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2ch「心と宗教板」 キリスト教関連 良レス集- 1 :名無しのひつじさん:2007/01/25(木) 11:11:05 ID:lRpwgqoI
- サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2007/01/25(木) 03:02:05 ID:wnrJuSWV
>もうひとつ 改革派は赤ん坊の救い 認めてるよ
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 03:09:28 ID:SSEkZ8fT
>赤ん坊の無条件の救いを認めるのは改革派ではなくカンバーランド長老教会だ。
>改革派のウェストミンスター信仰告白では、
>赤ん坊が遺棄される可能性もある事になるから、
>カンバーランド長老教会は訂正したのだ。
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 03:18:58 ID:SSEkZ8fT
>ウェストミンスター信仰告白では救いに選ばれた赤ちゃんは救われるが、
>選ばれていない赤ちゃんは遺棄される、
>つまり滅びる可能性があると言っている事になる。
>それでカンバーランド教会は修正する必要を感じたのだ。
>もしウエスト民スターが無条件の赤ちゃんの救いを言っているなら、
>カンバーランドはこの個所を訂正していない。
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2007/01/25(木) 03:20:44 ID:wnrJuSWV
>まぁそうですが、その聖書的根拠ってある?
>それとアナタの教会は赤ちゃんの救いを認めてないよね?
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 03:29:14 ID:SSEkZ8fT
>聖書はそれをはっきり言っていないが、赤ちゃんについて神に信頼する事は出来る。
>赤ちゃんが地獄に落ちると言っている牧師など、みた事も聞いたことも無い。
>自分の魂について心配した方がいい。
つぎへつづく
- 2 :名無しのひつじさん:2007/01/25(木) 11:21:06 ID:lRpwgqoI
- >>1よりつづく
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 05:29:09 ID:SSEkZ8fT
ヨハネ福音書より
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、
御子によって世が救われるためである。
3:18 御子よhを信じる者はさばかれない。
信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、
すでにさばかれている。
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 05:37:02 ID:SSEkZ8fT
>光のある間に福音を伝えよう。イエス・キリストのほかに救いは無い。
AD20070101-07001-00001
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No. 1 赤ちゃんの救いについて >>1-2
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- 3 :名無しのひつじさん:2007/01/25(木) 11:35:04 ID:lRpwgqoI
- ◆IbYG6dQTTc :2007/01/21(日) 00:27:52 ID:Uu3oRapl
>ブッシュ大統領については別に立場を変えていない、
>彼は自分の与えられた地位において義務を果しているのだろう。
>アメリカ福音派と日本の福音派はスタンスが違う。
>だが聖書信仰と新生したクリスチャンということで一致がある。
>いずれにしてもクリスチャンは再臨を見据えて生きるのであって、
>地上の事柄は過ぎ去るという事を念頭においておかなければならない。
>「アメリカの戦争は絶対に正義」という理解などありえないだろう。
>神はある目的のために、ある国を用いられる事があるが、
>その国が絶対的に正義という事はない。
>ブッシュ大統領はイエス様がアルコール中毒のみならず
>罪からも救ってくださったと証しし、
>ビリー・グラハムからバプテスマを受けた。
>彼がクリスチャンでないと誰に言えるだろうか。
>私の友達がコンビニの店長をしていた。ある福音派の教会員だ。
>婚前交渉の罪に使われるコンドームやわいせつな写真が載っているような雑誌を、
>店長の権限が及ぶ限り、おかないようにしていたが、
>雑誌は流通の関係でおかないわけにはいかなかった。
つぎへつづく
- 4 :名無しのひつじさん:2007/01/25(木) 11:41:29 ID:lRpwgqoI
- >>3よりつづく
>彼はクリスチャンとして「信仰に基づく祈りと良心」に従おうとしたが、
>店長としてするべき義務もある。
>クリスチャンのコンビニの店長が正当な方法で店のために売り上げをあげるのは与えられた責任だ。
>クリスチャンの大統領がその国を守ろうとするのは与えられた責任ではないのだろうか。
>店長の権限と義務が与えられていてさえクリスチャンには判断と行動が迫られるのに、
>アメリカ合衆国大統領ほどの権限と義務が与えられていれば、
>いかに判断が大変かわかるだろう。
>ブッシュ大統領は毎朝はやくおきてディボーションの時を持っている。
>祈って行動を決めているそうだ。
RRES-AD20070102-07002-00002
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No. 2 国家代表者が抱える重責と信仰について >>3-4
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- 5 :名無しのひつじさん:2007/01/26(金) 12:25:43 ID:???
- 423 :名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 23:54:00 ID:/hO/J53j
≫129
ジムベイカーが問題を起したからこそ、中川師が独立されたのかと思ってい
たのだが?
424 :名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 10:10:23 ID:6MHqagOm
こういう番組って社会に悪影響を与えるんですよね
425 :名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 10:39:49 ID:bdW8MFWq
>>424 日本ではそれほど影響力はない
えびで鯛を釣る、芋づる式、鳥もちで一網打尽、そういう発想が根底に
あって、行動原理がそれに基づいている点に危うさと軽薄さを感じてし
まう。自分が蒔いた種から、果実がとれるのが自分の死後数代くらいで
あってもかまわないというという精神の正反対。
426 :名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 10:50:32 ID:cYHrKH7R
>>425
的確な指摘だ。
- 6 :名無しのひつじさん:2007/01/26(金) 12:27:29 ID:???
- 119 :名無しさん@3周年 :2007/01/13(土) 19:58:03 ID:mlvxbUzp
でちゅさん、あなたその言葉使い、止める様に言われてたでしょ。
ナザレンも救世軍も福音派の印象 悪くするだけ。
序にインマヌエルもよ!
124 :名無しさん@3周年 :2007/01/15(月) 21:28:15 ID:bCtir7uE
>119ですが 私は ナザレン 救世軍 インマヌエルを
誤解される
と書いたのは
「・・・でちゅ」言葉に
嫌悪感をだいただけ
です。教団を悪く思っているわけではありません。
誤解される様な書きこみをした行為については
深くお詫び申しあげます。
- 7 :名無しのひつじさん:2007/02/02(金) 10:21:50 ID:/GTeHdBk
- >一つ目の質問は、神様は全知全能だと言うことは、前もって人間を作る前から、
>人間が神を裏切って、禁断の果実を食べるのを分かっていたはずですが?
神が予め分かっていたかいなかったかはわかりません。分かっていたと仮定しても、
いなかったと仮定しても聖書のその後の話は何も変わりないと思います。
ようするに、別にどちらでもかまわないと思います。
>二つ目の質問は、イエス様が我々の罪の償いの為に、十字架に掛けられ
>其れによって我々の罪が許された、と言いますが、それはイエス様が
>自ら進んで十字架に掛けられたのではなく、ユダヤ教徒に殺されただけでは?
自殺したわけでは無いということです。どのような経過で死に至るようになって
しまったかは福音書に説明されているわけです。
>父なる神様自身が其れによって、人間の罪を許すと言われているのですか?
>又、我々を救ってくださるのは、父なる神様ですか、イエス様ですか?
救われるのは神です。父なる神様か、イエス様か、と 区別して考える必要は無いと思います。
>何をどう救って貰いたいのですか?? 神への信仰さえあれば神と一体です。
>わたしたちは救われる為に生まれて来たのではありません。
>人生修行が目的です。人生修行から逃げ出したいのですか?
最初から「救ってもらいたい」と希望してキリスト教に入信する人はあまりいないと思います。
キリスト教に関心をもって勉強をしていくうちに
「救い」ということに触れていくことになるのだと思います。
もちろん、誰かに救ってもらう、ということに納得できない場合もあるでしょうが、
それでも、どうしてもキリスト教だけが正しいのだから我慢しなさい、
とまでは言いませんし、そういう必要もないと思いますよ。
納得できないのならする必要が無いことですし、また非難するようなことでもないでしょう。
- 8 :名無しのひつじさん:2007/02/02(金) 10:36:32 ID:/GTeHdBk
- 栄光の復活のからだ知らないみたいらしいけど、
キリストと同じ栄光のからだにクリスチャンはなるんだよ。
霊のからだとは肉のからだではないし、単なる霊者のからだでもありません。
わたしの手足を見なさい、霊には骨や肉はない、魚を食べ パンを食べたキリストのからだ
壁を通り抜け、空中飛行したからだ、地上でも天でも適用出来るからだ。
死なない、年とらない、不滅のからだ。
ハレルヤ 私たちは、イエスと同じ栄光の不滅の復活体にかえられます。
http://www.nagoya-christian.com/pages/foryourstudies/outline/keikyo.html
http://www1.linkclub.or.jp/~kgcc524/message2003/message2003_09_07.html
RRES-AD20070103-07003-00003
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No. 3 イエス・キリストの救いとは?栄光の復活の体とは? >>7-8
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- 9 :名無しのひつじさん:2007/02/02(金) 11:08:38 ID:/GTeHdBk
- ここの議論をうけて。。。
↓
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1155619536/709-712
教会にたむろしている依存君たちを「クリスチャン」なんて思わないほうがいいよ。
むしろ、逆だよ。
だいたい、コリント書の記述内容なんて、異教の風吹きすさぶローマ時代の話ですよ。
同性愛の神(ヒアキントス、アポロン、タミュリス)がいる世の中ですよ。
同性愛行為なんて、ほとんど宗教行為だったわけですよ。
そんなことと現代社会をまじめに比較しようとすることはどうなんですかね。
同性愛者であることを認めてもらえない教会に居ることが辛いというのなら、
そんな教会へ行くのはやめてしまえばいいんですよ。
神の愛から離れている団体に所属する必要はゼロです。何も迷う必要は無いと思いますよ。
教会を信じているのか、神を信じているのか、ということでしょ。
神への信仰を妨げるのが教会であるのならば、別に居続ける必要はないでしょ。
教会の一員であり続ける必要があるの?
>私の知人の同性愛の人は教会に通いたい、受け入れられたい、と教会にこだわっているので。
>神との直接啓示によって結ばれてると感じている人には関係のない話
そうまでして教会にこだわる必要は何も無い、ということを教えてあげたほうがいいよ。
なんとか啓示って、また造語? すきだねぇ。別に教会へ行かなくても人と交際することはできます。
教会内にしか神はいない、と思い込んでいる人には何を言っても無駄かも。
つぎへつづく
- 10 :名無しのひつじさん:2007/02/02(金) 11:09:41 ID:/GTeHdBk
- >>9よりつづく
>もう少し神学を勉強してみては?2ちゃんなんかに熱中してないで(笑)
あんたが考えてるマトモな信者−は気にくわなければだれでも差別する人種でしょ?
プロテスタント教会の大半(会衆派)は教会に依存するな、
一人一人独立して歩め、と教えているんだよ。
教会に籍があっても自由に教会を批判できる、当たり前のことです。
そんなこと一つできないで、なにが「罪からの解放」なんでしょうか。
要するに、のこのこ好んで差別されて嫌な思いするために教会行く必要はないでしょ、
ということを言っているんだよ。
差別者っていうのは、なんでもかんでも無闇に差別するもんだよ。
理屈なんて無いんだよ。特に性的な問題は格好の餌食。
あなたは神に呼ばれたのであって、教会に隷属することを求められているのでは無いと思うよ。
前にもどこかで書いたと思うんだけど、
「告解場で罪を隠すと百倍になって返ってくる」なんていうのは、
教会が人心をコントロールするための手段でしかないわけね。
みすみすそんな「落とし穴」にはまるために教会へ行く必要は全然無いよね。
>ありがとう。教会を離れるのは本当に辛くて、ずいぶん悩みましたけど、
>離れてひとりになってみて、色々見えてくるものもあるんだな、と思ってます。
「教会」というフィルターを通してしか神に相対することができないものは不幸だと思うよ。
神とアダム・イブの間には教会なんてなかったよね。
神はプロトタイプとしてイスラエルの民を選ばれたわけだけど、
最後にイエス・キリストを選ばれて(遣わされて)全ての条件を取り払われたわけね。
何一つ、神とあなた(私達)との間に差し出口を挟むものはなくなったわけです。
安心して神により頼めばいいし、愚痴があるなら直接言えばいいんだよ。
いつでも聞いて下さるよ。
つぎへつづく
- 11 :名無しのひつじさん:2007/02/02(金) 11:10:55 ID:/GTeHdBk
- >>10よりつづく
既に理解されているとは思いますが、
神は絶対至高の存在として、教会ではなくて、一人一人を評価される方ですよ。
あなた自身が誠を尽くして生きる、そのさまをご覧になります。
あなたの苦悩と努力と、その機微の全てをご存知ですよ。
教会がなにより大切で守るべきものだという理解の人は、同性愛を差別する。
教会より神が大切で、教会のように人を差別したく無いと考えている人は教会へ行かなければ良い。
簡単なことです。
「同性愛」が罪だという箇所は一箇所もありません。
同性であれ男女であれ、誰かれなく淫らに性行為目的だけで抱き合うようなことを
してはいけないよ、と言われているのです。
特に、当時はまだ偶像崇拝の異教の影響が色濃く残っていて、
淫らな性行為はその異教の宗教行為として行われていたので、
このようなことを諌められているわけです。
要するに「異教の宗教行為を行うな」とは言わず、
具体的なその内容を一つひとつ指摘しているわけですよ。
具体的に言うのであれば、
宣教時代のローマはいわゆる「ローマ神話」の神を信仰していた時代です。
あらゆるところに神殿や祠があって偶像が祀られていたでしょう。
神殿には神官がいて、希望者には「お祓い」を有償でおこなっていた。
これが、性行為ですが、日本で言えば神主が守り札を幣でお祓いして渡す程度の
感覚でしょう。別段悪いことでもなかったし、ましては「犯罪」などとは思いもしなかったわけです。
ですから、「そういうことは、本当はとても悪いことなんですよ」と教えなければ
ならなかったわけです。
そして、それは「書簡(手紙)」だったので、一々「神殿があって神官がいて性行為をして」
とは説明しなかったのです。
だから、それを読むときには、背景を無視してただ文字通り「いいか」「悪いか」と機械的に
左右に分けていくような読み方をしてはいけないわけです。 つぎへつづく
- 12 :名無しのひつじさん:2007/02/02(金) 11:12:34 ID:/GTeHdBk
- >>11よりつづく
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/01/30(火) 14:58:29 ID:WrVvDI8C
男性ですが、日本にもこういう牧師がいるようです。相談してみてはどうでしょうか。
>http://allabout.co.jp/relationship/homosexual/closeup/CU20030303A/
聖書は柔軟な心で読んでいかないと正しく読み取ることができません。少なくとも、
法律書として、つまり「してはいけないことが示されている教科書」として
読むようなものでは無い、ということですね。
言いたいことは、神様は教会に所属しないものにとっても神様だということ、
教会に従順でないからといって排斥されるような存在ではないということです。
それから、神の掟は、ときに世の法律よりも厳しいことがありますが、
必ずしも教会の言う通りではない、ということも覚えているべきです。
>今はとりあえず、教会に所属することよりも、
>神様と自分の一対一の関係と、自分の生き方の見直しをしていこうと思います。
それが一番いいと思います。また教会へ行きたくなったら行けばいいんだし、
行く場合でも、必ずしも自分が同性愛だということを言わなければならない、
という必要は無いのではないかと思いますよ。
RRES-AD20070104-07004-00004
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No. 4 同性愛をめぐる信仰上の問題について >>9-12
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- 13 :名無しのひつじさん:2007/02/05(月) 12:36:12 ID:zYFqvXKI
- >質問です。少し長くなります。
>私は過去に人を裏切った罪があります。今は心から反省してぃますが自責の念は消えません。
>洗礼を受ければ今までの罪は拭い去られ新たに神の子として生まれ変わることができると、
>神父さまに言われ洗礼を勧められています。これは本当でしょうか。
>心から過去の罪は反省しています。
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/03(土) 13:12:16 ID:4WUjt4eh
極端な言い方をすれば、殺人罪を犯してまだ罪を償わない状態で洗礼を受けたからといって
その殺人罪が許されるわけではありません。
(まず第一に、殺人罪は、人の前に犯した、人に対する罪です。)
(この世に属する−法律や道徳に関する事柄においては、この世の裁きを受けなくてはなりません。)
法的に裁かれないようなことがらであっても、
その罪を償っていないが、自動的に償われることを期待して、洗礼をうけたところで
(そのような期待から信仰者になろうとすること自体、罪のあらわれといえることなので)
その罪は償われないままであるばかりか、
洗礼の神聖さばかりでなく、結局自分自身を汚してしまうことになるのではないですかね。
(神が赦してくださるのは、あくまで神の前に犯してある罪についてです。)
(人の前に犯した罪については、その人に対して罪の償いをしなくてはなりません。)
まず、過去に犯した罪を、納得のいくやり方で償うべきではないかと思いますよ。
(信仰者なら当然、そのように考えるようになるものでしょう。)
- 14 :名無しのひつじさん:2007/02/05(月) 21:26:45 ID:/.xcD/8c
- 中川先生の基盤となる信仰ねえ…。
彼はもともとアッセンブリーに所属していた。
ただ、異言を極端に重視する姿勢に賛成できなくて、アッセンブリーを離れて
単立の教会、町田クリスチャンセンターを作ったらしい。
もっとも、聖霊のバプテスマそして異言に批判的なのではなくて、それをむしろ
重要なものと捉える立場なのだけれど、ただ、アッセンブリーがややもすると、
聖霊のバプテスマを受けないと、そしてその証としての異言が与えられないと
救われていないと言っているように見える(本当はそうではないとしても)ことに
批判的だったのだと思う。
そうですか、もうPTLクラブを知らない世代の視聴者が多いんですねえ…。
今手元に資料がないので、おぼろげになった記憶に基づいて書きますが、
PTLクラブは、60年代末のアメリカで、ジムベーカーという人が始めたキリスト教の
伝道番組です。
その伝道番組が、日本で、馬橋キリスト教会の新井宏二牧師をメイン司会者にして、
中川先生がその補佐という形で放映されるようになりました。番組では、ホスト、コホスト
という呼び方をしていたように思います。
その後新井先生が番組を降りられ、中川先生がメイン司会者(ホスト)になられました。
その当時は、今から思えばテレビ伝道花盛りの頃で、日本でも、趙ヨンギ牧師の
『幸福への招待』という番組や、またアメリカの『ジミースワガートアワー』の日本で
の放映などがありました。
そして、そのような状況の中で、ある日突然、中川先生がPTLクラブから独立して
『ハーベストタイム』を立ち上げると宣言して大騒ぎになったわけです。
しかも、当時のPTLクラブの主だったメンバー(ヨアンナもその一人)のほとんどを
引き連れての独立ですから。
PTLクラブにしてみたら、ひさしを貸して母屋を取られたという感じでしょうか。
まあ、今にして思えば、PTLクラブは、その後、創始者であるジムベーカーが、信者の
女性を犯し、しかも彼が同性愛者でもあったことが発覚して瓦解したのですから、中川
先生は強運の持ち主だったということになるのかも知れませんね。
- 15 :名無しのひつじさん:2007/02/05(月) 21:28:08 ID:/.xcD/8c
- パワー・フォー・リビングの原書は、
キリスト教プロテスタント
南部バプテスト派の牧師Jamie Buckinghamが書いた
キリスト教系書籍。
CMの広告塔になっている者はいずれも
原理主義的色彩の濃い教派のプロテスタントのキリスト教徒である。
コマーシャルでは宗教性を隠しているが、実体はキリスト教の布教活動(文書伝道)である。
ドイツではこの財団のコマーシャルは、ドイツ連邦放送審議会
(Germany's Federal Broadcasting Commission)によって「宗教思想を宣伝する広告」であると
認定され、2002年1月に放送禁止となっている。
- 16 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 10:02:48 ID:sYito2/w
- ◆IbYG6dQTTc :2007/02/03(土) 20:36:49 ID:kf1byXjg
ただ恵みにより、信仰によって私たちは義と認められます。
ローマ
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
ヨハネ
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ガラテヤ
2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、
ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、
私たちもキリスト・イエスを信じたのです。
これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。
なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/03(土) 21:24:49 ID:4WUjt4eh
御子を信じる、というのは、ただ「信じます」というだけのことでは無いと思うYo!
三浦綾子風ならこうなりますかね・・・。
人間は知らず知らずに道を外れて、主の望まない間違った場所に行ってしまう生き物である。
かのアダムとエバも、今を生きている私たちも、必ずどこかで主を悲しませている。
それを「罪」と呼ぶ。人間はその「罪」の代償として、一人残らず死を与えられたのである。
- 17 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 10:12:32 ID:sYito2/w
-
>『はっきりと』信じないとゲヘナ(地獄)に行くことが明記されてる訳ではないですよね
>複数の箇所を組み合わせたり、逆説的に捕えたりして『言われなくても当然分かるだろ』クラスですよね
>なんか揚げ足を取り、トンチを聞かせて屁理屈みたいなこと言ってるのは分かってます
>しかし原典主義ならば100%正確でなければならないということも言えるではないですか
>では万人救済論やその他の教理はどこから派生して来たんですかね
>上記の聖句を見れば反論の余地は無さそうなものですけど
>ここは無視してるということですかね。それとも別の意味に解釈してるのか。
↑
◆IbYG6dQTTc :2007/02/05(月) 18:54:18 ID:sNuvWXHl
古くはオリゲネス、現在はカトリック神学者カール・ラーナーの包括主義、
リベラル神学者ジョン・ヒックの多元主義の主張。
JEAは新普遍救済主義を異端として退けた。
http://evangelical.zouri.jp/neo_universalism.html
>『果たして天国に行くから』 我々は信じるのか
>私の罪の身代わりとなる為命を投げ出した『愛』に心を打たれ信じるのは無しなのか、私は後者なんですよね。
>つまり天国に行けるかどうかは当初あまり関心がなかったと言ってもいいです
>つまり言ってることは同じことで
>また屁理屈こねてるのは分かってますが、
>こういう入り方の方が日本に合ってるのではないかと思うのは¨思い上がり¨ですかね
↑
それはもうリベラル派がやって失敗していると思うけど
罪がわからなければ購いのありがたみもわからないわけで・・・
- 18 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 10:24:15 ID:sYito2/w
- うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/03(土) 21:30:25 ID:4WUjt4eh
まあ、もっとちゃんと聖書を読んだほうがいいと思うよ。
キリストの弟子は、死後天国に行きたいがために、がんばって宣教したのでは無いように思いますよ。
お弟子が「天国はどこにありますか」と聞いたとき、イエス様は、
「ここにあるとか、そこにあるとか、そういうものではない、一人一人の心に成すべきものだ」
といわれましたよね。死後のことでは無いと。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
Jesus saith unto him, I am the way, the truth, and the life
: no man cometh unto the Father, but by me.
風 ◆FEB7UTp.OI :2007/02/02(金) 23:12:28 ID:YihU3nG0
救いの確信を与えられる事は幸いです。
平和的クリスチャンさんのおっしゃっている内容は、
「イエス様を信じなかった場合に、死後天国には行けないけれども、そんなに居心地の
悪くないところに行ける。」ということだと理解しましたが、もしそうだとしたら
イエス様の十字架上でのお苦しみがあまり意味のないものなるのではあませんか?
私たちをそこそこ良い場所から天国に引き上げるという、
程度の効能しかないことになってしまいませんか?
「それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」
黙示録 20章14−15節
「いのちの書に名のしるされているもの」とはもちろん救われたクリスチャンのことでしょう。
キリストを拒んだ人たちへの永遠の刑罰についての教えは、明らかに一貫した聖書の
教えです。居心地悪くする教えだからといって、曲げて解釈するべきではありません。
- 19 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 10:30:00 ID:sYito2/w
-
RRES-AD20070105-07005-00005
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No. 5 神さまのまえにある罪とは? >>13
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RRES-AD20070106-07006-00006
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No. 6 ただ恵みにより、信仰によって私たちは義と認められます。 >>16-18
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- 20 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 11:20:42 ID:sYito2/w
- ■■平和的クリスチャン ←この人のレス、下のスレッドにあるが要注目。
↓
十十十 キリスト教プロテスタント 十十十
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1162632563/189-240
■■平和的クリスチャン :2007/02/03(土) 21:01:31 ID:wyn6c5x3
>キリスト教が独善的で排他的とされる
>理由の一つに『信じなさいそうすれば救われます』という言葉がありますが
>実際信じなければ全てが必ず地獄に墜ちます
>なんて聖書のどこに書いてありますかね
>なんか自分を否定するようでヤなんですけど
>しかしやはりここからは『はっきりと』信じないと、
>ゲヘナ(地獄)に行くことが明記されてる訳ではないですよね
>複数の箇所を組み合わせたり、逆説的に捕えたりして
>『言われなくても当然分かるだろ』クラスですよね
>なんか揚げ足を取り、トンチを聞かせて屁理屈みたいなこと言ってるのは分かってます
>『果たして天国に行くから』我々は信じるのか
>世界中の惨たらしい戦争は、その何割が宗教によるものなのでしょうか
>世界中の人と手をとり合いたいなら
>相手の立場を理解した上で異宗教と手をとりあわなければならない
>これは必須です
>我々が平和の宗教ならば我々にこそそれが出来るはずではないですか
- 21 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 11:42:02 ID:sYito2/w
- >>20-21よりつづく
☆★「平和的クリスチャン」は神のまえにある自らの罪深さの自覚のがない人のよい例。
この人「実際信じなければ全てが必ず地獄に墜ちますなんて、
聖書のどこに書いてありますかね」なんてうそぶいておりますが、
神から離反して在る場所を「地獄」と聖書ではいうのですから、
神とともに在る「御国」でないところは、キリスト教的には、
すべてそこは「地獄」である。
そんなあたりまえのこともわからないようですね。
さらにこの人は「『果たして天国に行くから』我々は信じるのか」と述べているが、
そのようなことは、あたりまえのことではないか。
神とともに生きる御国を約束してくださっている、
それこそがキリストを信じていただく救いの核心にあたる事柄ではないか。
まさかこの世が神とともに在る「楽園」である−なるだろう、などと夢見ている、
幼稚な小学生君ではあるまいな?
「我々が平和の宗教ならば我々にこそそれが出来るはずではないですか」
ほんとうに心からそう思ってるなら、言うまえに行動していることだろう。
それが大人というものなんだが。。。。
だ・か・ら分別ある大人は、小中学生が社会科の授業で発表するような、
そんな幼い主張はしないものなんだよねぇ。
なぜなら、真実の原因は、宗教の違いにあるのではなく、
イエス・キリストによって解決していただくしかない
人間の罪−原罪にあるからなんだよねぇ。
- 22 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 11:43:59 ID:sYito2/w
- >>20-22よりつづく
この人(平和的クリスチャン)のような罪の自覚と悔い改めのない方々は、
無意識のうちに他人を裁いていきますから気をつけましょう。
自分は善い人で神の御心にそって生きている。
罪深くはない、と心の底でおそらくそう思っているのだろう。
カトリック教の典型的信徒ですね。
神のまえにある自らの罪深さの自覚がない人ほど、おそろしいものはない。
この人は「私の罪の身代わりとなる為命を投げ出した
『愛』に心を打たれ信じるのは無しなのか」と言っているが、
おそらくイエス・キリストが諭そうとされた
「私の罪」のほんとうの意味での自覚は何もないだろう。
もしその「罪」の意識のかけらでもあったなら、
イエス・キリストが十字架上であそこまでして苦しまれたことを、
自分のこととして、私自身の罪のゆえだったのだ、と受け入れることができるはずだからだ。
受け入れられてないから、信じなくても救われる、
地獄に落ちるとはかぎらないと言い張れる、自らの愚かしさ、惨めさに気づいてないのだろう。
このような人は、おこなっていればいい、おこないが救う、
というカトリック教の信徒に多いので気をつけよう。
なぜなら、誰も彼もが道を踏み誤っている部分はあるものなのだから。
行いによっては救われない、罪を認め、キリストの救いに信じてあずかった者だけが、
罪穢れのないものにつくりかえらえれ、
神とともに永遠の御国を受け継ぐことになるのである。
ガラテヤ 2:16
人は律法の行ないによっては義と認められず、
「ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、
私たちもキリスト・イエスを信じたのです。
これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。
なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」
- 23 :名無しのひつじさん:2007/02/06(火) 11:48:50 ID:sYito2/w
-
RRES-AD20070107-07007-00007
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No. 7 神のまえにある罪の自覚と悔い改めのない人のおそろしさ >>20-23
〜「平和的クリスチャン」をとおして考える〜
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- 24 :名無しのひつじさん:2007/02/07(水) 10:20:17 ID:sYito2/w
- 平和的クリスチャン :2007/02/06(火) 22:42:41 ID:4iIGzjK+
>何を持ってキリスト教の柱とするかは今の所
>1.キリストをメシアとする
>2.三位一体を認める
>3.信仰義認
>4.聖書のみを聖典とする
>てな感じですかね
>これについては全く異論ないです
>3の信仰義認も僕の信仰の通りです
>私は信じてない人が御国に入るとは思ってません
↑
なかなかまともなことを言っている。ここまでは。。。
が、やはり神のまえにある人間の罪深さが理解できていないようだ。
この人は、イエス・キリストが十字架に掛けられたわけを、
自分のこととして、理解しようとしないのだろうか?
カトリック教の信徒にそこまで要求するのは酷だろうか?
神の子が十字架に掛からねばならないほどに、
人間は罪深い、ということではないか。
>この世で信じない者については全てゲヘナに投げ込まれるのか。
↑
神がご自分でおつくりになられたものをどう始末しようが、神のご勝手だろう。
げんに、ほんらい神の国に入るにふさわしくない「人間存在」を、
神の子イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、つくりかえ、
入れよう、とまでしてくださろうとしているのだから。
>3の信仰義認も僕の信仰の通りです
>私は信じてない人が御国に入るとは思ってません
↑
クリスチャンは、このことだけを理解していればいい。
- 25 :名無しのひつじさん:2007/02/13(火) 12:47:29 ID:U8S.oRY2
-
プロテスタント福音派−正統信仰者の集い:PART2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/962-969
↑
神のまえにある罪の自覚と悔い改めのない人のおそろしさ
〜「平和的クリスチャン」をとおして考える〜
- 26 :名無しのひつじさん:2007/02/14(水) 12:51:37 ID:JvjdK5yY
- >創世記について質問です
>アダムとイブは蛇にそそのかれ神に背き知恵の実を食べますが
>これは哲学者パスカルのうたった「考える葦」と似ています
>パスカルは人間は考えることで宇宙、つまり神を越えることができるとといていますが
>創世記も神に背き永遠の楽園より知識を選んだように人類の生き方を決定付けているように思います
>パスカルの生まれる千年以上前に書かれた創世記ですが、
>この原罪の部分はどのような考えで書かれたのでしょうか?
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/11(日) 13:47:52 ID:ZCl0RXob
人間の生き方を決定付けている、というわけではなくて、
悪に陥りやすい人間の本質をあからさまにしているに過ぎないと思います。
創世記の著者は、幼い子どもが親に嘘を吐くことを知っていたでしょうし、
善意そのもののような人であっても何かの拍子に瞋恚の炎に身を焦がす、
鬼畜に成り下がってしまうことを知っていたでしょう。
人間とはそのように不完全なものばかりだということをよく知っていたのだと思います。
人間が聖書の記述に従っている、ではなくて、人間のありのままの姿を聖書に書き記した、
が実際のところでしょう。
- 27 :名無しのひつじさん:2007/02/14(水) 12:53:13 ID:JvjdK5yY
- >>26
そんな軽ーいものなんだ、うきゃん。私は神から重要なメッセージが創世記の失楽園に
には隠されているように思えてならないんだけど・・
だって、善悪を知る木から取って食べて「命の木」に至る事が出来なくなったんだし、
そしてこの、「命の木」って聖書にたびたび出てくるじゃない、黙示録にも、いのちの木に
あずかる特権を与えられる者はさいわいであると、最後に書かれてるし。
- 28 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 10:51:46 ID:SqTZSP6I
- 55 :名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 17:19:41 ID:qIb2AKlh
>主の兄弟ヤコブ
>前に教会で神父様に聞いたら
>実際は親戚のことで兄弟ではないって教わったんだよね
>ヘブライ語には親戚とゆう言葉がないから兄弟って表してるんだって
>でも、こないだ何かを読んだら
>ヨセフの前妻の息子なんじゃないかって書いてあったんだけど
>(イエス様の異母兄弟)うきゃん君はどう思う?
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/10(土) 17:24:10 ID:em9sp2YZ
使徒行録には「主の兄弟ヤコブ」という人物が登場しますが、イエス様に兄弟がいたのでしょうか?
「兄弟」というのは「親戚」という意味を持っていた、ということもどうやら本当のことらしいです。
また、本当の兄弟だったとしても別にかまわないのではないかと思いますよ。
カトリックや正教は「いとこ」とか「異母兄」といいますが、プロテスタントは
「実の弟」(マリヤとヨゼフの子ども)としていますね。
プロテスタント教会も処女であるマリヤがイエス様を生んだ、と信仰告白しますが、
イエス様を生んだときまでが処女なのであって、
その後生涯処女であった、とはいいませんので、それでいいわけです。
>実際は親戚のことで兄弟ではないって教わったんだよね
↑
これなんだけど、「兄弟」には「親戚」の意味があるからといって、
本当の「兄弟」の意味が無いのかというと、そういうことではなくて、
本当の兄弟であっても「兄弟」というわけね。
カトリックのおかしいと思うところは、どうも判然としないところまで言い切ってしまうところ。
ここは憶測だというところは「憶測だ」とか「おそらく」とか言わないとね。
色々辻褄が合わなくなるから無理やりそういうことにしているんですよ、
というならもっと親近感沸くんだろうけどね。
- 29 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 11:08:51 ID:SqTZSP6I
- 74 :名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 19:10:49 ID:RHD0X/0C
勉強会にも出てなくて全く聖書に関して無知ですが読ませてもらってます。
質問ですがイザヤ書53の「主の僕」は、イエス様のことを預言しているのでしょうか。
95 :名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 21:23:57 ID:Xcdi+q2y
違います。「イスラエル」又は「イスラエルの民」の意味です。
↑
105 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/11(日) 00:13:38 ID:omDdbtvs
>>95
そんなはずない。そう主張するのは現代ユダヤ教徒かリベラルだ。
伝統的、正統的にその箇所は常にメシア預言とみなされてきた。
イザヤ書の「主のしもべ」は、イエス様のことを預言している。
152 :名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 16:01:49 ID:OV39X1ym
旧約の箴言に 神の言葉に つけたしをしてはならないとあり、新約は それに 違反してると思うんだけど
新約やイエスは例外なんて書いてないし、本当はユダヤ教が正しいのでは?
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/11(日) 16:05:53 ID:ZCl0RXob
新約も神の言葉なんだからつけたしじゃなくて追加だよね!
- 30 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 11:11:28 ID:SqTZSP6I
- 219 :Libi ◆lBIxvei/kg :2007/02/12(月) 12:53:59 ID:pH+zKAlV
私は、どの宗教を信仰するということはありませんが、
漠然と、神の存在を感じているものです。
神がいるという考えは、人間のような、偶然での発生とは考えがたい、
極めて複雑な構造の肉体を持った知的生命が存在しているという、判断材料があり、そのことから想像することができます。
しかし、その神が、死んだ人間のことを考えてくれているという考えに結びつく、
判断材料はこの世に存在しません。どのような思考をもてば、あの世を信じることができるのでしょうか?
私は、大学生ですが、今から死が大変怖いので、参考にしたいのです。
↑
221 :名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 13:14:08 ID:XLUt0r3C
この世で正義と善を認め、肯定するのであるならば死後の生、いわゆるあの世と神の存在は認めなければならない。
この世で善を認めると言いながら、返す刀であの世の存在と神の存在を認めないと言われる方は矛盾しております。
死後の生がイコール無である前提から正義と善はこの世で成立しない。死後の生が無であると言われるならば、
人間は自我の性質から必然的に利益に向かいます。死んで無になるわけですから、自己にとって得な方向を選択し、
利益を目的化するのは必然と言えます。
そして利益を目的化しますならば世界の腐敗、人類の腐敗、環境破壊は自然の摂理に即した当然の帰結となります。
それは人類自身が、人類自身の選択において自律的に選択した結果であって、利益や国益を目的としながら
環境を良くしたり、 あるいは神とあの世の存在、並びに信仰を無視して人類救済を実現するのは不可能ということです。
これを「無知」と言いますが、あの世が在る、神の存在が在る、
死後の生は在るという前提からのみ神の善悪や正義はこの世で成立します。
「死後の生」イコール「無」の等式と共にこの世で倫理は成立しないということです。
神の存在とあの世の存在が、もしないと言われるならば、この世で正義と善は成立しません。
何となれば死んで無になるわけですから、誰でも利益に向かうことになるからです。
神への信仰とあの世の存在を説かなければならない理由もこの世で善悪が成立しようがないからです。
- 31 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 11:12:46 ID:SqTZSP6I
- >>30よりつづく
この世で正義と善を認めるならば、神の存在とあの世の存在は、
これを必然的な存在として認めなければならない。
これがカント哲学で主張された思想です。
神の存在と霊の不死は倫理観から必然的に要請されるということです。
信仰の義務を人間の義務として生命の本然の性質として開示する価値を、
神理と言います。
神の存在やあの世の存在を無視してみたり、
分からないといった前提から何の善悪を論じているのでしょう。
何を善として何を悪としているのでしょう。
虚空に釘を打つような真似は止めなさいと言っているのです。
単にその存在を認めるなどというのは、傲慢以外の何ものでもない。
神への絶対服従と信仰というのは、
永遠の人間としての義務となっているのです。
というのはその心を知るために人は永遠の生命を与えられているからです。
- 32 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 11:26:19 ID:SqTZSP6I
- ◆IbYG6dQTTc :2007/02/12(月) 16:16:11 ID:qgh1AvAS
悪魔は天使でしたが神に従わず離れ去り罪を犯しました。
私たちの先祖のアダムは神に食べるなと命じられた木から食べて罪を犯しました。
それで人は死ぬ者となりました。
2000年前にイエス・キリストが罪の身代わりとして、
十字架にかかられたので信じる者は罪赦されます。
309 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 02:24:07 ID:2SQ4UIJb
キリスト教はなぜ他の宗教を排除してきた歴史を持つのですか?
↑
312 :うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 08:49:05 ID:86/5XvsJ
それはキリスト教の問題というよりも、キリスト教を利用した政治の問題だと思いますよ!
314 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 14:02:07 ID:8jd0AOHt
プロなんですが久し振りに雛人形を飾って「ひな祭り」したいのですが
神様は許して下さるでしょうか。
♪あーかい毛氈 敷き詰めて お内裏さーまはうーえの段・・・・・
歌ったら駄目ですか?
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 14:21:56 ID:86/5XvsJ
好きにするよろし!
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 08:47:10 ID:86/5XvsJ
春に行われる復活祭は、ユダヤ教の過ぎ越し祭をキリスト教化したものだと言われていますよ!
「イースター」とも言いますが、ゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」
あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に、
由来しているんですって!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%A5%AD
- 33 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 12:20:31 ID:SqTZSP6I
- 風 ◆FEB7UTp.OI :2007/01/23(火) 22:28:51 ID:i+FA1IHd
聖書をまずお読みください。あなたの不安を主に知ってもらってください。
私たちが主を選ぶのではありませんよ。主が私達を選ばれるのです。
【わたしはあなたに命じたではないか。
強くあれ、雄雄しくあれ。恐れてはならない。
おののいてはならない。あなたの神、主が、
あなたの行く所どこにでも、あなたとともに
あるからである。】ヨシュア記:1・9
あなたにイエス様の惠と平安が与えられますように。
新約聖書も読んで見て下さい。
信仰と希望と愛に生きていこうと思っています。
イエス様を信じ、その教えに従って行こうと思っています。
51 :風 ◆FEB7UTp.OI :2007/02/11(日) 00:56:09 ID:IS+FGxCl
私は2ちゃんねるに来て、約半年です。
困っている方には私はできる限りの事を
したいと考えています。(祈る事のみですが)
言い争いには参加したくありません。(どこのスレでもです)
スルーするようにしています。
イエス様に少しでも関心を持たれている方を
失望させないようにして行きたいです。
【むなしいものを見ないように私の目をそらせ、
あなたの道に私を生かしてください。】詩篇:119・37
- 34 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 12:25:23 ID:SqTZSP6I
- 風 ◆FEB7UTp.OI :2007/02/14(水) 21:09:29 ID:hCpx3LW1
イエス様の再臨がいつかなのかは、だれもしりません。神様以外は。
【この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは
決して滅びることはありません。
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも
知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ
父だけが知っておられます。】マタイ福音書:24・35〜36
その日がいつ来ても、良いようにしておきましょう。
私がキリスト者になるきっかけになった、御言葉を書きますね。
【愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず
自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。】
コリントⅠ:13・4〜7
【こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その仲で1番すぐれているのは愛です。】 コリントⅠ:13・13
- 35 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 12:55:39 ID:SqTZSP6I
- 823 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 18:14:23 ID:DvkARrYs
神殿以外では男色行為は行われていなかったんですか?
宗教的な意味合いの無い同性愛行為ならしてもOKだと聖書に書いてありますか?
私が疑問に思ったのは、同時期に男色行為が宗教的行為としてギリシャ神殿で行われていたとして、
それがなぜ「聖書は神殿での男色行為と男娼となること以外の、
男色行為は許可している」ということになるのか、です。
神殿での行為もひっくるめて男色行為を戒めてると考えるほうが自然に思えるのですが。
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 18:35:54 ID:86/5XvsJ
どういう理由だろうと、淫らに、性の虜となって性愛を弄ぶことは良くないことです。
男女だろうと同性間であろうと同じです、ということ。
箸を上げるにも下ろすにもにも神の許しの確証をえられなければ安心できないのでしょうか。
自分で考えて、自分で神に問うて、自分で確信を得て行うべきだと思います。
神は「安全確認基準」では無いと思います。
829 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 18:57:21 ID:DvkARrYs
聖書では偶像崇拝も「愚かになり」とか「驕った」ものとしてありますが、
なら偶像を作らなければ、真摯なものであればOKなのか、ということになります。
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 19:01:59 ID:86/5XvsJ
「偶像」が目に見える人工物のことだ、という程度の理解から踏み出せないでいるならば、聖書は、
「空しい言葉で満たされた過ちの書」でしかありません。そのようなものならば捨ててしまいなさい。
他人を批判するための道具として聖書を扱うのであれば、聖書はあなたに不必要です。
聖書の言葉を弄ぶことは、同性と戯れて性の空しい喜びを貪るようなことより、
さらに罪深い行いだと思います。
- 36 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 12:56:47 ID:SqTZSP6I
- >>35よりつづく
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 19:01:59 ID:86/5XvsJ
それこそ、ご自身に罪が一切無いとでも言い切れるならば、
同性愛者でもなんで心行くまで罪に定めていい気持ちになってるがよかろうけど、
神様は誰であれ罪の全てをよくご存知ですよ。
神を信じる心があるのであれば、恐れ多くて他人がどうこうなどと言えないだろう。
聖書の読み方を間違っているんですよ、と説明しているんです。
836 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 19:27:13 ID:DvkARrYs
動機によって許されたり許されなかったりの基準が変わったりするのか。
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 19:29:13 ID:86/5XvsJ
ばかなことを言っている暇があるんなら、レビ記の一節でも読んで、
律法とは一体何なのか、よく考えてみるがよかろうと思いますよ。
全ての罪は十戒から派生します。十戒に基づいて罪悪は理由を得ます。
あなたの同性愛に対する罪状はどの戒めが主張するのですか?
