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■■クリスチャンラジオネットワークBBN−キリスト教放送紹介
1名無しのひつじさん:2008/06/02(月) 12:15:12 ID:p7mjrdgY
☆★☆ BBN聖書放送メディアの3つの特徴→☆★☆http://www.bbnradio.org/

1.「天国への道」を紹介します。
2.「天国への道」をお友達に紹介する手助けをします。
3.「聖書」を学ぶ手助けをします。

☆★☆天国への道

あなたは、「天国への道」をご存知ですか。次の聖書のことばを読んで、天国へ行く意味をご理解ください。
私たちは、創造主なる神様を神様と認めない罪を犯し、神様から離れてしまいました。
この罪は、あなたの魂を滅ぼす罪です。この罪が赦されない限り、あなたは天国へ行くことができません。
このことは、創造主なる神様を神様と認めないすべての人に当てはまることです。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。」( ローマ人への手紙 3:23)
「義人はいません。ひとりもいません。」(ローマ人への手紙 3:10)

「罪から来る報酬は死です。」(ローマ人への手紙 6:23)

「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、
 不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、
 火と硫黄との燃える池の中にあります。」(ヨハネの黙示録 21:8)
これらは、神様との断絶状態を表しています。
どんなよい行いをしても、神様との永遠の断絶から自分を救うことはできません。
それでは、どうすれば救われるのでしょうか。
 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われるのです。
 それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ人への手紙 2:8-9)
何もしなければ、あなたは永遠に神様と断絶したままです。
神様の御子であるイエス・キリストを否定する人は、天国に入れません。
そして、その結果は、「火の池」における永遠の苦しみです。(ヨハネの黙示禄 20:15,テサロニケ人への手紙 第Ⅱ 1:7-9)
 「御子を信じる者はさばかれない。
  信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」(ヨハネの福音書 3:18)

2名無しのひつじさん:2008/06/02(月) 12:16:18 ID:p7mjrdgY
☆★☆よいお知らせがあります >>1よりつづく

しかし、神様と和解できる、とても簡単な方法があるのをご存知でしょうか。
それは、神の御子(イエス・キリスト)によるのです。  
あなたが救われて天国へ行くためには、あなたの罪が赦されなければなりません。
人には、その罪を赦すことができません。 
イエス・キリストは、あなたの身代わりになってあなたの罪を背負い、
十字架上で死なれ、あなたの罪の代価を、ご自分の命で支払われました。
そして、3日目によみがえり、ご自分が救い主であることを証明されたのです。
あなたの罪のためにイエス・キリストが十字架上で死なれ、葬られ、
そしてよみがえられたことを信じることが、唯一の天国への道なのです。
「イエスは彼に言われた。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。
 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書 14:6)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」
 (ヨハネの福音書 3:16-17)
どうすれば、あなたは救われるのでしょうか。聖書は、こう断言します。
「あなたの口でイエスを救い主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、
 あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」 (ローマ人への手紙10:9-10)
神様はあなたを愛しておられるので、この永遠の命である救いを、無償の贈り物としてあなたに与えてくださるのです。
「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、
 私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」 (ローマ人への手紙 6:23)

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ人への手紙 10:13)
イエス様を救い主としてお迎えする準備ができましたか。
イエス様を受け入れる告白を、神様にお知らせしましょう。今、ごいっしょにお祈りいたしましょう。  
「イエス様、私は罪人です。あなたの救いを必要としています。自分の力や行いによっては、天国へ行くことができません。
 あなたが私の罪を赦すために十字架で死んでくださり、葬られ、よみがえられたことを、心から信じます。
 私の心の中心に入り、これからの私の人生を導いてください。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン」

3名無しのひつじさん:2008/06/02(月) 12:39:11 ID:p7mjrdgY
聖書の教えについて学びたい方々へ  >>1-3よりつづく
   ↓
☆★☆聖書の教え→http://www.bbnradio.org/wcm4/japanesebbnmedia/WhatTheBibleTeaches/tabid/1961/Default.aspx

1 聖書           14 クリスチャンのよみがえり
2 神様           15 地獄
3 主イエス・キリスト 16 天国
4 聖霊 17 将来のできごと
5 人間 18 誘惑
6 罪 19 クリスチャンの行い
7 救い 20 バプテスマ
8 救いに関する聖書の教えと実例 21 真の教会
9 救いのための悔い改め 22 神様のみ心を求める
10 救いは恵みです 23 祈り
11 救いの真理 24 証しと勝利
12 教会 25 聖書の探求
13 死 26 意義ある人生

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。」( ローマ人への手紙 3:23)
「義人はいません。ひとりもいません。」(ローマ人への手紙 3:10)

あなたの罪のためにイエス・キリストが十字架上で死なれ、葬られ、
そしてよみがえられたことを信じることが、唯一の天国への道なのです。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われるのです。
 それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ人への手紙 2:8-9)
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ人への手紙 10:13)

「イエスは彼に言われた。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。
 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書 14:6)

4名無しのひつじさん:2008/06/05(木) 17:55:52 ID:7Zai7udM
☆★☆聖書の教え
第1章 聖書
I. はじめに
ある人は、聖書のことを「神様の知恵の宝庫」と呼びました。実にそうです。
私たちは、聖書と言うと、一冊の本と思いがちですが、実は66巻からなっています。
創世記で始まり黙示録で終わる聖書の66巻は、大きく二つに分類できます。
最初の部分は旧約聖書と呼ばれ、39巻から成っています。後半の部分は新約聖書と呼ばれ、27巻から成っています。
ほとんどの種類の聖書には、最初にそれぞれの巻の名前をリストした目次があり、
どの書もどのページから始まるのかが記されています。

II. だれが、聖書を書いたのでしょうか。
人間的な見方からすると、聖書は歴史書−神の歴史の書と言えます。
少なくとも36人の著者によって、約1600年にわたって書かれました。
しかしこの人々が、神様の直接のご支配の中で書いたということを、心にとめることが重要です。
つまり、聖書は、神様によって霊感された本なのです。
神様は、聖書のことば一つ一つが書き記される時、それぞれの著者を導きました。
霊感によって書かれたというのは、そういう意味です。
次の聖句は、聖書が神様によって霊感されてること明らかに示しています。
「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、
 聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」(2ペテロ1:21)。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(2テモテ3:16-17)。

したがって、聖書は神様のことばです。ある人は、聖書の中に神様のことばが含まれている個所があると言います。
そういう言い方は、聖書のある部分は神様の霊感によるが、
ある部分は神様の霊感によらないということを、暗にほのめかしています。
霊感によるものと、そうでないものとを、誰が区別することができるでしょうか。
長年の研究調査の結果、聖書には、人間的な解釈がなされていないと言うことがわかります。
その確信は、地上の判断によるのではありません。
詩篇119:89が述べています。「主よ、あなたのことばは、とこしえから、天において定まっています。」

5名無しのひつじさん:2008/06/05(木) 17:57:59 ID:s2dcyQG2
>>4よりつづく

もう一つ心にとめる大切なことは、聖書は、神様が人間に与えられた唯一の書かれた啓示だということです。
したがって、私たちが勝手にことばを付け加えたり、
取り除いたりしないようにと、神様は聖書の中で三回も警告しています。
最後の警告が、黙示録22:18-19に書かれてあります。

III. 聖書の主題は、何でしょうか。
聖書は66巻から成っていますが、その主題は一つです。
その大きな主題は、キリストです。旧約聖書の中には、キリストに関する多くの預言が書かれています。
新約聖書には、キリストが贖い主としてこの世に来られた話が書かれています。
旧約聖書には、キリストが隠されており、新約聖書ではキリストが明らかにされています。
また聖書には、キリストの死、埋葬、復活、昇天もはっきりと記されています。
さらに、地球で起こる新しいできことを示すことによって、完了します。
イエス様は、千年の間地上を支配なさいます。
それから「大きな白い御座の裁き」といわれる最後の審判を行ないます。
その後、「新しい天と新しい地」が確立されます。
聖書は、永遠のご計画を、私たちに啓示しているのです(黙示録21, 22章)。

6名無しのひつじさん:2008/06/08(日) 17:50:19 ID:7Zai7udM
>>3-5よりつづく

IV. 聖書は、どのように分類することができるでしょうか。
聖書は、天地の始まり(天地創造)からこの世の終わりまでを書いた世界の記録です。
旧約聖書の一番初めの部分である創世記には、天地創造、罪が入りこんだこと、ノアの大洪水、
そしてイスラエルの民の始まりが書かれています。
次の出エジプト記からエステル記では、
キリストが誕生する400年前までのイスラエルの歴史が書かれています。
ヨブ記から雅歌には、すばらしい詩と知恵が書かれています。
旧約聖書の最後にあたるイザヤ書からマラキ書までは、預言が書かれています。
これらの巻では、イスラエルの現状と将来の出来事に関する神様からのことば、つまり預言が書かれているのです。

新約聖書は、まず、主イエス・キリストの生涯が書かれている四つの福音書で始まっています。
使徒の働きは、キリスト教と教会が始まったときの様子と偉大な使徒パウロの回心を含めた、
キリストの福音に出会った人の証が書かれています。
ローマ人への手紙からユダの手紙までは、教会や個人宛の手紙です。
クリスチャン信仰の偉大な真理や、クリスチャン生活に関する実践的な教えについて書かれています。
黙示録は、将来の天と地と地獄で起こるべき出来事の一端が書かれています。

