示すると、炊飯器へと歩いて行った。
梓は言いそびれた疑問を飲み込んだまま、言われた通りに席へと着く。
憂や唯、紬も卓を囲んで座った。

 澪を見遣ると、炊飯器から黄色い米粒を椀へ盛り付けていた。
匂いを拡散するかのような湯気が立ち昇り、芳しい香りが梓の鼻腔にまで届く。
紛れもなく、昨日味わったサフランの香りだった。

「いい匂いだねー」

 鼻のいい唯が満悦の声を上げる。

「だろう?ほら、味も確かめてみな?」

 トレーから、卓へと。黄色い米飯が盛り付けられた椀を、澪が移してゆく。
梓は各々の席へと、それを回してやった。
最後に自分の分を確保してから、目を眇めて観察する。

 炊飯器を使った以上、バターで炒めたターメリックライス、という紬の予想は外れたらしい。
尤も、昨日のサフランライスと違う点もあった。
昨日のもの以上に、濃い黄金色が映えている。
香りもまた、炊飯器から梓の位置まで届くこちらの方が強い。
後は、味がどうなっているのか。
梓は箸を手に取ると、口に運んでみた。

「美味しいっ」

 意図せず、口から感嘆の声が漏れていた。
品のある味わいは同様だが、昨日のものに甘みが加味されている。
周りを見れば唯は言うに及ばず、紬や憂も顔を蕩けさせていた。
負けを認めたも、同然の顔である。

 だが、まだ敗北が決定的となった訳ではない。

「確かに、美味しいです。でも、本当にこれが、サフランよりも安く作れるんですか?」

 味わい続けたい欲求を堪えて、梓は得意気な澪を難じた。
澪は昨日、サフランよりも安価にこの風味を再現してみせる、と豪語していた。
高価な材料で作ったのであれば、澪は約束を履行した事にはならないのだ。
──勿論、等価の材料で作ったとしても。


9 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:31:31 4Uyqxwuw0

「なるほど。こうきた訳ね。澪ちゃん、無理したんじゃない?
この濃度を出す程、サフランを注ぎ込んだんだから、相当痛い出費だったんじゃない?」

 加勢してきた紬が、梓の言いたい事を代弁してくれていた。

「サフランなんて使ってないよ」

 澪の顔から、勝ち誇る様子は消えていなかった。
どうせ演技だろう。梓はそう見込むと、追撃の言葉を放つ。

「じゃあ、レシピを公開して下さいよ?材料は何を使ってるんです?
そしてそれは幾らなんですか?」

「そうですよ。澪さんは、サフランより安い、って言っていたじゃないですか。
コストまで明示して、漸く澪さんはそれを証明した事になるんですよ?」

 憂も語勢を強めて、澪に言い寄った。

「安いって言うか、無料だよ。非売品だけど、身近な材料で作れる」

「非売品ですって?」

 紬が声音で澪を嘲った。胡散臭い言葉だという思いが、言外に込められている。
梓も追い討ちを掛けて言い募る。

「それ以前に、どうして完成品だけ食べさせるんですか?
作る所から見たかったです。そうすれば、手早くQEDだったのに」

「早く味わってもらいたかったし、タイミングの問題もあるからな。
いつでも作れるって訳じゃない。作れるタイミングになったら、目の前で実演するよ」

 苦しい言い訳だと、梓は思った。
尤も、苦し紛れの逃げ口上に終始しながらも、なお表情から余裕を消さない澪は大したものだとも思う。
目立つ事を嫌う性格から察して、余裕のない人間だと思っていた。

「あら、それは何年後の話になるのかしらぁ?」

 抑揚の込められた底意地の悪い声で紬が煽る。
聞いている梓まで溜飲が下がるようだった。


10 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:32:31 4Uyqxwuw0

 だが、当の澪に神経を逆撫でされたような様子は見当たらない。

「そんな先の話じゃないよ。今日中……そういえば律、例えば今は大丈夫か?」

 紬の皮肉に苦笑で応じた澪の視線が、律へと向く。

「り」

「そっか、そうだよな。結構、時間経ってるもんな」

 律の小さな首肯を受けて、澪が一人納得したように顎を上下させながら言った。

 追い詰められているだけだと、梓は思う。
本当なら、澪は有耶無耶にしてしまいたかったのだろう。
だが、怒りに荒ぶ紬は、その思惑を許しはしなかった。
今から実演すると言ってしまった以上、澪の詰みは近い。

 律の協力を得ているかのような口振りも、哀れな悪足掻きでしかないだろう。
或いは、断罪を目前に、律も共犯だと強調する狙いがあるのか。
もしそうなら、律を売ってまで保身に走る澪へと、梓は渾身の嘲罵を浴びせてやるつもりだった。
このまま顔に嘲笑が貼り付いてしまっても構わないくらい、嘲弄の限りを尽くして蹂躙してやる──