罪である、と言い張るのであれば、十戒のどの条項がどのように作用すのか、
はっきりと申し述べるべきだと思います。
854 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 22:48:49 ID:DvkARrYs
>罪である、と言い張るのであれば、十戒のどの条項がどのように作用すのか、
>はっきりと申し述べるべきだと思います。
述べられません。「姦淫してはならない」の姦淫は男女間の不品行なので
当てはまりませんし。ヘブライ語を知らないのでヘブライ語の「姦淫」が
日本語の「姦淫」と違う点があるのかどうかもわかりません。
同じ理由でレビ記にあるような多くの戒律を十戒に関連付けることもできません。
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 22:53:05 ID:86/5XvsJ
律法一つ理解できないものに、預言や福音が理解できるのでしょうか、
なぜ、そのようなものが他人を裁こうとするのでしょうか。
ヘブライ語を理解できないものは神を知りえないとでもいうのでしょか。
理解できません。
856 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 22:57:22 ID:DvkARrYs
ヘブライ語を知らないと、例えば「聖書の神がエロヒムと呼ばれる部分があるからといって
聖書は多神教になる」みたいなラエリアンみたいな勘違いをしかねない
ので原典の言葉を知っておくのは大切です、というくらいの意味だったんですが…
ヘブライ語を理解しないと聖書の教えやキリスト教を理解できないなんて一言も言ってないですし
そのつもりも無いです。
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 22:58:45 ID:86/5XvsJ
もう結構です。笑い死にさせないでください。お休みなさい。
>「同性愛禁止は十戒の条項に作用していないので罪悪として理由を得ない。」であることが、
>少なくとも理由の一つであると知ることができました。
>このことがわかっただけでも収穫でした。
>何時間も話につきあっていただき、ありがとうございます。お疲れ様でした。
- 37 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 12:58:07 ID:SqTZSP6I
- 同じ理由でレビ記にあるような多くの戒律を十戒に関連付けることもできません。
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 22:53:05 ID:86/5XvsJ
律法一つ理解できないものに、預言や福音が理解できるのでしょうか、
なぜ、そのようなものが他人を裁こうとするのでしょうか。
ヘブライ語を理解できないものは神を知りえないとでもいうのでしょか。
理解できません。
856 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 22:57:22 ID:DvkARrYs
ヘブライ語を知らないと、例えば「聖書の神がエロヒムと呼ばれる部分があるからといって
聖書は多神教になる」みたいなラエリアンみたいな勘違いをしかねない
ので原典の言葉を知っておくのは大切です、というくらいの意味だったんですが…
ヘブライ語を理解しないと聖書の教えやキリスト教を理解できないなんて一言も言ってないですし
そのつもりも無いです。
↑
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 22:58:45 ID:86/5XvsJ
もう結構です。笑い死にさせないでください。お休みなさい。
>「同性愛禁止は十戒の条項に作用していないので罪悪として理由を得ない。」であることが、
>少なくとも理由の一つであると知ることができました。
>このことがわかっただけでも収穫でした。
>何時間も話につきあっていただき、ありがとうございます。お疲れ様でした。
- 38 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 13:46:42 ID:SqTZSP6I
- 伝道の方法
∋(論理)でなく
│(救われた経緯)
│を告白する
│
∋(自分)でなく
│(救ってくださった神)│を証しする
│
∋罪を指し示す時は
│相手の罪を指摘せず
│もっぱら
│光・神の愛を指し示す │ことによって
│相手が悟るようにする│(暗闇で
│しみを説明するより
│光に照らせばよく見え│る‐全ての人を照らす│誠の光‐)
│
∋人が心を動かされるの│は、理屈の説教より
│その人の言動のどこか│にイエスを感じさせる│なにものかが
│あった時
│
∋主は、ザアカイや罪人│たちに説教せずに
│まず彼らの友になった│
∋9割祈って1割行動
│
と、このように思います。
- 39 :名無しのひつじさん:2007/02/15(木) 17:30:07 ID:/GTeHdBk
- 323 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 18:24:09 ID:8jd0AOHt
クリスチャンはジハードをどのように受け入れれば良いのですか?
私は 「○−○」の名によるテロ行為は受け入れる事が出来ないのです。
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/14(水) 18:27:59 ID:86/5XvsJ
イスラーム教の教典コーラン(クルアーン)には、
例えば「神の道のために努力することに務めよ」というような句が散見される。
この中の「努力する」に当たる動詞の語根 jahada がジハードの語源であり、
ジハードの語はアラビア語で「ある目標をめざした奮闘、努力」を意味する。
この「努力」の語自体に「神聖」あるいは「戦争」の意味はまったく含まれていない。
という常識は既にご存知の上でのご質問なんでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89
- 40 :名無しのひつじさん:2007/03/03(土) 11:42:14 ID:rHBHOi16
- やっぱ自演君でしょう
- 41 :名無しのひつじさん:2007/03/05(月) 10:43:43 ID:sYito2/w
- 2chで或る福に対して。。。
大丈夫だよ、3兄弟は立派に福音を述べ伝えていく。
それよりも、君も日本人なら、天皇家を貶めるようなことを言うのはやめなさい。
日本人が自国の国旗「日の丸」を掲揚して何がおかしい?
自分の国歌を歌うことを諫めようとするなど勘違いもはなはだしい。
もちろん陛下もおっしゃっておられたように、強制はよろしくないかもしれないが、
少なくとも国旗掲揚し、国歌を歌うこと自体は、国民として当然有する権利だ。
あなたも王のなかの王である「主」を愛し信じて、慕う心をもっているのなら、
「自国」を、そしてわが国の「王家」を愛し敬うことの大切さ、その意味を考えなさい。
正統なキリスト教信仰を継承するプロテスタント福音主義−福音派なら、
みなわかっているはずのことだろう。
国を愛し、王を敬う「心」をもつことが、国家専制主義につながるという、
その短絡的な考え方を改めなくてはね。
国を愛し、王を敬う「心」こそが真の平和を創り出すのだ。
だ・か・ら私たちたちは、天皇家と同じ立場だ、と、
言ってるだけのことじゃないの。「強制はよろしくない」と。。。
しかし国民が自国の国旗を掲揚して、国歌を歌ってなにがまずいの?
わたしはあなた(カトレア(プリスチャン) ◆.ZbbFVeEh6)の意見→>>879と同じだ。賛同する。
>自分の信仰を守るために国家・国旗とかを拒否する人もいるけれど、なんかへんでない?
>他国を考えるときには国家・国旗を強制してはいけない、と言うけれど、それはあまりにも変だぜw
>まずは、国旗と国家は、戦争とは関係なくて、もともとは国を愛するがゆえのものであった。
>アメリカはアメリカの旗をかかげているし。(当然だわな。)
もちろん「憲法第一九条の「思想及び良心の自由」の理念に基づいて、
「国旗掲揚、国歌斉唱」を拒否することも、
私たちに与えられている大切な権利であり、選択肢の一つと考えます。」という、
あなたがたの考え方そのものは尊重するよ。
- 42 :名無しのひつじさん:2007/03/05(月) 10:44:46 ID:sYito2/w
- >>41よりつづく
だけど、一般的に言って「日の丸の起源がうんぬん。。。宗教的色彩は拭いきれません」って、
国民大多数はそんなことはかけらにも意識してないだろうしねぇ。
アジアの人たちも、きちんとした教育を受けた良識ある多数の人たちは、
「なぜ日本人はいつまでもペコペコ頭を下げて謝罪してるのかって不思議がってるよ。
たしかに悲しむべき時代があったのは間違いないにしても、
それが「戦争」ってものなんだろうって。謝罪はもう充分だよ。
卑屈にしてるから一部金目当ての連中に舐められるんじゃないか」ってね。
だいたい、日本人が日本の国旗を掲揚して、日本の国歌を歌って、
また日本人が軍国主義に走り出した、だなんて考えるアジアの人たちなんて、
もう今の若い世代の人たちにはいないよ。
だいいち、知ってるかい?戦後、一昔まえの頃には、
祝日には、軒先に日の丸の国旗を掲揚する光景が、ふつうに見られたものだったよ。
いったいどこの誰が、そういう行為を、
さも後ろめたいもののように思わせるように仕向けてきたんだろうねぇ(笑)。 >>931-932よりつづく
アメリカでも、どこでも自国の国旗を掲揚するというのは、ごくあたりまえ。
どこかしら誇らしい気持ちがあるもんだよ。
それが国民としての自然な感情・思いではないの?
まぁ、正統なキリスト教信仰を継承するプロテスタント福音主義−福音派の方々は、
みな、わたしたちと同様の考え方をしてるよ。
いや、もちろんカトリック・リベラルがどうかはしらないよ。
カトリック・リベラルには左翼運動家あがりの先生方がたくさんいらっしゃるようだからねぇ。
「国旗掲揚、国歌斉唱などけしからん、侵略戦争を企てている!!!」なんてね、ふふふっ。
「日の丸、君が代は宗教性を帯びたものですから、キリスト者にとって日の丸への拝礼や、
君が代の斉唱は、偶像礼拝につながるものです。」だったら、
偶像崇拝につながらないようにすればいいだけのことでしょう。
あるいは、あなたがたが考えるところでよいから、
だったら現在の日本にふさわしい「国旗」なり「国歌」なり提案したらどうなのかな?
- 43 :名無しのひつじさん:2007/03/05(月) 10:46:09 ID:sYito2/w
- >>41-42よりつづく
なんにしてもほとんどの日本人、そして近隣のアジアの人たちの多くも、
べつに日本人が「国旗掲揚」「国歌斉唱」したからといって、それが何か直接的に、
軍国化や、過去に対する無反省を露わにしてるだなんて露ほどにも思っちゃいないわ。
そういう意味で言うと、ボクシングの国際試合なんかで、優勝して、
国旗掲揚されて、国歌を歌う、なんてなんとも平和な光景でいいよねぇ。
そういうところから、お互いの国を認め合い尊重する、
ほんとうの意味での「アジアの人々との共生」が築かれていくのだよ。
君らのようなカトリック・リベラルが口先で、杓子定規にあれをはばかり、これをいやしみ、
みたいなことをしててもなんの貢献もないな。
なぜなら、どこの国の人たちであっても、自分の国を愛したい気持ちは万国共通で、
わかりあえるものだからさ。
スポーツの国際試合でも観戦して、ま・こ・との国際親善について考えよう。
カトリック・リベラルの人たち、わかったかな。
正統なキリスト教信仰を継承するプロテスタント福音主義−福音派から一言でした。
- 44 :名無しのひつじさん:2007/03/05(月) 10:47:41 ID:???
- いったい私たちに何ができるのか、どう歩むべきか 私たちの教団の歩みをめぐって
このような問題意識を背景として、私たちの教団の見解が、「『日の丸、君が代』と私たちの教団」として、
委員会名で公表されました。ここにその全文を掲載します。
「日の丸、君が代」と私た教団 ( 見解)
連なる皆さんへ 「日の丸、君が代」と、私たちの 団
『みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように』。
このように共に祈る私たちは今、「日の丸」と「君が代」の扱いをめぐって、信仰者としての在り方を問われています。
「日の丸、君が代」に対する感情や関心は人それぞれでしょうが、共に考え、祈っていただきたいのです。
「日の丸、君が代」の内容とその歴史的意味、さらにこれらを国旗、国歌として法制化した一連の動向は、歴史に学ぶことをせず、
主権在民や基本的人権の尊重という憲法の理念にも反するものです。私たちは、法の下に生きるものとして、この事態を憂慮します。
特に、思想、信条の自由さえ制約されかねない公立学校の教職員と生徒、教会学校の生徒と親、教会員の子どもたちをはじめ、私立
学校関係者や公務員、また教会の地域との関係において、信教の自由が脅かされないか懸念しています。
そして何よりも、「日の丸」への拝礼や、天皇賛美である「君が代」を歌うことは、唯一の神を信ずるキリスト者として、受け入れ
難いことです。
ですから、私たちは「日の丸、君が代」が「強制されること」に反対します。それはキリスト者の信仰の良心に従うものであり、市民と
しての自由と権利が真実なものとなることを願うからです。そのためには、憲法第一九条の「思想及び良心の自由」の理念に基づいて、
「国旗掲揚、国歌斉唱」を拒否することも、私たちに与えられている大切な権利であり、選択肢の一つと考えます。
しかし私たちは、「日の丸、君が代」の拒否を「強制」しません。かつて戦時下の教会が、「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌い、神格
化された天皇を崇敬するなどして、偶像礼拝に墜ちたことを、私たちは悔い改めました。神の赦しの恵みのうちを歩む私たちの願いは、
ただ「イエスは主」であることが明らかにされることです。
- 45 :名無しのひつじさん:2007/03/05(月) 10:48:47 ID:???
- ですから、私たちは「日の丸、君が代」が「強制されること」に反対します。それはキリスト者の信仰の良心に従うものであり、市民と
しての自由と権利が真実なものとなることを願うからです。そのためには、憲法第一九条の「思想及び良心の自由」の理念に基づいて、
「国旗掲揚、国歌斉唱」を拒否することも、私たちに与えられている大切な権利であり、選択肢の一つと考えます。
しかし私たちは、「日の丸、君が代」の拒否を「強制」しません。かつて戦時下の教会が、「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌い、神格
化された天皇を崇敬するなどして、偶像礼拝に墜ちたことを、私たちは悔い改めました。神の赦しの恵みのうちを歩む私たちの願いは、
ただ「イエスは主」であることが明らかにされることです。
そのために、 に連なる一人一人が、明らかな信仰の良心に従って考え、判断し、行動し、みこころを選び取っていただきたいと願って
います。各教会においても、これを自らの課題として、祈っていただきたいのです。
多様な状況の中で、判断に悩むこともあると思いますが、どのような判断をされても、信仰によって歩むものと主は共にいて下さいます
し、これからも私たちは、共に支え合っていきます。同じ教団に連なる信仰の仲間の祈りがあることを忘れないでいただきたいのです。
主の平和を祈ります。
- 46 :名無しのひつじさん:2007/03/05(月) 10:50:14 ID:???
- カルト3兄弟がしつこく名を挙げて、JEA所属のこの教会なら大丈夫だと
コピペしていた団体は こう考えています。
”そして何よりも、「日の丸」への拝礼や、
天皇賛美である「君が代」を歌うことは、
唯一の神を信ずるキリスト者として、
受け入れ 難いことです。”
- 47 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:31:04 ID:JvjdK5yY
- 472 :風 ◆FEB7UTp.OI :2007/02/17(土) 02:51:28 ID:xLVlKsDh
私は聖書を読むことで癒されています。
以前は、入門書などを読むこともありましたが、今は、聖書ですね。
全幅の信頼をイエス様に寄せています。
分からない事があれば、教会の牧師先生に尋ねています。
もしくは、祈ります。
キリスト者は自由ですよ。何事にも支配はうけません。
何をしても良いのですが、全てのことが益になるのではありません。
>アダムとイブが神にそむくのを神は予知していながらわざとそむかせたのですか?
サタン(悪魔)に惑わされ、神様との約束を破ったのです。(原罪と呼ばれています)
(食べてはいけないと言われた木の実を食べてしまいました)
その時、神はこう言われました。「あなたは、どこにいるのか。」
人は隠れました。神との約束を破ったのが恐ろしく感じたのでしょう。
今でも神様は人に呼びかけておられます。
「あなたは、どこにいるのか。」
私は神様に答えました。ここにおります。
そして、主イエス・キリストを信じています。
- 48 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:32:29 ID:JvjdK5yY
- 480 :風 ◆FEB7UTp.OI :2007/02/19(月) 22:26:51 ID:wPIIexJ9
>473さん
レス遅くなりすみません。
パワーフォーリビングは読まれましたか?
内容は、教会に行きなさい。聖書を読みなさい。
神様を信じなさい。イエス様を受け入れてください。
という事が書かれています。
求道者の為の本だと思いました。
デモス財団で検索すると、色々なことが書かれていますし、
不明な点が多いのは確かです。(推測が多いです)
でも、右手のしている事を左手に知らせるな。とも思います。
>今ひとつ有効な手段がありません
これは、リアルでですか、2ちゃんねるでですか?
どちらにしても、自分が救いの確信を持って、信仰と希望と愛に
生きていく事だと思います。
リアルであるならば、いつも明るく、他の人を助け、励まし、
神を愛し、イエス様を信じている事を伝えていくようにしています。
(いつも祈っています)
2ちゃんねるでもそのようにしていくつもりです。
カトリック、プロテスタントでも、信仰には変わりはありませんよ。
ここを見ている人に少しでも、イエス様の愛に興味を持って欲しいと
祈っています。
私に出来る事は祈ることのみです。
- 49 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:33:50 ID:JvjdK5yY
- 488 :風 ◆FEB7UTp.OI :2007/02/20(火) 21:46:41 ID:TG/WWfyc
>483さんへ
聖書はお持ちですか?
お持ちなら、マタイ福音書:6章を読んでみて下さい。
【あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを
左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが
隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられる
あなたの父が、あなたに報いてくださいます。】マタイ福音書:6・3〜4
>キリスト(天使)がしている事を反キリスト
>(サタン)に知らせるな って意味じゃね?
そう思われますか?
イエス様は人の身体を例えにして、サタンは語られませんよ。
- 50 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:39:54 ID:JvjdK5yY
- 515 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/21(水) 22:43:42 ID:u8c/KLDd
>503 (平和的クリスチャンへ)
>>他宗教と和解し、
キリストなしの和解はないですよ。
516 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/21(水) 22:44:53 ID:u8c/KLDd
コロサイ
1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
522 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/21(水) 23:21:56 ID:u8c/KLDd
>520(平和的クリスチャンへ)
人間は神の似姿に創造されているので、
罪によって失われていても本質的尊厳があります。
相手の人格や立場を否定しない事は大切でしょう。
旧約時代と違い、新約時代の私たちが異教徒を滅ぼすように命じられることはありません。
ですが、救いについて、聖書に排他性があります。
使徒の働き
4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、
どのような名も、人間に与えられていないからです。」
- 51 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:44:05 ID:JvjdK5yY
- 699 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/26(月) 00:40:25 ID:LyVqKCTY
>523
アウグスティヌスはいわば神が彼らを無視されると考えたのに対し、
カルヴィンは積極的に滅ぼされるとした。
『宗教改革の思想』by A.E.マクグラス
p177
「アウグスティヌスにとって堕落後の人間性は腐敗し、
無力であって救われるために神の恩恵を必要とする。
しかし、その恩恵はすべての人に与えれない。」
「アウグスティヌスによれば神は彼らを通り過ごす。
神は単に彼らを救うことをされない。」
「カルヴィンにとって厳密な論理は神が積極的に救うか、
罰するかを決定することを要求する。
神はどんなことでも不履行に終わらせるとは考えられない。
神は実行する神であり、ご自分の行動において絶対であり
なにものも妨げることは出来ない。
それゆえ、神は救われるであろう人の救いを積極的に望み、
救われることがないであろう人々を永遠の罰に落ちることを望まれるのである。」
- 52 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:47:34 ID:JvjdK5yY
- 750 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/26(月) 22:48:00 ID:LyVqKCTY
>523
聖書は滅びる人々ではなく、神の選民にフォーカスが当てられています。
聖書の命令は神の選民に対してのものです。
旧約時代は偶像崇拝の異教徒を聖絶するように命じられました。
新約時代の私たちは「目の前の異教徒」に伝道するように命じられています。
>613
処女降誕や奇跡は、聖書にはっきり書いてあります。
食べ物程度とはレベルの違う問題です。
処女降誕を信じるのがキリスト教です。
つまづきというなら、プロテスタント教会の牧師を名乗る者が講壇から、
「他の男性と姦通して妊娠したマリアを許し、
妻として迎える人間ヨセフの心の広さ」をほめたたえ、
「イエスが、マリアとどっかの男との間にできた子だ」と言うなら、
躓きをあたえないでしょうか。
>689
福音は変わりませんが、福音を伝える方法は一つではありません。
ヨハネ
13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、
そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、
それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、
すべての人が認めるのです。」
- 53 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:48:39 ID:JvjdK5yY
- 753 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/27(火) 00:34:54 ID:Tdg3+Va1
使徒信条が聖書の言っていることと違うなら、
それを認める必要はありませんが、
使徒信条のどこか聖書と違うところあるでしょうか?
使徒信条は聖書に根拠がないでしょうか?
全教派共通の信条として使徒信条はあります。
聖書のみを本当に強調して、
それ以外をクリスチャンでさえ無いといって排除するなら、、
聖書信仰の立場以外との、いかなる協力も不可能です。
754 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/27(火) 00:42:08 ID:Tdg3+Va1
>751
愛の足りない事は承知しております。
それでも主の十字架の愛を知っています。
>処女降誕を信じるのがキリスト教です
>→いやこういい切ってしまうのはどうかと思うよ
キリスト教会のレベルではそうです。
疑いや迷いを持つ人を裁くようにという意味ではありません。
>彼らの行うキリストの名によるバプテスマさえ
福音派でもバプテスト教会の中には本人に信仰がないバプテスマや幼児洗礼、
滴礼によるバプテスマを無効として、受けなおさせるところもあります。
- 54 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:55:02 ID:JvjdK5yY
- 784 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/27(火) 22:37:08 ID:Tdg3+Va1
>751
>>>牧師を名乗る者が講壇から、〜「イエスが、マリアとどっかの男との間にできた子だ」と言うなら、
>>>躓きをあたえないでしょうか。
>>>→それに賛同する教会の中での説教なら無問題でしょう
宗教改革者たちは、正統的なキリスト教会のしるしとして三つをあげました。
・御言葉の正しい解き明かし。
・主イエスご自身の制定になる二つの聖礼典、洗礼と聖餐の執行。
・戒規の厳正な執行。
そのリベラルの教会は、聖礼典は執行していても、
宗教改革者たちいう「正統的なキリスト教会のしるし」を欠いている事になってしまいます。
>756
救いの重要性を考えるあまりそう言っているなら、まだ理解できます。
この>631を見ると 十字架と新生の必要について、
ただしく知っておられるようです。
>757
東京キリストの教会は聖書信仰の教会まで「真の教会でない」と言って、
再洗礼を授け羊泥棒をしていたようです。
でもまだ新生していないリベラルの人たちは伝道の対象です。
愛を持って伝道しなければなりません。
- 55 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 12:56:07 ID:JvjdK5yY
- 807 : ◆IbYG6dQTTc :2007/02/27(火) 23:51:20 ID:Tdg3+Va1
リベラルの人たちは洗礼を受けたら自動的にクリスチャンだと思っています。
でも私たちは新生した者がクリスチャンだと信じています。
- 56 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 16:48:01 ID:YBrZk25g
- カルト3兄弟がしつこく名を挙げて、JEA所属のこの教会なら大丈夫だと
コピペしていた団体は こう考えています。
”そして何よりも、「日の丸」への拝礼や、
天皇賛美である「君が代」を歌うことは、
唯一の神を信ずるキリスト者として、
受け入れ 難いことです。”
- 57 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 17:03:27 ID:???
-
884 :◆IbYG6dQTTc :2007/03/04(日) 16:05:13 ID:73yeVFlA
>883
久保有政はセカンドチャンス唱えている。
『福音的なキリスト教』ではない。
- 58 :名無しのひつじさん:2007/03/06(火) 17:04:27 ID:???
-
883 :名無しさん@3周年:2007/03/04(日) 15:20:12 ID:dgru6V4y
133 :ОРАСЙОН:2007/03/04(日) 09:53:47 ID:bzuQDXCO
>>132
レムナント出版は、実質、久保有政・池袋キリスト教会(単立)牧師による、
個人営業(伝道)みたいなものですね。
毎月『レムナント』を出したり、ハードカバーの本を出版したりしてますが、
経営的にはどうかは分かりませんね。(実質、伝道的にもなかなか浸透している様子は無いかと)
ちなみにレムナント出版は『福音的なキリスト教』と称していますが、
『プロテスタント』と位置づけているということは訊いたことがありません。
実際彼によって展開していることは、プロテスタントどころか、
西方教会の枠を大きく超えていますから、そう言えないのは事実でしょう。
884 :◆IbYG6dQTTc :2007/03/04(日) 16:05:13 ID:73yeVFlA
>>883
久保有政はセカンドチャンス唱えている。
『福音的なキリスト教』ではない。
- 59 :名無しのひつじさん:2007/03/14(水) 11:51:24 ID:SqTZSP6I
-
RRES-AD20070201-07008-00008
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No. 8 神のまえにある罪の自覚と悔い改めのない人のおそろしさ >>24-25
〜「平和的クリスチャン」をとおして考える〜
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RRES-AD20070202-07009-00009
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No. 9 イエスさまの兄弟について−カトリックのおかしいところ >>28
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- 60 :名無しのひつじさん:2007/03/14(水) 11:58:56 ID:???
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RRES-AD20070203-07010-00010
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No. 10 神を信じるとは単に「存在」を信じる、ということではない >>30-31
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RRES-AD20070204-07011-00011
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No. 11 主が私たちを選ぶ、いつ再臨されてもいいように生きていきましょう >>33-34
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- 61 :名無しのひつじさん:2007/03/14(水) 12:04:26 ID:SqTZSP6I
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RRES-AD20070205-07012-00012
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No. 12 同性愛をめぐる信仰上の問題について パート2 >>35-37(9-12よりつづく)
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RRES-AD20070206-07013-00013
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No. 13 伝道の方法について >>38
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- 62 :名無しのひつじさん:2007/03/14(水) 12:17:35 ID:SqTZSP6I
-
RRES-AD20070207-07014-00014
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No. 14 全幅の信頼をイエス様に寄せています
自分が救いの確信を持って、信仰と希望と愛に生きていく事が大切 >>47-49
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RRES-AD20070208-07015-00015
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No. 15 地にあるものも天にあるものも、
ただ御子によって和解させてくださったのです。
全教派共通の信条として使徒信条はあります。 >>50-55
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- 63 :名無しのひつじさん:2007/03/17(土) 10:22:48 ID:sYito2/w
- 111 名前:オオタク ◆NAeHiciHdE :2007/03/16(金) 18:40:34 ID:JUqOfZG0
NewAgeの危険
http://www.hi-ho.ne.jp/luke852/bible/newage.html
- 64 :名無しのひつじさん:2007/03/22(木) 14:30:28 ID:lRpwgqoI
- 664 :ぱるなす ◆SuSYjvNEBI :2007/03/19(月) 07:38:55 ID:xjhod/et
性=罪って、どこの教会でそんなこと教えてるんですか?
聖書では、性そのものは神の恵みであり、汚らわしいものでも
なんでもありませんよ。聖書が禁じてるのは、相手の人間性を
無視して、単なる欲望のはけ口としかみないような性関係で
しょう。牧師は性とは無縁にならないといけない?こどもを
作るな?カトリックの独身制に反対して、ルターは結婚して
こどもをたくさんもうけたんでしょう。
>663
女性との出会いが目的で自分は教会に行き、牧師には性が
あってはならないって.....バカじゃないの?
- 65 :名無しのひつじさん:2007/03/22(木) 15:05:03 ID:lRpwgqoI
- 769 :中田:2007/03/03(土) 19:03:04 ID:0KK1a/d7
国家神道とか変な言い方があるけど
明治以降に、日本はキリスト教価値観主体の欧米国家をモデルに
キリスト教とキリスト教(バイキング化した西ヨーロッパ諸国
及びアメリカのキリスト教とそこから派生した価値観)を
接木して、日本版のキリスト教国家的なインフラを(接木)したわけですよ
しかもその接木は、敗戦後も手直ししたり、鉢を変えたりして、
艶やかな大輪を咲かせております。
敗戦や外圧をを受けて、体制を変えたのは、聖徳太子の時の仏教インフラ導入
江戸時代が終わり、開国を余儀なくさせられ明治体制
そして、アメリカに敗戦した戦後体制ということになります。
今後は、戦争という交渉カードを保持した、スパイ防止法のある
民間防衛の価値観を主権者国民が共有する立派な国になって欲しいと思います。
770 :名無しさん@3周年:2007/03/04(日) 10:22:42 ID:ZnXNXMbM
>769
その考えを支持します。
きっちりとした国家主権と愛国心をもち、キリスト教的モラルと人道主義を
保持し、外国からの不当な干渉を断固退け、天皇を君主として敬う日本国家を希望。
- 66 :名無しのひつじさん:2007/03/22(木) 15:14:15 ID:lRpwgqoI
- この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、
それから、終わりの日が来ます。
(マタイ24:14)
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。
わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。
(ヨハネ6:40)
兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。
それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。
その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。
「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、
選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
神の賜物と召命とは変わることがありません。
(ローマ11:25-29)
神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
(使徒2:17)
また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。
彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
それから私が、印を押された人々の数を聞くと、
イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
(黙示録7:2-4)
- 67 :名無しのひつじさん:2007/03/22(木) 15:15:15 ID:lRpwgqoI
- ともに、キリストを礼拝する者であることは嬉しいです。神に感謝します。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
(イザヤ 53:5)
しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、また私たちのためです。
すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、
私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
(ローマ4:23-25)
私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、
不敬虔な者のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。
情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
(ローマ5:6-8)
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。
神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが
死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、
生ける望みを持つようにしてくださいました。
(Ⅰペテロ1:3)
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、
なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
(Ⅰヨハネ4:10)
- 68 :名無しのひつじさん:2007/03/29(木) 11:33:44 ID:SqTZSP6I
- 〔質問〕
>キリスト教の終末とイスラム教の終末は、具体的にどのように違うのですか。
■14 :うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/03/26(月)
キリスト教では、やがて終末のときが来て救い主が再臨する、ということは
根本的な教義の一つですが、イスラームでは教派によって違うようです。
「スンニ派」など、一部の教派だけに終末論(メシア再臨論)がある、というような感じらしいです。
〔質問〕
>民数記に出てくるブロンズの蛇って偶像と違うのか? 聖書箇所は、民数記21章でしょう。
↓
「モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。
すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。」 21:9
>当時の風習としてそういう事が行われていたからじゃないだろうか、と以前書き込んであったけど、
>どうなんだろう?でも、よりによってどうして「へび」なんだろう?
>サタンを仰ぎ見る事になるんじゃない?と思ってしまう。
■92 : ◆IbYG6dQTTc :2007/03/28(水)
>当時の風習としてそういう事が行われていたからじゃないだろうか?
断じて無い。青銅のヘビはそのとき一度限りの命令であり、イエス様の雛形。
異教の偶像崇拝を取り入れたという思想はリベラルと異教徒の誤った考え。
■93 :うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/03/28(水)
まず知っておくべきことは、へびは全て悪魔の象徴ではない、ということ。
ここで、さおは十字架の、へびはキリストの前表だという解釈もあるようですよ。
ここで大事なことは、「癒し」をなされるのは、
へびを見上げなさい、と指示された神ご自身だということだね。
- 69 :名無しのひつじさん:2007/03/29(木) 11:35:39 ID:SqTZSP6I
- ■114 :神も仏も名無しさん :2007/03/28(水)
GHQは靖国神社を壊し日本をプロテスタント国にしようと計画していたが 、
上智大のカトリック司祭に反対されて断念。司祭はウェストファリア条約の精神に反するとして抗議していた。
↑
■118 :神も仏も名無しさん :2007/03/28(水)
司祭の目的は日本のプロテスタント化の阻止だろう。
しかし300年前の条約を引っ張り出した司祭の根性には驚き。結果として靖国神社は守られた。
■116 :mutant ◆ALzPjyFKI2 :2007/03/28(水)
天皇裕仁を戦犯にするという情報を聞きつけ一人マッカーサーに陳情に行った
プロテスタントのW・M・ヴォーリズもお忘れなく。
■120 :神も仏も名無しさん :2007/03/28(水)
マッカーサーを叱った男しらすじろうさんもお忘れなく。
- 70 :名無しのひつじさん:2007/03/29(木) 11:48:36 ID:SqTZSP6I
- <希望>
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって、
神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、
神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、
定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛を示されました。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、
和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
(ローマの信徒への手紙 5章 1〜11)
『聖書 新共同訳』より引用
- 71 :名無しのひつじさん:2007/03/29(木) 14:23:42 ID:SqTZSP6I
- ■315 名前:カトレア ◆.ZbbFVeEh6 :2007/03/29(木)
改革派と長老派の教会は、俺からみたらイエス・キリストが神ではなくて
「ウェストミンスター」が神みたいな聖典になっていない。
服装とかも背広できなさいとかいわれて、なんか神さまを礼拝する気持ちがあったのに、
色々な規準があって、俺にはついていけないと、思った。
改革派の教会で、弱い人たちに援助している教会はみたことがないよ。
あったらごめんね。いくら信条とか正しさを証明していても、そんなのは自己満足じゃない?w
たとえば、日本にはじめて宣教したプロテスタントは改革派だったよね。
そして、日本全国に伝道した日本キリスト教団も改革派の神学が根強く残っている。
(東京神学大学も改革派の系列なのかな?)
確かに、日本全国へ福音を伝え、語りつがれていったけれど、日本の1%の壁をやぶることは
できなかったよね。つまり、日本の人たちは、改革派の思想ではやっていけない、
って思ったんじゃない?
聖霊の働きは、私たちの意志では理解できないことがおこる。
でも、改革派とかは自分たちの意志によって、すべての基準を理解できるというけれど、
そんなに人の力は強くないよね。だって私たちは神ではないのだから。
使徒の働きでは、聖霊の働きであって、人間の働きもあるけれど、中心は神さまの御業だと思う。
改革派:人間中心
福音派:神さま中心
- 72 :名無しのひつじさん:2007/04/02(月) 09:38:36 ID:sYito2/w
- 504 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 12:41:06 ID:qkG9nVOn
<旧約では>
聖書には許嫁のある女とsexしたら、死刑、
結婚前にsexしてたことが分かれば、親の家の前に連れて行き、焼き殺される。
<新約でも>パウロは手紙で結婚の床は清くあるべきと書いてるから、
婚前SEXは認めてないだろう。
まー、常識的に(つーかバカが世間に多いので常識でも
ないが)、婚前SEXは間違いの元なんで、やめとけ。
ついでに言うと、許嫁がない女の場合は、男は強制的にその女と結婚させられ、
離婚は認められない。
- 73 :名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 14:31:44 ID:sYito2/w
- 656 :神も仏も名無しさん :2007/03/25(日) 21:01:37 ID:iXn3QaPi
>十字架の話
有罪確定した時点で、ローマ兵は罪人をなぶり殺しても無問題だったらしい。
先ず 全身や背中に鞭打ちしている間に 罪人の家屋を打ち壊し、十字架の横木を手にいれ、
罪人につなぎ市中引き回し両方の手を横木に釘で打ちつけ 立て木に合体し、
両足を合わせ板に釘付け炎天下 数日間 水も飲まず、目を鳥につつかれ、狂いながら死ぬ。
非常に息切れをする姿勢なので、人類の考え出した最高に苦しい処刑法だとされている。
脚を折れば一気に呼吸困難で死ぬ。
- 74 :名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 15:36:10 ID:sYito2/w
- ★ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/03/29(木) 22:17:24 ID:ajN7Z+HO
「蛇」というのは肉の思いの象徴のことです。
さおにあげられた蛇を拝む、ということは蛇を崇めているのとは違います。
当時のユダヤ人も意味がわからなかったし、今のクリスチャンも、
ほとんどの人が意味をわからずにいるのです。
「木にかけられたものは呪われる」と聖書に書いてあります。
つまり、これは『青銅の蛇が呪われている様』を仰ぎみなさい、ということなのです。
「肉の思い」は、死なのです。
「肉の思い」を呪われたものとして、殺すこと。これが、十字架ということです。
パウロが何度も何度お、「肉の思いを十字架に付け」と書いているのは、このことなのです。
さて、ではなぜ「蛇」は青銅で作られたのでしょうか。
金や銀ではなく、なぜ「青銅」だったのか。
金や銀は、価値があるものの象徴であります。
また、朽ちないものの象徴です。
しかし、「青銅」というものは価値が低く、朽ちるものの象徴なのです。
肉の思いを十字架に付けることにより、
朽ちない永遠の命が得られる、という原理になっているのです。
これは神がお定めになったことです。
誰でもイエスの弟子になりたいと思うものは、
自分の十字架を負ってイエスに倣わなければなりません。
〜そうすれば、神のまえに、自らがいかほどに罪深いかがわかるだろう。
イエス・キリストからいただく救いを受け入れ、
感謝して信仰によって歩むことができるようになるであろう、ということなのですね〜
- 75 :名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 16:13:40 ID:sYito2/w
- ■うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/01(日) 20:28:32 ID:9ENlt76c
神を主体において観察すると、本来の意味から遠のいてしまうかもしれませんね。
ヨブ記は、形式上、不幸な出来事を「神と悪魔」に負わせていますが、
不幸になるのも、幸福になるのも、結局人間主体なんだ、ということに決着するための
神学的な考察の方法の一つだと思います。
言い換えると、
「悔い改める」、ということは何故必要なのか、神が強いるからか、という疑問です。
神が監視しているから、いやいや生きているのか、どうなのだろう、
そんなことはないだろう、という気持ちがありますよね。
やがてあらゆる「常識的な前提」から離れることは、結局神に近づくとなんだ、
という発見があるということを教えていると思います。
洪水が本当にあったのかどうか、なんていうことは、
アダムは本当に神様が土を捏ねて作った、とか、イブがアダムの肋骨から作られた、
というのは、本当なのか、と言ってるのと同じようなもんですよ。
(「洪水」をただ単に歴史的事実として信じるだけのことなら、さして意味はない。
信仰者にとって「洪水伝説」が意味をもちうるのは、
それが神の意思に沿った、神が引き起こしたものだったのか否か、ということだ。)
(神が実際に土を捏ねて、土から人間をつくった、という客観的な事実が仮に過去にあったとしても、
その事実自体が、信仰者にとって重要なのではない。
たとえて言えば、水から創造されようと、空(くう)から創造されようとおなじ。
信仰者にとっては、土から創造されたという事実と取り替えても、
信仰上の観点から受け取る意味内容はさして変わらない、ということだ。
大事なことは、人間存在の根底で神が関与しているということ、
神の創造的意思によって、われわれ人間が存在せしめられているということを信じることなのだ。)
聖書の著者がそれを著したこと、聖書に含まれて今日まで伝えられている内容である、
ということについて(また、その意味、理由を)考えることが大切だと思います。
- 76 :名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 16:37:51 ID:sYito2/w
- ■うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/03/26(月) 08:55:10 ID:G/DqQw65
自分で考える必要があることは日本人には浸透していかないわけだよ。
キリスト教でも仏教でも、「とりあえずたくさん金を払えばOK」
みたいな亜流だけが流行する理由ね。
- 77 :名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 17:11:12 ID:sYito2/w
- ◆IbYG6dQTTc :2007/03/21(水) 01:23:37 ID:DytzZT/p
創世記のヘブライ語の日をあらわすヨームを24時間の一日とするか、長い年月とするかの解釈がある。
24時間説の奥山実牧師は恐竜と人間が同時代に生きていたと主張している。
↑
>神にとって千年は一日のよう、という聖句もありましたよね?
↑
◆IbYG6dQTTc :2007/03/23(金) 00:11:52 ID:PYgpEMup
ヨームが長い期間説の人はそこを必ならず引用する。
石化したタイヤの化石というのなら見たことある。
条件さえそろえば短い時間でも化石になる。
↑
>恐竜と人間が同時代に生きていたと主張しているって?
>なら何故、人間の化石はないのだ?
↑
発見されているが隠蔽されているよ!(^□^)ウヒ!
http://www14.plala.or.jp/tm86/newpage2.html
http://www.answersingenesis.org/Japanese/books/answers/pdf/ch15.pdf#search='%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E5%8C%96%E7%9F%B3'
■石原莞爾 ◆Ta183UT/Us :2007/03/22(木) 01:53:46 ID:/JB6QbJo
イエス・キリストの系図
↓
http://www.chojin.com/keizu/top.htm
- 78 :名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 17:21:26 ID:sYito2/w
- ■神の国のたとえ
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、
そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑
を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探してい
る。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、
それを買う。また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、
いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、
良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天
使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の
中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろ
う。」「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かり
ました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ
学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似て
いる。」
(マタイによる福音書13章44〜52) 『聖書 新共同訳』より引用
■神の怒りと憐れみ
まことに、わたしの民は無知だ。わたしを知ろうとせず
愚かな子らで、分別がない。悪を行うことにさとく
善を行うことを知らない。わたしは見た。見よ、大地は混沌とし
空には光がなかった。わたしは見た。見よ、山は揺れ動き
すべての丘は震えていた。わたしは見た。見よ、人はうせ
空の鳥はことごとく逃げ去っていた。わたしは見た。見よ、
実り豊かな地は荒れ野に変わり町々はことごとく、主の御前に
主の激しい怒りによって打ち倒されていた。まことに、主はこう言われる。
「大地はすべて荒れ果てる。しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。
それゆえ、地は喪に服し上なる天は嘆く。わたしは定めたことを告げ
決して後悔せず、決してこれを変えない。」
(エレミヤ書 4章22〜28) 『聖書 新共同訳』より引用
- 79 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 17:29:37 ID:s2dcyQG2
- ■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/07(土) 00:04:53 ID:thiVM76l
皆様、こんばんは。
ウザイという言葉は、キリスト者には不似合いです。
癒しの取り方も色々あっても良いと思っています。
名無しさんの言葉に耳を傾けず、
優しさを求めるのもキリスト者には合い相応しくは無いと思いますよ。
他の方に優しく、自分には厳しくありたいです。
なかなか、出来ませんが。
求めるものが人により異なると思います。
花粉症に限らず、病気が治らなくても気にはなりませんね。
目が悪いのも癒されますかね?
すみません、いやみな質問をしてしまいました。
>病気が治らなくても気にはなりませんね。
誤解無きように、これは私のことですからね。
感謝や賛美は自分がどのような状況におかれても、したいものです。
私の祈りは聞かれていますよ。病気持ちですがね。
今日はなんかいやみっぽくなっています。ごめんなさいね。
昨日虹を見ました、久しぶりです。とても低い虹でした。
>まちこ :2007/04/07(土) 00:45:46 ID:u9J84PCW
>ハイ、うざいという言葉を使ったことを反省します。
- 80 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 17:30:38 ID:s2dcyQG2
- >棕櫚 ◆lcL728vvpE :2007/04/07(土) 01:00:34 ID:YmaYECRz
>夕方から、左足の膝の外側が痛いです。
>痛み止め沢山のんでます。なぜか効きません。
>無理な体勢で何かやったのかしら。どうかはやくなおりますように。
>もしくは、なにかの試練なのでしょうか。ムムムム
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/07(土) 01:19:35 ID:thiVM76l
棕櫚さんへ
痛み止めは、市販の鎮痛剤ですか?
整形外科で処方してもらった、薬ですか?
鎮痛剤は飲みすぎると、胃を悪くするので、あまりのみ過ぎないで下さいね。
試練?いや、ただの筋違いか何かでしょう。
痛みが続くようでしたら、ぜひ整形外科へ行ってくださいね。
痛みが取れるよう祈ります。
>いのちと不死とを明らかに示されました。
不死のキリスト者はサタンも悪魔も病気も苦難も気になりませんよ。
>114さん
まだROMしてたら、ここで友達を作れば良いですよ。
どのような友達が出来るのか?楽しみでしょ。ダメ?
>棕櫚 ◆lcL728vvpE :2007/04/07(土) 01:48:03 ID:YmaYECRz
>風さん、昔もらった処方薬の痛み止め飲んでます。
>胃薬も一緒にのんでます。
- 81 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 17:31:59 ID:s2dcyQG2
-
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/07(土) 01:51:26 ID:thiVM76l
けがは誰でもしますよ。
道でつまずいてもダメですか?運動しててけがしてもダメですか?
反省しない人がいますか?私はいつも反省していますよ。
神様に委ねないキリスト者がいますか?すぐに良くなります?
そうだと良いですね。
>エリフ:2007/04/07(土) 02:02:07 ID:4GRtgJkE
>棕櫚さん 試練ではありません。
>神に従って、悪魔に立ち上がりなさい。そうすれば、悪魔は逃げ去ります。
>神様、棕櫚さんを、今すぐ癒して下さい。
>イエスの御名によって祈ります。私達は、病気したことはありません。
>病気の人の話を聞くか、健康な人の話を聞くか。
>後は、いつも、キリストにあって、私は健康だ、癒された、といい続けて下さい。
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/07(土) 02:19:43 ID:thiVM76l
エリフさんは幸せ者ですね。
>病気の人の言う事を聞くか、健康な人の話を聞くか。
あちゃーですね。びっくりしました。
病気の中でも信仰はもてますよ。
そんな、病人はあたかもキリスト者でないような言い方には非常に反発を感じますね。
エリフさんはなんか恐ろしいです。すみません。
しかし、エリフさんの話には、本当にびっくりしました。
テモテは何故病気だったのでしょうかね?
>神も仏も名無しさん :2007/04/07(土) 02:38:15 ID:KLwj/nRp
>エリフは頭ぶっ飛んでるんじゃないかな?
>全然理解が出来ないもん
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/07(土) 02:40:10 ID:thiVM76l
宇宙人は会ったことないな〜。宇宙船に乗りたいな。
おやすみなさい。
- 82 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 17:41:45 ID:7Zai7udM
- ■風By携帯 :2007/04/07(土) 10:17:46 ID:v5uOexJP
エリフさんへ
私とあなたの語る癒やしは、全然違いますね。私は心の平安を頂いています。
確かにあなたは医者や薬を否定していないかもしれませんが、
病気のキリスト者を否定されているのではありませんか?