V. 最後に
聖書には、神様のみこころ、人間の状態、救いの道、罪人の運命、そして信者の幸せが書かれています。
その教義は聖であり、その戒めには拘束力があります。
記述されている歴史は真実であり、その決定は永遠に変わることがありません。
賢明に生きるために聖書を読み、救われるためにイエス様を信じ、聖くあるために聖書の教えを実行してください。
聖書には、あなたを導く光、あなたを支える糧、あなたを励ます慰めがあります。
聖書は、たとえるなら旅人の地図、船長の羅針盤、兵士の剣、そしてクリスチャンの特権です。
聖書の世界では、天国が回復され、天の門が開かれ、地獄の門も示されています。
聖書の大主題はキリストであり、そのご計画は私たちのためにあり、その目的は神様の御栄光を表すものなのです。
聖書は、時間をかけてゆっくりと、祈りながら、何度も読んでください。
聖書は宝の山、光輝くパラダイス、喜びが流れる川です。
聖書を真剣に学べば、答えを見出すことができますが、
その聖なる内容を軽んじるすべての人は、罰せられることになります。
聖書は本の中の本、人間への神様の啓示、つまり神様の書なのです。

7名無しのひつじさん:2008/07/02(水) 11:25:59 ID:p7mjrdgY
>>3-6よりつづく

☆★☆聖書の教え
第2章 神様
神様を学び、人間と神様との関係を知ること、それ以上に大きな人生の課題はありません。

I. 神様の存在
A. 神様の存在を否定したり、間違った教えをしている学説を以下に挙げます。

(1) 理神論:この説は神様が存在することを認めますが、神様が被造物を支えていることを否定します。
(2) 無神論:創造された結果のみを見て、どうしてそうなっているのかという原因を考えようとはせず、
        神様はいないと主張します。
(3) 懐疑論:神様、特に啓示の神について、その存在を疑ったり、あるいは信じられないと主張します。
(4) 不可知論:この説は、神様の存在は否定しませんが、神様を知ることはできないと主張します。
(5) 汎神論: 「すべてが神」、「神はすべて」と言います。 
(6) 三神論: 三つの神がいることを教えます。
(7) 二元論: 同等の二つの神を信じます。善神と悪神と信じています。
(8) 一神教:神様は一つと言う説です。クリスチャンは、このことを信じていますが、
        悪魔もこれを信じています。 ヤコブの手紙2:19

B. 聖書は、神様の存在を証明しようとはしません。聖書のいたるところで、神様がおられると言う事実があるからです。
  すべてのものが存在する前に、「初めに、神様がおられました。」
  聖書の最初の一節「初めに、神は天と地を創造した」は、天地創造の前から神様が存在したことを明らかにしています。
  神様の存在は、証明する必要がない真実として紹介されているのです。
  詩篇14:1に、神様がいないと言う人は愚かだと呼ばれています。
  この聖句は、ヨハネ1:1-5と照らし合わせる必要があります。
  ヨハネ1:1-5で、イエス様は、天地創造の初めから神様と共におられたと、はっきりと書いています。
  それによって、イエス様が天地創造の初めから永遠の神の御子であったということがわかります。
  聖霊も天地創造に参加されました。「神様の霊が水の面を動いていた。」創世記1:2 
  三位一体の神様が、天と地を創造されたのです。

8名無しのひつじさん:2008/07/02(水) 14:57:57 ID:BLK6k302
ちょっぴりエッチなブログを更新しましたw

ビックリする内容も多いかと思われます・・・
ヒマなときに見てね♪

http://www.geocities.jp/pomnji748d/has/

9名無しのひつじさん:2008/07/03(木) 11:51:15 ID:vcqcKstQ
キリスト教には地獄の教義もあります。
この事も対比して考えることは大切なのではないでしょうか。

10名無しのひつじさん:2008/07/10(木) 12:46:58 ID:l6VTH9BU
C. しかし、神様の存在の証拠は、聖書以外でも明らかです。>>3-7よりつづく
(1) 人類は、昔から普遍的な存在を信じてきました。
(2) 被造物が造られるには、創造主が必要です。原因がなければ、宇宙はできません。
(3) 被造物の中に見られるすばらしいデザインには、優秀な設計者が必要です。
(4) 全世界の中には、善と悪があります。ですから、善と悪を区別する道徳律があるはずです。
道徳律があるので、その道徳律を与えた方もおられるはずです。
(5) 人間は、理性と道徳心のある者です。その人間を造った創造主は、人間よりはるかに優れているはずです。

II. 神様の性質
A. 神様は、霊です( ヨハネ4:24)。 神様は、肉体を持たないという意味です。
神様は見えない方ですが、人間に見えるような形で、ご自分を現すこともできます。
すなわち神様は、肉の身体を持ったイエス様としてこの世に来られました。ヨハネ1:14-18;コロサイ1:15;ヘブル1:3.
B. 神様は、光です。「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない」(1ヨハネ1:5)
C. 神様は、愛です。「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら、神は愛だからです。」(1ヨハネ4:8)
D. 神様は、焼き尽くす火です。「私たちの神は焼き尽くす火です。」(ヘブル12:29)
E. 神様は、憎みます。「主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。」(箴言6:16)
F. 神様は、聞いてくださいます。「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」(1ペテロ3:12)
G. 神様は、人格のある方です。聖書の中で、神様に関して個人的な名前が使われています。出エジプト記3:14;マタイ11:25
神様は、知識(イザヤ55:9-10)、感情(創世記6:6)、意思(ヨシュア3:10)という個性を持っています。
H. 神様は、お一人です。聖書の中で、神様は唯一だと明確に教えています。1テモテ2:5を読んでください。
多くの神様がいるという教えは、論理的ではありません。至高の方が、お一人しかおられないはずです。
I. 神様は、三位一体です。存在する神様は唯一であるばかりでなく、その唯一の神様の中に、三つの人格、
つまり御父、御子、そして御霊の位格があることも教えています。
これは、人間の知性をはるかに超えた奥義ですが、理解できなくても、
神様のみことばにそう書いてあるので、信じることはできます。
三位一体という言葉は、聖書の中には使われていませんが、次の聖書の箇所で、そのことがわかります。
(1)イエスのバプテスマ、マタイ3:16-17 (2)大宣教命令、マタイ28:19
(3)祝祷、2コリント13:14 (4)ローマ1:7で、御父が神様と呼ばれ、
ヘブル1:8で、御子が神様とよばれ、使徒5:3-4 御霊が神様と呼ばれています。

11III. 神様の属性:2008/07/15(火) 10:54:33 ID:s2dcyQG2
III. 神様の属性
神様を定義することは、むずかしいですが、一番良い方法は、神様の性質や特徴を説明することです。
私たちは、会ったことのない人を他の人に説明するときに、髪の毛や目などの特徴を話します。
同じように、聖書も私たちに神様の特徴を明記します。これを、神様の属性といいます。

A. 神様は遍在です。神様は、同時にどこにでもおられます(エレミヤ23:24)。

B. 神様は全知です。言いかえれば、神様は何でもご存知です。
  人間の一つ一つの思いと行いを ご存知です(箴言15:3)。
  自然の中で起こるすべてのことや、スズメが死ぬことさえご存知です(マタイ10:29)。
  宇宙は無限ではるかに大きいのに、神様は、砂の一粒一粒を永遠の昔からご存知です。

C. 神様は全能です。神様は、すべての力を持っておられます。
  神様は宇宙を創造され、今ご自分の力で保っておられます。
  神様に不可能なことは、一つもありません(マタイ19:26)。

D. 神様は永遠です。始まりはなかったし、いなくなることもありません。
  モーセは、「どなたが私をお遣わしになったと言ったらよいでしょうか。」と聞いたときに、
  神様は答えました。
 「わたしは、『わたしはある』という者である。」神様は、「わたしはありました。」とか
 「わたしはこれからある。」というような答をなさいませんでした。
  神様は、永遠に「わたしはある。」というお方です(出エジプト記3:13-14)。

つぎへつづく

12III. 神様の属性:2008/07/15(火) 10:56:07 ID:7Zai7udM
>>3-7 >>10-11よりつづく

E. 神様は不変です。「主であるわたしは変わることがない」(マラキ3:6)。

F. 神様は聖です。完全に純粋で罪がありません。罪を憎み、善を愛しておられます。箴言15:9-26
  罪人から離れ、罪を罰さなければなりません(イザヤ59:1-2)。

G. 神様は誠実です。神様のすべての行いは、正しくて公平です。
  御自分のすべての約束を守られます(詩篇119:137)。

H. 神様は愛です。罪を憎まれますが、罪人を愛しておられます(ヨハネ3:16)。

注意:私たちは、祈りの中で、神様に対して尊敬を表すことばを用いましょう。
   神様に、人に対して馴れ馴れしく話し掛けるような無作法なことば遣いは、ふさわしくありません。
   もし大統領や王様の部屋に入ったら、どのように話しかけるでしょうか。
   私たちは、祈るたびに、王の王である神の御前にいるという気持ちを忘れないようにしましょう。