「りっちゃんが作ったの?」

 今まで黙っていた唯が口を挟んできた。

「いや?律の協力が不可欠ってだけだよ。材料にね」

 炊飯器から取り出した内釜に、米を入れながら澪が答えた。
材料に律の協力が必要など、有り得る訳もない。
嘘に嘘を重ねるから、言動に破綻を来してくる。
質問した唯も澪の返答に首を傾げ、怪訝を露わにしていた。

 梓達の冷めた視線に気付いた風もなく、澪はシンクの前に立って米を研いでいる。
憂などは焦れたように、テーブルの上で指を盛んに組み替えていた。
梓は溜息を堪えて、分かり切った結果を待つ。

「このぐらいでいいな。律、出番だぞ」

 研がれた米の入った中釜をキッチンの床に置いて、澪が律に呼び掛けた。
対する律は、顔を俯かせてしまっている。


11 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:33:43 4Uyqxwuw0

「律?」

「りぃー」

 再度の澪の呼び掛けに答える律の声は、細く弱い。
澪より先に、律の方が白旗を振ったか。
そう思い瞳に収めた律の顔色は、赤かった。
表情を伏せてはいるが、目元から頬に掛かって走る朱の斜線が確かに覗ける。
断罪を恐れた顔色ではない。羞恥の顔色だ。
負けを認める事が恥ずかしい故、だろうか。
それとも──他の理由で恥じらっているのだろうか。

「ほら、律、恥ずかしがってないで。
皆の見ている前でやらないと、意味が」

「やらないのではなくて、できないんじゃなくって?
こんなのに付き合わされて、りっちゃんもある意味被害者かしら?」

 言い掛けた澪を遮って、紬が言葉を被せた。
澪の無茶な指示に律が戸惑っている、紬は状況をそう読んだのだろう。
ただ、梓には律が躊躇っているようにしか見えなかった。
紬は状況だけ見て、律を見ていないのだ。

「りっ」

 紬に煽られて、律も葛藤に決着が付いたらしい。
覚悟を決めたように短く鳴いて、小さな体を起こしていた。
顔は相変わらず赤いが、進む足取りに迷いは見られない。
その歩みが、中釜の前で止まった。
そして律の手が──

「何をしているのっ?」

 絶句してしまった梓を代弁するように、紬が叫んでいた。
驚いた事に、律はスカートを下ろしたのだ。
そうして、ショーツにも手が掛かる。

「りっ、律先輩、何をっ」

 息も絶え絶えに、梓は叫ぶ。
驚愕のあまり、断続的に言葉を紡ぐ事で精一杯だ。


12 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:34:59 4Uyqxwuw0

「まぁ、私達を信じて、静かに見てろよ。サフランに似た風味の材料、見せてやるから」

 澪だけが、冷静な対応を見せていた。
慣れているような揺らぎのない態度が、澪の発言に真実味を添える。

「りっ、りーっ」

 性器を晒して炊飯器に跨った律の尿道から、黄色い液体が噴出した。

「はぁっ?」

 梓の口から、意図せずして頓狂な声が飛び出た。
何をしている、何を。混乱する思考が、それ以上の言葉を編み出させない。
だが、論理ではなく、感覚が理解する。
これは、この匂いは──

「何を自棄になっているんですかっ?
そこまでするくらいなら、嘘だったって、謝ればいいじゃないですかっ」

 憂の放つ悲鳴のような叫び声が、梓の鼓膜を深く衝く。
だが、それ以上に強く衝かれている鼻腔が、憂の言葉を額面通りに受け取らせてはくれない。
見るだけならば、憂の言う通りに自棄になっただけだと思えただろうに。
サフランの香りさえ、漂ってこなければ。

「いや、実際にこれが材料なんだよ。証拠に、匂いを嗅いでみろよ。
この色合いを見てみろよ。
律のコンディションによって違いが出るから、完璧に一致まではしないだろうけれど。
でも、同種のものだってくらい、分かるはずだろ?」

 澪の言う通りだった。憂の言う事を信じたい。だが証拠は全て澪だけが提出している。

「ふざけないで……そんなものが、材料になる訳ないじゃない」

 震えた声で紬が言う。つい先程までとは、心象が逆転してしまっていた。
紬の態度は、強がって悪足掻きをしているようにしか見えない。
その儚い抵抗も、これから澪が実証によって粉砕してしまうのだろう。
律の尿に浸されたライスを炊き、今卓上にある黄色い米飯と同じものを提供する。
以って、澪の口からQEDが宣告されるに違いなかった。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。っていう事は……」