信仰がない。もしくは、イエス様にすがってないと。もしくは、本当に信じきっていない。
私にはそう聞こえます。だから、あなたは恐ろしい。
「私の与える平安はこの世の与える平安とは違います」では ないのですか?
私はプロテスタントのバプテストです。
あまり人を脅かさないでくださいね。もっと柔らかい表現 をお願いします。
あなたが私を選んだのではない、私があなたを選んだのだ。
私は神様に選ばれたのかな?そんな高慢な考えはありませんが、イエス様を信じることを告白しています。
■吉田拓郎ちゃん ◆NP0nPNbkas :2007/04/07(土) 13:39:07 ID:gYX0OyWU
人間って凄いね。病にありながら強い信念を持ち続けることができる人がいるんだね。
風さん、ありがとねえー!
■258 :神も仏も名無しさん :2007/04/07(土) 17:59:27 ID:nO0maX0Q
病気で悩んでる自分をあたたかく受け入れて
急かすでも責めるでもなく話を聞いてくれて祈ってくれる
牧師さんのいる教会で良かった。
知り合いのクリスチャンの人がそういう人でよかった。
そうでなかったら神に近づこうとは思わなかったと思う。
人を通してでなく神を知ることができるような資質は持ち合わせていないので。
聖書だって一人では読めない。
信じない者でなく信じる者になりたいと思ったのは、導いてくれる人がいたから。
- 83 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 17:56:23 ID:7Zai7udM
- >まちこ :2007/04/07(土) 18:20:19 ID:u9J84PCW
>258
ハレルヤ!そういう教会がふえればいいですね。
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/07(土) 22:46:01 ID:thiVM76l
皆さん、こんばんは。
エリフさんへ
パウロが信頼しているテモテにあてた手紙。テモテⅠ:5・23です。
テモテⅡ:3・20にも病気の信徒がいます。
あなたの考えは、私には恐ろしいです。何故でしょうね?
あなたから、哀れみの感情が浮かびません。
私の思いが伝わらないのは、何故でしょうかね?
病気になったキリスト者がいれば、祈り、励ますのが、本当ではないのですか?
その中で信仰を持てれば、まさしく、ハレルヤです。
原因不明の病のなかで、主を信じ事が出来るのは悪い事なのですか?
いや、良い事です。
吉田さん、ありがとうございます。
>棕櫚 ◆lcL728vvpE :2007/04/07(土) 23:23:47 ID:YmaYECRz
>風さん、こんばんは。
>風さんの信仰に励まされるクリスチャンもノンクリスチャンも多いと思います。
>この終わりの時代は、惑わしが増えますから。
>いろんな妥協をせずに正直でありたいとねがいます。
>何を言っているのか、意味が伝わることをねがいつつ。
- 84 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 17:57:24 ID:7Zai7udM
- ■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/07(土) 23:53:38 ID:thiVM76l
【主に信頼して善をおこなえ。地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。】詩篇:37・3〜4
>何を言っているのか、意味が伝わることをねがいつつ。
御意
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/08(日) 00:40:17 ID:ug5tEu92
エリフさんへ
私は、昨日、今日のキリスト者です。
正確に言えば、ずーと昔に洗礼を受けましたが、
それ以後、教会にも行かず、聖書もほとんど読んでいませんでした。
06年8月13日にここの前スレに来て、皆さんに祈られ、励まされ、
それを、きっかけにして、再びイエス様に導かれました。
>病気に対しては、決して、容赦しません。
そんな怖い事を言わないで下さいよ。病気も人がなっているのでから。
>人の憐れみなど、頼らずに、何故、神にすがらないのですか?
いや、これはあなたの語る文章にそれを感じないという事です。
人に頼っているわけではありません。
>自分の子が、病気のとき、どういうことを、実際にさせるのですか?
医者に連れて行きますよ。私は祈ります。
私は十分かもしれませんが、神様にすがっていますよ。
そうでなければ、生きていません。(本当ですよ)
- 85 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 18:26:25 ID:7Zai7udM
- >神も仏も名無しさん :2007/04/08(日) 00:35:38 ID:oBGUwvrZ
>天国へ入るのはらくだが針の穴を入るより難しいとも教わった
↓
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/08(日) 00:57:23 ID:ug5tEu92
「人にはできないことことが、神にはできるのです」とも、教わりませんでしたか?
>ID:oBGUwvrZ:2007/04/08(日) 01:03:25 ID:oBGUwvrZ
>「天国へ入るのはらくだが針の穴を入るより難しいとも教わった」
>「人にはできないことことが、神にはできるのです」
>この二つをはたしてくっつけてもよいのでしょうか?
↓
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/08(日) 01:10:08 ID:ug5tEu92
聖書はお持ちですか?
ルカの福音書:18・25〜27を、お読みください。
意味が分かると思います。人は高慢になるとダメなのです。
聖霊様に導かれながらお読みください。
わからない所もあると思いますが、いつか理解出来るようになると思います。
皆さん、こんばんは。すみませんね、病気のキリスト者で。
ここは私にとって、癒やしのスレでした。
でも、今は違います。なんだか、責められている気持ちになります。
■吉田拓郎ちゃん ◆NP0nPNbkas :2007/04/09(月) 22:28:47 ID:k5xjpvSX
風さんを見ろ!ダニエルさん、その他数多くの尊敬すべき人達を見ろ!
病気と信仰と人格に何の因果関係がある?
病に苦しみながらも、それと戦い、まっとうに生きている人達に謝りなさい。
- 86 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 18:27:26 ID:7Zai7udM
-
■神も仏も名無しさん :2007/04/09(月) 23:15:35 ID:sGAUbLAM
病気の重い軽いは関係ない。みんな病気になるし罪人だから。
無自覚が一番重症。
■クリスチャンですが。:2007/04/10(火) 14:00:40 ID:nRrgnId0
私は、他の方を多く慰め、平安に満ちたクリスチャンに会っております。
その方々を通して、多くのクリスチャンが神様のもとに引き寄せられている、
という事実もみています。
ここのスレでは、それを否定してしまうのですか。
平安に満ちたクリスチャンは、病気の場合が多いです。
病気をもっても、目がみえなくても、耳がきこえなくてもある平安です。
どう考えたらよいのですか。牧師の子供さんの障害も治りませんが平安と愛があります。
この世の幸せに焦点を当てるなら、
それは、お金を騙し取る、多くの新興宗教となんらかわりない。
病気のクリスチャンが見て悲しむようなレスを書く、
全てのクリスチャンは愛が欠如しています。
山を動かす信仰があっても、配慮できる愛がないなら、
やかましいドラやシンバルと同じです。無意味です。
私は、病の癒しはあると思います。その上で申しております。
また、このレスに対し、「あなたの信仰のごとくなれ」と、
はきすてるように言うクリスチャンが、一番悪質です。
- 87 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 19:37:26 ID:7Zai7udM
- 人間には二つの違いがあるだけ。イエスを信じて救われた人か、そうでないか・・・
ローマ人への手紙10:12−13
【ユダヤ人とギリシャ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、
主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。】
差別はありませんね。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(Ⅱコリント 5:17)
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
(ヨハネ 13:34)
第2コリントの信徒への手紙
(※55-56年ころ、パウロがエフェソからコリントの教会へ送った手紙。)
12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。)
12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
第二コリント5:17
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
あなたがイエス・キリストを救い主として、そして、自分の主として信じ受け入れるなら、あなたは生まれ変わることが出来るのです。
あなたが母の胎に戻って生まれなおすのでなく、たとえ外見は同じでも、瞬時にあなたは神の愛で満たされ、
喜びに溢れた人生へと代わることが出来るのです。
主なる神様からの憐れみと祝福がありますように。アーメン。
- 88 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 19:46:57 ID:s2dcyQG2
- (エペソ3:12)
私達はこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。
(ヘブル人への手紙 11:1)
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
(ヘブル 11:2-3)
昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、
したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
(ヘブル 11:6)
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
神を求めるものには報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです
(ローマ6:11-14)
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるのですが、
キリスト・イエスに結ばれて、神に対して、生きているのです。………あなたがたは恵みの下にいるのです。
(1ペテロ3:9)
あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
(3ヨハネの手紙2)
愛する者よ。あなたが、魂に幸いを得ているように、
すべての面でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
- 89 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 19:52:48 ID:s2dcyQG2
- 「すべての人は罪を犯しました。神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。」
(ローマ3:23)
ですから、あなたがたは、全ての悪意、全てのごまかし、
いろいろな偽善やねたみ、全ての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、
純粋な、御言葉の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(Ⅱコリント 5:17)
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
【私たちが神の子どもと呼ばれるために、(事実、いま私たちは神の子どもです。)
御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、
御父を知らないからです。】(ヨハネ3:1)
命を愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う人は。
舌を押さえて悪を言わず、口びるを閉ざして偽りを語らず。
悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。
主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
しかし主の顔は、悪を行う人に立ち向かう。
(1ペテロ3:10)
- 90 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 23:16:44 ID:vRFKsOZk
- 同性愛者、ADL、強力なシオニストのグループ、さらにはユダヤ化異邦人たち
の批判に適応するために、最近の聖書出版社は沢山の“新しい訳”を出して
いる。ついには、KJV(彼らが常に攻撃し、書店から無くしている)以外は、ユダ
ヤ人と同性愛者の好みに合うように編集され変更された聖書しか、世界のど
こにも見つけることが出来なくなるだろう。全ての章と節が、削られ、修正され、
訂正された新しい訳が産出されている。
怒り狂ったシオニストやユダヤ化異邦人の強襲によって、伝統的な聖書のい
かに多くの部分が消されているかを発見することはショッキングなことである。一
例を挙げると、マタイによる福音書6章9節は、KJVの最初の一行は「天にい
ますわれらの父よ」であるが、最新のNIV(New International Version)ではた
だ、「父よ」だけである。「天にいます」が抜け落ちている。ユダヤ人とユダヤ教に
おいては、今、この場で、地上の王国が最終的なゴールであることが強調され
ている。天と呼ばれるところでどんな父がいようと気にしないのである。ユダヤ人
は現在の富と報酬を求めているので、最新の聖書の訳はユダヤ教のご主人
様の気に入るように修正されている。このように新しい訳では“好ましくない”節
や言葉は省かれているのである。
- 91 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 23:17:45 ID:vRFKsOZk
- イエスの十字架刑へのユダヤ人の共謀の新約聖書の真実の根拠についての
フォックスマンの苦情はユダヤ人がなぜそれほどまでに神の言葉を軽蔑するかに
ついて洞察を与えてくれる。新約聖書は、ローマの総督ピラトが、イエスが無実
だと言う事を知って釈放しようとしたとき、ユダヤ人の群集が受け付けなかったこ
とを記録している。「 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にあ
る。」。マタイ27:25
ユダヤ人は神の言葉におけるこれらの真実の言葉を読むとき、至るところで
怒り狂っている。彼らは悔い改めと悲しみを持って答える代わりに、傲慢にも、
ユダヤ人の心のかたくなさを示す一つの本を人々の手から引き剥がすのだ。キリ
スト教の新約聖書を。
ユダヤ・ブック・クラブは、最近、その会員に「新約聖書における反ユダヤ主
義」という本を提供した。その著者リリアン・フルードマンは新約聖書に対する悪
意に満ちた攻撃をしている。新約聖書は醜く、憎しみに満ち、真実性のないも
のであり、反ユダヤ主義に満ち、ユダヤ人を憎悪する者たちによって書かれ、編
集されたと主張する。しかしながら、もしクリスチャンが罪滅ぼしをして、反ユダヤ
主義を捨て、新約聖書の多くの節を改訂し、削除するなら、ユダヤ人とクリス
チャンの間には明るい未来があると著者は見ている。
簡単なことではないか! ただちょっと謝罪して、神の言葉の良き部分を消せ
ば、全てはユダヤ人に許されるのだから! 我らの主イエスとその教えはひどく悪
意と冒涜に満ちていると主張する、毒気に満ちた、怪物のようなユダヤ人の神
聖な本、タルムードの何百ページは、もちろん、そのまま損なわれることは無い
のである。そうすることで、そしてそうすることだけで、ユダヤ人はクリスチャンを窮
地から救うことが出来るのである。
さらにフルードマンは、新約聖書からユダヤ人を怒らせる全ての節を除去する
だけでなく、タルムードの宗教、ユダヤ教がキリスト教会で“正式な宗教”として
受け入れられなければならないと書いている。フォックスマンのADLと他の批評
家たちは、ホモセクシャルは罪であり、神への侮辱だとする新約聖書の明白な
教えに対して抗議している。彼らは新約聖書は偏見と憎悪に満ちていると告
発する。
- 92 :名無しのひつじさん:2007/04/11(水) 23:18:45 ID:vRFKsOZk
- 9.11テロ以後のアメリカについてのNHK特集では、いわゆるメガチャーチ教団
をとりあげていました。
一定の水準以上の所得、人種などきわめて同質性が強い者だけが(アメリカ社会
の傾向であるといえるが)集まる要塞のような建物を擁する教会の多くは、90
年代はじめまでは代表者が牧会する小さな教会一つだけというところだったのが、
中東問題でイスラエル支援・イスラム諸国非難という姿勢を打ち出すとその見返り
にユダヤ人団体から多額の寄付が寄せられ、それより急速にメガチャーチ化した
という内容でした。
こういう動きと連動しているのでしょうか?
- 93 :名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 16:12:58 ID:lRpwgqoI
- ■たんぽぽ シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/04/12(木) 12:00:20 ID:V91Wv1Uk
人は罪を犯しても、病気になっても、「人格」に変りは無いという事が解りました。
罪を犯しても罪人」ではないし、病気と闘っていても「病人」とは呼ばない。
ここを一緒にするので、クリスチャンは迷いに落ちて、救いを疑い、恵みが信じられなくなって、
いつまでも苦しむ事になる。
罪を犯したから「罪人」、病気が直らないから「病人」ではない。
クリスチャンは、罪を犯しても、病気をしても、人格に変りは無い。
イエス様に愛され、罪の許しと癒しを既に受けている存在です。
信じれば、自分の物になります。
ここがはっきりすると、解放されるよ。
■風 ◆FEB7UTp.OI :2007/04/11(水) 23:34:54 ID:5JGVGisk
【まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって
高ぶる者が、私を憎む者ではありません。それなら私は彼から身を隠したでしょう。
そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
私たちは、いっしょに仲良く語り合い、
神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。】詩篇:55・13〜14
私の最後の御言葉がこのようなものになるとは。おまえが誰を指しているか。
お分かりでしょう。キリスト者であれば、皆、私の同輩、友、親友です。
病気にある人には、祈るべきであって、病は容赦はしないなどとは、キリスト者なら、言えないはずです。
「罪を憎んで人を憎まず」と病人とを同列には考えません。少なくとも、私はそう思っています。
互いに愛し合うべきです。キリスト者であろうとなかろうと。隣人は全ての人です。自分に関わりがあろうがなかろうが。
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」イエス様はこう話されています。
皆様に豊かな主の惠と平安がありますように。
- 94 :名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 16:40:35 ID:lRpwgqoI
- ■もみぢぃ:2007/04/11(水) 21:58:04 ID:3G/zOQEN
ガラテヤ 5:1-5:5
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを
自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。
奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。
もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは
何の役にも立たない方になります。
割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。
そういう人は律法全体を行う義務があるのです。
律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、
キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。
わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、““霊””により、
信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。
・・・・・・
パウロは救いの根拠が割礼などの「律法遵守」にあるという主張を否定したのですね。
だからこの結論は、
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、
愛の実践を伴う信仰こそ大切です」
律法遵守によって義であると認められる生き方をを否定して、
信仰義認を訴えたのですね
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく”霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。
その誉れは人からではなく、神から来るのです。 〜ローマ1 2:27〜2:29
- 95 :名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 16:41:38 ID:lRpwgqoI
- 旧約聖書のいわば「ヤハウェ信仰」と「ユダヤ教」とは、完全に同じものとは言い切れませんよ。
「ユダヤ教」という呼び方は、バビロン捕囚の後に呼ばれ始めたものです。
ユダヤ教は、その内に旧約聖書と共に「口伝の教え」を持っていました。
やがてこれは彼らの律法中心、民族中心の旧約聖書理解のためのガイドとなり、
徐々に文書化され、準聖典のように扱われます (「ミシュナ」や「タルムード」などがそれです)。
つまり「ユダヤ教」とは、「旧約聖書を律法中心、民族中心に理解する人たち」なのです。
彼らにとって旧約聖書とは即ち「律法」であり、
一挙手一投足に至るまで「律法」を守ることで民族のアイデンティティを保とうとしているのです。
一方、キリスト教(というよりパウロ?)の考えを見ますと、
「律法・民族中心」から「契約・十字架中心」に移っている
(キリスト教的に言えば「移っている」というより
「旧約聖書本来の位置にきちんと戻っている」ということでしょうが)のです。
彼はアブラハム・イサク・ヤコブ(=イスラエル)と神との契約は、
ヤコブの死後かなり経ってから生まれた「律法」に先んずるものだ、と考えました。
また、「律法」は「契約の民、贖いの民」に与えられるものです。
律法、十戒は、神がイスラエルを「その手を伸ばして救いたもうた」後のものであり、
「これを守れば贖われるもの」のではなく「すでに贖われた民に与えられたもの」なのです。
キリスト教において、「契約」は、神ご自身が人となって来られ、
十字架において贖いのわざを成された主イエス・キリストにより、
はじめて完成するものである、と理解されています。
- 96 :名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 16:42:53 ID:lRpwgqoI
- いまや新しい契約のしるしは「割礼」ではなく「十字架」であり、
その贖いの御業を信じる「信仰」なのです(キリスト教的に考えればね)。
「割礼がなければ救われない」とする「ユダヤから下ってきた人達」の考えから、
教会が「割礼を強制しない」と決定したのは、この「新しい契約」の理解に基づくものである、とされています。
なので旧来の「律法」の儀式的部分の多く(割礼、犠牲、清浄、共卓の規定など)は、
十字架により完成された、あるいは役目を終えた、と考えられたのです。
長くなりましたが、以上の理由から
「キリスト教=ユダヤ教からの脱出、分派」と考えるのは(少なくともキリスト教的には)難しいものとなります。
キリスト教の立場から言えば、
イスラエルから出て完成された「新しい契約」によるのでなく、
「律法」を自らが守りやすいように細目規定を設けてまで守ることで、
自らを定義づけるユダヤ教こそ「旧約本来の流れからの逸脱」なのです。
(旧約)聖書に関する理解が、ユダヤ教とキリスト教とでは上述のように異なるのです。
確かに宗教的伝承は、ユダヤ教もそのルーツとする旧約聖書から引き継いでいます。
しかしながら「アブラハムと神との契約→成就としてのヤコブ」また「民のエジプトからの贖い→律法」という
「歴史の流れ」をふまえたパウロの論は、なかなか鋭いところを捉えていると思います。
ユダヤ人は贖われながらそむき続け、ついには預言のとおり、
「戒めに戒め、規則に規則、ここに少し、あそこに少し」
といった宗教生活に堕していったのです。
- 97 :名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 16:56:31 ID:lRpwgqoI
- ローマの信徒への手紙10・9
「口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。」
エフェソの信徒への手紙
「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」
■神も仏も名無しさん:2007/04/12(木) 10:08:37 ID:sNYu0pl/
新約聖書を読んでるけど面白いなあ。
・色々な奇跡の話で読者の興味を惹いて
・ユニークな喩え話で信じれば天国へ行けるという利益を示し
・ユダヤ教諸派との問答で言い負かして正当性を主張し
・終末予言で不安をあおり畳み掛ける。
これ書いた人は超一流のセールスマンですな。キリスト教が世界に広まったのも頷ける。
- 98 :名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 17:19:03 ID:lRpwgqoI
- RRES-AD20070301-07016-00016
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No. 16 性って罪なの? >>64 >>72
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RRES-AD20070302-07017-00017
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No. 17 ★聖書の御言葉シリーズ1 >>66-67
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。
わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。
(ヨハネ6:40)
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RRES-AD20070302-07018-00018
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No. 18 ★聖書の御言葉シリーズ2 >>70
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。
善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛を示されました。
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- 99 :名無しのひつじさん:2007/04/14(土) 18:32:21 ID:TMZRQhZw
- 215 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2006/11/11(土) 15:18:46 ID:u1jwI9P9
∧_∧
ニダ.ー <丶 `´ > < 名物・高慢垢栗はいらんかね〜♪ 実をムケば、
=〔~∪ ̄ ̄〕 赤い中核がムッキー分裂する! 垢栗 にだぽ
= ◎――◎ これからも僕を応援してくさいね プーン <`ヘ´>
きむちのことば車
226 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2006/11/20(月) 14:31:22 ID:VSMyvSPy
|\
|ヘ| ムッキー! ムッキーー!!
|ヘ| / ̄ ̄ ̄ ̄\ ウワァァァァァァ!!!!!!!
| ̄| ( 人____) __
ピュー (∃⊂) |ミ/#。,,\””/,,) ( )
─── └┘\___ (6 "( ハ )゛) / /
\/ \| ∴ \ 3 ノ/ \/
──── ヽ \_____ノ /
`、 `''''" /
────── \ /
/ 山崎ニダゴン | ぐ、悔ぢぃいぃー
─────── / 中 核 命 |
235 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2006/12/24(日) 21:58:55 ID:vYTx+ypC
∩ ∩
い,,c'_ノ / ̄`>O __l>o<l__ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
c/・ ・`っ {,,,,,,,,,,,,,,,,,} _|__〈ハ〉__|_< メリークリスマス!みなさんま
(''● ''' ) <ヽ`∀´> |///| |///| \ 僕を応援してくさいね プーン<`^´>
O┬Oノ )∽[ ̄てノ ̄]∽[ ̄ ̄ ̄ ̄] \_____________
◎┴し'◎ ◎──‐◎ ◎───◎ =3 =3 にだやかなきむちのことば車
468 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2006/12/25(月) 13:22:31 ID:BbZnXIxN
∩ ∩
い,,c'_ノ / ̄`>O __l>o<l__ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
c/・ ・`っ {,,,,,,,,,,,,,,,,,} _|__〈ハ〉__|_< メリークリスマス!みなさんま
(''● ''' ) <ヽ`∀´> |///| |///| \ 僕を応援してくさいね プーン<`^´>
O┬Oノ )∽[ ̄てノ ̄]∽[ ̄ ̄ ̄ ̄] \_____________
◎┴し'◎ ◎──‐◎ ◎───◎ =3 =3 にだやかなきむちのことば車
205 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2006/12/31(日) 10:39:09 ID:shc96NLk
__ ∧_∧ __ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ハヽ\ <ヽ`∀´> 〉、\ < 近未來が臭え会(KGK)から来ますた!
/ / l'i, ヽヽノ/ /~´/ ヽ \ \ 左欲に目が眩みますた!ブンキョー!
/ / j' 'i,.〉 ,/、 〈 / ! ヽ \ \ 闘争汁!文教文教最高!
/⌒V⌒V⌒ヽ./ ,/ヽ∨/)、'V⌒V⌒ヽ/ \_____________
〈,.,.,j ∨/.,.,>
(Wヽ_ノ)W
,___/〈 ハ く__
\___ .WV ヽVW 垢粘液ドラゴンNo1
- 100 :名無しのひつじさん:2007/04/14(土) 18:33:23 ID:TMZRQhZw
- 75 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2007/01/02(火) 21:49:58 ID:w86hXYGL
(~ヽ
|ヽJ 新年
| (~ヽ あけますて
(~ヽ|ヽJ おめでとうございまつにだ
|ヽJ | |.
ニダー |/∧_∧ヽ.| 今年もねんちゃくおがないします
⊂二二ミ <ヽ `∀´ >彡⊃
リミソミソ彡ミ
ピュー 》======《 2007年元旦
─── |_|_|_|_|_|_|
ノ>ノ
εε = レレ
102 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2007/01/03(水) 09:23:40 ID:KkvUbzIj
(~ヽ
|ヽJ
| (~ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(~ヽ|ヽJ / 新年 明けまして <`ー+´>
|ヽJ | |. / おめでとーございます。みなさんま
ニダー |/∧_∧ヽ.| < 今年もねんちゃくおながいします <`д´>
⊂二二ミ <ヽ `∀´ >彡⊃ \ 今年も僕を応援してくさいね プーン <`^´>
ピュー ミリミソミソ彡ミ \_____________
─── 》=========《
ε = 〔 | | | | | | | | | 〕
εε = ◎――――◎ 2007新春にだやかなきむちのことば車
44 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2007/01/10(水) 12:44:41 ID:fOu4g3pq
ドッカーン!
(⌒⌒⌒)
ファビョ ━━━━━━━━|||━━━━━━━━━━ ン!!
|\
|ヘ| ムッキー! ムッキーー!!
|ヘ| / ̄ ̄ ̄ ̄\ ウワァァァァァァ!!!!!!!
| ̄| ( 人____) __
ピュー (∃⊂) |ミ/#。,,\”V”/,,) ( )
─── └┘\___ (6 "( ハ )゛) / /
\/ \| ∴ \ 3 ノ/ \/
──── ヽ \_____ノ /
`、 `''''" / ぐ、悔ぢぃいぃー
────── \ / ぢ、ぢぐぅぢょぉおお
/ 革命★万歳 |
─────── / 闘 争 命 | ← 左欲に目がクラんだキチガイ人種
205 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2007/01/19(金) 23:23:28 ID:EWQl75xX
|\
|ヘ|
∧_∧ |ヘ|
<ヽ`∀´ > | ̄|
 ̄ \ (⊃ E) < 禍狗鳴負け犬ワンだふぉー狗肉々共産最高!
フ ドラゴン /ヽ ヽ_//└┘
- 101 :名無しのひつじさん:2007/04/14(土) 18:34:24 ID:TMZRQhZw
- 23 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2007/01/21(日) 06:21:47 ID:mPnfSxAD
_
/:::::::::>
<⌒ヽ ,,-/::::::r'"
`ヽ:::ヽ //::::::::::::i
):::::\ヽ //:::::::::::::::::::゙i
/:::::::::::::::\\ //:::::::::::::::::::::::::::::ヽ、
_ノ:::::::::::::::::::::::\ i //::::::::::::::::::::::_,,,―''' フ
`ヽ ̄ ゙̄―-,,_::∧ ノ)::::_,,,―''' ̄:::::::::::::::,,r'"
ヽ:::::::::::::::::::_,- ヲ ) ( r<-''::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/
i:::::::__,,-'':::::::::/| /|::::::\:::::::::::::::::::::::::::::/
∠-、_::::::::::::::::/:| /:::|:::::::::::::\:::::::::::::::::::/
 ̄ヽ:::::|:::| /::::/::::::::::::::::::::ヽ::::::::::::/
,--、|::/ //::::::::::::::::::::::::::::ヽ::::::i
∧/∧YM∧Z∧Kイ∧_:::::::::::::::::::::ヽ::|
_∧/\∧∧/\∧_イヽ_ ̄ ̄ ̄`ヽi
\''''''''''''''''''' '''''''''''''''''/
< \ ”八”/ > ⌒W∧イ∧∧∧∧∧イヽ、
< ヽ ∀ > ヽ、##### ̄ ̄ ̄ ̄ ̄## ノγヽ、___,,,-―==≫
_/##/___∵__|##|_""wWVWVWw`゛_|##|_⌒\##\__
WVヽVW WVヽVW WVヽWVW WVヽWVW
左端が駆るドラゴンが導く邪悪な正義へ向かっテローざんぬぅ!
902 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2007/01/22(月) 01:06:32 ID:dgg6BCPq
___
/ \
/ ノ "八゛ヽヽ ププッ _____________
/ \ /l /
|< ゚ ⌒(_人__)ノ < やっぱ僕、必死な山崎ってみじめなんだよね
| ヽ | __\_____________
ヽ .___/ | | |
⌒ヽ ヽノ ヽ. | | |
/ ノ::::::::::::::::::l \ | | B U N K Y O |
ヽ `ー― ⌒、ヽ. ⌒ |_|______|
ー――、_ヾ⌒ヽ〜== | | |
2 名前:山崎 朱爺[sage] 投稿日:2007/02/01(木) 08:42:16 ID:uIsaQ+q4
___
/ \
/ ⌒ '八'⌒ ヽ プーーッ _________________
/ \ / | /
.< ::: ⌒(__人__)⌒::> < 2ゲト! 現実ではみじめ批判だけのヲバケ山ちゃんw
i ヽ |r┬| / ,' ____\_________________
\ ー―' _/ | | |
⌒ヽ ヽノ ヽ. | | |
/ ノ::::::::::::::::::l \ | | B U N K Y O |
ヽ `ー― ⌒、ヽ. ⌒ |_|______|
ー――、_ヾ⌒ヽ〜== | | |
- 102 :名無しのひつじさん:2007/04/14(土) 23:03:42 ID:QJzHgkxw
- 同性愛者、ADL、強力なシオニストのグループ、さらにはユダヤ化異邦人たち
の批判に適応するために、最近の聖書出版社は沢山の“新しい訳”を出して
いる。ついには、KJV(彼らが常に攻撃し、書店から無くしている)以外は、ユダ
ヤ人と同性愛者の好みに合うように編集され変更された聖書しか、世界のど
こにも見つけることが出来なくなるだろう。全ての章と節が、削られ、修正され、
訂正された新しい訳が産出されている。
怒り狂ったシオニストやユダヤ化異邦人の強襲によって、伝統的な聖書のい
かに多くの部分が消されているかを発見することはショッキングなことである。一
例を挙げると、マタイによる福音書6章9節は、KJVの最初の一行は「天にい
ますわれらの父よ」であるが、最新のNIV(New International Version)ではた
だ、「父よ」だけである。「天にいます」が抜け落ちている。ユダヤ人とユダヤ教に
おいては、今、この場で、地上の王国が最終的なゴールであることが強調され
ている。天と呼ばれるところでどんな父がいようと気にしないのである。ユダヤ人
は現在の富と報酬を求めているので、最新の聖書の訳はユダヤ教のご主人
様の気に入るように修正されている。このように新しい訳では“好ましくない”節
や言葉は省かれているのである。
- 103 :名無しのひつじさん:2007/04/14(土) 23:05:23 ID:QJzHgkxw
-
イエスの十字架刑へのユダヤ人の共謀の新約聖書の真実の根拠についての
フォックスマンの苦情はユダヤ人がなぜそれほどまでに神の言葉を軽蔑するかに
ついて洞察を与えてくれる。新約聖書は、ローマの総督ピラトが、イエスが無実
だと言う事を知って釈放しようとしたとき、ユダヤ人の群集が受け付けなかったこ
とを記録している。「 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にあ
る。」。マタイ27:25
ユダヤ人は神の言葉におけるこれらの真実の言葉を読むとき、至るところで
怒り狂っている。彼らは悔い改めと悲しみを持って答える代わりに、傲慢にも、
ユダヤ人の心のかたくなさを示す一つの本を人々の手から引き剥がすのだ。キリ
スト教の新約聖書を。
ユダヤ・ブック・クラブは、最近、その会員に「新約聖書における反ユダヤ主
義」という本を提供した。その著者リリアン・フルードマンは新約聖書に対する悪
意に満ちた攻撃をしている。新約聖書は醜く、憎しみに満ち、真実性のないも
のであり、反ユダヤ主義に満ち、ユダヤ人を憎悪する者たちによって書かれ、編
集されたと主張する。しかしながら、もしクリスチャンが罪滅ぼしをして、反ユダヤ
主義を捨て、新約聖書の多くの節を改訂し、削除するなら、ユダヤ人とクリス
チャンの間には明るい未来があると著者は見ている。
簡単なことではないか! ただちょっと謝罪して、神の言葉の良き部分を消せ
ば、全てはユダヤ人に許されるのだから! 我らの主イエスとその教えはひどく悪
意と冒涜に満ちていると主張する、毒気に満ちた、怪物のようなユダヤ人の神
聖な本、タルムードの何百ページは、もちろん、そのまま損なわれることは無い
のである。そうすることで、そしてそうすることだけで、ユダヤ人はクリスチャンを窮
地から救うことが出来るのである。
さらにフルードマンは、新約聖書からユダヤ人を怒らせる全ての節を除去する
だけでなく、タルムードの宗教、ユダヤ教がキリスト教会で“正式な宗教”として
受け入れられなければならないと書いている。フォックスマンのADLと他の批評
家たちは、ホモセクシャルは罪であり、神への侮辱だとする新約聖書の明白な
教えに対して抗議している。彼らは新約聖書は偏見と憎悪に満ちていると告
発する。
- 104 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 14:22:01 ID:BC64fUCY
- ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/12(木) 22:58:51 ID:cqlsGjq6
>160
>キリスト教では他の宗教ではほぼ見られる輪廻転生の話がないのはなぜですか?
輪廻転生はありません。
ですから、聖書にも輪廻転生については書かれていないのです。
また、ほとんどの宗教で輪廻転生が信じられている、という事実もありません。
ヒンズー教やヒンズーの影響を受けた仏教(釈尊自身は輪廻転生を説いていない)
そして、一部のグノーシスの思想などに輪廻転生は見られます。
また、ユダヤ教改革派で輪廻転生を信じる人たちもいます。
しかし、ほとんどの宗教が輪廻転生を信じているというのは事実と異なります。
あなたがなぜ輪廻転生を信じているのかはわかりませんが、
聖書の教えによれば、そのようなことはありません。
人は一度死んだ後は、「人の子のさばき」が行われるときに復活するのです。
そして、それぞれの行いに応じてさばかれることになっています。
「復活」は、聖書における最大のメッセージであり、
最大の「よい知らせ」なのです。
「復活」を説かないキリスト教はありませんし、
「復活」を捻じ曲げる教えは異端なのです。
「復活」とは、肉体が罪の無い新しい体になり、永遠に生きることです。
これを捻じ曲げる、いかなる教えも正統なキリスト教からは異端となります。
- 105 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 14:29:31 ID:BC64fUCY
- ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/13(金) 12:54:32 ID:tbe1zAo4
>164
>もうひとつ、聖書の創世記ではアダムとイヴが神様によって作られて。。。とされていますが
あなたはご自身で、創世記をしっかりお読みになりましたか?
創世記の人間創造の記述は、人間の本質と罪について、象徴的な物語、
つまり、たとえ話として描いているのです。
ですから、創世記で読むべき点は、歴史としてではなく、
人間の本質と罪とを教えてもらう、ということなのです。
もし、失楽園の話が、一切のたとえを用いていないとするなら
大昔の蛇は、人と会話ができたとでも思うのですか?
(たとえ大昔の人間以外の動物が人と会話できたとしても、
イエス・キリストの救いを語るうえでは大きな意味はもたない)
神からの呪いによって蛇は「地を這う」と言われていますが、
エバと会話したときの蛇は歩いていたのですか?
(歩いていたかもしれないが、そのようなことは、
イエス・キリストの救いを語るうえで大きな意味はもたない)
つまらないことに拘らずに、かえってもっと拘るべき
人の本質と罪について、このたとえ話から読み取るべきです。
ユダヤ教というのは、カライ派などをのぞいては、
ほとんどおかしなものになっています。
比較的まともな正統派にしても、モーセの律法とタルムードを無意味に崇めているだけです。
イエスは、律法を完成させました。
旧約からの本流はキリスト教であり、ユダヤ教というものは
旧約を人間的に捻じ曲げてしまったものといえるのです。
- 106 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 14:59:00 ID:lRpwgqoI
- ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/14(土) 08:47:35 ID:j5js6yxE
ユダヤ教というのは、カライ派などをのぞいては、
ほとんどおかしなものになっています。
比較的まともな正統派にしても、モーセの律法とタルムードを無意味に崇めているだけです。
イエスは、律法を完成させました。
旧約からの本流はキリスト教であり、ユダヤ教というものは
旧約を人間的に捻じ曲げてしまったものといえるのです。
「旧約(契約)の完成=主イエス・キリストの十字架と復活」の観点はパウロの主張でもあり、
このパウロ書簡はカトリック・正教会・プロテスタント諸派を問わず受け入れられています。
はキリスト教にとっては標準的な新旧聖書観とはそういう意味ですね。
>>95-96をまとめるにあたり、
「新約聖書の生い立ちと成立」-榊原康夫・著 いのちのことば社を参考にしました。
榊原師は改革派の方ですが、教派などに関わらず参考になると思います。
一度目を通されてみては?
もっとも残念ながら現在絶版であり、教会や神学校、
大学神学部などの図書室・図書館での閲覧になるかと思いますが…
旧約が、「待ち望む契約」であり、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のそれぞれがこの「待望」に応える形で、
教義・教理を整えているのは広く認められるところであると思います。
輪廻転生を信じている人ってキリスト教徒じゃないと思うよ。
一般的なカトリックでもプロテスタントでも神の国のときが来たときに、
神から復活させてもらって神の国に受け入れられることを
信じるから、輪廻を信じないのがキリスト教徒。
- 107 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 15:09:35 ID:lRpwgqoI
- ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/15(日) 00:08:14 ID:sKPAufFh
そう、ですから輪廻思想を受け入れている時点で、その人は
クリスチャンとは言えないのですが、それでも
本人がそのように自称することは止めようがないことです。
輪廻転生を信じる、それらの人が本当にクリスチャンなのか?
と考えてみると、おのずとクリスチャンではないということになるかと思います。
ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/15(日) 23:26:33 ID:sKPAufFh
>299
>実際のところ神様は洗礼とかの人間が考え出した儀式については
>どうでも良いと思ってるような気がします。
洗礼は人が定めたことではありません。
人はイエスとひとつになるために洗礼を受けなければなりません。
コロサイ2:12
洗礼によって、キリストと共に葬られ、
また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、
キリストと共に復活させられたのです。
洗礼は形式的なことではありませんし、意味のないことでもありません。
むしろ、多くの人は洗礼の意味を理解できないだけなのです。
もし洗礼に意味がないのであれば、イエスも洗礼を受けなかったであろうし
洗礼によってイエスに聖霊が下ることも無かったでしょう。
自分で勝手な考えを持つことが、大きな間違いに陥る原因です。
人は真摯に聖書を読み、聖書に教えていただく気持ちにならなければいけないからです。
それをせずに、勝手なことばかり考えたり発言したりするのはよろしくないことです。
- 108 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 15:10:37 ID:lRpwgqoI
- ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/15(日) 23:26:33 ID:sKPAufFh
イエスは弟子たちを派遣するときに
はっきりと次のように『洗礼を授ける』ことを
お命じになっておられます。このように洗礼は神からの命令です。
マタイ28:18
イエスは、近寄って来て言われた。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
洗礼に意味がないようなことを言う人は偽り者であるのです。
偽り者にならずに、主イエスに従うものになるべきです。
ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/16(月) 19:20:36 ID:aUQB9A3P
>466
聖書を読んでる人のほうがカトリックでは珍しいです。
ミサには聖書を持っていく必要はありませんよ。
聖書を持っていったら変人扱いされるかもしれません。
うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/16(月) 21:21:35 ID:6QdtEo0u
>やっぱり教会へ行かないと信仰が成長しないんだな
行きすぎで他人の信仰にものさし当てだすバカに成り下がるよりマシ。
- 109 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 15:11:55 ID:lRpwgqoI
- 福音主義に立つ教会では、
聖書のみ言葉にあるとおり、イエスキリストのみ名を信じて、
口で告白することによって救われるとしています。
ところが、救いの確信のない教派では、さまざまなトンデモ説が飛び交っています。
いま日本の教会を蝕むさまざまな謬説についてちょっと見てみましょう
1・万民救済説
つまり、バ○でも○ョンでもとっくに救われていると言う説。
じゃあ教会の存在理由は?
2.使徒継承を歌った教会に多いのは、聖職者に罪を赦す権限があるから、
教会へ行くことによって救われると考える人もいます。
しかし、そんなんで救われるんだったら、イエス様は十字架にかからないっちゅ〜の
3.ポスト・キリスト教
キリスト教の教えでは人類は救えない、現代人にあった新しい教えが必要という説
これはヒドイ、ホントにこんなこと言う牧師っているの?と思うかもしれませんが
いるんですねぇ、これが。こんなのキリスト教じゃないんだから、勝手にどこへでも行ってくれ
と言いたいところだが、こういうヤツに限ってキリスト教の威光は可能な限り利用したがる。
- 110 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 15:30:19 ID:lRpwgqoI
- 12 暁の子,明けの明星よ.どうしてあなたは天から落ちたのか.国々を打ち破った者よ.
どうしてあなたは地に切り倒されたのか.
13 あなたは心の中で言った.『私は天に上ろう.神の星々のはるか上に私の王座を上げ,北の果てにある会合の山にすわろう.
14 密雲の頂きに上り,いと高き方のようになろう.』
15 しかし,あなたはよみに落とされ,穴の底に落とされる.
16 あなたを見る者は,あなたを見つめ,あなたを見きわめる.『この者が,地を震わせ,王国を震え上がらせ,
17 世界を荒野のようにし,町々を絶滅し,捕虜たちを家に帰さなかった者なのか.』
18 すべての国の王たちはみな,おのおの自分の墓で,尊ばれて眠っている.
19 しかし,あなたは,忌みきらわれる若枝のように墓の外に投げ出された.剣で刺し殺されて墓穴に下る者でおおわれ,
踏みつけられるしかばねのようだ.
20 あなたは墓の中で彼らとともになることはない.あなたは自分の国を滅ぼし,自分の民を虐殺したからだ.
悪を行なう者どもの子孫については永久に語られない.
(イザヤ書14章)
16 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。
わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
17 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。
渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。
18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、
神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、
この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。
主イエスよ、来てください。
21 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。
(ヨハネの黙示録22章)
- 111 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 15:38:18 ID:lRpwgqoI
- ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/04/22(日) 22:14:20 ID:Yz+qgnsy
>>110の説明
>「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。
>わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
イエスがこのように自己紹介しているのはこういうことです。
やがて新しい時代、新しい天と地が現れます。
これは旧約マラキ書で言われた『義の太陽』が上る次代のことです。
この新しい夜明けの時代の前に、夜明けをやがて来ることを証して
いるのがイエス・キリストです。
- 112 :名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 16:03:17 ID:lRpwgqoI
- 「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。(マタイ9:38)」
当時は、祭司階級のサドカイ派、神学の専門教育を受けたパリサイ派、集団で共同生活をするエッセネ派がいました。
彼らは自分は祭司階級だから偉いんだ、特別な教育を受けたからえらいんだ、きよい生活をしているからえらいんだ
と自負していて、一般庶民は焼き捨てるもみ殻としかみていませんでした。
しかしイエス様の目は違っていました。イエス様にとっては一般の群集こそ刈り取るべき収穫でした。
一般庶民の救いのために福音派は召されています
mutant ◆ALzPjyFKI2 :2007/04/21(土) 14:09:16 ID:O0y1BpTA
創造説がトンでもかw
未だに科学でも明らかにされてないのに
カトリックではトンでもと教えてるんだねw
ちなみにカトリックではキミがトンでもとする創造説に通じる特定点定理に
機嫌を良くし、ホーキング博士に科学庁から授与したことは知ってるかな?
その後にホーキング博士は宇宙の始点を否定したわけだけどw
からかわれた反動でトンでもと教えてるなら納得w
福音派とリベラル派の折衷案として日本基督教団に所属している福音派教会とかどう?