13名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 15:09:18 ID:7Zai7udM
☆★☆聖書の教え
第3章 主イエス・キリスト
 主キリストは、聖書の中心的主題です。
これからイエス様の神性、受肉、み業、そして職性について考えてみましょう。

I. キリストの神性
 旧約聖書の中で、神様は、「わたしは、「わたしはある」という者である」とモーセに言われました。
この名は、キリストによってもご自分の神性を立証するために頻繁に使われました。
キリストは、頻繁に「わたしはある」という名を用いることで、
「わたしは神である」と言っておられるのです。

A. 「わたしは天から下って来たパンである」(ヨハネ6:41)
B. 「わたしは世の光です」(ヨハネ8:12)
C. 「わたしは羊の門です」(ヨハネ10:7)
D. 「わたしは良い牧者です」(ヨハネ10:11)
E. 「わたしはよみがえりです。いのちです」(ヨハネ11:25)
F. 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)
G. 「わたしはまことのぶどうの木であり」(ヨハネ15:1)

キリストの神性というのは、キリストが神であるという意味です。
次の聖書の個所は、この大切な事実を明確にしています。

A. 聖書には、キリストについても神の属性が記されてあります。

1. 先在性:キリストには初めがありません(ヨハネ1:1-3;17:5)。
2. 偏在性:クリスチャンたちがどこにいようとも、主が共におられます(マタイ28:20)。
3. 全能性:主は、無限の力を持っておられます(黙示録1:18)。
4. 全知性:主は、無限の知識を持っておられます(ヨハネ1:17)。
5. 不変性:「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです」(ヘブル13:8)。

14名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 15:10:26 ID:7Zai7udM
>>13よりつづく ( >>3-7 >>10-11よりつづく )

B. キリストによって神のみ業がなされました。

1. キリストは、すべての物を創造されました(ヨハネ1:3)。
2. キリストは、宇宙を支えておられます(コロサイ1:17)。
3. キリストは、ご自分を死からよみがえらせました(ヨハネ2:19)。

C. 神の称号が、キリストに与えられています。
1. 父なる神は、御子について神と呼びかけています(ヘブル1:8)。
2. 人々はイエス・キリストを神と呼び、キリストは礼拝されることを拒まれませんでした(ヨハネ20:28)。
3. 悪霊もキリストは神であると認めました(マルコ1:24)。
4. キリストは、ご自分を神であると宣言されました(ヨハネ10:30)。

15II.  キリストの受肉:2008/07/23(水) 10:04:21 ID:p7mjrdgY
>>13-14よりつづく( >>3-7 >>10-11よりつづく )

II.  キリストの受肉
 キリストの受肉は、キリストが肉体を持った人として、この世に来られたという意味です。

A. キリストの降誕(この世に来られるということ)は、旧約聖書の中で預言されていました(イザヤ7:14)。

B. キリストの誕生は、歴史の中にも記録されています。キリストの誕生は、他の全ての人間の誕生と違います。
1. キリストの誕生は、聖霊によるものでした(ルカ1:35)。
2. キリストは、処女からお生まれになりました(マタイ1:23)。
3. キリストは、本当の人間で、肉体(ヘブル10:5)、
  魂(マタイ26:38)、 および霊(ルカ23:46)を持っておられました。

C. キリストが、人として来られたのは:
1. 御父を現すためです(ヨハネ14:9)。
2. ご自分を犠牲として献げることによって、人の罪を取り除くためです(ヘブル9:26)。
3. 悪魔の働きを打ち壊すためです(1ヨハネ3:8)。

注意:クリスチャン信仰の最も原則的な真理は、イエス様が真の神様であり、
   処女降誕の奇跡によってこの世に人として誕生されたことです。
   処女降誕によって、キリストはアダムの罪の性質を受け継ぐことがありませんでした。
   キリストは、人としてまったく罪のない方でした。
   キリストの罪のない生涯と、死からの肉体的な復活が、これらの真理を確証します。

16名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 09:37:06 ID:p7mjrdgY
( >>3-7 >>10-11 >>13-15よりつづく )
III. キリストのみ業
この項では、イエス様の死、復活、そして昇天について扱います。
十字架は、神のことばに書かれてある動かしえない事実です。
十字架とは、ただ十字の木のことではなく、その木の上で献げられた犠牲を意味します。
旧約聖書を通して荒野の天幕時代から神のことばには、
キリストおよびその十字架の象徴で満ちています。
キリストは、出エジプト記12章の過ぎ越しの子羊として、
民数記21章とヨハネ3:14-15の青銅の蛇として表現されています。
詩篇23篇では羊飼い、ゼカリヤ13:6-7では、打たれた羊飼いと表わされています。
そして、イザヤ53章では苦難の救い主、詩篇24:9-10では栄光の王として表現されています。

A. キリストの死
1. キリストのいのちによって救われるのではなく、
  キリストの死によって、誰もが救われるのです。ヨハネ3:14-18

2. その死は、神様の永遠の計画の一部でした(ヘブル10:7)。

3. その死は、旧約聖書の預言を成就するために、その死は必要でした。イザヤ53:5

4. その死は、人間に救いを与えるために必要でした(エペソ1:7)。

5. キリストの死は、他者のためでした。キリストは身代わりとして死なれたのです(1コリント15:3)。

6. キリストの死は、十分でした。
  キリストが、人の罪に対する神様の裁きを完全に担われたので、神の要求を満たされました。
  その死は、無限の方によるものだったので、その価値は無限です。
  ですから人の要求にも十分応えうるものです。

17キリストの復活:2008/07/28(月) 09:40:09 ID:p7mjrdgY
( >>3-7 >>10-11 >>13-16よりつづく )

B. キリストの復活
1. キリストの肉体的な復活は、預言を成就し、十字架のみ業を成し遂げ(ローマ4:25)、
  また天において今も働き続けるために必要でした。

2. キリストの復活の肉体は本物です。ただの霊ではなかったのです(ルカ24:39)。
  釘と槍の傷跡が残っていたので、十字架に架けられたからだと同じ肉体だったことがわかります(ヨハネ20:27)。
  しかも、物理的限界を超える体に変わっていました。

3. 復活の後、キリストは何人かの弟子に少なくとも10回現われました。
  よみがえられた後に、500人以上の信頼できる目撃者がイエス様を見て、
本当にイエス様が死人の内からよみがえられたことを証言したのです。1コリント15:6-8

4. キリストの復活は、重要な事実です。もし復活がなかったら、キリスト教信仰はありません。
  キリストの復活が、キリスト教をほかのすべての宗教と区別します。
  他の宗教は、指導者やいわゆる救い主の墓を示します。
  しかし、私たちの神は、死んだ神ではありません。
  死と墓より勝利を得られ、永遠に生きておられるのです。
  この世の裁判で事件の証拠を証明するのは、目撃者の証言です。
  個人的な意見は、重要な意味を持ちません。
  500人以上の目撃者が、復活したキリストを個人的に見たと証言したのですから、
  キリストの復活は疑いの余地がない出来事です。

18キリストの昇天:2008/08/06(水) 11:19:43 ID:taPIsFPg
( >>3-7 >>10-11 >>13-17 よりつづく )

C. キリストの昇天

1. 地上での働きが終わったとき、キリストは天に上られました(ルカ24:51;使徒1:9-11)。
  キリストはヨハネ14:2-3で、弟子たちに言われました。
  「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがに言っておいたでしょう。
   あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたが場所を備えたら、  
   また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいるとことにあなたがたをもおらせるためです。」
  この約束を成就するため、キリストは天に昇っていかれました。その時の体は、目撃者にも分かる目に見えるものでした。

2. イエスは、ご自分の報いを受けるために(ヨハネ17:5)、そしてご自分の民のために働きを続けるために昇天されました。
  黙示録は最初の章は、王座に着かれたキリストについてのヨハネの証です。


IV. キリストの職性

キリストは、聖書の中で、預言者、祭司、および王として紹介されています。

A. イエスは預言者として、神様が人に語られることばを伝え、人に神様を現わします。ヨハネ1:18

B. イエス様は祭司として、神の御前で信者の代表をいます。ヘブル4:14-16

C. イエスは王として、主に忠実である者の心の中を今も治めておられます。再臨されてから千年間、地上を支配されます。黙示録10:2-3、および詩篇72篇 には、その地上での支配のことが書かれています。それから後も、イエス様は永遠に私たちの王の王、主の主であられます。

19聖霊:2008/08/11(月) 13:48:36 ID:7Zai7udM
( >>3-7 >>10-11 >>13-18 よりつづく )
第4章 聖霊
 宗教の中で、聖霊が存在するのはキリスト教だけです。この聖霊の教義を考えると同時に、
 イエス様が聖書の中心主題だということを、頭に入れておいてください。私たちは、聖霊のお名前を知りません。
 ただ、聖霊が何であり、どんな方で、そして何をされるのかを知らされています。
 聖霊の個人的な名前を聖書が黙していることは、重要です。
 主イエス様の御名と働きが賛美されるように、あえてご自分のお名前を現わしていないのです。(ヨハネ15:26)