 紬よりも一層震えた声で、唯が口火を切る。
気付いてはいけない事に気付いてしまった。その後悔が痛い程に伝わってくる。
だから、黙って欲しかった。梓にとって”それ”はあまりに酷で、突き付けられたくない現実なのだ。


13 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:36:07 4Uyqxwuw0

「さっき一口二口と食べたこのサフランライスは」

 梓の願い虚しく、唯の口から震えた声が零れた。

 黙れ。言うな。言うな。言うな。
梓は心の中で強く強く念じた。お願いだから言わないで下さい。それ以上続けないで下さい。
黙れっ。

「りっちゃんのおしっこで」

「違うっ。尿なんかじゃないっ」

 唯の言葉を遮った金切声が、キッチンを劈いた。
救いを求める思いで、梓は声の主へと視線を向ける。
梓の視界を占めて屹立する澪が、頼もしい堅牢な城壁にも見えた。

「律は天使なんだよっ。天使が排泄なんかするかっ。
私達みたいな人間風情と一緒にするなっ」

「いや、だって、今現に……」

 吠える澪に気圧された風を見せつつも、唯が事実で以て立ちはだかった。
そう、澪の言に縋るには、その事実が邪魔だった。
梓の脳裡にも刻み込まれている映像は、律が紛れもなく排泄した事を証している。

「あれは尿じゃない。りしっこ、って言うんだ」

 梓は弾かれたように背筋を伸ばした。
特殊な性癖を持っておらず衛生観念も正常な梓にとって、尿を摂取したなど耐えられない事だ。
だが今、眼前には蜘蛛の糸が垂らされている。
そうだ、あれが尿でないならば──自分は性的にも衛生的にも狂った事はしていない──

 梓の視界の端、律が恥ずかしそうに頬を染めて俯いている。
りしっこ、という言葉に羞恥を衝かれたらしい。
その可憐な姿を、焦点に捉える。
この可愛らしい生き物が、排泄などするだろうか。
また、尿があのような香りを放つだろうか。
そして、尿がこのような芳しい色合いと味を米に付すだろうか。

 自問に否と返す梓の中で、澪の言うりしっこを肯んずる為の根拠が堆積されてゆく。
人は得てして、自分に取って都合のよい話を信じたがるものだ。
そして追い詰められた時ほど、その傾向は強くなる。
全ての進路が塞がれた人にとっては、
オプティミズムに縋る事が最早最良の選択肢となるのだから。
悪質なビジネスもカルト宗教も、そういった人の弱さに付け込んで成立しているのだ。


14 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:37:07 4Uyqxwuw0

「何を狂った事を言っているの?馬鹿馬鹿しいわ。いい加減にして頂戴っ」

 我を取り戻したと宣すような紬の金切声が、凍り付いていた一室を動かした。
唯が、憂が、立ち上がって口を開く。

「そうだよ。私達にそんなもの口にさせるなんて、澪ちゃんはどういう積もりなの?」

「こんな非道な真似、幾ら追い詰められての事とは言え、許せませんっ。
絶対に、許せませんっ」

 違う。梓は胸中で呟いた。憂は気付いていないのだ。
澪へ向けて言ったに違いないその言葉が、本当は自分達に向けられている事に。
追い詰められている側は、自分達の方だ。
そして──その行為を許せるのか?
その問いも、自分達に向いている。
梓の答えは、決まっていた。

「何怒ってるの、憂。唯先輩やムギ先輩も、落ち着いて下さいよ」

 梓は落ち着き払って言い放つ。
呼び掛けられた彼女達の、剥かれた目が梓に向いた。

「梓ちゃん?怒るのは当たり前でしょう?それとも梓ちゃんは、許せるの?
私達、尿を含んだ米を食べさせられたんだよ?それを、許せるの?」

 憂の口から零れた声を、怒気と戸惑いが震えさせていた。

「憂。私達、尿なんて口にしてないよ?澪先輩が言ってたじゃん。
あれは、りしっこだよ。尿じゃない。私達の排尿とは違う、高貴な液体だよ。
だから怒るんじゃなく、本来感謝するべきだよ」

 自分に言い聞かせるように、否。
自分に信じ込ませる気迫を込めて、梓は言った。

「梓ちゃん?正気なの?あんな屁理屈。
んーん、ただの妄言に耳を傾ける余地なんて、あると思うの?」

 憂の表情から戸惑いが消え、純粋な怒気が声とともに繰り出される。

「だから、妄言じゃないって。事実だよ。
あれはりしっこ。尿じゃない。だって──」

──尿を摂した自分なんて許せないから

「そうしないと、私達、尿を口にした事になるんだよ?
憂はそれでいいの?ねぇ、憂、私達、尿なんて嚥下してないよね?
憂は私の事、尿を摂取した人間だなんて思わないよね?
私は憂の事、尿を摂取した人間だなんて思いたくないっ」