神を神と思わず人間万事塞翁が丙午という教会にいくと信仰生活が終わります
素晴らしい民主国家の見本、スイスはプロテスタント主流国でもあるが
女性参政権は1971年からだし、完全に参政権付与されたのは93年なんだよなあ
- 113 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 14:10:02 ID:l6VTH9BU
- >日本国の安寧を祈ってるのだぞ。クリスチャンなはずはない。
日本のために神に祈ることと、クリスチャンであることは両立する。
ただし、その場合の神観とは、聖書の啓示する神を信じることになる。
神道の儀式・祭祀をしても、その宗教的主張を信仰せず、形式的に伝統を重んじているだけなら、
内心において救い主イエス・キリストを通して天地の造り主なる父なる神を拝していることはありうる。
実情は知らないので単なる可能性を考えてみただけですか。
日本の安寧を祈るのは、神道を奉じる人であろうと、クリスチャンであろうとしていることです。
- 114 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 16:35:27 ID:l6VTH9BU
- >それらもすべて、どこまで行っても「人間」であるあなたの考え。だから神は、
>人間の心の中以外には、住むところがないのですよ。
そう、信仰とは、被造物である個々人の選択によるものだ。
創造主である超越者が存在するのならば、被造物である人が部分的に神を知覚しうるように
造られていることも、知によって「完全」には超越者である神が原理的に把握不可能であり、
超越者なる神による働きかけと世界の秩序によって人が部分的に神を知りうるのは、
極めて合理的だ。
そして何より実際に歴史において神の啓示とされる出来事、書物がある。
そして歴史に信仰者がいたように、現在にも、信仰者は生きている。
これらは、人の知によって完全に説明しつくせないものだ。
神への信仰・態度は個々人がその良心・理性・直観を手がかりに選択するものだ。
神に背きたいものは、>28、あなたのように背を向ければいいだけ。
証明不可能な神が存在するなら、神への信仰は合理性があることを、
あなたは理解できていない。
神の不在をあなたは証明できていないことも、理解していない。
神への信仰に合理性がありうる可能性の存在を、あなたは否定できないのに、否定している。
それが、あなたの愚かさ。
神を否定しつつ、自分を賢く見せたいのなら、不可知論の立場に立った上で
信仰者の存在を否定する愚を避けつつ、自身は神に組しないと宣言すべきだろう。
神へ背くことは、愚かしいことだと、私はおもいますが。
- 115 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 16:38:06 ID:taPIsFPg
- >>114よりつづく
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。
神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。
ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。
キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。
(Ⅰコリント 1:18-31)
- 116 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 16:41:14 ID:l6VTH9BU
- 昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/04/25(水) 23:37:20 ID:3gfqERRc
信じるものについては、否定はできませんよ。
それは、合理的なものではありませんから。
しかも、人生は、合理的でないものに埋め尽くされてます。
私は、信じるものについては否定するつもりはありません。
ソクラテスは神の啓示によって、行動してましたよ。
まさに、内的な声に従ってました。
その神によって、異教の神を唱えてると告発されて、処刑されたわけです。
その異教の神は、「聖霊」かもしれませんよ(笑
ギリシアは、まさに多神教ですしね。
パルテノン神殿は、神の啓示=神託を受ける場所です。
ギリシア哲学が、神の不在を表しているというのは、偏見です。
アリストテレスが、プラトンを攻撃したことによる嘘でしょうね。
- 117 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 17:01:19 ID:l6VTH9BU
- ソクラテスは、徳が根拠づけられるためには、神の存在が不可欠であることを見抜いていた。
もし、プラトンのメノンがソクラテスの思想を正しく反映しているのならば。
アレクサンドリアのクレメンスなら、ロゴスの種子が蒔かれていると表現するだろう。
彼は、ソクラテスをキリスト者だと表現したのではなかったか。
神の創造された世界にあって、被造物・秩序・法則・美に神のわざを見い出し、
自身の存在・生命、良心について想いめぐらすとき、人は創造主なる神を直観しうる。
この意味において、人は神の啓示に囲まれているとも表現可能かもしれない。
しかし、旧約と新約に収斂された聖書とその出来事における神の啓示はもっと直截的なものです。
その意味で、ギリシア哲学では、旧約聖書以上におぼろげにしか、
神について影のように推測と人からの直観しかないでしょう。
聖書におけるような神の権威による神に発する神からの啓示はギリシア哲学には無い。
アレクサンドリアのクレメンスは、ホメロスの叙事詩からもキリストの予型を見い出しましたが
それはクレメンスが哲学に通じたキリスト者であるからこその同時代人への伝達手段なのでしょう。
昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/04/26(木) 00:22:14 ID:XURH8QJF
キリスト教は、別に聖霊に起点を置くのではなく、
キリストの贖罪と復活にその根拠を置くのでしょう(^o^)/
【喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょになきなさい。】ローマ:12・15
- 118 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 17:18:12 ID:taPIsFPg
- Ⅱコリント
1:6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。
また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、
あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。
1:7 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。
なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、
慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。
Ⅰコリント
12:4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
12:5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
12:6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
12:7 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
12:8 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
12:9 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、
12:10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、
ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
12:11 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、
“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
>人間が神を思考する限り、その神も人間の概念。概念は、人間の生物的生命
>の機能。どう足掻いても、生命を超えることは出来ない。
あなたが完全に把握できない対象は、あなたが、
把握しうる部分的な概念で構成されるものと規定されるわけじゃない。
あなたに把握されようがされまいが関係なく、その対象は存在する。
人が神を部分的にしか把握しえないから、
神を人の理性で推定可能な対象に矮小化するのは、愚かな行為だ。
あなたは傲慢で自己中心性の高い自惚れ屋だよ。
- 119 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 17:19:12 ID:taPIsFPg
- あなたも私も限定的にしか部分的にしか物事を知りえないということを本当にはあなたは分かっていない。
あなたは自分を神の位置において語り、神を否定しているのが、あなたの愚かなところだ。
>まあ、いくらでも足掻いてくれw。人間の身の程を忘れ、「神の位置」に立とうと
>している愚か者、神の否定者、冒涜者は、君なのだよ。
私は、あなたこそ、神を冒涜する者だと考えますよ。
私とあなたの朽ちるべき体が滅んだ後に、真相が私たちに明らかになることでしょう。
聖書の指し示す神が全人類をよみがえらせ、キリストが審判を行なうときに
人は真相を悟ると、私は信じ考える。
キリストにより朽ちない体を新たに与えられる恵みに浴する人々がいるとの望みが私にはある。
そこで、私もあなたも、真相を識るだろうと、私は確信している。
あなたには、自分の体が朽ちた後、
キリストによりよみがえらされ復活のからだを与えられる望みが無い様だが。
私には、ある。
>だったら早く死んでみれば?何故そうしないの?死んだらすべて無になること
>が、やっぱり怖いのでしょ?w
>死によってすべては無になるからそこ、生が尊い。
>死は、永遠の休息と平安。「永遠の生命」とは、地獄の別名である。
私もあなたも、死亡率100%だ。必ず死ぬ。
私が具体的にどのような手段で死に急ぐべきか、あなたが決める問題じゃない。
私の命について、どのような事態にどのような選択をするのかは、
私の選択・問題で、あなたの問題じゃない。
- 120 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 17:20:14 ID:taPIsFPg
- >あなたは火葬の時、その熱さに狂い回らなければならないのだよ。
私はそんなこと言っていないし、考えたことはない。
その考えに同意するつもりもない。それはあなたの妄想だよ
第一コリント1:30
主イエス・キリストの御名と私達の神の御霊によって、
あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
第二コリント5:18
神はキリストによって、私達を和解させ、また和解の勤めを私達に与えて下さいました。
>イエスは2000年前に既に死亡し、「イエスの墓」もあるのだから、今では
>白骨化しているのは当たり前。君は何を寝ぼけてるの。
イエスは墓に葬られ、三日目によみがえり、
そしてしばらくの間、通常の体とは異なる出現の仕方により多くの人に現われ目撃され、
その後、弟子たちの面前で、昇天した。イエスの白骨は存在しない。
イエスが葬られたと推定される墓は現在のエルサレムに複数個所あり、諸説ある。
イエスの白骨があることを知っている、というおまえの妄想については
精神病理学上、どのように分類されるんだい。
おまえのような、イエスの白骨があることを知っている、とか、
イエスの白骨は隠蔽され公開されないのだ、
という妄想を抱く人物は、自分が妄想しているという自覚があるのかな。
おまえは、おまえが妄想している自覚があるのか。
- 121 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 17:21:21 ID:taPIsFPg
- >「完全に死んだ人間が生き返る」というのと、「死ねば必ず白骨になる」と
>いうのとでは、どちらが「妄想」かねw。
一般論で言えば、前者が妄想だろう。
神の関与による、神の経綸における復活や奇蹟を論じるのでないのなら。
しかし、イエスの死について語るなら、後者が妄想だろう。
妄想の自覚症状が無いことに、気づいたか、受容できないか、
自分は妄想していないと自認しているのかどうか知らないが、
自己の妄想について自己言及・自己分析しないのか。
>人間の生死の問題は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。
人を創造し、生命を創造し、我々が知覚しうるこの世界の
秩序・法則を構成した創造主であり超越なる神について語るのが宗教であるなら、
宗教は人の生死の問題に関係する。
イエスの白骨が存在することを知っている、キリスト教はイエスの白骨を隠蔽している、
という妄想にとりつかれている自分の姿を認め、その妄想から離れなさい。
- 122 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 17:30:23 ID:taPIsFPg
- >妄想かどうか、自分で試してみたら?やっぱり怖いのだろw。
おまえは、俺に、自殺教唆をしたいのか。俺は自殺する予定は今のところ無い。
それとも、おまえは、俺を拘束し、信仰を捨てなければ殺すと脅す計画をしているのか。
信仰と、この肉体の生命を天秤にかける拷問をする計画を立てているのか。
そのような事態の選択については現時点で宣言できない。
もしそのような事態に直面したときどうなるか予測するつもりはない。
おまえが俺に自殺を促したいのか、おまえが俺を殺したいのか、分からないが、
おまえの品性が下劣であることは分かる。
いいか、俺のこの体が朽ちることは定まっている。
俺の知らない、いづれ時が来れば、俺のこの今の体は死ぬ。
今も、そして死にゆくときにも、俺はやがて将来朽ちないからだによみがえらせてくださる
キリストの救いを望み、信じ死んで行くだろう。
神が俺を愛し、キリストを遣わされ俺の罪の贖いのため死んでくださり、
復活された方であると知り、キリストによって神の愛を知ったから、その希望がある。
キリストの復活なしに、財産と生命の危険があるのに、
ユダヤ教のコミュニティから切り離される事態をも受け入れ
ローマ(市民と政府)からの反発も覚悟し、ユダヤの民でない異邦人にまで、わざわざキリストを伝えるか。
>そう、自分は単なる悪趣味。罰当たりで地獄行き確実だろうね。、
神の前で、義人は一人もいない。
神に義とみなされる人は、神のまえに心砕かれ、神の赦しと恵みを受け入れる人。
神が人を義とみなしてくださるのは、自己の罪と神の愛を知り神に立ち返る人に賜る神の恵みに他ならない。
あなたが神に想いを向け、神に近づくなら、聖書の示すキリストの救いはすぐ近くにある。
神の愛、キリストの救いって何だろう、と少しでも気にかかるのでしたら
神にあなたの想いを祈り、ゆっくり少しずつ聖書を読んでみてください。
- 123 :名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 17:59:50 ID:l6VTH9BU
- >そう、自分は単なる悪趣味。罰当たりで地獄行き確実だろうね。、
↑
しかし、こういう人間が、神のまえにあるみずからの酷悪さ、愚かさ、惨めさに、
気づかされ、信仰によって救われるという可能性をもつものなのだろうか?
なぜなら、ほんとうにみずからの罪深さに気づいたなら
「罰当たりで地獄行き確実だろうね」などと、うそぶいておれるわけがないからだ。
神に飢え渇き、慕い求める心が、彼にないなら、絶望的だ。
神を求める心を持たないものが、
神のまえにあるおのれの罪深さを知ることなど、できるわけがないからだ。
残念ながら。。。アーメン。
- 124 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 14:48:42 ID:l6VTH9BU
- ●うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/08(火) 11:25:06 ID:GulwmhNR
何をされても指をくわえて知らん顔してろ、ということと「ゆるす」ということは別のことです。
まず、罪は罪、してはいけないことをする人がいるのであれば、罰することが必要です。
犯罪にたいして傍観しているだけなら、傍観するものも犯罪者と大して変わりないのではないかと思います。
犯罪者を罰するのは「愛」があるからです。知らん顔をするのは「愛」が無いからです。
まず現実への常識的な対処が必要でしょう。
>カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/05(土) 18:07:55 ID:NVFqgJ0a
>所属:カトリック 思想:グノーシス系
>神も悪魔も、人が造ったものだ。そして我々は、自らを善と悪とに識別した、人間である。
↓
聖書は、そういう主張をしていない。
>神も悪魔も、人が造ったものだという主張は、
>聖書にははっきり書かれていませんが、グノーシス系の文書にはそのような記述はあるようです。
>ところであなた、あなたの言う聖書の中で、イエスは自分の事をなんて呼んでいますか?
↓
モーセに啓示した、神の名を示されている。ヨハネ8:24、ヨハネ8:58にある。
これは、出エジプト3:14でモーセに啓示された神の名。
わたしはあるという者である、との自己認識を主イエスは示された。
また、神の子であり、キリストであるとの自己認識も示されている。
(マタイ 26:63-64、ルカ 22:70、ルカ24:25-27、ルカ24:44-49、ヨハネ 5:25、ヨハネ 10:36、ヨハネ 11:4)
多くの箇所で神を父と呼び、自身を人の子とも呼び、人としての身体を持たれ受肉されていることも示されている。
たとえによる教えを含め、良き羊飼い、門、道、真理、いのち、パンなど多様な表現をもされている。
主イエスのたとえによる自己表現の中には旧約のメシア預言と通じる表現が多々ある。
- 125 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 14:49:44 ID:l6VTH9BU
- >ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/05/06(日) 01:22:03 ID:qgkb9exj
>無所属:イスラム派
>また、神の子であり、キリストであるとの自己認識も示されている。
>(マタイ 26:63-64、ルカ 22:70、ルカ24:25-27、ルカ24:44-49、ヨハネ 5:25、ヨハネ 10:36、ヨハネ 11:4)
>「多くの箇所で神を父と呼び、自身を人の子とも呼び、
>人としての身体を持たれ受肉されていることも示されている。」
>この辺を調べた事があるけど、殆どが3〜5世紀の改竄だと思います。
↓
あなたの指摘する聖句が後世の改竄だろうと、あなたが推定するように至ったのはどうしてですか。
活版印刷、写真、コピー機、スキャナ、携帯電話付属デジカメなどの無い古代は
写字生たちによる手作業でのパピルスや羊皮紙などへの写本によるしか部数を増やす方法は無かった。
一般論として写本では、写字生による見間違い、勘違い、写し間違い、
つづり間違い、場合によっては削除や追加、改竄などもありうる。
そのため、古代の写本間の異同を調査する文献学的手法には意味がある。
ただ、聖書に関して言うと、「聖書の主張」や「聖書の意図」に同意したく無い人は、
自分が感情的に個人的実存的に反発を覚える文言に対して、
「改竄」であろうとの仮説・立場を採用する傾向は当然あるだろう。
学問をする、あるいは合理的推論を試みる人物も、感情と意思を持つ人であるから、そのような傾向を持ちうる。
妥当な論証を伴いつつ、証拠や状況証拠が判明するケースであるなら、
事実や、蓋然性の高い推論の構成に到達できることでしょう。
しかし、仮説・推定を行なう段階では、それらの仮定は、行なう人の暗黙知・前提条件、信仰的態度に依存します。
聖書に関する事柄であるなら、当然に。
だから、主イエス・キリストへの信仰を持たないあなたが、
上記聖句を改竄だと推定する行為は、ある意味当然の帰結・選択といえるでしょう。
- 126 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 14:56:53 ID:taPIsFPg
- 〜蛇足〜
マルキオンは、福音書や使徒の手紙から、彼の気に食わない文言をばっさり削除して
彼の同調者・弟子たちに、それらの文書を使わせていたと、
エイレナイオス、オリゲネスは証言している。他にも似たようなことはあってもおかしくない。
ある部分や段落が欠損している写本とそうでない写本がある場合に、
必ずしも後世の加筆とは、必ずしも断定できるとは限らないというケースもあるのではないでしょうか。
>ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/05/06(日) 01:48:28 ID:qgkb9exj
>「わたしはあるという者」である、との自己認識を主イエスは示された。
>なんで、これがもっと前のマルコやマタイになくて、イエスが死んでから
>60年以上後で、しかもユダヤ国家が崩壊した後の
>ヨハネ福音書に書かれてるかと言う事に疑問を持たないんですか?
>本当にイエスが主張した事なら何でマルコにないんですか?
>なんでパウロがそんな重要な事を聞いてないんですか?
↓
ヨハネ福音書だけでなく、共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)にも、
原語にあたると、イエスが、「わたしはある」
(エゴー エイミ[ギリシア語]、エフィエ アシェル エフィエ[ヘブル語]出エジプト3:14)
と、表明されたと解釈できる聖句があります。
※>>124で言及しなかったヨハネ福音書の聖句も付記します。
●深夜、湖上で弟子たちを勇気付けたとき (マタイ14:27、マルコ6:50、ヨハネ6:20)
●僭称する偽キリストへの警戒 (マルコ13:6、ルカ21:8)
●園で、イエスが捕縛されるとき (ヨハネ18:5、ヨハネ18:6、ヨハネ18:8)
●サンヘドリンでの証言 (マルコ14:62、ルカ22:70)
●復活後、弟子たちに現われたとき (ルカ24:39)
●復活後、弟子たちから礼拝を受けたとき (マタイ28:20)
- 127 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 14:58:40 ID:l6VTH9BU
- >ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/05/06(日) 01:48:28 ID:qgkb9exj
>ヘブライ語で「私はある」を口にするのは、現代でもご法度です。
>ヨハネ福音書の編者が敢えて、コイネ語だと思いますが「私はある」
>を書いたのは、大変な覚悟の上なんですね...それで多分ユダヤ人
>達と大変な問題になったと思います。(ユダヤ人にとってはご禁制の
>言葉なので)....あまりくどくどと書きたくないんだけど
>そこがヨハネ福音書のすごさなんだけどね...
↓
そうですね。ですから、その言葉を聞いたユダヤ人たちはイエスを殺そうとしたのでしょう。
(ヨハネ8:59、マルコ14:63-64、ルカ22:71、cf.ヨハネ10:30-31)
受肉し人となった神であり贖罪を成し遂げた救い主としてイエスを礼拝し、
アブラハムやモーセの時代から続く動物犠牲の祭儀をせず、
異邦人にイエス・キリストの福音を語り、
(使徒11:1-18、15:6-29、26:9-20、Ⅰコリント15:1-8、ピリピ2:6-11、コロサイ1:15-20)
生命・財産のリスクを負ったり、イスラエル民族に伝わる慣習や当時の常識を捨て
殉教に至るまでの確信を持つ人たちがユダヤ人の中から起き、
同時代の異邦人(非ユダヤ人)からも、イエスをイスラエル民族に伝わり預言された
全世界の救い主であると信じる人たちが現われたこと。
これらが起きたのは、実際に使徒たちの伝えたこと、福音書が伝えることが事実・真実であり、
イエスの復活が事実であり、イエスと旧約聖書の語るように事実、信じる者たちに聖霊が働かれたから、
と考えるのが合理的だと、私は考え、また信じています。
福音書は非常に様々な仕方でイエスの神性を示しているとおもいます。
「わたしはある」についてだけでなく、イエスを「ヤハウェ」と告白する信仰さえ暗示されていると感じます。
四つの福音書は全て、洗礼者ヨハネに言及している。
ヨハネが悔い改めのバプテスマを語り、その後に、イエスが福音を教え広めることが、
旧約聖書のイザヤ書40章3節の成就である、という確信のもと福音書は記述されている。
- 128 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 15:01:42 ID:taPIsFPg
- ヨハネは、自分の後に来る方を、力のあり、尊く、聖霊のバプテスマを授ける方だと語った。
ヨハネは自身をイザヤ書の、主の道を真っ直ぐに用意せよ、と荒野で呼ばわる者の声であると説明している。
上記のことから、福音書は、イザヤ40:3の示す、主とはイエスのことだと間接的に暗示している。
上記イザヤ40:3で主と翻訳されるヘブル語は、出エジプト3:15でモーセに啓示された神の名であるヤハウェ。
四つの福音書は、洗礼者ヨハネの活動をイザヤ40:3の成就であると示すことで、
イエスが受肉されて人となった救い主である、神、ヤハウェであるという信仰・啓示を表明している、
と解釈できると、私は確信します。
※もう少し説明が必要な方へ※
燃えつつ焼き尽きない柴の木の前で、神はモーセに啓示されました。
そのとき、ご自身を「わたしはある、というものである」(出エジプト3:14)
と語られたのに続けて、父祖とアブラハム・イサク・ヤコブに現われたのと同じ神であることを示し、
さらにヤハウェという名をも啓示されました。(出エジプト3:15)
ご存知のようにヤハウェという発音は便宜上の推定です。
主の名をみだりに唱えてはならない(出エジプト20:7、申命記5:11)という戒めため、
その名をアドナイ(わが主)と代わりに読んでいたため本来の正確な発音がご存知のように失われたためです。
ギリシア語七十人訳の旧約聖書ではヤハウェは主(キュリオス)と訳され、
新改訳や新共同訳も主と訳しています。文語訳ではエホバと訳していました。
- 129 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 15:23:49 ID:l6VTH9BU
- キリストの福音が広まったのは、歴史的出来事。
それを伝えた使徒たちは、イエスの復活という出来事の目撃者として、
イエスの語ったこと、行なったこと、イスラエルの民に伝わる旧約聖書の預言の成就を語った。
イエスがローマの辺境の領土、ガリラヤで語り、行なったことについて
当時使徒たちの他にも同時代の、多くのユダヤ人とローマ人・ギリシア人を含む異邦人の目撃者がいる。
イエスの復活については、500人以上の目撃者が存在していた。(Ⅰコリント15章)
パウロは、この証言を使徒ペテロ、主の兄弟ヤコブと紀元30年代に共有していると見受けられる。
(ガラテヤ1:11-19、使徒9:18-28、Ⅰコリント15:1-8)
キリストの出来事を伝えた使徒たちは彼らの接した事実を証言した。
神からの離反、神への背信によって、死すべき存在となった人類が、
神による愛を知り、その神を愛し、自分と同じように神から愛されている他者を大切にし、
他者と共に神を讃え喜びあえる、今の朽ちる体と異なる朽ちない新しい体を
人類に与えよみがえらせて、神と人の交わり、喜びのかたち、創造の意図を回復するというのが
神による人類の救いの完成だと、聖書は語っている。
キリストによらなければ救いはない、と聖書は語る。
だから、受肉されたイエス生誕以前の人たちや、キリストの福音を耳にしたことの無い人たちも、
彼らが神の前に永遠のいのちを与えられる人がいるとするなら、
それは、審判の際に、裁き主であり贖い主、救い主であるキリストによって
神の与えた良心に誠実な人に対し、キリストの憐れみが賜れる場合でしょう。
イエスが単なる被造物、単なる人であるとは、聖書は語っていない。
それに、イエスが単なる人であるなら、歴史はこのようには展開しえなかった。
- 130 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 15:24:50 ID:l6VTH9BU
- キリストが将来、再臨され人類を裁くことは、ダニエルが預言し、
また主イエスご自身が群集に譬えで教えられ、
弟子たちに山で説き明かされ、またサンヘドリンで明言されました。
そして、使徒たちが復活した主の昇天後、聖霊を受けてから、ユダヤ人と異邦人にそのように語りました。
イエスの復活が事実でないなら、
当時の多くのユダヤ人たちが、イエスを受肉した主なる神として告白し彼を礼拝したり、
モーセの時から伝わる神に罪を赦していただくための動物犠牲の祭儀をやめたり、
習慣や教えのため接触を避けてきた異邦人と接触し、旧約聖書の教え、イエスの福音を伝えたり、
死に至るまでイエス・キリストへの信仰を持ち続けたことの合理的な説明はつかない。
パウロの手紙自体は、紀元50年代に執筆されたものが多いと推定されますが、
使徒9章、ガラテヤ1:11-19、Ⅰコリント15:1-8 といった証言によれば、
イエス復活後の数年のうちに、つまり紀元30年代には、
使徒ペテロ、主の兄弟ヤコブ、使徒パウロたちは主イエスの復活を信条として明確に保持し
人々に語っていたと見受けられます。
主イエスの昇天後、ペンテコステつまりユダヤの五旬節の祭り(使徒2:1、レビ23:15-22)の時に
聖霊降臨があり、そのとき、使徒ペテロは多くのユダヤ人、異邦人に対して
イエスの復活を語っている。
使徒言行録には、イエス復活の直後にペテロ、殉教者ステパノなどが多くのユダヤ人と異邦人に対し
イエスの復活の目撃者・証人として証言したことが記録されている。
この書を記述した使徒パウロの同労者である医師ルカの記述を、当時のユダヤ人もローマ人も
ギリシア人もその他の異邦人も事実かどうか検証できたはずです。
イエスの復活は、使徒たちが始めから語っていたことです。
- 131 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 15:25:50 ID:l6VTH9BU
- 聖書の指し示す神は、愛なく悲しみや叫び、苦しみ、痛みのうちにある人を憐れんで
彼らの神との関係の回復、神からの愛を受け、彼らが神の愛にとどまることが
その生涯のうちに、また体が朽ちはてて将来新しい朽ちない体をもらって復活するときに
神の愛のうちに喜びと楽しみを味わえるようにするため、
罪と死の問題の解決のため、イエス・キリストを遣わされ、彼が身代わりに死なれました。
神の恵みを受ける人たちが、罪の追求と裁きを免れるために。
そして、イエスを救い主と信じる人たちの救いの完成として将来彼らが復活することの保証として
神はイエスを復活させ、キリストが信じる者の心に確証を与える聖霊を遣わしてくださると約束されました。
殉教した人たちは、神の愛を知り変えられ、イエス・キリストによって永遠の命が与えられ
新しい朽ちない体に復活できるという希望を持ち、神への信頼と愛が彼らに平安と確証を与えていたのでしょう。
●ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/05/10(木) 17:02:33 ID:Os1C0Fi0
確かに「救い」は万民に及んだのですが、まず、この福音(良い知らせ)を
受け入れる必要があります。
つまり、それは「イエスが救い主である」ということです。
ここから始まるのです。
救い主が来て、救おうと手を伸ばしてくださっていても
その手を握らなければ、救ってもらうことは出来ないでしょう。
その手を握るかどうかは、個人の自由にまかされています。
ですから、イエスを救い主と信じるならば救われることになります。イエスに従ってください。
おなかが空いているときに、誰かが「チョコレートをあげる」と言って来たとしても、
その人が本当にチョコレートを持っているかどうかを疑って、
「いらない」と言えば、たとえその人が本当にチョコレートをくれようと
していたとしても、そこで終わりです。
- 132 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 15:32:26 ID:l6VTH9BU
- >聖書の記述を史実として捉えて、それが史実かどうかを検証することよりも、
>聖書の記述の象徴的意味を探ることの方が遥かに大切で、意味があるということ。
↓
旧約聖書の記述の字義通りの意味だけでなく、
イエス・キリストによる救いに関する象徴的意味をくみとることが有益であるのは確かにその通り。
しかし、旧約聖書の記述の歴史性を画一的に否定することは、
歴史に関与され啓示された神の働きの恩寵、憐れみ、愛、神の働きの現実を軽んじ、あなどることにつらなりうる。
>イエスが、賢者と愚者、永遠に救われる者と、永遠に救われない者とを選別する作業の描写は、
>ヨシュア記の第6章に書かれてある。
↓
主イエス・キリストの審判においては、
キリストは、賢者と愚者に人を分けることはしない。
神による永遠の命つまり神の愛にとどまる喜びにあずかる人たちと、
神との交わりから永遠に離される人たちに分かれる。
その選別基準は、この世の知識の多寡やこの世の知恵の高低に依存するものじゃない。
>ヨシュアとイエスが同一人物
↓
彼らは、同一人物じゃない。
イエス(ヘブル語の発音で、イエシュア、エホシュア、ヨシュアなど)
と訳される名は、旧約聖書のヨシュアと同じ名だと強く推定される。
神は救いという意味の込められた名前。
旧約のヨシュアの生涯を、イエス・キリストの救いの観点から予型論的に解釈しうることと、
イエスとヨシュアを同一人物であると主張することは、同じでは、ない。
- 133 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 15:36:24 ID:l6VTH9BU
- >福音書のなかのストーリーやイエスの言葉に
>感動しているだけではだめなのだろうか。
それは幸いなことです。
そして、イエスの言動、福音への理解を深めゆき、神の愛を知り、
神への問いかけ・祈り、神への感謝・讃美・礼拝にあずかりゆく中で
イエスの復活が福音の重要な点であることの理解へと導かれます。
復活は信じないが、イエスのメッセージや行いに共感を
覚える人は少なくないと思う。おそらく、復活を信じなければ
イエスは「主」ではなく、人類に影響を及ぼした宗教家の一人、
尊敬すべき人間イエス、そういう理解にとどまることになろう。
イエスの復活が無ければ、聖書のメッセージは成立しません。
基本的に、現状のこの世に満足している人には
イエスの復活のありがたみがわからないのです。
飢えかわいている人でなければ、本気で水を欲しないものです。
この世に失望し、救いを心から喘ぎ求めている人でないと
イエスを求めることを、本気でしないでしょう。
- 134 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 16:39:36 ID:l6VTH9BU
- ●篭手毬 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ
【同一の主が万民の主であって、
彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
なぜなら「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。】
ローマ人への手紙10:12−13
一番大切な教えは、「イエスは主である」と告白して救われる事じゃないでしょうか?
【初に言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初に神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。
そして、やみはこれに勝たなかった。】 ヨハネによる福音書1:1
使徒ではなく、昨日も今日も永遠に変わり給う事なき主イエスの御名を褒め称えます。
使徒の権威なんて、信じませんけどね。
【信仰により神の力に守られているのである。】 ぺテロ第一1:5
いつか、「侍」を名乗って書きこんでた人が、
「武士とは死ぬ事と見つけたり」と書きこんでいました。
私は彼から教えられた事は、
クリスチャンは、「毎日毎日、一瞬、一瞬を自分に死ぬ」自我、すなわち自分の考え
を捨てて、「神の御言葉を採る。」という福音の真理です。
神様の御心を行う、神様の愛に一瞬、一瞬を生かされる選択をする事です。
神様は、私がするよりも全てを上手くやって下さるという事を何度でも体験しました。
神は愛です。
- 135 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 16:40:42 ID:l6VTH9BU
- 何が感謝だといって、神様への信仰を増して頂くよりも私たちに取って、有益な事は
ありませんね。近頃は、つくづくそう思います。
教会へ行くと、そういった意味で信仰と希望と愛が与えられて、嬉しくなります。
正しい福音が伝えられ、信仰が生きて働いている教会の存在はとても貴重で大切です。
どうか皆様が、良い教会へと導かれますように、心からお祈り致します。
私は日本キリスト教団、○○教会ですが、
しかし、イエス様は何処の教派、教団に属しておられてのかしら?
私は毎日が天国へ上り行く道程にいます。
クリスチャンにとって、死という概念はありません。
既に永遠の命の中に私の命は取り込まれています。
クリスチャンの武器は愛と聖さ・・・
そして不義を喜ばないで真理を喜びます。
知識はすたれます。
万軍の大祭司、主こそ、ご自身みづから私を導かれます。
救い主イエス・キリストの御名にこそ、世よ、千代に渡り栄光が有りますように。
イエスご自身が教会で有られ、私たち信じる者は、その身体です。
木はその結ぶ実によって、聖別され知られるものです。
イエスは主、イエスは私の命の力! ハレルヤ!!
栄光、尊厳、力は私の主のもの、主イエス、すべてに優る御名!
イエスは主です。 イエスは私の救い主、命の力です。アーメン。
- 136 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 16:41:42 ID:l6VTH9BU
- ●まちこ :2007/05/09(水) 10:26:13 ID:8BQ2Ke9j
マタイ18:20
二人または三人が集まるところには、わたしもその中にいるのである。
●篭手毬 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/05/09(水) 13:49:03 ID:KuKsWRI5
すべての人に捨てられ、父からも見捨てられて死んだ神の御子を、
神は甦らされた、復活させられた。
イエスを信じる私達にとって、
主のご復活の事実は、何と言う恵み、希望、勝利でしょうか?
全ての人から偽物、偽クリスチャン、惑わす者といわれ、罵り、排斥されようとも、
主に有る私たち、クリスチャンは必ず主からの慰め、言葉では表い尽くせない程の
恵み、喜び、平安、祝福に与らせて下さる事を知っていますから感謝です!!
これは架空の物語などではなく、現実に経験できる事です。感謝致します。ハレルヤ!!
主の御名に栄光有れ!!
使徒が私の罪の為に十字架にかかってくれたわけではありません。
使徒は24時間私と共にいて、私を守ってくれるわけではありません。
使徒が私を救ってくれるわけでもなく、病を癒してくれるわけでもありませんね。
それがお出来になれるのは、唯一、イエス・キリストのみでいらっしゃいます。
議論に勝っても、負けても、私、「シャロン」へ注がれる主の愛と恵みには
いささかの翳りは有りません。
イエスは主です。 イエスは私の命の力です。
主イエスの御名を褒め称えます。
すべてはイエスの権威に帰するのです。
- 137 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 16:43:59 ID:taPIsFPg
- 私達はこのイエスを、この身に持っているのです。
パウロでさえ、イエスの権威を用いて一切の業を行いました。
主イエスの権威無くして、私達には何事も出来ません。
全く、無力です。これはサロメ、あなたの主張する使徒にも当てはまります。
【さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスが
いますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。
罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである。
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また恵みにあずかって時機を得た助を受けるために、
はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。】
ヘブル人への手紙4:14−16
●まちこ :2007/05/09(水) 19:08:19 ID:8BQ2Ke9j
私達はイエスの権威を人に対して使ってません。
悪霊と病気と貧困に対して使ってます。それはサタンの業だからです。
私達は死に打ち勝っています。何も恐れるものはありません。
あなた方と闘ってません。医者が病気と闘っているのと同じです。
●ジャーマンアイリス シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/05/11(金) 15:21:45 ID:Jd+ocwZi
クリスチャンへの神様の約束。
【あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。】
申命記28:6
- 138 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 16:45:30 ID:l6VTH9BU
- ローマ 6:6
私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、
私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、
私たちは知っています。
第一コリント8:6
私達にとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、
私達はこの神へ帰って行くのです。
また唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、
私達もこの主によって存在しているのです。
ピリピ 2:6-11
キリストは、神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、
ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。
- 139 :名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 17:06:06 ID:l6VTH9BU
- >福音書ってのは弟子たちが記した伝記ってか日記のようなものですか?
>それぞれの監督による同じ映画のドキュメント映画のようなものでしょうか?
>宗教無知なので福音書という言葉にピンときません。ずばりわかりやすい解説をお願いします
↓
福音というのは元々「いい知らせ」という意味です。福音書がなぜ福音書と言われるようになったかというと、
パウロというお弟子さんが「わたしたちキリスト教徒にとっては、イエスの死とその復活こそがよい知らせなのです」って、
言ったとされているからです。(コリント1)
15:1 兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。
これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。
15:2 どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。
さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。
15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。
すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れ
以下略
ですから、信者さんじゃなければ単純に”弟子たちが記した伝記”って受けとってもいいと僕は思いますよ。
- 140 :名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 13:59:12 ID:/GTeHdBk
- ●うつぎ シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/05/13(日) 22:56:06 ID:Ol/q4a8h
【あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。
父には、変化とか回転の影とかいうものはない。】 ヤコブの手紙1:17
>イエスキリストが私についていてくれます、と信じるとして
>それ以外に信者の条件はないですよね?
↓
ありません。
【すなわち、自分の口でイエスは主であると告白し、自分の心で、
神は死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。】
ローマ人への手紙10:10
と聖書にあるからです。救いの確信が得たいのなら、
「イエスは主です」と実際に口に出して、はっきりと告白して見ましょうね。
そのときに、聖霊が働きます。
【「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている
兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、
兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。】
ヨハネ第一の手紙4−19−21
【神は彼を受け入れてくださったのであるから。
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。
彼が立つのも倒れるのも、その人の主人によるのである。
しかし、彼は立つようになる。
主は彼を立たせることができるからである。】
ローマ人への手紙13:3−4
- 141 :名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 14:00:14 ID:/GTeHdBk
- ●まちこ :2007/05/14(月) 09:38:15 ID:C64fCtMl
第二テモテ1:7
神は私達に臆病の霊ではなく、かえって力と愛と健全な分別との霊を与えて下さったからです。
イエス・キリストは信じるものにとって力、愛、希望です。
光の中の歩みは、神の愛を豊かに注がれます。
信者の条件は見えない神様がおられると信じて、イエス・キリストを死から復活させた神を心から信じて、
「私の罪を取り去ってくださったイエス・キリストを信じます。」
と声を出して神様に言うと、神様は喜んであなたを神の子として認めます。
その後、神の子供として神の言葉である聖書をとおして、
直接、見えないけれども、神様に祈ったり、お話しができてきます。
ヨハネ8:6
もしあなたがたが、私のことばにとどまるなら、あなたがたは、本当に私の弟子です。
そしてあなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
からだの成長のように少しずつ学んでいきます。
>「私の罪を取り去ってくださったイエス・キリストを信じます。」
>イエス・キリストが罪を取り去ってくださったと信じる者が信者なんだね。
↓
人間が罪の性質を持って生まれたように、イエスを主として心から従った時に、
あなたの体から、今迄犯した罪とその罪を犯す性質を取り除いてくれます。
そうすると初めて、神様はイエス・キリストによって、あなたと繋がります。
>無垢な子供に、罪の性質を持って生まれたと
>分かるまで、教えて上げるのは、イエスの意志でしょうか。
↓
子供は自我が目覚めるまでは責任能力はありません。あなたが考えつくようなことは神様はしません。
子供のようにならないと神の国に入れないと言った方が、子供を地獄へやりますか?
- 142 :名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 14:02:39 ID:/GTeHdBk
- >カトリックの幼稚園に行っていましたが、すぐ追い出されました。
↓
どうしてですか? 私はカトリックを奨めていません。
私は、イエス・キリストを崇めています。
●けんちゃん ◆Xq9j3D.Pio :2007/05/15(火) 07:13:40 ID:QH+nfJDa
他人の話に耳を傾けましょう。答えなんていらないのです。
ただ聞いてほしいだけのこともあるのです。
クリスチャンには、話すことより聞くことを大事にしてもらったらいいと思う。
まあおいらも、聞き上手ではないからあまり偉そうなことはいえないが。
一日に10分でもいいから、
クリスチャンのみんなで、お互いのことを理解しようと努めてみませんか。
相手をかえなくていいのです。
できることは、相手をそのままでお互いに包みあうことです。
相手はなかなか変えれませんし(笑)
結婚しているひとも、夫婦の人も感じているかと思います。相手はかえられないと、、、
しかし、その絶望の中でみつけた答えは
相手をそのままを大事にしようと、いうことではないでしょうか。
相手にもっともっと強くなれ! というよりも、
「あなたがいてくれるだけで嬉しいよ^^」という言葉を、人は
どんなに強く聞きたがっているでしょうか。
- 143 :名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 14:03:45 ID:/GTeHdBk
- ★あの人にも、この人にも届けたい…そして子供たちにも贈りたい愛のメッセージソング―
年間三万人以上の人たちが自ら命を絶つこの時代に5人
のクリスチャンアーティストたちが心から訴えるメッセージソング!
http://www.wlpm.or.jp/life_st/title/48389.htm
「君は愛されるために生まれた」んだよ、そして今も神の愛が注がれているんだ!
ファンミーティングであの「冬のソナタ」のペ・ヨンジュンがこの
歌の歓迎で非常に感動し(「もっと知りたい!韓国TVドラマvol.3」共同通信社より)韓国で今もなお注目を集めている大ヒットソング!
多くの人々に愛されているこの曲を、
作詞・作曲者イ・ミンソプ公認訳で、5人のヴァージョンでお届けします!
作詞・作曲/イ・ミンソプ 訳詞/神 明宏 朴 鍾弼 & B.B.J.
きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
永遠の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ
きみの存在が 私にはどれほど大きな喜びでしょう
きみは愛されるため生まれた 今もその愛受けている
きみは愛されるため生まれた 今もその愛受けている
(イ・ミンソプ公認訳)
(C)2004 Lee Min Sup/LIFE MUSIC(WORD OF LIFE PRESS MINISTRIES)
- 144 :名無しのひつじさん:2007/05/16(水) 15:12:49 ID:/GTeHdBk
- ●ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/05/16(水) 01:19:24 ID:tVKHTCDO
「タルムードを参考にして作った律法」というものはこの世には存在しません。
『律法』というのは、モーセ五書に書かれている、
モーセが神から受けた戒めのことを指すからです。
「タルムード」というものは、モーセ以後どころか、紀元2世紀頃に
口伝のトーラーをファリサイ派たちがミシュナとして文章化したものを
かなり時代が下って、その解説、ラビの教説、などをゲマラと名づけて
ミシュナとゲマラとをまとめたものがタルムードと呼ばれているものです。
これは、およそ6世紀頃になって、ようやく作られたものです。
日本語で「律法」という言葉に訳されているものは「トーラー」であって、
これはモーセが神からあたえられたとされているものです。
そして、「トーラー」のもともとの意味は、「神が示している」です。
つまり、これは『現在進行形』の言葉でして、昔も現在もこれからも、
天地が滅びるまで神の律法は、神によって示されているのです。
「タルムード」には、さまざまなラビの説教やトーラー解説が書かれています。
それは律法について、あれこれと模索している
「タルムード」は、ファリサイ派の知恵がつまった文献にすぎません。
この「タルムード」から「律法」が出てくることはありえません。
「タルムード」は、律法について人間が、あれこれと解釈した本なのです。
もう一度、書きます。
「律法」とは、神からユダヤ人にあたえられた「示し」のことです。
- 145 :名無しのひつじさん:2007/05/16(水) 15:13:52 ID:/GTeHdBk
- ●神も仏も名無しさん :2007/05/16(水) 01:31:14 ID:Dt8fQnDD
教派:バプテスト
日本ではヘブライ語の「トーラー」を「律法」と訳していることが多いのですが、
ユダヤ教の見方では、この「トーラー」には二種類ある、と言われています。
すなわち
「トーラー・シェ・ビ・クタブ(書かれたトーラー)」と、
「トーラー・シェ・ベ・アル・ペ(「口のトーラー」つまり口伝のトーラーの意)」
の二種類です。
前者の「書かれたトーラー」はいわゆるモーセ五書などですが、
ユダヤ教においてはエズラ以降の「書かれたトーラー」に関する注釈や解釈もまたトーラーである、とされ、
しかしながらこれらは、初期の頃は文書化されず、
まさに「口のトーラー」であったようです。
しかしヤブネ時代以降、これらの口伝の教えや注釈、解釈は多くの学塾で研究がなされ、
やがてその中でも総首長ラビ・ユダによるものが有力となり、
これが「ミシュナ・デ・ラビ・ユダ・ハ・ナスィ(総首長ラビ・ユダによるミシュナ)」としてまとめられました。
(ちなみに「ミシュナ」とは「繰り返し」を意味し、「繰り返して唱えるもの=口伝の教え」を大まかに指すものです)
普通「ミシュナ」といえばこれを指し、
さらにこの「ミシュナ」の各条文に、アモライーム世代による注釈や、
副次的に導入されるミドラシュなども合わせた集成が、「タルムード」です。
- 146 :名無しのひつじさん:2007/05/16(水) 15:14:56 ID:/GTeHdBk
- ●神も仏も名無しさん :2007/05/16(水) 01:31:14 ID:Dt8fQnDD
教派:バプテスト
>>145から…なので、
>例えば安息日は原則仕事をしてはならないのだが生活上の家事労働は避けられない。
>では、どこまでが許されるのか?ってことをラビ達が旧約に明文化されていない
>ことを律法化していったんですよ。
というのはある意味当たってますが、
>その際参考としたのがタルムードであり、他の伝承記録。
というのは、前後が逆なんですね。そうではなくてタルムードは、
「その明文化されていないことの律法化(つまり「ミシュナ」)についての注釈や研究、
さらに副次的な資料や物語の導入」であるのです。
もっとも、「タルムード」はその後のユダヤ教にとって重要な文献となっていくので、
「ユダヤ教にとってタルムードは口伝のトーラーを考え、
研究する際の「参考」になる」というのはあながち間違いとも言えませんが…
●ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/05/16(水) 01:40:57 ID:tVKHTCDO
>日本ではヘブライ語の「トーラー」を「律法」と訳していることが多いのですが、
>ユダヤ教の見方では、この「トーラー」には二種類ある、と言われています。
↓
「トーラー」というのは、モーセ五書のことなのです。
それに対して「口伝のトーラー」というものがありますが、
これは「トーラー」ではありませんよ!
「口伝のトーラー」というものは、ファリサイ派がバビロン捕囚の時代に
言い伝えられてきたことを、勝手にトーラーとしているだけです。
- 147 :名無しのひつじさん:2007/05/16(水) 15:16:28 ID:/GTeHdBk
- ですから、もちろんファリサイ派以外のユダヤ教、つまりサドカイ派や
カライム派たちは「口伝のトーラー」に何の権威も置いていないのです。
これは、人間が勝手に作ったものだと彼らは考えているからです。
「口伝のトーラー」や後に編纂される「タルムード」などのラビ文献を
聖典のように崇めた扱いをしているのはファリサイ派だけです。
あなたにかかっては、ユダヤ教=ファリサイ派 なのでしょうか?
