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南京大虐殺のホラ話かたる?
1dalian:2005/04/08(金) 23:49:38
現在、国内左翼系を虐殺したいけどww
普通の中国人さんのコメントもできれば。。。
重ねて申しますが「普通」の!ですww
但し、今回は「掲示板」の匿名性に便乗した、
「うんこ」への反応控えますので〜爆

2名無しさん:2005/04/08(金) 23:52:33
意味わかんねぇーよー。
酒飲んで書いてるでしょ↑

3名無しさん:2005/04/13(水) 11:35:55
南京大虐殺という言葉自体が作られたものです。政治的にはすでに結論が出てしまって
います。返す返すも政府特に外務省あたりの対応の不手際が悔やまれます。中国の正に
戦略に取り込まれてしまっていると思います。しかし我々の子供達の世代の為にも
また日本国の名誉の為にも事実だけを確実に調べ上げ認証して行きそして中国の主張を
論破しなければなりません。言うべきことは主張しましょう。それが話し合いの基本でしょう。
当時の南京の人口を目一杯多く勘定したとしても20万なのになんで30万も殺せるのでし
ょうか。そこが一番素朴な疑問です。正に中国のいい加減さそのものですよ。

4名無しさん:2005/04/13(水) 11:54:31
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31487696


確かに、いわゆる「南京虐殺」も「従軍慰安婦」も
日本は中国・朝鮮の狡猾なプロパガンダに負けてしまいましたね。
「レイプ・オブ・南京」などというトンデモ本が
著しく日本のイメージを傷つけました。
学者たちが必死に真贋を検証し、反論しても
政治家が「政治的判断」とやらで頭を下げてしまった・・
河野・村山・宮沢・野中、これらの政治家は万死に値します。

5一言:2005/04/13(水) 16:28:51
 言い方が悪いかもしれませんが、それが戦争なのかもしれません。一般人を
殺したから、うんぬんですがイギリスもフランスもロシアも一番はアメリカも
軍人・一般と分けて殺したわけではない、要するに戦争に勝ったか負けたかで
決まっている、アメリカは広島・長崎で一般人を30万とも50とも言える人を
殺し、東京大空襲では100万とも言われていますが、何も云われてません処か
英雄視されてます。中国では文化大革命と云う名目で、蒋介石を追い出す為に
120万人を殺した毛沢東を英雄と教えている、こんな国に他の国を論じる資格は
ない!しかしこの国の人民は批判をして、自国の正当性だけを主張、共産教育
中華思想教育は、いやはや末期状態でしょう。
 4さんに有る様そうさせた、政治家達の過去の負債そして今現在も、民主党の
岡田さんも、このデモ・そしてそのデモで日本人が傷つけられたのも大使館が
一部壊されたのも、自民党が悪い・小泉が悪いと云っている様では、もう情け
無いと云うしかない、小泉さんも冷静に冷静にい云っているだけでは!!!
 そう云う自分も、このウップンを日式クラブで安全を確かめて、ブイブイ言わせて
いるだけで、我ながら情け無い! 出来ればデモ隊の中に糞尿車バキューム
でブチ撒いてやりたい!その勇気は無い!

6名無しさん3:2005/04/13(水) 17:35:25
石原都知事に意見を聞きましょう。

7孫悟空:2005/04/13(水) 17:51:56
↑しょうがないから、カラオケ小姐にお金払ってレイプゴッコでもしてウサバラシしますか?
マジデ!。

8名無しさん:2005/04/13(水) 18:40:07
私は、これまでは日中友好の精神で、民間ODAのつもりで
小姐に接してました。騙されても「徳を持って恨みとせず」の精神でした。
しかし、これからは「100人斬り」のつもりで小姐と向き合います!

ふふふ・・名刀が黒光りしてるぜよ

9名無しさん:2005/04/13(水) 20:50:09
↑100X1000元ですか!スゲ〜〜〜

10名無しさん:2005/04/14(木) 17:15:23
残念ですが当時南京戦において一部残虐行為はあったようです。戦友が目の前で敵の銃弾で頭を打ち抜かれたりしたら
その仇をとるという気持ちは戦場では普通でしょう。しかし当時の日本軍には未だ軍規が厳しく守られていました。
所謂戦後出てきた証拠写真と称するものを見ると女子供見境なく銃剣による刺殺、腹裂き、眼球くりぬき、乳房切取り
性器切り裂き等目を覆う状態です。こんな行為はいかに戦時とはいえ日本人には理解できないことです。奇しくも済南事件
における日本人被害者の状況そのものです。これは当時日本人居留民百数十人が中国人により虐殺された事件ですが
正に被害状況が非常によく似ているのです。その証拠写真の信憑性は極めて薄いといえます。敗戦国となってしまったが為
すべての悪行を日本になすりつけてしまったのです。中国人にはもともと残虐性があると思います。彼らがそれを自覚しているか
どうかは分かりませんが。とにかく我々も主張しましょう。

11名無しさん:2005/04/14(木) 19:58:22
>>10
戦うのですから死傷者が存在するのは当然ですよね。
残酷な話ではありますが・・。

ただ、10さんも触れられている「証拠写真」と称するものは
捏造、改竄の類ばかりであることが実証されていますよね。

問題は日本側の態度なんですよね。
黙っていても真実は通じる なんてことは国際社会では一切、通用しないわけで。

今般の中国・韓国による一連の騒動も、日本政府が明確なメッセージを発していないため
欧米メディア(それも保守系)の中には中国・韓国の言い分を、同情を込めて
垂れ流しに報じているところもあるくらいです。

欧米人にとっては所詮は極東での騒ぎなわけで、一々、どちらに理があるかの
細かな検証などしないのでしょう。
一方が声を大にし、一方は沈黙している・・
こういう状況では、声を上げている側に強みがあるのは当然です。

日本政府・外務省には、仕事しろよ と強く言いたいですね

12名無しさん:2005/04/15(金) 11:37:11
東大卒の外交官試験合格者は確かに学業優秀ではあるのでしょうが、所詮答えのある
問題や知識面においてのみの合格点取得者です。言い換えれば平和時においてはそれ
でもいいのでしょうが、本当に求められている人材は戦時ともいっていい今において
戦略眼を持った外交官であるはずです。政策決定段階で有能な人材登用ができる組織
かどうかでその国の将来が決まるのです。ただ単に入省年次とか出身大学によって人材
登用が行われているとしたらそんな国の未来はないと思います。それはかつての海軍陸軍
で証明されています。非常時にこそ真の優秀な人材の出現を切望します。100年前の
日本にはたくさんの優秀な真に国を思う人材が存在しました。そして超大国ロシアを打ちまかした
のです。

13渋山:2007/12/13(木) 07:11:45
h ttp://www.pekinshuho.com/yzds/txt/2007-12/10/content_89564_4.htm

…南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、※【昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見した】ことを話してくれた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。

電文の内容は「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」というものだ。

張生教授は「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」と指摘。…

※ 「南京大学歴史学部博士課程指導教官」であられてかつ「南京大虐殺研究所副所長」であられるところの張生教授曰く、「昨年…極めて価値のある最高機密文書…(ハケ~ンシタモンネ)」って 。゚(゚^∀^゚)゚。ギャーハ 

10年前に書かれて、もう8年前にバラされてますが・・・。その他の「大量の新規収集資料」展示とやらも、この手の下らんゴミだらけナンダロネと、いきなりポロッと判っちゃいましたですね。 。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆

14渋山:2007/12/13(木) 07:15:33
まぁ故チャンが余りの出鱈目指摘されゴネテ自分で1997年12月出版した原著ソノマンマの翻訳出版禁止して、日本じゃ翻訳本がやっと10年経っての今日発売、だからなあ。 h ttp://www.doujidaisya.co.jp/ しかし出鱈目本の「完全翻訳版」が、2000円ですかあ。ちょい待って100円以下になったら買おうっと。

で、もう8年も前の平成11(1999)年9月に、(批判対象翻訳本無しでの)反駁本「『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の研究」が、既に出てるんですよねぇ。再度古本で350円で仕入れて・・・ムニョムニョ m9(^Д^)


…そこで(※当時の外相)広田弘毅が知っていたという「説得力ある証拠」〔103P〕なるものを紹介し、それを検証してゆきたい。それが「広田外務大臣の暗号電報」なるものであった。チャンは次のように言う。

「1938年1月17日、東京の広田外務大臣は、ワシントンの日本外務省関係筋に次のメッセージを伝えた。それがアメリカの情報部に傍受され、解読されて、1938年2月1日に英語に翻訳された。
『数日前上海(に)戻ってきて以来、私は南京その他で日本軍が犯したと報道される残虐行為について調査した。信頼できる目撃者(の)言葉にした説明や、信頼性(を)疑うことのできない個人の寄せた手紙は、日本軍がアッティラ(と)アッティラ(の)フン族を思わせる遣り方で行動し(てきたし)行動(して)いる(という)説得力ある証拠を提供している。30万人を下ら(ない)支那の市民が殺戮されたのである、多くは冷酷(に)』」

…(中略)…

右の広田外務大臣の米国大使館宛暗号電報も、チャンが出典を明記しているように、米国の国立公文書館の所蔵する日本外交電報(デプロマティクメッセージ)「赤い機械」 red machine の中の「記録群(レコードグループ)457」の#1263(1263番)に収まっている。ところが、この1263番から、チャンは前半部分を省略して引用していた。省略された引用部分とは、次のようなものであった。

「発信人 東京(広田)
 送信先 ワシントン
 1938年1月17日
 #227(227番)。上海から#176(176番)として受信。
 臨時電報」

この前半部分に続いて、すでに引用したように「数日前上海(に)戻ってきて以来、私は南京その他で日本軍が犯したと報道される残虐行為について調査した云々」という後半部分が続く。ここで読者は気付かれるだろう。電文では「上海に戻ってきた」という広田が、東京からワシントンに向けて電報を打つことなど、ありうるだろうか。

15渋山:2007/12/13(木) 07:19:46
 ● チャンの巧妙な発信人スリカエ

では、「176番」という電報を書いたのは、誰なのか。それは2日後の1月19日付の暗号電報によって明らかとなる。

「発信人 東京(広田)
 送信先 ワシントン
 1938年1月19日
 #206(206番)。上海から#175(175番)として受信。

16日の夜、マンチェスタ・ガーディアン紙の特派員ティンパーリは、別添のメッセージ#176(176番)のような報道を送ろうとしたその時、われわれの検閲官によって発見された」

これで謎は解ける。すなわち件(くだん)の電文の筆者はティンパーリだったのである。広田外相は上海で日本軍の検閲官により発見されたティンパーリのメッセージを受信し、それをそのままワシントンの日本大使館に転送したのであった。チャンは日本の外務大臣が30万人虐殺を知っていたと主張せんがために意図的に筆者が「広田外相」であるかのように小細工したのである。これでチャンのインチキは明らかになった。… 

(『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の研究/藤岡信勝・東中野修道 P.177-180 )


※ そしてこの本が緊急出版されて以後8年の間に、日本での南京関連の研究は格段に進展しましたよ、っと。

…ティンパーリ記者は、「電報差し押さえ」という事実だけがほしかったのである。そのために、彼はそうなるよう、必ず日本側が差し止めるに違いない、不当な電報内容を書いた。それが「揚子江デルタ地帯30万人虐殺」であった。それが事実無根であることは、ほかならぬ彼自身が一番よく知っていた。

ベイツ教授はティンパーリ記者宛ての手紙で、3月3日に、『戦争とは何か』の編集方針にかんして、「戦争における野蛮な行為を……一つの町についてよりももっと広範な地域にわたって……同じ時期に上海……にも同様な話があることが分かれば、全体的に見て、ずっと信憑性がある」と提案し、3月21日にも同じことを再度提案している。つまりベイツ教授は上海など南京以外の日本軍を取り上げるよう問題を提起した。

それにたいしてティンパーリ記者は、「なぜ私が上海、松江(しょうこう)、嘉興(かこう)を放っておくのかとのお尋ねですが、(『戦争とは何か』の)第7章を読んでいただければ分かると思います。この点を調べていくと、上海付近の民衆に対する日本軍の暴行については、確実なる証拠がほとんど見つかりません」と答えている。…(中略)…上海、松江、嘉興の揚子江デルタ地帯では、「30万人虐殺」ところか日本軍の暴行すら確証がないことを、ティンパーリ自身が認めていた。そしてまた『戦争とは何か』の第6章にも、「揚子江デルタ地帯における日中両軍の戦闘の結果、少なくとも30万の一般中国市民が生命を失った」と書かれている。死亡者の数や一般市民の犠牲者を別とすれば、死体は「虐殺」の結果ではなく、「日中両軍の戦闘の結果」だと彼は認識していたのである。

16渋山:2007/12/13(木) 07:23:40
このように「戦闘の結果」を「日本軍の虐殺」にすり替えて電報に打ったならば、日本側が差し止めに出るのは必至であった。※【彼が本当に「揚子江デルタ地帯30万人虐殺」を確実に打電してかったのであれば、上海のフランス租界や英米人の支配する共同租界で電報を打てばよかった。ところが、彼はわざわざ日本の管理していた電報局で打電した。】〜わざわざ普段用もない日本租界まで遣って来てぇ。m9。゚(゚^Д^゚)゚。

案の定、日本側は、ティンパリー記者の電報は「誇張が過ぎる」という理由のもとに、これを差し押さえた。ティンパーリ記者は差し押さえられることを十分に予測したうえで、意図的に日本側の電報局から電報を送ったとしか言うほかない。( P.138-9 )

…しかも『戦争とは何か』に深く関わっていた人たちが、まったくの第三者的ではなかったことが判明する。編者のティンパーリ記者は『近代来華外国人名辞典』によれば中央宣伝部の「顧問」であったことが、鈴木明『新「南京大虐殺」のまぼろし』(平成11[1999]年)や、北村稔『「南京事件」の探求』(平成13[2001]年)によって突き止められた。

しかも、この『戦争とは何か』について、鈴木氏は、首都漢口の国民党中央宣伝部が「全力を挙げて……完成させた」と推定し、北村教授は『曽虚白(そうきょはく)自伝』や王凌霄(りょうしょう)『中国国民党新聞政策之研究』を典拠に「宣伝刊行物」であったと論じた。

戦後出版された『曽虚白自伝』には、中央宣伝部がティンパーリ記者に「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版」したという曽虚白(南京大学教授、のちに中央宣伝部国際宣伝処処長)の証言が記されている。( P.14 )

(南京事件 国民党極秘文書から読み解く・東中野修道)

※ あらま、ちょーなま(張生)センセの大先輩でつね。しかもご丁寧にお名前にも「虚」っすか。もうちょいで「嘘」と。で、名は体をあらわすとか。。。。もう、何をかいわんや、だね・・・ m9^Д^)m9^Д^)m9^Д^)

17渋山:2007/12/14(金) 20:53:25
※ ふぅ〜〜〜んん・・・ 

h ttp://japanese.cri.cn/151/2007/12/14/1@108981.htm
■ 旧日本軍による南京大虐殺、西側諸国の利益も侵害

中国江蘇省社会科学研究院歴史研究所の崔巍研究員助手は14日南京で、「中国を侵略した旧日本軍は、南京大虐殺期間中、南京に滞在していたアメリカやイギリス、ドイツなど西側諸国の国民と機関に対し、人権侵害や略奪行為を行い、西側諸国の利益をも大きく侵害した」と述べました。崔巍研究員助手は南京で行われている南京大虐殺歴史事実シンポジウムで、「旧日本軍は南京に攻め込んだ期間中、他の国の国民と機関に注意を払わず、南京の外国大使館や一部の外国企業は常に、爆撃を受けた。この他、旧日本軍は、南京にいた外国人に対して人権侵害などを行った」と語りました。

※ 残留外国人は25名だったかな。

1.ジョン・H・D・ラーベ、2.ルイス・S・C・スマイス、3.P・H・マンロ=フォール、4.ジョン・G・マギー、5.P・R・シールズ(シュイーズルとも)、6.J・M・ハンソン、7.G・シュルツ=パンティン、8.アイヴァー・マッケー、9.J・V・ピッカリング、10.エドゥアルト・スパーリング(シュペアリングとも)、11.M・S・ベイツ、12.W・P・ミルズ、13.J・リーン、14.C・S・トリマー、15.チャールズ・リッグス、16.ジョージ・A・フィッチ(地区管理者・南京YMCA副委員長):以上15(6)名、南京安全地帯国際委員。

以下国際赤十字委員。17.W・ロウ、18.アーネスト・H・フォスター、19.クリスチャン・クレーガー、20.ポール・ド・ウィット・トゥイネム、21.ミス・ミニー・ヴォーリントン(女史)、22.ロバート・O・ウィルソン、23.P・S・マンロ=フォール、24.ジェームズ・マッカラム、25.コーラ・ポドシヴォロフ。

以外に、12月13日の城壁陥落後も残留して15日に、記事を発信するため電力のない南京から上海の国際租界へと向かったジャーナリストが5名。1.シカゴ・デイリー・ニューズのアーチボルト・スティール、2.ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン、3.パラマウント・ニュース映画のアーサー・メンケン、4.ロイター通信のL・C・スミス、5.AP通信(連合通信)のイェイツ・マクダニエル。

18渋山:2007/12/14(金) 20:57:46
南京陥落の1ヶ月前、民国26(1937)年11月に、上海の前進輿地(よち)社が出版した『南京全境明細図』によると、人口密集地帯は城内の中央(中山門から漢西門を結んだ線)から南であることがはっきりわかる。そこに市民のための避難地帯を設定すれば、多くの市民は住み慣れた家を離れる必要もなく、国際委員会としても避難民の「住」に関するかぎり負担を軽減できたはずである。市民の家は中国軍からも日本軍からも守られたことであろう。ところが、実際に安全地帯となったのは、城内の中央から北の、日本大使館のほかに、南京大学(漢字表記は金陵大学)、鼓楼医院(南京大学付属病院)、金陵女子大学など、アメリカ人の財産に属する施設がある地域であった。ベイツやウィルソン、スマイスらが住んでいたバック邸やラーベ邸などの洋館、国際委員会の本部となった張群(南京の有力者)邸など国民党政府関係者の邸宅、アメリカ大使館、イタリア大使館、金陵中学の南のドイツ大使館、お茶会や記者会見の会場となった中央文化会館なども安全地帯の中にあった。ここにはまた軍事施設もあった。安全地帯の範囲はどのようにして決められたのか、詳しい記録はないが、城内南部は激戦と見て北部に設定されたようだ。しかし国際委員会の創設に参加したイギリス人ビジネスマン、シュイールズ氏は、1938年4月に東京のアメリカ大使館付武官コーヴィル氏が南京に来たとき、上海の南市(ナンタオ・中国人街)と違って南京の安全地帯は「本当のところはアメリカ人、ドイツ人、裕福な中国人の財産の保護のため」に設定されたと批判的に述べている。…

12月のはじめに中国側から、この地域を国際安全地帯にしたいとの申し出があったが、日本側は公式には承認していない。その理由は、上海でのジャキノ・ゾーン(ジャキノ神父を中心として組織された国際委員会による安全地帯。鉄条網で明確に区分けされ仏租界からのフランス兵によって中国兵の侵入は実力で排除されていた)とは条件が異なり、

(1)この地区の位置が軍事上から見て市内で戦闘が行われた場合、その安全を保障するに都合が悪く、
(2)その地区内に中国側の高級武官が幕僚と共に居住しており、
(3)委員会自体がこの地区内の秩序を確保し、外部からの敗残兵その他の好ましからぬ分子が立ち入ることを防止し、以ってその「中立性」を保持するだけの実力を持たなかったから

