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憂「文通」
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憂誕イブということで憂主役のSSです。
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拝啓、平沢憂様
お元気ですか?
私は元気です。
平沢唯
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*
あの日、見上げた空は薄暗い曇り空だった。
それ以来、空を見上げるといつも曇っているようにしか見えない。
私にとって、世界は灰色になってしまった。
この灰色の世界で、私は何がしたいのだろう。
これから何をするために生きていけばいいのだろう。
意味の失われた世界に色は存在しないのかもしれない。
勉強だって、スポーツだって、炊事洗濯家事手伝いだって、それなりにこなすことができた。
だから、私はまわりの大人によく褒められた。
こういうことは、世間の価値からすれば「意味がある」「価値がある」ことなんだろうけれど、私にとってはちっともそう思えなかった。
こんなことができたって、一体なんだというのだろう。
やりたいからやるんじゃなくて、やらなくちゃいけないから、やる。それだけのこと。
自分の為に、自分のことを、自分でやる。
そんな世界で過ごすうち、「楽しい」や「嬉しい」がわからなくなっていった。
灰色の世界にいる私には、夢中になれることも、誰かの為に一生懸命になれることも、何もなかった。なくなってしまっていた。
私は、たった一人、世界に取り残されたみたいだった。
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*
「憂、試験はどうだった?」
「う〜ん、どうだろう。まあまあかな」
「憂がまあまあっていうなら、きっと大丈夫ね」
「そんな…わかんないよ、和ちゃん」
雪道を2人、滑らないようにゆっくりと歩く。
もうすぐ3月も近いというのに、ここ数日寒い日が続いている。昨日の晩から降り始めた雪は、朝になると世界を銀色に変えていた。
「わざわざ迎えにきてくれたの?」
「うん、なんだか落ち着かなくてね」
「和ちゃんが緊張することじゃないよ」
「わかってるわよ…でも気になっちゃって」
そう言って、和ちゃんはちょっと照れくさそうに笑った。
「春からは同じ制服を着られるわね」
「そうなるといいけど」
「大丈夫よ」
「大丈夫かな?」
「きっと、大丈夫」
「…そっか。なんだか和ちゃん、自信満々だね」
「当たり前よ。だって憂は私の自慢の幼馴染なんだから」
「…ありがと。和ちゃん」
和ちゃんは私の合格を心から願ってくれていた。2人で同じ桜高の制服を着て、一緒に登校する日がやってくることを、強く祈ってくれていた。
本当に「私」と?
それは「私」じゃなきゃダメなこと?
他の誰かの代わりじゃなくて?
…私、嫌な子だ。
幼馴染の好意を真っすぐに受け取ることの出来ない私は、自己嫌悪を繰り返す。
後日。
私の努力が実を結んだのか、和ちゃんの祈りが天に届いたのか。
私は無事、桜高に合格した。
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*
桜の季節がやってきた。
新しい制服に袖を通して、鏡の前に立ってみる。
目の前にいるのは「私」。私以外の誰でもない…よね。
そんなの当たり前のことなのに、私は時々不安になる。今、目の前に、鏡の中にいる、髪を下ろして見慣れない制服に身を包んだ平沢憂は、平沢憂じゃないみたいだ。
じっと鏡の中の自分の瞳を見つめてみる。すると、どんどん自分が誰だかわからなくなっていく。なんだか不思議な気持ちになる。
鏡の中の世界に救いを求めるように、私はじっともうひとりの私を見つめ続けた。
ピンポーン!
ぼうっとした意識を覚醒させたのは玄関のチャイムの音だった。
「はーい!」
髪をキュッと結び上げ、玄関に向かう。
「おはよう、憂」
「おはよう、和ちゃん。どうかしたの?こんな朝早くから」
「あなたの制服姿を誰より先に、一番に見たかったのよ」
「もう、和ちゃんったら。大げさだよ」
一つしか歳の変わらないこの幼馴染は、いつも私のことを目にかけてくれている。
両親が留守がちでほとんど一人暮らしに近い私にとって、小学校に上がる前から可愛がってくれていた和ちゃんは、両親よりも肉親に近い存在かもしれない。
「制服、ヘンじゃないかな?」
「…そのうち慣れるわよ」
「…似合ってない、ってこと?」
「着慣れない感じが初々しくていいんじゃないかって意味」
「とりあえず褒め言葉として受け取っておくよ…」
この幼馴染は、要領がいいようで案外不器用だ。
そこは適当に誉めておけばいいんだよ、和ちゃん。
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*
「うーいー、クラブ見学行こうよー!」
「うん、まずはどこから行く?」
「軽音部かなっ!」
「軽音部?」
「かっこいいじゃん!バンド!」
純ちゃんはいつも楽しそうだ。
始まったばかりの高校生活、新しい毎日に目をキラキラさせている。
中学時代からの友達だけど、彼女はいつだって目の前のことを全力で楽しもうとしてる。
そして、その楽しさをまわりに振りまいて、幸せを分け与えている。そんな彼女にどれだけ救われてきただろうか。
同じ高校に入ることができて、同じクラスになることができて、本当によかった。
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「ずっと憧れてたんだよね〜!」
「そっかー……でも」
「?」
「……ないみたいだよ?軽音部」
「えええっ!」
「だって、クラブ紹介の冊子に載ってないよ」
純ちゃんは目を細くして、指でなぞりながらひとつひとつクラブを確認していく。
「……ない」
「でしょ」
「ええー…そんなぁ…」
私は知らなかったけれど、桜高の軽音部といえば、昔は割と有名だったらしい。
なかなかレベルが高くて、学園祭のバンド演奏は注目の的だったとか。
時代の流れと共に人が少なくなって、廃部になっちゃたのかな?