↓
●神も仏も名無しさん :2007/05/16(水) 02:24:35 ID:Dt8fQnDD
ああ、はいはい。答えてませんでしたね。
ひとつ注意したいのは、
「ユダヤ教」という呼び方は、バビロン捕囚より以降に呼ばれ始めた呼称である、ということです。
「ユダヤ教」と旧約聖書の「ヤハウェ宗教」は、完全に同じものではありません。
ファリサイ派だけがユダヤ教ではありませんよ。
神殿崩壊より後ではファリサイ派が決定的に力を持ちましたが。
…というより、神殿祭司を中心とするサドカイ派が、肝心の神殿が崩壊したので力を失ったのですね。
>モーセの律法は、神からあたえられたものです。
>これは「トーラー」(神より示されているもの)の名前のとおりです。
↓
…うーん…ダニエルさん、あなたは「五書」以外、
例えば「預言者」や「諸書」も「トーラー」から排除される、と考えているのですか?
↓
●ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/05/16(水) 02:38:06 ID:tVKHTCDO
もちろんです。
イエスは「律法と預言者」と語り、それらを区別しておられたではありませんか。
しかし、預言書も神から与えられたものと信じています。
- 148 :名無しのひつじさん:2007/05/16(水) 15:17:31 ID:/GTeHdBk
- ●神も仏も名無しさん :2007/05/16(水) 02:25:48 ID:sletlTpN
ダニエル君。
主イエスはファリサイ派の人たちの言ってることは皆守りなさいとおっしゃいました。
ただし彼らの行いは見習ってはいけませんと。
●ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/05/16(水) 02:33:23 ID:tVKHTCDO
みなさんにおぼえていていただきたいことがあります。
ユダヤ教と一口にいっても、その種類はとても多いのです。
そして、マスコミでは報道されていませんが、宗派同士の争いで
殺人なども行われているそうです。
タルムードをトーラーよりも上に見るファリサイ派(現在は正統派)は本流ですが、
そのタルムードを否定する派もあり、完全に無神論である「ヒューマニズム派」もあり、
メシアは団結したユダヤ人自身である、とする派もあり、ユダヤ教は様々です。
また、マカバイ書を読めばわかるようにギリシアの神を受け入れているユダヤ人もあるのです。
バアルを信じていた人たちもいます。これら、すべてユダヤ教なのです。
以上の理由から、
ファリサイ派(正統派)の歴史観だけを、ユダヤ教の歴史のような書き方をすることは
配慮に欠けたことであるだろうと僕は思います。ちなみに近年問題となっているシオニズムは
ユダヤ教正統派の人たちとは対立関係にあるのです。
●mutant ◆ALzPjyFKI2 :2007/05/16(水) 02:40:36 ID:8MxSA2XI
もともとは正統派連合軍がイスラエル建国の主流派だよ。
世俗シオニストと迎合したためにウルトラオーソドクスは脱退したわけだが
正統派にもまた派閥がある。
ダニエルが言ってるのは超正統派のほう。
あと、ユダヤ教リフォームを言ってるのだろうが、ユダヤグノーシス、カバラ神秘主義
とキリスト教同様多種多様な解釈は当然に存在する。
- 149 :名無しのひつじさん:2007/05/16(水) 15:18:45 ID:/GTeHdBk
- ●ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/05/16(水) 02:48:32 ID:tVKHTCDO
>もともとは正統派連合軍がイスラエル建国の主流派だよ。
↓
それも違いますよ。
イスラエルを建国したのはシオニストであって、具体的には
イギリスとロスチャイルドとの間の密約により、イスラエル建国がなされたのです。
これは歴史書に書かれていることであり、別に秘密でも陰謀論でも何でもありませんよ。
ロスチャイルド家は確かにファリサイ派の血筋だったそうですが、
現在は、ユダヤ教フランク派に属しているといわれていますよ。
↓
●mutant ◆ALzPjyFKI2 :2007/05/16(水) 02:54:37 ID:8MxSA2XI
いや・・・文脈上そう流れるかな・・・
正統派が全てイスラエル建国反対派のようなカキコに対してだから
イギリスとロスチャイルド家との密約云々まで遡る必要ないだろ・・・
正統派にももともとは建国に対し肯定的でありその後分裂したと
いうことを言いたいわけだから・・・
まさか正統派にも建国肯定・否定派があるということを否定してるの?
↓
●ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/05/16(水) 02:50:44 ID:tVKHTCDO
イスラエルを建国したのがシオニストであるからこそ、
正統派はイスラエルを認めていないのです。
現在も正統派(特にナトレイ・カルタの人たち)は
イスラエルの国旗を燃やしたりしているではありませんか。
↓
●mutant ◆ALzPjyFKI2 :2007/05/16(水) 02:56:35 ID:8MxSA2XI
だからそれは離脱した正統派でウルトラオーソと呼ばれる人達だよ。
アグダッド・イスラエルはもともとはオーソだったのだから。
- 150 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:20:51 ID:/GTeHdBk
- 420 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/07/12(木) 11:32:05 ID:8GQWSqtY
>神は『人に信仰を求めている=全能ではない』となるのではないでしょうか?
これは良い質問だと思います。
神がなぜ人に信仰を求めておられるのかについて考えることは良いことです。
神ご自身は全能者であられます。
しかし、人間は全能者ではありません。
これをご理解ください。
神は天地を創られたとき、その管理を人間に任されました。
そして、人間は主人の意向に従う良い管理人になるべきなのです。
ユダヤ人たちは、律法を自分たちなりに守っていれば、それで良いのだと考えていたからです。
ユダヤ人たちは、律法(トーラー)というものを、あたかも法律であるかのように
抜け道を考えながら受け止めていたのですが、この態度が間違いであるということです。
ユダヤ人という民族は、神の律法(トーラー)について
どうしてそのような律法が与えられたのか? ということについては
まったくといっていいほど考えないそうです。
与えられた律法(トーラー)を、どうしたら守れるのか、
どうしたらうまく切り抜けられるのか、ということを中心にすえて今でも考えているのです。
この態度が間違いである、ということです。
- 151 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:24:01 ID:/GTeHdBk
- 434 : ◆nd0VYCSq2s :2007/07/12(木) 18:50:43 ID:qW060Qfs
イエスの戒めは2点に絞られています。
イエスは律法を捨てるために来たのではないと仰いました。
つまり旧約における戒めは今も生きていると思います。
細かく言うと旧約聖書に書いてあるとおりなのです。
>必ず殺されなければならない。
これの主語が不明です。しかしイエス様は
人は裁いてはならない、神が仕返しをすると解説してくださいました。
律法から何かが破棄されたわけではありません。
殺してはならないという律法は生きており、旧約における
>殺されなければならない
は、新約聖書において「罪が支払う報酬は死です。」 (ローマ6:23)と解き明かされたのです
わたしは旧約聖書だけを読んでもこの結論を導き出せませんが、
イエス様の解き明かしはやはり正しいですね。 聖書を読めることがすでに恵みです。
さらにイエス様は
「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。」という戒めを付け加えました。
律法が増えるということは罪が増えるのですが、同時に恵みも満ちあふれました。
- 152 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:25:11 ID:/GTeHdBk
- 442 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/07/12(木) 20:47:35 ID:8GQWSqtY
旧約の「目には目を、歯には歯を」の律法は非常に重要な律法です。
なぜなら、神の救いの原理と関係があるからです。
「目には目を」の律法により、
人は他人に損害を与えた分だけの損害を被らなければならないのです。
これが罪の報いです。
人は神に対して罪を犯した分だけの損害を受けなければならないのです。
これが、旧約の時代です。
新約の時代は、赦されることがある、ということになりました。
これはイエスのおかげです。
このことがわからないと、なぜイエスの十字架が救いになるのか
わからないだろうと思います。
>イエスが十字架にかかって死んだからと言って、
人間の罪が赦されるわけではありません。
あなたが何を言いたいのかがよくわかりません。
イエスは十字架にて購いとなりました。
罪のない人が、全人類の罪を購う生贄になったからです。
イエスを信じること、つまりイエスの十字架にあずかるなら
その復活にもあずかることが出来ます。
- 153 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:26:51 ID:/GTeHdBk
- >特別に恩赦していただける者は誰一人いません。
>罪を赦されるのはイエスを信じ『神の戒め』を守る以外はないのです。
↑
あなたは自分の書いていることの意味がわかっていないのです。
罪の代価を自分で支払わなければならないとしたら、誰も救われる人はいないのです。
しかし、イエスが十字架で私たちの身代わりにその代価を支払ってくださいました。
つまり、死ぬべき私たちの代わりにイエスが生贄になってくださったのです。
イエスの救いにあずかるために、私たちは自分自身を十字架につける必要があります。
つまり、聖書には次のように書かれています。
ローマ6:5
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、
さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
>病気は罪で出来ているのです。
>病気を治すのと罪を赦すのとは同じなのです。
>なぜなら、病気は「因果応報」でできているからです。
↑
それは間違いです。
病気が罪でできている、という聖句は聖書にはありません。
また、病気を治すことと罪を赦すこととはイコールを意味しません。
病気を治すことは医者にも出来ますが、罪を赦すことは権威がなければ
できないことです。
すなわちイエスは次のように語っておられます。
- 154 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:28:32 ID:/GTeHdBk
- マタイ 9:4
イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、
中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。
その人は起き上がり、家に帰って行った。
群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。
480 : ◆nd0VYCSq2s :2007/07/14(土) 01:00:05 ID:y4jAB5cB
>イエスが十字架にかかって死んだからと言って、人間の罪が赦されるわけではありません。
↑
聖書で言う罪とは父なる神が決めたものです。
それを子なる神が血を流して償ったのです。十字架により罪は消え去るのです。
神が定めた罪を神が取り去るのだから、完全になくなります。
490 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/07/14(土) 17:18:53 ID:PSHoP+Al
>①【聖絶】が削除されない理由は何ですか?
↑
ヨシュアの戦争は、他民族を滅ぼす戦争でしたね。
これは、イスラエル民族がカナンの地に入植するために
他宗教の神を根絶することが目的だったと思います。
つまり、他民族が生き残るということは、真の神ではない神が
生き残ることになるからです。
ヨシュアは、真の神に忠実な人だったと思います。
- 155 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:29:55 ID:/GTeHdBk
- >イエスが生け贄になって人間の罪が赦されるなんて、誰が考え出したんでしょうね。不思議です。
↑
それは神がお定めになったことです。
聖書にもいくつか記載されていることですよ。ご確認ください。
ヨハネ福1:29
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。
わたしよりも先におられたからである』 とわたしが言ったのは、この方のことである。
イエスご自身が罪を取り去るいけにえであることは
ヘブル書に詳しく書かれてあります。
すなわち、次の聖句です。
ヘブル 9:22
こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、
血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。
このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、
天にあるもの自体は、 これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。
なぜならキリストは、人間の手で造られたまことのものの写しにすぎない聖所にではなく、
天そのものに入り、 今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。
また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように
、度々御自身をお献げになるためではありません。
もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。
ところが実際は、世の終わりにただ一度、
御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。
- 156 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:30:58 ID:/GTeHdBk
- 553 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/07/15(日) 12:08:34 ID:URrcLfee
>クリスチャンは教会で洗礼を受け、その団体に入った者を言うのではありません。なぜなら、その教会ができる以前から聖書があるからです。
>では本当のクリスチャンとは誰でしょう。
>『聖書を正しく理解し、神のことばを行う者、神の戒めを守る者』これが、真のクリスチャンです。
↑
残念ですが、それだけでは駄目です。
洗礼はイエスご自身の命令だからです。
すなわち、以下のように書いてあります。
★マルコ16:16
信じて洗礼を受ける者は救われるが、
信じない者は滅びの宣告を受ける。
★マタイ28:19
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
- 157 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 22:52:09 ID:/GTeHdBk
- 洗礼を受けた者がクリスチャンじゃない。
**************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
**************************************
この神の戒めを守る者が真のクリスチャンなのです。
↑
「神の戒めを守る者が真のクリスチャンなのです。」なんて言ってのけることができるその神経!!
おどろきですな。
ほ・ん・と・うに神の戒めを守りきれているなら、
クリスチャンになる必要もないではないか。アホ。
神を愛し、隣人を愛する、ということがどういうことなのかわかってるのか?
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
を守ってさえいれば「私には罪などない」と思い込めるほど幼稚な精神の持ち主なのだろう。
そういう人間が自分を神にしていくのだから哀れなものだ。
- 158 :名無しのひつじさん:2007/07/27(金) 23:03:49 ID:/GTeHdBk
- 『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』 とは、
ボランティアに参加したり、電車でシートを譲ったりして
善人気分に浸るようなことをさして言っているのではないのだから。
聖書のなかで神が語りかけている「隣人への愛」とは、
自分を憎んで殺そうとする人に対して、喜んで、愛する気持ちをもって、
その人に自らの命を差しだすことができるか、ということなのだから。
できるのなら、その人に神のまえに犯してある罪はない。完全な存在だ。
- 159 :名無しのひつじさん:2007/07/28(土) 02:42:05 ID:ilGNrvJI
- 141 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/26(木) 22:34:36 ID:RypNT01h
どなたか、ご都合のよろしい方がいらしたら、疑問に答えてください。
宗教板でクリスチャンの人がこう語っていました。
(原文まま)
クリスチャンは悪いことをしても反省すれば
天国に行けるからいいんだけど、クリスチャンじゃない人はどんなにいいことを
しても地獄に落ちるというのが、福音派の考え方なんですよ〜。
だ・か・ら、クリスチャンに悪態ついてるだけのお前は、地獄に落ちて、
こっちは天国に行けるんだよね。
お前はしょうもない奴だけど、このままだと地獄に落ちるというシビアな現実を
知らないようだから、それを教えてあげているんだよ〜ん。
お前はいくらほざいても、このままだと地獄に落ちるから、自分の生き方を
よく考えてみなさいね。
(疑問)
この人は自分の態度に関して全く無反省なようですが
こんな自分がどうして天国に行けると確信できるのでしょうか?
矛盾しているように思いました。
(疑問)
この人のように、言葉に詰まるとキレて高慢むき出しになるクリスチャンが
2ちゃんには多いような気がするのですが、お仲間の皆さんはどう思われますか?
- 160 :名無しのひつじさん:2007/08/04(土) 11:58:20 ID:kYolnFhI
- 人は、実によって見分けることができると聖書にあります。
「彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。」
「良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。」
「良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」(マタイ7:15〜)
人を見下す態度の人たちには、御霊が宿っておられないので、良い実を結ぶことができないのです。
聖書を自分の都合のいいように解釈する人たちを、神はお救いになりません。
また、この続きに、「主よ、主よ。」という人がみんな救われるわけではないと書いてあります。
「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」(マタイ7:22〜)
たとえ、人の病気を癒しても、預言をしても、異言を話しても、それは御霊が宿っている証拠ではありませんし、救われていることの証しでもありません。
占い師だって予言するし、ほかの宗教にも奇蹟は見られます。サタンだって奇蹟を見せるのです。
これをクリスチャンのしるしだと考える人は、聖書を自分の考えで解釈しています。ほんとうに神を求めているのではなく、そういう奇蹟に酔っているだけです。
ここでは「大ぜいの者が」とありますので、たとえ自分はクリスチャンだと思っていても、その中の大ぜいが、聖書の言葉をないがしろにし、神のみこころを行ってはいないのです。
人を見るとつまずきますが、聖書の言葉は真実です。
聖書の中では、いつも、少数の人が、頑なな大ぜいの人に悩まされているのです。
今の時代も同じです。
- 161 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:45:07 ID:eCzC3Ot6
- 68 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/03(金) 22:12:55 ID:FrS34qXd
>56
>キリスト教の神の影響範囲は、主に地球だろ?
>仏教の神は宇宙の根本原理なんだぞ 規模が違うだろ
それは誤解ですよ。聖書をお読みになってください。
聖書によれば宇宙などの現象は言うにおよばす、天も地も消え去り、
新しい天と地が現れる時が来ます。
宇宙も神が創った現象に過ぎないので、やがて消え去るのです。
フリーメーソンについては、むかしのカトリックの聖職者の中には
注意をすべきだと呼びかけている人もいましたが、今では、ほとんど
いないですよね。それどころか、今のカトリックの聖職者はサヨクみたいな人物が多いよ。
学生運動を盛んにやっていて、どこにも就職できなくて司祭になった、という
人が、一時期とても多かったみたいです。カトリックは司祭不足だから、
サヨクでも聖職者になれるみたいです。
カトリックの聖職者で、50代〜60代後半くらいまでの人たち、
いわゆる団塊の世代の聖職者の多くは、どこにも就職できなくても
カトリック教会なら大丈夫、という情報を得て教会に入り込んだ
神を信じていない人が多いみたい。
たとえば、イグナチオ教会では
「復活というのは体のことではなく、弟子たちの心の中にイエスが
よみがえったという意味だ。」と説教する神父がいます。
大阪はもっとひどいよ。マリアはどこかの男にレイプされて
生まれたのが私生児がイエスだ、とクリスマスの日にわざわざ説教した神父がいたらしいよ。 」
- 162 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:46:41 ID:eCzC3Ot6
- >>161よりつづく
本田哲郎司祭は「解放の神学」に傾倒している人ですし、
ミサのときに、浮浪者の土足を祭壇に乗せた、言語道断の人物です。
さいたま谷司教は、成田闘争などで活動していた人ですし、
他にもたくさんいるよね。数え上げたらきりがないでしょう。
>だって、キリスト教と左翼って相性がいいんだもん。悪いけ?
サヨクっていうのは、もともとマルクス主義者のことですよ。
つまり、無神論者のはずなんだけどな。
サヨクでありながら聖職者になるって、どういうことなんだろう?
結局、どちらの思想に対しても、不誠実なんだと思うよ。
いいですか?
これは重要なことなので、クリスチャンの方はよくかみ締めてください。
イエスの最後の晩餐とは、「過ぎ越し」のことなのです。
エジプトで、家の門に子羊の血を塗った家だけは災難が過ぎ越したという
ことと同じことを意味しているのです。
ユダヤ人は、現代でも「過ぎ越しの祭り」を儀式として行っています。
これは「血を流す」ということが
罪の赦しになるのだ、という神の原理を表していることなのです。
エジプトの家々で、とんでもない惨劇が繰り広げられていたとき、
家の門に犠牲の血を塗った家については、惨劇が過ぎ越し(つまり通りすぎた)たのです。
その理由とは、「血が家の門に塗られている」という事柄により、それを見た御使いから
その家では、もうすでに人が死んでいるものとして、扱われたからなのです。
- 163 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:47:41 ID:eCzC3Ot6
- >>162よりつづく
おそろしいことですが罪の赦しを得るためには、死ななければならないのです。
これは神によるどうしようもない決定事項なのですが、唯一それを逃れる方法として、
自分から、犠牲を払って、血を流すことにより、罪の結果としてのおそろしい結末を逃れる、という
ことが起こり得る、ということを知らしめてくれた出来事が「過ぎ越し」なのです。
私たちは、こうして死ぬ(犠牲をはらう)ことにより、命を得ることが出来ることとなったのです。
これは厳粛に受け止めるべきことです。
>でもどうして動物の血なんでしょう?
>動物を殺して人間の罪を贖わせるって、人間にとっては痛くも痒くもないじゃないですか?
あっはっは。まさに、その考えが、ユダヤ人のしてきた考え方なんですよ。
神から言われたとおりにすりゃいいんだろ?てなもんですよ、ユダヤ人にとっては。
神が望んでおられたことは、生贄の悲惨な様を見て、人が自分の罪の深さを反省して、
本気で生贄と一体になって、生まれ変わった気持ちになってもらうことです。
砕かれた心、すなわち、へりくだった心を神は人に対して求めておられるのに、
人の気持ちとしては、「生贄を捧げりゃ赦されるんだろ?」てな、もんです。
だから、神が怒るのも無理はない、と僕は思うのですよ。
わたしたちクリスチャンがすべきことは、罪の赦しをえること。
わたしたちは、すべての人が罪人ですから、このままでは滅んでしまいます。
滅ばないために、救いを得るために、自らイエスと同じ十字架にあずかって、
自分の思いというものと一緒に死んでしまう、という意思表示が必要なのです。
十字架というのは、人を殺す道具を象徴しているものです。
イエスの十字架による救いを信じることにより、救いを得ることができるのです。
- 164 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:49:38 ID:eCzC3Ot6
- >>163よりつづく
>よくさあ、「御名をたたえよ」とかってあるでしょ?
>神様なんだから別に褒め称える必要なんてないと思うんだけど…。
神の御名前は、「I AM that I AM」といいまして、「在る」とか「存在」
ということが、神の呼び名です。
つまり、すべての存在するものは、神から出たものであって、
本来的に「存在」と呼べるお方は神だけです。
それ以外の万物は、神から創造されたものであって、神に依存しています。
「命」も存在に依存しています。
「御名を褒め称える」ことは、別の言い方をすれば「生きていること」を感謝することであり、
万物が生き生きとしていることを喜ぶことと思っても間違いありません。
>聖書に「イエスは言った」と書いてあると、そのまま
>ナザレ村の大工の言葉だと信じるのが、キリスト教徒の
>メンタリティだと言うんですか?...現代では小学生級の
>人達と言われるんだと思うけど...
そうですね。
ですから小学生級にならなければ駄目なんですよ。
自分のたいしたことない頭で、あれこれ考えるから間違えるんです。
聖書を素直に受け入れること。これが大切なことです。
これが一番簡単なようで、なかなか出来ないんですよ。
僕もこれが自然に出来るようになるまでは時間がかかったのです。
神の国は、幼な子のような者が入るところなんですよ。
>自ら神を信じると公言する者の責任は重い。
公言しないと駄目ですよ。
聖書に以下のように書いてあるからです。
- 165 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:51:55 ID:eCzC3Ot6
- >>164よりつづく
■マタイ10:32
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
>聖書に書かれている事は正しい >神は正しい >自分の信仰は正しい
>自分の教団は正しい >という事を信じている(中毒症状)人達だと思います。
中毒かどうかは知りませんが、
ここは、クリスチャン、つまり聖書も神も正しいと信じる人が
来るスレッドなので、それでよいと思います。
神を信じることに何の問題があるのでしょうか?
>クリスチャンとは洗礼受けた人のことですよね?>ダニエル
いやいや、洗礼を受けていても、イエスを否定しているなら
クリスチャンではないと思いますよ。
でも、洗礼は必要条件ですよ。聖書を読む限りではね。
無教会主義の内村鑑三は、洗礼の必要性も否定しましたが、
彼は晩年に自分の主張を後悔したそうですよ。
309 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/05(日) 23:43:56 ID:wBdtE8KM
>306
僕は思うのですが、クリスチャンは最低限、
「使徒信条」にはずれていないでほしいのです。
「体の復活」を否定する聖職者もカトリックにはいますし、
処女マリアからイエスが生まれたことを否定する聖職者もカトリックには
いるのです。ですからカトリックだから正統派とは言えない時代です。
- 166 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:54:08 ID:eCzC3Ot6
- >>165よりつづく
どんな教団に所属していても、「使徒信条」を受け入れている人なら 僕はOKだと思っています。
逆に、どんな教団に所属していても
「使徒信条」に違反するような主張をする人は
クリスチャンとしては、よろしくないと思うのです。
518 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/08(水) 00:37:55 ID:KWqk6mrJ
>514
あなたは、きっと正直なお方なんだろうな、と思います。
僕も、聖書を読み始めて2年くらいたつまでは、
「自分のどこが罪人なんだろう?」と思っていました。
これは本当のことです。
ですから、あなたが自分を罪人だと思えないという気持ちは理解できます。
聖書を読み続けてみてください、としか言い様がありません。
あと、神に対して答えを求めて祈ることもよいと思います。
402 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/06(月) 23:18:07 ID:LNe1/k9c
イエスが復活したこと。
イエスが神の子であること。
これらは神学ではありませんよ。歴史的事実です。
神学だと思うから、方向が間違ってしまうんです。
事実というものは、人間が会議などで多数決で決めるものじゃありませんよ。
- 167 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:55:49 ID:eCzC3Ot6
- >>166よりつづく
なぜ、生贄が必要なのかについて書くことにしましょうか。
第一の理由は、人が神を侮っているからなのです。
人は神を嘆かせたり苦しめたりしているのです。
このことについて人には自覚はないでしょうが、人が罪を犯すたびに
神は嘆き苦しみ怒っておられるのです。
旧約を読めばわかるように、「目には目を、歯には歯を」という、黄金律法が
ありますが、これは人と神との間にも立派に成り立っているのです。
つまり、人は神を苦しめた分と同じだけの苦しみを、味わわなければならない、
という怖ろしいことになっているのです。
こんなことは、普通の人間に耐えられることではないはずです。
そのために、「救い」ということが必要なのです。
もっとこまごまと説明しなければならないとは思いますが、
基本的な説明としては、こういうことになるのです。
自分が罪のために死ぬべき者であることについて
理解されていない方が多いので、どうして生贄が必要なのかが
ピンとこないことになっているのです。
自分が罪人であることを痛いほど理解できていたならば、
子羊に対して、深い感謝を持つはずなのです。
子羊と一体になって、自分が死んだのだ、と思わなければ
生贄の儀式は、まったくの無意味になってしまうのです。
- 168 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:57:57 ID:eCzC3Ot6
- >>167よりつづく
これと同じように、イエスと一体になって、自分自身もイエスとともに
十字架につけて葬りさったのだ、と信じなければ、イエスの十字架は
その人にとって、まったく無意味になってしまうのです。
597 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/08(水) 20:13:45 ID:KWqk6mrJ
>589
>ダニエル氏ご自身の場合の罪を、差し支えない範囲で具体的に教えて頂けますか?
「罪」というのは、何をしたから罪とか、何をしなかったから罪という
わけでもないのです。
すでに、頭の中で考えている段階で、罪は罪であるのです。
もっと詳しく説明しますと、「神に従っていない」考え方や思いというのを
自分の思いとして認識した時点で、もうすでに罪なのです。
もっと詳しい説明が必要であれば、ご質問をお願いいたします。
イエスが十字架にかかって死んだ、という事柄について
他人事だと思うのなら、十字架の救いも他人事にすぎません。
しかし、イエスと一体になって、自分も十字架につけられて
古い自分は死んでしまったのだ、と信じることが出来るのであれば
イエスと共に生きることになります。
つまり、イエス以降のユダヤ教は、ファリサイ派の宗教なのです。
現在のユダヤ教正統派とよばれている人たちは
ファリサイ派の流れを受け継いでいます。
- 169 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 13:59:18 ID:eCzC3Ot6
- >>168よりつづく
基本的にファリサイ派は、神殿の生贄祭儀がなくても大丈夫なのです。
なぜなら、彼らのよりどころは学問や知識であるからです。
彼らは神殿には依存せず、シナゴーグとよばれるユダヤ教の会堂で、トーラーやタルムードを学びます。
611 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/08(水) 22:15:45 ID:KWqk6mrJ
>609
>そこまでは今調べて出たとこでした。
>でも生贄を捧げないとユダヤ人にとって犯した罪の贖いはどうなるんでしょう?
とてもよい質問です。
この質問を、このままユダヤ人にぶつけたいくらいです。
現在のユダヤ人に、罪人である意識などはありません。
彼らは、基本的に来世を信じません。この世が彼らにとってのすべてです。
これは、ほとんどのユダヤ人に共通する意識のようです。
しかし、一部のユダヤ人は、今でも復活信仰を持っている人もいるようです。
ファリサイ派は、もともとは復活信仰を持っていました。
マイモニデスという、復活を信じる信仰を持っていた有名なユダヤ人の神学者がいますので、
ググッてみると面白いかもしれません
616 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/08(水) 22:29:57 ID:KWqk6mrJ
>612
>学問や知識で罪が消えるとかそういう考えなんでしょうか??
>わからん。
その疑問はもっともです。
なぜなら、わたしたちはクリスチャンであるからです。
クリスチャンにとっては、人がみな罪人であるのは、周知のことですが、
ユダヤ人にとってはそうではありません。
- 170 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 14:00:46 ID:eCzC3Ot6
- >>169よりつづく
「原罪」という言葉にしても、これはキリスト教の教会指導者が定めた
宗教教義であって、ユダヤ人に原罪意識はないのです。
このことは、案外クリスチャンは知らないことです。
ユダヤ人にとっての美徳とは「決して悔い改めない」ことです。
むしろ、理論や知識や理屈を用いて、相手を屈服させる、というのが
ユダヤ的なことです。
>>もっと詳しく説明しますと、「神に従っていない」考え方や思いという・・・
>>これ↑は、何で誰が判断するのですか?
聖書の聖句です。
僕がしていることは、聖書の聖句を述べているにすぎません。
そこの説明も、聖句に書いてあることです。
感の良い人なら、マタイ 5:28 の聖句の説明だな、とわかると思います。
ですから、僕の説明は、聖書を読んだことにない人にはわかり難いと思います。
しかし、聖書を少しでも知っている人には、なるほどと思える部分があるはずなのです。
僕がしているのは、ただ聖句をかみくだいているだけなのです。
- 171 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 15:45:43 ID:eCzC3Ot6
- >>169-170に対して。
「クリスチャンじゃない人はどんなにいいことをしても地獄に落ちる」?
あたりまえではないか。
「どんなにいいこと」っていったいどういう「いいこと」なんだ?
ゆえなく憎まれ、殺そうとする人に対して、神の御心とあらば、
愛をもち、喜んでその人のために自らの命を差しだすようなことでもするのか?
もちろん、何の疑いも持たず、それを実行できるような人ならば、
クリスチャンでなくても神の国へ直行かもしれないがな。
「いのち」は「観念」的な意味ではないからな、
字句どおり自らの「いのち」をそのような人のために絶つことができるか?ということだ。
「どんなにいいことをしても」という言葉の裏には、「いいことさえしていれば」という気持ちがあるのだが、
そもそもそういう考え方自体が「罪深い」のだ。
キリストの救いにあずからせていただくのでなければ、
いったいどうやって神の国にいれていただけるというのか。
罪人の分際で。神の前に自らを誇って許されるような人間だと思ってるのか。
誰もキリストの救いによらなければ神の国にはいることはできない。
あなた−ID:kYolnFhI ID:ilGNrvJI−も自らの「おこない」を誇るのではなく、
主イエス・キリストを誇りなさい。
そうすれば「聖書の言葉をないがしろにし、神のみこころを行ってはいないのです。」などと、
言われることもなくなるだろうよ。
■■■今回の良レス集→ >>161-170
- 172 :名無しのひつじさん:2007/08/13(月) 15:48:13 ID:eCzC3Ot6
- >>159-160に対して。
「クリスチャンじゃない人はどんなにいいことをしても地獄に落ちる」?
あたりまえではないか。
「どんなにいいこと」っていったいどういう「いいこと」なんだ?
ゆえなく憎まれ、殺そうとする人に対して、神の御心とあらば、
愛をもち、喜んでその人のために自らの命を差しだすようなことでもするのか?
もちろん、何の疑いも持たず、それを実行できるような人ならば、
クリスチャンでなくても神の国へ直行かもしれないがな。
「いのち」は「観念」的な意味ではないからな、
字句どおり自らの「いのち」をそのような人のために絶つことができるか?ということだ。
「どんなにいいことをしても」という言葉の裏には、「いいことさえしていれば」という気持ちがあるのだが、
そもそもそういう考え方自体が「罪深い」のだ。
キリストの救いにあずからせていただくのでなければ、
いったいどうやって神の国にいれていただけるというのか。
罪人の分際で。神の前に自らを誇って許されるような人間だと思ってるのか。
誰もキリストの救いによらなければ神の国にはいることはできない。
あなた−ID:kYolnFhI ID:ilGNrvJI−も自らの「おこない」を誇るのではなく、
主イエス・キリストを誇りなさい。
そうすれば「聖書の言葉をないがしろにし、神のみこころを行ってはいないのです。」などと、
言われることもなくなるだろうよ。
■■■今回の良レス集→ >>161-170
★「>>169-170に対して」は>>159-160に対して」の誤り。
- 173 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:25:59 ID:/GTeHdBk
- 773 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/13(月) 19:35:59 ID:gLiIWBnO
>772
こんにちは。ダニエルと申します。
敵である悪魔を愛する必要がないのは、あなたの言うとおりです。
ですから、あなたからのご質問に端的にお答えしたいと思います。
つまり、あなたがご指摘してくださった以下の聖句についてです。
■マタイ 5:40
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
このイエスが言われた「敵」とはサタンを意味しません。
では、ほぼ同じ内容であると思われるルカ書も見てみましょう。
■ルカ 6:27
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、
あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
マタイ書においては、 イエスは「自分を迫害する者」のために祈れ
とも言っておられます。
ルカ書においては、
イエスは「悪口を言う者、侮辱する者のために祈れ」と言っています。
- 174 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:27:02 ID:/GTeHdBk
- >>173よりつづく
つまり、こういうことです。
「自分に対して不利益を与える人物を愛せ」ということです。
それ以外に解釈のしようがありません。
ルカ書においては、「あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と
イエスは言っておられるので、「あなたがた」すなわち「イエスの弟子であるクリスチャン」
を憎む人たちをも愛しなさい、と言っているようにも受け取れます。
わたしたちクリスチャンは、相手が誰であっても、すなわち
神に否定的な人であっても、イエスに否定的な人であっても
その相手のためにも愛し祈ることを望まれている、と解釈するべきかもしれません。
このルカ書におけるイエスの言葉は、
「イエスの弟子たるもの、こうありなさい」と語っているように聞こえます。
イエスは、前置きとして以下のように言ってから、敵を愛すべきであることを
述べておられるからです。
■ルカ 6:27
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。」
イエスのご命令は、ことごとく難しいものばかりですが、
この、イエスのご命令は、本当に難しいと思います。
「自分たちに不利益をあたえようとする相手」のために祈れ、とか、愛せ、
と言われているのですから、これを守るのも尋常ではできないことです。
まして、当時のユダヤ人にはとても無理だったのです。
なぜなら、モーセやヨシュアの時代から、ずっと敵をことごとく滅ぼし尽くすのが
それまでの旧約の歴史だったからです。
- 175 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:28:21 ID:/GTeHdBk
- >>174よりつづく
>聖書では確認してないですが、「地獄の悪魔も救われる」というオリゲネスの説は公会議で排斥されたはずですよ。
>ということは基本的には地獄には悪魔もいると思われますが。
そのとおりです。
■黙示録20:10
そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。
そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。
>厳密にはサタンが苦しめられてる所が地獄。サタンが人間を苦しめるのではないそうです。
>それは以前から気になってたんですが。
>トマス・アクィナスの著書やダンテ「神曲」では、
>地獄で悪魔が人間を苦しめるという説の記述があるそうです。
>これ、パブリックに正統教理として認められているか調べてみないとわからないですが。
トマス・アクィナスなんか信じちゃ駄目だよ。
トマス・アクィナスの師匠が、錬金術師や魔術師として有名な
ドミニコ会の、アルベルトゥス・マグヌスだからです。
彼らは、アリストテレスのギリシア哲学の信奉者なのであって、
純粋に聖書から学ぼうとしていた人たちではありません。
地獄についての見識が、あまりにも低すぎるのが問題だと思います。
黙示録に書かれてある地獄、すなわち「火と硫黄の燃える池」とは
想像することも出来ないほどの威力のあるところです。
なにしろ、「死」も「陰府」さえも、その中で焼かれてしまうのですから。
普通、死や陰府を恐ろしいと思うと思いますが、それらを焼いて滅ぼすところが
『火と硫黄の燃える池』なのです。 これを、どうぞ理解してください。
- 176 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:29:27 ID:/GTeHdBk
- >>175よりつづく
■黙示録 20:13
海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。
死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
815 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/13(月) 23:05:33 ID:gLiIWBnO
>809
>ただし、他の伝承は当てにするつもりはないですが。
その態度は正しいと思います。
純粋に聖書から、イエスの教えを学んでいただきたいと思います。
僕もカトリックですので、聖人を崇めてしまうカトリックの伝統は
知っておりますが、イエスや聖書以外からの教えや知識を得ることが
しばしば聖書への学びにとって障壁になってしまうことが多いことを
経験しているからです。
おそらく、悪魔というやつが、相当に狡猾なので、神を学んでいるつもりの人を
こうした罠にひっかけて落してしまうのでしょう。
>アタナシオスの学派(アレクサンドリア学派)の創始者のオリゲネスは誤謬で公会議で断罪されたし。
アウグスティヌスなどの業績を否定するつもりはないのですが、
彼らも、やはり人間だったので、完璧ではなかったと思います。
オリゲネスも、ちょっとね。。。
僕らは幸せだと思いますよ。今は教会の権威が失墜しているときなので
自分たちで真実を求めて学ぶことができるからです。
教会が教義を押し付けたりして、異端審問をしていた時代もありました。
教会は、よかれと思ってこうしたことをしてきたと思いますが。。。
- 177 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:30:38 ID:/GTeHdBk
- >>176よりつづく
真実を学ぶのに、今は、かえってとても良い時代ではないかと思います。
>アレクサンドリア学派はアリストテレスの形而上学を多用してましたよ。
いい嗅覚をしていますね!
アレクサンドリア学派というのは、純粋なイエスの弟子ではないと僕は見ます。
彼らのほとんどは、エジプトのユダヤ人であって、ギリシア哲学を土台として
イエスの弟子たちの思想を理解しようと試みた連中ですよ。
僕は、こうした連中は重大な霊的犯罪者じゃないかと思っていますよ。
以下にリンクをのせておいたフィロンなどは、そうした連中の代表的人物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%83%B3
830 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/13(月) 23:38:50 ID:gLiIWBnO
>824
>ダニエルって神学校卒?
自分で本を読んで学んでいます。
ただ、神学校に通っている知人が何人かいますので、そうした人たちから
どういうことを学ばされているのか聞き出してはいます。
カトリックの信仰が、プロテスタントに勝っているとかいうことは、ないような気がします。
むしろ、今の僕の学ぶ姿勢を育ててくれたのは、元ホーリネス教会の無名の牧師です。
- 178 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:31:40 ID:/GTeHdBk
- >>177よりつづく
>カトリックの聖人崇拝とマリア崇拝がどうしても受け入れられなくて我慢してるんだけど。w
正直に言いますと、『聖人崇拝』は間違っていると思います。
しかし、聖人の姿勢に学ぶ、ということならOKだと思いますよ。
ただし、聖人伝というのは、かなり美化されて書かれている場合が多いし、
ドミニコ会がドミニコの伝記を書いていたりすると、やはりそれは美化して
しまうのが必然だと思うのです。そうした面もあるので、全面的に伝記を受け入れるのも問題です。
やはり聖書に学ぶのが一番おすすめです。
839 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/14(火) 00:13:43 ID:V9UWiTOJ
>836
>それがどうしてカトリック教会に繋がるのか・・・?謎。。
そうですね。この聖句について僕の中で決着がついたなら
カトリックをやめることがあるかもしれないです。
「岩」については、別の聖句でこんなのがあります。
■マタイ 7:24
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
※ 聖書の「岩」という言葉は、「堅い信仰」を暗示しているようですね。
ペテロがイエスから「あなたはペテロ(岩)」と言われた場面の前段階として
次のような出来事がありました。
- 179 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:32:47 ID:/GTeHdBk
- >>178よりつづく
■マタイ 16:15
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
ですから、もしかしたらイエスが言いたかったことは、
「イエスは神の子である」という信仰の土台の上に
『わたしの教会を立てる』ということなのかもしれません。
そうすると、「イエスは神の子である」という信仰の上に
立っていない教会は、イエスの教会ではないことになります。
また、「イエスは神の子である」という信仰の上に
立っている教会であれば、カトリック教会でなくても、
そこはイエスの教会である、ということになろうかと思います。
まさしく、その教会がイエスの教会であるかないかは、
「イエスは神の子である」というペテロの信仰告白の上に立っているか否かにあるのかもしれません。
古くからのカトリック教会の解釈では、
「ペテロ」というのはローマ教皇のことであって、
教皇をいただいていない教会は、正統なイエスの教会ではない、
というようなことになろうかと思います。
この考えについて、僕自身が完璧に反駁できたとしたら
そのときはカトリック教会をやめるかもしれません。
- 180 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:34:48 ID:/GTeHdBk
- >>179よりつづく
>教会は実質的に使徒が設立したんですがね。それも、キリストが昇天して聖霊降臨以降に。
いやいや、教会というのは、そういうものじゃないんですよ。
もともとの教会の意味である「エクレシア」というものの本来の意味は
『集い』ということなのです。
つまり、イエスを信じる者の集いは、すなわち『教会』なのです。
>「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」という聖句は、
>グノーシスとの対立の中か、対立がおおよそ終結を迎えた頃に、
>ペテロとサンピエトロの権威化の為に書き足されたのではないだろか...
>時期はやはり3〜4世紀...根拠ないけどね
そうなんです。
僕も、イエスがペテロにを授けた『天の国の鍵』というものが
非常に気になっているのです。
『鍵をあずかっている』ということは、すなわち天の国の門を
明けたり閉めたりできる権威のことだからです。
この天の国の鍵をペテロにあずけた、というイエスの言葉の意味について
考えないわけにはいかないのです。
この場合のペテロとは、もしかすると「イエスは生ける神の子である」という
信仰自体のことを指しているのかもしれません。
そうすると、天の国に入るために必要なことは、この「イエス=神の子」という
信仰にかかっている、という解釈が成り立つことになろうかと思います。
- 181 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:36:44 ID:/GTeHdBk
- >>173-180よりつづく
>キリストが立てると約束した教会が成就するのは聖霊降臨以降ですよ。
>なぜなら、教会は聖霊の神殿ですからね。聖霊降臨日(五旬祭)とは教会発足の記念日です。
それは間違ってはいませんが、だからといって、
教会を立てたのはイエスではない、ということにはならないでしょう?
そんなことを言い出したら、実際に教会を立てたのは
大工さんたちだ、ということになっちゃうよ。
■■■本日の良レス集→173-180
- 182 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 11:37:49 ID:/GTeHdBk
-
■■■本日の良レス集→>>173-181
- 183 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 12:45:53 ID:/GTeHdBk
- エフェソ1:4
天地創造の前に、神は私達を愛して、御自分の前で聖なる者、
汚れの無い者にしようと、キリストにおいてお選びになりました
ロマ8:30
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、
義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
テモテ 二1:9
神が私達を救い、聖なる招きによって呼び出して下さったのは、
私達の行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです
コリント 一15:10
神の恵みによって今日の私があるのです
フィリピ2:13
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行われているのは神であるからです
使徒13:48
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。
そして永遠の命を得るように定められている人は皆信仰に入った
- 184 :名無しのひつじさん:2007/08/14(火) 12:46:58 ID:/GTeHdBk
- >>159-160に対して。
「クリスチャンじゃない人はどんなにいいことをしても地獄に落ちる」?
あたりまえではないか。
「どんなにいいこと」っていったいどういう「いいこと」なんだ?
ゆえなく憎まれ、殺そうとする人に対して、神の御心とあらば、
愛をもち、喜んでその人のために自らの命を差しだすようなことでもするのか?