(東京裁判での日高信六郎、当時上海の大使館参事官後上海総領事の証言)というものであった。

しかし、日本軍は非公式ながらこの地区の「中立性」を尊重し、外国権益、明孝陵、中山陵などとともに砲撃を禁止し、安全地帯には、「それ弾」が2発落ちただけで被害が極めて少なかったので、国際委員会は、第一号文書の冒頭で、「貴軍の砲兵部隊が安全地帯に攻撃を加えなかったことに対して感謝申し上げるとともに……」と、感謝している。(当然、爆撃などは一切ない)…

19渋山:2007/12/22(土) 18:51:29
h ttp://sankei.jp.msn.com/world/china/071222/chn0712220329001-n1.htm
【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 中国の反日宣伝は変わらず

 ≪“百人斬り”再び展示≫

中国・南京大虐殺記念館の改修工事が終わり、南京事件70年にあたる今月13日に再オープンした。このところ、歴史問題をめぐる中国の対日批判が抑制され、これまでの反日的な展示が少しは改善されるのではないかとの期待もあったが、その期待は裏切られた。

中国の公式見解である「30万人虐殺」が改めて明記され、信憑性に乏しい残虐写真やパネルが大量に展示された。とりわけ、大虐殺の象徴的な事件として誤り伝えられている“百人斬(ぎ)り”の記事が再び展示されたことは、日本の関係者をがっかりさせた。

“百人斬り”は昭和12年11月から12月にかけて東京日日新聞(現在の毎日新聞)に掲載され、南京に進軍中の向井敏明少尉と野田毅少尉のどちらが先に日本刀で百人を斬るかを競ったという内容だ。両少尉はこの記事により、戦後の南京軍事法廷で死刑を宣告され、銃殺刑に処せられた。日本では、記事が戦意高揚のための作り話だったことが判明している。

向井少尉の二女、向井千恵子さん(67)=千葉県成田市=は「議員の会からも、外務省を通じて展示の問題点を指摘していただいたようです。今回はだめでしたが、いつかは(“百人斬り”の展示が)撤去されることを願っています」と話した。

「議員の会」は、今年6月に発足した超党派の「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」(平沼赳夫会長、稲田朋美事務局長)のことだ。

千恵子さんは新しい展示を見たいと思っているが、中国当局から査証が出ず、中国に行きたくても行けない状態だ。野田少尉の妹、野田マサさん(78)=鹿児島県錦江町=は「日本の人たちは『作り話である』と言い続けてほしい」と訴えた。

“百人斬り”は昭和46年、朝日新聞の連載「中国の旅」で蒸し返された。これは日本の一部新聞が自らまいた種といえるが、その他の生首などの写真はほとんどが出所不明で、中国側が旧日本軍の虐殺の“証拠”として一方的に仕立て上げた可能性が強い。

20渋山:2007/12/22(土) 18:55:28
 ≪戦前も虚偽の宣伝活動≫

日系米国人のカール・カワカミ氏が1938年、ロンドンの書店から出版した「ジャパン・イン・チャイナ」には、※【中国兵が中国人の強盗を処刑している場面】が日本軍の虐殺にすり替えられて欧米の映画館で上映されるなど、当時の中国国民党政府による虚偽の宣伝活動が記されている。

今回の南京大虐殺記念館の改修工事の目的について、朱成山館長は「歴史を忘れず、平和を愛し、未来を開くことを強調した」と記者会見で語った。修復されつつある対日関係に気を使っているように思われるが、展示内容から判断する限り、中国の反日宣伝の手法は70年前と変わっていない。

日本では今月、中国系米国人、アイリス・チャン氏の著書「レイプ・オブ・南京」の翻訳本が出版された。10年前、米国でベストセラーになり、そのときは別の出版社で翻訳が進められた。しかし、誇張を通り越して荒唐無稽な内容が多く、掲載写真の信憑性にも疑問が指摘されたため、翻訳本の出版が中止された経緯がある。

「レイプ・オブ・南京」は、日本で中国の主張に近いといわれる「大虐殺派」の学者らもあまり評価せず、雑誌のインタビューでこう語っていた。「事実認識の誤りが多く、日本の研究状況についても無知」(藤原彰氏)、「単純ミスに満ち、学術研究書とはいえない」(江口圭一氏)。

チャン氏の取材には、南京大虐殺記念館や江蘇省社会科学院などのスタッフが協力している。

米国では、「レイプ・オブ・南京」が議会関係者らに大きな影響を与え、対日非難決議につながったといわれる。日本では、すでに同書の批判本が出され、掲載写真の多くが史実と異なることが実証的な研究で明らかになっている。偽書に近い本だ。読むなら、疑いの目をもって読んでほしい。

出所不明の写真が展示されている抗日記念館は、南京以外に、北京近郊の盧溝橋、瀋陽、ハルビンなど200カ所を超える。南京などの記念館には、日本からも多くの修学旅行生が訪れる。

 ≪言うべきことは言え≫

今月13日、日本の国会内では、「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」の全体会議が開かれ、「誤りは正さないと、それが歴史事実になってしまう。不当な展示については、政府がきちっと抗議すべきだ」といった意見が出された。

福田康夫首相の訪中が今月末にも予定されている。成熟した日中関係を築くためには、歴史問題で日本が国として言うべきことをはっきり言わねばならない時代である。(いしかわ みずほ)

21渋山:2007/12/22(土) 19:20:53
<<「すえもの斬り」で結着と本多記者>> 

この殺人ゲームを私は一度も信じたことはない、むしろ信じる人のいることを不思議に思う、と書いたことがある。これに対して、本多記者は私あての手紙(88年12月30日付け)で次のように書いている。

「なお、この中で例の『百人斬り』事件について貴方は100%否定しておられるようですが、奥付を拝見しましたところ私よりお若い方、日本刀による斬首体験もないと思われますが、何を根拠に全否定なさるのでしょう。この事件の実態についてはすでに結着がついており、要するに『すえもの斬り』だったということであって、拙著『南京への道』でさらに詳細に書いております」

「すえもの斬り」で結着がついているとは知らなかったが、結着の根拠はといえば、43(昭和18)年当時、陸軍中尉だった鵜野晋太郎の「斬首体験」と「オガワ」という将校の「据えもの14人斬り」を見たという中国人の証言である。鵜野は「体験的確信から類推して、別の意味でこれは可能なことだ――というよりむしろ容易なことであったに違いない」と自らの斬首体験と百人斬り報道を結びつけ、あれは「据え者百人斬り競争」が正式名称になるべきだというのである。この結論を本多記者は採っているわけである。

ところが、鵜野は1937年当時は18歳、日本内地で「百人斬り競争」を新聞で読んでいたというのだから、野田、向井の両少尉とはいかなる意味でも接点はない。鵜野がどのように類推しようと勝手といえば勝手だが、これをもって「結着がついている」というには、およそ論理ともいえない雑さかげんである。この類推が根拠になるのならば、いかなる結論を出すことも可能である。

「すえもの斬り」だと主張するなら、野田副官、向井小隊長の周囲に目撃者が少なからずいたはずだから、双方の目撃証言をとることが不可欠である。なにも難しい注文をつけているわけではない。本多記者が『南京への道』を書いた時点で十分可能なことだったのである。

鵜野晋太郎は39師団232連隊本部の中尉であった。この師団から200名という大量の中国戦犯を出したことは前に記した。鵜野もその一人で、NHKテレビに出演するなど中帰連の活動家といってよかろう。また、鵜野が戦犯時代に書き残した手記「暗殺」は『三光』に所収されている。

22渋山:2007/12/22(土) 19:44:54
<<発見された野田少尉の「獄中日記」>>

よくしたもので、野田少尉が獄中で書いた手記発見と産経新聞(01年6月18日付け)が報じた。少尉の実妹が保管していた遺品のなかから見つかったもので、B4版のワラ半紙の裏表に鉛筆書きされ、書いた時期は死刑判決を受けた47(昭和22)年12月から処刑される48年1月までの間と推定されるという。

※【浅海一男】記者(東京日日新聞)が両少尉に話を持ちかけた下りは興味深い。産経紙上からその部分を抜粋する。

記者「どうです無錫から南京まで何人斬れるものか競争してみたら/記事の特種を探してゐるんですが」
向井「そうですね無錫付近の戦斗で向井20人野田10人とするか/無錫から常州までの間の戦斗では向井40人野田30人/無錫から丹陽まで60対50/無錫から句容まで90対80/無錫から南京までの間の戦斗では向井野田共に100人/以上と云ふことにしたら、おい野田どう考えるか、小説だが」
野田「そんなことは実行不可能だ。武人として嘘名を売ることは乗気になれないね」
記者「百人斬り競争の武勇伝が記事に出たら花嫁さんが殺到しますぞ/ははは、写真をとりませう」
向井「ちょっと恥ずかしいが記事の種が無ければ気の毒です。2人の名前を借してあげませうか」
記者「記事は一切記者に任せて下さい」

このような経過を記し、「右述の如く、被告等の冗談笑話により事実無根の嘘報の出たるは全く被告等の責任なるも、又記者が目撃せざるにもかかわらず筆の走るがままに興味的に記事を創作せるは一体の責任あり。貴国法廷を煩はし世人を騒がしたる罪を此処に衷心よりお詫びす」で終わっている。

「百人斬り競争」の真偽論争は結着がついている。しかし、南京にある虐殺記念館には両少尉の等身大写真が掲げられ、日本の修学旅行生がここを訪れている光景に何の変化もない。

(第10章 総検証「中国の旅」報道 ・ 検証 旧日本軍の「悪行」・田辺敏雄 2003[平成15]年1月20日第一刷)

23渋山:2007/12/22(土) 21:00:20
※ おっさんの単なる歴史趣味、ってより、明日はわが身への災難の大本(おおもと・根源)、という現実認識てか、この際はっきりとした覚悟がいるんじゃないかいね、と。
そういう想像力を持ちましょう、というか、実際、ものごころついたばかりのころからこんな極端な「話」を、毎日の教室でも普段の団欒のテレビでも、また国立の各地の記念館展示でも蝋人形とかでクソ・リアルに見せられた日ぃにゃあ、自分の身に置き換えてみても、そりゃ何とも感じないほうがかえってオカシイ、よね。

上記書籍の・・・

<<はじめに>>

日本人の将来に安全にとって日中関係は危険な段階に入ったと思う。いや、とうに入っていたというべきかもしれない。近い将来、われわれ日本人の身に危険が迫る事態が生じても私は驚かない。その素地はすでにできていると思うからである。こう書いたところで、ほとんどの日本人はけげんな顔をするか、なにをバカなと一笑に付すのはわかっている。私の思い過ごし、妄想であってくれればそれに越したことは無い。だが、嫌なことをいうようだが、はやり日本人への迫害は起こりうるし、その危険は一歩一歩、忍びよってきていると思う。

24渋山:2007/12/22(土) 21:05:08
私が危険と考える第1の理由は、中国政府の最終目的がどこにあるかはわからないが、少なくとも目的達成の一手段として、日本人に対する憎悪、敵愾心を自国民に植えつけていることである。北京郊外にある盧溝橋の「中国人民抗日戦争記念館」、南京の「南京大虐殺記念館」を代表とする記念館展示のどぎつさ。これらを見た中国人が日本人への憎しみを抱かなかったとしたら奇跡である。いつか復讐を、と心に誓ったとして何の不思議はない。また、アジア、欧米など外国人が見れば、あらためて日本人の残酷さを強く焼きつけることだろう。このような展示館がすでに100ヶ所近くに達したとする報道もあるし、さらに日本人の所業という遺跡の発掘や保存活動が展開されている。日本は悪辣な国家であり、日本人を残虐非道な民族として描く教科書とともに、これらの展示が生きた教材として使われるのはいうまでもない。十数億の人口から推して、毎年毎年日本人を敵視する膨大な人間が隣国に生れるのだから、恐るべきことだと思う。

中国以外の国に目をやると、われわれ日本人が残酷にして狡(ずる)賢く、信用できない民族というイメージが、アメリカ、ヨーロッパの人たちの間に少なからず存在していることである。これが、危険と考える第2の理由である。もとより、これらの国が直接、危険な存在というのではなく、日本人が直面するであろう危機に対して、どれほど抑止する力になるかは未知数で、風向き次第では見て見ぬ振りという事態も想定できるからである。

第1の理由も、第2の理由も「日本の過去」に起因する。すなわち、先の大戦で邪悪な日本が中国、アジアなど近隣諸国を侵略し、真珠湾では卑劣にもだまし討ちという挙にでた。そして、日本軍はナチス同様の人道に反する残虐事件、残虐行為を数多く引き起こした。

日本の過去とは、つまるところ、「侵略と残虐行為」の2点に集約される。

2点のうち、どちらが国益を害し、歴史像を規定し、われわれの将来の安全にとって危険要因になるかを問われれば、ためらうことなく私は後者をあげる。つまり、日本軍民の残虐事件、残虐行為こそがわが国の「負の遺産」として決定的な足枷になっていると思う。このことは、ナチス・ドイツが周辺諸国を侵略したことで非難されるより、アウシュビッツに象徴されるユダヤ人抹殺の悪寒をおぼえる残虐さに、はるかに多く非難が集中していることを考えれば足りると思う。これがなければ、ドイツに対する非難も戦争の歴史、侵略の歴史を歩んだヨーロッパでは、侵略した側とされた側の感情的なしこりを残しながらも、第二次世界大戦という歴史問題として収束していたはずである。

25渋山:2007/12/22(土) 21:09:36
われわれ日本人は、日本軍の旧悪を※【日本の新聞、テレビなどメディアが発する洪水のような報道によって知らされた。】また、報道の影響も大きくあづかってのことだろう、※【歴史教科書に数多くの残虐事件が取り上げられ、教師はこれでもかこれでもかと日本軍の残虐ぶりを教え込んできたし、今も変わらない教室の姿である。】また、各地に建つ「平和記念館」の展示も一層拍車をかける。

食糧、エネルギーなど資源に乏しいわが国は、それだけに国際社会と折りあって生きていかねばならない。だが、地球の有限性、人口の増加を考えただけでも、国家間の紛争が増えこそすれ、減ることはあるまい。そして、自国に都合のよいように情報をあやつり、有利な立場に立とうとする。一方、われわれが背負う負の遺産は、「歴史カード」として相手国の手のなかにあり、相手の都合のよいときに切られ、国益はいいようにほんろうされる。

だが、「歴史カード」を支える日本軍の「悪行」はそもそも事実と確認されたものなのだろうか。また、確かな根拠があっての報道だったのだろうか。

ところが、これらのほとんどが報道の名に値しないずさんなもので、不必要な「歴史カード」を相手国にあたえる愚をおかしたばかりでなく、誤った歴史認識に国民を誘導し、※【われわれの安全をも危険にさらすものなのである。】

報じられた残虐事件、残虐行為に疑問を持ち、調査をはじめて十余年が経過した。ことの性質上、中国に関するものが大部分であったが、調査を通じて痛切に感じたことは、※【こんないいかげんな事実確認のうえに、わが国の近現代史が成り立ち、こんなウソ話がまことしやかに教えられ、贖罪意識が醸成されていたのか】ということであった。

日本軍の悪行となれば、※【「被害者」「加害者」のいうがままに】、競うがごとく報じるマスメディア、それに追随した学者や進歩的文化人、簡単に謝罪する政治家の姿がそこにあった。

だが、悪行が事実かどうかを確かめる「検証」という2文字が、見事なまでに省かれていたである。……

26満洲浪人 ◆NDvZ/TuPj.:2007/12/24(月) 18:23:52
渋山さん、恐れ入りました。

27渋山:2007/12/25(火) 07:44:33
…中国では慈善活動に従事する者はすべて「宣教師」と呼ばれている。一度も教会で説教したことのない医師や社会活動家も「宣教師」である。…

中国に来たのは、こういう真面目な宣教師であった。確かに初めの頃はそうであったが今(※1933[昭和8]年)は様相が違ってきている。今では目に見えない信仰より、逆に目に見える生活改善に情熱を注いでいる。…布教より生活改善である。特にプロテスタントは、アメリカ国内よりもこういう傾向が強い。百年前の宣教師は魂の救済に力を注いだものだが、今は本来の目的に加えて、衛生面、農作物の生産性の向上等、生活の向上に力を入れている。

仕方なくやっているのだ。目に見える餌が必要である。神の教えだけでは食いついてこない。例えば、ミッションスクールは無料である。無料なら子供が来る。勉強を教えながら聖書を教えようというのだ。これでは、まるで不動産競売に出る無料弁当だ。。゚(゚^∀^゚)゚。

…現在(※1933[昭和8]年)ミッションスクールに学ぶ学生は推定約50万人。数カ国が援助しているが、半分以上はアメリカの援助である。大金持ちがいながら、また税金は取れるだけ取りながら、教育に全くといっていいほど金を出さないというのも変な国である。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆

「中国には指導者がいない。指導者養成のためには今まで以上の教育援助が必要である」とパールバックなどは言っている。しかし、現在のミッションスクールの学生数の方が、あの1776年の独立戦争当時の13州全部の学生より多い。しかも施設は改善され、教育課程も充実している。しかしあの当時の方が、不足をものともせず、協力し勇気を奮い、業績を上げていた。

つまり、いざという時頼りになるものは学力ではなく人格と思考力であり、この二つを蔑ろにしたが大学教育などというものはお飾りにしか過ぎないのだ。

28渋山:2007/12/25(火) 07:49:55
…「国民党の主導権を握った蒋介石は、昭和2(1927)年暮れに宋美齢と結婚し、翌昭和3(1928)年秋に宋美齢のすすめからキリスト教に改宗する。そういった蒋介石を中国にいるアメリカ人宣教師とアメリカ本国の伝道組織は強く支持した。」…

<<国民党の監視下におかれるミッションスクール>>

宣教師の忍耐強さにはあきれるしかないが、現実はもっと厳しい。アメリカでは知られていないが、1927(昭和2)年から宣教師は国民党政府の監視下に置かれ、不本意ながらも従っており、小学校ではキリストの教えを教えることはできなくなっている。大学レベルでも学生の要望がある場合に限って、選択教科として教えている。これではミッションスクールの名が泣こうというものだ。ミッションスクールは、「中国にキリスト教を」というスローガンの下、アメリカで集められた基金で経営されている。スローガンを純粋に信頼して寄せられた基金である。小作農、綿工場の子供、貧しいながらも誠実な工夫たちが額に汗して稼いだ中から、なけなしの金をはたいて寄せた金である。断言するが、全く役に立っていないのである。

運営経費はすべてミッションスクール(ということはアメリカの慈善団体の費用でということだが)でありながら、もうひとつ制限がある。「校長は中国人でなければならない」というのだ。この条例は1927(昭和2)年、国民党が作ったものである。これによりアメリカ人校長は追放され、代わりに党公認の中国人が校長となった。アメリカの資金で経営される学校の校長は中国人。アメリカ人は、校長としての器量もない中国人校長も下で働くという奇妙な現象が起きている。もちろん校長の給料は我々アメリカ人が出したお金である。病院も中国人に明け渡されるようになり、その結果、例の中国人的経営方法を取ったお陰で運営がうまくいかなくなった(募金のパンフレットにこういう実態は一切公表されない)。

まだまだある。1868年の条約には宗教の自由が謳われてあったが、1928(昭和3)年、国民党は、これを反古にした。お人好しの宣教師はさしたる抵抗を示さなかった。これに気をよくした国民党は、次に「国民党の党規を教えろ」とまで命令した。国民党は現在は有力政党ではあるが、排外勢力や共産主義(表向きは否定しているが)、その他さまざまな政党の寄せ集めの政党である。…こういう国民党の命令を、宣教師たちは言われるままに受け入れた。いや受け入れただけではない。「これこそが神が与えた有り難い試練である。喜んで耐えようではないか」とまで言い出す始末である。「主よ、我に試練を与えよ」と祈るのは勝手だが、「試練」を蒋介石の司令室から頂いているのである。