「なんか急にやる気なくなった」
純ちゃんは気分屋なんだよね…。
「あ!ほら!これはどう?ジャズ研究部っていうのがあるよ!」
彼女を元気づけようと、冊子の中に見つけたクラブの名前を、少し大きめな声で読み上げる。
「ジャズ研究部?」
「うん。このクラブならどうかな?軽音部に近いんじゃない?」
「……見学に、行ってみよう…かな」
見学に行った結果。
純ちゃんは、演奏してくれた先輩に一目惚れ。そのままジャズ研究部に入部しました。
やりたいことが見つかって、よかったね。純ちゃん。
目を輝かせている彼女の様子を見ているだけで、私も嬉しい気持ちになれた。
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*
「ねえ、何の部活に入るか決めた?」
「え?」
「部活よ、部活」
「ああ、部活……」
苦笑いしてごまかした。
和ちゃんと歩く朝の通学路。
桜の花はとっくに散ってしまった葉桜の季節。
私はまだ、どこのクラブに入部していなかった。
「……せっかく高校に入ったんだし、何か始めてみたら?」
「うーん…」
「憂なら、きっとなんだってあっという間に上達するわよ?」
「そんなこと、ないよ」
「あるわよ、そんなこと」
「そうかな?」
「そうよ」
どこのクラブにも入っていないことに、特別な理由はない。
やりたいことがない。ただそれだけ。
純ちゃんに誘われたジャズ研も、なんとなく気が進まなくて入部しなかった。
「やりたいこととか、ないの?」
「うーん…」
「憂がよかったら、なんだけど…」
「何?」
「生徒会、入ってみない?」
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生徒会……
和ちゃんは生徒会に入っている。
毎日集まりがあるから、下校時はあまり一緒になることはない。
朝は一週間に二、三回、こうして一緒に登校する。
心配してくれてるんだ、私のこと。
だから生徒会に誘ってくれている。
少しでも私の高校生活が楽しく、にぎやかになるように。
「ひとつ役職が空いてて…書記なんだけど。どうかしら?」
「生徒会かあ……ありがと、和ちゃん。考えてみるね」
「うん。考えてみて。楽しいわよ、生徒会も。なかなか」
「ありがとう」
ありがとう、和ちゃん。ありがとう。
うれしいよ。とっても。
でもね…やっぱり私……どうしても、一歩を踏み出す気力が湧いてこないんだ。
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*
その手紙が届いたのは、ゴールデンウィークの最終日だった。
お父さんとお母さんは、いつもみたいに外国に旅行に行っちゃった。
両親が出掛けた次の日。珍しく風邪をひいて寝込んだ。せっかくの大型連休は、ベッドの上で過ごした時間が一番長かった。
だいぶんと熱が下がり、これなら明日学校に行けるなぁ、と思った最終日の朝。
朝刊を取るため郵便受けの中を開けると、そこには新聞と一通の封筒。珍しく宛名は私宛だった。
封筒をくるっと裏返す。差出人の名前は、ない。
リビングに戻って封を開けると、中に一枚の便せんが入っていた。四つ折りにされたそれを開いた瞬間、私の心臓は止まりそうになった。
拝啓、平沢憂様
お元気ですか?
私は元気です。
平沢唯
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届くはずのない手紙。
しばらく胸の鼓動を抑えきれずに、その短い文面を何度も読み返した。
そして、少し時間が立って冷静さを取り戻した後、深呼吸して気持ちを落ち着けると、封筒を破り捨てようと思った。
こんなの、イタズラに決まってる。イタズラにしたってタチが悪い。
でも、誰かのイタズラであったとせよ、差出人の名前を見ると、どうしても捨ててしまうことはできなかった。
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私は、ちょっとどうかしてる。
もう一度手紙の文面を読み返すと、私は引き出しから便せんを引っ張りだし、返事を書いたのだ。
もしかしたら…万に一つでも、いや…そんなことあるわけないってわかっていても、本物かもしれない。そう思ってしまったから。
でも宛先はどうしようか。
いや、悩む必要はない。差出人が住んでいる住所に送れば、きっと手紙は届くのだ。
私は宛先に自宅の住所を書いた。
ヘンなの。自宅から自宅へ手紙を出すなんて。出した手紙は戻ってくるだけ。
それなら、それでいいや。
そう思って返事を書いた。
拝啓、平沢唯様
私も元気です。
でもちょっと、風邪気味かな。
平沢憂
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*
両親が留守がちな私たちにとって、毎日の生活のほとんどその全ては姉妹で過ごす時間だった。
お姉ちゃんと過ごした日々。
いつもずっと一緒だった日々。
お姉ちゃんが修学旅行に行ってしまい、ひとり留守番をしたあの日。
次の日、お姉ちゃんが帰ってきた夜。嬉しかった。
今思えば、あのとき時間が止まってしまえばよかった。
忘れることなんて、できるわけがない。
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手紙を出した二日後の朝、郵便受けを開けると新聞と封筒が入っていた。
ああ、戻ってきたかぁ…と思ってよく見ると、宛名が私の名前になっていることに気づく。
私は急いで封を切り、便せんを開いた。
拝啓、平沢憂様
えっ!大丈夫?
風邪にはみかんだよ!いっぱい食べてはやく元気になってね!