もちろん、何の疑いも持たず、それを実行できるような人ならば、
クリスチャンでなくても神の国へ直行かもしれないが。
「いのち」は「観念」的な意味ではないからな、
字句どおり自らの「いのち」をそのような人のために絶つことができるか?ということだ。
「どんなにいいことをしても」という言葉の裏には、「いいことさえしていれば」という気持ちがあるのだが、
そもそもそういう考え方自体が「罪深い」のだ。
心のうちにおいても、外面のふるまいにおいても「罪」は問われる。
「罪」は性質、傾向、御言葉にあるように人間は「罪性」を負うているからだ。
キリストの救いにあずからせていただくのでなければ、
いったいどうやって神の国にいれていただけるというのか。
罪人の分際で。神の前に自らを誇って許されるような人間だと思ってるのか。
誰もキリストの救いによらなければ神の国にはいることはできない。
■■■先回の良レス集→ >>161-170
■■■本日の良レス集→ >>173-183
- 185 :名無しのひつじさん:2007/08/15(水) 15:31:50 ID:BrGhUXXQ
- 55 :本気@甲子園に、恋をした:2007/08/15(水) 11:05:15 ID:LTX1Zh4d
「クリスチャンとは、人間であることだ。」といったのが、ボンヘッファー牧師(ドイツ)。
キリスト者とは、自由を失った人間ではない。
自分で考え、判断する。時には、涙をながし、喜ぶ。
時には、「助けてください神様!」と、祈る。
そういう存在。
>61 :大祓詞@宮崎希美 ◆55nynIr58w :2007/08/15(水) 13:39:31 ID:+voHQj6/
>シャロンの考え、おかしいよ。 実行できないって、イエスの言葉を無視してる。(トンデモレス)
(人間は完全だと思っている。霊性を高め、自らの意志で神のようになれると思い込んでいる)
↑
62 :本気@甲子園に、恋をした:2007/08/15(水) 13:55:29 ID:LTX1Zh4d
(人間は不完全なもの)不完全だから、助け合えるじゃんw
完全だと思っている人は、他者の失敗、弱さをみてわらう。
自分の弱さを知っている人(不完全)は、優しい人。
そして、キリスト者とは人間であること。
キリスト者=人間
なんも矛盾しない。
>架空の神
いない証拠を、あなたは証明できるんですか。
- 186 :被害者:2007/08/15(水) 15:41:13 ID:JQWcT1Oc
- 増田和久は死ね・くたばれ・消えろ・失せろ・潰れろ
馬鹿・あほ・間抜け・ドジ・ポンコツ・トンチキ
ガラクタ・クズ・ゴミ・カス・最低以下の下劣
下等種族・ 劣等種族・下衆野郎・腐れ外道・邪道
外道・非道・ウジ虫・害虫・ガン細胞。 ウィルス
ばい菌・疫病神・病原体・汚染源・公害・ダイオキシン
有毒物質・廃棄物・発ガン物質・猛毒・毒物
アメーバ・ダニ・ゴキブリ・シラミ・ノミ・毛虫・ハエ・蚊
ボウフラ・芋虫・掃き溜め・汚物・糞・ゲロ
糞虫野郎・基地外・ハッタリ・穀潰し・ろくでなし
ごろつき・社会の敵・反乱者・前科者・インチキ
ゴミ・シデムシ・ゴミ虫・毒虫・便所コオロギ
詐欺師・ペテン師・道化師・危険分子・痴呆・白痴
魔物・妖怪・悪霊・怨霊・死神・貧乏神・奇天烈・奇人
変人・毒ガス・サリン・ソマン・マスタードガス
イペリット・畜生・鬼畜・悪鬼。邪気・邪鬼
クレイジー・ファッキン・サノバビッチ・シット
ガッデム・小便・便所の落書き・不要物・障害物
邪魔者・除け者・不良品・カビ・腐ったミカン
土左衛門・腐乱・腐臭・落伍者・犯人・ならず者
チンカス・膿・垢・フケ・化膿菌。 放射能・放射線
鬼っ子・異端者・邪宗・異教徒・恥垢・陰毛
白ブタ・ケダモノ・ボッコ・ろくでなし・VXガス
ヒ素・青酸・浮浪者ルンペン・物乞い・放射性廃棄物
余命1年・アク・割れたコップ・3審は必要なし
不良品、規格外、欠陥品、不要物、埃、掃き溜め、
吹き溜まり、塵埃、インチキ、居直り、盗人、盗賊、
残忍、残酷、冷酷、非情、薄情者、ガキ、クソガキ、
腐れ根性、腐って歪んだプライドの持ち主、狭量、
ボケ、ボケナス、アホンダラ、たわけ、怠け者、無能
無脳、脳軟化症、思考停止、蠅、蚊、カビ、腐敗、膿、
下劣、下等生物、劣等種族、クレイジー、マッド、
人格障害、守銭奴、粗製濫造品、偽物、似非、イカレ
浮浪者、ルンペン、狼藉者、放蕩息子、道楽息子
極道息子・迷惑、困りもの、厄介者、村八分、異端者
アウトサイダー 大虐殺者。ナチスドイツ、731部隊
ポルポト派らと同類、鼠のウンコ以下
そして住所は神奈川県秦野市寺山297−11で
電話番号は(0463)82−9720の増田和久
- 187 :名無しのひつじさん:2007/08/16(木) 11:03:39 ID:/GTeHdBk
- 248 :キリストにある者 ◆z81gXHd6h. :2007/08/06(月) 19:22:19 ID://L4J37q
聖書で罪と言う時、罪の性質と罪の行為との二種類があることを知って下さい。
人は皆、アダムがサタンに服従した為に、生まれつき、親から受け継いだ、罪の性質を持っています。
生まれつき正しい人は誰一人いません。
新約聖書の中で福音書、使徒、黙示録以外は、教会に宛てた手紙です。クリスチャン以外の方には当て嵌まりません。
例えば、第一ヨハネの手紙は、クリスチャンに宛てた書簡です。1#9に私達クリスチャンにはとても有り難い言葉があります。
もし、私達が自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、全ての悪から私達を清めて下さいます。
この場合の罪は罪の行為のことです。私達もこの体にある限り、罪を犯すことがあります。その時気が付いたらすぐに、
神様と相手に対し謝ることが必要です。これが常にキリストに留まる秘訣です。これが罪の赦しです。
罪の自覚がなくキリストによる贖いの救いを受け入れようとしない、
形だけのクリスチャンは、信仰がないので神の国に入ることはできません。
信仰によって生きるためには、罪深さの自覚と、赦しを得させていただくため、
イエスを受け入れることが必要です。イエスがヨハネの福音書三章で教えているように、
神によって生まれ変わることが必要です。罪の性質を創り変えることは、神様しか出来ません。
287 :キリストにある者 ◆z81gXHd6h. :2007/08/07(火) 23:18:17 ID:TqyGdIqP
私達が伝えている福音とは、良い知らせ、又は、喜びの訪れ、と呼ばれています。
アダムが神に背いて、悪魔に従って以来、人は神と離れ悪魔の支配下にあります。
死、病気、貧困、災害は全て神のわざではありません。
イエスがこの世の中に肉体を持ち、人となって現れたのは、人が忘れてしまっていた神を現す為と、
堕落する以前の、神と一つである本来の人の姿を見せる為でした。
神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです。第一ヨハネ3#8
新約聖書の最初の書はマタイの福音書です。日本人には文字を読めない人はいません。マタイの最初の5頁ほどでも読めば、
イエスが何をしたかが書かれています。イエスはいつも、伝道し、教え、癒しています。
ここでも様々な人が様々なことを、まことしやかに述べています。でも真実は何だろうか?
あなたが自分自身で確かめ無いで良いのでしょうか?聖書があなたの運命の鍵であることは確かです。
病気、貧困、災害、更には死さえもイエスは打ち壊したことが事実であり、イエスは全て私達の為に勝利したのです。
私達は一人として、病気、貧困、災害で苦しむ必要はありません。
全て神の恵みは、自動的ではありません。恵みは、信仰を通して与えられます。この世の中では、良い悪いは別として、金が無くては生きて行けません。
神の国では信仰が通貨です。信仰無しでは生きて行けません。
信じるか、信じ無いかは、あなたが、少なくとも、聖書を、5頁読んでから決めて下さい。
- 188 :名無しのひつじさん:2007/08/16(木) 11:06:35 ID:/GTeHdBk
- >>187よりつづく
317 :キリストにある者 ◆z81gXHd6h. :2007/08/11(土) 19:17:33 ID:fQJWO1VD
神はあらかじめ知っておられた人々を、御子と同じ姿に定められました。ローマ8#29
324 :キリストにある者 ◆z81gXHd6h. :2007/08/12(日) 20:19:49 ID:uXK6Pkr2
イエスの再来が近いのは確かです。しかしその日が何時なのかは、誰も知りません。何時だと断言している人は全て偽預言者です。
イエスが帰って来るのは、裁きの為です。
イエスの再来に先立ち、その7年前にクリスチャンが全員、イエスの身元に引き挙げられます。
クリスチャンは艱難には会いません。第一第二テサロニケを読んで下さい。信仰ある人には、待ちに待った出来事です。
366 :キリストにある者 ◆z81gXHd6h. :2007/08/13(月) 19:03:17 ID:8iuQzPqU
ローマ8#11
もしイエスを死者の中から蘇らせた方の御霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリスト・イエスを死者の中から蘇らせた方は、
あなたがたの中に住んでいる御霊によって、あなたがたの死に定められた体をも、生き生きと生かして下さいます。
死んだイエスを蘇らせた同じ御霊が、キリストにある者の中には宿っています。あなたは何を恐れるのですか?何故病などに屈しているのですか?
あなたの中には、神様御自身が住んでおられます。インマヌエル、神は私達と共におられます。
376 :キリストにある者 ◆z81gXHd6h. :2007/08/14(火) 18:49:12 ID:LC5Pkij5
ローマ14#7
私達の中で誰一人として、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私達は主のものです。
キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
それなのに、何故、あなたは自分の兄弟を裁くのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私達は皆、キリストの裁きの座に立つようになるのです。
キリストの裁きの座は、クリスチャンのこの世での働きに対する報酬を受ける場所です。
裁きと言う名前から悪い印象がありますが、実際は祝勝会です。ただ、褒美が無いのも寂しいです。
一方、大きな白い御座の裁きは、不信仰の者のためです。
こちらは恐ろしい裁きのためのものですが、心からイエスを信じている人には、全く関係ありません。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。私は永遠の命を持っています。イエスを信じ、告白して下さい。
あなたは神様にとって大事な人です。イエスを十字架に架けてまでも救う価値があります。
- 189 :名無しのひつじさん:2007/08/16(木) 11:08:28 ID:/GTeHdBk
- >>188よりつづく
403 :太陽 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/08/14(火) 23:08:05 ID:/DZpgFBG
>396
誰でもイエスを信じた時点で、神の子です。
【わたしたちは、すでに神の子なのである。】ヨハネ第一の手紙3:1
>であるならば何故神は人間に原罪を造ったのだろうか、、?
神が原罪を造ったのではありません、
神は人間に選択の自由をお与えになったのですよ。
木のみを食べる自由、と神様のご命令を守って食べない自由と・・・
431 :キリストにある者 ◆z81gXHd6h. :2007/08/15(水) 18:59:09 ID:hvQS+KRJ
第一テサロニケ1#10
神が死者の中から蘇らせた御子、すなわち、やがて来る御怒りから私達を救い出して下さるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、
やがて来る御怒り、とあるのは、この世の終わりの七年間のことです。
日本語訳聖書では、この世の終わりと翻訳されていますが、実際にはこの時代の終わりのことです。
この時代の次の時代は、ミレニアムと呼ばれ一千年の平和の期間で、イエスが実際にこの世を統治します。
サタンは完全に鎖で繋がれ、隔離されます。もう私達の祝福を邪魔する者はいません。
この地球は決して滅びません。天と地とが一つになることが、神の計画であり、神を止める者は、誰もいません。
全ては神の計画通りに、着実に一歩一歩進んでいます。
キリストにある者には、恐れ、不安、心配は全くありません。イエスの信仰があるからです。イエスと同じ運命だからです。
イエスが保証人だからです。毎日ハレルヤ!
聖書に予定は書かれています。人のまやかしに惑わされずに、キリストにある者なら、自分の目で聖書を読み、聖書に従いましょう。
神を信じる者は、決して闇の中を手探りで歩くようなことはありません。
神は光であって、神の中には暗い所は少しもありません。
神は、私達が御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエスにあって救いを得るようにお定めになったのです。第一テサロニケ5#9
クリスチャンが、艱難の時代に地上に留まると考えている方が多いようですが、
あなたが、イエスを受け入れている、神の子であるなら、あなたは神の怒りの対象ではありません。
あなたは一万円札を持っているでしょうか? それは何故一万円なのでしょうか?
当たり前でしょ!そう書いてあるでしょ! あなたの知らない祝福がたくさん聖書に書いてあります。書いてあります。書いてあります。
- 190 :名無しのひつじさん:2007/08/16(木) 12:37:28 ID:/GTeHdBk
- 8 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/15(水) 23:45:49 ID:ue+xxO6M
今の神学生は、神学校において、史的イエス論などを頭に詰め込まれ、
あげく、「イエスの教え=弱者救済の教え」と信じ込まされているのです。
ですから、これから神父になる人たちに期待することは、ほぼ不可能です。
彼らは、すでに神学校において、社会主義的思想を植えつけられていて、
聖書の聖句を神からのインスピレーションを受けて解釈しよう、などと考えて
いる人は、ほぼ皆無に近いからです。
7年にもわたって神学校において神学や哲学を植えつけられた頭からは、
神学において教わった聖句の解釈しか説教文を考えられなくなってしまうのです。
これが、現代のカトリック教会の実体です
>「悪魔だ」、「地獄だ」って言う話が好きな人だったらいいだろう。
最近の神学生は、悪魔も地獄も実在しないと思っているよ。
彼らは、自分で聖書を読んでいないんですよ。
こんな人が神父になっても説教なんか出来ないので、
仕方なく世間話やらでお茶を濁すことになります。
プロテスタントの人たちには信じられない話だと思いますが、
これが現在のカトリック教会の偽らざる実体なのです。
- 191 :名無しのひつじさん:2007/08/16(木) 12:38:28 ID:/GTeHdBk
- 14 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/16(木) 01:13:07 ID:Vy8fvCmt
>13
>悪魔も地獄も実在しないと思っている人が、神父にはなれないような
>前時代の閉鎖された社会ならいいが、今のような時代で。。。
いや、悪魔も地獄も実在しないと思っている人が神父になっても良いとは思いますがね。
ただし、そういう人は聖書に基づく説教はできないですね。
人間的で、勝手な解釈の説教にならざるを得ないです。
だって、聖書には悪魔も地獄のことも書いてあるんですから。
18 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/16(木) 02:25:10 ID:Vy8fvCmt
>15
>私・ココモスキー ◆VAutiIin4wが師と仰いでるカトリックの神父は
>悪魔も地獄も実在しないと思っているよ.たぶん..
>私・ココモスキー ◆VAutiIin4wは少なくとも
>カトリックの指導層の殆どはこんな物信じてないと思うw...
悪魔も地獄もアホが言っていることであるなら、あなたは
イエスについても聖書のこともアホだと言っていることになりますよ。
イエスは、地獄についてきちんと説明してくださっています。
カトリックの指導者が、悪魔も地獄も信じていないのは、確かに
ココモスキーさんの言うとおりですが、そうした人たちが聖書より正しい
ことを言っているとは思いません。
むしろ、そのように聖書に反する考えを発言するということは
聖職者として、すでに失格であると僕は考えます。
- 192 :名無しのひつじさん:2007/08/16(木) 12:39:31 ID:/GTeHdBk
-
19 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/16(木) 02:28:58 ID:Vy8fvCmt
>16
>キリスト教 についての回答者として不適当。
僕はキリスト教の代弁者なんかじゃありませんよ。
僕は、聖書に書かれたイエスの教えを、正しく伝えようとしているだけです。
20 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/16(木) 02:33:53 ID:Vy8fvCmt
イエスの教えを正しく伝えようとすることは昔も今も、非常に困難なことですよ。
それは旧約の預言者たちの受けた扱いを見ればあきらかです。
イエスの使徒たちも、ひどい目に合いました。
しかし、そうした人たちのおかげで、今でもイエスの教えは
わたしたちは聖書として、読むことができるのです。
そういうわけです。心から神を求めている人は必ずいると思います。
そうした人たちと交流をもちたいので、
そうしたクリスチャンの方からの投稿を期待して待っています。
- 193 :名無しのひつじさん:2007/08/16(木) 12:47:43 ID:/GTeHdBk
- 968 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/08/15(水) 21:02:52 ID:ue+xxO6M
>967
>カトリックが力説するマリアの無原罪についてはどう思われますか?
マリアの無原罪について、カトリック教会が力説しているということはないと思います。
今まで教会に通っていても、マリアが無原罪かどうかについて、
カトリックの人の間で話題になったことすら今までありませんでした。
マリアの無原罪については、何が根拠になっているのか僕にはわかりません。
聖母無原罪というのは、カトリックの長い歴史の中では、
ごく最近になって認められた教義です。
むかしのカトリックでは異端であった教義ですよ。
こんなことは、カトリックの恥ですが、
この教義が正式にバチカンで認められた背景には
フランシスコ会とドミニコ会との勢力争いが関係しているのです。
また、当時フランスで流行していたヤンセニズムに対抗しなければならなかったバチカンの事情もあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%8E%9F%E7%BD%AA%E3%81%AE%E5%BE%A1%E5%AE%BF%E3%82%8A
- 194 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 15:31:31 ID:sYito2/w
- 64 :長老派 ◆uiEg7tVQ1U :2007/09/14(金) 08:17:11 ID:rce2QqzN
>>44
>キリスト教の救いとは、いったいなんなのですか?
罪(原罪も含む)あるものは肉体が死んだ後滅びの世界に行かなければなりません。
しかしイエス・キリストは私達人間の為に十字架にかかり身代わりとなって
下さいました。そのことを信じるものは肉体が滅んだ後も魂が救われます。
また肉体においても救いはあります。主イエスを心に迎え試練があっても
主に頼り強く生きていくことです。要は心の支えです。
>私達が救われるには、具体的になにをすればいいのですか?
イエス様を信じることです。
」
>やはり教会の信者にならないと救われないのでしょうか?
そんなことはありません。全ては信じることから始まります。
>それと、原罪、原罪といいますが、私達がいったいなにをしたというのでしょうか?
人間の祖先であるアダムが最初の罪を犯して以来、その霊が引き継がれるので
人間は生まれながらにして罪人なのです。これが原罪と言われるものです。
- 195 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 15:51:44 ID:sYito2/w
- 86 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/15(土) 12:40:21 ID:84YsAqxQ
>キリスト教の中心は、イエス・キリストです。
>このお方は、一体どういうお方なのだろうか、と言うことが、まず問題でした。
>それを明らかにしたのが、ニケアからカルケドン、と言うことになります。
ニケア会議からカルケドン会議がイエスがどういうお方なのか明らかにしたのですか?
イエスがどういうお方であるのかは、聖書で明らかにされています。
会議がどのようにイエス・キリストを明らかにしたというのですか?
>古代の信条を制定した公会議の時には、
>まだ「新約聖書」は存在していないのです。
それは、明らかな考え違いです。
聖書を教会が編纂したのは16世紀でしょうが、
聖書そのものが書かれたのは、使徒の時代に決まってますよ。
それをいくら引き伸ばしたとしても、ニカイア公会議以降に書かれたとは
ならないはずです、
ですから、会議よりも聖書のほうが先に決まっています。
>あなたのお気持ちは十分分かりますが、
>後の時代に、新約聖書に含まれる諸文書が、
>その当時の「聖書」では無かったのです。
これも間違いですよ。WIKIPEDIA でさせ、以下のようにきちんと理解していますよ。
各書物の執筆時期は紀元32年から90年ごろで、
それらの書物が『新約聖書』としてまとめられたのは
150年から225年ごろの間であるとみなされている。
- 196 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 15:53:00 ID:sYito2/w
- 名前は忘れてしまって申し訳ないのですが、
プロテスタントの聖書が16世紀に編纂されるよりも、はるか以前に
新約聖書を編纂した人物がおりました。おそらく西暦150年前後でしょう。
その選んだ資料を参考にしてプロテスタントの新約聖書が編纂されたのです。
プロテスタントの選んだ書は、その当時のものと同じだそうですよ。
つまり、ニカイア公会議以前から、新約聖書は編纂されていて、それを
読んでいる人はいた、ということなのです。
以下のウィキペディア『外典』の項目に書かれていますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%85%B8
このようにアタナシオスが聖書の正典をすでに、この時点で決めておりますので、
新約聖書が、ニカイア公会議やカルケドンより後から出来た、などという
デタラメを言うことは出来ないと思います。
いずれにしても、人間の会議の権威が、
神の聖書よりも上だと思ったり考えたりすること自体が、
すでに、もうダメポであると、僕は思います。お気の毒さま。
結局、大切なことは『救い』だと思うからです。
『救い』と直接関係のない教義について、あれこれと論議すること自体が
僕にとっては無意味に思えます。
公会議の権威を、聖書よりも上であるかのように書いているあきれた人が
いるので、仕方なく僕も書いているんですよ。
まあ、聖書を信じたくないなら信じなければいいだけなのですが。。。
- 197 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 15:54:00 ID:sYito2/w
- いったい聖書を信じている人というのは
どのくらいいるんでしょうね?
僕がすごく少数派のような気がします。まあ、他人のことは
どうでもいいことですけれども。
165 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/15(土) 22:20:48 ID:84YsAqxQ
> >148 の説明では、新約聖書は397年にまだ現在の状態になっていない、というんだから、
>公会当時は新約聖書はまだ成立してないということになるね。
「現代の学者たちの説によれば、
各書物の執筆時期は紀元32年から90年ごろで、
それらの書物が『新約聖書』としてまとめられたのは
150年から225年ごろの間であるとみなされている。」
とWikipediaに書いてありますよ。
>聖書って「信じる」対照なんだろうか?
聖書は、イエスのことを証している書物です。
ですから、イエスを信じるためには、聖書を読むことが
必要だと思います。この証を受け入れられないなら、イエスを
受け入れることは困難ではないでしょうか?
あなたたちは、ニカイア公会議のときに「新約聖書」はなかったと
おかしな主張をするのでなければ、それについてはこれ以上言いません。
現在の新約聖書で選ばれた書とまったく同じではなかっただろう、というだけで
新約聖書がなかったわけではないからです。これを認めることができるのであれば
これ以上、このつまらない議論を続けるつまりは僕にはありません。
- 198 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 15:55:00 ID:sYito2/w
- 178 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/15(土) 22:49:00 ID:84YsAqxQ
■第二テモテ 3:16
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、
義に導く訓練をするうえに有益です。
■ヨハネ福5:39
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
***** 解説 *****
このように、聖書は神の霊の導きによって書かれたのですから
それを信じないことは、神の霊を信じないことになります。
なお、聖書はイエスを証するものですから、聖書を信じないことは
イエスについての証を拒否することになるものと思います。
現代のような風俗産業があったかどうかはわかりませんが、
娼婦という職業は、創世記の時点で、すでにあったことが聖書からわかります。
なお、宗教儀式と関連した「神殿娼婦」という人たちもいたようです。
現代のイスラエルでも、売春は盛んに行われていますよ。
>現代のイスラエルにも売春があるんですね!驚きました。
そうですね。
正統派のラビまでが、車に乗って、わざわざ遠くの場所へ出かけていって
女を買っているそうですね。
イスラエルという国の売春については、ネットで調べると色々と出てくると思いますよ。
- 199 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 15:56:12 ID:sYito2/w
-
>律法規定に 男性の買春は禁止されてないとか云って 堂々するんぢゃない。
そこなんです。
神の律法で悪いこととされていなければ、それは悪いことではない
というのが、おそらくユダヤ人の考え方だと思います。
- 200 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 16:17:31 ID:sYito2/w
-
84 :野の花はシャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/09/17(月) 13:11:54 ID:HLePBt0x
【まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、
すべて添えて与えられるであろう。】
マタイ6:33
- 201 :名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 19:02:53 ID:sYito2/w
-
−まず神の国と神の義とを求めなさい−
そのためにはまず、神を慕い求める「心」がなくてはならないということ。
神に飢え渇き、慕い求める「心」がない人たちに、いくら言っても無駄、豚に真珠なんでした。
信仰によって歩ませていただいていることに感謝、アーメン。
- 202 :ダニエル:2007/09/20(木) 07:55:37 ID:wVd7BCCc
-
2007年 世界終末の始まり
- 203 :名無しのひつじさん:2007/09/22(土) 20:39:10 ID:sYito2/w
- 649 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/19(水) 14:32:06 ID:k+e5is5f
>648
解放の神学は、まじめなカトリック信徒の目を
神の憐れみに拠り頼むことから、自分達の力で
理想的社会を生み出せる、という錯覚を与える哲学です。
端的に言って、共産主義と同じようなものです。
これにかぶれると、「イエスは貧しい人たちのために来た」とか、
「イエスは貧しい人たちの内に住む」とか言い出すようになり、
「貧しい人たちに、貧しさから脱出するための活動の場を提供する」とかの
運動にかぶれるようになります。
「神学」という呼び名によって、その実体が分かりにくくなっていますが
その本質は、人々の自我意識を覚醒させて、神への絶対的な信頼や平安から、人々を引き離す思想です。
この思想は、根本的な矛盾を含んでおります。
もし本当に『貧しい人の内こそイエスが住む』のであれば、
貧しい人を豊かにするための運動、というのは、それらの人から
イエスを奪うことになってしまうではありませんか。
この思想にかぶれてしまうと、こんな簡単な矛盾にも気がつかないのです。
イエスは貧しい人のために来た、などとは聖書のどこにも書いてないはずです。
イエスは『罪人のために』来たのです。
「哲学」とか「神学」とか言われるものを信じる必要は、
まったくありません。イエスの弟子達も 学問などない純粋な人たちだったからです。
■マタイ11:25
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、
幼子のような者にお示しになりました。 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
- 204 :名無しのひつじさん:2007/09/22(土) 22:06:51 ID:sYito2/w
- 145 :まちこ ◆oCnJjkgjuU :2007/09/22(土) 00:16:14 ID:BF1u/nug
マザーは人間としては素晴らしい方です。
そこにイエスの教えが加われば、もっと素晴らしい働きができたと思います。
とても残念です。
177 :まちこ ◆oCnJjkgjuU :2007/09/22(土) 12:27:23 ID:BF1u/nug
日本のために祈りましょう。
神は聖い心の方の祈りは受け入れます。
祈れる方、祈りたい方、心を一致して、日本が神様の御心に適った素晴らしい国となるように祈りましょう。
神様、日本が健康なる国となり、いつも愛ある平和な国となりますように、イエス・キリストの御名前によりアーメン。
178 :641 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/09/22(土) 15:40:37 ID:P0E8nx3O
>177 アーメン
179 :♪:2007/09/22(土) 18:27:04 ID:5+DWcNoO
マザーは魂があるのかないのか疑問に思ったらしい
まちこさんでも、シャロンさんでも、魂があるのかないのか
はっきり語ってほしい
魂がないなら、祈っても虚しい
180 :まちこ ◆oCnJjkgjuU :2007/09/22(土) 19:34:31 ID:BF1u/nug
>179
イエス・キリストを信じていなければ、祈りは虚しくなります。
- 205 :名無しのひつじさん:2007/09/22(土) 22:24:45 ID:sYito2/w
- 190 :まちこ ◆oCnJjkgjuU :2007/09/22(土) 22:05:50 ID:BF1u/nug
>186
第一テサロニケ5:23
あなたがたの霊と魂と体が、非難されるところのないものとして完全に守られるように・・・
☆私達は霊であり魂を持っていて体に住んでいます。
イエスを主として受け入れた方は霊が生まれ変わります。
魂は考える所で、この考える所を私達のパンである聖書を読んで、
霊に従って今までのあなたの考えを変えていきます。
聖書と一致したあなたは考えや話す言葉も神と一つになるので、
聖霊様が働くことができるようになります。
194 :まちこ ◆oCnJjkgjuU :2007/09/22(土) 22:17:24 ID:BF1u/nug
ヤコブ1:21
植え付けられた御言葉を柔和に受け取りなさい。
それは、あなたがたの魂を救うことができます。
☆魂が救われるということは、平安がくることです。
霊が救われなければ魂の平安はありません。
- 206 :名無しのひつじさん:2007/09/29(土) 20:52:33 ID:/GTeHdBk
- 93 :まちこ ◆/5twOHLits :2007/09/29(土) 00:14:46 ID:fuD6wF03
神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。
信心の秘められた真理はたしかに偉大です。
すなわち、キリストは肉において現れ、゛霊゜において義とされ、天使達にみられ、
異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、
栄光のうちに上げられた。第一テモテ3:16
- 207 :名無しのひつじさん:2007/09/29(土) 21:01:58 ID:/GTeHdBk
- 81 :まちこ ◆/5twOHLits :2007/09/28(金) 23:46:43 ID:VNlssoIa
聖書を神の言葉と信じている所をお薦めします。
人間の考えが基準でしたら、この世と変わりません。
今は良い知らせである福音を伝えている所がいいと思います。
あなたが良い教会に導かれるように祈ります。
病気を癒すことは神様の仕事です。感謝です。
こんばんは。
私は福音派の教会へ行くことをお勧めします。
祈ってます。
47 :まちこ ◆/5twOHLits :2007/09/28(金) 14:03:44 ID:VNlssoIa
天地の主であられる父よ。あなたを褒め称えます。
これらのことを、賢い者や知恵のある者に隠して、幼子たちに現してくださいました。マタイ11:25
☆神様、私達をいつも幼子のようにイエス様の御言葉についていけますように。
御言葉で満たされ、兄弟姉妹を御心のままに愛することができますように、
イエス・キリストの御名によってアーメン。
26 :まちこ ◆/5twOHLits :2007/09/27(木) 20:22:15 ID:XihPV3zu
今日、四年前に、肺癌を患って、余命3ヶ月と言われた方がきました。
イエス様に癒された3ヶ月後に体重が十六キロも太って来て以来のことです。
彼は大きな声で、絶対にイエス・キリスト様だ。
俺が、治ったのが証拠だ。俺しかわからないけど、イエス・キリストは本物だとみんなに伝えています。
今日は離婚しそうな甥の嫁さんを連れてきて、なんとか話しをてくれと来ました。
信仰に満ち溢れた彼の顔に神の栄光が現れていました。
- 208 :名無しのひつじさん:2007/09/29(土) 21:26:57 ID:/GTeHdBk
-
西暦 26年 イエス 預言
1 :まちこ ◆/5twOHLits :2007/09/27(木) 09:29:58 ID:XihPV3zu
<祈り>
神との対話であり、交わりです。
神に呼びかけ、感謝し、懺悔し、隣人のために執り成しをし、お願いをします。
祈る場合、最も大事なことは、神は祈りを聞こうとして待っておられると
いうことです。心を静めて、祈りを聞こうとしておられる神に祈りましょう。 前スレ
2 :まちこ ◆/5twOHLits :2007/09/27(木) 09:39:02 ID:XihPV3zu
神様、ここに来る人達が、イエス様の愛がわかりますように、
イエス・キリストの御名前によりアーメン。
- 209 :名無しのひつじさん:2007/09/29(土) 21:36:57 ID:/GTeHdBk
-
ひとりでも多くの人たちが、福音にふれ、
イエス・キリストの救いにあずかることができますように、
お祈りしていきたいと思います。アーメン
- 210 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:14:11 ID:/GTeHdBk
- 96 :とんび:2007/09/30(日) 11:39:09 ID:m+PtkLfh
ごくごく初歩的なことかもしれませんが、質問させてください。
創世記4章のカインとアベルに関する箇所なのですが、三節に
「カインは土の実りを主のもとに献げ物として持ってきた。アベルは羊の群れ
の中から肥えた初子を持ってきた。主はアベルとその献げ物には目を留めら
れたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。」
とあります。なぜカインとその献げ物には目を留められなかったのでしょうか?
アベルは自分の羊の群れの中から、「肥えた」初子と書いてあるように、より良質
の羊を選んで献げています。けれどもアベル必ずしもは良質とは限らない「土の
実り」を持っていった。つまりカインは良質なものを手元に残しておきたいというよ
うな欲に打ち負け、そして神はそれを知っておられ、そのために目を留められなか
った、自分ではそう解釈しました。
適切な解釈がありましたら、お教え下さい。
104 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/30(日) 13:56:13 ID:oeMOpgFq
とんびさん、ご自身の解釈に自信をもってください。
神への献げ物は、一番良いものを献げるべきです。
あなたの解釈は少しも間違いではないと思います。
それどころか、この部分は一番重要だとさえいえると思います。
誰でも自分の命までも神のために献げるのでなければ、
イエスの弟子とは言えないからです。
農耕をしているからといって、それでバアル信仰者となるのではありません。
農耕は、神がすでにアダムに命じていることなのですから。
- 211 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:19:15 ID:/GTeHdBk
- ■創世記3:23
そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。
バアルと創世記とが関係ある、と考えるほうが少数派というか、変わった考え方なのですから
いろいろなことを書く人がいても、あまり気にする必要はないのです。
バアルというのはカナンの神(このあたりのことは旧約聖書を読めばすぐわかります)ですから
モーセ時代より、ずっと以前の創世記にバアルを登場させるというのは、普通では考えられないはずです。
125 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/30(日) 18:52:10 ID:oeMOpgFq
旧約の神と、バアルやモレクなどの神を同列に扱って考えること自体が
大間違いであると、僕は考えます。
旧約の神が、アベルの献げ物を受け入れ、カインの献げ物を受け入れなかったのは
献げ物を捧げる、兄弟の気持ちに違いがあった、と考えるのが普通です。
ここで、バアルだの何だのを結びつけたりするようなことは、
知者と自惚れた愚かな人がするようなことです。
126 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/30(日) 18:53:55 ID:oeMOpgFq
聖書を読むときには、素直に、その本然を掴み取るべきです。
つまらないひとりよがりの知識を無理やりに
当てはめようとしたりすべきではありません。
そのようなことをしても、時間つぶしの役にしかたちません。
- 212 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:20:18 ID:/GTeHdBk
- 129 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/30(日) 19:05:42 ID:oeMOpgFq
ここの質問箱は、無神論者とキリスト教を批判するものと
おかしな知識ばかりある人、そうした人の溜まり場となっています。
ですから聖書を読み始めたばかりの人や、クリスチャンでも聖書を
あまり読んでいない人には、ふさわしくない場所だと思います。
ある程度、自分で聖書を読んできた人にとっては、
「ああ、馬鹿なことを書いているな」と思えることでも
自分で聖書を読んできていない人には、何か偉いことでも教えてもらった
ように感じてしまうのかもしれません。
とにかく、ここの質問箱でまともな回答を期待することは困難です。
聖書をまともに受け入れているのは、わたしダニエルと、
ごく少数の人しか、現在ここの質問箱に書き込んでいません。
143 :神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 21:49:02 ID:mil4mImM
イエスの再臨って無いんでしょう?もし、イエスが
再臨するって話を信じてる人がいたら聴いてみたいんですが、
それって、どこの誰なんですか?それとも、まだ判明してない
とか、あるいは、知ってるけど極秘事項なの?
145 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/30(日) 22:10:50 ID:oeMOpgFq
再臨というのは、イエス以外の人が来るのではなく、
『復活のイエス』が裁き主として、来られることを言うのですよ。
ですから、イエスの再臨は「世の終わり」になるのです。
現在の天と地も、滅びます。 そして永遠の天と地とが現れます。
- 213 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:21:27 ID:/GTeHdBk
- また、再臨のイエスは「裁き主」であるとともに「救い主」です。
すなわち、以下のように聖書に書いてあります。
■ローマ 11:26
こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。
すなわち、次のように書いてある、
「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。
そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、
彼らに対して立てるわたしの契約である」。
このように、ヤコブすなわちイスラエルから不信心が払拭されて
すべての目がイエスを認めるようになるときがきます。
これはイスラエル、つまりユダヤ人の悔い改めです。
そして、この救い主は「シオン」つまりイスラエルの地から
現れることになっています。
ですから、韓国人のメシアとか、イギリス人のメシアとか、
フランス人のメシアなどという人物は、すべて偽者であるのです。
イエスが2000年前に、普通の人として生活していたときのようではなく、
再臨のイエスは、誰の目にも、はっきりとわかるように来るのです。
■黙示録 1:7
見よ、その方が雲に乗って来られる。
すべての人の目が彼を仰ぎ見る、
ことに、彼を突き刺した者どもは。
地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
- 214 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:25:41 ID:/GTeHdBk
- 150 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/30(日) 22:27:14 ID:oeMOpgFq
また、再臨のイエスは誰の目にも明らかにわかる形で
来る、ということが、以下の聖句からもわかります。
稲妻がひらめき渡るように、人の子も来る、と書いてあります。
■マタイ 24:25
あなたがたには前もって言っておく。
だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。
また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。
152 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/09/30(日) 23:03:15 ID:oeMOpgFq
>151
>マジで言ってるのならイエスの再臨とは何か、何がどうなるのかを
>説明する義務があるんだよ...
すべて聖書に書いてありますので、
よくよく聖書をお読みになってみてください。
- 215 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:31:27 ID:/GTeHdBk
- 183 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 08:30:03 ID:EMhKzmpg
>163
>ちなみにマタイの24章は、神殿の崩壊、すなわちユダヤ戦争(70年)の預言ですので、
>われわれが生きている遠い未来の預言ではありません。
>イエスが『神殿を指し示して』語っているので注意です。
かつての古い解釈では、そうした解釈をした人たちもいました。
しかし実際には、エルサレムの神殿は完全には崩壊していないのです。
『嘆きの壁』と呼ばれる、第二神殿の一部が現在でも現存しているのです。
世の終わりの時には、神殿は完全に破壊されていなければなりません。
すなわち聖書には次のように書いてあります。
■マタイ 24:1
イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。
そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。
その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、
「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、
世の終りには、どんな前兆がありますか」。
>160
>1.ヤコブはイスラエルの比喩ですか?
比喩ではありません。
ヤコブとイスラエルは同じなのです。
創世記32:28 をご確認ください。
- 216 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:33:01 ID:/GTeHdBk
- 2.シオンとイスラエルは比喩じゃないのですか?
シオンというのは、本来は聖なる山のシオンを指す言葉ですが、
転じてイスラエル全体のことも指します。
シオンについては、旧約のダビデのところをお読みください。
■第二サムエル 5:7
ところがダビデはシオンの要害を取った。これがダビデの町である。
>3.イスラエル民族は凶悪犯も救われるのですか?
救い、というのは神を受け入れることを指しております。
>4.イスラエル人ってイスラエル国民のことですか?
もちろんそうです。
>5.だとしたら14万4000人?っていうのは比喩ですか?
これはおそらく比喩なのです。
12は完成を表す数字です。でしから12X12というのは
イスラエル12部族の完成を意味する数字なのです。
>6. 比喩だとしたら、実際に救われる人はどのくらいなのですか?
14万4000人以外にも救われる人は大勢いますよ。
よくよく聖書の黙示録をお読みください。
- 217 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:37:38 ID:/GTeHdBk
- >7. 彼を突き刺した者どもっていうのは比喩ですか?
イエスを受け入れなかったものは、イエスを突き刺したのです。
どうか、全身全霊をかけて、ご自身で聖書をお読みになってください。
これは学校の勉強とは違うのです。
どこが違うかといえば、「正解」を知ればOKではないところがです。
自分自身で、聖書を読み、自分自身で回答を得なければなりません。
ですから、他人から聞くだけでは、まったく意味がないということになります。
197 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 15:52:41 ID:EMhKzmpg
>191
>ヤコブの後孫であるイスラエル民族全体を「ヤコブ」と表現したわけですね。
そうではなく、ヤコブ=イスラエルなのです。
ヤコブは、神と格闘したときに『イスラエル』という別名をもらったのです。
このイスラエルから、後のイスラエル12部族が生まれました。
ですから、イスラエルというのは、そもそもヤコブのことなのです。
>191
>とすると、「シオン」や「イスラエル」も土地や民族としてのイスラエルではなくて
>「篤実な信者のこと」とか「世界全体」だとか、もっと幅を広げて考えても良さそうな気もするのですが。
異邦人のキリスト教会は、ずっとそのように解釈してきました。
つまり、クリスチャンである自分たちこそ、現代のイスラエル民族なのだ、
という解釈です。これを置換神学と言います。
今までは、この置換神学の考え方が、ずっと主流でした。
なぜならユダヤ人は離散し、イスラエルという国も消滅していたからです。
- 218 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:39:55 ID:/GTeHdBk
- >4.イスラエル人ってイスラエル国民のことですか?
>>もちろんそうです。
>イスラエル国民の中にはユダヤ人も、アラブ人もいるし、移住者のほとんどは?混血で
>肌の色も白から黒までいることを考えると「イスラエル国民」と、「国」で切ってしまっていいのか、
>あるいは「血」で切るか、「宗教」で切るか、「キリスト教信仰の篤実さ」で切るかって曖昧な気がしますが。
ユダヤ人かどうかは「血」で決まります。
ですからユダヤ人を自称していても、ユダヤ教を信じていても
ユダヤ人の血統を持たない人は、神から見ればユダヤ人ではないのです。
聖書において、血統というのは、非常に重要です。
>160
>8. 雲は比喩じゃないのですか?
雲というのは、おそらく聖徒の群集のことです。
以下の聖句をご確認ください。
■ユダ 1:14〜15
アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、
「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。
それは、すべての者にさばきを行うためであり、
また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、
さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。
- 219 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:41:58 ID:/GTeHdBk
- 204 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 17:30:25 ID:EMhKzmpg
>160
>9.イスラエルの血統に1人くらい?他の民族の血が混ざっていても大丈夫なのですか?
混血していてもユダヤ人の血が流れているのだからユダヤ人ですよ。
>10.イスラエル在住の外国人は見ることができないのですか?
すべての人が、その目で見ることができます。
すなわち、以下のように書いてあります。
■黙示録 1:7
見よ、その方が雲に乗って来られる。
すべての人の目が彼を仰ぎ見る、ことに、彼を突き刺した者どもは。
地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
>160
>11.もし、見ることができたなら同じように救われるのですか?
>それとも、いまさら悔い改めたって遅いって感じですか?
この聖句を読んだなら、今、悔い改めてください。
悔い改めが無理でも、聖書を理解できるように神に祈ることです。
そうしたことをおすすめします。
誰が救われるか、救われないかは、神のご判断の範疇です。
216 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 20:03:59 ID:EMhKzmpg
>211
置換神学は、まだ主流です。
なお、あなたの書いたローマ9:6 は、置換神学を正当化しないと思います。
以下にローマ9:6〜 を書いておきますので、よくよくお読みくださいませ。
- 220 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:46:01 ID:/GTeHdBk
- ■ローマ9:6
ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。
イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、
また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。
かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」
すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、
子孫と見なされるのです。
217 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 20:08:32 ID:EMhKzmpg
>211
>>ユダヤ人かどうかは「血」で決まります。
>「血」ですか。ということはイスラエルの 「国土」 という地理的拘束はないわけですね?
>これも、上の 「肉の子が。。。」 がちょっと引っかかりますが。。。。
「国土」は別のことと関係しています。
ユダヤ人かどうかは、国土とは関係ありませんよ。
なお、あなたが疑問に感じていた以下の聖句は、
アブラハム契約のことを指しているのです。
詳しい説明はいたしませんので、ご自身でお調べになってみてください。
「肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、
子孫と見なされるのです。」
234 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 23:25:40 ID:EMhKzmpg
>231
>ここで聖徒というのは霊と考えていいのですか?
霊の体で復活した聖徒であろうと思います。
- 221 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:50:03 ID:/GTeHdBk
- >この東から西というのは、イスラエル国内のことですか?
>それとも世界中を意味しているのですか?
全世界のことであるはずです。
236 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 23:30:15 ID:EMhKzmpg
>230さん >233さん
以下のイエスの言葉を無視するおつもりですか?
■マタイ 24:1
イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。
そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。
その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
ここでイエスが言っておられる神殿とは、
まぎれもなく第二神殿のことです。
なおかつ、その神殿の石がひとつも他の石の上に残ることがない、
とイエスは言っておられますが、それはまだ実現していないのです。
つまり、将来的にイスラエルが徹底的に破壊されるときが来るのです。
237 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 23:33:47 ID:EMhKzmpg
特に「るーしぇ君」という人に聞きたいのですが、
神殿が崩壊する、ということが肉体の神殿のことを指すのであれば
「石がひとつも他の石の上に残らないときがくる」というイエスの言葉は
どういう意味だと思うのですか?
そこまで説明できないのであれば、あなたの言っていることは、まるで
根拠のないことだと思います。
- 222 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 20:51:06 ID:/GTeHdBk
- >230
>「これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない」(マタイ24:34)と言ってあるように、
>「この時代」すなわち、イエスが生きていた同世代の人たちが滅びる前までに起こると纏めてます。
イエスの言う「この時代」というのは、
後にくる新しい時代に対して言っておられるのです。
つまり、まだ現在も「この時代」に決まっています。
あなたが「この時代」とはイエスの生きていた時代だ、
という根拠がどこにあるのかさっぱりわからないのです。
聖書に根拠がないのに、なぜ「すなわち、イエスの生きていた同世代」などと
あなたが書いているのか、さっぱりわかりません。
240 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/01(月) 23:38:46 ID:EMhKzmpg
聖書に根拠がないことについて
自説を語るものは、すべて愚か者です。
250 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/02(火) 01:04:07 ID:7vRSZu7K
>247
>キリストの十字架にはどんな意味が込められてるんですか?
十字架の縦のラインは、神と人との愛を
十字架の横のラインは、隣人どうしの愛を
それぞれ表し、この二つの愛の完成した形を
十字架として表しているのです。
そして、これは「自分自身を殺す」ことでもあります。
- 223 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 21:01:57 ID:/GTeHdBk
- >[キリストの十字架]を持っていても効果はあるんですか?