何たる命令だ! キリスト教が消え、国民党が盛んになるにつれ、学生は興奮し、全土で暴徒と化している。教師の話を聞かない、規律には背く、ソヴィエト紛いの勝手な委員会を次から次へと開く。アメリカ人が建てた学校を乗っ取る。授業はすべて中断。政治屋たちが、大衆受けを狙った、まったく無意味な戯言(ざれごと)をまくし立てる。

校長が中国人だから、宣教師は羊のごとく黙っている。事実がアメリカに伝わることを恐れ、できるだけ隠そうとする。…毎週月曜日の朝には全校集会がある。そこでは、あの滑稽で、有名な「三民主義」の提唱者、排外主義の頭目、親ソ派である孫文の肖像に最敬礼する儀式があるが、宣教師も最敬礼している。

(暗黒大陸 中国の真実/ラルフ・タウンゼント)

29渋山:2007/12/25(火) 09:10:36
…昭和21(1946)年7月、焼け野原となった東京にひとりの宣教師が降り立った。丸顔で、ふくよかな頬をした、39歳の男だった。ウィルソンという名のアメリカ人で、中国からやってきた。中国からきたのは、そこで医師として働いていたからだった。…ウィルソン医師の証言から東京裁判の南京事件は始まった。

2番目の証言者は、…南京にあった金陵大学のベイツ教授であった。痩せて、眼鏡をかけた、50歳に近い男。かれもアメリカ人だったけれど、中国からきていた。証言台に立ったベイツ教授は、城内だけでも1万2千人の男女子供が殺され、揚子江では3万人の中国兵士が射殺され、強姦事件は8千と見積もられ、難民の寝具や食糧は5万の日本軍兵士によって奪われ、建物は定期的に焼払われ、それらは8週間から10週間つづいた、と述べた。そのうえ証言は具体的で、9歳から76歳までの女性に対する強姦をはじめ、さまざまな事例を述べ、その暴虐さはウィルソン医師の証言とはくらべものにはならなかったから、法廷で聞きいる者だけでなく、日本中を驚かせた。3人の宣教師のなかでもっとも慄然とさせる証言だった。ベイツ教授の証言によって南京事件はまれにみる暴虐事件となった。

3人目はマギー牧師。…彼だけはアメリカからきた。黒い詰め襟の牧師の服装で法廷に現れ、やせぎすで、年老いているためか、精細なく見えた。そのマギー牧師も、ベイツ教授と同じように多くのことを証言した。多さからいえば、むしろベイツ教授以上だった。…マギー牧師の証言によって、身の毛のよだつ南京事件がすっかりできあがった。3人によって述べられた凄まじい南京の様子は、宣教師がわざわざ日本に来て証言しているのだから、いくらかの誇張や勘違いはあるにしろ、ほぼ真実に近いものだろうと考えられた。…

最初の証言者であるウィルソン医師が証言していたとき、ウィルソン医師の述べていることはぜんぶ伝聞だ、と弁護側が反対意見を述べた。するとウェッブ裁判長は、伝聞証拠への反対は却下されている、と弁護人の意見を認めなかった。東京裁判は本来の法廷なら証拠として採用されない伝聞証拠がまかり通っていた。

そのうえ3人の宣教師は、伝聞をあたかも直接体験のように述べ、伝聞をふくらませていた。根拠のない数字を述べ、空想的に表現もしていた。

東京裁判の南京事件は宣教師の証言が核になってつくりあげられた。宣教師の証言する数万人の殺害を20万人以上に膨らませたのは中国人の証言と証拠だが、2万人強姦は最初から最後まで宣教師たちがつくりあげたものである。

南京陥落の7年前、河西省で国民党と中国共産党の戦いが起こった。それ(※中国人同士の殺戮)を目撃したふたりの(※アメリカ人)宣教師の話がアグネス・スメドレーの「中国紅軍は前進する」に紹介されている。戦いで殺された人数を宣教師が証言する話なのだが、殺された人の数は証言するたびに、何百人、1万人、2万人、3万人、と増える。この部分を読むたびにわたしは東京裁判の3人の宣教師を思い浮かべてしまう。

総力戦となった第一次世界大戦では、それまであまり重要視されていなかった宣伝がきわめて重要となった。さまざまな、そして膨大な宣伝が繰り広げられ、それをあらわすプロパガンダ(宣伝)という言葉はあっというまに世界中に広まった。

プロパガンダとは、もともと16世紀にカトリック教会が反宗教改革のために用いた教会の専門用語という。プロパゲート(宣教)などと使われていて、それが第一次世界大戦とともに、宣伝を意味する言葉として一般的に使われだす。キリスト教の専門用語がなぜ宣伝を意味する言葉として使われだしたのか、南京の証言を見ると、それは偶然ではないような気がする。…

(【再検証】南京で本当は何が起こったのか・阿羅健一)

30渋山:2007/12/25(火) 09:15:17

…ベイツ教授の晩年の資料がイェール大学所蔵のベイツ文書の中にある。その一つが履歴書で、ベイツ教授はそこに「1938年と1946年、日本との戦争中の人道的奉仕にたいしてシナの政府から勲章を授けられる」と記している。

1938(昭和13)年とは、中央宣伝部がベイツ教授の分担執筆した『戦争とは何か』を出版した年であった。1946(昭和21)年とは、ベイツ教授が東京裁判に出廷して「日本軍(4万人)不法殺害」を証言した年であった。

(南京事件 国民党極秘文書から読み解く・東中野修道 P.227 )

31渋山:2007/12/25(火) 20:11:34
※ 依頼しておいたネット古本屋から昼過ぎに到着。とりあえず、早速斜め読み。

『「朝日」に貶(おとし)められた現代史 万人坑(まんにんこう)は中国の作り話だ』・田辺敏雄著・平成6(1994)年1月20日第一刷発行

スレタイとの関連としては、「日本軍の蛮行の代表としての南京虐殺、日本民間人の残虐行為の代表としての万人坑」、ってことで。また、地元関連の話題でもありましょうし・・・。


<<はじめに>>

現在の中国東北部、かつては満洲とよばれた地方の南部に、交通の要所として知られる大石橋(だいせっきょう)がある。市街をはずれると一帯は丘陵地で、そこにポツリと記念館が建てられている。入口の上部には「虎石溝万人坑」と記され、おびただしい人骨が展示され、一種異様な雰囲気をかもしだして、見るものをたじろがせる。地層の中から幾重にもなって露出する人骨の山、埋められている遺体は1万7千にのぼると中国はいう。この記念館が、国民に大きな衝撃をあたえた「朝日新聞」の長期連載「中国の旅」で報じられた万人坑(まんにんこう)の発掘・保存場所である。

これまでの報道によれば、万人坑とは戦前、日本人が経営する炭鉱などで、中国人労働者を狩り集めては過酷な労働を強要し、病気や栄養失調、またケガや過労などで使いものにならなくなると、生きながら捨てた「ヒト捨て場」であると説明され、ときには、「東洋のアウシュビッツ」などとも呼ばれた。

さらに朝日報道「中国の旅」は、露天掘りで名高い撫順炭鉱にも30ヶ所の万人坑ができ、犠牲者は実に25万〜30万人にものぼったと報告し、主に満洲の炭鉱や鉱山、それに大規模な工事現場には必ずといっていいほど万人坑ができた、と報じた。

満洲国の首都であった新京(現在の長春)の東方に吉林市がある。この郊外にも累々とした人骨を展示した記念館が建造されている。豊満ダムの万人坑である。犠牲者は1万5千人、日本人が犯した動かぬ証拠として一般に公開され、中国人民の教育の場としての役割を有している。「日本経済新聞」が最初にこの存在をつたえた。

さらに満洲国と中国との国境であった万里の長城を満洲国側から越え、中国本土に入ったところ、山西省・大同市の郊外にも同じような記念館が建つ。大同炭鉱の万人坑で、犠牲者は6万人を数える。この記念館は「毎日新聞」や週刊誌がつたえ、…岩波書店が発行した写真集『昭和史の消せない真実』(平成4年9月刊)が、この万人坑を表紙に使って、日本の残虐行為として断罪した。

ほかに、日本軍の大量殺害の証拠として、大学教授が告発した水泉溝万人坑(熱河省・承徳)があり、犠牲者は4万6千人にのぼったとした。…また、「共同通信社」は撫順炭鉱の支鉱である老頭溝(ろうとうこう)炭鉱の万人坑について配信し、朝日新聞などが早速取り上げた。…犠牲者は数千人という。

このように万人坑は多くの地区に存在したとされ、なおも増えるばかりである。あらたな発掘が報じられるたびに、累々とした白骨遺体を見せつけられ、日本人の悪行として糾弾される。

32渋山:2007/12/25(火) 20:15:32
事実なら甘受すべきことであろう。だが、当時を知る立場にあった日本側関係者はことごとくその存在を否定しているのである。炭鉱や鉱山の採掘現場で働いていた人たち、ダム建設に従事していた人たち、そしてその夫人や家族、その地に居住していた民間人や軍関係者など、私が直接連絡をとった人だけでも300人近い。だが、万人坑を見た人はひとりとしてなく、ほぼ全員が万人坑を事実無根と否定した。さらに、報道されたような残虐行為についても、はっきりと否定する。

だが、関係者が否定しているにもかかわらず、万人坑は歴史的事実として市民権をすでに得てしまったのである。このことは、百科事典や歴史書にとりあげられ、高等学校用の歴史教科書にもその記述が見られることからも疑う余地はない。ところが、驚くべきことに、万人坑を告発し謝罪すべきと国民を叱咤した日本のジャーナリスト、学者、研究者の誰ひとりとして、日本側関係者を取材していなかったのである。

「まさか」と読者は思うかもしれない。だが、紛れもない事実なのである。彼らは競うように訪中し、中国側の説明を、中国側の用意した証人の証言を鵜呑みにし、鬼の首でもとったごとくに書きまくり、日本軍・民を断罪した。

はっきり言おう。万人坑は中国の作り話である。…

33渋山:2007/12/25(火) 20:19:16
<<正真正銘の万人坑(まんにんこう)があった>>

万人坑(まんにんこう)の初登場は、皇帝・溥儀の『わが半生』と思われる。溥儀がソ連から中国側に身柄を移され、撫順監獄(戦犯管理所)に収容されたのが昭和25(1950)年8月である。そして検察機関による取調べが開始され、告発文書に署名するのが4年後の昭和29(1954)年末であった。さらに一年を経過した昭和31(1956)年の初め、溥儀は3日間にわたり撫順炭鉱などを見学する。このときうけた説明をそのまま書いたのだろう。日本経営時代の撫順炭鉱での劣悪な条件下での過酷な労働、頻発する事故。それらが共産党指導下で克服されて行く様と対比して描かれている。この中に、万人坑、防疫斬殺事件などが記載されていた。

そして昭和46(1971)年の「中国の旅」連載へと引き継がれて行く。

『大漢和辞典』(諸橋轍次著)を引くと、「万人抗」として「抗」の字をあててはいるが、煕寧8年(1075年)発行の『甲申雑記』という中国の書物にでていることを示し、その意味を「多数の屍骸を合葬する墓、罪囚の屍骸を埋めた墳墓」と説明している。また、『大字典』(講談社、大正6年版)も『大漢和辞典』と同様、甲申雑記の記述「煕寧8年餓荽(がひょう)無数作萬人坑」を引き、「万人の屍(しかばね)を一穴に葬ること」と説明している。餓荽は「がひょう」と読み餓死者を意味する。万人坑は遅くとも11世紀、つまり宋の時代には存在していたのである。飢餓など珍しくもなく、むしろ常態に近かったことを考え合わせれば、万人坑が昔から各地にあったとしても不思議ではなかろう。

承徳憲兵隊の佐藤憲吉氏が、万人坑とはこれではないかと、数枚の写真のコピーを送ってくれた。コピーは復刻本『魔窟・大観園の解剖』(原書房・昭和57年)からとったもので、原著名は『大観園の解剖』(満洲国警務総局保安局)である。

大観園というのは、ハルピン郊外にある下層社会地区、傳家甸の中心をなす歓楽街の名称である。歓楽街というと聞こえはよいが、そこは阿片、売春、賭博、人身売買などの悪の巣窟である。本は昭和16(1941)年頃の大観園をルポしたもので300ページに近く、「漢民族社会実態調査第一編」として極秘扱いになっている。

加藤豊隆氏の解題によれば、発行元・警務総局保安局の前身は、満洲国の秘密警察組織、治安部保安局で、実態は関東軍の秘密工作機関であったという。リポーターは、当時の浜江省警務庁特務科の後藤令次氏らの三藤グループという説もあるようだ。

34渋山:2007/12/25(火) 20:23:17
巻頭には大観園の正面入口を写したもの、ほかに20枚ほどの写真が掲げられている。「街頭の屍」、「木賃宿から放り投げられた屍」まどとキャプションのついた男性の全裸死体を写したものもある。これらの写真を並んで、「萬人坑」と題した4枚の写真がある。正真正銘の万人坑である。

その一枚は、「市立大有坊貧民義地」と墨書した標識が立ち、背の低い墓標が立ち並んだ荒涼とした墓地を写したもので、<正しくは市立大有坊貧民義地と云う。この貧民義地の端に萬人坑の大穴があり、次々に乾枯(ひから)びた屍が素裸のままで抛(ほう)りこまれる。哈爾濱市中一ヵ年の斯かる屍の数は大約4千である>と説明されている。義地とは共同墓地のことである。

本文の中に、ハルピン特別市に所在する公墓・義地一覧表があり、その数は29ヶ所となっている。内訳は市公署墓地5、満洲人籍墓地15、日本居留民会が管理する日本義地など外国人墓地が7、不明墓地が2ヶ所である。29ヶ所の中で、「貧民義地」は右の大有坊貧民義地を含め3ヶ所ある。一覧表は墓地名、所在地、面積などのほかに、創設時期、既葬数、今後の可能埋葬数、有無料の区分などが記載されていて興味深い。大正から昭和の初めにできたものが多く、既葬数は多いところで3万人、少ない所で数百人といったところである。一例をあげれば、圏河義地はすでに1万人以上を埋めて「満了」であり、山東義地は9,790人を埋め、今後一年間で満了になる予定になっている。

もう一枚の写真は、着衣の残った男のもので、<衣物を着ている屍をやっと探し当てた。現代人は、人間は衣物を着て死ぬものだと云う錯覚に陥っている。彼の下には7・80の死体が醜怪な姿態で埋められている。>と説明されている。着衣をつけた死体がきわめて少ないことがこの説明からも読みとれる。本文には、<大観園及び大観園の付近に足を入れた者は、その辺の道路や階段の下などに、恰(あたか)もたった今墓穴からも這い出して来たかのような、素裸のままの屍を見ることが出来るであろう。此等の死体は、生きることに疲れ果てたモヒ(※モルヒネの略)患者(※阿片中毒者)、又は行路病者が自ら其処まで足を運んで来て悶倒し、その死の直前に於て道行く人々に一切合財を剥奪し盡(※尽く)された亡者共の死体か、さもなければ付近の木賃宿から放り出された死体かである。>と説明があり、これらの死体の落ち着き先は義地、つまり公営の万人坑である。

35渋山:2007/12/25(火) 20:27:16
<相当の死体が集積された頃、市公署の衛生自動車が来て此等を拾い歩くのである。衛生夫は丁度魚屋が魚を勘定する時に用いるような大きな鈎(※かぎ=先が曲がった金属製の器具)を持っていて、死体の首に引懸けて大きな乾鱈(※ほしだら=すけそうだらを開き薄塩にして干したもの)でも引きずるようにして、自動車に積み上げる。不愉快そうである。と云うのは死体が赤裸で、一物をも衛生夫達のために身につけていて呉れないからである>

この様は、撫順炭鉱の塚本均氏が書き送ってくれた撫順の中国人街の光景とそっくりである。

「(中国人街に向かって)大官屯の方から歩いて行くと、相当に長い『トラック』道路が続いている。途中、家が全くない殺風景な箇所もある。ある冬の日、此の道路を歩いて驚いた。凍死体が点々と道路の側に横たわっている。行き倒れか、病死か、凍死か身元の全くない死体であろう。(略)酷寒の頃になると夜、酒に酔って道端に一休みしただけでも凍死する。阿片患者かも知れぬ、肺結核かも知れぬ。(略)ずーと歩いて死体収集車に出会った。大八車である。鶴嘴(つるはし)で氷を割って大地から離し、死体は鶴嘴とスコップで大八車に積み込んでいる。パール・バックの『大地』の世界である。検視官がいるわけでなし、ゴミ収集みたいな方法で掃除している」。

衛生自動車が大八車に、鈎がツルハシに変わったくらいで描写にほとんど差がない。そして塚本氏は、孟子(※!!)に「道に餓荽(がひょう=餓死者)あれども、片付くることを知らず」とあったことを思い出したと記している。

衣服が脱がされる(盗られる)のは、大同炭鉱の根津証言でも、また承徳離宮で目撃した塩沢証言でも同様である。だから、大同炭鉱の白骨遺体の写真を見たとき、ほとんどの遺体に上下の着衣が残っているのを見て、あり得ないのではないか、ことによると、戦後早い時点で起こった事故現場などではないか、と思ったわけである。

彼の地(※暗黒支那大陸)は土葬が習慣であり、行き倒れなどの死者はこのようにして葬られていたし、そこを「万人坑」と呼んでいたのは間違いのない事実であろう。そして、戦前にはどこにでもあった土まんじゅう(墓)が、いまではおよそ見れらなくなった。大石橋でも土まんじゅうはすっかりなくなっている。とすると、遺体はどうなったのであろうか。

36渋山:2007/12/25(火) 20:31:17

国共内戦では何百万人、いやもう一桁上の文字通りケタはずれの死者を出したともつたえられている。漢奸(対日協力者)として処刑された人も多かったはずである。また、大躍進時代(1950年代末)に出した餓死者は実に1千万人とつたえられている。土まんじゅうで畑がなくなってしまうからと、火葬が奨励されるのは、戦後も大分たってからのことである。それに、住民が火葬を嫌ったのは間違いない。コレラ感染で死亡した工人を焼くとき、火葬を嫌って家族は泣き叫んだという話もある。

また、大正から昭和の初めまで、奉天城外に刑死者の捨て場があり、これらを「万人坎」と呼んでいたという詳細な見聞記(『満蒙鬼話』、長崎書店、昭和16年)が残っている。「坎」は穴を意味するから万人坑と同じであろう。処刑は年3回、まとめて行われたという。

いずれにしても、それらしき所を掘れば骨がでることに何の不思議もない。たちどころにあらたなる万人坑が出現することになろう。それらを無邪気に日本人の所業と結びつけるジャーナリスト、学者、作家など、まったく困った人たちである。

ご参照:

 h ttp://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/other-manninkou/other-manninkou-1.html

 h ttp://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/other-manninkou/other-manninkou-2.html

 h ttp://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/other-manninkou/other-manninkou-3.html

37渋山:2007/12/28(金) 05:38:05
h ttp://jp.youtube.com/watch?v=l-nN3zf6Ryw

狗エッチケー 相変わらず客観報道ぶって、まったく基礎知識欠如・常識以前の、媚中共報道。


荒唐無稽「30万人」の出どこ、■ 南京地方法院 検察処 敵人罪行報告書 ■

…南京地方法院付主席検察官・陳光虞が作成した「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告書」なるものが、昭和21(1946)年2月付で東京裁判に提出された。これは、※【日付なしの、前代未聞の公文書】であった。〜書式からしてハナから責任放り投げてます。 ( ゚∀゚)

その公文書が南京で「前代未聞ノ大虐殺」が発生したと主張する。

しかし、この「調査報告書」の告白するところによれば、日本軍の虐殺行為を申告する者が「甚ダ少キ」ばかりか、南京虐殺の聞き取り調査を行うと人々が啞然として「冬ノ蝉ノ如ク口ヲ噤(つぐ)ミテ語ラザル者」までいたという。そしてまた、南京虐殺を「否認スル者」までいたという。〜実際聞き取りやってみてさすがに支那人の陳光虞さんも進退窮まったんだろなあ。後世に残っちゃう文書だしチョロっと言い訳も書いておこおっと、とね。やっぱ支那人ダワ m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。