I. 聖霊の人格
 聖霊を単なる物と思わないでください。聖霊は、すべての信者に宿っている人格を持ったお方です。
 私たちは、時々、見える人しか本当の人ではないと思ってしまいます。
 しかし実際は私たちは、人であり同時に、目に見えない人格も持っています。
 肉体は、地上で生きている間、神が与えてくださった媒体に過ぎません。
 人が死ぬ時、人の肉体は墓に埋葬されますが、魂は肉体から離れます。魂は、聖霊と同じく、決して目に見えません。

A. 人間に対する聖霊の反応を見れば、人格があることがわかります。
1. 悲しまれることがあります。「神の聖霊を悲しませてはいけません。
  あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」(エペソ4:30)

2. 試されることがあります。「そこで、ペテロは彼女に言った。
 『どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。』」(使徒5:9)

3. 逆らわれることがあります。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち。
  あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。」(使徒7:51)

4. 冒涜されることがあります。「しかし、聖霊をけがす者はだれでも、
  永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコ3:29-30)

5. うそをつかれることがあります。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、
  地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。」(使徒5:3)

20聖霊:2008/08/20(水) 13:26:31 ID:p7mjrdgY
( >>3-7 >>10-11 >>13-19 よりつづく )
B. 聖霊は、聖書の何ヵ所かで神と呼ばれています。
次の聖書箇所でもわかるように、聖霊は神の属性を持っておられます。
 1. 全能(ルカ1:35) キリストが誕生されたとき、
  マリヤとイエス様の保護者でした。私たちの保護者でもあります。

 2. 全知(1コリント2:10)私たちの人生のすべてのことをご存じです。

 3. 遍在(詩篇139:7-17)私たちの人生の中で、「わたしは決してあなたを離れず、
  また、あなたを捨てない」方です。いつも共にいてくださいます。

 4. 永遠の霊 ヘブル9:14 新生から天国に至るまで、生ける神に仕えるよう私たちを助けてくださいます。

C. 聖霊が、神としての働きをする象徴や実例が、聖書の中にいくつか書かれています。
 1. 鳩 -(ヨハネ1:32) 聖霊がイエス様に仕えるときの鳩は、愛と悲しみの象徴です。

 2. 水 -(イザヤ44:3;ヨハネ7:38-39) 人が救われたのち、霊的な渇きをいやすのは、聖霊以外にありません。

 3. 油 -(1サムエル16:13) 祭司が神のみ声を聞くように、祭司の耳に油を注がれました。
 次に、祭司が神のために行動できるように、祭司の親指に油注がれました。
 私たちの人生にも、このような聖霊の働きがあります。

 4. 風 -(ヨハネ3:6-8) 聖霊は、静かで、感じ取れない風のように、
救いや私たちの日常生活の中で、働いてくださいます。

 5. 火 -(使徒2:3-4) 火は、聖めと試みと裁きの象徴であり、聖霊は私たちの人生に働きかけます。

 6. 衣服(覆い)- 士師6:34(Amplified Versionという英訳では着るということばが使われています。)
衣服は、守ることを意味します。聖霊は、私たちを守る方です。

21聖霊の目的:2008/08/25(月) 11:55:20 ID:taPIsFPg
( >>3-7 >>10-11 >>13-20 よりつづく )
II. 聖霊の目的
 聖霊は、聖書の中であらゆる分野で活動されています。以下は、聖霊がかかわる事例です。

A. 語られます。「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、
  聖霊が『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、
  わたしが召した任務につかせなさい』と言われた」(使徒13:2)。

B. 執り成してくださいます。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。
  私たちは、どうのように祈ったらよいかわかっらないのですが、御霊ご自身が、
  言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ8:26)。

C. 証しされます。「わたしが父のもとから遣わす助け主、
  すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、
  その御霊がわたしについてあかしします」(ヨハネ15:26)。

D. 監督してくださいます。「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。
  聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、
  あなたがたを群れの監督にお立てになったのです」(使徒20:28)。

E. 導いてくださいます。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、
  あなたがたをすべての真理に導き入れます。」(ヨハネ16:13)

F. 教えてくださいます。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、
  あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを、
  思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

G. 天地を創造されました。「初めに、神がは天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。
  やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた」(創世1:1-2)。

22聖霊の目的:2008/10/14(火) 15:21:51 ID:7Zai7udM
H. 新生による救いをもたらします。「イエスは答えられた。『まことに、もことにあなたに告げます。
  人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。
  御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新たに生まれなければならない、
  とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
  …御霊によって生まれた者もみな、そのとおりです」(ヨハネ3:3;5-8)。

I. イエス様を、死人の中からよみがえらせました。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、
  あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、
  あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、
  あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」(ローマ8:11)。

J. 救いを全うしてくださいます。「あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。
  しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、
  あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです」(1コリント6:11)。

K. 私たちの救いの証印となってくださいます。「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、
  あなたがたの救いの福音を聞き、
  またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました」(エペソ1:13)。

L. 信者を導いてくださいます。
  「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」(ローマ8:14;ガラテヤ5:18)。

23聖霊の目的:2008/10/14(火) 17:58:17 ID:s2dcyQG2
( >>3-7 >>10-11 >>13-22 よりつづく )
クリスチャン生活を歩むとき、
私たちは聖霊が毎日助けてくださるという事実を意識しなければなりません。
聖書は、私たちが聖霊に満たされ、支配されていると教えています。
私たちが生活の中で罪の中にとどまっているなら、聖霊は働くことができません。
心や行いの罪によって、聖霊を消してしまいそうになり、神との交わりを失いそうになるとき、
1ヨハネ1:9をさっそく実行しなければなりません。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、すべての悪から私たちをきめてくださいます」。
このようにして、私たちは、神との交わりを持ち続けることができます。
この世でクリスチャンが直面する最も危険なことは、
破産でも、病気でも、孤独でも、侮辱でも、迫害でも、その他どんなものでもありません。
一番危ないことは、自分の人生の中に罪を入らせることです。
私たちと神との交わりを断絶し、聖霊を消し、
私たちの歩む道を滅びの道にそらそうとするが罪なのです。
私たちが注意しなければならないことが、ガラテヤ5:19-21に書いてあります。
サタンが、私たちの魂の敵だということを悟らなければなりません。
これは、私たちの毎日の戦いです。(エペソ6:11-18)
1ヨハネ1:7に書いてあるように「しかし、もし神が光の中におられるように、
私たちも光の中をあゆんでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、
御子イエスの知はすべての罪から私たちをきよめます」。

その日の毎時間、神との短い時間を持つことで、み父との交わりを持つことができます。
即座に自分の罪を告白することは、私たちの魂の敵に対する唯一の防御です。
1ヨハネ1章を何度も読み、暗記してください。
それが、勝利したクリスチャン生活を歩む秘訣です。

24聖霊の働き:2008/11/12(水) 19:04:07 ID:p7mjrdgY
( >>3-7 >>10-11 >>13-23 よりつづく )
III. 聖霊の働き

どんなクリスチャンも、二種類の実を生活の中で結びますが、いつでもどちらかの実が明らかになります。
クリスチャンとして、あなたがどう望むかによって、
どちらかの実を結ぶことになるということを思い出してください。
それは、肉の実か御霊の実のいずれかです。どちらの実を結ぶかは、
だれに自分の人生をご支配してもらうかによって決まります。
「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです」(ガラテヤ5:16-17)。
あなたは、毎日この世で生きて実を結んでいますが、どちらの実でしょうか。
この世の圧力が、肉の欲望を満足させるようにあなたを誘惑します。
誘惑とは、広告、メディア、雑誌など多くのものにあります。
サタンは、この世の神です。 1ヨハネ5:19 この肉の行いは、ガラテヤ5:19-21 に書かれてあります。
クリスチャンでない人は、紛れもなく欲望のままに肉の実を結びます。
人間的には良いと思われる行いとか、世がほめる宗教的、かつ社会的な行いをするかも知れませんが、
神の目から見れば、それらに永遠に残るような価値はありません。

聖霊の働きは、御霊にあって、あなたの人生に御霊の実を結ばせることです。
生まれ変わったクリスチャンでなければ、よい実を結ぶことはできません。
御霊の「実」ということばは、聖書の中で使われているときに、単数形だということに注目してください。
自分で実を選べません。それは、聖霊による実です。
ですから、実がすべて実るのか、全く結ばないかは、あなたと神との霊的関係によっているのです。
罪が入ると、御霊の実は肉の実に変わってしまいます。
すべてのクリスチャンの願いが、生活の中でよい実を結ぶことでなければなりません。
私たちが聖霊のご支配に委ねていくとき、聖霊が私たちの生活の中で働いてくださり、御霊の実を結ばせてくださいます。
聖霊がすべての人の主でなければ、聖霊は神ではありません(ガラテヤ5:22-24)。

25聖霊の働き:2008/11/13(木) 12:33:19 ID:7Zai7udM
( >>3-7 >>10-11 >>13-24 よりつづく )
III. 聖霊の働き