平沢唯
その手紙は、お姉ちゃんからの返信だった。
胸のドキドキは、収まるどころかどんどん加速していった。
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「なにか、いいことあったの?」
「?」
「最近楽しそうな顔してるから」
「そう?」
「風邪はもう大丈夫みたいね」
和ちゃんは私が風邪をひいている時、毎日様子を見に来てくれた。
「うん、もう大丈夫だよ。心配かけてゴメンね」
「ならよかった。あなたはいつも無理するから…」
「そうかな?」
「そうよ」
「でももう大丈夫だよ」
「うん、そうみたいね。なんだかちょっと安心したわ」
「?」
「こんなに楽しそうな憂を見るのって、久しぶりな気がするから」
そう言って和ちゃんは笑った。
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なぞの文通が始まって一ヶ月。私は楽しかった。
お姉ちゃんからの手紙には、いつも差出人の名前も、消印もない。
届くのは決まって朝。郵便受けに投函されている。
そして、その日のうちに返事を書いて送る。二日後には必ず返事がきた。
それを読んで、また返事を書く。
お姉ちゃんは今高校二年生なんだって。
高校入学を機会に軽音部に入って、ギターを始めたって手紙に書いてあった。
お姉ちゃんの高校には軽音部があるんだ。
クラスメイトのこと、軽音部のこと、いろいろと手紙に書いて送ってくれる。
毎日楽しくって仕方がないんだろうなってすっごく伝わってくる。
そんな手紙を読んでると、まるで自分のことみたいに嬉しく、楽しくなった。
お姉ちゃんの手紙には、なつかしい昔の話も綴ってあった。
それは、本当にお姉ちゃんじゃないと知り得ないような話ばかりだった。
お姉ちゃんだ…お姉ちゃんが、手紙を書いてくれている……。
誰がお姉ちゃんのフリをしているのか、なぜこんなことをするのか。
そんなことは次第にどうでもよくなっていった。
たのしかったから、うれしかったから。
この手紙を書いたのは、お姉ちゃんだ。
私はそう信じることにした。
こんなにしあわせな気持ちはいつ以来だろう。
文通のことは和ちゃんにも内緒。
私とお姉ちゃん、ふたりだけの秘密。
お姉ちゃん、ありがとう。
毎日が楽しいのは、お姉ちゃんのおかげだよ。
私、やっぱりお姉ちゃんがいないとダメみたい。
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*
「生徒会のこと、ごめんね」
「いいんだよ、和ちゃん。仕方ないよ」
生徒会には入らなかった。いや、正確に言うと入れなかった。
私がもたもた返事を引き伸ばしているうちに他の希望者がやってきて、役職は埋まってしまったのだ。
和ちゃんには申し訳ないけれど、これで良かったと思う。
だって、やりたいひとがいるならその方がいいに決まってるもの。
やりたいこと…夢中になれること…私にもいつかそんなものができるのかな?そんなことに出会えるのかな?
拝啓、平沢唯様
ねえ、お姉ちゃん。
お姉ちゃんには夢中になれることって、ある?
私にはね、ないの。何もないの。
私もいつか、夢中になれることに出会えるのかな…。
平沢憂
拝啓、平沢憂様
今はギターに夢中かなぁ?
音楽ってすっごくたのしいんだ!
憂もけいおん部、入らない??きっと、すごくたのしいよ!!
平沢唯
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学校帰り、商店街。
今日は楽器屋さんに来てみました。
一階はCD売り場。地下一階が楽器売り場。
私みたいな音楽のことを全然知らない高校生が、楽器売り場にひとりで入るのはちょっとした勇気が必要だった。
けれど、なんだか新しい世界に足を踏み入れるようでドキドキした。
ギターがいっぱい並んでいる。
どれがいいかなんてちっともわからない。
ただただぼうっと眺めていると、一つのギターに目が止まった。
あ、これ可愛い!
値段は……じゅ、じゅうごまんえん………
ギターって高いんだなあ…毎月のお小遣いとお年玉を貯めているから買えなくはないけれど…弾くあてもないのに買ってみても、ね。
それでもやっぱりそのギターが気になってしまい、ぼんやりと悩みながら、フロアをぐるぐると回っていた。
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しばらくして私は、店内に自分も同じ制服を着た人たちがいることに気がついた。
ジャズ研の人たちだろうか?
3人のうち1人は髪の毛をまっきんきんの金髪に染めていた。
ロックだなあ…でも校則、大丈夫なのかな?もしかしてハーフのひと?
金髪の人がこちらを振り向いて、視線がぶつかった。
ニコリと笑いかけられる。
やさしそうな人だった。
金髪だけど不良には見えないな。
バンドをやる人って、派手な格好をしてる怖い人が多いイメージがあるけれど、この人はそうじゃないみたい。ロックにもいろいろとあるのかな?
