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井上トシユキとは、自称ヂャーナリスト(≠ジャーナリスト)。

9togo★:2007/07/02(月) 03:00:00 ID:???0
【井上トシユキ「放置していいのか!?無軌道化する2ちゃんねる」】
2007年4月12日 掲載
互いに顔も本名も分からぬ集団運営

世間騒がしても責任あいまい

 1999年7月に東芝クレーマー事件が、9月には東海村JCO臨界事故が続発。この2つの事件の情報が、開設間もない2ちゃんねるに集中したことで、訪れるユーザーが一気に100万人レベルに膨れ上がった。
 人が増えればユーザー同士の罵倒や誹謗(ひぼう)中傷も目立つようになる。また、あまりの人気にアクセスが集中し、サーバーが機能マヒしてダウンすることもしばしばだった。
 当時のサーバーの管理者は「コストと苦情が大変だから、もうこんな掲示板はやめろ」と管理人の西村博之に強く助言した。だが、西村は「新しいメディアをつくっている最中だからやらせてくれと説得し、継続できた」と述懐していたものだ。
 こうして、開設から半年もたたないうちに、2ちゃんねるは個人運営から、西村を管理人=代表とする集団運営体制に移行する。まず、ユーザーの中から不適切な書き込みを削除するボランティアが選ばれた。最初は1人だったが、後に3〜4人のリーダーが率いるチーム制となり、最大で200人程度が従事していた。
 また、サーバーの無料提供者として、北海道のIT系企業を経営する中尾嘉宏が運営に参加。中尾には97年に出資法違反による逮捕歴があった。ほかに技術担当スタッフやアドバイザーが加わり、そのなかに元ライブドア役員の榎本大輔もいたという。西村が99年3月に大学を卒業した後、榎本の経営する会社にコンサルタントとして籍を置いていた縁だという。
 その会社は02年にオンザエッヂ(現ライブドア)に買収され、榎本は堀江貴文の側近となった。西村は04年にライブドアの広報誌で堀江と対談したほか、共同で無料プロバイダー事業も手がけている。一時はライブドアが2ちゃんねるの買収を検討するなど、堀江と西村の縁は浅くない。
 筆者が西村と知り合った00年春、すでに集団運営体制はできていた。だが、コアメンバーのほとんどがハンドルネーム(ネット上でのあだ名)は名乗っても、顔や本名を表に出さないため、「2ちゃんねるは本当は人ではなく、よくできたコンピュータープログラムが運営しているのではないか」と言う者すらいた。
 何度も運営陣に接する機会があったが、互いをハンドルネームで呼び合い、ぞんざいではないがタメ口で話す運営陣の様子は、組織というより学生サークルの趣が強かった。それはいい意味では自由に好きなことができるということだが、一方では、社会的な影響が極めて大きくなっているにもかかわらず、その自覚がなく責任の所在があいまいといういい加減さにも見えた。


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