 梓は話している内に感情が昂ぶり、最後には縋るように吠えていた。
対する憂の顔からは怒気が消え失せ、左右に揺れる瞳に純粋な戸惑いが表れている。


15 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:38:34 4Uyqxwuw0

「それは……。梓ちゃんの言う通り、私達が尿を口にしたなんて、信じたくないけど。
認めたくないけど。でも」

 ここまで来て、憂は未だ現実への未練を捨てきれないらしい。
歯痒い思いが梓の口を衝き、迸る声を甲高く尖らせる。

「私達だけじゃないよっ?憂のお姉ちゃんだって、尿を胃に収めた事になるんだよっ?
いいの?大好きなお姉ちゃんが、そういうものを食べたって事にしちゃって、許容できるのっ?
お願い、憂ぃ。私の事も、尿を飲んだなんて認めないでよ……」

 憂の瞳が激しく左右に揺れた。
その一端は姉である唯に振れ、もう一端が梓に振れる。

 数秒続いた視線の忙しい往復は、梓を焦点にして止まった。
見返した憂の顔は、小刻みに震えている。
その先端で痙攣する顎が、緩やかに落ちた。
──堕ちた。
そう梓に確信させる動作だ。

「私、どうかしてたみたい。
梓ちゃんの言う通りだよね。
こんなに美味しくて、色合いも良くて、いい匂いのするものが、尿な訳ないものね。
うん、りしっこだよ、これは」

 自分の事だけなら強硬な態度を取れても、姉や友人を巻き込まれれば軟化せざるを得まい。
憂が周囲を優先して考える性格だという事は、今までの付き合いで梓も分かり切っている。
尤も、憂の性格に付け込んで意見を翻させた自分に対して、梓は些かの気後れも感じていなかった。
或いは、気付いていない風を通していた。
これがりしっこだとする自分の信念に、微かの迷いさえ生じさせたくはない。

「憂っ?憂まで何言ってるの?」

 正気を疑うような、と形容すべき表情なら、梓も今までの人生で幾度か見てきている。
だが、それを唯が浮かべる事も、それが憂に向けられる事も、梓は初めて見た。

「梓ちゃんの話、聞いてたよね?」

 唯を見る憂の目は、縋るように震えていた。姉に甘える妹そのままに。


16 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:39:37 4Uyqxwuw0

「うん。私を思い遣ってるのは分かるよ。
でも、澪ちゃんのした事は許せな」

「それだけじゃないの、お姉ちゃんっ」

 唯の言葉を遮って、憂の声が割り込んだ。
言葉に変わって訝しげな視線を向けてきた唯に、憂が悲壮な表情で言い募る。
文節の区切りを強調する為の長い間が置かれた、明瞭かつ力強い語調で。

「私、お姉ちゃんが、尿を飲むなんて、認められないよ?
でも、それ以上に、私が尿を飲むような妹だなんて、お姉ちゃんに思われたくないの」

 唯が目を瞠り、短く息を吸った。空気を切るような吸音が、梓の鼓膜を衝く。
それはもしかしたら、自分の呼吸音かもしれなかった。
梓も唯同様、意表を突かれていたのだから。

 梓は憂が、姉のイメージを崩したくないが為に、りしっこを受け入れたものだと思っていた。
だが憂の本音は、姉からのイメージを崩したくないという点にあったのだ。
梓の言説は、その連想に至る誘因として機能したに過ぎないらしい。

 そしてこの意図していなかった顛末から、期待を越える効果が紡ぎ出されようとしている。
──連想から、連鎖へと。
唯の愕然とした表情が、梓にそう教えてくれていた。

「お姉ちゃん、お願い。私の事、汚らしい妹だなんて思わないで。お願い」

 呟く憂が震える。受けた唯も震えた。
ただ、振れる方向が姉妹で異なっている。
憂は顔が横に痙攣し、一方の唯の頭は縦に慄いていた。
その違いが、徐々に隔たりを露わにしてゆく。
唯の動作が、大きくなっていったからだ。
それが首肯に至ったと、梓が認識した時。
唯が口を開いた。

「汚いだなんて、思わないよ。だって、憂は汚いものなんて、何も口にしてないんだから。
だって」

 妹に語りかける唯の声音は優しかった。
言葉が途切れても、その余韻が梓の耳に残っている。
そして今、覚悟を込めるかの如く、唯が深く息を吸い込んだ。
優しい姉を貫き通すと、意を決したのだろう。