どのような効果について聞いておられるのかわかりませんが、
悪霊に対して、この十字架は効力があるようです。
265 :長老派 ◆uiEg7tVQ1U :2007/10/02(火) 08:14:50 ID:P1VJyqMb
>キリストの十字架にはどんな意味が込められてるんですか?
>持っていても効果はあるんですか?
人間の罪の為に身代わりとなった「愛」の象徴です。
持ってるだけでは何の効果もありません。十字架の意味を知り
イエス様の愛を忘れないために持っているのがよいでしょう。
251 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/02(火) 01:06:14 ID:7vRSZu7K
>248
>>混血していてもユダヤ人の血が流れているのだからユダヤ人ですよ。
>これは、イスラエル人(血統)でさえあれば、個人の罪の大きさや努力とは関係なく、すべてチャラに してくれるということですか?
どうして、そう思われるのかがよくわかりませんが、
人は悔い改めるなら、誰でも神の憐れみにより、赦しを得ることが出来るものと思います。
252 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/02(火) 01:17:39 ID:7vRSZu7K
>>249
>「絶えず祈りなさい」 などと聖書で言われているような「個人の努力」 の勧めに関しても
少し思い違いをしておられるようです。
「絶えず祈ること」は、努力しておこなうようなことではありませんよ。
これを言い換えるなら「絶えず神を愛すること」と言ってもよいと思います。
恋愛している人が、好きな人のことを始終思い巡らすように、
常に神を意識して、神に祈りを捧げることは美しいことです。
- 224 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 21:04:11 ID:/GTeHdBk
- 288 :長老派 ◆uiEg7tVQ1U :2007/10/03(水) 08:11:06 ID:VHfpaFoZ
>281
>サッカーのロベルト・バッジオは、若い頃の怪我がきっかけで創価学会に入信
>創価へ走ったことも、キリスト教の神の導き・計画でしょうか?
いいえそれは神様の計画ではありません。
キリストとの関係を引き離すものは全て悪魔の攻撃です。
294 :長老派 ◆uiEg7tVQ1U :2007/10/03(水) 17:36:21 ID:n1jWYpKg
>289
>肉が滅びた後、霊はどこにとどまるのでしょうか?
主イエス・キリストを信じた者は肉体が滅びるとパラダイスに行きます。
信じない霊はハデスに逝きます。
301 :長老派 ◆uiEg7tVQ1U :2007/10/03(水) 20:12:51 ID:SpGd6oIl
>295
うきゃん君ギリシャ語は得意かな?新約聖書はギリシャ語で書かれており、
ハデスを調べれば聖書に書かれてある意味がわかると思います。
ハデスの訳はお墓、よみ、暗い、死者がいくところ、穴底、の意味があります。
またギリシャ国立アテネ大学 神学部新約学教授のマルコス・シオーティスが
書いたギリシャ語辞典に死者の霊と書いてあります。マルコス教授はギリシャ人
であり神学部新約学教授でもっとも権威があります。
パラダイスについては新約に3回出てきて説明は必要ないかと思います。 v(^_^)
- 225 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 21:08:56 ID:/GTeHdBk
- 304 :長老派 ◆uiEg7tVQ1U :2007/10/03(水) 20:35:38 ID:SpGd6oIl
>302
イザヤ14・9下界のよみは〜死者の霊たち とミトラス以前の旧約にも書かれています。
ここで死者の霊はヘブル語でルパイム死んだ人という意味です。
箴言9・18 しかしその人は、そこに死者の霊がいることを、彼女の客が
よみの深みにいることを、しらない。 同じくミトラス以前に書かれています。
他にも何カ所かあります。
>305 主イエスキリストを信じない霊が地獄に行くとはとうてい読み取ることができません。
ちょっと待った、まずハデスとゲヘナを混同してませんか?
捌きの時まではパラダイスとハデスに分けられ、終わりの日に天国と地獄に
さらに分けられます。ルカ8・31悪霊が「底知れぬ所には行けとはお命じ
になりませんように願った」このように違う所であるのがわかると思います。
イエス・キリストを信じる者は天国にいけます。という事は信じない人は
天国に行けない。つまり地獄に行くと読み取ることができます。
372 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/05(金) 09:00:24 ID:lT5O3oA9
>356
>何も考えていらっしゃらないのですか? ユダヤの血、選民、救い、再臨など。。。の解釈に
>絶対的確信をもっておられるように感じたのですが。。
あれこれ考えるということは確信がないからではないでしょうか。
>354
>「イエス・キリストを信じる」というのは、具体的にどういうことですか?
そういうことを、他人から聞けると思いますか?
もし、あなたが本気であるのなら、ご自身で聖書を読み
あなた自身が聖書から、そのことを学んでください。
- 226 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 21:11:14 ID:/GTeHdBk
- >363
>ダニエルさんが教えてくださった聖句と解釈によると、すべて救われますね。
>ただし、イスラエル=ユダヤ人(血統)と解釈したとき。。。
あなたの一連の書き込み内容を見ると、
誰が救われて、誰が救われないのか、ということばかりです。
そして、無条件にイスラエルに救いがあるようなことは不合理だ、と
いうような意味合いのことを書かれているように受け取れました。
そうした一切が、すべてあなたの思い違いなのです。
誰が救われて、誰が救われない、とかいうことに興味を持つべきではないのです。
そうしたことは、神の範疇にあることなのです。
少し長いですが、以下にイエスとペトロの問答を聖書から引用しておきます。
■ヨハネ福音書21:18〜21:23
はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。
しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。
このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、
ほかの二人の弟子が一緒にいた。
ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。
この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、
「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。
ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。 イエスは言われた。
「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。
あなたは、わたしに従いなさい。」 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。
しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、
わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。
- 227 :名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 21:13:58 ID:/GTeHdBk
- 383 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/05(金) 10:52:14 ID:lT5O3oA9
信仰による義については、あれこれ他人のことについて語るべきではないのです。
以下の聖句を、ご確認ください。
誰が救われるか、誰が救われないか、とは言うべきことではありませんよ。
以下の聖句をご確認くださいませ。
■ローマ 10:5〜7
モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。
しかし、信仰による義については、こう述べられています。
「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。
また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。
390 :長老派 ◆uiEg7tVQ1U :2007/10/05(金) 16:09:11 ID:0tXMtLGS
>354
>「イエス・キリストを信じる」というのは、具体的にどういうことですか?
具体的に言うとイエス様が人間の罪の身代わりとなり、十字架にかかった事、
救い主であること、神の御子であること、聖書に書かれてあるイエス様が言
われた事を信じる事です。
- 228 :名無しのひつじさん:2007/10/27(土) 20:27:32 ID:/GTeHdBk
- 39 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/10/22(月) 18:21:17 ID:WVLTtR89
>36
>天国と地獄は存在するんでしょうか?
>輪廻転生はキリスト教の考えにあるのでしょうか
最終的には、あなたご自身で聖書をお読みになり、
確認していただきたいと思うのですが、
「天の国」についてと、「地獄」についての記述が聖書にはあります。
輪廻転生という思想は、イエスの教え及びキリスト教にはありません。
旧約聖書においても、輪廻転生の思想はありません。
しかし、ユダヤ教およびユダヤ教の影響を受けているグノーシスなどには
輪廻転生の思想はあります。
これはどういうことかといいますと、ユダヤ教というのは、
旧約聖書に基づいていない教理をも含んでいる宗教だからです。
>47
>グノーシスの何派ですか?バレンチノス派きユダヤ教の影響は少ないと
>思います。ユダヤ教の影響が強いと言うと、セツ派とかバーベーロー派
>だと思いますが、輪廻転生があったかどうか疑問ですw
グノーシス思想というものをあなたはご存知なのですか?
グノーシス思想というものは、プラトンの影響を受けているのです。
プラトンは輪廻転生について説いているのです。
なお、ユダヤ教においては、カバラの書「ゾハール」において
輪廻転生は語られています。おそらく、これもプラトンの影響だと思います。
- 229 :名無しのひつじさん:2007/10/27(土) 21:28:23 ID:/GTeHdBk
- 輪廻転生を信じている「仏教徒」の人たちの人間観・世界観と、
わたしたち「キリスト教徒」のそれはもちろん違うのですが、
そのような観点からも話をしてみたいですね。
- 230 :名無しのひつじさん:2007/10/27(土) 22:07:43 ID:/GTeHdBk
- 〜〜良スレッド・良レス〜〜
2ch.net「聖書を根底から学ぶスレ その2」ダニエル氏のレス
- 231 :名無しのひつじさん:2007/10/29(月) 23:10:59 ID:njGGp7Xw
- 132 :名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 15:02:09 ID:OWBtpOiD
レムナント出版というところが、従来の日本のキリスト教が扱わんかったネタの出版物を
打ち出しています。
このレムナント出版の本とかは売れて黒字なんでしょうか?
そもそもプロテスタントのキリスト教なんでしょうか??
ーーーーーーーという質問に対してーーーーーーーーーーーーーーーー
133 :ОРАСЙОН:2007/03/04(日) 09:53:47 ID:bzuQDXCO
>>132
レムナント出版は、実質、久保有政・池袋キリスト教会(単立)牧師による、
個人営業(伝道)みたいなものですね。
毎月『レムナント』を出したり、ハードカバーの本を出版したりしてますが、
経営的にはどうかは分かりませんね。(実質、伝道的にもなかなか浸透している様子は無いかと)
ちなみにレムナント出版は『福音的なキリスト教』と称していますが、
『プロテスタント』と位置づけているということは訊いたことがありません。
実際彼によって展開していることは、プロテスタントどころか、
西方教会の枠を大きく超えていますから、そう言えないのは事実でしょう。
- 232 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:18:58 ID:l6VTH9BU
- ☆良コテハンのレス
↓
372 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/25(日) 16:19:41 ID:6dHm1Pjf
イエスの十字架により罪を赦された人たちはなんと幸いなことか。
時は刻々と近ずいています。あなたもイエスのファミリーになりませんか?
もう少しで神の大宴会の招待席は満席になります。
いまならまだ間に合います。(^^)
神の大宴会で喜び楽しむには?
はい、とてもカンタンです。その方法とは?
いますぐ心のなかでイエスキリストがあなた(読者)のために十字架にかかり
あなたの身代わりになり死なれ、そして3日目に復活された!それによりあなたの罪汚れを
完全に取り除いてくださったと信じるだけです。たったこれだけです。
これで神の大宴会で罪のない者として堂々と楽しむことができます。
どうですか?カンタンでしょう。(^^)
☆トンデモバカのトンデモレス
↓
381 :神も仏も名無しさん:2007/11/26(月) 10:52:41 ID:lY8eTIKO
あのね、イエスを信じたからとかそんなもんで救われないの。
そんなの常識。古いキリスト教をまだ語っててはずかしくないの?
☆良コテハンのレス
↓
382 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/26(月) 15:54:13 ID:juQb0SPf
イエスキリストの言葉
わたしは門です。わたしを通してでなければ
だれひとり父(天の神である創造神)の元に行くことはできません。
(^^)(^^)(^^)
- 233 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:21:55 ID:taPIsFPg
- 389 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/26(月) 22:15:43 ID:juQb0SPf
なぜ?極悪死刑囚がパラダイス(天国)に行けたのか?その秘密を知りたい方は他にいませんか?
その秘密とは。。。
イエスさまが十字架にかかられたとき、いっしょに極悪人が2人十字架にはりつけられました。
1人はイエスをあざけりました。しかしもう1人(天国に行けたラッキーな男)は涙を流しながら
くるしまぎれにイエスにこう言いました。イエス様!!!(涙)あなたが御国で王の位におつきになる時はわたしを思い出してください。
するとイエスはその男にいわれた。まことにあなたに告げます!今日あなたはわたしと共にパラダイスにいます!!!
この手紙を読んでいるあなた(読者)!もうおわかりですね(^^)パラダイスに行くのはカンタンなことだったのです。
もういちど言いましょう。パラダイス(天国)に行くのはとてもカンタンなことだったのです。
死ぬまぎわにこの極悪死刑囚はイエスさまに(わたしのことを思い出してください)と言っただけで天国に行けました。
(みずからの罪深さを認め、悔い改め、わたしのことを思い出してください)といっただけで。
天国に行きたいあなた!いますぐ永遠の命をただでもらいたいあなた!
いますぐ天の王位についておられるイエスさまに次のように祈られたらどうでしょうか。
イエスさま。わたしを思い出してください。十字架上で極悪人をパラダイスにつれていかれたように
わたしも天国へ連れていってください。と
つまり天国にいくには、イエスさまを信じること。イエスさまに天国に連れていって
と願うこと。あなたの罪汚れはイエスの十字架により完全にとり除かれたと信じること。
イエスは十字架で死なれたあと3日目に復活され天の王位ついておられると信じること
イエスが復活されたように信じる者も復活すると信じることです。(^^)
カンタンでしょう。もういちど言いましょう。
あなたが罪のない者としてパラダイスに連れていってもらうことは
とてもカンタンなことだったのです。
極悪死刑囚でさえ一瞬で天国へ行けたのです。あなたが天国に行けないはずがない。
あなたなら天国にいける!!!(^^)
- 234 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:27:09 ID:l6VTH9BU
- 398 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/28(水) 14:21:53 ID:vsvhruDL
〜〜イエスキリストの言葉〜〜
わたしが道であり、命であり、真理なのです。
わたしを通してでなければだれ一人として父(全知全能の神)のもとにいくことはできません。
〜〜ラプチャ(空中携挙)について〜〜
片栗粉の境地という言葉をご存知ですか?
かたくりこをボールのなかに入れぐるぐるかき混ぜる。何回何十回かき混ぜても(片栗粉)かたくりこ
は白いままなんです。
ところが何十何百回かかき混ぜるうちに突然、一瞬で透明になります。
いままでの白い状態がうそのように透明になる。
ラプチャー(空中携挙)も片栗粉(かたくりこ)の境地に似ています。イエスさまを信じ何年何十年と生きてると
いつ携挙が起きるのだろうと思ってしまう。
しかしある日突然イエスさまを信じる者が復活の栄光のからだになります。まるで片栗粉が一瞬で透明になるように。
そのように一瞬で私たちの体は栄光の体になり天に引き上げられます。
これがラプチャーです。次に起こる聖書の預言はラプチャーといわれています。我われが生きている時代に成就するかもしれないし
そうでないかもしれない。しかしこの地上に大きな艱難が来る前に必ずラプチャーはおきるでしょう。(^^)
主は今も昔も大きな艱難が起きるときは、まずはじめにご自分の民を守られました。ですからイエスさまを信じている者はいつも喜びを
もってラプチャーを待ち望むのです。(^^)
403 :○○○ ◆oPXbhrKCUQ :2007/11/28(水) 18:23:53 ID:NC85bbRJ
(わたしは)アブラハムが生まれる前から‘わたしはある、と仰せられる方を礼拝し賛美している者です。
わたしは主にあるファミリーの1人ですよ。
しかもイエスといっしょに十字架につけられパラダイスに行った極悪死刑囚と同じ罪びとです。
誇れるものは何もありません。ただ主イエスを誇り、
イエスさまによって罪赦されたことを心から父である神に感謝しているのです。
- 235 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:29:18 ID:taPIsFPg
- 414 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/29(木) 16:20:31 ID:Qzf0kQt9
>ラプチャーの件ですが少しだけ追伸です。聖書の第一テサロニケの手紙に[今引き止めているものがある]と
>ありますが、これはなんなのでしょうか?
はい、[今引き止めているもの]とは神の聖霊です。このことは教会であまり話されないのですがラプチャーを望むなら
ポイントになる聖句とおもいますがどうでしょう。
再臨の聖書見解はいろいろありますが次のようになるかと思います。
まずラプチャーという聖書預言が成就する。その後、地上は艱難時代に入り、
大艱難時代の終わるハルマゲドンの戦いの途中で、栄光の復活体でイエスが
ラプチャーされた者たちと共に再臨する。という流れ。。。
それと「アブラハムが生まれる前からわたしはある」についてですが、
この方はイエスキリストのことです。とくに注目していただきたいのは
「わたしはある」という言葉です。この意味はヤハウェを意味します。
さらにヤハウェとは全知全能である天地万物の創造神という意味があります。
つまりイエスさまは「わたしはある」と言われたことによってわたしは
全知全能の神であるヤハウェであると認められたのです。
- 236 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:42:49 ID:l6VTH9BU
- 〜〜良スレッド・良レスの紹介〜〜
↓
☆「聖書を根底から学ぶスレ その3」のダニエル氏のレスポンス
★「ココモスキー ◆」の駄レスは読む必要ありません。
ここは聖書に興味のある人が、聖句を根底から一歩一歩
亀のようにゆっくりと共に学んでいくためのスレッドです。
何もわかっていない人は、はじめから「東大進学コース」に行くのではなく、
「基礎クラス」で学ぶべきです。 「基礎クラス」でも追いつかない、理解できない、
という人が行くのは 「根底クラス」であるべきです。
ここは、そんな人たちが集まる「聖書を根底から学ぶスレ」です。
基本的には創世記から黙示録まで順々に細かくやっていこうと思います。
聖書を信じている人のみ参加可能です。
聖書を信じていない人の投稿はご遠慮願います。
ホスト役&まとめ役は、スレ主ダニエルが行うつもりです。
では、ゆっくり楽しくいきましょう。
前スレ:聖書を根底から学ぶスレ その2( WEB魚拓 )
http://s02.megalodon.jp/2007-1031-1320-29/life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191420026/
- 237 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:54:23 ID:taPIsFPg
- 179 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/11/08(木) 11:27:40 ID:JNiArHuu
>皆さんはなぜ異論を唱える人を攻撃するんですか?
意義を唱える人を攻撃するのが悪いという、あなたの価値観は
どこで学んだものであるか、考えたことがありますか?
それは、もしかすると親であったり、学校で教わったりしたのです。
つまり、民主主義の考えというものは、次のようなものです。
※【たとえ間違った意見であったとしても、それを主張することは
悪いことではないし、主張する権利は守られなければならない。】
つまり、民主主義というものは、
すべての人に「発言する自由と権利」を与えているのです。
この思想を私たちは小さな頃から頭にたたき込まれていますし、
その思想は正しい、と思い込んでいます。
ですから、この民主主義という思想に疑いを持つ人というのは
ほとんどいないし、ある種の偶像にさえなっているのかもしれません。
しかしながら、世の中には「間違った意見や見解」というものも
存在しているわけです。
従いまして『何を言ってもよいし、何を言っても許される』
というのは、少々無責任な考え方だ、ということになると思います。
どんな事柄にも、様々な見解というものを持ち込めますから
それれを、いちいち一つづつ相手にしていたなら、わけがわからなくなってしまうのです。
このために、「民主主義」は多数決という解決策を提示しているわけです。
しかし、「多数決」をとり、
多くの人が認めた意見=正しい意見 というわけには
なかなかいかない、ということがあります。
そのために、裁判制度というものがあり、
裁判官とよばれる人が、判定する仕組みになっています。
- 238 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:55:32 ID:taPIsFPg
- >>237よりつづく
つまり、それが「法」というものなのです。
「ルール」と言い換えてもよいと思います。
この「法」というものは、絶対ではありませんが、『基準』となるものではあります。
多くの人のセンスが、「それでいいだろうな」と思えることが
コモンセンスであり「法」の土台となっているのです。
「法」というものの土台は、その地域の人たちの
コモンセンスですから、「法」は民族や国によって
異なるものとなるのが必然なのです。
このように「法」とは絶対的なものではありません。
このスレッドも、ある特定の地域とかにたとえるとすれば、
ここのスレッドにおける「コモンセンス」があるはずです。
それに反することを堂々と行うことは、「法」を破ることと同じであり、
「ルール」を無視したり軽視したりすることと同じなのです。
つまり、そのコミュニティ内に混乱をもたらす結果となるのです。
そういうわけですから、ココモスキーさんの意見が悪いとかどうとかいう以前の問題として、
ここのスレッド内で、アンチ聖書、アンチ・キリスト的な意見を書き込もうとする
ことが、ルール違反なのであって、そうしたことは慎むべきなのです。
ココモスキーさんに対して、お前はどこでも一切発言するな、と言いたいわけではなく、
しかるべき場所で、そのようなことを行うべきであるということです。
そうでなければ、混乱やわけのわからないスレッドになってしまうことは避けられません。
- 239 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 11:56:39 ID:taPIsFPg
- >>237-238よりつづく
187 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/11/08(木) 12:01:03 ID:JNiArHuu
>わけ隔てなく接するのが教えのような気がします。
聖書の教えが、あなたの言うように
「わけ隔てなく接するのが教え」、とは到底思えないのですが、
もしそうだとしても、わけ隔てなく接するとは、相手のことを
リスペクトして尊重することが大切なのであって、「何をやろうが、
何を発言しようが、おかまいなし」というのが、「わけ隔てなく接する」という
ことではないように思います。
以上、これであなたへのレスは終わりといたします。
- 240 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 12:22:21 ID:l6VTH9BU
- ○○○◆oPXbhrKCUQへ
>>233のレスのなかに「くるしまぎれに」イエスへ言った、とあるが、
その言葉はいったいどういう意味で使ったのだろうか?
もしその犯罪人が、心証を良くしようとして主に、
心にもないことを「くるしまぎれ」に言ったのだとしたら、
彼が救われることはなかったであろう。
彼が「思い出してください」と刑死のきわに言えたのは、
イエスという男を、神の子キリスト、救い主であることを、
信じて受け入れたからこそではないか。
彼が自らの罪深さをを認め、悔い改める心をもっていたから、
しいては神を慕い求める心を持つ「散らされている神の子」であったからこそ、
信仰告白をして救われることができたのだ。
苦し紛れに、口先で、心にもないことを告白して生きるようなことをさして、
「信仰に歩む」というのではもちろんない。
聖書の御言葉にもあるように、主は、
「散らされている神の子を再び集めるために」世にこられた。
なぜなら「散らされている神の子」は、
主イエス・キリスト−神の御声(御言葉)を聞き分け、信じることができるからだ。
主はまごうことなき良き羊飼い−神の子キリスト、なのだから。
- 241 :名無しのひつじさん:2007/11/30(金) 12:46:25 ID:l6VTH9BU
- 今日のレスは、>>232-241です。
>ここのスレッド内で、アンチ聖書、アンチ・キリスト的な意見を書き込もうとする
>ことが、ルール違反なのであって、そうしたことは慎むべきなのです。
>しかるべき場所(違うスレッドで)そのようなことを行うべきであるということです。
まったくそのとおり。
相手にしない、スルーする、のがよいでしょう。
というよりココ○○○のレスはあんまり読まれていないようですが。。。
当然ですね、そこは信仰者の視点で「聖書を学ぶ」スレッドなのですから。
信仰をもつことに関心のない人間が立ち寄るような場所ではない。
- 242 :名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 20:30:24 ID:/GTeHdBk
- 423 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/11/30(金) 16:30:56 ID:ANsLJ/Ir
イエスが十字架の死刑判決を受けたとき、多くのものは嘲笑い、弟子たちはみな逃げた。しかし...
3日目に死人の中から復活され、たくさんの人々の前に姿を現された時彼らは...
復活を最も疑っていた弟子の1人が言った。わが主、我が神!
イエスはその弟子にいわれた。
あなたはわたしを見たから信じたのですか?見ずに信じるものは幸いです。
- 243 :名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 20:33:46 ID:/GTeHdBk
- 461 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/02(日) 18:36:54 ID:NEnrddbs
ヘブライ人への手紙より
だから、自分の確信(イエスへの信仰)を捨ててはなりません。
この確信は大きな報いがあります。
神の御心を行って約束されたものを受けるためには忍耐が必要なのです。
「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。
遅くなることはない。わたしの正しい者は信仰によって生きる。
もしひるむようなことがあれば、そのものはわたしの心にかなわない。」
しかし、わたしたちは、ひるんで滅びるものではなく、
信仰によって命を確保するものです。
ヘブライ人への手紙10章35〜39節
バイブル エフェソの信徒への手紙より(^^)
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、
救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された
聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保障であり、
こうして、わたしたちは贖われて神の者となり、神の栄光を
たたえることになるのです。
エフェソ 1章13〜14(^^)
- 244 :名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 20:37:29 ID:/GTeHdBk
- 473 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/03(月) 21:05:56 ID:m0o4K1QI
バイブル ヨハネの手紙より
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、
真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公けに言い表すなら、神は真実で正しい方ですから
罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
ヨハネの手紙1章8〜9節
474 :神も仏も名無しさん:2007/12/03(月) 21:08:27 ID:sQhFHhkJ
俺の罪なら2chでさえも、収まりきれないだろ。
477 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/03(月) 21:38:49 ID:m0o4K1QI
>474 そんなことはありません(^^)
聖書にはこう書いてあります。
「たとえあなたの罪が血のように赤くても、雪のように白くなる。」
バイブル ヨハネの手紙より (^o^)
イエスがメシアと信じる者は皆、神から生まれたものです。そして、生んでくださった方を
愛する人は皆、その方から生まれた者を愛します。
このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟(おきて)を守る時はいつも、
神の子供たちを愛します。
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
だれが世に勝つか。イエスが神の子と信じる者ではありませんか。
ヨハネの手紙5ー1〜5 (^o^)
- 245 :名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 20:39:31 ID:/GTeHdBk
- 490 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/05(水) 15:44:06 ID:v9W3WgSy
バイブル ペテロ第一の手紙より (^^)
あなたがたの信仰は試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて
イエスキリストが現れる時には、賞賛と栄光と誉れとをもたらすのです。
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、いま見なくても信じており、言葉で言い尽くせない
すばらしい喜びに満ち溢れています。
それは、あなたがた信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。
ペテロ第一の手紙 1章7〜9節 (^^)
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、
汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
イエスキリストによって神の子にしようと、御心(みこころ)のままに前もって
お定めになったのです。
神がその愛する御子(みこ)によって与えてくださった輝かしい恵みを、
私たちがたたえるためです。
わたしたちは、この御子において、その血によって贖(あがな)われ、
罪を赦されました。これは神の豊かな恵みによるのです。
エフェソの信徒への手紙1章4〜7節 (^^)
- 246 :名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 20:42:12 ID:/GTeHdBk
- 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
わたしにつながっていながら実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶ者は、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことが
できないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、
実を結ぶことはできない。
わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かな実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
ヨハネの福音書15章1〜5節 (^^)
バイブル ローマの信徒への手紙より (^^)
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、
不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために
命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。
- 247 :名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 20:43:36 ID:/GTeHdBk
- それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であった時でさえ、御子(みこ)の死によって神と和解させていただいた
のであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは
神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
ローマの信徒への手紙 5ー6〜11 (^^)
イエスの言葉より
わたしの父(天の神)の御心は子(イエスキリスト)をみて信じる者が皆
永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。
ヨハネの福音書 6ー40(^^)
- 248 :名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 21:29:57 ID:/GTeHdBk
- とりあえず >>187-230と>>232-247までを追加しておきます。
今後、表題をつけて整理していきます。
- 249 :名無しのひつじさん:2007/12/09(日) 16:31:29 ID:wVd7BCCc
- http://menu.2ch.net/bbstable.html
http://thebbs.jp/null/monozygotic.html
http://ame.x0.com/
- 250 :名無しのひつじさん:2007/12/21(金) 21:30:07 ID:/GTeHdBk
- リ○ゴ氏とダ○○ル氏という立派な働き主を、
主は2ch掲示板に与えてくださいました。感謝いたします。
多くのまっとうな信仰者が喜んで祈ってくださっていることを思います。
一人でも多くの方々がイエス・キリストの救いを受け入れ、
救われることができますように。アーメン
ニューエイジ運動の流れを汲む、
今はやりの「アセンション」うんぬんにはほんとうに辟易するばかりですね。
もちろん2012年にはなんにもおこらないでしょうが。
輪廻があってもなくてもクリスチャンにとってはさして大きな意味はない。
なぜなら、輪廻によっては「罪」は解決されないからだ。
人間はほんとうに神のまえに罪深い。聖書の御言葉にもあるように、
信仰によって清いものと扱われるのであって、
自らの行いによって清いものとなることができるわけではない。
御心を「おこなう者が神の国にはいる」のは主のお言葉どおり間違いない。
しかし、御心は、ひとりひとりに「はたしておこなっているだろうか?」と、
問いかけておられるところにあるのであって、
間違っても「おこなっていればいい」「おこなっているのだから」と、
慢心させるようなところにあるのではない。
ゆえに、御心を理解する人々は、信仰によって救われることができるのだ。
なぜなら、みずからの「おこない」によっては、
けっしてみずからを救いだせないことを悟るからだ。アーメン
- 251 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 12:12:48 ID:X3j5/7jE
- 「アセンションだ、次元上昇だ」と意味不明な言葉を弄んでいる、
ニューエイジムーブメントからながれてきた新宗教が今おおはやりだが、
それらとキリスト教をごっちゃにしないでほしいと思う。
神は「未来からやってきた地球人」でもなければ「火星や金星からやってきた宇宙人」でもない。
「UFO」に乗った「神」が地球人をさらいに来るとでもいうのか。
「銀河連邦宇宙人」とはいったいなんなのか?
神はこの宇宙を創造されたお方だ。被造物ではない。
「携挙」されるのは、みずからの罪深さを認め、悔い改めの信仰によって、
イエス・キリストにつながった方々である。
イエス・キリストが神の子・救い主であることを信仰告白しない人たちが、
あずかるわけではない。
輪廻転生によって自らを救いだせるというなら、
イエス・キリストによる贖いはいったいなんだ、というのだろう。
滑稽、酷悪な嘘偽りのない「神のまえにある哀れな自分の姿」をごまかさず直視できた者だけが、
イエス・キリストの救いを感謝して受け入れることができるのだ。
神を慕い求める心を持たない者は、神のまえにある自らの罪深さを認めることができないであろうし、
罪深さがわからなければ当然、イエス・キリストの救いにあずかることの意味も理解できまい。
すなわち、神を慕い求める心を持たない者は、イエス・キリストの救いを信じることができない、
救いを受け入れて信仰に歩むことなど、罪深さがわからなければ、
なんの価値も意味もないものだからだ。
ゆえに神は「行い」によって救うのではなく、信仰によって救うことにされたのだろう。
なぜなら神は、人間と、愛によって結ばれた関係をもちたいと願っておられるからだ。アーメン
- 252 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:20:28 ID:X3j5/7jE
- 2ch.netの良スレ集です。「イエスキリスト」スレッドのり〇ご氏のレスと、
「聖書を根底から学ぶスレッド」シリーズのダ〇エル氏のレスは、
求道者の方々にとってはもちろん、信仰者の方々で、聖書の御言葉を学び、
信仰を深めていきたい、神さまとの交わりを大切にしてきたい、と考える人たちにとっても有意義なものです。
74 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/19(水) 15:36
従って、今や、キリストイエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
キリストイエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを開放したからです。
(ローマの信徒への手紙 8ー1〜2) (^^)(^^)(^^)
主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、
あなたがたといっしょに御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。
(コリントの信徒への手紙 4ー14) (^^)
イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれたものです。
そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれたものをも愛します。
(ヨハネの手紙1 5−1 )
わたしは「ひとは1度死ぬことと、死んだら裁きに会うことが定められている」
と言ったのですよ。イエスを信じるものは裁かれない。これは聖書が言ってるじゃありませんか。
そして裁かれたくないならイエスを信じよ。と言っているのですよ。
イエスは弟子たちをとうして、ご自分を現されました。イエスの言葉同様、弟子の言葉をも信じる必要がある。
イエスと弟子のことばを第一、第二にするのは聖書では言っていません。
あなたは復活とラプチャー信仰はお持ちなのですか?
わたしはイエスの十字架と復活の信仰を告白していますよ。
それと御言葉にたいする正しい認識はこうなります。
もし1つの御言葉で理解できない時は、別の御言葉の光をあてて真意を知る必要があるということです。
イエスのことばと弟子の言葉を第一とか二とかにわけるのはまちがいです。神は調和の神ですよ
- 253 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:22:23 ID:X3j5/7jE
- >>252よりつづく
155 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/19(水) 22:07:05 ID:XNi7pTPE
主を愛するものは、主によって生まれた者をも愛します。と聖書に書いてありますよ。
また、兄弟を愛する者は律法を完全に守っているとも書いてます。
「わがことばを聞いてそれを行う」は各聖書の御言葉に照らしてみると、
主によって生まれた兄弟を愛するという結論になります。
愛は律法を全うするからです。何度も言いますように愛するとはその人の存在を喜ぶことです。
あなたはわたしを愛しておられますか?
主イエスの深い愛にふれて、♪ わたしにも愛が生まれ♪♪ 主イエスを信じた時から♪
喜びの歌がたえない♪♪♪ ア ソレソレ チャチャチャ ♪
ここのすれの住人がすべて救われますように アーメン (^^)
236 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/20(木) 14:40:29 ID:Wd8DfC3g
>荒らしの某レスの内容に触れて。。。
ちょっと拾い読みしただけですが、
(神・神の子エスキリストが)「罪人とともにずっとずっと限りなくいる」、と
聖書の何所の部分に書かれてあるのでしょうか?
ニューエージと福音は根本的に違います。以って非なるものです。
その言葉の響きは甘く、何か新しくて、興味をそそられるものですが言い換えると単に
あらゆる種類の占い、オカルトの類ですね、
どれも全世界で古くから伝承されてきたもので神様は厳重に禁止されました。
243 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/20(木) 16:01:26 ID:STjcHxeN
わたしたちの主イエスキリストの父である神がほめたたえられますように。
神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
- 254 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:23:25 ID:X3j5/7jE
- >>253よりつづく
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと
キリストにおいてお選びになりました。
イエスキリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
神がその愛する御子(みこ)によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
(エフェソの信徒への手紙) 1ー3〜6 (^^)(^^)(^^)
246 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/20(木) 16:08:37 ID:STjcHxeN
従って、今や、キリストイエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
(ローマの信徒への手紙 8ー1) (^^)(^^)(^^)
罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主(しゅ)キリスト・イエスによる永遠の命です。
(ローマの信徒への手紙 6ー23) (^^)(^^)(^^)
神の子の名(イエス・キリスト)を信じているあなた方に、
これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
(ヨハネの第一の手紙) 5ー13 (^^)(^^)(^^)
キリスト・イエスは、罪びとを救うために世に来られた。」と言う言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。わたしはその罪びとの最たるものです。
(テモテへの手紙) 1ー15 (^^)
だれでも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世の知恵者だと考えているなら、
本当に知恵者となるために愚かなものになりなさい。
この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
「神は知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる。」と書いてあり、
また、「主は知者の論議がむなしいことを知っておられる。」とも書いてある。
ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。
パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも。一切はあなたがたのものです。
そしてあなたがたは、キリストのものであり、キリストは神のものです。
(コリントの信徒への手紙 3ー18〜23) (^^)
- 255 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:26:25 ID:X3j5/7jE
- 305 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 00:53:25 ID:sCM6jT2P
パウロは一貫して、信じるものは「イエスの十字架による血によって人の罪の贖いは完成した。」と述べてますよ。
逆にこのイエスの十字架の完全性を否定するものは、イエスの成し遂げられた仕事に対する侮辱となります。
パウロが自らを「だれよりも大きな罪を犯した」と告白したのは、
どんな重罪者でもイエスを信じれば救われ、天の父のもとに行けるという意味ですよ。(^^)
事実、イエスといっしょに十字架につけられた極悪死刑囚は、死ぬ直前イエスにこういいました。
「主よ、あなたが御国の位におつきになる時はわたしを思い出してください。」と。
するとイエスは言われました。「まことに、あなたに告げます。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
これは最後まで信仰を持ち続ければ、天の父のもとに行けることをイエスの言葉が証明しています。
救われるのは死ぬ直前の信仰告白でも、イエスさまのみもとにいけます。(^^)
では、行いは重要でないかというと、そうではないとパウロや使途は言ってます。
ただし良い行いは救いの条件ではないことはたしかです。
救われるだけでいいなら聖書によれば、おわかりのとうり信仰告白だけOKです。(^O^)
行いの重要性は長くなるので述べません。よい行いをできるだけ忠実に守りたいなら、
主にある兄弟を愛せよ、というのが聖書の結論ですよ。
愛するとはその人の存在を喜ぶこと。イエスは復活後いわれました。
「わたしがあなたがたに与える新しい命令(おきて)は難しいものではない。」
ではこの命令とはなにか。これが兄弟愛なんです。
愛するとは喜ぶこと。そして、イエスキリストを信じることによる、罪からの開放による喜びとなります。(^^)
つまり、幼子のように喜んでればいい。だからイエスはこの掟(兄弟愛)は難しいものではない。と言われたのでした。
だって喜ぶだけならカンタンですものね。(^^)
それから、イエスの信仰告白をしたものは、「神の子」「罪びと」どっち?
「1つの聖書のみことばだけで理解できないときは、
別のいくつかの聖書の御言葉の光を照らしその真意を知る」と言う法則にあてはめれば、
シャロンさんの言う、「神の子」が正しいということになります。(^^)(^^)(^^)
- 256 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:30:32 ID:X3j5/7jE
- >>254-255よりつづく
292 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/20(木) 23:02:48 ID:Wd8DfC3g
イエスを信じた者は既にキリストと共に死んだのだから、もう死ぬ事はあり得ませんね。
【彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子
として神の子どもだからです。】 ルカ20:36
私達が通常「死」と言う言葉を使う時、「それは霊が肉体を離れる」、と言う現象を顕わ
していると思います。永遠の命を頂いた者はもう何回も生まれ変わる必要はないのだと思
います。又、天国は(信仰者であるわたしたちのうちに)既に始っていると信じています。
301 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/20(木) 23:49:26 ID:Wd8DfC3g
何年教会へ通って、洗礼を受けたとしても心から「イエスは救い主」と信じ、
口で告白しなければクリスチャンとは言えないよ。
322 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 15:05:32 ID:MRhXh9RC
神の権威と神の創造の技は、神さましかわかりません。それに復活の体については地上の栄光とは
全く別の栄光のと言われています。また、復活の体については、
天の神殿であるエルサレム(地上のエルサレムではない) についても言えます。
天のエルサレムの神殿は人手によるのでなく、神の手で作られるとあります。
復活体についても、人間の知恵では計り知れない栄光体であるわけですから、
それを納得いくように説明してと言うのはムチャです。
人間の知恵によっては、神を見出すことができないと聖書に書いてありますよ。(^^)(^^)(^^)
324 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 15:40:23 ID:MRhXh9RC
主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、
支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の緒霊を相手にするものなのです。
- 257 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:31:50 ID:X3j5/7jE
- >>256よりつづく
324 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 15:40:23 ID:MRhXh9RC
だから、邪悪な日によく抵抗し、全てをなし遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身につけなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができます。
また、救いを兜(かぶと)としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉をとりなさい。
(エフェソの信徒への手紙 6ー10〜17) (^^)(^^)(^^)
332 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 16:14:54 ID:MRhXh9RC
十字架の言葉は、滅んでいく人にとっては、愚かであっても、わたしたち救われる者にとっては神の力です。
それはこう書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものとする。」
知恵ある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。
神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。
そこで神は宣教という愚かな手段によって信じるものを救おうと、お考えになったのです。
(リントの信徒への手紙 1ー18〜21) (^^)(^^)(^^)
336 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 16:33:42 ID:MRhXh9RC
イエスキリストの言葉
心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。わたしの父の家には住まいがたくさんある。
もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
(ヨハネによる福音書 14ー1〜3)
- 258 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:36:12 ID:X3j5/7jE
- >>257よりつづく
336 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 16:33:42 ID:MRhXh9RC
わたしたちの地上の住みかである幕や(まくや)が滅びても、神によって建物が備えられていることを、
わたしたちは知っています。人の手で造られたものでない天にある永遠の住みかです。
わたしたちは、天から与えられる住みか(復活の体)を上に着たいと切に願って、この地上の幕や(肉体)にあって
苦しみもだえています。それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。
この幕やに住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。
死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。
(コリントの信徒への手紙 5ー1〜4)(^^)
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。
(ローマの信徒への手紙 10ー9〜10 )
353 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 19:12:43 ID:MRhXh9RC
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、
不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために
命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であった時でさえ、御子(みこ)の死によって神と和解させていただいた
のであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは
神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
(ローマの信徒への手紙 5ー6〜11) (^^)(^^)(^^)
- 259 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:43:50 ID:X3j5/7jE
- >>258よりつづく
440 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/22(土) 16:29:45 ID:cy6tkhms
イエスキリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
(ヘブライ人への手紙 13-8)
わたしたちは、最初の確信を最後まで持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。
(ヘブライ人への手紙 3-14) (^^)
そのとき、イエスはこう言われた。
「天の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、
幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
すべてのことは、父からわたしに任されています。父のほかに子を知る者はなく、
子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイによる福音書 11-25〜30) (^^)(^^)(^^)
513 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/23(日) 16:39:10 ID:JYsyNLOH
律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。(ヤコブ2-10)
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。(ローマ7-24)
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。
このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。(ローマ8-24〜25)
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれているものは、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、
罪と死との法則からあなたを開放したからです。
(ローマ8-242〜5、8-1) (^^)(^^)(^^)
- 260 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 13:49:35 ID:X3j5/7jE
- >>259よりつづく
517 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/23(日) 17:47:48 ID:JYsyNLOH
だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、
「あなた(イエス・キリスト)のゆえに異邦人は皆、祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。
それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。
律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。
「律法の書に書かれているすべてのことを絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
律法は、信仰をよりどころとしていません。「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖(あがな)い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、
また、わたしたちが、約束された(霊)を信仰によって受けるためでした。
(ガラテヤの信徒の手紙 3-7〜14) (^^)(^^)(^^)
526 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/23(日) 20:26:50 ID:JYsyNLOH
イエスさま時代の奇跡は、ある共通点がありますyo。そのような奇跡を行えるのは、イエス様が直にその力を与えられた場合、
あるいはパウロおよび12弟子が直にその力を与えた場合。そして、もう1つ。それはユダヤ人だということ。それ以降、
ユダヤ人が国家としてイエスを拒否したため、救いは異邦人へ移りました。異邦人への伝道はおもにパウロが遂行しましたが、
パウロは奇跡をつかっての伝道という方法はしてません。
(一部を除いて)。パウロはイエスの十字架と復活を、奇跡ではなく「宣教という愚かな方法」で広めたとあります。
イエスさまは奇跡を使ってでもユダヤ人を救いたい考えでしたが、
恵みが異邦人へ移って以降、奇跡による伝道は主の御心でないかもしれません。
わかりませんが。また、別の言い方をすれば、賜物のことが聖書にあります。
信徒にはいろいろな賜物があると。奇跡を行える賜物もその1つ。
クリスチャンにもそのような人な少なからずいます。
ほかにもいろんな賜物があるわけです。さらに重要なことですが、
パウロ以降現代クリスチャンの最大かつ共通の奇跡は、主イエスを受け入れた時の聖霊降臨です。
神様の愛つまり、喜びの霊が降り注いでくる。そのことは信じる者によって証されていると書いてあります。これが最大の奇跡です。
- 261 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:15:01 ID:X3j5/7jE
- >>260よりつづくまた、生まれつき障害をもった人たちについての件ですが、
イエスさまがパリサイ人から次のような質問を受けたました。
「この人が(障害者として)生まれたのは、なにが原因か。
この人、(そして親)が罪を犯したからか。」イエスはお答えになりました。
「この人のせい(罪)でもなけれ、親のせいでもない。この人に神の力が現されるためだ。」と。
あとは何もおっしゃっていません。(^^)(^^)(^^)
543 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/24(月) 11:52:33 ID:olFINDHK
障害がある人も、無い人もイエス様を信じるなら、全て神の子です。
しかし敢えて言うなら、人は誰であれ、精神的にも肉体的にも何か、何所かに障害を持つ者
だと思っています。霊肉が全部健康な人はいないと思っています。だからこそイエス様が来
てくださいました。全てに完全な御方はイエス様ただ御一人。
神様の前に「障害者」という言葉は幻想? 聖書にはその言葉は存在しない?
