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ΜΜ● エジプトにおける日本がらみの情報スレ。 ●ΜΜ

652在エジプト カイロ 塾長まる。:2018/04/06(金) 00:50:45 ID:5K1H0HS.
教育への情熱、次はエジプトで 定年後に日本人学校校長へ(デーリー東北新聞社) - Yahoo!ニュース ht

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4/3(火) 14:01配信 デーリー東北新聞社
教育への情熱、次はエジプトで 定年後に日本人学校校長へ
児童に見送られ、校舎を後にする蔦林洋司さん。今春からエジプトの日本人学校で子どもたちの教育に当たる=3月30日、八戸市立町畑小
 尽きることない教育への熱意―。3月末に八戸市立町畑小校長を定年退職した蔦林洋司さん(60)が、8日にエジプトの首都カイロにある日本人学校に校長として赴任する。34年間の教員生活を全力で駆け抜け、多くの児童、同僚に慕われた。「現地でも子どもたちが楽しく通える学校をつくりたい」。新天地での新たな教え子との出会いに胸を躍らせている。

 小さな頃から近所の子どもと遊んだり、面倒を見たりするのが好きだったという蔦林さん。教員はまさに“天職”だったが、大学卒業後に最初に就いた仕事は、電子機器のエンジニアだった。

 一方、経済成長期の陰で当時社会問題化していたのが子どもの不登校問題。エンジニアの仕事は順調だったが「教師になって現場を見てみたい」との思いが強まり、働きながら通信教育で教員免許を取得。26歳の時に県教委に採用され、八戸市や南部町など県南地方の小学校で勤務してきた。

 やがて海外の学校で働くことにも関心を持つようになったが、自身に子どもが生まれ、育児など多忙になったこともあり、当時は諦めざるを得なかった。

 転機が訪れたのは2008年。文部科学省の海外日本人学校の教員募集に応募し、見事合格。3年間、日本を離れ、中国・上海の日本人学校で教頭として勤務した。

 現地では、教員や生徒だけでなく地元住民とも積極的に交流。「人とのつながりを広げることができた」と大きな収穫を得て、帰国した。帰国後は県南地で教頭や校長などを務めた。管理職になっても、登校の見守りなどで児童と触れ合う時間を大切にしてきた。
 退職が迫った17年。まだまだ教育に携わりたい―と、再び海外の日本人学校の教員に応募し、エジプト行きが決まった。

 現役時代に教え子に伝えていたのは「勇気を持って一歩を踏み出さなければ、夢は広がらない」というメッセージ。これから3年間、新天地でも子どもたちに誠実に訴えていくつもりだ。


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