私もニコッと笑顔を返す。
「桜高…だよね?一年生?ジャズ研の子?」
「え?あ、はい…いえ…」
「音楽好きなのー?楽器何弾くの?好きなバンドは?」
いつの間にか近くまできていたカチューシャをした人が勢い良く話かけてくる。
「コラ律!初対面の人にそんなにドンドン質問したら失礼だろ!」
勢いに押されてしどろもどろになっていると、もう一人がカチューシャの人の襟首をグイッとひっぱって止めに入る。
「ごめんね、急に」と申し訳なさそうに頭を下げる。
綺麗なひとだった。
長い黒髪に整った顔立ち。
目尻がきゅっと吊り上がって凛々しい。
かっこいいひとだなあ。たぶん女子にモテるんだろうな。
「ぐぐぐ苦しい!離して!わかったから離して!」
「ああ、ゴメンゴメン」
黒髪の人がパッと手を離すと、カチューシャの人は勢い余って前につんのめる。
「ぜぇぜぇ…やりすぎだよ…もう」
「元はといえば律が悪いんだろ」
「なにをー!」
「まあまあまあ…」
漫才のような二人のやりとりをにこにこと見守りながらタイミングをみて止めに入る金髪の人。
たのしそうな人たちだなあ…。
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「ジャズ研に入ってるわけじゃないんだ」
「はい、ちょっと興味があって覗きにきただけなんです。楽器も弾けませんし」
「でも音楽が好きなんでしょ?」
「特別好きってわけじゃないんですけど…好きなバンドなんかも特にないですし…」
3人は桜高の二年生。
カチューシャの人が田井中律さん。
黒髪の美人が秋山澪さん。
金髪の人が琴吹紬さん。
3人は軽音楽同好会に所属してるみたいです。
部、じゃなくて同好会なのは、部の設立の条件である部員四名に満たないから。
「去年なんとか4人集めたかったんだけど、集まんなくてさ」
「3人でジャズ研に入ろうかとも思ったんだけど…」
「なんだかそれも違う気がして…」
今年もなんとか部に昇格するために部員勧誘を頑張ったらしいんだけど、無理だったみたい。
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「バンドに興味がある子はみーんなジャズ研に入っちゃうんだよな」
「私の友達もひとりジャズ研の子がいます」
「やっぱなー」
「でもその子もはじめは軽音部に入ろうとしてたんですよ?ただクラブ紹介の冊子に名前が載ってなかったから…」
「いや載ってはいるんだけど…後ろの方にちょっとだけ」
澪さんが小さな声で言う。
「え、ご、ごめんなさい…気がつかなくて…」
「気にしないで、仕方ないわよ」
やさしく微笑む紬さん。
「しっかし…正式な部じゃないってのはつくづく不利だよなあ…」
ガクッと肩を落とす律さん。
「それでも冊子に載せてもらえただけでもありがたいじゃないか」
「はじめは名前すら載らないはずだったものね」
「ま、そこは和に感謝だなー!」
突然、知っている名前が飛び出してドキッとするが、それを気にしている暇もなく話しかけられる。
「ねえねえ、平沢さんは何かクラブとか入ってるの?」
「私…ですか?いえ、特にどこにも」
「だったらさ、よかったらなんだけど…け、見学に、来てみない…?」
澪さんがおずおずと私を誘う。
「毎日放課後にね、音楽準備室で練習してるの…」
「他に使うクラブがないからさ、同好会なのに音楽準備室一人占めできるんだぜーっ!」
「へー、すごいですね」
「美味しいお茶を用意して待ってるからね♪」
「お茶?」
「琴吹家自慢の紅茶よ〜」
「ケーキもあるんだぞ〜!」
軽音楽同好会…のはずじゃ…?
「おい!そんな誘い方したら真面目に練習してないみたいに思われるだろ!」
「練習?最近したっけ?」
「してるだろ!」
「まあまあ澪ちゃん、落ち着いて」
ふふ…本当におもしろい人たち!
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…次の日。
音楽準備室を訪れた私は、同好会に入会することを決めた。
三人の先輩たちが演奏してくれた「翼をください」は、ジャズ研で聴いた演奏よりずっと拙かったけれど、とてもあったかで楽しそうで、私もこの人たちと演奏してみたい、と心から思えたから…。
十五万円のギターも買っちゃった。
軽音楽同好会は、私の加入によってめでたく部に昇格。けいおん部になりました。
季節は梅雨。ジメジメとした天気が続く毎日だったけど、私はワクワクしていた。新しい世界に踏み出す、ワクワク。
ありがとう、お姉ちゃんのおかげだよ。お姉ちゃんのおかげで、毎日がたのしくなりそうだよ。
拝啓、平沢唯様
お姉ちゃん。私もけいおん部に入ってみたよ!
ギターも買っちゃった。
先輩たちもみんな面白い人たちばっかりなんだ。
これからがとっても楽しみ!
平沢憂
拝啓、平沢憂様
入部おめでとう!
憂がけいおん部に入ってくれてうれしいよ。
私も負けないようにギター頑張らなくちゃなあ…
平沢唯
-
*
「どう?けいおん部はたのしい?」
「うん、毎日とってもたのしいよ」
あれから、私にとって放課後の居場所は、音楽準備室になった。
先輩たちと笑って、お茶して、演奏して。
家に帰ってギターの練習して…そのことを手紙に書いて、お姉ちゃんに送った。
「最近澪はあなたの話ばっかりよ。後輩ができたのがよっぽどうれしいのね」
「照れちゃうなあ…」
「私も嬉しいわ。澪たち、ずっと4人目の部員を探していたから。私も協力していろいろ当たってみたりもしたんだけど…ずっとうまくいかなくて…」
「…やっと入ってくれた子が憂だった、なんてね。なんだか不思議よ」
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澪さんと和ちゃんは同じクラス。
一年生のとき、なんとか同好会を部に昇格できないか、先輩たち三人は頻繁に生徒会を訪れて相談することが多かったらしく、和ちゃんとはそこで仲良くなったそうだ。
桜高では基本的に同好会は認められていない。
それが例外のような形で存続できたのは、先輩たちの度重なる陳情はもちろん、その情熱を汲んでくれた和ちゃんの口添えあってのことみたい。
たまたま音楽準備室を使うクラブがなかった、と言う運のよさもあるけれど。