「あれは、りしっこ、だもんね」

「お姉ちゃんっ」

 短く叫んだ憂の身体が、背を拉がれたように前方へと傾く。
唯の──姉の胸へと。

「よしよし」

 唯は抱き付いてくる憂を受け止めて、その胸に凭れる妹の頭を撫でた。
陥落した姉妹が抱き合い慰め合う様を、梓は瞳に強く強く焼き付ける。
これで良かったのだと、自分に言い聞かせる為に。
或いは、犯した罪悪の重みを自覚する為に。


17 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:40:51 4Uyqxwuw0

 これで良しとするはずなのに──。
抱き合う姉妹の姿を否定するかのような、強く食卓を叩く音が響いた。

「くっだらないわっ。いい加減にして頂戴っ」

 紬が両手を食卓に打ち付けた勢いそのままに立ち上がり、顔を伏せて喧しく吠えた。
打たれた衝撃で卓上の食器が揺れ、素材の硝子が金切声を上げて鳴く。
紬の叫喚の残響であるかのように、それは室内に甲高い耳障りな音となって響いていた。

「りっ、りぃーっ」

 紬の剣幕に驚いたのか、律が涙声を靡かせて澪の胸に飛び込んだ。
それを片腕で抱き止めた澪が、空いている手で律の頭頂を優しく撫でる。

「よしよし。こら、ムギ。いきなり怒鳴るなよ。
律が怯えちゃってるじゃないか」

 律の頭に手を添えたまま、澪が険しい眼差しで紬を責めた。
伏せっていた紬の顔が上がり、瞋恚の睥睨が澪を迎え撃つ。
衝突して火花の散る視線を、双方とも逸らそうとはしない。
一歩も、退こうとしていない。

「貴方にも怯えて欲しいくらいよ。何よ、平然と構えちゃって。
りしっこだなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。
こんな物を食べさせて、どう始末を付ける積もりなのっ?」

 視線を衝突させたまま、紬が澪に噛み付いた。

「こんなものとは何だよ。律の可愛らしい好意を踏み躙る気か?
それに私達は、責められるような事なんてしていないぞ。
サフランライスに似たものを、安価に振る舞うって約束を果たしただけじゃないか。
第一、お前だって、それを楽しみにしてた一人なんだからな」

「どうせ、大口叩いたら引くに引けなくなっていったってだけでしょ?
できもしない約束なんかして、追い詰められたからって自棄を起こして、こんな暴挙に出たんでしょ?
始めから謝れば良かったのよっ。それで恥を甘受すればよかったのよっ。
こんなもの食べさせて、尿なんて食べさせてっ、
もうっ、謝ったって済まない事態になっちゃってるのよっ?」

 発言が進むにつれて、紬の声に露わな感情が乗っていった。
自分の吐いた言葉が、彼女自身の感情を昂ぶらせているかの如き有様だ。
そして最後には、自棄を起こしたかのような叫喚へと至っている。

「いや、私はできもしない約束なんてしていない。自棄になってもいない。
繰り返すけど、私達は約束を果たしたんだ。
実際、味も匂いも似ていただろ?」

 問い掛ける澪の声音は、一転して冷たい。
気圧されたのか、対する紬の視線が逸れた。
そうなのだ。実際に、この黄色い米飯は、昨日食べたサフランライスに似ている。
多少の違いはあるが、その差異も澪の言に加勢する役を果たしていた。
サフランそのものを使った、という推量を否めるからだ。


18 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:42:04 4Uyqxwuw0

「似ていただろ?」

 黙りこくった紬へと、澪が容赦なく問いを繰り返す。

「……っ。だからって、こんなものを食べさせる必要ないじゃないっ」

 澪の質問が弾となって、紬を撃ち抜いたのだろうか。
そう思えるくらい、紬の口から迸った声は悲鳴に似ていた。
その甲高い叫喚に、もう一つ甲高い音が交じっている。

「りぃーっ」

 律が悲しげな鳴き声を上げた。
紬が自分に給されていた皿を引っ繰り返したのだ。
その行為こそが、もう一つの甲高い音の正体だった。

「お前っ、何て事するんだっ。
律が折角、りしっこを提供してくれたのに」

 抗議の声を上げる澪に、紬の血走った眼が向く。
吐く息も荒く、発作の余韻を表していた。
皿を引っ繰り返すと言う乱暴な行為が、紬自身を攻撃的な姿勢へと駆り立てているらしい。
怒りが攻撃的な言行に繋がり、その攻撃的な言行が更に怒りを煽る。
梓の目にも明らかな程、紬は典型的なヒステリーのスパイラルに陥っていた。
その螺旋階段の行き着く先は、孤立でしかない。