私たちは、御霊の実を結ぶために、勝利した状態を得る必要はありません。
すでにキリストにあって頂いた状態から、御霊の実を結びます。
それでも、日々の生活の中で、よい実を結ぶように戦わなければなりませんが、
私たちの勝利はこの聖句にあります。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、
さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」(ガラテヤ5:24)。
私たちの勝利は、自分の努力によるのではなく、
キリストによるのだということに気づかなければなりません。
肉の思いを十字架につけたのは、私たちの行ないによるのではなく、
私たちの内に宿り、私たちもその内に生きているキリストによるのです。
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、肉にあって生きているのは、
私を愛し私のためにご自身を捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラテヤ2:20)。
聖霊のご支配に委ねる時、日々勝利を得ることができます。
聖霊を悲しませることがあっても、聖霊は、あなたから離れることは決してありません。
なぜなら「贖いの日に対して保証されているのです」(エペソ4:30)とあるからです。
私たちが天国の岸にたどり着くまで、聖霊はいつもあなたの内に宿ってくださいます。

26聖霊の賜物:2008/11/24(月) 16:27:11 ID:l6VTH9BU
( >>3-7 >>10-11 >>13-25よりつづく )
IV. 聖霊の賜物
あなたはクリスチャンとして、「私には何ができるだろうか?」と、
自分に問いかけたことがありますか。
もし私があなたに新しい車をプレゼントしたなら、
私はあなたにどんなことを期待するでしょうか。
ショールームにいれて他の人たちが来て、
ただ眺めたり、あれこれと話したり、ほかの人たちにも伝えたり、写真を撮ることでしょうか。
それとも、その車に乗って運転することでしょうか。
もちろん車の目的は、運転することです。仕事に行ったり、友だちを乗せたりして運転するかもしれません。
ただ田舎のドライブを楽しむだけかも知れません。
神が、永遠の命とあなたの内に宿ってくださる聖霊と御霊の賜物という贈り物を与えてくださったのは、
それらを神のために用いてほしいからなのです。
「さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、
私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていただきたいのです。
...さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありますが、
神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです」(1コリント12:1,4-7)。

以下の聖書箇所に、聖霊が信者に与える賜物について書かれています。主に仕えるために、
それぞれの信者に、少なくとも一つの賜物が与えられています(ローマ12:4-8)。
主は、私たちに与えた賜物を、どのように用いることを期待しておられるのでしょうか。
自分の回りを見たり、聖書を読んで調べたりしていると、自分にはない賜物ががありますが、
他人の賜物を見て、それをうらやむべきではありません。
あなたに与えられた聖霊の賜物は、神の特別な子供として、
あなただけに与えられたものだと理解してください。
「しかしこのとおり、神はみここに従って、
からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです」(1コリント12:18)。
「私の賜物は何だろう?」と思うかも知れませんが、それは私たちにはわかりません。神に聞いてください。
自分の賜物を見つけて、それを大いに用いてください。

27聖霊の賜物:2008/11/27(木) 13:33:18 ID:p7mjrdgY
( >>3-7 >>10-11 >>13-25よりつづく )
ある賜物は、もはや現代のクリスチャンに与えられていません。
使徒の働きは、教会が始まる移行期の記録だということを思い出してください。
使徒の働き録は移行期の書ですから、新約聖書の残りの部分の裏づけがないかぎり、
使徒の働きのみで教義を構築することはできません。
ペンテコステのとき、信者は新約聖書を持っていなかったので、
神はご自分の力と権威を示すために、奇跡や啓示や異言を用いられました。
これは、人を贖うために来られた救い主の出現を、新しい時代において、早く知らせるためでした。
それはペンテコステのときだけの奇跡であり、再び起こることはなかったのです。
十字架や肉体的な復活や昇天が一度きりであるように、ペンテコステも一度しかありえません。
ペンテコステの日に、世界中から来た当時の人々に対して、使徒たちは彼らの母国語で福音を語りました。
そのために、それを聞いた人々は、帰ってから、
死人の中から救い主がよみがえられたことを同国人に伝えることができたのです(使徒2:4,22-24)。
現代では、異言の賜物は、もはやありません。聖書は、世界のあらゆる言葉に翻翻訳されています。
私たちのすべきことは、ただ自分の言葉を用いて、福音を宣べ伝えるという神のご命令を実行することです。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)。

今は、新約聖書という書かれた形で、神の全啓示を知ることができるので、神の教えを知識の賜物を必要とはしません。
同じ理由から、預言の賜物ももはや必要ではないのです。こういう特別な賜物は、クリスチャンが、
今のような新約聖書を持たなかった特別な時代に必要なものでした。神は、新約聖書が完成されるまでは、
旧約聖書を通し、またご自分の民に直接語ってくださったのです。1コリント13:10が新約聖書を指して述べているように、
「完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。」
ヤコブ1:25 にある「自由をもたらす完全な律法」とは、新約聖書のことです。
今は、新約聖書という文字に書かれた神のみことばがあるので、異言や預言のような特別の賜物は必要ないのです。
黙示録22:18-19に書いてある通り、神のことばに啓示や預言などを付け加えることは、神の裁きを招きます。
「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、
神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。またこの預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、
神は、この書の書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」

28聖霊の証印:2008/12/03(水) 14:50:51 ID:s2dcyQG2
V. 聖霊の証印
聖霊ご自身が証印です
A. 所有権としての証印です(2テモテ2:19)。
B. 身分証明の証印です(エペソ1:13-14)。
C. 保証の証印です(エペソ1:13-14)。
D. 取引成立の証印です。この証印は、法的な取引であることを証明しています(エレミヤ32:10)。
E.  義と認める証印です(ローマ4:11)。
F. しっかりと刻印された証印です。この刻印は、いつも確実に刻印されています。
聖霊で刻印されるとき、私たちの心に神の刻印が刻まれます(2コリント1:22)。
これは「保証」の証印です。保証金とは手付金のことですが、残りのすべては後で支払われます。
内に宿る聖霊とは、ちょうど神の保証金のようなものです。「神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、購いの日のために、聖霊によって証印を保証されているのです」(エペソ4:30)。
聖霊は、天国で再会する日まで、永久にあなたから離れません。

VI. 聖霊のバプテスマ
 「バプテスマ」という言葉は「浸す、入れる、又は一致する」という意味があります。
聖霊のバプテスマというのは、救われる時に、聖霊が私たちをキリストのからだに導いてくださることです。
「キリストのからだ」とは「教会」と同義語で、すべての生まれ変わった信者の集りです。
「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、
一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです」(1コリント12:13)。
これがペンテコステの約束で、教会の始まりでした。

 聖霊のバプテスマとは、力や経験を受けることでなく、聖霊ご自身が、人をキリストに導きいれることです。
使徒1:5に「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」とあります。
 これはペンテコステのことを指しており、まもなく来るはずの教会の始まりのことです。
 ペンテコステ以前は聖霊が人に下りましたが、ペンテコステ以後の聖霊は、いつも人の内におられます。
 救われたすべての人の内に、在住しているのです。聖書の中で「聖霊のバプテスマ」という言葉が使われる時は、
 必ず単数ではなく複数として用いられています。「聖霊と火のバプテスマ」というのは、救いと裁きを表す対照的な描写です
(マタイ3:11-12;ルカ3:16-17)。

29聖霊の証印:2008/12/15(月) 17:36:15 ID:p7mjrdgY
( >>3-7 >>10-11 >>13-28よりつづく )
ある人は、「聖霊のバプテスマ」を受け、異言を語ることを主張します。
また、ある人は病気を治したり、奇跡を行ったり、悪霊を追い出したりする力を得たと言いますが、
そういう人たちは、にせ預言者やにせ教師です。2ペテロ2章を読んでください。
その人達は、聖書に基づいて自分の経験を解釈するのではなく、聖書を自分の経験によって都合よく解釈してしまいます。
悪魔は、神には関係のないいつわりの奇跡を行います。真理の御霊もありますが、人を惑わす霊もあるのです(1ヨハネ4:1-6)。 

現代のクリスチャンにとって聖霊の賜物を生かす最大の鍵は、「さらにまさる道」にあります。
1コリント13:2「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
たとえ、山を動かすほどの完全な信仰をもっていようとも、愛がなければ、無に等しい。」と書かれてあります。
クリスチャンが与えられた賜物を用いる動機は、愛でなければなりません。
私達はいつでも、どこでも、どんな働きや証をするにしても、主が呼ばれるとき、
主イエス・キリストにすべてを委ねなければなりません。
聖霊の働きや人格については、まだたくさん述べたいことがありますが、
キリストにあって成長していくに従って、
私たちの生活の中で聖霊の臨在や働きがよく分かるようになるでしょう。

30名無しのひつじさん:2008/12/25(木) 11:22:41 ID:p7mjrdgY
第5章 人間
人間に関する真理を知りたいなら、聖書に向かわなくてはなりません。「真理とは、神が語られた大切なことです」。
聖書では、人間の創造、本質、および他の被造物との関係について教えています。人間は創造の中心でした。
地球の全てが、人間の支配下にあります(創世記1:26)。
しかし、本当に人間を知るためには、人間の考えではなく、神の見方に立たなけれればなりません。

I. 人間の起原
人間が人の起原に関して興味を持つのは、ごく自然なことです。
人はいつもそのことに興味を持ち続けています。いろいろな時代に、さまざまな学説が、
多くの哲学者によって出されました。もっとも近代の学説は、進化論です。
進化論は、下等動物が人間の祖先だと主張します。
原始人と現代の人間が違うという明らかな証拠は、何もありません。
人間の血液が、世界中でたった一種類しかないということは、
人間が進化の過程を経て、現れたのではないことを証明します(使徒17:26)。 動物の血液は、人間の生命を維持することはできません。人間の血液を、動物の血液と混ぜ合わせることもできません。神は、魚、鳥、獣、そして人間を、それぞれの種類にしたがって創造されました(創世記1:24-25)。