澪さんとは特に馬が合うらしく、クラスが一緒になったこともあって、一番仲がいい。
けいおん部には入っていないけれど、一年生の頃から4人で遊んだり、クリスマス会をしたり、何かと一緒に行動してるそうだ。
和ちゃんが先輩たちと一緒にいる理由もわかる気がする。
最近、毎日が本当にたのしくて仕方がない。こんなキラキラした毎日が訪れるなんて、想いもしなかった。これも先輩たちのおかげ。
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「よかったわ。私、心配してたのよ。憂のこと」
「え、」
「ほら、あのときから憂、ずっと元気がなかったじゃない?」
「…」
「高校に入って環境が変わったら、少しは吹っ切れて元気になるかな、と思ってたんだけど…まだ忘れないみたいだったから」
「……簡単には忘れられるわけないよ」
「私だってそうよ。でもね…そんなの…あの子が一番望まないでしょ」
わかってるよ。
「ゴメンね、和ちゃん。心配かけて」
「ううん。私の方こそエラそうなこと言ってゴメン。それにあなたはもっとひとに心配かけるくらいでちょうどいいわ」
「そうかな?」
「そうよ。もっと頼ってくれていいのよ」
「頼ってるよ、和ちゃんのこと」
「なら、いいんだけど。あなたは我慢しちゃうタイプだから…心配なのよ」
「ありがと。心配してくれて。でも大丈夫。私は一人じゃないから」
「そうね。澪たちもいるしね」
「うん。お姉ちゃんだって…側にいるよ」
「憂…」
毎日が、たのしい。でもまだ私はお姉ちゃんから一人立ちできてない。
一人は無理。一人は無理だよ…お姉ちゃん。お願い側にいてね。ずっと、側にいてね。
拝啓、平沢憂様
けいおん部、すっごくたのしんでるみたいだね。
憂がたのしいと、私もすごくたのしいです。
憂の演奏、聴いてみたいな。
平沢唯
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2学期がやってきた。
今年の夏は忘れられない思い出がたくさんできて、手紙の文字数がどんどん増えていった。
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夏合宿。
紬さんの別荘、凄かったな。
昼間は海で思いっきり遊んで、夜は花火にバーベキューに肝試し。(もちろん練習もしたよ!)
キリッとしていてかっこいい澪さんが、あんなに恐がりだなんて知らなかった。思わぬギャップに、親しみが湧いた。
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夏フェス。
顧問のさわ子先生に連れて行ってもらった。
澪さん、はしゃいでたな。いつもと立場が逆転したみたいに律さんがブレーキ役になっていた。やっぱりこの二人はいいコンビ。
ちゃんと音楽の話で盛り上がってけいおん部っぽいかんじにもなった。
会場は山の中で、見上げた夜空には満点の星空が輝いていた。
それは見たことのない景色だった。先輩たちと出会えなかったら見れなかった景色。
先輩たちが見せてくれた、見たことのない景色。
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花火大会。
大輪の花火はあまりにも綺麗で、まるで夢みたいに…現実離れして見えた。
こんなに楽しいんだから本当に夢かもね。
打ち上げ花火を見ていたら、続きがしたくなって、帰り道に立ち寄ったコンビニで花火を買いこんだ。
最初から最後まで花火に夢中だったのは紬さん。
いつもおっとりとお姉さんのようなのに、まるで子供みたいに花火をしてたんだもんね。年上なのにまるで妹みたいに可愛らしかった。
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夏のイベントはいつも三人の先輩たち、そして私と和ちゃんの五人。(ときどきさわ子先生も)
また、来年も来たいな。先輩たちと。もちろん和ちゃんも一緒にね!
夏の思い出はみんなみんな手紙に書いて、お姉ちゃんに送った。
ただ、私がお姉ちゃんに書く手紙の文字数が多くなるにつれて、お姉ちゃんの手紙の文字数が少なくなってきたのは気がかりだった。
そして返信も少しづつ遅くなっていった。
夏が終わる頃、一週間に一度、届くかどうかになっていた。
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*
気になっていたことがある。
私が入ったけいおん部の雰囲気と、お姉ちゃんが手紙に書いてくれたけいおん部の雰囲気が、あまりに似通っているのだ。
文通を始めたばかりの頃、お姉ちゃんはけいおん部のことをたくさん書いて教えてくれた。
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部員は三人。
元気いっぱい。冗談を言ったり、ちょっとふざけてみたりして、クラブを盛り上げる部長さん。
いい加減そうに見えて、実は誰よりみんなのことを気遣ってくれてる。面白くて、頼りになる人。
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その部長さんの幼馴染さん。
真面目でキリッとして大人っぽい美人さんなんだそう。
この人がいるおかげできちんと練習が成り立ってるみたい。
でも見た目に反して恐がりだったり、メルヘンチックな歌詞を書いたり、可愛いところもあるって書いてあった。
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そしてもう一人。
いつも美味しいお茶を淹れてくれて、お菓子を持ってきてくれる人。
おうちがお金持ちらしくって、おっとりぽわぽわしてるお嬢様だけど、どんなことにも興味津々で、何をやるときでも目をキラキラさせてる好奇心旺盛なところもあるって。
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音楽の話より、みんなでお茶した話やどこかへ出掛けた話。
けいおん部っぽくない話の方が多かったけれど、それはとても楽しそうな内容だった。