それでいて、虐殺者数にかんしては次のように主張された。<<確定セル被殺者既ニ※【30万人】ニ達シ、※【此外尚未ダ確証ヲ得ザル者】合計20万人ヲ下ラザル景況ナリ>>〜んじゃあ〆て50万人じゃん。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆

そしてまた、そのすぐ後で、「被殺害者数 34万人」と主張された。〜どっちだよおおぉ。m9(^Д^)

かと思うと、「被屠殺者タル我同胞 279,586名」と言われた。〜適当に数字並べてみました。もっともらしいと思うお好きなものをどうぞ、と。m9。゚(゚^Д^゚)゚。

(「南京虐殺」の徹底検証・東中野修道 より)

38渋山:2007/12/28(金) 10:25:32
日本軍民の残虐事件、残虐行為の話の出所は、…

中国抑留者

「手記」や「供述書」、それに活動家たちの「証言」である。なすべき検証を行わず既定の事実としてマスメディアが取り扱う…

(※彼らの手記・供述書・証言)これらの特徴の一つは※【突拍子もない残虐行為】が多く含まれていることである。変だと思う残虐行為を目にしたとき、証言者が抑留者かどうか確かめることにしている。…

<<第59師団のあらまし>>

1942(昭和17)年4月、…山東省・済南に編成…「駐留師団」といわれ、野砲以上の火力が一門もない部隊…(※支那事件が長引いてくると大陸の広い範囲に多くの師団を張り付けておかなければならなくなったが、もうあまり支那軍の大規模な反撃は予想されない地域には、砲兵隊を外すか、思い切り簡単にした歩兵連隊中心の師団が編成された。これを「治安師団」と呼んだ。※【占領地の警備】が主要な任務という意味である。都合7個師団が編成されたが、第32師団[東京]を例にすると人員は1万3千人、馬匹2千頭である。「丙師団」とも呼んだ。ちなみに支那事変当初動員された純然たる戦闘部隊の集合体「甲師団」・第3師団[名古屋]は、人員2万5千人、馬匹8千頭)

終戦直前の1945年4月北鮮に転進、咸興で終戦を迎えた。多くの将兵はシベリアなどで強制労働を強いられ、1950(昭和25)年7月、※【選定された将兵250名】が中国側に引き渡された。(だから「撫順戦犯管理所」という名の監獄での969人のうち)4人に1人は第59師団の将兵だということになる。(山西省・太原140人、遼寧省・撫順969人の合計1109人中国抑留者)

1956(昭和31)年、約6年の収容所生活の後、中共による戦犯裁判が開始された。6年の間に張作霖爆殺事件の首謀者として知られる河本大作元大佐を含め47人の死者がでているので、残る※【1062人】が裁判の対象となった。うち45人が起訴され、8年から20年の禁固刑が言い渡され、残る※【1000人余は起訴免除】となった。免除となった人たちはただちに釈放され、この年(※1956[昭和31]年)の6月から3次に分かれて帰国の途についた。

(※この6年間の)管理所内の生活を知るうえで、中共側の記録『覚醒―日本戦犯改造の記録・撫順戦犯管理所の6年』(「中国帰還者連絡会」→中帰連・訳編)が参考になる。原著は『世界を震撼させた奇跡―偽「満洲国」皇帝溥儀と日本戦犯改造の記録』(中国文化史出版社90)で、抑留者の改造などに当たった管理所職員による21編の記録である。『覚醒』はこのなかから日本戦犯の記録部分を抜粋、編集したもので、9編が訳出されている。

39渋山:2007/12/28(金) 10:29:07
…金源所長は「罪行は確かな事実のみを記すこと。拡大しても縮小してもいけない、と指導し、あくまでも本人の自白を尊重して、こちらからこの事件についてどうだ、こうだ、ということは決して聞きませんでした」と平成に入ってから日本人の取材に応じてこう語ったいる(「世界」98年5月号)。だから、「告発した罪行は事実」ということであろうが、ならば金所長に問いたい。

金所長は抑留者が告白した罪行について、「あるひどい者は、吸血鬼のように、中国人を斬殺した後、その肝と脳味噌を食べたのである。このような人間性の一かけらもないような野獣のごとき実例は、枚挙にいとまがない」と記している。

この告白を事実だというのか。これはいいがかりや枝葉の問題ではない。告白が信頼に価するものなのか、また告白が事実とどれほど遊離しているかを推し量る重要な問題である。

中国戦線で食料不足がそれほど逼迫していたわけではない。にもかかわらず、日本兵が内臓を切り取って食う、それも腹を割き、肝臓を取り出して食ったと告発する“中国人被害者”の例は枚挙にいとまがないのである。まるで「肝臓と脳味噌」の味を楽しむかのようである。なぜ肝臓を食うなどという突拍子もない話がでてきてしまうのか。※【日本人に人間の肝臓を食う習慣はない。】

答えは、『食人宴席』(鄭義著、光文社93)に書いてあると思う。文化大革命期、広西省全域に広がった食人事件がそれで、政府の認定した犠牲者76名をもとに計算すると、「武宜県の食人者は推定1万〜2万人にのぼる」とし、「食人事件は武宜1県だけのことではない。食人の気風は広西一帯に広がった」というのである。

生きている人間の肋骨の下に鋭い刃を入れ、「人」字型のように切り裂き、力強く踏むと肝臓と心臓が飛び出してくるという技術など、日本人に考えもおよばない。…

(検証 旧日本軍の「悪行」・田辺敏雄 から)

40渋山:2007/12/28(金) 10:33:11
h ttp://www.pekinshuho.com/ztjl/txt/2007-12/10/content_89575.htm
■ 元日本陸軍軍曹・坂倉清氏の証言

12月5日、南京大学構内において元陸軍※【第59師団】の軍曹であった坂倉清氏が自らの生々しい体験を語った。同氏は1920年生まれ。1940年に(※20歳で徴集入営ダロ。大日本帝国臣民は全員がそうだったんだヨッ! 1943[昭和18]年から19歳に)召集されたあと、戦犯として※【撫順戦犯管理所】に収容され、その中でラストエンペラー・愛新覚羅溥儀氏らとともに※【戦争を捉えなおす機会】を得て1956年8月に釈放された。帰国後、※【「中国帰還者連絡会」】に参加、日本国内および中国各地をめぐり、自らの戦争体験を語りつづけている。現在※【87歳】という高齢…

※ 70年前の南京陥落時にはてめぇ17歳じゃん。まともな戦闘未経験の北支の丙・治安師団配属で、なにをわざわざ無関係の中支那の南京くんだりまで、それも折も折り、出向いてバカズラ晒してんだよっ!!

…(※万里の長城北側は満洲国熱河省と南側の北支での共産八路軍掃討作戦の実態について)「日本軍が出動しても、敵発見は常に相手が先で、日本側が先にしかけることは、まずなかった」と第一大隊の塩澤春茂(准尉)はいう。敵がいるとの情報を(※現地住民から)得て出動しても、相手は移動した後で、空振りに終わることが多く、発見したとしても山岳地帯に慣れた相手の逃げ足が早く、日本軍は追いつけないのが実態であったからだという。…ゲリラ掃討が実態であり、戦闘規模からしても大量殺害など起こりようがないというのである。…「戦闘といっても小競り合い程度。2桁の敵を倒そうものなら大戦果ですぐに大評判になる。1個中隊で実際に行動できるのは80人ぐらいのもの。何十人、何百人の敵を倒せるものではない」と大崎巌はいい、「日本軍の相手は八路軍であって住民ではない。住民を殺せば利敵行為になる。なんで殺さなければならないか」と別の人はいう。…

● 「私は人を殺すことを何とも思わなくなった。略奪も数多く行った。そして※【毒ガス】を使って農民たちにガス実験を行った。また何の罪もない農民をつかまえて日本に送り込み、強制連行をする作戦にも私は参加した。」 

※ 催涙筒というのは「緑筒」(通称、ミドリ)このとである。くしゃみ性の「赤筒」(通称、アカ)とともに、使用例をいくつか耳にしているが、効果はあまりなかったというのが大方の見方であった。…ミドリよりアカ筒の方が毒性が強いが※【命にかかわることはまずない。】これらは、外形はともに同じで500ミリリットルの缶ビールより少し細めの大きさという。上部のフタをあけ、このフタで中のマッチのようなものを擦ると発火する仕組みと聞いている。…1997年発効した「化学兵器禁止条約」でも、くしゃみガス、催涙ガスは「暴動鎮圧剤」と位置づけ、「戦闘の方法として試用しないことを約束する」となっているものの、同条約の定義する「化学兵器」ではない。…※ んで、ゲリラ作戦常用で洞窟潜伏していた共産八路軍に使用しただけで、何も主任務が治安の部隊が住民をわざわざ敵にするわけがないだろよっ!!…またウサギ狩りとか、あんたの中帰連の先輩が御託言ってたが、ことごとく全否定されてるじゃん。

41渋山:2007/12/28(金) 10:37:15
● 「私たちはこのようにして、※【人を殺したり、家を焼いたり、物を奪ったり、拷問をしたり、あらゆる罪業を行った。】それが天皇のためだと信じていたからだ。しかし、実際は日本の侵略の手先に使われたというだけのものだった。」

※ はい、己の罪業自白してますよお。コレぞ正真正銘の戦犯ですので、ささっと現地で頭ブチ抜くなり首吊るすなり、とっとと始末してくらさい。 。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆

 h ttp://jp.youtube.com/watch?v=HkCAzsp6Rdk&feature=related

ったく戦後62年、未だにこういうことグダグダ言ってると、もう死刑宣告もしたくなるわなあ・・・。 (゜∀。)

5年もシベリアの酷寒の中で強制労働、また6年も撫順で洗脳されて大変でしたと、限り無い同情を寄せてたし寄せたいわけですが、凡その事情を言わずもがなでも薄々分かっていた当時と違い、いまどきこんな出鱈目くっちゃべってると、事情全く知らないてめぇの孫の世代に具体的な危険が及ぶ可能性大なわけで、こうなるととっとと自然死するなり、ホント、極悪人のウッカリ自白ってことで、ここいらはドイツに習って時効なしで日本国内で戦争裁判やって日本国民の手で処刑しなければならない・・・ m9(^Д^≡^Д^)9m ってしか言いようがなくなってくるかもよお。 m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。

42渋山:2007/12/28(金) 14:04:15
※ 強烈な男気を感じるなあ。はたまた、これぞ大人の、次世代への責任遂行、とか。
本来こういう方々が大学でガッツリ講義してくれるようになってはじめて日本は再生にとりかかれるんだ、とか・・・ +(0゚・∀・) + ワクワクテカテカ +

<<調査をする者が少なくて当然>>

「ある事実が存在しなかった」という証明は非常に難しい。存在したことの証明は点の証明ですむが、存在しなかったことは面の証明が必要になるからである。また、なかったことを「なかった」とする資料が残ることは、通常の状態ではない。だから、法曹界では不存在の証明を「悪魔の証明」と呼ぶそうである。

というようなわけで、調査には手間はかかるし、経済的負担も大きい。さらに、発表の場が限られている。何度、やめようと思ったことか。が、調査の結果の公表後、何通かは丁寧な礼状がとどく。これらを読み、やはりやってよかったと思い返す。

故人となった※板倉由明が、「利口な人間はやらないし、かといってバカではできないし」と苦笑いするので、「いや、わたしらが正真正銘のバカなんですよ」とまぜっかえして笑ったことがあった。非力な個人がマスコミを相手にして勝ち目はない。「真実は最後に勝つ」などというのは、しょせん書生論だと思う。

4 終わりに

最初に記したように、日本人の安全は危険水域に入ったと思う。日本人自身が認めた残虐行為のツケは、「カネ」の問題にとどまらず、いずれ先鋭的な形で回ってくることだろう。※【日本人に対する危害や迫害が、どこかで起きても不思議はないと思う。少し気をつければ、小さな兆しを各所に発見できるはずだ。】

われわれはかくも歪んだ「歴史を鑑にして」、なおも反省と謝罪をつづけ、半永久的に腰をかがめて生きていく覚悟なら何も言うことはない。そうでないのなら、歴史像を見直し、われわれ自身の対応を変えることによってしか打開する道はないと思う。

将来、変えようとする気運が起こったとき、ナチス同様、史上まれな残虐な民族という「過去の歴史」が眼前に立ちはだかり、これに反対する勢力が声高にこのことを利用するはずである。その時に、それはわが国のメディア、学者などとともに、われわれ自身も手を貸した虚構の産物だったことを知るうえで、本書が多少とも役に立ってくれればと思う。そして、変化に向けた足取りが確かなものになることを望んでいる。…

(検証 旧日本軍の「悪行」・田辺敏雄 平成15[2003]年1月20日第1刷発行 から)

※ 板倉由明(いたくら よしあき):

昭和7年        横浜市南区に生れる
昭和33年       横浜国立大学工学部卒業
             板倉製作所経営
昭和56年以降    事業の傍ら、主に南京事件・従軍慰安婦関係の現代史研究に志す
             偕行社『南京戦史』編集委員として『南京戦史』の編集に参画
平成11年2月4日  肝不全のため死去

43渋山:2007/12/29(土) 10:43:24
h ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071227-00000024-flix-movi
■ 衝撃!「レイプ・オブ・南京」を基に元AOL副会長が映画化…日本、中国を※【徹底リサーチ】

※ 原作が29歳日本語も中国語もできなかった支那系2世米人女の出鱈目本で補強資料が大年増米人女宣教師の日記に手紙ときたもんだ・・・ 。゚(゚^∀^゚)゚。

…※【当時の中国人を守るために南京に残り、セーフティー・ゾーン(安全地帯)という犠牲者を保護するための場所を確保した西洋人たち】のことが記述されていたのです。その記事に刺激されてから、そのような環境化で、自分は同じような行動を取ることができるだろうかと考えてみたのです」と答えた。

この映画のリサーチについては「※【38人の研究者を雇って、中国と日本だけでなく世界中からその資料を集めました。】そのセーフティー・ゾーンで活躍した中の1人に※【ミニー・ヴォートリンという(※独身大年増・金陵女子大教授にして宣教師の)女性】がいたのですが、彼女が書いた1100通もの手紙に、当時の出来事が詳細に記されていて、※【それを中心に調べました】」と話した。

その※【手紙や日記などを映画内で伝える過程で、まるで舞台のように朗読させた】理由については「もちろん、有名な俳優がかかわることで、この事件を重要視させただけでなく、アーカイブ映像とインタビュー取材を繋げてくれる一つの架け橋になってくれています。俳優たちが、※【この西洋人たちの魂】をよみがえらせてくれたのです」と語り、さらにこの戦時下の中で、西洋人を中立な立場として見ることは少しナイーブではないかという問いに「歴史は、先人たちが見てきたものを詳しく説明したものだと思っています。そんな中で、わたしが今回掲げた目標は、※【アメリカでは、あまり知られていないこの惨劇】に光をともすことでした。

現在、わたしたちの映画以外に7作品(中国の観点や日本の観点も含め)が、この南京のことに関して製作されていて、※【ホロコースト】を扱った何百作品と同じように、さらに掘り下げた作品が出てきてくれればいいと思います」と熱意を語ってくれた。

※ 並んでる単語みただけでも、もうすっかりお郷が知れたわな。
しかし、コイツは「ホロコースト」の意味も知らんようだな・・・

「序文によれば、チャンは幼い時にアメリカの大学教授であった両親から、日本兵が赤ん坊を3つ切り4つ切りにし、揚子江が何日ものあいだ血で赤く染まったという話を聞かされていたという。しかし町の図書館にも南京虐殺に関する本はなかったため、その話は長く意識から消えていた。それが再びこの問題を意識するきっかけとなったのは、南京虐殺の映画が、友人の映画製作者の手で製作されたと知ってからであったという。…そしてチャンが電話したもう一人は※【湯美如 Nancy Tong 】で、彼女は『天皇の名において IN THE NAME OF THE EMPEROR 』というドキュメンタリー映画の共同製作者の一人であった。…」

 h ttp://jp.youtube.com/watch?v=OFGu7K_9cuU&feature=related 

1992(平成4)年か。まあ普通はこの程度だったよなぁ・・・

44渋山:2007/12/29(土) 12:57:12
…ある種独特の雰囲気があり、2キロも先でもそれがわかる。「顔に書いてある。みんな目が飛び出ている」そうである。言われてみると確かに「宣教師顔」とでもいうべき特徴がある。太平洋航路のウエイターでもわかるらしい。「このお客さん、宣教師だな。これではチップは半分しかくれないな」となるそうだ。全体的に宣教師は暗い顔をしている。また、中国勤務の女の宣教師は一番丈夫で長生きだが、皺だけは寄るのが早くなる。…

これでは「一目でわかる顔」になるのも無理はない。特に若い女宣教師にストレスがたまる。それならばなぜ彼女らは中国まで出かけるのか。「刺激を求めて」である。「アメリカにいては先が知れている。中国へ行こう」というわけだ。純粋な宗教的理由で渡った者は少ないはずだ。しかし、一度渡ると帰ってこない。もともとアメリカを見限って行ったのだから。

そして運命に身を任せられるようになる中年になると変わってくる。信仰心が熱く湧き上がり「伝道こそ我が命」と決意を新たにするのである。しかし、ここまでくる者は少ない。多くは道に迷い信仰を捨てる。中国で50過ぎても清らかに神に身を捧げられる者は少ない。いるのは若い男と高齢の女性宣教師がほとんどである。…

もう一つ例を挙げよう。ハレット・アベンドの1930年の『虐げられた中国』からの引用である。アベンドは「ニューヨークタイムズ」の中国主任通信員を長く務めた人物である。

氷の閉ざされた大沽(※天津港)の沖合の小舟で、ある女医療宣教師がありのままを語った。

<<62歳になって帰国するんです。希望が持てなくなってね。34年も片田舎で中国人のために医療宣教師として勤めました。義和団事件の頃だって病院を離れなかったわ。私には向いてなかったんですが、かれこれ30年以上も病人を看病し、衛生指導に当たったんです。62の今なってようやく気づきました。「人生台無しにしたなあ」と。アメリカにいたら結婚して子供を産んで、それから近所の恵まれない人たちのお役に立てるようなこともできたのではないかと。ここでは何をしても無意味で、感謝もされないのです。本当に残念ですね。でもこれからは違うわ。アメリカに帰ったら若者に「宣教師として中国に行くなんて狂気の沙汰よ」と、命ある限り訴えようと思っています。>>

45渋山:2007/12/29(土) 13:01:03

同書には1927年の国民党台頭から同書が出版される1930年までに宣教師に加えられた凶行が紹介されている。南京政府の職員が民衆を扇動し、伝道所へ向かわせ威嚇する。伝道病院にピケを張り妨害する。ミッションスクールを閉鎖に追い込む、等などである。ある時は、群集が見るに堪えないスローガンを教会に貼る。そこには鉄砲を担いだ国民党軍が護衛についている。誰を護衛しているのかと思うと、群衆を護衛しているのである。極端な話ではない。数字を見て欲しい。1927年から28年、中国にいた8千人に上る外国人宣教師のうち5千人が退去させられている。

どこへ退去したのか。日本である。しかし、日本に避難したものの、日本人が好きになれない。可哀想な人間がいないからである。

アメリカ人とは不思議なもので、可哀想だと思えない相手は好きになれない人種である。宣教師は特にこの傾向が強い。可哀想な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、救ってあげようという殉教精神が湧き上がるのである。だから中国人は全く有り難い存在なのだ。

ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。これでは宣教師の出る幕がない。だから宣教師に好かれないのである。…

(暗黒大陸 中国の真実/ラルフ・タウンゼント[原著1933(昭和8)年出版の1997年版] から)