人間は、神の似姿に似せて造られたので、他かの動物とは明らかに違います。
「神は仰せられた『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて』」(創世記1:26-27)。
神は、最初の人間を地のちりから造られました(創世記2:7)。
しかし、歴史をふり返ると、神は次に挙げる方法のいずれかによって人間を造られました。

(A) 男と女による受胎よる方法、
(B) エバのように母体を用いない方法、
(C) アダムのように男と女による受胎によらない方法、
(D)キリストのように処女懐妊のよる方法。これは、神が命に対して絶対的な権威を持っている、もう一つの証拠です。

神は、被造物である人間についてこう言われます。「わたしの名で呼ばれるすべての者は、私の栄光のために、私がこれを創造し、
これを形造り、これを造った」(イザヤ43:7)。 そこで問題なのは、「人間が存在する主要目的は何か。」と言うことです。
その適切な答えは、「神に栄光を帰すること」です。

31名無しのひつじさん:2009/01/05(月) 12:24:48 ID:s2dcyQG2
II. 人間の本質
誰でも死に臨む人を目撃した人は、人間には体と魂または霊があることをはっきりと理解しています。
たった今生きていた人が、次の瞬間、逝ってしまいます。それでも、その体はまだそこにあります。
しかし、生命はなくなってしまい、ただ死体だけが残っています。

聖書は、人間は三つのものから成る存在であると教えます。つまり、体と魂と霊の三つです( 1テサロニケ5:23)。
霊と魂は、肉なる体と違って区別しにくいのですが、聖書は違いがあると言います。植物は、魂も霊もない体です。
動物は、体と魂がありますが、霊はありません。人間には、体と魂と霊から成っています。魂の有無によって、
生きているものと死んだものとの区別がつきます。
霊の有無によって、人間と動物の区別がつきます。人の霊が、神と交わりをもつことができるようにしています。

人間だけが祈ることのできる被造物です。祈りは、普遍的な行為です。
信仰をもたない人から文明社会に住んでいる人々にいたるまで、人は祈ります。
なぜでしょうか。バナナをもらった猿が、神に感謝するのを見たことがありますか。また、人間だけが良心をもつ被造物です。
ほかの猿のココナッツを盗んだり、別の猿と性的関係をもったからといって、罪悪感を持つ猿など見たことがあるでしょうか?
歴史的な書物の中には、悪を行い、自責の念にかられた人の話がたくさん出てきます(ローマ1:18-32)。 
動物は、本能によって判断します。人間だけが理性によって判断するのです。

堕落した人がクリスチャンになるとき、心に内住して下さる聖霊を受けます。
堕落したサタンによってアダムが罪を犯し、人間の心の中に、その罪の性質が受け継がれたのです。
しかし、もし信仰を通してキリストのもとに来て、キリストを個人的な救い主として受け入れるなら、
キリストは聖霊という人格をとって、私達の生活の中に共にいてくださいます。その時点で、私達には
「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望」という新しい性質を受けるのです(コロサイ1:27)。

魂は、感情の座です。霊という言葉には、物事を知る能力と理性が含まれています。人間は神に対してなすべき責任があり、
その最大の義務は、神が人間に望んでおられることが何であるかを発見し、実行することです。肉と霊という二つの性質は、
内的戦いであり、クリスチャンとして一生戦っていかなければなりません(詳しくは、「救い」の項をご参照ください)。

32III. 人間の自由意志:2009/01/07(水) 10:12:26 ID:p7mjrdgY
III. 人間の自由意志( >>3-7 >>10-11 >>13-31よりつづく )
宇宙には、神が造られたほかの被造物もいます。それは、天使あるいは霊というものです。
彼らには、人間のような体や魂はありません。人よりも優れています。神に仕えるために創造されましたが、
人間と同じく彼らも自由意志を持っています。その中のある霊たちは、不従順の罪に陥りました(イザヤ14:12-15)。

神は、ご自分のみこころを機械的に行なうように、たくさんの機械を造ることもできました。
そのかわり、自由意志をもち、望むなら、神に仕え、神を愛する存在を造る選択をされました。
なぜそのように望まれたのか、私達にはよく分かりませんが、歴史を通して、そうされたことが明らかです。
人は自らの意思で選択し、神は、その結果をもたらします。

IV. 人の罪
神はみこころを行うか行わないか選択できる、自由意志を持つ存在を創造されたとき、
神は、まちがった道を選ぶ者がいることをご存知でした。そして、そのような結果になりました。
今では悪魔として知らている、「ルシファー」と呼ばれる偉大な天使は、神に反対する立場を取りました。
最初の罪は、地上ではなく、天で犯されたのです。この天使は、すぐに天から追い出されました。
多くの天使たちも悪魔に加担したために、一緒に追い出されました。
その時から、悪魔は、あらゆる方法で神のご計画を邪魔しようとしています。
人が自由意志を持つ者として創造された時、悪魔は、すぐに人が神に従わないように誘惑する計画をしました。
神は人に警告をしましたが、悪魔はみごとに、人を罪に引き込むことに成功しました。
この有名な話は、創世記3章に書いてあります。

神は宇宙の道徳の統治者ですから、ご自分の命令にわざと背く存在を、御前におらせることはできません。
だから、悪魔が神のみこころに背いたとき、天から追い出されたのです。人についても同じ取り扱いが必要でした。
そのために、アダムは神の御前から追い出されたのです(創世記3:23-24)。

罪が人類に入り込んだので、アダムの性質が、すべての人に転嫁されています。
「そういうわけで、ちょうどひとりに人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、
こうして全人類に広がったのと同様に、― それというのも全人類が罪を犯したからです」(ローマ5:12) 。
私達は皆、罪を犯す傾向をもって生まれます。だから回りの誘惑にそそのかされ、
負けてしまい、悲しいことに聖なる神に対して罪を犯してしまうのです。

33第6章 罪:2009/02/12(木) 14:33:12 ID:p7mjrdgY
V. 人間の将来
人が神の手によって創造され、恥ずべき堕落をし、その結果、神から断絶されたことが聖書に書かれてあるように、
男も女も子供も全ての人間が、いつかは裁き主である神の御前に立つということが、はっきりと知らされています。
「こうゆうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります」(ローマ14:12)。
死というのは、死の事実は、普遍であるので、全ての人の避けがたい終末だということは、だれにでも分かります。
しかし、聖書はこうも言います。「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」(へブル9:27)。
神は人を創造され、みことばを通してご自分のみこころを啓示されました。
自分の行ったことに責任を持つすべての人に対して、神は間違いなく責任を持っておられます。今の人生は、次の人生のための準備です。
人間は、動物のようには死にません。人間の霊は、創造主と裁き主である神のもとへ行かなければなりません。

第6章 罪
I. 罪とは何ですか。
聖書を読み進むと、罪とその原因と解決がずいぶん強調されていることに、誰でも気づくでしょう。
罪と聞くと、すぐに犯罪や殺人に関連したことなどを思い浮かべます。
しかし、聖書でいう「罪」とは、神の栄光に達しないということを意味します。
ローマ3:23に「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄光を受けることができず」と書いてあります。
「神の栄光」とは、絶対的完全性という意味を含んでいます。したがって、罪は、的から外れているということです。
全ての人は罪人です。聖書の中で、罪は次のようにも表現されています。

A. 神の律法を破ること(ローマ5:13)。
B. 神に対する反逆、または不法(1ヨハネ3:4)。
C. 道徳的な不純(詩篇32:5)。
D. 悪い行いと同様、悪い思い(マタイ5:28)。

II. 罪の起源
一番最初に記録されているの罪は、天で行われました。
天使ルシファーが、神と同等の地位を望むようになりました(イザヤ14:12−14)。
その高慢の罪ゆえに、天から追い出され、聖書のほかの箇所では悪魔、またはサタンと呼ばれる者となりました。
地上での最初の罪は、創世記3章に描写されています。エデンの園で行われました。神は、善悪の知識の木の実を食べてはいけないと、
アダムとエバに命じられました。しかし、彼らは神に従わず、禁じられた木の実を食べ、罪人となりました。

34名無しのひつじさん:2009/02/25(水) 17:02:32 ID:BC64fUCY
III. 罪の結果

A. 人類の祖先であるアダムとエバは、罪を犯すとすぐに、
  自分たちが裸であることに気づき、神から隠れようとしました(創世記 3:7-8)。 

B. 罪の罰は、死です。アダムは、罪を犯した瞬間、霊的に死にました。
  神から離され、神の御前から追放された、という意味です。そして、肉体的にも死ぬようになりました。
  すぐには死にませんでしたが、アダムの体は死に定められました(ローマ5:12)。

C. アダムの罪の性質は、全人類に及びました。罪のある親から生まれたすべての子供は、判断や行動においても罪人です。
  だから、アダムの長男カインも、殺者となり、全人類に罪の影響が及ぶようになったのです。
  人は皆罪人として生まれてくるので、霊的に死に、肉体的死にも定められています。この点については、ローマ5:12−18をよく読んでください。