お姉ちゃんがあんなに楽しそうにけいおん部のことを書いていなかったら、私は音楽に興味を持たなかっただろうし、けいおん部に入ることもなかったと思う。
だからお姉ちゃんにはとっても感謝している。
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でも、あまりにも似ている。似すぎている。
部員の名前までは書いてないけれど、私の入ったけいおん部の先輩たちにそっくりだ。
けいおん部に慣れ親しんでいくにつれて、疑念はだんだんと深まっていった。
お姉ちゃんの手紙に登場する話だって、先輩たちがいかにもやりそうな、いいそうなことばかり。
先輩たちの口からも、お姉ちゃんの手紙に書いてあったことと同じような話題が出ることもある。
もしかして、お姉ちゃんの書くけいおん部の同級生は、現実にいる私の先輩たちと同一人物なんじゃ…。
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だとしたら。もし、それが事実だとしたら。
手紙の主は、けいおん部の先輩たちのことをよく知っている人。
そして、お姉ちゃんのこともまるで本人のことのようによく知っている人……
それは…
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けれど、私はそのことをあまり考えないようにしていた。
大切なことは今、私の高校生活が楽しいものであること。そして、文通によって、お姉ちゃんを間近に感じられること。
どんなかたちでも、もしそれがウソだったとしても、お姉ちゃんと繋がっていたい。私の想いはただそれだけだった。
でも、その想いとは裏腹に、とうとうお姉ちゃんからの返信は途絶えてしまった。
-
*
2学期といえば、学園祭。学園祭といえばライブ。
そう、私たちけいおん部のはじめてのライブ。
「憂ちゃん、ボーカルやってみない?」
「……え、私ですか?私が??」
「いやいやいやいやいやボーカルはういちゃんがいいようんそれがいいそれがいい」
「ボーカルはギターの憂ちゃんかベースの澪がいいと思うんだけど…ほら、こんな調子だからさ……」
恥ずかしがり屋の澪さんは、メインボーカルがどうしても無理みたい。
せっかく歌、上手いのに。
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「でもせっかくけいおん部として初舞台ですよ?後輩の私より先輩の澪さんの方が…」
「そんなことはけっしてないぞひういちゃんがやるべきだうんそれがいいそれがいい」
「オイコラ澪。ちょっと落ち着け」
一年間、部に昇格するため、なんとか頑張ってきたのは先輩たちだ。
せっかくの晴れ舞台。やっぱり主役は先輩でいてほしい。
「確かに憂ちゃんは後輩よ。でも同じけいおん部一年生じゃない?」
「私、うまく歌えるでしょうか……?」
「憂ちゃんなら絶対ダイジョーブ!!私が保証するっ!」
どうしよう…。でも澪さんが無理なら…。
私を見つめる先輩達の瞳。
大好きな先輩達をがっかりさせたくない…。
「…わかりました。私、頑張ってみます」
「おおっー!ありがと憂ちゃん!」
「フフ、憂ちゃんのボーカル楽しみね♪」
「よかったよかったばんじかいけつこれにていっけんらくちゃくだ」
「おーい、みおー。かえってこーい…」
ボーカルが決まって先輩たちは喜んでくれたけど、やっぱり不安だった。
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今までずっと先輩たちに引っ張ってもらわなきゃ、私はここまで来れなかった。
そんな私が、ボーカルでライブの中心になるなんて…。
もし、私が失敗したら…先輩達の初舞台を汚すことになる。…こわい。
私、うまくできるかな…不安だよ、お姉ちゃん。
拝啓、平沢唯様
お姉ちゃん、私、今度の学園祭でボーカルをやることになったよ。
お姉ちゃんにも私の歌、聴いてもらえるといいな。
でもね。ちょっと不安なんだ。私、うまく歌えるかな?
お姉ちゃんといっしょなら、きっとうまく歌えると思うんだけどな。
平沢憂
待っても待っても返事はやってこなかったけれど、私は一方的に手紙を書き続けた。
それでもやっぱり、返事はこない。
ただ、私の出した手紙がそのまま戻ってくることもなかった。
届いて…いるのかな?読んで…くれてるのかな?
ねぇお姉ちゃん、なんで手紙のお返事くれないの?
私まだ…一人じゃダメだよ。お姉ちゃんがいないと、ダメなんだよ…
おねがいお姉ちゃん。私をひとりに、しないでよ…
-
*
…
……
………
…………
……………
『…』
『…い』
『憂』
『うい』
『うーいー』
『うーいー!』
『ういってばぁ!』
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……えっ!なに?もしかしてお姉ちゃん!?
『もう、憂ったら。どうかしたの?ぼうっとして』
ごめんねお姉ちゃん。なんでもないよ…
『………泣いてるの?』
……うん。
『………寂しいの?』
……うん。寂しい。お姉ちゃんがいないから。
『………私がいないから、泣いてるの?』
そうだよ。お姉ちゃんが、いないから。
だって私、一人ぼっちなんだよ。
『………一人ぼっち?』
一人は寂しいよ、おねえちゃん。そばに…そばにいてよ!
『憂はバカだね』
え?
『バカだよ』
なんで?なんでそんなこと言うの?お姉ちゃん!
『バカ。憂のバーカ』
『バカバカ。バーカ!!』
ひどいよお姉ちゃん。ひどいよ…。私は…私はただ…
ひとりが嫌なだけなのに。お姉ちゃんに、側にいて欲しいだけなのに。
『……バカだよ。憂は』
……………
…………
………
……
…
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*
嫌な夢を見た。
学園祭ライブ本番の朝の目覚めは、最悪だった。
お姉ちゃんから手紙の返事が来ない心細さ。
はじめてのステージでギターだけじゃなくて、ボーカルまでしなくちゃいけないプレッシャー。
悪夢を見るには十分な条件だった。
頭が重い…あまり眠れていない。
身体を起こして時計を見ると…針は8時を差していた………あわわわわわ遅刻しちゃう!