46渋山:2007/12/29(土) 13:49:54

…金陵女子大教授ミーニ・ヴォーリントン師…彼女は日本軍の南京占領当時、婦女子用のキャンプとしては最大のキャンプを金陵女子大内に設けた宣教師だった。その記録が、「難民キャンプで『豊かな生活』を共にして」と題して、…出ている。

<<金陵女子大学の校門が初めて婦女子の避難民に開放された12月8日から1月16日までの間、食事と衣服を用意し、※【男どもの無統制の欲望から安全にするという、生きるうえで最も急を要する基本的なこと】にほとんど忙殺された。…ひどく興奮した女性や女子が殺到し、ついには構内の空間という空間がぎっしりと詰まって、夜にはベランダや通路でさえ頭と足が触れ合うほどの鮨詰めとなったのである。>>

ヴォーリントンという宣教師は、ラーベの12月26日の日記によれば、※【日本兵の歓楽に女性を渡すくらいなら「死んだほうがまし」と言う、潔癖な独身女性】であった。…



…さらに不思議な「事件」もあった。以下は事例192からの抄訳である。

<<(※1938[昭和13]年)1月17日……日本兵は再びやって来た。トラック2台と、クルマ2台に、将校2名を連れて来た。そして、養蚕の建物から男性数名と女性7人を①獲得した。ベイツ博士がそこにいて一部始終を目撃した。男や②女たちが完全に自由意志で行こうとしているのが分かった。一人の女は若かったが喜んで行った>>

(①の「獲得した」の原語は「 got 」であるが、洞富雄[※マサニ法螺富み男ダナァ]編『日中戦争南京大虐殺事件史料集第二巻英文資料編』の邦訳では「拉致」と改竄されている。)

これは金になる仕事であったのだろう。そのため、人によっては喜びを隠さなかった。②が示すように、「女たちが完全に自由意志で行こうとしている」ことが、確認されていた。一人の若い女は「喜んで行った」 went willingly という。ラーベの日記や、南京ドイツ大使館公文書綴「日支紛争」が記すように、彼女たちは、紅卍字会(こうまんじかい)の通称ジミーこと王承典が募集していた「売春婦」であったのだろう。…

(「南京虐殺」の徹底検証・東中野修道 から)

47渋山:2007/12/29(土) 13:53:07

 ミニー・ヴォートリン ね。

48渋山:2007/12/29(土) 13:55:49
…12月24日、ミニー・ヴォートリン女史の日記に次の記録がある。

<<師団(京都第16師団)に高級軍事顧問と会見することになった。幸い、大使館付の年配の中国人通訳を同伴してきた。ここの避難民1万人のなかから売春婦100人を選別させてもらいたいというのが日本軍側の要求であった>>(77頁)

その翌日の25日、南京の上海派遣軍参謀長の飯沼少佐は陣中日記に、日本軍は職業的女性を集めた慰安所を「年末ニ開業セシメル段取リトナレリ」(I 226頁)と記す。上海派遣軍参謀副長の上村大佐は12月28日、「南京慰安所ノ開設」(I 280頁)にかんする案を審議したと記している。

誤解のないよう言えば、これは強制連行ではなかった。「市民重大被害報告」の「事例192」は、1938年1月17日のこととして、「ベイツ博士がそこにいて一部始終を目撃した。男や女たちが完全に自由意志で行こうとしているのが分かった。一人の女は若かったが、喜んで行った」(254頁)と明記している。

『ラーベ日記』の12月26日にも次のような記述が見える。

<<上品な紅卍字会のメンバーが……なみいる娘たちに二言三言やさしく話かけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだ。※【ミニー(ミニー・ヴォートリン)は言葉を失った】>>(147、148頁) 。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆

南京ドイツ大使館公文書綴「日支紛争」が記しているように、彼女たちは紅卍字会の通称ジミーこと(※ポン引き・女衒の)王承典が募集していた「売春婦」(205頁)であった。…

(再現 南京戦・東中野修道 から)

49談談:2007/12/29(土) 15:15:13
渋山さん今年も楽しかったですか?
渋山さんは何処の国の工作員ですか?

50渋山:2007/12/30(日) 11:04:03
あ、談談さん、こんにちわ。
そうですねぇ、9月しょっぱなの、赤城の3世山猿糞絆創膏顔でガックシ来て挙句安倍タン下痢政権放り投げで相当落ち込んでましたデスか。 それがやっと11月11日産経・阿比留記者のブログで今まで聴いたことも無い「ラップ」なるものを紹介してもらってからひと月経って、やっと元気・生気上向きに楽しさもそこそこ戻りてな感じでしょうかネぇ。
え? 「工作員」認定していただけるんですか? 光栄だなあ。 v( ̄Д ̄)v ブイッ

でも、「何処の国の」ってことはないでしょう・・・ _ト ̄|○

 ↓

51渋山:2007/12/30(日) 11:07:00
 h ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm961516

 h ttp://jp.youtube.com/watch?v=snDrZKBZx1Y&feature=related

日本に生れた喜び いつも心に 英霊来世( Arei Raise ) 俺たちの矜持

あの 原子爆弾2個もってして 焼き尽くせなかったもんですぜ ダンナ
あんな 惨禍超えてきたんだ やっぱ日本ってスっゲぇぇー

少ない鉱物資源 核という名の人体実験
克服してきた人材人間の 子孫がここにはいっぱいいるぜ

日清・日露・大東亜聖戦 江戸・明治・大正・昭和・平成の
経験が詰まった先人の叡智に 今こそ学べ 前進の精神
こそが 何ものにも代え難い 未認定無形重要文化財

※ 逆襲の日っ本ん さあ来るぞっ!! まずは心っにっ 核っ武っ装ぉっ!!

美しき国   日本
日が昇る国  日本 
素晴らしき国 日本 日本 日本
神の住む国  日本
大好きな国  日本
俺達の国   日本 日本 日本

人は何かの犠牲の上に立つが 大事なのはその上に何を為すか
戦争終わってもう60年 いい加減迎えよう 英霊と終戦

負けると知りつつも立ち向かう 時に命賭して 勝ち掴むっ
それは善悪超えて尊いしデカい 俺たちのご先祖は間違ってないっ!!
※ 俺ただ日本が好きなだけ 右でも左でもねえっ!!

大好きな日本と日本人 忘れんな希望と自尊心
※ まず声を出せ日本男子&女子 神風の魂はいつもここに
託された想いと共に 胸に刻め“公”の一(ひと)文字
 
美しき国   日本
日が昇る国  日本 
素晴らしき国 日本 日本 日本
神の住む国  日本
大好きな国  日本
俺達の国   日本 日本 日本

52渋山:2007/12/30(日) 11:11:17
やっぱこの国本当好き だから心もそう 黄金の国 で在りたいね
俺ら日本人 あるぜ一本芯 常に日々精進

時間を超え 歌声よ届け いつだって きっと会えるここで
想いは必ず 響きあう そう靖國の空で 虹になる

俺達には出来ない事もある でも僕らだから出来る事がある
こんな俺達でもやれる事 あるなら 歌おう声涸れる程

※ 受け継いだもの忘れないで いつも心に想い描いて
そして繋げる次の世代へ 共に歩んで行く未来 目指してぇぇぇ

日本 
美しき国   日本
日が昇る国  日本 
素晴らしき国 日本 日本 日本
神の住む国  日本
大好きな国  日本
俺達の国   日本 日本 日本ぉぉぉぉんん ・・・

こんな俺達でもやれる事 あるなら 歌おう 声涸れる程

53名無しさん:2007/12/30(日) 12:40:14
渋山は大連市政府の工作員だろ。

54渋山:2007/12/30(日) 16:15:29
大連市政府ぅ? 関東州庁ぉって言ってほすいなあぁ m9。゚(゚^Д^゚)゚。

でもやっぱ文官より関東軍、工作員ってんなら関東軍特務機関が理想、かな? (^Д^)
大連特務機関長・安江仙弘(のりひろ)大佐のもとで、ユダヤ人満洲入植なんぞを画策してネ。

上海から手っ取り早くスピルバーグみたいなセンスいいユダヤ人を引っ張ってきて甘粕正彦理事長の満映で活躍してもろてサすぐに東洋のハリウッド出来上がって、被支配DNAで多言語脳発達してる支那人やら朝鮮人の若くて見栄えのいい男女をば上海・天津の租界から高給でスカウトして来てネ、英語版・仏語版で洒落た宣伝映画バンバン作って米欧に極安料金で配給すると。なら、あのセンス丸でなしのフランク・キャプラ(Frank Capra)なんてぶっ飛んじゃってたのになあぁ・・・( ;∀;) イイハナシダナー

55渋山:2008/01/03(木) 09:37:27
h ttp://www.melma.com/backnumber_45206_3954103/

(読者の声4) 日本経済新聞、平成19年12月31日朝刊によると、「集団的自衛権行使の是非などを検討してきた政府の有識者懇談会が今秋まとめるはずだった報告書を巡り、福田康夫首相が一部修正を求めていたことがわかった。懇談会の検討課題の一部について「緊急に検討する必要がない」などと指示。懇談会は内容の再検討を迫られ、提出時期も年明け以降に大幅に先送りされることになった。
 h ttp://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080101AT3S2901130122007.html
……懇談会のメンバーによると、懇談会が検討していた四類型のうち、米国に向かうミサイルを日本が迎撃する場合など、日米同盟に関する集団的自衛権行使について、福田首相が「現実性がないものを提言されても困る」などと疑問視。首相はかねてより集団的自衛権の行使には消極的とされてきたそうだ。

また、同日の朝日新聞朝刊によると、「東シナ海の春暁ガス田上空に今年9月、中国軍の爆撃機が2日間で40回以上も飛来し、日本の自衛隊機が緊急発進をしていたことが分かった。台湾の軍事筋が明らかにしたもので、日本政府も認めている。台湾有事に備え、東シナ海で軍事活動を強化する中国軍の戦略の一環とみられる。春暁ガス田周辺は横須賀などに停泊する米空母が台湾に向かう航路にあたる海域でもある。……軍事評論家によると「同爆撃機は洋上艦艇も攻撃可能。台湾有事の際の、米空母の来援阻止というシナリオをもった訓練ではないか…」とのこと。
 h ttp://www.asahi.com/international/update/1230/TKY200712300153.html

福田首相はいったい何を考えているのだろうか。中国から、大歓待を受けて帰国した。中国は日本の金と科学技術がほしいだけだ。

嘗て田中真紀子氏の父は、日中国交回復のころ、間違った中国観を持っていたと言われている。それは恐らく、福田首相が今度の訪中で孔子廟を訪れた時の感慨と同じだろう。それは聖人君子の国、パール、バックの大地、誠意をつくせば必ず答えてくれる、約束は必ず守る、他人(国)を利用することはしない、信義に厚い、プーアチャイナ、誠実、他人(国)を裏切らない、弱い者いじめはしない、等々であろうか。

そういう間違った、現実とは正反対の中国観を持った福田首相が、アメリカと中国は戦争をしない、日本と中国は戦争をしない(だから集団的自衛権などは非現実的で必要ない)、と勝手に思い込んでいても現実はそうはいかない。やがて中国の空母が東シナ海を通り抜け、西大平洋へ出て行くのは時間の問題だろう。そして台湾併合の後は沖縄、その後は日本だ。それは福田首相が死んだあとかもしれない。中国はそれほど長期的に見ているはずだ。

56渋山:2008/01/03(木) 09:41:52
温家宝とのキャッチボールなど茶番以外のなにものでもない。(※かと言って)福田首相が中国から金を貰っているとは思えない。(※にもかかわらず)様々な中国の情報が入ってきている今の時代に田中角栄の頃と少しも変わらない中国観とは驚きだ。

福田首相は就任の時に靖国神社の参拝の有無を聞かれ「親しい友人の嫌がることはしない」と言った。中国が親しい友人というのは、福田首相個人の考えであり、日本人のだれもがそう思っている訳ではない。それは集団的自衛権の問題が「非現実的で必要がない」という発言と同じである。集団的自衛権の問題が、日本人のだれもが非現実的で必要ない、と思っている訳ではないのと同じである。

間違った中国観、公私混同の発言、とても一国の宰相(あえて首相ではなく)の器とは思えない。

中国は福田首相の帰国後に反省会いや検討会を開いた。そしてその結論は「果報は寝て待て」だったそうだ。(TK生、目黒区)

(宮崎正弘のコメント) しかし果報は寝て待っている間に通り過ぎて行った?

57満洲浪人:2008/01/05(土) 16:51:29
我々、日本人は武士道の文化であり、武士道では、民間人に手を出す文化はない。

58名無しさん:2008/01/05(土) 18:17:02
国家統制局通報

59渋山:2008/01/10(木) 12:48:44
>>44 氷の閉ざされた大沽(※天津港)の沖合の小舟で、ある女医療宣教師がありのままを語った。

<<62歳になって帰国するんです。希望が持てなくなってね。34年も片田舎で中国人のために医療宣教師として勤めました。義和団事件の頃だって病院を離れなかったわ。私には向いてなかったんですが、かれこれ30年以上も病人を看病し、衛生指導に当たったんです。62の今なってようやく気づきました。「人生台無しにしたなあ」と。アメリカにいたら結婚して子供を産んで、それから近所の恵まれない人たちのお役に立てるようなこともできたのではないかと。

ここでは何をしても無意味で、感謝もされないのです。本当に残念ですね。でもこれからは違うわ。アメリカに帰ったら若者に「宣教師として中国に行くなんて狂気の沙汰よ」と、命ある限り訴えようと思っています。>>

※ このオバンは切り替え・立ち直り早いから『アメリカに帰ったら若者に「宣教師として中国に行くなんて狂気の沙汰よ」と、命ある限り訴えようと思っています。』ってことで元気なんだけど、・・・

>>46 ヴォーリントンという宣教師は、ラーベの12月26日の日記によれば、日本兵の歓楽に女性を渡すくらいなら「死んだほうがまし」と言う、潔癖な独身女性であった。

…ヴォートリンは、金陵女子大学の校長代理として南京事件当時中国人女性救済に活躍したわけだが、1941年米国に帰国し、まもなく自殺する…

その日記『南京事件の日々』252頁には、「私の中国での伝道は不成功に終わった」「不治の精神病に苦しむよりは死んだほうがましである」という遺書があることを伝えている。…

(「南京事件」発展史・冨澤繁信 P.164 )

※ クリスチャンの宣教師が、さっさと自殺しちゃったんだ・・・ ┐(´ー`)┌

60渋山:2008/01/14(月) 06:21:31
h ttp://sankei.jp.msn.com/life/education/080114/edc0801140206000-n1.htm
【正論】 歴史問題は時事問題である      上智大学名誉教授・渡部昇一


≪70年前の事件が熱い≫

東京オリンピックの頃にその50年前の話を政治問題にする人はいなかったであろう。オリンピックは1964年、その50年前といえば、1914年、つまり第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)した年である。そんな頃の話は完全に歴史家の分野であった。

しかし去年は南京陥落から70年もたっていたのに、中国系の資金が動いたらしく、10本ものインチキ南京大虐殺映画がアメリカやカナダで作られ、また南京では大虐殺の記念館が数十億円を費やして大拡張された。70年前の事件が−それが虚構であることが完全に証明されているのに−まだポッポと燃えている熱い時事問題なのであり、未来問題でもあろうとしているのである。

昭和12年の夏、上海あたりにいたのは日本陸軍ではなく、日本人居留民保護のための陸戦隊が3000人程度いただけだった。日本の陸戦隊というのはアメリカの海兵隊とは違って、水兵さんたちが軽武装で居留民保護に当たるのであって、本格的戦闘部隊ではない。その陸戦隊が、数個師団の蒋介石の精鋭主力陸戦部隊に攻撃をしかける可能性はゼロだ。この戦争はユン・チアンとジョン・ハリデイの『マオ』によって、張治中将軍がスターリンの命令で始められたことが説得的にのべられた。

61渋山:2008/01/14(月) 06:24:35
■ 東京裁判パル判決に対する誤解

この前の戦争が時事問題であることを示唆していると思われたのは安倍前首相のパル判事とチャンドラ・ボースの遺族訪問であった。安倍さんは首相として、この前の戦争がまだ時事的な政治問題であることに折にふれて気付かれたのではないだろうか。そして東京裁判に対するパル判決書を抜いてはその根本的な解決に至る道はないことも。

≪ガンジー主義であっても≫

ところが最近パル判事について奇怪な妄論(もうろん)が現れている。パルさんはガンジー主義者であったから、日本の戦争責任を許したわけではないとか、従ってパルさんは日本の保守主義者がそんなに有難がる必要はないとか。

これは判事個人の思想と裁判の判決の区別を知らぬ幼稚な議論である。私がドイツで学んでいた頃−偶然にもウエストファリア条約締結地の大学だった−カトリックの法律学徒にこんな質問をしたことがある。

「もし堕胎が許されている国で、裁判官が熱心なカトリック教徒だったらどうするのか」

彼は簡単に答えた。

「裁判官は、法律によって判断し、自分の宗教的信念は公的場面に出さないことになっている。それはウエストファリア条約(1648年)以来の啓蒙(けいもう)主義のためであり、今日もそうである」

考えてみれば当たり前の話だ。近代国家の裁判では、判事個人の信念や宗教を出してはいけないのである。国際裁判においても同じ精神で法律の適用を行うのが判事の役目である。

62渋山:2008/01/14(月) 06:28:55
日本が独立回復した後でパル判事が日本を訪れた時、ある日本人が、「日本に好意的な判決を書いてくれた」ことに感謝したところ、パル判事は厳然として次のような趣旨のことをのべた。「私は日本に対する好意であの判決書を書いたのではない。私は国際法に忠実であることを心がけただけである」と。

≪ただ国際法にもとづく≫

パル判決書は膨大なものである。講談社学術文庫で、1600〜1700ページになる。私は精読したことがあるし、現在もその研究会を行っている。この膨大な判決書が終始一貫してのべているのは、検事の告発に対して、一つ一つ事実と国際法にもとづいて反駁(はんばく)し、かつそれを否定する結論に至る道筋である。検事は昭和の初めの頃から日本の行為を「共同謀議」で告発しているから、パル判決書の大部分は昭和史の検討なのだ。

パル判事が日本にも責任があるとしたのは捕虜や住民に対する虐待である。しかしその大部分はそれぞれの現地で処刑が終わっている話であり、東京裁判においてもほとんど証人が法廷に出ていないと指摘する。A級戦犯である人がこれらの事件に関係なかったことは分かり切ったことだ、と言わんばかりの口調だ。

日本が不戦条約を破ったという検事告発にも、不戦条約の生みの親のケロッグ自身が自衛戦はよいとしているし、自衛か否かを決めるのはそれぞれの主権国家であり、自衛の概念の中には、国境侵犯などのほかに経済的圧迫も入ると議会で証言していることを指摘している。

また人道問題では原爆の例もあげている。戦勝者をも同じ基準で裁かなければ国際法にならないというのがパル判決の主眼である。彼がガンジー主義かどうかは問題にならない。  (わたなべ しょういち)

63渋山:2008/01/16(水) 22:57:57
>>31 >>32 >>33 現代の万人坑、ミッケ・・・  そして、気違い風水からの狂った鞭死(べんし)文化。

「嘉永6年以降、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、永らくそのみたまを奉慰し、その御名を万代に顕彰する」ために英霊の名その他を記すだけの霊璽簿だけで位牌などありはしない。御神体は神鏡と神剣。『靖国神社の御神体は神鏡と神剣ですが、副璽簿は靖国神社が祭神として認定した人々の名簿である「霊璽簿」とされています。靖国神社に祭られるとは、「霊璽簿に氏名、戦没年月日、戦没場所、所属、階級、勲章の等級などが記載される」ことを意味します。』などと高尚なことは、決して理解できまいて。。。。
それに古代からの火葬習慣。…日本では、仏教の伝来と共に伝わったというのが有力説である(仏陀が火葬されたことにちなむ)。『続日本紀』によると、日本で最初に火葬された人は僧道昭であり、文武天皇四年(700年)のことであるとされる。また天皇で最初に火葬されたのは持統天皇である。なお「荼毘に付す」の荼毘(だび。荼毗とも)は梵語で「jhpeta」、火葬のことである。…Wiki