「ムギちゃん、みっともないよ」

 唯の声が割って入ると、紬の血眼はそちらへと矛先を転じた。
口を開くまでもなく、裏切り者、という絶叫が決した眦から発せられている。

 対する唯に、怯んだ様子は見られない。

「これがおしっこなんかじゃないって事、分かるでしょ?
おしっこがこんなにいい匂いする訳ないんだから。
これだけ証拠を揃えられているのに、自論に固執しちゃうなんて、
滑稽も暗愚も通り越して見苦しいよ」

「何よっ。唯ちゃん、いえ、貴方だって、怒っていたじゃないっ。
尿なんて食べさせられて、怒り心頭だったじゃないのっ」

 紬は普段通りに唯を呼称してから、他人行儀な三人称へと言い換えていた。
換言の際に慌てた様子はなく、始めから訂正するつもりだったのだろう。
紬の穏やかではない心中を、梓は敏く感じ取る。


19 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:43:29 4Uyqxwuw0

「誤解してたからね。でも私はいつまでも、妄執したりしないんだ。
それとも何?ムギちゃんは、私の憂がおしっこを口にしたなんて言う積もりなの?
幾らムギちゃんでも、私の憂を穢すような事は許さないよ。
絶対に、許さないよ」

 声に力を込め、双眸毅然と唯が言い切った。
妹を抱く腕にも力が籠もり、憂を囲む両腕の輪も狭まっている。
気圧された紬とは対照的に、憂は潤んだ瞳で姉を見上げていた。
その瞳が紬に向かった時には、もう潤んでなどいない。
怨敵を見据える、決然とした眼差しに転じていた。

「お姉ちゃんの言う通りだよ。
私達の事、紬さんの意地で穢したりしないで下さいっ。
律さんにも謝って下さい」

 姉の心持ちに心を打たれたに違いない。
元はと言えば、憂が懇願したからこそ唯はりしっこを援用したのだ。
憂は唯に同調の声を上げる責任があった。

「な、何を言っているのよ?
貴方を、いえ、私達を穢したのは、あの二人なのよ?」

 紬の人差し指が律と澪へと向けられる。
声同様に震えた、弱々しい手付きだった。

「おい。今度は私の律を貶す積もりか?
排尿なんてすると、まだ言い張って律を貶めるのか?
私だって唯と同じだ。
いくらムギが相手でも、私の律を悪し様に扱うなら、絶対に許さない」

 澪が怒気露わに凄んだ。
獰猛な肉食獣でさえ、逃げ出しかねない容貌だ。
それが今、紬へと向いている。

「りー、りー」

 律も澪へと、鳴き声で以って与していた。
澪の両腕の中、頻りと拳を振りながら繰り返し発声している。
梓の瞳には、唯に抱かれ守られる憂の姿と重なって映った。

 ならば、孤立し傷付いた紬を、誰が抱いてあげるのだろう。
そして自分は──と、梓は胸の中で自問した。


20 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:44:44 4Uyqxwuw0

「もういいっ」

 紬が甲高い声を上げながら、激しく頭を振った。
全てを投げ捨てるような、激しい動作だった。
異邦人に囲まれてコミュニケーションを放棄する、理解されない人間の姿だ。
そして、自分こそが正気だと信じてやまない狂人の姿そのものだ。

「帰るわっ。好きにして頂戴っ」

 紬は叫びざまに食卓へと背を向けた。
勢いで椅子が弾き倒されて、太い音を短く響かせる。
紬は気にする様子もなく、言葉通りにキッチンの出口を目指していた。
歩く度、聳えた双肩が揺れる。
梓の目にはその乱暴な足取りが、部活そのものから去る紬の姿と重なって映った。
間違いなく、紬はこのまま退部するつもりだろう。

 だが──梓にそれを見過ごす積もりなどなかった。
紬の背に抱き付いて足を留め、叫ぶ。

「待って下さいっ」

 そうする義務があると、確信していた。
梓の胸の中で、その答えが出ていたのだから。
澪が律を抱いているように、唯が憂を抱いているように。
梓も、紬を両の腕に収めた。

「何よ。貴方だって、りしっこを信じているんでしょう?
私の事、見苦しいって思っているんでしょう?」

 体格で梓に勝るはずの紬は、抱擁を振り解こうとはしなかった。
だが、言葉にも声調にも、彼女の自棄になった心持ちが表れている。
手酷く糾弾された人間は、周囲全てが敵に見えてくるものだ。
それが自分を更に追い詰める事になると理解していても、
孤独が産む妄執は容易には消えてくれない。

 だから梓は、優しい声音で囁いた。
自暴自棄となった人間に、否定で突き放していては拗れる一方だ。
相手の言と尊厳を肯定しつつ、自分達の側へと流していかなければならない。