D. 人間の罪は、神の呪いを全ての被造物にもたらしました。アダムの長男は殺人者となりました。
  茨とアザミは呪われている証拠です。創世記3:14−19に、ほかの証拠も述べられています。
  現代人は、人間の堕落を、ただ人間的な失敗や間違いだと説明します。
  ある心理学者たちは、知識や技術に関する進歩により、
  人間はだんだんよくなって来ていると私たちを信じさせようとします。
  けれども、墓地、刑務所、病院、また葬儀屋がある限り、罪について証明する必要はありません。
  どんな名目であれ、涙、病気、悲しみ、痛み、および死は、明らかに罪の結果による証拠です。
  人間はなぜ罪を犯すでしょうか。ヨハネ8:44を読んでください。
  罪は天で始まり、地獄で終わるのす(黙示録20:10)。

35罪の刑罰 罪の解決:2009/03/25(水) 20:04:55 ID:p7mjrdgY
IV. 罪の刑罰
「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)。神は、罪の刑罰が死であることを定められました。
人が、神に受け入れられるために、自分を完全にする方法はありません。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」にいます(ローマ3:23)。
これが、霊的な死と肉体的な死を意味することは、もう学びました。この刑罰は償われなければなりません。
神は、罪を罰するか、あるいは私達を聖めてその罪を赦さなければなりません。

人間が罪の中で生きている限り、霊的に死に、肉体的死にも直面しています。死ぬ時にまだ罪の中にいるなら、永遠の死に定められます。
それは、永遠に神から追放され、自分の罪のために火の池の中で苦しむという意味です。これは、黙示録20:14に語られている第二の死です。

V. 罪の解決

神は、人間が自分の罪のため、永遠に苦しまないように、ある解決をを備えてくださいました。
人間に脱出の方法を与えるため、御自分の御子を世に送ってくださいました。
主イエス・キリストは、処女マリヤから生まれました。処女から生まれたのは、罪を持たないで生まれるために絶対必要でした。
これによって、アダムの罪の性質を受け継がなかったのです。人間の中で、イエス様だけが罪のない人間でした。
自らの意思で、十字架上で人の罪の罰を受け、神のすべての聖なる要求を満たしてくださいまいた。
イエスによって罪の罰が償われたので、神は今や、自分が罪人だと告白し、主イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる者に、
永遠の命を与えてくださいます(2コリント5:21)。(詳しくは「救い」を参照してください。)

人がキリストを信じたら、罪の力と罰から救われます。これは、人がもはや罪を犯さないという意味ではありません。
しかし、その人の過去と現在と将来の罪が全部赦されて、そのために裁かれないという意味です。
キリストが死なれたとき、あなたの罪は将来のことであったことを思い出してください。
キリストにあるクリスチャンは、罪とサタンの力と快楽のために生きるかわりに、罪に勝利し、神のために生きる力を得ているのです。

ですから、イエス・キリストが十字架の上で死んでくださったのです。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」(1ペテロ2:24)。

36第7章 救い:2009/04/13(月) 14:49:40 ID:taPIsFPg
第7章  救い

救いについて見ていきましょう。救いの必要性は、聖書の中で明確に教えられています。
神はこの世を霊的に二つの家族と見ておられます。一つの家族は、悪魔の子供たちから成っています。
「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。
 悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです」(ヨハネ8:44)。
もう一つの家族は、神の子供たちから成っています。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1:12)。

あなたは今、どちらかの家族に属しています。もしあなたが今日死ぬなら、属している家族によって、自分の永遠の行く先が決まります。
今あなたは、神の家族に属していますか、それとも悪魔の家族に属していますか?これは、あなたしか答えることのできない質問です。

神がご自分の御子イエス・キリストをこの世に遣わされたのは、イエスが世の罪のために死に、サタンに打ち勝ち、
それによって私達が「再び生まれる」方法を与えるためでした。これが重要な鍵です。
「人は、新しく生まれなければ、神の国をみることはできません」(ヨハネ3:3)。
この新しい霊的な誕生は、私達を神の家族の一員にしてくれます。救いとはこういうことです。

37救いや新生でない十一項目:2009/04/14(火) 18:59:06 ID:l6VTH9BU
●救いや新生でない十一項目
1.自然に生まれる世代や子孫によらない―「血筋」によるのではありません。
  人がクリスチャンの家庭やクリスチャンの親から生まれても、それによってクリスチャンになるわけではありません。

2.自己決定によらない―「肉体的な意思」によるのではありません。子供が自分で生まれることを選べないように、
  誰も、自分の努力によって新しく生まれることはできません。

3.人間の仲介によらない―「人の意思によるのではなく、神の意思」。どんな宗教の祭司、預言者、説教者、監督、
  またほかの霊的な指導者と思われている人、
   教会の中の地位が高い人でも、新しい誕生や霊的な命を人に授けることはできません。
  どんな宗教の儀式、犠牲、苦行、懺悔、および繰り返しの祈祷でも、新しい命を誕生させることはできません。

4.肉体な変化ではない。キリストが、このことについてのニコデモの誤解を正してくださり、
  それは霊的変化であることを示されました(ヨハネ3:6)。

5.社会的、地理的な変化ではない。再び生まれた人が、突然天国へ移されるわけではなく、
  続けて地上に住み、自分の主である救い主を喜ぶことです(1コリント7:20-24;コロサイ3:22-24)。

6.知的理解によらない。人は新生しないで、宗教的な教育を受け、
  教職者として按手を受け、説教者になることもできます。そういう人は大勢います。
  理論的にはその必要が分かっても、経験によって知りません(2ペテロ2:1,20-21)。

7.進化の過程によらない。人の内にある霊的生命の細菌種のようなものが、
  段階的に発展するものではありません(エペソ2:1-2)。
  罪人は、霊的に死んでいると描写されています。それは過程ではありません。誕生が命を即座にもたらします。
  誕生がないところに、生命の発展はありません。

8.改革や自己改善により、面的な悪習をやめることではない。
  それは、ひとの礼儀や習慣の変化でもありません(エペソ2:8-9)。
  それは、新しい命を与えることです。「わたしは彼らに永遠の命を与える」(ヨハネ10:28)。

38救いや新生でない十一項目:2009/04/14(火) 19:00:15 ID:l6VTH9BU
( >>3-7 >>10-11 >>13-37よりつづく )

9.水のバプテスマによらない。海のすべての水が、人を救ったり、聖めたりすことはできません。
  人間が何と言おうと、人を救うことのできる水はありません。バプテスマは、イエス・キリストの死、埋葬、
  そして復活を表す礼典であって、それ以上には何の意味もありません。
  私達がバプテスマを受ける時、それは神が私達の人生の中でしてくださったことを公にする証しです(1ペテロ3:21)。
  私達は、水によって救われるのではなく、十字架上で流されたイエス・キリストの血によるのです。

10.堅信礼によらない。ある教会では、ふつう12,13歳の子供に、
  ある儀式を授けて、それを受ける者たちが救われたと主張します。
  時々、これは聖霊を受けたことを意味する油の注ぎである場合があります。これはいつわりの教理です。
  人間の行為によって聖霊を受けるのではなく、イエス・キリストを
  自分の個人的な救い主として受け入れることによるのです(ヨハネ3:6)。

11.宗教的信仰や教会員資格によらない。新生することなしに、
  宗教熱心な信念を持ち、バプテスマと堅信礼を受け、教会員になり、
  聖餐式を受け、日曜学校で教え、教会の指導者になり、牧師や神父になり、
  奇跡のような癒しや預言をすることもありえます(使徒 8:22-23)。
  新生の必要性は、当時、一番宗教的に熱心で、道徳的に優れた人の一人に明らかにされました(ヨハネ3:1-16)。

新生は、霊的な変化であり(ヨハネ3:8)、神によってのみもたらされるのです(ヨハネ1:13)。

39名無しのひつじさん:2009/04/14(火) 19:04:25 ID:Ju412pTw
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=korahinanjo

このスレッドはリベラルな聖書解釈なんでしょうか?
福音派臭いけど

40救いである七項目:2009/04/16(木) 17:38:50 ID:s2dcyQG2
●救いである七項目
I. 定義
 救いという言葉を単的に言うと、解放するという意味です。普通は、迫りくる危険から人を解放する行為を表します。
 おぼれたり、燃え盛る建物や、沈んでいく船から、人を救うというように使います。
 それぞれのケースには、三つの要素が見られます
(1)救われた人は、死の危険にさらされていた。
(2)誰かがそれを見て、救助に行った。
(3)救助隊は、救出に成功し、その人を危険から解放し、それで彼を「救った」。
   聖書には、「救う」、「救われた」、「救い主」、「救い」といった言葉がたくさん出てきて、
   霊的意味においても、まったく同じ意味を持っています。

II. 必要性
 だれもが直面する二つの事実のために、神の救いが必要です。 

A. 人の罪の事実(ローマ3:23)
  全ての人の霊的状態については、今までの学びですでに述べてきました。
  すべての人は、生まれながらにして悪魔の子供です。人は誰でも、罪の性質をもってこの世に生まれるので、
  人は生まれながらにして罪人だと指摘してきました。この罪の性質が、やがて罪の思い、罪のことば、罪の行ない、
  神に敵対する態度となって現われるのです。聖書は、これらを多くの事例をもって明らかにしています
 (ローマ5:12, 18, 19; 6:16; 8:5-8; 創世記6:5; エペソ2:1-3; 2 コリント4:3-4; イザヤ53:6; エレミヤ17:9;
  マルコ7:20-23; ローマ1:21-32; 3:19−23)。これらのみことばからわかる明らかなことは、人間は