560 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/24(月) 14:42:00 ID:yAKeomcl
キリスト・イエスは、罪びとを救うために世に来られた。」と言う言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
(テモテ1ー15)
☆イエスは言われた。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイ11-25〜30)
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。(ローマ10ー9〜10)
「賛美、栄光、知恵、感謝、誉、力、威力が世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン」
(^^)(^^)(^^)
- 262 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:17:45 ID:X3j5/7jE
- 561 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/24(月) 15:26:21 ID:yAKeomcl
神は、定められた時にキリストを現わしてくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、
だれ一人見たことがなく、見ることができない方です。(テモテ 6-15〜16) (^^)
この神に誉れと永遠の支配がありますように。
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、
義を導く訓練をするうえに有益です。(第二テモテ3ー16) (^^)
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、
イエスと一緒に導き出してくださいます。
主の言葉にもとづいて次のことを伝えます。
主が来られるまで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降(くだ)って来られます。
すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、
空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれ引き上げられます。
このようにしてわたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、
今述べた言葉によって励まし合いなさい。(テサロニケ4-13〜18) (^^)
596 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:25:18 ID:ioRWxQaM
イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれたものです。
そして、生んでくださった者を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守る時はいつも、
神のこどもたちを愛します。
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
神から生まれた人は皆、世に勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
だれが世に勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
(ヨハネ 5-1〜5) o(^-^o)(^-^o)(^-^o)/
- 263 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:18:58 ID:X3j5/7jE
- >>261-262よりつづく
597 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:29:43 ID:ioRWxQaM
o(^-^o)(^-^o)(^-^o)/
神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、
永遠の命を悟らせたいからです。(ヨハネ 5-13)
わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。
というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。
わたしたちの間でキリストのためになされている全ての善いことを、あなたが知り、
あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。
兄弟よ。わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。
聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。(フィレモンへの手紙 1-4〜7 )
o(^-^o)(^-^o)(^-^o)/
599 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:44:18 ID:ioRWxQaM
だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、
「あなた(イエス・キリスト)のゆえに異邦人は皆、祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。
それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。
律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。
「律法の書に書かれているすべてのことを絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
律法は、信仰をよりどころとしていません。「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖(あがな)い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
それは、アブラハムに与えられた祝福が、
キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された(霊)を信仰によって受けるためでした。
(ガラテヤの信徒の手紙 3-7〜14) (^^)(^^)(^^)
- 264 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:20:56 ID:X3j5/7jE
- >>263よりつづく
600 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:56:10 ID:ioRWxQaM
見よ、わたしはすぐに来る。わたしは報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして最後の者。初めであり、終りである。
命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を清める者は幸いである。
(ヨハネの黙示録 22-12〜14) (^^)(^^)(^^)
さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人に向けられています。
それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためです。
なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。
律法によっては罪の自覚しか生じないのです。
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
(ローマの信徒への手紙 3-19〜22) (^^)
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、
御子(イエス・キリスト)によってわたしたちに語られました。
神は、この御子を万物の相続者と定め、また御子によって世界を創造されました。
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現われであって、
万物をご自分の力ある言葉によって支えておられますが、
人々の罪を清められたあと、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
(ヘブライ人への手紙 1-1〜4)
641 :ひたむきに シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/27(木) 14:32:43 ID:PkVjB3LW
>639
原罪に気付き、救いを願う者の為にイエス様は十字架の贖いをして下さいました。
気付きなくして真の救いの喜びも無いのよ。 お医者様に行けば病気になった原因を探るでしょう?
- 265 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:31:31 ID:X3j5/7jE
- 643 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/27(木) 16:14:04 ID:W2w3YVsb
あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、
その足跡に続くようにと模範を残されたからです。「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。
そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが罪に対して死んで、
義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。
(ペテロ第一の手紙 2-21〜25) o(^o^)/
同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても
妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。(ペテロ第一の手紙 3-1) (^^)
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として
おいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、
私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
(ピリピ 3ー17〜21) o(^o^)/
最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、
あなたがたの安全のためにもなることです。
どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。
神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、
私は、それ以上です。
私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、
また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、
すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
(ピリピ 3ー1〜9) o(^o^)/
- 266 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:32:33 ID:X3j5/7jE
- >>264-265よりつづく
663 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 16:15:19 ID:M6cXOMEb
人々が幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが弟子たちは、彼らがうるさいので、しかり付けた。
すると、イエスはそれをご覧になり、憤って彼らに言われた。「幼子たちを追い返さないで、来るままにしておきなさい。
その子たちがわたしの所へ来るのを、邪魔しないように。神の国は、この幼子のような者たちの国です。
よく言っておきますが、確かに、あなたがたも悔い改めて、この幼子のように、素直に神の国を受け入れる者でなければ、
神の国に入ることはできません。」。
そして、イエスは幼子たちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
(マルコによる福音書 10-13〜16) o(^o^)/
664 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 16:25:16 ID:M6cXOMEb
こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、
愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。
それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
(ピリピ2ー1〜11)
665 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 16:29:51 ID:M6cXOMEb
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。
(ローマ10ー9〜10) o(^o^)/
- 267 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:35:41 ID:X3j5/7jE
- >>250-265よりつづく
しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネの手紙 第一 1:12)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子のよって世が救われるためである。
(ヨハネの福音書3:16−17)
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、
そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。
(エフェソの信徒への手紙 1ー13〜14)
兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。
そして、それからのがれることは決してできない。
しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、
その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、
救いの望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、
わたしたちの主イエス・キリストによって救いを得るように
定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、
さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
だから兄弟たちよ、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。
(テサロニケ第一 5-1〜11)
- 268 :名無しのひつじさん:2007/12/31(月) 14:37:26 ID:X3j5/7jE
- >>250-267よりつづく
わたしたちが神の子と呼ばれるためには、
どんな大きな愛を父から賜ったことか、よく考えてみなさい。
わたしたちは、すでに神の子なのである。
世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。
しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。
彼(イエス・キリスト)が現れる時、
わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。
そのまことの御姿を見るからである。
(ヨハネ第一の手紙 3ー1〜2) o(^o^)/
☆一連のレス → >>250-268
- 269 :Happy new year:2008/01/01(火) 11:58:01 ID:wVd7BCCc
- Happy new year
- 270 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 11:52:54 ID:OPqtkCj2
- 679 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 21:59:27 ID:M6cXOMEb
しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネの手紙 第一 1:12)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子のよって世が救われるためである。
(ヨハネの福音書3:16−17)
688 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/29(土) 15:47:06 ID:uMkQXagw
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、
そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。 (エフェソの信徒への手紙 1ー13〜14) (^-^)
689 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/29(土) 15:51:21 ID:uMkQXagw
主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。
いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。
まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生まれ、山もまだ定められず、
丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。
すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。
彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。
彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、 海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、
また地の基を定められたとき、わたしは、そのかたわらにあって、
名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。
それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの道を守る者はさいわいである。(箴言8章)
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
- 271 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 11:54:07 ID:OPqtkCj2
- >>270よりつづく
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。
召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。 このぶどう酒がどこから来たのか、
水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。
(ヨハネによる福音書 2章:1〜12節)
幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、
多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、
イエスは御言を彼らに語っておられた。
すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。
ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、
中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。イエスは彼らの信仰を見て、
中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、「この人は、なぜあんなことを言うのか。
それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。
イエスは、彼らが内心このように論じているのを、
自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。中風の者に、
あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、
中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、
「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。
(マルコ2ー1〜12) o(^o^)/
- 272 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 11:55:08 ID:OPqtkCj2
- >>271よりつづく
710 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/30(日) 16:09:09 ID:b6tzVF8X
兄弟たち、あなたがたが召された時のことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵ある者が
多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけではありません。
ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるために、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため
世の無力な者をお選びになりました。
また、神は地位ある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や
見下されている者を選ばれたのです。
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、
義と聖と贖(あがな)いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
(コリントの信徒への手紙 1ー26〜31) o(^o^)/
742 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/31(月) 20:40:41 ID:ic/9Fjk3
主よ、あなたをほめたたえます。アーメン。愛するみなさま、もうすぐ新年ダヨ〜ン。
☆リンゴより
天のエルサレムにおける無数の御使いによる神の大祝会!その席数は膨大です。
かなり席が埋まってまいりました。
しかし天の父が招待客を見渡すとまだ空席があるようです。
天の父は言われます。大通りに行き、かたっぱしから声をかけ無理にでも連れて来て
子羊の婚宴の席を満席にするようにと。
最後の招待客が決まった時、天使がラッパを吹きラプチャー預言が成就いたします。
今は恵みの時、救いの日です。 o(^o^)/
743 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/31(月) 22:16:32 ID:ic/9Fjk3
イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。
また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、
「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。
- 273 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 11:56:10 ID:OPqtkCj2
- >>272よりつづく
多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、
イエスに従ってきたのである。
パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、
弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マルコ2ー13〜17)
751 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/01/01(火) 16:14:31 ID:JV0mKlaZ
野の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも、着飾ってはいなかった。
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄いものたちよ。
あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
(ルカによる福音書 12ー27〜29) o(^o^)/
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、
取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、
すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。
(ローマ 8ー18〜24) o(^o^)/
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。
わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、
たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
- 274 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 11:57:14 ID:OPqtkCj2
- >>273よりつづく
次のように書かれていることが実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエスキリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、
主の業(わざ)に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、
あなたがたは知っているはずです。(リントの信徒への手紙 15ー51〜58) (^^)(^^)(^^)
タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよう。ハレルヤ。(詩篇150:4-6)
768 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/01/02(水) 15:53:05 ID:ptcFdnXv
☆主イエスの御名を賛美いたします。
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
(テモテ 4ー7〜8) (^-^)
信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。
神が彼を移されたので、見えなくなったのです。
移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
(ヘブライ人への手紙 11ー5) (^-^)
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、
私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに、信仰によって導き入れられた私たちは、
神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマの信徒への手紙 5-1〜4) (^-^)
- 275 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 11:58:16 ID:OPqtkCj2
- >>274よりつづく
天の国はつぎのようにたとえられる。ある家の主人が、
ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
主人は一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 また、九時ごろ行ってみると、
何もしないで広場に立っている人々がいたので「あなたたちもぶどう園に行きなさい。
ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それで、その人たちは出かけて行った。
主人は十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、
「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、
彼らは「だれも雇ってくれないのです」と言った。
主人は彼らに「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。
夕方になって、ぶどう園の主人は監督に「労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、
最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。
そこで五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、
もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。 「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは」
主人はその一人に答えた。
「友よ、あなたには不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それともわたしの気前のよさをねたむのか」
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。(マタイによる福音書 20-1)(^-^)
☆主イエスの御名を賛美いたします。
神の子の名(イエス・キリスト)を信じているあなた方に、
これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
(ヨハネの第一の手紙 5ー13)
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公けに言い表して救われるからです。(ローマ10ー9〜10)
- 276 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 12:00:19 ID:OPqtkCj2
- >>275よりつづく(ぶどう園のたとえ話について)
ぶどう園の主人とは神様のことです。父なる神様でありイエスさまでもあります。
イエスさまの御心であり、父なる神さまの御心なので、これは神の御心は神のみぞ知るということになります。
はっきりわかっているのは、すべてのクリスチャンは天のエルサレムにおいて、
ご褒美(神の子の特権、いろいろあり)をいただけます。
地上では教会の役員を決めるのに多数決を取り入れたりしますが、天の御国ではそういうことはなく
すべて神さまが決められます。信仰歴がながいとか、人間的に立派だとかは全く問題ではなく
天の御国では、どうでもいいようなクリスチャンが先になり、
尊敬を集めていたクリスチャンがあとになる番狂わせがあるということです。
(ようするに神の国へ即入らせてもらえる、信仰によって義とされた「先になるクリスチャン」と、
罪深さをみとめ、悔い改め、キリストの救いにあずかろうとするまで、神の国の門の前で足止めをくらう
いわゆる「後になる(カトリック教の信徒のような)クリスチャン」があるということです。)
すべて神の思いのままに賞賛を受けます。
天の御国のたとえ話が、ほかもあるのでご紹介いたします。o(^o^)/
天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、
大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、
正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。
彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。
そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、
自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」(マタイ13ー44〜51 )
- 277 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 12:02:17 ID:OPqtkCj2
- >>276よりつづく
イエスはまた言われた。「神の国は、何に比べたらよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
それは、ちょうど一粒のからし種のようなものです。地に蒔かれる時には、ほかの種よりも小さいですが、
一度、蒔かれ、生長すると、ほかのどの野菜よりも大きくなり、
大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作るほどになります。」(マルコ 4-30〜32)
イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。
それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。
女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」
(マタイ13ー31〜33)
808 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/01/03(木) 16:49:02 ID:WQGn5Rgo
☆主イエスの御名を賛美いたします。o(^o^)/
御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。
道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、
すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、
しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、
この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、
その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
(マタイ13ー19〜23)
バイブルより☆キリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために 命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
- 278 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 12:04:26 ID:OPqtkCj2
- >>277よりつづく
敵であった時でさえ、御子(みこ)の死によって神と和解させていただいたのであれば、
和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは、
神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
(ローマ5-6〜11) o(^o^)/
天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、
もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。
『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。
私はさらに五タラントもうけました。』その主人は彼に言った。
『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、
私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。
さらに二タラントもうけました。』その主人は彼に言った。
『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、
私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、
散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。
さあどうぞ、これがあなたの物です。』ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。
私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。
- 279 :名無しのひつじさん:2008/01/04(金) 12:07:37 ID:OPqtkCj2
- >>278よりつづく
そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。
(マタイ 25ー14〜30)
☆主イエスの御名を賛美いたします。
天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り憤って、恐怖に落し怒って、彼らに宣言される。
「聖なる山シオンでわたしは自ら、王を即位させた。」
主のさだめされたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。
「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。」
求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし地の果てまで、お前の領土とする。
お前は鉄の杖で彼らを打ち、陶工が器を砕くように砕く。(詩篇2 )
主イエスの御名を賛美いたします。バイブルより
☆キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。(ガラテヤ 5ー1)
☆★☆ >>270-278 ☆★☆
- 280 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 13:38:23 ID:l6VTH9BU
- 2ch「心と宗教板」の良スレッド・良コテハンを紹介しましょう。
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- 281 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 16:48:45 ID:l6VTH9BU
- 58 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/17(木) 10:05:44 ID:Va6sfN5N
主イエスの御名を賛美いたします。2008年4月17日(木)今日の聖句(1)
☆けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として
おいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、
ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ3:17-21)
☆兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。
しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。 というのは、彼らは神の義を知らず、
自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ10:1-4)
☆キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。(ガラテヤ 5ー1)
☆愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、
神のみまえに出られるように励みなさい。また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。
このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。
彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、
無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、
あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。
そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。
- 282 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 16:49:47 ID:l6VTH9BU
- 栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アーメン。(ペテロ第二3:14-18)口語訳
197 :風By携帯:2008/04/17(木) 22:41:34 ID:Dnoycwdh
シャロンさん、本当 にご自分は罪を犯しません。と書き込みされたの ですか?
私は自分が罪を犯していると思ます。私が自覚しているかどうかは別にして。でもその度に神が赦し て下さると信じてい ます。
202 :(^.^)”シャロンのばら ◆Sis.Q9h9cQ :2008/04/17(木) 22:48:54 ID:0k6g/VUR
【その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは今では恥とするような
ものであった。それらのものの終局は死である。しかし今や、あなたがたは罪
から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終局は永遠の命
である。罪の支払う報酬は死(病、災い)である。】
口語訳聖書ローマ人への手紙6:21−22より引用
【ヨブは年老い、日満ちて死んだ。】
ヨブ記42:17より引用
私も○十年後、天寿を全うして、平安のうちに天の御国に迎えられると信じます。
罪を犯した時は、神様の前に出て毎晩休む前に悔い改めの祈りをするのですよ。
ヨハネ第一の手紙一章5−10を実行するのです。あなたもどうぞなさって下さいね。
主がお喜びになりますよ。 続きは 1ヨハネ1:10ですよね
230 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/18(金) 08:35:35 ID:Wj96QZUo
主イエスの御名を賛美いたします。2008年4月18日(金)今日の聖句(1)
☆わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜った、神のめぐみの福音をあかしする任務を
果たし得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。(使途行伝 20:24)
- 283 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 16:50:49 ID:l6VTH9BU
- ☆すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
それは、あなたがたが非難されるとこのない純真なものとなり、
また、曲がった邪悪な時代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、
苦労したこともむだではなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
(ピリピ2章12〜16節)
322 :(^.^)”シャロンのばら ◆Sis.Q9h9cQ :2008/04/18(金) 21:22:32 ID:9eH1jF3/
>また、曲がった邪悪な時代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちの言葉をしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
アーメン、
イエス様を「救い主」と信じ、受け入れた信仰により、今は傷の無い「神の子供」
にして頂き、命の御言葉を確り握って、置かれた環境の中で、世の光として輝かせて
頂く恵みを感謝しています。 ハレルヤ
☆すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、
感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。 だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。(第二コリント4:15-18)口語訳
- 284 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 16:51:54 ID:l6VTH9BU
- 340 :(^.^)”シャロンのばら ◆Sis.Q9h9cQ :2008/04/18(金) 22:13:19 ID:9eH1jF3/
りんごさん、こんばんは。すばらしい言葉を見つけました。
↓
わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみとあわれみを
あなたにこうむらせ、あなたの生きながらえるかぎり、良き物ををもって
あなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。】
詩篇103編2−5
375 :(^.^)”シャロンのばら ◆Sis.Q9h9cQ :2008/04/18(金) 23:01:22 ID:9eH1jF3/
イエス様を信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます
464 :(^^)vまちこ ◆ekiVShc.nM :2008/04/19(土) 08:56:38 ID:1+6KQCgY
おはようございます。
神様、感謝致します。
主イエスは、ご自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、私たちに与えてくださいました。
それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。
神様、どうか、御心のままに、ここの方達がわたしたちの主イエス・キリストを知ることができますように、
イエス・キリストの御名前によりアーメン。
- 285 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 16:53:21 ID:taPIsFPg
- 467 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/19(土) 09:30:25 ID:xv3rGoVz
☆光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、
感謝することである。 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、
その愛する御子(イエスキリスト)の支配下に移して下さった。わたしたちは、
この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。(コロサイ人への手紙1:12-14)
485 :(^.^)”シャロンのばら ◆Sis.Q9h9cQ :2008/04/19(土) 14:31:32 ID:wpNWa43h
「その子をわたしのところに連れてきなさい」、と言われたイエス様のところに
連れて行った婦人の子供をイエス様が癒されました。【婦人よあなたの信仰があなた
を救った、安心して行きなさい。】と言う言葉を頂きました。そうしてその子は癒されました。
☆主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。
あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。
あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。
わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。
このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。
わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。
わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでもあなたのみ手はその所でわたしを導き、
あなたの右のみ手はわたしをささえられます。(詩篇139:1-10)口語訳
- 286 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 16:54:22 ID:taPIsFPg
- ☆わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。(詩篇121:1-8)口語訳
☆神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。[セラ
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。
もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。[セラ
来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。
主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。[セラ。 (詩篇46:1-11)口語訳
- 287 :名無しのひつじさん:2008/04/22(火) 16:55:49 ID:taPIsFPg
- 661 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/22(火) 09:06:10 ID:Zn/2mIeB
☆父なる神と主イエスキリストにより、栄光、尊厳、賛美、誉、知恵、感謝、威力そして
全ての良きものが、今も後も永遠までもありますように。この神によりわたしたち主イエスを
信じる者の上に、恵みと平安が今日もそして永遠に至るまでありますように。アーメン
☆まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
わたしはいのちのパンです(ヨハネ6-47〜48)
☆父なる神と主イエスキリストにより、栄光、尊厳、賛美、誉、知恵、感謝、威力そして
全ての良きものが、今も後も永遠までもありますように。この神によりわたしたち主イエスを
信じる者の上に、恵みと平安が今日もそして永遠に至るまでありますように。アーメン
☆わたしは、わたしを愛する者を愛する。わたしをせつに求める者は、わたしに出会う 。(箴言8ー17)
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http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1208356235/
「リンゴ 」さん、「(^^)vまちこ」さん、あるいは「風」さんなど良コテハンが常駐しておられます。
聖書の御言葉をとおして、キリストからいただく救いの信仰にあずかる幸いを教えてくださっています。
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http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1208695935/
「ダニエル」さんという良コテハンが常駐して聖句について解き明かしをしてくださっています。
- 288 :名無しのひつじさん:2008/04/23(水) 11:42:34 ID:taPIsFPg
- 663 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/22(火) 09:09:35 ID:Zn/2mIeB
☆まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
わたしはいのちのパンです(ヨハネ6-47〜48)
☆わたしは、わたしを愛する者を愛する。わたしをせつに求める者は、わたしに出会う 。(箴言8ー17)
☆愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、 すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。 (第一コリント 13章4〜8)
☆実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であった時でさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、
御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。
今やこのキリストを通して和解させていただいた からです。(ローマ5ー6〜11)
☆神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3ー16)
- 289 :名無しのひつじさん:2008/04/23(水) 11:44:12 ID:taPIsFPg
- >>279-288よりつづく
☆口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。(ローマ 10:9-10)
☆キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
(フィリピ 2-6〜11)
☆神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、
わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。
救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。
このような務めにだれがふさわしいでしょうか。
わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。
(コリント第二2一14〜17)
☆主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも あなたの家族も救われます。(使徒行伝・16ー31)
☆このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、
あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。
- 290 :名無しのひつじさん:2008/04/23(水) 11:50:02 ID:taPIsFPg
- >>287-289よりつづく
事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。(テサロニケ第一 2ー13)
☆兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。(ガラテヤ1:11)
☆イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、
その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。(使徒 10ー43)
「まちこ」さん、「りんご」さん、
あなたがたの名は天の御使いたちのあいだでも褒めたたえられていることでしょう。
共に主の御名を賛美いたします。アーメン。
においても
- 291 :名無しのひつじさん:2008/04/23(水) 15:33:15 ID:l6VTH9BU
- 785 :(^.^)”シャロンのばら ◆Sis.Q9h9cQ :2008/04/23(水) 15:10:24 ID:sPIkryJC
あなたを創ったあなたの神は、あなたの必要を全てご存知です。
【だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。】
マタイ6:33
まず神様を第一にすること、そうすれば神様はあなたの最も大切なものを
第一にして下さいます。
- 292 :名無しのひつじさん:2008/04/25(金) 11:40:01 ID:saHizTCs
- 10 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/24(木) 22:03:54 ID:AgmqEh/I
☆十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが、
救いにあずかるわたしたちには、神の力である。(第一コリント 1章)
☆神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3ー16)
☆口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。(ローマ 10:9-10)
26 :いとぴょん ◆R7jw2dOLJw :2008/04/24(木) 22:26:04 ID:W7Bw0xrX
>10
アーメン。
スレの継続に反対する者があったけど、イエス・キリストは十字架に架けられるときには冒涜されました。
私たちも冒涜されるかも知れませんが、それを堪え忍んで御言葉の種を蒔いていきましょう。
78 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/25(金) 09:29:33 ID:oNK9tJP8
主イエスの御名を賛美いたします。2008年4月25日(金)今日の聖句(1)
☆人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、
ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。
これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。
なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。(ガラテヤ 2-16)
- 293 :名無しのひつじさん:2008/04/25(金) 11:57:12 ID:saHizTCs
- >>292よりつづく
☆律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。(ヤコブ2-10)
☆イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、
その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。(使徒 10ー43)
72 :(^^)vまちこ ◆ekiVShc.nM :2008/04/25(金) 01:41:53 ID:fRE6r3Y3
第一ヨハネ2:27
しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。
この油が万事について教えます。
ローマ5:5
私達に与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからです。
聖霊=油
800 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/23(水) 16:51:20 ID:fGdodNXj
福音を伝えるとなると必然的にパウロの手紙から中心となるのは当然。
☆友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(箴言 17:17)
☆わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。
ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、
いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。
この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。
しかし、神の言はつながれてはいない。それだから、わたしは選ばれた人たちのために、
いっさいのことを耐え忍ぶのである。
それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。
- 294 :名無しのひつじさん:2008/04/25(金) 11:58:27 ID:saHizTCs
- >>292-293よりつづく
次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。(テモテ第二 2:7-12)口語訳より
☆ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、
イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて
生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、
しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。
あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。
そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、
あなたがたは大いに喜んでいる。 こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない
金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。
(ペテロ第一1:3-7)口語訳より
☆実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですからキリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であった時でさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。
今やこのキリストを通して和解させていただいた からです。(ローマ5ー6〜11)
☆神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3ー16)
☆口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から 復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。(ローマ 10:9-10)
- 295 :名無しのひつじさん:2008/04/25(金) 16:20:10 ID:saHizTCs
- 87 :(^^)vまちこ ◆ekiVShc.nM :2008/04/25(金) 12:27:18 ID:fRE6r3Y3
しかし、あなたがたが、モーセを信じているなら、私を信じたはずです。
モーセが書いたのは私のことだからです。
しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、
どうして私のことばを信じるのでしょう。(ヨハネ5:46、47 )
95 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/04/25(金) 16:04:02 ID:RIaAIzG9
主イエスの御名を賛美いたします。2008年4月25日(金)今日の聖句(2)
☆神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
(ローマ8-33〜34)
- 296 :名無しのひつじさん:2008/04/25(金) 16:48:29 ID:saHizTCs
- 93 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2008/04/22(火) 23:54:30 ID:G4EMr4+X
■創世記18:23〜24
アブラハムは進み出て言った。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、
その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。
***** 感想 *****
アブラハムは、神がソドムとゴモラを滅ぼすとは一言も言っていないのに
すでに神がそれらの町を滅ぼすつもりであると思ったようです。
■創世記18:25
正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に
遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。
全くありえないことです。
全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
***** 感想 *****
アブラハムが必死に神と交渉し、神から妥協を引き出そうとしているのが
わかると思います。親戚であるロトの家族が、滅ぼされようとしている町に
住んでいるからなのでしょうか。
■創世記18:26
主は言われた。
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、
その者たちのために、町全部を赦そう。」
- 297 :名無しのひつじさん:2008/04/25(金) 16:49:29 ID:saHizTCs
- >>296よりつづく
***** 感想 *****
ソドムの町に正しい者が五十人いるならば
町全体を赦す、と神が言いました。
なぜ町というのは、このように運命共同体なのでしょう。
悪い者だけが酷い目に遭って、正しい人は良い目にあえばいいのに。
しかし、町は運命共同体なのです。
アブラハムが「五十人」という数で交渉してきたので、
神もそれを受けて「五十人」という数でアブラハムに答えられました。
■創世記18:27〜29
アブラハムは答えた。
「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。
もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。
それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
アブラハムは重ねて言った。
「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
***** 感想 *****
アブラハムの神への交渉は続きます。
- 298 :名無しのひつじさん:2008/04/25(金) 16:50:30 ID:saHizTCs
- >>297よりつづく
■創世記18:30〜31
アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。
もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。
もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
■創世記18:32〜33
アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。
もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。
アブラハムも自分の住まいに帰った。
***** 感想 *****
アブラハムはソドムに正しい人はほとんどいない、
ということに気づいていたのでしょう。
しかし、「十人」ということでアブラハムの交渉は終了しました。
- 299 :名無しのひつじさん:2008/05/06(火) 14:19:28 ID:taPIsFPg
- 主イエスの御名を賛美いたします。2008年5月4日(日)今日の聖句(3)
☆わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。(詩篇121:1-8)口語訳
☆また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、
「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。(マルコ3ー22〜30)
- 300 :名無しのひつじさん:2008/05/06(火) 14:22:37 ID:taPIsFPg
- 主イエスの御名を賛美いたします。2008年5月5日(月)今日の聖句(4)
☆「イエス様は私たちを救うために死んでくださった」ということばが、滅んでゆく人々にはどんなにばからしく響くか、
私にはよくわかっています。 しかし、救われた私たちは、これが神の力そのものであると認めるのです。
なぜなら、神様がこう言われるからです。「わたしは、たとい人の目には どんなにりっぱに見える計画でも、
人間の側の救いの計画をことごとく打ちこわし、最も才気あふれる人の、最もすぐれた考えをも無視する。」
こうした知識人、学者、この世の重大問題にかかわる議論家たちについては、何と言われているでしょう。
神様は、彼らをみな愚か者とし、そんな知恵など無用の長物だときめつけました。
この世がいかに人間のすぐれた知恵を結集しても神様を見いだせないのは、神様のお考えによることです。
そして神様は、一般の人には、ばかばかしくて話にならないような神のことばを信じる人を、救うことにされたのです
(第一コリント1:18-21)リビングバイブルより
☆わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。
あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33)
- 301 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 10:59:03 ID:sYito2/w
- 11 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/05/12(月) 23:32:11 ID:si7IGmjP
☆神は、実に、そのひとり子(イエスキリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3ー16)
☆主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも あなたの家族も救われます。(使徒行伝・16ー31)
☆父なる神と主イエスキリストに栄光、尊厳、賛美、誉、知恵、感謝、威力そして
全ての良きものが、今も後も永遠までもありますように。この神により
わたしたち主イエスを信じる者の上に、恵みと平安が今日もそして永遠に至るまでありますように。アーメン
☆すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、
感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、
内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。(第二コリント4:15〜18)口語訳
30 :まちこ ◆ekiVShc.nM :2008/05/13(火) 15:59:36 ID:Q/TT2pfP
神に繋がる方法はただ一つ、私達の罪を取り除いてくださったイエス・キリストを信じることです。
毎日、信じて、感謝することにより、この世の罪と死の法則から、命と御霊の法則にはいり、神の命が現れます。
これが、分からない限り、この世の法則の悪循環を繰り返しているでしょう。
- 302 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 11:00:15 ID:sYito2/w
- >>301よりつづく
この世は神が創ったのです。
私達も創られたものです。この世の終わりが来ようとしています。
人間の悟りに頼らず、イエスの贖いにより罪を許され、神に繋がった者は幸いなるかなと、何度も人間に警告しています。
主イエスを信じなさい。
そこに本当の神のご計画を見ることが出来ます。
39 :(^.^)” シャロンのばら ◆Sis.Q9h9cQ :2008/05/13(火) 16:18:56 ID:U8BulLjs
クリスチャンに、輪廻転生の考え方などはありません。
イエスを信じた者はその罪を赦され、「神の子」として新しく誕生します。
「神の子」は、永遠に至るまで死はありません。
永遠の命に新しく生まれる事こそ大切です。
【この人による以外に救いはない。わたしたちを救いうる名は、
これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。】
使途4:12
アーメン
主イエスキリストを信じます。イエスは私の救い主、命の力です。
- 303 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 11:01:29 ID:sYito2/w
- 94 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/05/13(火) 20:56:20 ID:Aft4DTl2
主イエスの御名を賛美いたします。2008年5月13日(火)今日の聖句(3)
☆イエス・キリストの宣教者ペテロから、エルサレムを追われて、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、
ビテニヤの各地方に分散したユダヤ人のクリスチャンへ。
愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊様の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によってきよめられ、
神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、
今では神様の家族の一員として、迎えられたのです。 キリスト様が死人の中から復活してくださったおかげで、
私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、
と約束してくださいました。 それは純粋で、しみ一つない完全な状態で、天に保管されており、絶対に変質したり、腐敗したりしません。
神様は超自然的な力によって、あなたがたが、まちがいなく天で永遠のいのちをいただけるよう、守ってくださいます。
あなたがたが、神様を信じているからです。 やがて来る終わりの日に、この永遠のいのちは、あなたがたのものとして、
だれの目にも、はっきり示されるでしょう。 ですから、心から喜びなさい。 今しばらくの間、地上での苦しみが続きますが、
行く手には、すばらしい喜びが待ち受けているからです。
127 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/05/14(水) 09:41:37 ID:QoXBFwWL
☆イエスキリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリストイエスを信じました。(ガラテヤへの手紙 )
- 304 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 11:03:47 ID:sYito2/w
- >>301-303よりつづく
157 :神も仏も名無しさん:2008/05/14(水) 18:18:28 ID:sc42QY0y
>リンゴさんへ
マジレスします。私は毎週日曜日、水曜日と欠かさず
礼拝祈祷会と守っているクリスチャンの男です。実は相談したいことが
あるんですが、私どんなに人から罵倒されようが、けなされ様が主イエス・
キリストがわが救い主であり絶対的な存在であることは揺ぎ無いんですが。
私風俗から足が未だに洗うことができません。礼拝や毎日の祈りの中で
いつも穢れへの悔い改めと施しの祈りをするのですが、教会から出ると夜な夜な
出かけてしまいます。彼女でもできればいいんでしょうが、ブサイクな
私を好きになってくれる人は残念ながら望めそうもありません。いつも祈り求めてはいるんですが…。
こんな私はやはりクリスチャンとして失格でしょうか?いつも罪の意識に捉われています。
かといって風俗はやめれないし、やめたくないし。楽しいし仲良しの子とも別れたくないし。
こんな私はどうしたらいいんでしょうか?
160 :まちこ ◆ekiVShc.nM :2008/05/14(水) 18:26:15 ID:3sCquW0I
>157
神様に御心に適った彼女をくださいと頼んだらいいと思います。
私も一緒に祈ります。
ぶさいくと自分が決めてはいけません。その人の品性はその人の心から出てきます。
163 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/05/14(水) 18:35:54 ID:QoXBFwWL
あなたはイエスさまを信じてらっしゃいます。ですから立派なクリスチャンです。
聖書もそれを信仰告白にて認めています。でも今の生活だと罪の意識に捉われます。
だから罪を犯したら毎日そのつど悔い改めの祈りをすれば、そのつど罪は許されますよ。信者は当然です。
私個人の意見としては、風俗はやめて結婚されたほうがいいです。聖書でも不品行は避けよと書いてますので。
相手がいなければ主に切実に祈られることをおすすまします。
- 305 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 11:08:06 ID:sYito2/w
- >>301-304よりつづく
どんなダメ男でも大丈夫です。わたしの知り合いにチビ、デブ、ハゲ、しかも出歯でガニマタの男性がいました。
でも長年の願いが叶い、かわいい女性と結婚されましたよ。あなたも自信を持ってください。
できれば早く風俗から足を洗われたらどうでしょうか。
166 :157:2008/05/14(水) 18:43:42 ID:sc42QY0y
リンゴさんへ 。本当に心から感謝します。こういう場でないとなかなか
具体的に相談できる機会がないので…。牧師先生に相談するわけにも行かず…。
女性のあなたにこんなこと相談した無礼をお許しください。
リンゴさん、まちこさんの上に神の恵みが豊かに注がれますよう心からお祈りしています。
198 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/05/14(水) 20:57:41 ID:QoXBFwWL
主イエスの御名を賛美いたします。2008年5月14日(水)今日の聖句(4)
☆長老のわたしから、真実に愛している選ばれた婦人とその子たちへ。
あなたがたを愛しているのは、わたしだけではなく、真理を知っている者はみなそうである。
それは、わたしたちのうちにあり、また永遠に共にあるべき真理によるのである。
父なる神および父の御子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安とが、真理と愛のうちにあって、
わたしたちと共にあるように。 あなたの子供たちのうちで、わたしたちが父から受けた戒めどおりに、
真理のうちを歩いている者があるのを見て、わたしは非常に喜んでいる。
婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、
初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。
父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに
愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。
なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、
多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。
よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。
(第一ヨハネ1:1-8)口語訳
- 306 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 11:18:20 ID:sYito2/w
- 243 :Machiko in Jesus ◆LrrBDjAo7E :2008/05/15(木) 01:59:52 ID:EKC2/g1A
>242
ありがとうございます。
みなさんがイエス・キリストを信じて、この世から救われて欲しいです。
第一ヨハネ5:19
わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。だれが世に打ち勝つか。
イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。第一ヨハネ5:4
> 245 :VOID:2008/05/15(木) 03:47:14 ID:+HF34lPu
> >243
> アホか。信じれば救われる?それは差別といって神ではありません。
246 :Machiko in Jesus ◆LrrBDjAo7E :2008/05/15(木) 08:15:45 ID:EKC2/g1A
>245
あなたが信じられないのは、神の知恵であること。自分の知恵では、決して悟ることはできません。
ヨハネ6:47
まことに、まことにあなたに告げます。信じる者は永遠の命を持ちます。
250 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/05/15(木) 09:43:30 ID:A9CMmh+V
☆信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、
神との平和を持っています。 (ローマ5:1)
☆私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(ローマ 4:24-25)
☆イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
- 307 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 12:02:04 ID:sYito2/w
- 「聖書を根底から学ぶスレ」シリーズ
1.http://s03.megalodon.jp/2007-1006-0223-17/life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1188530862/
2.http://s02.megalodon.jp/2007-1031-1320-29/life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191420026/
3.http://s04.megalodon.jp/2008-0105-1414-31/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193835522/
4.http://s03.megalodon.jp/2008-0402-2100-46/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1199595626/
5.http://s03.megalodon.jp/2008-0420-2041-22/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1207135160/
6.http://s02.megalodon.jp/2008-0512-1221-27/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1208695935/
7.http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210551975/
- 308 :名無しのひつじさん:2008/05/15(木) 12:17:22 ID:sYito2/w
- 108 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2008/05/14(水) 23:07:25 ID:rkcKUSuu
>105
>キリスト教を信じた者だけに存在するなら
>キリスト教を信じなければ罪人ではないって感じだね
もちろんキリスト教を信じない人にも「罪」は存在しています。
ただし、キリスト教を信じていない人たちは、自分を罪人だとは
思っていないケースが多いはずです。
110 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2008/05/14(水) 23:19:11 ID:rkcKUSuu
ユダヤ人の考え方は、こうです。
この世において、「良い事を行った量」と「悪い事を行った量」とを
死後に天秤にかけられて、「良い事を行った量」が多ければ救われる、
というものです。
聖書のどこの聖句が、この考えの根拠になっているのか、さっぱり分からないのですが、
ユダヤ教のラビは、ほとんど、罪についてはこういう解釈をしているとのことでした。
- 309 :名無しのひつじさん:2008/05/27(火) 12:31:14 ID:p7mjrdgY
- 良スレッドです。聖句を紹介しています。
↓
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part19
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210573958/l50
- 310 :名無しのひつじさん:2008/05/28(水) 14:24:56 ID:7Zai7udM
- 834 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/05/27(火) 22:29:15 ID:KBQLD1oH
まだ天国の門をさがしますか。
もし神の御前であなたの全ての罪が赦されるとしたら 。
もし神の子供としての特権を授かるとしたら。
もし一瞬でパラダイスへの道を見出すことができるとしたら。
そしてあなたに天国の門と永遠の命が与えられるとしたら。
☆旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。
真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。そうしたいと心から願った人さえいない。
すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
「彼らの会話は、不潔で腐っており、まるで開いた墓穴からもれる悪臭のようだ。
彼らの舌はうそで固められている。」「彼らのことばには、恐ろしい毒蛇のきばと毒がある。」
「彼らの口は、のろいと苦々しいことばで満ちている。」「彼らは自分と意見の合わない人を憎み、すぐに殺す。
彼らの行く所ではどこでも、悲惨な結果とめんどうな問題があとを絶たない。
彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、神の祝福を味わったこともない。」
「彼らには、神を恐れて悪事から遠ざかろうとする気持ちなど、少しもない。」
彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。
事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。
神様のおきては、私たちに、自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです。(ローマ3:10-20)
- 311 :名無しのひつじさん:2008/05/28(水) 14:26:07 ID:7Zai7udM
-
>>310よりつづく
☆しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。
その新しい道は、「善人になる」とか、神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、
実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、
あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、
神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。
このキリスト・イエスが、恵みにより、
無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。(ローマ3:21-24)
- 312 :名無しのひつじさん:2008/05/28(水) 14:27:42 ID:s2dcyQG2
-
>>309-310よりつづく
☆神様はキリスト・イエスを遣わして、
私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、
キリスト様の血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、
神様は完全に公正であられたわけです。
キリスト様が来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。
イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、
神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、
神様はそうなさるからです。。(ローマ3:25-26)
- 313 :名無しのひつじさん:2008/05/28(水) 14:29:06 ID:7Zai7udM
- >>310-313よりつづく
☆それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。
何もしていません。
なぜでしょう。 私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリスト様が成し遂げてくださったことと、
キリスト様に対する私たちの信仰に基づいているのです。
つまり、私たちが救われるのは、
キリスト様を信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。(ローマ3:27-28)
- 314 :名無しのひつじさん:2008/05/28(水) 20:39:50 ID:rkCPpzOM
- >>1より続く
ていうか、タラッパンの教会のサイトに、ホーリネスの倉○教会の教会員(確か長老だったかな・・・。)のサイトのリンクが貼られてるだけのこと。それを教会員が知らされても、リンクを消してもらわないって事はやっぱり関係があるのかもな・・・・。
福音の手紙とレムナントはタラッパンだ。異端だ。いい教えを本では説いているようだが、説教ではめちゃくちゃなこと言ってる団体。
- 315 :名無しのひつじさん:2008/06/08(日) 17:38:50 ID:7Zai7udM
- 良スレッドです。聖句を紹介しています。
↓
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part19
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210573958/l50
【イエス】救い主 癒し主【キリスト】Part20
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1211983380/l50
- 316 :名無しのひつじさん:2008/06/08(日) 18:28:13 ID:s2dcyQG2
- 「聖書を根底から学ぶスレ」シリーズ
1.http://s03.megalodon.jp/2007-1006-0223-17/life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1188530862/
2.http://s02.megalodon.jp/2007-1031-1320-29/life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191420026/
3.http://s04.megalodon.jp/2008-0105-1414-31/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193835522/
4.http://s03.megalodon.jp/2008-0402-2100-46/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1199595626/
5.http://s03.megalodon.jp/2008-0420-2041-22/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1207135160/
6.http://s02.megalodon.jp/2008-0512-1221-27/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1208695935/
7.http://s02.megalodon.jp/2008-0512-1221-27/life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1208695935/
8. http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210551975/
良スレッドです。聖句を紹介しています。
↓
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part19
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210573958/l50
【イエス】救い主 癒し主【キリスト】Part20
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1211983380/l50
- 317 :名無しのひつじさん:2008/06/11(水) 14:14:27 ID:l6VTH9BU
- 38 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/06/10(火) 16:02:22 ID:vtfJfh+v
☆それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。
人々は耳が聞こえず舌が回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。
そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。
そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。
すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。
イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。
そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。
耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(マルコ7:31〜37)
☆そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「太陽と月と星に徴(しるし)が現れる。
地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。
人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。
天体が揺り動かされるからである。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。
あなたがたの解放の時が近いからだ。放縦(ほうじゅう)や深酒や生活の煩(わずら)いで、
心が鈍くならないように注意しなさい。
さもないと、その日が不意に罠(わな)のようにあなたがたを襲うことになる。
その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
- 318 :名無しのひつじさん:2008/06/11(水) 14:16:03 ID:l6VTH9BU
- ☆わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。(ヨハネの手紙1 2−1)
☆もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、
すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(第一ヨハネ1:4−9)
しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃(のが)れて、人の子の前に立つことができるように、
いつも目を覚まして祈りなさい。(ルカ21・25-28、34−36)
☆聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、
主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
「主イエスの御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ10:9〜13)
☆主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、
支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の緒霊を相手にするものなのです。
だから、邪悪な日によく抵抗し、全てをなし遂げて、しっかりと立つことができるように、
神の武具を身につけなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができます。
また、救いを兜(かぶと)としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉をとりなさい。
(エフェソ 6ー10〜17)
- 319 :名無しのひつじさん:2008/06/19(木) 10:06:50 ID:taPIsFPg
- 良スレッドの紹介です。良コテハンのりんごさん、まちこさんがおられます。
聖句の紹介、信仰について語っておられます。
↓
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part19
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210573958/l50
【イエス】救い主 癒し主【キリスト】Part20
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1211983380/l50
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part21
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1213019282/
- 320 :名無しのひつじさん:2008/06/23(月) 13:01:42 ID:s2dcyQG2
- 良スレッドの紹介です。良コテハンのりんごさん、まちこさんがおられます。
聖句の紹介、信仰について語っておられます。
↓
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part22
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1213842847/
351 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/06/21(土) 16:56:03 ID:kRvSYnbN
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。(詩篇121:1-8)口語訳
426 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/06/21(土) 23:47:44 ID:kRvSYnbN
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。
わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、
死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。(コリント15ー51)
21 :まちこ(^-^) ◆7vQmfP1N9E :2008/06/19(木) 16:11:17 ID:7r5tPGHG
>>どうしたらハッピークリスチャンになれるのでしょうね。
神様は、あなたのことは、全部ご存知です。
一緒に祈れば聞かれます。☆神様の御心に適ったハッピークリスチャンとなりますように、イエス・キリストの御名によりアーメン。
神様に頼んだほうが一番良いと思います。
私は祈りましたので、あなたも祈ってください。では、God bless you!
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