「いえ、見苦しいだなんて、思っていません。
確かに、りしっこを認めてはいます。
でも、それは、ムギ先輩の為なんですよ?」

「何を言ってるの?何処が私の為だって言うのよ」

 紬の口調には相変わらず険があるものの、語勢は落ち着きを取り戻してきていた。
紬を慮ってやった事が、功を奏したのだろう。
梓は紬を離すと、こちらへと身体を向かせた。
対面して、目と目を合わせて話す必要がある事だ。
態度の軟化している紬は、抵抗せずに従ってくれた。


21 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:46:03 4Uyqxwuw0

「だって、ムギ先輩の振る舞ってくれたサフランが、尿と同等の訳がないですから。
いえ、物自体はどうでもいいんです。
私は、ムギ先輩の好意が、おしっこと同等だなんて耐えられないんですっ」

 訴えかけるように、梓は語尾に掛ける勢いを強めた。
併せて尿を俗語で表現した事にも、醸した幼稚さで不釣り合いを示す意図がある。

 自失の体で立ち尽くす紬から、怒髪の威勢はもう見えない。
声や怒りに留まらず、生気さえも失くしたかのような姿だった。
梓は澪や唯達に聞こえないよう、耳元で声を潜めて畳み掛ける。

「それは憂や唯先輩だって、同じ思いのはずです。
そういう配慮だって、りしっこを認めた背景にはあるはずです。
なのに、この事態の原因となる食事を振る舞った当のムギ先輩が、
その配慮を汲んでくれないから、あんなに怒ってるんです。
お願いです、ムギ先輩。私達の配慮を汲んで下さい。
ムギ先輩が振る舞ってくれた好意に、報いたいんです」

 紬の顔色は蒼白だった。
無理もない。この事態の全ての責任が、彼女の心に圧し掛かって拉いでいるのだろうから。
梓がそう突き付けたのだ。
貴方の為なのに貴方の所為なのに、自分だけ被害者を気取って好き勝手に怒るのか、と。

「ごめんなさい」

 消え入りそうな声が紬の青白い唇から漏れ出て、血の気の失せた頬を涙が伝った。
見ていられず、梓は再び紬の身体を抱き締めた。

「ごめんなさいっ」

 耳元を、紬の悲鳴が劈く。
顔を見ずとも、紬が泣いている事は嗄れた声で分かった。
そして今度は澪達にも、紬の声は間違いなく届いたはずだ。
間近で聞いた梓の耳道が、痺れと共にそう教えている。

「りっちゃん、ごめんね。私、どうかしてた。
折角作ってくれたのに、引っ繰り返したりしちゃって。
美味しいのにね、いい匂いなのにね。
りしっこ、だもの。汚いはずがないものね。
その事も、ごめんなさい。りっちゃんが、尿を出すだなんて、言い張って、
りっちゃんを穢してしまって、本当に、本当に、ごめんなさい」

 紬の絞り出す涙声が、未だ痺れている梓の耳に入ってくる。
尤も、痺れの原因は、音量のせいだけではないかもしれない。

 目論見通りだが、梓の胸は重かった。
実際には、この勝負を受けた者は他ならぬ自分である。
にも関わらず、梓は紬の好意をこの事態の原因として論い、彼女へと帰責させたのだ。
紬から譲歩を引き出すという目的は達したものの、
何らの引け目も残さぬような過程は辿っていない。

 梓はその重みから逃れようと、必要な犠牲だったと心に言い聞かせた。
惨烈な犠牲を強いる為政者が、大義を掲げて正当化するように。
加えて──自分にも責任があるからこそ、けいおん部の崩壊を手段問わずに阻止しなければならない。
それこそが責任の取り方だとする論理も、梓は紬を拉いだ手立てへの擁護とした。


22 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:47:35 4Uyqxwuw0

 反面、紬がりしっこを認めさえすれば、澪や唯達も矛を収めるだろうとの確信があった。
その蓋然性を前提せずに、大切な仲間である紬に非道な駆け引きなど仕掛けはしない。

「なぁ、どうする?確かにムギは酷い事したけど、反省してるみたいだし。
お前が許すなら、私だって許してあげたいよ。
余人ならともかく、仲間なんだし」

 事実、律に語り掛ける澪の言葉からは、紬を許すよう促す含みが読み取れた。
梓が紬を翻意させた手段に言及する様子もない。

 澪達とて、紬の退部までは望んでいないのだ。
HTTを存続させていきたい思いだけは、
メンバー全員が他念のない本心から共有していると断言できる。
そして澪が主張を通しつつ部の存続も望むならば、妥協できる機は今しかない。
ここで過程にまで難癖を付けて、千載一遇の好機を逃したくはないだろう。