1. 罪人で、赦しが必要です
2. 失われており、見つけられる必要があります
3. 悪魔の子供で、神との新しい関係に移らなければなりません
4. 有罪であり、神だけが与えることのできる赦しが必要です
5. 霊的に死んでおり、神だけが与えることのできる命が必要です
6. 盲目で、神のみことばから来る光を必要です
7. 奴隷であり、サタンと死から解放される必要があります。
  このように、人は、自分で自分を救うことができません。

41名無しのひつじさん:2009/04/16(木) 17:50:09 ID:tiOWe5Z.
( >>3-7 >>10-11 >>13-38 >>40よりつづく )★★>>39は無視してください★★
B. 神は義であるという事実
 神は聖なる方であり、罪を罰さなければなりません。
 神は「罰すべきものを決して赦しません」(出エジプト記34:6−7)。 
 神は罪を憎み、罪のままで死んだすべての人に判決を下します。これは、神の御前から永遠に追放されることです
 (ヨハネ8:21-24; マルコ9:43-48; ルカ16:22-31; ユダ11-13; 黙示録20:11-15 )。

 明白な結論は:人は罪人であり、神は義なる方であるということ
       ;罪人はその罪の罰から解放されるか、救われる必要があることです。
        人の叫びは「救われるためには、何をしなければなりませんか」とならなければなりません。
        その答えは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:30-31)。
         誰も自分で自分を救うことはできません。
III. 準備
 福音とは、愛する御子の人格と業を通して、神が驚くべき恵みを持って、
 与えてくださった救いである良いい知らせのことです。二つのことが、はっきりと教えられています。

A. キリストは、罪人の救い主として来られた。
 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)。
  父なる神や聖霊と等しく、永遠の存在である神の御子は、救いを与えるために受肉されました
 (ヨハネ3:16-17; マルコ10:45; マタイ9:12-13; ヨハネ10:11; 15-18)。

B. この救いは、神の完全にみこころに従い、キリストの死とよみがえりを通して与えられました。
 キリストは、自ら進んで十字架に架かられたとき、私たちのすべての咎と罪の負債を負い、
 その身に私たちの罪を負い、すべての罪人のために身代わりの犠牲として死なれました。
 罪に対する神のすべての裁きがキリストにくだされ、罪人を罰するという神の義が、
 キリストの死によって完全に満たされたのです。
 神は、キリストを死人の中からよみがえらせ、ご自分の右のみ座に座らせたことによって、
 キリストの犠牲を完全に受け入れたことがわかります。
 以下を読んでください( 1コリント15:1-4; 2コリント5:21; 1ペトロ
(ペテロ)2:24; イザヤ53:5; ローマ5:6-9; 使徒4:10-12; 5:31; 17:31)。

42救いの条件:2009/04/27(月) 22:24:43 ID:s2dcyQG2
( >>3-7 >>10-11 >>13-38 >>40-41よりつづく )★★>>39は無視してください★★

IV. 条件
 キリストが、ご自分の犠牲によって罪人の救いに必要なすべてのことを成し遂げてくださったのですから、
 この救いを得るために、罪人は何をしなければならないでしょうか?

A. 悔い改めなければなりません。
 悔い改めとは、心を素直に入れ替えることで、その結果、罪や自己や救い主や救いに対する態度が変わります。
 行ないが変わることで、そのことが明らかになります。以下を読んでください(ルカ13:3; 使徒17:31;20:21)。
 罪人が罪のとがめを感じると、救いを望み求めるようになり、プライドが謙遜に、自己満足が、どうしようもなく、
 希望もなく、地獄に行くほかはない状態についての素直な告白に変わります。

B. キリストの人格と業についての神の証や福音をを信じなければなりません( 1ヨハネ5:9-10)。
 失われ、有罪である者として、キリストが自分のために死んでくださったことを信じなければなりません。
 つまり、キリストが自分の罪を負ってくださり、身代わりとなり、
 救いに必要なすべてのことを成し遂げてくださったということです(ローマ4:5)。

C. 主イエス・キリストを自分の個人的な救い主として自分の明確な意志をもって受け入れなければなりません。
  これ以後は、キリストを人生の最高の主人としなければなりません(ヨハネ1:12; ローマ10:9-10;ヨハネ3:16; 5:24; 6:47; エペソ1:13)
  
  次は、決定的な行為です。あなたは心から言いますか:「主イエス・キリスト、私は有罪で、失われた罪人であることを認めます。
  私は、あなたが私の罪をカルバリの十字架上で負われ、私の代わりに死なれたことを信じます。今、私の心に入り、私をお救いください。
  十字架上で成し遂げられた業を信頼し、私の人生の救い主として受け入れます。そして私の人生の主、主人となってください」
  これが、「主イエス・キリストを信じる」という意味なのです(使徒16:31)。 もし、あなたがこの告白をしたことがなければ、
  今すぐこの信仰のステップを行い、あなたを救ってくださるようにキリストに願ってください。

43名無しのひつじさん:2009/04/27(月) 23:59:00 ID:s2dcyQG2
( >>3-7 >>10-11 >>13-38 >>40-42よりつづく )★★>>39は無視してください★★

聖書の教えについて学びたい方々へ  
   ↓
☆★☆聖書の教え→http://www.bbnradio.org/wcm4/japanesebbnmedia/WhatTheBibleTeaches/tabid/1961/Default.aspx

44名無しのひつじさん:2009/05/26(火) 18:57:03 ID:p7mjrdgY
V. 確信
 どうすれば、自分は確かに救われたと知ることができるでしょうか。
 私たちは躊躇なくお答えします。それは神のみことばによるのです。イエス様を信じた魂は赦され、救われ、
 永遠の命を持ち、いつまでも守られると、神ははっきり宣言しています。以下をお読みください
 (使徒13:38; 1ヨハネ2:12; エペソ2:8; 1コリント6:11; 1ヨハネ5:13; ローマ5:1; 8:1; ヨハネ10:27-30)

 ほかにも証拠があります。新しい内的平安、聖書を知りたいと思う願い、祈りたい、罪の生活から離れたいと思う願いです。
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
 古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(2コリント5:17)。

VI. 範囲
 救いは、過去、現在、未来の三要素があります。
A. 過去 ― 罪の違反やその結果からの救い
 私たちの罪によるすべての罰を、キリストが受けてくださったので、
 クリスチャンは罪の結末から解放されています(ヨハネ5:24; ローマ8:1)。
B. 現在 ― 罪の力や支配からの救い
 聖霊が内在され、さらに神の性質を与えられたことにより、信者は、
 人生にあった罪の支配から解放されたことを喜ぶことができます( 1コリント6:19; 2ペテロ1:3-4; ローマ6:1-14)。
 これは、クリスチャンが罪を犯すことが出来ないということではありません。
 そうではなく、クリスチャンには、まだ「肉」と呼ばれる悪い性質がありますから、罪を犯さないのではなく、
 罪を「犯そうとしないようになる」という意味です。神がくださった方法を役立てれば、
 罪は人生をコントロールする要素ではなくなります。この勝利は、以下のことにかかっています:
1. 神のみことばを読み、学び、従う(2テモテ2:15)
2. 祈りによって、常に神に結びつく(へブル4:14-16)
3. 正しく有益な人生のため、自分の体を神に委ねる(ローマ6:13;12:1-2)
4. 神にすぐ告白し、知る限りの罪を捨てる(1ヨハネ1:8-9; テトス2:11-15)

C. 未来 ― 罪の存在からの救い
 これは、キリストが再臨する時に起こります。キリストが死人をよみがえらせ、生きている者を変えるとき、
 その人たちは罪と滅びと死のない体を持ちます。私たちの求めている救いの最終段階です(へブル9:28;1テサロニケ4:13-18)。

45名無しのひつじさん:2009/10/07(水) 13:38:31 ID:p7mjrdgY
VII. 結果

 救いの結果は、沢山あります(エペソ1:3-14)。いくつかを見てみましょう。

A. 神との平和(ローマ5:1)。敵意はもはやありません

B. キリストにある、神の受容(エペソ1:6)

C. 新しい家族に加わり、神の子供としての喜び(ローマ5:10-11; 8:14-17; ガラテヤ 3:26-4:7)

D. 神のために生きる(2コリント5:14-15; ガラテヤ2:20; 1ペテロ4:2-5)

E. 善行による神への奉仕と証し(エペソ2:10; マタイ5:16; マルコ 16:15-16

F. 神への礼拝と賛美と祈り(ヨハネ4:23-24; へブル4:14-16; 10:19-22; 13:15)

G. 神とともにある天の永遠の家(ヨハネ14:1-3; 黙示録22:1-5)


神のみことばの権威により、自分が永遠に救われていることを知らなければ、
あなたの心に安らぎはありません。

46プロテスタント福音主義福音派−キリスト教正統信仰者:2010/05/14(金) 16:14:55 ID:???


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