朝ご飯を食べる暇も、髪を結ぶ暇もなく、制服に着替えると玄関を飛び出した。
-
いつもなら、朝起きてまず一番に手紙が届いていないか郵便受けの中を確認するのだけれど、そんなことをしている余裕もなく、私は走った。
朝寝坊なんて…生まれてはじめてかもしれない。
息を切らして走っていると、途中で律さんと澪さんに出くわした。
「あれー憂ちゃん、そんなに慌ててどうしたんだ?」
「律さん達こそ、ゆっくりしてる場合じゃないですよ!遅刻しちゃいますよ!」
「まだ、7時30分だぞ…?」
「……え?」
……時間を見間違えていたみたい。
-
*
「憂ちゃん大丈夫か?」
「す、すみません…私ったら…」
恥ずかしい…。
「ハハ、憂ちゃんもあんなに慌てたりすることもあるんだな」
「え、あ、いや…」
「ほらほら、髪型ぼっさぼさだぞ?」
そう言って律さんは私の髪をやさしく撫でてくれた。
「ほら、タイくらいちゃんと結ぼうな」
「あ、すみません…」
澪さんは顔を近づけて私のタイを結んでくれた。
ふわりとシャンプーのいい香りが漂う。
「あれ?みんな一緒?」
後ろから紬さんがやってきた。
「なんだなんだー?!みんな今日は早起きだなー!!今日は大雨にでもなるんじゃないか??」
「縁起でもないこと言うな!第一、律が早起きしてることが一番の驚きだろ!」
「私もなんだかドキドキしちゃって…よく眠れなかったの」
よく見ると紬さんの目にはうっすらとクマができている。
「なーんだ。みんな一緒か。緊張してんのか!」
なんだかおかしくなってきて、みんなで笑う。変なテンション!
-
「ついに…やってきたんだもんな」
「ああ、今日が本番だぞ」
「本番…」
「うまく…弾けるかな?」
「コード、忘れないように確認しとないと!」
「今からそんなに慌ててどーする!」
「でも…だって…」
「緊張……するよね」
「………」
「大丈夫ですよ。私たちなら」
自分でも気がつかないうちに、その言葉は口から紡ぎだされていた。
「大丈夫です。絶対」
「憂ちゃん…」
理由はよくわからないけれど、私は不思議な確信に満ちていた。
「そうだな!私たちなら大丈夫だ!」
律さんが元気いっぱい叫んだ。
「本番が始まる前から弱気になってたら、うまくいくものもいかないもんな!」
澪さんは吹っ切れたようににこやかな表情を見せた。
「そうよ!初めての私たちのステージなんだから、想いっきり楽しまなきゃ!」
いつも通り天真爛漫に微笑む紬さん。
私たちなら大丈夫。きっと、大丈夫。
-
*
客席はほぼ満席。
今、ステージでは奇術研究会が手品を披露している。
時折聞こえてくる歓声の様子からすると、中々盛り上がっているみたい。
「よかった。今日の憂ちゃんは大丈夫そうだな」
「え?」
「いや、さ。ボーカル、無理に押し付けたみたいになっちゃたからさ…ゴメンな」
「そんな…」
「もちろん、私たちも全力でサポートするつもりだけど…ほら?やっぱりボーカルってバンドの中心だからプレッシャーもかかるだろ?」
律さん…。
「それにさ、気になってたんだよ。2学期になってからさ。なんだか元気ないように見えたから」
私のこと見ててくれたんだ……些細な変化にも目を配ってくれてたんだ…。
-
「あのさ、憂ちゃん。今さらなんだけど…」
「もし無理だったら、私が歌うから!」
澪さん……あんなに恥ずかしがっていたのに…。
「ゴメン、今さらこんなこと言い出して…」
「私、卑怯者だったよ。憂ちゃんだって緊張してるに決まってるのにさ」
「大変な役目を後輩に押し付けて逃げるなんて私、最低だった」
「でもやっぱりこれじゃダメだって思ったんだ。…だから逃げない!逃げたくないんだ!」
よく見ると足ががくがくと震えてる。
きっとすっごく勇気を振り絞ってくれてるんだ。
-
「不安になったときはね…お茶にしよう♪」
舞台の袖でもお茶って……でも、これもけいおん部らしいかも。
紬さんが水筒に入れて持ってきてくれたお茶を、ひとつのコップを使って三人でまわし飲み。
でも、紬さんの淹れてくれるお茶を飲むと、本当に不安な気持ちがスッとなくなるみたい。
-
そうだ。私、大切な人がたくさんできたんだ。
もう、一人じゃない。
いや、ずっと一人じゃなかったんだ。いつでも見守ってくれる人がいたじゃない。
私はその人の視線に気づいているようで気づいていなかった。ううん、気づかないフリをしてた。
「みなさんに聞いて欲しいことがあります」
「私、歌いたいです。だからボーカル、やらせてください!」
「憂ちゃん…」
私、やりたいことができた。
「澪さん、一緒に歌いませんか?」
「え?」
私、歌いたい。
-
「それ素敵!ツインボーカルね〜♪」
「二人で…ボーカル?」
「そうです、二人で歌いましょう…私、澪さんと歌いたいです」
「ありがとう憂ちゃん………私も……歌いたい。憂ちゃんと…歌いたい」
「何泣いてんだよみおー!まだこれからが本番だぞっ!」
「……グズッ、泣いてなんかいない!」
「そうよ!泣いてる暇なんてないわよ澪ちゃん!初ライブなんだから精一杯楽しまなきゃ!」
「ああ、そうだな!みんな!楽しもうな!」
みんなと一緒に演奏したい。私の為に…みんなの為に…!