…司馬遷の『史記』のなかに「鞭死(べんし)」はでてくる。春秋時代の楚の国で、伍子胥(ごししょ)の父は楚の平王の臣下であったが、内紛が起き、父と弟は殺された。伍子胥はその仇を討とうとして、呉に仕え、大軍を率い、楚に攻め込んだ。彼は平王の墓を暴き、その屍をひきだし、300回も鞭打った。「鞭死」とはこのことを指す。…中国の大衆が靖国問題を叫び立ててきたその深層の心理である。中共はいまなお毛沢東がつくりあげた「鞭死文化」のなかに浸っているのだ。総書記から若者たちまで、その胸中にはいまなお「鞭死コンプレックス」がある。

土葬の中国に無数にあった大小の墓は、毛沢東時代の1950年ごろ、土地革命運動の農民によって、そして1960年代の文革初期に紅衛兵によって、2度も掘り返されて壊された結果、すべて消滅してしまった。

最近はニセの遺骨で人を騙す商売やニセの墓を建造して政治的に利用することが流行っているという。用心されたい。

…生まれ故郷…に民営企業で大成功した遠縁の甥がいる。…彼が電話をかけてきた。…青海の徳令哈労改農場から手紙が届いたという。人民元7千元(大陸在住の人は台湾在住の人より3千元ばかり安い)を払えば、労改で死んだ「反革命分子」の父親の骨壷を引き取ることができると書いてあった。…友人から聞いた話では、あの農場にそんな骨壷などあるはずがないという。

64渋山:2008/01/16(水) 22:59:43
※【1960年、61年の「大飢饉」のころ、人口300万人足らずの青海省で100万人近い人間が餓死したのだという。青海の荒野に万単位の人間を収容する大型の労改農場が十数か所つくられ、15年以上の有期刑の重刑犯が収容されていた。これらの農場で餓死した人が多かったので、大きな穴を掘り、何百体もの遺体を放り込んで埋めたというのである。】〜わずか40何年ちょい前製の「万人坑」がゴロゴロと・・・┐(´ー`)┌

…現在、各省・市・自治区の司法庁労改局とそこの所属する監獄では、いずれも「創収」(役所が固定収入とは別に、新たなサービスや営利活動を創って、新しい収入の道をつくる。予算が少なく給与も少ない役所で、1990年代から流行している)活動が大流行である。その活動の一つとして、労改で死んだ「罪人」を利用して悪知恵を働かせることにした。

死亡者の原籍住所と親族氏名をコンピュータに打ち込み、その後、かたっぱしから遺族たちに手紙を送りつけ、有料で骨壷を引き取らせ、新手の収入源にしているという。造作も無いことだ。そこらから骨灰をかき集め、陶器かプラスチック製の骨壷に詰めて、それぞれに氏名原籍と生没年のラベルを貼り付ければいいのである。保管料金と称する引取代金は、香港や台湾にいる者は一人分につき1万人民元、国内の引取人は交渉に応じて(高い代金を払えない者もいるから)、一人分につき4千元から7千元にしているというのである。…

※【共産党は当時、あの人たちの父親たちの世代の人間を労改に送り込み、死んでしまえば、疫病で死んだ家畜同様、大きな穴に放り込んだ。】〜現代の「万人坑」の一丁上がりぃぃ ┐(´ー`)┌

そのうえ、いまや共産党は、死者たちの子孫に対して、わけのわからぬ骨灰を渡し、カネを騙し取るという酷いことをしているのだ。共産党が唱える「人民のために服務する」「三つの代表」「民のために執政する」のスローガンとはこういうことを指しているのか。…

65渋山:2008/01/16(水) 23:01:41
…新中国の土地革命運動と文化大革命の2度にわたって、全国の上から下まで、同じような敵愾心をもって他人の先祖代々の墳墓を掘り壊したことに比べれば、今度の「骨灰商売」は時代を画する※【文明の進歩】と言えよう。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆

(※というのは、)中国は古来、一族の祖先の風水、地気、地相を信じる国柄である。先祖の墓地がよければ、子孫の代になって高位高官が出現する。反対に墓地の位置を間違えて葬ると、家運は必ず傾くというのである。…先祖代々の墓地は、家族の盛衰、子孫の栄辱につながるということになっている。

古くから、復讐者や農民革命家がひとたび権力を得たら、真っ先にやるのは仇敵の祖先の墳墓を掘り壊し、棺桶をこじ開け、遺骨を撒いて曝すことだった。つまりその風水地脈を壊して断ち切れば、その家族はそのあと衰退し、未来永劫立ち上がれなくなるというわけである。他人の祖先の墳墓を掘り壊すことが、勝者の最上の楽しみであり、最も満足感を与える盛挙となる。敵の祖先の墳墓を掘り壊すまでのことができたら、これにまさる快挙はないのだ。この根本の大計から、わが共産党の新中国は、歴代の農民蜂起の光栄ある伝統を継承し発揚したわけだが、その規模の大きさと範囲の広さたるや、絶後とまでは言わないが空前であることだけは、たしかである。

建国の初め、1950年から52年までの土地革命運動では、当初、多くの農民は地主を恨まず、訴苦大会(地主から受けた苦難、苦しみ、不当、屈辱などを農民が訴える大会)を開いても、蒋介石の軍隊が戻ってくることを恐れて、壇上に上がって訴える人はいなかった。

そこで、土地革命工作隊員が貧農を訪ねていき、彼らの苦しみを根掘り葉掘り聞きだし、恨みがなくても恨みを煽ることになった。階級の区分けをし、出身階級を定めた。地主富農の家捜しをし、没収した家財道具、土地家屋や農地を分け与えた。その結果、貧農は奮い立たざるをえなくなった。

そして、地主が戻ってきて報復することを防ぐ最も有効な一手は、地主の祖先たちの墳墓を掘り壊すことであった。彼らの風水をつぶし、彼らの地脈を断ち切ればいいのだ。もしかしたら彼らの墓には金銀財宝が副葬されているかもしれない、それはみな貧乏人の血と汗で買った財宝だ、うまく掘り出せば、おまけの勝利の果実、財宝を分けてもらえるかもしれない。こうして、新中国の土地革命運動は、わが中華民族の5千年の文明史のなかでも、最も徹底したものとなり、何ひとつ残さぬ墓暴き運動となった。…

66渋山:2008/01/16(水) 23:02:46
わが新中国の二度目の全国規模の墓壊しは、文化大革命の初め、1966年と67年にかけて行われた。今度の墓壊しは、荒唐と言えば、荒唐(※話や考えによりどころがなくとりとめのないこと・さま)そのものだった。共産党の後輩である紅衛兵の若者が、共産党の先輩である革命元老たちの祖先の墳墓を掘り壊したのだ。まさに夜道を走り過ぎると鬼とぶつかるというように、闘争をやり尽くすと我が身に因果がおよぶことになる。…

1967年夏、北京から湖南に行った紅衛兵は、長沙の紅衛兵と連合して寧郷県花明楼公社に行き、「党内第一号走資派」劉少奇の先祖の墳墓を掘り壊した。そこに掲げてあった郭沫若の手になる「劉少奇故居」の金縁の大きな扁額は裏返しにされ、公社員食堂のまな板として10年のあいだ使われ、包丁で叩かれた。同じとき、北京から四川に向かった紅衛兵は、成都の紅衛兵と連合して、広安県の訒小平の故郷に行き、「党内第二号走資派」訒小平家の祖先の墳墓を掘り壊した(訒小平は生前、死後は墓を作らず、遺灰は海に散骨してくれとの遺言を残し、遺族がそのとおりにしたのは有名な話だが、その理由はこのときの一件にある)。…

…新中国は一族の祖先を祭祀しない民族になったのだ。

67渋山:2008/01/16(水) 23:03:39
改革開放後、陝西黄陵県の黄帝(※中国人の先祖)陵を新たに修復し、毎年祭典が挙行されているが、あれも統一戦線工作のためである。すなわち台湾、香港、澳門の同胞、あるいは全世界5千万華人を帰省させ、彼らから対中投資や寄付を引き出そうとする魂胆があってのことなのである。…

…2005年春から相前後して中国の地に足を踏み入れた、台湾の…連戦氏と、…宋楚瑜氏のお二人にご忠告申しあげたい。連戦氏は陝西省西安に帰郷して墓参し、宋楚瑜氏も湖南省湘潭に帰郷して墓参したが、ともに祖先の墓の中は空っぽで、遺骨や遺物のたぐいは、ニセもの以外は何も残っていないはずだ。なぜなら、両家とも大官僚地主であったから、本来の墓は1950年代の土地革命運動のさなかに農民たちに掘り返されたのである。

現在の墓は、連戦氏が中華民国行政院院長(首相)、副総統になったあと、そして宋楚瑜氏が中華民国新聞局局長、台湾省省長になったあと、2人を帰順させる価値が生じてきたことから、わが新中国人民政府がわざわざ公金を使って建造(贋造と言ってもよいが)したものだ。このたびの2人の大陸旅行にあたっては、わが政府が大衆を多数動員して熱烈歓迎し、熱涙感泣の派手な場面を作りあげた。… m9。゚(゚^Д^゚)゚。

(中国がひた隠す 毛沢東の真実・北海閑人:著/廖建龍:訳 から)

68名無しさん:2008/01/16(水) 23:08:22
さげ さげ ↓↓↓↓↓

69名無しさん:2008/01/17(木) 12:50:35
実におもしろい

70名無しさん:2008/01/17(木) 13:43:35
<南京大虐殺>中国の記念館に日本政府が内容見直し要求 
1月17日10時29分配信 毎日新聞


 【上海・大谷麻由美】日中外交筋は16日、中国江蘇省に12月再オープンした南京大虐殺記念館の展示内容について、日本政府が「バランスを欠いている」などとして南京市幹部らに見直しを求める申し入れを行ったことを明らかにした。

 日本人による残虐行為の展示が多く、戦後の日本の平和の歩みや日中関係発展の展示が少ない点などに問題があると指摘。これに対し中国側は、展示内容に問題はないとの認識を示したうえで「日中関係の発展に問題があるなら、考える必要はある」と述べたという。

71名無しさん:2008/01/17(木) 16:37:31
渋山さん
もういいよ。君の主張は他でやって。
大量の画面を独占しないで。おねがいします。

81名無しさん:2008/01/17(木) 17:07:17
これも同じだねえ。
渋山さん個人の思想を大衆の掲示板に出すのは
いかがなものでしょうか?
じゃまと感じる人がいても仕方ないと思いますよ。

82名無しさん:2008/01/17(木) 17:25:29
私も同感です。
掲示板は皆に役立つための情報交換くらいに
軽く思っていたらどうでしょうか?
当初の目的もそうだと思いますよ。
管理人さん 如何ですか?

83名無しさん:2008/01/17(木) 18:35:54
管理人何やってる 早く削除しろよ

うざい こいつ

84名無しさん:2008/01/18(金) 09:14:30
渋山に聞くが、
南京大虐殺はホラ話なのか?

85名無しさん:2008/01/18(金) 11:05:37
俺も聞きたいねえ。

86名無しさん:2008/01/18(金) 14:18:56
ホラ話でしょ。ご自分でお調べになったら?

88渋山:2008/01/20(日) 17:28:50
>>70 夕刊にも同じ記事が載ったんですね。

h ttp://mainichi.jp/select/world/news/20080117dde041030036000c.html
毎日新聞 2008年1月17日 東京夕刊

へぇ〜、今回は犬エッチケーはわりとキチンと報道してますね。総領事名も言ってるし・・・
h ttp://jp.youtube.com/watch?v=HyLjFHlJ2Vc

で、さっそくキティ我意爆裂・・・ でもこの脊髄反射行動は、見習いたいですね。 ノ(´д`*)

h ttp://www.recordchina.co.jp/group/g14852.html
■「日本軍の残虐な行為は歴史的真実」、南京大虐殺記念館展示修正申し入れに反発―江蘇省南京市

2008年1月、※【日本側の南京大虐殺記念館展示修正の要求】に、「南京大虐殺の真実を覆すことは出来ない」と反発の声が上がっている。環球時報が伝えた。

(1月)11日、※【在上海日本総領事館の隈丸優次総領事】は江蘇省南京市の南京大虐殺記念館を訪問、「日本人の残虐性が強調され、反日感情や恨みを引き起こす」と指摘した。

※ こっちの記事には「外交筋は…申し入れを行った」程度なので一見、現場も見もせず、また電話ででもお座なりに・・・てな印象もってしまったのだが、向こうの記事では固有名詞も記載して総領事がキチンと出向いて展示見たうえで申し入れしてるって載ってんだもんね。

また一部で客観性が疑問視されている「死者30万人」という数字が以前よりも強調されていること、日本が戦後に平和的な発展の道を歩んだこと、日中正常化以後の両国関係が描かれていないことを指摘した。

※ いいんじゃなあ〜い。外務省ちょい見直した。癌死直前に、ハニトラで自殺した部下の電信員を悼んだ本を書いた先輩上海総領事の、霊的励ましがあったのかな・・・。

同館の朱成山(ジュー・チョンシャン)館長は「我々は平和的な記述を十分に記載し、※【日本にも配慮している】」とコメントした。

※ 配慮するんだったら展示自体を止めろって。 ヽ( ・∀・)ノ┌┛ガッΣ(ノ`Д´)ノ

昨年の12月13日に実際行って見た富岡幸一郎氏が、「日清戦争以来の日本の侵略」ぶりを新設の特設コーナーででっち上げてて、そこには明治天皇の写真をでかく展示してる、無礼だっ!なんて言ってたな。

89渋山:2008/01/21(月) 01:47:04
■ 中国社会科学院の高洪(ガオ・ホン)研究員は

「南京大虐殺は疑いようのない歴史的事実であり、※【東京裁判でも認定されている。】

※【日本軍の残虐な行為】は否定することは出来ない。

※【中国人は歴史を重んじる】が、それは歴史の悲劇が再び繰り返されないようにするためで、※【憎しみの心を保つため】ではない」

と反論している。

◎ >>37 で示したように、『南京地方法院付主席検察官・陳光虞が作成した「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告書」』という日付を欠くような有り得ない“公文書”で、単なる戦闘による死者か戦時国際法に反する不適法殺害による死者、いわゆる「虐殺者」かも示さないで、それも同一文書中で、「確定セル被殺者既ニ30万人ニ達シ」と書いたと思えば「被殺害者数 34万人」と書く。また、単なる思い付きのような一私人の供述書やら証言から検証もなしに羅列した数字を合計して、それも総計が間違っている「被屠殺者タル我同胞 279,586名」と書いたりする。そんなものを反対尋問も反証も一切却下して鵜呑みにした「東京裁判の認定」が、まともな“研究員”の言う「疑いのない歴史的事実」かネ。

…そもそも平時の裁判ならば、一人の殺人犯を裁判するのに2年はかかり、まして死刑にまで到達するにはその何倍も時間がかかるものを、28名の被告の15年間の行為を2年半で裁いて、そのうち7人を死刑にすることが瑕疵のない裁判でできるはずもない。

それができる唯一の方法は、まず検察側がシナリオを書いて、それに口裏を合わせる証言だけを集め、弁護側の証言、証拠を却下して、当初のシナリオに沿った判決を下すほかはない。…これが現実に行われた東京裁判である…証拠はほとんどが伝聞であり、証人はパル判事も指摘しているように、あやしげな証人ばかりであり、もし東京裁判が少なくとも手続きとして公正に行われ、現在アメリカで活躍しているような有能な弁護士がいたならば、南京事件はすべて証拠不十分としてその存在を否定することは十分可能であったからである。そして、裁判という次元においてはそれが正しい裁判であろう。…

東京裁判の判決は歴史を論ずるに際して無視すればよく、一顧だにする価値がない…そもそも歴史というものは裁判で裁けるはずがないものである…サンフランシスコ平和条約で裁判を受諾したのだから、その背景となった歴史的解釈も受け入れたという論は法律論的に一顧だに価しない。

※【日本は平和条約を守って、占領終了後も受刑者の刑期満了まで判決を執行したし、早期釈放にあたっても、戦勝国とのあいだに条約上の義務に基づく手続きを尽くしている。明らかに誤審である判決の犠牲者についても損害賠償請求をしていない。

それが裁判受諾の意味である。それで日本の義務は終わったのであり、平和条約はそれ以上に日本を拘束するものではない。】

しかし、そんな細かい法律論は無用であろう。条約や法律が特定国の歴史観を未来永劫縛るというようなことは常識で考えてもありようがないということさえ分かればよいのである。

ソクラテスは、たしかに法技術的には遵守義務のある判決を受諾して死んだ。しかし、歴史家は誰一人として、その判決が正当なものだといわねばならない義務を負っていない。ソクラテスはいまでも人類の尊崇の対象である。

具体的には、今後、総理、天皇の靖国神社参拝問題に関連して、いわゆるA級戦犯合祀問題に決着をつける形で、東京裁判の判決がもはや日本を拘束していないことを明らかにすることができよう。…

(吉田茂とその時代 敗戦とは・岡崎久彦 から)

90渋山:2008/01/27(日) 00:17:50
※ 「歴史問題は時事問題」を知る8人の侍。

h ttp://sankei.jp.msn.com/life/education/080114/edc0801140206000-n1.htm
【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一  歴史問題は時事問題である

h ttp://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/462312/#cmt
◎ 映画「南京の真実」完成披露記者会見で政治家が語ったこと

…国会議員で最初にあいさつしたのは、今月9日に息子さんを亡くしたばかりの西村真悟氏でした。よく分からない理由で国会の本会議やダボス会議をドタキャンする某党代表に爪のあかでも飲ませたいところです。

西村真悟氏(無所属) 政治家である我々がなぜここに来たのか。「事実の認定を政治的立場で歪めることは、最大の不正の一つだ」という言葉がある。(南京問題は)政治的立場で事実の認定を歪めるという政治闘争であり、我々が政治家として受けて立たないといけない課題だ。鉄砲の玉が飛ぶのだけが戦争ではない。思想戦というものがある。これに負ければ民族の魂が滅ぼされる。我々は今仕掛けられている思想戦に勝たなければならない。私はこの戦いに立つために政治家になっているようなものだ。…

渡辺周氏(民主) 昨年私は、盧溝橋の抗日記念館に行った。相変わらず30万人虐殺(の記述)があり、そこに飾られているパネルが、日本軍とは関係のないものであると歴史が証明していることがそこに展示されている。また、馬賊、山賊を成敗している一体いつのものか分からない写真が、あたかも日本が戦時中にやったとして陳列されていた。ちょうど地元の若い人たちが反日教育の一環で連れてこられていたが、これを見たら日本に対する言いようのない憎しみを覚えるだろう。中国は、一番この地球上で著作権にうるさいルイヴィトンだろうとディズニーだろうと、全部捏造し、偽造する国で、偽物が蔓延してそれを屁とも思わない。歴史を簡単に捏造することは、彼らにとって何の罪の意識もない。この問題は、党派を超えて国会の場で日本の政治家として取り組みたい。