「りー」

 梓が算段した通り、律は澪の言葉に素直な反応を見せた。
上下に動く頭部も、紬への免罪を示している。

「当の律先輩が許すって言ってるんだもん。
私達が怒る理由なんてないよね?」

 律の意思表示を待っていた梓は、首を唯と憂へと振り向けて言った。
問いの形を取って、紬の赦免と場の和解を共有する確認の作業に過ぎない。
憂の衛生観念を守るという妥協点が満たされた今、姉妹が怒る理由はないのだから。

「ムギちゃんも過ちを認めてるし、いいよね?憂」

「うん、まあ。私だって、ちょっと言い過ぎたかなって、思ってるし」

 姉に促され、憂は歯切れの悪い声で頷いた。
思い返せば昨日、憂も梓と共に澪へ向けて挑戦的な態度を取っている。
紬を裏切ったように思えて、梓と同じく罪悪感を抱いているのかもしれない。

 昨日は中立を貫いていた唯の方が、割り切りは良いようだった。
罵った相手が紬だろうと澪だろうと、唯に負い目を抱く理由など見当たらない。
彼女は巻き込まれて、割りを食った形なのだから。
甘い物を奢ってやる程度では、贖いきれないだろう。

 思わず漏れそうになった苦笑を、梓は堪えた。
自分が信ずべき前提から考えれば、そもそも被害など誰にも出ていない。
唯が割りを食ったなどと、考えてはならない。
あれは”りしっこ”なのだから。


23 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:48:53 4Uyqxwuw0

「さ、一件落着した事ですし。続きを頂きましょう。
お替わりだって、あるんですからね」

 気を取り直した梓は、紬の抱擁を解いて卓へと導いた。
戻る紬の足音は弱く、双肩が力なく垂れている。

「あ、じゃあ、ムギのは粧い直さないとな。
今度は食べてくれる、よな?」

 確認するように、澪が問う。
紬は満身創痍の体ながら、頭を縦に振った。

「ええ。でも、粧い直す必要はないわ。
勿体ないし、私の責任だもの。これ、頂くわね」

 紬は自席の卓上へと撒いた米飯を指差しながら言った。
彼女なりの誠意なのだろう。
汲んだ梓は、止める事なく自席に着いた。

「いいのか?」

 代わって、澪が問うた。
そこまでしなくても、という言外の思いがあるのかもしれない。

「ええ」

 紬は前言を翻す事なく短く答えると、引っ繰り返っていた皿を除けた。
そうして全てが露わになった米飯の前、紬の身体が椅子へと落ち着く。

「そうか。じゃあ、改めて。頂きます」

「りーっ」

 澪が宣して、律が続いた。
梓達も、倣って声を揃える。

「頂きます」

 芳しい香りと高貴な味を噛み締めながら、梓は紬を盗み見た。
紬は机に突っ伏して、スプーンを使わずに口で直接食べている。
彼女の瞳の端に、梓は涙の粒を認めた。

 そして向かいには、律と澪が座している。
泣きながら頭を垂らす紬の姿勢は、その二人に対して屈服と恭順を乞うているようだった。

 澪は律と微笑みを交わし合っていた。
紬を嘲っているようには見えない。
単に、律の成分が高価な香辛料に勝ると認められて、嬉しいのだろう。

 梓は米飯を頬張る口元に、律と澪に倣って笑みを浮かべた。
この価値を信仰すると決めた以上、梓はもう蒙昧だった頃の自分ではないのだから。
こちら側の、人間だ。


<FIN>


24 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 00:50:56 4Uyqxwuw0
>>2-23
以上です。
リハビリがてらのお目汚し、失礼しました。


25 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 01:03:42 C.BTkcPI0
たまげたなぁ……


26 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 01:27:52 TVSuBaWg0
律の新たな一面ってか、澪の新たな一面を見た


27 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 08:04:36 aQEzZCUo0
スカトロ注意って書いとけよとか(りしっこだから必要ない?)
新たな一面ってレベルじゃないとか
色々言いたいことはあるけど


面白かったよ
真面目なやり取りと硬い文章が却って笑えた


28 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/11(金) 14:20:41 MxwnhTsM0
これ律誕とか澪誕でイケメン澪と乙女律っちゃん書いた人?今年澪誕なかったから律誕を楽しみにしてる
シチュはともかく「私の憂」「私の律」と言い切る唯と澪は格好良かったかな?しかしまたえらい作品だ…w


29 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/18(金) 03:17:07 E0XyeZzg0
以前書いたモノを教えて欲しいな


30 : いえーい!名無しだよん! :2014/07/19(土) 17:49:28 4zOa.lMI0
律はなぜしゃべれないのか分かんないけど、斬新なアイディアだな


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