「あ、でも歌詞とか大丈夫なんですか?ぶっつけ本番なんじゃ…」
「それならダイジョーブ!!実はな澪のやつ、こっそり自主練してたんだぜー!」
「うわぁっ!それは秘密にしとくって約束だろぉ!!」
「いいじゃない♪いい話なんだから♪」
これがけいおん部。私たちけいおん部。私は、一人じゃない。
-
*
「もうすぐ、本番ね」
私の隣りにいる和ちゃんが、そっと声をかけてくる。
「髪、下ろしたままで演奏するの?」
「あ、そういえば忘れてたや」
「…結んであげるわ。後ろ向いて」
和ちゃんにリボンを渡して背をむける。
「髪、下ろしてると本当にあなた達そっくりね」
「和ちゃんでも見分けつかない?」
「つくわよ。当たり前でしょ。何年の付き合いだと思ってるの?」
「ごめんごめん」
要領よく髪を結ぶ和ちゃん。
-
「和ちゃんに髪を結んでもらうなんて、何年振りかな?」
「……昔はよく結んであげたわね」
「お姉ちゃんより上手だったよね」
「………唯が不器用すぎるのよ」
「フフ…懐かしいね」
「…そうね。はい、できた」
「ありがと、和ちゃん」
「…やっぱり憂はこの髪型の方が似合っているわ」
「ありがと」
自分で結ぶのと変わらないくらい、違和感ない高さで結ばれたポニーテール。
なんだか愛おしく思えて、髪をスッと撫でた。
-
「もうすぐ始まるわね、ライブ」
「うん」
「ずっと。見たかったのよ。あなたたちのライブ。憂の演奏」
「和ちゃんのおかげだよ」
「私は何もしてないわ。みんなが…憂が頑張ったからよ」
「ううん。私、和ちゃんがいなかったら、今ここに立っていないよ」
「…」
「和ちゃん、ありがとう。本当にありがとう」
「憂…」
「私、一人じゃなかったんだね。ずっと一人じゃなかったんだね。和ちゃんが側にいてくれたから」
先輩たちには聞こえない、隣りにいる和ちゃんにしか聞こえない小さな声で私は喋り続けた。
和ちゃんは何も言わずにただ黙って私の話を聞いていた。
-
「ゴメンね和ちゃん。私バカだった。ずっと…いなくなった人のことばっかり考えて…目の前にいる人のこと、隣りで私を支えてくれてる人のこと、ちっとも見てなかった」
「私ね。大丈夫だよ。本当にもう大丈夫だよ。お姉ちゃんがいなくても大丈夫」
「先輩たちがいるから…和ちゃんが…いるから」
「やっと気づいたんだ」
「私、うたうよ。私を支えてくれた人のために…先輩たちのために、和ちゃんのために…」
「もちろん、私のためにも。私がだいすきな音楽をたのしむために」
「今までありがとう。和ちゃんのおかげだよ。和ちゃんがいなかったら、一生気づかなかったかもしれないもん」
真っすぐに和ちゃんの目を見つめて、私は想いの丈を伝えた。
-
和ちゃんは、俯いてスッと視線をそらす。
「憂…」
「私…私ね……ずっと黙っていたことがあるの」
「憂にね、言わなきゃいけないことがあるの」
「謝らないといけない……ことが」
下を向いているから表情は見えない。絞り出された声は弱々しく震えている。
こんな和ちゃんを見るのは……あのとき、以来。
-
「ねえ和ちゃん…」
「秘密にしておいた方がいいことも、あるんじゃないかな?」
そう言って私は笑ってみた。
和ちゃんはしばらく黙ったままだったけれど、ゆっくりと顔を上げて私を見ると、フッと微笑みを返してくれた。
舞台袖の暗がりではっきりわからなかったけれど、その瞳赤く潤んでいたように見えた。
「……そうね、そうかもしれないわね。なんだか憂も大人になったわね」
「そうかな?」
「そうよ」
「和ちゃんが言うなら、間違いないかもね」
「ま、とりあえず今は本番頑張って」
和ちゃんにポンと背中を押された勢いで、私は一歩踏み出した。
ああ、やっと前に進めたよ。一歩を踏み出せたよ。
-
「さ、みんな。行こうか」
律さんが後ろを振り向いて私に声をかける。
手品が終わり、いよいよ私たちの出番。幕が下りたステージで楽器のスタンバイを済ませる。
「私たちの全力を見せてやろうぜ!」
「ああ!もちろんだ!」
「精一杯楽しもうね!」
「はい!よろしくお願いします!」
横を見ると舞台の袖から和ちゃんがこちらを見つめていた。
スッと手を上げて中指と薬指の間をあけて合図を送ると、和ちゃんも同じ合図を送り返す。
ブザーがなって、幕が上がる。
「1・2・3・4!!」
律さんの威勢のいいかけ声と共に演奏が始まったー。
-
*
拝啓、平沢唯様
学園祭のライブ、大成功でした!
もう夢みたいにたのしくて、
気づいたらあっという間に演奏は終わっていました。
みんなで音楽をやるのって、ホントにホントにたのしいね!
お姉ちゃんも、どこかで聴いてくれてたらいいな。
突然ですが、手紙は書くのはこれを最後にしようと思います。
今までありがとう。
私は今、毎日がとってもたのしいです。
大好きなことができたから。夢中になれることに出逢えたから。
落ち込むこともあるかもしれないけど、きっと大丈夫。
これからも元気に頑張れると思います。
先輩達が一緒だから。和ちゃんが一緒だから。
だから心配いらないよ、お姉ちゃん。
私、本当にお姉ちゃんの妹に生まれてよかった。しあわせでした。
この気持ちはずっとずっと変わることはありません。
お姉ちゃん、ありがとう。さようなら。
平沢憂
了
-
おしまいです。
本作は「ラブレター」という映画をヒントに書きました。
誕生日と絡めてませんが、いちおう憂主役ということで…若干縁起悪い話ですがご勘弁を。
読んでくださった方がおられたら、感謝の念に堪えません。ありがとうございました。
そして、ちょっと早いですが、憂ちゃん誕生日おめでとう!
これからもよろしくね!!
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