91渋山:2008/01/27(日) 00:19:36
松原仁氏(民主) 南京の問題は、たとえて言えば、客観的資料を見る限り、大虐殺がなかったことを証明する資料はあるが、あったことを証明する資料はない。その前後に南京の人口が減っていないことを、国民党政府が人口統計で持っている。また、(当時の国民党の)300回の記者会見でも、直接(南京事件に)触れることすらしなかった。これは逆に言えばなかった証明とも言える。なかったことは明確だと言い切って構わないと思う。問題は、西村氏も言っている通り、これを思想闘争として中国側は使っている。中国の教師用教本は、歴史教育を思想闘争の一環としてやると書いている。事実は問題ではない。我々の議論、真実が世界で認知されることが大事だ。正しい歴史をどうやって米国の世論に訴えるのか、EUの世論に訴えるのか。また中国の手が回っていないところで、いかにして我々が防護柵をつくるのかだ。昨年11月に拉致問題で平沼さんらと米国に行った。ヘリテージ財団の極めて紳士的で親日的な学者すら、南京大虐殺を信じている。その理由は、中国人じゃない人間がそう書いているからだという。私は、大虐殺が真実だと言っている人物は、中国国民党のスパイで御用学者だと言ったが、彼らを説得するところまでは時間がなかった。そういう人たちにも我々の主張をきちんと発信し、事実を読んでもらうねばり強い努力が必要だ。…

赤池誠章氏(自民) 昨年来、沖縄戦の教科書問題もあった。今国会では人権擁護、外国人地方参政権問題と、さまざまな課題が出ているが、すべてこれは南京とも共通している。政治が、国家、国民をどう守っていくかすべて共通する課題だ。拉致もそうだが、※【対外的な部分は分かりやすく、戦いやすいが、一番の問題は国内に、日本の中でいわゆる(外国勢力の)協力者がいることだ。】

稲田朋美氏(自民) この国ほど、自国の名誉に無関心な国、また無関心な政治家が多い国はないんじゃないか。昨年は米国で慰安婦決議があった。20万人の若い女性を朝鮮半島から強制連行し、セックススレイブにして殺害したり、自殺に追い込んだりした、日本の首相は公式に謝れ、日本の子供達に20世紀最大の人身売買だと教えろという、まったく事実と違う決議がなされた。民間の杉山こういちさんという作曲家が私財を投じ、事実はこうだと広告を出した。私が賛同者として名前を連ねたことにすら、政治家やマスコミから批判された。悔しい思いをした。一体この国はどうなっていくのか、名誉を守る気持ちはないのか。昨年は安倍総理が退陣された。戦後レジームからの脱却という本当に素晴らしい理念を掲げた総理が退陣されたのは残念だが、私たちは戦後レジームからの脱却を引き継いでいかなければならない。私がA級戦犯の分祀に反対するのは、戦後レジームからの脱却の中核にある東京裁判史観を正当化することはできないというその一点だ。…

92渋山:2008/01/27(日) 01:21:48
…歴史のある文明と歴史のない文明が対立するとき、常に歴史のある文明の方が有利である。

一つの理由は、紛争が起これば、歴史のある文明は、『この問題には、これこれしかじかの由来があるので、その経緯から言えば、自分の方が正当である』と主張できる。歴史のない文明には、そうした主張に反論する有効な方法がない。もう一つの理由は、歴史のある文明では、現在を生きるのと並んで、過去をも生きているので、常に物事の筋道というものを考える。物事に筋道があるとすれば、過去を自分のものとすることによって、現在がよりよくわかり、さらに未来の予測も可能になるはずである。実際には間違ったシナリオを立てているかも知れないが、それでも未来に対して、何とか備えることは出来るのである。

ところが、歴史のない文明では、常に現在のみに生きるしか、生き方はない。過去と現在、未来の関連があいまいなので、予測の立てようがない。脈絡なく起こる次々の出来事に対して、出たとこ勝負の対応しか出来ない。方針を前もって決められず、常に後手後手に回る結果となる。軍事力がよほど強大で、どんな場合でも相手を圧倒出来るのでない限り、歴史のない文明は、常に不利である。そうしたわけで、本来は歴史がなくともいいはずのイスラム文明も、地中海世界でローマ帝国と対抗する必要上、歴史という文化要素を採用したのである。

歴史は強力な武器である。歴史が強力な武器だからこそ、歴史のある文明に対抗する歴史のない文明は、なんとか自分なりの歴史を発明して、この強力な武器を獲得しようとするのである。そういう理由で、歴史という文化は、その発祥の地の地中海と中国文明から、ほかの元来歴史のなかった文明にコピーされて、次から次へと「伝染」していったのである。

それでも、もともと歴史のなかった文明は、歴史文化を採用しても、その歴史は力の弱いものになる。第一次世界大戦の20世紀の世界の情勢は、帝国主義と民族主義の対立、資本主義と社会主義の対立、民主主義と全体主義の対立が絡みあっていたと、よく言われる。しかしこのうちのどれ一つ、本質的な対立ではない。

93渋山:2008/01/27(日) 01:22:38
現代の世界での本当の対立は、歴史のある文明と、歴史のない文明の対立である。

日本と西ヨーロッパは、歴史のある文明である。これに対して、アメリカ合衆国は、18世紀の当初から、歴史を切り捨てて、民主主義のイデオロギーに基づいて建国した国家である。現在は解体したソ連が、マルクス主義のイデオロギーに基づいて建国した国家であったことは言うまでもない。ソ連の前身のロシア帝国は、本来モンゴル文明の一部でありながら、その歴史を否認して、地中海文明の歴史を借りて来て接ぎ木しようとして、結局うまく行かなかった国家であった。それをロシア革命で歴史を切り捨てて、イデオロギーに置き換えた国家がソ連であったのである。

現代の世界の対立の構図は、歴史で武装した日本と西ヨーロッパに対して、歴史のないアメリカ合衆国が、強大な軍事力で対抗しているというのが、本当のところである。

そういうわけだから、歴史のある文明に属する我々が、現在の世界を把握し、未来の世界を予測するためには、歴史という文化の本質をしっかり理解しておく必要がある。

ところが、ここで大きな問題は、地中海文明の歴史文化と、中国文明の歴史文化とが、全く性質が違って、混ぜても混ざらない、水と油のようなものであることである。そのために、地中海型の歴史(西洋史)と、中国型の歴史(東洋史)とを取り合わせて見ても、単一の世界史を作ることは不可能になる。どうしてそんなことになるのか、これから説明しよう。…+(0゚・∀・) + ワクワクテカテカ + イカ ゴジブンデドーゾ

(大…中略… ;^ω^)

中国でも、秦・漢時代の第一の中国の滅亡のあと、隋・唐時代の第二の中国を形成したのは、中央ユーラシア草原から移動して来た鮮卑などの遊牧民であった。この鮮卑系の第二の中国と競争して、次第に中国を圧倒し、最後に中国を呑みこんでしまったのは、中央ユーラシア草原の一連の帝国、トルコ・ウィグル・キタイ・金・モンゴルである。モンゴル帝国の支配下に中国は徹底的にモンゴル化して、元朝・明朝・清朝の時代の第三の中国が形成された。このモンゴル化した中国の文化が、普通にいう中国の伝統文化である。この第三の中国は、もはや皇帝を中心として回転する独自の世界ではない。中国の皇帝と見えるものは、実はチンギス・ハーンを原型とする中央ユーラシア型の遊牧君主の中国版であり、中国は中央ユーラシア世界の一部になってしまっている。この第三の中国の性格は、現在の中華人民共和国にはっきり表れている。…

中国人とロシア人は、いずれも中央ユーラシアの草原の道の両端に接続する地域に住んでいる。そのため両国民とも、国民形成以前から繰り返し繰り返し、草原の遊牧民の侵入と支配を受けて、その深刻な影響の結果、現在の姿をとった。長い長い間、ロシアでも中国でも、支配階級は外来者であり、ロシア人とか中国人とかいうのは、被支配階級の総称に過ぎなかった。そのためロシア人にも中国人にも、無責任・無秩序を好むアナーキックな性格が濃厚であり、強権をもって抑圧されなければ秩序を守ろうとはしない。こうした性格は、個人の自発性と責任観念を前提とする資本主義には向いていない。これもモンゴル帝国支配の後遺症である。…

(世界史の誕生・岡田英弘/ちくま文庫 ISBN4-480-03504-4 \740E)

94渋山:2008/01/27(日) 01:59:36
以上極々総論的前置き、置いといて・・・

さてお次は、否定できない「日本軍の残虐な行為」、とやらですが、

辞書的には、残虐:無慈悲で残酷な・こと(さま)だけど、戦争といわれようと事変といわれようと軍隊同士が戦闘をなした結果大規模な殺人行為が行われて、その態様が「血の海の中で頭蓋骨を割られ、内臓をえぐられ、肺肝土にまみれ、五体飛散される」ような事態となっても、戦場での両軍の死者が「虐殺された」とは言わないし、双方ともに「日本軍の残虐な行為」とか「中国軍の残虐な行為」なんて、敢えて表現しないでしょ。

それは※【戦場で敵を殺すのは合法で、むしろ「手柄」であり、殺された兵士は「名誉の戦死」だ】からである。この場合、むごたらしい殺され方か、人道的な殺され方か、に関係なく、※【「戦死」は「虐殺」ではない。】

以上、なんだかんだいっても現在でも、戦争(事変)で人を殺すのは合法、なのである。

だが、非合法の殺害もある。それが「陸戦の法規慣例に関する規則」に反すると評価される戦闘行為で、だから「軍(人)の残虐な行為」、そしてその典型例であるところの

※【「虐殺」とは、戦争法規違反の殺害(不法殺害)のことであり、それに限る】

と、まずはキチンと弁えた上で、議論いたしましょネ。

95ZERO:2008/02/12(火) 08:46:41
                        人
                        ( 0 ) シュボ!
                        л
                     (( (ヨ )ヽ
           `´ `゙゙^ヾ          \\ ∧_∧
           ((  ⌒))      ⌒))\ <#( ´∀`) <消防隊は何をやってるニダ!?
ジャーン!      丶  ⌒))    ノ火    >  ⌒ヽ
              、..  ''ー 、    ⌒((⌒)/:..:″;.へ \))_,,
         、  (⌒(   (⌒(   (⌒( ⌒ )::./)) \\ 丶
         一 ..( (( ⌒ ))(  (  ((⌒)    ⌒ ))) ヽ_ミヽ ''
          }、 ‐ ‐ .... ((⌒;;::人 ;ノ;;;;;从人 ((   ⌒ ))/ ̄ ̄ヽ
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       ィlノニ三ニ三ニ三ニ三ニ三ニ三ll:::::`lニ三ニ三ニ三ニ三、、
     =イ三三三三三三三三三三三三三.ll::::: ll三三三三三三三ニニ、、

96名無しさん:2008/02/12(火) 08:55:59
火をつけた奴に、日本名と日本国籍を与えます。

97渋山:2008/02/12(火) 17:02:41
h ttp://sankei.jp.msn.com/world/korea/080212/kor0802121138002-n1.htm
■ 南大門火災 拘束の男が「犯行自供」

【ソウル=久保田るり子】韓国ソウルの中心部にある南大門(崇礼門)が10日未明に全焼、崩壊した火災で韓国の捜査当局は12日、放火の疑いで取り調べ中だった容疑者(69)の男が犯行を自供したと発表した。動機について男は、所有する土地絡みのトラブルの※【腹いせで放火】したと供述しているという。〜2大国技のひとつ、ですな。

男は2006年4月にも※【ソウル市の文化財、昌慶宮に放火した前科があり】、南大門火災でも、火災発生前に目撃者らが現場で見た60代の男と人相や服装が似ていることから、捜査当局は有力な容疑者とみて11日夜から身柄を拘束。〜立派な伝統主義者さんらしい。。。

男の自宅から目撃者が証言したものと同じ種類のはしご、かばん、服に加え、シンナーのビン1本などが発見されたため、追及していた。これまでの調べでは、男は10日午後9時前に南大門の楼閣の2階部分に上り、シンナーをまいてライターで火を付けたと認めた。

火災は10日午後8時50分ごろ発生、一時は鎮火したにみえたが、楼閣の内部に火が回った。消防当局が文化財の破損を避けるため消火活動に手間取ったこともあり難航、約5時間後の11日未明に土台の石垣だけを残してほぼ焼け落ちた。

韓国の国宝第一号の 南大門は約600年前に建造され、ソウルに現存する最古の木造建造物で、「ソウルのシンボル」だった。火災は韓国で1年の始まりとなる旧正月の連休明けに発生。南大門は生中継で国民が見守るなかで崩壊しただけに、11日朝から現場には市民が続々と集まり、白い菊の花を焼け跡前に手向けるなど“南大門ショック”が続いている。

★ 日の丸の入った買い物袋ってなんだったわけ? チョンの妄想って怖いよね。どうせ、LGあたりのマークを日の丸ニダ、とか言ってこじつけたんだろう。

★ 何でも日の丸に見える位、病んでるんだよ。

★ 日章旗とか言ってたな。日章旗というか朝日旗で、朝日新聞のポリ袋じゃない?

★ <“南大門ショック”の腹いせで放火>っていうバカちょん事件発生に10ウォン

★ だってさぁ、この犯人去年、韓国の世界遺産のあのなんとかに、放火して、そして今年また放火ですよ。懲役で禁固刑喰らってないじゃないですか? 日本なら今頃留置所で裁判待ち。最低で5年以上の実刑。世界遺産に火をつけたら、相当重いよ。普通は。

★ 放火とレイプは厳罰化できない事情があるんだろうな。国技だし。

★ 腹いせで放火。なだめる為にレイプ。

★ しかし、見事な火病だったな。国宝も火病とは、チョン、さすがだぜ。

★ 実はあの石垣、1963年の改修工事の際コンクリートで固めたとの事らしい。国宝の石垣を固めちゃいかんだろうに。

★ あいつらがコンクリート大好きなのは檀君稜でわかってるじゃん。

98渋山:2008/02/12(火) 17:04:23
■ 【韓半島における文化財放火事犯の犯罪心理学的研究 方華磨著 1998諺文書院刊 P.119】

韓半島における文化財放火犯の心理学的プロフィールからは、韓民族の歴史的アイデンティティに起因する顕著な兆候が窺える。

元々韓半島における文化財には、その歴史的淵源を辿れば特に中国との関係で必ずしも誇らしいとは言い切れない切ない烙印が捺されている。

典型例は韓国史蹟第101号に指定された三田渡碑であるが、この碑は別名「恥辱碑」とも言われているとおり、宗主国清に逆らった愚かな朝鮮王仁祖が、大清皇帝に三跪九叩頭して己の罪を謝罪し大清皇帝の徳を称えたことを未来永劫伝えるために建立されたものである。

同様に独立門も清国皇帝の使者を歴代朝鮮王が三跪九叩頭の礼を以って迎えるための門であった迎恩門の基礎を再利用して建造されたものである。

大韓国宝第1号に指定された崇礼門も、李成桂が都の城門として建築した当時は南側の主要な門という趣旨で単に「南大門」と呼称されていた。しかしその後大明國皇帝の使者が往還する際に使用するようになったことから、大明國に由来する礼を崇めるという趣旨で「崇礼門」と名称が変更され、その後日帝強占時代に元の「南大門」と名称が変更されるとともに、※【朝鮮総督府により宝物第1号に指定された。】

このように、韓半島の歴史的遺物には民族的屈辱の暗い影が纏わりついていることから、韓民族の深層心理中には自国の歴史的遺物に対する嫌悪感が根強く刻印されており、文化財への放火犯の心理にはこのような屈辱の歴史を焼尽したいという根源的欲求があることが確認されている。

今一つ文化財に対する放火の原因について最近の研究で明らかになった点として、壬申倭乱時の※【掌隷院放火による身分解放の記憶】があるのではないかという仮説が提唱されている。

1592年、小西行長軍の京城侵略により国王以下の支配階級が逃げ去った際、取残された白丁階級が自分達の身分台帳を保管管理する掌隷院に放火して記録を焼失させ、※【白丁身分を両班身分に偽ることに成功した原体験】が、過去の記録や遺物を燃やすことにより身分的圧迫から逃れられたという集団的記憶となり、このような韓民族の集団的記憶が、何らかの圧迫感を覚えるとその圧迫感から解放されるために史跡や文化財に放火するという行動様式を生んだのではないかという仮説である。

99渋山:2008/02/12(火) 17:05:38
■ 【韓日刑法犯の比較研究Ⅱ(放火及び強姦編) P.213〜 方華磨著 1977諺文閣書院刊】

近年まで日本家屋は地震対策のため木造構造が殆どであった。そのため首都江戸では18世紀初頭から中葉にかけ、瓦葺屋根の推奨、火除地の設置、自衛消防組織の設置等の対策を講じたが、基本的な火災に対する脆弱性を克服することは困難であった。その結果一旦大火災が起こると広範囲(最大で市街地の約60%)が延焼し、極めて深刻な人的物的損害が発生することから、放火罪は単純な殺人よりも悪質な犯罪とされていた。

朝鮮半島では首都京城でも木造藁葺き家屋が殆どであり、火災に対する脆弱性は日本以上であったが、※【元々燃えて困るほどの財産は存在せず、人間以下の存在とされていた白丁や良民の命は無価値であった。】 また官吏にとっては、対立派閥の出身者は勿論、自己の親族であっても働きもせず寄生するしか能のない両班は実は厄介者であった。

そのため朝鮮では放火という犯罪は実害が少ないものとされ、検挙されてもその刑罰は極めて軽微であり、特に官吏の関係者が犯人であった場合には、死んだ白丁領民と同数の白丁を地方政府に賠償として献上すれば罪に問われないものとされた。また下手人が白丁良民の場合には、有罪か無罪かまたその罪責如何と無関係に担当官吏の個人的裁量で判決が下され即時執行されていたため、両班への反抗的言動や初夜権行使の妨害行為は別として、そもそも放火を含め特定の犯罪を重罪として取り扱うという観念が極めて薄かった。

日帝強占36年の間は、※【放火を重罪視しないという李氏朝鮮時代の高度に発達した人権思想】が圧殺されたばかりか、罪刑法定主義や法の遡及適用の禁止等の近代法の理念や、有能な司法警察と公平な裁判所という、※【民族の伝統を無視した悪弊が持ち込まれた】ため、放火を重大犯罪扱いするという時代錯誤な刑事司法が一時期にせよ広まったが、朝鮮民族の伝統的良風に反するものであったことからめ、日帝からの光復後速やかにこのような意識は払拭されるに至った。

100渋山:2008/02/13(水) 16:55:31
h ttp://www.chosunonline.com/article/20080213000055
■ 【社説】数年前からホームレスの根城だった南大門

放火事件が起きた崇礼門(南大門)では、数年前からホームレスが夜間に楼閣へ上がって寝たり、ラーメンを作って食べたり、酒を飲んだりしていたという。ソウル駅やその周辺に集まるホームレスたちは口々に「崇礼門を根城にしている人は少なくとも5−6人いた」、「寒いときは空き缶をランプ代わりに暖を取って寝る人もいた」、「1週間前に行ったときにも、十数人が集まって焼酎を飲んでいた」、「夏には風通しのよい楼閣に30人程度が集まっていた。排せつ物のにおいが充満し、焼酎やどぶろくの空き瓶、菓子袋などが散乱していた」と証言している。

こうした内容を聞く限り、崇礼門はすでにずいぶん前から国の保護を受ける国宝としての扱いを受けていなかったようだ。ホームレスたちは工事現場から盗んできたはしご2本を監視カメラに写らない崇礼門の側面に建てかけ、出入りしていたという。ホームレスらの証言によると、赤外線感知器の警報を受けた警備会社の職員らに追い出されることもあったが、深夜になると見逃してくれたり、現場に出てこなかったりしたという。

崇礼門を管理する中区庁は2005年に月12万ウォン(約1万3600円)という契約で崇礼門の警備を業者に依頼した。月12万ウォンとは、一般住宅向けのサービスと同等の額だ。国宝第1号の夜間警備が無人警備システム頼みだったというのも驚きだが、さらに一般家庭の契約料と同じ程度の費用で解決しようとしていたというのだから、呆れてしまう。契約から2カ月後には、崇礼門にホームレスをはじめとする侵入者が予想以上に多いことから、警備会社が契約料を月額30万ウォン(約3万4100 円)に引き上げてほしいと申し出て、契約内容が変更されている。管轄局はその時点で問題点を認識すべきだったが、昨年2月からは広告効果を狙って無料での警備を申し出た別の企業に、担当を切り替えてしまったという。

11日に逮捕された放火犯は2年前にも昌慶宮の文政殿に放火し、執行猶予判決を受けたが、その後も火を付ける文化財を物色していたという。放火犯は当初宗廟に目をつけていたが、夜間の出入りが難しいため「最終的に警備が手薄で、入り込みやすい崇礼門を選んだ」と供述している。つまり崇礼門の惨事は、起きるべくして起きたものだった。穴だらけの行政システムが、崇礼門を火だるまにさせてしまったのだ。

★ 驚異の国宝。糞尿の香り、韓国の香り。
あれだな、1910年以前に戻ったダケなわけな・・・。日本統治前の漢城は糞尿まみれの朝鮮人の巣窟だったそうだ。ものすごく不潔だっていうイザベラ・バードの記録が残っているし。

〜 李朝末期のソウル

城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから! →ってことは、不潔さトップは北京で悪臭トップは紹興だと・・・(・_・;)

都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横丁の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。

朝鮮紀行58〜59ページ 〜

★ ホームレスが住む国宝1号。コジキに糞尿、放火と国技オンパレードか。その点こんなに朝鮮らしい国宝はないよな。つい40年前に全面建て替えされたのにウン百年の歴史で一度も壊れなかったとか嘯いてて普段はウンコまみれ、そして放火であぼーんの最期まで。国宝で国技とは何とも贅沢・・・。それにしても、少しでも気の毒だと思った自分が馬鹿でしたワィ。

101名無しさん:2009/04/09(木) 00:39:10
age

102名無しさん:2009/05/11(月) 16:38:57
日式クラブの小姐に誘われて、南京・南京見て来ました。
ポルノ映画みたいに、日本兵が中国女をお下品に片っ端から犯すシーンが大半
でした。
もちろん、いろいろな虐殺シーンもふんだんに盛り込まれております。
大連の映画館で見ても、殆どが日本語の「脱げ」、「ヤレ」の様な言葉ばかり
で中国語が判らなくても大体理解できました。七割が日本語かと・・・。
但し、ストーリーの様なものは、殆ど無く 残虐性を見せ付けて抗日教育の一
環の強化と思えました。
自社の社員達も、これを見に行っていると思うと考えさせられます。
皆様も、ご覧になってみては如何でしょうか 日本では、上映禁止ですし・・。

103名無しさん:2009/05/11(月) 17:03:58
日本人と小姐のカップルで見ていて、
抗日教育の一環の強化だって言われてもねぇ・・・

104名無しさん:2009/05/11(月) 17:47:08
そう言えば渋山さんはどこへ行った?
この大連掲示板を見切ったんですかね。
楽しみにしてた1人なのに残念。

小沢さん辞意表明! 
当然だよな。政局より政策よりまずは遵法だよな。

105名無しさん:2009/05/11(月) 18:45:55
小沢さんが日本を変えたと思うよ。
田中角栄みたいに。
本当に残念

106名無しさん:2009/05/11(月) 21:06:01
哀れなチャンコロだよね、自国の真の歴史には何にも異論を唱える事は出来ない
①毛沢東の指導した大躍進政策で中国人が何人餓死したか?
②毛沢東の政治的嫉妬から発動された文化大革命で何人の中国人が撲殺等で粛清されたか?
この事を天安門前で発言できる中国人は皆無!

107名無しさん:2009/05/11(月) 21:40:47
日本人は戦争なんかしてないよ。シナ人が我が領土に攻め込んできたのだぁ!
南京大逆殺じゃなく東京大虐殺の間違いでしょう。
シナ人お前らが戦争を起こしたんでしょう。

108名無しさん:2009/05/11(月) 22:13:16
>102さんの様に自分も彼女に誘われ南京、南京!観ました。感想はやっぱ

ちゅー獄人はやるとなると、とことんやる民族なのだなあ〜という事でした。

映画館では恐らく日本人は自分唯一人の感じ。もし自分が日本人だとバレタ

暁には蹴りでも入れられるんじゃないか、、とやや冷や冷やして観ていました。

殺戮シーンでも売春シーンでもちょっと、、というシーンが今でも眼に焼きつ

いています。観終わって、だから何、、というのが感じられないのは自分が

鈍感だからだろうか、、。

109 ミ ´Å`彡y-~~  ◆neko.1CAGQ:2009/05/11(月) 23:43:48
まあ所詮は1945年に、運良く他力で戦勝国になっただけの戦争。

それを延々と、64年間も非難し続けてる感覚の人間が作った作品と・・・。

110名無しさん:2009/05/12(火) 01:24:25
で、中国美女のおっぱいは見えるの?

111名無しさん:2009/05/12(火) 01:39:39
つーこくじんとは・・・
自分たちに都合の悪いことは隠す、言わない、聞かない、しない、、
自分に優しく他人のことは考えない、、
とりあえず何らかの手で相手を試し自分には向かってきそうもない相手にはとことん追求しウソも騙しも平気だ、、
銭にならない者、自分にとってどうでも良い者は相手にしない、、
そしてしつこく細かいジョブをかけてくる挑戦勧告は尚ウザイ、、、

こんな奴らと人の良い日本人が付き合うべき相手か???

112名無しさん:2009/05/12(火) 04:46:14
流石に極東3バカ(シナ&南北チョーセン)の長兄だけあってやることに呆れる
この異常な資本主義国家を何故に共産党が一党独裁で継続国家支配しているのか?
単に日本帝国主義をシナから駆逐した(別に八路軍だけで戦争した訳じゃない、国民党軍
が主に日本軍と戦闘した)だけ、だから今後とも自ら(中国共産党)が中国支配を続ける
には日本を極悪非道な国家で、それを排除した救国の英雄=中国共産党でなくては成らぬ
訳なんでしょ? だから中国の支配者が中国共産党であり続ける限りこの手の嘘映画は
続出するでしょうなぁ〜。
 チャンコロが「大躍進での餓死」や「文化大革命での粛清」を正確に映画化したら
其の時はまともな国家として認めてあげようね。

113 ミ ´Å`彡y-~~  ◆neko.1CAGQ:2009/05/12(火) 18:59:27
もっと我々は、シタタカに成らないといけないですね。

瓦房店には、大成と言う鶏肉加工の会社があります。
この会社は台湾の合資なのですが、銭になると目論んで集って来た
政府やら銀行を手玉に取って、過剰融資を集めまくりました。

集めた金を、祖国の台湾に流して計画倒産。今更整理する事も出来ない
状態を作って、塩漬けの扱いで今に至る・・・。

中国は、低い考えである事を踏まえた上で、敢えて付き合うこの立派さ!
中国に対して、日本はもっと悪人にならなくてはいけない。

114さや:2011/04/22(金) 05:05:10
女だけど下ネタ好きです(笑)
↓良かったら仲良くしてやってください(*^-^*)
http://3ka.net/_aV

115さや:2011/04/22(金) 18:26:13
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116さや:2011/04/26(火) 01:13:43
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117さや:2011/04/26(火) 19:50:54
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118さや:2011/04/27(水) 20:08:24
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119ひろ:2011/07/13(水) 03:29:48
■この娘がスッポンポンになってる件www → http://ameba.zxq.net

120孫呉陳:2015/07/01(水) 11:30:49
「南京大虐殺はなかった」という人へ
www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html

121名無し様:2015/07/01(水) 15:25:10
通州事件
 ja.wikipedia.org/wiki/通州事件
通化事件
 ja.wikipedia.org/wiki/通化事件

122ヤマト:2016/07/20(水) 19:29:11
織田氏は記事で中国軍艦が今月、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の接続水域や口永良部島(鹿児島県)周辺の領海などに相次いで侵入した事例に言及し、「これら海上の動きと合わせるように、中国海空軍の戦闘機が航空自衛隊のスクランブル(緊急発進)機に対し、極めて危険な挑発行動を取るようになった」と指摘した。 記事によると、中国軍機はスクランブルで出動した空自戦闘機に対し「攻撃動作を仕掛けてきた」ため、空自機は「いったんは防御機動で回避したが、ドッグファイト(格闘戦)に巻き込まれ、不測の状態が生起しかねないと判断し、自己防御装置を使用しながら中国軍機によるミサイル攻撃を回避しつつ戦域から離脱した」という。 中国軍の挑発行為をめぐっては、平成13年4月、南シナ海の公海上空で、中国軍戦闘機が米軍の電子偵察機に異常接近して接触、墜落し、米軍機は中国・海南島に緊急着陸した。また、25年1月には東シナ海で中国海軍艦が海上自衛隊の護衛艦とヘリコプターに射撃管制用レーダーを照射した。F4戦闘機のパイロットだった織田氏は「武装した戦闘機同士がミサイル射程圏内で遭遇する。

123ヤマト:2016/07/23(土) 13:36:01
>>120『南京大虐殺』とは国民党軍の督戦隊が敵(皇軍)前逃亡者する自軍兵に対して容赦なく掃射した自国民虐殺行為の事。


【閲覧注意】 チベット人僧侶の焼身自殺の抗議を報道せよ!??
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ttps://www.youtube.com/watch?v=N5Ux5fhZCzw

124ヤマト:2016/08/12(金) 13:46:25
中国の【法輪功】虐殺。生きたまま臓器摘出
中国は歴史上、革命→腐敗→革命を繰り返してきた国です。今まさに、中国共産党が腐敗の最中にあり、法輪功という宗教団体が中国共産党の脅威になっています。今、法輪功の修練者が無実のまま投獄後に殺され、臓器売買されるという状況は公然の秘密と化しています。

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ttp://matome.naver.jp/odai/2134941656198909901

125ヤマト:2016/09/03(土) 06:54:04
チベットでの拷問-犠牲者の口への放尿-

中国の収容所の役人たちは、拘留者を辱めるさまざまな方法を生み出した。彼らは、囚人たちに多大な量の飲み物を飲ませ、犠牲者が失禁するまで部屋を去ることを禁じたりした。他、ゴムの管を使って囚人の口に、直に放尿するということも報告されている。

126ヤマト:2016/09/04(日) 04:31:40
官方媒體還報導?,自焚者王進東被嚴重燒傷,可他兩腿之間裝汽油的雪碧瓶卻完好無損,頭髮也基本完好。而且,他打坐、結印的姿式根本就不像法輪功學員。鏡頭前,王進東右邊拿著滅火毯的警察,沒有緊急撲火的運動感,他拿的滅火毯是靜止下垂的,好像是為了拍照而擺好的姿勢,這樣的鏡頭場面發生在整個突發事件的一、二分鐘?,而且攝影機處在最佳的拍攝角度……疑點重重。具有世界先進水準的台灣大學中文語音識別實驗室,對《焦點訪談》中三次出場的王進東作了語音鑒定:第一集中的王進東與其他兩集中的王進東不是同一人。顯然,有人精心策劃導演了這場「自焚案」以栽贓法輪功。那麼導演者是誰??國際教育發展組織於2001年8月向聯合國提交的「天安門自焚」的報告中公布:「我們從?影片中得出結論,天安門自焚是中國政府一手導演的。我們備有這個?影片的拷貝,以供派發。」

2003年11月,分析自焚案重重疑點的英文記?片《偽火》,以其嚴謹求實的風格和對?幕的曝光獲得第51屆哥倫布國際電影電視節榮譽獎。中共不但欺騙國人,而且欺騙國際社會,不但在黨外?話連篇,而且在黨?也是??成風,?言已經成了中共的行為方式、統治方式和生活方式。?言作為中共「黨文化」的一個基本部分,是中共對大陸人民進行愚民宣傳和奴化教育並欺騙國際社會的重要工具,也是寄生在中華民族肌體上毒害中國人和世界的一個「毒瘤」。

認清中共的?言,清除掉這個毒瘤,解體中共的黨文化,才是中華民族走向新生的前提。

──轉自《大紀元》 本文只代表作者的觀點和陳述。

127名無し様:2016/09/04(日) 11:42:32
◇河老师说,一个中华一个中国。中国的梦我的梦。

128ヤマト:2016/09/07(水) 19:23:58
天津市又有2083人舉報江澤民中國大陸民?繼續舉報中共前黨魁江澤民迫害法輪功的罪行。據「法輪大法明慧網」8月30號報導,今年1月至8月,天津市舉報江澤民的人數又?加了2083人。在此之前,天津地區還有4527人直接向中共的最高檢察院和最高法院遞交了控告江澤民的刑事控告書,並收到回執。報導?,最近兩年,在中共政治局常委張高麗、天津市公安局長趙飛,和政法委書記袁桐利的操控下,天津地區各級政法官員加緊了對起訴江澤民的法輪功學員的迫害,但是,當地各界正義人士卻不畏強權,越來越多的人公開站出來聲援法輪功,並舉報江澤民的罪行。
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ttp://www.ntdtv.com/xtr/b5/2016/09/01/a1284136.html

129ヤマト:2016/09/13(火) 22:25:35
2000年通渭縣老幹部座談會上,親?者?當年上報的數是縮小的,是實際餓死人數的三分之一,70%以上家庭有死人,有的全家死?,大量屍體沒人掩埋。大飢荒通渭縣大量餓死人,除了高層,對外嚴密封鎖信息,直到幾十年後的今天,外面的人還很少知道發生了這樣的事。為了封鎖消息,當時餓死多少人叫「病」了多少人,不能?餓死。縣裡指示:「要把他們全部埋掉,『病』一個埋一個」。縣委還指示,只能?這是打掃衛生,不能?是掩埋死人。原重慶市長壽縣委書記紀俊儀回憶大飢荒年代,「我下?調?,全縣死了3,000多人,再調?,全縣死上萬人了。」1960年春節,他在除夕這一天向市領導彙報,市領導沒有馬上撥糧救濟,一直延誤到正月初二。「就這三天,臘月三十、正月初一、初二,死人數字由一萬多?加到兩萬多。」遼寧省錦西煤礦勞改隊,經過大飢荒後,1,200名右派、犯人餓死1,000多人,沒有餓死的200來人中的190多人,都已骨?如柴或全身浮腫地?床不起,成了還剩一口氣的?屍;?兩個人靠?吃活?青蛙、??和蝴蝶,才能下床走動走動。(摘自新華社高級記者戴煌:《九死一生》)?寶珊,老同盟會員、國軍上將,後協助傅作義「起義」,1949年後曾任甘肅省長,1960年大飢荒,毛澤東收到?呈送的物品:用油渣和?樹皮粉糅合而成的食物,這是當時甘肅人?以生存的食物。此舉受到了省委的埋怨攻?,?寶珊卻?:「我個人的進退榮辱不是大事,群?吃飯問題要緊」。文革中,?受迫害自殺。大飢荒時,中國所欠蘇聯外債總共為57.43億,而1959年財政支出達520億元。所以實際上當年中國所欠債務數額並不大,而同期對外援助金額遠大於還債金額。而長期來解釋三年大飢荒時,卻大講「自然災害和對蘇還債」,「對?怨老天,對外怨蘇聯」成了推卸責任的推託之辭。通過以上不完全的「大飢荒」?案,不知道是否可以提醒人們:到底是誰製造了這場慘劇?如何記住?史,使悲劇不再重演?怎樣使人們能?穿透?史的迷霧,看清血寫的?史,不再相信中共墨寫的?言? - See more at: h
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130ヤマト:2016/09/19(月) 15:56:57
江澤民就這麼壯著膽把出身從「漢奸狗?子」變成了「革命烈士子弟」。?去世後,江澤民三權在握,他迫不及待的組織了一個專門寫作班子為自己寫傳記。這個寫作班子在走訪搜集資料時費盡心思、不辭辛苦也找不到江能服人的政績,反而了解到其大量鮮為人知的不光彩一面,其中就包括偽造出身的問題。江澤民對這個寫作班子非常惱火,命其立即解散。但人的嘴巴不上封條總有縫隙,江的醜事還是被陸續傳了出來。自從江澤民成立的寫作組調?出他?改出身後,江驚恐萬?,利用手中的權力急著出各種各樣的回憶?、傳記等等,利用一切機會大篇幅的反覆述?自己在13?時過繼給了已成「烈士」的江上青。2002年10月,在江澤民的授意下,由其親信、時任廣東省委書記的李長春在省委組織部管轄的刊物《廣東支部生活》上刊出了一篇文章,大談江澤民的「過繼」問題。令人捧腹的是文章的第三部分:「烈士夫人誓育遺孤」──由生父江世俊悉心栽培的江澤民轉眼成了「遺孤」!別小看這期雜誌,發行量竟高達近兩百萬冊,遠遠超過當時發行最紅火的《南方都市報》兩倍,其重點旨在告訴讀者「烈士」遺孤江澤民江澤民的父親是江世俊。1940年11月漢奸汪精衛的日偽政府成立後,江世俊投奔南京,改名江冠千,擔任南京汪偽政府宣傳部副部長兼社論委員會主任委員,為《中華日報》主筆胡蘭成手下一員大將。胡蘭成與周作人並稱當時國?最著名的兩大漢奸作家,他離開中國後在日本出了本《?史的?渦》,書中特意提及江世俊(江冠千)和他共事的?史。為了讓長子將來出人頭地,江世俊不但送江澤民去學費不菲的揚州中學,還送他去汪精衛偽政府?的偽中央大學讀書,而且從小就送他去學彈鋼琴。

131ヤマト:2016/11/25(金) 04:42:47
法輪功煉習者在天安門自焚

2001年1月23日,一場發生在天安門廣場的自焚之火,經過中國媒體的反覆?染迅速傳遍全世界。自焚者被一口咬定為法輪功學員。聲情並茂的?批中,要刻意煽動的是對法輪功的仇恨。

中央電視台的自焚節目播出後,許多人信以為真。但海外專家通過慢鏡頭仔細觀察中央電視台播出的自焚節目,驚奇的發現這其實是一場蓄意陷害法輪功的偽案。

細心的觀?只要把電視鏡頭放慢就可以看見,在被官方媒體稱為自焚而死的劉春玲身上的火?基本熄滅時,有人突然用物體猛??的頭部,劉隨即倒地,一條?物快速彈起,又以極快的速度從空中落下。那麼究竟誰是出手打?的人??如果把那一時刻鏡頭止住,會看到一名身穿大衣的男子正好站在出手打?的方位。

?外,天安門廣場沒有滅火器,警察也不會背著滅火器巡邏,怎麼可能在一、二分鐘?就有4個人立即拿出滅火器圍在劉春玲身邊?

官方媒體報導?:「被燒重傷12?的小姑娘劉思影在醫院立即進行了氣管切開手術。」但是我們在電視節目中卻聽到劉思影聲音清脆地在與記者對白,難怪一位美國西醫大夫看完此報導後,笑著?:「氣管切開手術後,人是?不可能在這麼短時間裡恢復講話能力的。」

132将軍様:2017/01/18(水) 10:42:13
今回のアパホテルの件はケシカラン。いっちょん支持せんよ。
歴史は直視せんといかん。わしは怒りに震えちょるよ!

え?南京って韓国じゃなかの??

133名無し様:2017/02/01(水) 11:12:09
今、幼少期を南京で過ごした元TBSアナウンサーの鈴木史朗さんの数年前の
インタビューが注目されていますな。TBS涙目だろうけど(笑)。動画にもあるの
で興味がある人は探してみてください。

134名無し様:2017/02/01(水) 20:07:32
南京の件は実際にあったと思われるが、人数などに誇張があるのだろう。
従軍慰安婦の日本からの強制の件は、無かったと思われる。
なぜなら朝鮮半島は日本だったから。
朝鮮にしろ台湾にしろ、日本は自国と同様に接してきた。
ややうるさい管理があったにせよ
自国と同様、教育とモラルの向上を目指して統治してきた。
奴隷国のような扱いは無かったと思われる。

135名無し様:2017/02/11(土) 12:44:10
興味のある方は台湾の国史館のHPへ。

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